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Vol.117「【特集】ルネッセ「交」−交流(つながり)を問い直す」 - 書籍・出版/CEL【大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所】

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Academic year: 2021

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(2) C O N T E N TS. 特集. ――交流を問い直す 「交」 つ な が り. Special Feature / “Society” – Reframing the Interaction. 対談. 02. 交流を問い直す. 松岡正剛[㈱編集工学研究所所長]× 池永寛明[大阪ガス㈱エネルギー・文化研究所所長]. 対談. 08 「天下の台所」に学ぶネットワークと豊かなまちづくり 安田雪[関西大学教授]× 稲葉祐之[国際基督教大学上級准教授] 対談. 14 「講」的集団とかつてのインフラ事業に学ぶ「交」のあり方 長谷部八朗[駒澤大学学長]× 尾田栄章[㈱尾田組会長・日本水フォーラム元代表理事]. 20 入唐僧・空海が日本にもたらしたもの 川﨑一洋[四国八十八ヶ所霊場第 28 番大日寺住職]= 文. 連続特集企画「ルネッセ ︵再起動︶ 」第2弾では、. 「交流 ︵つながり︶ 」を問い直すことで、. 都市や地域に埋め込まれた本質を掘り起こし、. 現代とつなぎあわせて. 新たな価値の創造の仕方を考えています。. かつて、そして現在も、. 水路・陸路の結節点には. 物とともに人・情報が集まり、. 交流・変換が行われています。. 内と外からの新たなもの・優れたものと、. その場が持つ本質とを掛け合わせ、. 交えて流すという「トランスミッション」を. さまざまな場から問い直します。. 28 近世の公用交通路と情報の伝達 丸山雍成[九州大学名誉教授]= 文 34 木村蒹葭堂のネットワークにみる知の交流 有坂道子[京都橘大学教授]= 文 42 創造性豊かな 「民」の都市に花開いた大阪のデザイン 井川啓[京都光華女子大学短期大学部教授]= 文. 48 . [連載]. ことばと交. 方言分布が見せる「坂」 「崖」 「峰」 大西拓一郎[国立国語研究所教授]= 文. [エッセイ]. 52 わたしと奈良 はな[モデル、タレント]= 文. 表紙・扉/ 「菱垣新綿番船川口出帆之図」 (含粋亭芳豊画) 。大坂・安治川河口で、 新綿を積み、江戸へ向けて競う菱垣廻 船と見物客を描いたもので、初物好きの 江戸にいち早くその年の新綿を届けるべ く菱垣廻船同士で競争する行事が毎年 秋に開催された。 所蔵/大阪府/ Osaka Archives. [書籍案内]. 54 「交流」 を問い直すための 10 冊. [CEL からのメッセージ]. 北前船はなにをはこんだのか ? 池永寛明.

(3) 日本文化にある インタークロス性. つ な が り. 交流を 問い直す 生活文化の基盤であった都市に 埋め込まれた価値を取り戻し、 再起動へつなげる 連 続 特 集 企 画 「 ル ネ ッ セ( Renesse )」。 弾では、前号に引き続き 第 スーパー・ア ドバイ ザー の 松 岡 正 剛 氏 と と も に 、. Ikenaga Hiroaki. Matsuoka Seigow. 都市における交流のあり方をテーマに語り合う。 増田智泰 =撮影. 対談 [㈱ 編集工学研究所所長]. 松岡正剛 池永寛明. でいえば、仏教や儒教のように外からやってきた. の視点がズレることもありますし、歴史的なこと. 池永. 性が日本の「交」にとっては大きい気はしますね。. ろでもコミュニケートして交を起こす。この多重. [大阪ガス㈱エネルギー・文化研究所所長]. 文物が交わるということがありました。. それは大阪ガスがやっている実験集合住宅 」の「中間領域」という考え方にも. どうも「大阪人」というと、あるイメージを抱. 号では「交」、交流を問い直していきたいと思い. 」)で す が、 前 号 の「 場 」 に 続 き 今 Renesse. ス」という語がありますが、日本は万葉の頃から. う よ う に、 境 界 を 越 え る と い う 意 味 の「 ト ラ ン. ロスやトランスミッション、トランスファーとい. 「インタークロス」です。英語には、トランスク. 易、 交 流、 交 通、 そ れ か ら 交 換 で す。 要 す る に. いった土間や縁側、庭や露地のような世界があっ. 重 要 で は な い か と 捉 え て い ま す。 か つ て は そ う. れからの住宅のみならず都市や社会構造において. 領域」と名付けていますが、この中間領域が、こ. ら公の空間でもある、内と外の間の空間を「中間. つながっています。プライベート空間でありなが. 「. かれて、個人という主体が見えづらく、交流する. インタークロッシング型に文化や言語、モノを交. たわけですが、現代は空間として無くなるだけで. ですが、今一番考えるべき「交」は、交際、交. 主体や対象が何であるのかが見えなくなっている. えるということが多かった。それが「交わり」と. なく、使い方がわからなくなっている。. 池 永 前 号 か ら 取 り 組 ん で い る「 ル ネ ッ セ 」( 再 . ように感じています。しかしこの主体や対象が見. いうことです。これをどう捉えるべきかが、いま. 内と外の間、私は「リミナル」と呼んでいますが、. なぜインタークロスが重要になったかというと、. れ切れになっている。共のなかに交がたくさん出. のですが、それが単一化したり、短すぎたり、切. 「交」につなげること。点が交わることが必要な. つながり. えないという問題は、大阪に限らず、近畿圏、日. だ議論されていません。インターとトランスの違. 松岡 そうですね。公と私が交わるところには、 中 間 領 域 で あ る「 共 」 が 出 て き ま す。 「共」を. 起 動「. 本が抱えているように思います。そこでまず、交. いを考えたほうがいいと思います。. を考えるには、外からの活力が集まって交わるこ. 内と外の間にもうひとつあったのです。中国のよ. てこなければいけないのに、共が生まれるところ. ます。. わる主体と対象の個性、オリジナリティが何であ. とができる、環境や風土についての考察も欠かせ. うに家の四囲を囲んでしまう文化ではなく、開け. るかを明らかにすべきではないか。さらに、「交」. ないのではないか。この視点の重要性は、インバ. まできていない。中間領域が単調なんですね。. ひさし. 放しでありながら内と外の間に軒や庇、縁側、生. のき. ウンドの文脈で語られることはありますが、海外. 垣などをつくるということですね。そうすると内 きわ. の人を対象とするのみならず国内の人々に対して. と外が呼応する間、際に何かができている。これ. 「和魂漢才」 「和魂洋才」にみる 日本型翻訳技法. もなければならない。松岡先生には、多様な意味. がインターではないか。茶室でいうと内露地、外. さん. 露地、さらに古田織部や小堀遠州の頃の中露地と. 池永 インバウンドで注目が集まっている高野山 で す が、 松 岡 さ ん は 高 野 山 の 始 祖 空 海 に つ い て. や. を持つ「交わり」という文字の読み解きなども含. いったものです。外に縦断的にコミュニケーショ. 『空海の夢』という本を書かれています。空海に. こう. めてお話をいただければと思っています。. ンするのももちろん大事だけれども、小さなとこ. え み し. 松岡 日本における「交」は、たとえば蝦夷、陸 奥、大和、博多といったように地域によって「交」. 2 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 3. 2. N E X T 21.

(4) か っ た の で、 ボ ー カ リ ゼ ー シ ョ ン と し て の 言 葉、. 松岡 まず、日本は長年にわたる無文字社会だっ た と い う と こ ろ が 大 き い と 思 い ま す。 文 字 が な. が、どのようにお考えでしょうか。. は、「交」の観点としてもポイントだと思います. 入れ日本的なるものを生み出してきた日本的翻訳. 代表されるように、外のものや異なるものを取り. かと思います。. するだけでなく広がりを与えていったのではない. していった。文字をたんに翻訳、トランスレート. けど同じ、同じだけど違う」ことを日本的に翻訳. 池永 禅問答も重要だったのではないでしょうか。 外国のコンセプトを翻訳して問答しあい、 「違う. いるように思います。. 味で、日本的翻訳には画期的なメソッドが潜んで. すごいところです。しかし最近のグローバリズム. 学んだわけですね。こういったところは、日本の. れ、東洋という言葉や資本という言葉を日本から. いう言葉にしたことを、中国が驚いて逆に取り入. 説」という言葉にし、 「ソサエチー」を「社会」と. 村正直や西周、福沢諭吉が、 「スピーチュ」を「演. 空間力、それを洋においても行ったわけです。中. 才のメソッドにあった、間の創造力やリミナルな に し あまね. ボーカルランゲージが豊富になります。ボーカル には、和魂漢才の頃から続いてきたものがない。. ビジネスにみる つながりの重要性. まさなお. なもののなかには「書く」「読む」というリテラ. 松岡 禅問答のもたらす暗示世界と間接的な表現 力、 「こういうものやろ」と絵にして見せるとい. シーがなく、オーラルで伝え合うぶん、日本人は うのが日本的な翻訳力だと思います。 池永 そのように立体的に組み立てる能力を、さ らに「天下の台所」時代の大坂には感じます。. 「交」も早かったのです。. 日本的翻訳という観点からいうと、幕末から明. 漢字は外からきたものですが、徐々に日本のも のとしていきました。 稗 田阿礼の語りを 太 安万 侶 治にかけて、西洋の文学や学問を日本人は一気呵. いけ. まつ. ろ. が万葉仮名に置き換えて、訓読みや音読みにして. 蝦夷の海藻を見て昆布にしてそれを出汁にして上. ま. いく。たとえば池永の「 池」や松岡の「 松 」は音 成に翻訳していきます。たとえば「ソーシャル」 方料理にする、菜種を見て菜種油にして江戸時代. おおの や す. としてはあったけれども、文字としては、後にあ を「社会」に変え、 「エコノミー」を漢籍から経 の夜を明るくするというように、全体像をイメー. れ. て は め て い っ た わ け で す よ ね。 そ こ に ト ラ ン ス 世済民の「経済」を取り出すといったように、も ジしてビジネスフローを組み立てましたが、まさ. あ. レーション、翻訳が出てきます。つまり「あては ともとの漢籍の知識をプラットフォームに読み取. が 活 か さ れ た。 西 廻 り・ 東 廻 り 航 路 と い う 水 路. ひえだの. め」が起こる。これも「交」なんです。世界のグ り翻訳していく能力がすごいのではと思います。. ネットワーク、インフラをベースに全国から原材. にさまざまな領域で構築されてきた日本的翻訳力. 綿花を見て着物にしてファッションをつくる、. ファービジネス」について伺います。. 池永 まさにその課題はビジネスにも関わってき ます。天下の台所時代の大坂の商売、 「トランス. ローバルな基準からヒントを得て、さらに日本的 松岡 そうですね。一言で言うと「和魂漢才」と いうメソッドです。藤原公任の『和漢朗詠集』は、 料を調達し畿内で加工し全国に流通した、多種多. か. に組み合わせるということをやったという意味に 中国の漢詩と日本の和歌を並べていますが、ある. せい. おいて、文字や言葉の翻訳はおもしろいと思いま 漢詩をひとつ選んだあとに和歌が数首続くことも. 同 様 に 仏 教 や 儒 教 も 翻 訳 し て い る わ け で す が、 様な情報をトランスミッション的に変換し価値あ るものを生み出し、マーケティングで全国にお届. 篇でうける. こともある。そういったように公任が編集し、藤 けする。この力を現実にしたのは、株仲間や講と. あれば、和歌が続いたあとに漢詩が. きんとう. す。 これはまた独特です。空海が梵字まで学習し、か つ日本的に翻訳した「両界 曼荼羅 」は、インドや 原行成が書に起こしたものが『和漢朗詠集』なの いう同業者組合などの人的ネットワークと、木村. ら. 中国にあったものから日本的なものに切り替わっ ですが、外と内の間に露地があるように、その和 蒹葭堂などの多様な人材との交流による学びの場. だ. たものです。さらに浄土教では、源信の『往生要 と漢にある間が非常に巧かった。外からきた漢字、 によって商人の力が磨かれたからだと思います。. まん. 集』の浄土論というのも日本的な翻訳が起こって 仏像をつくる技術、屋根をつくりあげる建築技術. どう. います。禅は鎌倉時代に入ってきますが、道元の といったものを使うけれども、あくまでも和の魂. 松岡 おそらく秀吉が大坂に凱旋したことは、す ごいことだったのでしょう。つまり下層庶民であっ. か. 『 正 法 眼 蔵 』 を 読 む と、 中 国 人 に は 読 め な い 日 本 でそれをやる。これが、江戸時代に蘭学が入って. た日吉丸から羽柴秀吉を経て太閣になり、大坂に. けん. 的漢文で書かれています。そういうふうに独特な きてからは、 「和魂洋才」に切り替わった。和魂漢. しよう ぼ う げ ん ぞ う. 「あてはめ」による交差文化をつくったという意. 4 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 5. 1.

(5) ばいがん. やまがたばんとう. 来てまちづくりをしたということ。町人の学習意 欲や、石田梅岩の「心学」や山片蟠桃の『夢の代』 などが加わって、懐徳堂だとかになっていったの 吉の成功によるところが大きい気がします。. も、根本は「誰だって天下一になれる」という秀 また、四天王寺以来のそれまでの大坂は仏都で あり、ある意味では吹き溜まった貧困だとか病気 だ と か が あ っ た。 一 方 で 住 吉 さ ん み た い に 海 の ネットワークを動かしていた人たちのまちでも あった。そこに秀吉が来たことによって、一から 十まですべてを組み変えることが大坂のなかでで きると思い始めた。そこに町人や学者、武家たち が手を組んで天下というものをつくるというモデ ルができた。池永さんの言うトランスファービジ ネスだと思います。 トランスファーするためには何かを溜めること をしないと駄目だとなったのかもしれません。塩. にしておく、あるいは漬物や佃煮にするとか、そ. 蕎麦ではないけれども、蝦夷から来たものを燻製. 昆布は塩分を溜めるためのものですし、京都の 鰊. のをつくっていますね。信用経済の基礎をつくっ. あるいは「まったれ」の精神だとか、信用的なも. ありますが、でも大坂は信用買いや担保、手形、. 済していると思います。金決済と銀決済の違いも. も残念です。残念だけれども、ではその分が何に. さまはいますが、海の神さまが少ないことがとて. ています。海の神話や童話が少ないし、住吉の神. もっとおもしろくしてもよかったのになあと思っ. 私としては、海の文化を、日本の歴史のなかで. ういう溜める方法は大坂だという気がします。あ たのは大坂だという説はまだされていない気がし. にしん. の技術にはまさに上方らしさがある。. 松岡 川や海に、恋や冒険や犯罪といった阿鼻叫 喚のドラマがあるというふうになったほうが、文. 代のビジネスに活かしていく必要がありますね。. 現代的視点でその本質とメカニズムを理解し、現. 池永 北前船のイベントやフォーラムが増えてき ま し た が、 過 去 の こ と を 掘 り 起 こ す だ け で な く、. のを、上方や大阪が持ち出すべきだと思います。. けではなくて、網の目のような川筋文化というも. 松岡 それは大きい。江戸はもう少しリアルに決 . 同体、同業同志で信用保証や連帯保証する仕組み. を新たな事業環境にあわせ、強みであった運命共. 江 戸 時 代 に つ く り あ げ た「 ト ラ ン ス フ ァ ー 機 能 」. 江 戸 か ら 明 治 へ の ビ ジ ネ ス 環 境 が 変 化 す る な か、. ですが、そういう人たちに参加してもらい、彼ら. フィリピンでも、アメリカ人でも中国人でもいい. 松岡 私の提案としては、ふたつあります。ひと つ は、 ヨ ー ロ ッ パ で も 東 南 ア ジ ア で も 台 湾 で も. 会に向かっているのかもしれません。. るので、意図せずに大きく多種多様、多面的な社. さらに最近は在住外国人や留学生も増えてきてい. 使い方というか、近畿の地域性をわかっています。. する人たちも増え、外国人のほうが多様な近畿の. いてエンジョイされている。ロングステイで滞在. と堤防づくりをずっとやっているわけです。. 松岡 日本は長らく鉄砲水に悩まされてきた。今 でも豪雨が降ると川が氾濫しますよね。その対策. て流したことでまち・都市をつくりあげました。. において重要で、モノ、ヒト、コト、情報を交え. 池永 号でも少し川のお話が出ましたが、 川と湊・港といったネットワークインフラが日本. す。それは、ずっと気になっていたことです。. 大阪がつくったら、世界中からアクセスしてきま. り、トランスファーフォームであること。それを. こなければ。ですが、グーグルマップの大阪版で. うのを電子ネットワーク上で見せられる人が出て. ですよね。 「こういうふうになっています」とい. 遊びの川堤の図なども、みんなインターフェイス. の上方インターフェイスをつくる。昔の地図や舟. 今はみんなそれでアクセスをしてくるので、独自. います。そういう意味では三十石船や伏見人形だ. ドモデルをつくりあげたのは淀川水系だろうと思. 筑後川まで、日本中のすべての川におもしろいも. 系でしょう。石狩川から吉野川まで、信濃川から. と思います。その場合、脚光を浴びるのが淀川水. 産物史、コミュニケーションの歴史といったもの、. で す の で、 道 と 川 の 文 化 史、 経 済 史、 人 物 史、. すね。川の文化に置き換わっている。. なったのかを考えると、やっぱり川筋文化なんで. せ い りよう. 号のお話に. ますが、私の勘では絶対大坂だと思います。. ほ. い の で は な い か と 思 い ま す。 かい. もありましたが、海保青陵の「利」に対する編集. 化になりやすい。わかりやすく言うと、ジョニー・. が見た大阪、関西、上方づくりをブランディング. 池永 国内外の目に学び、過去と現在を学び、組 み合わせることこそルネッセです。大阪・近畿エ. ワ. ン. ピ. ー. ス. だシナリオを自由にさせるのではなく、上方なり. 池永 最後に、まちにおけるつながりを考えたい と思います。国はコンパクト&ネットワークを目. 例えるなら、大阪の寅さんをつくるということだ. と退屈だと言うものを整理すべきです。これは、. つまり交の歴史をもう一度やり直さないと駄目だ. デップ演じるジャック・スパロウ船長の『パイレー. すること。かつて、ブルーノ・タウトやジョサイ. トランゼに取り組んでいきたいと思います。. 力、 運 命 共 同 体 が 圧 倒 的 な 競 争 力 を 生 み 出 し た。. ツ・オブ・カリビアン』やマンガ『 ONE PIECE 』 のような、ああいうものを川筋、日本海、大阪の. ア・コンドルが日本のよさを広めてくれたように、. 松岡 ぜひ、やってください。. いいでしょうね。. つくったほうがいいですね。. 指しています。人口が減少するなか、地域ごとに. と思います。 『男はつらいよ』は、日本各地にエ. もうひとつは、国内の日本人が大阪を訪れたと. にそれを受け止めたインキュベーションの装置を. 内と外の視点を活か し 、 新しい情報インターフェイスを. 駅の周辺に必要な機能・施設を集約していこうと. さんじつこくぶね. いけなが・ひろあき. 池永寛明. は駄目ですよ。大阪なりのインターフェイスであ. 松岡正剛. 大 阪 ガ ス ㈱ エ ネ ル ギ ー・ 文. まつおか・せいごう. そこにあるものや人と出会うことで、ドラマが起. 巻)な. 年大阪ガ. を経て2016年より現職。. 制 度 設 計 対 応 を 担 務。 大 阪. と し て、 エ ネ ル ギ ー・ 環 境. 日 本 ガス協 会 にて 企 画 部 長. てマーケティングに携 わる。. に て 人 事 勤 労、 営 業 部 門 に. ス 入 社 後、 天 然 ガ ス 転 換 部. 大 阪 市 生 ま れ。. 化 研 究 所 所 長。1959 年、. 間で必要な場所へたどりつけるまちづくりを進め. こる。あれが、私は必要だと思います。もう一度. どちらも言っていることは同じで、国内外の両. いうドラマですよね。どのまちも知らないけれど、. ています。日本はまだまだ開発主義というか、人. 日本人の大阪エトランゼ、 「大阪よう知らん」と. ㈱ 編 集 工 学 研 究 所 所 長、 イ シス編集学校校長。1944 年、 京 都 府 生 ま れ。 年 ㈱ 工作 舎 設立、総 合 雑 誌﹃ 遊﹄ を 創 刊。 年 編 集 工 学 研 究 所 を 設 立。 以 降、 情 報 文 化 と日本 文化を重ねる研 究 開 発 プ ロ ジ ェ ク ト に 従 事。 2000年インターネット上. 分. が減っているなら施設・サービスを集約したらい. いう人が大阪に来たときに起こすこと、彼らに大. ギ ー 営 業 部 長、 近 畿 圏 部 長. ガ ス 帰 社 後、 北 東 部 エ ネ ル. るメルボルンでは、まず人をベースにして、. いというような考えになりがちで、主体である人. にイシス編集学校を開校し、. が見えていないように思います。 キロ. ど著書多数。. 岡正剛千夜千冊﹄(全. 読術﹄ ﹃日本という方法﹄ ﹃松. 編集工学﹄ ﹃知の編集術﹄ ﹃多. 夜千冊﹂連載を開始。 ﹃ 知の. 阪に出会ってもらうことをやったほうがいい。. きに抱く違和感と同化感、おもしろいと思うこと. していますが、世界で一番住みよいまちといわれ. トランゼの寅さんがまるで移民のように訪れると. のが残ってはいますが、まるで海のようなワール. 間に起こす。それには銭屋五兵衛や高田屋嘉兵衛. 彼らには日本を再発見する力があるからです。た. をベースに、大坂で近代企業や様式を生み出した。. といった人物をキャラクターとして立てていくと. モノ、 ヒト、 コトを運ぶ 川と海の文化を豊かにする. 池永 大坂でうまくトランスミッションが機能し たのは、先ほどの同業者組合、講的な要素が大き. 松岡氏が主宰する編集工学研究所の玄関口「井寸房(せいすんぼう) 」 。 訪れる者を知の空間へ誘う。. ブ ッ ク ナ ビ ゲ ー シ ョ ン﹁ 千. 近畿はまさにコンパクトです。大阪から. もうひとつ、電子ネットワークも重要です。イ. 方の目が必要だということです。. 行客は、たとえば大阪に滞在して京都、奈良、神. ンターネットと大阪、上方を考えたほうがいい。. ほどで京都、神戸、奈良まで入ります。外国人旅 戸から滋賀、和歌山をそれぞれのストーリーを描. 82. 6 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 7. 71. 7. 20 40. 87. 1 1 6. 1 1 6.

(6) 大坂はこうして「天下の台所」になった. 「天下の台所」に学 ぶ ネットワークと 豊かなまちづくり 景気が停滞する現代日本の都市とは対照的に、 活気を極めた近世の「商都 大坂」。 京都でも江戸でもなく、 大坂が当時「天下の台所」になりえたのはなぜか。 組織や社会集団を中心に、横断的にネットワークの 構造と影響を考察する社会ネットワーク分析に従事する安田雪氏と、 経済活動を通じたソーシャル・イノベーションを 研究テーマとする稲葉祐之氏に、. 安田 その状態から「天下の台所」を初めに仕掛 けたのは、どういった人たちだったのでしょうか。. て物のやり取りが盛んになっていきます。. 物が集中するようになると、水運と街道を駆使し. に例を見ない試みでした。こうして大坂城近辺に. ら大量の物と人が集められるまちづくりは、全国. せて城とまちをつくっていったのです。遠隔地か. を利用し、帰順した大名に材料や人夫を差し出さ. も近い要衝に位置していました。秀吉は交通の便. や京都への街道を持ち、堺や兵庫など貿易都市に. を始めます。実は、寺内町は淀川・琵琶湖の水運. 秀吉は荒れ果てた土地で、画期的なまちづくり. をまちへ還元し、橋をつくり、文化の要となる学. 一方で、地域に根付いた商人たちが「自分たちの. 安田 まさにイノベーターともいえる大坂商人た ちが、日本や世界を相手にして商売を広げていっ. 台所」となっていったきっかけだと考えています。. ネスが高度化していったことが、大坂が「天下の. が大坂商人でした。時代の流れに沿って都市ビジ. 済の中で次々と新たなビジネスを行っていったの. に繁栄しました。このように、統一された日本経. われる金貨と銀貨の両替商が次々に生まれて大い. 金貨と銀貨が流通しており、遠隔地間で決済に使. なったのです。また当時の日本では地域によって. 大坂を盛り上げていこう」と言わんばかりに利益. Inaba Yushi. Yasuda Yuki. 江戸期大坂に学ぶべきまちづくりのネットワーク=「交」について お話を伺った。 奥山晶子 =構成 宮村政徳 =撮影. 対談 [関西大学教授]. 安田雪. 稲葉 それは、大量の物や人と一緒に全国から集 まってきた商人たちです。物を集め、流通させる. 校をつくっていったというのも、大坂が発展した やまがたばんとう. 軒家浜 船 着 場。江 戸時 代、 淀 川の荷客輸送にあたった 船の発着場として賑わい、熊 野詣の陸の拠点としても知ら れた。. 稲葉祐之. や. や. に は、 商 品 を 一 時 保 管 し て お く 場 所 が 必 要 で す。. 要因のひとつであると思います。商人でありなが. 右/堂島川北岸の高架下に. [国際基督教大学上級准教授]. ビジネスを始めることになります。安いときに物 資を買っておいて、商品価値が高くなったらそれ とい. を売る。物をもっと戦略的に販売するようになり、 とん. 他の都市に先駆けて集積させたことで、大坂に多. や. 近世の問屋へと変化しました。こうして問屋とい. 栄えたのか。それは時期的な要素がかなり大きい くの商品が集中するようになりました。. とん. 稲葉 大坂は江戸期を通じて日本経済の中心地と なり、後に「天下の台所」と呼ばれるまでに繁栄 う流通の根幹となる仕組みが誕生し、また問屋を. ビジネス形態は中世の問屋から差益商人としての. しました。なぜ大坂が商業都市としてあんなにも といえます。今の大阪に初めて大都市が生まれた. なお、江戸幕府が誕生すると、問屋は頻繁に江 戸へ物資を送り始めます。するとそこでまた新た. 年に豊臣. 秀吉が大坂城の築城を開始したことです。場所は. なビジネスとしての廻船問屋が登場しました。こ. き っ か け は、 本 能 寺 の 変 の 後、 畿内一向一揆の中心地であり、廃墟と化していた. そ こ で 登 場 し た の が、 も と も と 人 が 住 ん で い な. ら書物を著した山片蟠桃などのように、商売をし. う し て、 問 屋 が 商 社 的 な 意 味 合 い を 持 つ よ う に. かった土地に蔵を建て、貸し出し、手間賃をとる. ながらしっかり文化やインフラに還元する人たち. 大坂本願寺寺内町でした。. 商人たちでした。中世までの問や問丸の発展形と. がいたことが、大坂を盤石な都市へ育てていった. たダイナミックな活躍は、素晴らしいの一言です。. いえるでしょう。彼らは新しい土地でも、運送や. のではないでしょうか。大きな商いをする一方、. や. 倉庫を兼ねる 問 屋 というビジネスを行ったのです。. まちや学問をしっかり支える人もいたということ. とい. しかしやがて、大坂の商人たちは保管業以上の. ある堂島 米市 場 跡 記 念 碑。 かつてここは「天下の台所」 を支えた大坂3大市場のひと つだった。 左/大阪・天 満 橋にある八. 8 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 9. 1 5 8 3.

(7) 継続性と新規性を支えた 「結束」と「橋渡し」 稲葉 ビジネスライクな関係性という意味では、 株仲間の発展も注目すべきところです。大坂とい う、諸国からみれば遠隔地でビジネスをするので、 そこでは何より信用が重要視されています。規制 のための組織が必要で、そのために株仲間が誕生 しました。株仲間はビジネス契約を守らなかった 場合の規制があるし、過度な競争も防ぐ仕組みで あるため、ビジネスを長期的に進めるうえで重要 でした。 それに加えて外のネットワークに関しても、大 坂の商人には大きな強みがあったと考えられます。 長崎や富山から薬種を持ってきて大坂で売ると いったネットワークをはじめ、蝦夷や東北といっ. その講もお金のつながりではあるのですが、大. 担い手としてそれぞれが仕事をします。. ないのですが、祭りのときには集まって、祭りの. 体です。日常的には何らかの拘束があるわけでは. ともとは神社や寺院を参詣する人々で組織する団. すが、そこには経済的合理性を考えたスッキリと. られます。私は「しがらまない絆」と呼んでいま. なでまちをつくっていくんだ」という気概が感じ. ない。なあなあの仲良しクラブじゃなくて、みん. は「私たちはただ隣り合わせただけの商店街じゃ. タルが根付いていて、天神橋筋商店街の取材から. 経済的信頼関係にもとづいたソーシャルキャピ. たのではないでしょうか。. 返しが、爆発的なネットワークの力に育っていっ. て「今度はこれをやろう」と挑戦する。その繰り. ば、新しいビジネスのアイデアが出てくる。戻っ. れたことが大きかったのだと思います。外へ行け. 的に出ていくことで情報のアンテナが張り巡らさ. 展していったのか。私の考えで言えば、外へ積極. そういったネットワークの力が、なぜ大きく発. た地方を経済的に開拓していきます。そして商品. 阪ではネットワークに必ずお金が絡むなと感じる した関係性がある。 「家族だから」 「仲間だから」. 盤、経済的なチャンスがベースになっていて、そ. に注目すべきだと思います。. ことがあります。例えば、アメリカのソーシャル という絆のなかでは、しがらみが生まれてしまい. 作物を全国に広めていくという新規性を持ち合わ. キャピタルなどは、お金を介しないからこその信 ますから。ある種ドライな「しがらまない絆」の 形成していました。外部から来た人たちが、協力. れは特殊なことだと思っています。コマーシャル. 頼があり、ネットワークと人々のつながりがある 中で、お金が貯まったらそこに橋をつくる、文化 し合って橋や学校をつくっていった。. 私は近年、天神橋筋商店街をフィールドワーク. という考え方をします。「災害時などにはお金を を つ く る と い う あ り 方 が、 商 都 大 坂 を 形 成 し て. せていたのが、大坂商人のユニークさだったので. 介さずに資源や社会的ネットワークを提供し合お いった要因のひとつになっていると思います。. 高層ビルなどから街並みを眺めると、淀川はもち. ベースのソーシャルネットワークの強さが、大阪. う」と、お金が絡まないネットワークが美しいと. います。水路のネットワークを駆使し、堺、伏見. ろん、さまざまに入り組んだ水路や運河が本当に. しており、そのあたりには大阪天満宮を支える集. されています。しかし、講などは必ず経済的な基. や神戸といった周辺都市ともネットワークを築い. 綺麗で、 「このまちは人々が思っているよりもはる. しょう。. あい。こうしたネットワークが幾重にも重なって て、今の大阪都市圏に通じる経済地域をつくり上. の底力の根幹にあるのではないでしょうか。. 商都大坂を形成していったといえます。継続性と げていきました。. 地中海貿易では非常に大きな優位性を有していま. 坂は最盛期でも. 万人し 26. かりつくろうという人たちと、橋渡しをしていこ. 大坂には、同業者や地域のネットワークをしっ. 的に安定すると文化も発展するというところも、. スを盛んにしたきっかけかと思っています。経済. 廻船を使って遠隔地へいろんなものを回すビジネ. 安田 今の大阪も、十分に水の都だと思いますよ。. 呼ぶことにつながっていきました。. 文化や学問に使うことができ、それがさらに人を. うというエネルギッシュな人たちとが共存したか. かいませんでした。恐らく後背人口の少なさが、. 万人、少ないときには. 万人以上の人口がいたにもかかわらず、大. 1 0 0. ものまちを. 6 0 0. できるはずだと感じます。. 「天下の台所」のイメージを、現代でもっと発揮. 阪 は も っ と 現 代 に 活 か せ る は ず だ と 思 い ま す。. ね。このような水路を含めたネットワークを、大. そしてそれに伴うエネルギーの流れが変わります. どこへどのように橋をかけるかで、人や文化、. 水のネットワークなのだなと、感慨深くなります。. ネルギーを自由に行き来させているのは、まさに. 部の人たちが発するエネルギーと、外部からのエ. かに美しいところだ」とハッとさせられます。内. 株仲間、講、外部との交流、そしてまちのつき. 来た人や同じ業種の問屋仲間が. そしてまちの方へ目を向ければ、同じ土地から. 新規性のバランスがうまくとれていたのでしょう。. 「東洋のベニス」にあふれたエネルギー 安田 水路のネットワークは、大坂の特徴的なも の だ と 思 い ま す。 江 戸 時 代 の 大 坂 を 表 す の に、 「東洋のベニス」という言葉がありますね。 稲葉 はい、その言葉は、当時の大坂をよく表し ている言葉だと思います。中世のベネチアも、人. て違います。内輪での強いつながりに安心できる. した。国はとても小さく、しかも水上の都市で、. 「結束」と「橋渡し」のふたつのコンビネーショ ンがつくられると、非常に強いネットワークが生 口が. 人もいれば、「それだけでは発展性がない」と外. 魚と塩くらいしかとれない。のちにベネチアング ラスもできますが、情報を通じてしか生き残れな. 人か. び出していって、ほかの業種や地域に橋をかけて. で、縦横無尽に商いをしたベネチアの姿は、江戸 期の大坂と似ています。 因にも、大坂の人口の少なさがあったと考えてい. 大坂の商人がどんどん外へ出ていこうとした要 ま す。 江 戸 時 代 に は、 江 戸 に は. カ所でブームを起. こすのと、方々で小さな山火事を起こすように広. 都は. 万 人、 京. めていくのとどちらがよいかという議論がありま ネットワークを封じるためにはどうするかという. す。また、テロ組織のように、広めてはいけない. どにも活用できるものです。. このネットワーク理論は、ヒット商品の開発な. つ広範なものになります。. かったのです。東は黒海から西はジブラルタルま. へ飛び出していく人もいる。. 人が外へ飛. 万人くらいしかいない都市国家でしたが、. み出されます。しかもその得手不得手は人によっ. をかけるようなネットワークです。. とは、直接的にはつながっていない遠くの人に橋. リ と し た 内 向 き の ネ ッ ト ワ ー ク で す。「 橋 渡 し 」. げていこう!」というような、体育会系のガッチ. 「結束」とは、「この商店街をみんなの力で盛り上. 安田 私は、ネットワークにはふたつの形態があ る と 考 え て い ま す。「 結 束 」 と「 橋 渡 し 」 で す。. 団としての「講」が機能しています。講とは、も. 江戸時代、 「天下の台所」と言われた船場。現在は 80 年前につくられ た御堂筋が大阪市の中心部を南北に縦断する。. 大坂とベネチアの類似点です。両都市ともお金を. 議論でも使えます。. 40. 40. らこそ、経済的に面白いことができたのかなと思 いました。 稲葉 濃い紐帯をつくり、一方で橋渡しもすると いうのは、まさに江戸時代の商人のあり方だと思. 天神橋筋六丁目商店街。商店街のある天神橋筋は、古くから天満宮の表参道として栄え、 江戸期には天満青物市場や歓楽街として賑わった。. 10. いくことができたら、そのネットワークは強靭か. 2. 10 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 11. 1 1.

(8) 乗ることができたのが大坂で、だから「天下の台 ければならないことは同じです。江戸期の大坂は、. 京も勢いがありませんね。東京も大阪も、考えな. 日本の仕事のつくり方. し ぼ. 所 」 と な れ た の で す。 し か し、 明 治 期 に な る と、 経済発展のフロンティアに商人たちが挑んで日本. 「天下の台所」が萎んだ理由. 江戸時代のような開発はみられなくなります。大 全体を発展させていきました。 「商都大坂の勢いを. 稲葉 現代日本の経済発展について考えると、大 阪だけが伸び悩んでいるわけではありません。東. 阪も、今までとは違う発展のしかたを考えなけれ もう一度」と考えるなら、アジアなどに対してフ. 稲葉 江戸時代は国内に統一市場ができた頃なの で、発展の余地が多くありました。それにうまく. ばならなくなった。いわゆる近代化、産業化へと ロンティア精神を発揮させることができれば、も う一度羽ばたくことも可能かと思います。例えば、. 踏み出さなければならないのですが、産業化を起 カ所 環境問題などテクノロジーに関して、発展途上国. こす起業家たちは、江戸期の大坂のように に集まるということがありませんでした。さまざ. くの外国人観光客が関西に来ています。そういっ. それに、今はインバウンドの勢いがすごい。多. やアジアにアクションをかけるようなことです。. また、工業化に重点を置くにしても、江戸時代 たチャンスをうまく取り込むイノベーターがいれ. から、大阪は工業都市としても非常に栄えました もっと上げなければならないと思います。日本で. 安田 外国人観光客に何かを仕掛けていくとした ら、サービス業に従事している人の地位と評価を ジアと結べるような商取引やサービスをもっと展. により近いという地の利があるわけですから、ア. ね. の よ う に 米 な ど の 建 値 市 場 を 獲 得 し た よ う に は、 ばと思います。. が、 江 戸 時 代 の よ う な 優 位 性 は な く な り ま し た。 は、サービスに従事する人の地位が低すぎます。. 工場をつくってしまえばどこでも物はつくれます. また軽工業には強いが、重工業へのシフトチェン. するばかりでしょう。. 開し、仕事をつくっていくことに希望があると感. ですが、大阪のような大都市ですら、働けるとこ. じています。. ろが少ない。希望する大阪で就職口を見つけられ. 稲葉 学生の就職状況でいえば、東京にも問題は あります。私のところの学生は、就職はできるの. お給料は安いし、お店はアルバイトを使い捨て扱. ての地域優位性も薄れていきます。. ずに、土地勘のない東京へ出ていって疲労してし ですが、すぐに転職してしまう傾向があるように. いするし、それでは働く本人たちのやる気は低下. 安 田 「 天 下 の 台 所 」 と い う イ メ ー ジ と、 工 業 や 大規模なものづくりのイメージとは、すり合わな. まう若者がたくさんいます。全体の求人数が増え 感じます。若い人たちが希望を持って働けるため. としたインフラづくりのテコ入れが絶対に必要な. チャンスを活かして協調戦略を編み出していきま した。それが、大坂繁栄の理由のひとつでもあり、. あるとよいと思います。. 豊かです。意識してそういった場をつくる試みが. まれるところは、人のアイデア交換や情報交換が. の立ち上げ人などがたくさん生. ま し た。 現 代 で も、 社 会 起 業 家 や ソ ー シ ャ ル エ. していったことが、都市としての成功につながり. イノベーターたちが大坂でイノベーションを起こ. 江戸期の大坂は、最初に問屋を始めた商人など. 大阪ならではの笑いをとる文化には、とにかく. のでしょう。. のが、 「天下の台所」であった大阪の潜在能力な. に感じ取れるほど、寛容度、国際度が高いという. い」と言っていました。ほんの小さな子でも敏感. や 京 都 の 方 が、 ず っ と 開 放 感 が あ っ て 住 み や す. れたハーフなのですが、 「東京の方よりも、大阪. 気がします。実は、私の姪が外国人との間に生ま. しれません。東京は、まだそこまで進んでいない. 安田 そういった環境で育った子たちが大人にな れば、グローバルビジネスの土壌が根付くのかも. たアイデアをビジネスとしてスムーズに展開でき. が、そういう場がただあるだけではなく、生まれ. 学にもそういったことが期待できる場があります. ピタルのようなインキュベーション施設や、各大. が日本には必要だと感じています。ナレッジキャ. そのエネルギーが出てくる人の集まり、つながり. 躍のためには、ある種のエネルギーが必要です。. な戦略を駆使し、飛躍しなければなりません。飛. は思います。しかし、発展するためにはさまざま. 現代へのヒントにつながると思います。. 安田 梅田のグランフロントには、ナレッジキャ ピタルという知的交流を目的とした場があります。. 人を楽しませたいという意識があらわれています。. 今の日本に足りない「交」のあり方とは. イノベーティブな場づくりの必要性. い気がします。やはり流通機能がしっかりしてい. ているとはいえ、大企業の募集は増えていないと. にも、大阪のみならず日本全体において、新たな. のではないでしょうか。. が必要です。新しいビジネスモデルが誕生すると ころは、ユニークなことをしようとしている人が 集まるところだと思いますが、そういった人たち. さ ま ざ ま な 分 野 の ク リ エ イ タ ー や 研 究 者 を 集 め、. 大阪が外に対して見せるフレンドリーさと熱心な. が集まれるような場づくりを、もっと進めていく. イノベーションを生み出す場として開設されたよ. サービス精神には、日本が世界にもっと羽ばたい. 聞けば、関西の国立大学の大学院などはアジア. えるのではなく、周囲を、ひいては日本全体を盛. しょうか。商都大坂は、自分たちだけの利益を考. 心に考えているような印象がありますが、どうで. 国際基督教大学教養学部上 級准教授。1970年生まれ。. いなば・ゆうし. 関西大学社会学部教授。 1963年生まれ。国際基督. 後、 神 戸 大 学 大 学 院 経 営 学. 横浜国立大学経営学 部卒業. 稲葉祐之. 教大学教養学部卒業後、コロ. やすだ・ゆき. ン ビア 大 学 大 学 院 社 会 学 研. 安田雪. てほしいと思っています。. る仕組みが必要です。その仕組みが、早く生まれ. 今は規制が厳しいなどさまざまな条件があると. うです。まだまだ関西ならではのものという空気. ていくために学ぶべき点が多々あると思います。. デ ィ タ ー、. は薄いですが、もっともっと地元の人たちを取り. また、江戸期の大坂商人にあった広い視野が、. の学生が多いですね。また、最近では大阪の都心. くれるように期待しています。. 部の土地を中国のデベロッパーが取得していると. り立てていこうという意志の力が働いていたから. 著書に﹃ルフィと白ひげ︱︱. ター准教授などを経て現職。. 科・ものづくり経営研究セン. 東京大学大学院経済学研究. 究科博士課程を修了(. 生 へ の ビ ジ ネ ス・ イ ノ ベ ー. 論理と組織の論理﹄ ﹃大阪新. アで語る経営組織︱︱個人の. 了(. ジ大 学 大 学 院 博士課 程を修. 研究科修士課程、ケンブリッ. . D . h P. の提言﹄など。. ション︱︱大阪モデル構 築へ. ) 。共著に﹃キャリ. ソナルネットワーク︱︱人の など。. つながりがもたらすもの﹄. )。. 信頼される人の条件﹄﹃パー. . D . h P. る責任感を取り戻してほしいと思います。. こそ栄えたと思うのです。大阪に限らず、ビジネ. ことなのでしょう。. 稲葉 江戸期の大坂は商都として独立しているけ れど、江戸幕府ともよい関係を築いていました。. フライト時間が短いという大阪の持つビジネス上. 稲葉 江戸期の大坂は外からどんどん人が集まっ てきて発展の原動力になったので、外国人ビジネ. 豊 臣 氏 が 滅 ん だ 後 も、 幕 府 の 経 済 的 政 策 の 中 に. スに関わる全ての人たちに、ぜひ日本全体に対す. スマンたちがたくさん大阪に来て活躍してくれる. し、そこで単に中央からの保護へ依存するのでは. しっかり大坂が組み入れられていたのです。しか. やって越してきた外国人の子どもが増え、大阪は. というのはいいことだと思います。最近ではそう. での地理的優位性に、彼らは気づいているという. いう話を聞きます。東京よりも大阪の方が. 時間. どうも今の大阪には感じられず、大阪の繁栄を中. 込んで、交流の輪が広がるような取り組みをして. べきではないでしょうか。. また、私のところの学生を見ていても感じるの. るという大阪の良さを、もっと出していかないと。. いう今の状況は、学生にとって辛いものです。こ. ビジネスモデルやイノベーションにおける成功例. を活かせるようなしっかり. と大阪に限って見てみても、東京より中国や韓国. なく、非常に高い自律性を持ちながら、ビジネス. 商売人気質の. 気がつけばとても多国籍になっているのですね。. ジがうまくいきませんでした。とりわけ電話電信. 土佐堀川と堂島川に抱かれた中之島の中央公会堂とその周辺。豊かな水路ネットワークか ら、商都大坂は「東洋のベニス」と称された。. の発達で、水のネットワークを駆使したハブとし. たて. 工 業 製 品 の 市 場 を 握 る こ と は で き ま せ ん で し た。. のような大坂の発展はなくなっていきます。. まな場所で起業が行われるようになると、江戸期. 1 1. 12 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 13. D N A. N P O.

(9) 奈良時代に行われた 大 事 業. こまやま. 長谷部 尾田さんは畿内の歴史について大変に造 詣が深い方ですが、私も淀川が好きで、その南東 い. 側にある 生 駒山 との関係にはずっと個人的な興味 を抱いています。. 「講」的集団 とかつての インフラ事 業に学ぶ 「交」 のあり方 伊勢神宮や富士山など寺社や霊場を訪れる旅は、 内外かかわらず高い人気を誇っている。 そのおおもととなる「講」というシステムは、 時世にあわせさまざまに変化し、 宗教を超えた経済や社会に役立つしくみも生み出していた。 今号では、 「講」の本質を思想面で研究する長谷部八朗氏と、 奈良時代に現在のダムや河川改修事業の原型をつくり出した 行基集団をインフラ整備の専門知識で分析する尾田栄章氏に、. うと、それもない。アイデアもコンセプトもなけ. Oda Hideaki. Hasebe Hachiro. 今必要な「講」的交わりのあり方について伺った。 脇坂敦史 =構成 増田智泰 =撮影. 対談 [駒澤大学学長]. 長谷部八朗 尾田栄章 [㈱尾田組会長、日本水フォーラム元代表理事]. ん。行政の仕事を通じて河川というものと関わっ てきたのですが、川と水が人と人を結びつけ、地 域の文化といかに深い関わりをもっているか、さ まざまな歴史を調べれば調べるほど強く感じてい ました。 たとえば戦前に土木学会が出した『明治以前日 本土木史』という大部の本があるのですが、ここ には近代以前に日本の河川がどのように整備され. というケースが多いのですが、淀川はたとえば行. の ほ と り で 韓 国・ 済 州 島 か ら や っ て き た 巫 堂. の 時 代 ―― 行 基 集 団 の 水 資 源 開 発 と 地 域 総 合 整 備 事. れば、それを実行するだけの能力もない。行基集. 朝廷に反し、畿内を中心に民衆に仏教の教えを説いた。 東大寺造立の勧進役をつとめ、東大寺「四聖」のひとりと 称えられるが、池溝の構築などの土木事業、困窮者救済 施設の造営など数々の社会事業も行った。民衆と共に生 きた僧として今も地元民の誇りとなっている。 う な て. ほう ざん じ. これとは別に、山麓には朝鮮寺と呼ばれる在日. 基のような人が奈良時代から大規模な事業を展開. 山腹 にあ る有名 な生 駒聖天 (寳山寺)を詣 でる. 韓国・朝鮮人の方々の信仰を集めるお寺がたくさ. していたからなのです。. てきたか、流域別の歴史が詳細にまとめられてい. んあり、私はそれにも関心があって、何度か訪れ. 長谷部 なるほど、歴史の長さが違いますからね。 尾田 『天平十三年記』という、行基の事跡をま とめたひじょうに信頼のおける史料を、私のよう. ための講も、かつてはたくさんありました。商売. ているのです。あまり知られていませんが、淀川. な人間が土木家の目で読み込んでいくと、とにか. ます。ところが、この本のなかには、淀川本川に. (ムーダン)と呼ばれるシャーマンが祭礼を行うこ. く驚かされます。現代の洪水対策用の放水路にも. の神として大坂商人の信仰を集めたというイメー. と も あ り ま す。 お そ ら く、 地 元 (済州島)の 海 に. ムに近いため池といったものを多く含む、これほ. ついてはほとんど記述が残っていないのです。な. 淀川を見立てているのではないかと思います。. ど大きな規模の事業を行うだけの力を、奈良時代. ジが強いかもしれませんが、江戸時代には畿内は. 尾田 それはとても興味深いお話ですね。淀川の 下流から見ると、生駒山自体がひとつの大きなラ. ぜかといえば、土木工事の行われた時代が古すぎ. ンドマークになっています。その海側の山麗地域. にひとりの僧がどうやってもちえたのか?. もとより大変広い範囲から人々を集め、そのなか. は縄文、弥生時代を通じて遺跡も多いですし、あ. 長谷部 確かに、現代では考えられないですね。 . るからです。他の地域では古くても戦国時代以降. のあたりはとても面白いところですね。. 尾田 今でいえば、スーパーゼネコンと呼ばれる ような会社が数社一緒になって、コングロマリッ. には大工や魚屋といった職業講もありました。. 長谷部 私は奈良、大阪を含めた宗教文化の重要 な拠点だと感じています。尾田さんは、淀川流域. トをつくっても、おそらく無理でしょう。しから. チエ ジユ とう. で か つ て 行 基 が 行 っ た 数 々 の 土 木 工 事 に つ い て、. ば政府や官僚の側にそういう構想力があるかとい. 業』) 。. 団について研究することで、そういういわば現代. 匹敵する大規模な堀や溝、現代でいうところのダ. 冊の本にまとめられていますね (『行基と長屋王. 尾田 もともと私は、歴史の専門家ではありませ. 近鉄奈良駅前の行基像 行基(668 ~ 749)は、僧侶の民衆への布教活動を禁じる. 14 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 15. 1.

(10) の「閉塞感」を打ち破る何かヒントのようなもの がないかとも考えているんです。. 資格で、かつ自由意志に基づいて共通目的のため に結集する非職業的組織」と説かれているそうで. も必要なものではないかと感じました。過去の歴. 「講的なもの」 とは何か? 尾田 やはり、そうなのですね。私も「講」とい うしくみのなかに、かつて行基が行ったような形 史のなかで、講はどういう大切な役割を果たして. すね。これが正しい定義なのかどうかは分かりま. ころの「知識 結 」と呼ばれるものですが、ヒエラ で大きな変革を実現する、何かヒントのようなも きたのか。今、何かをするうえで参考になる点が. せんが、これからの社会にとって、ある意味で最. ルキーのない緩やかな組織をつくっているという のがあるのではないかと思い、今日の対談を楽し. あるのであれば、ぜひ教えていただきたいと思い. 確かに講と呼べるものは減っているかもしれま. いか、と考える人もいます。. であり、もはや新しい知見は出てこないのではな. のか。講などというものは、もう遠い昔のテーマ. 長谷部 私の問題意識のなかにも、ひじょうに共 通する部分があると感じます。なぜ講を研究する. も数千人のメンバーをもつような大きな講が存在. は、講の本来的な姿ではないのだと思います。今. だから、 「有名な、歴史に名を残す講」というの. みたいな形。この緩さ加減が講を持続させていく。. んどない。あの人こないよね、まあいいじゃない、. にみんなが共鳴して集まってくる。縛りも、ほと. 長谷部 講というものは、あえて「いい加減」と はいいませんが、 「よい加減」なんですね。そこ. 四十九院というのは、数千、数万人という人々が. けです。行基が畿内一円に開基したと伝えられる. などと罵って恐れるほどのすごい勢力になったわ. からこそ、朝廷が「小僧 (僧を軽蔑する言葉)行基」. 尾田 行基のつくった集団のしくみも、そのよう な融通無碍なものではなかったかと思います。だ. だったのでしょうね。. 必要になる。行基はまさにそういうキーパーソン. ゆい. 意味でも、私が研究している「講」と通じるもの みにしてきました。. せんが、 「 講 的 な もの 」は 今 も 日 本の 共 同 体のな. しますが、そんなふうに大きく組織化されてしま. 集まった宿泊所、いわば飯場だと私は考えていま. ます。. かに名前を変えてあるし、むしろ、曖昧で人々が. うと、本来的な講から外れていってしまう。いつ. す。行基が中心となって描いた淀川流域の未来像. 機能するために、 「この指とまれ」という誰かが. アトム化 (孤立化)しているような今の時代だから. のまにかでき、いつのまにか消失していく講とい. に、多くの人々がつぎつぎと呼応した。そうした. した。柳田國男の門下でもある民俗学の 泰 斗です. かつて講の研究者で桜井徳太郎という方がいま. よく見てみると、これは講と変わらないんじゃな. 長谷部 たとえばサークルとかクラブとか、○○ 会 な ど と 名 前 は 変 わ っ て い る か も し れ ま せ ん が、. がある。さまざまな側 面が一緒になって成り立っ. 側面、宗教も含めた文化的な側面や社会的な側面. 一方で経済的な側面がある。そのほかに娯楽的な. 長谷部 講的な集団のなかでは、地位とか役割と いったものがあまり明確になっていないことが多い。. 尾田 そもそも、講の本来的な姿というのは、ど ういうものなのでしょうか?. 緩やかに指導者的な役割を果たしましたが、実際. においては、仏教で「知識」と呼ばれる人たちが. んだよ、というのが一遍の考え方でした。 「時衆」. まるときに集まればいい、それは一時的でもいい. 「時衆」と呼ばれていて、宗派ではなかった。集. 宗 の 開 祖 と し て 知 ら れ て い ま す が、 当 時 そ れ は. る人たちが、さまざまな分野の人を招いて話を聞. レベルでみんながいる。そこから、いろいろなう. 尾田 講というのは、ものすごくフラットな組織 ですよね。誰か世話役がひとりいて、あとは同じ. 長谷部 少し話が飛躍してしまうかもしれません. 講によって結ばれた「内と外」. 尾田 行基と一遍の例は、よく似ていますね。. ギーはだんだん失われてしまうのです。. 形 成 さ れ て い く と、 「衆」のもっていたエネル. しかし、やがて宗教化、組織化が進んで時宗が. 長谷部 尾田さんのお話を聞いて私が思い出した のは、一遍上人のことです。鎌倉時代に生きた時. のです。. が、 そ の よ う な 切 り 口 で 講 を 研 究 し た 最 初 の 人. ているものなんです。カオスとまではいわないけ. はごちゃごちゃに活動していくんですね。これが. げ. こそ、それが重要な意味をもち、その内的論理を. うのも、結構多い。講というのは、むしろその方. 「講的なもの」の拠点だったのではないかと思う. だったと思います。彼は講というもののしくみを、. れども、混沌としたものをあえて排除しない。だ. あったからこそ、爆発的な勢いで民衆を取り込ん. む. 知る必要があるのではないかと私は思っています。 がいいんです。. かつて日本人が結び合ってきた原理として捉えよ. り、そこから新たな集団ができていくということ. から、講が大きな力になって次へのステップとな. いかと思うことは少なくありません。. うとした。過去の遺物としてスタティックに見る. でいくことができた。. くというような面白い会です。社会的な側面と宗. ねりが出てくる。いつの時代もクリエイティブな. と. のではなく、今に生き、変わりつつあるものとし. も珍しくありません。新たな動きを閉じ込めよう. 教的な側面をあわせもった講の典型的な形だと思. 仕事をしようとしたら、フラットな組織じゃない. じ. いますが、こうした地域の信仰や人と人のつなが. とダメなんですよね。. がんこう. りによる集まりが、社会を変えていくだけのエネ. 長谷部 その通りです。ただ、フラットな組織が. たい. てダイナミックに研究すべきと考えたのです。. としない、いわばゴムまりみたいに柔軟な集団です。. ゆうずう. 尾 田 狭 い 意 味 で の 講 だ け を 考 え る の で は な く、 「講的なもの」という視点ですね。. ある辞典によると、講は「人々が自由・対等の. があるのではないかと思いました。. 長谷部 行基とそのまわりの人々を結びつけ、大 きな事業を行わせたしくみは、仏教用語でいうと. 橋橋上にて。かつて「渋谷川再生」の活動もしていた尾田氏は「日本橋の上部にかかる 高速道路地下化の問題も含め、川の再生を目指す活動にも講的視点が必要」と話す。. 尾田 私は先日、奈良市の 元興寺 で弁天講の一員 に加えていただきました。境内の弁財天を信仰す. ルギーをもちうるとは感じられないのですが。. 16 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 17. 尾田栄章氏が立ち上げた「日本水フォーラム」のオフィスがある箱崎町からも近い日本.

(11) 外 」 は い つ も 微 妙 に バ ラ ン ス を と っ て い ま し た。. は自己完結した閉じた社会ではあっても、「内と. 会原理は「内と外」であると思います。基本的に. が、近代以前の共同体、とりわけ地域共同体の社. を人々はよく知っていたのです。. 外部との境界である「界隈」がもつ力、恐ろしさ. こで「外の論理」はシャッフルされるわけですね。. 村のなかではなく、まずは「境」で飲食をし、そ. 帰 っ て き た 参 詣 者 た ち を「 境 ( 坂 )迎 え 」 す る。. 近世においては、とりわけ代参講、参詣講とか があります。全員が白装束という、その熱気とエ. 尾田 そこで直会をするわけですね。私はかつて モロッコ空港でメッカへの参詣者たちを見たこと. なおらい. 閉鎖的な共同体のなかに、どうやって風を通すか. 呼ばれるものが、そういう外からの風を入れる役 ネルギーは、私たちが見慣れた観光客やツアーと. という知恵をかつての人々はもっていた。. 割を果たしたと思います。. ね。. たしていたことを補完しようとしているという見. 旅行会社、観光業といったものが、かつて講が果. 長谷部 今はその大切なトランスファー (移動) という経験が、消費行動のなかに絡め取られてし. いったものとは、まったく違うものでした。. 長谷部 村の外へ行くということは、それだけで きわめて開放的な経験ですが、開放感に浸ると同. 尾田 代参講というのは、村落のなかから代表を 立て、遠い寺社や霊場へお参りに行くわけですよ. 時に外の空気を持ち帰ってきて、地域共同体に新 方がありますが、私は必ずしも賛成しません。. まっている部分が強いですね。たとえばツアー、. しい風を入れることができました。このとき外部. ち込んだものが内部を完全に破壊することはな. いわば外を飼い慣らしていくのであり、外から持. い旅館のような形で売り出していく。そのなかで、. あるいは、かつて伊勢参りで御師がやっていたよ. やバス会社が「テコ入れ」という形で入っていった。. れ、たとえば参詣客の減っていた寺社に鉄道会社. 確かに、近代化の途上で交通インフラが整備さ. かった。. 信仰的な核のようなものが失われてしまった場合. は、内の原理を補強するためのものでもあります。. 尾田 なるほど。交流によって、外から持ち帰っ た新しいものが脅威になるのではなく、それが内 も多いし、もちろん新たな形で再生した例もある. うな宿を、旅行会社が「講」の名を借りつつ新し. し. 部を少しずつ変えていき、力に変えていくことが. おん. できるというイメージなんですね。. 尾田 いわゆるツーリズムは、基本的に 回きり なんですよね。講のようにある期間、継続してや. でしょう。いずれにせよ、講とツーリズムがまっ. よる参詣は、伊勢音頭のような楽しみも積極的に るものとは違うでしょう。その継続という意味で. 長谷部. 取り入れていくんです。各地から集まってくる参 は、やはり人々が集まる「目的」をどのように設. たく同じ役割を果たしているわけではありません。. 詣者が踊り、歌いながら歩いていく。それぞれの 定するのか、が大切だと感じます。. 江戸時代に、なぜあれほど伊勢参りが盛. 地域バージョンがあるんですが、それを互いに披. んになったか? やはり伊勢講があったからだと思います。講に. 露し合う。これは、最近の若い人たちが踊ってい. 長谷部 かつて地域と講が一体化していた時代は、 共同体とオーバーラップするような形で、日常生. 活万般を講のなかでやっていくということがあっ 長谷部 講というのは、集団を指す言葉でもあり ますが、場を指す場合もあるんですよね。ですか. ためのヒントをたくさんいただきました。. てきて、彼らを迎えた歴史もある。. ですよね。畿内には古代から多くの渡来人が逃れ. が大事」などと言って住民を後押ししようとする. に も 似 て い る と 思 い ま す。 そ し て、 YOSAKOI. たわけですよね。今は、目的が曖昧なままに集ま ら、 「鍋」という名前はとても相応しいと思います。. る. ろうとしても難しい。「この指とまれ」といった. な像が見えてきました。第2次世界大戦後の日本. 尾 田 お 話 を 伺 っ て、 現 代 に い て「 講 的 な も の 」 がどのような意味をもちうるか、私なりにクリア. 長谷部 そういう共生の文化が古くからしっかり と組み込まれているんでしょうね。私の住んでい. 尾田 関西の人は、そういうカオスが好きですか らね (笑) 。. 感じられるからなのかもしれません。. ところに生まれる混沌とした力が、とりわけ強く. にもつながっていると思うのは、人々が集まった. く訪ねます。こうした興味が、どこかで講の研究. ている、大阪の生野区や大正区といった場所をよ. す。本当にどうもありがとうございました。. でも、今日の話はひじょうに有益だったと思いま. しくみをつくる。個人と組織という、ふたつの立. ら」変えていくための「講的なもの」をつくり、. ないということです。本当の意味で人々が「下か. 両方がしっかりと機能していなければ、何もでき. 常に思うのは、パブリックと住民ひとりひとりの. 長谷部 その通りですね。 尾田 これまで、 「まちづくり」と総称されるよ うな活動にいろいろな立場で関わってきましたが、. のですが、それはやっぱり「上から」と一緒なん. とき、それがどういう意味をもっているのかとい. か で 個 人 が い く ら 動 い て も、 な か な か 社 会 は 変. る地域の近辺では少し前からブラジル人の人口が. は一度カオスを経験しましたが、その後の あ ら ゆ る も の を ヒ エ ラ ル キ ー 化、 組 織 化 し て し まったんですね。そういう形の定まった組織のな. 最初に少しふれたように私は畿内の文化が好き. わっていくことができない。だから、会社組織の. 増えており、小さな共同体がつくられはじめてい. うことが、人々に分かりませんとね。. ようなものとはまったく異なる形で個人が帰属意. ます。元から住んでいる住民の側には、やはり抵. で、特に在日朝鮮人や沖縄の人々の文化が根づい. 識をもてるような集合体というか、自発的に参加. 抗というか、閉鎖性も見られます。大阪のような. 現代における異文化 の 共 生 と 「下からの変革」. するような場をつくり、そこでの経験や学びが元. 文化をいくら真似しようとしても、そう簡単には 「コミュニティづくり」というような形で両者の はせべ・はちろう. 長谷部八朗. おだ・ひであき. 尾田栄章. 場をつなぐために必要なものとは何かという視点. それを行政や企業がじんわりと支えていくような. の組織のなかに生かされていく……。そういうし. いかないものです。行政の側でも、カタカナ語の. 年で. くみが日本社会のなかに必要なのではないでしょ うか。. ハウもない。きちっと地に足のついた方策ができ. さんから研究者まで、さまざまな分野の人たちが. 尾田 私事ですが、行基生誕1350年である来 年に向けて何かやっていこうということで、お坊. ないかと思っています。. やって付き合っていくべきか、という意味でも、. の で す か ら、 こ れ か ら の 日 本 社 会 が 他 者 と ど う. 見たくないような部分、非合理な部分も含んだも. るのだろうか?という疑問を感じます。. 融合を図ったりするわけですが、その経験もノウ. 長 谷 部 私 が こ う い う 研 究 を し よ う と し た の は、 まさにそこだったんですね。それは可能なのでは. 集まりました。私たちはそれを「行基鍋」と呼ぶ. ひじょうに役に立つ視点を提供してくれるのでは. 講のようなコミュニティのあり方というのは、. ことにしたのですが、まさに新しい「講」のはじ. ないでしょうか。. 駒 澤 大 学 学 長。19 50 年 ㈱尾田組取締役会長。1941 生 ま れ。 慶 應 義 塾 大 学 商 学 年 生 ま れ。 京 都 大 学 大 学 院 部 卒 業。 駒 澤 大 学 大 学 院 人 工 学 研 究 科 を 修 了 後、 建 設 文科 学 研 究 科 博士課 程 満 期 省 に 入 省。 年 に 退 官 後、 退 学。 駒 澤 大 学 仏 教 学 部 教 ﹁日本水フォーラム﹂ ﹁渋谷川 授を経て2017 年より現職。 ルネッサンス﹂などNPO法 著書に﹃ ﹁講﹂研究の可能性﹄ 人 を 立 ち 上 げ 代 表 に 就 任。 2013年より福島県広野町 職員として復興支援の活動を. まりだと思っています。行基の活動範囲であった. ど。. 行動︱︱秋田﹁内館文庫﹂資. 共著に﹃般若院英泉の思想と. 資 源 開 発と地 域 総 合 整 備 事. 屋王の時代︱︱行基集団の水. 経て現職。著書に﹃行基と長. 業﹄など。. 料にみる近世修験の世界﹄な. ︱︱カミとホトケの民俗誌﹄ 、. (Ⅰ~Ⅲ) 、 ﹃ 祈 祷 儀 礼の 世 界. 畿内全体がしっかりしていくために何をすべきか. 尾田 異文化の共生というのはひじょうに難しい ものであって、よく役場の職員なんかが「下から. といったことを考える場をつくる。今日は、その. 18 C E L N o v e m b e r 2 017 C E L N o v e m b e r 2 017. 19. 『伊勢参宮略図』 歌川(安藤)広重. 踊り唄、座敷唄などが、御師や全国から伊勢参宮をした人々によ り各地に広められたとされ、いつしか憧れの地名をつけ『伊勢音 頭』と呼ばれるようになった。地域により踊りの形もさまざまに変 化し、その起源をさぐることは困難だが、伊勢市の催事「伊勢ま つり」で披露される伊勢音頭は最も原型に近いとも言われている。 所蔵/玉造稲荷神社. 1. 伊勢音頭 きやり 江戸時代、この地方でうたわれる木 遣唄、祝儀唄、道中唄、盆 「一生に一度は伊勢参り」 「伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」といわれたよ うに江戸時代の人々はこぞって伊勢参りをしていた。当時、大坂の玉造を拠点に全国を行 商していた唐弓弦師・松屋甚四郎と源助は、旅籠の組合「浪花組(後に浪花講) 」を立ち 上げ、今の協定旅館のルーツをつくり、さらに旅のガイドブック『浪花講定宿帳』を発行 するなど、 「講」は経済や社会活動にまでどんどん広がっていった。. 98. 70. 写真提供/伊勢市役所産業観光部観光振興課.

参照