調査報告十九’二 山岸文庫蔵伝明融等筆源氏物語の大概については、既に池田利夫氏および上野英子所員の報告があり、本誌に於ても既 に紹介したところである。しかしながらこの全冊の詳細については、極めて多くの問題を残している。これは既に本研究 所﹁別冊年報﹂の誌上において二色カラーオフセット版により空蝉巻より葵巻までの翻刻を試染たところによっても知 られ、又本稿筆者のうち野村の執筆にかかる別稿︵﹁実践国文学﹂連載の﹁伝明融等筆源氏物語の本文について﹂︶その他 においても、若干の考察を加えたところであるが、なお九牛の一毛にも満たない。依て、個別的、特に各巻別の検討が必 要となり、且つは就中、行間を主としたその書入れ注の様態のデテイルについては、ほとんど手つかずの状態にある。よ って本稿では、これらのうちの極く一端についての調査報告を試桑ることとした。以降稿を継ぐ予定である。
山岸文庫蔵伝明融等筆源氏物語における
朱筆の書入れについて
野村精一
渡邉道子
間書き入れ注に、 さてこの伝明融等筆本源氏物語の﹁賢木﹂巻には、他の諸巻と同じく数多くの行間書き入れ注があるが、これはさらに 第一の朱、第二の朱、および墨、のおよそ三種類に大別することが可能であると考えられる。 第一の朱は、和歌の泳者の指示、言葉の説明等もあるものの、多くは、誤字・脱字の訂正や、音読上の濁点、読象仮名 を記したものであること。又、第一の朱を擦り消した部分で墨筆との重ね書きがなされている場合、擦り消し部分に墨の 混入が見られないこと。そして、墨がほぼ前半部分の、第二の朱がほぼ後半部分の、和歌の詠者や語句の説明を施してい ること。さらに第二の朱は、例えば、韻掩の場面で、既に本報告一においても上野氏が指摘したように、 夏の雨のとかにふりてつれノ、なる比中将ざるへきしふともあまたもたせてまゐり給へり殿にも文殿あけさせ給てま
たひらかぬゑつしも珍しき古しふのゆゑなからぬすこしゑり出させて︵虹ウ︶
の﹁しふ﹂という部分に﹁集﹂と第一の朱で右傍注を施し、さらにその上に第二の朱で﹁詩﹂という漢字一文字を付け加 え﹁詩集﹂という注としており、或いは、﹁文殿﹂という漢字表記の右脇に﹁フドノ﹂と第一の朱でその音を表記し、さ らにその右脇に﹁書物ヲ入ル戸棚ナリ﹂と第二の朱で注を施していること、といった具合に、第一の朱を補足する形で入 れられているものがいくつかあり、それらは、第一の朱の注が意味的に理解できなくなってきた時点で書かれていると思 われること等から、比較的初期の時点で第一の朱が、次いで墨が、最終的、しかもかなり時代の下った時点で書き入れら れたのが、この第二の朱ではなかったのか、と考える。 さて、今回この﹁賢木﹂巻を例として取り上げたのは、特に、この最終的に書き入れられたと考えられる第二の朱の行 二二十 九 一 二 山 岸 文 庫 蔵 伝 明 融 等 筆 源 氏 物 語 |8’1008’ 6 5 4 ︵図1︶の如く、﹁甕頭竹葉経春熟。階底薔蔽入夏開﹂という白楽天の詩の一部が引用されている﹁はしのもとのさうひけ しきはかり咲て﹂という部分、その﹁さうひ﹂に対して﹁はらの花﹂という右傍注が加えられているためである。この さうひ ﹁はらの花﹂という表現を以て﹁薔薇﹂が呼称されるようになるのは、一体いつ頃からのことなのであろうか。 ﹁薔薇﹂という語の歴史を明らかにしてゆくことによって、最終的な﹁賢木﹂巻への、延いては伝明融等筆本源氏物語 への、行間書き入れ注の書き入れ年代、及び行間書き入れ注を含めての総体としての伝明融等筆本源氏物語の成立過程を も明らかにする一端となるのではないかと考え、先はしばらくその語史を追って象ることとしたい。
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古今和歌集 本草和名 和名類聚抄 康頼本草 源氏物語 新撰字鏡万葉集
常際国風土記文献
卜 さうひ さうひ しや畠ノび さ畠ノび いばら、うばら、む. 和名として一その他 ー へ −「−− うばら、むばら等宇波良秣
戸 、 図 1 − ノ表記
螢 | 螢 本 一 草 名 云 薔」磁
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、 賢木巻、少女巻 宇万良︵うまら︶ 茨鰊、茨︵但し音は不明︶ 術 一名牛柳 一名端朧 考2
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14113112111 9 26 25 21120 10 1451|字鋭集
1388|平他字類抄 1306 1180 1597 1598 14841017枕草子
類聚名義抄 1610 1603 しやうび 文明本節用集 伊勢本系節用集しやうび 印度本系節用集しやうび明星抄
温故知新書和玉篇
鮒
日葡辞書 しやうび しや畠ノひ し し い や や ぱ 浜>合 う う り び び さ矛うひ しやうび − 1 ロ ー ー ー ー ー ー − 1 − うばら むばら 矛フはら む う の ぱ ぱ い ららば ら むはら うはら いばら むはらの花 むばら いはら いばら いどろ むはら いはら む い ば ぱ らら|鰊・茨一
一茨一
|鰊一
一榊巻 |鰊・茨 鰊 ・ 刺 ・薊・ 茨・側 ・莉・ 荊 ・ 菅 鰊・茨 荊・鰊 荊刺 一 一 ロ ー ー ー ー ー ー Ⅱ − 能因本七○段、草の花は。 ふハラノミ 管薔薇子 薔薔アラキハナ 冒陣目茨、鰊のあるもの 国CROある香りのよい白い花の咲くばらの木 ﹁夏﹂の項十九一二山岸文庫蔵伝明融等筆源氏物語 ”’1636 81638 2 91651 2 01662 3 1 31663 21667 3 羽−1689 弘−1691 51968’ 3 61700’ 3 ’71705’ 3 81709’ 3 9 31712 01713 4 1 41716 2 4 31745 4 41777 4 5 41778 61780 4
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薬 『コ ロロ 二 二 +制 〃閏日 山 井倭訓栞
薬品手引草 俳諸四季部想 − Ⅱ − Ⅱ 一 一 一 一 一 一 一 一 ロ ロ ー ー ー ー ー ー ー ロ ー ー ー ー ー ー ー ロ ー ー ー ー 一 一 一 |さうび |紅やうび さンうひ しやシつひ し し や や > > ‘ 可 つ / び び しやうび しや月ノび しやうび 垂ご月ノバ︶ しやうび せうひ しやシうび ■ = 一 一 一 一 一 − 1 − 1 − │ , 一 一 一 一 一 一 一 l - J I - 一 一 一 一 一 一 一 t ■ 一 一 一 一 一 一 一 t ■ 一 一 一 一 一 一 一 」 − 1 一 一 一 一 一 一 一 I − I − l − − I ■ 一 一 一 一 一 一 一 ト ー ほ い さ ば つ 合 1つ − l - l - I - l - 1 マ ー ー ー ー ー I − I − l − l − │ − 」 − I - h l − 一むはらの花 |むはらの花 は む む む む い い ら は ぱ は ば ば は の ら ら ら ら ら ら は の の の の な 花 花 花 花 ばらの花 いぬいばら ばらの花 むはらの花 むはらの花 はらの花 い }J, W、 ら いばら ぴはら ’ ’ − 「 ロ ー ー ー ー ー ー − 1 − 1 口 一 一 一 一 一 一 一 Ⅱ − − E − ロ ー ロ ー ー ー ー ー ー ー ロ ー 荊 刺 茨 の 花潔
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荊の花 鰊弗 茨の花 薔薇 牛練 − l − l − L − 1 − I − I − │ − │ − │ − │ − I − l − │ ー _ 一 _ 一 一 ﹁せうひ﹂﹁茨の花﹂︵音は不明︶共に四月の項 ﹁むはらの花﹂﹁ばらの花﹂は五月の項。﹁むは らの花﹂の薄字表記は不明。 鐇嵯岬誰﹂再認姥和酔肥﹂﹁砿麺埖﹂﹁唾覗︽軒翫︶悟朴一 寄せ小字。或いは﹁茨の花﹂の注記か。 薇か﹂の記載有り 五月之部下﹁茨花﹂ 項目は ﹁むはらの花 ﹁むばらの花﹂ ﹁むはらの花﹂ ﹁むはらの花﹂は﹁五月﹂の項 ﹁むはらの花﹂は ﹁五月﹂の項ほか ﹁いはらの花﹂の説明有 ﹁薔薇﹂ は﹁五月﹂の項 は﹁五月﹂の項 はらのはな﹂は﹁五月﹂の項 ﹁中夏﹂の項 ︵音は不明︶の項目に﹁野薔’
’
︵表I︶を参照して戴きたい。バラ科バラ属の植物として文献上初出と考えられるのは、﹃常陸国風土記﹄﹁茨城郡﹂の項 に見られる﹁茨艸﹂﹁茨﹂︵但し音は不明︶であろう。又、木村陽二郎氏監修﹃図説草木辞苑﹄や松田修氏著﹃増訂万葉 さ寓ノひ 植物新考﹄等を検索して染ると、早く﹁うまら﹂を﹁蕎薇﹂に比定する説のあることもわかる。﹃万葉集﹄4352番歌は、 、、、 象ちのべのうまらのうれにはほまめのからまるきみをはかれかゆかむ︵巻二○︶ であるが︵傍点は筆者、以下同︶、残念ながらこれ以外には用例は見受けられない・ ぱら しかしながら兎に角、今日言うところの﹁薔薇﹂は、この﹃源氏物語﹄本文中に書かれる﹁さうひ﹂とは早く異なった 5 7 5 6 5 5 5 4 5 3 盟1827|季引席川集 51828|雅言錐覧1 58 50149148147 1909|子規句集 1909’ 1890’ 1880’ 1879 1851 1808 1803 1793 1783 俳譜歳時記栞草乱永施び 俳譜斯撰 明治六百胆
明治新撰さうび
俳譜季寄鑑俳諮新様さうび
四季部類 俳譜辞典罪
ド
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雅言集覧 さ さ う う び び しやうひ −1− ば ば う う い ば は ら ら し ば ば ら ら暁ら洲
の 花 花| 一いばらの花 ゞむばらの花 ゞばらの花 一うばらの花 − Ⅱ − Ⅱ − 1 − = 一 一 = 一 一 むばらの花一茨の花 一茨花 ばら花 むぱらの花 茨薔薇│茨 薇薔│花 牛 茨 茨 茨 鰊 茨鰊 の の の の の 花 花 花 花 花 茨の花 読み仮名等は付されていないが音数より判断し た。 収城された句が実際によまれているのは1893 11898年。 月一の項。 ﹁さうび﹂﹁うばらの花﹂ の項。 ﹁さうび﹂﹁ばらの花﹂ 月﹂の項。 ﹁しやうび﹂﹁さうび﹂﹁うばらの花﹂共に﹁四 薇﹂ 別称として ﹁四月﹂の頃。 四月﹂の項。 せうび﹂との記載有り、字体は﹁薔 ﹁いばら﹂共に﹁五月﹂ ﹁うしいばら﹂共に﹁四十 九 一 二 山 岸 文 庫 蔵 伝 明 融 等 筆 源 氏 物 語 呼称でもって呼ばれていたらしいこと、さらに、﹃本草和名﹄や﹃和名類聚抄﹄に﹁和名宇波良﹂︵﹃本草和名﹄︶﹁和名無 波良﹂︵﹃和名類聚抄﹄︶と記されるように、それらが﹁さうひ﹂の和名であったらしいことが窺われよう。 そもそも、〃薔薇″という漢字を以て﹁さうひ﹂を表記するようになったのは、所謂国風暗黒時代を経てからのことと 思われる。というのも、この〃薔薇″という漢字表記は﹃陶淵明集﹄や﹃李太白詩集﹄﹃白楽天詩集﹄等、専ら漢詩文の 表現に用いられているものだからであり、我国における﹃和漢朗詠集﹄﹃千載佳句﹄等でも、﹁首夏﹂としてこれらの漢詩 をそのまま引用し、或いは﹃文華秀麗集﹄や﹃菅家文草﹄等、いづれも漢詩文にのゑ見られる表記だからである。そして、 この時点で﹁さうひ﹂という音も日本文学史の中に入ってきたものと思われる。それは、﹃説文﹄その他からも窺えるが、 ﹃古今和歌集﹄巻十﹁物名﹂436番歌﹁さうひ﹂、 我はけさうひにぞ見つる花のいろをあだなる物といふくかりけり この傾向はその後も続いているように見受けられる。﹃色葉字類抄﹄や十巻本﹃伊呂波字類抄﹄﹃世俗字類抄﹄﹃字鏡集﹄ 源氏物語の古注釈書の一である﹃明星抄﹄では﹁しやうひ﹂或いは︲﹁しやうび﹂、﹃類聚名義抄﹄﹃平他字類抄﹄﹃温故知新 さうひはちかくて枝のさまなとはむつかしけれとをかし 或いは、やはり﹃源氏物語﹄少女巻五五オ、 うの花さくへきかきねことさらにしわたして昔おほゆる花たちばななてしこさうひくたになとやうの花のくさj、を 等の例に照らしてみれば、かなり明らかなことと言えよう。 ぱら このように、当時一般としては、﹁薔薇﹂は﹁さうひ﹂、和名としては﹁うまら﹂から転じた﹁うはら﹂﹁むはら﹂等が用 や、能因本﹃枕草子﹄ いられていたと考えられる。
現になったのか。 これに類似した表現が見られる初めは﹃無言抄﹄の﹁むはらの花﹂であるが、その後は﹃はなひ草﹄﹃毛吹草﹄﹃増山井﹄ ﹃番匠童﹄﹃おだまき﹄等に見られるように、歳時記関係の言に見られる表現のようである。どのような漢字をその表記と して用いたのかはいづれも不明であるが、これらのうち﹃毛吹草﹄﹃増山井﹄﹃番匠童﹄﹃おだまき﹄では、別の項目とし てそれぞれ﹁しやうび﹂﹁さうび﹂等を有しており、となると、やはり疎のついた植物の総称としての﹁茨﹂﹁疎﹂等を表 、 記として用いるべきか。単に疎のついた植物というのでは文学的に風流さに欠けるということで、﹁むはらの花︲一という表 ことである。何故ならば、﹃日葡辞書﹄の﹁与胃四﹂では﹁茨・鰊のあるもの﹂の説明が付されているし、﹃和玉篇﹄にお し些か気になるのは、この﹁いばら﹂﹁むぱら﹂といった表現が、﹁さうひ﹂の和名として意識されたものか否か、という 害﹄では﹁うはら﹂﹁むはら﹂等、﹃節用集﹄の系統では﹁しゃうび﹂と﹁いばら﹂﹁むぱら﹂等が並記されているが、但 きうび いても、そのいくつかの表記には﹁草木針也﹂の注がつけられているからである。つまり、﹁薔薇﹂の呼称が﹁さうひ﹂ から﹁しゃうひ﹂へと表記が移ると共に、﹁うはら﹂﹁むはら﹂も﹁さうひ﹂の和名から鰊のついた植物全般に一日一っての呼 称となり、又一方で﹁鰊﹂という言葉ともほぼ同義となっていたらしい、ということが言えるのではないだろうか。 又、この蛇オの﹁さうひ﹂に対して付されている注が、﹁はら﹂ではなく﹁はらの花﹂という言い方である点にも注意 しかし、いづれにしろ﹁ざうひ﹂は﹁しやうひ﹂へ、そして和名としての﹁うはら﹂﹁むはら﹂は鰊のある植物として の﹁いはら﹂﹁うはら﹂﹁むはら﹂へ、そしてさらに文学的表現としての﹁むはらの花﹂へ、と大きくその流れを追うことが できそうである。この﹁はらの花﹂という表現も、江戸期の随筆である﹃理斎随筆﹄に﹁鰊ある草木をすべてばらと云 費.よく Ⅸらじゆ は、鰊の一名、波羅樹と云によりてなるべし。﹂と書かれるように、或いは、山田孝雄氏が﹁﹃ばら﹄︵薔薇︶は﹃いばら﹄ 〆一一、○ 7Lチハbし
十 九 一 二 山 岸 文 庫 蔵 伝 明 融 等 筆 源 氏 物 語 ︵注︶ ︵茨︶﹃うばら﹄︵新撰字鏡、本草和名︶の上略なるなり。﹂と述べられるように、恐らくこの﹁むはらの花﹂という表現か ら派生したであろうことが想像できようか。 実はこの想像を裏付けるものとしては、これまでの﹁しやうひ﹂そして﹁うはら﹂﹁むはら﹂という表現の流れが多少 なりとも変わってくるのが、﹃誹詰新式﹄辺からのようである。というのも﹃誹諸新式﹄においては︵図2︶
払榊庵韓郷餓為雑魚蝉死物1鳴幸く刷野f焔﹁四月﹂︵図2︶
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﹁五月﹂ の様に、﹁四月﹂の項に﹁しやうひ﹂を掲げてはいるが、﹁五月﹂の項においての﹁むはらの花﹂の下に右寄せ小字で﹁は らの花﹂という下位項目を掲げているからである。恐らく﹁むはら﹂﹁いはら﹂を﹁はら﹂と記した初期のものであり、 ここから﹁むはら﹂﹁いはら﹂を﹁はら﹂と呼称したことが裏付けられよう。さらに興味が持たれるのは、その二年後の 成立となる﹃日本釈名﹄の記述である︵図3︶。 イ︲〆ロフ 薔蔽噌?わりIj︹に∼之 ︵図3︶ ﹃日本釈名﹄では、﹁薔薇﹂という漢字表記に﹁イバラ﹂とルビを施し、その他に﹁さうひ﹂或いは﹁しやうひ﹂といった ざうび 項目は設けていない。ただ、﹁いはいがなり、はら︿はり也﹂という語源の説明を読むかぎりにおいては、﹁薔薇﹂も鰊の ある植物、という些か広義の説明のように見受けられる。しかし、仮にこの頃から﹁薔薇﹂という漢字表記を﹁いばら﹂ と発音していたと仮定できるとすれば、﹁薔薇﹂という表記を﹁いばら﹂と言い、同様の﹁むはらの花﹂を﹁はらのはな﹂ さ閑ノぴ と言うことより、﹁薔薇﹂を﹁ばら﹂或いは﹁はらの花﹂と訓じていた可能性を考えることができよう。 そしてこの﹁はらの花﹂という言い方が文学作品に初めて登場してくるのが、一七○五年に成立した服部嵐雪の句集で ある﹃玄峰集﹄辺りであると思われる。又、やはり﹃日本釈名﹄の流れを組むものとして、﹃大和本草﹄等も掲げられようか。﹃大和本草﹄では、﹁薔薇﹂の項目 に﹁和名﹂として﹁ポサッイ等くう﹂を掲げている。これだけ見ると、﹁さうひ﹂﹁しやうひ﹂の和名としての﹁ポサッイ、ハ ラ﹂の確認というようにも思われるが、本文中に﹁凡薔薇類ヲ俗ニスゞヘテイバラト云﹂という部分があり、この頃になる と﹁さうひ﹂﹁しゃうひ﹂がかなりの割合で﹁いばら﹂と呼ばれていた可能性が、そしてさらにその﹁いばら﹂が転じて ﹁ばら﹂と呼ばれていた可能性を、ここからも考えることができる。 という句の﹁はらのはな﹂という呼称にあてられている表記は、﹁荊の花﹂或いは後記の部分に書かれるように﹁茨の花﹂ か ○ 士らもすそ 荊の花裾きらしや旅ころも むつかしき中に香もありはらの花 梶原屋敷は相州鎌倉五大堂の北山際にあり平三景時嫡源太景季等源二位に仕奉り忠臣なり後源延尉を讓し人皆これ をにくみ誹せられしと東鑑に在句意は親はとげノ、しくも子には風雅なる人も在たりされど梶原とさへいへぱ束ね てにくまれもの入やうに云なすはぜひなけれと茨の花の木にはとげのあれど花はかをりて美しきとへかけて云たる ︵中略︶ 奔峰hソ ○梶原屋しきを見る比人はさはかり文筆には達せされとも歌も詠物の情もしれる人にや折ふしの口すさ象もきこ しゆくしゆう えと星まりしをにくきものLひとつには先此一族をいひふらしぬるはいかなる宿執のつきたるにか蕾跡あはれ めぐる ○妻蛎詣文あり略 に覺侍りて
山岸文庫蔵伝明融等筆源氏物語 十九一二 実際、﹃誹譜手挑灯﹄の﹁ばらの花﹂、﹃俳諾四季部類﹄の﹁ばらの花﹂、﹃改正月令博物筌﹄の﹁ばら花﹂から、明治時 代に入ってからの﹃俳諸新撰明治六百題﹄の﹁はらの花﹂や﹃明治新撰俳諸季寄鑑﹄の﹁ばらの花﹂、﹃俳譜辞典﹄の﹁ば らの花﹂等、﹁はらの花﹂﹁ばらの花﹂︵但し表記は﹁茨花﹂﹁茨の花﹂︶という呼称は次第に増加してきており、又、﹃毛吹 草﹂や﹃増山井﹄﹃番匠童﹄﹃おだまき﹄、或いは﹃誹諸新式﹄や﹃滑稽雑談﹄頃までは、﹁四月﹂の項に﹁さうひ﹂﹁しやう ひ﹂が、そして﹁五月﹂の頃に﹁むはらの花﹂が、それぞれ分けて記されていたのが、一七○○年代末頃になると、﹃俳 諸四季部類﹄や﹃俳諮歳時記栞草﹄では﹁四月﹂の項に、そして﹃明治新撰俳話季寄鑑﹄では﹁五月﹂の項に、﹁さうひ﹂ ﹁さうぴ﹂や﹁しょうび﹂と﹁ばらの花﹂﹁うばらの花﹂﹁いばら﹂がまとめて含まれる、或いは並記される、といった具 合に、次第に両者の区別の意識がなくなりつつあるという事実も、注目できるものとして指摘できるかと思われる。 このように徐々に、﹁むはらの花﹂﹁むばらの花﹂は﹁ばらの花﹂へと表現を変え、﹁さうび﹂﹁しゃうび﹂と﹁ばらの花﹂ が同一視される基盤が強くなってきている事実も確認でき、延いてはその結果として﹁さうび﹂或いは﹁しやうび﹂が直 接﹁ばらの花﹂と呼ばれた可能性が強まってきていることも言えると思うが、しかしながら残念なのは、﹁薔薇﹂という 洩字表記に﹁はらの花﹂という呼称を記した用例は見受けられない、ということである。因に﹁薔薇﹂という漢字表記に ﹁ばら﹂という音をあてたものとしては、﹃子規句集﹄に収載されている、 くつかの記述が見出せる。 月令博物筌﹄では﹁茨花! 別してはいるものの﹁野薔薇か﹂という注が﹁五月之部下﹂﹁茨花﹂の項目に付けられている﹃滑稽雑談﹄、さらに﹃改正 或いは、﹁しやうび花﹂lこの表現が﹁ばらの花﹂という表現と類似していることは注目されようがlとはっきり区 表以下の部分をみても、同様に﹃日本釈名﹄﹃大和本草﹄の流れを組んでいるであろうものと考えられる﹁薬品手引草﹄、 ばらの 月令博物筌﹄では﹁茨花﹂の別称として﹁せうび﹂︵表記は﹁薔薇﹂︶を載せている等、その可能性を裏付けられそうない
年立を加えた一覧表である。 さて、この﹁賢木﹂巻に﹄ ﹁源氏二十五歳ノ春事﹂という年齢表記︵図4︶を掲げることができよう。︵表Ⅱ︶を参考にして戴きたい。︵表Ⅱ︶は山 岸文庫・桃園文庫に存する伝明融等筆本源氏物語五十三帖のうち、年齢表記のある部分を抜き出し、それに旧年立及び新 ばら﹂等の言い方の方が一般的となっているのが実際のようである。 等が初期のものであろうが、この頃になると必ずしも﹁ばらの花﹂という言い方ではなく、むしろ﹁ばら﹂﹁紅ばら﹂﹁白
薔薇を剪る鋏刀の音や五月晴明治弱年
では、このような事実を総合してゑた場合﹁さうひ﹂を指して﹁はらの花﹂という注のつけられる可能性のある時期は およそいつぐらいになるのであろうか。それは﹃日本釈名﹄で﹁薔薇﹂に﹁イバラ﹂というルビの施された一七○○年位 より、この正岡子規の句が詠まれた一九○○年位まで、と言えそうである。 ところで、この書き入れ年代を限定するもう一つの材料として、やはり第二の朱によって師ウに書き入れられている 夕風や白薇薔の花皆動く 障子あけて病間あり薇薔を見る 薔薇くれし嘔承まかり薔薇咲ぬ や、同じく正岡子規の﹃仰臥漫録﹄に収載されている、 六月会 巻における﹁年もかはりぬれはうちはたり/花やかに﹂という本文部分上部右脇に付された﹁源氏 ︵図4︶ 明治羽年 明治訓年 明治訓年十九一二山岸文庫蔵伝明融等筆源氏物語 藤裏葉
野分
澪標 明石 花散里賢木
︵表Ⅱ︶ 三十九歳 年の その・秋太上天 皇になす 二十五歳ノ春事﹂という行間書き入れ注 は、この表を参考にすると新年立に従って いることがわかる。他の巻々でも、﹁桐壺﹂ や﹁野分﹂﹁藤裏葉﹂のように旧年立と新 年立の一致している巻を除くと、﹁紅葉賀﹂ 巻二例と﹁明石﹂巻が旧年立に、﹁花散里﹂ 巻と﹁澪標﹂巻﹁松風﹂巻が新年立に属し ていることがわかる。巻数にして二対四、 用例数にして三対四。ここでは、伝明融等 筆本源氏物語における行間書き入れ注と新 注の関わり云々は追求しないこととする が、兎に角、この伝明融等筆本源氏物語 に、新年立が何らかの影響を与えているこ とは事実であろう。とすると、本居宣長に よる﹃源氏物語年紀考﹄の成立が宝暦十三 ︵一七六三︶年頃と考えられることより、 この﹁賢木﹂巻における第二の朱による行 間書き入れ注の書き入れ年代も、一七六○ 幻ウ 1 才 − 11 Iオ ︵dr07 1オ 恥オ 8才 躯ウ 墨 朱 39 歳 q Q n J J 歳 、 八 ・ 0 歳 36 歳 30 歳 割1.旙婚 、∼汕心 f“﹄ 野歳 詔戒’
師歳一詔歳 源 氏 三 -'一 中宮の 秋の花としかなしい内に一朱
二十七歳の此年帰洛あり 御くすりの事ありて源氏二十八歳一k
さやかに見え給一上/
し夢の後は 源氏三十一歳ノ辨也 一朱 ひむかしの院つ く、りはて入 入の旗 に4垂ノ げ じ / ,-11ョ つ期‘ 也 ノドー オく 右 源氏二十五歳ノ事 あるましきことなりかし 一年もかはりぬれは 源氏二十五才五月の事也 人しれぬ御こ上ろ つからのものおもは しさは 朱 型歳 25 歳 朱 24 歳 25 歳 源氏︿此時十八也致大臣二十余也 さはけ二るけはひえなら /ぬ /、其 こ ぬ は け源墨一娼歳
19 歳 墨 18 歳 四歳 源氏︿十二葵ノ上︿十六ナル事ヲ云 女きみはすこしすぐれし給へるほと に 塁 1 句 止 幽歳一翅歳
紅葉賀桐壺
巻名
丁数行間書き入れ注
8オこもりおはします 源氏君三歳ノ時也 みこは/かくても 墨 Q J 寺L2丘 砥 旬 。 :旦垂 処駒 墨色 │口 年立一新年立年位より一九○○年位までの問諺ということになりそうである。又ここからは、もう一つの可能性が指摘できそうであ る。それは、﹁賢木﹂巻における第二の朱による行間書き入れ注が、他の巻為においては必ずしも﹁賢木﹂巻の第二の朱 と同色でない朱によって書き入れられている可能性がある、ということである。さらに、年立という側面からは朱の色の 違いに留まったが、巻によっては、漢字・脱字・音読上の表記が墨で施されているという変化をもつ巻もあり、それらを 考え合わせるならば、ある巻で朱で書き入れられているものが、他の巻では墨で書き入れられている可能性をも捨て去る ことはできないであろう。つまり、他の巻々においても、﹁賢木﹂巻へ第二の朱によって行間書き入れ注が書き入れられ たのと同じ年代に何らかの行間書き入れ注が書き入れられた可能性はある、ということである。 このように、伝明融等筆本源氏物語﹁賢木﹂巻へは、本文が書かれてからほどなく書き入れられたかと思われる第一の朱、 そして前半部分に注釈を加えることを目的としたかと思われる墨、さらに、後半部分に注釈等を施している第二の朱、と いう三種類・三段階より成る行間書き入れ注の書き入れ段階を経て、最終的な行間書き入れ注を含めての総体としての現形 態を、一七六○年位から一九○○年位までの問にl個人的には、﹁はらの花﹂という呼称が増加し、それが﹁さうび﹂﹁しや うび﹂等と並記されるようになる一八五○年頃が可能性として一番高いと考えているl整えたことになるかと思われる。 そして、先の可能性を含め、伝明融等筆本源氏物語が本来五十四帖一揃いの状態で保存されていたと仮定するならば、 単に、この最終的な総体としての現形態に﹁賢木﹂巻が整えられたのが一七六○年位より一九○○年位まで、というの象 ならず、現存する伝明融等筆本源氏物語五十三帖の全てに関して、最終的な総体としての現形態に整えられた時期を一七 六○年位より一九○○年位まで、とすることができる。 ︵注︶山田孝雄著﹃国語の中に於ける漢語の研究﹄S巧・4宝文館。なおここでは語史そのものを対象にする意図はないので詳細は竹いた が、俳普関係ではなお精査を必要とする。なおこれらの調査に当って渡辺守邦、佐藤悟の両研究員より御教示を受けたことを記して おく。
山岸文庫蔵伝明融等筆源氏物語 十 九 一 二 以上は、一見極めてトリヴィァルな、且つ展望を欠いた指摘に見えようが、ことはしかく単純なものではない。これら 書入注の存在をほとんど無視することで活字化された現在の本文を対象として論ずる限り、現在の源氏学の水準は、定家 のそれはおろか、近世国学のそれを超えることはないという事態を惹起していることとなる。しかもことは、右の﹁賢 木﹂にとどまらない。既に前稿﹁伝明融等筆源氏物語の本文について白本文史の再現は可能か﹂︵﹁実践国文学﹂師 号、H2.7︶において指摘したように、﹁明石﹂巻尾の補筆部分について、このいわゆる第二の朱筆が、﹁湖月になし﹂ と注記するのも右の﹁はらの花﹂注記と同様、この絶対年代を下げることの傍証となろう。かように、﹁別冊年報﹂Ⅱ 所収の﹁山岸文庫蔵﹃伝明融等筆本源氏物語﹄翻刻。﹂に於て既に示したように、﹁須磨﹂のクライマックスである、そ の二五丁より州三丁あたりに集中的に表われるこの第二の朱筆の行間書入れ注は、ほとんど湖月抄の頭・傍注の転記なの だがlこのことは他の諸巻、たとえば﹁澪標﹂などもそうであるがI、これを引くに当って、何がしかの誤記が見え ることも、併せて注記しておきたい。たとえば、同書二七五・ヘージ、二七丁ウラから二八丁オモテ一行目にかけての傍注 此直衣指貫のさまかはるにつけても紫の悲しくおほす也 とあるところであるが、右の﹁悲しミぬほす也﹂は決してこの翻刻のミスなのではない。おそらく朱筆加注者の思い違い 又は誤字なのであろう。同様の例は同じく二七九・ヘージ、廿丁ウラ七行目六条御息所の吾﹁伊勢鴫やしほひのかたにあさ は、版本湖月抄の傍注によれば、 に見える 此直衣指貫のさまかはるにつけても紫の悲しミぬほす也 三
とあるのゑである。﹁求﹂字を誤読し、更に活用語尾を送ったものであろうが、これらの注記からは、ある程度この書入 れ注筆者の知的水準の伺える底のものである。因象に同書二七一。ヘージおよび二七三。ヘージ下段注記に﹁三○七。ヘージ﹂ とするところはいずれも﹁三○五。ヘージ﹂の校正ミスであることは注記しておく。なお同書入手御希望の向きについて は、本研究所に御連絡賜りたい。別段の便宜をおはかりしたいと考えている。 しかしここで、あえて付記しておきたいのは、右の第一、第二の二極の朱の書入れ注の他に、いわば第三の朱筆が存在 することである。といってもこれは書入れ注ではないので、あえて付記するに止めるものであるが、前掲稿等において充 分な指摘がなされていないものであるため、あえて述べておく、これはほぼ全冊にわたって、その巻末に付せられた朱筆 の巻名の存在である。これは尾題というべく余りに薄い朱であって、しばノー半ば消えて判読し難く特に影印・紙焼の類 いでは、ほとんど読むに難いものである。ために前記﹁別冊年報﹂版翻刻においても、一部注記したところもあり、こ の補正を兼ねて、紹介しておくこととする。以下便宜表示することとするが、いずれも巻末、墨付末丁又はその見開き丁 の左肩に記することを原則とし、これに外れるぱあいその他を注記することとする。因みにこの第三の朱はすべて同筆と 見られるようである。なお、同朱墨の色に関しては、むしろ淡彩であって、第一のそれに近い。更には第一・五のそれと すべきか。これを以下に表示しておく。なお、東海大学蔵桃園文庫本のそれも、同出版会刊の影印本には不明のところが あるので、判読しえたものに限り併せ録することとした。因象に、これを合しても﹁胡蝶﹂を欠くことを付記しておく。 としたぱあいにも当てはまるであろう。すなわちここも、版木湖月抄では、 りても﹂の一 来食る也 求食也 ﹁あさりても﹂に注して、
十 九 一 二 山 岸 文 庫 蔵 伝 明 融 等 筆 源 氏 物 語 6 5 4 3 2 1 1 4 1 3 1 2 1 1 1 0 9 8 澪 明 須 花 賢 葵 花 標 石 磨 散 木 宴 里 ワ 『
7絵合
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巻名丁数朱字
桐壺帯木腿ウ箒
空蝉夕顔婬オタヵホ
若紫 末摘花 ︵マ、︶紅葉賀羽オ絵合
3 6 4 2 5 0 オ オ ウ 妬オ 1 8 7 オ オ 開 絵合 葵 スマ 明石 、ヲツクシ術考
桃園文庫本・不詳 桃園文庫本 ナシ 中央ヤャ右ヨリ・墨付末丁 ナシ ナシ 理由は不明 桃園文庫本・不詳 某字︵朱︶二重書キ ナシ 桃園文庫本・不詳 ザ ー 斗 一 垣 ノ 眉 シ3 5 3 4 3 3 3 2 3 1 3 0 2 9 2 8 2 7 2 6 2 5 2 4 2 3 2 2 2 1 2 0 1 9 18 松風 薄雲 桂 少女 玉鬘 初音 胡蝶 蛍 常夏 篝火 野分 行幸 藤袴 真木柱 梅枝 藤裏葉 若菜上 若菜下 2 1 6 2 6 1 8 オ オ オ オ 1 1 6 2 1 1 2 9 1 9 3 3 1 6 ウ オ オ オ オ オ 1 5 4 7 5 9 2 2 3 2 2 2 オ オ オ オ オ オ
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薄雲 舜 乙女 玉髻 梅かえ 藤ノウラハ わかな上 下 槇 蘭 柱 常夏 篝 美風 松 風 蛍 ノ 、 ツ ネ, 右肩 〃 右肩 〃 桃園文庫本 桃園文庫本 右肩 4ノザダ一/十 九 一 二 山 岸 文 庫 蔵 伝 明 融 等 筆 源 氏 物 語 48 4 7 4 6 総 推 角 本 4 5 4 4 4 3 4 2 4 1 4 0 3 9 3 8 橋 竹 紅 匂 幻 御 夕 鈴 姫 河 梅 宮 法 霧 虫