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弄也御かた明石上也明石上木丁すこしひき

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全文

(1)

又いぶせき思ひをもするとの心也

にはかにおくおほえぬあかしの上の源よりむかへ

給て京へのほりし時われものほりし事をいへ

りかひある御事を象奉るとは姫君の春宮

へまいり給ことをいへり

かたつかたには明石入道を思の心也尼の詞也そむきにし

京へのほりてよるこひにはあひ給へともかた心

には入道のことの承おほつかなくかなしきことの

うちそふと也

人にすぐれん明石上の心也たとひ人に

すくれたる栄花にほこるともかやうにいける

調査報告十五三

凡例

一︑前号に引続き︑本学黒川文庫蔵﹁孟津抄﹂若菜上巻の後半部︵九五丁以降︶を翻字すると共に︑解説を付する

孟津抄﹁若菜上﹂翻刻

︵妬オ︶

( 二 )

野村精一・平井仁子

世に父にわかれなどしては栄花もなにせんと也数ならぬ身にはひめ君をもわか物なからわか

物ともえし侍らぬと也明石上の卑下の心也

わか身はきはj⁝︑とかひあるへき身にてもなけ

れば父なとにもいつあはんともしらすそ

のま壁やゑなんは口惜と也

ょろつのことさるへき人の御ためとこそおほえ侍れさるへき人とは親の事をいふ也

昨日もおと槌の君のあかしの上のさふらひし

を源の御らんせし也中宮に付奉りて明石上のゐ給ひし事

かくそひ給御ためのいとおしきになん ︵妬ウ︶

1 −

(2)

明石上の身一くるしからぬことなれとも姫

︑君の御ため我かるj︑しけれはいとをしき

の心にいへり尼上のあかしの上にそひ給ふこと也あかつきに南のたいへまいり給ふ也

わか宮尼君の詞

︵ママ︶いまみ奉り明石上なくさためてのことば也女御の君もいと哀になん姫君也明石ひめ君

も尼君の事をあはれにおほしめし出給ふと也

院もことのつゐてにもし世中おもふやうならは

源も尼君の事をおほせいたさせ給と也

ある本に院もことのつゐてに此詞なき本

ある也

ゆ鶴しきかねことなれとあま君そのほとまて

なからへたまはなん若宮春宮に立給はん

を尼君のなからへてゑ給へかしとの給也

かやうに申せは尼君のなからへてもはやくなく

なり給へきやうなれはいまノ︑しき兼言と

いふ也又院もことのつゐてにとある本の

時はこ笛のことば掻源のおほせらるる事也その

詞なぎ本なれはひめ君の島たまふことを明石

上の尼公にかたり給ふ成へし

又うちゑゑてあま君也

さまj︑ためしなき ︵卵ウ︶ ︵%オ︶ 愁の中のよるこひ也心は入道にあはい事

7句︒の歎と又此やうにひめ君の御子をまうけ給

て行末たのもしきうれしさにあふとはさまj︑

ためしなき事也

このふぱこの入道の方よりの文箱也

めつらしきことさへそひてひめ君の御はらに

春宮の御子いてき給ことをむらさきの上

ののたまふ也春宮の御心をいふ宮す所は女御よりくたりたる欲又不然

義もある欲問云皇子いてきさせ給ひて

後はみやす所と号する事にや答東宮の

︒キソシウ御時后かねをは御息所と申也古今集第一

巻二条后を東宮の御息所と申に同也御子のありなしにはよらす明石姫君也

こ斑にてはしめてゑやす所とかけり后かね

タソジヤウなる人をいふ也此物語には太略皇子誕生

已後を御息所とはいへり

かくためらひかたくおはする程つくろひてこ

サンゴそはなと産後御養生なるへし

たいのうへなどの紫上なとの我御方にわ

たり給て人すぐな槌る時なり

おまへにひめきゑのおまへなり

おもふさまにかなひはてさせ給ふまては ︵wウ︶ ︵オ︶︵肥オ︶

(3)

翻刻(二)

十 五 一 三 孟 津 抄 「 若 菜 上 」

あかしのうへの詞也国母なとになり給ての

こと樋おもへともとなり

はかなく成侍なは

弄リンシウ

た良人のことく臨終なとに御らんせられし

と也

かはかりと見奉り姫君も成人ありつれは

我身世をそむくとも心やすしと也

身にはこよなく明石上のわか身よりはまさ

りて紫上千秋万歳とおもふ也我にまさりていのると也心は人ことにわか

身をこそいのる物なれは紫上の万かたしけ

なき姫君の御あつかひを象てはあかしのうへ

のわか身よりむらさきの上の御世なが職れとい

のり給との心也

もとより御身にそひきこえさせんにつけても

心はもとよりとは始よりの心也姫君に明石上

のそひ奉らんはつ悩ましきとは卑下にいへり

それにより紫上の養子になし申しに是ほ

とまて懇にし給はんとはゆめノー︑しらさり

した挺大かたのこと騨思ひし也涙くゑてき笛おはすひめ君のさま也

かくむつましかるへき明石上の礼ふかきさま也

明石上の御子なれとも姫宮は隔心し給ひて

物つ磯みし給と也 ︵兜ウ︶︵的オ︶ あつこへたる象ちのくにかみのあつきこと也いとあはれみ姫君也院は姫君の御かたに源は女三の宮の御かたに

おはしまし中のさうしあけて姫宮のかたへ

わたり給也

ふとわたり給へれはえしも引かくさて御木丁

を引よせてゑつからははたかくれ給へり明石上也

わか宮は源の詞也わか宮前におほとの

こもりたるかをどろき給へりやとの給へり

御かたたいにわたしきこえ給へると聞え給

花ノタイ

紫上の東対へわかみやをわたし聞え給へるよし

弄也

御かた明石上也明石上木丁すこしひき

よせてありなから此御返事を申せり

いとあやしやあなたに此宮をらうし奉て

紫上の御かたに若宮領し奉給との詞也

しむる心也

人やりならす心からといふ訶也

こなたにわたりてこそ紫上のこなたへ参て

こそ若宮をみ奉らんに宮にてまします

にとの心也

いとうたて思ひぐまなき心にもおほしめさ

ぬ事なの給そとの心也女宮なとこそあれ

男御子はおくふかくなきもくるしからぬをたは

ふれにもさやうにの給は猶むらさきの上の心をへ ︵的ウ︶︑nU﹃ノハ︑山号判﹄︵川ウ︶

− 3 −

(4)

たて給やうにおほしめすへけれはかしこから

せてさやうのことなの給そと也

おもひくまなき事かな人の懇なるを思はい心へたて槌源をへた

つるとの給也

女におはしまさんにたにひめ承やにておはしますともあなたへわ

たし奉らせ給て見奉らせ給はんに何事か

は侍らんいはんやおのこ宮にておはしませは

とさまへも御ゑしろきあるへきことなれはあな

たにてみまいらせ給ふこそいよ︲I︑心やすく

おほえ給へと也

うちわらひて源也

御中ともにまかせて源の詞也さらは我は見

はなち申へきとの給也若宮の御こと也

まつはかやうにはひかくれてつれなくいひおとし

給めりかしとて御木丁をひきやり給へれははひかくれては物へたてたる心也いひおとし

給は人をいひおそれしむる心也源氏の給事

をさかしらなど魁きこえ給事をいふ也是は

あかしの上の事也源訶也明石上にたはふれ給訶也源をいひ

おとし給と也はいかくれてとは源承え給はて

との給ふをいへり ︵川ウ︶

/ー、

lOl

、一ノ

ありつるはこ文箱也

さておはするをそのま蚤あかしの上におはし

ます也

なそのはこそなかうたよ象てふんしこめたる

とは長嵜也封しこめたる也なりかへらせ給める源此比もよひなとし給ふを

下に思ふ成へし云々源いにしへに成かへり給

好色の御心ならひにわれらか聞しらぬ事を

の給と也内侍督君へしのひてわたり給を

下によくしりての給也

物哀なる御けしきともしるけれは明石上も

ひめ君も入道の文を見給おりふしなれ

は物哀なるけしきの有を源の御らんじて

何事にかとふしんし給てかたふき給ふ

やうなれは明石上のわつらはしくて入道より

の願文のことを源へ申さる墜也

わつらはしくてあやし朶給事のわつらはし

さにありのま腿に申さる鼠也

なにかはあけさせ給ばん明石上訶也

あはれなるへき源の詞也

こ賎らのとし比のつとむるつゑもこよなからんかしあかし入道の事をの給へりこよなからんはすぐ

メツれたる義也罪を減せんとつとむるにつ象の

きえんもすくれぬへしと也明石入道とし

102

/ へ

102

、 ン

(5)

十五一三孟津抄「若菜上」翻刻(二)

セウメッ比をつむによりて罪障の消滅もことの

ほかなるへしとや一房連々勤行の功をつ象

すみ給ふらん命ながくおほくの年をつとめ

給へはっ承を減するくどくもことノ︑しからんとの

心也罪こよなからんとあれはつぷのおほき

やうにきこゆれとさにはあらす罪を減せむ

とつとむるくどくかこと/︑しからんといふ

心なるへしこよなきとは勝たる心もあり

さかしきかた﹄︑の人貴僧高僧とてあま

た朶侍しうちにも名利にのゑそ象て真

実の道者はあかし入道ほとの人はなかりし

と也

かやすき身ならは源の御身かるI︑しき

事ならは入道に忍ひてあはまほしきと也

心は明石上をたすけての給心也されは明石

上も満足し給也

今はかの侍し所をもすて樋烏の音きこえぬ

明石上の訶︑とふ烏のこゑも聞えぬ奥山のふかき心を人はしらなん

ユイ︲さらはそのせうそこはかよはし給やとは文か造

ゴン言なるよとの心也あま君いかに源のねんごろなる性をかけり

此夢かたり明石上の入道よりの文を此つゐ

てに源へゑせ申さる壁也 ︵川オ︶ へ冊フ︶/11r︑

/ へ

103

、 ‐

いとあやしきほんしとかいふやうなる跡に

梵字は天竺の文字也十二の摩多舟五の

花マタ

對文なといふ事あり筆跡のわるきをは

梵字のやうなるといへり

今はとて別入道に別たれともなをこの文か

なこりそとのあかしの上の訶也

とり給て源入道の文をとり給也ある本に

とり給ひての詞なき本もあり

なをほれ/︑しからす年老たりとも見

えすと手跡なとをほめ給也この世ふるかたの末世をいとなむ也

入道は立身のかた又世上の方はやふりて末世

のことをいとなむ人と也

かのせんそのおと■はいとかしこくありかたき

心さしをつくしておほやけにつかうまつり給

けるほとに物のたかひめありてそのむくひにかく

セイシンすゑはなきなり入道の先祖に清慎公を

比してかけり民部卿忠文といひし入むかし

東武をたいらぐる大将軍なりしか子細ありセイシンアクリヤウて清慎公の悪霊と成て子孫をたちし

事に入道の先祖を比してかける也

河子カトセイパッ

忠文民部卿将門征伐の大将軍たりけるに

ケンジヤウ勧賞の定ありける時清慎公うたかはしき

をはおこなはされと申されたりけるを弟の

105

ー ノ

︵川ウ︶

(6)

イウセウジヤウケイウタガ右丞相刑の疑はしきをはおこなはされ賞の

うたかはしきをはおこなへとこそあれと申

ヨクされけれともつゐに御さたなかりけり翌

イウセウシヤウトミケ朝に民部卿右丞相に参り畏り申て富家の

ケソケイ券契を奉り家に帰て手をにぎりて立た

ユヒカウリけるか十の指の爪手の甲まで生出て血は

紅をしぼりたるやうにて思死にしけりやがて

アクリヤウ悪霊となりける其ゆへにや清慎公の子孫

は末なく成て小野宮も他家へ傳けると云々

もし此事欽見二旧記一明石入道は大臣の御末也村上院の第一の

クハウヘイシンワウモトカタ御子廣平親王は民部卿元方卿のむすめの

レンセンイン更衣腹そかしそれに御弟冷泉院は后腹

にておはしまし壁により第一の承ことをさし

をきて東宮に立給へり民部卿是をほいなき

事に思ひて死にせしか其後冷泉院御物ミゴくるはしうならせ給ひて御子花山院三条院

とておはしまし侭も花山院は俄に御位を

すて魁御ぐしおろさせ給ひ三条院は御目ゑ

えさせ給はすなとせしか又三条院の御子に

アッアキラノ§︑︒敦明太子と申侍しは御位の御望なきよし

タイシ仰ありてにはかに院号かうふらせ給ひて

小一条院と申きかやうに冷泉院の御末

いつれもすか14︑ともわたらせ給はぬはかの︵川ウ︶ ︑何hV凸ノ︿Ⅲオ︶ ︵Ⅷウ︶ 霊のするわさとそゑえ侍しさて三条院の御

テイシナイシソワウむすめに禎子内親王と申は後朱雀院

ジユタイの御代に入内ありて後三条院をまうけさ

せおはしましてのちに陽明門院と申き其

御すゑのみこそいまの世まてつたへさせ給

へ三条院の御すゑ男かたはたえさせ給ひて

女の方より御子孫をのこし給へる事此物語

にいへる明石入道の事に公私のちかひめこそ

あれ似よりたるやうなれはつゐてなから

しるしつけ侍り是は物語つくれるよりはる人︑

後の事なれと世のことはりはいにしへもいま

もかはらぬ事成へきをや云衣

弄ジュンキョセイシンコウ

入道のおやの事准拠は清慎公の事をおもへり

七イハツシヤウノ将門征伐賞事見二河海一

をんなこのかたにつけたれとかくていとつきなし

といふへきにはあらぬも女子のかたにとは

只此物かたりのうへにて明石姫君の事をの

サウソク給なるへし花鳥は女子のかたより相績の

事をひけり是もよろしき敦但此物語の

うへにて象るへしと也つきなし

夢のわたりに世の中はの奇あたらすた堂夢の義也わたりは

優なる夢の事を書詞のたより也

あやしくひかjく︑しくす畠ろにたかき心さし へ︑山寿ノン/11やl︑

戸 、

lO7

ー ノ

(7)

孟津抄「若菜上」翻刻(二)

十 五 一 三

ありと是は源の入道の心をの心へり明石上

然るへき縁にもつかすは海にもいれなと壁前

にいひしを思出給也又たかき心さしとは入道

の心にあかしの上を高位につかせたく思ひし

を人のとがめたる事をいへり

又我なからもさるましき源もかりそめに後

汕にて肌石上にあひそめつるはあるましき

こと塗思し也然所にひめ糸やのむまれ給は

さてはふかき契もあるやとしるなれとまだめに

象えぬさきの事はいかにあらんともしらさりし

に今はかやうに巾宮にも立給はん事よと思ひ

あはせ給と也この君のむまれ給ひしあかしの女御の事

サセンよこさまに源左遷し給ひしもさては

明石上ひとりにあはん為にこそありつらめ

と思あはせ給と也

カヅガウ心のうちにをかゑて偶仰してとり給也

入道のいかやうなる願をたつれは行ゑかやうに

めてたき夢をか見しと心にをか柔てとり

給ふと也これは又くして源の願をもはたし給へき事ありと也

源も御立願あれはくはへてはたし給ばんと也

そのつゐてにいまはかくいにしへのことをも

〆 、

108

ー ノ

︑00一ノハ︑山︑オ﹄ 源姫君へ教訓也ことの由来は入道の文にき髄給へはと也

あなたの御心はへ紫上の心はへを云

明石上の御子といふことをしり給とて紫上

のことををろかに思給なと也其ゆへに三歳

の時より紫上にやしなはれ給へはまことの

おやと思ひ給ふにた侭いましんしちのおやは

明石上そとしり給は壁紫上をつぎにかし給

はんとの御心なるへし

もとよりさるへき実子夫婦兄弟等を云

おやこのあひだ又えのかれぬ中のとうかんなは勿論也よこさまの他人の情をいふ云なよこさま

にあるましき人の情のあるは大かたの事にて

はなきそと也是は紫上継母なから懇なる事

を姫君にいひしらせ給源の訶也

こ腱になとさふらひなれ給を象るノ︑今明石

上姫君にそひ奉給にもかかはることなくあ

つかひ給へる紫上の心さしの殊勝なるをいへり

れんころに紫上の心をいふ

いにしへのよのたとへにも

花弄ケイホ

ま堅母のたとへ也継母の事うはへは

よきをもさもあらぬかとたとるはかしこき

やうなれとあしき心なるへしと也た堅うへのけ ︵叩オ︶ ︵川ウ︶︑7 ︑nuJ今ノ︵Ⅲオ︶

(8)

しきあしからすはそれをたのまは引かへし

マ︑︿︿継母もつみえかましく思へしと也

昔の継母などの事をいへり継母はうへはま腱

子をはぐ蚤翠たるやうにて下の心はさもあら

いをその子よく見しりてそのあつかひ

にしたがふはかしこさうなれとそれはあしき

と也らう︐l︑しきたよりとはこ槌にては其

子かおとなしくよく分別する心なり

あやまりても我ためしたの心ゆかゑたらん人を

その子のために継母の下心ゆかみたりとも

それも見しらぬやうにうらなくたのまは継母

も引かへしかやうの子をはとてつみえさすへ

きをもおもひなす事のあるそと也

むかしの世のあたならぬ人は

三元大かた世の人々の中の事をいへりあたならぬ

とは実なる人なり実ある人の中はたがふ

ふしある時もかたノ︑とかなきよしをあきら

めなとすれはをのつからくるしからすよく

︐もてなす事なりと也実ある人也実ある人は

人に恨をのこさ鶴れは人の中ことをいへとも

それはやがてはる罷物と也おほろけならぬ

むかしの世と也

ひとりノ︑つふなき時にはま掻子も継母もをのj︑とかなきをいふ也 へ佃山弩ノン/11r1挺

〆 、

l

ー ノ

菫汗我も人も罪なき所あらはるれはくるしから

すと也をのノーまつなたむるをよしと也

さしもあるましきことにかと︲ノ︑しく

さしてもなき事を人の中ことなといへは

それをかとノー〜しく心にくせをつけてあいそ

もなく人と中なとたかひたるははたして中

をはなれをれともそのいこんのこるものと也くせ

をつくるとは心のふしのことをいへり

おほくはあられと人の心の

源の象給ふ御方ノ︑の事也源の見をょひ

給ふ人為をの給へりゆへよし故とは本性由は心たて也さま︐I〜

シナサタメに用捨ありと也此段二巻の品定の心に

かなへり一房故とは本性也よしは心もちゐ也

物を分別する心つかひなり此段箒木の

巻のしなさだめの心にかよへりこの物かたりの

本意をくり返しj︑心をならふへき事をいへり

ヒトヨトニえたりかたありて毎人とる所なきはなけ

れともまたとりわきて我ものとたのまん

人はまれなるよし也

このたいを紫上を大やうにしかるへき人とは

シナサタメいはん也源の訶也此段は二巻の陥定に心かよ

へ恥ソ

河ヒク︑ケ

ひた魁けて沢

戸 、

112

ー ノ

112

﹁Ⅱクン/11r§︑

(9)

孟津抄「若菜上」翻刻(二)

十 五 一 三

花今︑︶明也須まの巻にもありし詞也又よし

ょてもあまりにもってひらきたのもしけなき

も不可然と也是は女三宮の御事か源の

下心にの給也

かたへの人は思ひやられぬかし源の此御詞にてよのかたさまの人にはしら

れたる心也

弄トクシッ

紫上の外は得失さまj︑なりときこゆ

︵マ︑︶源の心をすいりやうして明石上なとは

恩ひやる也

そこに明石上の事いとよしはしかるへき

との事也

むつひかはして明石上紫上との間の事也

此御うしろゑとは姫君のうしろゑの事也

の給はせねといとありかたき御けしきこれはあかしの上の御返答也源のおほ

せられねともと也

めさましき物に紫上はめさましくも明石上をおもひ

給はぬと也

あかしの上の詞也我らをむらさきの上のめさ

ましきとの糸ゆるし給ましけれ共かうまて

御らんししることく数まへ給もまばゆきとつみなきさまに悉皆紫上の明石上に へ旧い﹄ノ/︶〆−1・Tl漣

113

、 三

は何事もとかのなきやうにもてかくし給にいま︑

てもこ壁にはあると也

その御ためにはあかしの上には御心さし

はあるましき也女御をねん比にし給ふゆへ也

うちそひても源の詞也明石上の為には懇

にあるましけれともひめ君の御有様を紫

上のうちそひても象給はぬ心のおぼつかな

さに明石上を紫上の代ともおほしめして

春宮にもそへてをき申さる壗そと也

あかしの上にゆつり給ふ也

それも又とりもちてけちゑんになとあらぬ是は紫上の御うしろゑし給ふこと也

あかしの上おやかほをし給は魁あしかるへきを左

様にもなけれはいよノf︑紫上の心然るへきと也

落着明石上の卑下よきとの心也けちゑん

とはあらはなる心也螢巻にもありし也

はかなきことにて物の心えす是は惣別の

こと也心えあしくひかみたる人はそと立

ましるにも人のためせうしなる事のあるそ

弓︑︶と也

なを所なく紫あかしぶなノー心得よきに

源も心やすきと也河内本にはさてとあり

さりやよくこそよくそ我卑下したると思ひ

給心也

︵寺︑︶たいへはたり給ぬ紫上のかたへ源かへり給 ︵川ウ︶

/ へ

1M

、 ノ

9 −

(10)

と也

さもいとやむことなき源のかへり給ふ御あと

にてあかしの上の心也紫上に源の御心さし

のまさることをおもへりそれもけに/︑こと

はり也人よりも別而然へき心もちの調

たるゆへにかく思ひ給ふそと也

宮の御かたうはへの御かしつきうはへはかりにて

紫上にはおまひおとし給と也源の面むき

はかしつきたまふやうなれとわたり給事も

ときj︑なれは又かたしけなきこと堅也

いま一きは掻女三も紫も同王孫なれと女三は

朱雀院の御子なれはいま一きはまさり給ふ

をいふ也承な明石上のしりうことにの給ふ也

しりこちきこえ給に

花シリウコト後言也源の御うしろこと也

ウシロコーr我すぐせは明石上の御宿世を思也

山す糸を入道の事の翠思ひやるかおほつかな

きと也ふくちのそのに種まきてとやうなりし河或勘文耶輸詑羅かふくちの園に種まきてあはん必有為の都ヤシユタラセウコレノセット云ブヲポソに奥入云誰レ有二此説一此奇證拠不知二誰説頗凡

ソクノゴトカ俗事軟云燕

弄ャ堂タラノ

耶輸多羅の牙奥入に此吾を不用云々奇シホシリシユソセイ躰凡俗也と云を伊勢物語塩尻の注俊成卿 ︑洞hU﹃ノ︵Ⅲオ﹄ / 一

115

、 ノ

︑RJ﹃ノ〆Ⅱオ﹂ 不用云々凡俗なるによて也た槌しらすといひ

シユシヤウフクプンてありなんと一房殊勝事也た豊福分の

種ありと心得てあるへしと云々尼公の

心也此詞いやしきやうなれはた侭とかくに

あつかはす行末たのもしき心とはかりみる

へし

後の世を思ひやりつ侭現世はさるへけれは来世

をもたのむよし也

大将の君はこの姫君夕霧に女宮をはしめつ

かたは朱雀院よりたひ給はんなと罷御心ぱへ

有しにより聯心をかけ申さる槌也

大かたの御かつしきにつけて源の心にも入

給はぬに付て夕霧なともしかj︑とは

あられとおりノ4︑参りなれ給と也紫上なと

はかりにも参給にくきによりかくいへり

河カホョキヒト

かたち人みめよき人也貝人

物思ひなけなる御あたりとはいひなから何事も

のとかにわかやかに心しつかならぬ人の中に又のとか

なる人もあるへしされと人々のわかき心ち

なけなるにましりて順してあるへし又云

心は明白也又心のま畠にしつかならぬわらはな

とはましてめにつかす御覧するよし也云為

はなやかなる人たちはかりなる中にも又のと

117

へⅡフノ/11やl理

(11)

孟津抄「若菜上」翻刻(二)

十 五 一 三

かなる心もちたる人もあるへし又下に

おもひのある人もましる也されとのとかに

うちしつまりたる人々も此はなやかなる所

にひかれてそのかたにみななる也人の

心はともたち又すむたちによりてうつる物

也かやうの所心を付へし

身に人しれぬ思ひそひたらんも又まことに

心ちゆきけに物思ひある人も心ちよけなる人にうちまし

れはそれにひかれつ侭おなしやうに承ゆると也

二云々さやうに人々あまたある中にも下の心に

物を思人のあるも又まことに心ちゆきて

何事も心にと槌こほらすある人にましりて

ゐれはをのつから其人にひかれて恩ひなき人

おなしやうなる物そと也機嫌よき人にまし

はれはわるき人も同心になるものそと也

ひとつさまに源の物をひろく承給ふ御心

なれはみゆるし給と也けにこそありかたき世なりけれ夕きり

の世中にしかるへき様躰はなき物そとの

心也それにつきても紫上の事をいょノー

きどくと思ふ心也

紫の御ようい世にもりいてさると也

見し面影も野分のまきれに紫上を見給し事 ︵川ウ︶ ︵川ウ︶︑00﹄ノ行Ⅱ︑オ︶ わか北のかたも雲井鳫也哀に思ひ給ふ

かたはふかけれとも上砿しくなとはなき人

なりと也

をたしき雲井鴫を得ては又こと心もなき

をいま源の女三宮を得給へるを見て心も

聯みたる巽と也

この宮は人の御ほとを思にも女三宮は御

くらゐの事はせひにをよはすされともと

りわきて源の御気色もなく人めばかり

にあつかひ給と承えたると也

みたてまつりしる人めはかりにし給へる

をしかるへからすと也

この宮を女三宮を朱雀院かしつき給ひ

ていかやうにもとおほしめすおりふし衛

門督君申入しに院もめさましくはおほ

しめさ魁りしと聞しと也

女房のたよりに女三宮に小侍従とてあり

女三宮の御めのとのむすめ也柏木のめのと

のために小侍従はめい也柏木のめのとは

女三宮のめのとの姉也

かたしけなくとも心も有ましき物をと也

柏木数ならぬ身なれとも源のやうにさる

物思ひはさせまいらせしと也

けにたくひなき朱雀院の我をきらひ

/ 、

119

理 三

/ へ

119

、 ン

− 1 1 −

(12)

給ひて源へいれ申さるれと紫上にをされ

給へは柏木の思ひしこと槌也柏木には相当

せすとも只今のやうに物はおほしめさし

〆ノ哩卜と也小侍従といふ女三宮の乳母柏木の乳母のめい也私云師説小侍従の母三宮の御乳母といへり

︵マ︑︶いか筥

おと堂の君もとよりほいありておほしをきたる

かたに源の御山こもりの事也源の紫上に心をつけはて給は侭と也

源も世中さためなきとて御隠遁あら

は其時は柏木の心やすからんと思ありくと也

ほいありてとは源の世をかれんとの本

意のこと也

大やけわたくしにことなしや禁中なとにも

御遊はなきかと源の尋申さる槌也こゆ象いさせて間云小弓のやういか二勘

雀小弓の事なり別なる義なし

マⅡ

みたりかはしき事の鞠をいへり

しん殿のひかしおもて桐壺はこなたにわたり給へは今は御るすの

折ふし也まりのか壁りは南庭にあるよしみえ

弄たり

寝殿の南むきとすゑに承ゆ南の東より

にや此程は桐壺まし71〜たるかた ︵伽ウ︶

/ へ

120

、=ノ

よしあるか掛り木陰なるへしよしある所といふ也

花烏に西對の東おもて鞠のか槌りと云灸いか堂

ホウゲンまりのか侭りをうふる事は保元に内にて

きりたてあり是はじめとみえたり又西の

對といへるおほつかなし只しん殿の東とは晩

景には西へよりて蹴鞠ありと象えたり階

の束なるへし

おほきおほいとの職君たち頭弁兵衛佐大

夫の君いつれも太政大臣の息兄弟三人也弁の君も弁官は儀式官なれは也かやう

のあそひなとをはおもてにはさたせさる官な

るへし

カソタチメ上達部衛府司なれは也自然源をは蚤かりて

掛酌もありやとてかくの給也

シウかはかりのょはひ源の詞上古には老後には蹴

キクナリ雷︑チヒマンケル鞠は掛酌ある也成通も五十未満まて蹴也

ヨリスケアゲマリ頬輔六十七のとし上鞠せしは一段の事也・

さるはいときやうノ︑なりや軽を也鞠の事也承たりかはしきあそひを云也一勘花鳥に乱すと云左鞠の遊の躰巍たり

かはしきさまなる事也しつやかならぬ事

にやさるはとは前のことはにまりに心のひく

やうにいひしに對すつねにいへるきやう︐j︑

といふは一篇にことさたまらさるをいへりこ醤は ︵皿オ︶ fへ、

121

ヘーノ

︵皿オ︶

(13)

孟津抄「若菜上」翻刻(二)

十 五 一 三

ゑたりかはしき心にいへりいつれもおなし心

にやこのことのさまよといふもしつかならぬとの

心なるへしもえきのかけ花はちりたるあと也

木のめのあを/︑としたるをいへり

はかなき事なれと鞠のことをいへり

象はしのまにあたなるさくらの陰に

鞠をうへよりは見おろさぬ事に人灸心え おと魁も宮もすみのかうらんにいて腱御覧す よる也 寝殿の南むきに階間なるへし次第ににしに

花参ノマ

たれと人によりてか槌ることもありし也

すみのかうらんは東の對の西のす象のかうらんなるへしすみのかうらんとは東也

かふりのひたいすこしくつろきたりた魁まりにくつろきたる心成へし

やうだいをつくろふ上らうも鞠にぶたれて

冠のくつろぐにや又あせなとにてくつ

ろぐ歌大将の君も夕きりもくらゐよりは鞠に

行跡を象たりたる也

ヲモテシロクウラスハウ

さくらのなをしの表白裏蘇芳

さしぬきのすそつかたすこしふくみてけし

きはかりひきあけ給へりふくらむとはなへはめる事也さしぬきのそはと

戸 、

123 オー

ー /

︵皿ウ︶ る事家灸のつたへかはれり花鳥はさしぬきのすそとる事家々の説かはれりと云為是はまりをけるにつきて種々の説ありと云々此時分はさやうのさたにをょふへからすとりへす常住のさしぬきすかたなるへし浮文のさしぬきともをいふなるへししほれたる枝すこしをしおりて花スケ子ノ資雅卿は懸の枝を腰にさしてけたるょ

しぷえたり是は花の枝をなにとなく折たる

シウにや資雅卿は宇多源氏佐々木野と云蹴

キクアリマサ鞠の家也有雅卿の子也有雅は後鳥羽院

キクソク御時の鞠足也弄フナリ︑︑チ鞠の譜等成通卿以後ありき又宇多源氏

スケスケ資雅は有雅子也後鳥羽院の御代に彼資

ケレマリヲゼンカウ雅折花差し腰蹴レ鞠事有之一禅閤

鞠にあたりてしほれたる成へし

花みだりかはしくちるめりや桜はょぎてとこそ

なと旦吹風も心しあらは此春は桜をよきてちらささらなん

ラウセキカゼキヤウシテノチミタリカハシ

落花狼籍風狂後麻

宮の御まへ女三宮也

れいのことにおさまらぬけはひ女三宮の御方

はいつもしつかならぬさまをいへり

春のたむけのぬさふくろにやとなんへ別当ノン〆11︐︑

/ へ

124

、 ー

︵脇ウ︶

− 1 3 −

(14)

河タムケ同同同 手向斎礼手祭享礼

シウイぬさふくろはすき袋也拾遺云物へまかり

ける人のもとにぬさをむすひふくるに入てつ

かはすとて能宜︑あさからぬ契むすへる心をはたむけの神そしるへかりける

後撰云あひかたらひける人のあからさまにこしへ

まかりけるにぬさ袋なとつかはすとてよぶ人不知︑我をのゑ思ひつるかのこしならはかへる山にはまとはさらまし

春のたむけとはやよひのすゑなれは春のく

れて行手向といふ心也ぬさを旅の手向︵蝿オ︶

にすれは春のくる侭を旅にゆくにたとたる也ぬさは色有の紙をきりてすきたるふくろ

に入たるにやさて衣のつまのすぎかけに

たとへたる也

弄タウソシン

旅にたつ人にぬさをつかはすは道祖神に手

サイノ力暑︑向て無為にゆくへきと祝する心也折節三月なれは春の手向と害リ三月のすゑなれは春

の暮て行たむけを云也道祖神にたむく

シウイるぬさに衣のつまともをまかへたる也拾遺

集のことばかきにも物へまかりける人のもと︵鰯ウ︶

ぬさをむすひふくるにいれてつかはすと

てとあり心をいは掻女三宮の御かたの人々

ぶすのひまよりこぼれ出たるさまは花をす

きふくるに入たるににたるとの心也又ぬさ を袋に入てたひ人にやる事あり何扁すきたる心也ひこしろふ程にひきつる心也

ヤワ.ウネコニ|プトラニチイサショク・トッテネスご︑ヲスカテトからねこ野王案云猫似レ虎而小能柿し鼠為し級うちきすかたにて女三宮也

はしょり西の二のまのひんかしのそはなれは階より西にゑやれは二間にあたれるひかし

のはしらのそはといふ心也

弄シンテン

問云まへの詞に寝殿の東面にてとみえたりこ侭

︿シに束のそばといへるいか槌一勘階の間も東のか腱

レソリのかたにあるへき欲東のそはとは簾中の

東の柱のそはといふ心にやいさ蚤か心得かたき

イマタァンシエカサネテヘシさま也猶思案あるへし一段未案二得一之重可

ノクフシヨソンヲヨテコ︑ニノソクレ述所存価除之也ハシマ階の間の二間め也柏木のやすむ階より

二間はかりへた槌りてみゆるやう也

すきj︑つきノーにかさなるをいへりしたい

j︲︑の心也

さうしのつまのやうに衣のかさなりたるは

さうしのはしのやうなる也

御そのすそかちに女三宮御たけちいさき

心にや

見かへり給へる女三宮の御すかたをいへり

我心ちにも夕きり也いまちとは拳まいら ︵Ⅷウ︶

〆 ー 、

126

、−ず

(15)

孟津抄「若菜上」翻刻(二)

十 五 一 三

せたくおもへと也

ましてさはかり心しめたる衛門督はむねふ

たかると也

さらぬかほにもてなしたれと夕きりの心也

柏木はぷぬかほをし給へとも慥に見給けるよ

と女三宮の御ためいとをしく思ふと也

たいの南おもてにいり給へは東對の南のひさしのかた也むらさきのうへすゑ

給ふかた也紫上の御かた也

わらうた圓座也

河ツハイモチマシバ

つはいもちゐ栫餅鞠場にてもちいる

物也

そほれとりくふされくふさま也

から物はかりしてくた物はかりといふ心也

大将は心しりに夕きりは柏木のや魁もすれ

は花のかたを詠やるはみすのうちのゆかしさに

こそとよくその心をしり給ふと也

いてやこなたの御ありさま南おもてなれは

紫上の御かた也夕きりの心世のおほえのほと

よりは女三宮のかやうにはしちかなれはこそと

見おとす也紫上のかたは左様にかるI︑し

くなきとの夕きりの心也

なをうちとのようゐ外も内灸もおさなか

ましきはいとをしきやうなれと心えなきも ︑00﹃ノ︵Ⅲオ︶

′ へ 、 197 1 ム l

︑可l﹃ノ〆mL1オ﹂ のそと也されは夕きりの女三宮のかたを思ひおとすと也内外の用意也

ょろつのつみ我とかになるつきことをも分別

せす思ひのほかなるひまより女三宮を見奉

てた壁ならぬ心と也

物のすちは柏木をほめ給也鞠なとの はかなき事まてはくはしくをしへ給事ある︵皿ウ︶

ましきを天然のきとくなるすちにてあり

けるよと也云をまりなとほとの事にはつたへ

あるましけれとも物のすちとて柏木の父

にをとらす上手にてめもをよひかたきと也はか﹄j︑しきかたには柏木のほ魁ゑゑての詞

也然るへきかたには家の風もぬるくてたとひ

此鞠にて後の世まて吹つたへたりともさし

たる事あらしと也ぬるくとはたきらぬ心成

へし

家の風さしも吹つたへ侍らんに︵Ⅷオ︶

久かたの月の桂もおるはかり家の風をもふかせてしかな

いかてかなに事も源の詞也かやうの事はったへ

なとにのせてもよかるへきと也

か良る人にならひて源にならひては心うつし

給はしと柏木の象るめ也云々柏の心也源の御

かたちのにほやかにきどくなるに又女三宮も

15

(16)

ならひ給御かたちなれはいかてか我らには心

をうつし給はんと也

いとこよなく柏木我身のほとをしるにも女

三宮の御あたりへはまたはるかなる身のほと

なれはむねふたかりて退出し給と也まかて

給ぬとある本あり又まかりて給いともあり

心は同し

なを此比の柏木の詞

宮の御事の女三宮の事也柏木の心也

院にはなをこのたいにのみ源は紫上の御かた

の翠心よせ給と也中の御おほえのことなるあまたおはします

中にとりわきたる御おほえなりと柏木

の給也

たいj︑しき事いかてさい有へきといふ心也夕きり返

答也紫上はおさなくよりそたて給ふにより

て心やすきかたにこそあれいかてか女三宮

にかへてをろかにおほさん源氏やんことな

く思ひ給ふと也

ヤシナイこなたはさまかはり紫上はおさなくより養

給ふそのしたし象のある成へし

いてあなかま柏木の詞也ないひかくし給

そくはしく聞たると也

戸 、

17q

▲ 再 U

︑nU色ノ戸脇オ︶

へ刎山汁ノン/11▽︲︑ さるはよにをしへた掻ぬ人の御おほえを

女三宮はをしなへての人の御覚にてはなき

ものをと柏木のいとをしかる也

○いかなれは花に木つたふ鴬の桜をわきてねぐらとはせぬ

鴬は花にねぬ物なるを源の女三宮の方に

とまり給はぬをいふ也心は源を鴬にたとへ

又御かたノ︑を花にたとへたり花の中にも

桜を第一とするに何とて源は女三宮の桜

に夜かれをし給ふといふ心也惣別鴬は桜

花にはねぬ物といふ本説を下にもちてよめりさくらひとつに

鴬は桜木にとまらすと云々女三宮に源

の夜かれ給ふ心を下にもちて柏木のかやう

にくちすさふ也

いてあなあちきなの夕霧の心推量に

たかはす心をかけたるとみゆる也

○深山木にねくらさたむるはこ烏もいかてか花の色にあく

へ曇ご夕霧返心は紫上はまへよりおはしますみ山木

にたとへ源をはこ烏にたとふ女三宮を花

にたとへたりいかに深山木にねぐらをはさた

むるともなにかは花の色にはあくへきと

宮の御うへをょきさまにょめり河ハコトリ同カホトリイ:キウ

杲烏箱烏或は貞烏の異名云炎貝

プクロ烏は臭の一名也 ︑11今ノ︵旧い︐オ︶

ノー、

131

、−ノ

(17)

十五一三孟津抄「若菜上」翻刻(二)

へ深山木によるはきてなく箱烏のあけはかへらんことをこそ

万思へ

へあさいてにきなく箱烏なれたにも君にこふれは時をすヘ

ユウリヤクテンワウノュぱもく雄略天皇御時美作国つるき山といふ所に

相見乙人といふ人の婦女子ををひて山中

を行とて鷲にとられてはやこノ︑とよ

ひしに死たるゆへにはこ烏とはいふ也はこと︵醜オ︶

ははやこといふ心也︑貝烏のまなくしはなく春の野の草のねしけき恋もするかな八雲抄かほとりは定家卿も不知之た堂うつ上タチくしき烏也といへり常陸国に杜若をかほ

ミヤマ花といふ此花のさく時なくといふ今案太山

ハコトリ木にぬるといへは先は箱鳥正説也象やま木

に紫上にたとふ花の色は女三宮をいふ也

はこ烏の事花鳥にみえたり深山にす桑

なから花をもわすれしと也女三宮にへたて

は有ましきと也︵醜ウ︶

わりなき事ひたをもむきにやはといらへて

夕きりの詞なとか紫上ひとりには若

し給はんと也女三宮のかたてうちにをさ

れ給と柏木の侭給へさやうにやはと夕ぎ

りのいらへ給ふ也

ひたおもむきさくらひとつに何しにと也

ゆふぎりのむつかしく思ひていひまきらはし

給ふ也 かんの君は柏木は内府の御方にまた北方

もなくひとりすみにてゐ給ふと也

思ふ心ありて柏木の心に我妻にも宮達な

らてはさたむましきと也ひとりあれはつれ

ノー︑なることもあれといかてかほいをとけさ

らんと太政大臣の息なれは心おこりして

たのむ心也花クシイタク同この夕よりくしいたく頭痛也又苦捕也ヅツウクッウ女三宮を承給ひしゆふへより柏木に思ひ

のつくよし也

ともかくもかきまきれたるきはの人こそモノイ︑︑カタLカヒかる︐I︑しき人は物忌又は方違なとといひて

うつるふ時もあれはをのつから隙をもうか魁ふ

に是はやるかたなくふかきまとのうちにおは

しませはいかなる便にかわか心のかやうなるとは

しらせ奉るへきと也

ふかき窓のうちに

河ヤシナハレテアリシンケイ↑|ヒトイマタシヲス

養在二深窓人末膨識おくふかきをいへり詞

をかりたるはかり也

小侍従かりは小侍従かもとへといふ心也

花鳥説いか皇かりは妹かりと同心也

風にさそはれて象かきかはらをわけいりて待し

フミコト◇文言也承かきか原とは六条院の垣のうちの

ミカキ事をいへり名所にはあらす御垣の松なと

/ へ

134

、 ゴ

戸 、

133

ー ノ

ム リ リ

司 房

l/

(18)

もよめり又禁中にて人をみそめてよめる

立かへり又やわけまし面影をゑかきか原の忘れかたさに

いと掻いかに見おとし給ひけん女三宮にその

夕ゑえ奉るへけれはさそ御らんしおとしつ

らんと卑下し給ふ也

あやなくけふもなかめくらし侍なと引吾

ほのかに象たる心よくかなへり︑象すもあらす象もせぬ人の恋しくはあやなくけふやなかめ︵剛ウ︶

くらさん

○よそにゑておらぬなけきはしけれとも名残恋しき花の夕陰

柏木也心は女三宮の花をよそにのみぶれは

柏木のなけきはしけれともほのみし女三宮の

夕かけか恋しきと也女三宮の花をわか物に

してえおらぬとの心也

一日の心もしられは柏木ほのかに見たて

まつりしことをは小侍従はしらさる也

心くるしけなる小侍従我心なから行末は

柏木の心くるしけなるを承給あまる事や

あらんと也あるましきこと畠は思ふよし也︵噸オ︶

小侍従が女三宮に申詞也柏木のあまりに

心くるしさうなれは此返事むようとはおもへ

ともあまりにしゐての給は笛御返事あ

れと申事もあらんみつからか心なから行すゑ

はしりかたきとの心也承もせぬといひたる所を引寄に詮すも ゴンあらすみもせぬ人の恋しくはの心に文言をかきたるにてさてはわれをかしは木はゑたるよといつそやのゑすのつまをおほし

あはせ給て御かほのあか詮たると也︵脇ウ︶

あやなくけふやといひしすゑ也心のうちそ草子地也つれよりも御さしらへなけれは女三宮源

をは猶かり給ゆへにいつよりもさしいらへ

もし給はねはしてゐてはえ小侍従か申さぬと也

れいのかくれいとは小侍従たひノ1︑返事

したる詞也つれよりもとある詞に宮も

前は御返事し給ふとゑえたり

つれなしかほをなん

柏木おもひをしのひ給しといふ小侍従︵剛オ︶

そソゴンッレナツ文言也鞠の時柏木の難面かほをつくり

給へと下の心は推量したると小侍従かかく

心也ゆたんなくつれなきかほをし給よと也河義孝集︑わひぬれはつれなしかほをつくれとも快にか壁る雨のわひしさ

鞠の時は柏木のつれなくしらぬかほにつくり

給ひしかと下の心さもあらしとゆるす心な

かりしと也

みすもあらぬやいかに花シ︑ウ侍従は承すのつまより見給し事をしらて

返事したる也前に柏木の見給ふことをは︵剛ウ︶

(19)

孟津抄「若菜上」翻刻(二)

十 五 一 三

しらればいかなる事をいふと也

あなかけノー︑しとか鶴りかましきとてはし

りがきにかく也早筆のさま也

今さらに色にないてそ山さくらをよはぬ枝に心かけきと

小侍従返心は女三宮を枝にたとえ柏木を

さくらにたとへたりをよひなき枝に心をか

け給ふ事を色にな出給ひそしのひてこの

ま蚤にや承給へといさめたる吾の心なるへしをよはぬえたなれはおらはやと思ふ心を

色にないてそと也おらぬなけきはし

けれともいふ軒をうけたる也

かひなき事とあり是も柏木のいかに なん ︑白雲とみゆる桜もある物ををょはい枝と思はさら 河うつぼ

なけき給ふともそのかひあるましき事

かと也

/ ヘ

マ n 句

い I

、=ノ

︵岬型オ︶ 前半︵年報6号︶部分の正誤表

丁・行数一誤

羽オ・1 妬ウ・9 盤オ・9

髄ウ・5

泊オ・9 師ウ・5 皿ウ・皿 虹ウ・9 銘ウ・4

館オ・8

兜ウ・5

×に浅香のかけはん

引嵜なけきこる山とし

×御身まての事は

×︵マL︶穫合香次皇章

×ケソシヤウ玄上

×あるによりて

×夢に見給ふと

×ゼンエ善恵仙人之事

×フシ十ホックハンリキ佛井の願力

×ねかひはへる虚に

×七身を施し給ふ心歎

ホトコ ○等浅香のかけはん

OOO引吾なけきこる山とし侭1

0我身まての事は

○種合香次皇肇

ケソジヤウ玄上

なるによりて

O夢に象給ふと

センエ善恵仙人之事

フッホ十ックハンリキ佛井の願力

O|ねがひはへる虚に

O身を施し給ふ心歎一ホドゴ

1 9 −

(20)

右に翻刻した黒川文庫本﹁孟信抄﹂若菜上巻の概要については︑本誌六号所載調査報告十五二に記した通りである

が︑其の後の調査により得た知見にもとづき︑左に補っておくこととする︒

すなわち︑その一は︑書陵部蔵中臣祐範筆﹁孟津抄﹂との関係である︒右報告において述べたように︑その前半部七三

丁オ四行目までは︑この両本は本文上は殆ど相等しい︒但し︑その最も大きな差異は︑黒川本は項目立てが原則として明

示されており︑それと注文との間には︑原則として改行が施されていることで︑これは︑祐範筆本の桑ならず︑九条家旧

蔵の伝自筆本にも見られぬところであり︑むしろ内閣文庫本﹁孟津﹂など︑江戸期の整序された写本類に見られる特色で

ある︒この限りに於て︑該本は︑その書写年代から推して︑祐範本と同一書き本を持つかという︑さぎの報告における仮

説は一部保留しておきたい︒なお︑これにかかわって︑本巻にはさまで見られぬとはいうものの︑総体として黒川本で

は︑漢字に傍訓を加えてある巻が極めて多いが︑祐範本にはこの特色は見られぬことを付記しておく︒

第二の問題は︑細流抄との関係である︒桃園文庫本桐壺巻頭の自筆序文および内閣文庫本など流布本夢浮橋巻々尾の陶

化翁の漢文肱などによれば︑公条の講釈を聴聞して成ったとされるにもかかわらず︑現行細流抄︵および明星抄︶の引用

とおぼしい注文は︑伝自筆本︑祐範本︑而して流布本のいずれたるとを問わず︑すべて見ることはない︒もっとも東海大

学図書館および天理大学図書館に蔵される九条家旧蔵伝自筆本︵本行部はほぼ祐筆の手跡と考えられる︶には︑細流抄

︵時に河海抄を含む︶を抄出した挿入紙を持つ巻があるが︑これは逆にいえば︑本行部分には︑細流抄が用いられなかっ

たことを意味しよう︒そして現行孟津抄は︑古本・流布本のいずれたるを問わず︑この挿入紙は本文化していないといえ

る︒然るに︑この黒川本若菜上巻の後半︑すなわち祐範本欠脱部には︑まま細流抄と同文の項目が見出されるという事実

があることを指摘しておきたい︒この事実については︑更に全冊にわたって詳細の調査を要するので︑ここではこれに止

八解説V

(21)

十五一三孟津抄「若菜上」翻刻(二)

めておくが︑その混在する形態からして︑挿入丁を本行化したものとも考えられない︒また︑首耆源氏︑湖月抄など孟津

抄を引く諸注が︑通行本文を引くところからぷても︑この部分の本文は︑いまのところ孤立している︑としか言いようが

ないp因糸に︑河海︑花鳥︑弄花など肩注を付して引かれたぱあいでも︑その引きざまは︑伝自筆本︑祐範本のそれより

も︑内閣文庫本等通行の江戸期写本群のそれに近い︒

第三に︑本冊に書き入れられた朱筆の○印および合点である︒いずれも和歌の所在を示すものであるが︑これは祐範筆

本等には見られないものであり︑且つ︑本冊においても七四丁以前にはない︒︵但し墨筆の合点が﹁権中納言﹂﹁衛門督﹂

について六七オに翠られるが︑前者については祐範筆本にも存在するものである︒また一三○ウニ行目﹁さ﹂としたもの

は︑紺色の行菱を貼ったものであるが︑これも祐範本にはない︒︶これも本冊後半部の特色の一つと考えられる︒かた人︑

不審を散じえないが︑いまの処明解をうるに至っていない︒

なお︑桃園文庫本の再調査に当り︑再び原岡文子︑大迫重治の両氏に御高配を賜わった︒記して謝するものである︒

の T

− 乙 L −

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