ブナ帯における稲作の発展
著者
田林 明
雑誌名
筑波大学人文地理学研究
巻
7
ページ
233- 256
発行年
1983- 03
その他のタイトル
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ブ ナ 帯 に お け る 稲 作 の 発 展
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心 と し た!:I 本のフマナ帯における稲作技術の進歩と, 地 域 の 環 境 条 件 に つ い て 検 討 す る .
と こ ろ で , 稲 作 はIJ 本 山 業 の1:1こ1伎であり, そ の 技 術 は 全 国 的 に 山 水 準 に 平 均 化 し て い る . しかもそ れ ぞjし の 場 所 の 条 件 に 迎 合 す る よ う な あ え な 以
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開 発 が は か ら れ て き て い る . 主 た 稲 作 技 術 の 地 域 差多
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こ の こ と か ら 司 本 の 米 の 収 は , 北 九 州 を │ 徐 い て , 比 較 的 寒 冷 な 地 域 にjl"':l仏、ことがわかみ.
と こ ろ で ) お の よ う に 日 本 の 主 要 な と し て , 葉 樹 林 帯 と フcナ帯( 冷キ〉があ
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に, 水 稲 の 文 章 地 域 や 米 へ の 依 存 の れ ) 立 のIII_:}い 地 域 が よ く ホJ-Jむするな会L
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民のフマナ; 帯で、は,本来y 米 の 収 量 は 低 く , し か も 年 に よ る 変 動 は 激 し か 〉 た は ず で あ る . し か し , 今日で; まフぐナ花: が水稲生産の1:1=1心 に な っ て い る こ れ は ど の よ う な 条 件 の も と で , ど の よ う な 過 程11を 経 て
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算 さ れ た の で あ ろ う か .盟 稲 作 の 成 立 と 拡 大
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稲 作 の 起 源 と立 主 培 稲 の 発 祥 地 に つ い て は717く か ら 検 討 さ れ て き た が , 115永10)や 渡 辺l l } ¥11J11涼12) セG
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O_コ 分 布 に そ っ て 東 に 伝 揺 し , 揚 子 江 下 流 地 域 に 達 し た と い わ れ て い る . 日 本 へ の 稲 の 伝 来 に つ い ては , 安 藤 が 「 揚 子 江 下 流 の 江 南 地 方 か ら 北 九 州 と 南 朝 鮮 に 海 をjj Aえて直桜伝わった
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と い う 説 を1951
d手 に 発 表 し13), 多 く の 人 々 の 支 持 を 得 る よ う に な っ た 。 それ以古前i包jは,干{片申主り: 三ゴ北! ヒからi市一引ザ
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日 本 に 初 め て 稲 作 を 中 心 と す る 農 業 が 始 ま っ た の は , 紀 元 前
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年頃北九/ 1 -1に お い て で あ っ た と さ 才しる. こえ/ しが弥生時代の始りであった. 稲作の開始は, 福岡県根付遺跡で発相された土器に{ 、1' - っ イじヨ│そや土器に残された籾のj王 痕 か ら 裏 付 け ら れ て い る16) 弥主生白i
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弥Fに お け る 炭 化 米 や 籾 の 圧 痕 か ら ? し だ い に 明 ら か に な っ て き て い る .ヰ
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j京の研究によると1 7 ) ,北九/ 1 -1に始まった街作は,まず,九/ 1- [ の南方へ伝播し,鹿児向まで100
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、 し て 到 達 し た ( 第2 区1INシ iュ{セ紀 元 前
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年 頃 に は 山 陰 地 方 ぞ い に 京 都 府 ま で , 瀬 戸 ! 大 品 芹 : を 東 進 し た 系 統 は 京 良 県 に 至 っ た . 弥 生 時 代 の 前 期 後 半 , 畿 内 で 栄 え た 稲 作 文 化 は , 伊 勢 湾 岸 と 福 井 県 に ま で 達 し , こ こ で し ば ら く 進 み が 」 と っ た . 気 候 条 件 を 考 え る と , 九 六 、 │ か ら 伝 わ っ た 西 の 稲 で 、 も , 東 海 地 方 か ら 京 辺 ま で 、 の 地 域 で はi
一分生育したと考えられるが, iセio
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米 粒 圧 痕 出 土j貫跡
@ 弥 生 前 期
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2Iぇ! 日 本 に お け る 水 稲 作 の 伝部o x x
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( 弥生中期後半)
A. D. O年 頃 ( 弥 生 中 期 前 半 )
川 口 丈 夫 ( 1935) :北海辺米作の地[! 日午:1'1''] Mf究
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介 ( 1977) :r
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日当日ーとブナ; ! 日: の境におおまかに対応し,発 祥 地A Q mセZ MI ャj ᅫゥ こ こ 主 で 比 絞I'(J ' 容易に広がν〉たことがうなずける.
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古 い 栽 培 稲 のうら, A Qュ u セ QZ Q ャ ヲ je W ェ cェI iJ;Fil:.I 'IIJ1J 1の に 太
平 洋jギを 進 ん だ 稲 作 は , 関 東
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¥lにまでおよんだ, {邑ブ, 11 1央'1: j J也に入っ た 稲,'f
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Aャwセi Z i Z ャ ョ ャ I ェ QQ ゥ|ャ ャ p IO ャA l l tNeAA [j ゥi ゥセ 小け1!ドiリ央(.t
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生 時 代i村山の仁│ こi[表には ,RQM Q|セ ェZ NゥイA ャョャ| ヲ RP I さらに,
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J11.=i¥ f¥:11'1JJtJの 終 り か ら 後llJJの 初 め に な っ て ,7)'(' [ 11 はj :qミ北地 方 北 部 に 進 み , 紀 元 後300 ij='1、Jii 後JこlJ:北 立を11
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く1] 本 の ほ ぼ す, j戒に 稲 {ノドが広 が っ た2 1)1
l [ - 2, フεナ 帯 に お け る 稲 イ 乍 の 定 着
安膝(土手11名 抄 に 示 さ れ た 水 日 ヨ 而 積 を 整ll l ¥し, 8 1日: 紀末に は105] j haの* 1 11が111初 寸 し て い た こ と を 明
らかにし た22) これは, 現 在 の 1]本 の 水 旧 而U1[の3 分 の 1jMセ j セ H N A
11::11羽 の水口1面 積 は , よその当1寺すーでに1 93,060haに お よ ん で い た が , そ れ で も 現 主 の * IEImi積 の13%余り
に す ぎ な い . eb VPE ァャ| ャセ QI
比較すると, プナ :貯 に お け る
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く 回 開 発 の 遅 れ がll[li
狩 で き る中 世 に お い て は , 水 田 開 発 { 立 日 本 全 体 で 停 滞 し , Q Z Q| Q ェ j セ i t Z i i |i H Q USR N⦅⦅ Q V Q U
田 面 積 は ,105万h aか ら120
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5' ha程 度 で あ った . と こ ろ が ,18社 紀l千It]I主 で に 水111 TYutrtは 名川iし,163) J 'h a余り にな勺た . さらに ,Iザ1I e i 10i:'1::'- ¥f;の;;J(日=1
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Hl i土256万h aであり,18 111:紀 から150,1rl¥i1に937) ' ha余 り が 増 加 し た こ と に な る23) 1880年 ( 明 治13) の 日本JJ石田年jliiに よ る と ,
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北 地 ブjの 水ITI は448千h aになり,8
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百 近 く に な った こ と が わ か る東 北 地 方 の 水 田 開 発 は , 江 戸 前 期 とrl:1別 に 急 速 に 進 ん だ . Q VTU H RI シセ wiセiセェ
石 高 は240万石であったが, Q XW S VI R SP Qセ iャヲ ャ RPYWU ゥ|サO ス j i} N
1'101¥の日 本 全 体 の 石1', ,;hの増) ] 11が7 5 5万 石で、あ った こ と と 比l校す る と ,束三│七j自ブ子 でい か に 名l、速に15i '
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解 で き る . 特 に 北_1:.)1流 域 で1 50]5'1' =i,1¥可武113川 流 域 で30] ;石p 岩 木 川j削減で30] 5'石 のJ i ; ( l )JII が あ っ た24) 近' jltfこ 入 り 多 く の 稲 の151磁 分 化 が み ら れ る よ う に な り , QQ Z i セ iも , か な り 安 定 し た 栽 培 が で き る1211在日が現われた25) さらに, j ェ Q エャiix セ QQjjiセ QQQQ 代 改 善 や 冷 水 処 理 が 進 む こ と Lζ よ っ て ,li:!.ま き の 可 能 性 が 強 まっfこ
そ れ で も 江 戸 期 に 開 聞 が 進 ん だ の は , 条件の良し、平坦地が1:1:1心 で , 二│ヒ上! 上IJ山や奥山Jiji jャ Q セQQ エGゥZ
ゥセ N RVI 1司じことは仁1=1央i同 地 の ブ ナ ;出;でもみ られ, セ lB 11¥:, tl{,l
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¥奇700""- ' 800mが多くの場合, ャ シ QQセ セQ N S
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ブ ナ 帯 に お け る 稲作: の発 展セ hG ェ Z 239
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限: │
京
11 11 12 1 R ()京
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362. 0I 273. 7I 321. 0i 280. 2 1 141. :l ' 362.1(1り!iti 1 3 ) I( 100 . 0)1 ( 0. 0) i (17. ] ) ( 12. 7) i ( 3. 3) ! ( 13. 9) ( 10. 5) I(12. 3) 00. 8) (5. 4) ( 13. 9)
1900年 I 2,744. 51 3.1 I 463. 8I 333. 9 i 87. 5I 374. 2 i 284 . 41 333. 1 i 320. 0 1 143 . 9: 400. 6
(iリl i fi 33) 1( 100. 0)1 ( 0. 1) 1( 16. 9) 1( 12. 2) ! ( 3. 2) ' ( 13. 6) I( 10.4 ) 1(J 2. 1) I(1.1. 7) ( 5. 2) I( 14. 6)
1920:{ド ¥3,009. 51 83. 11 502. 5! 351. 91 96. 4 i 405. 0 i 304. 3¥ 343. 1 334. 81 153.l: i 436 . 0
( 大医9 ) 1( 100 . 0)1 2. 8) I06. 7) i( 1 1. 7) I ( 3. 2) I( 13. 5) I( 10. 1) !( 1 1. 4) i ( 11. 1) : ( 5. 1 ) ( 14. 5) 1930年 1 3,] 716i 20 0 21 5436 l 3 670 1 86 4i 416 21 29 3 9 l 3 3 1 7 i 3375i ] 45 9 i 4 492 (Irr{flI'5 ) 1( 100 . 0)1 ( 6. 3) I( 17. 1) i( 1 1. 6) ! ( 2. 7) : ( 13.1) I ( 9. 3) 1( 10. 5) i00. 6) I ( 4. 6) I( 14. 2) 19501,] ミ 1 2,852
到
149. 71 522.1i 340. 9 I 89. 3I 382. 2 1 263. 0 I 276. 5 1 296. 7 1 134. セ@ i 397. ? (1昭和'25) IHゥ VVセP I |@ H U セ@ 2) I」ゥ Xセ S U@ Ici 2. 0) I ( 3. 1) i(13. 4) ! ( 9. 2) I ( 9. 7) I( 10. 4) I (4. 7) ¥ ( 12. 9)
1960年 1 3,171. 61 199. 41 595. 5 1 371. 61 160. 6 1 4 35. 5 1 219. J I 300. 91 301. 9i 150 . 9i 432. J
Hセ ゥセセQQ SUI@ ¥ セ ッU Q@ ↑ V セS U@ 1H QX セXs@ I
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1
J .75 I ( 5.- 151( 13. 7) ( 6. 7) 1 ( 9. 5) I ( 9. 7) ' ( 4. 7) ! ( 13. 6)1970.{1ュ I 3,415. 21 290. 7I 714. 8I 387. 3I 103. 9 I 469. 8 i 269. 7I 278. 5 I 309. 5 143. ].I 447. 9
(1I i
:
1
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1145) I セ ッI Q@ ( 8. - 5) 1( 20. ' 9) icii . 3) I ( 3. 0) : ( 13. 8) 1 ( 7. 9) I ( 8. 2) ( 9. 1 ) , ( 4. 2) I( 13. 1)1980年 I 3,054訓 267. 4I 694. 6 I 347. 7I 90. 1 431. 5i 216.
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I 231. 5 255 . 8i 119.セ@
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( 附 附 I
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1 CT 6)c XセTU@
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資料 1880年 ,1900{j.: ElOェ\セ ャセh エiN_ 1920,I.j:, 1930年, 1950;' ド
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日本省O
1
l'ifj,.;{ 先行 ) 統" ↑ 表1960if, 1970il:., 1980年 ヲャZ セセ [N
fこ. 1900年 か ら.1920年 の ¥LrJ(.こ北海道で水田! }l U 5 '
s
が急速に進み, そ の 面 積 は1930年 に は20万 h aに 達 しN ゥI セ Wj H } Q Iji} [K セ A セ NN [ j G N 第 二 次 世 界
大 戦1¥1, そして0T i去に日 木 の 7)(F日前 積 は- 11. lj:1刊に 減 少した が 19551'下 頃 に の オロド" 二復 し , そ れ 以 後19741f.まで)1順調にiqlび た こ と に 北i1i hi1 L と東北j山方,京山地方,そして! 到来j位 方 に お け る水Bl l il.¥大
が 若 し く i並んだ
Qjヲ Q YQ Xセ ヲN QYWP i t ャゥjᅩᅥ R I 20万 h aを;1越える
北 海 道 が 最で , 次 いで、4万h a台 の 岩 手 ,S ィ 。エ↓ HセG」セ 2万h at iの 青 森 丸 茨 城 , 秋
f
I
l, 椛 烏 ,ii i jイセ IQ | N iセ Z ャ WjゥェZ f ェ シ発 が 著 し く 進 行 ー し た こ と が わ か る . また, フ" ナ帯以外の地 J'D
X
.
では, JイZョ ゥiャセ[[ブ
Jが 多 く, 7J'(I ] 後 退 の 傾 向 が 苦しく,7;<..ら れ た . WQ| Q i QG j lセ QQ|ZQP Q Zゥ [ jャ くが 第 二 次111: 界 大 戦 前 のr
m
発 に よ る も の で あ る が ,東 北 地 方 や 北 関 東 の 訪; lAで1土, 主 に 第 二 次11.iセ戦 後 に7J(:1
1
[
n
再 発 が 進 ん だと こ ろ で ,北 海 道 の 稲 作: は
;
i
;fi fi'll:付 近 で、1685! . f5
) にしろ ひ げ とし、ぅJ
、
、-: セQ 、Jーも nヲ_ャ イ Gゥ セI ZQV BGN e ),い_ 11 11
局 が 以l?りさ ;lし た の がi長初 とさ れ る. しか し, 1886 ( 1
切
に
i 19) にjJゴけ る 水 稲 川三j、'Jn目 土1,800h aに す ぎ ず , 水111の 分1
百も{ 1主九三! こ.Il jj; ヲN セ ュ A a RYI (江:!; 2Iヌ
1) ⑮ 18801
r
i¥:f全半ヵ、! うの、V.Uii で の 水 稲作の成功は, ii i j iエ ャ ェ イ| Q ゥ↓ ャh GiセゥZ [
い30) さらに, 1894:{j三 (1リJi
:
f
i 27 ) の1;¥1作 の │出, 右下主 の11:1からLJljJモ よりも 1_;!lrrU't!ほ ど11I1
印 刷 が 平L吃)j jミ
G
ZjG{
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l NI 11セHセェ ZA セ )'/ こ. 1903年 ( 大 正12 )に は 走
9
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が 育 成 さ れ . 十! l)Y地方ぷくぷ 北 見地方で・も稲作 が 定 した . fii、速 な 稲VI: J ! tj (;ょ ,l Ii)'t:
什1''1l l ii1 1Fnの
育 成 に 代 表 さ れ る 稲 作 技 術
i
の 進 歩 と とも に,ュ|
II I ュ ャ セョZj I干iが 進 め ら れ
た た め で あ っ た
31)
1937年 ( 11日荊112) の 戊 林1]守の 育 成 に よu
コて, 北Ihj).互の (町 三イミ:h
N
とfinlノ
240 人 文 地 主II 学 7;) 1究 明 !
なっ た. しかし, QYSQセQZN QYSUセア QYWU ャ ZQ ケ エA ェ Gェ[ ャ
いて1910(.=1三項の稲作前線までもどっている3 2 ) 第二次世界大戦後, 主1 • I二)IIJ_ 也方の泥j災地開
発 や
)
:
1
= 1 7 ) ( 確保によって大規模7Jc
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羽発 が.
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i
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められたが, 稲作!日正;
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ャ ャ ヲ セi Nヲ _ AセセEゥ ゥ ゥOOャ ャ それまでアワや仁
エ が 大 き な 比 重 を もっていた 下北半島や北」二山地北部, 奥)];j山}j}f{ 京 総 の 扇 状 地1tl:,阿武!;jU山
ι
j
そしゥセャャ シ ヲ Z Q iセi Z j ャセj@ 111¥の │上11; ;J"で、問111事 業 が 始 ま っ た の は
大 正l判 明 か ら 昭 和 初 期にかけ てであり, j セj iJ_JJI!Rか ら こ
1
け由る零石川やii:
:
沢)Ij ,
キ
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.
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1,JJ日y}¥川が 形 成 し た 扇 状 地 l二で‘ も,大正末から昭和初期にかけーて3 主にJ
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Iか ら水1:1:1へ の 転 換 が 活 発 に 行 わ れ た33)奥 会 津 の 桧 枝 岐J 11の上流では, 稲 作 が 棟 前 600111以上の地域に広がるのは容易で‘ なか ったようで, 1京
セ WRUュ セ}iI 1920年 ( 大正9) 頃 で あ っ た34). すでに述べたよ
うに , 東 北 地 方の! 羽田が最も急速に進んだのは, 第 二 次
I
Jt
J f f 大戦 後の1950(.=1三から1965( . '1ミ頃 までで , こQU QQQ ゥGエii ゥー {QQ QIQセ L
L
i
J也とAil;山盆地周辺では, 5 0 %以 上 の 水 田 増 加 が あ っ た35)
1:1-1央 高 地 の ブ ナ 帯 に お い て も ,
I
羽 田 が 著 し く な っ た の は 明 治 末 期 以 降 の こ と で あ る .校
正
:j,] OOQm付ー近に耕地が広がる長野県関田高原では f明治則まで多くの水IJ1にはヒエが植えられており, 7](f l1'iの
作 付 が 多 く な っ た の は 大 正 期 に 入 っ て か ら で あ っ た36) エセBャセゥZ○XPPB⦅⦅GYPP iQQ 1894
年 ( 明 治27 ) 頃 か ら 水 田 が 漸 増 したが, 来初) の7) ( [ 1:1の生産力 は焼却f I における よりも 低 か っ た . 本 出 │切 な関日1は,大正末期から昭和初 期にかけ て千子われ‘ た37) 飛地 域でも, rり
:ld
i
よ
JJJU
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に 稲 作 を 行 って いたの は標高70Q,...,80Qn1ま で の 集 落 で あ り 当1,0 0 0 mまで稲作がi
I
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Jびたのは , 川 上 流 で │ 明治末WI,Q{セ@5
1
1
川 上 流 で は 大 正WJに入ってからである. また, それぞ、れの流域のi ;:
i
-
上 流;}ISで、は,n
j ' 3和初W
J
に よ う やく! 羽田が実現された. 来松山麓の奈川 や呑戸凡 鹿 島 槍 東 麓3 八 ヶ 岳 東 経 の 小 海 , 富 士 五 日iJJ
w
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辺 で は1955年 以 [i 年大規 枚: な7J(133開 発 が 実 施 さ れ た38)
ブ ナ 帯 に お け る 明 治 期 以 降 の 稲 作 発 展 は , 水 田 面 積 の 拡 大 とともに,収量 の 定 と な っ て 現 わ れ た . 北 海 道 や 東 北 地 方 な ど の10 a当り収 量 は1935年 頃 ま で 全 国 水 準 よ り も は る か に 低 か った " 1893,..__,
1902年 の 全 国 平 均 は218k gで,これ以ヒの収 量 水 準 に 達 し て い た の は ,山形県の227k gにす ぎなかった .
iェェwセ シ A
f
太田,岩手各県との北海道は150,.__.,180k gの収量しかあけfる こ と が で き ず1 全 国 で も 最 低 の7J C視さにあった39) ( 第
3f
玄/ )第 二 次 世 界 大 戦 中から1950年 頃 ま で は, * 北 地 方 の 単 位 面 積 当 り の 収 ま は 全
i
主! 平 均をえIti寺し ,さら にそれ 以後,近畿・北 陸地方をぬいで、全│ 主li設; 誌の水準に 達した. スIAセセi QセWW QP a当 りの収11セェZN@ 1950( . ¥と代 後 半 に400k g,QYVP UPPォァセ N QYVWHNセ ZZ N 10 a
当 り 収 量 で 全 国 第l 位となり40), そ れ 以 来3 極 端 な冷害 年 を 除 くと) iij Wtセ S jャセ
が 独 占 さ れ る よ う に な っ た . Sy ュスキセ エ iャゥセ GZ@J水 準 を ホ し て い る .
:1
七百ij道における生産力 も急 上昇しているが, iゥ ャ S iァiWjH Aイ セZ ゥj
度 で あ る. 次に, これまで述べたフcナ71Wの 稲 作 発 展 を 支 え た 水 府l栽 培 技
f
iFjの進歩tこついて述べてみよセhセZ jQセ
@ 全国平均
日 東 北 北 海 道
tl':; 3{セi@ 日 本 に お け る 水 稲 収 量 の 変 動
415文lh};綜i( 1 981) : IIイネI vイZ jゥャセ ャ↑セ@ セエNョh@ J とi昭和55;;j二i mfF::防総計ーからff')JX.
241
k守
600
550
500
242 人 女 j・位
T:m
学 研 究 明[百 ブ ナ 帯 に お け る 稲 作 技 術 の 進 歩
百
-
1
栽j告期n
n
の延長フミナ 帯 に 位置 す る 東 北 地方の農民の大きな! 共1,心は , 平岡 え を 行 い 栽 培 jリ11I¥lを 延 長 す る こ と に お か れ
ていた . たと えばy 山形 県 で は
1919
年 ( 大 正8 )
T RP セ ャヲャj QSNU Eかっ たが,
1955
年 に は8 0 %
が そ れ 以r
i i
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に な っ た .1
1
1
1
直、lP
J
をJ一人ても ,1918
1
1
ミ( 大正7 )
には6
月5 1
:
:
1
以 前 の も の は わ ず か に1
0 . 7 %
に す ぎ な か っ たもの6::' ,1
9
5
5
{1
日こ は69
. 4% になった. 東北地 方 において?この ように播 種 別 と1:日国J却を 早 め る こ とに 努 力 さ れたのは, 殺土器 JJJ J I日! の延長を秋 季 の 平 冷 に 向 か つて
行うことは 不 可 能 で あ る が ,苗ー代別においてはが[ 1
l
; U
i
I' 9
に可能であり,それによって心i
い収 ;昆を得ょうとしたか らであっ た41 )
1979
年 の 場 合 で は ,東 ゴ七地 方 で 最 も 早 い7
tr
城県で4
F
J
1
1
1
:
: 1
, 最 も遅い 山形 県 で4月1
9
日に j需極された│司植の終った水 稲は , 夏 季 高 温 多
H
衰の11寺JVJに ガJ聡 形 成JV
]
に入り, それ か ら 約30
EI¥
n
'j
でH
'
:
,
F
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lする1-2) このj士ll穏期は, 東 北 地 方・ においては,1
2
7
く か ら8
月201
ヨカ可決界とされ てきた43)19791
:1
三のl um
( j 比
政
W
J
をJ る と, 宮 城 県 と 福 島 県 で は
8
月8
日3 山形 県 で は8
月9 1
ミ1
,青森県 と岩 手 県 で8
月12 E
:I
,秋 田県 では8月1
4
日であった. そして, この8
月 中旬 を 基 準 と す る 出 穂l
J
けにはi
しては ,1明 治 則 以 降 大 き な 変 化 はなく ,結 果 と し て 栽 培 期 間 が 約30
日 間 延 長 さ れ たの である44)lV
-
2
苗代の 改良縫苗 育成と 播種別の繰り 上 げ が 東 北 農業の恭一本的課 題 で、あり7 そのため の重 要な j支持jの進歩が 苗 代
改 良 で あ っ た . 東 北 地 方 で は 古 く か ら
r ; m
し首f
そJ が 一 般 に 用 い ら れ て い た . これは 稲 の 育 首 だ け を 行 い 跡 地 の 作 付 を しないl.J :m
Y
苗 代i丑で , 鎚泊三な1
5
5
づくり の1
つの試みであっ た. しか し, これに よ っ て約5
%
の水田 では 稲 作 が 行 われな い こ と に な る45)1925
年 〈大正1
5)
にはフ ヲI|i i A wセ X QN REWSNVE TP ⦅⦅⦅⦅ VPE セイ
ft
iJ::'iill
し前代であ った . j]} し 代 で は ,1
5
7
代助、に青 草や! 玩n
巴が 入れられ, 腐 敗 す る の を 待 っ て 数 回 打 ち 返 え され, 除草管坦11が 行 わ れた46) この 辺 し;
!
15
代 は ,水QZZ QS ェ Qセ
7
J
く祈l品 種ー改良 な ど を 契 機 に , 昭 和 初期 から しだ い に 減 少 し て い っ た が ,QYUT セ シ シ TP MMNNO UPE
代であ った
フマナ の 育 苗 を大きく変 えたのが,
1942
年j
妄 野 県 軽 井 沢I
II
T
のjJ
ii
農 家 荻原悲次の発狂! に よる 保 温 折 衷i
百代で、あった47) これ は 短 易j末 を つ く り3i
番T
ili
後の 床T lu
をj il]紙 で 従 う も の であった .1950
年頃 か ら 普 及 し, ブナ帯 に お い て 急 速に打五ブミした , さ らに , ビニー ルを被後 材料 としてトンネル 式 の 被
覆土
1
I
1
i
百代 が つ く ら れ ,1955
年 頃 か ら 広 ま っ た .i
米温折衷古!i
代 や被m
1J
l
!
i
h
l i
代の 普 及により, 通し1
1
i
代 はゥヲセ■ \Q XI iZ 収量も
195011
三代後半には急速に イjrlびた . さ らに7 QゥゥR I QMQ サ Z Q QャセェO QYWP Tセ ゥH
プナ; 「ij:における稲作の発
Jm
243l Y- - 3
, 改 良 と 稲 作 技 術 の 進 歩49)ブcナ の な
ifr
:
発 展 に も 大 き く か か わ っ て き た の が1
1
7
1
部改良であり, そ れ ぞ れ の 代 の 技 術 に よ ザ 〉 てi
訟も'
i
,':jい 機 能 を 発iJ同一る1
1
1
1
れ がJfi
り入れられた 京 北j白方において明治則! は滞政) l JI1) 、来の在来 の 代 で あ り7 技 法DTi様 で は 部 政JU
J
か! 伝統いたj E
後と!日 JUJ;I},ら治jえした愛I
_EI
が主宰J
であった. こQQ
QQQQャゥヲゥ
QQセQ
,1
x
.
J:jj ⦅ェ iセi ゥut ゥヲャェ[j Mhi 荒 本 な ど に 分け る こ と が で き た .
Q iセャ 東北1 : 出方でもさまざまな施策が試みられた,ま
ず, ャhiセ@ QQQ セサ_ こ れ に よ っ て の 導 入 と 短 床 却 に よ る がiiT能になり, : : : l 二撲がJj 巴沃
になった. さらに, 大 豆 粕 ゃ な ど の 納 入 肥 料 のjf! 大 で , 在 来 の
i
i
j
J
l
種は1 f I]れ や す く な り , 病 虫 害 も多く発生した. そのため, jM桁: 1] 伏性および耐病性吉備えた
d
=
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n I が望まれるようになった. そのうえ明治則にたびたびおきた冷主' によって,
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J
冷 性 の1
1
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砲 の 必 要 性 が 高 ま っ た . こ れ に 答 え た の が , 山 形 県1
1
:
1
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QQセZャ■ QXYS A ェ HQ RVI ェ N 亀の) ft: は平生で; 令告: もあるセBiii[AェZ {N 亀 のj毛は1902年 ( 明 治35) と1905年 (1明
SXI Qセス
大 半 期 に 入 る と 東 北 地 方 の ブ ナ 布 で は3 えi民 稲 を 減 ら す こ と , 短 打 主
lt
で 引 番 き し 多m
を 避 け る こ と 令 7}¥の 掛 け 流 し の 成 を1
2
1
る こ と , 括 原J1JJと田地期を早めること,宝
I 、ニ
乙/ ;ぷ
;j'(によるはヨ誌などの
屯 の 庄 の い も
ャヲャェ iセエ N
りあげられた. 大豆粕の他! こ硫安などの無機肥料の
t
語大につれて,え た に 対 し で も 亀 の 尾 は @j f l t効 果 を も っ て い た だ け で , そ れ 自 体
となったのが, 1921年 ( 大 正10) 農商務省農事試験場│ 注羽支場で人工交配によ
132
J,
号であった. この
1
5
1
種 はg
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伏といもち病に強く, 多ilE
で 増 収 効 果 が あ っ た . さらに9
1
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質 も 亀 の 尾 と 同 等 で 三 で 、 耐 冷 性 も あ っ た . 1929年 ( 昭 和4 ) に 作 付 面 積 が 東 北 地 方 でと な り , こ れ が1952年ーまで続いた. ところが, 1950年 を す ぎ た こ ろ か ら ? 化学J l E : 料を主体にして 施 肥 j 立が急激に
ilf
j
え 始 め 132-' ;よの耐)j E
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で は 応 じ き れ な く な っ た . こ の 頃 か ら 保 温 折 衷 首 代 がし,殺
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i
1
j,殺虫,除草などのための菜作! の出発が進んだ第 二 次
JI
J
界 大 戦 後 の 食 に お い て は , 多) J 巴で収室│ 生が確保され,冷性と耐病性に優れたI 長!5号 が び , 1953年と1954年の冷' 吉を契機に*ゴ七北
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に広がった. 他方,富' 城県ではササシグレがし , 岩 手 県 と 山 形 県 に も 広 が っfこ, 1965年 以 降 の 重 要 な 品 極 は ブ ジ ミ ノ リ と サ サ ニ シ キ3 トヨニ シキであり,そ) ,1に 次 ぐ も の と し て レ イ メ イ と キ ヨ ニ シ キ が あ げ ら れ る . フ ジ ミ ノ リ は 食 味 と
不
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1
づ? なi
i
提
J.:N
5号lこ代わったもので,倒伏にう1
i
く , い も ち 病 抵 抗 性 を も っ 安 定 多 収d
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であったが,レゥェャ セO i メイも食味, という点では,
キ ヒ カ リ に そ の
Jls
1
立をゆずった. ササシグレ: こ代わる品種はササニシキで, 良質・良食味とし、コ点では サ サ シ グ レ 程 度 で , ち1:ト 伏 と い も ち 病 に つ い て は ザ サ シ グ レ よ り 優 れ て い る . トヨニシキとキヨニシ
244 人文地: l I 担当戸研究
v
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キ ヨ ニ シ キ の 方 が 収 量 牲 に す ぐ れ て い る た めp
近
4
三 ト ヨ ニ シ キ よ り も 栽 培 面 積 が 多 く な っ た1
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年 に お け る 東 北 地 方 の う る ち 主 要 品 種 の わ:
:
1
づっ状況をみると( 第2
去) , ] 位が1
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のサーIj -ニ シ キ で あ り , 東 北 地 方 全 体 の 作 付 面 積 の35. 6%
をI:':i めた50) サ サ ニ シ 引J土 * 北 地 方 を 代 表 す る 良 質QjェGセ@ 2表 jゥセ ェ iヲij tQ ti HQYXQ ゥヲI ( ) は % h a
サ サ ニ シ キ │
キ
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ヨニンキ
アキユタカ
サ サ ミ ノ リ
コ シ ヒ カ リ
ハ ヤ ニ シ キ 1
ノ 、 マ ア サ と
む つ か お り
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ぐ の
他1
京j仁地方
187,284 ( 35. 6) 84,238
( 16. 0) 83,664
( 15. 9) 64,633
( 12. 3) 22. 889 ( 4. 4) 16,864
( 3. 2) 12,835 ( 2. 4) 6, 702 ( 1. 3) 5,036 ( 1. 0) 2,678
(0. 7)
38,042 ( 7. 2)
メ』
i二l tjl I 526,665
( 100. 0)
もち
資料
19,460
三 位 オ 元 l目 l弓 イホノ守、
( 一〉
( 一〉 54,748 ( 78. 3)
( 一〉
( 一〉
〈一〉
( 一〉
5, 236
( 7. 5)
3,678 ( 3. 3) 6,276 ( 8. 9) 69,938 000. 0) 639
岩 手 県 [ 駄 ID県 │ 宮 城 県 I 111 形 出 │ 出 島 県
2,1 9 3 6
I
13,670I
82,097I
48,891 20,695 ( 28. 8) ( 12. 9) ( 83. 2)I
( 56. 6) ( 23. 3)9, 8 3 3 I 45,031 I 23, 726 5,648
( 12. 9) I ( 40. 4) ( - - ) I ( 27. 5 )! ( 6. 4) 9,1 2 3
( 12. 0) 16. 056
( 21. 1 )
8. 210
( 10. 8) 6 3 7 ( 0. 8)
( 一〉 6,7 0 2 ( 8. 8)
〈一〉
( 一〉 3,6 2 7 ( 4. 8) 76,1 1 9
( 100. 0) 3,3 0 5
12,276
( 11. 6) 18,218
( 17. 1)
11 ,970
( 11. 3)
( う
( - )
( 一〉
( 一〉
( 一〉 5,070 ( 4. 7) 106,328
( 100. 0) 2,198
221
( 0. 2)
L 997 ( 3. 0)
13,389
( 13. 6)
( 一〉
( 一〉
( - - )
( 一〉
L
151( 1 . 3)
( - ) 2, 709
( 3‘ 1)
(一)
(一)
( 一一)
(一)
6, 107 ( 6. 9) 28,367 ( 32. 0)
2,838 ( 3. 2) 12,835
( 14. 5)
(一)
(- )
(一一〉
957 I 9,925 12,187 ( 1. 0) ( 11. 5) ( 13. 7) 98,661 I 86,402 88,717
4姉 2 2 8 9 6,074
( 1982) : 昭和田年産米首設の15=bf重J}IJ作 付 状 況
M ゥ ー iセ QQ S サ
く東北各県で作{ せされているが, 宮 城 県 と 山 形 県 に お け る 作 付 [ 面 積 が 特 に 多 い . 東 北 地 方 第2位のキ
ヨ ニ シ キ の 作 付 面 積 は , サ サ ニ シ キ の 約 半 分 で あ る . 秩 田 県 と 山 形 県 で 、 の 作 付 が 多 い . Gセ 3位のアキ
ヒカりは,
1977
年から青森県と秋田県を中心に急土曽し, QYXP iセiO Zj T itャ ○つ よ う に な っ た . 青 森 県 で 食 味 の よ り す ぐ れ た む つ か お り や む っ こ ま ち が 導 入 さ れ た た め7 アキヒゾj
リはやや減少傾向をみせてきた. 第
41
立のトヨニシキは,1977
年 ま で 東 北 地 方 第1
全I
J
i
]
でも2
位 の 作 付 面 積 を も っ
i;7
3
種で、あったが, キヨニシキやササニシキとの競合で後退' してしまった. トヨニシ キ の 作 付 は , 岩 手 県 と 秋 田 県 そ し て 福 島 県 に 多 い .
以上
4
つのの主要品種で、東北地方のうるち米作付・面積の8 0 %
を占めるわけであるが, そ れ ぞ れ のl山種 の 分 布 状 況 に は 明 確 な 違 い が み ら れ る こ と が 県 刀
u
の 統 計 で も 切 ら か で あ る セ QQWQ ることにしよう.セGェZ , 宮 城 県 の 仙 台 平 野 と 山 形 県 の 庄 内 平 野 で あ る く 第4 [21) . 仙 台 平 野 北 部
ブ ナ;HFにおける稲作の発) [ (
4
麟
瞳
協
回
目
巴
巴
弘¥4関 東北地ブ7におけるササニシキの作付ヰ
( 1981 {T'-) 各 県 の 食*1;1事務 所 資 料 か ら竹: 成
245
臨
6日 ('3e)協 4
←
ω呂
町
O1-2 0
口
。
臼 水 稲 作 なし
o 60k m
UQ セQ 東北地方におけるキヨニシキの作付 率
( l981jl三〉 各 県 の 食 組 事務 所 資 料 か ら 作 成
が80%以 上の 地 域/j : ,I 南 は白 石市ま で ,
セi エ
セゥij t ij
N
庄 内 平 野ではサ サ ニ シキの卓I也j位j戒は, 11泊i出出
2
当i l回王卦1i l
山iJ -をl仁 こ ヰ れ !る まfたこ,
QQW { UセA AヲZ l ェZ セi Z
M
サ_
Z
QB [ェ N
これらに ;次大 ぐI'尚i r.:告肖: 主主汎 イ 竹 作}五パ
T
乍三寸{寸J地也j城或 としてはF 山? 形杉盆ェ [Zセ G iセ ゥ ェ ; 日の111¥L11余 地 と会 民也 がある. 福 島 県 で は 全 般 に ト ヨ ニ シ キ
の作付ーが 多 い ことや,福 ,I,
'h
から ],1"1¥1上1,I主! (liJに至る 1/:1通 地 方 では コシ ヒ カ リ が 迭 す ることから3 サ サ ニ シ キ の 重 要 性 は1
f
t
くなる . いわ きit iでは, I己i本11立 の 作 付 が 多 い . 全 体 的 に み る と , サ サ ニ シキは東 北 地 方 rl巾1)の大iii
J
川 下 流のlrjr 積 :: ¥1リ!:iベ
ヘ
東 北 地 方 市i
t
l
)
の 内 陸 盆 地 な ど 稲 作 条 件 に最も] 色、まれた地域で1ft
l
a
す る . 経 済 的 北 限 は ,ヲ ャサャセ
ゥュ
U QAZN
QI
全くみられなし、キゴニ シキ( 土ササニシキの 場合 ほ ど 作 付 率 のI:::}し、地域は少く, i hlll
246 人 文 :J¥J!. J} j ¥ 学 研 究 班
十
I
はほとんど人られなし、 セi ャゥゥ■t Iャ ッエ ャセャZセ@ 111ェ A ゥ セ ャエ A j;} ¥) では, ヲiZZZ セ セ セ
地 域 が あ る 青 森 県 内 に お い て も , 弘 前
T
I :j
や 黒 石 市 を11:1心 と す るはU
i
l
主平 野 南 部 で はy む つ か お り や む つ こまちなど,アペニヒカリより良質な! 日i訂ρ
コ作付が多 く , ア キ ヒ カ リ の 作 付 率 は 低 く な る . ま たp ヤ マセZ Q Rゥ シ Q ZZ Q ゥw ャゥ シ ii f ィセ ゥェ| | GQ ア
キ ヒ カ リ よりiilj刊社生 の 強 い ハ マ ア サ ヒ , ν イメイ, シモキ タ な ど の 品 種 が 多く な る
ー こ の よ う に し て み ると3 お お ま か に み れ ば , 東 北
ァMi Iセ ゥ■ャ ェNj ケ む つ か おりが ,
I
1
1部 に い もち 病 に 強 く 多 似性 の キヨ ニシ キ と ト ヨ ニ シ キ が3 QSェ Gi セ i Z jh
趨
盟
問
四
回
ロ
臼
o
60k mGTセ@ V Qセ }@ セQセ ヲ サェ HQYXQ セ イ ZN I@ 各 県 の 食 組 事 務FJ i資 料 か ら 作 成
アキヒカリ, サij ニシキと和! み合わ され て い る こ と が 多 い 〈 寄り
5
1
玄¥) • セ色Jr
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は狂i
似 し て い る . キ ヨ ニ シ キ の 作1
,],ネ が6
0
% 以 上 に す る地域は, v iAA_ イhZ¦セェ
山
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l
辺 のrl
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Q GQG QQ xI■ヲe ヲ ゥセj l lゥ j| Z■ゥ サ セ点 の
1
I
二1L
L
J
QZ|Q N iiiM Nセ:.1作 付j也J1主としては , 秋 山 県 の ほ ほ 全 域 と 岩 子l ijl東南; ' } ¥), JとI)'J平 野 と
I
L
I
jイセ@ ェ[サセ@ J也: を│除く山形県のほぼ全域である. 背森lilL
と1
5
・J)主;iA
で は キ ヨニ シキは{ 乍 付 さ れ て お らず,t
日同県で は ト ヨニ シキ の 作 付
ilu
H
え が 多 い た め , 相 対 的 にキ ヨニシ キ のf H
てj立与は{J王くな っ て い るヲャZZヲ [ j セ XPE
青 森 県 に│りそられる.
1
乍↑てF
,f,;40 %
以 上 の 地 域 は , 岩 手jQ Q l jM⦅ lij シエQ Qスェ Bイセ
、),:-:
jNiセ@ , l:j=I)}I)と
J
大日llR
か ら 雨 で は , こ の ill-l磁 のV
I
‘l也 す る と いった士山j或 分 化 が み ら れ る . ャゥ[l セ|I コシヒカリや日本Ill lj' なと
I
Y
"
J
京 地 方 で多く される! 日q
垂 が 栽i告 さ れ て い るl V- 4.
マ ナフ ; 骨子の自然 環 境と 稲 作す で に 述 べ た 栽 培 の 早 期 化 と そ の 悲 陀 と な った
1
1
5
代 改 良日l
f
主改良 の ほ か に , 多 くの1
支出吋5
d
ll:J
の 近 歩がプぐナ??干の稲 作 の 発 展 を (足して きた . 第 二 次¥
lt
界 大 戦 後 の 技 術 改 良 の] つ は ,D D TやB1
-
1
C
, 水247
[ゥャゥ [ ヲ jゥセ
密 {正
i
と 病 虫 筈 の 徹 底 防 除 ,ま た ,[{↑ QG ヲ M ェ ェ ェ jゥャ jャ セGQ U R I
る51)
ブ ナ
:
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リミら れ た 迎 JlJ:J
に 効 率 的 に 農 作 業 が で-きる およ びl什=1二しとr
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Jl 1
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片山似の 励 ナj・な ども 住め られJ J J二M
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こ れ ら の 技 術 の 進 歩 は , そ れ を 訂
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に す あ た め の; J (eiセ hセ 1',jセ@ セセPZ@ fH1
1
が 尖 }j包 さ れ て き た機 械 の 時 入 ,
ブナ;出:の JH:JJえは EiF ら 稲 作1=1:1 三 次
w
界 大il引 を の 食*
ft¥
il;n
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の 袋 詰 に よ っ て と ら れ た1"1米{i fli政 策 の も と で3アナ; 出:は , と ころで,
心 の 経 営を い 七l(iJ上 に 努 め た た め に 尖 羽 され た こ と で あっf、こ.
西 南11妥地 で は 台 風 災
ェA セ ェ QQ ェ Zエ i セ i ヲ jゥG u
とが] ,;11:が
I
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: ; 位l さ れ れ(;t,Pイヲエイ GイlG ヲャ イ QZ Q ZQ ゥャAゥ Giセ エ N
QKQ iセiZ
稲 の 光 合
ョセ [Z U SI
)氏能 力 は180
Cか ら34 0
Cぐら い 主 で ほ と ん ど 変 化 が な い が3 光 合 性 物 !?立 を 消 費 す る! 呼吸 作
H=
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は 温 度 の」二 夜I
I
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,: j'仰 の た め に 呼 吸 作 用 が 似 しく なり,OQ ij O i Zjf j HゥG ャ、 Aエ セN
また) l!.Ci H1 11
去
j山Cは ,が 、
そ の 差
3 1
i
の生産量; はう1[:界 と と も にj放 し く な る の で ,
〕
↓j |u ヲ↓ iiIセ u j エ サ j UTI
た が っ て 冷 宮: がなけ れ ば , 百 十でEl 較 差 が 大 きく y
さ ら に 純 度 が1'1'-1) い た め に 友 の 日 照I1午問が長 い ブ ナ布:
の方が,
i2
9
南11妄i 也よりも稲作にイミー利になる . 日I! 攻差が正ji収 量 を 芙JJl
す る た め の 重 要 な 条 件 に な るこ とは , 東 北 地 方 の 単 位 面 積 当りの 収 量 の 分 布 か 1980年 に お らも二 )三位!され る こ と で あ る. 第7
図 は ,け る 東 北 地 点 の 市 町 村 日
J
I
水 稲 平 年 収 量 の 分 布 を 示 し10a当り 60 0 k g以 上 の 収 量 を あ げ た
た も の で あ る
地 域 は , 北 か ら 青 森 県 津 軽 平 野 南 部 ,
l* 1
王i県 の 横 手jヲセ ゥ ャ
セ G_セj S
キ A QQ [Qセ
の会主
t
I
盆 地 など, 地 で あ る55)と こ ろ で , 東 北 地 方 で は 一 般 に 日本 海 側 の 地 域 の こオFしは ,
太 平 洋 側
J
I
の 地 域 よ り も 収 量 が い .;
5'
が1普 通 の 年 で も 夏 季 に は 太 平 洋 側 よ り も 日 本 海 似
J
I
の 方 そjーしは3い た め で あ る が Il!ljy:. ーの 日 が 多 く 気 温 も
QZZ Q Oィ ェZサ Aセi j ■ャ ャャj
多日記な{ f j
¥
i
東j孔が 太 平 洋m
l J
で、 ょ十i い る こと, 友 に 冷 涼シAA [jセj i ii r
i
l
立 す る が ,ことによって乾1: *しitjjillAi tこ な る か ら で あ る56 )
( k g, 10呂 、
趨 60 0 - 700
圏
5 5 0 - 6 0 0 セ@ 5 0 0 - 5 5 01
四
450 - 500巴
4 0 0 - - 450口
350ー400日
y凶 作 む しo 60k m
ブナ :出:と11丘地 で は
3
J
トコて いl民 地 で は
2
堅実 肥 料 を 施 すと の た め 稲 の 葉一 部 株の! 日i
の 繋 が 重 な り 光 合 性 も,f
s
t
が 急 速 に 大 き く な り, 肥 料 の 効 県 の日/
OセI@
G。セ@ 7 1記1 セ jャ セIェ }zヲュ Q [{ 1.11Y.
t
i
:
248 人 文 地 J A学 研 究 官
能力が搭ちる. しかも呼吸翠; は葉の面積に比例して増加するので, 施の
i
l
f
日 に は 収 量 が{III びない. 他方,ブナ帯では施肥による菜ののび方が小さいので, 多量の) 肥料を投下しても菜はそれほど大
き く な ら な い の で , 施JJ巴呈: に応じてJ j 文章が多くなるのである57)
V
ブ ナ 帯 に お け る 稲 作 の 眼 界V- -
l.i
令' 苔稲作技術が高度に発達したとはいえ, 冷 夏 や
1
=
1
! 照不足がたびたびおこるフマナ; 出; は,熱荷起の稲にと っ て 必 ず し も 安 全 な 生 育 条 件 を も っ て い る と は 限 ら な い . 稲 作 技 術 が 発 達 す る 以 前 は そ の 被 害 は さ らに大きく,
1601
ici
三から1913
ici
三までにおきた東北j也方の凶229
自のうち,4 0 %
はJ令言: によるもの で あ っ た と い わ れ る お ) 江 戸 期 の 元 禄 , 天 明 , 天 保 の 三 大 凶 作 で は , 東 北 地 方 で3
分作が普通でありl 分 作 以
i
てのところも多かった( 令官: による凶作で,江戸期後三i
三には東北地方の人仁iは減少し末期に,な っ て も 回 復 で き な か っ た59) 明治期に入ってからも冷害は多く, しかも述統して j -i こ っ た . セi
1869
1:1
三( 明治2 )
前後と1905
年 〈 明 治38)
前後,1934
年(
1
昭和9
) 前後、の被害が大きかった. 作況指 数は,東北地方全体で' 1
9
0
5
{1
三のj坊合には45
,1934
年 の 場 合 は46
で あ っ た第二次世界大戦後, 冷 害 に よ る 減 収 率 は 全 体 に 小 さ く な り , 冷 害 年 で あ る に も か か わ ら ず 地 域 に よ て は 半 年 よ り 収 量 の 多 い 場 合 もλ られるようになった. ま た , 局 地 的 な 不 凶 作 で す む よ 川 こ な る こ とも多い.
1960
年 代 か ら1910
年 代 前 半 ま で は , 天 候 に 恵 ま れ た こ と も あ っ て , 収 量 水 準 も1
1
)
員剖にイ1
1
1
び , 冷 害 も か な り 克 服 さ れ た か に み え た が ,
1976
年と1
9
8
0
:::1
,ミ1981
年 と 厳 し い 冷 害 に み ま わ れ る こ と になった.1970
年以来の米の生産問主主政策のもとで, (令書におjーする lijj 止 技 術 が 後 迭 の 兆 し が あ る た めともいわれているカ:::60), Ahャ [セェZ ,本
質 的 に 変 っ て い な い よ う に も 忠 え る .
j苛矢口のj湿り, HTセ お よ び そ れ ら が 重 復 し た 混 合 型 の も の が あ
ソ
/C: ) , あ る にわたる低温により稲の生育がおくれ, 秋 の 茶 さ がj厳 し く な っ て か
b ることにより, 米 粒 に 十 分 で ん ぷ ん が 蓄 積 さ れ な い も の で あ る61)
f
也方,1
・品の特に低(
l
t
i
i
に敏感なさi
ミ 生 長 期 の 前 日l
に20
0
C
以 I ごの低温になると, 花器の形成が│ 埠筈をうけ,不稔開 が 多 く で る よ う に な る こ と で あ る62) 最近の大きな冷害のうち,
1980
年 の も の は 冷 害 ,1981
年 の も の は 遅 延 型 冷 害 に 分 類 さ れ る
1980
年の場合,5
月 中 旬 か ら6
月中旬までは高温で日! 限も多かったが,6
月末から9
月上旬まで,長 期 間 の 異 常 と な っ た . 特 に
7
月1
5
1
ミi から20
日頃までと7
月末から8
月一上旬8
月下t
o
の 気 出しく低くなった. さらに, 7月と8月には太平洋側で間の│ヨが多く,
1
=
:
1
照 り も 少 く な っ た . こ の年は,オホーツグ海高気圧が発達し, そ こ か ら 冷 涼 な 偏 東 風 ( ヤ マ セ ) が 東 北 地 方 の 太 平 洋mlJにむけ
てふき出すといっ となった63)
こ の 結 果 , 東 北 地 方 全 体 の 作 況 出 数 が
78
という, 第 二 次 世 界 大1
p
l
後最悲の状態になった. 彼古: の状 況 を 作 況 指 数 の 市lllT
i
寸月JI分 布 か ら み る と8 -
a l
玄1
)
,まず, 青 森 県 の 下 北 半 島 全 域 や 主 半 島 北 i・ セ[N[ セ Z j n
a ) 1 9 8 0年
b) 1981年
日 812¥ |Tセ QG Q ゥ
0 - 3 0 3 1 - 5 0 5 1 - 7 0 7 1 - 8 0 81 - 90 9 1 - 9 8 99- 111
249
水 稲 作 な し
o
60k m1 ! _ - -_j
jスセJ ゥ セ ヲ Qエ ↓ Z Q ケ_ NAI ス ( 1981 ) : jGN A ォ } UUセ j ZZ ヲ ェ ヲヲ j ( 982) :
r
東 北i也Jr
R
における56;'1-:.冷' ,1: : の記J _:fdから fl: )JX.
かる . この( 也に被告が: 大きヵ、寸たの は, yャl ヲ [Mサセj WZy エIFセゥャセ@
l k
;
、';-¥' 11世j或のース¥平洋岸と福島県のQ| iゥ t i ェQセ ェ Qii■H i エ ャェ セ
T
t'li
の 地 域 であ' _Jjこ. 氏{Bil letがU
filW
J
孔によ 〉てもたらされた た め に , 地 形シ ヲwi ■j j⦅ セ ilG
Q
j lセ セ ヲセ ス bェ 冷涼な)弘しがi克一、I;
J
山I lIR を ,1!2 えると気 が 上 昇し, i セM A本;託
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泊i
卸均ijパ{官仰卯仰H
則側u
問1).でCは, i背j今l;f森!忠υ
示U
刈A県Pj日illA;やi
私j大(
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川一1封
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紋大川│LI、干¥'ド,九斗叩-U
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々やJセゥ「 Gャ
千サセャ ェ セ LL川L
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HAセ イ 11本i
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ii ェ ゥ | GM Q セiェ [ ゥ; /_l 延J fj'_!i令7i1;:で あ ) /ことされ ど) 198 1T-に(,よ 1111I['jil,、
J
i'J 1JJの5}j ! 1
250 人 文 地
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I !l学研ヲ'1 vl[り, 稲 の 初 期 生 育 が お く れ た . そ の 後7月 か ら は 多引当とな り, 手前のJj ミ 育 は 急 速 に 回 復 し た
ら み j却 と
IU
砲 . i セ jェ ェ Iセ9
月 の 登 熟 期j に は 気 温 が 下 が り , 発 育 不N ↓ ャZ エサ エMMヲュ QA ゥセ シベリア大陸より本気が流入す一
る 第 二 種
1
11
冷 夏 のIilijブ
jによる も の で あ った64) また ,こσ
コI,f
ーは { 氏品u
こ力11え て 台 風 に よる被 害 も 大 き か1981
年 に お け る 東 北 地 方 の 作 況 指 数 は85
であっ た. 被' 主. の分布:1
犬Oeは Tili,11三の 場 合 と は 大 き く辿って , 東 西 方 向 の 差 よ り も 南 北方ー向の 差 が 顕 著 に み ら れた咽 セii G セIjij ャ VU
WV jjFwセ XX 山 形 県 の
92
, 福 島 県 の9 4
と,1
:
じカ〉ら南にゆくに従ってf
r: 柄が上昇している . ただし, 同 じ 純 度 の 太 可三洋{ 員IJと 日 本 海 側 を 比if安寸一ると, 1: 1:'本 海 側 の 方 が 被 害 が 少 か っ た . 全
体としては,
1980
年の場合ほど地おl { による 差 が 大 き い わトナではな く , 平 年 作l
こ 達 し た の は 山 形 県 のi
山 市 と 福 島 県 の 会 津 盆 地 とi主河 市 周 辺 に │決られていた- J . 長も大き
t
J:_被 害 を う け た の が や は り 下 北半 島RP サ セセiI [ N wャセQ
東出
)
1
から 岩 手 県にかけては,1
乍況: 指数は70
から80
,T
:*
日: U
泉 南 部 か ら 宮 城 県 北 部 にかけては,80
か ら90
であり, 山 形 県 と 福 島 県 で は 作 況 指 数
9
0
以 上 の 地 域 が 多i
ド ったこ の よ う に 冷 害 の 分 布 を み て く る とp 東 北 地 方 の 稲
f
乍の地域差の基本ノミターンには, 太 平 洋 側 と日 本 海
iW
J
の遠い,南北の料! 去の差が│別i
僚 に 現 わ れ て い る よ う に 忠 、 え る . こ れ に ))11えて,行i l
l s
i
i
のI;::Jさが , 純 度 の 違 い と 同 じ よ う な 効 果 を お よ ぼ す こ と は ,シ Q| ェI QAセ ujj セョ jj i r
山地, I也後tlJlJI長に 位 置 す る 地 域 がJ令書 の 常 誕 地 で あ る こ と か らも山内手できる 株高が1 :( (: すにつれて稲
Qセiゥ ェ[ャ j ェゥ I ゥ W }セ N 次 に こ の よ う な 状 況
を 山 形 県 西 置 賜 郡 小 国 町 の 事 例 で み て み よ う
V -2 . 開 高 に よ る 稲 作 の 差65)
小 は 山 形 県 の
f
E
l
南 部 新 潟 県 境 に 位 置 し3 ャセZ J i l i : 峰にはさまれたはIIH
i
の 盆 地lか な らる .