一七 六
第五章
高 陵 会 史 と 仰 獄 寮 史 I
高 陵
4』
ヨ
ヨE
史
創設十七年の春︵昭和二十年﹀
同窓会の創設は︑昭和三年十月初代只見校長の時に行われ︑その名称を﹁︐両岡高等商業学校同窓会﹂と称していた︒そ
の後昭和十四年に及び当時の会長堀池先生の命名に依り﹁高陵会﹂と改称され︑爾来あのなつかしの高陵の学園を偲ぶに
相応しい名称の下に︑本会は一段と隆盛に赴いた︒
本会に新会員を迎えること本春で既に十八回︑その総数二千八百三十三名を算えるに至っている︒而して之等の会員
は︑母校校訓︑質実剛健︑醇厚真塾︑和衷協同の三綱領により育てられた皇同庭菜人として︑皇国経済界に貢献する所極
めて大きく︑又母校の隆昌発展に寄与した所も少くなかったのであるが︑更に今日皇国決戦の秋︑陸海軍の中堅幹部とし
て︑或は一切を皇国に捧げ一兵卒として︑南海北浜に︑更に大陸の山野に︑尽忠報国の血潮を陵ぎらせて活躍しているの
であ
る︒
本会は創設十七年︑その閉会長として只見︑鈴木︑堀池︑熊木︑長崎の五先生を迎え︑常に母校と円満密接なる関係を
持続し︑同窓会としての役割を極めて順調に果して来たのであるが︑昨春に至り突如として︑母校が工業専門学校に転換
させられることになった︒既に一年前の九月には︑枢軸三国からイタリアが脱落して無条件降伏した︒日独に対する連合
軍の急追は戦局を頓に重大化させ︑日本軍には玉砕が相ついだ︒昭和十九年四月の工専転換も苛烈な戦局に勝利の神機を
探りつつ学徒出陣の続くなかで︑軍需工業要員を確保するための決戦非常措置として行われたものであり︑戦争指導部の
至上命令には抗すべくもなかった︒高陵学園が続く以上︑悲痛ではあるが本会もその命脈を継承発展させるため︑新工専
の卒業生を本会の第廿回卒業生以降として包摂し︑その本拠をあの懐かしの高陵学園の中に存置する方針が定められた︒
組
織
わが同窓会は昭和三年三月九日卒業の第一期生百三十名︵外に追試験により卒業のもの一名﹀を以て最初の会員とする
が︑其後直ぐには同窓会員の組織化が行われず︑単に母校高岡高等商業学校学友会の賛助会員として︑同会に依拠する形
態から出発した︒従って会員の通信︑勤先︑住所録等は同会の会誌を通じて発表されていた︒
併し此の間︑母校側当局と富山県在住の卒業生との緊密なる懇談協議の下に︑当時母校助教授たりし向井梅次先生を中
心幹事として︑同窓会の創立の準備が着々行われ︑遂に母校式典の挙行されるに際し発会することとし︑昭和三年十月廿
一日︵即ち開校式の翌日︶母校会議室を会場として第一回同窓大会を開催発足したものである︒即ち只見初代校長先生外
十四名の諸先生並に卒業生太田道男東京代表︑中村勇夫大阪代表︑神藤算名古屋代表の外十九名の参会の下に和気藷々裡
に次の如き定款を決定︑別記の如き初代役員の委嘱等があり︑本会の発足となったものである︒
高岡高等商業学校同窓会会則︵創立当時﹀
第
条
本会ハ高岡高等商業学校同窓会ト称ス
一七
七
第 第
︑ 正 会 員
︑特別会員
一七
八 条
本会ハ母校ト会員トノ関係ヲ親密ナラシメ会員相互ノ親睦ヲ計ルヲ以テ目的トス
条
本会会員ハ左ノ二種−一分ツ
本校卒業生
本校現旧職員
但シ母校−一縁故アルモノハ会長ノ承認ニヨリ会員タルコトヲ得
第 四 条
本会ハ本部ヲ高岡高等商業学校一一置ク
第
五 但シ会員多数在住ノ地一一本会支部ヲ設置スルヲ得
本会ニ会長一名︑副会長一名︑幹事若干名︑常任幹事三名︑書記若干名ヲ置ク
会長ハ母校々長之ニ当ル
条 第
ムノ、
第 七 第 八 第 九
条
第 十 一 条
第 十 第
十 二 条 第 十 三 条 第 十 四 条
条 条
副会長ハ会長ヨリ之ヲ委嘱ス
条 条
幹事ハ正会員特別会員ヨリ若干名会長之ヲ委嘱ス
常任幹事ハ正会員ヨリ二名特別会員ヨリ一名幹事之ヲ選挙ス
書記ハ母校事務員ヨリ会長之ヲ委嘱ス
役員ノ任期ハ各一ヶ年トス
会長ハ本会ヲ代表シ会務ヲ総理ス
幹事ハ本会ノ重要ナル事項−一関シ協議ニ与ル
常任幹事ハ諸般ノ会務ヲ処理ス
第 十 五 条 第 十 六 条 第 十 七 条
重要ナル事項ハ幹事会ニ附議シ幹事ノ過半数ノ同意ヲ得会長ノ決裁ヲ経テ之ヲ行フモノトス
書記ハ庶務会計及記録ノ事務ニ当ル
大会ハ毎年十月高岡高等商業学校ニ於テ之ヲ開ク
但シ会長ノ必要ト認メタル時ハ便宜ノ地−一於テ臨時大会ヲ開催スル事ヲ得
本会
ハ会
誌ヲ
発行
シテ
会員
ニ一
頒ツ
第 十 八 条 第
十 九 条
但シ当分ノ間学友会誌ノ一部ヲ以テ之ニ当ツ
正会員ハ会費トシテ毎年金参円ヲ納付スベシ
納付金総額参拾円ニ達シタル時ハ爾後ヲ之ヲ徴セズ
第 二 十 条 第二十一条 会員ニシテ本会ノ体面ヲ汚スガ如キ行為アリタル時ハ大会ノ決議ヲ経テ之ヲ除名スルコトヲ得木会々則ノ修正ハ大会ノ決議ニヨル
斯くして﹁高岡高等商業学校同窓会﹂の誕生を見たのであるが︑その重要事業の一たる会誌並に名簿等は昭和四年まで
︵上
掲会
則十
八条
但書
参照
︶
0は︑母校学友会誌並に学友会名簿に附記されていた︒
而して本会は其の後二回一三七名︑第三回一四四名︑第四同一三五名︑第五回一四三名︑第六回一四五名︑第七回一四
六名︑第八回一四六名︑第九回一五一名︑第十回一七二名︑第十一回一四四名︑第十二回一四五名︑第十三回一五六名︑
第十四回一六一名︑第十五回一五八名︑第十六回二O
八名
︑
︵第一部一五七名第二部五一名︶第十七回二O二名︵第一部
会員一五O
名 ︶
一五二名第二部五O名﹀第十八回二O九名︵経済科一五八名東亜科五一名﹀合計二︑八三三名︵内戦死会員五五名︑死亡
︵昭和十九年十一月現在︶を擁するに至っているのである︒而して之等の卒業生は︑第一回より第十四回
Fじ
九
一 八 O
までは御馴染の三月九日に志貴野の学園から巣立ったものであるが︑昭和十六年の学年短縮の臨時措置以来は卒業式日が
一定せず︑即ち昭和十六年の第十五回卒業式は同年十二月二十八日に︑第十六回及び第十七回︑第十八回卒業式は各九月
に卒
業し
てい
るの
であ
る︒
而して此の間本会の会則を変更すること五回に及び︑各々その時立に適したる改正を加えて今日に至ったのであるが︑
先ずその第一凶改正は昭和四年十月第二回総会において行われ︑︵イ﹀特別会員の監事の制度を創設︵ロ︶支部規定を改
正し︵ハ︶委員会制度の確立合一︶会報等の学友会誌依存規定の削除等を行ったのである︒
之に次いで翌五年十月の第三回総会では︑実質的会則の変史に相当する次の如き内規の決定が行われた︒
一︑会計年度は十月一日に始まり︑翌年九月三十日を以て終了す︒
二︑役員は毎年同窓大会の席上に於いて会長之を委嘱す︒役員の任期は大会の翌日を以て始まり︑次回大会当日を以
て終
了す
︒
三︑同窓大会に於て承認を受くべき会計報告は前会計年度︵前年十月一日より其年の九月末日迄︶のものとす︒
更に第二回改正は同六年十月の第四回総会にて行われ︑第十七条の支部関係の規定を改正︑
入制の確立と︑支部会費の徴収権を認めて︑支部の拡充強力化に努力することとなった︒ 一定区域内の会員の当然加
会則第十七条左記の如く改正
第 十 七 条
会員多数居住の地においては本会支部を設置することを得︒
支部は支部規定を定め会長の承認を受くるものとす︒
支部の定めたる区域内に居住するものは該支部に所属するものとす︒
支部は支部会貨を徴収することを得︒
而して第三凹改正は附和七年の第五凶総会に於けるものにして︑お什条の会費に閲する規定中に 1入会ノ際一時二金額
ヲ払込ム場合ニハ二十円ニ減額ス﹂との規定を第二項として挿入して︑分割払にて合計三十円を以て完納とする制度に例
外を設け︑会貨の一時払込奨励に困る本会財政の改苦合金川したのである︒
而して其の後暫く会則の変史もなく発展して来たが︑会員数の一増大に比し︑会資収入の一状況組め一三芳しくなく︑その依
に放
置す
るに
於て
は︑
木会の半身不随化は明白なるに鑑み巾l時の会長期池先生も色々苦心され︑向田庶務委
n H を彦根︑和
歌山︑名古屋の各高E阿等に派せられて︑その同窓会の活動市情並に財政状況等を調査せしめられると共に全国各高商其の
他よりその会則等を取寄せ︑慎主対策を研究の結果︑仙の多くの諸校も既に採川している如く︑花学中に会費を全額前納
し︑之を昭和十四年一二月廿一日の大阪に於ける臨時総会に諮りたる所︑異議なせしめる方法を選ぶの外なしとの結論に
︑︑
︑︑
︑︑
く承認され︑第四回の改正が行われた︒而して此の臨時総会では︑木会の名称選定の件並に支出規程設置の件も同時に附
議され︑名称選定の一事は堀池会長に一任することになり︑支部規程の設置については︑会則とは別例の独立規程として設
けることに一決した︒而して同窓会に依り変更決定せる会川は次の如くである︒
一︑第一条中﹁古川岡高等商業学校は窓会﹂トアルヲ﹁高段会﹂ト改ム
二︑第二条中﹁母校﹂︑第三条中﹁本校﹂トアルヲコω岡高等商業学校﹂ト改ム
三第六条中﹁母校校長﹂
トア
ルブ
﹁高
岡高
等商
業学
校長
﹂
卜改
ム
問︑第二十条ヲ全文削除シ次ノ如ク改ム
而して第五日の改正は昭和十八年十−一月十九日の母校転換に対する臨時総会に於ける本会連常機構に閃する改正であ
﹁正
会H
︵ハ
会山
口ト
シテ
金参
拾門
ヲ納
付ス
ベキ
モノ
トス
八 し
八
る︒母校当局並に本会は︑母校が経済専門学校として︑せめて工業経営専門学校として存続することを強く要望したにも
拘らず︑﹁教育に関する戦時措置要綱﹂︵昭和十八年十月閣議決定発表︶の発動により︑母校は二僚校と共に︑完全なる工
業専門学校への転換が強行される見通しとなった︒そこで臨時総会を招集し︑本会としての最終的態度を決定すると共に︑
その後の事態に対処すべく︑会則改正を諮り全会一致で可決された︒即ち高田庶務委員の提案理由の説明に因り評議員制
度の創設と常任委員長の制度を設けることを︑全会一致で決議し︑之に伴う関係箇条の定款規定を改正することとなった
のである︒重要な事項につき会長の諮問に応ずる機関とし︑特別会員中より二︑三名︵従来の監事制度を廃して︑監事た
りし特別会員を評議員中に加へるものとす︶︑正会員中より約廿名選任するものとし︑その正会員の評議員は北陸地区会
員等に限らず︑大東亜の全区域に亘り選任することとした︒市して後者は本会の業務執行の中心体として活躍し︑且つ委
員会其の他の招集者として之を設けることとし︑特別の事情なき限り校外の常務委員より選任することと決定した︒
即ち此の第五回改正箇条は次の如くである︒
第 五 条
高陵会会則変更事項︵昭和十九年一月廿二日常任並連絡委員会ニ於テ改正︶
﹁監事﹂ヲ削除シ︑﹁評議員﹂ヲ加フ︒
第 八 条
全文
ヲ削
除シ
︑
﹁評議員ハ特別会員及ピ正会員中ヨリ会長之ヲ委嘱ス﹂ト訂正ス︒
第
九 条
﹁委員ハ若干名ノ常任委員ヲ互選ス﹂ヲ削除シ︑﹁委員ハ常任委員長一名及ピ常任委員若干名ヲ互選ス﹂
ト訂
正ス
︒ 第 十 一 条
﹁監
事﹂
ヲ削
除シ
︑
﹁評
議員
﹂ヲ
加フ
︒ 第 十 三 条
全文
ヲ削
除シ
︑
ブ評議員会ハ会長之ヲ招集シ︑次ノ事項−一付会長ノ諮問ニ任ズルモノトス︒
一︑会則ノ変更ニ関スル事項
二︑基金ノ運用ニ関スル事項
三︑主要資産ノ管理ニ関スル事項
四︑其ノ他重要ナル事項
第一項前段ニ﹁常任委員会﹂ヲ設ケ従来ノ﹁常任委員﹂ヲ﹁常任委員長﹂ト訂正ス︒
第 十 五 条
第二項前段ニモ﹁常任委員会﹂ヲ加フ︒
而して上記の如き前後五回に亘る改正を経た現行会則の全文を示せば次の如くである︒
﹂可 可
陵
会
l込
=
則︵昭和十九年八月現行﹀第
条
本会ハ高陵会ト称ス
第
条
本会ハ高岡高等商業学校ト会員ノ関係ヲ親密ナラシメ会員相互ノ親睦ヲ計ルヲ以テ目的トス
第
条
本会
会員
ハ左
ノ二
種−
一分
ツ
高岡高等商業学校卒業生
一
︑ 正 会 員
二︑特別会員高岡高等商業学校現旧職員
但シ高岡高等商業学校一一縁故アルモノハ会長ノ承認ニヨリ会員タルコトヲ得
第 四 条
本会ハ事務所ヲ高岡高等商業学校内ニ置ク
第 五 条
本会ニ左ノ役員ヲ置ク
会長︑副会長︵各一名﹀
一八
三
第
→ 」ノ、
評議員︑委員︑書記︵各若干名︶
会長ハ高岡高等商業学校長之ニ当ル
第 七 第 八 第 九
委員常任委員長一名及ビ常任委員若干名ヲ互選ス
書記ハ会長之ヲ委嘱ス
第 十 第
条 A止−、条
副会長ハ会長之ヲ委嘱ス
在パト、
評議員ハ特別会員及ビ正会員中ヨリ会長之ヲ委嘱ス
2f
A、
委員ハ正会員ヨリ会長之ヲ委嘱ス
条
副会長︑評議員及委員ノ任期ハ各一向年トス
第 十 二 条
副会長ハ会長事故アルトキハ其職務ヲ代理ス
評議員会ハ会長之ヲ招集シ︑次ノ事項ニ付会長ノ諮問ニ任スルモノトス
第 十 三 条
会長ハ本会ヲ代表シ会務ヲ総理ス
一︑会則ノ変更−一関スル事項
二︑基金ノ運用ニ関スル事項
二︑主要資庭ノ管理一一関スル事項
第 十 四 条
四︑其ノ他重要ナル事項
常任委員ハ諸般ノ会務ブ分掌ス
第 十 五 条
常任委員会ハ常任委員長之ヲ招集シ重要ナル会務ヲ審議ス
一八
四
常任委員会ノ審議事項ハ出席委員ノ過半数ノ同意ヲ得会長ノ決裁ヲ経テ之ヲ決ス 第 十 六 条 第 十 七 条
書記ハ庶務会計及記録ノ事務ニ当ル
支部ハ支部規定ヲ定メ会長ノ承認ヲ受クルモノトス 会員多数在住ノ地ニ於テハ本会支部ヲ設置スルコトヲ得
支部ノ定メタル区域内ニ居住スルモノハ該支部ニ所属スルモノトス
第 十 八 条
支部ハ支部会費ヲ徴収スルコトヲ得
大会ハ毎年十月会長之ヲ招集ス
但シ会長ノ必要アリト認メタルトキハ臨時大会ヲ開催スルコトヲ得
第 十 九 条 第 二 十 条
参 附
本会ハ会誌ヲ発行シテ会員−一頗ツ
正会員ハ会費トシテ金参拾円ヲ納付スヘキモノトス
円 只
第二十条ノ規定ハ昭和十四年四月高岡高等商業学校−一入学シタル者ヨリ之ヲ適用ス其他ノ者ニ対シテハ従前
ノ規定ニ依ル
照
旧第二十条﹁全文援用﹂
旧第二十条正会員ハ会費トシテ毎年金参円ヲ納付スヘキモノトス
入会ノ際一時ニ全額ヲ払込ム場合ニハ弐拾円ニ減額ス
第二十一条 但シ納付金額参拾円ニ達シタルトキハ爾後之ヲ徴セズ
会員ニシテ本会ノ体面ヲ汚スガ如キ行為アリタルトキハ大会ノ決議ヲ経テ之ヲ除名スルコトヲ得
一八
五
第二十二条
一八
六
本会会則ノ変更修正ハ大会ノ決議ニヨル
尚お上記会則には多くの細則及び内規を設けて来たのである︒
先づその最も重要なるものとしては︑昭和十四年二月の大阪に於ける臨時大会の議を経て制定された支部組織に関する
規定を︑本会制則として設けたことである︒
第
口 問 陵 会 支 部 規 程 準 則 条
高陵会員多数在住スル地方一一ハ高陵会会則第十七条一一依リ支郎ヲ設置スルコトヲ得
第 支 部 ハ 支 部 規 定 ヲ 定 メ 会 長 ノ 承 認 ヲ 受 ク ル モ ノ ト ス 第 支 部 一 一 支 部 長 叉 ハ 代 表 幹 事 一 名
︑ 常 任 幹 事 若 干 名
︑ 幹 事 若 干 名 ヲ 置 グ
支部長︑代表幹事︑常任幹事及幹事ノ任期ハ一年トス但シ重任ヲ妨ケズ
第 四
代表幹事ハ幹事ノ互選一一依リ会長之ヲ委嘱ス
条 条
条
支部長ハ支部会員ノ互選ニ依リ会長之ヲ委嘱ス
幹事ハ支部長ノ設アル支部−一在リテハ支部会員ノ互選ニ依リ支部長之ヲ委嘱シ其他ニ在リテハ支部会員ノ互選−一依ル
第 五
常任幹事ハ幹事ノ互選一一依ル
支部長文ハ代表幹事ハ支部ヲ代表シ支部ノ会務ア総理ス
条
常任幹事及幹事ハ諸般ノ事務ヲ処理ス
第 ノ一 」、 第 七
条
支部長叉ハ代表幹事ハ毎年一回以上支部総会ヲ開催シ一回以上本部ニ支部ノ状況ヲ報告スベキモノトス
条
支部ハ支部会費ヲ徴収スルコトヲ得
尚支部に対するものとしては︑﹁支部旅費補助金ニ関スル件﹂及び﹁士叉都補助費支給内規﹂が存する︒
高陵
会﹁
支部
旅費
補助
−一
関ス
ル件
﹂
︵昭
和九
年九
月制
定︶
一︑会員数四十名以上の支部なること︒
二︑同窓会大会︵合臨時大会︶に対し代表者を派遣する場合たる事︒
︑各支部一名に限り往復三等汽車賃を補給する事︒
但し石川︑富山両支部に限り十名内外とする事︒
四︑代表者の全部派遣なき場合に於ては補給を停止する事︒
五︑其他は常任委員の決する所による︒
﹁支部補助費支給内規﹂︵昭和九年十月委員会中合︶
一︑三十名以上ノ会員アル支部一二人当り﹁拾銭﹂ノ割ニテ支給
二︑但シ前項−一拠ル計算一一依リテ拾円以下トナル場合モ︑拾円ヲ最少限度トシテ支給ス
次に母校教官の転退職死亡等の場合に於ける記念品及弔慰金の贈呈に関する内規は︑昭和十四年一二月十五日の委員会に
於て決定されて以来︑同十六年十二月に特に長年勤続者に対して特に考慮する如き改正を為し︑更に十九年一月母校転換
に関する聯絡委員会及委員会に於て︑その支給額を倍額とすることとなり現在に至っている︒
特別会員転退職死亡ノ場合−一於ケレt念日及弔慰金首呈内規︵昭和十六年十二月ム五日委員会決定J
/一一・口目/同十九年一凡廿二日常務及連絡委員会改正﹂
第
条母校教官中転退職等異動アリタルトキハ記念品ヲ贈呈ス
前項ノ記念品贈呈ハ次ノ各号ノ定ムル所ニ依ル但十五年以上勤続者ニ対シテハ金弐百円︑二十年以上勤続者ニ対シテ
一八
七
八八 ハ金 参百 円︑
二十五年以上勤続者ニ対シテハ金四百円ヲ贈呈スルモノトス
一︑在職一年以上二年以下ノ者
金弐拾円
二︑二年以上一年ヲ加フル毎
金 拾 円
前項ノ規定ハ本会一一特別ノ功労アリタル者其ノ他特別ノ事情アル者ニ付キ特別ノ考慮ヲ為スヲ妨ゲザルモノトス
第
条 母校教官叉ハ教官タリシ者死亡サレタルトキハ金弐拾円ノ弔慰金ヲ贈呈ス 但母校教官現職中死亡ノ場合ハ前条ニ依ル記念品代ヲ之ニ加算シ之ヲ贈呈スルモノトス 第
条
母校事務職員ノ転退職並一一現職中ノ死亡ノ場合ニ付キテハ前二条ノ規定一一依一ブズ適宜会長︑副会長及庶務
委員一一テ決定スルモノトス
︵了解事項︶
一︑在職一年ニ満タザルモ之ニ近キモノ︑共ノ他特別ノ事情アルモノニ付キテハ会長並一一庶務委員一一於テ第一条第二
項第一号ノ金額ヲ贈呈スルコトアルベキモノトス
二︑教官一死亡ノ際其葬儀ヲ当地−一テ執行サル︑場合ハ別ニ供物ヲ贈呈スルコトアルベキモノトス
なお昭和十四年研究奨学資金の創設に伴い︑之が運用規程を定めている︒
f支
員
本会の役口口︵は会長︑副会長︑評議員︑委員より成るものにして︑法人組織を未だ採川し凶らざる故に︑比較的に緩厳宜
しきを得たる制度となっているのである︒
会長は定款上に於て母校校長が汁然就任される一所となって居り︑従って初代会長はけハ見先生一にして︑以下鈴木︑堀池︑
熊木︑長崎の五代の会長を戴いたわけである︒副会長は母校教官中より会長の一委嘱される所であるが︑附和三年より十三
年まで蒲生一先生︑十四年より現在まで佐原先生に御願いして来た所である︒なお特別会員側からの本会役員としては︑昭
和三年度及四年度には矢口先生が常任幹事の一人として本会の
υ
常事務執行機関として御廿折願い︑川和五年度からは︑﹁本
会ノ
主要
ナル
事項
ニ関
シ協
議一
一与
ル﹂
もの
とし
て監
事の
制度
︑が
あり
︑
之に特別会口の教官より二名御就任願ってい
た︒即ち昭和五年より十三年までは矢口先生︑佐原先生︑十四年よりは大熊先生︑土佐先生に︑十八年よりはヒ生先生︑
小寺先生にお願いして米たのであるが︑附和十八年十二月の臨時総会に於ける会則変記に依り監事制度を隠し︑一 l主要事
項ニ閃シ諮問一一応ズル﹂ものとして︑評議員制度の創設を為し︑その一討議員中へ︑特別会員中からも一二名御願いすること
になり︑土生先生︑小寺先生︑日比野先生を依頼することとなった︒而して正会員側評議貝は廿二氏に委嘱した︵氏名略︶︒
次に委員制度であるが︑之も明和三年度及び問年度に幹事と称して日り︑五年以来は委員として店る︒その人員は三年
度は九名であったものが︑漸次同数と︑会員数を加えるに増加し︑最近は第一回卒業生及び第二回卒業生は別とし︑それ
以下は︑各回二名の委員を古川岡附近在住会員巾より委嘱している︒唯川和十年度より︑山山支部︑余沢支部より推薦の者
を︑二名乃百三名宛︑本部委員に加えて来ているのである︒
委員中より︑立選に依り常任委員を委嘱して︑事務分担を行って米たのであるが︑その常任委員数は最初は正会員より
は二名に止まったものが︑昭和四年の独立会誌発行等の為五名となり特に昭和十年よりは︑その責任分担事務を明白に
し︑之を名簿︑会誌︑会計に︑史に十一年より庶務を加え︑十四年よりは監査を加え︑五部門に各一一名乃五三名を互選し
た︒即ち次の如くである︒
一八
九
一 九 O
昭 和 三 年 度
向
井
梅 次 野 村 憲 昭 和 四 年 度
向 井 梅 次 姥 谷 仁 三 郎
里 子 村
憲
岡 島
保 志 甫 津 辰 昭 和 五 年 度
より八年度迄
昭 和 九 年 度
志 甫 郎 平 向 井 梅 次
野 村
畳閉山
向
井
梅 次 野 村 憲
志 甫 津 辰 志 甫 津 辰
最 上 喜 三 郎
山 崎
ヲ ム
なお十年以降には若干の交替があった
︵氏
名略
︶
0
此の委員会︑常任委員会は︑随時招集開催されていたが︑委員数を多く加えるに及んで︑委員会は年一︑二回に止まり
常任委員会のみを多少頻繁に開催し︑重要会務の執行を協議していた︒その会場は多くは母校内記念会館︑会議室︑又は
市内喫茶店等としたが︑堀池会長︑熊木会長時代は︑会長宅に於て開催すること多く︑副会長宅︑庶務委員宅等に於て行
いたることも砂くなく︑常に談笑裡に行われた︒又実際の常務の執行は︑殆んど学校在職の向井︑高田︑高光委員等に一
任されるのを常態としていた︒
唯昭和十八年十二月の会則改正に依り︑常任委員長を新たに設置することにし︑之を母校在職者以外の正会員より互選
し︑実際上の理事長として活動していただくことと決し︑初代常任委員長には︑堀健治氏の就任を見ることとなった︒
なお本会の書記としては︑坂井作太郎氏︑藤森清一氏︑金田要氏︑井波勝二氏︑本郷康弘氏︑中島国衛氏︑堅固武治氏
の諸氏に委嘱して︑極めて地味なる仕事と︑対卒業生関係の世話役を行っていただいた︒就中藤森書記はそのひたむきの
性格に依り名簿その他の基礎的書類の整備に著功があり︑又井波書記はその穏健着実な性格に依り︑その会計書類の整
備︑名簿の組替等は勿論︑委員会︑総会等の準備︑支部との通信聯絡等に︑涙ぐましい努力を続けていただき︑高陵会を
今日あらしめた大半の功績は両氏に帰せらるべきものと称して過言ではない︒なお書記の制度としては︑初め一人制であ
ったが︑収支の指示事務担当者と現金収支事務担当者を別にすることになり︑之を二人制度と改めて今日に及んでいる︒
而して会員大会は︑毎年一回の定時大会の外臨時の必要に基く臨時大会の制度の存したことは勿論であるが︑昭和十三
年以来本部所在地以外の土地を巡って︑開催する特別臨時大会の制度を創設して︑会員多数在住の支部所在地に交互開催
して︑本部が地理的に偏在することより来る欠陥を補填して来たのである︒なお定期大会は初めの中は︑大体十月として
いたが︑昭和十三年以来十月十七日︵神嘗祭︶と固定して開催して来た︒
次に木会の財政的基礎について見るに︑その収入の大半は会費収入であるが︑此の会費は昭和十四年までは︑毎年額三
円終身とし︑唯卒業時一時払の場合には︑二十円を以て終身会費とすることとなり居り︑之が徴収は卒業時に二ヶ年分を
前納していただき︑爾後は集金郵便︑振替利用等の方法を以て集めていたが︑その集金情況は芳しくなく︑加うるに事変
発生等に依り応召会員が多くなり︑且つ会員移動等の激しさのために︑之が改善の見込立たず︑ために昭和十四年の改正
に依り︑在学中に木会会費全額を前納していただく制度と改めてよりは︑本会の財政的基礎糊く安定し︑昭和十九年九月
末現在に於ける本会所有財産次の如くである︒
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なお本会は昭和十七年東京市に於いて結成された﹁全国高商会﹂に対しては︑極力之を援助し︑その当初の計画の如く
真に全国の官立十一高等商業学校卒業生全員の会とならんことを希求し︑東京及びその附近の者を以て結成する過渡的状
況の一日も早き脱却を希望し乍ら︑取敢えず︑本会の東京及び附近在住会員の入会を勧誘し︑又本会を代表して同会の理
事として参加せられた熊木校長︑中田光太郎氏︑松尾彰氏︑監事としての荒木正氏を極力援助することとしていた︒
事
業
活
動 経 常 的 活 動
本会の事業は会員数の増大を加えるに従い活後となり︑会誌の発行回数も多くなり︑名簿等も漸次完備し︑総会︑対支
部活動等も漸く強力となりつつあり︑特に満洲事変︑支那事変︑大東亜戦争を通じて︑栄誉ある軍務公用に馳せ参ずる会
員年と増大し︑之等会員に対する慰問事業等も軌道に乗り来り︑本会の重要なる事業となり来っていた︒又母校後援・後
輩扶助並に思師諸先生等の転退職等の場合に対する記念品贈呈等の事業も︑計画的且つ敦厚を加えつつあるのである︒
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今本会の事業発展の跡を︑本会会計の面から瞥見すれば︑昭和三年の本会初年度会計は収入合計八二一円八二銭︑経費
三七六円三銭であったものが︑昭和十四年度十三年十月より十四年九月収入会計三︑八九六円二八銭に対し︑経費二︑七
三五円九九銭となって居り︑昭和十八年度決算は次の如くである︒
昭和十八年度収支決算︵自昭和十八年十月一口︶/至同十九年九月三十日\
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母 校 敷 地 購 入 寄 附 金 支 忠 碑 建 設 予 備 勘 定 基 金 繰 入 基 金 繰 入 準 備 金 準 備 金 現 金 及 預 金 在 古 河 合 計
次に会誌について見るに︑初めは母校校友会機関誌に︑木会の記事︑会員動静等を掲載していたが︑昭和四年八月﹁同
窓会誌﹂創刊等を発行し︑毎年一回発行としていたものを︑昭和六年より年二回とし︑更に十三年より三回発行と回数を
増加し︑且つ頁数を増大して会誌を以て会員動静︑母校の情況等を伝えると共に︑時事に適した論説等をも載せ︑会員の
研究発表︑更に啓蒙機関として活用するに至っていた︒又その一編輯責任者も野村憲一氏︑蛤谷仁三郎氏︑向井教授︑最上
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喜三郎氏︑栗田喜代治氏︑高田教授︑高光教授と代るにつれ︑その編輯者独特の持味を持ったものとして︑会員から歓迎
されて来たばかりでなく︑部外者からも特別頒布の依頼が相ついだのであるである︒唯大東亜戦争の勃発以来︑紙不足の
ため︑その大きさを押え︑十七年よりは発行回数も二回に減らすの外なきに至った︒吏に時局の緊迫により昭和十九年五
月廿一日の委員会決定を以て︑当局の勧告に応じ︑戦時耐乏の趣旨により︑本誌の休刊にふみ切ったのである︒
今その掲載したものの中︑注目すべき論説を掲記すれば次の如くである︒
天野幸次郎氏﹁金解禁私観﹂︑蛇谷仁三郎氏﹁樺太土産話﹂︵以上一号︶︑川連先生﹁南仏の思い出﹂︵二号︶︑
氏﹁全国高商同窓会聯盟創立の提唱﹂︵四号︶︑美那河子雄氏﹁教授私宅訪問記﹂︵五号︶︑南喜三郎氏﹁同窓会の固定 南青夫
化と其打開策﹂︵六︑七号︶︑高田源清氏﹁英法漫筆﹂︵七号︶︑鈴木先生﹁満鮮支那視察談﹂︵九号︶︑斎藤三郎氏﹁附
従契約の研究﹂︑高田源清氏﹁生きた不正競争防止法﹂︑岡野嘉平氏﹁小型映画﹂︵一O号﹀︑佐原先生﹁貨幣論鞭近の
動向﹂︑猪鹿倉教官﹁上海事件追憶記﹂︑上原先生﹁富山売薬業史料集の一編纂出版﹂︑渡辺先生﹁大伴家持に付て﹂︵一
城宝先生﹁富山売薬業史史料の感想﹂︵一二号︶︑鈴木校長・佐原・城一号可愛野光次氏﹁開校十周年に際して﹂︑
宝・細野・正木・栗原・今井・鳥居・川連・日比野・中村諸先生の開校十周年記念事業の記述︵一四号︶︑遠藤林一
氏﹁
俳人
支考
﹂︵
一四
号︶
︑大
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生﹁
読書
余録
﹂︑
川連
先生
﹁記
念会
館に
就て
﹂︵
一五
号﹀
︑
長尾先生﹁都市美・日曜
汽車﹂︑小寺先生﹁海と人﹂︑細野先生﹁鮮渦旅行の記﹂︑遠藤林一氏﹁ステーブル・ファイバー﹂︑綿正秋氏﹁産業組
合に
就て
﹂︵
一六
号︶
︑正
木先
生﹁
写真
の流
行﹂
︑
深川
虎雄
氏﹁
航空
郵便
し︑
綿正秋氏﹁産業組合の国家的役割﹂︵一七
尾原繁氏﹁事業社会に於ける生保会社の地位﹂
︵一
八号
﹀︑
号︶
︑佐
藤先
生﹁
承徳
行﹂
︑最
上喜
三郎
氏﹁
富山
と高
岡﹂
︑
戦死者追悼号︵一九号︶︑鈴木先生︑堀池先生離任就任の辞︵一二号︶︑最上喜三郎氏﹁会の現状及将来﹂︵二二号﹀︑
堀池
先生
﹁東
亜経
済科
設置
に就
いて
し︑
向井
先生
﹁配
給統
制の
将来
﹂︑
田村実氏﹁戦時経済と富山県工業の立地﹂︵
三号︶︑堀池先生﹁東亜経済科に就て﹂︑大熊先生﹁戦時経済の特質﹂︑高沢勇氏﹁満州特産専管制に就てし︵二四号︶︑
佐原先生﹁日独伊三国同盟条約に付て﹂︑小寺先生﹁満洲開拓の若干問題﹂︑高田先生﹁満洲国の経済統制の実情﹂︵ニ
一九
五