太宰府崇福寺跡発掘調査資料に関する研究 ー野帳の整理及び分析 [ PDF
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(2) 資料を補充しつつ解説を加える。まず発掘工程計画で. 報が間引かれたものと考えられる。結果的に調査報告. あるが、横岳誌 ( 元和6年の年号が末尾に記入あり ). 論文以降、遺物に関する追加報告がなされないまま、. 収載の太宰府横岳山諸伽藍図 ( 図1) をたよりに立て. 現在に至っている。. られている。図中では真額山を背に方丈・法堂・仏殿・ 山門等の主要建物が南北一直線に配されている。この. A. タタキ. A’. 並びを念頭に置き、南北方向に巾4メートルの縄を張 り軸を定めて、北から南方に向けてトレンチを開けて いる。最初に出土した礎石を基準に4mグリッドを設 定し作業を進めていった。地形図 ( 図2) の中のグリッ トはトレンチを示しており、それぞれ 2 桁 - 2桁(例: 36-45)の番号で管理している。トレンチごとに記録 した野帳を最終的に合成するために、基準縄を4メー. A-A’ Section Level 標高 73m 50cm. トルおきに東西方向と南北方向に設定し、その交点を 第ニ期. 野帳内にプロットしている。トレンチの数は 90 箇所. 第一期 たたき面. 近くに及び、調査報告論文内で主に扱われているのは. 0. 50cm. 1m. 図 4.トレンチ 36-78 断面図 1/50. 4-2 2堂の建物形式の判断について. トレンチ 65 箇所分の範囲にあたる。. 2堂の遺構、遺物の確認に入る前に、建物の形式に 関して確認しておきたい。調査報告論文では伽藍図出 土遺構の規模より、2堂を仏殿と僧堂と推定している が、現地形に照合しての分析結果に関する言及がない。 そこで今回確認した資料である福寺地形図 ( 図 3) を用 いて再考察したい。地形図を見てみると伽藍図の通り、 東西、北の三方は山に囲まれた迫地形である。先述の 通り、伽藍の中心を南下して掘り進め、その間に礎石 図 2.横岳崇福寺伽藍図. 3-2調査報告論文内の重要事項. ( 創立期仏殿のと推定 ) に当たるまでは特に目立った. 図 3.崇福寺跡地形図. 出土物はなかったとされている。またトレンチの南限. 調査報告論文の中に重要な事実が2点ある。1点目. より南は、大きな建物を配置するのは難しいと思われ. は、礎石の配列より2堂が確認された点である。この. る斜面地になっている。周辺の地形的制約を考慮する. 2堂については、伽藍図との照合から僧堂と仏殿と推. と、迫地形の中心から出土した遺構を仏殿、西側の建. 測しているが、それ以上の積極的な根拠はないとして. 物を僧堂とする判断は妥当であると考える。. いる。2点目は2期の遺構層が確認された点である。. 4-3 創立期の出土物と屋根材料の考察. 断面図 ( 図4) の通り、タタキ面と礎石から成る2層. 創立期の仏殿について、調査報告論文では同遺構か. の存在が検出された。論文ではこの2層を創立期と再. ら出土した瓦は鬼瓦の完形が一つであるとし、それを. 建期と設定している。創立期遺構の年代を大応国師招. 根拠に茅葺きであったと推定している。しかしながら、. 請時以降、再建期遺構の年代を室町期であるとしてい. 今回確認した図面よりトレンチ 37-35 および 37-36. る。その根拠は遺物(瓦・土器)の編年に拠ると述べ. の 2 箇所で 5 個の瓦が創立期の仏殿から出土している. ているものの、根拠の詳細は明示されていない。. ことが確認できる。また僧堂では面的な広がりを持っ. 4 遺構、遺物の出土状況. て出土していることが確認できた。瓦の絶対出土量が. 4-1 遺構、遺物の出土状況の確認. 少ない状態からみて、再建期建物の建築以前に、瓦等. 調査報告論文の清書図は基壇・礎石のみを抜粋して. の遺物が撤去されていることは間違いないと思われる. 作成されている。野帳の電子化作業を通して、清書段. が、僧堂の出土状況を勘案すると、創立期の仏殿が瓦. 階で重要な情報が省略されていることを確認した。そ. 葺きであった可能性が十分に考えられる。( ただし建. れは遺物 ( 瓦・土器 ) の出土状況である。調査報告論. 築当初からか途中の改変かは不明である ). 文の目的が、基壇・礎石をもとにした崇福寺の平面形. 仏殿の屋根仕上げに関する事実問題は非常に重要な. 態の考察であることから、当面必要ないと判断した情. 事項である。この崇福寺の遺構が創立期のものである. 25-2.
(3) とした場合、その外観は本邦における初期禅宗寺院の. 5-1調査報告論文内の記述. 姿を表していることになる。鎌倉期の禅宗寺院である. 調査報告論文では焼けた痕跡に関わる記述が2箇所. とされる功山寺は檜皮葺、円覚寺舎利殿 ( 太平寺仏殿 ). ある。1つ目は「他の1個は当初の礎石にしては小さ. は柿葺が用いられている。そして室町期とされる、正. く、すぐ隣に同質の石があることから火災のために. 福寺仏殿、不動院仏殿も柿葺であり、総じて初期禅宗. 少々割れたとも思われる。 」*5、2つ目は「北側の庇に. 寺院の仏殿は瓦葺ではなかった、という印象が定着し. は焼米の散在をみた。 」*6 という記述である。地層図. ているように思われる。初期禅宗寺院は数が少ないた. の中にも「混炭」と表記がある地層が確認できる。し. め、そのうちの一つである崇福寺仏殿が瓦葺きなのか. かし上記の情報からは、これが焼土層を表すものであ. 否かの問題は、本邦が第2の大陸文化である禅宗を、. るのか、またその層がどれくらいの広さで確認できた. 直に受容したものであるか、それとも平安期の国風文. のか判断しがたい。また調査報告論文でも焼土層の可. 化に根ざした操作を加えて受け入れたのか、という点. 能性について明確な言及はない。. で、文化史論にも影響が及ぶものと考える。また現在. 5-2ヒアリング. の功山寺も円覚寺舎利殿についても、後世の改修が加. 発掘調査当時の状況について、発掘調査に携わって. えられているため、創建期の姿をそのまま残している. いた土田充義氏と宮小路賀宏氏 ( 当時福岡県教育庁か. かどうかは不明である。そうすると崇福寺の遺構は、. ら参加 ) にヒアリング調査を行った。宮小路氏は本調. 初期禅宗寺院の実像を捉える上で、より直接的な資料. 査において多くの地層図を作成している。宮小路氏か. として重要な位置づけを持つことになる。. ら焼土層に関して、 重要な証言と見解を2点得られた。. 4-4再建期. まず 1 点目は図 8 および. 再建期の遺構面では、創立期よりも多くの遺物 ( 瓦・. 図 9 の礎石を見ながら、その. 土器 ) が出土している。仏殿では平面形態を知るため. ひび割れは熱によって高温に. の痕跡が乏しく、礎石が確かなものが2つ、破片が3. なり、弾けて生じた可能性が. 箇所確認されただけである。しかし同時に出土した基. 高いと考えられる、という見. 壇の周辺に多数の遺物が認められている。僧堂では礎. 解である。合わせて、モノク. 石及びタタキ面は検出されなかったが、瓦等の遺物が. ロ写真からは判別が難しい礎. 出土しているため遺構層が確認できた。. 石の変色箇所についても、加 熱によるものである印象を受. 石 瓦. けた、との証言を頂いた。. 石. 石. 石. 石. 石. う証言である。九州歴史資料館が保管する図面資料. 瓦. 瓦 焼け炭掘込. 瓦 瓦. 焼土ブロック 瓦. 登り窯. 瓦. 瓦. C-144 C-143. 図 6.. A-45. は、野帳図面と調査報告論文に使われた清書図面から. 石 石. 瓦 石. 成るが、 その清書図面の中に未発表のものが 1 枚ある。. C-145. 同図は創立期の僧堂のみを清書したもので、僧堂北東. 石 0m. 図 5.. 図 9.創立期仏殿 礎石②. 2 点目はタタキの一部が焼けて変色していた、とい. 石 石. 瓦. 図 8.創立期仏殿 礎石①. 1m. トレンチ 37-31 1/40. のタタキ面の箇所に「焼土混じり」という表記が確認. 2m. 図 7.. できた。これは宮小路氏の証言とも整合する。. C-143. 上図は僧堂の北側に位置するトレンチ 37-31 の平面. 上記の2点に加えて、発掘調査当時においても、焼. 図及び写真である。( 図 5,6,7) 図面写真ともに多数の. けた痕跡について火災の可能性を考える議論があった. 瓦を確認できる。照合の結果、丸印の通り写真と図面 の間で矛盾なく確認することができた。このトレンチ には礎石も基壇もないため、調査報告論文の清書図面 では取り扱われていない。つまり全く未報告のトレン チであったといえる。 照合できたものがある一方で、写真から判別できな かった出土物や、図面上に記載があるものの写真が存 在しなかった出土物も存在する。 5 焦土層の有無. 図 10.層位図 37-54 北壁面. 25-3.
(4) こと、地層図の中の混炭という表記がある層について. 証と新事実の提示を行った。具体的には調査報告論文. は焼土層と判断できる層であった、という見解を頂い. において、出土した2堂を仏殿・僧堂とした判断に対. た。当時の全体的な印象として、面的に焼けた痕跡が. して、地形図を元に再検証を行い、判断が妥当である. 残っていたとのことである。つまり創立期の崇福寺が. ことを確認した。また創立期の遺物に関して、野帳図. 火災を受けた可能性を示唆するものである。. 面と写真で瓦を確認した。そして創立期の仏殿・僧堂. 5-3崇福寺文書「大友義鎮書状」. が瓦葺きの可能性が高いという見解を提示した。合わ. 焼土層が創立期崇福寺の火災を意味するかどうか. せてこの見解は禅宗文化の受容に際して、本邦の初期. を、遺構・遺物から直接的に判断することはできない。. 的対応に関わる問題へ展開し得ることを指摘した。そ. しかしながら、ここで火災によるものと考える上で、. して最後に、創立期の遺構面に焼土層があることを指. 整合的に理解できる文書を提示したい。それは『崇福. 摘した。そして焼土層の実年代として、永禄5年六月. 寺文書』である。同文書は崇福寺関連の書状全 29 通. 十三日付け、「大友義鎮書状」にみえる永禄3年の火. から成る。その内の15通が崇福寺再建期から廃絶期. 災が整合的に理解でき、創立期建物の終焉が永禄3年. に関係するとみられ、特に永禄五年六月十三日付け、. である可能性を提示した。. 崇福寺納所衆中宛て「大友義鎮書状」が注目される。 同書には. スキャン図面リスト 図面名. 「筑前国横岳山崇福寺領末寺領之事、( 中略 ) 去々. 遺構実測図. 年諸堂塔炎上之由候条、高橋三河守令入魂、先以仮堂. . 縮尺. 枚数. 平面図. 1/20. 36 枚. 地層図. 1/10. 16 枚. 断面図. 1/20. 3枚. 清書図面. 之格護肝要候、( 以下略 )」. 5枚. 地形図. とある。 「去々年諸堂塔炎上之由候条」 という記述. 1枚. 遺物トレース図面. 5枚 計6 6枚. は「去々年(永禄三年)に諸堂塔が炎上する大規模な. 作成図面リスト. 火災が発生した」ことを意味する。それを受けて、大. 図面名. 縮尺. ファイル形式. 友氏は崇福寺納所衆に対し、太宰府領主高橋鑑種と相. トレンチ発掘図面総合データ. 1/20. AI. トレンチ平面図、断面図6枚. 1/40. AI. 創立期平面図. 1/20. PDF. 談の上、仮堂建立の準備を指示している。. 再建期平面図. 5-4大友義鎮書状と瓦編年について 5-2 において確認した焼土層が「大友義書状」にみ. 1/20. PDF. 写真A プロット図. 1/100. PDF. 写真B プロット図. 1/100. PDF. 写真C プロット図. 1/100. PDF. える永禄3年 (1560 年 ) の火災と合致する可能性があ. 写真整理リスト. る。そうすると創立期建物の終焉が 1560 年、再建期. 枚数. ナンバリング例. 写真A表 面. 216 枚. 211-1. 写真A裏 面. 216 枚. 211-1. 写真 B. 50 枚. B-01. 写真 C. 162 枚. 写真フォルダ名. 建物はそれ以降に建立したことになる。この可能性を 肯定的に捉えるならば、再建期の層から出土した瓦に ついても、自ずと永禄3年以降の実年代が与えられる. ナンバリング表. B-01 Excel ファイル. 崇福寺関連資料の九州歴史資料館における保管番号. ことになる。今まで再建期の瓦については全て 15 世. ・図面「横岳崇福寺発掘調査実測図面一式」 資料番号:MD001. 紀内に収まるものと理解されていた *7 が、少なくとも. 注釈. ・写真「福岡県太宰府市横岳崇福寺」 資料番号:P418. 再建期のみから出土するタイプの瓦に関しては、60. *1 日本建築学会大会学術講演梗概集 43( 計画系 ), 825-826, 1968-09-05. 年以上下ることになる。現行の瓦編年では先述の通り、. *3 日本建築学會研究報告 . 九州支部 (18・2), 117-120, 1970-02-01. *2 日本建築学會研究報告 . 九州支部 (18・2), 113-116, 1970-02-01. 太宰府崇福寺跡が九州中世瓦・土器の標準遺構となっ. *4「崇福寺発掘調査報告 (3) −仏殿と僧堂について−」内 118 ページ中 ( ■終. ているため、九州の中世瓦・土器編年に大きな影響を. *5「崇福寺発掘調査報告 (2)- 仏殿と僧堂について -」15 行目より引用. 与える可能性がある。瓦と土器の詳細な編年考察につ. *7 詳細は「太宰府崇福寺跡発掘調査資料に関する研究−九大崇福寺瓦にみる. わりに ) より引用 *6「崇福寺発掘調査報告 (3)- 仏殿と僧堂について -」34 行目より引用. いては、大屋綾乃氏の修士論文「太宰府崇福寺跡発掘. 中世瓦の編年考察−」大屋綾乃 参照. 調査資料に関する研究−九大崇福寺瓦にみる中世瓦の. 発掘調査報告(2)』( 土田充義ら:1969 年 ) / 3『崇福寺跡発掘調査報告(3)』. 編年考察−」の報告に譲る。. 参考文献 / 1『崇福寺跡発掘調査報告』( 太田静六ら:1967 年 ) / 2『崇福寺跡 ( 土田充義ら:1969 年 ) / 4『「大応国師七百回忌記念特別展ー大応国師と崇福寺」 図録』 ( 福岡市美術館学芸課:2007 年 ) / 5『太宰府市の文化財第 45 集 横岳. 6結. 移籍−横岳崇福寺跡の調査−(遺構編)』( 太宰府市教育委員会、1999 年 ) / 6. 本稿では所在が不明であった太宰府崇福寺の発掘調 査に関する野帳図面の電子化及び記録写真の整理を行 い、同資料を多くの研究者が閲覧できる形に整えた。 また作業の過程を通して、崇福寺発掘調査報告の再検. 『季刊考古学第 97 号 / 中世寺院の様相:禅宗寺院』( 山村信榮:2006 年 ) / 7『太 田静六旧蔵・崇福寺関連資料』( 九州歴史資料館所蔵 ) / 8『太宰府条坊跡Ⅱ』( 財 団法人 古都大宰府を守る会:1983 年 ) / 9『大宰府史跡 昭和 56 年度発掘調 査概報』( 九州歴史資料館:1982 年 ) / 10『筑前国続風土記』( 文献出版 ) / 11 『福岡市史 / 崇福寺文書』( 福岡市教育委員会 ) / 12『崇福寺収蔵品目録4』( 福 岡市教育委員会 ) / 13『太宰府市史 中世資料編』( 太宰府市教育委員会 ) / 14『増 補編年大友史料二十一』( 田北学 編:1966 年 ). 25-4.
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