オーストリア農村における「家の墓」と女性のサー ビス
著者 森 明子
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 16
号 2
ページ 223‑260
発行年 1991‑12‑28
URL http://doi.org/10.15021/00004265
森 オ ー ス ト リア 農 村 に お け る 「家 の墓 」 と女 性 のサ ー ビス
オ ー ス ト リア農 村 に お け る 「家 の 墓 」 と女 性 の サ ー ビス
森 明 子*
Woman's Services in the Continuity of the Household-grave:
A Case Study from a Parish in South-east Carinthia
Akiko MORI
Austrian households maintain their graves across generations. This paper tries to describe and analyze the continuity and transformation of Austrian household-graves, emphasizing the social relationship of household members involved. It will be shown that woman's services are indispensable in the maintenance of the continuity of the
"h
ousehold-grave" (der Grab des Hauses). My fieldwork was carried out in south-east Carinthia in Austria (identified as N parish) in 1986-7 and 1988-9 for 15 months.
Austrian households may own more than one grave. However, household members give a special recognition to one of their graves as their "household-grave", to which they have a particular sense of be- longing. The distinction between heirs and non-heirs used to be crucial in this context. In Austrian households, heirs were allowed traditional marriages and inherited household-graves from their parents. The non-heirs were excluded from marriages and could not form their own households. They were buried in the graves of their natal household over which they did not have any control.
This distinction between heirs and non-heirs has blurred since the 1960's, as a result of increased opportunities of wage labor outside of N parish. The non-heirs began to found their own households and household-graves through their incomes from wage labor. This process is reflected in the social relations underlying the scenery of the
国立民族学博物館第3研 究部
Key Words : Austria, grave, household, woman, service, modernization キ ー ワ ー ド:オ ー ス ト リア,墓,生 活 共 同 集 団,女 性,サ ー ビ ス,近 代 化
churchyard. First, the number of household-graves among graves in the churchyard increased rapidly since the 1960's. Second, the social rela- tions inscribed on epitaphs have transformed. Most names carved on gravestones used to be the name of the heir only, or the heir and his/her spouse. However, the epitapfs constructed after the 1960's carry the names of an increased number of people, who are related through parent-child rlationship.
However, women's roles in maintaing graves remain crucial despite these changes. It is a woman's daily practice that distinguish graves of her household from those of other households. Graves can remain within a household only when a housewife takes care of them regularly. It is within her decision-making whether she keeps a certain grave within her household or gives it away to other households, if the grave is not the household-grave. She keeps daily services to her gaves, because she has looked after dying household members to their last moment, and has given them a funeral. At the same time, she remains the core of a diffusing solidarity of her family, since she provides occasional hospitality to her own children who have already married out, particulary on All Saints' Day and All Souls' Day.
Thus, it is possible to say women's roles underlie the continuity of the household-grave across generations. While the distinction between heirs and non-heirs in the continuity of household-graves has blurred through the introduction of wage labor, women's role as a key figure in maintaining household-graves remains intact.
1.は じめ に
2.生 活 共 同集 団 の構 成 とそ の 変化 3.墓 と生 活 共 同集 団
4.万 聖 節,万 霊 節 に 参 る墓
5.「 家 の 墓 」 と生 活共 同集 団 の展 開 過 程 6.墓 碑 銘 の 変 化
7.「 家 の 墓 」 と女 性 の サ ー ビス 8,展 望
1.は じ め に
オ ー ス ト リ ア農 村 で は 「墓 は 家 に 帰 属 す る 」 と い わ れ て い る 。 「家 の 墓 」der Grab des Hausesは 家 の 相 続 者 に よ っ て 世 代 間 に 受 け 継 が れ て き た 。 死 者 は 「家 の 墓 」 を 媒 介 と し て 生 者 に 記 憶 さ れ る の で あ り,生 者 は 「家 の 墓 」 を 媒 介 と し て 死 者 と の 結 び つ き を 求 め て い る と い う こ と が で き る 。
森 オ ー ス トリア農 村 にお け る 「家 の 墓 」 と女性 の サ ー ビス
しか し,「 家 」Hausや 「家 の 墓 」 は,オ ー ス ト リア農 村 に お い て 明 確 な 枠 組 み を もった 制 度 で あ る とは い え な い。 「家 」 とい う語 は,農 村 で二 重 の意 味 を も っ て い る。
それ は単 に住 居 と して の 家 屋 を意 味 す る場 合 もあ るが,農 民 が 農 業 の 家 族経 営 を 行 う シス テ ムの 全 体 を さす 場 合 もあ る。 どち らの意 味 で用 い られ て い るか は,通 常,文 脈 に よ って判 断 され る。 で は 「墓 は家 に帰 属 す る」 とい う場 合 は ど ち らの 意 味 か 。 この よ うに 問 う とき,私 た ちは 村 に お け る 「家 」 概 念 の複 雑 さを 見 い 出す こ とに な る。墓 が 帰属 す る 「家 」 とは単 な る家 屋 の 概 念 を超 え て い る が,か とい っ てそ れ が 農 業 経 営 体 と して の 「家 」 を意 味 して い るわ け で もな い。 農 業 経 営 体 と して の 「家 」 を 保 有 し な い 労働 者 も 「家 の墓 」 を保 有 して い るの で あ る。
この よ うに 明確 な枠 組 み を もた ない 「家 」 に 対 応 して,さ らに 「家 の墓 」 とい う概 念 を つ く りあげ,「 家 」 と と もに 「家 の墓 」 を 相 続 して い くの は どの よ うな シ ス テ ム に よ って い るの だ ろ うか。 本稿 は,こ の シ ス テ ムを 解 明 す る こ とを課 題 とす る。 さ ま ざ まな 局 面 に柔 軟 に 対 応 して 「家 の墓 」 が 維 持 され て い る過 程 を 記 述 し,こ の過 程 を 分 析 す る こ とに よ って,女 性 の操 作 的 な はた ら きか け(サ ー ビス)が 「家 の墓 」 の維 持 に不 可 欠 で あ る こ とを 示 して い く。
厂家 の墓 」 を 守 ろ うとす る人 々の い とな み は,「 家 」 そ の もの を 見 て い る と きに は 視 野 には い って こな い 「家 」 とい う複 合 的 な現 象 の さ ま ざ ま な側 面 を表 出 して い る。
「家 の墓 」 が 維 持 され る過 程 を 記 述 し よ うとす るの は,こ の よ うな い となみ を とお し て 明 らか に な る 「家 」 の多 様 な 側 面 に 注 目 して い るた め で あ る。 た だ し,こ こで 確 認 して お きた い の は,観 念 へ と先 走 りす る こ とを で き るだ け避 け て,人hの 行 為 か らそ れ を描 き出 そ う とす る記 述 の方 向 であ る。 行 為 を い か に記 述 し,い か に分 析 の枠 組 み に と りあ げ て い くか とい う こ とは,フ ィール ドワー クを 行 う者 の課 題 で あ る とい っ て よい。 本 稿 で と りあ げ る女 性 の サ ー ビスは,家 を め ぐる人hの 行 為 に つ い て関 心 を抱 き なが ら フ ィ ール ドワー クを行 って い る途 上 で注 目 した もの で あ る。 フ ィー ル ドワー クは1986年 か ら1989年 に か け て の べ 約15ヶ 月 間 行 った1)。本 稿 で は,フ ィー ル ドワー クにこも とつ い た 記 述 ・分析 に主 眼 を お き,こ れ を 先 行 研 究 の 中 に 位 置 づ け る作 業 は, 機 会 を あ らた め て 行 う予 定 で あ る。
1)調 査 は2回 に分 け て 行 った。 第1回 は1986年12月 か ら1987年10月 まで で,第2回 は1988年 9月 か ら1989年2月 まで で あ る。2回 と も同 じ農 家 に 寄 宿 して 日常 生 活 の 記 録 ・観 察 に つ と め た。
2.生 活 共 同集 団 の構 成 とそ の変 化
調 査 地 は オ ース トリア共 和 国(Republik 6sterreich)ケ ル ンテ ン州(Karnten)N 教 区 で あ る。 こ の教 区(Pfarrgemeinde)は,ド ラ ウ河(Drau)の 南 側 に発 達 した 谷 の一 部 を 占 め,標 高 は400mか ら1000m,河 岸 の平 坦 部 か ら南 に い くに 従 って 高 く な り,傾 斜 も急 に な る。 河 岸 の平 坦 地 を 谷(Ta1),標 高 の高 い 傾 斜 地 を 山 地(Berg)
と呼 び,両 者 は教 区 内 の生 活 に お い て つ ね に対 置 され て い る。 勾 配 の 急 な 山 地 は 平 坦 な谷 の農 地 よ りも農 業 条 件 が 劣 り,山 地 農 民(山 地 を強 調 して,と くにBergbauerと 呼 ば れ る)の 生 活 は,谷 の 人 々の 生活 に く らべ て質 素 であ る。 標 高440mほ どの 谷 の一 角 に,教 区教 会,役 場,学 校,ガ ス トハ ウス(居 酒 屋,宿 屋 を 兼 ね,種 々の 催 し や 宴 の 会 場 と な る),店 屋(村 に 一 軒 だ け あ る)が 集 ま って い て,教 区 の 中心 部 を形 成 して い る。1960年 代 以 降 村 外 で働 く労働 者 が土 地 を買 って 自分 の 家 屋 を 建 て る例 が 多 くな り,そ れ と ともに 近 代 的 な 生 活様 式 が次 第 に村 には い って くる よ うに な った。
そ れ で もN教 区 の 大 部 分 の面 積 は,山 地 農 民 と谷 農 民 の 所 有 す る農 地 や 森 林 で 占 め られ て い て,オ ー ス トリアで も伝 統 的 な生 活 習 慣 が比 較 的 色 濃 く残 され て い る地 域 で あ る。
墓 に 関 す る具 体 的 な叙 述 に は い る 前 に,N教 区 の 生 活 共 同 集 団 に つ い て 留 意 す べ き点 を ま とめ て お こ う。 こ こで は別 稿 に述 べ た こ との大 要 を 記 すz)0
日常 的 な生 活 を 共 同に す る家 族 的 な集 団(家 族 世 帯)を,事 象 の レベ ル か ら と らえ て 「生 活 共 同 集 団 」 と呼 ぶ こ とにす る3)0本 稿 で は,農 業 の経 営 体 で あ る 「家 」 を保 有 す る 「農 民 」 の生 活 共 同集 団 と,「 家 」 を保 有 しな い 「労働 者 」 の 生 活 共 同集 団 を 対 比 しなが ら叙 述 して い く4)0
2) 前 稿 【森 1989】を参 照 。
3)厂 家 族 」 は,特 定 の親 族 構 成 を 指 す カ テ ゴ リー概 念 と定 義 され る。 親 族 以外 の 者 も成 員 と して含 む オ ース トリアの 「家 」 は,こ の意 味 で 「家 族 」 とい う こ とは で き な い。 また 「世 帯 」 と い う語 につ い て も,研 究 者 に よ っ て と ら え方 が 異 な り曖 昧 で あ る。 オ ー ス トリア農 村 で 日 常 の生 活 を共 同 にす る家 族 的 な集 団 は,注4に 述 べ る よ うに3つ の カ テ ゴ リーに 区 分 され, 個hの カ テ ゴ リーỳ いて,そ の集 団 の構 成 原 理 は別 で あ る。 そ こ で,事 象 の レベ ルか ら生 活 を 共 同Y'す る集 団 を と ら え,「 生 活 共 同 集 団 」 とい う語 を 採 用 す る の で あ る。 これ に つ い て は 前 稿 【森 1989]で 論 じた 。
4) オ ー ス ト リア,ケ ル ン テ ン州 の 農 村 で は,生 活 共 同 集 団 は 「農 民 」Bauer,「 労 働 者 」 Arbeiter,「 コイ シ ュラ ー」Keuschlerの3つ の カ テ ゴ リーに 区 分 され る。 本 稿 で は,「 農 民」
と 厂労 働 者 」 の 対 比 を 論 じて い くが,こ こ に 「コイ シ ュラ ー」 に つ い て 付記 して お きた い。
「家 」 を 保 有 す る 「農 民 」 と保 有 しな い 「労 働 者 」 の間 に 位 置 づ け られ,農 業 経 営 体 と し て は 不 完 全 な 厂家 」 を 保 有 す る カ テ ゴ リーが 「コイ シ ュラ ー」 であ る。 「『農 民 』 と は外 に働 きに 出 ない で 自家 の農 業 経 営 に よ っ て生 活 で き る者 で あ る」 と定 義 され る。 多 少 の農 地 を も/
森 オ ー ス トリア農 村 に お け る 厂家 の墓 」 と女 性 の サ ー ビス
「農 民 」Bauerや 「労 働 者 」Arbeiterは,個 人 に対 す る語 と して も生 活 共 同 集 団 の カ テ ゴ リー を示 す 語 と して も用 い られ て い る。 厂農 民 」 と い う語 は農 業 経 営 体 と して の 「家 」 を 保有 す る個 人 を さす 語 で あ るが,場 合 に よ って は 同 じ語 が彼(彼 女)の 生 活 共 同集 団 を構 成 す る複 数 の 者 を 集 合 的 に示 す 。 「農 民 」 は農 業 の 家 族 経 営 を 行 うの で,こ の よ うな用 法 が村 の社 会 生 活 に お い て 便 利 な の で あ る。この用 法 に な ら って 「労 働 者 」 とい う語 も 「労 働 者 」の 構 成 す る生 活共 同集 団 を集 合 的 に 示 す 場 合 が あ る。「農 民 」 と 「労働 者 」 が対 比 され る文 脈 に お い てそ の よ うな用 法 が見 られ る。
「農 民 」 と 「労 働 者 」 を 区別 す る メル ク マ ール は 農業 経 営 体 と して の 「家 」 の 保 有 で あ る。 こ の場 合,「 家 」 は農 業 経 営 を行 うシ ス テ ムの 全 体 を さ して い る。経 営 体 と して の 厂家 」 の シス テ ムを 損 な わ な い た め に,「 家 」 の 相 続 は 一 子 に よ って不 分 割 に 行 わ れ る。 そ こに 「家 」 の相 続 者 と して の 「農 民 」 と,非 相 続 者 と して の 「労 働 者 」 の 区 別 が あ らわ れ て くる の で あ る。
非 相 続者 は,伝 統 的 な社 会 ・経 済 シ ス テ ムの も とで は 自己 の生 活 共 同集 団 を 形 成 す る基 盤 を も って い な か った か ら,奉 公 人 と して他 家 に 住 み込 む か,あ るいは 小 作 人 な ど の 農 業 労 働 者 と して 生 活 して い た 。 奉 公 人 や 小 作 人 がN教 区 か ら姿 を 消 す の は 1960年 代 に な って か らで あ る。 奉 公 人 の中 に は 未 婚 の ま ま 自己 の生 活 共 同集 団 を 形 成 す る こ とな く死 を迎 え る者 も多 く,こ の よ うな 状 況 の も とで庶 子 の 出生 率 は 非 常 に 高 か った 。
と ころが,1960年 ころ か ら安 定 した 賃 金 労 働 の機 会 が 増 加 した こ とに よ り,「労 働 者 」 が 自己 の家 を建 て る よ うに な っ て きた 。 こ うして 「労働 者 」 とい う語 が 「農 民 」 と対 置 され る生 活共 同集 団 の カ テ ゴ リーを さす よ うに な った の で あ る。 新 し く形 成 さ
\ って い て も,こ の定 義 に適 合 しな い 「家 」の 保 有 者 が 「コイ シ ュ ラー」 で あ る。 コイ シ ュ ラ ー は,小 さ くて 不 十 分 な 「家 」 の保 有 者 で あ る,と い うニ ュ ア ン スが あ る。 した が って,コ イ シ ュ ラー とい うカ テ ゴ リー に は,1ha程 度 の 小 さな 土 地 区画 を もつ 者 か ら8ha程 度 の農 地 や 森 林 を もつ者 まで,さ ま ざ まな 程 度 の 土 地 保 有 者 が 含 まれ る。 労 働 者 世 帯 とほ とん ど変 わ らな い 生 活 共 同 集 団 も,ま た 農 民 とあ ま り変 わ ら ない 生 活 共 同 集 団 も,コ イ シ ュ ラ ー と して ひ とつ の カテ ゴ リーに ま とめ られ る こ とに な る。 そ の た め,生 活 共 同 集 団 と して の コイ シ ュ ラ ーの 特 徴 を ひ と こ とで表 現 す る の はほ と ん ど不 可 能 で あ る。
コイ シ ュ ラ ーは,自 家 の 経 営 で 不 足 す る収 入 を 求 め て 労 働 に 出 る。 そ の 意 味 で,労 働 者 と 共 通 部 分 が あ る。 た だ し,「 労 働 者 」 の 語 は,伝 統 的 な社 会 経 済 シ ス テ ム の も とで 自己 の 住 む べ き家 を も たず,他 家 に 住 み 込 み な が ら労 働 力 を供 給 す る者 を 指 して いた の で,「 コイ シ ュ ラ ー」は 不 完 全 な が ら も住 む べ き 「家 」 を 保 有 す る点 で 「労 働 者 」 と区別 され た の で あ る。
しか し近 年,本 文 に 述 べ る よ うに 労 働者 も 自己 の家 を建 て る よ うに な っ て き た。 現 在,厂 労 働 者 」 とい う語 は 自家 を 有 す る者 も有 さな い 者 も含 め て,工 場 や 建 設 現 場 な どで専 門 的 な知 識 を 必 要 と しな い 労 働 に つ く者 を 指 して い る。 労 働 者 が 家 を も って い る場 合,そ れ は ほ とん ど近 年 に な っ て新 し く建 て られ た 家 で あ る の に 対 し,「 コイ シ ュ ラ ー」 は,少 な くと も19世 紀 まで さか の ぼ る こ との で き る 「家 」 を 保 有 す る老 で,そ の 「家 」 は わ ず か で あ って も農 地 を そ な え て い る。
れ る生 活 共 同集 団 は,夫 婦 と未 婚 の 子 ど もか ら成 る核 家 族 世 帯 を 構成 す る。 労働 者 の 生 活 共 同集 団 の 出 現 に よ って,村 の 生 活共 同集 団 の数 は 急 速 に 増 大 しつ つ あ る。 か つ て は数 多 くの キ ョウ ダイ の 中 か らた だ一 人 が 相 続 者 と な って 生 活 共 同集 団 を形 成 して いた た め に,村 の 生 活共 同集 団 の数 は 「家 」 の数 とほ ぼ一 致 し,長 い 間変 わ る こ とが なか った 。 しか し1986年 の調 査 時 でt農 業 経 営 を 行 わ な い 生 活共 同集 団 の数 は す で に 村 の過 半 数 を 占 め て い る。
こ の よ うな 状 況 に お い て起 こ って きた 重 要 な 変 化 は,村 に お い て 「家 」 の社 会 的 な 位 置 づ け が 相 対 的 に低 下 して きた こ とであ る。 現 在 社 会 生 活 を営 ん で い く うえで,あ
る程 度 以 上 の 現 金 収 入 は必 要 不 可 欠 で あ る。 農 民 とい え ど も農 業 の家 族 的 な経 営 だ け に 頼 るわ け に は い かず,部 分 的 な賃 金 労 働 は せ ざ るを え な い。 す なわ ち,農 業 の 家 族 経 営 の シス テ ム と して の 「家 」 そ の も のが 自立 的 な機 能 を果 た さ な くな って きて い る の で あ る。農 民 の生 活 共 同 集 団 は 自立 的 な経 営 集 団 と して の特 徴 を 失 い,そ の一 方 で, か つ て 農 民 の生 活 共 同集 団 に依 存 して 奉 公人 と して劣 位 に おか れ て きた 人 々が,自 ら の 家 屋 を所 有 し,独 立 した 生 活 共 同集 団 を形 成 して い る。 集 団 の構 成 か らみ れ ば,奉 公 人 な い し傍 系 の非 相 続 者 を 生 活 共 同 集 団 の成 員 と して含 ま な くな った 厂家 」 は,労 働 者 の生 活 共 同集 団 と変 わ る と こ ろは な い。 い まや 農 民 と労 働 者 の生 活 共 同集 団 の 区 別 は,数 十 ヘ クタ ール の 農 地 や森 林 の 保有 に見 られ る程 度 で,社 会 生 活 に お い て は農 民 の 「家 」 と労 働 者 の家 との 均 質 化 が起 こ って い る の であ る。
3.墓 と生 活 共 同集 団
この 章 で は,生 活 共 同集 団 と墓 との 関 係 に つ い て述 べ てゆ く。 そ れ に 先 だ って,l N教 区 で見 られ る墓 地 と墓 の 構 成 に つ い て,説 明 してお きた い 。
3‑1.墓 地 と墓 の 構 成
墓 地 は,教 区 教 会 の敷 地 に連 続 して い て,墓 は 教 会 の 建物 を め ぐって配 置 され て い 5)現 在 のN教 区 には,ふ たつ の墓 地 が あ る。 それ は,か つ てL教 区 の一 部 で あ った 地 区 を, N教 区 が 含 ん で い るた め で あ る。か つ て のL教 区 の 大部 分 は,第 一 次世 界 大 戦 後 建 国 した ユ ー ゴ ス ラ ビ ア,ス ロ ヴ ェ ニ ア共 和 国 に属 して い て,L教 区 の 教 区 教 会 や 墓地 も,ス ロ ヴ ェ ニ ア 共 和 国 領 に 含 まれ て い る 。 か つ て のL教 区 の一 部 だ けが1920年 以 降 も ひ きつ づ き オ ース ト リ アに 帰 属 し,こ の 地 区 だ け で 独 立 した 教 区 を構 成 す る こ とは で きな い た め,N教 区 に 加 え ら れ た の で あ る。 こ の人 々 は,も と も と同 地 区 に あ っ たN教 区 の 分 教 会 で ミサ を 行 い,墓 地 も同 地 区w新 し く建 設 した 。 こ う した歴 史 に つ い て 詳 細 は 別 稿 で記 述 す る。 も とか らN教 区 で あ った地 区 とか つ てL教 区 で あ った地 区 との境 界 は 空 間 的 に 定 め られ て い て,そ の領 域 ご と に現 在 も教 会 と墓 地 の基 本 的 な 帰 属 が 認 め られ て い る。 本 稿 の 記 述 は,ほ ん ら い のN 教 区 の 墓 地 に 関す る もの に限 定 す る。
森 オ ース トリア農 村 に おけ る 厂家 の 墓 」 と女 性 の サ ー ビス
る(図1参 照)5)0た だ し,現 在 人hが 世 話 を してい る墓 は 教 会 の南 側 に集 中 し,教 会 の北 側 に 配 され て い るい くつ か の古 い墓 を 世 話 す る者 は な い 。 墓 地 の 周 囲 に は塀 が め ぐら され て い て,東 側 と西側 に扉 が あ る。 教 会 の入 口 と相 対 す る南 側 中 央 に,墓 地 の 中心 を 示 す 大 きな十 字 架 が据 え られ て い る。
墓 の大 き さは,通 常1メ ー トル ×2メ ー トル ほ どで あ る。 土 が 小 高 く盛 られ て,そ こに しば しば 草 花 が 植 え られ て い る。 墓 と墓 の間 は,人 が 一 人 や っ と通 れ る く らい ま で近 接 して い る。
墓 は 教 会 を 中 心 に して放 射 状 に ひ ろが る方 向を 向 い て い て,墓 に 参 る者 は教 会 を背 に して 塀 に 向 か うこ とに な る。 そ れ ぞ れ の 墓 に は,参 る者 に 向 か って 十 字架 あ る い は 墓 石 が た て られ て い る。 そ の手 前 に数 種 の草 花 が 植 え られ て い て,折 りに ふれ て太 い 円柱 形 の ろ うそ くが1本 〜2本 立 て られ る。 赤 い ろ うそ くが 多 い 。 守 る者 の な い墓 に
図1 N教 区墓地 の墓配置
は十 字 架 は な く,土 だ け が 小 高 く盛 られ て い る。
古 くは素 朴 な木 製 の十 字 架 が 一 般 的 で あ った が,近 年,木 製 の十 字 架 は 墓 石 に か え られ つ つ あ る。 鉄 製 の十 字 架 が 好 まれ た一 時期 が あ った と い うこ とで,そ の ころ た て た鉄 製 の十 字 架 もい くつ か 見 られ る。 鉄 を鋳 造 して十 字 架 を 形 ど った もの で,十 字 の 下 に楕 円形 の 白 い盤 を つ け て,故 人 の 名 前 と生 没 年 を記 して あ る。 木 製 の 十 字 架 を た て た 多 くの墓 に は碑 銘 が な く,そ こに誰 が 埋 葬 され て い るの か を示 す 手 が か りは ない 。 そ れ で も村 の人 は,あ る墓 が どの 家 の 墓 で あ るか,お お よそ 記 憶 して い る。 墓 地 を 見 渡 す と,こ の よ うに碑 銘 を 全 く有 さな い 墓 が約 半 数 あ る。 しか し,近 年 木 製 十 字 架 に か わ って増 加 しつ つ あ る墓 石 に は い ず れ も碑銘 が刻 まれ て い る。 古 い 墓 に 碑 銘 が ほ と ん ど見 られ な い とい って も,墓 碑 そ の もの が まれ で あ っ たわ け では ない 。墓 地 の塀 に い くつ か の古 い墓 碑 が 埋 め 込 まれ て い るの を 今 日 も見 い 出す こ とが で き る。 故人 の名 前 と生 没 年 を石 に彫 り込 ん だ もの で,近 くに あ る墓 に対 応 して い る。 ひ とつ の墓 に ふ た つ の 墓 碑 が 対 応 して い る例 も あ る 。N教 区 の墓 地 で 最 も古 い 墓 碑 銘 は,こ の よ う に塀 に埋 め込 まれ た石 製 の もの で,1873年 と1881年 没 の2人 の故 人 の名 前 と生 没年 を 連 記 した もの で あ る。
近 年,十 字 架 の かわ りにお く墓 石 に は 十 字 架 を意 匠 と して刻 み,そ れ に 家 の 名6)と 故 人 の 名前,生 没 年 を,埋 葬 のた び に 連 記 して い く。 最 近 に な っ て墓 石 を た て た と き にこ,そ れ 以前 に物 故 した 者 の 名 前 や 生 没 年 を あ とか ら刻 ませ た 例 も多 い。
N教 区 の墓 地 の よ うに,教 会 の敷 地 内 に墓 地 が 設 置 され て い る の は 古 い 形 態 で あ る7も 教 区 の 教 会 は 村 の 中 心 で あ るか ら墓 地 も村 の 中 心 に 位 置 す る こ とに な る 。 た だ し,オ ー ス ト リア のす べ ての 墓 地 が 村 の 中 心 に位 置 して い るわ け では な い 。 多 くの都 市 で は,教 区教 会 と墓 地 を 備 えた 教 会 とが 別hに な って い る。 そ の よ うな 都 市 で な く て も,墓 地 は近 年 教 会 の敷 地 か ら分 離 して設 置 され る傾 向 に あ り,む しろ分 離 して い
る場 合 の方 が 多 い。 それ は,墓 地 面 積 の 需 要 が 教 会 に付 属 した既 存 の墓 地 面 積 を 越 え て し ま った た め で あ る。 墓 の必 要 数 の 増 加,お よび2人 を 同時 に埋 葬 で き る よ うに墓 を 大 き くつ くる傾 向 に よ っ て,こ の よ うな事 態 が 起 こ って い る。N教 区 に 隣 接 す る 町 村 で は,す で に十 数 年 前 か ら新 しい 墓 地 が 居 住 区 の 周辺 の畑 地 に設 置 され て い る。
墓 地 に お け る墓 の位 置 や 大 き さに 富 や 階 層 の差 が反 映 され る余 地 は ない 。 そ の よ う 6)「 家 」 は そ れ ぞれ 個 別 の通 称 を もっ てい て,個 人 を指 称 す る場 合 も この 「家 の名 」 Hausnameが 用い られ る。 また,土 地台帳は 「家の名」 にこよっていて,そ れぞれの土地区画 の記事は,土 地 区画 の属す る 「家 の名」 の もとV'記録 され ている。 「家の名」 はそ こに住む 者 の名前 が変 わ って も変わ ることはない。
7)「 墓地」Friedhofの 語は,「囲む」umfriedenに 由来する。教会 に設置 され,塀 に囲 まれた 空間であ ることを原義 と した。
森 オ ー ス トリア農 村 にお け る 「家 の 墓 」 と女 性 の サ ー ビス
な人 々の 意 識 も認 め られ な い。 大 農 民 の墓 の隣 に 労 働 者 の墓 が,同 じ大 き さ,同 様 の 素 朴 さで並 ん で い る。 墓 の位 置 に対 して特 定 の意 識 が 認 め られ な い こ とは,自 分 が ど の 墓 に埋 葬 され る こ とに な る の か そ の ときに な る まで 確 定 で きな い,と い う当地 の埋 葬 の 事 情 に 関 連 して い る。 そ こで,墓 を ど の よ うに 入 手 す るの か,そ の経 緯 に つ い て 次 に 述 べ て い きた い。
3‑2.墓 を 入 手 す る 経 緯
墓 が 家 に 帰属 す る とい うの は,ど の よ うな し くみ に よ って い るの だ ろ うか。 教 区 司 祭 は 「墓 は そ れ ぞ れ の 家 に 帰属 す る もの で あ るが,い くつ もの 墓 が 集 ま った 全体 と し て の墓 地 は教 会 の もの で あ る」 と説 明す る。 まず,死 者 が 出 た 場 合 に どの よ うに墓 を 入 手 す るの か,そ の経 緯 を 述 べ て い く こ とに しよ う。
仮 に,Aと い う人 が 死 ん だ と し よ う。 遺 族 は 教 会 に 一 定 額 を 支 払 って, Aを 埋 葬 す るた め の墓 を 得 る こ とが で きる。 教 会 は,す で に 守 る者 の な い 古 い墓 か らひ とつ を 選 ん で 与 え る。 数 十 年 前 に誰 か が埋 葬 され た 墓 で あ る8)0そ こにAが 埋 葬 され る こ と に よ って,こ ん どはAの 墓 と してAの 遺 族 が こ の墓 を守 る こ とに な る。 墓 は,埋 葬 後10年 間 は 掘 り起 こ され る こ とは な く,Aの 遺 族 は 埋 葬 時 の 支 払 い(1988年 に 聞 い た と ころ で は300シ リン グ,約3800円)以 後10年 の間 は何 も支 払 う必 要 は な い。10年 経 過 した と き に,Aの 遺 族 は この 墓 を そ れ 以 後 も継 続 して 保 有 す る意 思 が あ るか ど
うか 尋 ね られ る。 保 有 し続 け るな らば お金 を教 会 に支 払 い,そ の意 思 が な け れ ば墓 の 管 理 権 は 教 会 に も ど され る。 教会 に も どされ た墓 は,次 に 墓 を 求 め る者 が 現 れ た と き の た め に プ ー ル され る 。 後 に,Bが こ の墓 に 埋 葬 され る こ と に な れ ば,こ ん ど はB の遺 族 が この墓 を 保 有 す る。 「墓 は 家 に帰 属 す る が,墓 地 は 教 会 の も の で あ る」 とい
うの は,こ の シス テ ムの こ とを い って い る。 た だ し,実 際 に は 墓 の 保 有 が 厳 密 に10年 ご とに 計 算 され て い るわ け で は な い よ うだ。10年 後 も,教 会 か ら の問 い 合 わ せ が 来 な い ま ま続 け て 墓 の 世 話 を 見 て い る 例 が あ る。
さ て,Aの 墓 をAの 子,さ ら に そ の 子 へ と世 代 間 に 受 け 継 い で保 有 して い くな ら ば,こ の墓 がAの 家 に 帰 属 す る とい う意 識 が 次 第 に 強 くな っ て い く。 こ の よ うな墓 は10年 以 上 た った 後 に もAの 家 に よ って 保 有 され る。 で は,一 定 期 間 の の ち に放 棄
して しま うの は,ど の よ うな墓 だ ろ うか。
「家 に 帰 属 す る墓 」 に は,い ず れ 妻 や子 や 孫 が 埋 葬 され る こ とが 想 定 され て い る。
8) この よ うな 場 合,か つ て の埋 葬 者 の骨 等 を ど の よ うに処 理 す る の か につ い て も関心 が あ る が,現 段 階 で は 確認 して い な い 。
表1 複数 の墓 を入手す る経緯
墓No.1 墓No.2 墓No.3
Z A
B C
x年
(x+11)年
(x+5)年
(x+8)年
図2 表1で 埋葬 され る者 の系 譜関係 と埋葬 され る墓
た だ し,埋 葬 後10年 間 は 墓 を 掘 り返 さな い とい う規 定 が,つ ね に どの墓 に も効 力 を も って い る。 土 葬 され た 肉体 が 土 に 帰 る まで の期 間 と して設 定 され て い る規 定 で あ る。
した が って,Aの 死 後10年 以 内 の 間 に 彼 の 妻 が 死 ん だ 場 合,彼 女 を 夫 と同 じ墓 に埋 葬 す る こ とは で き な い。 彼 女 の た め に はAと は 別 の 墓 を 用意 す る こ とに な る。
た と えば,Aが 死 ぬ5年 前 にAの 姉Zが 死 ん で,彼 女 を か つ て 父 が 埋 葬 され た墓 (No.1)に 埋 葬 して い た と しよ う。 そ の5年 後 に 死 ん だAを こ の墓 に埋 葬 す る こ と は で きな い 。 した が って,遺 族 はAの た め に第 二 の墓(No.2)を 用 意 しなけ れ ば な らな い 。 さ らに,こ の後Aの 妻Bが 死 ん だ 場 合 を 想 定 し よ う。Bの 死 がZの 死 後ll 年(Aの 死 後6年)で あ れ ば,BはZと 同 じ第 一 の墓 に 埋 葬 さ れ る。 しか し, Zの 死 後10年 以 内(Aの 死 後5年 以 内)で あれ ば,第 一 の 墓 に も第 二 の 墓 に も埋 葬 す る こ とが で きな い の で,A家 の 遺 族 は 第 三 の墓 を 用 意 しな けれ ば な ら な い 。 そ こ で, Aの 死 後3年 してBが 死 に,さ ら に3年 してAとBの 息 子Cが 死 ん だ場 合 を想 定 す
る と,Bは 第 三 の墓(墓No.3), Cは 第 一 の墓(墓No.1)に 埋 葬 され る こ とに な る (表1,図2参 照)。
3‑3.「 家 の 墓 」 と 「枝 の 墓 」
こ う して,あ る生 活 共 同 集 団(家 族 世 帯)が 複 数 の墓 を 同 時 に もつ とい う事 態 が起 こる。 誰 が どの墓 に埋 葬 され るか とい うこ とは いつ 死 亡 す るか に か か って くる の で, 人 為 的 に操 作 を加 え る こ とは 不 可 能 で あ る。 しか し,複 数 あ る墓 の 中 で特 定 の ひ とつ
の墓 だ け が 家 に帰 属 す る墓 と して位 置 づ け られ て い る。 これ が 「家 の墓 」der Grab des Hausesで,「 家 の墓 」 は 世 代 を 超 え て家 に帰 属 す る と考 え られ て い る。 一 方,10 年 間墓 を 開 くこ とが で き ない とい う制 約 の た め に,そ の間 に 出 た 死 者 を埋 葬 した墓 が
あ り,こ の よ うな墓 は 「家 の墓 」 と区別 され て い る。そ こで,後 者 を 便 宜 上 「枝 の 墓 」
森 オ ー ス トリア農 村 に おけ る 「家 の墓 」 と女 性 の サ ー ビス
と呼 ぶ こ と にす る。
「家 の 墓 」der Grab des Hausesは,人 々が 日常 使 って い る表 現 を踏 襲 した 。 一 方,
「枝 の 墓 」 とい う表 現 は 筆 者 の 造語 で あ る。 人 々 は 「枝 の墓 」 の それ ぞれ を 「母 の墓 」
「叔 父 の墓 」 の よ うに 呼 ぶ こ とは あ るが,そ れ を 総 称 す る よ うな 名 辞 は 存在 しな い。
これ を 「枝 の墓 」 と呼 ぶ の は,「 枝 の 墓 」 の 「家 の墓 」 に 対 す る関 係 が,幹 に対 す る 枝 の関 係 に た とえ られ るか らで あ る9)0
「家 の墓 」 は,「 枝 の墓 」 に 比 べ て りっぱ に 装 飾 され る傾 向 が あ る。 墓 碑 の あ る墓 は 全 体 の 約半 数 にす ぎな い が,そ れ は ほ とん どが 「家 の墓 」で あ る。 また,実 際 は 「枝 の墓 」 に埋 葬 され た 家族 の 名前 を,「 家 の 墓 」 の墓 石 に刻 ませ る こ とが しば しば あ る。
「枝 の墓 」 が,ど れ ほ どの期 間,あ る家 で 保 有 され 続 け るか とい うこ とは,そ れ を 維 持 す る もの の意 思 決定 に よ る。 近 い関 係 にあ る うちは 世 話 を して も,世 代 が交 代 し て関 係 が 遠 くなれ ば,古 い 墓 は 守 らな くて も よい と い う考 えが あ り,「枝 の墓 」 は い ず れ教 会 の管 理 に返 され る。
3‑4.日 常 の 墓 の 世 話
さて,墓 を守 るの は遺 族 で あ る。 次 に,人 々の 日常 的 な 墓 との か か わ りに つ い て見 て お くこ とに し よ う。
墓 そ うじは 夏季 に 限 られ,多 くの場 合 女 性 が 行 う。 墓 の 周 辺 の 雑 草 を 除 き,草 花 を 植 え て,と きに ろ うそ くを灯 す 。 教 会 の ミサ に 来 る人 は 必 ず墓 地 を 通 る か ら,墓 はつ ね に 人 の 目にふ れ る。 枯 れ た花 や 雑 草,燃 え 尽 きた ろ うそ くが 放 置 され て い る墓 は, す ぐに 人 の 目を ひ く こ とに な る。 手 のか か る花 を た くさん 飾 れ ば墓 は 美 しい が,そ れ だ け 頻繁 に世 話 を しな けれ ば な らな い。 だ か ら,墓 を 見 れ ば そ の 家 の女 性 が どの くら い墓 の世 話 を して い るか 明 らか に な る。
墓 地 に人 々が訪 れ る頻 度 は個 人 差 が あ って 一 般 化 す る こ とは で きな い。 それ は 自家 か ら教 会 まで の距 離 に も大 い に左 右 され る。 週 日に1回 〜2回 墓 地 に足 を運 ん で い る あ る婦 人 の場 合,教 会 か ら平 坦 な道 を20分 程 度 歩 い た 谷 部 に住 ん で い る。 しか も,こ の婦 人 は 自家 に農 地 も家 畜 も も って ない の で 生 活 時 間 に ゆ と りが あ る。これ に 対 して, 山地 に住 ん で い た り,家 畜 の世 話 を しな け れ ば な らな い 農 民,自 ら労 働 者 と して働 き
9)農 業 経 営 体 と して の 「家 」 を 「幹 」stemに た とえ られ る こ とを,前 稿 【森 1989:38】 に 述 べ た 。前 稿 で は 民 俗 語 で 「家 」 と呼 ば れ て い る農 業 経 営 体 を エ ス テ イ トと い う概 念 に よ って 説 明 した。 エ ス テ イ トは 農業 生 産 と消 費 の シス テ ムを 構 成 す る財 産 の セ ッ トで あ る。 非 相 続 者 を排 出 し,ま た折 りにふ れ て手 繰 り寄 せ るエ ス テ イ トの シス テ ムを,枝 葉 を ひ ろ げ る 「幹 」 に た とえ る こ とが で き る の で あ る。
に 出 て い る女 性 は,週 日墓 地 を 訪 れ る 余 裕 は な い 。 彼 女 た ち の 多 くは,日 曜 の ミサ の 後 に 墓 も 見 て い く。 ま た,教 会 の ミサ に ほ と ん ど参 加 し な い し,墓 の 世 話 も 日常 は ほ と ん ど し な い と い う人 も め ず ら し くな い 。 そ うい う人 も,祭 礼 の 前 に は 墓 を そ う じ し 花 を 飾 る。 聖 体 行 列Fronleichnamや 枝 の 主 日Palmsonntagな ど の 行 列 を す る祭 礼 で は,行 列 に 先 だ っ て 多 くの 人 々 が 墓 地 に 集 合 す る た め で あ る 。
4.万 聖 節,万 霊 節 に参 る墓
墓 が最 も人hの 関 心 を 集 め るの は,万 聖 節 と万 霊 節 の前 後 であ る。 この 行事 の と き に人 々が どの よ うに墓 とか か わ って い る の か を見 て い こ う。 こ こで と くに 注 目す る の は,実 際 に は多 くの家 が 複 数 の 墓 を 保 有 して い る の に もか か わ らず,行 事 の 中 で 各人 が参 る墓 は ただ ひ とつ だ とい うこ とで あ る。 参 るべ き墓 の選 択 が な され て い るわ け で あ る。 そ こで,各 人 は どの よ うに 参 るべ き墓 を選 ん で い る のか,具 体 的 な 事例 を と り あ げ て考 え て い きた い。 は じめ に 行 事 に つ い て説 明 して お こ う。
4‑1.万 聖 節,万 霊 節
11月1日 万 聖 節Aller=heiligenは す べ て の 聖 人 の 祝 祭 日,11月2日 万 霊 節 Aller=seelenは す べ て の 死 者 の 霊 が 村 に た ち か え っ て慰 霊 を 受 け る 日 と され て い る。
た だ し,両 日の儀 礼 の 手 順 は ほ とん ど同様 の ものが 繰 り返 され,多 くの人 々は いず れ か一 方 の儀 礼 に参 加 す れ ば よい と考 え て い る。 と くに万 聖 節 は オ ース トリアの 国 の祝 祭 日で あ る の で こ の 日の 儀 礼 の 参 加者 は多 い。 こ こ では1988年 に 行 わ れ た儀 礼 につ い て,ま ず 全 体 的 な進 行 を 記 述 す る。
① 準 備
万 聖 節 に先 だ って10月 に な る と,各 家 の 女 た ち は墓 に飾 る花 を何 にす るか 考 え 始 め, 10月 下 旬 には 墓 のそ う じに 墓 地 を 訪 れ る女 性 の数 が 目だ って ふ え る。 墓 の手 入 れ は何 度 に も分 け て行 う。 花 を 植 え た り小 石 を敷 き詰 め る な ど して,自 家 の墓 を で き るだ け 美 し く飾 るた め に,そ れ ぞ れ の 主 婦 の工 夫 が凝 ら され る。10月 下 旬 に は 各家 で ひ と部 屋 が い っぽ いに な るほ どの 花 が 用 意 され る。
②ll月1日 午 前(万 聖 節,ミ サ)
1988年ll月1日 の万 聖 節 は 午 前8時30分 か ら ミサが 行 わ れ た。 墓 地 は霜 を かぶ って 白 く凍 っ てい る よ うに 見 え るが,人 々 はす で に早 朝 か ら墓 地 を訪 れ て い て,種hの 花 で美 し く飾 った 墓 に ろ うそ くが 灯 って い る。 ミサは 教 会 内 で 約1時 間程 度 行 わ れ た 。
森 オ ー ス トリア農 村Y' け る 「家 の墓 」 と女 性 の サ ー ビ ス
出席 者 は通 常 の 日曜 日よ りや や 多 い程 度 で,ミ サそ の も のに と くに きわ だ った特 徴 は な か った。
人 々は い った ん 自家 に 帰 り,祝 日の昼 食 を と って か ら午 後 再 び 教 会 を 訪 れ る。 この 日の行 事 に合 わ せ て 久 しぶ りに村 に帰 って くる者 も あ る。 遠 方 に 住 ん で い る家 族 を迎 え る家 では,母 親 の 料 理 が 供 され る。
③11月1日 午 後(万 聖 節,墓 の聖 別)
午 後 の行 事 は 墓 の聖 別 が 主 た る 目的 だ が,そ れ に先 だ っ て1時30分 か ら教 会 内 で短 い ミサ が あ る。 午 後 の ミサ の 出 席者 は 多 く,う しろ に も立 って い る人 で 教 会 は い っば い で あ る。 そ して,そ れ よ りは るか に 多 くの人 々が 墓 地 で ミサ の終 わ るの を 待 つ 。 毎 週 日曜 の ミサ に ほ とん ど出 な い 人 や,結 婚 や 仕 事 で他 村 に行 った 人 な どが,久 しぶ り に会 って 墓 地 の あ ち こち で挨 拶 を かわ して い る光 景 が 見 られ る。 め った に谷 に 下 りて
くる こ との ない 山 地 の 老人 の姿 もあ った。 この 日は オ ー ス トリアの 国 じゅ うで 同様 の 行 事 を 行 って い るか ら,誰 もが 自分 の 最 も参 りた い と思 う墓 を訪 れ て儀 礼 に参 加 す る。
そ こに,参 るべ き墓 の 選 択 が な され て い る こ とを後 に見 る。
教 会 内 で の ミサ が 終 わ る と,ミ サ に参 加 して いた 人 々が 一 斉 に墓 地 に 出 て きて 自家 の墓 の 前 で 司 祭 に よ る墓 の聖 別 を待 つ 。 儀 礼 の間 は 一 箇 所 か ら動 か な い の で,複 数 の
「枝 の墓 」 を 世 話 して い る者 も この と きは ひ とつ の墓 の前 に 立 つ こ とに な る。
こ う して 人 々が そ れ ぞれ の墓 の前 に待 機 す る うちに,司 祭 が3人 の 少年 を従 え て教 会 の 入 口に 姿 を 見 せ る。 司祭 は そ こで短 い祈 りを 捧 げ て,墓 を巡 りは じめ る。 撒 香 炉 と撒 水 器 を 手 に して 祈 りを 唱 え な が ら,ひ とつ ひ とつ の墓 を 聖 別 して い くの で あ る。
墓 地 の 東 口に 位 置 す る墓 か ら順 に南 側,西 側 へ と進 み,北 側 の墓 も聖 別 して,教 会 の 周 囲 を 一 巡 し,墓 地 の 中 央jar̀.もど っ て くる(図1参 照)。 人 々 は 司 祭 が 巡 って 来 る順 を 静 か に 待 ち,自 家 の墓 が聖 別 され る と頭 を垂 れ て十 字 を き る。 北 側 の 古 い墓 の前 に 立 つ 者 は 誰 もな い 。 最後 に,墓 地 の南 側 の 中心 に 立 て られ た 大 きな十 字 架 の前 で,司 祭 が 全 体 の た め の祈 りを捧 げ,人hが そ れ に 和 す 。 老 人 の 中 に は ロザ リオ(祈 薦 のた め の 数 珠 で 十 字 架 が つ い て い る)を 手 に か け て い る人 もあ る。 儀 礼 は ほ ぼ40分 ほ どか か って 終 了 した 。人hは 三 々五 々帰 宅 す る。 亡 くな った 父 や母 の た め に 自家 で 「ロザ
リオの 祈 り」10)を行 う家 もあ るが,近 年 で は まれ で あ る。
10) ロザ リオ の 珠 に よ って天 使 祝 詞(ア ヴ ェ ・マ リア)15連(150回)を 誦 え る祈 り。 家 族 が 集 ま って祈 る場 合,台 所 の食 卓 で 行 う例 が 多 い 。 暗 記 して い る祝 詞 を ひ と りが 誦 え,祈 りの 一 定 の 箇所 で 他 の 者 が 唱和 す る。 祈 りな が ら各 自が 手 に して い る ロザ リオ の 珠 を つ ま ぐる。
は じめ に祝 詞 を誦 え る のは そ の 場 で 中 心 的 な 人物(父 親 な ど)で,順 に交 替 して い く。
写真1 万聖節に先だ って墓 を飾 る婦人
写 真2 1988年11月2日 午 前 万 霊 節 司 祭 に よ る墓 の 聖別 を待 つ 人 々
森 オ ー ス ト リア農 村 に お け る 「家 の墓 」 と女 性 の サ ー ビス
④11月2日(万 霊 節)
翌 日は 午 前8時 に ミサ を 開始 し,続 け て墓 の聖 別 が 行 わ れ た 。 ミサ,墓 の聖 別 と も に,前 日と同様 の 手 順 に よ る。 墓 地 に は昨 日か らの ろ うそ くが 燃 え 続 け て い る。 この 日は 祭 日で は な い の で,参 加者 は前 日の半 分 程 度 に減 って い る。 女 性 や年 金生 活 をす る年 長 者 の 姿 が 目だ った 。
4‑2.参 る べ き 墓
さ て,万 聖 節 と万 霊 節 に お け る墓 の聖 別 儀 礼 では 複 数 の 墓 の 前 に 立 つ こ とは許 され な い。 各 人 は か な らず ひ とつ の墓 を選 ぶ 。 そ こで,ど の よ うに 参 るべ き墓 が選 ば れ て い る のか,そ の 選 択 の 背 景 に あ る もの を考 え てゆ きた い 。
あ る 生 活共 同 集 団 に と って参 るべ き墓 とは,「 家 の墓 」 が あ る家 で は 「家 の墓 」 で あ り,あ るい は 現在 は 「家 の墓 」 とは呼 ん で い な いが,将 来 「家 の墓 」 と して守 っ て い きた い と考 え られ て い る墓 で あ る。 しか し,婚 入 あ るい は 他 出 した 個 人 を含 め て, 参 るべ き墓 は 「家 の 墓 」 で あ る,と 一 般 化 す る こ とは早 計 で あ る。 婚 入 した人 が 「家 の墓 」 に参 らな い 場 合 もあ る。 参 らな くて も よい とされ る墓 と参 るべ き墓 との 区別 は な に に よる のか,あ る生 活 共 同集 団 に属 す 者 はみ な 同 じ墓 に 参 るの か,参 るべ き墓 と 参 らな くて も よ い墓 の世 話 は 同 様 に な され るの か,な どに つ い て,そ れ ぞ れ個 別 の事 例 に よって 検 討 して い こ う。
以下 では,古 くか らあ る農 民 の 生活 共 同集 団 と,労 働 者 が 最 近 形 成 した生 活 共 同集 団 の それ ぞ れ が 万 聖 節 と万 霊 節 を どの よ うに迎 え たか に つ い て 事 例 を 示 し,こ れ に も
とつ い て,考 察 して ゆ くこ とに す る。
事 例 ①
こ こで と りあ げ るの は 教 区 で もお もだ った谷 農 民 の家 で あ る。 前 世 代 の 当主 はす で に 亡 く,そ の 未 亡 人 で あ る母 親(69歳),息 子 夫 婦(40歳 代)と そ の2人 の 子 ど も が と もに暮 ら して い る。 万 聖 節 の墓 の聖 別 に は,息 子 の妻 を除 い た 全 員 が 「家 の墓 」 の 前 に立 ち,息 子 の妻 は 隣 町 の 生 家 に 帰 った。 午 後,村 外 で 生 活 して い る4人 の子 ども (息子 の キ ョ ウダ イ)が 訪 れ て,母 親 を 中心 に食 事 を した 。 万 聖 節 に 先 だ って この家 の墓 を飾 った の は 母 親 で,「 家 の 墓 」 の ほか に も婚 出 した 娘 の 夫 の 家 の 墓(娘 夫 婦 は 村 外 で生 活 して い る)や,彼 女 の 家 で 息 を ひ き と った 友 人 の 墓 も飾 った 。
万聖 節 に母 親(未 亡 人),息 子(当 主),孫(当 主 の子 ど も)が 選 択 した の は,未 亡 人 の夫(前 代 の当 主)が 埋 葬 され て い る この家 の 「家 の 墓 」 で あ り,息 子 の妻 は 自己
の生 家 の墓 を選 択 した の で あ る。
墓 を誰 が守 って い るか とい うこ とは,万 聖 節 を 迎 え る墓 を誰 が飾 るか とい うこ とに 示 され る。 この家 で は母 親 が 墓 を 守 って い る。 そ して 万 聖節 に 「墓 を守 る女 性 」 の も とに他 出 した子 ど もた ちが 集 ま って くる こ とに も注 意 した い。 この集 ま りの 中 に息 子 の妻 は含 まれ な い。 彼 女 は 彼 女 の生 家 の 集 ま りに 属 して い る の で あ る。
この事 例 で は 「家 」 の相 続 者 と隠 居,他 出 した 非 相 続 者 が 「家 の墓 」 を媒 介 と して 結 び つ け られ,生 活 共 同集 団 とは 別 の 「家 族 」 カテ ゴ リーを一 時 的 に現 出 して い る。
日常 は 別 々 の生 活 を して い る者 た ち を 結 び つ け る核 に な って い るの は,「 家 の 墓 」 を 守 り,子 供 た ち に料 理 を供 す る母 親 で あ る。 で は 相 続 す るべ き 「家」 が な い場 合,キ
ョウ ダイ は万 聖 節 を どの よ うに迎 え るの だ ろ うか 。
事 例 ②
次 に,40歳 代 半 ば の夫 婦 と2人 の子 ど もか ら成 る核 家 族世 帯 を と りあ げ よ う。 夫 婦 は ど ち ら もN教 区 の 出 身 で,10年 ほ ど前 に新 しい 家 を建 て た 。 万 聖 節 の墓 の 聖 別 儀 礼 で は,夫(Sと す る)はSの 両 親 の墓 に 参 り,妻(Tと す る)はTの 両 親 の墓 に参
った。2人 の子 ど もは 墓 地 に 行 か な か った 。
夫Sは 山 地 の小 農 民 の も とに生 まれ た6人 キ ョウ ダイ の一 人 で,両 親 はSとTの 結 婚 前 に す で に亡 くな って い た。 現 在 生 家 は 廃 屋 とな り,農 地 と森 林 は隣 の大 農 家 が 所 有 して い る。 万 聖 節 に は,そ れ ぞ れ 結 婚 して い る キ ョウ ダ イ の うちSを 含 め て3 人 が 両 親 の墓 の前 に立 った。
妻Tは 山 地 に 住 む 労 働 者 の も とに 生 まれ た 。 両 親 は す で に 死 ん で い る。 全 部 で10 人 い るTの キ ョ ウ ダイ の す べ て が結 婚 し,そ れ ぞ れ 家 を 建 て て 核 家 族 世 帯 を 形 成 し て い る。Tは キ ョ ウダイ の 中 で も と くに 頻 繁 に 両 親 の墓 に参 って い る。 万 聖 節 当 日は Tの キ ョウ ダ イ の うち4人 が そ れ ぞ れ の 配 偶 者 や 子 ど もを と も な って 両 親 の墓 に 参 り,儀 礼 の後 にTの 家 を 訪 れ て,亡 くな った 両 親 のた め に ロザ リオ の祈 りを行 った 。 4人 の キ ョウ ダイ とそ の 家 族 で 計13人 が ロザ リオ の 祈 りを 行 い,夫Sの キ ョウ ダイは 参 加 しな か った。
事 例 ② で は,墓 の 聖 別 儀 礼 に 際 して 夫Sと 妻Tが 別 々の 行 動 を と っ て い る。Sと Tは とも に非 相 続 者 で あ り,近 年 形 成 され た 他 の 生 活 共 同 集 団 の 多 く と同様,こ の夫 婦 の 家 で は墓 を保 有 して い な い。 この よ うな 夫 婦 が 万 聖 節 に 参 るべ き墓 と して それ ぞ れ の両 親 の墓 を 別 々に選 択 して い る こ とは 興 味 深 い。
夫 と妻 が そ れ ぞ れ 自己 の キ ョウ ダイ と ともに 両 親 の 墓 の 前 に立 つ と き,日 常 の生 活
森 オ ース ト リア 農村 に お け る 「家 の墓 」 と女 性 の サ ー ビ ス
共 同集 団 とは別 の家 族 の範 疇 が 現 れ る。 この夫 婦 の例 の よ うに墓 を 保 有 して い な い 生 活共 同集 団 は,家 族 周 期 の若 い 段 階 に 属 して い る。 事 例 ① で は,こ の よ うな未 熟 な生 活 共 同集 団 の成 員(村 外 に住 む 非 相 続 者)が,一 時 的 に母 親 の生 活 して い る 「家 」 に と りこ まれ て,そ こに 複 数 の生 活 共 同集 団 に また が るひ とつ の 「家 族 」 が現 出す る こ とを 見 た の で あ る。 しか し,事 例 ② のTの キ ョウ ダイ は,継 承 す べ き 「家 」 を 保 有 しな い生 活 共 同集 団 に生 まれ た 。 こ の場 合 に は,複 数 の 生 活共 同集 団 が ロザ リオ の祈 りを 契 機 と して,ひ と りの 姉 妹 の家 に 集 ま っ て い る。 ロザ リオ の 祈 りをTの 家 で 行 うの は,Tが 日常 か ら両 親 の墓 を よ く守 って い る こ と と関連 して い る。 キ ョウ ダイ の 集 ま りの核 とな っ て い るTの 位 置 づ け は,事 例 ① で 「家 の墓 」 を 守 って い る母 親 の 位置 づ け と類 比 で き る。
事 例② で,Tが 両 親 の 墓 を よ く守 って い るの は,彼 女 が 死者 の生 前 の看 護 を した こ と と も関 連 が あ る。2年 前 に 亡 くな った 母 親 はTの 家 で看 護 され た。Tの 家 が谷 部 に あ って,母 親 の 住 ん で い た 山 の 家11)よ りも病 人 の た め に 都 合 が 良 く,Tが 看 病 に あ た る こ とが で きた た め で あ る。 多 くの キ ョウ ダイ の 中 で,Tが 日常 か ら よ く両親 の墓 の 世 話 を し,万 聖 節 に 中 心 的 な 役 割 を 果 た して い るの は,Tが 母 の 死 を 看取 った こ と と結 び つ い て い る12)0
病 人 の 死 を 看取 って埋 葬 し,そ の墓 を 守 る,と くに 万 聖 節 に 死者 の た め に花 を飾 り, 墓 を 訪 れ た キ ョウ ダイ を 迎 え る とい うよ うな一 連 の サ ー ビスは,生 活 共 同集 団 の 核 と な る女 性 に よ って な され る。 母 親 が存 命 中 で あ れ ば(父 が 病 人 で あ る場 合 な ど),通 常 そ れ は 母 親 が 行 うもの で あ り,母 親 の死 に際 して は別 の女 性(息 子 の妻 また は 娘) が これ を 行 う。 相 続 者 と非 相 続 者 が 明確 に 区別 され る場 合,隠 居 とな った 老 人 を 看 護 す る の は相 続 者 で,相 続 者 が 男 性 で あ れ ば そ の 妻 が 看 護 す る。 「家 」 の相 続 者 は 農 業 経 営 体 と して の 「家 」を 相 続 す る と同 時 に,隠 居 者 の 死 に い た る まで の 生 活 を保 障 し, 病 気 の場 合 は 看 護 す る こ とを 約 束 す るの で あ り,こ の こ とは相 続 ・隠居 契 約 書 に 明記 され る。 しか し,農 民 の 「家 」 の よ うな 相続 財 を もた な い労 働 者 の も とでは,相 続 者 と非 相 続 者 の 区 別 は ほ とん ど見 られ な い。 病 人 の看 護 を誰 がす る のか とい うこ とも流 動 的 に な る。 こ の よ うな 状 況 の 中 で 病 人 を看 護 した者 は,キ ョウ ダイ の 中 で一 時 的 に
しろ中 心 的 な位 置 を 占め る こ とに な る。
こ こで 注 目 され る のは,「 墓 を 守 る」 とい う実 際 的 な 行 為 が キ ョウ ダイ 間 の 関 係 に 11)母 が 住 ん で い た 山地 の小 さ な家 屋 は彼 女 の 兄 が 得 た。 母 の 死 後,兄 夫 婦 は 他 に 住 まい を 得 て,こ の 家 は 現 在 空 き家 に な って い る。
12)彼 女 は10人 キ ョ ウダ イ の9番 目で あ る。相 続 や 老 親 の 世 話 等 の 局 面 に お い て,長 子,末 子 な どを優 先 す る規 範 は,N教 区 に は 見 られ な い 。
お い て もつ 意 味 と,将 来 の墓 の 保 有 へ と展 開 す る可 能 性 で あ る。 事 例 ② のTに と っ て母 親 の墓 は 自己 に最 も近 い 墓 で あ り,この 墓 は 自分 が 守 って い る とい う意 識 が あ る。
最 後 を看 取 っ た母 を埋 葬 し,そ の墓 を 日常 も しば しば世 話 し,儀 礼 の準 備 に も気 を 配 って い る の で あ るか ら,こ の こ とは 当然 で あ ろ う。 そ して,こ の よ うな意 識 の も とに 世 話 して い る 以上,次 にTの 家 か ら死 者 が 出 た 場 合,死 者 は この母 親 の 墓 に埋 葬 さ れ る可 能 性 が あ る。 そ うな れ ば,こ の墓 はTの 家 の 「家 の 墓 」 と認 識 され る こ とに
な る だ ろ う。
5.「 家 の墓 」 と生 活 共 同集 団 の 展 開過 程
あ る生 活 共 同集 団が 墓 を 保 有 す る よ うに な る過 程 は,そ の生 活 共 同集 団 を 構 成 す る 家 族 の成 熟 に とも な っ て,段 階 的 に進 行 す る。 この こ とは古 くか ら 「家 の墓 」 を 保 有 して い る農 民 の 「家 」 で も,新 た に形 成 され た生 活 共 同集 団 に お い て も 同様 で あ る。
た だ し,数 世 代 以 上 にわ た って 「家 の墓 」が つ ね に 保 有 され て い る農 民 の 厂家 」 で は, この過 程 は,す で に保 有 して い る 「家 の墓 」 を相 続 者 が 自己 の生 活 共 同集 団 に 帰 属 す る もの と意 識 す る よ うに な る過 程 と して進 行 す る の で あ って,そ の過 程 が 具 体 的 に 目 に 見 え る形 で展 開 す る こ とは ない 。 これ に対 して,形 成 され て間 もな い生 活 共 同集 団 が 「家 の墓 」 を確 保 して い く場 合 は,そ の過 程 を具 体 的 に あ とづ け る こ とが で き る。
労 働 者 の も とで 「家 の墓 」 が 形 成 され て い く過 程 に は,農 民 の も とで は 見 えY'く い
「家 の墓 」 の あ る側 面 が よ り明確 な形 で示 され て い る。 た とえば 「家 の墓 」 が 他 出 し て い る子 供 を結 び合 わ せ る媒 介 に な って い る こ と,ま た 「家 の墓 」 が 女 性 の サ ー ビス に よ って維 持 され て い る こ とを 前章 で見 て きた。 この こ とは 農 民 の 「家 の 墓 」 に お い て も労働 者 の 「家 の墓 」 にお いて も共 通 して い る が,労 働 者 の 「家 の墓 」 を 見 る こ と に よ って よ り明確 に把 握 す る こ とが で きた。 そ の一 方 で,村 の近 代 化 の中 か ら生 まれ て き た労 働 者 のつ く りだ す 「家 の墓 」 は,農 民 の 「家 の墓 」 とは 異 な る側 面 を もつ こ と も予 想 され る。
この章 では,農 民 が 「枝 の 墓 」 を切 り捨 て て 「家 の墓 」 に絞 りこん で い く過 程,労 働 者 が生 活共 同 集 団 の 展 開 過 程developmental processに と もな って 「家 の墓 」 を 確 保 して い く過 程 を 明 らか に してい こ う。 こ こで と りあ げ る のは,労 働 者 の 娘 と して 生
まれ,後 に農 民 とな った1と い う未 亡 人 を め ぐる家 族 史 で あ る。