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Vol.68 , No.2(2020)086下田 正弘「「正典概念とインド仏教史」を再考する――直線的歴史観からの解放――」

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「正典概念とインド仏教史」を再考する

―直線的歴史観からの解放―

下 田 正 弘

1

.問題の所在

大乗仏教の起源に関する最新の論集の導入部分で,Harrison (2018, 8–9) は古代 インド仏教史における一つの強固な想念,すなわち「インド仏教史は,展開のあ る時期に上座部仏教と大乗仏教という二つの基本的な流れに分かれた」という 「単純で時代錯誤的な理解」に危惧を表明している.近年の研究の進展によって, 大乗仏教と「伝統仏教」の両者は,はるかに複雑な関係のもとに共存していたこ とが明らかになっており,それを授業で教えるときには「敬意を払って」聞いて いた学生たちも,試験の答案になるときまってこの二分法による歴史を書いてく ると言う.同様の懸念はすでに15年まえSchopen (2004, 492) によっても表されて いた. かつてインド仏教の歴史的発展は,単純で,まっすぐで, しいほどに直線的なものとし て示されていた.それは歴史的ブッダから始まり,教えは組織化され,伝承され,初期仏 教early Buddhismとして言及される教説に…発展する.この初期仏教は,小乗…テーラ ヴァーダ…あるいはたんに僧院仏教と同一視される.…この初期仏教に大乗仏教がつづ く. 以前とは比較にならないほどにインド仏教の細部の研究が深化した現在でも, この直線的歴史観におさまらない仏教史には出あうことはまずない.仏教史叙述 の基本的な枠組が19世紀からほとんど変わっていないのである.個別の主題の 研究が進んでも研究全体の枠組みはおのずと整うものではない.個々の研究をお さめとるところの全体の準拠枠の提示が現在の仏教学に求められている. インド仏教の歴史の起点に関わるこの重要な問題に解決のみとおしを立てるた めには,研究史の検討を主題としつつ,すくなくとも以下の三点に留意する必要 がある.第一に,古代インド仏教史の構築に直接に関わることのできる資料状況 をあらためて踏まえなおすこと,第二に,インド仏教史を構築するさいにこれま

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で特権的な役割を果たしてきたパーリ語資料のもつ歴史的意義を批判的に検討し なおすこと,第三に,「正典canon」という概念の複層的な意味を明らかにする ことである.相互に関連の深いこれら三点を踏まえるなら,インド仏教学は歴史 学としてより適正なものになるだろう. 2

.現在の資料状況と仏教史再考の必要性

第一の課題について,ショペンが精力的に大乗仏教研究の批判検証を開始した 30年ほど前と現在とでは古代インド仏教をめぐる資料状況が一変している. ショペンの批判の要点は,初期の大乗仏教は古代インドになんら歴史的痕跡を残 していないにもかかわらず,後代の中国やチベットに存在する二次資料に依拠 し,その歴史的内実が過大に描かれてきたというものだった.ところが近年,ア フガニスタンとパキスタンを含む広域ガンダーラ地方から紀元前後に るインド 語の写本群が相当量発見された(Strauch 2010; 2018).松田(2009)によれば,「最近 の20年間に発見されたカローシュティー文字によるガンダーラ語仏教写本は, それ以前の百年間に発見された写本の総量よりもはるかに多い」.歴史は,空間 と時間を特定しうる史資料を根拠として成立する.古代インド仏教思想史を構築 するさい,世界最古の資料であるガンダーラ語写本のもつ価値は,ひとまずこれ までのいかなる文献資料よりも高い.大乗仏教が経典というかたちで早くも紀元 前後のインドに存在していたことが明らかになった意義は大きい. この報告で注目すべきは,大乗仏教の系譜と「伝統仏教」の系譜それぞれに属 する経典が同一と見られる場所に存在したと理解されている点である(Strauch 2018, 212).これが事実だとすれば,Mainstream BuddhismとMahāyāna Buddhismと は同一の場で成立していたことになる.これは大乗仏教の歴史的実態についての 理解はもとより,大乗と部派との関係およびそれを る「初期仏教」の理解に対 するあらたな問題提起である. これまでの研究での最も大きな問題は,「歴史的ブッダ」の入滅以後から紀元 前後に至るまでの四百年ほどのあいだ,ほんのわずかな情報を有する碑文資料を 除いて文献資料がまったく存在しなかったことである.それにもかかわらず,研 究者はこの文献不在の時代を「初期仏教」あるいはさらに って「原始仏教」と 規定し描いてきた.その根拠とされたものは,漢訳の阿含経典や律,さらには次 節で考察するパーリ語文献資料である.けれども紀元前後に大乗経典が存在して いた事実は,この時代の仏教を描くには大乗経典をも同等の資格をもつ素材とし

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てもちいなければならないことを示している.冒頭に述べた阿含とニカーヤにも とづく「初期仏教」から大乗仏教へと展開するという直線的史観は,ここで頓挫 する. この重要な問題をハリソンもショペンも明示的には指摘していない.一方のハ リソンは,大乗経典や大乗仏教を排除したかたちでMainstream Buddhismという 概念を導入した当人であり,最新のHarrison 2018においてもその名辞を放棄し ていない.この術語を大乗Mahāyānaの対概念として使うなら,大乗はその branchでしかなくなるのだから,じつはハリソン自身がほかならぬ直線的図式を

支えている.他方のショペンは,Schopen 2004において,「Mainstream Buddhism は紀元後ずっと長く残り隆盛を極めていた」と述べ,文献不在の時代の仏教を テーラヴァーダの伝統に至る「初期仏教」で無意識に埋めてしまっている.両者 とも大乗仏教の興起に注目するあまり,その前史たる仏教をどのように描くべき かという問題にまで意識が届いていない. しかるに,ここでかたちづくられる「初期仏教」理解は,以後に展開する仏教 史全体を決定する大きな力をもつ.というのも,これは仏教史をかたちづくる原 型として機能し,以後の歴史は出発点に据えられたこの先行的形象をより明確化 してゆく方向に進むからである.これまでに描かれてきたインド仏教史は,まさ に起源に立てられた「歴史的ブッダとその共同体」のイメージにそった展開と なっている. ここであらためて「初期仏教」を構築する資料とそのあつかいに検討を加える 必要がある.こんにちまでの仏教研究において,歴史的ブッダからはじまる「初 期仏教」の理解の根拠となっている主要な資料,それはパーリ語の経と律であ る.古代インド仏教の研究をより厳密な歴史研究とするため,この資料の性質と 価値を問いなおさなければならない.ここからが第二の論点となる. 3

.パーリ語仏典の歴史史料としての批判的評価

まず,歴史資料としての資格に関して,パーリ語の諸仏典の写本の年代と出現 地域さらにそれらが備えている情報の質について確認しておこう.K. R.ノーマ ンおよびO.フォン=ヒニューバによれば,現在利用可能なパーリ語の写本はほ とんどが18世紀から19世紀という,きわめて近年のものである(von Hinüber 1983, 78; 1994, 188; Geiger and Norman 1994, XXV).しかもこれらの写本がどのような過程を たどって現在に至ったかほとんど情報がないため,近代以前の足跡は写本自身か

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ら知りえない.この点,漢訳の諸経典が古い時代―『道安録』を起点とするな ら四世紀以降―より翻訳状況の記録とともに継承されていることに比すると, その歴史資料としての価値にはかなりの限界がある. 一般に理解されているように,パーリ語仏典が紀元前の古代スリランカから始 まって東南アジア全体に伝播したと仮定しても,伝承の系譜が不明な近代写本の テクストを根拠とし,それより二千数百年も前の古代インドの,マガダ地方とい う途方もなく離れた過去の空間と時間の一点を特定することは不可能であろう. インド亜大陸内部に発見されるパーリ語とみられる碑文もスリランカからの巡礼 者に向けて立てられたものであり,インド亜大陸におけるパーリ語の流布を証拠 づけるものと決定しえないことが指摘されている(Collins 1998, 46–47). パーリ語を言語の地平で見たとき,北西インドの中期インドアーリア語に起源 をもちながら東方方言の様相を備え,さらにサンスクリット語正規文法の影響で 修正された「人為的言語artificial language」(von Hinüber 1982),あるいは「聖職共 通語ecclesiastical koine」(Norman 1993, 100)であることは言語学者間での共通認識 である.それは特定の時代や地域を超えて広範囲な地域にまたがり,長大な時を 経て構成されていったもので,仏教という普遍的コミュニティを成り立たせた lingua francaである.

言語学によるこうした分析結果はパーリ仏典の内容の解読結果にも一致する. Pāliは当初,正典canonを指す語であったものが,Pāli-bhāsāという語の出現に よって言語を指すものと理解されはじめる.ただニカーヤやヴィナヤにおける理 解とDīpavaṃsaMahāvaṃsaなど史書における理解とのあいだには明らかな相 違 が あ る. ニ カ ー ヤ で は― た と え ばāriyaとaviññātara-milakkhaの 区 別 や majjhimā-janapadāに対する特別な評価 (Suttanipāta v. 466) にみられるように―言 語の優位性は認められていても,ヴィナヤでは戒を捨てる捨戒にさいして地方語 の使用を承認していた (Vinayapiṭaka iii. 27–28) ことから明らかなように,パーリ語 を絶対的なものとすることはない.ところが史書や教義書になれば,唯一パーリ 語をあらゆる衆生の起源語mūla-bhāsāとし(Mahāvaṃsa xxvii. 244, Visuddhimagga 441), さらに注釈書(Vibhaṅga-aṭṭhakathā 387–388)でも新生児はパーリ語を話すことを記 すなど,パーリ語を絶対視する態度が鮮明になっている.

こうした傾向をもつパーリ語のテクストをどうあつかうべきかについて,20 年以上もまえにCollins (1998, 52–55) は重要な議論を展開している.伝承者にとっ てパーリ語テクストは,ちょうどヴェーダ聖典がバラモンたちに受容されたのと

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同様,歴史を超え,地域を超えた普遍的存在とみなされているというのだ.それ は,空間的に仏教が流布した地域全体にわたり,時間的にゴータマ・ブッダの時 代から未来仏の時代までを包摂する.伝承の当事者にこうした性質を有するもの と理解されているテクストに対し,古代インドのマガダ地方のブッダの歴史を映 し出しているという主張をする研究者が後を絶たないが,コリンズはそれに対 し,ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』から「聖なる言語は…それ を通して,過去の,偉大な世界規模の,共同体が想像される媒体であった」 (Anderson 1991, 14)という一節を引いて批判している. これに加えコリンズは興味深い問題を指摘している.パーリ仏典にもとづく仏 教世界の歴史を区分するさい,パーリ語が「現代語living language」から「死語 dead language」に変じた19世紀から20世紀初頭にその「近代」の成立が見てとれ るというのである.18世紀のスリランカの王Vijayarājasiṃhaが東南アジア諸国 にサンガ再生の助力を求めた手紙をパーリ語で書いたことで知られるように (Mahāvaṃsa xcviii),テーラヴァーダの伝統にある東南アジアの仏教者にとって パーリ語は生きた現代語として機能し,同時代的な問題がパーリ語を媒体として 考究されていた.それが「近代」以降,西洋によって立てられたパーリ仏教の理 解が広く共有されるにいたってしだいに消失した. パーリ語が死語になるとき,それによって記されたテクストは,現在の世界か ら切り離され,過去のみに関わるものとなる.それは過去を保存したまま死に絶 えたいわば化石であることによって過去を復元する機能をもっており,むしろそ の機能しかもたされていない.ここに現在の仏教学界において共有されている 「原始仏教」や「初期仏教」を再現することのできるパーリ文献の理解が完成す る. ここには「言語論的転回」の批判にさらされるべき重要な問題が隠れている. 近代仏教学を推進してきた西洋にとっても,日本にとっても,パーリ語とその仏 典は,みずからの現在に関りのない異世界のできごとを表す言語であった.近代 に入るとき,この「異他性」は,研究者たちによってそのまま「過去性」に置き 換えられてしまった.この転換にはらまれた問題はいまだ気づかれていない. パーリ語仏典の性質を慎重に分析するCollins (1998, 55) は,これまでなされて きた「初期仏教」復元の方法に疑義を呈する.現存するニカーヤはテーラヴァー ダの伝統を形成した強力な力によって構成され,維持され,伝播されてきたもの であって,その内容をそのまま古代の歴史としてしまえば,ブッダとその時代を

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理想化し,堕落した現代をそれと対比して立てなおそうとする,この伝統の意図 に嵌ってしまう.その結果,描かれる仏教史は,ゴータマという禁欲的に修行す る一個人の存在を仏教史の冒頭にすえ,そこに託された,歴史を超えた不変の真 理が,頽落し変容する人為的社会とのあいだで緊張関係に立ちつづけるという, 上座部の伝統が認めたとおりのものになる.その典型的な事例が「なにをブッダ は教えたか」を主題にすえ,「ゴータマ・ブッダをめぐる時代状況」から出発し て時代の変容,堕落と本来の理想の復興運動を対比させるというプロットを建て るリチャード・ゴンブリッチのTheravāda Buddhismであるという. これに対してコリンズは,パーリ語資料から復元されうるのは,こうしたテクス トを形成した共同体に存する伝統形成の力の内実であり,共同の歴史collective historyとして現れる仏教であるという.それはたしかにエリートから始まるもの の,次第に農民や庶民の世界観を巻きこんで大きく拡大していったもので,とり わけ重要なのはそれらが一貫して非禁欲的な性質のものである点だとする.この 指摘を理解するには,正典canon概念の見なおしをする必要がある.本論文の最 後の論点に入る. 4

.正典概念の再考

これまで仏教研究における正典canonをめぐる議論は,テクストの内容が固定 され編集が閉じられたときに正典が成立したと見る立場から,いつ,どのような かたちで閉じたテクストの集成が完成したかという点ばかりに議論が集中してき た.現在,ガンダーラ語写本をめぐって,Allon (2012),Fussman (2012),Salomon (2006) のあいだで展開されている議論も,写本が制作された当時すでに仏教の正 典は完成していたか,それともまだ完成していなかったかという点にある.アロ ンはパーリ語ニカーヤと同様の正典が古代インドにおいて成立していたという見 方をするのに対して,フュスマンとサロモンは成立していなかったとみる. アロンの主張は,パーリ語ニカーヤをガンダーラ語写本の時代に結びつけて伝 承の古さを言うところにあり,紀元前後すでに正典が各部派ごとに存在してお り,そのうちパーリ語のニカーヤのみが完全なかたちで現在まで残されたという プロットを成立させようとしている.その根拠はきわめて限られた数の写本の断 片が現存するニカーヤや阿含におさめられた経典の名前や構造に散発的に一致す るという点に留まる.これに対してサロモンやフュスマンは,古代インドの写本 の状況解明に焦点をあてる.フュスマンはガンダーラ語の碑文やそれ以前の三蔵

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に関わる碑文を踏まえながら,こうしたカテゴリーへの言及は,仏教のテクスト には異なったジャンルが存在するという理解が存在したことを示すものであっ て,それらがいつの時代にどのような内容のものであったかについてはなにも語 らないとする.さらに注目すべきことに,経典は,律蔵とは異なって,僧院単位 の制約を受けるものの,部派nikāyaとしての制約を受けず,僧院ごとに少しず つ異なった写本として存在していたとみている. 各僧院は,同一のニカーヤに所属していようがいまいが,近隣の僧院とは若干異なった写 本集成をもっていたに違いない.部派によって異なる律蔵をべつとすれば,ブッダのこと ばであるかぎりそのことはほとんど問題にならなかった.…経師は同様の系譜の出家任職 を受けているゆえ,一学派で学ばれ継承されたテクストが(文体や分類など)多くの類似 性を抱えていることはありえるだろう.けれども〔散在する経典の〕統一に向けた体系的 な調査がなされたという証拠もないし,ましてそれが達成されたという証拠はない. (Fussman 2012, 198–199) 漢訳やチベット訳の資料状況を勘案し,なにより出現したさまざま経典写本の 異なった様相を見たとき,Fussmanの主張には説得力がある.厖大な仏典が収集 されながらも,漢訳資料が示すように,インド亜大陸においてまとまった三蔵は ついに目撃されず,また同一の経典であっても写本はそれぞれに異なっている. これに比すればパーリ語の三蔵のまとまり方がはるかに特殊であり,時代を下っ て一地域において独自の理由によって人為的にまとめられたものであるとの印象 がぬぐえない. さて,以上の議論において,これまでほとんど注目されなかった問題が残って いる.それは,そもそも正典canonという概念をどう理解するかというテーマで ある.近年の宗教学を踏まるとき,諸宗教の正典研究に大きな影響を与えたもの としてSheppard (1987) には注目しておかねばならない.かれは正典について二 つの段階あるいは様態を区別する.第一は,抽象的,潜在的次元にある理想,規 範,権威となる儀式や文献の意味,その機能としての正典(canon 1)であり,第 二は,具体的次元に現象として現れる人物や事物の定型化,標準化,目録化,時 系列化などをはかる行為とその結果としての正典(canon 2)である.後者canon 2 は前者canon 1が成立したのち,具体的で特定の事例を排他的に区別するための 厳密な境界,限界,限度を明示化する行為として現れるものであって,馬場 (2008)が立証を試みたブッダゴーサによる「正典化」はこのcanon 2に該当する. 仏教学において研究者の関心はもっぱらcanon 2に注がれてきた.けれども

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シェパードは,公共的に承認され固定された正典が成立するまでにはいずれの宗 教も相当の年月を要しており,その間,標準化されたテクストの固定された目録 をもたない聖典scriptureがcanon 1として,宗教的な霊感や真理の化身といった 理解を通して個別に支持され存在していたとみている.canon 2の意味での個別 の正典が生み出されるためには,それに先んじて一つの伝統のみが決定的に神聖 であるという強固な認識が完成していなければならないが,それには時間を要す るのである. そうした諸正典canonsに暗黙裡に存在するものは,審理され,記憶されつつあるものの 質,価値,保存,有効性についての知的合意の,政治的,社会的ななんらかの理論であ る.同様に,宗教的図像,仏教の都市の整備,そして教会建築は,暗黙裡の正典的前提を 反映している.(Sheppard 1987, 1407b) 個々の経典が出現するまえに,さらにそれらが阿含やニカーヤという共同体に よって支持される経典の集成になる以前に,理念や知についての暗黙的合意が仏 教世界のうちに存在していなければならない.それはテクストのみならず図像や 建築や町の構造などにさえも反映する. この理解を踏まえるなら,文献不在の時代の初期仏教の歴史は,この暗黙の知 的合意がいかなる方向にかたちづくられていったかについて,canon 1を対象と して解明すべきであることがわかる.阿含やニカーヤの内容はその一つの候補で あるもののけっして全体ではありえない.同時代に出現した大乗経典はもとよ り,バールフト,サーンチー等の仏塔の造形もそれぞれのcanon 1を反映したも のとして綜合的にとらえ,それら全体が一つのトポスを構成するよう歴史の核を かたちづくる必要がある.それがうまく遂行されれば,後に展開するインド仏教 史全体をおさめとる包括的な準拠枠として機能するようになるだろう. 〈参考文献〉

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教学会学術大会パネル発表報告)『印仏研』58(2): 860.

馬場紀寿 2008『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ―』春秋社.

〈キーワード〉 正典,ガンダーラ語写本,パーリ語,初期仏教,大乗仏教

参照

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