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じようしゃうマん8ゃう事組

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Academic year: 2021

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全文

(1)

亀井勝

郎研究序説

司圃圃園圃企

!!噴

f苑 カ

"""'

中 塩

;.:._�’

しゃうげう ふみ そっ巳

刀ミミ

教と文学 か らさ

に聖 教

の{

後の文も

ゆ。

率爾

にして

多年

の非

左 改 げさう

縄・床に供せば、覚えやして禅定たるべし。

じようしゃう マん8ゃう

起らやとも、仏尚にありて数珠左とり経をとらば、怠るうちにも持業おのづから修せられ、散乱の心ーながらも

ごふ

りにいまとの文をひろげざらましかば、とのととを知らむや。とれずなはち触るるととろの採なり。心さらに

ふ わ

ともあり。か

事組

もと

より こ

った ら

外相

もしそむかざれば

証か

す。しひて

不一情な

べか

や。仰ぎてとれが一尊むべし。(徒然草百五十七段)

近代以後の日本文学には、顕著た二つの本一白事実がある。まづ神との対決がないととである。神左斤定しての歓喜もたく、神をブ小口一定しての慎悩もない。それから理想的人間像の飲如である。作品の中から形成されてきた時代典型としての性格の創涜がたい。もっともとの二っとも絶無ではたいとしても、きはめてわづかでしか・ないために、本白であるととの事実が、すとしでも退転するわけではない。わが国の現代文学が思想貧凶・知性脆弱であるととの必五の条件を、まがふかたたいさういふ木一白事実へ回帰させ℃、新附一越を提起したのは、亀井勝一郎である。との文学状態の認識に基づいて、はじめて宗教と文学・歴史と文学・政治と文学・思惣と文学、かういふ主題律の泊求が可能にな

-- 39 -

(2)

自己個有の り

ただち

れはとれからの文学

投の諸

転やるものとして思惟

てゆく。

かも

訟は

印昨日mg丘町注目。ロ

として解

ゆく。論証

るのではない。身証

以外

にはない

ーーととにピラトいふ。「されば放は主たるか。」イエス答へ給ふ

かム t

でるあ。

。 れζがれとはれ

めに

占めかし

「われの王たるととは放のいへるごとしob

がた

めに慨に来れり。

なはち真理に

つき

て証せむ

り。

す べ

真避に属

る者は

b

くよ

ピ 一フト

いふ。「真迎とは

。」(

何ぞ

ヨ ハネ伝

十八

章)イ

エス

は容へや

とし

て十 字架

へのぼ

。て

った

イエスにと

であれば

るほど

難の

い潰

十字 架 そ

のもの

答で

た 問

方あっ。ひが

・漂 泊

遍歴したけばならないであらう。の場

ただ

人間

視の

明噺だ

けが

、 人 間左支へてくれγのわであらう。疋しく真理へ導いてくれるにちがひない。さういふ真理追求が一生命賭して兵証しつつあるのは、亀井勝一郎の著作活動そのものである。

ーlわれは泊なり。 真地危な受叩たり。 (ヨハネ伝第十四ぬる

ピュ1リグ一一ズムへの不…倍賞常として、「チャグレ1夫人の恋人」があるoヨーロッパ近代の文学は、キリスト教持脆陀対ずる抵抗去じて、まさに文学そのものの級相がいとのやうであらうとも、すべて背教者窯識の上に展開してゐる。キ リスト教の中枢左注すストィシズムに抑圧され閑寒させられて、人間実存の責任から、かの蟻烈た無神論さへさけび 上げられるのである。既成の宗教休系に呪縛され、根度に神聖一化させられて偏筒歪曲した人間は、人間条件の否定を目的とさへしてゆく。ととろが人聞にとって神型化して生き、なければならぬ必然世はたい。どとまでも人間は人間と

して生

き切

るととろに、

在の

現由 が

とは

神とは人間によ

て設定され

超絶関

にほかなら

い。

限定のものと

るとと

のとと

でに一つの限定

である

o

さういふ無限定

され

神が人間左限定してくるととろに、宗教成立の場がある

。人

間以前に、神があるのではたい。神は人間以後に、人間以外のものとして、人間と

同時

併存し

てゐるわけである。神

っで

が人

たのはない。

間と

神の

でるあ

。神 とは非

間では

超人間である。人聞が人聞を超

えた

である。

の高

次元

としての

称附

与が

、神なのである。

間が超

するととは、微妙の関

である。

れども超人間と

間を逆規定しは

めるととろに、

間性の抵抗

ある

。人

聞に内在するものとしての人間性は、峻厳に神性とたたかふ。「われ思ふ。故にわれ在り。」(デカルト)から

- 40 --

(3)

「われ抵抗す。故にわれ在り。」(カミ1ユ)へ。神性にむかつて反峰してゆく人間性の苦悶と敗北、交がん歓喜と愉悦とが、近代以後における人間復興の課題であらミ。文明批評の発生である。志十形成の座標軸である。

宗教と文学との関係は、マリアとヴィーナスeキリストとγポロ

・ヘブライズムとヘレニズムとの関係であ為一。かう

いふこ商の交渉と相刻とは、

ヨーロッパの精神発肢の系譜であった。γリプの叫ん一周衣がはがされてヴィ

ーナスへ、キリストが十字架から降されて’ノポけ

へ、

ζの転身方向が、中世否定の具象化として実践された。人間は神が居たくとも、存在が可能に・なったのでるる。美の創治危透してでるる。ヘブライズムとしての宗教に対決して、ヘレニズムとしての芸術の硲立である。神の廃止同一次元に美の座主設定したのである。それで芸術的であるととは、反宗教的であるととでるみο芸術か宗教か。とのこつは、左右の関係であっても、上下の関係ではたい。ζの…削減伎の距離は、無窮である。しかも宗教が芸術を糧とし、芸術が宗教から学ぶのである。γリ一Jもキリストも宗教作品であると同じく、ヴ ィ1 ナスと一ノポロとは芸術作品である。宗教は絶対唯一者にして不可説不可称なものへの帰依を要請する。ヤリスト教の合初出において、ととさらさうである。多神教的であるととろの仏教に徴しても、如来といふ畷劫の余一性を規定し、人聞の自己超克を芯向させる。もともと人間の実休が

、不

安定・矛盾・謎妄であり、「世間虚仮15上に架けられた虹のやうたものである。との虹とは、祈念の七彩のいぶきであらう。宗教

へ参

枢奉仕しようとすれば、芸術左裁断排除したければたらない。

γリγであるととは、ワィlナスであることではないoYリγは神的である・ならば、

ヴィーナスは魔的である。その課勉は‘二羽選一である。マリγは憐悔の長象であればRヴィーナスは誘惑の対象でるる。きはめて合略的である十リスト教が、もっとも非合羽的でるるとむろの処女受胎の事実を経験したマリアが一通して、罪と罰との奇心識にをののいてゐ る。

いかに装ふとしても、実のととろ姦通であ為。キリスト教がどれだけ繋現しようとしても、それは不可能であった乙の事実の上に、イエスの悲哀が側々ともる’わけである。神は肉休左もた・ない。肉休をもっととは、

神として存在し得なくなるととである。肉体を無限定のものに化すると

とが、不可能だからであ為。神が神であるたとは、さういふ不可能の以前・以外でなければならない。有限のものとしての肉体左、無限のものとしての神が所有し・なけ

れば ならぬのならば、かういふ必然は、「死」の条件を前提とするとEとたくじて、思惟されぬととろであらう。神の死とは、いかにも人間的である。死守一思惟するととろに、復活がさ

- 41 -

(4)

らに条件化される’わけであらう。神は復活を経て発展し形成される工誌をもっ。つまり神が、人間の軌跡を辿るととによって

!神化してゆくのである。

神と

は人聞によって創治された

F

存在の意味である。との契機の関係を形象化したのが マリアである。マリアの子としてのイエスが、死から復活を可能にするととによって、神性を顕現し得たのである。さういふ神性勝二小のモメントは、マリアを媒質とし・なければなら・なかった。復活新生へは、罪と罰とが、前提陀ならたければたらない。キリスト教がほろびる師団阪まで負は・なければならぬ宿業は、姦通一事実の処当である。いはば姦通は、γルプァでありオメガであるととろの人聞の宿業である

U

さういふ問題解決として提起された傑作の一つが、トルストイの「υノロイツェル・ソナタ」でるらう。晩年のトルストイが、敬度なグリスチャンとなっτ、ストィシズムの

立場か

ら、姦通守一人間悪の至上醜として措くに至った作品である。姦通とは、エロスの前界が一対一でなく、一対二以上の人間関係に弘布

いて 成立する場合の汚名である。いふまでもなくいつでもとの一であるととろのものは、女性である。「γンナ・カレニナ」、一ーボヴァリ夫人」も、マリアの近代版でるらう。かういふ作品が形成される社会基盤の諸分析は、五細にわたって遂行され・なければならないけれども、まづ第一に、すべて男性が罰せられないのは、

どうい ふわけなのであらう。あたかもマリアにキリスト乞与へた!l男性と推定されるととろの!!神が約せられないのと同じゃうに・:。父系制の優位からであらう。姦通の作品序列ではじめて罰せられ・なかったのは、チャタレ1夫人である。ヂャタレl夫人以後二人聞がマリγからゲィ1ナスへ転身する可能低は、証明されたのである。キリストの悲哀は、罪の子としてである。だが罰せられぬ父としての神は、いかにもγポロ的でるる。チャグレ1夫人の恋人のメラ1ズは、その最近代版であらう。「クロイツェル・ソナタ」には、クリスチャンとしてのトルストィよりも

、芸

術家としてφトルストイが躍如としてゐる。問題の微妙は、まさにとの関係にるる。姦通の断罪意識を超えて、エロ一アィシズムの深さ澗さが

、生

彩巧綴に表現されてゐるととである。宗教と芸術との苛烈な相刻の結果である。もしトルストィがキリスト教とたたかは・なかった・ならば、単にエロティシズムの小説として終ったであらう。むしろ姦通の悲劇が、むれほど無比にγ一ロスの美を表現じ・なかったにちがひたい。キpスト教に基づくカタルシスの対象としての姦通と姦通によるカタルシスとしてのキリスト教とが、

交錯する康標軸上の切火そのものである。俗の閃光と美の閃光とが:・

- 42 -

(5)

キリスト教が姦顎を罪悪として裁き罰するのに対し、また仏教もとれを罪-惑として思惟する。けれE

もその思惟は、無常観に

由る。快e楽の代償として、老醜敗残といふものを凝視させるので

ある。じかも快楽とても、無条件なのでは

たい。匂摂条

件として絶えや苦痛k伴ふ。

ヘドニズム去死の意識とは、

表蒸してゐる。

しゃう ぞノめい

ひぴ

11入、

を憎まば、生を愛すぺし。存命のよろとび、日々に楽しまざらやや。おろかなる人、との楽しみを忘れて、

たから たふら

いたづがはしく外の楽じみをもとめ、との財を忘れて、あやふく他の財をわさぼるには、志みつるととなし。生けゐ問、生左楽しまやして、死に臨みて死一を恐れば、との理あるべから十。人みな生を楽しまざるは、死を恐れぎる故なり。死を恐れざるにはあらや、死の近きととを忘るるたりoもしまた法一一死の相にあづからやといはば、まととの理危得たりといふぺし。(徒然草’九十三段)神が宗教で

は寓物の尺度であるけれども、

芸術は人間をもって高物の尺度とする。宗教がヱゴを放棄してゆくとこ

ろからはじまるけれども、エゴ左宵定して人聞の主体岱・

自体性に即さ・なければ、芸術は成立したいのである。表現と

は創造だからである。宗教芸術といっても、芸術の範鴎に属する。宗教的素材は芸術機能としての創浩工程を経て、すマに宗教的素材から超克されるからである。さういふ超克の方法が大きければ大きいほいと、芸術としての価値が高

ぜろ

まるのである。芸術に、おいて、作品だけが全一のものであり、作家は零と化す。作品秩序の主人公だけが活かされて、作家は減却す示。宗教芸術のうち、宗教家が芸術主創作してゐることがある。その刻々秒々は宗教家としてでなく、

芸術家へ転身じてゐたのである。ダンアとグ1一アとに徴して

も、

明かであらう。ダン.ァはキリスト教徒であった。、ゲ 1一アはキリスト教徒では・なかった。でもとの異教使徒の偉大は、

キリスト教そのものをも、美的に・人間的に観てゐ

ると とであ為。いかにも宗教的ではある。だが宗教個有のどのやうた厳粛主義からも禁欲、壬義からも、まるで解放されてゐる。、が1Jアは「・悶然」のとほりであった。ちゃうど自然がさうであるやうに、すべてに自由であらうとした近代人であった。かういふが1一アを内村鏡三は憎んだ。との抵抗は、が1γに対してであらうか。もしかすると、自己そのものに対してでは・なかったか。宗教は彼岸・天上・来世に実を結ぶもの、芸術は此岸・地上・現在に紘一咲くものであらうo宗教は普遍l波我ーに参入させ、芸術は伺ll、壬我ーーを創作す為。宗教の木質は金一一性でるるけれども、芸術のエネルギーは多様性の無限

-- 43 -

(6)

分化であお。 「他」化の幾何級数でさへあらう。ヵトリシズムに対するヒ ュ1マ一一タリアニズムでるる

。神の子・人 の 子としての十字架上のキリストが、 むの 無阪の二律背反の軌跡を同次元として享受したととは、思窃色。ロであった 。 ヒューマニズム以後の新民間ブ日目プスダンディズムは、 カトリシズムの庁一定立であ為。 ヵトリシズ ムの外敵は、 マル キシズムであるbけは・泣い0・序列がちがふからであ る。 プロ一ア ス タン一アイズムとそ佼滋のその 名に佃し、 ヵトリシズ ムそのものが負は・なければならぬ復讐の胎生であった。 おらくる えぴ句、らむ

神の所在一証明は、福音蓄に‘おいてしかーなされない。仏も同じく、経典以外のととろでは・なされない。付託と箆…一古川とだけが、神たがらである。すべて偶倣は、その餓楽である。神のととば・仏のととばほど、地上で完緊のものはない。仮りに完嬰でたいとする・ならば、神も仏も不完全のものになってしまふ。一章句といへども、段示だからである。砕示とは、無時間のものである。無時間でるるととは、完一墜でるるととと等しい。知性の窮似俄だからである。宗教が求訴一のストィシズム左品目憾としてゐると同じく、芸術は問中八端のエピキュljy一一ズムを血肉としてゐる。ストィシズムが人工たらば、ヱピキュ1リγ一一ズムも虚構である。入間に関する‘予定とれ円,定と〉ともに三つの烹味の方向に、人間を限定してゐるととは同じい。人聞の可能性を追求する実誌の場として:・。けれいともいづれの場であるとしても、絶え十疑惑・池松山女・Am一機の瞬間・利那に踊されつつゆく。条件反射として加速度的に過剰へ転じ、耽泌があり、偏筒を呈ずお。人間の木賞が慮似であ匂のための盲執現象であらう。ペシミズムもJアカダ一一ズムもニヒリズムも、おのづから起る’わけである。だが、とれらを超えてゆく背後のものの所在をも、知らたければならない。

劫の凝視力の認識である。帰依とは自己放棄による自己確立であ為。仏生即我生である。との「即」の関係は、円融の法則に慕づく。キリスト教の非寛容に・比ぺて仏教は寛容であお。キリスト教は「対決」であるけれ左も、仏教は「即」の可能を説く。ととに自力強一議門でたく、

他力安一泊門の序刈においてさうである。対決をも「無常」と矧やる。粥陀如来が「大悲」を誘 発する随縁である。大悲のゆゑーに大慈がある。摘陀如来の本願・松一一日願は必至のものとならう。始原の蹴陀如来から釈尊

へ龍樹へ善導へ法然へ親驚へと顕現じた順次生の相念が、久深一劫に伝承されてゆく。かういふわづかの宗教的天才だ

けではたい。衆生群献の一切が包摂さ

れてゆ

く。宗教的天才さへも、衆生群磁の個々でしかない。むしろ衆生鮮頑といふ

-44 -

(7)

ものが・なければ、如来生そのものはないでるらう

。「

一切衆生悉有仏性」。無限生への帰納還元の可能は

、如

来生に即して、群磁の個々に内発する。愛の機能に基づく。「即」の関係は、非論理・反論理ではなく、先論理・超論過である。煩悩即菩提、いはば信と美との相刻は、愛の刀グルシスヘ転する03・58から勺∞-一ω色。ロへ。さらに3・ω位。ロ↓

乏かう げん

問gR50片山Oロ↓ω包ぐ注目。ロの方式へ。菩提は廻向に伏目。。往相と法相と:・。往相とは対決である。「死」を経て浄工@天寿国の訟身に化するととである。とζろで濯相とは、法身としてふたたび現身をポすととである。衆生

蔚に 伍して他左投ふ託回収となるためである。往相だけで還相がないのならば、

断胞があるばかりである。小乗の限界にとどまるでるらう。相念伝承の可能は、

往相そのものが法相左内在させてゐるからである。

借りや・2

11ひとへに紘一楽往生のみち;::いづれの行も、およびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。(歎呉抄)11われとして「浄エへ参るぺし」とも、また「地獄へ往くぺし」とも、定わべからや。:::われ地獄に陥つといふとも、さらに悔しむ念あるべから・チ0・:ただ地獄なりといふとも、故mn人のわたらせたまふところへ参らむとおもひかためたれば、「一一賢一患の生川、わたくしの定むるところにあらや」:・とれ自力炉一すてて他力に帰する

すがたなり o (執持抄)

往相が地獄であるとしても、法相によって地上に能楽天寿闘が形成される可能性をもっ。

機七一が浄よしし化してゆく。大乗の菩薩行である。この無般大の発投形象が、如来へのゾレンである。伶身と化身と即身と、さうして成仏へ。教↓行↓信↓証。すべて如来の大行である。人間危機が如来胎動のそ一ノィ1フである。主口磁の諸行を根源において統盤

しんげ・コ ヤわλげう

してゐる如来生に、すでに人生は包摂されてゐる。とれが覚知であり、信楽・願楽であらう。愛の絶対純である。仏教の究~件の精神のいたすととろである。

や生 ひ

ーl菩薩は衆生のためのゆゑに、生死に入る。生死るれば

、す

たはち病ありoもし衆生、病を離るるを得ば、すな

はち菩薩もまた病むこと・無からむ。衆生病めば.菩薩も病み、衆生の病一癒れば、菩薩もまた癒ゆ0・:ζの疾は何の所悶より起る。菩薩の疾は大悲乞もって起る。(維摩経問疾口問)相念は間一信から発する。相念に拾身し、即身して道統をつぐ。道統は血統である。

さ舎 あと

11前に生れむ者は後をみちびき、後に生れむ者は前-Kとぷらひ、滞一続無窮にして、

- 45-

願くは休止せざらしめむと欲

(8)

す。無辺の生死海を謹さむがためのゆゑたり。(安楽集)

「引用とは血統の樹立を意味し、血統の樹立はまた出会の歓喜を意味するOL至心聴聞から至心信楽へ。救済の可否・

有無は問ふととるでた

い。

罪を計量・分別したいからである。キリスト教が

いふ

赦す・赦さぬの設定ではな

い。

信と

不信とに関する神の最後の審判のやうなものはない。仏陀の無始劫来の凝視に遍照されてゐるからでるる。如来生と

は、無償性のものでるる。大慈大悲の誓願のゆゑに、摂取不拾だからでるる。如来生の顕判明は、単一に宗教だけに限ら

れてゐるのではない。如来生に、お

いて

は、反宗教的であるととろの芸術さへも包摂されてゐる。宗教を普とし、芸術

を悪としても

、 ま

たこの逆でるっても、如来生に徴して同貨だからである。宗教

いひ、芸術と

いふ

立場に即して、具

相でるるのにすぎない。宗教は仏陀のもの・芸術は人聞のものであるとしても、如来生即我性のゆゑに、二つながら

同次元φもφであるo宗教が俊一伎のものとして、

持愉

ければならぬ条迎は、

伊 ゅ

なたに設定されな

いさ

さかも在り得

ない。宗教が信の境地に、去術は美の境地に、「自然訟繭」として在るのである。

人間が人間でるるととの本質は、祈りをささげもっととでるる。混沌未発の生の諸相な辿り・ながら、自己を形成し

てゆくアルファにしてオメガのモメントは、との祈りつつるるととろの弘実そのものである。始原からの潔泊・紡

徳・遍歴が蹟劫につづく。祈りとは、無償ρおとなひでるる。けれどもかういふ無償のおとなひだけが、人聞が一創造し

てゆく。人聞の天来の軌跡と一瞬一刻の当為とを結合させもし、離反させてもゆく場に、祈りが成立する。生独目C強

烈な抵抗力によって、転身・新生が可能になるためでるる。天来の軌跡とは神曲、一瞬一刻の当為とは魔世でるる。

人聞はとの神と悪魔との総和でるる。悪魔は不定・異端・変化・有限・具体のものである。いはば肉体モのものでる

る。神を霊といってもよ

い。

との霊が、肉体との関係左断絶もさせ、超克もしてゆくととろに、霊としての機能をも

っ。したがって肉体が肉体でるらうとして、霊とのるひだに葛藤を生十る。同一援を精神と

いっ

てもよい。精神が肉休を

否定しようとすればするほいと、肉体は反逆する。さういふ精神と肉体との.デγレグテfクを経て、人間の生命が創造

工程をもっ。人間の生とは、とのデアレクヂィタを賭けつつゆくほかの何ものでもな

い。

賭けつつとは、祈りつつと

スイ

ノニムであ

る。

人間

性を解放すれば、

ペ凶E

エゴイスアィツグになるだけである。無数の状態に拡散する。能ふかぎり変化して具体化す

(9)

る。さうでなければ、美は生れない。美は瞬時にして減却する機能でるる。美的とは、主我的とスイノニムでるる。人間性を解放すればするほど、美的にたらう。無数の美の創造である。美

の座は

神の康をねらふ。だが神の座は唯一でる

る。美の康は無数である。無数とは無常でるる。美は無常であるわけであらう。美をヱロスと比仏慨してもよい。一一μスが無常でちるわけでるる。美も正ロスも、快楽のもの・犠牲が」強ひるもの、だから罪悪のものである。耽美、王一識が悪

魔主義とも通ふところである。美を追求するものは、同法八端の使徒である。しかも異端は、抵抗によって促される。と

の抵抗は、孤立化し’なければならない。まづ反社会的・反時代的になるととでるる。さういふ否定を超えて創造する

のでるる。さらにエロスを愛といってもよいであらう。しかし愛には‘信におけるときと、弘一一へにおける場合とに、ち

がひがあらう。一慌の愛は.女を女としてでなく、隣人としてみる。美の愛は、女をまさに女として、

その

肉体へ耽溺

させやにはおか・泣い。そのモアィlフは誘惑でるる。ファψストに対するメフィストアェレスの手段は、その典型でる

った。美の愛は、神へφ背信の犠牲としてである。神からの況を意識したいでは、在り得ないものでるる。美しいもの

ほど、神から呪はれる。美もエロスも、罪患の可能を内包してゐるのは、悪魔の序列に属するからである。悪魔の協

力がなければ、創造されたい。かういふ創造工粧が、芸術とよばれるのである。それで芸術とは、悪魔とス

ィ ノ

ニム

でさへもるるわけでるらう。トルストィが肉体の思魔を神の名によって裁いてみせたのは、「グロイツ

ェ ル

・ソナ

タ」であった。だがその裁き方は、宗教的であるよりも、いかに芸術的であるととか。ととに宗教の立場から裁くの

、 芸

術の形奴をかりるとは、いかにも芸術家である。トルストィφヒューマニズムに出る。かういふ矛活を矛盾と

して、

どの位相における大肯定の苦悶か」生きぬいてゆ

くところに、祈りの本質がるる。

I

歴史と文学

「膝史」そのものは、自然物のやうに容体として夜るわけのものではない。人聞の主体他に即して、形成さ

れて

く苓象の金工程をいふのでるる。かういふ思惟の方法の一つに、「古典」といふ概念規定がるる。との「古典」とは、

書巻の形式におけるものにだけ、

用語化してゐるのではない。現在以前に生起した心象一切を呼称する術語として、

- 47 -

(10)

享受してゐるのである。また懸史が、超時{合性のものとして‘完全に無限定であり、かの過去・現在・未来といふ方便論とは、

本質に徴していささかも関係がないのと同じ軌跡の上に、

この「古典」もるる。生の形式が、一事象として持続してゆく場合を一l隠史ー一、

それから心象として回帰させてゆく時には一ー古典いといふやうに、

まづ類別をしてよいかもしれない。

けれども「生」の内容に‘おいて、

との一事象・心象が、

全く序列を具にして実存するのではない。

まさに

たて よと

精神の構法守支へる経と緯との関係にある。

「風土」・「風物」といふ概念が、

さういふ生の形容一致乞如実に一ぶし てゐ

るわけでるる

。さ

らに「古守」は、との風物の中の一つの具体的なものである。しかも「大和」といふ問題振起におけ、Qものとしても特殊化されてゐる。さうしてかういふ

具体・特殊を処理してゆく立場ζそ文学そのものたので

ある。「;・誌」といふのは、日本文学上ρヴャ

ンルの一つに属する。「・:記(紀)」・「:・集(抄)ι・「・:物語」とい はれてゐるものと同じいのでるる。奈良朝の胤主記でも、

・百代中国から伝承した「小説」といふ概念に入るものであ る。近代の人女池遊学の方式ではない。英語の〈;-qasvといはれてゐるととろの類概念であって、〈;-Hoqv vといふカアゴリーではたい。

人間といふものは、精神を回帰させ

、遺

体験するζとが‘可能である。自己の精神史に即しては勿論、民族・社会・国家の歴史的一品象をも、その一つ一つの既往芹透視し、さかのぼって再現してゆけるのでるる。・なるほど順次に見てくるととも、ナラタlジュの一つであるが、「形式」といふ思惟のな場を徹底させれば、その発生の順と回帰の逆とが交錯するところの座標軸上民、古典的実仔・廃史的現在が、心的以・事象の場として依世づけ得られるであらう。史蹟をたづねる目的は、生汚環境がいかに人間精神宮形成させる云一ノィ1ソとたってゐるか、数一以の伝承の過税を経てさら’に何ものを展開発達させてゐるか、またどのやうに変化退転してゐるか、かういふ命一簡を追求解明し、それぞれの史的可能也に即して内界に再現して見ようとするためであ

る。

したがって史蹟はも単に自然ではない。歴史的自然である。感官の度が深甚であればあるほど、さらにそれが俊敏であればあるほE、壮既に知性化されて、人間哀歓 の真 実出が、むしろその著作家の精神自叙伝としての意味をさへもって成立してくるのである。「大和古寺風物誌」は さういふ代表作の一つでるらう。旧版は昭和十二年から十七年に至る六年間の巡歴の記でるったが、

改訂・増補版で

は、昭和二十年の九月から十月にかけての新文章三篇を加へてゐるoむの戦争突入から敗戦におよぶ日木の最,悲槍時代

一約一

(11)

いかるがのみや

に身を処し、斑鳩宮・法隆寺・中宮寺・法輪寺・薬師寺・唐招提寺・東大寺・新楽師寺に関する側、々の思索令}通じて、

自己の人間復活そぼ痛烈に祈念してゐたのである。「飛鳥の祈り」・「白鳳の光」・「天平の花華」の三論文が、さういふ求道の精神の骨賂であらう。新版に際し、斑鳩宮の条に「書簡」、中宮寺の条に「徴笑について」、東大寺の条に「君臣相念」左増補して、「:::詩篇「講堂の社」(東大寺)に若干の字句修EP-試みたほか、全部そのままにとEめた。修疋の必要は認めや、ただ誤植訂疋に留意した:::」と最後に附記してゐるだけである。との「修Eそ認めや」とする判定の根基、またかういふ気鋭の背後のものは何であらう。人々よ、銘記しーなければならない。天皇否定説に対するE攻法のプロテストである。ずなはちとの成書の末篇で

いふ

。(ζの文章は、「亀井勝一郎著作集」巻四には、

省略

ゐる

著作集

もって

、 決

定版としてるのであら

か。)11宗教に、おいても芸術に、おいても、真に偉大な天才と申しあぐべきは、わが国に-おいては天皇のみ。諸仏法顕諸寺浩営をみても、るるひは高装集に一致しても、所詮は御悲願と御製の右に出づるものは絶無である。飛鳥白鳳

おほみい づ

平 三 代

にわたる

宗教

芸術

未曾有

開顕

ひとへに

歴代

天皇の

大御稜威

しめ給とろ

あっ て、推古天皇た白びに上官太子、天武天皇、聖武天皇悉く御一身を賭し給ひて、あの危機の深淵の上に絶妙の

花華

かせ

たのある。大和古寺を六年間巡払して、おまへは結局どんた悦びをえたかと問はるるなら、:・天皇たらびに太子の御悲願の

大にふれ

ったとだと

う。るらゆる

疑念

初復

にも

らや

の御

悲 願

いっとも

く 私

いて

ってくたのは仏あった。

l 昭和十

年冬

帰依

復活

った

自己証明

の結

る。してなさらに

解 、説

る・な、ーl過去と現在といふ問題守、むとさら哲学的に穿撃する必要は唱なからう。要するに私は仏を愛し信ぜざるをえ、なかったのだ。とが一

一切

、 愛

のあるととろ

、「

過去

」といとと

消 え

てすべて

現在

となる

0

・:死といふ事実によって愛を忘却するととが出来るであらうか。むしろ死によって愛の切なさιゲ二唐痛感するであらう。死はまととの愛をよび起す。すでに肉体は滅びて、しかも我々に愛情の涙P流さしむるもの、それ

がまととの生命とよばるべきpでは・なからうか。

- 49ー

(12)

とKだま

!!古 典に つい ても

同じ

とと

がい

へるであら

う。作者

の肉 体は 滅びた。

しかも

彼の 生命 は号一口霊となっ

て後 代の に無限 我々 の愛

情をめざめ

しむるο

何ら かの祈念をも

って

接す

る人 に、

確乎とし

て答 へるも

のが

必ゃ

ある のだ

。.

とと に怒 始せん

とす る決 意がす

べて 古典や古

寺に 向は んと する もの の根

本態度で

は・な から うか。

ll仏

像守語

ると いふ とと は、

古来わ が国 には たか った現 象で るる

。仏像

は諮るべ

きも ので

はなく、拝

し祈るべ

仏身 に他 ならや、敢てと

れ左 語る には仏 とひ とし

く長

年月 の難業苦業bg経’なけ

ればなら

ぬ0・

:代 々の 祖先 は、 その 前にひ

れ伏

して

、己 の悲願を告げ、

救ひ

左求め、

畏れ 慎ん

でとれを一尉子

深の 奥に拠

った。

ずな

はち 仏像

像で ある とと もに

、そと には 祖先 の悲 願が宿

り、生命

の坤 吟が

、飲歌 が、祈 りがと もっ てゐ る霊た のだ

。千年

の歳月を経

た諸 仏掘は

、千 年の 聞にお ける人 聞の 祈念 の息吹を吸収

して ゐる

。仏を揮する

とは

、や がて

祖先

のい のち

を賭したおもひを揮

する

ととだ。死に直面して我々

の愛 が切 によ みが へるやう

に、

すでに肉体

の滅 した祖 先は、

おも

ひを

仏体

に残 すと とによ

って

、ふた たび 我々 にそ の志継ぐとを

とを

告げる

ので ある。

との は虚心に享けねばならぬ。 願左我々 すべ ての

古典乃至

歴史 に通 やる 道で は・なか らう か。

ーl

仏教 の根 源に ひそ むも のも、畢

寛は かか る意 味で の歴史

である。

それ

はあ

る仏 師の

制作品と

して 現在 に残 って ゐる ので はな い。 その 仏を念

じた 人の

、無量

のお

もひを

うち

に秘めて今日まで侍立し

てゐ るの であ る。

我々に

とっ

ての大事

は、

祈り

によ って

、仏体の内J奥

に陰 臨調す ると

の願に心をい

たし

、そ れぞ自己

の願 とし て一 体とな ると でと は・な から うか。

かう いふ 自問 に対 して

、ど やの うな 自答 が注 され てゐ るの でるら

う。

111確

然た

る現実的効果

がる るか、

つま り救ひ は確約さ

れる か否 かl もとよ り「

私」

のは

から

ひと

すべ

きと とで は

たい。

真の 愛は、

愛の報酬を

問は

・ない でる らう

。真

の信仰

は、 信仰 の功

徳を計算し・な

いで

あらう

。ず

なは ちそ れは 無償 の行為であ

る。

との完

き自 己淡却、帰依の

心の みが、

は復 活の 唯一 の道 たの

であらう

。復

活す

ると いふ

安心で

はな い。

むし ろそ れは

「私

」 には わか

らぬとい

った 方が正

しい

。私

が大 和の 古仏を 拝し

、祈る とと が、どのやうな意義を

もっ てる らは れる のか

、救

ひがあるの

かな いの か、乃至はと

の現 世に光明乞もたらすかどうか、私 には むろん一

一一口へたいので

ある c後

世より

みて

無意味

でる

ったと・なれば、それまでの

とと でる るc ただ

(13)

分 の

業 と し て は

、し

も な ほ 悔 ひ な い だ け の 勤 い 信 仰 を 大 慈 悲 に よ っ て 与 へ ら れ ん と と を 祈 る の

で る

0・:

す で に と

は 無 比 の 悟

で る る

も う と れ 以 上

刊と う い ふ

と ば が つ け

へ ら れ よ う

。 古 人 と 自 己 と は

、 同 心 円

上に

在 る

いと の

点 乞 と っ て も

過 去 と 現 在

接 点 で る る

結 局

と こ ろ 同 形 等 質 に お い て あ る

飛鳥

・ 白 鳳

・ 天平

歴 世 も 平 穏 の 時 代

っ た の

は な い

内 外 と も に 多 事 多 端

と き に 血

間 の 懐 惨 た 相 刻 が く り か

さ れ

、こ

と に 国 民 の 窮 乏

禍 い ち じ る し く

、 ま た 思 想 の 昏 迷 は な は だ し く

、 い は

危 機 の 連 続 で あ っ

た。

し か も さ う

ふ 唯 中に 立 っ

て、

国 民 同 胞 す べ て

の苦

難 と 悲 願 と を 一 身 に 担 ひ

、 と と あ る

び に 神 道 仏 法 を 崇 め

、ひ

た す

国 家

安 泰 と 国 民 の 幸 福 と を 祈 念 さ れ た 推 古 天 皇 や 上 宮 太 子

天 武 天 皇

・ 聖 武 天 皇 の 御 生 涯 を

亀 井 勝 一郎 は お し の び す る の で あ

る。さ

ら に

槍 友 生 生

転 に 処 し

も 崩

る と と な く

の や う な 地 獄 を も の り 超 え て

薄 綿 と 継 承

れ つ

つき

た 日 本 民

放の

強烈 友 生 命 力 を 讃

、 友 ぼ す べ て の

難 の

登 に は

、 つ ね に 天 皇 が あ っ て

高 民

和 を

祈念

さ れ る 姿 を 仰 ぎ

、国 体 の 尊厳 令}

す る の で る っ た

と の

「君 臣 相 念

」 の 場 に お け る 側 々 の パ ト

が 敗 戦 の 直 後

「陛 下 に 捧 ぐ る 書 簡

」 乞 し た た め さ せ る に

っ た の で あ

る。

懐し き陛 下よ

悲しむべ

の日

が 過

て、いま

久し ぶ

りで大和

方へ放

法隆

寺や

薬師寺

や東

寺の辺りを巡

っ てゐる

に、念に

や う た御

手紙

を差 上げ

気持 に まなり

た。私はいま平

城宮

の燦嘘

腰を

し て

、ぼ

んや

り し て を り ま す

戦 争

、 大 和 の

く の 古 寺 が 次燈 に 帰 す る

あ ら う と

そ 予 想 し

た 自 分

い の ち も

か っ た

けに、

かうし

の の

ど かな

日を

た た び古 寺巡

し てゐる身を考へると、

のうい

た しま す

に も か く に も 自 分 は 生 き 残 っ た

さ う 思 び な が ら

、 私 は 白 分 の

現存

す る 生 の 陵 昧 さ を 凝

す る の で あ

りま

。 無数の民の屍の後に、わ

かに息を吹き

てゐる一本の葦、

んな感

。新

生 の幽

な よろ

が 訪 れ て く る や う で も る hy

、 ま た

恨 の

汁 が と め 乞 も な く 漆 み 出 て く る

身 の 援 き 戸」

ろ も な い あ り さ

で、

私・は 立ち のぼ る陽 炎の 中に座

して をり ます

昭和 二十 二年 十二 月三

一日

発行 の非 売品 本は

、一敗 真夜銘、

宮内府

を経 て、

陛下 に謹 坐され

たので

ある

。かうい

とと はで はじ まる 書簡休

を書 き上 げた 日本 人は

、亀井勝

一郎を措

いて 史上 にゐ たで あら うか

。ま さに

{会問 の事 例で

- 51 -

(14)

けれ なば らぬ

。そ の第 一の

「書簡」

から の抄

11歴

史の 深さ は1 人生 深の さそ もの ので るり ますo

無限 の解 釈に

へ、 たま 年齢 をか さね るに つれ てい いよ よ深 と淵 みえ るも ので るり ます が、 は私 大和 方地 をめ ぐり たが ら、 徐々 に天 の皇 本然 御の すが にた つい て思 索す

機会

を与

へら れま した

。私 がそ むに し拝 たも はの 在る がま まの 人生 です。

戦争と平

和の 区別 たく

、貫く

人生

悲哀と

喜悦と

惨忍 あで りま たし

。私 いが ま歩 てい きた飛

鳥京 から 城平

へか けて

、と 地方 はす べて 氏挨間

争政 と内 乱に よる 流血 跡の でる まずの

o多く

の皇 子遼 とが とに 倒れ

、無数

の氏 挨や 民草 がと とに 暗縫

る争

をく りか へし まし

た。

むろ ん平穏

な日 もる ります

。し しか 平穏 日な とは

攻せ 血る の創 の造 日々 であ り、

族聞 の戦 争と は、 神抵 の名 仏と の名 を絶 叫し

・なが ら殺 しる とふ とで りあ まし た。

ll い か る な 悲 劇 歳 も 月 と と も に 忘 れ 去 ら れ

、 や が て は の ど か な観 光 の 地 と 化す、

と れ が 世 の 常 な の か も し れ ま せ ぬ が

、 私 は 廃 嘘 に 立 っ て 、 そ の 草 を 染 め た 上 代 の 流 血 の 惨 事 を 想 起 せ ぎ る を え な い の で あ り ま す 。 何 故 な ら

、 歴史 の 示 と す と ろ は 憩 ひ 友 人 き 生 の で 相 あ り 天皇 、

は つ ね に そ の 渦 中 に 在 し て

、 人 生 の 辛 酸を

味 は 給 び

う て を

れ ら た か

で す 。

と ど に 救 ひ が る る

? 歴 代 の 天皇 の 叫 び 続 け て と ら れ た こ れ 哀 が 心 の 声 御 で す

。 人間

の 中 の 最 も 人 間 的

な叫 び を 私 は と と

に 聞

き ま すo 歴史 の 思 ぴ 出 と は

、 悲劇

の 思 ひ 山山 で あ ま り せ ぅ 。

: 史 と 書 大 和 方 地

巡 歴 か ら の 私 確 認 た し も の

は 、

天皇悲劇

の 実 在 と ふ い と 左 ご で ぢ い ま し

!ーー た 。 だ た 一 つ 決 の 語 と い も ふ べ こ き と は

、 天皇 と は民

族 に お け る 人 間悲 劇 の 至高な

る 表 で 現 あ る い と こ ふ と で す 。

現存 るす 三つ 勅の 願寺、

す訟 はち 法隆

・薬 師

・東 大の 三大 寺を

、私 はか りそ めの 眼を もっ て眺 める

とと

は向

せま ぬ。天、

の皇 人生 の苦

、と はれ 一大 念記 物で りあ ます

o一

一艇の 薩像、菩

本一 の位 た、ま 礎石

、そ れら の下 に白 と骨 化し

北詰

mH山首

痛が 限っ てゐ る、 史書 はと れを 静か に喚 び起 し、 亡霊 のと とば を伝 へる ので あり ます

o陛

下の 透き 御親 の霊 は、 血旋 の相 刻と

、民 の窮 乏と

、自 然の 暴威 と、 それ ら諸 々の 不安 乞告げ給

ひ、 また 海身

御祈 念を もら るさ るの であ りま oす 私は 十年間大

和を 巡っ て、 諸々 の亡 霊の 悲願

-玄関 きま した

ーl陛

下よ 格戦、

の日 の玉 音に

、私 が何 を拝関

した か明 か

御了 知下 さる こと と思 ひますo

祖宗 りよ 伝は 伝り って きた 民挟 の悲 の劇 哀音 であ ります

。尊き旧

の家 血の れ流 より は伝 る壮 重な 働突 と仁 愛の 御音 声で るり ます

oい

岡、υ

(15)

かな る仰 決意 もφ とに

、あ の聖 断を 下さ れた か、 私は ひそ にか 拝察 申し げ上 まし た。 滅 行び く民 族 の先 登 に立 ち給 ひ、 御 一身 を犠 牲と され て滅 びを 止停 せし めん とし 給うた

拾身 の御 行為 であ りま した

私は 陛 の下 仰決

のう ちに

、上 代 む天 皇 の仰 信仰 を忍 びま した

。国 草土 木 一切救

はれ や んば 我 にも 救 ひた しと いふ 大 乗

北部心を

。 かし もそ の顕 現 が、 との 日以 外 に・な か った とと に、 私は 陛 下の 人間 でる らせ らる ると との 痛悲 φ極限

を拝 す るC であ りま す。 為政 軍者 人官 僚@ 切一 の罪 禍を

、陛 下は との 日御 一身 に担 はせ れましら

た。

さま に人 聞と し oて う つつ に拝 たし 古典 的受 難 仰の す がた を、 私は 生涯 にb た って 銘記 す るで あり ま せう

o

・昭: 和 二十 一年 五月

、大 和路 に

現陛 の下 体験 された悲劇

の性 質は

、古 代的 でも 中世 的 でも

‘泣 い、 代近 市民

社会に

けお るそ れ でも た い。 き はめ 旦〈て 様 のも ので

、 いふ

・なら ば軍 部独裁

権力 のジ ャー ナリ ムズ の魔 術性 に基 づく

。天皇

崇拝 の完 壁化

・普 化遍 によ って 行

れた 天皇濫月

でる るo ナ バて 濫月 は、 美徳 をも 徳悪 と化 ナ。

どの やう な真 理で

も虚

偽 へ転 じさ てせ しま

ふ。現 下は との 犠牲 であ たっ o濫用

乞経 て疎 外 され

、結 呆と し て 一種

@政 治上 から

る人 間失 格 でる るo それ 附へ 与 され る名 が 神 であ 天皇った。

と は天 に皇 すぎ 友 いの でる って

、天皇

制で はた い。 日本 ユニ ーク の芸 術 思想 でる る。 国民 が天 皇 に 対 てし す る自 己表 現は

、絶 対自 由と た たっ

。各 人 が自 己@ 主体

、おに いて

天「 皇」 を一認 識す る可

をも った とと

あ る。 天皇 が日 本国 民統合

の象 徴である

とい ふと と は、愛 情 Cア ナー キー を前 提と

、なし けれ ばな なら い。 天皇「主義者

と いふ方向

が、 とれ から 存在し

はて なら ゑ い。 昭和 二十 一年十

月、

「憲法第

一条

を書 いた

天皇 創治 論 であ ーーー る。 天皇 は日 本国 の象徴

であ ると いっ たと き、

私はと

のと とば のう ちに 何を 見る

か。

歴史

・古 典・ 伝統

・未 来 の在 り方

、そ

@ 一切 が浮

。ぶ つま り 象徴 とい ふ とと ばは

、思ひ 出と 望希 左前 旋と し てゐ るの

だ。

さら

にい

左ふ らば

私は

「天 皇」

を創 し浩 申 し上 ねげ ばた ぬら

!ーー

私 は 二 十 に 代 は 共 産 主 義 の 信 奉者 で あ っ た 。

治 政 的 に は 皇 天 制 の 否 論者 定

で る た っ 乙 と は む ろ ん

だ が 、

そ の と ろ の 心 粧 を

へ り み る

・な ら ば 、 天皇 と は く か の 如 き 存在

宅な り と 厳 く し 限定 さ れ

、 そ と に 私 自 の 主 的 た 創造力

全 完 に 封 ぜ ら れ て ゐ た と と へ の 、

精神 の 反

抗 も

あ っ た

・: o う さ い ふ 状 態 か ら 転 じ 天 て 皇 の 仰 を 真 姿

私 の う ち に ほ ん た う に 仰 ぐ に 至 る ま に で は 、 少 く と も さ う 感 噌す る と と が 出来 る ま に で は 、 十年 の 歳月

必 を

要 と

し た

の で

(16)

る。

私は 古典 左よ み、 歴史 をし もべ

、大 和地 方を 十年間 歩い た。 ζの 歳月す

ら短 いと いへ るの だが、 しか

しむ

の経 験は

、私を

して 次の やう に言 はし むる ので ある

)決

凶山

、、

必 れ

ぞゆ

-d dmw

怖い必

く、 形式 的に

も ので もなく、

いかチ ドい か骨 骨向山 hm-於か

骨骨 秒間リ

hド

てい 発見 され ねば なら ぬる る思 想な のだ と。

・:私 にと って

、発見 とは 創造 でる る・:

そと に愛 がる る。 ーl私

は浄 土真 宗で 謂ふ

「同向

」と

いふ 思想を

最も

尊ぶ

。:・

4料品即 mいあ h bト 凶ゲグ紗 岳

、ハ} い

ひか か 除

天皇 とは 私 に とっ てま づか かる 具体的 な御 存在 であ った。 たと へば高葉

集の天皇

相問、

るる はひ 勅願寺

の壮 厳に 接し て、

と信 に対す る最初 の開 眼が 行は れた ので あり

、天皇 とは 私に とっ てい はば 愛情 の体験 でる った。 ll天

皇と は私 にと って

、苦労

して 再発 見さ れね ばな ぬら 思想 でる り、 とれ は未 来永

劫に

つづ く。 は私 との 思想 を

おほ みたか

天皇 思想 とよ

ぶ。

天皇 想思 とは 何か

一一一一口 にし ていふ

なら ば、

「怒 一冗の 愛育」

をそ 最の 大の 根拠と

する とと

くし ては 存在 意義 を有 せぬ 態の

、仁 愛の 思想 でる り、 一切摂

取不 捨の 祈願 であ る。そ

成の 立過 程を

、私 は崇

垂仁 帝よ り、 聖徳 太子 の大

思想 によ

深化 を経 て、

聖武 両帝 にい たる あひ だに る見 oさ らに 重大 なと と は、 との 過程

、は 同時 に天 皇に おけ る人 間悲 劇の 自覚過

程で るっ たと いふ とと でる る。

「努 一冗の 愛育

」と いふ とと ばは

、祭神天

皇登 極の 詔に はじ まる こ。 の成 立の 基唐 は、 国内 不安

1!神

への 畏れ

!請

の危 機の 意識 であ った。

怒一冗 の愛 育か ら人 間自 覚へ

、と とに 天皇 の本 質形 成が あり

、天皇

思想 の発 生が ある。

「同床 共殿」

の離 脱と時

を同 じく する

。天皇

は神 しと てで なく

、神 帽を信 やる 人と して らる はれ たの が、 崇神 天皇 の御 代で る る。 天皇 思想 の展 と開 は、

「努 元の 愛育」

思想 の展 開で あり

、と れが 天皇 族氏 家の 血縁相

刻の もた らし た悲槍事

によ って 深刻、な陰

磐を与

へら れ、

儒学

教と に、 道徳 とし ても

しと ても

、表 現を 求め たの でる るo まさ

皇思

は人 間と して の天皇苦

から 胎動 し、 同時 に天 皇信 仰と 天皇芸

術と を可 に能 した 主導 契機 でも ある。

かし

「務 元の 愛 育」

とは

、ひ とへ に天 み皇 づか らに とっ て無 窮の 祈願 でな けれ ばな らな い。 との 天皇 個有 の危 機感 覚に 即し て、 聖徳 太子 の大乗

思想 は、 天皇 思想 の深 化確 立に 決定的

な役 割を 果し た。 かう いふ史

過的 程に

、現 憲法 がい ふと とろ の

「日 本国 民統 合の 象徴」

の始 原的

叫が

るる

o

11天皇

は、 古の 飛鳥 京、

ある ひは 京都 に遷都 さる べき でる

。る 明治 天皇 を幕 府の 遺構 たる 江戸城

にお 迎へ した

,hu

(17)

が既 にあ やま りで るっ た。 天皇 は政 治の 地よ り離 れ、古 典の 地に 在し て、 ゐが 美と 信仰 のた っか しい 思ひ 出と して 御存在 るそ ばさ るべ きで ある

。叫刊紙祭犯

を行 じ給ひ

、神宮を

祭ら れる とと は祖 宗の

神霊

に対す る当然の仰挙措 でる るが、

明治 以後

のご

とく れ、そ が政 治閥 によ って 排他 的訟御 挙措 と化 して はな らな い。 神道絶対

とは、 わが 歴史 を歪 曲せ るも のの 妄断 でる

る。

月明 天皇 以来、

歴代

の至 尊に して

、仏教 を尊 び、 仏道 に帰 依さ れし方 も決 して 少く ない

。そ の御 信仰

の宿

る勅 願寺 をも

、同様 に供 養さ るべ きむ とは

、仏

教徒 の多 い日 本国民 の念 願 であ る。 さ・:

らに 今後 は、 基督教 につ いて も、 上代 の天 皇の 仏教 に対 給し へる ごと く、 深甚 たる 仰心 を傾けら んと とを 私は 期待申 し上 更 ぐる。 に古 の大 の和 地に 在し て、 諸々 の尊 き遺品遺

地を 擁ら らせ れ、

飛鳥 の塁 辺の りに

、’古 さな がら の相 関歌を詠ぜ られ んと とを。

嘗て りあ し日 の天 皇の ごと

、く

自由

たる 人皇 とし て、 美と 仰信

一現

に在 す古 典的仰存在

とし て、 民の 信愛 を受 け給 はん とと 乞。

との

「憲 法第 一条」

の最

後の 結語 とそ

、天皇創造論

のク ライ マッ クス であ り、 エッ セン スで もあ

る。あ

たか も世

も無 この 微妙 の行情

詩で

さへ ある

。高葉集

の長歌 以後、

絶え て日 本に は‘な かっ たと とろ の天 須皇 歌の 絶唱 あ。でるか の柿 本人麿が

「大君

は神 にし ませ ば・:

」と 菰詠 した が、 いま 亀井 勝 一郎 は、

「陛下 に捧 ぐる 書簡」

を滴々 血涙

唱をにじ

ませ てか き綴り

、近 代相聞

の一

つの

典型 とし て、 散文 詩化 して ゐる ので るる

。余人 の企 て及 とぶ 乙ろ ではな い。

「大 和古寺

風物誌」

の系

列発展

とし て、 貌「美の

皇后

」が るる

。昭 和二 十五 年の 二月 から 八月 にわた

って の紀行で ある そ。 の録 する もの

・:美 貌の

皇后

・中 尊寺

・吉野の

山・ 飛鳥路

・桂離宮

・佐渡

が島

・古塔

の天

・千 代田

・:城 の八 篇で ある

。そ の新 潮社初版本

の後

記、

11歴史

と古

典を

、そ

の実 際の 地に 臨ん で眺 め調 べる とと は、 やが て日 本人 いと ふ自 己を 知る よす がと もな るで あ らう

。過 去の 歴史 のう ちに は、 未来 の生 の秘 密も 横は って ゐる

。・:

眼を 凝ら して みれ ば、

歴史 とい ふも のは

限に 深い での ある

。:・古典

の地 にひ むそ 古人 の息 吹は 深く 大き

。い ll歴史

と風 景と 蹟古古 美術 のそ ろっ とた とろ とい へば

、大抵 は関 西に 集中 して ゐる

。結局奈良

・京 都、 ある ひは その 周辺 にと どま るの はや むを えた いが

、私 は・な るべ 全く 国に わた ってさ うい ふ地 を歩 てい みた いと 思っ

た。

戸、叫にd

(18)

改め て日 本を 知り たか った ので るる

との 歴史的 自然

、は

とと

ごと く現 代精神 の生態 であ る。 日本

一的な

あま りに 日本 的な実 存の しか た-をし てゐ る。 さう いふ 認識 が、 いま まで の闇 黒の 蒙を 思い てく れる ので るる

。美醜 をの り超 えた

一美

、善悪 をつ きぬ けた 至上 善、真 偽を きり ひら いた 絶対真、

とれ らす べて が、 日本

への

「愛」

その ものに 貴か れて 形成 され てゆ く。 昭和 十五年ご

ろの 欝演

「美と 信仰」

の中 で、 il歴史

を語 り古典

阿ると いふ とと は、 死せ る人を

生け る人 の如 く語 ると いふ とと であ る。 それ が文 学の 場合 に は、 き生 た描 写と いふ とと にも たる ので

るり

ます

。古典

と申 しま すと

、過 去の もの とい ふ感 じが 直ぐ 起き 易い ので るり ます

が、

ほん たう にあ る人 物を 愛し た人 にと って 過去 とい ふ感じ

は・な くて

、今 さら なが らに

。る 生きてゐ さう いふ 生き た感 じを もっ てそ れに接

触す るに 至る でせう

。廃 嘘に 立っ た時 の愛 情の 深さ は、 招魂 の作 用品ゲ一する。

亡霊 はよ みが へっ てさ たが らに目

己の 働突 を伝 へる ので るり ます

。と れを 心に うけ とめ たと とろ には じめ て復

るる。

それ を永 遠の 生命

とい

ても よい でせ うo との

知性 は1 単に 観念表出

とし てで たく

、み ごと に芸術

へ昇華

され

、光 彩陸 離と して 言々 句 々に も、 香気 を放 のつ でる る。 亀井文

学の

窮極 する とと るは 何か

。l まさ しく それ は、

「生命 讃歌」

であ る。し かも

「・:生 命の 束の の間 相を 凝視 たし とき

一一唐 華や かに

、且 つ無 限の 憂愁 を伴 って 奏で らる るも のだ

:・。」

とい ふと とる に在

。そる の生 命と は、自 己個人

して も、 また 日本 民族 とし ても

、暖劫

の凝 視力 のも とに 照ら し出 され るも ので るる。

した がっ て亀 井勝 一郎の 全著

作を

通じ

、さ うい ふ二 つの 序列 に、 表現 の立 場

・精 神の 系譜 を分 ける とと が、 可能 にな らう

。ま づ歴史上

のも 殻

っとも尊 る人 物を 書く こと

(歴 史 への 愛の 窮極 のす がた とし て: 一)0 つい で自 己の 精神 間歴 の列 伝を 誌す とと

(誰 びと の 心底 をも 貫道 して ゐる 始原の

歴史感覚と

して

:・)

0

「聖

徳太

子」

・「 親驚」

・「 三人 の先覚者」

・「島崎藤村

」は

、 史的 人物 の偉大

な一間像

であ り、

「わ が精神

の遍 歴」

・「 愛の 無常 につ いて

」・

「現 代人 の研 究」

@「知

識人 の肖像

が、 自己 の青 春慎 悩の 記録 とし て成 立し てゐ る。 かほ のど の作 品で も、 すべ てこ の二 つの 序列 の中 間位 にあ

る。

「批 評の 最高 は、 讃歌 をか くと にと つき る:

・。

」と も説 く。

彼の 歴史哲

学の 基盤 は、 次の 六つ にの範噂

規定す

るζ

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参照

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