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祭祀と地域性 : ビルマ・ラングーン研究から

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祭祀と地域性 : ビルマ・ラングーン研究から

著者 高谷 紀夫

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 13

号 2

ページ 221‑251

発行年 1988‑10‑17

URL http://doi.org/10.15021/00004322

(2)

祭 祀 と 地 域 性

ビ ル マ ・ ラ ン グ ー ン 研 究 か ら

高 谷 紀 夫*

Urban Character of Festivals in Burma

Michio TAKATANI

Hpayd-pwe is one style of festivals in Burma whose origins can be found in Buddhist modes of festival-making. Though most hpayd-pwe are pagoda festivals, in another type of hpayd-pwe the hpayd refers to the Buddha image. One example is the Yankin 28 Buddha images festival (Hnajei'shi'hsu-hpayd-pwe).

Yankin is a township in the suburbs of Rangoon. Develop- ment of this area began in the 1950s, and it is essentially a new dormitory town for the capital zone. Since the Yankin

28 Buddha images festival was held for the twenty-first time in 1986, its history is brief. The main event is a procession of 28 Buddha images on sacred palanquins.

Procession is one common and distinct form of event in rituals. There is no doubt that the important motivation of procession-making by Buddhists is donation (dana pyii) for merit-making. Merit-making is a basic mode of action that is associated with the identity of Buddhists. The processions for merit-making take the offerings brought by laymen to the space for the donation ceremony, where the offerings become sacred. Thus such a procession functions as a demonstration of donation. On the other hand, the procession of the Yankin festival is made to display Buddhas and collect contributions.

This festival has the following features not noted hitherto:

(1) The main purpose is to be free from calamity. Though the basic motivation is to donate for merit-making, the

festival can be explained entirely in secular terms;

(2) The Buddha images used in this festival were originally made from the Bo tree (Nyaun-pin). The Burmans seldom

*鹿 児島大学,国 立民族学博物館共同研究員

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国立民族学博物 館研究 報告   13巻2号

cut Bo trees, for Buddha is believed to have found enlight- enment under one, according to Buddhist literature;

(3) The center of the festival is not at any pagoda or monastery, but at one dammayoun (hall for Buddhist laymen);

(4) The procession is an entertainment for the participants

and the audience, and one without destination, since the starting point (dammayoun) is the same as the goal;

(5) The main action of the procession is street performances

and the collecting of donations;

(6) Most blocks of the Yankin township have a hand in the management of the festival, so it influences the social

ties there; and

(7) Apart from participation in the main procession, the way each block celebrates varies. Some blocks start the fes-

tival one week in advance of the procession, whereas

others start it only two days before. Thus the indep-

endence of each block is maintained.

This festival is organized in the traditional manner with respect to date, composition and costumes, but compared with other festivals in Burma it may be more receptive to change and the adoption of new components. Recently, some other townships of Rangoon have started the same type of festival.

Future changes in these festivals should be monitored.

プ ロロ ー グ 1.祭 祀 の 背 景

(1)ブ イー ル ド概 観 (2)パ ヤー ・ブ ェ ll.行 列 の ビル マ民 族誌

(1)行 列 の 意 味 (2)ビ ル マ の行 列

㈲ 儀 礼行 列 と行 列儀 礼 皿.ヤ ンキ ン28仏 祭 礼

(1)祭 礼 の素 描

・(2)第21回(1986年)28仏 祭 礼 (3)祭 礼 起 源 伝説

W.ヤ ンキ ン28仏祭 礼 の 設 計 図 (1)察 礼 の 目的

(2)祭 礼 の 実 行組 織 と仏 教 思考 体 系 (3)祭 礼 の 構成 行 列 の意 味 (4)祭 礼 の 社会 性

(5)ま とめ 祭 祀 の都 市 性

(6)祭 礼 の 増殖 とそ の将 来

エ ピロー グ

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プ ロ  ロ ー グ

  ラ ング ー ン。2年 程過 ご した この 町で 抱 き続 け て い た素 朴 な疑 問 は この 町 が 「都 市」

な の か ど うか とい うこ とだ った。 人 口集 中,舗 装 され た道 路 網,通 勤 タ イ ム の 交通 渋 滞,映 画 館 な ど の娯楽 施設,物 資 の集 中 と常 設 の大 マ ーケ ッ ト,官 庁 街,上 下 水道,

ゴ ミの 山 な ど観 察 され る 「都 市」 の諸 断片 に加 え,こ の町 が イ ギ リス の 植 民 地 化 によ って下 ビル マ の 中心 と して 発 展 して きた歴 史 を考 えれ ば,物 理 的 に 「都 市 」 で あ る こ とは否 定 で きな い事 実 で あ る。 そ れ で もで あ る。 この 町 に住 む人 た ちの 意 識 の中 に確 固 た る 「都 市」民 と して の ア イ デ ンテ ィテ ィが あ る の だ ろ うか。 「都 市」 に対 す るあ こ がれ は あ る。 だ が そ の あ こが れ は,物 資 の豊 か さ,便 利 さ を価 値 基 準 と した相 対 的 な もの にす ぎず,「都 市」 の イ メ ー ジ は非 「都 市 」圏 の人 た ち に と って は 現 実 の 世界 の延 長線 上 に存 在 して い る にす ぎな い と いえ るか も しれ な い。 ここで 改 めて こ と さ らに,

「 都 市」 と非 「都 市 」 の相 違 を 強調 す るつ も りは な い。 い う まで もな く 「都 市 」 は経 済 的 に 「都 市 」以 外 の 地域 と密接 に結 び つ い て い る。「都 市」民 は生 命 維 持 の た めの 物 資 を管 理蓄 積 す る こ とはで き て も生 産 す る こ とは な い。「都 市」は人 類 の発 明 で あ るが 自立 的 な存 在 とい うよ りも,生 活 上 の あ る特定 の機 能 を集 中 的 に発 達 させ て きた 生 活 空 間 な ので あ る。

  「都 市祭 祀」 とい う儀 礼 の く くり方 が あ る。 この く くり方 は,「都 市 」 の規 定 を 前 提 とす る。 だ が本 論 文 で は,最 後 の考 察 まで 意 図 的 に 「 都 市 」 とい う こ とば を避 け る こ とに した い。 なぜ な ら 「都 市/非 都 市 」 とい う図式 は あ ま りに単 純 す ぎ,ラ ング ー ン が 「都 市」 で あ るか ど うか の議 論 を飛 び越 え て,「都 市 」で 行 なわ れ て い る祭 りだ か ら

「都 市祭 祀 」 とい う非 生 産 的 な トー トロ ジ ー に陥 って しま う。

  祭 祀 は そ の基 盤 とな る地 域 との 結 びつ きを抜 きに して語 る こと はで きな い。 しか も そ の祭 祀 が地 域 の発 展 とい う歴 史 的脈 絡 で 明瞭 に と らえ られ る とす るな らば,そ の 結 び つ きは一 層 重 要 な もの とな る。 本論 文 は,ビ ル マ ・ラ ング ー ン市 の行 列 パ フ ォ ーマ ンス が 特徴 的 な あ る祭 祀 を 取 り上 げ,そ の祭 祀 が他 の ビル マ の諸 儀 礼 と異 な る点 を 明

らか に し,そ の 特徴 を地 域 の特 異 性 に結 び つ け て論 じ る こ とを 目 的 とす る。

  本 論 文 で は以 上の 問 題 意 識 と考 察 目的 にそ って次 の よ うに構 成 す る。 まず祭 祀 の 背

景 を フ ィー ル ドと祭 祀 分 類 の 面 か ら概 観 す る  (1章)。 次 に祭 祀 の 特 徴 で あ る行 列 に

つ い て広 く ビル マ の民 族誌 か ら考察 す る  (ll章)。 さ らに祭 祀 の 実 際 の 展 開 を起 源伝

説 を含 み な が らた ど る(1皿 章)。 最 後 に祭 祀 の設 計 図 を分 析 的 に描 きな が ら祭 祀 と地

域 性 の 関係 を考 察 す る こ とで,逆 に ビル マ の文 化 的脈 絡 に お け る 「都 市 」 にせ ま る こ

                                                       223

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国立民族学博物館研究報告  13巻2号 と に し た い(W章)。

1.祭 祀 の 背 景

(1)  ブ イ ー ル ド概 観

  ラ ン グ ー ン市 。 ビル マ 全 人 口 の 約14分 の1に あ た る250万 人 余 り が340平 方 キ ロ メ ー トル の 空 間 に ひ し め く ビル マ の 首 都 。2年 程 過 ご した こ の 町 で,多 く の 儀 礼 や 祭 祀 に 出 会 っ た 。 そ の ひ とつ が 本 論 文 で 扱 う ヤ ン キ ン ・タ ウ ン シ ッ プ の28仏 祭 礼1)で あ る 。 以 下 こ の 祭 祀 を ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 と呼 ぶ こ と に す る 。 こ の 祭 礼 は,1966年 に 始 ま り 1986年 で 第21回 を 数 え て い る 。

  ヤ ン キ ン ・タ ウ ン シ ッ プ は,現 在 行 政 的 に は ラ ン グ ー ン管 区 ラ ン グ ー ン 市 内27の タ ウ ン シ ッ プ の ひ とつ で あ る 。 ラ ン グ ー ン市 の 北 東 部 に 位 置 し,西 側 に は イ ン ゼ ー湖 と 背 中 合 わ せ に カ バ ー エ ー ・パ ゴ ダ ・ロ ー ドが,東 側 に は ラ ン グ ー ン環 状 線 の 鉄 道 が 走

っ て い る 。 鉄 道 を 越 え る と向 こ う 側 は,南 オ ッ カ ラ ッパ,テ ィ ン ガ ン ジ ュ ンの 各 タ ウ ン シ ッ プ,南 側 は サ ヤ サ ン ・ロ ー ドを 隔 て て タ ム エ,バ ハ ン の 各 タ ウ ン シ ップ が 隣 接 し て い る 。 北 側 の 境 界 は チ ー ト ー河 で,そ の 北 方 は マ ヤ ン ゴ ン ・タ ウ ン シ ッ プ で あ る 。   ラ ン グ ー ンの 歴 史 は そ れ 程 古 くな い 。 ビル マ 史 の 中 で 明 確 に 登 場 す る の は,下 ビル マ デ ル タ 地 帯 の 覇 権 抗 争 の さ な か で あ っ た 。 時 は18世 紀 の 半 ば。 イ ギ リス,フ ラ ン ス の ヨ ー ロ ッパ 勢 力 が しの ぎ を 削 り,シ リア ム に は モ ン族 が 根 拠 地 を お き,そ して ビル マ 族 は 自 分 達 の 国 を 再 建 しよ う と奮 闘 し て い た 時 代 で あ る。 『ラ ン グ ー ン史 』 の 著 者, B.R.  Peamに よ れ ば,ラ ン グ ー ン の 町 は,18世 紀 に 至 る ま で は ダ ゴ ン と い う 名 で 呼 ば れ,河 沿 い の 一 村 に す ぎ な か っ た と い わ れ て い る 。[PEARN  1939:37]ラ ン グ ー ン に は ビ ル マ 全 土 か ら信 仰 を 集 め る ビ ル マ 最 大 の 仏 塔 シ ュ エ ダ ゴ ン ・パ ゴ ダ が あ る。

そ の 縁 起 で は,釈 迦 の 存 命 中 に イ ン ドに 旅 し た2人 の 商 人 が 持 ち帰 っ た 釈 迦 の 聖 髪 を 納 あ て い る と 伝 え られ,ダ ゴ ン は シ ュ エ ダ ゴ ン ・パ ゴ ダ の 門 前 町 と して の 顔 も持 っ て い た 。 だ が ビ ル マ 全 体 の 信 仰 の シ ン ボ ル と し て 発 展 す る の は 歴 史 的 に は ラ ン グ ー ン 開 発 以 降 の こ と と考 え る の が 妥 当 で あ ろ う 。

1)ナ ジ エ ッシ ッス ・パ ヤー ・ブ エ(乃欄'ブ θf'∫ 痂'伽 一 妙 切 ラwの と 呼 ばれ る。 尚本 論 文 中 の ビル   マ語 の カ ナ表 記 は実 際 の発 音 に近 い もの と した 。 また ロー マ 字表 記 は,東 京 外 国語 大 学 ア ジ ァ   ア フ リカ言 語 文 化 研究 所で 作 成 され た表 記 一覧 に一 部 修 正 が 加 え られ,同 大学 ビル マ 語 研究 室   (代表 奥平 龍二 教 授)を 中心 と した ビル マ研 究 グル ー プ に よ って 出版 され たBurma  and JaPan   で 採 用 さ れた 表 記 方法 を用 いた 。[[THE BuRMA  REsEARcH  GRouP  l  987:18]尚,こ のBarma   and  JaPanに 所 収 さ れ た拙 論 で は,ヤ ンキ ン28仏 祭 礼 につ い て の序 論 的 な考 察を 試 み て い る。

  [TAKATANI  l987]

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図1  ラ ン グ ー ン

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国立民族学博物館研究報告   13巻2号

図2  ヤ ン キ ン'・タ ウ ン シ ップ

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  覇 権 抗 争 の 中 か らア ウ ン ゼ ヤ ー(ア ラ ウ ン パ ヤ 王)が 勝 利 を 納 め,1755年5月 ダ ゴ ン を 占 領 す る 。 こ の 町 を 王 は 「戦 争 が 終 わ っ た 」 の 意 味 で ヤ ン ゴ ン と改 め て 命 名 した 。 ラ ン グ ー ン は そ の 英 語 読 み で あ る 。 こ れ 以 降 シ リア ム は 衰 退 し,ラ ン グ ー ン は ビ ル マ の 王 に よ っ て 開 発 さ れ て い く。 し か し な が ら,当 時 の ラ ン グ ー ン の 状 況 を 上 述 の 『ラ ン グ ー ン史 』 か ら た ど る と,生 活 領 域 と み な せ る の は,バ ズ ンダ ウ ン と ス ー レ ー ・パ ゴ ダ 周 辺 の 塀 で 囲 ま れ た 地 域 に す ぎ な か っ た の で あ り,シ ュ エ ダ ゴ ン ・パ ゴ ダ 付 近, さ ら に西 部 の 現 在 の ア ロ ー ン地 区 は 未 開 発 の 状 態 で あ っ た 。 そ の 後 第 一 次 英 緬 戦 争 が 1824年 に 勃 発 す る 。 戦 後1841年 に,タ ラ ワ デ ィ王 に よ っ て ラ ン グ ー ン は 再 建 さ れ る。

しか し ラ ン グ ー ン の 開 発 が ビ ル マ 側 に よ っ て な さ れ る の は こ の 時 代 ま で で,第 二 次 英 緬 戦 争 で 下 ビ ル マ が イ ギ リス の 植 民 地 下 に入 る と 開 発 の 主 導 は イ ギ リ ス に 移 り,彼 ら の 手 で ラ ン グ ー ンの 開 発 は 進 む こ と に な る 。

  1853年 に イ ギ リ ス 人 フ レ ー ザ ー 中 尉 に よ り 現 在 の ラ ン グ ー ン の 原 型 が 計 画 さ れ る。

そ の プ ラ ンで は,ラ ン グ ー ン は バ ズ ン ダ ウ ン ・ク リー ク と ラ ン グ ー ン河,そ して フ ラ イ ン河 に 東 南 西 を 囲 ま れ た 地 域 で,北 の 境 界 は 現 在 の ボ ー ジ ョ ー ア ウ ンサ ン ・ス ト リ ー ト と い う 鉄 道 の す ぐ南 を 東 西 に走 る ル ー ト に あ た っ て い る 。 こ の 地 域 が 道 路 が 碁 盤 の 目 の よ う に 走 る オ ー ル ド ・ラ ン グ ー ン で あ る。 そ の 後 の ラ ン グ ー ン の 開 発 は,地 形 上 主 と し て 北 方 に 伸 び て い っ た 。 だ が1938年 当 時 の ラ ン グ ー ン市 の 北 の 境 界 は ま だ イ ン ヤ ー 湖 の 南 側 に す ぎ な か っ た の で あ る 。 従 っ て ラ ン グ ー ン首 都 圏 の 本 格 的 な 開 発 は, ビ ル マ 独 立 以 降 ま で 待 た な け れ ば な らな い 。 フ レ ーザ ー が 都 市 計 画 に あ た っ て 想 定 し た 人[コ は3万6000人 だ っ た と い わ れ る 。[AuNG  MoE  1983]だ が 人 口 は そ の 予 想 を は る か に 上 回 っ て 級 数 的 に 増 加 し,現 在 に至 っ て い る 。

  ヤ ン キ ン地 区 の 開 発 は ビ ル マ 独 立 以 降 で あ る 。 当 時 の 状 況 に つ い て 大 野 徹 氏 は 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「首 都 の 急 増 す る人 口 の 深 刻 化 の 一 途 を た ど る 住 宅 問 題 を 解 決 す る た め ラ ン グ ー ンの 近 郊 に 衛 星 都 市 を 建 設 して 市 内 の 過 剰 人 口 を 分 散 す る 計 画 は,ウ ー ・ヌ 内 閣 当 時 立 案 さ れ た 。 ラ ン グ ー ン の 北 東 地 区 ヤ ン キ ン に5000世 帯 を 収 容 し得 る 集 合 住 宅 が 建 設 さ れ た の は1950年 代 に入 っ て か らで 完 成 し た の は54年 で あ っ た。」[大 野   1982:96]首 都 圏 開 発 は,さ ら に 南 オ ッ カ ラ ッパ,北 オ ッ カ ラ ッパ,タ ケ タ と 1959‑60年 に 当 時 の ラ ン グ ー ン 市 長 ト ゥ ン ・セ イ ン大 佐 に よ っ て 続 行 さ れ た 。[AUNG MOE  1983]

  ヤ ン キ ン の 歴 史 に つ い て は,タ ウ ン シ ッ プ の 中央 を 東 西 に 走 る 道 路 の 名 前 に 残 る カ

ン ベ ー と昔 呼 ば れ て い た こ と が 知 られ て い る 。 カ ン ベ ー は モ ン語 の 舟 着 場 を 意 味 す る

言 葉 に 由 来 す る と 郷 土 史 家 ウ ー ・タ ウ ン ・ニ ャ ン は 説 明 す る 。 彼 に よ れ ば,1952年 に

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国立民族学博物館研究報告   13巻2号 シ ッ サ ー ソ コ ン と 呼 ば れ て い た 地 域 を 区 画 整 理 して ア パ ー ト形 式 の 集 合 住 宅 を 建 設 し て ヤ ン キ ン と 名 付 け た の が ヤ ン キ ン の 名 の 最 初 と い う。 そ の ヤ ン キ ン と昔 か ら の カ

ン ベ ー が 革 命 政 権 下 に 合 併 し て ヤ ン キ ン ・タ ウ ン シ ップ と な っ た の で あ る。[THAUN NyAN  l985:145‑146]

  ヤ ン キ ン の 面 積 は 約5平 方 キ ロ メ ー トル で,行 政 的 に は16の 区(2a'kwe',  ward)に 下 位 区 分 さ れ て い る。1973年 か ら の10年 間 に13,883人 増 加 して1983年 の セ ンサ ス で は タ ウ ン シ ッ プ 全 体 で82,705人 の 人 口 を 擁 して い る。 こ の 人 口 増 加 数 は,3〜5万 人 の 人 口 増 加 を 記 録 し た 南 北 オ ッ カ ラ ッパ,タ ケ タ,さ ら に マ ヤ ン ゴ ン,テ ィ ンガ ン ジ ュ ン,フ ラ イ ン,イ ン セ イ ン の 各 タ ウ ン シ ップ に は 劣 る も の の,ヤ ン キ ン が 人 口 増 加 が 進 行 中 の 地 域 で あ る こ と は い う ま で も な い だ ろ う。

  ヤ ン キ ン地 区 の 住 民 構 成 は 一 般 に公 務 員 が 多 い と ラ ン グ ー ンで は い わ れ て い る 。 統 計 に よ れ ば,成 年 全 労 働 者 数1万1000人 の う ち9400人 が サ ラ リー マ ン労 働 者,軍 関 係 者 が800人 で,農 業 従 事 者 は300人 に す ぎ な い。[TAuNG  NYAN  1985:147]私 企 業 が 限 られ て い る 政 治 体 制 で は,公 務 員 の 多 い 地 区 で あ る こ と は 数 字 が 証 明 して い る 。

(2)パ ヤ ー ・ ブ エ

  ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 は,ビ ル マ の 儀 礼 群 の 中 で は パ ヤ ー ・ブ エ(hPaya‑pzvE)の カ テ ゴ リ ー に 入 る も の で あ る 。 パ ヤ ー と い う言 葉 は,尊 敬 さ れ る 人 物,悟 りを 開 い た 仏 陀, 釈 迦,仏 陀 像,パ ゴ ダ,僧 侶 及 び 王 へ の 呼 び か け な ど の 複 数 の 意 味 と用 法 が あ る。 プ エ は ビ ル マ 語 に お い て 最 も頻 度 が 高 く,一 般 的 な 儀 礼 を 意 味 す る 用 語 で あ る2)。 と こ ろ で,ビ ル マ 語 で パ ヤ ー ・ブ エ と い え ば パ ゴ ダ 祭 り を さ す こ とが ほ と ん ど で あ る 。 ビ ル マ の 民 族 誌 に は,パ ゴ ダ の 祭 り が 地 域 の 年 中 行 事 と な っ て い る 記 述 は 多 数 み られ る。

[SHwAY  YoE  1910:169;NAsH  1965:11&123;SPIRo  l  970:230‑231;田 村 1980:104FlO6]パ ゴ ダ は 僧 院 と共 に ビ ル マ 人 仏 教 徒 が 参 集 す る 信 仰 の 場 と な っ て い る 。 パ ゴ ダ の 祭 り に は,前 庭 に芝 居 小 屋 や 屋 台 の 店 が 立 ち 並 び 近 在 か ら参 拝 者 を 集 め る 。 ヤ ン キ ン に も モ ー ガ ウ ン ・パ ゴ ダ が あ り,そ の 祭 日 は12月15日 で あ る。 と こ ろ が, ヤ ン キ ン に は28仏 祭 礼 と い う別 の パ ヤ ー ・ブ エ の 祭 りが あ る 。 こ の 祭 礼 は 特 定 の パ ゴ ダ と は 関 係 が な く,28体 の 過 去 仏 と1体 の 未 来 仏 の 仏 像 の お 練 り行 列 が 主 た るパ フ ォ 2)プ ェ の他 にア カ ンア ナ ー(δhkEnδna),ダ ビ ン(thabin)の 用 語 が あ る 。前 者 は主 に儀 礼 中 のセ

レモ ニ ーや 式 次 第 を表 わ す こ とが多 い。 これ は カ ンナ ー 働 伽耀)と い う 「華 美 な」 を意 昧 す る形 容 詞 の 名 詞 化 で あ る。 後者 は プ ェの 大 きな もの と して 説 明 され,大 学 の学 位 授 与式 や 舞 台 芸 能 の表 現 に他 の語 と組 み合 わ さ って 用 い られ る。 プエ儀 礼 の詳 細 や 全体 像 につ い て は[高 谷

1986]を 参 照 。 尚,プ エ は,言 語 環境 に よ ってパ ヤ ー ・ブエ の よ う に有 声 化す る。

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一 マ ン ス で あ る 。 従 っ て こ の パ ヤ ー ・ブ エ の パ ヤ ー は,パ ゴ ダ で は な く仏 陀 及 び 仏 陀 像 を さ して い る の で あ る 。 次 に こ の 祭 礼 の 大 き な 特 徴 で あ る お 練 り行 列 に つ い て 考 え て み た い 。

∬.行 列 の ビル マ民族 誌

(1)行 列 の 意 味

  ビル マ語 で は行 列 を 表現 す る用 語 は二 系 統 あ る。 ひ とつ は 痂 魎 あ る いは ∫ 面 伽 と 呼 ばれ る もの で,こ れ らは チ ケ ッ トを買 うた め の行 列 だ とか 偶 発 的 に形 成 さ れ る行 列

に対 して用 い られ る。 そ れ に対 して 儀 礼 的 な行 列 にはhle‑leと い う用語 が 当 て られ る。 後 者 は文 字 通 りで は巡 る とか 回 る とい う意 味 で あ る。 た とえ ば托 鉢 に回 る こ とは hswfin‑hl2と いわ れ る。 行 列 は後 述 す る よ う に人 生 儀 礼,年 中行 事 な ど ビル マ の プ ェ 儀 礼 群 に お いて欠 か せ な いパ フ ォ ーマ ンスで あ る。

  行 列 に 関す る通 文 化 的 研 究 は あ ま り に もそ の行 為 が 陳腐 で あ る こ とか ら皆 無 とい っ て よ い が,祭 祀 研 究 に若 干 の 分析 が見 られ る。

  行 列 の記 号 言 語 論 的分 析 の小 論 を発 表 して い るLouis  Marinは 行 列 の行 くル ー ト を3つ の タ イ プ に分類 す る。(1)One‑way  route(2)Round  trip(3)Closed  circuit の3タ イ プ で あ る。 第一 の一 方 通 行 タ イ プ は不 可 逆 性 を 有 し到達 点 に焦 点 が あ る。 第 二 の 円 還 タ イ プ は 振 子 の よ う に可 逆 性 を有 しタ ー ニ ン グ ・ポ イ ン トが 強調 され る。 第 三 の閉 じた 回路 タ イ プ は 空 間 を 取 り込 む こ とで 象 徴 的 に閉 じた境 界 を 持 つ 囲 まれ た 空 間 が保 護 され る と分析 され る。[MARIN  l987:220‑228]

  Marinの 分析 は記 号論 的 に如 何 に行 列 が空 間 を切 り取 るか が 念 頭 にあ る。 こ こで は別 の観 点 か ら行 列 につ いて 考 え て み る こ とに す る。

  行 列 は繰 り返 す まで もな く儀 礼 行 為 にお い て あ りふ れ たパ フ ォ ーマ ンス の 形 式 で あ る。 ビル マ の村 や 町 並 み を 歩 くと,多 くの行 列 に 出会 う。 た とえ ば毎 朝 の托鉢 の僧 侶 の行 列,入 仏 門 式(shinbyu)の に臨 む少 年 達 が精 霊 の祠 や僧 院 に向 か う行 列,野 辺 の送

りの葬 列 。 我 々 はふ たつ の視 点 か ら基 本 的 に行 列 を 考 え る こ とが で きる か も しれ な い。

  社会 的行 為 と して行 列 を見 る とす るな ら,行 列 形 成 に三者 関 係 つ ま りプ ロ デユ ーサ ーあ るい は ス ポ ンサ ー ,参 加 者,観 衆 が関 与 して い る こ とを 指摘 で きよ う。 この場 合, 行 列 は プ ロデ ュ ー サ ー の権 威,力,富 の デモ ンス トレ ー シ ョ ン と して み な す こ とがで

き る。 プ ロデ ュ ー サ ー は観 衆 が彼 の地 位 を 評 価 す る こ とを 期 待 す る。 ビル マ の王 朝 時

代 に描 か れ た パ ゴ ダ の壁 画 中の 王 宮 儀 礼 描 写 に行 列 の モ チ ー フを 見 出 す こ とがで きる。

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国立民族学 博物 館研究 報告  13巻2号 壁 画,そ してそ れ に描 か れ た行 列 は王 家 の プ ロ デ ュ ーサ ー と して の力 を 永 遠 の もの に

して い る。 最 近 の ビル マ 政 府 主催 のパ レ ー ドも これ と同列 に考 え る こ とが で き るだ ろ う。 仏 教 儀 礼 の 行 列 に お いて も寄進 は 開 か れ た行 為 とは い い な が ら,や は りス ポ ンサ ー に と っ て は晴 れ が ま しい披 露 の 場面 と して機 能 して い る 。

  行 列 パ フ ォ ーマ ンス の 内容 を 第二 の行 列 を考 え る視 点 と して提 示 で き よ う。 行 列 に お い て は順 番 と位 置 が 重要 な要 素 で あ る こ とは い うまで もな いが,参 列 者 は そ の衣 裳 と振 る ま い に よ って他 と区別 され る。 あ る い はそ れ を 要 求 され る とい った方 が いい か も しれ な い。 ビル マ の行 列 で は王,王 妃,王 子,王 女,大 臣,兵 士 とい った王 朝 時代 の 行 列 を ほ うふ つ させ るよ うな参 列 者 に 出会 う し,ナ ガ ー(ndga)や ガ ロ ン(gdlOtin) の よ うな 物語 の 中で語 られ る動 物 に扮 した参 列 者 も特 徴 的 で あ る。 この 場合,行 列 は 文 化 の メ タ フ ァ ー と して通 時 的 あ る い は共 時 的 に順 番 と位 置 を示 す見 世 物 と化 す ので あ る。

Marinの 分 析 は確 か に行 列 を 分類 す る ひ とつ の指 針 を与 え て い る。 だ が行 列 形 成 の 社会 的背 景 や行 列 構 成 の 内容 につ いて の 配慮 は な い。 ビル マで は どの よ うな行 列 が 観 察 され るの だ ろ う。 ビル マ の人 々は どの よ う に行 列 行 為 を考 え て い る の だ ろ う。 ま た どの よ うな動 機 付 け に よ っ て行 列 は 形 成 され て い る の だ ろ う。 次 節 で は ビル マ で 知 られ る行 列 パ フ ォ ーマ ンス を た ど りな が ら,儀 礼 行 為 に お け る行 列 の社 会 的文 化 的 背 景 につ い て考 察 を 進 め る こ と に した い。

(2)ビ ル マ の 行 列

  ビル マ の 正 月 は 太 陽暦 の4月 半 ば に あ た る。 旧年 か ら新 年 へ の 移 行 に際 して は,喧

騒 な 水祭 りが繰 り広 げ られ る。 水祭 りは ビル マ だ けで はな く中国 雲 南省 シ ーサ ンパ ン

ナ の榛 族 や タ イ の 平 地 タ イ族 に お い て も正 月 の 代 表 的 な祝 祭 パ フ ォ ーマ ンスで あ り,

構 造 的 に相 似 な起 源 説 話 を伝 え る。 互 い に水 を掛 け合 う この祭 りの ビル マ に お け る最

近 の 流行 と して は そ の掛 け方 が エ スカ レ ー トし,ラ ング ー ン,マ ンダ レーで は若 者 達

が 幌 の な い ジ ープ型 の車 を連 ね て市 内各 地 の 道路 沿 い に仮 設 され た マ ンダ ッ(manda')

と呼 ば れ る ス テ ー ジ を周 り水 の交 換 を 行 な う。 嘲笑,罵 声 が飛 び交 う水 入 りの舌 戦 が

展 開 す る。 だ が,モ ータ リゼ ー シ ョンが 進 む以 前 は市 内 を駆 け巡 る とい う慣 習 はな か

っ た はず で,訪 ね て来 た人,道 行 く人 が 水 の え じ き にな った こ とだ ろ う。 水 掛 けが 一

段 落 した段 階 で み られ る正 月 な らで は の行 列 は,川 や湖 に向 か うそれ で あ る。 行 列 は

生 魚 を携 え て川 や 湖 で 放 す の で あ る。 彼 らは生 き と し生 け る もの に慈 悲 を 施 す こ とで

功 徳3》にな る と説 明 す る。 ま た この時 期 は学 校 や 職 場 が 長 い年 末 年始 の 休 暇 にな る こ

(12)

と もあ って 出 家 す る志 願 者 の行 列 に も しば しば 出会 う。 この行 列 は ラ ング ー ンで は シ ュエ ダ ゴ ン ・パ ゴダ へ 向 か い,パ ゴダ を 守 る土 地 の守 護 神 に 出家 の加 護 を願 う。 志 願 者 は相 伴 者 に か つ が れパ ゴダ を周 回す る。 そ の後僧 院 に向 か い 出家 の儀 式 に臨 む ので あ る4)。太 陽 暦 の5月 中 に あた る ビル マ暦2月 カ ソ ンの 満月 の 日は シ ャカ祭 りで あ る。

釈 迦 の 生 誕,成 道,入 滅 を記 念 す る この祭 りは,ビ ル マ で はニ ャ ウ ン ・イ エ ー ・ トゥ ン ・ブ エ(Nyaun‑yei‑thwun‑pwe)と 呼 ばれ,大 きな ニ ャウ ンの 木5)に 水 を掛 け るの が 慣 例 とな って い る。 人 々 は行 列 を作 り,水 瓶 を抱 い てニ ャ ウ ンの木 に向 か う。 シ ュエ ダ ゴ ン ・パ ゴ ダ の境 内 に も多 くの ニ ャウ ンの木 が植 え て あ る が,シ ャカ祭 りで は東 南 角 にあ るニ ャ ウ ンの木 が 中心 とな って祭 場 が形 成 され る。 行 列 は主 パ ゴダ を 回 って祭 場 へ と向 か う。 この 行 列 の 先 頭 には,四 種 の 特別 な衣 裳 を ま と った人 々 の一 団 が配 置 され て い る。 ダ ジ ャー(thaca),デ ヴ ァ ・ナ ッ(deiwd‑na'),ナ ガ ー,ガ ロ ンの4種 で あ る。 こ のパ フ ォ ーマ ンス は 釈 迦 が 悟 りを 開 い た 時,動 物,超 自然 的存 在 を問 わ ず釈 迦 の成 道 を祝 賀 した と い うエ ピソ ー ドによ る もの とい わ れ て い る。 こ の4種 の一 団 は そ れ ぞれ ニ ャ ウ ンの木 の四 方 に整 列 し,水 掛 け の先 頭 を切 り,そ の後 一 般 参 列 者 が 続

く。 式 次 第 はパ ゴダ 管 理 委 員 会 の プ ロ グ ラ ム に従 って 行 な わ れ る6)。

  ビル マ暦7月 ダ デ ィ ンジ ュの 満 月 の 日以 降,ビ ル マ で は僧 院 やパ ゴ ダ に向 か う行 列 を よ く目 に す る こ とが で き る。 ほぼ 雨 季 に重 な る3ケ 月 に渡 る安居(wの の間,仏 教 徒 は そ れ ぞれ の や り方 で あ る人 は僧 院 に通 い,ま た あ る人 は戒 律 を遵 守 した り して信 仰 にい そ しみ,結 婚 式 な ど の華 美 な行 事 は慎 ん で き たの で あ る。僧 侶 もま た旅 行 や外 泊 を避 け,そ の身 柄 を 置 く僧 院 で 修 行 に精 進 して き たの で あ る。 そ の 安居 が 明 け る。

人 々は宗 教 的 な功 徳 蓄 積 行 事 に積 極 的 に企 画 あ る い は参 加 す る よ う にな る。 安 居 明 け の 前 の 夜 はパ ゴ ダ の境 内 に灯 明 が た かれ る。 天 上 で の 講 話 を 終 え た釈 迦 が 地 上 に帰 還 す るそ の道 筋 を 火で 照 らす の だ とい う。 シ ュエ ダ ゴ ン ・パ ゴ ダ の 境 内 には並 ん で灯 明 3)ビ ル マ語 で ク ドー(kbthou)と 呼 ば れ る功 徳 は 仏教 にお ける 重要 な観 念 の ひ とつ で あ る 。 そ の 獲 得 は仏 教 徒 の 信仰 生 活 にお け る 最 大 の 目的 とな って い る。 獲 得 さ れ た 功 徳 は死 去 の 際 に業   (カル マ,ビ ル マ語 で んα π)と して清 算 され て,来 世 の 転 生 を 決定 す る と信 じ られ て い る 。 い わ ば 仏教 徒 の ア イ デ ンテ ィテ ィに 関 わ る行 動 原理 と もい え る 。 具体 的な 獲 得方 法 は喜 捨,戒 律 遵 守,瞑 想 に三 分 さ れ る。

4)入 仏 門式 を 経 て 出 家 した男 た ち の大 半 は,短 期 間で 還 俗 す る。入 仏 門 式 の ライ フサ イ クル に お け る社会 的意 義 に つ いて は先 に 論 じた こ とが あ る。[高 谷   1982]

5)和 名 ベ ンカル ボダ イ ジ ュ,学 名 勲 π∫漉gゴo∫%ビ ル マ 語 で は ニ ャウ ン ・ビ ン,正 確 に は,ニ ャ ウ ン ・ボ ーデ ィ(脚 πη 一b6di)ある い は ボー デ ィ ・ニ ャ ウ ン と呼 ばれ る種 類 で あ る。 ビル マ に は45種 に の ぼ るニ ャ ウ ン ・ビ ンが あ る とい わ れて い る。[BuRMA  TMNsLATIoN  AssocIATIoN 1967:377]そ の 中で仏 教 と関 係 が 深 い の はニ ャ ゥ ン ・ボー デ ィで あ り,ニ ャ ウ ン ・ビ ンと い え ば この種 類 を さす こ とが ほ とん どで あ る。

6)私 が 観 察す る機 会 を 得 た の は1986年 の祭 りだ が,最 近 は この よ う にパ ゴダ管 理 委 員会 が リー

ドす る傾 向が あ る と聞 い た。

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国立民族学博物館研究報告  13巻2号 に火 を灯 す 人 々 の行列 が見 られ る。

  特 にダ デ ィ ンジ ュの 満月 の 日か らビル マ 暦8月 ダ ザ ウ ンモ ンの 満 月 の 日ま で の1ケ 月 間 は,ボ ウ ン ・カテ ィ ン(boun‑kahtein)の シ ーズ ンと呼 ば れ,人 々 は共 同で 僧 侶 の 黄 衣 を贈 呈 す る慣 習 が あ る。 この時 期 に贈 る と他 の 時 期 の 贈呈 よ り得 られ る功 徳 が大 き い と信 じ られ て い るので あ る。 僧 衣 だ けで はな く僧 院 や僧 侶 へ の寄 進 や供 物 を運 ぶ 行 列 が 各 地 で見 られ,新 聞 もそ の記 事 を写 真 入 りで 掲 載 す る。 行 列 は必 ず パ デ ー タ ・

ビ ン(padeithd‑pin)と 呼 ばれ る供 物 用 の 木 を 含 み,紙 幣 や供 物 が釣 り下 げ られ て い る。

行 列 の単 位 は 学 校 の もの もあ り,市 場 が主 催 す る もの もあ った 。 だ が そ の メ ンバ ー シ ップ は排 他 的 な もの で は な く開 かれ た もので あ る。 人 々は功 徳 の 独 占 は恥 ずべ き行 為 とみ な し,功 徳 の共 有 を 強調 す る。 ボ ウ ン ・カ テ イ ンの カ テ ィ ンは僧 衣 の意 だ が ボ ウ ンは 一般 とか共 通 の 意味 で あ り,こ の行 列 が そ の 組織 立 て に お い て開 かれ た も ので あ る こ とを示 して い る。 行 列 は楽 団 や 踊 り手 を 随伴 しな が ら僧 院 へ と向 か う。

  ボ ウ ン ・カ テ ィ ンの シー ズ ンの 最 後 を 飾 るの が ダ ザ ウ ンダ イ ン(tanhsauntain)の 祭 りで あ る。 そ のハ イ ライ トは 国 内主 要 な パ ゴ ダ で行 な わ れ る僧 衣 の織 物競 争 で あ る。

この競 争 は釈 迦 の母 堂 が 出家 す る息 子 の た め に1晩 で僧 衣 を編 ん だ エ ピソ ー ドに ちな む もの と説 明 され て い る。 朝 方 僧衣 が完 成 し,そ の行 列 がパ ゴダ の境 内 を周 回 しパ ゴ ダ 内 の釈 迦 像 に捧 げ られ る。

  ビル マ の男 性 に と って イ ニ シエ ー シ ョ ンに あ た る入 仏 門 式 の行 列 につ いて は す で に 言 及 した。 ビル マ 人 の ラィ フサ イ クル に お い て み られ る も うひ とつ の 行 列 は葬 列 で あ る。 ビル マ で は葬 式 は病 院 な ら病 院,自 宅 な ら自宅 と亡 くな っ た場 所 で 執 行 され,葬 列 は遺 骸 を乗 せ た車 を 先 頭 に火 葬 場 へ 向 か う。 かつ て は僧 侶 や富 裕 な もの だ け が 火葬

に付 され そ の 他 の 人 た ちは土 葬 が慣 例 だ った が,少 な くと も信 教 上 の違 い に よ る もの を 除 いて ラ ン グ ー ンで は 火 葬 に付 す こ とが一 般 的 に な りつ つ あ る。僧 侶 の葬 式 は ポ ン ジ ー ・ピヤ ン(hpounji‑pyan)と 呼 ばれ て 神 話 上 の 鳥 カ ラウ エ(karawei')に 乗 って 遺 骸 は 火 葬 場 へ 行列 で 向 か う。 この葬 列 に参 加 す る こ とは一般 の仏 教徒 に と って大 きな 功 徳 に な る もの と評 価 され て お り,有 名 な僧 侶 で あ る程,遺 骸 を 運 ぶ 輿 は 派手 にな り 功 徳 も よ り大 き くな る。

  プ エ 儀 礼 で は な いが,忘 れ て は な らな い行 列 が仏 教 の脈 絡 で毎 朝儀 礼 的 に行 な わ れ

て い る。托 鉢 の僧 侶 の行 列 で あ る。 僧 侶 は僧 衣 で 両 肩 を必 ず 隠 し,黙 々 と一 言 の礼 を

発 す る こ と もな く鉢 を肩 か ら下 げ て在 家 仏 教 徒 の家 を回 る。 も っ と も托 鉢 の行 列 は僧

侶 に と って修 行 の一 環 で あ り,行 列 で あ る必 然 性 はな い。 僧 院 によ って は食 物 が僧 院

に直 接 交 代 で 運 び 込 ま れ僧 侶 が院 外 に 出 る必 要 が な い よ うな手 筈 を して い る と ころ も

(14)

あ る。托 鉢 行列 が慣 例 に な っ て い る に して も 出家 と在 家 の間 には こ とば を交 わ す よ う な直 接 的 コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ンは な い。 む しろ間 接 的 で 精 神 的 な コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ンが 在 家 に と って の功 徳 獲 得 の場 と して機 能 して い る と い った方 が適 切 で あ ろ う。 従 って

この行 列 は逆 に僧 の世 界 と非 僧 の 世 界 の 対照 性 を 浮 き彫 り にす る ので あ る。

(3)儀 礼 行 列 と行 列 儀 礼

  我 々 は こ こで仏 教 の脈 絡 に お け る行 列 成 立 の 背 景 を 確 認 す る こ とがで きる。 す なわ ち行 列 は い ず れ も世 俗 の世 界 か ら仏 教 的世 界 観 に お け る至 上 の存 在 で あ る と ころ のパ ヤ ーの世 界 へ 捧 げ られ る プ ロ セ スで 成 立 して い るの で あ る。 そ の動 機 は功 徳 の蓄 積 の た め と説 明 され る。 行 列 は仏 教 的世 界 観 の聖 俗 ふ たつ の 世 界 を結 ぶ境 界 のパ フ ォ ーマ ンス な の で あ り,僧 院 あ る い はパ ゴダ の祭 場 に向 か うパ デ ータ ・ビ ン に代 表 され る供 物 の 運 搬 の パ フ ォ ーマ ンス な ので あ る。 そ のパ フ ォ ーマ ンス を 通 じて供 物 は聖 な る も の に変 換 し,捧 げ られ る食 物 も単 な る身 体 維 持 の た めで は な く,功 徳 の 変 数 とな る。

供 物 を 運 ぶ 行 列 は,最 も採 用 さ れ る頻 度 の高 い功 徳 蓄 積 の宗 教 的 行為 な の で あ る。 従 っ て功 徳 蓄 積 の た め の行 列 が ビル マ に お け る儀 礼 行 列 の典 型 とみ な す こ とが 可能 で あ ろ う。

  さ らに注 目す べ き こ とは,確 認 した典 型 的 な行 列 が儀 礼 全 体 の 一 部 で あ る と い う構 成 で あ る。 入 仏 門 式 にお け る志 願 者 を運 ぶ行 列 は,彼 らが 釈 迦 出家 の 故事 に倣 う と説 明 され て い る よ う に王 子 の 格 好 を し見 た 目に も華 や か な も ので あ る が,あ くまで 後 に 予 定 され て い る 出家 の 誓 いの セ レモ ニ ーの導 入 部 に す ぎ な い と い っ て い いだ ろ う。葬 列 は葬 式 の祭 場 と火 葬 場 を 結 ぶ ル ー ト上 に展 開 され る もので あ り,行 列 そ の も のが 葬 式全 体 の重 要 な要 素 で は あ って も主 た るモ チ ー フ とは いえ な いで あ ろ う。 供 物 を運 ぷ 行列,水 瓶,生 魚 を抱 く行 列,い ず れ も儀 礼 の祭 場 へ 向 か う際 のパ フ ォ ー マ ンスで あ

り,儀 礼 の一 部 で あ る こ と は他 と同 様 で あ る。

  とこ ろが ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 の構 成 で は,行 列 は一 部 で は な い。 そ れ ど ころ か祭 礼 に は お練 り行 列 以 外 の パ フ ォ ー マ ンス は含 まれ て い な い ので あ る。 従 って祭 礼 は 行 列儀 礼 とも呼 び うる特 徴 を そ な え て い る。 す な わ ち行 列 そ の もの が儀 礼 で あ り,祭 場 へ 向 か ういわ ば 目的 地 の あ る行 列 で は な く,目 的地 を もた な い 行列 なの で あ る。 儀 礼全 体 に お い て 目的 地 で は な くそ の 途 中 が祭 礼 の パ フ ォ ーマ ンス の場 とな るの で あ る。

Marinの 分 類 は 形 態 的 で記 号 論 的 な もので あ る が,こ の分 類 は 目的 地 の有 無 と祭 祀 空 間 の配 置 で 分 類 す る こ と に特 徴 が あ る。

  構 造 的 には,托 鉢 の僧 侶 の行 列 も行 列 儀 礼 と呼 び う るか も しれ な い。 なぜ な らこ の

(15)

国立民族学博物館研究報告  ユ3巻2号 行 列 に は 目的 地 は な く,行 列 の 中途 が托 鉢 と功 徳 蓄 積 の場 とな って い るか らで あ る。

しか しこの 行 列 は仏 教 の脈 絡 で は儀 礼 と考 え られ て お らず,プ エ とは 呼 ば れ な い。 ま た,そ の 成 立 は 必 然 性 の あ る もの で は な い。 従 っ て行 列 儀 礼 とは いえ な いで あ ろ う7》 。   以 上 確 認 した よ う に,ヤ ンキ ン28仏 祭 礼 は行 列 パ フ ォ ーマ ンス の 点で ビル マ の儀 礼 群 の 中で 特 異 的 な 形 態 を有 して い る ので あ る。

皿.ヤ ン キ ン28仏 祭 礼

(1)祭 礼 の 素 描

  ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 の 準 備 は ビル マ 暦7月 ダ デ ィ ン ジ ュ に入 る と始 ま る 。 ビル マ 全 土 で 仏 教 徒 有 志 が 来 る安 居 明 け に 向 け て 寄 付 集 め,祭 り の 段 取 り の 相 談 に 動 き 出 す 頃 で あ る。 ヤ ン キ ン の 各 地 区 で も そ れ ぞ れ 準 備 が 始 ま る 。

  ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 は,第10回(1975年)に 至 り ヤ ン キ ン ・タ ウ ン シ ッ プ 全 領 域 を 巻 き 込 む 祭 礼 に 発 展 した け れ ど も,同 タ ウ ン シ ップ の す べ て の 仏 教 徒 が 結 集 す る わ け で は な い 。 後 述 す る よ う に 複 数 の 企 画 を 包 括 し た 形 で ビ ル マ 暦8月 ダ ザ ウ ン モ ン月 満 月 の 日 に28仏 祭 礼 が ヤ ン キ ンで 開 催 さ れ る の で あ る 。

  と こ ろ で パ ヤ ー ・ブ エ と称 さ れ る祭 り の 形 態 及 び 名 称 に は さ ま ざ ま な も の が あ る 。 28仏 祭 礼 も そ の ひ と つ で あ る 。 そ の 内 容 を 決 定 す る の は,パ ヤ ー ・ル ー ジ ー(妙 妙4‑

1嬢)と 呼 ば れ る パ ゴ ダ 管 理 委 員 と も い うべ き仏 教 の 知 識 が 豊 富 な 知 恵 者 で あ る 。 あ る 程 度 大 き な パ ゴ ダ に な る と団 体 を 組 織 し祭 り の 形 態,期 日 な ど に つ い て 相 談 の 上 決 定 す る 。 有 名 な パ ゴ ダ で は 開 催 時 期 が 毎 年 決 ま っ て お り,地 域 の 年 中 行 事 化 して い る も の も あ る。 た と え ば シ ュ エ ダ ゴ ン ・パ ゴ ダ の パ ヤ ー ・ブ エ が ビル マ 暦12、月ダ バ ゥ ン 月 で あ る こ と は よ く知 られ て い る 。 ヤ ン キ ン の モ ー ガ ウ ン ・パ ゴ ダ は12月15日 が 祭 日 で あ る こ と は 先 述 し た 。 だ が,そ れ 以 外 に もパ ヤ ー ・ル ー ジ ー と ス ポ ンサ ー と な る仏 教 徒 有 志 次 第 で パ ゴ ダ を 舞 台 に,仏 教 儀 礼 が 行 な わ れ る の で あ る 。 私 が 滞 在 して い た 1983年3月 ラ ン グ ー ン市 内 で 有 名 な 四 つ の パ ゴ ダ の ひ と つ ス ー レ ー ・パ ゴ ダ で28仏 祭 7)行 列 儀 礼 と呼 び う る もの は他 に もあ る 。 ひ とつ は ビル マ最 大 の精 霊 儀 礼 タ ウ ン ビ ョ ン ・ナ ッ

・プ ェ(伽 吻wπ 一 ηαψwの で あ り,も う ひ とつ は シ ャ ン州 の イ ン レー 湖周 辺 で,ビ ルマ暦7月 ダデ ィ ンジ ュ月 に展 開 され る仏 像 の 仏 幸儀 礼 で あ る。後 者 はパ ウ ン ドー ウー ・パ ゴ ダ に安 置 さ れて い る伝 説 の五 体 の 仏 像 の うち四 体 が装 飾 され た 船 に乗 せ られ て湖 畔 の 村 々 を巡 るの で あ る。

だ が,い ず れ も精 霊 伝 説,仏 像 起 源 伝 説 の再 現 を 表 徴 す る行 列 儀 礼で あ る。 そ の点 ヤ ンキ ン28 仏祭 礼 で 巡 る仏像 は 由緒 あ る もので はな く,ま た 巡 る地 点 も伝 説 上 の 由緒 とは無 関 係 で あ る。

従 って カ ソ リッ ク世 界 の 巡礼 や 日本 の 四 国 の遍 路 と も異 な る。 どち らも巡 る空 間 よ り も立 ち寄

る場 所 に宗 教 的意 味が あ る か らで あ る。

(16)

礼 が 行 な わ れ て い た 。

  ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 の パ ヤ ー ・ブ エ は 先 に 確 認 し た よ う に パ ゴ ダ 祭 り で は な い 。 中 心 と な る の は パ ゴ ダ で は な く,マ ー ラ ミ ャ イ ン ・ダ ン マ ヨ ン(damma1oun)と 呼 ば れ る ダ ン マ ヨ ン(説 教 堂)で あ る 。 こ の ダ ン マ ヨ ン は ウ ー ・フ ラ ・ア ウ ン と い う人 物 が 寄 進 建 立 した も の で あ る 。 ダ ン マ ヨ ン 自 体 の 建 立 は28仏 祭 礼 開 始 以 前 に さ か の ぼ る 。 ウ ー

・フ ラ ・ア ウ ン は,ヤ ン キ ンで こ の28仏 祭 礼 を 開 催 し た 契 機 は,地 区 の 行 政 区 画 整 理 で ヤ ン キ ン15区 の パ ゴ ダ が あ っ た 線 路 の 向 こ う側 が15区 で な く な っ て し ま う こ と に よ る 信 仰 上 の 危 機 と 説 明 す る 。 他 に寺 院 も な く,だ か ら こ そ ダ ン マ ヨ ン が15区 の 仏 教 徒 の セ ンタ ー と な っ た の で あ ろ う 。15区 は ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 の 発 祥 の 地 区 で あ る 。 後 述 す る 祭 礼 起 源 伝 説 に よ れ ば,切 り倒 した ニ ャ ウ ン の 木 か ら刻 ん だ28仏 を チ ェ ー マ テ ィ

ウ ン寺 院 境 内 の お 堂 に 安 置 した こ と に な っ て お り,第13回(1978年)ま で は こ の 寺 院 か ら仏 像 を 拝 借 して お 練 り を し て い た と い わ れ て い る 。 と こ ろ が こ の 年 の祭 礼 が 終 了 す る と仏 像 が 紛 失 し て し ま い,新 し く寄 進 し て も ら っ た 仏 像 が 現 在 の も の で あ り,普 段 は ダ ン マ ヨ ン に 厳 重 保 管 の 上,安 置 し て あ る 。

  ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 の 期 日 は ビ ル マ 暦8月 ダ ザ ウ ン モ ン月15日 の 満 月 の 日 で あ る。 つ ま り ダ ザ ウ ン ダ ィ ン の 織 物 競 争 の 翌 日 に あ た る 。 第14回(1979年)ま で は14日 に 行 な っ て い た が,こ の 年 雨 季 が 長 引 い て 雨 に た た ら れ た の だ と い う 。 翌 年 よ り15日 へ と1 日 ず れ 現 在 に 至 っ て い る 。

  祭 礼 は ヤ ン キ ン ・タ ウ ン シ ッ プ を あ げ て 行 な わ れ る が 全 地 区 が 含 ま れ る わ け で は な い 。 全 部 で 行 政 区 画 と し て16の 区 が あ る 中 で5,7,8,9,10の 各 区 が1986年 時 点 で 参 加 して い な い 。 実 行 委 員 会 側 の 説 明 で は,遠 隔 の7地 区 を 除 い て 参 加 の 意 志 は あ る よ う だ が 空 ポ ス トが な い の で 入 れ な い の だ と い う。 ポ ス トの 数 は 過 去 仏 の 数 つ ま り 28で あ る。 未 来 仏 は,28番 目 つ ま り釈 迦 の 仏 像 を 担 当 す る グ ル ー プ が 併 せ て 担 当 す る こ と に な っ て い る 。 祭 礼 準 備 の 最 大 の 関 心 事 は ど の 地 区 の ど の グ ル ー プ が ど の 過 去 仏 を 担 当 す る か と い う こ とで あ る 。 次 頁 に 過 去 の 仏 像 担 当 の 編 年 を 表 に ま と め た(表1)。

  担 当 す る 仏 像 の 決 定 は く じで 行 な わ れ る の が 慣 例 に な っ て お り,そ の く じ 引 き は 祭

日 の 約2週 間 前 に 行 な わ れ る 。 そ の 年 の 担 当 の 過 去 仏 が 決 ま っ た 後,各 グ ル ー プ は そ

れ ぞ れ の や り方 で 具 体 的 な 準 備 を 始 め る 。 各 グ ル ー プ で は,あ ら か じ め そ の 年 の パ ヤ

ー ・ダ ガ ー(hpaya‑taka)と 呼 ば れ る 施 主 を 決 め る 。 ダ ガ ー の 特 典 は 担 当仏 像 の 装 飾

が で き る こ とで 最 も 名 誉 で あ り,大 き な 功 徳 に な る と い わ れ て い る 。 そ の 他 の 人 は 食

事 の 世 話 を し た り お 練 り の ユ ニ フ ォ ー ム を 寄 付 す る 側 に ま わ る。 グ ル ー プ に よ っ て は

地 区 内 に招 待 状 を 配 付 し,参 集 を 呼 び か け る。 招 待 状 に は ど の 日誰 が 食 事 の 寄 付 を す

235

(17)

国立民族学 博物 館研究報告  13巻2号 表1  ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 仏 像 担 当 編 年 表

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37

地 区 名

(1) 6u Ein (1) Middle (1) Northern (1) Agriculture (1) Ward (2) Rue Youndan (3) Ward (4) Ward (5) Ward (6) Ward (7) Ward (11) Ward (11) Ward (12) Ward 03) Ward (1.4) Aunzeiya St.

(14) BOuyaza St.

(14) Magin St.

(14) Cau'koun-2 (14) Cau'koun-2 (14) Zamburi' St.

05) Station St.

(15) Market St.

(15) Sayeidan St.

(15) Ywama (15) Aweiya St.

(15) Ta'myei (15) Thahkita St.

(15) Aniga St.

(15) Thuhkita St.

(i5) Bouyaza (15) Malamyain (16) Ta'myei (16) Pyitaya (16) Cailahsan (10 Hci'Hlain 06) Hci'Hlain

第16回(

1981年) 第17回(

1982年) 第18回( 1983年)

第19回(

1984年)

第20回

r1985年) %21111 ( 1986) (13)

(24) (19) (27)

(15) (28) (25)

(23)#

(11) (20) (8) (9) (26) (16) (2) (7) (12) (17) (21) (14) (4) (5) (1) (3) (18)

(6) (10) (22) (23)0

(16) (15) (28) (12) (14)

(7) (17) (10) (24) (5) (22) (25)

(1) (3) (11) (13) (26)

(4) (8) (27) (18) (19) (6) (9) (2)

(23) (20)

(21)

(19) (22) (23) (20) (13) (6) (8) (28) (15) (3) (2) (17) (24) (21) (16) (9) (4)

(25) (14) (11) (7) (5) (12) (27) (18) (1)

(6) (27)

(1) (14) (12)

(2) (7) (3) (22) (21) (5) (20) (16) (23)

(4) (ii)

(9) (13) (25)

(18) (8) (10) (26) (19) (15) (28) (17) (24)

(6) (27)

(25) (5) (15) (12) (17) (7) (14) (2) (18) (16) (24) (6) (19) (27) (28)

(9) (1) (23) (10) (11) (8) (21) (13) (22) (26)

(4) (3) (20)

(19) (18) (26) (17) (27) (22) (3) (20) (10) (21) (28) (16) (14) (9) (13)

(6) (7) (23) (12) (5) (11) (1) (24) (2) (4)

(8) (25) (15)

〔1〕 作 表 は ウー ・タ ウ ン ・ニ ャ ン作 成 の一 覧表 を チ ェ ック して さ らに第21回(1986年)分 を加 え   て 再編 成 した

〔2〕   括 弧 内の 数 字 は28仏 中 の順 番 を表 わす

〔3〕   (28)仏 は未 来 仏輿 も担 当す る

〔4〕 同 じ地 区 内で も複数 参 加 して い る場 合 もあ る

〔5〕 第16回 の#は デ ー タ上 の重 復

r6〕 第18回 の デ ー タ は(27)仏 が 重 復 して お り,逆 に(10)仏 が な く一 部 不 正確

(18)

るか を 明記 して あ る の が通 常 の 様 式 で あ る。 功 徳 蓄 積 は明 らか に デモ ンス トレ ー シ ョ ンの 意図 を相 伴 して い る。

  各 地 区 の多 様 な祭 礼 へ の取 り組 み方 の背 景 に は,ひ とつ に は富 裕 な ダ ガ ーの 存在 如 何 で あ り,も うひ とつ に は担 当 す る過去 仏 の順 番 が関 係 して い る と いわ れ て い る。 第 一 の過 去 仏 ,第 二の過去仏 という早 い順番 の過去仏 はお練 りで先 に進む こともあ って 人 気 が あ り,準 備 に お け る盛 り上 が り方 も違 う とい う。 功 徳 蓄 積 とい う点 で は どの仏 像 だ ろ う と差 異 は な く平 等 で あ る。 だ が,実 際 には く じ,人 気 度 の点 で 差 異 が 作 り出 され て い る こ とは注 目 に値 す る。 その 盛 り上 が り方 は仏 像 の招 請 の仕 方 に歴 然 と表 れ る。 準備 が早 く整 っ た と ころで は,1週 間 前 にダ ンマ ヨ ンよ り担 当 の仏 像 を 地 区 の仮 設 堂 で あ る マ ンダ ッへ 招 請 す る。 招請 を して そ の 地 区で 祭 りを始 め て しま うこ とが 可 能 な の で あ る。 こ う して一 体 ず つ 仏 像 が 減 って 行 く。 逆 に遅 い と ころで は祭 日の2日 前 にや っ と招 請 して い くの だ が,そ の よ うな マ ンダ ッは ダ ガ ーが な か な か決 ま らな か った事 情 が暗 示 さ れ,夜 間 マ ンダ ッを訪 ね て も守 りの仏 教徒 有 志 が番 を して い る だ け で寂 しい風 景 で あ る。

  各 グル ープ の 多様 な取 り組み 方 は お練 り日以 前 の祭 りの様 子 に も示 され て い る。 ヤ ン キ ン全 体 と して は ヤ ンキ ン28仏 祭 礼 で あ るが,地 区 に よ って は,灯 明祭 り(ミ ー ト ゥ ン ・ブ ェ,鋭 伽w伽 ラwの と して祝 っ て い る場 合 もあ り,地 区 内 だ け 前 の晩 に お練 り 行 列 を して しま う地 区 もあ る。 ま た プザ ニ ヤ ・プ ー ゾ ー ・ブ エ(μ 廟 吻 妙 ㍑0ラwの と呼 ばれ る仏 教儀 礼 の一 形 式 の幕 を下 げ て い る と こ ろ もあ る。 さ ら にヤ ンキ ン全 体 で は1986年 が 第21回 で あ るが,そ の地 区 が参 加 して か ら何 回 目の28仏 祭 礼 で あ る か を明 示 して い るマ ンダ ッ もあ るので あ る。 全 体 の お練 り行 列 の パ フ ォ ーマ ンス を ど うす る か も各 地 区 の ア イ デ ア に任 せ られ て い る。 この よ うに多 様 な 各 地 区 各 グル ープ の参 加 の仕 方 が あ って全 体 と して は ヤ ンキ ン28仏 祭 礼 が 構 成 され て い るの で あ る。 従 って地 域 の ス ケ ール を ど こに お くかで 祭 礼 の姿 が違 って み え る こ と にな る。

  祭 日の 前 々 日 と前 日,実 行 委員 会 の 名誉 役 員 が全 マ ンダ ッを 回 る。 各 マ ンダ ッの状 況,供 さ れ る食 事 の 内容 が後 で 話 題 と な る。 そ して い よい よ祭 日当 日を迎 え る ので あ る。

(2)第21回(1986年)28仏 祭 礼

  1986年 の 第21回 ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 の お 練 り行 列 は,11月16日 に ヤ ン キ ン ・タ ウ ン シ

ッ プ の 予 定 さ れ た ル ー トを た ど っ て 行 な わ れ た 。 当 日午 後2時 頃 よ り集 合 し始 め た 各

仏 輿 グ ル ー プ は 午 後3時 に 中 央 ダ ンマ ヨ ン を 出 発 し午 後12時 に帰 還 した 。 お 練 り行 列

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国立民族 学博物 館研究報 告  13巻2号 に参 加 した行 政 及 び協 力 機 関 の メ ンバ ー は,郡 人 民評 議 会 か ら4名,地 区人 民評 議 会 か ら15名,警 察 官15名,消 防官74名,赤 十 字 隊 員55名,軍 警 察15名,委 員145名,寄 付 集 め担 当者 リーダ ー以 下81名 で あ った。

  お練 り行 列 のル ー トは いま ま で いつ も同 じだ った わ けで はな い。祭 りの 発展 と参 加 地 区 の拡 大 につ れ て変 遷 して きた 経緯 が あ る。 当初 は14,15,16区 の み 回 った が,次 第 に広 く回 る よ うにな って い った とい わ れ て い る。 ヤ ンキ ン ・タ ウ ン シ ップ全 地 区 を 仏 像 を車 に載 せ て お 練 り した こ と もあ る とい う。 だ が こ こ10年 近 くは現 在 のル ー トが ほぼ 定 着 して い る。(図2参 照)ま た車 の活 用 につ いて は担 い だ方 が楽 しい とい う意 見 が 支 配 的 で 現 在 の 形 に戻 った とい う説 明 を聞 い た。、 ま た仏 像 を載 せ る輿 に も変 遷 が あ る。 現 在 は3代 目だ とい う。

  お練 りの 各 グル ープ 出 発 に先 立 って セ レモ ニ ー が行 な わ れ た。 パ ー リ語 総 礼 文 の独 唱 と解 説 が ス ピーカ ーを 通 して 流 れ る。 そ して郡 人 民 評議 会議 長 の テ ー プ カ ッ ト。 鐘 を 合 図 に い よ い よ出 発で あ る。 行 列 の順 番 と参 列 した概 数 を以 下 に紹 介 す る。 行 列 で は 管 理 運 営 委 員 会 が計 画 した お練 り行 列 全 体 の 先 導 グル ープ が先 頭 を歩 き,そ の 後 を 28の 仏 輿 グル ー プ が練 り歩 く。

  [先 導 グ ル ー プ]

先 導 の バ イ ク〜 広 報 の ジ ー プ 〜 十 坊 の 僧 侶 の 乗 っ た ト ラ ッ ク 〜 仏 祭 管 理 委 員 会 委 員 〜 少 年 踊 り手9人 〜 吉 祥 太 鼓 〜 仏 教 の 神 々(ブ ラ ー マ ン,ダ ジ ャ ー ミ ン,四 神 な ど)7 人 〜 精 霊8人(パ ガ ン ミ ン/タ ラ イ ン ミ ン/ポ ーパ 女 王 と そ の2人 の 息 子/ナ ガ ー女 王/水 の 女 神/サ ラ ス ワ テ ィ)〜 王 族(王,皇 后,王 子,王 女)9人 〜 バ ラ モ ン2人

〜 王 杖2人 〜 大 臣2人 〜 将 校 ・軍 団 長4人   [仏 輿 グ ル ー プ]

No.1(動 員 約150人/以 下 同 様)〜No.2(70人)〜No・3(70人)〜No・4(60人)

〜No.5(80人)〜No.6(60人)〜No.7(40人)〜No.8(300人)〜No・9(70人)

〜No.10(100人)〜No.11(60人)〜No.12(80人)〜No.13(40人)〜No.14 (80人)〜No.15(150人)〜No.16(100人)〜No・17(90人)〜No・18(300人)

〜No.19(130人)〜No。20(100人)〜No.21(140人)〜No.22(130人)〜No・

23(150人)〜No.24(120人)〜No.25(50人)〜No・26(100人)〜No・27(120 人)〜No.28(300人)

  参 列 す る人 々の 数 は,仏 輿 グル ー プ の代 表 者 あ る いは 参 列 者 に尋 ね た あ くま で概 数

で あ り,全 員 が 最初 か ら最 後 まで 行 列 して い るわ けで はな い 。 そ れ で もの べ3千 人 余

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り にな る。 しか も沿 道 の観 衆 は 別 で あ る。 ヤ ンキ ン全 体 の人 口約8万 人 を 考 え れ ば 決 して少 な い数 で は な い。 お練 りの途 中で は,ケ ーキ な どの食 べ物,飲 み 物 がふ る まわ れ る。 そ の準 備 は各 地 区 の 実 行 母 体 が 行 な って い る。 仏 像 は行 列 後 ダ ンマ ヨ ンに戻 り 次 の年 まで 安 置 され る。 各 地 区 の グル ープ が仮 設 した マ ンダ ッは葬 式 の場 合 と違 って 即 座 の解 体 を求 め られ て い な い。 各 地 区 そ れ ぞ れ の や り方 で 後 始 末 が行 なわ れ て い く の で あ る。 この年,お 練 り行 列 で 集 め られ た 寄 付 金 は45,640チ ャ ッ(ca')8)に達 した 。

(3)祭 礼 起 源 伝 説

  以 下 は祭 礼 起 源 と して伝 え られ る説 話 で,祭 礼 の毎 年 のパ ンフ レ ッ トに必 ず 載 せ ら れ て い る もので あ る。 手 元 にあ るの は1977年 の祭 礼 実 行 委員 会 編 集 の もので あ る。 イ

ンタ ビ ューで 採 取 した説 話 も人 名 や 地 名 は不 明 で も基 本 的 な構 成 は 同様 で あ っ た。

  バ ゥ ッ トー 駅 の前 に約13エ ー カ ーの 土地 が あ った 。 そ の土 地 は 学 校 の先 生 で あ る ドー ・キ ン ・ソー ・ラが両 親 か らの 遺産 と して 所有 して いた 。 そ の土 地 の 真 ん 中 に は,祖 先 の代 よ り 生 え て い る幹 の周 囲が 約20フ ィ ー トもあ る大 きな ニ ャ ウ ンの 木 が あ り,樹 精 が宿 って い る と の評 判 で あ った 。彼 女 の 家族 は,第 二 次世 界 大 戦 の間 中ず っと危 険 を免 れ た。 も う災 難 に遭 うと い う時 で も,そ の ニ ャ ウ ンか ら不 思議 な こと に前 も って お 告 げ が あ った。 この よ う に災 難 に全 く遭 わず 生 きな が らえ る こ とが で きた の は,ニ ャ ウ ンの 樹 精 の お か げ と心 得 て毎 月 の 白分,黒 分,満 月,新 月 の 日に は,灯 明 を と も して 拝ん だ。

  1957年 頃,こ の土 地 を 区 画 に して 売 却 しよ うと した と ころ,大 きな ニ ャウ ンの木 が生 え て い る区 画 だ け が誰 も買 手 が つ か なか った 。 そ れで 彼 女 は,長 く布 薩 日を 守 って か ら灯 明を た いて,樹 精 に 切 り倒 す こ との許 しを 乞 うた 。3日 後,彼 女 が眠 り にお ち よ う と した 矢先,純 白の着 物 を 着 た人 物 が ニ ャ ウ ンの木 を 人 差 し指 で 指 差 して,仏 像 を 刻 ん で崇 拝 しな さ い と告 げて 消 え て しま った。 この 不思 議 な こ とに つ いて 彼 女 は,チ ェーマ テ ィ ウ ン寺 院 の ウー ・テ ー ・ザ 院 長 とサ ヤ ・ミャ イ ンに お伺 いを 立 て た 。 その 後,1962年 に この ニ ャ ウ ンの 木 を切 り 倒 して,28体 の仏 像 を 刻 ま せ て そ の寺 院 の 境 内 に お堂 を建 て て 崇 拝 した 。

  1966年,バ ウ ッ トー地 区 か ら,ウ ー ・コ ・コー ・ジー,ド ー ・キ ン ・ソー ・ラ,カ ンベ ー 地 区 か らウー ・ソー ・マ ウ ン,サ ヤ ・ミャイ ン,サ ヤ ・ネ ー ・リ ン,ド ー ・チ ィ ・テ ィ等 が ス ポ ンサ ー とな って 第1回28仏 行 列 祭 が 開催 され た。 この よ う に して 毎年28体 の 仏像 が練 り 歩 くよ うに な り,第3回 か ら元 大 佐 ウー ・グ ン ・シ ェイ ン,弁 護 士 ウー ・エ ー こ と ウー ・ピ ェ ・テ イ ン,ウ ー ・フ ラ ・ア ウ ンを 始 め とす る地 元 の人 々 が音 頭 を と り,地 区 の 若者 の助 け を 得て,挙 行 して き た。1975年,第10回 の お練 り行 列 祭 か らヤ ンキ ン地 区全 部 を 上 げて のパ ヤー ・ブ ェ と して決 め られ た 。28仏 がお 練 りをす る地 区 は災 難 か ら免 れ る こ とは よ く知 られ て い る 。

8)チ ャ ッは ビル マ の 通貨 単 位 で あ る 。1986年 の 調査 当時 の公 定 レー トで は1チ ャッは 約23円 で あ った 。 この レー トで は約4万5千 チ ャ ッとい う総 額 は さほ ど で もな い よ うに思 え る が,ビ ル マで 大 学卒 業 者 の 初 任給 が月 額250か ら300チ ャ ッと いわ れ て い る こ とを 考 え る と寄 付 金 の高 額 さが 理 解 で き る。

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国立民族学 博物 館研究報 告  13巻2号

IV.ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 の設 計 図

これ か らこの 祭 礼 の構 造 を い くつ か の側 面 か らな ぞ っ てみ る こ と に した い。

(1)祭 礼 の 目 的

入 手 で き る限 りの祭 礼 実 行 委員 会 編 集 の28仏 察 礼 の プ ロ グ ラ ム には共 通 して祭 礼 の 目標 と して次 の3点 が挙 げ られ て い る。

(a)タ ウ ンシ ップ 内 に居 住 す る 男女 が三 災 か ら免 れ,健 康 か つ裕 福 で三 宝 を奉 って     信 仰 に専念 す る こ とが で きる よ うに。

(b)仏 の 崇 高 な る教 え を 引 き続 き大 切 に守 る こ と がで き る よ う に。

(c)28仏 祭 礼 が滞 りな く,つ つ が な く執 り行 なわ れ る よ う に。

  三 災 とは 疾 病,飢 餓,強 盗 の3種 の災 難 を さす 。 三 宝 は仏 法 僧 で あ る。28仏 祭 礼 の 目標 と して 一 般 的 には ア ンダ イ エ ー ・キ ン(antaye‑ktn),つ ま り災 難 か ら免 れ る た め と 説 明 され る。 す な わ ち無 病 息 災,病 根 退 散 の祭 礼 な ので あ り,退 散 の た め に仏 像 が お 練 りを す るの で あ る。

  こ こで ヤ ンキ ン にお け る行 列 の意 味 が その 目的 地 の な い行 列 の形 態 及 びパ フ ォ ーマ ンス か ら明 らか にな る。 仏 像 の お練 りが お祓 いの 意 味 を担 って い る こ とは い うまで も な いだ ろ う。 従 って 地元 の人 々 の説 明 は,超 自然 的存 在 に自分 た ち を守 って くれ る こ とを 願 う とい う よ り も,降 り掛 か り うる災 難 か ら逃 れ る こ と に重 心 が あ る よ うに思 わ れ る こ とは 確 認 して お い て よ い だ ろ う。 言 語 表 現 に お いて も,他 の超 自 然 的存 在 に対 す る よ う に,サ ウ ン(∫認の 一 守 る    を願 う とい う よ り も,災 害 か らキ ン(伽) 一 逃 れ る    こ とが 強調 され て い る。逃れ るは災害か ら守 られ るにも通 じるが,少 な くと もヤ ンキ ン28仏 祭 礼 で は降 り掛 か る災 害 に対 す る意 識 が全 面 に 出 て い る ので あ る。 そ こで 問 題 とな るの は祭 礼起 源伝 説 で あ る。

  我 々 は伝 説 の年 代 を考慮 しな けれ ばな らな い。 奇 跡 が起 こっ た の は第 二 次 世 界 大 戦 以 前 か も しれ な い。 だ が,奇 跡 の木 ニ ャ ウ ンの木 を 切 り倒 そ う とす る契 機 は1957年 の 区画 開発 の過 程 で あ る。 この 時 期 が ち ょ う どヤ ン キ ンの開 発 期 に重 な る こ とは い うま で もな い。 そ して それ 以 前 は河 川 に沿 った舟 着 場 が あ る程 度 の小 村 落 が あ るの み で, 大 半 は未 開発 の土 地 景 観 が 広 が って いた こ とは想 像 にか た くな い。 ビル マ で は大 きな

ニ ャ ウ ンの木 は切 っ て は い けな い と い う考 え方 が あ る。 と ころ が ヤ ンキ ンで は切 った

ので あ る。

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  しか しな が ら,祭 礼 の 目的 には 切 った ニ ャ ウ ンの樹 精 に対 す る配慮 は 明 示 的 に伺 わ れ な い。 ニ ャ ウ ンの 木 が 生 え て いた 場 所 は 家屋 が建 って しま っ て お り,特 別 な 場 所 と してマ ー ク され て いな い。 現 在 の 人 々の記 憶 にお い て ニ ャ ウ ンの木 を切 った と い う行 為 につ い て強 く意 識 され て い る とは 思 え な い の で あ る。 つ ま り,樹 精 のエ ピソ ー ドは エ ピソ ー ドに留 ま って お り,そ れ 以 上 の影 響 は及 ぼ して いな いの で あ る。従 って 特定 の樹 精 に対 す る懐 柔 は祭 礼 の 契 機 で は あ った か も しれ な い が,現 在 の ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 で は,降 り掛 か る災 難 か ら逃 れ る とい う目 的 に拡 大 して い る。

  ニ ャ ウ ンの樹 精 は仏 像 に変 身 して そ の奇 跡 の力 を保 持 して い る と伝 説 は語 る。 そ の 奇 跡 の力 が ヤ ン キ ン に満 ち る こ とが祭 礼 で は期 待 さ れ て い る。 そ こで 展 開 され る祭 礼 の コス モ ロ ジ ーの 構 造 は,超 自 然 的存 在 と人 間 と の関 係 と い う よ りる,超 自然 的 存在 と降 り掛 か る災 難 の 関 係 とい う図式 に変 容 し,人 間 の位 置 は一 歩 離 れ て い る。 祭 礼 は,

ドー ・キ ン ・ソー ・ラ個 人 の信 仰 に 由来 す る段 階 か ら出発 して,ヤ ンキ ンの 空間 全 体 が 関 与 す る祭 礼 へ と発展 して きた。 本 来 人 間 に悪 影 響 を 及 ぼ す と信 じ られ て い る切 ら れ た ニ ャ ウ ンの木 に 由来 す る仏 像 が,ヤ ン キ ンの 住 民 に降 り掛 か る災 難 の矢 面 に立 っ

表2  ヤ ン キ ン28仏 祭 礼 実 行 組 織 図(1986年)

郡行政組織

人 民 警 察 赤 十 字 消 防 団 区行政組織

中央説教堂 管理運営全体 委員会

(1)名 誉役 員 会 (2)管 理 運 営 委 員会

祭礼実行委員会及び下部小 委員会 (1)お 練 り行 列 実行 委 員 会 (2)寄 進 金 管理 委員 会 (3)説 教 堂 準備 委 員 会 及 び

来 賓接 待 小 委 員 会 (4)奉 納 品 受 領 管理 委員 会

(5)

仏輿 管 理 委 員会 (6)広 報 連 絡小 委 員 会 (7)保 安 小 委員 会 (8)法 話委 員 会

ヤ ンキ ン内各 地 区

各地 区内諸仏教会

28仏祭参加仏教会

仏輿管理総代

参照

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