東 南 ア ジ ア研 究 20巻1号 1982年6月
パ ン カジ ェネ河流域 の土地 利用
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山地 と海岸 の対比 の視点か
ら-局 谷 好 一 *
Landuse along thePan皇kajene River,South Sulawesi
Yoshika.zu TAKAYA
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Wet-ricecultivation in liantimurungJa moun-tain villagelocated on theupperreachesofthe Pangkajene river,is characterized by non-plow cultivationinsmallswalessurroundedbylimestone cliqs・ InLabakkang,asmalltown located near themouthofthesameriver)theplow isaf unda-mentaltoolforricegrowlng. Besidesriceculti -vation?fish-raisingand salt-makingareimportant activities. Thisisanareawhere】anduseismoreor lesscommercialized・ From theview polntOfric
e-ま え が き この小 論 で は, パ ンカ ジェネ (Pangkaj e-ne)河流域 にあ る二 つの集落 の土地利 用 の描 写 を行 な って い る。 二 つ の集落 とは,一 つ は こ の 河 の ほ ぼ 最上 流 にあ るパ ンテ ィムル ン (Bantim urung)で あ り, いま一 つ は下流 の 三 角州 にあ る ラバ ッカ ン (Labakkang)で あ る。 この2集落 の実態 をみ る ことによ って, 環境形 成史 とい う観点 か らみた時 の,南 ス ラ ウェシの山地 と海岸 の意味 を考 えてみ よ うと す る もので あ る。 *京都大学東南アジア研究センター; TheCenter
forSoutheastAsian Studies,Kyoto University 94
culture geneology,Bantm url ung'Srice cultureis genuine Malay,asindicated by the practiceof `抄 occa,Orpreparingthesoilbytrampling,while thatofLabakkangischaracterized by many el e-mentsofIndianorlgln・ SouthSulawesi)sagrlCtl] -turecanthusbeseenasacombinationofmountain agrlCultllre,Which iseconomically self-contained andculturallymoreMalay,andcoastalagriculture,
whichismoremarket-orientedandmorelndianin
Orlgln・ Ⅰ パ ンテ ィム ル ンの土地利 用 パ ンテ ィムル ンは石灰岩 山地 の深 い山ふ と ころ に抱 かれた仙境 に も似 た と ころで あ る。 ここはほぼ完全 な 自給 集落 で あ り,
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種類 の 農地 を持 って い る。石 灰岩 凹地 の湿 田 と非石 灰岩地 帯 の棚 田, それ に焼畑 か ら転 じた と思 われ る畑 で あ る。 この うち,石灰岩 凹地 の湿 田 は,現存 す る面積 にお いて も, また長 い歴 史 を持 って い るとい う意味 にお いて も, 最 も 重要 な農地 で あ る。以 下, この章 で は この湿 田を中心 にパ ンテ ィムル ンの農業 を概述 して みた い。 トi 石灰岩 凹地 の稲作 a) 石 灰岩 凹地 の環境高 谷 :パ ンカ ジ ェネ河 流 域 の土 地 利 用 パ ンテ ィムル ン近辺 の地質 は石 灰岩 と火 山 岩 ,砂岩 ,頁 岩 な どか らな って い る。 その う ち,石 灰岩 は南画 風 の絶 壁 を いた ると ころ に 直 立 させ ,その景観 は剛 的で あ る。一方 ,その 他 の岩 は丸 味 を帯 びて緩 やか な斜 面を作 り, その風景 は女 性 的 で あ る。 土壌 的 に もこの二 つ はまた対席 的で あ る。 石灰岩地 区 はふ つ う 土壌 を欠 く。 た だ,絶壁 で囲 まれた凹地 な ど に,少 しばか りの黒 土 がつ め込 まれて い ると い った感 じで あ る。 これ に比 べて,非石 灰岩 地 区で は赤味 を帯 びた粗 粒 な土 が斜面 を比較 的広 く覆 って い る。 石 灰岩 凹地 は, いわ ゆ るカルス ト凹地 で あ る。 す なわ ち,地 下溶融 で空 洞 を生 じた石 灰 岩地 盤 が陥没 し,その結果生 じた凹地 で あ る。 した が って, 凹地 自体 はけ っ して平 坦 で はな く, デ コボ コ して お り,石 灰 岩 の岩塊 で満 ち て い る。沖積平 野 の よ うな厚 い土壌 の発 達 は な く, わず か ばか りの黒色 粘土 が そ う した岩 塊 の問 にた ま って い るとい った格 好 で あ る。 こ うい う地 質状 態 で あ るか ら,漏水 や湧水 が多 く,水 条件 は極 めて特異 で あ る。 実際 に 圃場 をみて みて も, ふ つ うの水 田 と異 な る と ころが多 い。例 えば, 田植 え期 に最 もよ く目 につ くことは,湛 水 した 田面 に直 径20-30cm ぐらいの渦 を生 じて,水 が地 下 に落 ち込 んで い る ことで あ る。 こ う した落 込 み穴 はルパ ン (lubang) と呼 ばれて い る。 ひ どい場合 は, 1筆 に2カ所 も3カ所 もそ うい うのが あ る。 百姓 は こ うい う吸込 み穴 をみつ け次第埋 めて い るが, それで もまた.新 しい穴 か ら落 ち込 んで い るの がみ られ る。 私 がパ ンテ ィムル ン でみた 最 大 の 割 れ 目は 石 灰岩 に 接 して, 幅 2m,長 さ 10m,深 さ 4m の もので あ った。 さす が に, こう した大 きな割 れ 目は埋 め る こ とはで きな い。 その周辺 に一 種 の築堤 を行 な って,水 の落 ち込 むの を防 いで い る。 また, これ ほど大 き くな くとも,埋 め られな い と こ ろ は土 を もって穴 を囲 み込 んで い る。 また, こう して囲 み込 まな けれ ば穴 が どん どん大 き くな るとい う。 逆 に, 田中 には稀 に自噴孔 が あ る。 こうい う自噴孔 の まわ りには, これ また小 さい土手 を築 いて, そ こを一種 の池 に して い る。 図1 に自噴孔 と記 した もの は 湧 口の 直径 2-3cm で あ るが, それ を 中心 に直径4m ぐらいの と ころを池 と して い る。 また, と ころ によ って は,金魚 藻 に似 た水 草 の生 えた沼 があ る し, 腰 まで も ぐるよ うな極 めて泥 深 な 田 もあ る。 植 付 け準備 期 に, 私 ど もは ここを歩 いた が, こう した水 田が いか に歩 行 しに くい もので あ るか ば十 分 に思 い知 らされた。不注 意 に歩 く と,突如非常 な深 み に落 ち込 む し, もっと悪 い ことには, 溶融 されて刃 の よ うにな った石 灰 岩 の角 が,泥 中 といわず地 表 といわず, い た る ところ にあ るので あ る。 私 ど ものひ と り は.バ ラ ンスを失 した拍 子 に こう した岩 の一 つ に もた れ かか って腕 を切 った ことが あ る。 b) 稲作 の模様 1) ・h il∴ 本 田準備 の方法 を画一 的 に述 べ ることはで きな い。 なぜ な ら, 田面 の様 子 が実 に千差万 別 だか らで あ る。例 え ば,非 常 に泥 深 い田で は人 々は素手 で そ こに入 って,手 と足 で草 を 踏 み込 んで (appocca), それで地 ご し らえ と す る。 それ ほど泥 深 くな くて も,岩塊 が いた ると ころ に突 っ立 って い るよ う な と こ ろ で は,体 を岩 の間 に滑 り込 ませ るよ うに して鍬 で 田打 ちをす る こともあ る。 畜 力 を利 用 す る前 に は,踏耕 (appocca)が 一 般 に行 われて いた耕 法 だ とい う。 動物 と型 の導入 後 も, 土地 の事 情 によ って は踏桝 が行 われて いた。現在 で も数筆 の深 田で は踏桝 が 行 われて い る。水 牛 によ る蹄耕 (appabonda) は現在 はな いが,昔 は して いた といわ れ る。 それ によれ ば,2-3人 が共 同で水 牛 を10-15 1)ブギス地域での稲作については Pelras[1974] を参照されよ。 95
東南 ア ジア研究 20巻1号 図 1 パ ンティムル ンの水 田 (測量を行な っていないので, 境界 は模式的な ものである) 図 1に番号で示 され た地点の説明 ① 井堰。幅約2m。水位 は約0.5m高め られる。 こ の井堰の上流にも,1960年代 に開 田された水 田が ほんの少 しある。 ◎∼④ カ ラエ ンの桑 田。 (身 幅1m の流れ。まわ りにはサゴヤ シ多 し。 ⑥ 石灰岩の小露頭が極めて多 く, 極端 な 場合 に 頭 集 め て , ① 水 牛 を 田 に追 い込 ん で 3回 ぐ ら い ま わ る, (参5日か ら1週 間 ぐ らい して革 が 腐 るの を待 って 砕 土 板 を曳 き, そ の 後 水 を 溜 め て お く, (参さ らに3日 ほ ど して手 で 雑 草 を と る, ④ さ らに また3日 ほ ど して 田植 え を始 め る, と い った 具 合 で あ った 。 現 在 で は しか し, こ こ に はす で に確 立 した 96 は,岩の間に身をす り入れて鍬がけ しなければな らない田。
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1981年現在,アポ ッチ ャで本 田準備を している田。 ⑩ 田中にある湧水。湧 口を中心 に直 径4m ぐらいのところを土手で囲 っ て池 としている。 ⑳∼⑩ 金魚藻 に似た水草 とオモダカ に似 た草多 し。 ほとん ど年 中湛水 し ている。泥深 く,膝あた りまで もぐ る。 ⑱ 湧水。 これを とりまいて直径2m ぐらいの ところが土手で囲われ池 と な っている。 ⑭ 泥深い田。ところどころに膝 ぐら いまで もぐるところあ り。 ⑲ 直径5cmぐらいの吸込み 口。湛水 期 には, ここか ら盛ん に地 中に水 が 落ち込む。 ⑲ 石灰岩が直径7-8mで環状にな ら ぴ,その中央が競 い泥土を持つ池状 にな っている。 ⑰ 極めて泥深 く,年間の多 くの期 間 湛水 している。 この田では,1981年 現在,アポ ッチ ャを行な っている。 ⑬ この周辺 は広 く,泥の薄い田が続 く。湛水 させ るのが困難な田。 ⑲ 幅1.5m の川。 ⑳ 泥深 くはないが,極 めて長期 に湛 水する らしく,金魚藻に似た草多い。 ㊧ 直径10cm ぐらいの吸込み口。 ⑳ 直径 1.5m ぐらいで ジ ョーゴ型 に 開いた吸込みロ。そのまわ りには土 手を築 いて,水の落 ち込むのを防止 している。 ⑳ 石灰岩 に接 した水 田中の割れ目。幅2m, 長 さ10 m,深さ4m。 ㊧ ⑩ と同 じ川。 ここでは幅0.5m にせばま り,水量 も著 しく減 じている。 ㊨ 川(手,⑤の末流。幅4mにな り,水量 は著 しく増 大 している。 型 耕 耕 作 法 が あ り, そ れ は次 の 通 りで あ る。 す な わ ち, ま ず パ ジ ェ コ (pa'jeko, ブ ギ ス 語 で は rakkala) と呼 ん で い る型 を か け る。 こ れ は2頭 曳 きで反 時 計 まわ り に ま わ る。 そ の 後10日 ほ ど して , 耕 起 され た 土 が柔 らか くな った こ ろ, イ サ ラ (isara)と呼 ん で い る砕 土 板 を曳 く。 これ は長 さ 1.5m ぐ らい の 一 種高 谷 :パ ンカ ジ ェネ河流域 の土地 利用 の エ ブ リで あ る。 重 しをつ け るた め に,泥 や 草 をお いた り, 幼 児 が その 上 に の った りす る, これ を牛 に曳 かせ る。 そ して, その直 後 に も う1度 梨 をか け る。 これ はパ リッ(bali') と呼 ばれ る。 その後 , 中2日ほどお いて,今 度 は馬 鍬 をか け る。 馬 鍬 はサ ラガ (salaga) と呼 ばれて い る。 サ ラガ か けの 目的 は砕土 と 均平 化 で あ るが, これ は次 の4段 階 を経 て漸 次 仕上 げ-持 って ゆ くとい う。 サ ラガ ・タ ム バ ン(salagatambang),サ ラガ ・タ ムバ ン・ビ
チ ュ (salagatambangbiccu),サ ラガ ・パ シア ラ (salaga pasiara),それ にサ ラガ ・パ ッレバ (salaga palleba) で あ る。 こ う した作 業 は共 同 (makkio,原 義 は 「人 を呼 ぶ」) で行 わ れ るので, 多 い時 に は1筆 中 に20頭 , す なわ ち 10組 もの牛 が入 って壮 観 で あ るとい う。 サ ラ ガ ・パ ッレバ の終 った 田 は土 の塊 が な く て, ち ょうど小麦 粉 を といた時 の よ うに ドロ ドロ して いな けれ ばな らな い とい う。 雨 が降 り続 いて あ ま り水 が多 い と土 が塊 に な って しまい砕 れ に くいので, サ ラガ を何 回 も繰 り返 さね ばな らな い。また,最初 の雨 は2 週 間 ほ ど続 くが, や りか けた 田 は この期 間 内 に本 田準備 を終 えて しまわね ば な らな い。何 故 な ら雨 が上 が って 圃場 が乾 いて しま うと, もう1度初 めか らや りな お さ ね ば な ら な い (kapoleang) か らで あ る。 も し, 半 分や りか けて, その ままず っ と雨 が釆 な い と,休 耕 田 (ku'lang)にせ ざ るをえな い。 濯鶴 のな い と ころで は現在 で もそ うで あ るが,昔 は こ う し た休 耕 田が多 か った とい う。 本 田準備 が始 ま ると, それ と並行 して 畦 ぬ り (a'tung kasa)を行 わ な けれ ばな らない 。
これ は,水 を保 つた め と, ネズ ミが そ こに住 まな い よ うに行 う。鍬 で下 の 田か ら土 を畦 に 上 げ (pa'bua'),上 の 田 の 壁 か ら手 で ぬ って (jampi) ゆ く。 これ をす るの は上 の 田の所 有 者 で あ る。 耕 超 の 終 っ た 水 田 に は木 の 葉 (daunj a-mbu biji)をその 中央 に立 て る。 これ は水牛 や人 が入 って はいけな い ことを示 すた めの も ので あ る。 苗代
苗 代準備 (pallapak binenge) は次 の順序 で行 われ る。 ① 鍬 が け,(封水 を入 れ る, (釘砕 土板 (イサ ラ) をか け る, ④ 型 をか け る (パ リッ), ①再 び砕 土板 をか け,5-10cm の水 深 に保 つ, (釘1日お いて か ら播 種 を行 う。 こ の よ うに苗代 田 には馬 鍬 はか けな い。 理 由 は 深耕 す ると, 宙 が張 って しま って酋 取 りが し に くいか らだ とい う。 こ う して 播種 され た苗 代 は水 牛 や猪 が入 らな い よ うに厳重 な柵 賄 い をす る。 播種用 の種 子作 りは,種 籾用 に残 して あ っ た穂 束 を男 が ゴザ の上 で足 で踏 み に じって行 う。 そ して, これ を コ コヤ シの葉 で編 ん だ袋 (kamboti) に入 れて 2昼 夜 流水 につ け る. そ の後, 家 に
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晩 お いてお くと催 芽 す るの で, これ を苗代 に播 く。 苗代 の位 置 は特 異 で あ る。 村 に は苗代地 と い う ものが い くつか あ って, そ こに村 の苗代 の総 て が作 られて い る。 こ う した苗代 団地 は 図 1に示 された よ うに,湿 地 の外 側 に, む し ろ石 灰岩 の露 出す る高 み にあ る。 よ り正 確 に い うと, 高 み だ けれ ど水 を 引いて こ られ るよ うな位 置 にあ る。 そ う した位 置 は広 いま とま りを持 って いな い。した が って,1筆 ず つ の苗 代 は猪 の額 の よ うな と ころ に作 られて いて, それ が岩塊 と薮 に挟 まれて,高 位,低 位 さま ざ まな と ころ に散 らば って い る。 籾 の浸水 か ら播種 まで の問 に は, いろ い ろ な儀 礼 が あ るO- 部 は Pelras[1974]に報 告 されて い る。 しか し,こ こで はそれ ははぶ く。 催 芽 した種 籾 は田の持主 の男 が播 く。 播種 時 には苗代 は湛水 して いな けれ ばな らな い。 し か し, 播種 後3日た つ と落水 す る。 どの苗代 に も, その 内周 にそ って幅20cm ぐらいの浅 い溝 が掘 って あ るが, この溝 に も水 がな くな東 南 ア ジア研 究 20巻 1号 る くらい落水 して しま う。 苗 代 は ほ とん ど乾 いた状 態 にな るので あ る。 そ して, この状 態 で苗 取 りまで経 過 させ る。 いわ ば,半 分 陸苗 代 の よ うな もので あ る。 何 故 落水 させ るの か と聞 くと,三 つ の理 由を挙 げ る。 第1は昔 か らそ うや って い るか らで あ り, 第 2は落水 し な い と苗 が lu'mu' (弱 い, 軟 らか い) にな って葉先 が枯 れ て しま うか らで あ り, 第 3に は落水 して お か な い と苗 取 りの時抜 きに くい か らだ とい う。 播種 後1カ月 ぐらいす る と, 苗代 に水 を少 し入 れて宙 取 り (manrembll) をす る。 これ は若 い女 が多 勢 で行 う。 百代 に しゃがみ込 ん で, ま るで畑 の草 を とるよ うに苗 をむ しりと って ゆ く。 そ う して, 一 握 りず つ お いて お く と, 他 の一 群 の女 が近 くの水 溜 りに運ん で, その根 を洗 い, すね や腕 に打 ちつ けて泥 と砂 を落 す。水 が苗代 にあ る時 は水 面 に打 ちつ け る。 こう して きれ い に された宙 は,樹 皮 で作 った即席 の紐 で直径25cm ぐ らいの束 に しぼ られ る。 この時, 長大 す ぎ る苗 はその先 が切 り落 され,25cm ぐらいの もの に揃 え られ る。 こう した束 は, や がて男 によ って天秤 棒 で 田 に運 ん で ゆか れ る。 成 育 中の苗 は どれ をみて も, 過 密 で極 めて 発 育 が悪 い。肥 料 も10日目に ウ リアを少 し入 れ る ぐらいで一 般 にほ とん どや らな い。 しか し, 百姓 た ち によ ると, これ は意 図 的 にそ う や って い るの だ とい う。 こ こで は種子 を播 く 時,一 度 播 き, その上 に も う一 度 重 ね播 きを し, さ らに最 後 に もう一 度 その上 - 播種 し て, 意識 的 に厚 播 きにす る。 も し薄 播 きにす ると,苗 はみず みず しく肥 って, 必 ず ネズ ミ の え じきにな って しま うとい う。 線香宙 だ と ネズ ミも襲 って こな いか ら, わ ざ と線 香苗 に す るの だ とい うので あ る。彼 らは, この三 重 播 きは海岸 の ラバ ッカ ンな どに は知 られて い な い山地 独特 の手 法 だ とい う。 植 付 け後 98 最 後 の馬 鍬 で あ るサ ラガ ・パ ッレバ が 終 る と, す ぐ植 付 け に入 る。 植 付 け もまた共 同作 業 で行 われ る ことが多 く, 主 と して 女 が 行 う。 植付 け は指 で行 い, 植付 け棒 な ど は用 い な い。 1株 に 3-4本 の宙 を 20-25cm 間 隔 で5株 ずつ, う しろ に下 が りな が ら植 えて ゆ く。 最初 に田の長辺 に平 行 にまん 中 に1列 だ けが植 え られ る。 正 条 植 え は除草 の便 利 の た め に最近導 入 された もので あ る。 植 付 け後 1週 間 す る と落水 して, 3日間 田 を乾 かす。 植 え 付 けた 直 後 の水 は汚 れて い て, これ は入 れ替 え る必 要 が あ る と考 え られ て い るので あ る。 こう して3日間, 田を乾 か した の ち,再 び湛水 す る。この湛水 はふつ う刈 取 り期 まで保 た れ る。 稲 が黄 や赤味 (ca'raト la) を帯 びて くる と, また水 を抜 いて乾 かす (mabikasa')。 もっ と も,乾 田 にす る と雑 草 の 成 長 が 旺盛 にな る。 植 付 けが完 了 す るとす ぐ柵作 りに入 る。 村 の水 田を全 て柵 で囲 い込 むの で あ る。一 番端 に 位 置 して い る水 田 の 保 有者 な い しは 耕作 者 が, 柵 を作 る義務 を負 う。 隣部 落 のマ ラカ (Malaka)で は柵 を作 って か ら田植 え を行 う。 除草 (accapo)は分乗 期 に 1度行 う。 この時, 畦 の草 を竹 - ら(pabarrasaりで そ ぐ。 これ は ネズ ミが畦 に巣 を作 るの を防 ぐた めで あ る。 除草 は稀 に2回行 う人 もい る。 この ころ害 虫 防除 のた めの薬 剤散布 を行 う。 この 部 落 で は, この 目的 のた めの噴 霧器 の普及 が驚 くほ どよ く行 わ れて い る。
刈 取 り (a'kattong) は穂摘 み具 (pakkatto, ジ ャワの ア二 ・アこ と同 じ) で穂 首 だ けを刈 る。 女 た ちが ここで は カ ネ ジ ャ (kaneja) と 呼 ばれ るコテを手 にはめて, 大 きなかぶ り笠 を皿状 に頭 にお いて収 穫 して ゆ く。 ふつ う, 新 品種 の脱 粒性 の高 い品種 が入 る と鎌 が用 い られ,根刈 りにな る もの で あ るが, この部 落 で は75% が IR・42な どの新 品種 で あ るに も か か わ らず, い まだ に 穂摘 み を して 屋 根 裏
富谷 :パ ンカ ジ ェネ河 流 域 の 土 地 利 用 (panakkang) に貯蔵 す る 方 法 が と られて い る。 ここの水 田 に は本来 裏作 はなか った。 しか し, 近 年 で は一 部 の水 田 に大豆 が裏作 と して 作 られ るよ うにな った し, また焼 畑 がで きな くな った ので, トウモ ロコ シを植 え る こと も 行 わ れ る。 ご く一 部 の水 が か りの よい と ころ で は, 3毛作 の行 われ ると ころ もあ る。 この 場合 , 1月 か ら5月 まで が稲,6月 か ら9月 まで が大豆, そ して10月 か ら12月 まで が トウ モ ロコ シで あ る。 時差耕作 パ ンテ ィムル ンで は苗代 は ほぼ3段 階 に分 けて播種 され る。 早 播苗代, 中播 苗代 , 晩播 苗代 で あ る。 そ して, それ らがそれぞ れ に団 地 を作 る。 早 播苗代 が播 かれて20日す る と中 播苗代 が播 かれ, さ らに15日す る と晩播苗代 が播 か れ る とい う。1980/81年 の場 合 ,早 播 苗代 は12月16-17日 (新暦 , 以下 総 て新暦 ) に播か れた。 特 筆 すべ き ことは,苗 代 だ けで な く本 田 自 体 が い くつ かの地 区 に分 け られ, 各地 区 は決 ま った作 李 を持 って い る ことで あ る。 こ う し た ことの行 われ る理 由 は, 村 人 によ る と極 め て は っき り して い る。 登 熟 期 に入 って か らの 稲 を野獣 か ら効果 的 に守 るた めで あ る。 こ こ は野豚 が極 めて多 く,猿 も多 い。 昔 は鹿 も多 か った とい う。 彼 らにいわせ ると,刈 取 り前 の半 月 ぐらいが勝 負 時 だ とい う。 この時期 に は, 村 の総 力 を挙 げて, こう した 動物 と対 決 しな けれ ばな らな いので あ る。彼 らは稲 田全 体 を厳 重 な柵 で囲 い見張 り小 屋 を建 て,昼 夜 兼行 で見張 りをす る。 彼 らによ ると, この見 張 りは一度 に村 の全 ての 田で行 うことは不 可 能 で あ る。 した が って,少 な くと も水 田を作 李 の異 な る3区 に分 け, それぞ れの地 区 に刈 取 り前 の半 月 ず つ, 集 中的 な管理 が行 え るよ うにす るの だ とい う。 しか し, 現 実 には作 付 時期 は降雨状 況 と各水 田の水 利 とを計算 に入 れて ,湛水 確保 の難 しい圃場 を優 先 的 に行 い, 濯 鶴 田 は最 後 にまわす よ うな ことにな って い る。 また, 動員 で きる労 働 力 に応 じて仕 事 を 進 めて ゆ くよ うな傾 向 もみ られ る。 柵作 りが とか く最近 お ろそ か にな りつつ あ るの と軌 を 一 に して,伝 統 的 な きっち りと した時差耕作 が くず れ つつ あ るのか も しれな い。 稲作 作業 の 中で最 も忙 しい仕 事 は, この柵 と見 張 り小 屋作 りで あ る。 早生 地 区で は2月 後半 には柵作 りが始 ま る。 晩生 地 区 の植 付 け は3月上旬 まで続 く。 だか ら, 2月 後半 か ら 3月上旬 にか けて は,女 は田植 え, 男 は柵作 りを行 う。 柵作 りは3月,4月 が 中心 で, も っぱ ら男 た ちの共 同作 業 と して行 われ る。 深 い山 中で広 大 な森 に囲 まれて行 う稲作 で は,何 に も増 して獣 害対 策 が重 要 で あ る。森 が消 滅 し,農地 が高密度 で広 が って しま った 日本 な どで は考 え られ な い状況 で あ る。 柵 に よ る防禦 を確 実 にす るた め に時差耕作 とで も い って よい方式 を編 み 出 し,村 が全 会一致 し て, この 申 し合 わせ を守 って い る。 こ う した もの をみて い ると,何 か し ら, ここは柵社 会 とで もい って よいので はな いか とい うよ うな 気 さえ して くる。 少 な くと も, それ は私 ど も が 日本 で なれ親 しん だ水 利 慣行 に しぼ られ た 稲作 とは全 く異質 の もので あ る。 C) カ ラエ ン (karaeng)の 田 と姶耕祭 い い伝 え によ る と,パ ンテ ィムル ン- の水 稲 の導 入 は13-14世紀, の ち に こ の 村 の 王 にな る カ ラエ ン・パ ンテ ィムル ン (Karaeng Bantimurung)によ って な された とい う。 そ
れ以 前 こ こには焼 畑 の陸稲 しかなか った。 そ の カ ラエ ンの 田 とい うのが この集落 に残 って いて, 最 後 の カ ラエ ン在 世 中 は毎 年 そ こで 田 植 え始 めの祭 りが行 われて いた。 カ ラエ ンの 田 とその 田植 え始 めの祭 りをみ る ことは, こ の あた りにお け る最初 の水 稲耕 作 の あ りさま を知 る手 か か りにな ろ うか と考 え るので, そ の ことにつ いてふ れ てみ る。
東 南 ア ジア研 究 20巻1号 田植 え始 めの祭 一定 の水 田区画 ごとに水 田の耕起始 め と田 植 えの開始 は儀礼 的 に決 め られて お り, それ よ り以前 に耕 起, 田植 えを行 うことは禁止 さ れて い る。 これ は広 くブギス ・マカ ッサル人 の社会 にみ られ ることで,例 えば シ ドラ ップ (Sidrap)県 で は この伝統 を政府 が利用 して, 濯親水導入後 の作李 の地 域 ご との割 当てを細 か く決定 して い る。 また, マカ ッサル語 で ア ッパ リリ(appalili)と呼ばれ る始耕祭 もその よ うな ものの一 つで あ る。 パ ンテ ィムル ンで は, この け じめをつ け る祭 りが田植 え始 め と して残 って い る。2)現在 は ピナテ ィ(pinati)と 呼 ばれ る祭 司が毎年星 をみて 田植 え始 めの 日 取 りを決 め, その水 田区画 に田を所有 す る村 人 は, ピナテ ィがその水 田で 田植 えを終 えて か らのち,初 めて 自分 た ちの田植 えを行 うこ とがで きる。 カ ラエ ンの制度 が公式 にな くな った現在 で は祭 田には村人 が集 ま らな くな った が,昔 は カ ラエ ンの 田植 えの時 には, モス ク,水 浴湯 で使者 が何 日に田植 え始 めを 行 う と告 げ る と,村人 が当 日祭 田 に集 ま り,何十頭 とい う 水牛 が一斉 にサ ラガか けを し, その直後 に女 性 が 田植 えを した。 これ らの仕事 が始 ま る前 の行事 の一 つ と して, カ ラエ ンの一家 が儀 礼 負 (songkoro')を祭 田の傍 らで共食 し,水午 を 屠 って人 々にふ るま った とい う。 なお, 戟前 には水牛 でな く人 の足 による踏桝 が伝統 的 に この祭 田で行 われて いた らしい。す で に現在 で は, いずれの祭 田で も踏耕 は行 わ れ な い が,昔 の祭 田の一部 で,分割相続 された数筆 の水 田 は,泥 深 いた め にいまで も踏耕 しか行 われて いな い。 祭 田の立地 2)もうーっ山奥の トンドンクラ (TondongKura) では,昔はappaliliがここで もあり,ピナティ が始耕条をして7日後に初めて一般の者が田仕 事を開始できたという。 100 カ ラエ ンの祭 田 は石灰岩低地 の湿 田の一 つ で あ る。 もっと も しか し,近 年 カ ラエ ンの 田 は元 の姿 がかな り変 え られた。例 えば, あ る カ ラエ ンの祭 田で は, そ こに土砂 が流 れ込 ん でず いぶん水 はけの よい浅 い田 にな って しま った。 また, や は り近年 の ことで あ るが,土 地利用 が高度化 され るとと もに, 田の近辺, 特 に田中の樹 木 が切 り払 われて,全体 的 に木 のな い明 るい場所 にな った。 その はか に社会 的な変化 もあ る。例 え ば, オ ラ ンダ時代 に祭 田が職 田に指定 された経緯 や, それが カ ラエ ン制度 の廃止 とともに土地 所 有 が 細 分 化 さ れ,祭 田自体 も相続,分割 の対象 とな った よ うな事 実 もあ る。 こ うい う事実 を頭 の中 に入 れて,現在 の祭 田の状況 か ら,本来 の祭 田の 環境 を推察,復元 してみ ると, それ は次 の よ うな もの にな る。 まず何 よ りも,祭 田は うっそ うと した林 の 中 にあ った。 しか もそれ はふつ うの林 で はな く,三方 を石灰岩 の急崖 で囲 まれた一種 の地 の底 の よ うな ところであ る。 まわ りの急崖 は 常緑 の木 や蔓で覆 われて い る。 さ らに, 凹地 の 中 に点在 して い る石灰岩 の小岩塊 も常緑樹 で深 く覆 われて い る。 こん な状 態だか ら,凹 地 は熱帯雨林 の緑 の中 にで きた落 し穴 の よ う な格 好 にな って い る。 最初 の耕作 と して は, こう した 中で点在 す る緩傾斜 部 に焼畑 が行 われたであ ろ う。落 し 穴 の最底部 は過湿 す ぎて駄 目で あ るが, 急崖 の裾 に時 に発達 す る崖錐 は,陸稲,莱 , トウ モ ロコシ, イモ類 な どの栽培 に利 用 され たの で あろ う。 こうい う焼畑耕作 はかな り長期 に 続 いた と想像 され る。 祭 田の位 置か ら判 断す ると,最初 の水 稲耕 作 は こ うした崖錐 の焼畑地 と直接 関係 して い そ うで あ る。 一般 に, 崖錐 の脚部 は水 で飽 和 してお り, 時 に湧水点 をなす。崖錐 中を伏 流 して きた水 が ここに疹 出す るので あ る。 こう した ところ は土 が年 中軟 らか く, 踏みつ け る
高谷 :パ ンカ ジ ェネ河 流 域 の土 地 利 用 とす ぐ泥 化 す る。 畦 を築 き, 踏 みつ け さえす れ ば, そ こにはすで に水 稲 を植 え付 け るの に は好適 な状 況 が簡単 に作 り出せ る。 さ らに推 察 を重 ね ると, お そ らく当時導入 された稲 品 種 は畑 で も水 湿 地 で も生 き られ るよ うな稲 で あ った ので あ ろ う。 この ことは, い まで も南 ス ラウェ シに はそ うい う稲 が散 見 で き る こと か らも想 像 で き る。 こう した いわ ば水 陸両 用 の品種 は, この新 し く作 られ た崖 錐脚 部 の水 田で おお い に繁茂 した だ ろ う。 想 像 す るに, その時稲 は, たぶん は この新 開 の水 田か ら, それ よ り上 位 の焼 畑 -, あた か も連続 す るよ うな形 で作 られた に違 いな い。 最 初 の水 田が この凹地 の 中で も最底 部 の沼 的 な と ころ に導入 された もので な い ことは, この祭 田地 域 の その後 の水 田の拡 張 をみ て い て も明 らかで あ る。 土地 の人 は祭 田周辺 につ いて は1筆 ず つ の開 田時期 を よ くこ知 って い る が, 一般 に, よ り沼 的 な と ころ とい うの はほ とん どが17世紀 や18世紀 な ど後世 の開 田で あ る。 要 す るに, 開 田 は崖錐 に近 い と ころか ら よ り低 い沼地 -広 が って い るので あ る。 パ ンテ ィムル ン以 外 に も, この あた りの カ ル ス ト凹地 にはカ ラエ ンの 田 と い う の が あ る。 その一 つ は, 約
1km
束 の エル タ ラ ッサ(
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eTa
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)
で あ り, い ま一 つ は5km
東 の マ ニ ア ンパ(
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で あ る。 こう し た と ころの状 況 も考 え合 わせ る と, カ ラエ ン の 田の立地 につ いて は次 の よ うに一般 化 す る ことがで きる。 ィ.石 灰 岩 急 崖 の下 の崖錐 脚 部 に位 置 して い る。 ロ. その 中で も特 に大 きな湧水 , も しくは 湧水 に濫溝 され た流 れの近 くにあ る。 -.水 分 は 十 分 に 供給 され るが, け っ し て, いわ ゆ る沼 的環 境 で はな い。 む し ろ,緩 傾 斜 の湧水 点付 近 とい う位 置を 占 めて い る。 最 初 の水 田 は上 の よ うな水 文 的環 境 を持 つ と ころ に, まわ りを極 めて深 い森 に 囲 ま れ て, しか も型耕 な しで行 われた ので あ ろ う。 か つ て 祭 田 で 行 わ れ た と思 われ るアポ ッチ ャ耕作 は, 現 在 で は 祭 田 の近 くの数 筆 に し か残 って いな い。 しか し,1950年代 まで は, まだ 一 般 の 水 田 に も時 にみ られた とい う。 現在 アポ ッチ ャを行 う数筆 は図1に示 して あ る。 トii 畑 と新 田 石 灰岩 凹地 の水 稲 耕作 だ けがパ ンテ ィムル ンの農業 で な い ことはすで に述 べ た。 ほか に 畑 と棚 田が あ る。 a) 価 い まで は焼 畑 は極 めて少 な くな って しま っ て い る。 む しろ,常 畑 な い しは準常 畑 とで も い うべ き もの が 中心 を 占めて い る。 常 畑 が発 達 す るの には二 つ の立地 が あ る。 一 つ は先 に議論 した石 灰岩 の崖 錐 の うち, 漢 水 点 よ り上 の高燥 部 で あ る。 い ま一 つ は, 凹 地 中 に亀 の 甲状 に盛 り上 が った一種 の小 台地 の上 で あ る。 こ う した畑地 でふ つ うに作 られ る もの は トウモ ロコ シで あ る。10月 に播種 し, 1月 に収 穫 す る。 そ して, その あ とにはす ぐ 鍬 をか け,大 豆 か もう一 度 トウモ ロコシを作 る。 いわ ゆ る2毛作 で あ る。 準常 畑 とい って い る もの は,多 くは非石灰 岩 の緩 い赤土 の斜 面 にあ って,常畑 よ り粗雑 な外観 を呈 す る。 トウモ ロコシが圧 倒 的 に多 く, その 中 にサ トイモや キ ャ ッサバ , シ ョー ガ, カボ チ ャ, さ らに はバ ナナ,パパ イヤ な どが混作 されて い る。 こ う した一見焼 畑 的 な 作 物 の混在 が, この準常畑 を粗雑 にみせ る。 準常畑】で は,最 初 の2年 ほどは トウモ ロコ シ を多 く作 るが, や がて キ ャ ッサバ とバ ナ ナが 多 くな り, 草 も多 く混入 して くる とい う。 こ うな る と, また そ こを新 しく開 きなお し, ト ウモ ロコシを植 え る, いわ ば一種 の切替 え水田 で あ る。 101東 南 ア ジア研 究 20巻1号 以 上 の もの とはは っき り違 った外 観 を呈 す る もの に, 家 の近 くの菜 園 が あ る。 こ こに は, キ ャ ッサバ , サ トイモ, ナス, トーガ ラ シ, ケ - トー, ネギな どの野菜 の ほか に,バ ナ ナ,砂糖 キ ビ,パ パ イヤ な どが密 に植 え られ て い る。 この場合 の キ ャ ッサバ は葉 を食 うた めの野菜 で あ る。 こう した作 物 が年 中家 の ま わ りに緑 を保 って い る。 この菜 園 の面 積 は し か し, それ ほど広 くな い。 畑 を全 体 と して見 渡 す と, この よ うに, 莱 の まわ りの菜 園 に は野菜 を, そ して離 れた畑 に は トウモ ロコ シを作 る とい うの が基 本 的 な 構 成 で あ る。 トウモ ロ コ シは若 い もの を その ま ま食 うこと もあ るが, ひ き割 りに して米 と 混ぜ て主 食 と して食 べ る。 大 豆 は ご く近 年 に な って作 られ るよ うにな った もので あ る。 い まで もあ ま りこ こで は食 われず, む しろ一 種 の換金作 物 にな って い る。 b) 棚 田 こ こで 棚 田 とい って い る もの は,火 山岩 や 砂岩 ,頁 岩 な ど,非 石 灰 岩地 帯 に広 が って い る。 山腹 を緩 く這 い上 が って いて,多 くの場 令 , 赤味 が か った黄 色 の土壌 を持 って い る。 村人 はふ つ う水 田を, その水 条 件 によ って タ ナ・バ ラ ン (tana bal礼ng) とタナ・ラ ンコ (tana rangko) に二分 す る。 前者 は水 持 ちが よ く, た とえ干天 が続 いて も, ど こか らか水 が集 ま って きて, かな り長 い間 湛水 す る水 田 で あ る。一 方, 後者 は雨 が降 ると一 気 に畦 を 越 す冠水 が あ り, しば しば洪水 害 を さえ起 こ す ので あ るが, 降雨 が停 止 す ると, 早 い場合 には数 時間 に して, お そ くと もト2日のの ち にはその水 を な く して しま う田で あ る。 そ し て, 日が照 り続 け る と,す ぐに地 割 れ(te'nge -reり が起 こる。 お お ざ っぱ に い う と, 前者 はカルス ト凹地 の湿 田 にあた り,後者 はい ま ここで述 べ て い る非 石 灰 岩地 帯 の棚 田 にあた る。 棚 田で もその農作 業 は石 灰 岩 凹地 の それ と 102 変 らな い。 縦,槙 に型 をか け, イサ ラで砕土 し, も う
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度 型 をか けて, その あ とを馬 鍬 で な らす。 そ して, その直 後 に指 で植 え付 け る。 た だ, 人 々は湿 田 との違 いを次 の ご と く い う。 本来 , 田植 え は女 だ けの仕事 で あ る が, そ こで は男 も しな けれ ばな らな い と。 何 故 な ら, この タナ・ラ ンコ地帯 で は, 雨 が降 って もア ッとい う間 に水 が 引 い て し ま う の で,短 時間 の うちに田植 えを完 了 して しま う 必 要 が あ る, そのた め に は, な りふ りか まわ ず男 も田植 え に参加 す る必 要 が あ るの だ と。 こう した 棚 田 は また ガ ル ン・バ ッカ ( ga-1ung bakka)と も呼 ばれて い る。新 開 田 とい う意 味 で あ る。 その開 田が いず れ も極 めて新 しいか らそ う呼 ばれ て い るので あ る。 と ころ で, 同行 の Ohara氏 (郷土 史 家) によ る と, この ガル ン・バ ッカ はた とえ い まか ら100年 た った と して も, なおかつ ガ ル ン・バ ッカで し か あ りえな いの だ とい う。 ガ ル ン・バ ッカ は 時間 がた った とい うだ けで は,一 人 前 の水 田 に は入 れ て も らえな いので あ る。 同氏 に よ る と, 厳格 な意 味 にお け る水 田 とい うの は例 の 石 灰岩 凹地 の湿 田だ けで しか な い の だ と い う。 山地 にお け る, 人 々の水 田 とい う もの に 対 す る潜 在 的 な イ メー ジを垣 間 み た よ うな気 が した 。Ⅰ
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ラバ ッカ ンの土地 利 用 ラバ ッカ ンは海岸 平 野 に位 置 して いて, 稲 作 と養魚 と製塩 を行 な って い る。 それ は幹 線 道 路 に も近 く,都 会 的 で もあ る。 か く して, その風景 や生 活 の様 子 はパ ンテ ィムル ンの そ れ とは全 く異 な る。以 下 に は, この ラバ ッカ ンの 自然環 境 と土地 利 用 につ いて述 べ た い。 ⅠLi 三 角州 の景観 パ ンカ ジ ェネ河 は海岸 にいた る と, そ こで 見事 な三 角州 を広 げ る。 三角州 の扇頂 か ら海 岸 まで の距 離 は約10km で あ る。 ラバ ッカ ン高 谷 :パ ンカ ジ ェネ河 流域 の土 地 利 用
は この三 角 州 が持 つ数個 の分 流 の一 つ に接 し
て い る。 ここは古 い港 町で もあ る。 ラバ ッカ
ン以 外 に もこの三 角州 には, い くつか の古 い 港 が報告 されて い る。 北 か らラバ ッカ ン, シ
ア ン (Siang),パ チ ェ ロ ン (Paccelong)で あ る。 い まの県 都, パ ンカ ジ ェネ は現在 の本 流 ぞ い に位 置 して い る。これ らの新 ,旧の港 町 は いず れ も似 た よ うな 立地 を持 って い る。 海岸 部 よ り5-6km 入 り込 ん だ, 感潮 帯 の上 限 とい う位 置で あ る。 お そ ら く, 三 角州 を流 れ る本流 が その河 筋 を変 え るた び に, 港 の位 置 は変 り, しか し, いつ も 感 潮 帯上 限 とい う位 置を選択 し続 けた の で あ ろ う。 地形 的 にみ ると, パ ンカ ジェネの三 角 州 とその周辺 は図 2 の よ う に 分 類 で き る。 す なわ ち, 同河 川 の分流網 が支 配 す るい わ ゆ る 三 角 州 と,河川 よ りも海 が よ り大 き く支 配 す る 擬 海帯 よ りな る。 そ して, これ らの背後 に段 丘 と丘 陵 が あ る。 瀕海部 で最 も典 型 的 な もの は砂州 と 潟 で あ るが, その背 後 に三角州 との 中間 的 な もの と して干 潟 が あ る。 段 丘 は低 位 段 丘 と高位 .段丘 に分 け る ことが で きる。 低位 段丘 は低平 で ほ とん ど傾斜 が な く, まだ海岸 平 野 とい う感 じがす る。一 方 , 高位段 丘 にな ると, 起 伏 が大 き く な り, その地 表 は赤 土 で覆 われ て いて, む し ろ丘 陵 の仲 間 とい う感 じにな る。 図3には同 じ場 所 の 土 地 利 用 が示 して あ る。 こ こには,水 田,養 魚池 , 塩 田, マ ング
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and [コ see F.g 4 / ma・n road図 3 パ ンカ ジ ェネ三 角 州 の土地 利 用
高 谷 :パ ンカ ジ ェネ河 流域 の土 地 利 用 ローブ・ニ ッパ林 ,薮 ・疎林 ,独 立丘 が識別 さ れて い る。 この土地利 用 図 は,1960年 ごろ撮 影 の航 空写 真 を もとに作 製 した もの で あ る。 この図か らもわ か る通 り, 海岸 地帯 の土地 利 用 の主 た る もの は, 第
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が三 角州高 位部 と低 位段丘 上 の稲作 で あ り,第 2が三 角州 低 位部 な らび に潟 にお け る養魚 と製塩 で あ る。 以 下 に, それ らの土地利 用 の概要 を示 す。 Ⅰトii 稲作 稲作 の基本 的 な作 業 は,三 角州上 で も低 位 段丘 上 で もそれ ほ ど変 らな い。 と もに天水 1 期作 で あ る。 a) 標 準的 な稲作 作業 .=rITl..、 苗代 は毎年 決 ま った ところ に団地 を形 成 し て作 られ る。 それ は家 に近 くて管理 し易 い こ とを第 1の条 件 と し, 第 2に高位 で水 はけの よい と ころ とい う条 件 が求 め られ る。集 中豪 雨 で苗 が冠水 死 す る ことを恐 れ る か らで あ る。 ふつ う苗代 には港 鶴水 の給水 口 は な い が,排 水 用 の落 し口 は設 け られて い る。 苗代 の地 ご しらえ は,11月 の終 りごろか ら 始 め られ る。 それ は1回 の型桝 とその後 の鍬 での砕 土 で あ る。12月 中/∈引こな って, い よい よ播種 とい う時 にな ると,人 々 は浅 く湛水 し た 田 に入 って,指 を熊手 の ご と く用 いて, そ こに残 って い る草 とその根 を丹念 にか き集 め て拾 い出す。 草 が と り去 られ ると, エ ッス (esse)をか け る。 これ は重 いエ ブ リで,パ ン テ ィムル ンの イサ ラに酷似 して い る。 ココヤ シの幹 を130cm ぐ らいの長 さ に切 り,それ を 二 つ割 りに し, そ こに直角 に竹 の柄 をつ けた もので あ る。 しば しば, この上 に石 塊 を しぼ りつ けて,適 当な接地圧 が生 じるよ うに して あ る。 3-4cm に湛水 した 田で, これ を手 で 曳 いて, 均平 化 を行 う。 あ とはそ こに竹 ヒゴ を立 て,簡単 に短冊 型 に区切 り, 落水 して, 催芽 籾 を散播 す る。 播種 後 に は, た いて いの 苗代 は低 い柵 で囲 い込 まれ る。 これ は,鶏 や 水牛 が入 り込 む の を防 ぐた めで あ る。 発 芽 した稲 が 2cm ぐらい にな る と,初 め て浅 く水 が溜 め られ る。 これ はその後,原則 と して苗取 りの時期 まで貯 え られ るはず なの だが,実 際 には しば しば干上 が って しま う。 それで も百姓 はあ ま り気 に しな い。宙 は こう い う状 態 で30日ほど苗代 におか れ る。 運 巨し 本 田準備 はまず型耕 に始 ま るが, これ は2 頭 の水 牛 に曳 かせ て行 う。 ふつ う2アダ ワ ン (adawan)3)を1単位 と して行 う。 大 きい 田だ と, それ を2アダ ワ ンず つ に分 割 して仕事 を 進 めて ゆ く。 最初 は長辺 に平行 にす くが, 1 日か2日をお いて今 度 は短辺 に平行 にす く。 型 は耕作 者 か らみて,土 が右 側 に反 転 す るよ うに作 られて い る。 型床 の ほ とん どな い, マ レー型 の もので あ り,パ ジ ェコ とか ラ ッカ ラ と呼 ばれて い る。 ラ ッカ ラで荒 起 こ しを した あ とには, た っ ぷ りと水 を入 れて サ ラガか けが行 われ る。 こ の サ ラガ に は長 さ40cm ぐ らい はあ る太 い爪 が 7本 ほどつ いて い る。 この馬 鍬 が け は極 め て特異 で あ る。 これだ け長 い爪 が泥 中 に突 き ささ るので あ るか ら, これ を曳 く水牛 は大変 で あ る。2頭 の水 牛 が力 を合 わせ て曳 いて も, せ いぜ い 40-50cm も曳 くと, もう土 の重 み で これ以上 は曳 けな い。 そ こで,耕 患者 はサ ラガ の爪 を土 中か ら引 き抜 いて,荷 を軽 く し, 水 牛 が前進 で き るよ うにす る。 この爪 を抜 く 動作 は, しか し, サ ラガ を持 ち上 げて行 うの で はな い。 ここには斜 め前方 に突 き出 した2 本 の太 い脚 がつ いて い るので, これ を支点 と して,7
本 の爪 を浮 き上 が らせ るので あ る。 支点 を得 るた め には,耕 患者 はた だ その まま の姿 勢 で, サ ラガの- ン ドルを急 に前方 に押 し出す だ けで よい。 そ うす れ ば水牛 の牽 引力 と合 わ さ って,7本 の爪 は浮 き上 が る。 この 3)水牛が2時間かかって耕せる面積。 105東 南 ア ジア研 究 20巻1号 結 果,40-50cm 曳 き寄せ られて きて,小 さ く盛 り上 が った泥 はそ こに泥 の小 山を残 し, サ ラガの爪 はその上 を通過 す る ことにな る。 通 過 した とたん に, 今 度 は- ン ドルを う しろ に引 き, 再 び7本 の爪 を泥 中 に突 きさす と, それ は再 び泥 を運 ぶ ことにな る。 この動作 を 繰 り返 す と, 結果 的 に は, 枕状 の泥 の小 山 が い くつ もで き るよ うにな る。 この作 業 は水 牛 に も人 間 に も大変 な重 労 働 で あ る。水 牛 は もちろん サ ラガを思 い き り曳 か ね ばな らな いので あ るが, さ りとて曳 き っ ぱな しとい うことで は, と うて い体 力 が持 た な い。 か くして, 人 と水牛 は呼吸 を合 わせ, な るだ け無 駄 な力 を入 れな い よ うに工 夫 して 作業 を進 めて ゆ く。 このた め に,耕 患者 は一 つ の小 山 を完 成 す るご とに1節 を終 る歌 を歌 い続 け る。 そ して ,水 牛 は この歌 に合 わせ て , 思 い き り曳 いた り, 休 ん だ りす るので あ る。 この作 業 はマ ック ンブ ン (mattambung)と呼 ばれて い る。 サ ラガか け は この1回だ けで終 るわ けで は な い。 2-3日お いて, 今 度 は小 山 を谷 に落 し込 み,逆 に小 山で あ った と ころを谷 にす る よ うに土 を動 かす。 この 作 業 は マ ッギ リン (maggiling) とい う。 この マ ッギ リンの あ と に, さ らに も う一度 全 体 を平 らにす るた めの サ ラガか けをす る。 これ を マ ラ ッパ (malla -pa) とい う。 最 後 に足 で 田面 を平 らにす る (malluta)。 これで本 田準備 は完 了す る。 以上 がふ つ うにみ られ る本 田準備 で あ る。 実 際 に は個人 差 が あ って, 必 ず しも上 の方 法 ばか りが守 られ るわ けで はな い。例 え ば,砕 土 と均平 化 のた めの エ ッス を極 めて重用 す る 人 が い る。 あ るい は, 重労 働 の マ ック ンブ ン を敬遠 して, よ り短 い爪 の馬 鍬 を使 用 す る人 もい る。 植付 け は現在 で は正条植 えで あ る。植 付 け 間 隔 は土質 に よ って意識 的 に変 え られ るが, ふ つ うは25cmぐらいで あ る。 植付 け後 の除 106 草 は2回行 う。 植 付 け後 ,4カ月 ぐらいす る と,穂 摘 み具 で穂刈 りす る。刈 跡 に は水 牛 が 放牧 され る。 以上 , 実 際 の農作 業 は ラバ ッカ ンもパ ンテ ィムル ンもそれ ほど変 る と ころ はな い。 た だ し, それ の行 われて い る雰 囲気 にはず いぶ ん と差 が認 め られ る。 パ ンテ ィムル ンの場合, ほ とん どの作業 は共 同作 業 で行 わ れ,極 めて 張 かで あ る。 これ に対 して, ラバ ッカ ンの場 合 ,多 くの作業 は家族 労働 か,極 めて小 さい グル ープで行 われ る。 b) 稲作 の地 区差 くわ し くみて み る と,上 に述 べ た稲作 作業 の標 準型 には地 区差 が あ る。 地 区差 の主 な も の は以 下 の通 りで あ る。 塩害地 区 塩害 の危 険 の あ るよ うな と ころで は,例 え ば, ロ ッダ (rodda)な ど とい う耐塩性 品種 が 用 い られ る。 これ は他 の品種 と違 って, 茎 は 細 いけれ ど も極 めて硬質 で あ り, 節 くれ立 っ て いて, ま るで ヨシ の よ うに 突 っ立 って い る。 しば しば, 汽水 養魚 池 に隣接 す る20 0-300m幅 ぐらいの と ころが, この品種 で覆 わ れて い る。 異 様 な草形 とその分布 をみて い る と, この品種 はま るで, それ よ り内側 に広 が る普通稲 のた めの防潮 堤 の役 目を果 た して い るの か と思 わ れ るほどで あ る。 塩害 が起 こるの はふ つ う3月 で あ る。 この ころ,も し降雨 が少 な い と,田面 に塩 を吹 き, せ っか く出た穂 が 白 く変色 して しま う。 _琴 湛水 地 区 標 準地 区 の場合,植 付 け は1月20日ごろ に は ほぼ完 了 して しま う。 しか し, この ころ, まだ植 え付 け られて いな い と ころを子細 にみ て み る と, そ こには極 めて は っ き りと した一 つ の傾 向 がみ られ る。 末植 付 け地 区 は, 海岸 の養魚池 に近 い低地 と, も う一 つ は低 位 段丘 や三 角州上 に点在 す る 凹地 にあ る。 要 す る に,局 所 的 な凹地 で あ り, 深 湛水 部 で あ る。
高 谷 :パ ンカ ジ ェネ河流域 の土 地 利 用 1981年 の場合 ,こ う した深 湛水 部 は 1月24-25 日ごろ にな って,30-40cm はあ ろ うか と思 わ れ る深 い湛水 中 に,50-60cm の長大稲 が植 え始 め られて いた。 それ は周辺 の標 準的 な 圃 場 が短 い酉 です で に植 え揃 え られ, 多 くは活 着 して い るの と明瞭 な対照 をな して いた。 水 文 的 にみ る と,南 ス ラウ ェ シの この あた りで は, その 湛水 深 は1月 中旬 を ピー クに, それ以 後 は低 下 して ゆ く。 こ うい うことを考 え合 わせ る と,1月末 にな ってか ら初 めて行 わ れ る こ う した植付 け とい うの は, 一 種 の減 水 期稲 と解釈 す る こと もで きる。 局 所 的 な凹 地 で は, 1月初旬 の植付 け は,冠 水死 の危 険 が あ って好 ま し くな いので あ る。 この よ うに 考 えて み ると,南 ス ラウェ シの海岸 地 域 の稲 作 は次 の よ うに表現 す る ことがで きる。 す な わ ち, 標 準 的 な稲作 は, まず 雨季作 とい って もよい。 しか し,局 所 的 な凹地 に は減水 期稲 が散在 して い るの だ, と。 八一小二 苗代 はふ つ う団地 を な して い る と書 いた。 しか し, これ は必 ず しも総 て が その通 りで は な い。 農 民 た ちの 中 には 自分 の持 ち田の 中 に 苗代 を勝手 に作 って い る者 もい る。 こ う した 苗代 の ことは, それ を少 し広 域 にみて み る と 面 白い。 パ ンカ ジ ェネ三 角州 よ り南 に 行 く と, ウ ジュ ンパ ンダ ン(UjungPandang)を 経 て もっと南 まで, 圧 倒的 に団地 型 の苗代 が 多 い。 逆 に北 に行 くと, パ レパ レ (Pare -Pare) まで の間ず っと散在 苗代 が卓越 す る。 要 す るに, パ ンカ ジェネ河 口部 が この団地 型 と散在型 の漸 移 点 にあた って い るので あ る. この ことは, パ ンカ ジ ェネ三 角州 よ り南 は マ カ ッサル人 地 区で あ り,北 が ブ ギス人 地 区 で あ る, とい う ことと うま く符 号 して い る。 先 に標 準型 と して記載 した もの は,実 はマ カ ッサ ルの型 で あ った ので あ る。 ちな み に, ラ バ ッカ ンは このパ ンカ ジ ェネ三 角州 にお け る 中心 的 なマ カ ッサル人 の町 なので あ る。 周 辺 には, ブギス人 の集 落 も数少 な くな い。 そ う い うブ ギス人 集落 で は散在 型 の苗代 が多 くみ られ る と考 え られ る。 つ いで に, よ り典 型 的 な, あ るい はよ り原 初 的 な と思 われ るマカ ッサル の 苗 代 の こ と を, ご く簡 単 につ け加 えて お こう。 これ は, マ ロス (Mar°s) と ウジ ュ ンパ ンダ ンとの間 で よ くみ られ る もので あ る。 そ こで は陸 苗代 で あ る。 水 田をみ お ろす赤 土 の丘 陵 の傾 斜 畑 に散 播苗代 が作 られて い る。 マ カ ッサル人 の稲作 とブ ギス人 の稲作 とで は, 苗代以 外 の点 で はあ ま り外 見上 の 区別 は つか な い。 田植 え の男女 分業 は地 域 によ って 異 な るが, これ も種 族 差 といえ るの だ ろ う か。 ⅠLiii 養魚 と製塩 a) 5種 の代 表 的景観 瀕 海 部 とその周辺 に は, 養魚 と製塩 に関連 して次 の よ うな五 つ の景観 が み られ る。 選 一 潟は海岸 砂州 背後 に広 が る通年 湛水 部 で あ る。 もとか ら,植 被 の な い水 面 で あ り, いわ ば海 の一 部 で あ る。 こ うい うと ころが堤 防 で 囲 まれ, 1区画半 ha か ら数 ha の大 き さの 魚 池 に作 られて い る。 ラバ ッカ ン西北 に は, この種 の養 魚 池 が広 大 に広 が る。 こ うい う広 大 な養魚 池 は, た いて い ラバ ッ カ ンや ウジュ ンパ ンダ ンの金 持 ちの所 有 にな って いて, 雇 われ た池 番 が その近 くに家 を建 て,池 の見張 りを して い る。 飼 われて い る魚 はボ ル (bolu, ジ ャワで い う bandang,サバ ヒイの こと) とェ ビで あ る。 経 営 は先端 的 な 技 術 を駆使 して, 大 規模 かつ企業 的 に行 われ て い る。 稚 魚 が放 た れ る前 には, 池 は前 もっ て排 水 され, 薬剤 で無 用 な雑魚 や害虫 が殺 さ れ, 餌 とな る藻類 を育 て るた め に肥料 が投 入 され る とい った具合 で あ る。 107
東南 ア ジア研究 20巻 1号 干 甘 これ は上 記 の潟 の周辺 に広 が り, 干 潮 時 に は干 上 が り, 特 に乾 季 に は長 時間水 上 に顔 を 出す。 こ うい うと ころ は, 元 はマ ング ローブ や ニ ッパ で覆 わ れ て いた と ころが多 い。 しか し, い まで は一 木 一草 な い。 この干 潟 の標 識 的 な土 地 利 用 は養 魚 ・製 塩 の二 重 機 能4)か, 養 魚 ・稲 作 の 二 重 機 能 で あ る。 養 魚 ・製 塩 の場合 , 雨季 に は魚 が飼 わ れ, 乾 季 に は塩 が作 られ る。 この型 が最 も典 型 的 にみ られ るの は, ラバ ッカ ン西 南 約 2
km
にあ るモ ンチ ョ ンポ リ(
Mo
nc
o
mbo
r
i
t
)
で あ る。 ここで は,5
0×6
0m
2 ぐ らいの池 ,A
,B
, C が それ ぞ れ堤 防 で 囲 まれ て いて, この3 区画 で一組 を な して い る。1
2
月 か1
月,
A
に 体 長1c
m
そ こそ この稚 魚(
ne
ne
r
)
が1
5
,
0
0
0
尾 入 れ られ る。 こ こに1カ月 お くと, 7-8c
m
に成 長 した若魚(
be
ngo
r
o
)
にな る。 こ う な ると, この魚 を綱 で捕獲 す るか, あ るい は 間 門 を通 して,Bの池 に移 す。1
5
,
0
0
0
尾 入 れ た魚 は, この時 点 で は, ふ つ う1
0,
0
0
0
尾 ぐ ら い にな って い る. こ う してB に移 した魚 は, そ こに1カ月 半 ぐ らいお き, さ らにCに移 し て, また1カ月 半 育 て る。 か く して,稚 魚 か ら約4カ月 た つ と, 体 長3
0c
m
近 い成 魚 が 出荷 可 能 にな るO このA,B,C
の1
セ ッ トの 池 の場合 ,1
作 で の水 揚 げ は約3
トンで あ る とい う。 稚 魚 を育 て終 ったA の池 に は財 力 さ え許 せ ば, また も う一 度 別 の稚 魚 を第 2期 作 目 と して入 れ る こ と も可 能 で あ るが, ふ つ う はそ うは しな い とい う。 一 方, 乾 季 にな る と, この 3区画 が塩 田 と して の1
単 位 を なす。A
,B
,C
はその1
辺 が, いず れ も幅3m
の水 路 に接 して い る。 さ らに, そ の水 路 自体 は幅3
0m
の河 に連 な 4)熟 さない言葉であるが,現地で用い られているdui-fungsiという語を,そのままはん訳 したも のである。 108 り, 河 は約
7
0
0m
で海 岸 に出 る。 要 す るに, こ こに は海水 が比 較 的容 易 に出入 りす るよ う にな って い る。 塩 作 りの 時期 にな る と,A
は 海水 溜 め に使 わ れ,製 塩 はCで行 わ れ る。 A で海水 を溜 めて, そ こで あ る程 度 蒸 発 に よ っ て濃 縮 した もの をB に送 り, さ らにそ こで一 層 濃 縮 させ る。 そ して, そ れ がCに送 られ る。 Cは ち ょ うど短 冊 型 苗代 の よ うに, その 床 が, 幅2m
ぐ らいの高 み と, 幅5
0c
m
ぐ らいの溝 にな って い る。 十 分 に濃 縮 され た海 水 は最 後 に, この高 み の上 で塩 と して析 出 さ れ るの で あ る。 雨 季 中, 魚 が飼 わ れ て い る間 ら, この製 塩 用 の高 み と溝 はその ま ま残 され て いて, それ が サバ ヒイや エ ビの泳 いで い る 下 に は っ き りとみ え る。 養 魚 に しろ, 製 塩 に しろ, それ らを能 率 的 に行 うた め に は, 各 地 区 は潮 が 自 由 に出入 り す る水 路 に接 して いな けれ ばな らな い。 こ う い うこ との た め に, この干 潟地 区 に は, 幅2
-4m の水 路 が縦 横 に掘 りめ ぐ らされ て い る。 次 に,養 魚 ・稲 作 二 重 機 能 の もの は, 干 潟 の 中で も潮 水 の 出入 りの難 しい と ころ に多 く み られ る。 最 もふ っ うな もの は, 水 田の4辺 を幅2
-
3m
,深 さ1m
ぐ らい に掘 り, そ の掘 り上 げ た土 で, 溝 の外 側 を 囲 う土 手 を築 いた もの で あ る。 こ こは も とも とが ふ つ うの水 田 で あ るか ら, 溝 で囲 まれ た 中央 部 は雨季 に は 天 水 田 と して稲 が植 え られ る0 - 万, 溝 の部 分 は深 くて稲 は植 え られ な いが, 魚 を飼 うに は ち ょ うど よ い。 もちろん, 魚 は時 に稲 の植 え付 け られ て い る と ころ に も上 が って きて, そ この餌 を も食 う。 か く して, 雨 季 中 は稲 と 魚 が共存 す るの で あ る。 この種 の溝 で は, 雨 季 中 にエ ビは飼 え な い。 塩 分 が な いか らで あ る。 サバ ヒイがせ いぜ いで あ り, 多 くは淡 水 性 の雑 魚 で あ る。 乾季 にな る と稲 田部 分 は乾 いて しま う。 し か し, 溝 の部 分 に は水 を貯 え る こ とが可 能 で あ る. も し,水 路 で感 潮 河 川 に嘩 ず るよ うに高 谷 :パ ンカ ジ ェネ河 流 域 の土 地 利 用 して あれ ば,塩水 を得 る こと さえ可 能 で あ る。 か くして, この時期 また新 た に, サバ ヒイな どの魚 を飼 うことがで きる。 !い・i ここで砂 州 と して い る もの は海岸 に平 行 し た砂質 の高 みで あ る。 こ う した上 に時 に水 田 が開 かれ る。 しか し,何 分 海 に近 く, 塩 害 の 危 険 は大 きい。 この砂州 に も最 近 は魚 ・稲 の二 重機 能 が広 が って い る。 かつて の水 田 に, その畦 にそ っ て 内側 に例 の溝 を掘 り, その部分 を養 魚池 と して使用 す るので あ る。 この場 合,雨季 に は サバ ヒイ しか飼 えな いが,乾季 にはサバ ヒイ とエ ビの両 方 が飼 え る。 地盤 こそ高 いが, 渇 に近 く,深 い水 路 さえ掘 れ ば,潮水 を導 入 す る ことは容 易 だか らで あ る。 砂州 の場 合 は, しか しふ つ うは 干潟 の よ う に塩 田 と して の利 用 はで きな い。地 盤 が砂 で あ るの と,地 盤 高 が満潮 位 よ り高 いか ら, 何 らかの揚水 施設 を持 た な いか ぎ り, 塩 田へ の 導水 がで きな いか らで あ る。 河 筋 とその周辺低地 海岸 部 には多 くの感潮 河川 が入 り込 んで い る。 こ う した感潮河川 の河 筋 に は, い くつ も の トラ ップが据 え られて, そ こが重要 な漁 場 にな って い る。 トラ ップ は2種 類 の ものが み られ る。 一 つ は河 口を越 えて海 中 に据 え られ た エ リで あ る。 これ は ビ ラ(bila)と呼 ばれて い る。 ビ ラは竹 で で きて いて, 良 さは100m を超 す ものが あ る。 河 身部 に入 って しま うと, エ ビ専 門 の トラ ップが あ る。上 流 に向 けて, じょうご状 に 口 を開 けた長 さ 20m ぐ らいの もので あ る。 す ぼ ま った下 流端 には, 吹流 し状 にふ ところの 深 い綱 が つ けて あ る。 この網 は, ふ だん は水 上 に作 られた簡 単 な棚 の上 に乾 か されて い る が,下 げ潮 が始 ま ると,水 中 にお ろ され る。 こ う して お くと,速 い流 れ に押 し流 された エ ビが, じょうご状 の壁 を伝 って網 の中 に入 り 込 む とい う もので あ る。 この じょうごは大部 分 が サ ラ・サ ラ(sarasara)と呼 ばれ るマ ング ローブの枝 で作 られて い るが,網 に近 い5-6m の み は竹 茸 で作 られて い る。 この エ ビ用 の ト ラ ップ はパ ンダ リア ン (pandariang) と呼 ば れて い る。 パ ンダ リア ンは決 ま って,河 の凹面 にな っ た岸 の近 くに 建 て られ る。 そ こは 水 流 が速 く, エ ビが押 し流 され る ことが多 いか らで あ る。 そ して, この網 が お ろ されて い る時 に は, この パ ンダ リア ン に は 白旗 が立 て られ る。 航行 す る舟 に注 意 を与 え, 吹流 し状 の網 が舟 に引 っか け られ な い よ う に す る の で あ る。 この ほか,干潮 時 には,人 々は, しば しば 河 口部 の浅 瀬 に出て赤 貝 を拾 う。河 筋 は こう して, 極 めて 重要 な漁 場 と して 機能 して い る。 周辺低地 はマ ング ロ-ブ・ニ ッパ林 と養 魚池 の混在 で あ る。 多 くの場合 , エ ビ とサバ ヒイの両方 が飼 え る。 こ う した土地利 用 の典 型 的 な もの は ライ コ ン (Laikong) 川 にみ ら れ る。 自然堤 防最 末端 三 角州 と干 潟 の境 付 近 は,極 めて込 み入 っ た土 地利 用 を示 す。 こ こは, 自然 堤 防 が ま さ に潟 に没 しよ うとす る最末 端 で あ る。 この意 味 で は, 陸 と海 との接 点 で あ る。 具体 的な一 例 と して, ここにはカ ンポ ン・ピア ラ ( Kam-pung Piara) 付近 の様子 が 図 4 に示 して あ る。 この図 に は,五 つ の地 形 区 の上 にの った八 つ の 土地 利 用 が示 されて い る。 (∋潟 の養 魚 池 , ① 干 潟 の養 魚 ・稲作 二重 機能 , ③舟 運路 に使 わ れ るバ ン トア ロク(Bantoalok)川 筋, ④ 旧バ ン トア ロク川 で い ま は養魚池 にな って い ると ころ。 そ して, さ らに自然堤 防上 の も の と して次 の もの が あ る。 (参水 田, (重苦代 地 ,(裏屋 敷地,(砂屋 敷地 養 魚池 で あ る。 こ こ で屋敷地 養 魚池 と して い る もの は, 屋 敷地 に
東 南 ア ジア研 究 20巻1号
巨∃ brackish waterflSh pond
E】 rice-flSh dui-fungsJarea
匡ヨ f'ISh pond inabandoned r・rverchanne一
Eコ homestead flShpond
[亘] padifield
E
ヨ
seedring bedEコ h。mest。。d
?
garden tree図 house
召
芦
冬 ,ive,CO〕,se① path to Tanah RaJa
@ canaJdug along an abandoned rive,course ; 4m wide
@ smallcafe shop
④ mosque ⑤ fleld hut @ anchorground @ bamboo fence ⑧ graVe yard @ public haH 図4 カ ンポン・ピアラ付近の土地利用 掘 り込 まれた用水池 で あ る。 と同時 に家 の オ カズ用 の魚 を飼 って い る。 しば しば, こ う し た池 の まわ りに は, ココヤ シや マ ンゴ ーな ど の果 樹 が植 え られ, また小 さい菜 園 が作 られ て い る。 自然 堤 防 の上 は上記 の よ うに多方 面 にわた る機 能 を有 して お り, 地 元 の人 にいわ せ る と, こ こはど三 角 州上 で価 値 の高 い と こ ろ はな い とい う。 す で に述 べ た よ うに,この三 角州 に は,5 00-600年 の昔 か ら古 ラバ ッカ ン, シア ン,パ チ ェロ ンな どの港 が開 け, そ れ らが 小 王 都 と して栄 えた と い わ れ て い る。 これ らの古 い 港 はそれ が栄 えた 当時,結 局 い まの ピア ラに 似 た よ うな と ころで あ った の で は な か ろ う か。 こ う した環境 の と ころな ら, それ は港 と して も, また生 産 の場 と して も 理 想 的 で あ る。 b) 最近 の変 容 16世紀 の シア ン王 国当時, す で に ここに は 養魚 が 行 わ れて いた とい う (Ohara氏未発 表資料)。 もっと も しか し, 当時 の養 魚 が実 際 に どの程 度 の もので あ った か は, い まの と 110 ころ不 明で あ る。 ラバ ッカ ンの郡 長 (camat) によ る と,1968年 まで は,養 魚 とい って もそ れ はいわば, 自然 に入 り込 ん で くる雑 多 な魚 を囲 い込 ん で い る程 度 にす ぎ な か っ た と い う。 養魚 が今 日の よ うな組織 的 な もの に発 展 を とげ るの は, い わ ゆ る BIMASプ ロジ ェ ク トで 改良 養魚法 の普及 が行 わ れ るよ うにな って か らだ とい う。 上記 の プ ロジ ェク トは こ の あた りで は1969年 に始 ま って い る。 この 時 , い くつ か の デモ ンス トレー シ ョン養 魚池 が設 け られ, 肥 料 と 稚魚 と ロー ン が導 入 さ れ, 養 魚技 術 の 革新 が もた らされた の で あ る。 養魚技 術 の向上 に と って, しか し, 最 も決 定 的 な意味 を与 え るよ うにな った の は,1970 年 に始 ま る大排 水 路 の建 設 で あ った とい う。 この時, パ ンカ ジェネ県 で は延 長59kmの水 路 が掘 られ た。 この排水 路 開 削の結 果 , 干潮 を利用 す れ ば,干 潟 の大 部 分 や潟 の一 部 は,そ れ を干 し上 げ る ことが で きるよ うにな った。 これ まで は通年 湛水 で手 の施 しよ うの なか っ た と ころが排水 可能 にな り, それ を踏 まえて
高 谷 :パ ン カ ジ ェネ河 流 域 の 土 地 利 用 初 めて薬 剤や肥 料 の投 入 な どの高 度 な技 術 の 導 入 が可能 にな った ので あ る。 また, 安定 し た塩 分 濃度 の確保 も可能 にな った。後 者 は特 にエ ビの商業 的生 産 を可能 に した。 か く し て,