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COOL SOUND特集
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日本初AOR専門レーベルCOOL SOUNDの歴史
COOL SOUND、満14年を迎えて
HISTORY OF COOL SOUND
日本初のAOR専門レーベルCOOL SOUNDの歴史。
こんにちは。COOL SOUND の中田利樹です。ど うぞ宜しくお願い致します。 COOL SOUNDは"日本初のAOR専門レーベル!" を謳い文句に、1998 年 4月、クリス・クリスチャンの 『Chris Christian』(1981 年)の世界初 CD 化でそ の歴史をスタートさせました。そして現在まで180タ イトル以上を発売していますが、ここではその歴史を 振り返ってみたいと思います。 まず、そのレーベル名ですが、これはミュージシャ ンがよく口にする"It's Cool!"=" 格好良いじゃん!" から取っています。実は、レーベルを始める1 年前か ら自分個人の会社として有限会社クール・サウンドを 立ち上げているので、改めてレーベル名をどうしよう かと考えた時に、敢えて別のものにするという発想も ありました。ギャグではなく、"Airplay Music"にし ようか、と考えたこともあります。或いは、"AOR 〇 〇"もホンの少しだけ脳裏をかすめたり…。 当時の私は J-WAVE の番組制作で結構忙しく、ま た、書き手としてもそこそこの需要があったのでレー ベルまで手を伸ばすなど考えもしませんでした。本 当です。ただ、1990 年からL.A. に足を運ぶように なり、ジェイ・グレイドン、デヴィッド・ガーフィールド、 ブルース・ガイチ、デヴィッド・パックを始めとした ミュージシャンと親交を深め、彼らの最新音源を手 にする幸運に恵まれつつも、それを日本のレコード 会社に持って行っても反応が全く宜しくないーーそ れも、彼らの台詞は決まって同じでした。「個人的 には大好きなんですけれども、" 売り方 " が解らない んですよ」ミュージシャンと知り合えば知り合うほど ディールを獲得できないストレスが増してしまう、そ んな時期、ある1 人の男性と運命的な出会いを果た します。その彼が「中田利樹のレーベルを立ち上げ ましょうよ! もしなんだったら開業の資金はこっち で立て替えますから」と言ってくれて、これは絶対 にやってみるべき時なんだろうな、と決断すること が出来ました。その人間が、今でもプライヴェート でも一番仲の良い、吉田鐘太郎です。彼はそれまで にいくつかのレーベルに所属していて、そこでライ ナーノーツを依頼されたことが出会うキッカケだった わけですが、偶然にも家が近く、初めて飲んだ時に まさに意気投合。これなら大丈夫、そう確信する私 がいました。さて。では、レーベルを始めましょう、名前もCOOL SOUNDで行きましょう、と決まったら次は第1回のリ リースを何にするか、発売はいつにするか、それを決 めなくてはなりません。そこでパッと浮かんだのがクリ ス・クリスチャンの『Chris Christian』でした。1981 年に今は亡きレーベル:Boardwalkから発売された そのアルバムは『出逢い』という邦題もよく知られる 人気盤で、その世界初CD化が実現するならば、それ 以上の作品はない、そう思ってクリス本人にメールを 打つとほとんど二つ返事でOKを言ってもらい、興奮 は絶頂に! 実はクリスとは97年の秋に彼の地元テキ サス州ダラスで1回会っているんです。しかも、ひょん なことから。キッカケはエリック・タッグです。彼は 1997年に久しぶりのソロ作を出しているのですが、 プロモ来日時に初めて会い、その後もレコーディング 中のL.A.で再会し非常に親しい仲になれました。そし て、その頃、アメリカのいろいろな街に行くのを趣味 (?)にしていた私は、彼を訪ねる気持ちでダラスにも 足を運んでみたんです。彼は「うちに泊まって良いよ」 と言ってくれて、さらに地元の大きな中古レコード店 に連れて行ってくれたり、最大級のもてなしをしてくれ ました。そして彼がこう言ったのです。「地元で誰か会 いたいミュージシャンがいたら連絡してみるから遠慮し ないで言ってくれよ。そうだ…クリス・クリスチャンとか はどうだい? 今は他のビジネスでとても忙しいけれ ど、ずっと長い間、親友でいるからきっと時間を作って くれると思うよ」そして実現したクリスとの"出逢い "。 まだこの時点でレーベルをやることは正式決定ではな かったですが、それでも私は彼にこう訊かずにはいら れませんでした。「貴方のアルバム『Chris Christian』 の原盤権はどなたがお持ちなんですか?」すると答え は「僕自身だよ」でした。その言葉でなんだか身体 が熱くなったのを今でもしっかりと覚えています。も う、これは偶然ではなく必然だったのかな、という 気がしてなりません。加えて、クリスはかつて彼自身 が ア ク ティヴに 運 営 し て い た レ ー ベ ル :Home Sweet Home の全作品の権利も持っているので、 最初期の COOL SOUND はそこの未 CD 化作品を 中心に進めて行くことも決定。第 1 回発売日は私の 誕生日である4 月 8 日に設定し、そうして日本初の AORレー ベ ル 専 門レー ベ ル COOL SOUND が ス タートするのでした。
と書くと全てが順調だったように思えますが決して そんなことはなく、初めての作業はとにかく解らない ことばかり。ライナーノーツはもちろん自分で書くつ もりでしたが、それをレイアウトするにはデザイナー さんの力を借りたほうが良いものができる、予算は だいたいこれくらいで、とアドヴァイスされ、フムフム、 と納得。そして印刷代というものがどれくらい掛かる ものなのか、全く知識ゼロ。この辺りも全て吉田任 せだったので、結構、おんぶに抱っこ状態でした。 そして、大手外資系 CDショップに挨拶に行く、それ ももちろんやりました。CD-Rを自分で作れるように なったのはその 1∼2 年後だったと思うので最初はカ セットに録音して紙資料とともに持って行きました。 そう考えると本当にかなり昔な感じがしますね。懐か しい。で、お店さんも正直、半信半疑だったようです、 このレーベルが売れるか否か。本当は、お世辞で良 いから「絶対売れますよ! うちが売ってみせますか ら!」とか言ってほしかったんですが、それはなく、 それより確か、「(フリーペーパー /フライヤーに)出 稿して下さったらイニシャル・オーダー何枚は確約し ますよ」みたいなビジネス話しが先に来たような…。 困惑です(笑)。ただ、そういうのを抜きにして、本 当に AOR 系を愛しているバイヤーさんとも知り合え たのがまた嬉しかったです。新宿店から京都店に異 動になった某人を訪ねて京都でどんちゃん騒ぎしたこ ともありましたし。そういった 方 々に 支えられて COOL SOUNDは生き延びている、それは長い間、 ずっと感じていることです。もちろん、最終的にはお 客様があって、なのですが、とりわけお店の方の愛 情がしっかりと数字に反映された時代、それが 1998 ∼2003 年、そんな風に思っています。 さて、レーベル・スタート準備期間において、どう しても忘れられないのがクリス・クリスチャンとのやり とりです。まず、彼の 81 年作品の初 CD 化が決定す るとクリス本人も久々にアーティストとしての血が騒 いだのでしょうね、先方さんからボーナス・トラックも 入れようと提案してくれたり、ブックレットも昔の写真 を多数散りばめた非常に豪華なものになりました。 しかし! そう、しかし、なんです。クリスは映画の 博物館のような所を運営していて、本業が忙しいこと もあり、事務的な作業は彼のアシスタントが行ってい ました。で、そのアシスタントがどうにも間抜けとい うか使えないヤツでして…。第 1 回目のリリースから 延び延び、だけは避けたかったので、商品の到着も かなり前倒しでお願いしましたーー初期の 6 作はアメ リカでプレスしたものを購入し、そこに日本盤ならで はの解説帯を付ける、というスタイルです。しかし、こっ ちのお願いする期日には到着せず、もう、(汗)状態。 オマケに 6月発売を予定した COOL-005は頭の音 が欠けていたりワウッてたりで目が点になりました。 しかも、それをアシスタントに伝えても全然解っても らえない。一番頭に来た、いや、呆れたのは、その 不良品的な音とアナログから興した音を続けてカセッ トに入れて送ったのにその違いを理解してくれず、「ど こがおかしいんだ?」と質問メールが来た時、ですね。 もう、クリス本人に直訴しましたから、もう1 回作り 直してくれ、と。当たり前ですがリリースを遅らせて でもちゃんとしたものを出さなくてはならない、それ との葛藤の日々、でした。 それから、最後にこれも書いておきましょう。先ほ ども申し上げましたように、初期 6 枚は完成品を購入 し、日本盤仕様として発売したわけですが、COOL -007で初めてライセンス・ディールに乗り出しました。 これは、お互いの交渉によって前渡金の額と1 枚売 れた毎に発生するロイヤルティの%を決定。それを 契約書に記し、お互いがサインし、アドヴァンスを払 い、それを受理した後、先方さんからマスター・テー プが送られてくる、ざっとそんな流れなのですが、さ て、契約書はどうしよう? 日本語の契約書ですら作っ たことがないのに英語版などできるわけがない。で、 私は、仲の良い某レーベルのディレクターさんに頼 んで契約書のひな形をこっそり送ってもらったのでし た。バレたら非常に拙いので、そのレーベル名も担 当者名も書けませんが、今のようにファイルでボン、 ではなく、ファックスしてもらった契約書のひな形を 見ながら、一からワープロで打ち直す、そんな涙ぐま しい努力(?)もあったわけです。そんなこんなでい ろいろと壁にぶち当たりながらも吉田とともにそれを 乗り越え、思った以上のリアクションを得ることがで きました。吉田が準備してくれた開店資金は半年くら いで全額返済することができましたし、以後もいろい ろなアーティストとの新たなる交流がスタートするの でした。 (敬称略) 最近はリリース数がめっきり少なくなってしまいました が、それでもこの4月で満14年を迎え新たなる展開も 頭に描けるようになりました。その新たなる展開につき ましては、ちょっとここでは触れませんが、中田利樹にとっ て究極のゴールとなることは間違いないでしょう。来年 以降の話しで恐縮ですが、アッということ必ず実現させま すからね(笑)。 さて、COOL SOUNDを始めた時、2つの目標があ りました。最低5年は続ける。そして100タイトルは発 売する。この2つです。前者はまあ年に1枚しか出さな くても達成できることですから大した目標ではないかもし れませんが後者は今考えてみると、まぁ、よくそんなこと を口にしたな∼と思うことしきり。今よりも全然CDマー ケットが健全だったから、というのもありますが、スター ト時37歳だった自分には、まだヴァイタリティが漲って いた、ということだと思います。 レーベルを始めたことは本当に良かった、それしかな いですね。ですからパートナー的存在:吉田鐘太郎には どれだけ感謝の意を述べても足りない気がします。本当 にありがとう! 特に、自分の名前が一人歩きして行くの をじわりじわりと感じることができた、それが一番大きい です。ア ー ティスト自 ら 売り込 み をしてくれ たり、 Facebookでも北欧の一般リスナーから友達リクエスト がたくさん来たり(原則、お会いしたことのない方は認 証しておりませんが…)、偉そうに言うつもりは全くあり ませんが、COOL SOUNDを始めてからは、一音楽ラ イター :中田利樹、という枠を超えたのかなと思えるよう になりました。細かいことですが、私のライナーの署名は、 Toshiki Nakada:中田利樹(COOL SOUND Inc.)と、 外国の方でも解るようにしていますし、そういう意味では COOL SOUNDはToshi Nakadaの名前を宣伝するに 最高の媒体だった、とも言えますね(笑)。あと、昔から 一匹狼系なので、人様の顔色を伺うことなく自分で好き に進めて行ける、これがなにより生に合っていました。 そんなCOOL SOUNDでの思い出をいくつか挙げて みますと、数多い世界初CD化の中でもジョセフ・ウィリ アムス『Joseph Williams』(1982年)とブルース・ヒ バ ード『Never Turnin' Back』(1980 年)、こ の 2 枚 をリリースできたことにある種の誇りを感じています。特 に前者は最初にちょっぴり不満が残るものを出してしまっ たので、その後、2002年に紙ジャケで再発できてかな りホッとしました。初版の何が不満だったか、は、その マスタリングに関して、が全てです。COOL SOUNDが 誕生するまでの歴史で、語っていますが、COOL-001 ∼006まではアメリカでプレスしていたものを購入し、 そこに帯と解説を付けた日本盤仕様だったので、こっ ち でリマ スタリング を やって い ま せ ん。そして、 COOL-007となったジョセフの『Joseph Williams』 で初めてやったんですが、とりあえず業者にお任せ、 という一番宜しくないパターンで済ませてしまったので す。結局、私自身が完璧にソフトの人なので、オーディ オそのものにはさほど執着がなかった、ということが それ の 根 本 的 な 原 因では あるのですが、加えて、 DATでもらったマスターが微妙な回転違いを起こし、 アナログ盤で聴いたアルバムよりホンの少し回転が速 かった/音程が高かった、という想定外の結果を招い たことも大ショックでした。ですので、再々発となった 紙ジャケ版でそれを修正できた時、本当に安堵の気持 ちでいっぱいでした。 リマスタリングに対する認識を一気に植え付けられ たのは続くCOOL-009&010で発売したヒートの時 でした。送られて来たマスター音源を聴いて、えっ?と 思ったのです。既にリマスタリングを終えていたのです。 もう、音が実にダイナミックで、直ぐにこれだ!と解り、 そのエンジニアはいくらくらいでやってくれるか、を訊 き、その価格のリーズナブルさに感動。直ぐにその彼、 Bob Stoneと仕事できるよう交渉に入り、二つ返事で 合意。L.A.に行った際、何度も彼のスタジオに足を運 び、デヴィッド・ガーフィールド他現地のミュージシャン にも彼のことをどんどん推薦していきました。最近は 全 くコン タクトし て い ま せ ん が、初 期 の COOL SOUNDにとってBobの存在は非常に大きなものが ありました。 その後、パートナー :吉田鐘太郎の提案でCOOL HAWAII、COOL One-Stopを立ち上げ、新たなる お客様の獲得に挑戦。テンダー・リーフの大ヒットは マーケットの見つめ直し、という点で非常に大きな勉 強になりました。そしてランス・ジョーと親交を深める ことができたのは、私にとってはもちろん、彼にとって も大きなプラスになったと確信しています。LAとホノ ルルと東京を結ぶAORのアーチ/ブリッジ。今度はそ の橋を新たなる地に繋げること、それが私の次なる目 標です。ご期待のほど、宜しくお願い致します。
2012年4月でCOOL SOUNDも満14年。
次なる目標は、その橋を新たなる地に繋げること。
最近はリリース数がめっきり少なくなってしまいました が、それでもこの4月で満14年を迎え新たなる展開も 頭に描けるようになりました。その新たなる展開につき ましては、ちょっとここでは触れませんが、中田利樹にとっ て究極のゴールとなることは間違いないでしょう。来年 以降の話しで恐縮ですが、アッということ必ず実現させま すからね(笑)。 さて、COOL SOUNDを始めた時、2つの目標があ りました。最低5年は続ける。そして100タイトルは発 売する。この2つです。前者はまあ年に1枚しか出さな くても達成できることですから大した目標ではないかもし れませんが後者は今考えてみると、まぁ、よくそんなこと を口にしたな∼と思うことしきり。今よりも全然CDマー ケットが健全だったから、というのもありますが、スター ト時37歳だった自分には、まだヴァイタリティが漲って いた、ということだと思います。 レーベルを始めたことは本当に良かった、それしかな いですね。ですからパートナー的存在:吉田鐘太郎には どれだけ感謝の意を述べても足りない気がします。本当 にありがとう! 特に、自分の名前が一人歩きして行くの をじわりじわりと感じることができた、それが一番大きい です。ア ー ティスト自 ら 売り込 み をしてくれ たり、 Facebookでも北欧の一般リスナーから友達リクエスト がたくさん来たり(原則、お会いしたことのない方は認 証しておりませんが…)、偉そうに言うつもりは全くあり ませんが、COOL SOUNDを始めてからは、一音楽ラ イター :中田利樹、という枠を超えたのかなと思えるよう になりました。細かいことですが、私のライナーの署名は、 Toshiki Nakada:中田利樹(COOL SOUND Inc.)と、 外国の方でも解るようにしていますし、そういう意味では COOL SOUNDはToshi Nakadaの名前を宣伝するに 最高の媒体だった、とも言えますね(笑)。あと、昔から 一匹狼系なので、人様の顔色を伺うことなく自分で好き に進めて行ける、これがなにより生に合っていました。 そんなCOOL SOUNDでの思い出をいくつか挙げて みますと、数多い世界初CD化の中でもジョセフ・ウィリ アムス『Joseph Williams』(1982年)とブルース・ヒ バ ード『Never Turnin' Back』(1980 年)、こ の 2 枚 をリリースできたことにある種の誇りを感じています。特 に前者は最初にちょっぴり不満が残るものを出してしまっ たので、その後、2002年に紙ジャケで再発できてかな りホッとしました。初版の何が不満だったか、は、その マスタリングに関して、が全てです。COOL SOUNDが 誕生するまでの歴史で、語っていますが、COOL-001 ∼006まではアメリカでプレスしていたものを購入し、 そこに帯と解説を付けた日本盤仕様だったので、こっ ち でリマ スタリング を やって い ま せ ん。そして、 COOL-007となったジョセフの『Joseph Williams』 で初めてやったんですが、とりあえず業者にお任せ、 という一番宜しくないパターンで済ませてしまったので す。結局、私自身が完璧にソフトの人なので、オーディ オそのものにはさほど執着がなかった、ということが それ の 根 本 的 な 原 因では あるのですが、加えて、 DATでもらったマスターが微妙な回転違いを起こし、 アナログ盤で聴いたアルバムよりホンの少し回転が速 かった/音程が高かった、という想定外の結果を招い たことも大ショックでした。ですので、再々発となった 紙ジャケ版でそれを修正できた時、本当に安堵の気持 ちでいっぱいでした。 リマスタリングに対する認識を一気に植え付けられ たのは続くCOOL-009&010で発売したヒートの時 でした。送られて来たマスター音源を聴いて、えっ?と 思ったのです。既にリマスタリングを終えていたのです。 もう、音が実にダイナミックで、直ぐにこれだ!と解り、 そのエンジニアはいくらくらいでやってくれるか、を訊 き、その価格のリーズナブルさに感動。直ぐにその彼、 Bob Stoneと仕事できるよう交渉に入り、二つ返事で 合意。L.A.に行った際、何度も彼のスタジオに足を運 び、デヴィッド・ガーフィールド他現地のミュージシャン にも彼のことをどんどん推薦していきました。最近は 全 くコン タクトし て い ま せ ん が、初 期 の COOL SOUNDにとってBobの存在は非常に大きなものが ありました。 その後、パートナー :吉田鐘太郎の提案でCOOL HAWAII、COOL One-Stopを立ち上げ、新たなる お客様の獲得に挑戦。テンダー・リーフの大ヒットは マーケットの見つめ直し、という点で非常に大きな勉 強になりました。そしてランス・ジョーと親交を深める ことができたのは、私にとってはもちろん、彼にとって も大きなプラスになったと確信しています。LAとホノ ルルと東京を結ぶAORのアーチ/ブリッジ。今度はそ の橋を新たなる地に繋げること、それが私の次なる目 標です。ご期待のほど、宜しくお願い致します。最近はリリース数がめっきり少なくなってしまいました が、それでもこの4月で満14年を迎え新たなる展開も 頭に描けるようになりました。その新たなる展開につき ましては、ちょっとここでは触れませんが、中田利樹にとっ て究極のゴールとなることは間違いないでしょう。来年 以降の話しで恐縮ですが、アッということ必ず実現させま すからね(笑)。 さて、COOL SOUNDを始めた時、2つの目標があ りました。最低5年は続ける。そして100タイトルは発 売する。この2つです。前者はまあ年に1枚しか出さな くても達成できることですから大した目標ではないかもし れませんが後者は今考えてみると、まぁ、よくそんなこと を口にしたな∼と思うことしきり。今よりも全然CDマー ケットが健全だったから、というのもありますが、スター ト時37歳だった自分には、まだヴァイタリティが漲って いた、ということだと思います。 レーベルを始めたことは本当に良かった、それしかな いですね。ですからパートナー的存在:吉田鐘太郎には どれだけ感謝の意を述べても足りない気がします。本当 にありがとう! 特に、自分の名前が一人歩きして行くの をじわりじわりと感じることができた、それが一番大きい です。ア ー ティスト自 ら 売り込 み をしてくれ たり、 Facebookでも北欧の一般リスナーから友達リクエスト がたくさん来たり(原則、お会いしたことのない方は認 証しておりませんが…)、偉そうに言うつもりは全くあり ませんが、COOL SOUNDを始めてからは、一音楽ラ イター :中田利樹、という枠を超えたのかなと思えるよう になりました。細かいことですが、私のライナーの署名は、 Toshiki Nakada:中田利樹(COOL SOUND Inc.)と、 外国の方でも解るようにしていますし、そういう意味では COOL SOUNDはToshi Nakadaの名前を宣伝するに 最高の媒体だった、とも言えますね(笑)。あと、昔から 一匹狼系なので、人様の顔色を伺うことなく自分で好き に進めて行ける、これがなにより生に合っていました。 そんなCOOL SOUNDでの思い出をいくつか挙げて みますと、数多い世界初CD化の中でもジョセフ・ウィリ アムス『Joseph Williams』(1982年)とブルース・ヒ バ ード『Never Turnin' Back』(1980 年)、こ の 2 枚 をリリースできたことにある種の誇りを感じています。特 に前者は最初にちょっぴり不満が残るものを出してしまっ たので、その後、2002年に紙ジャケで再発できてかな りホッとしました。初版の何が不満だったか、は、その マスタリングに関して、が全てです。COOL SOUNDが 誕生するまでの歴史で、語っていますが、COOL-001 ∼006まではアメリカでプレスしていたものを購入し、 そこに帯と解説を付けた日本盤仕様だったので、こっ ち でリマ スタリング を やって い ま せ ん。そして、 COOL-007となったジョセフの『Joseph Williams』 で初めてやったんですが、とりあえず業者にお任せ、 という一番宜しくないパターンで済ませてしまったので す。結局、私自身が完璧にソフトの人なので、オーディ オそのものにはさほど執着がなかった、ということが それ の 根 本 的 な 原 因では あるのですが、加えて、 DATでもらったマスターが微妙な回転違いを起こし、 アナログ盤で聴いたアルバムよりホンの少し回転が速 かった/音程が高かった、という想定外の結果を招い たことも大ショックでした。ですので、再々発となった 紙ジャケ版でそれを修正できた時、本当に安堵の気持 ちでいっぱいでした。 リマスタリングに対する認識を一気に植え付けられ たのは続くCOOL-009&010で発売したヒートの時 でした。送られて来たマスター音源を聴いて、えっ?と 思ったのです。既にリマスタリングを終えていたのです。 もう、音が実にダイナミックで、直ぐにこれだ!と解り、 そのエンジニアはいくらくらいでやってくれるか、を訊 き、その価格のリーズナブルさに感動。直ぐにその彼、 Bob Stoneと仕事できるよう交渉に入り、二つ返事で 合意。L.A.に行った際、何度も彼のスタジオに足を運 び、デヴィッド・ガーフィールド他現地のミュージシャン にも彼のことをどんどん推薦していきました。最近は 全 くコ ン タクトし て い ま せ ん が、初 期 の COOL SOUNDにとってBobの存在は非常に大きなものが ありました。 その後、パートナー :吉田鐘太郎の提案でCOOL HAWAII、COOL One-Stopを立ち上げ、新たなる お客様の獲得に挑戦。テンダー・リーフの大ヒットは マーケットの見つめ直し、という点で非常に大きな勉 強になりました。そしてランス・ジョーと親交を深める ことができたのは、私にとってはもちろん、彼にとって も大きなプラスになったと確信しています。LAとホノ ルルと東京を結ぶAORのアーチ/ブリッジ。今度はそ の橋を新たなる地に繋げること、それが私の次なる目 標です。ご期待のほど、宜しくお願い致します。
中田利樹のルーツ∼生涯の名盤と音楽遍歴
最近はリリース数がめっきり少なくなってしまいました が、それでもこの4月で満14年を迎え新たなる展開も 頭に描けるようになりました。その新たなる展開につき ましては、ちょっとここでは触れませんが、中田利樹にとっ て究極のゴールとなることは間違いないでしょう。来年 以降の話しで恐縮ですが、アッということ必ず実現させま すからね(笑)。 さて、COOL SOUNDを始めた時、2つの目標があ りました。最低5年は続ける。そして100タイトルは発 売する。この2つです。前者はまあ年に1枚しか出さな くても達成できることですから大した目標ではないかもし れませんが後者は今考えてみると、まぁ、よくそんなこと を口にしたな∼と思うことしきり。今よりも全然CDマー ケットが健全だったから、というのもありますが、スター ト時37歳だった自分には、まだヴァイタリティが漲って いた、ということだと思います。 レーベルを始めたことは本当に良かった、それしかな いですね。ですからパートナー的存在:吉田鐘太郎には どれだけ感謝の意を述べても足りない気がします。本当 にありがとう! 特に、自分の名前が一人歩きして行くの をじわりじわりと感じることができた、それが一番大きい です。ア ー ティスト自 ら 売り込 み をしてくれ たり、 Facebookでも北欧の一般リスナーから友達リクエスト がたくさん来たり(原則、お会いしたことのない方は認 証しておりませんが…)、偉そうに言うつもりは全くあり ませんが、COOL SOUNDを始めてからは、一音楽ラ イター :中田利樹、という枠を超えたのかなと思えるよう になりました。細かいことですが、私のライナーの署名は、 Toshiki Nakada:中田利樹(COOL SOUND Inc.)と、 外国の方でも解るようにしていますし、そういう意味では COOL SOUNDはToshi Nakadaの名前を宣伝するに 最高の媒体だった、とも言えますね(笑)。あと、昔から 一匹狼系なので、人様の顔色を伺うことなく自分で好き に進めて行ける、これがなにより生に合っていました。 そんなCOOL SOUNDでの思い出をいくつか挙げて みますと、数多い世界初CD化の中でもジョセフ・ウィリ アムス『Joseph Williams』(1982年)とブルース・ヒ バ ード『Never Turnin' Back』(1980 年)、こ の 2 枚 をリリースできたことにある種の誇りを感じています。特 に前者は最初にちょっぴり不満が残るものを出してしまっ たので、その後、2002年に紙ジャケで再発できてかな りホッとしました。初版の何が不満だったか、は、その マスタリングに関して、が全てです。COOL SOUNDが 誕生するまでの歴史で、語っていますが、COOL-001 ∼006まではアメリカでプレスしていたものを購入し、 そこに帯と解説を付けた日本盤仕様だったので、こっ ち でリマ スタリング を やって い ま せ ん。そして、 COOL-007となったジョセフの『Joseph Williams』 で初めてやったんですが、とりあえず業者にお任せ、 という一番宜しくないパターンで済ませてしまったので す。結局、私自身が完璧にソフトの人なので、オーディ オそのものにはさほど執着がなかった、ということが それ の 根 本 的 な 原 因では あるのですが、加えて、 DATでもらったマスターが微妙な回転違いを起こし、 アナログ盤で聴いたアルバムよりホンの少し回転が速 かった/音程が高かった、という想定外の結果を招い たことも大ショックでした。ですので、再々発となった 紙ジャケ版でそれを修正できた時、本当に安堵の気持 ちでいっぱいでした。 リマスタリングに対する認識を一気に植え付けられ たのは続くCOOL-009&010で発売したヒートの時 でした。送られて来たマスター音源を聴いて、えっ?と 思ったのです。既にリマスタリングを終えていたのです。 もう、音が実にダイナミックで、直ぐにこれだ!と解り、 そのエンジニアはいくらくらいでやってくれるか、を訊 き、その価格のリーズナブルさに感動。直ぐにその彼、 Bob Stoneと仕事できるよう交渉に入り、二つ返事で 合意。L.A.に行った際、何度も彼のスタジオに足を運 び、デヴィッド・ガーフィールド他現地のミュージシャン にも彼のことをどんどん推薦していきました。最近は 全 くコン タクトし て い ま せ ん が、初 期 の COOL SOUNDにとってBobの存在は非常に大きなものが ありました。 その後、パートナー :吉田鐘太郎の提案でCOOL HAWAII、COOL One-Stopを立ち上げ、新たなる お客様の獲得に挑戦。テンダー・リーフの大ヒットは マーケットの見つめ直し、という点で非常に大きな勉 強になりました。そしてランス・ジョーと親交を深める ことができたのは、私にとってはもちろん、彼にとって も大きなプラスになったと確信しています。LAとホノ ルルと東京を結ぶAORのアーチ/ブリッジ。今度はそ の橋を新たなる地に繋げること、それが私の次なる目 標です。ご期待のほど、宜しくお願い致します。 AORに限らず、しっかりと構築、構成され、歌い 手も演奏者も十分上手い、そういう音楽が好きなん です。はい、基本的に下手な人は御免なさいです。 だからフュージョンもプログレも大好きですし、こと AORで言えば、エアプレイ、ジノ・ヴァネリ、スティー リー・ダン、TOTO、マクサス、ペイジズ…辺りが一 番のご贔屓となります。もちろん、メロウ・ソウルやジャ ジーな音に身を任せたくなる時もないわけではない ですけれど...。 それから、コード進行へのこだわりが異常に大き いので、ハーモニー、すなわち、コーラスに対する 拘りもかなりあります。同じ西海岸でも、リンダ・ロ ンシュタット一派のおおらかで人間味溢れるものより も、ビル・チャンプリン∼トム・ケリー∼トミー・ファ ンダーバーク∼ペイジズ辺りによる、いわゆるL.A. 産スタジオ・セッション・コーラスのほうが断然好きで す。よりテクニカル、よりハイ・センスだと思うので。 まして、コーラス系にうるさいのは、私のルーツがま さにハイ・センス、ハイ・テクニックのコーラス・グルー プだからなんです。それは、小学校の時に出会った 日本の3人組、GARO。小5だったかの時に「学生 街の喫茶店」が大ヒットし、中学に入ってから彼らの 1stアルバム『GARO』(1971年)を自分のお小遣 いで買ったのですが、もうあまりの素晴らしさに腰を 抜かしてしまいました。「学生街∼」のような職業作 家による歌謡曲路線は必要ない、彼らのオリジナル 曲が素晴らしい、と。ませた中1ですね、今思えば。 その 後、彼らのルーツともなるCSN&Yの ベスト 『So Far』を買って、そこから本格的な洋楽の旅が始 まるのでした。 そして、GARO に憧れるがあまり、中 1 からギ ターを始め、その数ヶ月後には作曲もスタート。 中 2 の音楽の授業で同級生の原君とオリジナル曲 「君との想い 出」を皆に披露した、なんてことも ありました。 で、中学生がギターを少し弾けるようになると次に 行くのがハード・ロック! 私も例に漏れず、ツェッペ リン、パープル…の洗礼を受け、高校からバンドも 演るようになりました。その頃の作品で今でも一番好 きなのはレインボーの『Rising(虹を翔る覇者)』 (76年)、それからヴァン・ヘイレンの1st(78年) もやはり外せません。それから殆ど死語となっている アメリカン・ハード・プログレ系グループ、スターキャッ スルの2nd『Fountains Of Light(神秘の妖精)』 (77年)がまたどうしようもなく好きでした。アメリ カのイエス、なる呼ばれ方もしていた彼らは76年の 1stが結構人気だったと記憶していますが、私は圧倒 的に2nd。2011年にエアー・メイル・レコーディン グスさんが紙ジャケで再発してくれたのが超嬉しかっ たです。 そんなロック少年でありつつ、その一方で、ロック 同様ギターが輝いていたことでラリー・カールトン、 ジョージ・ベンソン、アル・ディ・メオラ他のクロスオー ヴァーにも惹かれ、と同時に、ボズ・スキャッグスだ、 ボビー・コールドウェルだ、も楽しんでいた70年代 終盤。そして1980年に大学に入ってからは、Best Hit USAなどの影響もあり、ポップ・ミュージック全 般を好きになって行きます。そして、スタジオ・ミュー ジシャンやプロデューサー、ソングライターのクレジッ トに目を向けるようになってしまい、中古レコード探 索もピークに。間違いなく大学時代は、勉強ではな くバイトとレコード買いに明け暮れた4年間だと言え ますね。 音楽業界には1985年の10月に潜り込み、早四 半世紀以上が過ぎていますが、その間に出会い、今 でも愛聴しているアーティストというと、まず、デン マークのグループ :ギャングウェイがパッと浮かびま す。とにかくメロディアスでコード使いのセンスも抜 群。時に女々しい言葉を放つ楽曲がちょっぴりゲイっ ぽい男声と完璧にマッチしている、ある意味、奇跡 のグループです。1986年の2nd『Sitting In The Park(Early Edition)』は中でも歴史的な名作だと 断言できます。あとは、オランダのアーティスト:ヴァ レンシアの1st&2ndも今なおヘヴィ・ローできる貴 重な作品です。とか言いながらも、生涯で一番尊敬 するのはやっぱり冒頭で挙げた構築美系AORの人た ち+スティーヴィー・ワンダーとEW&Fかなー、と思っ たり、で も、最 近 に なって改 め てス パ ー クス の 『Kimono My House』(1974年)はやっぱり歴史 的名盤だ!と思ったり、アウル・シティーは別格!とい ろいろな選曲に入れこんだり、ハウス系のブルー・シッ クスも2001年 の1st『Beautiful Tomorrow』は とてつもなく素晴らしい!と人に薦めたり、やはり好 みはいろいろです。普段はスムース・ジャズしか聴 いていない生活が何年も続いていましたし。と、な んだかあまりにとりとめのない内容になってしまいま したが、どうかお許しを。それが中田利樹の実態な ので…。ガロ 『GARO』 ハーモニーとアコースティック・サウンドを基調 にしたフォー ク・ロック・グ ル ープ、ガ ロ が 1971 年にマッシュルームから発売した1stアル バム。(1971 年) クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング 『So Far』 1974 年の再結成を機に発売されたCSNY のベ スト盤。ジョニ・ミッチェルによるジャケット・アー トも魅力的で、彼らの代表曲を手軽に聞ける1 枚。(1974 年) レインボー 『Rising∼虹を翔る覇者』 リッチー・ブラックモアとロニー・ジェイムス・ ディオによるソングライティングも魅力的な、 HM/HR の歴史の中でもひと際存在感を示す名 盤中の名盤。(1976 年) ヴァン・ヘイレン 『Van Halen∼炎の導火線』 エドワード・ヴァン・ヘイレンによるライトハン ド奏法を広く世界に知らしめた彼らの 1stアル バムであり、未だ輝きを失わない HM/HR の 名盤。(1978 年) スターキャッスル 『Fountains Of Light∼神秘の妖精』 米国のイエスとも評されたアメリカン・ハード・ プログレ・バンド、スターキャッスル。1976 年 の衝撃のデビューから1 年後に発売された2nd アルバム。(1977 年) ギャングウェイ
『Sitting In The Park (Early Edition)』
ソフト・ロックやボサ・ノヴァの要素を取り込み、 今でも新鮮なポップ・サウンドを聞かせるデン マーク出身のネオ・アコースティック・グループ の 2ndアルバム。(1986 年) ヴァレンシア 『Valencia∼ガイア』 インドネシアとオランダの血を引くヴァレンシア が、ビートルズやクイーン、ケイト・ブッシュと いったポップ音楽の影響を受けて発売した1st アルバム。(1993 年) スパークス 『Kimono My House』 1970 年にロン&ラッセル・メイルの二人によっ て結成されたスパークス。多岐に渡る音楽をも のの見事に消化した上で独自の音楽を作り出し た彼らの 3rdアルバム。(1974 年) ブルー・シックス 『Beautiful Tomorrow』 ジェイ・デニスによるブルー・シックスの 1stア ルバム。6 人の女性ヴォーカルなどのゲストを 迎えて作り上げた最高にソウルフルなハウス・ ミュージック。(2001 年)
芽瑠璃堂マガジン『ROOT』第8号 > 編集後記 文=葉月賢治 芽瑠璃堂マガジン編集部 編集人=葉月賢治/発行人=長野和夫 http://www.clinck.co.jp/merurido/magazine.php 読者の皆様のご意見を元に、より良い雑誌を 作ることを目標に努力して参ります。その為に は、皆様の貴重なご意見が必要です。なんで も結構ですので、ご意見をお寄せ下さい。 編集後記 文=石井達也 AORとの初めての出会いは高校1年の春 だった。親しかったロック好きのS先輩の家 に遊びに行ったときのこと。それまでずっと ヘビメタ好きだったS先輩がなにやら急に大 人っぽい音楽をステレオでかけ始めた。S先 輩と同じくヘビメタ好きだった自分は、妙に 整ったその小綺麗な音にビックリ。違和感を 感じまくり、あまりの様子のおかしさにS先 輩に尋ねた。「コレ、いったい何なんですか?」 するとS先輩は大人びた笑顔を見せなが ら言う。 「コレ? AORだよ」 それからしばらくの間、S先輩はビル・ラ バウンティ、マイケル・フランクス、クリス・ レア、ボビー・コールドウェルなどを聴かせ てくれた。S先輩を尊敬していた自分は15 歳にして自らすすんでAOR漬けな毎日を送 るようになっていく。ただ、それまで親しん でいたヘビメタからAORへの急激な方向転 換はそう容易ではなく、先輩が聴かせてくれ たものすべてを気に入ったわけではない。い や、正直に言うと気に入ったのはそのうちの 一握り。いまの耳で聴くと良さがわかるもの でも、ヘビメタ好きの高校1年の耳には面白 みがまったくわからなかったものの方が多い。 S先輩から紹介されたもので当時ハマった のはビル・チャンプリン、バーティ・ヒギンス、 スニーカー。それまでヘビメタ話しで盛り上 がっていた同級生との距離が少しずつ開いて いったのが淋しかったりもしたが、この3組 は本当によく聴いた。その後、チャンプリン はシカゴに加入し、ヒギンスは郷ひろみにカ バーされ、スニーカーは来日しAORファン を狂喜させた。 自分にとっての初めての AOR は、S 先 輩が聴かせてくれたビル・チャンプリンの 『Runaway』だ。当時はそのあまりに大人 びた雰囲気の音に、"どうかしちゃったんで すか、先輩?? "と驚いたが、聴いていくう ちに徐々にその音楽自体の良さに引き込まれ ていったのを覚えている。 プ ロデュースは あ の デヴィッド・フォス ター。ゲスト・ミュージシャンにはスティーヴ・ ルカサーやジェフ・ポーカロ、リー・スクラー、 トム・スコットなどの名前が並び、このアル バム・リリースの前年にフォスターとのユニッ ト、エアプレイでアルバムを出したばかりの ジェイ・グレイドンもクレジットされている。 ものすごく豪華な一枚である。いまあらため て聴いてみると、その徹底したサウンド・プ ロデュースはさすがフォスターで、充実した 内容はAORの傑作として高い評価を受ける のも納得の快作。予備知識などまったくなく、 なんにも知らないまま聴いて「これはイイ!」 と評価した高1の自分。そんな生意気な小 僧の評価はともかく、AORを敬遠するヘビ メタ好きの人にも予備知識なしでぜひとも聴 いてほしいアルバムだ。 2012年3月 芽瑠璃堂マガジン『ROOT』第8号の 特集はいかがでしたか?今回は中田利樹さ んを始め、クール・サウンドの皆様に全面 的にご協力をして頂き、クール・サウンド のファンの方はもちろんのこと、さらには、 こ の『ROOT』を ご 購 入 し て 下 さっ た AOR好きの皆様にとっても興味深い特集 になったのではないか思っています。本誌 をお読み頂いて、もしも気に入って下さっ たなら、是非とも友人や知人の方にもおす すめして頂けると嬉しいです。 今回の特集が決まったあと、中田利樹さ んと芽瑠璃堂店主の長野さんとある居酒屋 でご一緒させて頂きました。その時のこと を一言で表すとすれば「人に歴史あり」と いう一語に尽きると思います。次から次へ と出てくる裏話の数々や武勇伝、そしてこ れからのこと。ここで詳しく触れることはで きませんが、今後のクール・サウンド、そし て中田利樹さんの展開を是非お見逃しなく! そして、私にとっての「AOR」とはなん だろうと考えた時に思うことは「AOR」と いう言葉を特別に意識していなくてもその 一部はロックを聴いていれば自然と耳にし ていたなぁということです。TOTOやボズ・ スキャッグス、スティーリー・ダンにボビー・ コールドウェル、そしてクリストファー・ク ロスにマイケル・フランクス、ジノ・ヴァネ リなどももちろんその括りに入れられると 思いますが、しかし思うことはただ漠然と彼 らの音楽を聴いていてもそこから派生する 細かい部分までは辿りつくことができないと いうことです。気張って系統立てて聴く必 要もないかもしれませんが、しかしより深く 色々な音楽を理解していく為にはそういう 部分も必要だと感じています。ただ、誤解 して欲しくないことは「それは勉強という意 味ではなく」と言うことです。好きなものを より深く知りたいという欲求、それを具体 的にしていく過程は傍から見れば勉強して るなぁと思うかもしれませんが、本人にとっ ては勉強という意識で行っているのではな いと思うのです。少なくとも自分はそうだと 思います。ただ純粋に楽しいからやってい る。そう胸を張って言えるように日々精進 していきたいと思っております。 AORと微妙にずれてしまいましたが、次 回の芽瑠璃堂マガジンの発行は5月を予定 しています。詳細が決まり次第、私のブロ グで随時発表していくので、こちらの方も よろしくお願いいたします。
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編
集部
芽瑠璃堂マガジンWEB 2012年3月の人気記事より(一部抜粋) 芽瑠璃堂マガジンWEB http://www.clinck.co.jp/merurido/magazine.php 1950 年代半ば、ラスティ・ブライアントのバン ドに少女シンガーが加わりました。見かけこそ 幼いものの、歌自体は堂々としていて、ダイナ・ ワシントンやジミー・スコットからの影響も感じ られます。彼女は数年後に独立し、アメリカの 大手レーベル、キャピトルと契約。ジャズ∼R&B ∼ポップスを横断するスター・シンガーに成長し ました。 それが今回、ご紹介するナンシー・ウィルソン です。 このアルバムは 80 年代後半、ナンシーが名声 を確立してからの作品。いわゆるブラック・コン テンポラリー路線といえばいいでしょうか。いつ の頃からか、ナンシーのジャズ・ヴォーカルもの は、メロディをやたらひねり、こねくりまわすア プローチが目立つようになりました。しかしブラ コンの、特にバラードを歌いこむときのナンシー に“技巧のひけらかし”は一切ありません。故カー ル・アンダーソンとのデュエットも、ソウルフル このうえないといっていいでしょう。 2012年3月5日(月) 原田和典 1949年にレコーディング・デビューしたジョー ジ・シアリング・クインテットは25年を超える存 続期間中、多くの逸材をシーンに紹介しました。 最も出世したのはギターとハーモニカのトゥーツ・ シールマンス、ヴィブラフォンのゲイリー・バートン、 カル・ジェイダー、ドン・エリオットあたりでしょう。 シールマンスはこの2012年に90 歳を迎えます。 昨年秋には奇跡の来日公演も行ないました。ギ ター・プレイは聴けませんでしたが、ハーモニカ の吹奏は相変らずの美しさでした(初期のジョ ン・レノンは彼が弾いていたのと同じモデルのギ ターを弾き、しかもハーモニカも吹きました)。 いっぽう、この作品におけるシールマンスはギター のみをプレイしています(たまに口笛も出ますが)。 ハーモニカは登場しません。しかし、これがまた、 いいのです。尊敬するジャンゴ・ラインハルトからの 影響を全開しながら、ときにラプソディックに、と きにロマンティックにスイングするシールマンスのプレ イに引き込まれます。1960年のフランス録音とのこ とですが、力強さを前面に出したリヴァーサイド盤 『マン・バイツ・ハーモニカ』やシグネチャー盤『ジャ ズ・ソウル・オブ』等のアメリカ録音とは異なる、 なんともいえずまったりした感じが快適です。 2012年3月30日(金) 原田和典 近年はライナーノーツを書くっちゅうたらもう再 発 &復刻盤がほとんどですわ。ベテラン・アーティ ストの新録音盤てなあれもあるにはありますけど ね、2010年のスザンヌ・ヴェガとか。まぁそれと て彼女のセルフ・カヴァー集ですんであれですが。 まぁ私らみたいな年寄りにはふさわしい仕事っ ちゅうもんがあるし、リアルタイムで体験したそ の時代の空気感とか記録とかそういうものも後世 に伝承して行かなあかん、とそんな使命感を持っ てなにさせてもろてますけども(ほんまかいな)、 1990年代あたりまではいわゆる今どきの新譜の解 説も書かせてもらってましたよ∼。 しかしあれですねぇ、いったいみなどんだけ売 れたんかなぁと。まぁ再発や復刻というのはそう 売れるもんではありませぬ。大手メーカーからのリ リースでもマニアックなものは3ケタ止まり(それ も3ケタの前半とか)てなことも珍しくないようで すからね。言うても新作とてきょうびは大物とい えどもなかなかシンドイ状況のようですが。 アナログ・レコードの時代(∼1980年代まで) を振り返ってみまするとワタクシが担当させてい ただいた LPのライナーで「これが一番売れた∼ ♪」と実感できるのはやっぱり「ベスト・オブ・ アース・ウインド&ファイアー Vol.1」(1978:CBSソ ニー )でしょうなぁ。LPの売り上げ資料は持って ませんが当時、担当 Dの殿井さんから「10万枚」 とか聞いたように記憶してます。ちょうど大ヒッ トさなかの「セプテンバー」が新曲として収録さ れていたこともあってよう売れたそうです。ほん ま嬉しかったし。ディスコものには正直。。。な気 持ちでしたけどEW&Fはそのクリエイティヴな面に おいての 斬 新 さに 着目してました んで もう Welcome♪というか「こんなメジャーなアーティス トを自分みたいなもんが書いてええんやろか?」 てな気持ちもありましたけど、とことんなにして 必死で書き上げたのを覚えてますわ。まぁ私みた いなもんだけに任せとくのは頼りない(信頼度が 低い!?)ということもあってか大御所の青木啓 (アオキヒラク)さんの原稿が全4ページの解説書 の最初に掲載されてましたけどね(なんかホッとし たような)。 しかし単純に枚数だけであれするならばダント ツにシングル盤です!それもあの「フラッシュダ ンス」♪(当時 70万枚!洋楽ながらオリコン1位 でっせー!)。 2012年3月14日(水) 上柴とおる ♪ナンシー・ウィルソン『フォービドゥン・ラヴァー』 ♪トゥーツ・シールマンス『おしゃべりブルース』 70万枚売れても原稿料は9000円。。。♪