2017
年12
月の国連総会で「持続可能な開発 のための国連海洋科学の10
年(UN Decade of
Ocean Science
:UN Decade
)」(2021
~2030
) が採択された。17
の持続可能な開発目標(SDGs
) のうち、No. 14
「海の豊かさを守ろう」を推進す るため、世界の国々に対して、政府、自治体、 民間企業、市民それぞれの活動を通じてさらに 力を注いでもらいたい、という強いメッセージ を打ち出したことになる。UN Decade
は課題解 決のために新しい科学の利用方法を見いだし、 変革を促すプロセスであり、優先すべき課題 が7
つの柱として掲げられている。具体的には 「きれいな海」・「健全で回復力のある海(健全な 海)」・「予測できる海」・「安全な海」・「生産的 な海」・「万人に開かれた海(開かれた海)」・「夢 のある魅力的な海(魅力的な海)」である。 それぞれの課題の解決あるいは改善に向けて 私たちにできることはなんだろうか。一つには、 学術・研究機関や官庁が主体となって実施して きた我が国沿岸域における生態系の監視観測 (モニタリング)があり、詳細な実態把握のため に重要な活動である。ここでは、これまで実施 されてきた生態系モニタリングの歴史を振り返 るとともに、その一例として現在進行中の藻場 生態系におけるモニタリングの取組みについて 紹介し、比較として北米西海岸沿岸域におけるはじめに
モニタリングについても触れる。 また、UN Decade
には市民参加型の取組み も重要とされており、それを促すためにはUN
Decade
について発信し、社会の中で知名度を高 めていくことが重要である。ここでは、数ある 講演会のうち2020
年10
月28
日に開催された海 洋研究開発機構の一般講演会「地球環境シリー ズ」の講演について紹介したい。講演会では、 海洋生態系に着目し、人間社会を含め、私たち を取り巻く環境にどんな課題があるのか、課題 の克服に向けて私たちに何ができるのか、参加 者のみなさんと一緒に考える機会となった。 日本における全国レベルの体系だった生態系 モニタリングは、1972
年に制定された「自然環 境保全法」で定められた「国は、おおむね五年ご とに地形、地質、植生及び野生動物に関する調 査その他自然環境の保全のために講ずべき施策 の策定に必要な基礎調査を行うよう努めるもの とする」という条文に基づき、1973
年から実施 された自然環境保全基礎調査に端を発する。そ の中で、海域については海域自然度調査として 始まり、その後、いわゆる緑の国勢調査として、 海中自然環境調査、海岸調査、干潟・藻場・サ ンゴ礁調査など、10
をこえるさまざまな名称と 手法のもと、第7
回の2012
年まで実施されてき日本の生態系長期モニタリング
特集
1
「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」を多様な視点から考える
た。その間、2002
年に決定された「新・生物多 様性国家戦略」を受けて、2007
年から全国1,000
か所程度の監視地域を国が設定し、対象とする 生態系毎に標準化された手法でモニタリングを 長期にわたり継続的に実施する体制(重要生態 系監視地域モニタリング推進事業;モニタリン グサイト1000
)が整備された。 沿岸・浅海域の生態系については、2008
年度 からモニタリングサイト1000
による定期的な調 査が開始した。すなわち、砂浜、磯、干潟、ア マモ場、藻場、サンゴ礁を対象として、それぞ れ共通の調査手法1で毎年、または5
年毎に調査 が実施されてきた。これらの調査は、多くの調 査地点では、研究者が中心となって実施されて沿岸・浅海域の生態系モニタリング
いるが、市民が主体となっているところもある。 このうち筆者の一人、川井が関わっている「藻 場」生態系については、全国の代表的な海藻植 生をふまえて、6
つの調査地点(サイト)を設置 し、ライントランセクト法(各水深帯の植生の 被度を記録する方法)と、永久方形枠法(大形海 藻の藻場植生が見られる地点 に、2 m
×2 m
の永久方形枠 を設置し、継続観察する方法) (図1
)という二つの手法を組 み合わせて、数人の研究者の スキューバ潜水による調査を 実施している(図2
)。ちなみ に藻場生態系と特に関係が深 い、磯の生態系についても、 全国で6
つのサイトにおいて 永久方形枠法による調査が実 施されている。 図1 モニタリングサイト1000「藻場」調査手法の概要 図2 モニタリングサイト1000「藻場」竹野サイト における潜水調査風景モニタリングサイト
1000
では、数年から数十 年の生態系の変化を捉えることができるよう、 少なくとも100
年の継続調査を目指しており、 ようやく10
年余りが過ぎたところである。しか し、その間でも、海域によっては予想を超える ペースで藻場生態系に著しい変化が起こってい ることが明らかになった。藻場サイトでは最も 南に位置する薩摩長島サイト(鹿児島県)では、 主要な藻場を構成する大形海藻のうち、暖温帯 の海域に分布するコンブ類の一種であるアント クメの群落をモニタリングの対象としていた。 しかし、おそらく広域的な海水温の上昇による 海藻の成長への直接的な影響か、海藻を摂食す る魚や底生動物の活動の活発化によって、調査 開始7
年目の2016
年にアントクメの群落が消失 した。このような水温の変化が数年から十数年 の周期で繰り返される短期的な変動による可塑 的なものなのか、地球規模の気候変動による温 暖化の結果であるのかについては、今後の調査 を待たねばならないが、これほど短期間で藻場 に顕著な変化2が生じることは、当初は想定し ていなかった。 一方、東北地方の太平洋沿岸に設置された志 津川サイト(宮城県)では、モニタリング開始か ら数年後に東北地方太平洋沖地震による大規模 な海底の地盤沈下という想定外の出来事があり、 その影響について貴重なデータを得ることがで きた。志津川サイトでは温帯に分布するコンブ 類の一種であるアラメの群落を主な対象として、藻場調査で明らかになったこと
に発生した東北地方太平洋沖地震により、周辺 の海域で大規模な津波と地盤沈下が生じた。志 津川サイトでは、地震直後の観察では津波の影 響を含めアラメ群落の大きな変化は認められな かったが、翌年以降、徐々に衰退し、地震から3
年後には群落が消失した。これは、海底の地 盤沈下によって、群落があった場所がより深い 水深帯に移動したために、光合成のための光量 が不足したためと考えられる。一方、これまで 群落がみられなかった、より浅い場所に群落が 発達する現象が観察された2。このケースでは、 はからずも大規模な環境の変化が藻場生態系に 与える影響とその回復過程が明らかになったが、 これもベースラインとなる藻場の情報があった ためであり、長期モニタリングの重要性を示す 一つの例である。 さて、比較のために海外で実施されている 大規模な沿岸生態系モニタリングの例について 紹介する。北米の太平洋沿岸では、アラスカか らメキシコに至る3
か国、3,000
キロを超える 海岸の200
か所以上の岩礁地の潮間帯(モニタ リングサイト1000
「磯」に相当)において、基 本的に共通な調査プロトコルに基づき実施され ているモニタリングプログラムがある。これ は、MARINe
(Multi-Agency Rocky Intertidal
Network
)3と呼ばれ、文字通りさまざまな研究北米西海岸の沿岸域生態系
モニタリング
特集
1
「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」を多様な視点から考える
者や市民からなる組織が、公的機関・民間支援 団体などの多数のスポンサーによる支援を得 て実施しているもので、30
年以上の実績があ る。このプログラムははじめ1980
年に設置さ れたカリフォルニア州チャネル諸島国立公園に おいてその生物多様性と生物資源をモニターす るために考案された(図3
)。これは、調査対象 とする海洋生物の種について、年2
回の定点観 測またはトランセクト法によって記録するもの で、この調査方法は比較的低コストであるが有 効であることから、他のカリフォルニア州の海 岸でも採用されるようになり、その後、さらに オレゴン州、ワシントン州にも広がり、現在は アラスカ州からメキシコ・南バハカリフォルニ ア州にまで拡大している。一方、モニタリング サイト1000
「藻場」に相当する、スキューバ潜 水を必要とする、低潮線から水深20 m
程度の藻 場や魚類・底生動物のモニタリングは、PISCO
(Partnership for Interdisciplinary Studies of Coastal
Oceans
)4と呼ばれる大学の研究者のネットワー クによって、やはり連邦・州政府、研究機関お よび民間組織の支援のもとで、共通の調査手法 により実施されている(図4
)。特筆すべきは、 その調査のためのマニュアルであり、きわめて 詳細なプロトコルや、その海域で見られる海洋 生物の同定のための資料が整備・提供されてい ることである。これらの資料作成は大変な作業 だが、新たな調査者を獲得し、また調査の品質 を維持する上ではとても効果的であろう。 ここで紹介した日本のモニタリングサイト1000
事業と北米太平洋沿岸での沿岸生態系モニ タリングを比較すると、大きな違いは、モニタ リングサイト1000
が、基本的に国が主体となっ て、法の定めに基づいて予算措置・調査体制の 整備を行って実施しているのに対し、MARINe
やPISCO
のプログラムは研究機関や研究者の ネットワークが、きわめて多様なスポンサーの 支援のもとに実施している点である。モニタリ海洋生態系モニタリングの
今後の課題
図3 MARINeプログラムによるカリフォルニア州 サンタカタリナ島での調査風景 図4 PISCOプログラムによるサンタカタリナ島での潜水調査風景100
研究のみならず、環境行政の充実のためにも活 用し、その重要性を社会にさまざまな形でアピー ルしていくことが重要である。一方、調査地点 については日本の沿岸生態系の多様さを考える と、たとえば藻場・磯の全国各6
か所というの はいかにも少ない。このため調査の継続性やモ ニタリングデータの充実を考えると、モニタリ ング1000
においても、国からの支援に頼るだけ ではなく、研究者ネットワークの充実と多様な 支援組織の獲得や調査地点の拡充などが必要で あると考える。 「未来へ、豊かな生態系の海を届けるために~ 持続可能な開発のための海洋科学の10
年~」と いうタイトルで一般向けの講演会を開催し(図5
)、5
名の講演者の発表を通じてUN Decade
の7
つの課題に結びつけながら具体的にどのよう な取組みがあるか知ってもらう機会とした。1
件目の講演は「海の恵み:栄養塩~データが 明らかにする海の変化~」(講演者:安中さやか 海洋研究開発機構)で、食物網の底辺を支える 植物プランクトンの成長に欠かせない栄養塩に社会への啓発活動
報告された。また、このデータ解析は「開かれ た海」が目指す、誰でもいつでもデータや情報 にアクセスができるようになったおかげで可能 になった解析であるとともに、膨大なデータの 蓄積は北太平洋を横断する定期貨物船の乗組員 による観測(市民参加型サイエンスの一つ)の貢 献も大きいと説明された。加えて栄養塩濃度の 長期的変化についても紹介され、地球温暖化に よる海洋成層構造の強化のためリン酸塩やケイ 酸塩濃度が徐々に低下しつつあること、工業・ 農業活動により発生するPM 2.5
などの大気微 粒子を介した海洋への窒素添加によって硝酸塩 は他の栄養塩と違って減少していないことなど、 人為起源の影響が「健全な海」の栄養塩に忍び 寄っていることが示された。2
件目の講演は「地球温暖化により海洋生態 系はどう変わるのか?─2100
年の海を予測する ─」(講演者:橋岡豪人海洋研究開発機構)で、 「健全な海」に忍び寄る地球温暖化の影響を受け て海洋環境はどう変わっていくのか、またその 海洋環境の変化に伴って海洋生態系はどう応答 するのかについて、「予測できる海」への挑戦と して全球海洋の2100
年の姿を二酸化炭素排出シ ナリオに沿って予測した結果が示された。水産特集
1
「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」を多様な視点から考える
資源の魚の予測については不確実性が非常に大 きく、観測の充実やモデルの改良を通じて不確 実性を小さくしていくことが今後の課題として 挙げられていた。3
件目の講演は、2
件目と同じく「予測できる 海」への挑戦についてであり「科学が予測するマ イワシの未来」(講演者:西川悠海洋研究開発 機構)というタイトルで、全球海洋から世界で 最も水産資源の豊富な「生産性の高い海」の一つ である日本近海へ視点を移し、最も漁獲高の大 きいマイワシの将来予測についての講演であっ た。日本の漁獲高の推移はほぼマイワシの漁獲 高の推移にコントロールされており、そのマイ ワシの資源量は太平洋十年規模振動などの自然 の気候変動に大きく影響を受けて変動してきて いる様子が示され、地球温暖化を考慮したシナ リオによってマイワシの水産資源は、将来減少 する可能性が示唆された。2
件目の橋岡研究員 の講演と合わせて、科学的知見に基づいて水産 資源の予測結果を提示することは、将来の日本 の水産資源政策(操業形態の変更、インフラな どの設備投資など)の立案に大きく貢献するも のであると結ばれた。4
件目の講演は「人にも海にも優しい漁船漁業 を目指して」(講演者:高尾芳三水産研究・教育 機構)で、「生産性の高い海」が広がる日本近海 図5 地球環境シリーズ講演会フライヤーの削減や海洋への汚染物質放出の削減にも繋が り、結果として「安全な海」や「きれいな海」の 維持に貢献するものであると説明された。最後 に離島における地産地消の再生可能エネルギー を活用することを想定した漁船開発などの紹介 がされた。技術の活用を進めるには、押し付け ではなく地域住民に寄り添ったニーズに合わせ たイノベーションの提供が重要であると締めく くられた。