三者由国保について
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尉二1年度〜平成
13年度科学研究費挿助金(基盤研究
(C)痩))串畔輝告幸
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平成
14年
3丹
て■ 研究代表者安野真幸 (弘前大学教育学部教痩)
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は じめ に
この課 題 は 、私 に とって は大 学 の卒 業 以 来 の もで あ るが 、長 い こ と思 想 史 の研 究 か ら離 れ てお り、歴 史 学者 の多 くが そ うで あ る よ うに、物 に即 して 考 え る癖 が つ い て しま って い た の で 、 問題 に突 き進 も う とす る と、 関連 す る分 野 に 目が行 き、 か えって 問題 か ら遠 ざか って しま うこ とを繰 り返 して しま った。 それ 故 この研 究 に は幾 つ か副 産 物 が あ るの だ が 、 今 こ こで は述 べ な い。
しか し平成
12年 度 に、 天
正 19年 イ ン ド副 王宛 て秀 吉 書 簡 の 中に、 日本 の伝 統 思想 か らキ リス ト教 ‑ の展 開が逆 立す る形 で表 れ て い る こ とを明 らか にす る こ とが 出来 て 、 よ う や く鉱脈 を掘 り当て る こ とが 出来 た と思 う。 平成
1 3年 度 は この鉱 脈 を深 く広 く掘 り下 げ る こ とに費や され た。既 に 日本 の伝 統 思想 とキ リス ト教 とに共通 す る もの と して の 「 天 道 」 の存在 は 、先 学 の海 老 沢 有 道 氏等 に よって 明 らか に され て い た が 、 この研 究 で は 天 台本 覚 思 想 との 関 わ りで捉 え る こ とが 出来 る こ とを明 らか に した。
この研 究 を通 じて 、 か つ て 丸 山真 男 氏 が 「日本 の思想 」 に於 い て (日本 に は基 軸 とな る 思想 は な い) と した の に対 して (「天 台 本 覚 思 想 」 こそ が そ れ で あ る) と して新 しい 日本 思想 史構 築 の気 運 に触 れ る こ とが 出来 て 、大 変 楽 しく愉 快 な気 持 ち にな って い る。
この報 告 書 は① 平 成
13年
10月鶴 岡 で行 われ た 比 較 文 明学 会 第 19回大 会 で の 口頭 発表 の原稿 を書 き改 めた物 。② ク ロス ロー ドに投稿 した拙 稿 。③ 研 究 の 前提 とな った拙 稿 ( 未 発 表 ) の 三者 か らな って い る
。最 後 に比 較 文 明学 会 で の発 表 に際 して暖 か い心 配 りを して い た だ い た先 生方 、 ご助 言 頂 い た先 生方 に感 謝 の言葉 を 申 し述 べ た い0
研 究組 織
研 究 代 表者 :安 野 異幸 (弘 前 大 学 教 育 学部 教 授 ) 研 究 分 担者 :ナ シ
交 付 決 定額 ( 配 分 額 ) ( 金 額 単位 :千 円)
直接 経 費 間接 経 費
合計
平 成
1 1年 度
1. 4 0 0 0 1. 4 0 0平成
12年 度
60 0 0 60 0平成
13年 度
4 0 0 0 4 00総 計
2. 4 00 0 2. 4 0 0研 究発 表
(1
) 学 会 誌 等
安 野 真幸 「天正
19年 イ ン ド
副王 宛 秀 吉 書 簡 の分析 」
弘 前 大 学教 育 学部 研 究紀 要 ク ロス ロー ド 第
3号 (通 巻 第
4 3号 ) 平成
13年
3月(2) 口頭 発 表
安 野 異幸 「 近 世 初頭 に於 け る仏 教 ・儒 教 ・キ リス ト教 三者 の 関係 につ い て」
比 較 文 明学 会 第
19回 (鶴 岡) 大 会 平 成
13年
10月7日
(3) 出版 物ナ シ
研 究成 果 に よ る工業所 有 権 の 出願 ・取得 状況 ナ シ
近 世初頭 に於 け る仏 教 ・儒 教 ・キ リス ト教 三者 の関係 につ い て
第
1章 問題 の所 在 日本 人 は理 性 的 な 国 民 だ
ザ ビエ ル は来 日以 前 、 マ ラ ッカ で 「日本 人 は理 性 的 な 国 民 だ 」 との情 報 を持 っ て い たO この情 報 が彼 に 日本 渡 航 を決 意 させ る決 定 的 な 要 因 で あ った 。 『聖 フ ラ ン シ ス コ ・ザ ビエ ル 全 書 簡 』
1の第
85書 簡 「ヨー ロ ッパ の イ エ ズ ス 会 員 あて
1549年
6月
22日 マ ラ ッカ
よ り 」 の
7節 ( 今 後 これ を第
85‑7節 と表 記 す るO) に は 次 の よ うに あ る
Oポル トガル 人 が 日本 につ い て 私 に よ こ した 手 紙 に よ る と、 日本 人 は 非 常 に賢 く、 思 慮 分別 が あ っ て 、道 理 に従 い 、知 識 欲 が 旺盛 で あ るの で 、 私 た ち の信 仰 を広 め る た め に は た い ‑ ん よい 状 態 で あ る との こ とです 。 主 な る神 が 相 当数 の 日本 人 、 さ らに ま た 、全 日 本 人 に大 き な成 果 を もた ら して くだ さ る もの と私 は確 信 して い ます 。
ザ ビエ ル は鹿 児 島 に 上 陸 して 現 実 に多 くの 日本 人 と対 面 した 後 で も、 「日本 人 が理 性 的 な 国 民 だ 」 と云 う同様 な認 識 を持 ち続 け た。 そ の こ とは 「ゴ ア の イ エ ズ ス 会 員 あて 、
1549年 11月 5 日 鹿 児 島 よ り」 の 書 簡 、 つ ま り第 90
1 14,
15節 で 、 次 の よ うに述 べ て い るこ とか ら明 か で あ る
。彼 らは た い ‑ ん 善 良 な 人 び とで 、社 交性 が あ り、 ま た知 識 欲 が き わ め て 旺 盛 です 。 彼 らは た い ‑ ん 喜 ん で 神 の こ とを 聞 き ます
。と くにそ れ を理 解 した 時 に は た い ‑ ん な喜 び よ うです 。 彼 らは道 理 に か な っ た こ とを 聞 くの を喜 び ます
。彼 らの うちで 行 わ れ て い る 悪 習 や 罪 につ い て 、 理 由 を挙 げ て それ が悪 で あ る こ とを示 します と、 道 理 にか な った こ
とをす べ き で あ る と考 え ます 。
ザ ビエ ル の 離 日後 、 日本 イ エ ズ ス会 の布 教 長 と して 苦 労 を重 ね て 日本 布 教 を進 め た トル レス もま た 、 日本 人 につ い て は ザ ビェ ル と同様 な認 識 を持 っ て い た。
「1551年
9月
29日 付 、バ ー ドレ ・コス モ ・デ . トル レス が 山 口 よ りイ ン ドの耶 蘇 会 の イ ル マ ン等 に贈 り し書 簡
」『イ エ ズ ス会 士 日本 通 信 上』
221、
22頁 に は、 「日本 人 は イ ス パ ニ ア 人 以 上 に理 性 的 な 国 民 だ 」 と して 次 の よ うに あ る
。日本 人 は世 界 中 の何 国 人 よ りもわ が 聖 教 の植 付 け に適 した る もの な り。 彼 等 は甚 だ思 塵選 ̲ 1、 イ ス パ ニ ア 人 と同 じ く、或 は それ 以 上 に道 理 を もって 己 を律 す 。 彼 等 は予 が知 れ る諸 国 の人 よ りも多 く知 識 を 求 め、 い か に して霊 魂 を救 ひ 、 ま た彼 等 を作 りた る者 に 仕 ふ べ きか につ き語 る こ とを喜 ぶ こ と、新 発 見 の 各 地 に彼 等 に及 ぶ 者 な し
。1
河 野 純 徳 訳 平凡社 刊 昭和 60年
2
村 上直 次 郎 訳 雄 松 堂 書 店 刊 昭 和
43年
一一 1‑‑
第
2章 和辻 哲郎 の解 釈 とそ の批判
ザ ビエ ルや トル レス が 「日本 人 は理性 的 な 国民 だ 」 と理解 して いた こ とが 、実 際 には何 を意 味 していた か が次 の 問題 で あ る。 こ こで は倫理 学者 の和辻哲 郎 氏 が著 書 『鎖 国 一 日本 の悲劇
‑』1で行 った解 釈 を取 り上 げて 、 考 察 を進 めた い。 この 『鎖 国
』と云 う本 は敗 戦 直後 の 日本 でベ ス トセ ラー とな った もの で あ る。
和辻 氏 はザ ビエル の この言葉 か ら 「当時 の 日本 人 には近 代 的 、合理 的 な精神 が あ った」
との解 釈 を下 した の で あ る
。氏 が この様 な判 断 をす る際 に、決 定 的 と思 われ る資 料 が 、次 の第
961 21節 で あ る
O〔日本 人 た ちは〕 好奇 心 が強 く、 うる さ く質 問 し、知 識欲 が 旺盛 で 、質 問は 限 りが あ りませ ん
。また彼 らの質 問 に私 た ちが答 えた こ とを彼 らは互 い に質 問 しあって尽 き る こ とが あ りませ ん。彼 らは地球 が 円い こ とを知 りませ ん で した
。太 陽の軌道 につ いて も知 りませ んで した
。彼 らは これ らの こ とや そ の他 、た とえば、流 星 、稲 妻 、 降雨や雪 、そ の ほか これ に類 した こ とを質 問 しま した。 それ らの質 問 に私 た ちが答 え、 よ く説 明 しま した ところ、 た い‑ ん満 足 して喜 び 、私 た ち を学識 あ る者 だ と思 った よ うです 。 そ の こ とは私 た ち の話 しを信 じるた め に少 しは役 立 って い ます
。イ エ ズ ス会 士 た ちが 自然 科 学 的 な知 識 を応 用 して布 教活 動 を進 めた こ とは、 山 口で の布 教 、林羅 山の キ リス ト教批 判 、 中国 にお け るマ テ オ ・リッチ の事 例 な どか ら有名 で あ る。
しか しこの引用文 に 「 太 陽の軌 道 」とあ る よ うに、自然 科 学 的 な知識 の応 用 とは言 って も、
そ の説 明 は 「 天 動 説 」 に基 づ いた もので 、ザ ビエル が こ こで実際 に行 って い るの は、科 学 革 命 前 の天 動 説 に依 拠 した 自然 観 の説 明 な の で あ る
。「 不動 の動 者 」 の考 えに基 づ く 「 神 の存在 証 明
」なので あ るO
ザ ビエ ル の持 った 「日本 人 は理性 的 国 民 だ」 と云 う認 識 の背後 には 「キ リス ト教 は合 理 的宗教 だ か ら、 日本 人 は キ リス ト教徒 になれ る」 との、ス コラ哲 学 的 な文脈 が存在 して い る。 当時 の 日本 人 が惹 かれ た 自然 科 学 的 な説 明 には 、 ス コラ哲 学 の世界 観 か前提 とな って い るので あ る。 霊魂 の救 済 等 の信 仰 上 の 問題 と、 自然 現象 につ い て の議 論 が互 い に結 び つ くの は、 「 創 造神 」 とい う観 念 が あ るか らで、 これ が な けれ ば 、本 来 レベ ル を異 にす る二 つ の議 論 は決 して結 び つ かなか った
。ス コ ラ哲 学 は 、 キ リス ト教 の "世 界 を創 造 し、森 羅 万象 を支配 す る 「 創 造 主 宰神 」" の 観 念 と、合 理 的 な世 界認 識 とをい か に して総 合 させ るか に意 を注 ぎ、 "全 て の存在 は神 を 目的 と して秩 序 づ け られ て い る" とか、 "「不動 の道者 」 「 最 高の 存在 」 と して の神 " と云 う考 え方 を生 み 出 した。 これ に対 して近 代 自然 科 学 がデ カ ル トの云 う 「 機 械 論 的 自然像 」 を前提 と し、科 学革 命 が 「 神 の存 在 証 明」 等 を内容 とした ス コラ哲 学 の否 定 か ら出発 した こ とは よ く知 られ て い る。
1 筑摩 書店 昭和 2 5年
2‑
それ 故 、 自然 科 学 的 な説 明 が あ るか ら と云 って 、 これ を直 ち に近代 科 学 と同一 視 す る こ とは誤 りで 、 この よ うな 「天動 説 」 に基 づ く説 明 に惹 かれ た こ とを以 て 、 当時 の 日本 には 近 代 的 ・合 理 的精 神 が あ った とす る こ ともま た 出来 な い の で あ る。 イ エ ズ ス会 士 た ちが前 提 と して い る 「日本 人 は理 性 的 国 民 だ か ら、 キ リス ト教 徒 になれ る」 とい うス コ ラ哲 学 的 な文 脈 を無 視 して 、和 辻 氏 の よ うに 「日本 人 は理 性 的 な 国 民 で あ る」 との議 論 を 一人歩 き
させ て は な らな い と思 うO
和 辻 氏 の誤 りは 中世 の ス コラ哲 学 と近 代 的 ・合 理 的精神 との違 い の無 視 、つ ま りヨー ロ ッパ哲 学 史 の無 視 に あ り、近 世 ヨー ロ ッパ に於 い て のみ 起 こった科 学革 命 の無視 に あ る と 思 われ るO 現在 の我 々 の よ って 立 っ世 界観 は 、 この よ うな ス コ ラ哲 学 的 な世 界観 の否 定 の 上 に立 ち、 「 理 性 的 宗 教 」 とい う考 え方 に は な じみ が な く、 「 理 性 的 」で あ った り、 「 道理 」 を わ きま え る こ とは宗 教 や 信 仰 と相 対 立 し、 宗教 的 な もの は 「 非 合 理 」 で あ る とす る考 え に 立 って い る と思 われ る。
和 辻 哲 郎 氏 の 『鎖 国』 とい う本 は、太 平洋 戦 争 の最 中 に焼 夷 弾 で東 京 が焼 け野 原 にな る 最 中に構 想 を温 め、敗 戦 直 後 に 出版 され 、 当時ベ ス トセ ラー とな った もの で あ る。 和 辻 氏 は こ こで 、イ エ ズ ス会 士 た ちの言 う 「日本 人 は理性 的 な 国 民 だ」 との言 葉 を踏 ま えて 、 こ こか ら戦 国期 の 日本 人 には近 代 につ な が る資 質 が あ った と し、江 戸幕 府 の鎖 国政 策 の結 果 、 日本 人 の視 野 は狭 くな り 「近代 的 ・合 理 的 な精神 は な くな った。 鎖 国 は知 的 な意 味 で 日本 に損 失 を与 えた」 と論 じた。
和辻 氏 の この 主 張 は、戦 時 下 に於 い て猛 威 を振 る った視 野 の狭 い超 国 家 主義 の 考 え方や 非 合 理 的 な 「日本 精 神 」 等 々‑ の反発 を背 景 に して い る。 それ 故 、 大 東 亜戦 争 ・太平洋 戦 争 とい う悲劇 の源 は 江 戸 時 代 の鎖 国 に あ り、 それ 以 前 の戦 国期 に遡 れ ば 、 日本 に も 「 近 代 的 ・合 理 的精 神 は あ った の だ」 との主 張 は、 出版 当時 の時 代性 を考 慮 に入 れ るな らば、議 論 の 当否 は別 と して 、多 くの人 に受 け入 れ られ 、 当 時ベ ス トセ ラー とな った こ とは 、 それ な りに理 解 で き よ う。
ザ ビエ ル がイ ン ド洋 か らマ ラ ッカ周 辺 の地 域 で布 教 活 動 を行 った とき 、教 養 あ る文 明人 は ほ とん どイ ス ラム教 徒 か ユ ダヤ 教 徒 で あ り、彼 らを改 宗 させ る こ とは 困莫軽で あ った。教 養 あ る文 明人 で 、且 つ 理性 的 な 国 民 で あ る 日本 人 を発 見 した こ とが 、彼 を歴 史上 の人物 で あ る 「 東 洋 の聖 者 」 に させ た。彼 が 日本 人 に 出会 い 、 さ らに 「日本 人 は理性 的 な 国民 だ」
との理 解 を持 た な けれ ば 、彼 は名 もな い イ エ ズ ス会 士 と して 、イ ン ドの 片 隅 で一 生 を終 え た 可能性 が 高 い ので あ る。
つ ま り 「日本 人 は理 性 的 な 国 民 で あ る」 とは 、文 字 通 りカ トリック教 会 の 普 遍 性 、 「 合 理 的 な 宗 教 」 の普 遍性 を証 明す る もの と して重 要 な もの で あ った 。 「 合 理 的 な 宗 教 」 で あ る キ リス ト教 が 地 球 の裏側 に あ る 日本 に於 い て も 「 理性 」 に基 づ い て理 解 され て い る との 事 実 は 、 キ リス ト教 の世 界 布 教 の 可 能性 を信 じる上 で 、決 定 的 に重 要 で あ り、 イ エ ズ ス会 士 のみ な らず 、 プ ロテ ス タ ン トに よって窮 地 に立 た され た 多 くの教 会 関係 者 た ち を強 くを 鼓 舞 す る もの で あ った
。第
3章 文 明 と文 明 との対 話 そ の
1「 啓 示神 法 」 と 「自然 神 法 」 との 一致
「キ リス ト教 は合 理 的 宗 教 だ 」 とい うス コ ラ哲 学 の 考 え方 が 、 「 教 会 法 」 とい う法 の 問
‑ 3‑
題 とな る と、人 の心 の本 姓 と して の 「自然 神 法
」と、神 が 人 々 に啓 示 した 「モ ー セ の十 戒 」 か らな る 「 啓 示 神 法 」 は 一 致 す る と云 う教 会 法 上 の 原 則
1とな る
。この こ とにつ きザ ビェ ル は 、 第 96‑ 2 4‑ 25 節 で 次 の よ うに述 べ て い る
。シナ か ら 日本 ‑ 諸 宗 教 が渡 来 す る以 前 か ら、 日本 人 は殺 す こ と、 盗 む こ と、 偽 りの証 言 をす る こ と、 そ の他 十 戒 に背 く行 い が悪 い こ とで あ る こ とを知 って い ま した し、行 っ た こ とが 悪 い こ とで あ る しる L と して 、 良心 の 責 め苦 を感 じて い ま した
。なぜ な ら、悪 を避 け、 善 を行 うこ とは 〔も とも と〕 人 の心 に刻 み こまれ て い た の です か ら。 全 人類 の 創 造 主 〔で あ る御 者 が 、 す べ て の 人 の 心 の うち に刻 み こん だ〕 神 の按 を他 の誰 か ら も教
え られ ず に 、 〔 生 れ な が ら〕 人 び とは知 って い た の で あ る と説 明 した。
も し も これ につ い て 多 少 と も疑 い を感 じる な らば 、 山 の 中で 育 て られ 、 シナ か ら来 た 教 えを知 らず 、読 み 書 き も知 らな い 人 を験 して み れ ば よい の で す 。 山 の 中で 育 て られ た この人 に、殺 した り、盗 ん だ り、 また 十 戒 に背 く こ とをす れ ば 、罪 に な るか ど うか 、 そ して これ を遵 守 す る こ とは善 で あ るか ど うか を尋 ね てみ れ ば分 か る こ とです
。未 開 な状 態 に あ る人 の 答 え に よっ て 、他 の人 か ら教 え られ な い で も、 同 じよ うに神 の按 を知 って い る こ とが分 か ります O 彼 らに この こ とを刻 み こん だ の が神 で な い と した ら、 誰 が彼 に 善 と悪 とを教 えた の で し ょ うか 。 ま た も し、 未 開 の 状 態 に あ る人 が 、 〔 善 悪 の〕 知 識 を 持 っ て い る とす れ ば 、 〔 教 養 を身 につ け〕 分 別 あ る人 にお い て は 、 なお さ らの こ とで は な い で し ょ うか
。そ れ ゆ え、 法 律 が 書 き記 され る以 前 に 、 〔 す で に〕 神 の 按 が あ っ て 、 人 び との心 の 中 に刻 み こまれ て い た の です 。この道 理 をす べ て の人 た ちは 十分 理 解 して 、 た い そ う満 足 しま した。 そ の疑 い を な くす こ とは 、 彼 らが信 者 とな るた め にた い ‑ ん助 け とな りま した。
こ こで ザ ビェ ル は 教 会 法 上 の "「 啓 示 神 法 」 は 「自然 神 法 」 と一 致 す る" との 考 え を用 い て キ リス ト教 の普 遍 性 を説 き、 日本 布 教 を進 めて い る
。一 方 トマ ス ・ア ク イナ ス に よれ ば 、 自然 的理 性 の ( 光 ) と、超 自然 的理 性 の ( 光 ) とは 明確 に 区別 され 「人 間 の 本 姓 、 そ の 法則 と して の 自然 法 は 、 人 間 の 国家 的 本 姓 に基 づ く国 家 や そ の 法 (人 定 法 ) と同 じ く、
本 来 的 に 自然 的 理 性 の共 通 の広 場 で 、 万 人 に よ り認 識 され 」 る もの で あ り、 一 方 「 神 法 は 恩 寵 の超 自然 的 光 に接 した キ リス ト教 徒 に のみ 妥 当す る」
2と した。
この トミニ ズ ム を継 承 した グ ロテ ィ クス が "も し神 が存 在 しな い と して も、 自然 法 は あ る" と主 張 した こ とは有 名 で あ る
。とこ ろで 、 こ こで ザ ビエ ル が 自然 法 を 「 全 人 類 の創 造 主 で あ る御 者 が 、す べ て の 人 の心 の うち に刻 み こん だ神 の捷 」 と して捉 え て い るの は 、「 神 の 恩 寵 」 と 「自然 の理 性 」 を平 等 に取 り扱 う トマ ス ・ア ク イナ ス の 考 え よ りは 、 "「 神 の 刻 印 (タ ビー ア )
」と して の 自然 " とい うア ラ ビア 語 の 世 界 や 新 プ ラ トニ ズ ム の影 響 を強
く受 けて い る
3と思 われ る。
1 ル ネ ・メ ッツ著 久保 正 幡 ・桑 原 武 夫 訳 『教 会 法 』 ドン ・ボ ス コ社 1 9 6 2 年
2
平 凡社 大 百科 事典
3
伊 東 俊 太 郎 『自然 』 三省 堂 1 9 9 9 年
‑ 4‑
一般 に キ リス ト教 で は、「 律 法 」 と呼 ばれ たモ ーセ の 「 十戒 」や 旧約 聖 書 の 「 啓 示神 法」
は 、新約 聖 書 の 「 福 音 」 よ りも劣 る とされ て い た
Oこの こ とはユ ダヤ教 ・イ ス ラム教 の宗 教 的指 導者 が律 法 学者 で あ るの に対 して 、仏 教 とキ リス ト教 が共 に修 道 院や 出家 制 度 を共 有 し、彼 らの宗 教 的指 導者 が共 に僧 侶 で あ る こ と と密接 な 関係 が あ ろ う。 キ リス ト教 と大 乗 仏教 が共 に重 視 して いた ものは 、現世 の 「 律 法 」 で は な く、む しろプ ラ トンの 云 う 「 死 後 不滅 の霊魂 」
1で あ った。
この 「 霊魂 不滅 」 の考 えは、 この世 の 中で い か に 「 戒 律 」 を守 るか、 どの よ うな行為 が この世 で正 しい とされ るか で は な く、この世 で正 しい行 い をす れ ば来世 で は天 国 に ゆ け る、
悪 い行 い をす れ ば死 後 は地獄 に堕 ち る と云 う 「 天 国 と地獄 、極 楽 と地獄 、救 い」 等 々の観 念 と結 び つ い て いた。 これ を 「 来 世信仰 」 と名 付 け る とす れ ば、 大乗 仏 教 とキ リス ト教 は 共 に互 い に没 交 渉 で ユー ラシア大 陸 の東 と西 にそれ ぞれ発 展 して い った に もか か わ らず 、 同 じ来世信仰 を共有 して い た こ とにな る。
日本 の仏教 諸 宗 派 を よ り詳 しく見れ ば 、浄 土系 の諸派 や 日蓮宗 は来世 信 仰 に基 づ い てい るが 、禅 宗 は 「 霊魂 不滅 」 や 「 来 世信 仰 」 とは無縁 な存在 で、釈 迦 の体 験 した悟 りを座 禅 を行 い各 自体験 す る こ とを 目指 す 宗 派 で あ った
O‑ 方 イエ ズ ス会 もまた 、宗教 改 革運 動 に 対 抗 して結 成 され た 点 で、 旧来 の カ トリック とは異 な る性 格 を持 ってい た。 イ エ ズス会 の 創 始者 イ グナ チ ウス ・ロ ヨラは 『心霊修 行』 に よ り神 との合 一 を 目指 して い たが 、 この点 は禅 宗 とも似 通 って い る。
イエ ズ ス会 が来世 信 仰 を前提 と した人 々 を ロー マ教 会 に再度 結 集 させ るべ く努 力 した こ とは事 実 で あ るが 、イエ ズ ス会 士 自身 は 「よ り大 い る神 の栄 光 のた めに」 をス ロー ガ ン と し、現世 主 義 的 な性 格 が強 か った
O科 学 革命 が世 界 を時計仕 掛 けに見 る 「 機 械 論 的 自然観 」 を前提 と し、 ス コラの 四因論 の うちで は 「 動 力 因」 のみ で全世 界 を説 明 しよ うと した の に 対 して、 イエ ズ ス会 は前述 した新 プ ラ トン主 義 に基 づ き、再度 そ の新世 界 を 「 流 出論 」 的 に、神 の秩序 として説 明 し直 そ うと して い た
O一方 「 来世信 仰 」 とは、現世 で 心正 しい人 は来世 にお い て救 済 され る とい う考 え方 で あ り、 こ うした現世 よ りも来 世 を重 視 す る考 え方 の背 後 には 、現在 の政 治 的社会 秩 序 に対す る嘆 き ・諦 め と同時 に、 それ ‑ の根 底 的 な批 判 を 内 に秘 めてい た
Oこ こか ら来 世信 仰 は現 世 拒否 の過激 な反 体 制 的 な政 治運 動 に転化 す る可能性 を常 に持 って い た と云 うこ とが で き る
O戦 国末期 日本 にお け る一 向‑漢 や 法 華 ‑摸 、 中国 にお け る 白蓮教徒 の乱 、 ドイ ツ農 民 戦 争 な どがそ の例 で あ る。
長 い こ と仏教 的 な世 界観 に親 しんで きた 日本 人 に とって は、 キ リス ト教 の 「 来 世信 仰 」 には何 も驚 くもの は な か った が 、 仏教 には な い 「 創 造 主 の観 念 」 とか、 「 森 羅 万象 を支配 してい る神 」 の観 念 には驚 き、好 奇 心 をか き立 て られ た
Oこれ らの観 念 は、 当時 の 日本 人 には これ まで に一度 も聞い た こ とのない新鮮 な もので あ った が 、同時 に理解 可能 で あ った。
これ が、 ザ ビェル を始 め多 くのイ エ ズス会 士 た ちに 「日本 人 は理性 的 な 国民 だ」 との認 識 を可能 とさせ た秘密 で あ る。
中世 ヨー ロ ッパ で は "「 啓 示 神 法 」 は 「自然神 法 」 と一致 す る" との議 論 は 、倫 理神 学
1 ‑ ンス ・ケル ゼ ン 「 霊魂 信 仰 の社 会 学 」 『神 と国家』 長 尾龍 一訳 有 斐 閣 昭 和 4 6年
‑ 5‑
‑ の発 展 で は な く、 む しろザ ビエ ル 書 簡 に あ る よ うに、 主 に 「 神 の存 在 証 明」 に使 われ て い た0
15,
16世 紀 に な っ て イ エ ズ ス会 士 の ビ トリアや ス ア レス が 「自然 法
」「国 際 法 」 を 発 展 させ 、
18世 紀 に は 律 法 学 の方 面 に於 い て もイ エ ズ ス 会 士 の 学 者 た ち が 「良 心 例 学 ・casuisby (
決 疑 論 ・決 疑 法 )
」を学 問 的 に発 展 させ た が 、 これ に対 してパ ス カ ル が厳 しい非 難 を浴 び せ た 1こ とは有名 で あ るO
‑方 仏 教 の世 界 に於 い て 、 この よ うな 「 戒 律 」 を研 究 す るの は 「 律 宗 」 で 、 日本 中世 の 鎌 倉 末 期 か ら南 北 朝 期 の社 会 に於 い て 、 戒 律 に厳 格 な 「 禅 宗 」 と共 に 「 禅 律 僧 」 と して 社 会 活 動 ・慈 善事 業 に従 事 した こ とは よ く知 られ て い るo Lか し 日本 仏 教 の大 き な特 色 は 、
「 衆 生 本 来 仏 な り」 とか 「 煩 悩 即 浬 磐 」 とあ る よ うに、 「 戒 律 」 を乗 り越 え る 「 本 覚 思想 」 に あ っ た と思 われ るO これ は 次 節 で 述 べ る よ うに 、 あ るが ま ま の 現 実 の肯 定 で あ り、 「 戒 律 」 の否 定 を も生 み 出 したO
日欧 両 者 が 社 会 制 度 と して の封 建 制 度 を共 有 して い た こ とは よ く知 られ て い るが 、観 念 の世 界 に於 い て も、 日本 の 仏 教 諸 派 と ヨー ロ ッパ の カ トリ ック教 との 間 に は 共通 点 が 多 か っ た こ とは 改 め て驚 くに値 しよ うO 当時 の 日本 人 が創 造 神 ・唯 一 神 と云 う観 念 に基 づ くキ リス ト教 の布 教 を受 け入 れ る こ とが 出来 た最 大 の 理 由は 、この 「 来 世 信 仰 」や 「 霊 魂 不 滅 」 と云 う観 念 を共 有 して い た 事 実 に支 え られ て お り、 キ リス ト教 の 「 普 遍 性 」 の最 大 の秘密 も ま た 、 こ こ に あ った と考 え られ よ うO
それ 故 比 愉 的 に言 えば 、 イ エ ズ ス会 士 た ち に よ る 「 啓 示 神 法 」 の布 教 に先 立 ち 、仏 教 が
「自然神 法 」 と して 存在 して い た こ とに な る。 この 事 実 に従 い 、 ま た伝 統 的 な トミニ ズ ム の 立 場 に 立 っ 限 り "「啓 示 神 法 」 は 「自然 神 法 」 と一 致 す る" の だ か ら、 イ エ ズ ス 会 側 に は 、 秀 吉 が 「 バ テ レン追 放 令 」 で 「八 宗 九 宗
」2と表 現 した よ うに 「キ リス ト教 は イ ン ド か ら来 た 仏 教 の 一 派
」「天 竺 宗 」 とい う 日本 側 の キ リス ト教 理 解 を受 け入 れ 、 キ リス ト教
と 日本 の仏 教 諸 派 間 で の 平 和 共 存 の 可 能 性 は あ っ た はず で あ る
。しか し現 実 に は 、 唯 一 正 しい の は 自分 達 の み で 、 仏 教 は 全 て 間 違 い だ と して対 立 し、 自 ら墓 穴 を掘 って しま った
。こ こに はイ エ ズ ス 会 が 「流 出論 」 を とる新 プ ラ トン主 義 の 立場 に 立 って い る こ とが 関係 して い た か も知 れ な い。 当時 の 日本 の 宗 教 事 情 ・信 教 の 自由 につ い て 、 第
961 6節 に は 次 の よ うに あ る
Oそ れ ぞ れ 異 な っ た 教 義 を持 っ 九 つ の 宗 派 が あ って 、 男 も女 も め い め い 自分 の意 志 に し た が っ て好 き な宗 派 を選 び 、誰 も他 人 に あ る宗 派 か ら他 の宗 派 に改 宗 す る よ うに強 制 さ れ る こ とは あ りませ んO それ で 、一 つ の家 で 夫 は あ る宗 派 に属 し、妻 は他 の 宗 派 に、 そ して子 供 た ち は別 の 宗 派 に帰 依 す る場 合 もあ ります 。 この よ うな こ とは彼 らの 間 で別 に 不 思議 な こ とで は あ りませ ん
。なぜ な ら、 一 人 び と り自分 の意 志 に従 っ て宗 派 を選 ぶ こ とは ま った く 自由だ か らです 。 それ で も時 に は彼 らの あ い だ で 争 い が 起 こ り、 あ る宗 派 が他 の宗 派 よ りも優 れ て い る と主 張す る もの が 現 れ て 、 しば しば戦 争 とな ります 。
1
中村 雄 二郎 『パ ス カル とそ の 時代 』 東京 大 学 出版 会
1965年
2 安 野 真幸 『バ テ レン追 放 令 』 日本 エ デ ィ ター ス クー ル 出版 部
198 9年
‑ 6‑
こ こで述 べ られ て い る こ とは、 現在 の我 々 日本 人 に も通 用す る 「 宗教 的寛容 主 義 」 とで も言 うべ き在 り方 で あ る
。現在 の多 くの 日本 人 の あ り方 と して、 ク リス マ ス にはパ ーテ ィ を し、大 晦 日に はお 寺 で除夜 の鐘 を突 き、元 旦 には神 社 に初 詣 に 出か け、結 婚 式 は キ リス ト教 の教 会 で挙 げ、 死 ぬ ときはお坊 さん にお 経 を読 ん で貰 い、死後 はお 寺 のお墓 ‑ とい う
「 宗教 的無 原則 主義 」 を指 摘 す る こ とが 出来 よ う。 これ に通ず る ものが 、戦 国期 に既 に あ った ので あ る
。しか しなが ら、イ エ ズス会 士 た ちには排 他 的 「 十 字 軍」 的 な性 格 が強 く、 日本 在 来 の仏 教 諸派 等 を 「 悪 魔 ・魔神 」 と して排 除 ・抑圧 した の で あ る
。つ ま りザ ビエ ル た ちは 日本布 教 の可能性 として の キ リス ト教 の普遍性 の点 で は、 日本 人 の 「 道 理 に従 う」性 格 に注 目し た が、 日本 の仏 教諸 派 との平和 共存 の道 を切 り開 く点 で は 、 自 らが 「 道 理 に従 う」 こ とを 拒 否 した わ けで あ る
。こ こに 当時 の キ リス ト教 の持 っ 「 普 遍性 」 と共 に 「 党派性 」 を も見
る こ とが 出来 よ う。
第 4 章 文 明 と文 明 と の対話 そ の 2 天 台本 覚思想
ここで は キ リス ト教 を受 け入れ た 日本
側の歴 史 的条件 を問題 と した い, 宮 崎 賢太 郎氏 は 論文 「キ リシ タ ン と仏 教 」
1の 中で 、 当時 多 くの 日本 人知識 人 た ちが 、他 か ら強制 され る こ とな く、 自 ら抱 えてい た 内面 的 な疑 問 に対 す る答 えが見 つ か った と して、 自発 的 に キ リ シ タン‑ 改宗 した こ とを次 の よ うに述 べ て い る
。「 仏僧 か らキ リシ タンに改宗 した知識 人 の代表者 で、最 も我 々 の興 味 をひ くの は不干 斎 フ ア ピア ンで あ る
。彼 は僧 名 を恵 俊 ( 恵 春 ) といい 、京都 臨済 宗 大徳 寺 に入 り、 改宗 の動 機 は不 明で あ るが 、天 正
11年
(1583)京 都 で受 洗 した
。そ の後 イエ ズ ス 会 に入 り、 イル マ ン ( 修 道 士 ) と して活 躍 した
。慶 長
10年 (
1605)仏 教 ・神 道 ・儒 教 を論破 した キ リシ タ ン護 教 書 『妙 貞 問答 』 を著 したが 、慶 長
13年 にイエ ズ ス会 を脱 会 し、元 和 6 年反 キ リ シ タン書 『破 提宇 子』 を著 した。
G ・ヴィ レラは永禄 3 年
(1560)京 都 で布 教 を開始 したO そ こで法華 宗 の学 問僧 や 大徳 寺 の禅僧 ら と宗 論 を行 った
。平安 以来 の天文 道 の名 家賀 茂在 昌は 、天 文 学 に関す るキ リシ タ ンの知 識 にひ かれ て改 宗 したO ま た大徳 寺 の老 僧 をは じめ
15名 の仏 僧 、公 家 、武 士 も 改 宗 した
。さ らに当時最 高 の知識 人 とされ た結城 山城 守忠 正 、吉 田神 道 の後継 者 で儒 教 に も造詣 が深 か った清 原 外記 枝 賢、足利 学校 に学 び 当代 第 一 の 医者 と うた われ た 曲直瀬 道 三 らの改宗 に よって 、急 速 に教勢 をのば してい った
。彼 らの 改宗 と並行 して高 山図書 、右 近 父子 、河 内八尾城 主池 田丹後 守 、三 箇伯 看守頼 照 等 の キ リシ タ ン大名 、領 主 の改宗 も進 ん だO 医師 ・禅 僧 ・武 士 な どの知 識 人層 は 、天道 の 儒 教 的概 念 、お よび 当時盛 ん で あ った吉 田神 道 の
創造 主宰神 的性 格 を有 す る大元 尊神 の観 念 を、そ の ころ天道 と称 していたデ ウス の神 観 念 に重 ね合 わせ る こ とに よって、 キ リス ト 教 の理 解 を深 めて い った もの と思 われ る 。」 当時 の吉 田神 道 に 「 創 造 主宰神 的性 格 」 を持 つ 「 大元 尊神 」 の観 念 が あ った こ とは興 味深 い
。1 『仏 教 と出会 った 日本』 法 蔵館
1998年 所収‑ 7‑
こ こで 云 う 「天 道 」 に つ い て は 、す で に海 老 沢 有 道 氏 の説 明 l が あ るO 「天 道 」 は 儒 教 的 な概 念 で あ る と同 時 に、 戦 国 の世 にふ さわ しい 「 運命 を司 る もの」 との側 面 もあ ったO ところで 仏教 に は 「 一切 の存在 物 に神 的 な もの の 内在 を想 定す る」 汎神 論 の 考 えが あ り、
これ は神 道 の 「八 百 万 の神 々」 と通 じ合 って い たO この よ うな汎 神 論 的 な世 界観 を前 提 と して一神 教 と して の キ リス ト教 を理 解 しよ う と した ところ に、賀 茂 ・清 原 ・曲直瀬 等 々の 日本 人知識 人 の 問題 が あ った と思 われ る
。前述 した新 プ ラ トニ ズ ム の 「 流 出論 」 の傾 向が も う一歩 進 む と 「 汎神 論 」や 「 理神 論 」 とな るが 、む しろ 日本 人知 識 人 た ちは 「草木 国 土悉 皆 成 仏 」 を云 う 「 天 台本 覚 思 想 」 を基 に、 キ リス ト教 を理 解 しよ うと した と思 われ る
。この 「 天 台本 覚 思想 」 は 日本 思想 史 を貫 く基 軸 とな る思想 で あ る と して、今 多 くの人 が そ の解 明 に 向 けて努 力 を して い る。 そ こに は戦 後 日本 の オ ピニ オ ン リー ダー で あ っ た 丸 山真 男
2が "日本 に は基 軸 とな る思 想 が ない
" と した こ と‑ の対 決 の意 味 も含 まれ て い よ う。
「 草 木 国 土悉 皆 成 仏 」 とは ( 全 て の物 には仏性 が備 わ って い る) との主 張 で あ るO さ ら に 「 草 木 不成 仏 」 となれ ば 、草 木 は人 間 と同様 「 心 」 を持 って い るが 、成 仏 の必 要 な くそ れ 自身 で 仏 だ とな る
。何 れ も 「 汎 神 論 」 と捉 え る こ とが 出来 よ う
。ま た この よ うな 「 汎神 論 」 的 な世 界観 の前 提 に は 、花 鳥 風 月 を愛 で る 日本 人 の 自然観 が あ った と云 うこ とが で き よ う
。とこ ろで 、 日本 近 世 思想 史 の尾藤 正 英 氏 は 『日本 文 化 の歴 史 』
3にお い て 天 台本 覚 思想 を次 の よ うに説 明 して い るO
天 台本 覚 思 想 とは 、す べ て の現 実 は現 実 の あ りの ま ま の姿 で 、仏 の世 界 を具 現 して い る
。した が って人 は 、修 行 を積 ん で仏 にな るので は な く、 も とも と仏 な の で あ り、た だ それ を 自覚 して い な い だ けな の だ 、 とす る思想 で あ る
。この本 覚 思想 に対 し、段 階 をふ ん で悟 りの境 地 に到 達 しよ うとす る考 え方 を始 覚 と言 う
。本 覚 ・始 覚 の 出典 は 『大乗 起 信 論 』 に あ るo Lか しこの考 え を徹 底 させ 「 草 木 国 土悉 皆 成 仏 」 と言 い 、 さ らに 「 草 木 成 仏 」 で は な く 「 草 木 不 成 仏 」 の方 が 正 しい とまで 主 張 す るに至 った の は 、 日本 天 台 の 独 特 の 思 想 で あ る
。「 成 仏 」 とい えば 、仏 に成 る とい う過 程 が 予想 され るが 、 そ の必 要 さえ もな く、あ りの ま まで仏 で あ る とす るの が 「 草 木 不成 仏 」の意 味 で あ る
。つ ま り 「 即 身 成 仏 」 で は な く 「 即 身 即 仏 」 な ので あ る
。尾 藤 氏 が こ こで 「人 は修 行 を積 ん で仏 に な るの で は な く、 も と も と仏 な の で あ り、 た だ それ を 自覚 して い な い だ け な の だ。」 と述 べ て い る こ とに、 次 に挙 げ る 『梁 塵 秘 抄 』 の二 つ の歌 は対 応 して い る と思 われ る
。232 仏 も昔 は人 な りき、我 等 も終 には仏 な り
。三 身 仏性 具 せ る身 と、知 らざる こ とこそ あはれ なれ 。
1 「 排 耶 書 の展 開」『キ リシ タ ン書 ・排 耶 書』 日本 思想 体 系 岩 波 書
店 1970年 所 収 2 「日本 の思想 」 岩 波 新 書
19 6 1年
3 岩 波 新 書
2000年
‑ 8‑
11 9 常 の 心 の蓮 に は 、 三 身 仏 性 お は します 。
垢 つ き穣 き身 なれ ども、仏 に成 る とぞ説 い た ま う0
「 草 木 国 土 悉 皆 成 仏
」や 「草 木 不 成 仏
」と云 う森 羅 万象 に 「 仏性
」を認 め る議 論 は 、朱 子 学 の "天 地 自然 の 「理 」" の観 念 と近 く、 ま た 『妙 貞 問答 中巻 』
1で は 儒 教 を 、 道 教 と比 較 した 上 で 「去 バ 儒 者 ノ如 キハ ナ ツ ウラ ノ教 ‑ ト申テ 、性 得 ノ人 ノ心 ニ 生 レツ キ タル 、 仁 義 礼 知 信 ノ五 常 ヲ守 ル ヤ ウナ ル 所 ヲバ 、 キ リシ タ ン ノ教 ニ モ ー 段 ホ メ ラ レサ フ ラ フ」 と 評 価 して い るO こ こか ら、 ス コ ラ哲 学 の "人 間 の本 姓 と して の 「自然 神 法 」" の 考 え方 が 、 朱 子 学 の 「 性
」の観 念 と近 か っ た こ とは 明 か で あ る。
ま た 前 述 の 「 神 の啓 示 神 法 を知 らな くて も、自然 神 法 は 各 自の心 に刻 み つ け られ て い る」
との議 論 を仏 教 用 語 で言 い 直す と 「 全 て の衆 生 に は 仏 性 が備 わ っ て い る」 とな ろ う。 こ こ か ら、 ス コ ラ哲 学 と天 台 本 覚 思想 、儒 教 ・朱 子 学 の 三 者 間 に は 自然 観 共 有 の事 実 が指 摘 し うるの で あ る
。宣 教 師 た ち の "自然 現 象 の背 後 に あ る神 の摂 理 " との説 明 は 、 この よ うな
「 汎 神 論 」 を前 提 とす る人 々 に訴 え る力 が あ り、 中世 末 期 の 日本 知 識 人 た ちは 、 儒 教 ・朱 子 学 の世 界 に もキ リス ト教 に も 同 じ理 由 で 引 き寄 せ られ た と考 え られ る
。しか しな が ら、 当時 の知 識 人 た ちが キ リシ タ ン に近 付 い た理 由 を告 白 した 史 料 は発 見 さ れ て い な い。 一 方 、権 力 側 の キ リシ タ ン禁 止 の説 明 文 の 中 に、 この よ うな 問題 状 況 が 逆 立 して示 され て い る と思 われ るの で 、 次 に 関 白秀 吉 か らイ ン ド副 王 「印 地 阿 毘 曾 霊 」 に宛 て た天
正 19年
7月
25日書 簡 ( 富 岡文 書 )
2を分 析 した い 。
第
5章 イ ン ド副 王 宛 て秀 吉 書 簡
この書 簡 は イ ン ド副 王 か ら秀 吉 に宛 て た キ リス ト教 布 教 の許 可 願 い を 内容 とす る国 書 に 対 す る返 書 で あ り、 内容 は 天 正
15年 の伴 天 連 追 放 令 と同様 、布 教
‑No、 貿 易
‑Yesで あ っ た
。この 書 簡 の 作 者 は秀 吉 政 権 の イ デ オ ロー グ と呼 ぶ こ との 出来 る聖護 院 門跡 道 澄 、右 大 臣菊 亭晴 李 、前 の鹿 苑 僧 録 西笑 承 允 、 現 鹿 苑 僧 録 有 節 瑞 保 、東 福 寺 正 統 庵 惟 杏 永 哲 、連 歌 師 里村 紹 巴の 6人 で あ る。 この書 簡 を分 析 した 北 島 万 次 氏 は論 文 「 豊 臣政 権 の対 外 認 識 」
3
で 、 この 書 簡 は ① 秀 吉 の 全 国統 一 の 誇 示 と、 そ の延 長 線 上 に あ る 明征 服 、 ② 日本 ‑神 国 の 主 張 、③ キ リシ タ ン布 教 の禁 止 と貿 易 の許 可 、 の 三 段 構 成 と して い る
。結 論 を先 に 云 えば 、② の 日本 神 国論 の 主 張 の 中 に 当時 の 知 識 人 た ちが キ リス ト教 にひ か れ た 原 因 が 逆 立 して 示 され て い る と思 う
。しか し研 究 史 を振 り返 る と、 この 第 二 段 の部 分 は 正確 に は理 解 され て こな か った 。 北 島 氏 は この部 分 の 引用 に際 して 「 増 劫 時 此 神 不増 、 減 劫 時 此神 不
滅」の部 分 を 「中略
」と し、 「 森 羅 寓 象 不 出一 心
」を 「 森 羅 寓象 一 心, ニ 出 ズ
」と書 き 下 して い る。 否 定 で あれ ば 「出 で ず 」 で な けれ ば な らず 、 「出 ズ
」は 唆 味 だ が 「出 た 」 の意 味 だ と思 われ る。
1 『キ リシ タ ン書 ・排 耶 書
』日本 思想 体 系 岩 波 書
店 1970年 所 収 2 『異 国往 復 書 翰 集
』異 国叢 書 雄 松 堂 昭 和
4 1年 改 訂 復 刻 版
3
永 原 慶 二他 編 『中世 ・近 世 の 国家 と社 会 』 東京 大 学 出版 会
1986年 所 収
9‑
一 方 、海 老 沢 有 道 氏 は 「 排 耶 書 の展 開
」1で 、 この 書 簡 引 用 に 際 し 「 森 羅 寓 象 一 心 よ り 出 でず 」 と して い る点 は評 価 で き るが 、 次 の 「 ヲ 国 中其 霊 不 生 ‑‑‑減 劫 時 此神 不 滅 」 の部 分 と結 論 の 「 故 以 神 為 寓物 根 源 臭 」 を共 に省 略 し、 そ の 上 で ( 三教 一 致 思 想 に立 ち 、 つ い で 儒 教 的 仁 義 を説 き 、 キ リシ タ ン は 「 神 仏 を敬 せ ず 、 君 臣 を隔 て ず 」、邪 法 で あ る) と論 じ て い るO 海 老 沢 氏 も第 二段 を正確 には解 釈 しな か っ た こ とは 明 白で あ るD そ れ 故 次 に、 こ の 部 分 を ど う解 釈 す る か を 問題 と した いD
こ こで は 、 この文 章 を
A〜 Iに
8分 割 した いOA夫 吾 朝 者 神 国也 、神 者 心 也 。B森 羅 寓象 不 出一 心 。C非 神 其 霊 不 生 、非 神 其 道 不 成 。
D 増 劫 時 此神 不 増 、 減 劫 時 此 神 不
滅 。E 陰 陽 不 測 之 謂 神
。F 故 以神 為 寓 物 根 源 臭 。
G此神 在 竺 土 喚 之 仏 法 、在 震 且 以 之 為 儒 道 、在 日域 謂 諸 神 道 、知 神 道 即 知 仏 法 又 知 儒 道
。H凡 人 処 世 也 、 以 仁 為 本 、非 仁 義 即 君 不 君 、 臣不 臣、施 仁 義 即 君 臣父 子 夫 婦 之 大 綱 、其 道成 立 臭 。 Ⅰ若 是欲 知 神 仏 深 理 、 随懇 求 而 可解 説 之 也 。
この文 章 を解 釈 す る上 で 、や は り何 と云 っ て も問題 な の は 、先 人 が だ れ も手 を着 けて こ な か っ?
=Bの 「森 羅 寓象 不 出一 心 」 の部 分 の解 釈 で あ る。 それ 故 まず 最 初 、 この 部 分 の解 釈 を考 えた い 。
い) 「 森 羅 寓象 出 一 心 」
日本 天 台 の独 特 の 思 想 と して 、 「即 身 成 仏 」 か ら 「 即 身 即 仏 」 ‑ の深 化 が あ る と され て い るが 、 この よ うに 「 修 行 」 を否 定 し、 あ りの ま ま の現 実 を肯 定 す る方 向 が強 まれ ば 、 宗 教 と して の 堕落 に陥 って しま うの で 、近 世 以 降 この 天 台本 覚 思想 は批 判 の対 象 とな り、 長 い こ と無 視 され て きた 。 仏 教 学者 の末 木 文 美 士民 は 、 この よ うな理 由で研 究 の遅 れ て い た 天 台本 覚 思 想 を再 評 価 し、 これ を 日本 仏 教 思 想 史 の 中 に位 置 づ け よ うと して 、興 味深 い研 究 を精 力 的 に進 め て い る
O末 木 氏 は 論 文 「 神 仏 論 序 説
」2で 、 ( 広 義 の 「本 覚 思 想 」 に は 二 つ の 方 向 が あ り、 一 つ は 現 象 即 実在 論 で 、 も う一 つ は 「 本 覚 」 そ の の もの を根 元 的 原 理 と して 、 そ こか ら現 象 世 界 の 展 開 を 説 く発 想 が あ る。 そ の 原 理 は 「本 覚 」 以 外 に も 「 真 如 」 「一 心 」 「本 心 」 な ど に求 め られ る) と して い る。 そ れ 故 「 森 羅 万 象 」 の根 拠 ・根 源 を 「一 心 」 と し、 「 森 羅 万 象
」と 「一 心 」 とが 相 即 関係 に あ り、 「草 木 国 土 悉 皆 成 仏 」 は (一 心 よ り森 羅 万 象 が 生 ず
る) と言 い換 え る こ とは十 分 に あ り得 た の で あ るO
デ クス が 世 界 を創 造 した とす れ ば 、 「 森 羅 寓 象 は 一 心 よ り出ず 」 か 、 ま た は 「 森 羅 寓象 は 一 心 よ りあ らわ る」 とな った はず で あ る。 この場 合 の 「一 心 」 は 「 デ クス 」 ま た は 「デ クス の心 」 とな る
Oこの考 え方 は 新 プ ラ トニ ズ ム の 「 流 出論 」 で あ る。 それ 故 (自然 現 象 の説 明 か ら寓物 の創 造 神 で あ り主 宰 神 で あ るデ クス の説 明 ‑ ) とい うイ エ ズ ス会 士 た ち の キ リス ト教 布 教 の仕 方 に、 当時 多 くの 日本 の 知 識 人 た ちが 心 を動 か され た こ とは それ な り
1 「 排 耶 書 の 展 開 」 『キ リシ タ ン書 ・排 耶 書 』 日本 思想 体 系 岩 波 書 店 1 970 年 所 収 2 『解 体 す る言 語 と世界 』 岩 波 書 店 1 9 9 8 年
10‑
の根 拠 が あった こ とにな る
。こ こか らテ キス ト B の 「不 出一 心」 の 「不」 とは何 を否 定 して い るか が 問題 とな ろ う
。次 に これ を問題 と した い
。ろ) 「 不 出一心 」
A に は 「 夫 吾朝 者 神 国也 、神 者 心也 。」 とあ って 、 ( 神 は心 だ) と宣言 した 上 で 、 次 の B で は 「 森 羅 万象 」 と 「 心 」 との 関係 が全面 的 に否 定 され た とす る と、結 論 の F で 「 神 」 を もって 「 寓物 の根 源 」 となす と宣言 す る こ とが 出来 ない ので、 これ は全否 定 で はな く、
部 分否 定 と考 えな けれ ば な らない 。 それ 故 「 森 羅 寓象 不 出一 心」 とは、デ ウス の 「 一 心」
か ら万物 が創 造 され た ので はな く、 寓物 はそれ ぞれ に 内在 す る一 つ 一つ の 「 心」 か ら成 立 した のだ とな る。
これ は 「 寓物 に神 霊 が宿 る」 とす る 「 汎神 論 ・多神 論 」 で あ る
。この こ とが
C ・D ・Eの 「 神 」の説 明 とな る。 C には 「 非 神 其 霊 不 生 、非神 其 道 不成 」との対 句 が あ る
。この 「 其 」 は 「 森 羅 万象 」 を指 して い る
。既 に ( 寓物 に はそれ ぞれ 霊 や 道 が あ るが 、 これ らは神 に よ って成 立す る) としてい るのだ か ら、
Cは寓物 を さ らに 「霊 」 と 「 道 」 で説 明 し直 した も の で、前文 B の言 い換 え とな ろ う
。寓物 に 「霊 」 が あ る とは、 ア ニ ミズ ム的 な 自然 宗教 と
して よ く理解 で き る。
B ・Cで は 「 神 」 の存在 を 「 森 羅 万象 」 とい う空 間的 な概念 で説 明 した ので 、 次 の Dで は 「 増 劫 時
」「 減 劫 時」 とい う時 間的 な概 念 が導 き 出 され る
。こ こで 「 神 」 は時 間 の増 減 に よって は変化 しな い 、 一 定 不変 だ と宣言 され 、 「 神 」 の時 間的 ・空 間的 な遍 在 性 が 主 張 され る。 E の 「 陰 陽不測 之謂 神 」 は 「 周 易」 の 「 繋辞伝 上」 か らの 引用 で、 「 陰
」「陽」
の二気 の配合 の具合 で 寓物 が 出来 る との 「 易 」 の考 えの説 明で あ る。 これ は 日本 中世 にお い て神 道 の説 明 に よ く見 られ た もので あ る
。最 後 の
F"「 神 」 を もって 「寓物 の根 源 」 となす " との宣言 は 云 うまで もな く 「 汎 神 論
・多神 論 」 で あ る
Oこ うして 「 創 造 主宰神 」 は否 定 され た ので あ る。 B の 「 森羅 寓象 不 出 一 心」 が一面 にお い て キ リス ト教 の創 造神 の否 定 で 、 同時 に ( 寓物 は寓物 に内在 す るそれ ぞれ の 「 心」 に よって成 立す る) との主 張 だ とす る と、 こ こにお いて は 「 一 心」 とい う統 一原理 は否 定 され 、 寓物 は 内在 す る多元 的原 理 に よって成 立す る とな り、 あ るが まま の 自 然 ‑ の帰依 は 明か で あ る
。は) 「 夫 吾朝者 神 国也 」
ここで の 「一心 」 とい う統 一原 理 の否 定 は 「 仏性 」 の否 定 、ひ い て は救 済 宗教 として の 仏 教 そ の もの の否 定 を意 味 し、 あ るが ま まの 自然 の賛美 ・尊重 とな ろ う
。つ ま りキ リス ト 教 を否 定 す る こ とで 、原 理 的 には来世信 仰 と して の仏教 を も否 定 し、汎 神 論 で 且 つ現世利 益 を追 求す る神 道 の 立場 に立っ こ とを意 味 した ので あ る
。ここに A にお い て 「 夫 吾朝者 神 国也 、神 者 心也 」 とあ る原 因が あ ろ う
。こ こで主張 され て い る神 道 とは 自然 宗教 で、 これ ま で の主 張 を纏 め る と汎神 論 とな ろ う。
「 悟 りに至 る方 法論 を一 挙 に飛 び越 え」 「 煩 悩 と浬 磐 、彼 岸 と此岸 等 々の 二元論 の否 定」
を意 味す るこの 「あ るが ま ま」 の賛美 は、超 越 した 立場 か ら、す べ ての宗教 が 目指す もの は 究極 に於 い て 同一 だ とす る考 え方 を生 み 出 した。 「キ リス ト教 を仏 教 の 一派 」 とす る考
→ ll‑
え もここか ら説 明で き る。 しか しあ るが ま ま の 自然 ‑ の帰 依 は、現存 す る政 治 的社会 体制 を 自然 な もの と見 なす こ とで、結 果 的 に実在 の政治 ・社 会 体 制 に対 す る無 批判 的 な賛美 に 帰結 し、現政 治 秩序 に対 す る無 限抱擁 に もな った。
A の 「 夫 吾朝者神 国也 」 の主 張 は第 一段 目の秀 吉 に よる全 国統 一 の誇 示 と連続 して、現 状 追認 の考 え方 を示 して い る。
Gで は、「 寓物 の根源 」 とな った
Fの神 は 「竺 土 で は仏 法 、 震 且 で は儒道 、 目域 で は神 道 」 とな り、神 道 を知 る こ とは即仏 法 ・儒 道 を知 った こ とにな る と宣言 され 、神 道 ・儒 教 ・仏 教 の 三教 一致 の主 張 とな る。
Hで は 、 「 仁 義 」 とい う儒教 的価値 を全 面 に掲 げ 、君 臣 ・父 子 ・夫婦 な どの人倫 に重 き を置 き、 Ⅰ で はそ の普 遍性 をイ
ン ド副王 に対 して主 張 して い る。
つ ま りここで述 べ て い る こ とは、 「 神 仏 深理 」 が 「 君 臣父 子 夫 婦 之 大綱 」 を基 礎 づ けて い る との主 張 で あ り、 これ は第 ‑ 段 に 「 安 国家 人 民」 とあ る現 実 政 治 ・現世 秩 序 の重視 と 密 接 に関連 して い る。 来世 信 仰 を否 定 した世 俗 主義 の立場 に立 ち、思想 固有 の構 造 を無視
した 上 で 、仏 教 ・儒 教 な どの思 想 を全 て現 実政 治 の た め の構 築 物 と見 なす 考 え方 は、 「 本 覚 思想 」 の極 点 と思 われ るが、他 面 「 本 覚思想 」 自身 が来 世信 仰 の仏 教 か ら現 実 政治 を重 視 す る儒教 ‑ と軸 足 を変化 させ た こ とを も示 して い るO
第 6 章 むす び にか えて 近 世 思想 の展 開
日本 の近世 、江 戸 時代 とい う社 会 は 、全 て の 日本 人 が いず れ か の寺 院 の檀 家 に な ってい る社会 で 、仏 教 が 国 民 的 な宗教 に な った 時代 で あ る。 これ は キ リシ タン対 策 と して の寺請 制 度 な ど幕府 側 の宗 教 政 策 に も よって い るが 、 どん な人 で あれ 、 死 ね ば仏 にな る とい うの は、本 覚 思想 の一つ の到 達 点 を示 してお り、 日本 の仏 教 界 が全体 として この幕府 の政 策 を 受 け入 れ た側 面 もあ る と思 われ る。 それ 故本 覚思想 は、 一 面 に於 いて は 「 葬 式仏 教 」 と し て 完成 され た と見 る こ とが で き よ う。
この よ うに近 世 に於 い て仏教 の影響 力 は量 的 には 国民規模 にま で拡 大 したが 、 思想 の質 の面 で は逆 に影 響 力 を失 い 、近世 の思想 界 は 人 間 中心 的 ・現世 主義 的 な儒教 や 国学 の時代 とな った。 それ 故 、 日本 の 中世 か ら近世 ‑ の思想 軸 の変化 は 「 憂 世 」 か ら 「 浮 世 」 ‑ と纏 め る こ とが 出来 よ う。 江 戸 初 期 の儒 教 の在 り方 を伝 え る 「 本佐 禄
」「心 学 五 倫 書
」「仮 名 性 理 」
1な どで は 、釈 迦 の 唱 えた仏 教 を儒 教 と同様 、現世 に於 け る治 国安 民 を 目的 と した
もの と見 な し、地獄 ・極 楽 な どの来世観 を否 定 して い る。
例 えば 「 本佐 禄 」 に は次 の よ うに あ る。
先釈 迦 仏 と云 は、天竺 の人 の心す な をな らず して 国治 らず 、釈 迦 た ん どくせ ん といふ 山に引寵 りて 、天 竺 の風俗 を工 夫 して 、 国 を治 め る方便 に、極 楽地獄 といふ事 をか りに 立て 、此世 にて善 をなせ ば極 楽 ‑生 じ、悪 をなせ ば地獄 ‑落 る と教 た り。誠 の極 楽地獄 あ るに あ らず 、 此世 を治 めん為 也, 仏 の心 は殊 勝 な り。 国 を治 るの理 に もか なふ た りO 是
則権 道 な り。愚 な る人 は、誠 に じご く極 楽 有 と心 得 て 、此世 はか りの宿 、後 生 こそ大
1 『藤 原慢 窟 林羅 山』 日本思想 体 系 岩 波 書店
1975年
‑ 12‑
事 とて 、妻 子 を捨 て 出家遁 世 す る事 、 大 にひ が ご と也 。 仏 の心 に も叶 はず 。
この よ うな治 国安 民 とい う現 実 政 治 を重視 し、思想 を全 て現 実 の政 治 支配 のた めの構 築 物 イ デ オ ロー ギー と見 な し、来 世 を否 定す る世俗 主 義 の考 え方 は 「 本 覚 思想 」 の 一 つ の極 点 と思 われ る
。丸 山真 男 は この よ うな考 え方 を 「 イ デ オ ロギー 暴 露 」 と云 う言 葉 で捉 えて い る
。この考 え方 の 出発 点 を、 天 正
19年 の イ ン ド副 王宛 て書簡 に見 出す こ とが 出来 るの で は あ る ま い か
。「 本 佐 禄
」「心 学 五 倫 書 」 な どの 作者 が 大名 の側 近 の ブ レー ン集 団 「 お
とぎ衆 」 と考 え られ て い る 1 点 も、 両者 の共 通 点 で あ る。
丸 山真 男 は 『日本 の思 想 』
2の 中で 、 本 居 宣 長 は儒 教 思想 とは 究極 の とこ ろ支 配 者 あ る い は纂 奪者 の現 実 隠 蔽 あ るい は美化 に奉 仕 す るイ デ オ ロギー だ と して 、『直 毘 霊 』で は 「 か ら くに に して道 とい ふ物 も、其 ノ 旨を き はむ れ ば 、 た だ人 の 国 を うば は む が た め と、 人 に 奪 は る ま じきか ま‑ との ニ ッ にす ぎず な もあ る」 「 天命 といふ こ とは 、彼 の 国 に て 古 に、
君 を滅 し国 を奪 ひ し聖 人 の 、 己が 罪 をの がれ む が た め に、 か ま‑ 出た る託 言 な り」 と述 べ て い る と紹 介 して い る。
さ らに これ は 「 儒 を以 て治 め ざれ ば治 ま りがた き こ とあ らば 、儒 を以 て治 べ し
。仏 に あ らで か な はは ぬ こ とあ らば 、仏 を以 て治 べ し。是 皆 共 時 の神 道 なれ ば な り」『鈴 屋 答 問録 』 とい う機 会 主義 とも連 続 して い る とあ るO 我 々 は こ こで述 べ られ て い る儒 教 ・仏 教 ・神 道 の捉 え方 が 前 述 G の 三教 一 致 の考 え方 と共 通 して い る こ とを確 認 す べ き で あ ろ う
。つ ま り近 世 儒 学 か ら国学 ‑ の展 開 の背 後 に、 天 正
19年 のイ ン ド副 王 宛 て書 簡 に見 出す こ とが 出来 る よ うな 「 本 覚 思 想 」 が存 続 して い るの で あ るO
1
今 中寛 司 『近 世 日本 政治 思想 の成 立』 創 文社
1972年
2岩 波 講 座 現 代 思想
Ⅹ Ⅰ『現 代 日本 の思想 』 所 収 昭和
32年
‑ 13‑
弘 前大学 教 育学部 研究紀要 クロスロー ド 第3号 (2001年3月):1‑4 CROSSROADS.Fac.QrEdLLC.,HirosakL'Umlv.,3(March.20OD.114
天正
19年 イン ド副王宛秀吉書簡の分析AnAnalysisoftheLetter丘・om HIDEYOSHI atA.D.1591toVice‑King ofIndia
安 野 虞 幸 *
MasakiANNO【梗 概】
本稿は天正19年の インド副王宛て秀吉書簡の中で,特 に 日本神国論を述べている部分についての分析で ある。
【キーワー ド】
本覚思想.創造神,神国
1 問題の所在 い)小論の対象
天正19年7
月
25日に関白秀吉か らインド副王 「印地阿 毘曾霊」に宛てた書簡 (富岡文書)1‑がある。 これ は インド副王か ら秀吉に対 して出されたキ リス ト教布教の許可願 いの国書に対する返書であることか ら,こ の書簡の主 旨は,天正15年の伴天連追放令とはば同様.布教‑No,貿易‑Yesであることは当然であるOしか し詳細に眺めると,神国論の展開の仕方に違いがある。
北島万次氏は2)この書簡を分析 し.これは次の三段か ら構成され ると している。第一段は秀吉の全国統一 の誇示 と,その延長線上にある明征服。第二段は 日本‑神国の主張。第三段はキ リシタン布教の禁止 と貿易 の許可である。 ところでこの第二段について, これ まで先人がそれぞれの論文の中で紹介 してきたものを見 ると,全てを正確に紹介 していないという事実に気が付 く。
前述の北島氏は引用に際 し,「増劫時此神不増,減劫時此神不滅」の部分を 「中略」と しており,さらに 「森 羅寓象不 出一心」を 「森羅寓象モー二心二出ズ」と書 き下 している。 「出ズ」では,出たのか侶 なか ったのか 唆味では っきりと しない。一万,海老沢有道民は 「排耶書の展開」 3)において この書簡を引用 しているが,
「森羅寓象一心より出でず」と している点は評価できるが,次の 「非神其霊不生・‑・・減劫時此神不滅」の部分 を省略 し,さらにこの段落の結論部分 「故以神為寓物根源臭」をも省略 している。
その上で. この書簡全体の主 旨を(三教一致思想に立ち,ついで儒教的仁義を説 き,キ リシタンは「神仏を 敬せず,君臣を隔てず」,邪法であると し)ていると論 じている。以上か ら, これ までの研究 史に於いては, この第二段の部分は正確には理解 されてこなか ったと結論づけられよう。それ故最後の三教一致が明快で問 題がないとすれば 「夫吾朝者」か ら 「根源臭」までの61文字の部分をどう解釈す るかが.改めて問題 となっ
て来よう。
以上か ら小論の課題は,次に掲 げるこの61文字か らなる文章をどう解釈すべ きかの考察となる。 ここで は考察の便宜上,この文章をさらにA〜Fの五つに分けたい。なお, この後に海老沢氏が主旨を説明 したG 以下の文が続 く。説明の便宜のためにこれ も掲げてお く。
A夫吾朝者神国也,神者心也。B森羅寓象不出一心。C非神英霊不生,非神共通不成。 D増幼時此神
*弘 前大学教 育学部社 会科 教室 Depa11mentofSocialStudies,FacultyofEducation,HirosakiUniversity
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