中江藤樹の「明明徳」について
著者
伊香賀 隆
著者別名
Takashi Ikoga
雑誌名
東洋大学中国哲学文学科紀要
号
21
ページ
197-217
発行年
2013-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00004183/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja一九七 中江藤樹の「明明徳」について
中江藤樹の「明明徳」について
伊香賀
隆
はじめに
中 江 藤 樹( 一 六 〇 八 ~ 一 六 四 八 ) は 江 戸 初 期 の 儒 学 者 で あ り 求 道 者 で あ る。 そ の 学 問 は 朱 子 学 か ら 出 発 し て、 王 陽明(一四七二~一五二九)及びその高弟である王龍溪(一四九八~一五八三)の影響を強く受けつつ、 晩年は仏教、 道教、 そして日本の神道にも心を開き、 儒学に軸をおきつつも教派を超えて真実の道 (これを藤樹は 「神道」 「儒道」 とい う 一 ) 、 究極の真理 (至當) を追求し続けた人であった。そしてその思想は、 藤樹自ら、 「学問の道無 レ他、 明徳を明にする而已矣」 「学問の道、 明明徳一句に説盡せり」 (「大学啓註 」 二 )と述べているように、 「明明徳(明徳を明らかにす) 」( 『大学』 ) という言葉に集約することができる。本稿では、 この「明明徳」に焦点を当て、 藤樹が強く影響を受けた王陽明など との比較も交えながら、藤樹思想の一側面を考察してみたい。東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 一九八
一、
「明明徳」とは何か
まずはじめに「明明徳」についての藤樹の説明を確認しておこう。 【一―一】 明徳は人の本心、 天の人に與へし所以にして、 人の得て以て万物より霊なる所の者なり。其の体は至虚至神にし て天地万物の理を具へ、 其の用は至霊至妙にして天下の万事に応ず。 即ち人性の別名なり。 (全集一、 六七五頁、 「明 徳圖説」 ) 【一―二】 〔明明徳の〕上の明の字は工夫を以て言ふ。己に克つて本体の明に復るの謂なり。明徳は、 人性の総号、 徳は得 なり。天に得る所にして虚霊洞徹、 其の光明正大、 照さざるは無く、 自得せざるは無し。下愚と雖ども滅せず昧 からず。故に明徳と号す。 (全集一、 五〇五頁、 「古本大学全解」 ) 人は皆、 天が賦与した「至虚至神」にして天地万物の理を完備した明徳(本体、 人性、 本心)を有しており、 それ は万事に対して 「至霊至妙」 に対応していくことが出来るものだという。藤樹はこの明徳を 「天下第一の 宝 三 」 とも述 べ て お り、 金 銀 財 宝・ 地 位 名 声 な ど も こ れ に 及 ぶ も の で は な い と い う。 こ の よ う な「 天 下 第 一 の 宝 」 を 各 人 が 有 し ているがゆえに人間は貴いのであり、 そしてこのような明徳を明らかにすること、 つまり明徳の働きを発揮すること、 こ れ が「 明 明 徳 」 で あ る。 た だ こ の「 明 明 徳 」 と い う 綱 領 は、 進 む べ き 道( 工 程、 工 夫 の 則 ) は 示 し て い る も の の、一九九 中江藤樹の「明明徳」について で は 具 体 的 に 何 を ど う す れ ば よ い の か と い う 点 に つ い て は 不 明 瞭 で あ る。 そ こ で、 「 明 明 徳 」 を 誰 も が 身 に 切 実 な も のとして実感できるように説明したものが、 「明明徳」に続く「親民(人に親しむ) 」であるという。この「親民」に ついて藤樹は以下のように説明する。 【一―三】 明 徳 を 明 に す る の 一 句 既 に 工 程 明 備 な り と い へ と も、 其 名 玄 妙 に し て 学 者 心 上 に を ひ て 識 得 す べ き に 図 方 な し。 親を愛し子を慈む 0 0 0 0 0 0 0 0 といへば其言平常にして愚痴不肖の田夫野人といへとも、 言下に 識 得し安し 。故に親愛の名を 直ち指して 当下見在の心 0 0 0 0 0 0 に即て其実体を明辦せしむ。 (全集二、 二二頁、 「大学解」 ) 【一―四】 明 徳 を 明 に す る 工 夫、 種 子 0 0 あ り、 田 地 0 0 あ り、 法 0 あ り。 故 に 又 下 の 二 句 ( 親 民・ 止 至 善 ) を 説 た ま ふ。 明 徳 は 人 間 の 根 本 主 宰 な れ ば、 小 人 悪 人 と い へ と も 不 レ滅 不 レ昧。 い か ん と な れ ば、 す き と 滅 却 す れ ば、 生 を 保 こ と 不 レ能。 其 不 レ滅 不 レ昧 の も の は 何 れ そ と 云 に、 親 を 愛 し 子 を 慈 む 心 0 0 0 0 0 0 0 0 0 是 な り 。 此 心 を 指 て 親 民 と い へ り。 親 は 真 実 懇 切 に し たしむの心なり。民は人なり、 人倫五つあり。父子なり、 君臣なり、 夫婦なり、 長幼なり、 朋友の交なり。民の 字五倫を包て可 レ 講。 生とし生る人、 いかなる田夫野人 ・ 愚痴不肖にても人倫の交際に慈愛の心なきは非 レ人也 。(全 集二、 一九~二〇頁、 「大学啓註」 ) こ こ で 藤 樹 は、 明 徳 を 明 ら か に す る 工 夫 に は「 種 子 」「 田 地 」「 法 」、 つ ま り、 大 根 本 が あ り、 実 際 の 現 場 が あ り、 方法があるとし、 それが「親を愛し子を慈しむ心(慈愛の心) 」であるという。この親を愛し子を慈しむ心とは、 「生
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二〇〇 とし生る人、いかなる田夫野人 ・ 愚痴不肖」でも備え持っているもので、決して滅し晦ますことのできないものであ る。そしてこの不滅不昧の慈愛の心、 誰もが「當下現在」に認識することのできるこの慈愛の心こそ「明徳」であり、 その心を発揮することが「明明徳」である。さらにその慈愛の心は、 親や子にとどまるまるものではない。まず最も 身近な存在である親や子を出発点としてそれを君臣、 夫婦、 長幼、 朋友へとおし広げ、 さらには万人へと及ぼしてい かなければない。そしてこれが広義の「親民」である。 【一―五】 何事もみな父母の恩ならざるはなし。父母の恩は広大無類にして、 恩の大根本なり。しかるゆへに、 父母を愛敬 するを本とし、 おしひろめて余の人倫を愛敬し、 道をおこなふを孝と云、 順徳といふ 。大根本の恩を忘れて、 父 母をば愛敬せずして、 枝葉の小さき恩を報ゐんと、 他人を愛敬するを不孝といひ、 悖徳と云。悖徳の人はたとひ 才 能、 人 に す ぐ れ た り と も、 真 実 の 人 に あ ら ず。 必 ず 終 に は 神 明 の 罰 に あ た る も の な り。 ( 全 集 三、 八 二 頁、 「 翁 問答」 ) 【一―六】 まず五倫を以ていへば、 親を愛敬するが感通の根本なる故に、 本分の名を改めず、 孝行と名づく 。さてそれより 感通の景象によつて、 名をたて教をしめしたまふ也。二心なく君を愛敬するを 忠 0 と名づく。礼儀たヾしく臣下を 愛敬するを 仁 0 と名づく。 よく教へて子を愛敬するを 慈 0 となづく。 和順にして兄を愛敬するを 悌 0 を名づく。 善をせ めて弟を愛敬するを 恵 0 を名づく。 正しき節をまもりて夫を愛敬するを 順 0 と名づく。 義をまもり妻を愛敬するを 和 0 と名づく。偽なく朋友を愛敬するを 信 0 と名づく。一身をもつていへば、 耳目の聡明、 四肢の恭重、 行住坐臥の法則、
二〇一 中江藤樹の「明明徳」について 皆孝徳愛敬の感通ならざるはなし。 (全集三、 六五頁、 「翁問答」 ) こ こ で い う「 愛 敬 」 と は、 『 孝 経 』 天 子 章 の「 親 を 愛 す る 0 0 0 も の は、 敢 へ て 人 を 悪 ま ず。 親 を 敬 す る 0 0 0 も の は、 敢 へ て 人を慢らず。 愛敬 0 0 、 親に事ふるに尽くして、 徳教、 百姓に加はり、 四海に刑る」等に由来する言葉であり、 藤樹が頻 繁に使用する言葉である。そしてこの「愛敬」には、本末 ・ 順序があるという。父母への愛敬が大根本であり、まず 何 よ り も 優 先 さ れ な け れ ば な ら な い。 そ し て こ の 大 根 本 で あ る 父 母 へ の 愛 敬 の 心 を お し 広 め て 他 人 へ と 及 ぼ し て い く。 こ の 順 序 が 重 要 で あ り、 こ れ が 自 然 な 流 れ で あ り、 故 に「 順 徳 」( 『 孝 経 』) と 呼 ば れ る。 そ し て こ れ は 儒 教 で い う所の 「差等愛」 である。この自然な順序に逆らい、 父母を敬愛せずして他人ばかり敬愛することは 「悖徳」 (『孝経』 ) で あ り、 こ の よ う な 人 は「 真 実 の 人 」 で は な く、 「 必 ず 終 に 神 明 の 罰 に あ た る も の 」 と し て 藤 樹 は 大 変 手 厳 し く 戒 め ている。 ま た 愛 敬 の 心 は、 そ の 向 け ら れ る 対 象 に よ っ て「 忠 」「 仁 」「 慈 」「 悌 」「 恵 」「 順 」「 和 」「 信 」 と 名 称 は 変 わ る が、 そ の 実 体 は 父 母 へ の 愛 敬 と 何 ら 変 わ る も の で は な い。 ま た 父 母 へ の 愛 敬 は 一 般 に「 孝 」 と 呼 ば れ る。 し か し、 「 世 俗、 孝は親につかふる一事となして、 浅近の道理なりとおもへり」 (『翁問答』 ) というように、 藤樹によれば、 本来の 「孝」 とは、 実は父母への愛敬だけをいうのではなく、 君主、 臣下、 子、 兄、 弟、 夫、 妻、 朋友……全てを包括するもので ある。要するに、 藤樹のいう「孝」とは、 父母への愛敬を根本として、 その愛敬の心を万人に及ぼしていくことをいう。 この「孝」について、藤樹の説明を少し確認しておこう。
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二〇二 【一―七】 孝徳 0 0 の感通を手近く名づけていへば、愛敬の二字につゞまれり。 (全集三、 六四頁、 「翁問答」 ) 【一―八】 孝 徳 0 0 、 万 事 万 物 に 感 通 す る 例 と な し て、 兄 弟 夫 婦 朋 友 の 道 を そ の う ち に ふ く み か ね 給 う。 ( 全 集 三、 七 〇 頁、 「 翁 問答」 ) 【一―九】 畢 竟 は 明 徳 を あ き ら か に す る が 孝 行 0 0 の 本 意 に て 候 ゆ え に、 心 を む ざ と し た る ( と ん で も な い ) 一 念 を お こ し、 あ る いはいかるまじき事にはらをたて、 よろこぶまじき事をよろこび、 ねがふまじき事をねがひ、 悔まじきことをく や み、 お そ れ ま じ き 事 を お そ る ヽ も、 み な 不 孝 0 0 な り。 ( 中 略 ) 此 道 理 を し り あ き ら め て、 心 に ま も り 身 に お こ な うふを、儒者の学問と云也。 (全集三、 七四~七五頁、 「翁問答」 ) ここに 「孝徳」 「孝行」 という言葉が出てきたが、 これは 「孝徳=明徳」 「孝行=明明徳」 と置き換えることができる。 「孝」 はその 「孝徳」 「孝行」 を省略した語であり、 藤樹が 「孝」 という言葉を使う場合、 「孝徳 (明徳) 」、 もしくは 「孝 行(明明徳) 」のどちらかの意味で使用されていることが多い。 孝徳=明徳 孝 孝行=明明徳
二〇三 中江藤樹の「明明徳」について そして、 「明徳を明らかにするのが孝行の本意にて候」とあるように、 「孝(孝行) 」とは、 明徳(孝徳) 、 つまり愛 敬の心を、 まず父母に対して、 そして兄弟夫婦朋友から万人に対して及ぼしていくことであり、 さらに資料【一―九】 に よ れ ば、 一 念 を 正 し、 行 い を 正 し て い く こ と で も あ る 四 。 怒 る べ き で な い 事 に 腹 を 立 て、 喜 ぶ べ き で な い 事 を 喜 び、 願うべきでないことを願い、 悔やむべきでない事を悔やみ、 恐るべきでない事を恐れることは全て「不孝」というこ とになる。
二、
「誠意」
「格物」について
前 章 で は、 「 明 明 徳 」 と は 愛 敬 の 心 を、 父 母 か ら 万 人 に 対 し て 及 ぼ し て い く こ と で あ る と い う こ と を 確 認 し た。 し かし、 藤樹はまた様々な形で「明明徳」について説明する。本章では、 「誠意」 「格物」という面から、 藤樹の説く、 「明 明徳」の工夫について考察してみたい。 「誠意」について 藤樹は「明明徳」について、 「明徳を明にするの功は他無し、 誠意のみ」 (全集一、 一三頁、 「経解」 )とも述べており、 藤樹の 「明明徳」 について論じる上で 「誠意」 を避けて通ることはできな い 五 。まず藤樹の 「誠意」 説について簡単に 整理しておこう。 藤樹は、 「誠意」について「意の字の解、 大学には心之所 レ発也と訓じ、 論語には私意也と訓じ、 異義あるに似たり。 陽明も不 レ及 二深考 一して従 二此解 一 。今竊に考 レ之如未 レ瑩」 (「大学考」 )と述べている。 つまり、 『大学』 の「誠 意 0 」にいう 「意」東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二〇四 について、 朱子は「意とは、 心の発する所なり」として、 善念も意、 悪念も意と解釈しているにもかかわらず、 『論語』 子 罕 篇 の「 子 絶 四。 毋 意 0 、 毋 必、 毋 固、 毋 我 」 に い う「 意 」 に つ い て は「 意、 私 意 な り 」、 つ ま り 意 を 悪 念 と し て 解 釈しており、 矛盾しているではないかというわけである。そして、 この「意」の解釈については王陽明でさえも深く 考えることなく朱子の解釈に従ってしまっているとい う 六 。そこで藤樹は「意」について以下のように解釈する。 【二―一】 意 は 心 の 所 レ倚、 好 悪 の 執 滞・ 是 非 の 素 定・ 一 切 の 将 迎 及 一 毫 の 適 莫、 皆 意 な り。 意 念 の 所 レ倚、 雑 る 所 を 省 察 克 治して、本来純一真実の心に復るを意を誠にすると云。 (全集二、 三一頁、 「大学解」 ) 心( 本 来 心、 明 徳 ) と は 本 来、 無 碍 自 在 に 変 動 周 流 し て 万 事 に 対 処 し て い く こ と が 出 来 る も の で あ る。 「 意 」 と は、 そ の よ う な 無 碍 自 在 な る 心 に 生 じ た「 か た よ り( 所 倚 )」 「 と ど こ お り( 凝 滞 七 )」 で あ り、 こ の「 意 」 に よ っ て そ の 無 碍自在なる働きが阻害されてしまう。水に譬えるならば、 厳寒日にその一部が氷ってしまい、 その流れが妨げられて しまうようなものである。そしてこのような「意」の例として、 「好悪の執滞」 「是非の素定」 「一切の将迎」 「一毫の 適 莫 」 が 挙 げ ら れ て い る。 「 好 悪 の 執 滞 」 と は、 好 悪 の 感 情 に 拘 泥 す る こ と。 「 是 非 の 素 定 」 と は、 過 去 の 記 憶 や 先 入 観 等 に よ っ て あ ら か じ め 是 非 を 決 め て か か る こ と。 「 将 迎 」 と は、 過 ぎ 去 っ た こ と に 執 着 し、 ま だ や っ て 来 て い な いことを思い煩うこと。つまり「今」から心が離れること。 「適莫」は、 『論語』里仁篇の「君子之於天下也、 無 適 0 也、 無 莫 0 也 」 に 出 て く る 言 葉 で、 「 適 は 好 む 所 を 云 」「 莫 は 悪 む 所 を 云 」( 「 論 語 解 」) と 藤 樹 は 説 明 し て い る。 こ れ ら は 全 て何かに囚われ、執着し、固定されてしまっているのである。これが藤樹のいう「意」である。さらに藤樹はいう。
二〇五 中江藤樹の「明明徳」について 凡心 【二―二】 の 起 レ発 有 レ善 有 レ悪 は 本 心 之 裏 面 に 意 の 伏 蔵 あ る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 故 也。 然 則 悪 念 は 意 の 伏 蔵 0 0 0 0 よ り 起 発 し て 本 心 の 発 見 に あ ら ず。 (全集二、 一四~一五頁、 「大学考」 ) ここでは 「意」 が本心の内に 「伏蔵」 しており、 この 「意の伏蔵」 からあらゆる悪念が起発してくると藤樹は説明する。 ま さ に「 意 と は、 万 欲 百 悪 の 淵 源 な り 」( 「 大 学 考 」) 「 万 欲、 意 に 生 ず る 」( 「 大 学 解 」) な の で あ る。 そ し て こ の 諸 悪 の 根 源 で あ る「 意 の 伏 蔵 」 を 省 察 し て 取 り 除 い て い く 工 夫 が「 誠 意( 意 を 誠 に す )」 で あ る。 朱 子 や 王 陽 明 の よ う に、 「意とは、 心の発する所なり」と解釈して、 已に発してしまった所で悪念を除去しようとすることは、 草を除くのに 茎だけをとって根を抜かないようなものであり、 「端本澄源」 の工夫とは言えないのであ る 八 。そしてこのように 「意」 を解釈すれば、 「誠意」の「意」と、 「絶四」の「意」は同じ意味となり、何ら矛盾は生じないというわけである。 「格物」について さ ら に 藤 樹 は、 「 明 徳 を 明 に す る の 功 は 他 無 し、 誠 意 の み。 誠 意 の 功 は 他 無 し、 格 物 の み 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 」( 「 経 解 」 誠 意 ) と 述 べ、 「明明徳」の工夫は「誠意」に他ならず、 「誠意」の工夫は「格物」に他ならないという。 『大学解』によれば藤樹は 「格物」 について、 「格」 を 「正す」 と解釈するのは王陽明と同じであるが、 「物」 については 『書経』 洪範にいう 「五 事」 、つまり 「貌」 「言」 「視」 「聴」 「思」 のことであるとす る 九 。つまり、 「格物」 とは 「五事を正す」 という意味になる。 これは藤樹独自の説である。なぜこのように解釈する必要があるのかについて藤樹は以下のように述べている。
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二〇六 【二―三】 意 念 の 有 無、 五 事 な き 時 は 伏 蔵 し て 辦 へ が た し。 五 事 に 発 す る 時 は、 是 非 邪 正、 良 知 の 鏡 を 欺 く こ と 不 レ能 し て 辦へ易し。故に初学致知の功、 良知の鏡を以五事の是非を照察し 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 て其良知に致るを物を格すと云。 (全集二、 三一 ~三二頁、 「大学解」 ) 「意」 とは本心の内に 「伏蔵」 しているのであり、 この 「意の伏蔵」 を除去していくことが 「誠意」 の工夫であった。 しかし、 実際には、 「意 (意念) 」 は心の内に伏藏しているので、 その有無を見極めることは難しい。そこで、 伏蔵した 「意 (意念) 」 が具体的に現象化した所、 つまり、 五事の上で 0 0 0 0 0 工夫を施していく必要があるというのである。すなわち 「貌」 「 言 」「 視 」「 聴 」「 思 」 を、 自 己 の 良 知( 本 心 ) に 照 ら し て、 そ れ が 本 当 に 正 し い も の な の か、 理 に か な っ て い る も のなのかを省察して、そうでないものがあれば正していくというわけである。藤樹はいう。 【二―四】 大本 (筆者注 : 明徳を指す) は聲もなく臭もなければ、初学の分際にては其明暗辦へ難し。五事は形色あり、跡有て、 其 邪 正 辦 へ 易 し。 故 に あ ら は れ て 見 易 き 五 事 を 以 か く れ て 見 難 き 大 本 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ( 明 徳 0 0 ) を 察 し、 専 ら 力 を 大 本 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ( 明 徳 0 0 ) 上 に 0 0 用る 0 0 を知 レ所 二先後 一と云。 (全集二、 三〇頁、 「大学解」 ) 【二―五】 五 事 は 形 象 有 て 見 易 く、 心 は 形 象 な く し て 明 ら め 難 し。 ( 中 略 ) 懸 空 に 力 を 用 て は 知 に 致 る こ と 能 は ず 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 五 事 の 上に就て心上の邪正を辦ふれば、良知愈開発し、工夫実に手を下す処あり。 (全集二、 三二頁、 「大学解」 )
二〇七 中江藤樹の「明明徳」について 明 徳( 本 心 ) は 形 象 が な く と ら え 難 い が、 五 事 で あ れ ば 形 象 が あ り、 そ れ を 通 し て 正 邪 を 見 極 め や す く な る。 「 明 明 徳 」 と い う だ け で は、 空 中 に 物 を 掛 け る よ う な も の で あ り( 懸 空 )、 何 の と っ か か り も な く 工 夫 の 施 し よ う が な い。 よ っ て「 五 事 の 邪 正 に 因 て 心 徳 の 純 駁 を 攷 へ、 心 上 の 垢 塵 を 琢 磨 す る 」( 「 大 学 解 」) と あ る よ う に、 五 事 を と っ か か りとして、 五事の邪正を通して、 心上の塵垢を琢磨し除去していくのである。そして「五事の邪正」を判断するのは、 「 良知の鏡を以 0 0 0 0 0 0 五事の是非を照察し」とあるように、 自己の良知(明徳、 本心)である。つまり、 良知(明徳、 本心) に よ っ て 明 徳 を 明 ら か に し て い く の で あ り、 五 事 に お け る 工 夫 と は 言 っ て も 結 局 は こ れ も 心 上 に お け る 工 夫 で あ っ て、 ま さ に「 心 学 」 な の で あ る。 ま た、 「 五 事 の 善 悪 是 非、 心 の 邪 正 に よ る。 心 の 邪 な る は 意 念 の 祟 り に し て、 意 念 は五事の非の主たり」 (「大学解」 )とあるように、五事の善悪是非は心に原因があり、心の邪正は意念に原因がある。 原因 原因 五事の善悪是非 ――― → 心 ――― → 意念 そ し て「 物 を 格 し て 知 に 致 る と き は、 意 自 ら 0 0 誠 な り 」( 「 大 学 考 」) と い う よ う に、 五 事 を 正 す こ と( 格 物 ) に よ っ て心に伏蔵する 「意 (意念) 」 は 自然に 0 0 0 除去されるというわけである。まさに 「誠意の功は他無し、 格物のみ」 (「經解」 ) なのである。 と こ ろ で こ こ で 一 つ 疑 問 が 生 じ る。 先 に 述 べ た よ う に 藤 樹 は「 誠 意 」 に つ い て、 「 意 」 が「 伏 蔵 」 し て い る 所 を 除 去していくべきであり、 已に発してしまった所で 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 工夫を施しても手遅れであり「端本澄源」の工夫にはならないと説 いていた。しかし資料【二―三】でみたように、 「意念の有無、 五事なき時は伏蔵して辦へがたし」とし、 そして、 「 五 0 事 に 発 す る 0 0 0 0 0 時 は、 是 非 邪 正、 良 知 の 鏡 を 欺 く こ と 不 レ能 し て 辦 へ 易 し 0 0 0 0 」 と い い、 資 料【 二 ― 四 】【 二 ― 五 】 を み て わ
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二〇八 かるように、 まさに五事に 発した所 0 0 0 0 で是非を照察し、 工夫を施していくことを説いている。また藤樹は「意」につい て「陽明も不 レ及 二深考 一 」( 『大学考』 )と述べていたが、その王陽明の発言は以下の通りである。 【二―六】 心の本体は本と正しからざる無きも、 其の意念の発動する自りして後、 正しからざる有り。 故に其の心を正さん 0 0 0 0 0 0 0 0 0 と欲する者は、必ず其の意念の発する所に就いて之を正す 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 心之本体本無不正、自其意念發動、而後有不正。故欲正其心者、必就其意念之所発而正之。 (『大学問』 ) 藤 樹 と 王 陽 明 の「 意( 意 念 )」 に つ い て の 解 釈 は 確 か に 異 な る が、 と も に「 発 し た 所 」 で 工 夫 を 施 す し か な い と し て い る 点 で は 同 じ で あ る。 結 局 の 所、 実 際 に 施 す 工 夫 は 同 じ な の で あ る。 王 龍 渓 に も、 「 欲 根 の 潜 蔵 0 0 、 対 境 す る に 非 ざれば、 則ち発し易からず」 (『王龍渓全集』巻一「三山麗澤錄」 )とし、 心の奥底に「潜蔵」している欲根は、 「対境」 、 つ ま り 対 象 が な け れ ば 容 易 く 発 す る も の で は な い と 述 べ て い る。 こ れ な ど も 藤 樹 の い う、 「 意 念 の 有 無、 五 事 な き 時 は伏蔵して辦へがたし」 (資料【二―三】 )とほぼ同じであると言ってよかろう。 「 発 し た 所 で 工 夫 を 施 す 」 と い う 点 で は、 結 果 的 に 同 じ 工 夫 に な っ て し ま っ た 感 が あ る が、 藤 樹 が「 意 」 を 本 心 の 内に「伏蔵」するものと解釈するに至ったのは、 『大学』 「誠意」の「意」と、 『論語』 「絶四」の「意」の意味が異な るという矛盾を解消する必要があったというのが大きな理由であろう。実際に行う工夫はほとんど同じであって、 こ の「 意 」 の 解 釈 と い う 点 に つ い て は、 や は り 王 陽 明 は「 不 レ及 二深 考 一」 だ っ た と い う こ と に な る の で あ ろ う。 た だ こ の点については何か釈然としないものが残る。
二〇九 中江藤樹の「明明徳」について
三、中江藤樹の「万物一体」論
以 上 を 要 約 す る と、 「 明 明 徳 」 の 工 夫 と は、 自 己 の 良 知( 本 心 ) を 鏡 と し て、 五 事 を 正 し て い く こ と で あ っ た。 そ してこのような工夫を久しく続けていくことで、 たとえ凡人であってもやがては聖人の境地に 至る 0 0 ことができるので ある。以下に藤樹の発言を確認しておこう。 【三―一】 聖賢四書五経の心を鑑として 我が心を正しくする 0 0 0 0 0 0 0 0 0 は、 始終ことごとく心の上の学なれば、 心学 0 0 とも云なり。此心 学をよくつとめぬれば、 平人より 聖人の位にいたる 0 0 0 0 0 0 0 0 ものにて候ゆへに、 また聖学とも云なり。 (全集三、 一〇九頁、 「翁問答」 ) 【三―二】 心学は 凡夫より聖人に至 0 0 0 0 0 0 0 0 道なれば、 全孝の心法がすなはち艮背敵応の心法なり、 名はかはりて実は同じ道理なり。 これを本体工夫と云なり。 心法の端的は同一貫なれ共、 受用する人に 善信美大聖神の差別あり 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 と得心すべし。 (中 略 ) も し ま た 聖 胎 純 熟 の 時 至 り 0 0 、 脱 胎 神 化 し て 聖 神 の 位 に 至 0 0 0 0 0 0 と き は、 天 地 と 其 徳 を 合 せ、 日 月 と 其 の 明 を 合 せ、 四時と其序を合せ、鬼神と其吉凶を合せ、四表に光被し上下に格る 。(全集三、 二七四~二七五頁、 「翁問答」 ) このように、 藤樹にとって聖人とは、 「我が心を正しくする」 、 つまり、 心学に努めることによって誰もが至ること東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二一〇 が 出 来 る 境 地 で あ っ た。 「 聖 人 以 下 の 人 は 気 質 清 純 な ら ず し て、 明 徳 の 光 明 十 分 洞 徹 な ら ざ る 故 に 意 必 の 凝 滞 0 0 0 0 0 な き こ と あ た は ず 」( 「 大 学 解 」) と い う よ う に、 聖 人 と 聖 人 以 下 の 人 に は「 気 質 」 の 純 濁 に お い て 厳 然 と し た 差 が あ る。 し か し、 本 来 有 し て い る「 明 徳 」 は 何 ら 変 わ る も の で は な い か ら、 「 明 明 徳 」 の 工 夫 を 行 う こ と に よ っ て「 気 質 」 は 次 第 に 純 化 さ れ、 「 善 → 信 → 美 → 大 → 聖 → 神 」( 『 孟 子 』 盡 心 下 ) と い う 段 階 を 経 て 一〇 、 聖 人 の 境 地 に「 至 る 」 と こ と が で きるのである。この辺りは朱子学の影響をそのまま受けているといってよい。聖人の境地に「至る」とは、 すなわち、 「明徳が明らかになる」 「明徳に復る」 (「大学考」 )「本体に復る」 (「中庸解」 )ということであり、 それはまるで、 家 主が、 本来の住居である本体(明徳、 良知)を離れ、 旅に出て、 再び家に帰ってくるようなものであるとい う 一一 。藤樹が、 王 陽 明 の い う「 致 良 知 」 を「 良 知 を 致 いた す 」 と 訓 ま ず、 「 良 知 に 致 いた る 」 と 訓 む 理 由 の 一 つ は こ の よ う な 点 に も あ る の で はなかろうか。 さ ら に 資 料【 三 ― 二 】 で は、 聖 人 の 境 地 に 至 れ ば、 つ ま り 明 徳 が 完 全 に 明 ら か に な れ ば、 「 天 地 と 其 の 徳 を 合 わ せ、 日月と其の明を合わせ、 四時と其の序を合わせ、 鬼神と其の吉凶を合わせ」 (『易経』文言伝) 、「四表に光被し上下に 格る」 (『書経』 尭典) と述べている。藤樹の 「明徳」 についての発言にはこのような表現が非常に多くみられる。例えば、 【三―三】 大人は天地と其徳を合せ、 日月と其明を合せ、 鬼神と其吉凶を合せ、 四時と其序を合する義なり。 (全集二、 六七頁、 「中庸解」 )
二一一 中江藤樹の「明明徳」について 明徳は方寸に具るといへとも、大虚廖廓其本体なれば、 【三―四】 天地万物を包括す 0 0 0 0 0 0 0 0 。(全集二、 一八頁、 「大学啓註」 ) 【三―五】 其徳たるや 万物一体 0 0 0 0 にして、 寂然不動感而遂に天下の故に通ず。愛せざる所なく、 敬せざる所なし。方寸に備る といへとも、天地太虚と相通貫して毫髪の差異なし。 (全集二、 二四頁、 「大学解」 ) 【三―六】 〔明徳は〕方寸に具て一身に主たりといへとも其全体は大虚廖廓なれば、 天地万物を包括して天地万物の中に貫 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 通 す 0 0 。 聖 人 の 心 其 本 体 な り。 蓋、 性 は 万 物 一 原 な り と い へ と も、 独 り 人 の 性 の み 如 レ此 光 明 正 大 に し て、 天 地 と 其徳を合、日月と其明を合る故に唯人の性を明徳と名く。 (全集二、 一九頁、 「大学啓註」 ) 明 徳 と は、 胸 中 の 一 寸 四 方 と い う と て も 小 さ な 空 間 に 収 ま っ て い る と は 言 っ て も、 そ の 実 体 は、 太 虚 廖 廓( 全 宇 宙)であり、 天地万物と一体であるという。さらには、 「天地と其の徳を合し、 日月と其の明を合す」とも述べている。 これは『易経』文言伝にみられる言葉ではあるが、 藤樹はどのようなことからこのような表現を使用しているのだろ うか。これについて藤樹の次の発言が参考になる。 【三―七】 身の本は父母なり 0 0 0 0 0 0 0 0 。父母の本は、 之を推して始祖に至る。始祖の本は天地なり。天地の本は大虚なり。一祖を挙 げて而して父母・先祖・天地・大虚を包ぬ。 (全集一、 三一五頁、 「孝経啓蒙」 )
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二一二 【三―八】 わが身は父母にうけ、 父母の身は天地にうけ、 天地は太虚にうけたるものなれば、 本来わが身は太虚神明の、 分 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 身変化なる 0 0 0 0 0 ゆへに、 太虚神明の本体をあきらかにして、 うしなはざるを身をたつると云也。太虚神明の本体をあ きらめ、 たてたる身をもつて、 人倫にまじはり、 万事に応ずるを、 道をおこなふといふ。かくのごとく身をたて、 道をおこなふを、孝行の綱領とす。 (全集三、 六七~六八頁、 「翁問答」 ) 【三―九】 我身にそなはるものは、心も性も身体も毛髪も、皆親の 心性 0 0 ・ 身体 ・ 毛髪を受たるものなれば、身体髪膚も本わ が身体髪膚にあらず、 親の身体髪膚なり。 身体髪膚の主本たる心性もわが心性にあらず、 父母の心性なり。 (全集三、 二七〇頁、 「翁問答」 ) ここでいう「心性」とは、 明徳と置き換えてもよかろう。ここで「身の本は父母なり」という。また、 我は父母か ら生まれたのであるから、 我が身体は父母の分身であり、 さらにその心性(明徳)も父母の分身であるという。父母 はそのまた父母の分身であり、 このようにして 「父母→先祖→始祖→天地→大虚」 とを遡って行けばついには太虚 (根 源の一気)に行きつく。 子孫 ← 子 ← 自分 ← 父母 ← 先祖 ← 始祖 ← 天地 ← 大虚 つまり我々の心性 (明徳) と身体の大本は太虚にあり、 我々一人一人は、 太虚の分身ということになる。藤樹が、 「性
二一三 中江藤樹の「明明徳」について 即 天 命、 天 命 即 性、 更 に 差 別 な し 」 (「 中 庸 解 」、 「 天 命 」 は、 天 の 妙 用 一二 ) と 言 っ た り す る の は、 我 々 の 心 性( 明 徳 ) が 直 接、 天とつながっているというより、 父母祖先を介して 0 0 0 0 0 0 0 0 天(太虚)とつながっているというわけである。それゆえに、 「何 事 も み な 父 母 の 恩 な ら ざ る は な し。 父 母 の 恩 は 広 大 無 類 に し て、 恩 の 大 根 本 な り 」( 資 料【 一 ― 五 】) 「 父 母 の 恩 徳 は 天よりも高く、海よりも深し」 (「翁問答」 )として父母への孝行を強調したのである。 このように、 我々は 父母祖先を通して 0 0 0 0 0 0 0 0 太虚とつながっている。つまり、 我々は太虚の分身なのであるが、 同様にし て他人もまた太虚の分身であり、 また人間以外の動植物等(万物)も太虚の分身である。それ故、 自分と自分以外の 全ての存在は、 同じ根源である「太虚」から生まれたということから本来一体なのであって、 または兄弟であるとも 言えるわけである。 【三―一〇】 万民はことごとく天地の子なれば、 われも人も人間の形あるほどのものはみな兄弟なり 。しかるゆへに、 聖人は 四海を一家、 中国を一人とおぼしめすと也。われと人のへだてをたてヽ、 けはしくうとみあなどりぬるは、 まよ へる凡夫の心なり。 (全集三、 八九~九〇頁、 「翁問答」 ) 【三―一一】 明徳は万物一体の本体なるに因て、 明徳全く明にして少の間断なき時は、 天下を以一家とし中国を一人とす。 (全 集二、 三二頁、 「大学解」 ) 以上が、 藤樹の「万物一体論」である。ただ、 我々は天(太虚)と一体である、 万物一体であると言っても現実に
東洋大学中国哲学文学科紀要 第二十一号 二一四 はそれを実感できない。その理由は、 「明徳」が明らかでないからである。 「気質」の濁駁に拘蔽され、 「意」が伏蔵し、 俗習に汚染され、 人欲にひかれるがゆえに、 本来一体であるはずの太虚と、 また万物と、 分け隔てられてしまっている。 それゆえ、 前章で論じたような 「明明徳」 の工夫に努め励むことによって 「明徳」 を明らかにして、 本来の、 「万物一体」 なる「明徳」を取り戻さなければならない。これが人の目指すべき真の道「儒道」であり、 これこそが真の学問「儒 学」であるというのである。 そして藤樹の「万物一体」論を王陽明のそれと比較すれば、 藤樹とほぼ同じ表現を王陽明の中に見出すことができ る 一三 。ただ藤樹の場合、 先述のように、 我々の心性(明徳)が直接、 天や万物とつながっているというより、 父母祖先 0 0 0 0 を介して天とつながっている 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 と考え、 父母を敬愛し、 祖先を崇敬し、 さらには天(太虚、 皇上帝、 大乙神等)を畏敬 し 祀 っ た と い う 点 に 大 き な 特 徴 が あ る。 王 陽 明 や 王 龍 渓 の 影 響 を 強 く 受 け、 「 致 良 知( 明 明 徳 )」 「 万 物 一 体 」 等、 同 じような言葉 ・ 表現を用いながらも、王陽明らが特に取り上げることのなかった『孝経』を重視してその普及に力を 入れ、 また 「明明徳 (致良知) 」 と 「孝」 を一体化させて教えを説いた理由も以上のような点によるのではなかろうか。
最後に
以上、 藤樹の「明明徳」論をみてきた。冒頭に確認したように、 全ての人には「明徳」が備わっており、 それは天 地太虚(皇上帝、 大乙神霊)の分身ともいえるものであり、 この明徳を「明らかにする」ことこそが真の学問であり、 人が歩むべき真の道であった。そしてこの「明明徳」こそが、 教派を超えた普遍の道であると藤樹は考えたのである。 た だ 藤 樹 も 初 め か ら そ う で は な か っ た。 朱 子 学 か ら 出 発 し た 藤 樹 は、 『 翁 問 答 』 に み ら れ る よ う に、 当 初 は 伝 統 的二一五 中江藤樹の「明明徳」について な 儒 教 の 立 場 に 則 っ て 仏 教 を 激 し く 批 判 し て い る。 し か し 晩 年 に は、 「 某、 頃、 日 に 仏 書 を 見 る。 其 の 奥 旨、 亦 た 悉 く 吾 が 儒 教 の 中 に 包 ま る。 彼 の 教 え、 若 し 別 に 好 き 意 思 有 ら ば、 之 を 学 ぶ も 亦 た 可 な り。 彼 れ 亦 た、 此 の 心 を 明 ら かにするに過ぎず」 (「藤樹先生事状」 ) と述べるまでになっている。結局は仏教も 「此の心を明らかにするに過ぎず」 、 つまり 「明明徳」 という点では同じであるというのである。その証拠に、 藤樹晩年に書かれたとされる 『鏡草』 には、 「明 徳」という語が「明徳仏性」という言葉で記されている。王龍渓に対しても、 「年譜」によれば、 三十三歳の時に『王 龍渓語録』を読んで「其触発することの多きを悦ぶ」と感激しながらも「然れども其仏語を間雑し、 禅学に近ことを 恐 る 」 と あ り、 非 常 に 慎 重 な 態 度 で 接 し て い た。 し か し、 三 十 七 歳 の 時 に『 陽 明 全 集 』 を 読 む に 至 っ て、 「 龍 渓 の 禅 学に近からざることを知る。且、 仏語を間雑するの、 世を憫むの深ことを見る」と王龍渓を全面的に認め、 さらに「聖 人 一 貫 の 学、 本 太 虚 を 以 て 準 則 と す。 老 仏 の 学、 皆 一 貫 の 中 を 離 れ ず 」 と 述 べ、 儒・ 仏・ 道 は 本 来、 「 太 虚 を 以 て 準 則とす」という点で一つであるという見解を示している。また、 このような藤樹の態度は老仏だけでなく、 日本の神 道に対しても同様に見られる。藤樹にとって「明明徳」とは、 まさに、 儒教 ・ 仏教 ・ 道教 ・ 神道を貫く「聖人一貫の学」 であったのである。 一 例 え ば、 『 翁 問 答 』 に「 国 所、 世 界 の 差 別 い ろ