調査報告 四 十
黒
川
文庫蔵
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仙源抄
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書誌事 項 写本一冊。麹塵色の糸による四ツ目綴じ。寸法は縦一一六 ・ 五糎×横 一 九 ・ 二 糎 。 表紙は香色 桐文様型押し紙 表紙。左肩部に﹁ 仙 原抄﹂と 打 ち 付 け で 墨 書 。 内題ナシ。木文料紙は緒紙。墨付全三 七 丁 。片面 七行 。 印記は﹁物語﹂ ﹁ 黒 川 真 頼 蔵 書 ﹂ ﹁ 黒 川 真 道 蔵 書 ﹂ ﹁実践女子大学図書館印﹂を捺す。O
践文・奥書及び本文など 黒 川文庫本﹃仙源抄﹄ は 、 その末尾に著名な長慶院の政文 安 か 弘 和 一 則 一 年 号 な し 弘和のはしめの年三のあまりのおり/¥なかき夜のつれ/︿ーもなくさめかたく侍しま 与 に 光源 氏物 語をとりてみるにおほつかなき事ともおほかりしかはふるき尺ともを尋み侍るにいつれも肝要ハすくなく枝葉ハおほし又 同尺とも所とに有てひらきみるに煩ひ有これによりて水原抄五十絵巻紫明抄十二巻原中最秘抄二巻の中古人の γヤウ 解尺よりはしめて句をきり撃をさすにいたるまで一ふしあることを残さす又定家卿か自筆の本に比校して相違 五 イ ( 朱 ) の事を勘つ L 同文字なる詞をいろはの次第にあつめと L のへてみれは六十絵巻た L 一 帖 に つ L まり文字のつい てを尋れハたな心をさすかことし殊なるふしもそハねハあなかちに秘すへきにあらされ共いさこをひらきて全 は ︿ 朱 ) をひろへハその数をつくす事かたしといふたとへを思ヘハたやすく人にみせんこと o かの抄物の作者の本意に ( 朱 ︺ そむくかたも侍へきにやそのうへ愚なる心にいか L とおほゆる事をさへ書付侍ぬるは L かりおほきやうなれと もとより此物語にはしめてとりむかハんもの L 先賢の注尺なとをも見て事かなハさらんひとのためにとおもひ 侍イハ朱) てかくのことくめやすにしるし侍れハこれにつきて一のれうけんのたよりにも成なんかしとてと L めす成ぬる -80一 也かの抄にのせさることハたま
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、思ひえたる事も注し付るにあたハす抑文字っかひの事この物語を沙汰せん 心 う へき事なれハ也(朱) に 付 て ハ o ついてに申侍へ し中比は定家卿かさためたるとかいひてかの家の説を受るともからしたかひ用る様 ( 朱 ) ありおほよそ漢字に ハ四躍をわかちて同し文字も 音 に随ひて心もかはれは 子細に及はす和字 ハ 文 字一に 心なし 文字あつまりて心をあらハすもの也されハふるくより盤のさたなし或ハ別の撃を同 音 に用たるありをハ遠 詩 情 ハ キ リ ノ 越 似 声 いハ以上戸伊ハ伊押或ハ訓ヲ音に懐たるありとハ止江ハ江江也又丹ハ丹-一也此類是に限らす万葉をみて広く心うへし え欽 先いろは四十七字の内同音あるハいゐをおえゑ也此外にはひふへほをわゐうにをとよむ詞の字の訓につきてつ 本ノマ、 かふ文字也しハらくいろはを常によむやうにて一劃をさくらハお文字ハ去声成へし定家かお文字っかふへきこ とをかくに山のおくとかけり誠に去声とおほゆるをおく山と打返していへハ去声にハよまれす上声に輔る也又 の は ( 朱 ) おしむおもひおほかたおき o おとろくなとかけり是は皆去声にあらす比内おしむハおしからぬといふ折ハ去声 ( 朱 ﹀¥ 叉 え 文 字 も 也 ( 朱 ) になるおもひもおもひ/九といふおりは始のお文字は去声後のおハ去声にハよまれぬ也↑去声なるへきにふえ たええたなとかけりすへていつれの文字にも平上去の 三 声ハよまるへき也喰ハか文字トみ文字とをあハせよむ 。 に て ハ は 木 業 也は破 楽也しかのミならす同心に巴︿ M I ) 悉 公 ( 朱 ﹀ 。 にかみ紳也かみ上也かみ紙也又 一 文 字 ゲ 同字をよむに上下にひかれて控かはる事あり天竺民且の法にれんしゃ 、 ( 朱 ) うと云あり叉内奥の経なとよむにも聾明の音便によりて墜をよミかふる事のあるも皆此たくひ成へしかミかミ 磁 の 骨 子 ( 朱 ) 神ミといふに初のか文字ハ去声によまる又 一 字にとりても序破急と云おりハ o 平 声によ まれ破をひく破を吹な ( 朱 ) といふおりは去声に成たくひのことし是にてしりぬ和字に文字っかひのかねて定めをきかたきことを定 家書た た イ ( 朱 ﹀ る物にも緒の音を尾の音おなとさためたれハ音につきて沙汰すへきかと聞えたり然ともその定なる所四撃にか なはす又二子に義なけれハその文字其訓にかなふへしといひかたし音にもあらす 義にもあら すいつれの篇に付 て定めたるにかおぼつかなし然とも俄に此つゐへをあらたむへきにあらす又ひとへ に 是を信せは音義かなふへ からさるによりて此一帖にハ文字っかひをさたせすかっハ先達の所為をさみするににたりといへとも音に返せ 黒川文庫蔵『仙源抄』 んものハをのつから此 心を わきまへしるへしと 也 イ 本 ニ も 山水のそのみなとをきよめてそち h の なかれも濁らさりける︿朱 ) 及びこの政文に一行おいて 腔永第三のきさらきの末っかた柴の庵のしハしのつれ
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もゃなくさむとてふる文ひらきみるつゐてに先人の 追竜 一 此御 草 本ありかたのことく清書の心さしをのふさためて筆のあやまりも心得のひか事ものかるましう侍る 四十二 らんなれとさのミためらハんことハかやうにえらひをかれたるらんことをしらすなりぬるハ後の人のあさけり 草もかこつ方なかるへけれとも一たひは此一 帖の 撰せられたるさまのたへなるいとを思ひ 一たひハか の物語のおほつかなきをもはれんかために打をかすなりぬるハまめやかに空もをそろしう侍れとも此ま L ひたふるにし 、の集になさん事ハ念なくてそ とする応永三年の仮名奥書、さらに同丁一裏一面に移って 元禄第五歳次壬申渡瀬氏の本をもて公務のいとまより
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写也二月のはしめよ り四月の末にいたりてやうやく 功を L へ侍る落字書あやまりおほかるへし 松馬六窓 主 人 という元禄五年の書写奥書を載せている。 また黒川本は 、 ﹁ひたふる﹂の項に﹁行悟云永頓絶日本紀﹂という注を有しており、これら奥書の種類や、﹁行悟云││﹂ 82ー ﹃行悟云﹄の記入もあり 、 回収名文の奥書のみなるを以て考察す ハ 住 l ) れ ば 、 この本は、行悟僧正の清書せられたるものといふべきに似たり 。﹂という和田英松氏の指摘があることより考えて 、 の注に関しては﹁他の本を以て 、校正した る 耕 少 き 本 に 、 行悟僧正清書本の流れに属するものかと思われる。 それは 、 内容面において 、 ﹁ひたふる﹂の項以外にも 、 ①﹁けしうはあらす﹂の項目の末の﹁又 下手しくあ ら ず ﹂ ②﹁あさけの御姿﹂の項目の末の﹁ 且開容 儀 瓜 ﹂ ③﹁しと与に成て ﹂の項 目の末の﹁伊勢物語云 みのもかさもとりあへずしと与にぬれて﹂ ④﹁らうけ俄におこりて﹂の項目の中﹁予日 霊気な らば労気也 ﹂ ⑤ ﹁ を きなか 川﹂の 項 目の中﹁鳩鳥の沖中川はたえぬとも 君に語らんことっきめやは ﹂⑥﹁北 山 ﹂の項目の中﹁ 向 南 山 ト モ 書 之 高 ﹂ ⑦﹁門ひろけさせ給て﹂の項目の中﹁愚案 此事不叶鰍たム一門のさかえん事をいへるか ﹂ ③﹁みやひか﹂の項目の中﹁掘也 閑雅也 美麗 也 毛詩には 都をみやひかとよめり﹂ の部分がそれぞれ存在しないこと、 ⑨﹁うむし給 ﹂ の項目末尾が ﹁ 愚案下ノ説相 叶 鰍 ﹂ @﹁かいねり ﹂ の 項 目末尾が﹁かいねりハおもてはりたるもの也 ﹂ ⑪﹁まろ﹂の項目が﹁丸也 ﹂ となっていること、等より裏付けられようし、 さらに これら は 、 黒川本が和田氏の分 類 された行悟僧正清書本の中でも 、 一 条実孝氏蔵本に最も近い形態を有していることを示している。 猶 、永 禄五年の奥室聞にみられる、書写者 ・ 松肩六窓主人並びに底本の所有者 ・ 渡瀬氏に関してであるが 、松 属六窓主人 黒川文庫蔵 IIUII源抄』 に比定できそうな人物としては、松井孝隆が存在する。松井幸隆は没年は未詳、生年は上野洋三氏によれば、寛永二十年 ︿ 注 2 ) であるという。江戸時代中期の国学者 。 京都で町与力を勤め 、 一 名 を 幸 高 、 通称を 善 右衛門また は 帯 刀 と も 。 但 し 、 そ の 号は六 窓 軒であり 、 それ以外に﹁ 源 幸 隆 ﹂ ﹁ 松 扇 六窓主人 ﹂ と記したもの ﹁ 幸 隆 雅 翁 ﹂ 等と記されたものはある も の の 、 ( 注 3 ﹀ は見当らない。しかし、やり上野洋三氏の御指摘によれば 、 寛保三 年 刊の﹃竹雨 斎 時 詩 集 ﹄ に は 、 ﹁ 和 ニ 六 怒 主 人 山 房夏日 韻﹂や﹁冬日過ニ松六窓居﹂という記載が見られるようであるから、この元禄五年の時点で 、 己を﹁松属六窓主人﹂と名告 った可能性も無しとはしない。 一 方 、 渡瀬氏であるが、当時の人物として浮上してくる中にこれぞとい う 人物は存在しな 四十二 ぃ。もし松属六窓主人 1 松井幸隆とするならば、元禄五年 、 幸隆は小出淡路守の配下として仕えているので 、 或いは渡瀬 氏もそ の周辺の人物なのであろうか。乃至はそれ 以外に幸隆と何 らかの交わりがあった人物なのであろうか。
しかしながら 、 この松 属 六 窓主人を松井幸隆として しまうことに 些かのためらいがないわけではない。それは 、 松井孝 隆がこの時期既に中院家の門人であった可能 性 が高 いことによ る 。 こ の時期﹃仙源抄﹄は 中 院家でも所蔵され ていたはず であり、もし己の学問の為の書写であるのなら 、中 院家系 ( 耕 雲 本系﹀の伝本を書写したのではないか。仮にその校本を 作制する目的で行悟僧正清書本の流れを組む一本を渡瀬氏なる人物から借り受けて 書 写したとしても、何故﹁松原六窓主 人﹂という号を用いる必要があったのか。叉笑際、後述するように、この黒川文庫本﹃仙源抄 ﹄の校合 本として使用され たのは 、同じ 耕雲本系の﹃仙源抄﹄でも 中 院家へ転出する 以前 の﹃仙源抄﹄であったらしい。 ではそれは何故なのか。残 された疑問点も決して少なくはないのである。 書き入れについても少し触れておこう。本文 中 、 項 目を 示す合点 、 ﹁いろは::﹂のそれぞれの始まりを示す丸印 、 最 初の五丁分程には 、 人名 ・ 書名等を示 す 朱 引 き が 、 それぞれ朱で施されている。特に政文の部分に関しては 、 異文 ・ 脱文 - 84ー 等を朱で書き入れており 、 校訂を行った形跡が認められる。その際に用いた本文としては 、 政文の末尾に﹁イ本一一/ 山 水 のそのみなもとをきよめてそち与のなかれも濁らさりける﹂と耕雲の抜歌を掲げていることより 、 耕雲の政歌を奥に持つ 本 、 しかもこの 放歌が 、 応永三年の仮名奥書の後ではなく政文のすぐ後に-記されていることや 、 文明の奥蓄が共に記され ていないこと等から考えると 、 行悟僧正清書本とは系統の異なる耕雲本 、 その中でも中院家へ転出する以前の耕雲本の系 統をひく本文である可能性が高いと言えそうである。 そしてこの﹃仙 源抄﹄にはもう 一 種 、 墨筆による書き入れも数は少ないが存在している。まず政文における墨筆の書き 入 れ は 、 ﹁イ﹂と表記されたものがなく 、 音読の表記を 施した り 、 ﹁本ノマ、﹂と記したりしていることより 、 書写 者 が 書写する際か 、 書写した時期よりほどない 時点で書き入れたかと思わ れる。また本文部分においては 、 一ヶ所のみではあ るが声点を記したり 、 その他漢字表記や注記事項が墨筆によって書き入れられている。
られていったのであろう。 恐らくは 、 墨筆の書き入れが 書 き入れられた後 、 合点やその他政文における脱文や 奥本表記が 、 朱筆によって書き入れ 、 注 1 和田英松﹃皇室御撰之研究﹄ の古紗に就いての 一 考 察 ﹂ 研 究 ﹄ 、 コ 9 ・
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c 、 1 ょ 1 ょ 創元社 所 収 。 )等の論もあるので 、 詳細はそれらに譲りたい。猶ここでの﹃仙源抄﹄の分類は 、 和田氏の論が多岐 に 問 書房 ( S 8・
4 ﹃仙源抄﹄の分類 、 系統に関しては 、 宮田和一郎﹁源氏物語 明 治 書 院 。 ) (﹃ 国語国文の研究﹄第 二十六号 (﹃ 源 氏 物 語 の 鍛S
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、山 脇毅﹁仙源抄の二謹本﹂ 所収 。 )、重松信弘﹁後期の註釈的研究﹂( ﹃ 賠 紘 一 時E
蜘新致源氏物語研究史 ﹄ S M ω ・ 3 風 わたるため 、 全て同書に拠った。因みに 、 近時武井 和人氏 によって耕雲﹃和漢字源通釈抄﹄との関連が指摘されてい る。同 氏 ﹁ ﹃ 和漢字 源通釈 抄﹄をめぐりて│ │ 耕 雲にお ける源氏学││ ﹂(実践女子大学文芸資 料研究所叢書I
﹃ 源 氏 物 H 6 ・ 3 波古書院 所収 。 ﹀、﹁源氏物語注釈との関係 ﹂ (﹃ 的 総 ⋮ 立 庇 耕 雲 間 黒川文庫蔵『似│源抄』 量百﹄ H 7・
2 笠間書院 語古注釈の世界││写本から版本へ │ │ ﹄ 所収 。 ﹀ な ど 参 照 。 上 野洋三﹁堂上歌論の問題﹂(近世堂 上和歌 論集 利行 会編 つ ん -n d 四十二 ﹃ 近 世 堂 上 和歌論集 ﹄ 所収 。 ﹀ H 一克 ・ 4 明治書院。 。
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