その後のタンザン鉄道
──中国の関与を中心として──
村上 享二
はじめに
タンザン鉄道はタンザニアのダル・エス・サラームとザンビアのカプリ ムポシを結ぶ、全長1,860キロメートルに及ぶ鉄道である。中国の援助に より1965年に鉄道建設のための調査が開始され、1970年10月に着工し
1975年10月に完成した。その後、試運転を経て1976年7月に中国からタ
ンザニアとザンビアへ引き渡されている。この鉄道建設への援助は、中国 の第三世界諸国への援助を象徴するものとして、現在でも、中国外交のい くつかの場面で言及されている。たとえば、2013年3月、習近平主席は 初外遊として、南アフリカで開催されたBRICS(主要新興5カ国)の首 脳 会 議 に 参 加 し て い る が、 そ の 出 発 直 前 の3月19日 に 人 民 大 会 堂 で
BRICSの記者からのインタビューに答え、中国とアフリカの友好関係に
おけるタンザン鉄道について言及している(1)。また、中国の外交部長は、
毎年年初にアフリカを訪問することが慣例となっており、2017年も1月 7日から12日までアフリカの五カ国を訪問している。そこでも、「友誼の 路」としてタンザン鉄道に言及している(2)。
タンザン鉄道の建設は、内陸国であり世界有数の銅産出国であるザンビ アの銅を、輸出のために港へ輸送することや鉄道周辺地域の発展を目的と して建設された。タンザン鉄道建設以前のザンビアで産出された銅は、白 人政権下のローデシア(現ジンバブエ)や南アフリカを経由していたため、
(1) 「習近平接受金塼国家媒体連合採訪(全文)」2013年3月19日。中国外交部のWebページ http://www.fmprc.gov.cn/web/ziliao_674904/zyjh_674906/t1022932.shtml(2017年3月30日 ア ク セス)
(2) 「王毅:将坦賛鉄路打造成為合作之路和繁栄之路」2017年1月9日。中国外交部のWebペー ジhttp://www.fmprc.gov.cn/web/wjbzhd/t1429022.shtml(2017年3月30日アクセス)
ザンビアの主要産品の輸出は白人政権の政策により左右される危険にさら されていた。このような危険を回避し黒人によるアフリカの発展を目指し、
1965年頃からタンザン鉄道建設の構想は動きだした。当初タンザニアと ザンビアは西側諸国に建設援助を申し入れたが、採算が合わないとして西 側諸国の援助は受けられなかった。そのような状況の下、中国は援助を申 し入れている。この援助で中国は、10億9,437万元に及ぶ費用の提供と延 べ5万人におよぶ人員を派遣している(3)。
1960年代前半の中国は、中印国境紛争、中ソ論争、米国を中心とする 西側諸国による孤立化から脱却するため、また台湾との「中国」の正統性 をめぐり支持を得るため、アフリカ諸国へ積極的に接近していた。そのよ うな状況のなか、中国はアフリカ諸国への関与の仕方として、自国にとり 大きな負担となっても、世界に中国の存在を強くアピールできる、巨大な 援助の必要性を感じたのではないかと考えられる。それが中国のタンザン 鉄道建設援助である。
また、当時多くのアフリカ諸国は独立を果たしていたが、タンザニアと ザンビア周辺の南部アフリカにはモザンビークとアンゴラがポルトガルの 植民地として残っており、現在のナミビアは南アフリカの影響下にあり、
ローデシアは白人政権下にあった。反帝国主義・反植民地主義を重要な外 交政策としていた中国にとり、植民地や白人政権の圧力にさらされていた、
タンザニアやザンビアの経済発展のために鉄道を建設するという巨大な援 助は、第三世界諸国に対し中国の存在感を増すために有効だと考えられた。
1965年2月、タンザニアのニエレレ大統領は中国を訪問し、鉄道建設 に関し話し合っているが、この訪問を前に周恩来は陳毅(副総理兼外交部 長)、方毅(対外経済連絡委員会主任)、呂正操(鉄道部部長)等と、この 件について相談している(4)。方毅は膨大な援助額はこの時期の中国の国力 を超えており、援助するにしても対象を中小プロジェクトにして、多くの アフリカ諸国へ援助すべきだと進言した。これに対し周恩来は、この援助 は軍事的・政治的意味がある、この援助が成功すれば、世界を驚かせるこ
(3) 周伯萍 (2000年)「周恩来与坦賛鉄路的援建」『百年潮』第6期、p. 4。
(4) 周伯萍(2000年)「周恩来与坦賛鉄路的援建」『百年潮』第6期、p. 6。
とができると述べたといわれており(5)、巨大な援助の必要性を示している。
タンザン鉄道建設に関する研究は多く存在する。Richard Hall and Hugh Peyman (1976), The Great Uhuru Railway China’s Showpiece in Africa, Victor
Gollancz ltd.などは、その代表的なものである。しかし、鉄道の営業開始
から現在までの状況を検討した研究は少ない。そのような状況のなかで、
Jamie Monson (2011), Africa’s Freedom Railway, Indiana University Pressは鉄 道建設から2000年代までを検討対象としている。しかし、開業以降の検 討は、地域住民へのインタビューによる、その地域社会や住民生活への影 響に焦点を当てており、本稿が目指す中国の関与に焦点を当てるものでは ない。本稿はこの少ない研究領域を僅かではあるが埋めるべく検討するも のである。
Ⅰ.営業開始から1980 年代──初期の問題とその克服
タンザン鉄道は1976年7月14日に、中国からタンザニアとザンビアに 引き渡され正式営業を開始している。正式営業開始から1年後の1977年 7月16日付『人民日報』(6)によれば、前年7月の正式引き渡し以降の11か 月間に、78万人に及ぶ乗客と100万トンを超える貨物を輸送し、試運転期 間に比べ月間輸送量は132%に増加している。そしてこの一年で大きな成 果を挙げたと評している。
一方、川並は1981年10月の『レファレンス』(7)でイギリスの月刊誌を引 用し、最初の6か月で41万3,000人の乗客と53万トンの貨物を輸送したと している。この一年間は特に大きな問題は発生していないので、これらの 数値を単純に線形外挿して11か月時点での数値を求めてみると、約76万
(5) 尹家民(1999年12月)「援建坦賛鉄路 内幕」中共河南省党史博覧雑誌社編『党史博覧』
第66期、p. 8。(2010年7月7日CNKIより入手)
また、周伯萍(2000年)「周恩来与坦賛鉄路的援建」『百年潮』第6期、p. 6にも、周恩来、
陳毅、方毅、呂正操らの話し合いの結果として、同様な考えがまとめられていることが示さ れている。
(6) 「『一定要把鉄路管理好』──記坦賛鉄路勝利運営一年」『人民日報』(1977年7月16日)、
p. 5。
(7) 川並将慶(1971年10月)「中国とアフリカの関係──タンザン鉄道を中心として」『レファ レンス』、p. 26。
人の乗客と約97万トンの貨物となり、上記『人民日報』に掲載された数 値とほぼ一致する。そして川並は、タンザン鉄道の当初の実績は比較的順 調であったが、その後時間の経過とともに種々の問題が発生し、深刻な経 営危機に直面するようになったと指摘している。
また、正式営業開始後10年間の状況についてJamie Monsonは、1975年(8)
から1985年の間、技術的な問題と管理の問題により、継続的な低迷を経 験したと指摘している(9)。川並やJamie Monsonが指摘している問題は、
1980年9月のTHE ECONOMIST (10)で指摘されているものと同じである。
その問題とは先ず、機関車や貨車の稼働率の悪さである。その原因は、
中国製ディーゼル機関車の馬力が弱く、故障を頻繁に起こすのにもかかわ らず、修理用部品の調達が困難であったため、運行できる機関車が総数の 半分以下の時もあったということである。また、ダル・エス・サラーム港 の能力不足、港湾荷役の非効率も問題であり、さらにザンビアはタンザン 鉄道の貨車を国内の鉄道に流用したため、貨車の回転率が悪かったことで ある。
次に、線路や鉄橋の破壊という問題もあった。1979年の春には豪雨に より、路線の一部が通行不能となっている。さらに10月にはローデシア の特殊部隊によりザンビア内の線路と鉄橋が爆破されている。この爆破に より1979年末の2か月間、輸出入は殆どが滞った(11)。ザンビアはローデシ アの内戦中、反政府勢力に基地を提供していたため、ローデシアの攻撃対 象となった。そして中国は反政府勢力のZANU(ジンバブエ・アフリカ民 族同盟)を支援していた。
競争激化の問題もあった。THE ECONOMIST (12)によると、当初ザンビ アは輸出入貨物の殆どをタンザン鉄道とタンザン・ハイウェイ(13)に依存
(8) 正式引き渡しは1976年7月だが、工事は1975年10月に完了し、試運転が開始されている。
(9) Jamie Monson (2011), Africa’s Freedom Railway, Indiana University Press, paperback edition, pp.
100‒101.
(10)(September 13 1980) Tanzania-Zambia railway The Uhuru patch-up, The Economist, p. 91.
(11) 「タンザン鉄道、爆破で不通」『朝日新聞』(1979年10月14日)、p. 7によると10月12日に、
ルサカ北方700キロメートルの線路一ヶ所と橋二ヶ所である。
(12)(September 13 1980) Tanzania-Zambia railway The Uhuru patch-up, The Economist, pp. 91‒92.
(13)タンザン・ハイウェイはタンザン鉄道とほぼ平行して走る道路であり、1966年に米国は 鉄道建設の代わりにタンザン・ハイウェイの建設援助を提案している。
していたが、1978年10月にザンビア政府はメイズと肥料の輸入のためロー デシアとの国境の一部を再開した。これにより南アフリカとモザンビーク の港を経由する輸出入が可能となった。このルートによるザンビアの輸出 入貨物は、1977年にはゼロであり1978年には全貨物量の9%(重量ベース)
であったが、1979年には41%を占めるようになった。これに伴い、ザン ビアの輸出入貨物に占めるダル・エス・サラーム港の占有率は、1977年 の83%、1978年の74%、1979年の49%へと減少している。さらに、ダル・
エス・サラーム港を経由する貨物の輸送においても、道路輸送との競争が 激化し、道路輸送は1978年の22万6,000トンから1979年には30万5,000ト ンへ増加している。
1978年10月にザンビア政府がローデシアとの国境を再開した件を、
Jamie Monsonの研究(14)では次のように指摘している。それは、ザンビア
のカプリムポシやタンザニアのダル・エス・サラーム港での荷役作業の遅 れにより、作付けを間近にひかえたザンビア農民に肥料が届かず、肥料が タンザニア国内に滞留したことにより両国関係が緊張した。そのためザン ビアはローデシアとの国境を再開し、その結果、食料や日用品、そして銅 も再びローデシアを経由する南部ルートを流通するようになったという指 摘である。ここに、鉄道の効率の悪さにより、競争相手である別ルートで の輸送を招き、それがさらに鉄道の経営を圧迫するという悪循環がみてと れる。
以上のような種々の問題により、タンザン鉄道は正式営業開始後の4年
間に、約2,600万ドルの累積赤字を見るに至った(15)。『朝日新聞』(16)によれ
ば、1980年8月に中国・タンザニア・ザンビアの3カ国政府代表はルサ カにて第3期技術協力会談を開催し、中国は1,400万ドルの借款供与と共 に新しい専門家チームを派遣することになった。会議は当初25日からの
(14) Jamie Monson (2011), Africa’s Freedom Railway, Indiana University Press, paperback edition, pp.
101‒102. この指摘はザンビアの統一民族独立党(UNIP)の記録をもとにしているが、筆者
はこの記録を確認できていない。
(15)(September 13 1980) Tanzania-Zambia railway The Uhuru patch-up, The Economist, p. 91.櫻井敏 浩(1985年6月)「中国の対外援助」『基金調査季報』海外経済協力基金、p. 182では1980年 までに2,500万ドルの赤字を出したとある。
(16) 「タンザン鉄道の援助継続を約束」『朝日新聞』(1980年9月7日)、p. 3。
2日間の予定であったが、会談は難航し5日間かかっている。
THE ECONOMIST (17)によれば、この会談において機関車が頻繁に故障
する問題や馬力の弱い問題に対し、中国は既存の借款契約のもと1億1,500 万ドルに及ぶ部品の供給と新たな専門家チームを派遣することを決めてい る。また当時の西ドイツはタンザニアとザンビアにそれぞれ1,900万ドル、
合計3,800万ドルの借款を与えることに同意し、両国はこれにより西ドイ ツから新たなディーゼル機関車14輌と、予備エンジンの購入を希望して いる。また『朝日新聞』(18)でも、ザンビアは西ドイツとの技術協力に基づ き機関車14輌を購入したいと述べ、試験的に機関車2輌のエンジンを西 ドイツ製のものに載せかえる契約をしたと指摘している。そしてJamie
Monson(19)は既存の機関車14輌を西ドイツ製の機関車に交換したことで、
鉄道は改善したと評している。
ローデシアの特殊部隊により破壊された線路と鉄橋の修復には、中国が 資材供給と技術者派遣を行い、欧州経済共同体(EEC)が250万ドルの支 援を行うと伝えられた(20)。『人民日報』(21)によれば、破壊された橋の一つ であるチェンビシ大橋の再建は、ザンビアと中国の労働者が協力し1980 年2月に仮の橋を設置し、1980年7月から全面的な修復を開始して1981 年1月に完成している。
輸送量の減少に対しては、タンザニアとザンビアおよびタンザン鉄道当 局の三者と鉱山会社の間で輸送量の割り当てに関して協議を行っている。
それによれば、1か月あたり約2万8,000トンをタンザン鉄道経由で、1
万8,000トンをタンザン・ハイウェイで、9,000トンを南部ルートに割り当
てることになっている(22)。
上述のルサカでの5日間にわたる会談は1980年9月2日付『人民日
(17)(September 13 1980) Tanzania-Zambia railway The Uhuru patch-up, The Economist, p. 91.
(18) 「タンザン鉄道の援助継続を約束」『朝日新聞』(1980年9月7日)、p. 3。
(19) Jamie Monson (2011), Africa’s Freedom Railway, Indiana University Press, paperback edition, p. 102によれば、中国製のディーゼル液体式(ディーゼル・ハイドロリック)機関車を西ド イツ製のディーゼル電気式(ディーゼル・エレクトリック)機関車へ交換している。
(20)(September 13 1980) Tanzania-Zambia railway The Uhuru patch-up, The Economist, p. 91.
(21) 「卡翁達総統為重建的謙比希大橋剪彩」『人民日報』(1981年2月21日)、p. 6。
(22)(September 13 1980) Tanzania-Zambia railway The Uhuru patch-up, The Economist, p. 92.
報』(23)でも公表されており、三カ国の代表は、タンザン鉄道が開業以来タ ンザニアとザンビアの経済発展に大きく貢献したという認識で一致したと している。その一方、具体的内容には一切触れていないが、タンザン鉄道 は新たな鉄道であり、いくつかの問題や困難に遭遇することは避けられな いと簡単にコメントしている。また、具体的な支援内容についても一切触 れていない。
中国人専門家の派遣に関しても、それまでの750人から150人に減らさ れることになり、タンザニアとザンビアは中国の熱意の後退に不信感を 持ったと『朝日新聞』(24)は評している。またJamie Monsonもこのルサカ での会議で、中国は継続して支援することに同意したが、その規模は縮小 したと指摘している(25)。
中国では、1978年12月の中国共産党11期3中全会を機に鄧小平体制が 成立し、非毛沢東化がさらに進捗していった。そして以前に比べ政治原則 よりも経済原則が重視されるようになっていった。また、1978年12月16 日の米中国交回復など、中国を取り巻く国際政治環境も変化していった。
このような状況が中国のタンザン鉄道援助にも影響を及ぼし、中国は経済 的な問題へ、より注意を払うようになった結果、ルサカでの第3期技術協 力会談は難航して派遣人員の削減につながったのではないかと思われる。
ルサカで第3期技術協力会談が開催された1980年の時点では、機関車 の問題や破壊された線路や鉄橋の復旧という物理的な問題に対し、中国は 資金や人員面で援助を行っていた。しかし1981年になると、中国は物理 的な問題だけでなく管理の問題を指摘するようになっている。『人民日報』
をみる限り、それまで具体的に管理の問題に関し言及してこなかったが、
1981年3月23日付『人民日報』ではニエレレの発言(26)として、管理業務
の改善に努力していることを紹介している。
また、タンザニアとザンビア両国間の協力常設委員会が発足し、共同コ
(23) 「坦賛鉄路技術合作第三次会談結束」『人民日報』(1980年9月2日)、p. 6。
(24) 「タンザン鉄道の援助継続を約束」『朝日新聞』(1980年9月7日)、p. 3。
(25) Jamie Monson (2011), Africa’s Freedom Railway, Indiana University Press, paperback edition, p. 102.
(26) 「尼雷尓総統在趙紫陽総理的歓迎宴会上説 坦中友誼永遠不会変」『人民日報』(1981年3
月23日)、p. 4。
ミュニケでタンザン鉄道の管理改善について言及していることを、1982 年3月15日付『人民日報』は指摘している(27)。さらに1982年12月6日には、
タンザニアとザンビアの大統領がタンザン鉄道の管理問題について会談を 行ったことを紹介している(28)。このように、鉄道の問題として管理が指摘 されるようになっていくなか、1983年8月には第4期技術協力会談が開 催されている。『人民日報』(29)によれば、この会談で、それまでの鉄道建 設に関する貸与資金の償還期限を10年間延長すること、1980年に12台の 機関車購入のため貸与した資金の償還期限を5年間延長すること、さらに
新たな3,000万元の貸与を行うことを決めている。そして、鉄道の経営管
理と技術管理を強化するために、中国は専門家を派遣することにも同意し ている。
そ の 結 果、1984年9月16日 付『 人 民 日 報』(30)に よ れ ば、1983年 か ら 1984年の会計年度には600万ドルほどの利益を上げ、1984年から1985年 の会計年度におけるザンビアからタンザニアへの輸送量は94万6,000トン から110万トンへ増加するだろうという、タンザン鉄道当局の発言を紹介 している。1984年10月29日付『人民日報』(31)では、鉄道の正式引き渡し 以降1983年までの三期にわたる技術協力において、現地に派遣した専門 家たちは技術指導を行ってきたが、鉄道の管理には関与してこなかった。
1983年8月の第4期技術協力会談では、経営状況を改善するために、鉄 道の管理にも関与することになり、これが功を奏し経営状態が改善したと 評している。また、この一年で状況は改善したが、管理面での改善はさら に推し進めていく必要があるとも指摘している。
1986年8月14日には、中国・タンザニア・ザンビアの三カ国によるタ ンザン鉄道に関する第5期技術協力会談の議定書が調印されており、この 議定書でも中国が鉄道の管理業務に参加することが述べられている(32)。
(27) 「坦賛決定加強合作」『人民日報』(1982年3月15日)、p. 6。
(28) 「坦賛両国領導人会談加強坦賛鉄路運輸」『人民日報』(1982年12月6日)、p. 6。
(29) 「中坦賛簽訂坦賛鉄路技術合作議定書」『人民日報』(1983年8月12日)、p. 6。
(30) 「薩利姆説坦賛鉄路是中坦賛友好合作象征 坦賛鉄路上一財政年度盈利六百多万美元」『人
民日報』(1984年9月16日)、p. 6。
(31) 「今日坦賛鉄路」『人民日報』(1984年10月29日)、p. 6。
(32) 「卡翁達説中国是賛比亜的全天候朋友 中坦賛簽署坦賛鉄路新技術合作議定書」『人民日報』
(1986年8月16日)、p. 6。
1986年には米国で反アパルトヘイト法が制定されるなど、南アフリカ への国際的な経済制裁が強化されるのに伴い、南アフリカは報復として国 内の輸送路を閉鎖するのではないかという懸念が強まっていった。そのよ うななか1987年2月には、タンザン鉄道経済援助者会議がダル・エス・
サラームで開催され、鉄道運営の改善と輸送能力増強のための1億7,900 万ドルの緊急予算について話し合われていることを『人民日報』(33)は報じ ている。この会議にはアフリカ開発銀行のほか、カナダ・スウェーデン・
EEC・オーストラリア・米国・フィンランド・フランス・西ドイツの関係 者が参加している。
1987年5月には、米国の会社がタンザン鉄道の設備・機材面での改善 に関し調査を行い、米国国際開発庁(USAID)へ報告書(34)を提出している。
この報告書では前述の中国製ディーゼル機関車のエンジンを西ドイツ製の エンジンに乗せ換える件に関し詳細に検討している。本来この調査は技術 面の調査であったが、大変重要だとして、あえて鉄道運営と整備工場運営 の改善が必要だと指摘している。そしてJamie Monsonの研究(35)によれば、
1987年10月にUSAIDは4,590万ドルの資金供与を行っている。
1989年7月15日付『人民日報』(36)によれば、1989年7月に米国が鉄道 の近代化のため、1,725万ドルの資金提供を申し出ており、この資金は8 輌の機関車と部品および関連施設の購入に充てられることになっている。
中国も同月、タンザニアとザンビア両政府と第6期技術協力議定書に調印 している。これにより中国は引き続き専門家を派遣し、鉄道への技術指導 を行い、また、管理にも参加することになった。さらに中国は、3年間に
5,000万元の貸付を与えることにもなっている(37)。
中国は、タンザン鉄道をタンザニアとザンビアに引き渡し正式開業した
(33) 「坦賛鉄路資助者会議坦桑招開」『人民日報』(1987年2月17日)、p. 6。
(34)米国のParsons Brinckerhoff International, Inc. が米国国際開発庁(USAID)に提出した報告書、
USAID (May 1987) Cost and Technical Feasibility Study Identified Improvements to the Equipment Fleet of the Tazara Railway. 米国国際開発庁のWebページ http://pdf.usaid.gov/pdf_docs/PDAAW779.
pdfから入手。(2017年3月30日アクセス)
(35) Jamie Monson (2011), Africa’s Freedom Railway, Indiana University Press, paperback edition, p.
102.
(36) 「美向坦賛鉄路提供援助」『人民日報』(1989年7月15日)、p. 3。
(37) 「中坦賛三国簽署合作議定書」『人民日報』(1989年7月30日)、p. 3。
後も、種々の問題を抱えた鉄道に対し、引き続き資金援助や技術援助を行っ てきた。1981年ごろになると鉄道が抱える基本的な問題として、管理に 言及するようになり、そこへの支援、さらに直接参加するようになっていっ た。また、80年代後半になると、西側諸国による援助も目立つようになり、
『人民日報』でもそれを報じるようになっている。
Ⅱ.1990年以降──再度現れた困難な状況
胡志超の研究(38)によれば、タンザン鉄道は1990年代に入り再度、経営 が困難な状況に陥っている。その理由は外部要因による輸送量低下と管理 上の問題である。
1983年から1993年の10年間、輸送量は90万トンから110万トンで安定 していたが、1993年以降急激に下降し、2000年までの6年間は60万トン 程度で推移した。下降の原因は、タンザニアとザンビア両国、および周辺 国の経済が停滞したこと、南部アフリカの政治状況の変化、経済封鎖の解 除、ザンビアからの輸送が多くのルートを選択できるようになったことな どである。例えば銅輸出ではタンザン鉄道以外に南アフリカ・モザンビー ク・アンゴラの道路と港を利用できるようになった。
南アフリカに対しては、1991年のデクラーク大統領によるアパルトヘ イト法撤廃の方針を受け、EC・米国・日本などは経済制裁を解除し、
1993年には国連総会でも経済制裁撤廃を決議している。
道路との競争も激化した。胡志超は道路輸送だとコンテナの利用効率が よく、ドア・トゥ・ドアのサービスも行えるというメリットがあったと指 摘している(39)。
管理体制は順調でなく、経営も活発でなかった。これはタンザン鉄道の 経営的成功にとって重要な問題であった。両国による共同経営は運営開始 直後には効果を発揮したが、その後は発展を望めなく、両国による利益の 均等分配などは資源の浪費をもたらした。管理体制の改革は必要であり、
(38)胡志超(2000年2月)「坦賛鉄路的過去、現在和未来」『鉄道経済研究』、p. 46。(2010年 7月7日CNKIより入手)
(39)胡志超(2000年2月)「坦賛鉄路的過去、現在和未来」『鉄道経済研究』、p. 46。
市場経済メカニズムを導入する必要があると考えられた(40)。
1992年12月11日付『人民日報』によれば、1992年12月に第7期技術協 力議定書が調印され、122名の専門家の派遣と3,000万元の貸付を行い、中 国より客車や機関車の部品を購入することになっている(41)。専門家の派遣 に関しては、何の専門家なのか明確には述べられていないが、経営や管理 の専門家が含まれていることも考えられる。いずれにせよ、目先の問題と して資金面での支援を中国は継続して行わなければならない状態であっ た。
1995年7月、当時副首相であった朱鎔基はタンザニアを訪問している が、デボラ・ブロウティガムの研究(42)によれば、朱鎔基は鉄道の民営化 に言及している。そして同時に新たな貸付を約束するとともに、約2,500 名いる従業員のリストラの必要性にも言及している。また、胡志超の研 究(43)では1995年7月から鉄道改革の一つとして、それまで理事会のメン バーは全て政府の人員で構成されていたが、民間からもメンバーを選出し、
経営効率を向上させる試みが始まったことを指摘している。この鉄道従業 員のリストラについては『人民日報』(44)でも触れられている。そこでは、
タンザニアの大統領は、最近来訪した朱鎔基副首相と両国の友好協力問題 について多く話し合い、タンザン鉄道の問題に対しては、両国の関係者が 輸送貨物の不足、組織の肥大化、人員過剰という問題の解決に向け検討し ていると述べていることを紹介している。
この時期は1992年1月の鄧小平によるいわゆる「南巡講話」に象徴さ れるように、「改革・開放」政策が推し進められ、経済的利益追求が許容 されていった時期である。それに沿うかのような、朱鎔基による鉄道従業 員のリストラ発言は、経済的な面よりも政治的な面を優先させて鉄道建設 の正式協定を結んだ1967年当時に比べ、1995年には経済的利益を重視す る中国の政策転換が見て取れる。
(40)胡志超(2000年2月)「坦賛鉄路的過去、現在和未来」『鉄道経済研究』、p. 47。
(41) 「中坦賛簽署合作文件」『人民日報』(1992年12月11日)、p. 7。
(42) Deborah Brautigam (2009), The Dragon’s Gift’s the Real Story of China in Africa, Oxford University Press , p. 85.
(43)胡志超(2000年2月)「坦賛鉄路的過去、現在和未来」『鉄道経済研究』、p. 47。
(44) 「坦賛尼亜総統盛賛坦中友誼」『人民日報』(1995年8月16日)、p. 6。
1996年7月15日付『人民日報』(45)にはタンザン鉄道の紀行文が掲載さ れており、当時の鉄道が抱えていた多くの問題が指摘されている。最も大 きな問題として、輸送貨物量の不足をとりあげ、その原因はザンビアの銅 生産量の減少やザイール(現コンゴ民主共和国)やマラウィなど周辺国の 輸出入貨物量の限界としている。また、南部アフリカ情勢の緩和により南 アフリカ・モザンビーク・アンゴラを経由する港へのルートが開通し、タ ンザン鉄道以外に輸送物資が分散したことも取り上げている。次に、タン ザン鉄道と平行する幹線道路(46)が整備され輸送能力が増強されたことに よる、鉄道と道路の競合も取り上げている。さらに、一本の鉄道を二カ国 で共同管理する体制が問題をもたらしているとも指摘している。
これらの問題に対する対策は、鉄道の民営化だとしている。その具体策 として次のような項目を挙げている。工場など付属機関の採算性の強化、
広告宣伝の強化、タンザニアの港湾局やマラウィの貨物センターなどが協 力して積極的に新規市場を開拓する。車両工場は新たな製品を開発し、多 角経営へ転換する。貨物輸送に通し切符を採用し、極力顧客の不便を減少 させ、サービスの向上を図る。全従業員に対し、ノルマを超えた貨物輸送 量にリンクする奨励金制度を実施する。各職場の従業員に対し業務訓練を 強化する。
1997年5月の李鵬総理のタンザニア訪問時には、タンザン鉄道への借 款協定が調印されており、8月には第9期技術協力議定書が調印されてい る(47)。この訪問時に李鵬総理は、両国の経済貿易協力関係について、従来 の無償援助に限らず、両国企業間の平等で相互利益となる協力関係という、
新しい方式を追及しなければならないと話している(48)。この点からも中国 の対外経済協力への態度の変化が読み取れ、タンザン鉄道への援助にも影 響している。
この後も1997年10月に、6輌の最新型ディーゼル機関車を中国はタン ザン鉄道に提供している。この機関車は大連機車車輌廠が製造した「東風」
(45) 「“自由之路” 通未来──坦賛鉄路紀行(上)」『人民日報』(1996年7月15日)、p. 6。
(46)既述のタンザン・ハイウェイだと考えられる。
(47) 「中坦賛簽署新坦賛鉄路合作議定書」『人民日報』(1997年8月28日)、p. 7。
(48) 「李鵬強調中坦合作要探索新模式」『人民日報』(1997年5月14日)、p. 6。
型3,000馬力のもので、これは1995年8月に調印された協力議定書の一項 目として提供されたものである(49)。また、1999年12月には北京にて、中国・
タンザニア・ザンビアの関係者によるタンザン鉄道に関する第10期技術 協力会談が行われ、具体的項目について同意に至っている(50)。このように、
1990年代になっても、中国は継続して援助を続けている。
2001年7月19日には、タンザニアのダル・エス・サラームに中国・タ ンザニア・ザンビアの関係者が集まり、タンザン鉄道営業開始25周年式 典が開催されている(51)。また8月24日にはザンビアのカピリムポシでも 同様に式典が開かれており(52)、関係国政府の代表者たちが参列している。
2000年代になっても、このような式典が開催され『人民日報』でも報道 されており、鉄道の象徴的な側面が感じられる。
Ⅲ.民営化への動き
2004年4月1日付『人民日報』(53)では、タンザン鉄道は7,000万ドルに およぶ外国からの借金を抱え赤字に陥っており、港湾費用の支払いが滞り 電力料金も支払えず、自立は難しく悪循環に陥っていると、常にメディア に指摘されているという記事を掲載している。そして鉄道の財務危機の主 因は経済発展の鈍化、市場競争の激化、周辺諸国の政情不安定などによる 輸送量の継続的な減少による収入の減少であると指摘している。また、長 年修理を怠ってきたことによる機関車の不足と管理体制の不備も指摘して いる。管理体制の問題点としてタンザニアとザンビア両国政府の影響力が 強すぎること、一路線の鉄道を二カ国で管理することが、市場経済に適合 していないとしている。
さらに、この『人民日報』によれば、1999年12月には上海鉄路局がタ ンザン鉄道の合資経営の可能性調査を開始し、タンザニアとザンビア両国 も鉄道の民営化に原則同意している。2002年8月にはタンザニアとザン
(49) 「中国坦賛鉄路提供6台機車」『人民日報』(1997年10月27日)、p. 7。
(50) 「坦賛鉄路技術合作部長級会談在京挙行」『人民日報』(1999年12月11日)、p. 2。
(51) 「中坦賛三国挙行活動 慶祝坦賛鉄路運営25周年」『人民日報』(2001年7月21日)、p. 3。
(52) 「中賛坦慶祝坦賛鉄路運営25周年」『人民日報』(2001年8月26日)、p. 2。
(53) 「探索管理新路 坦賛鉄路紀行之二」『人民日報』(2004年4月1日)、p. 7。
ビア両国はルサカにて鉄道民営化問題検討会を開催し、民営化のための行 動計画を制定している。また、2003年12月19日には世界銀行の支援のもと、
タンザン鉄道のフランチャイズ経営(特許経営)の可能性評価を行ってい る。これに対し中国は、最終的にタンザニアとザンビア両国が現実に合っ た改革方式を見つけ出すことを希望すると表明し、併せて力の及ぶ範囲内 で引き続き援助を提供するとしている。
この『人民日報』でも、開業当初からの問題である、輸送量の低下や機 関車の不足などを引き続き指摘している。さらに、その後指摘されるよう になってきた管理体制の不備にもふれ、民営化の必要性を指摘している。
そして2000年ごろには、より具体的に民営化へ動き出し、中国も積極的 に関与していることがわかる。
世界銀行の関与に関しては、中国商務部のWebページ(54)でも紹介され ており、それによると2004年2月12日、タンザン鉄道民営化の可能性調 査を行う企業に、世界銀行はプライスウォーターハウスクーパース社(55)
を指定している。そして1か月以内にタンザン鉄道当局と専門組織を立ち 上げ、会議を開き6か月以内に調査を完了することになっている。さらに、
2009年12月21日には、中国・タンザニア・ザンビアの3カ国間で、タン ザン鉄道の第14期技術協力とフランチャイズ経営に関する会談が実施さ れ、第14期技術協力議定書が調印されていることを、中国商務部のWeb ページ(56)は紹介している。対外経済援助の窓口である商務部も、タンザ ン鉄道の民営化への動きを紹介しており、中国の民営化を推進したいとい う思いが感じられる。
(54) 「世界銀行選定普華永道公司対坦賛鉄路私有化進行可行性諮詢研究」2004年2月18日。中
国商務部のWebページhttp://search.mofcom.gov.cn/swb/recordShow.jsp?flag=0&lang=0&base=if low_1&id=yws200402001834791&value=(%E5%9D%A6%E8%B5%9E)(2017年3月30日 ア ク セス)
(55)ロンドンに本拠をおく世界的なコンサルティング会社。
(56) 「傅自應副部長与坦、賛連合代表団双団長共同主持坦賛鉄路第十四期技術合作部長級会議」
2009年12月22日。中国商務部のWebページhttp://search.mofcom.gov.cn/swb/recordShow.jsp?fl ag=0&lang=0&base=iflow_6&id=yws200912066889481&value=(%E5%9D%A6%E8%B5%9E)
(2017年3月30日アクセス)
米国の鉄道業界誌International Railway Journal (57)によれば、2012年11月、
4,200万ドルを中国企業による鉄道再建計画に使用することに、タンザン
鉄道当局は中国と合意している。この4,200万ドルは2012年3月に調印さ れた中国による6,620万ドルの借款・贈与から支払われることになってい る。また、2014年にタンザン鉄道当局は、中国南車戚墅堰機車有限公司(CSR Qishuyan Locomotive Co., Ltd)に対し、総額1,250万ドルにおよぶ、4輌の 機関車(58)を追加発注している。この機関車は前年に6輌導入された後、
初期トラブルを改善したものであり、追加の4輌は2014年12月までに納 入される予定であった(59)。
2015年3月にはザンビアの交通省がタンザン鉄道の5,000人近くの従業 員全員を対象に、一定期間ごとに具体的な目標を設定する能力契約を導入 すると発言している。一方、従業員側は5か月におよぶ賃金の遅配に対し 1週間のストライキを行っている。この当時のタンザン鉄道は1か月あた り250万ドルの収入があったが、140万ドルの賃金を含む300万ドルの支出 があった(60)。
2013年度の貨物輸送量は20万8,538トンであったが、2014年度は9万ト ンと57%減少した。この状況を受けタンザン鉄道当局は、2015年度の支 出を計画から50%削減し、4,580万ドルとすると発表している。そして、
タンザニアとザンビア両政府はタンザン鉄道当局に対し、経済的に自立す ることを勧告している。これに対しタンザン鉄道当局は「両国政府が継続 的にタンザン鉄道を支援することは難しいと認識している。タンザン鉄道 は潜在的に独立した会社であり、自立して前進しなければならない」とい
(57)(Wednesday, November 07, 2012) China signs Tazara rehabilitation deal, International Railway Journal. Webページ http://www.railjournal.com/index.php/africa/china-signs-tazara-rehabilitation- deal.html?channel=000(2016年8月9日アクセス)
(58) SDD20型ディーゼル機関車。
(59)(Thursday, March 06, 2014) Tazara orders more Chinese locomotives, International Railway Journal. Webページ http://www.railjournal.com/index.php/africa/tazara-orders-more-chinese- locomotives.html?channel=000(2016年8月9日アクセス)
(60)(Friday, March 06, 2015) Tanzania and Zambia agree to revive Tazara, International Railway Journal. Webページ http://www.railjournal.com/index.php/africa/tanzania-and-zambia-agree-to- revive-tazara.html?channel=000(2016年8月9日アクセス)
う声明を発表している(61)。
2015年ごろには、ますます経営状況は厳しくなり、タンザン鉄道の労 使間の軋轢も増しているようである。そしてすでに、タンザニアとザンビ ア両政府が鉄道を支援することは、困難であることが明確になっており、
タンザン鉄道当局もそれを理解している。政府も鉄道当局も、民営化によ る自立の必要性を感じている。
2016年になると、5月9日から12日まで中国・タンザニア・ザンビア 3カ国の関係者はダル・エス・サラームにて、タンザン鉄道の再建計画に ついて話し合っている。タンザン鉄道当局が公表するところによれば(62)、 会議では中国の鉄道第三勘案設計院集団有限公司(TSDI)による調査結 果が検討されている。
上記会談の直後である2016年5月26日に中国商務部はWebページ(63)
で、困難な状況にあるタンザン鉄道の民営化として、タンザン鉄道の経営 は中国鉄路総公司に引き継がれるだろうという、現地新聞の記事を紹介し ている。この現地新聞は2016年5月16日のThe Citizenで、中国商務省が 紹介している記事をWebページ(64)で確認することができ、記事のタイト ルは「新たな計画のもと中国がタンザン鉄道を引き継ぐ(China to take over Tazara in new plan)」である。この中国が鉄道の経営を引き継ぐとい う民営化案は、上記5月9日から12日まで行われた再建計画の話し合い のなかで合意が得られたものである。
しかし、7月のThe Citizen(65)では、タンザン鉄道のひどい財務状況は、
(61)(Wednesday, December 23, 2015) Tazara suffers huge fall in freight traffic, International Railway Journal. Webページhttp://www.railjournal.com/index.php/freight/tazara-suffers-huge-fall-in-freight- traffic.html?channel=000(2016年8月9日アクセス)
(62)(May 19, 2016) China, Tanzania, Zambia discuss future of TAZARA.タンザン鉄道(TAZARA)
のWebページhttp://tazarasite.com/?m=201605(2016年8月8日アクセス)
(63) 「中方新計画将接手坦賛鉄路」2016年5月26日。中国商務部のWebページhttp://www.
mofcom.gov.cn/article/i/jyjl/k/201605/20160501326650.shtml(2016年8月4日アクセス)
(64)The Citizen (2016) China to take over Tazara in new plan (May 16). Webページhttp://www.
thecitizen.co.tz/News/China-to-take-over-Tazara-in-new-plan/1840340-3205138-kqg4wh/index.html
(2016年8月5日アクセス)
(65)The Citizen (2016) Sh94 billion debt casts dark shadow over Tazara revival (Jul. 7). Webページ http://www.thecitizen.co.tz/News/1840340-3275372-kno16kz/index.html(2017年3月3日アクセ ス)
中国企業が経営を引き継ぐというコンセンサスを後退させている、という 記事を掲載している。そして、2017年になっても、中国がタンザン鉄道 の運営を引き継ぐ状況にはなっていない。
中国の外交部長は、毎年年初にアフリカ諸国を訪問することを慣例とし ている。2017年もアフリカ諸国五カ国を訪問しているが、その一つであ るザンビアを訪問した際、王毅外交部長はタンザン鉄道への援助に触れて いる。そして、タンザン鉄道の運営管理の全面的な改革が必要であると言 及している(66)。2017年2月17日のThe Citizen(67)では駐タンザニア中国大 使によるタンザニア経済への言及を紹介しているが、その一部で、タンザ ン鉄道の引き継ぎを推進するために必要な、タンザニアとザンビア両政府 の変革を中国は待っていると述べている。
タンザン鉄道の経営改善のためには、中国が主導する民営化が望ましい という点において、タンザニア・ザンビア・中国とも考えは共通している。
しかし、あまりにもひどい経営状況は、経営を引き継ぐという対策を、中 国がとることを躊躇させている様子が窺える。
おわりに
中国によるタンザン鉄道建設の援助は1965年8月に12名の測量チーム がダル・エス・サラームに到着したときに始まっている。その後1967年 9月に鉄道建設協定が調印され、1970年10月に鉄道建設が正式に始まっ た。そして1976年7月14日にタンザン鉄道は、正式に中国からタンザニ アとザンビアへ引き渡された。
この鉄道の建設に対し中国は、10億9,437万元の資金援助と延べ5万人 におよぶ人員を派遣しており、この援助規模は当時の中国にとり莫大なも のであった。このような莫大な援助を実施した理由は、当時の中国は国際 社会のなかで自国の立場を優位にするためにアフリカ諸国の支持を得る必
(66) 「王毅:将坦賛鉄路打造成為合作之路和繁栄之路」2017年1月9日。中国外交部のWebペー
ジhttp://www.fmprc.gov.cn/web/wjbzhd/t1429022.shtml(2017年3月2日アクセス)
(67)The Citizen (2017) Chinese envoy: How to hit 7pc (Feb. 17). Webページhttp://www.thecitizen.
co.tz/News/Chinese-envoy--How-to-hit-7pc/1840340-3816724-j2icjh/index.html(2017年3月2日 アクセス)
要があり、多分に政治的なものであった。
鉄道は1976年にタンザニアとザンビアに正式に引き渡されたが、間も なく経営的な苦境に陥った。その理由は機関車自体の性能や修理の問題、
自然災害やローデシア軍による鉄道の破壊、他の輸送路との競争激化、輸 送貨物の減少などであった。そして中国はこれらの問題に対処するため支 援を続けた。
1980年代に入ると、鉄道が抱える大きな問題として、管理体制を中国 は指摘するようになり、中国も鉄道の管理に参加するようになっていった。
この頃になると中国を取り巻く環境は、鉄道援助を決めた時期と大きく変 化していた。すでに国連での議席を得て、米国との国交も樹立しており、
以前に比べアフリカ諸国へ政治的に接近する必要性が少なくなっていた。
国内的にも1978年の中国共産党11期3中全会以降、非毛沢東化が進捗し 鄧小平体制が確立していく中、経済発展が重視されるようになっていった。
このような中国を取り巻く国内外の状況変化が、1980年8月の第3期技 術協力会談の難航や派遣人員の削減など、中国のタンザン鉄道への援助姿 勢にも変化をもたらした。また、タンザニアとザンビア両国政府が経営す るタンザン鉄道の管理体制の問題を指摘し、それに中国も関与するように なっていった。そして、その後いったんは鉄道も利益を出すようになった。
1990年代に入り再度、経営が困難な状況に陥っている。その理由は外 部要因による輸送量低下と管理上の問題であった。1995年7月、当時副 首相であった朱鎔基はタンザニアを訪問しているが、その際、鉄道の民営 化と従業員のリストラの必要性に言及している。
1992年初の鄧小平の「南巡講話」により「改革・開放」路線が推進さ れるなど、中国国内ではより経済発展が重視されるようになっていった。
このような状況によりタンザン鉄道の経営問題に対しても、民営化や従業 員のリストラといった具体的で厳しい改善策を明確に言及するようになっ ていったと考えられる。
2000年代になるとタンザン鉄道の民営化は具体的に検討されるように なり、中国も直接民営化の検討を行うようになっていった。そして、2016 年には中国自身がタンザン鉄道の運営を引き継ぐという報道もなされた。
しかし、あまりにもひどい経営状況は、経営を引き継ぐということに対し
中国を躊躇させており、2017年になっても実現されていない。
すでに述べたように、1960年代前半の中国は国際的な紛争や台湾との
「中国」の正統性をめぐり支持を得るため、また孤立化の圧力から脱する ため、アフリカ諸国への関与を深めていった。そして関与の一つの側面で ある経済援助の象徴的な事業としてタンザン鉄道建設援助は開始された。
当初、タンザニアとザンビアは西側諸国にタンザン鉄道建設の援助を要請 したが、西側諸国は採算が合わないとして援助要請を断っている。そのよ うな状況で、中国が援助を引き受けたことからも、中国の援助への動機は 経済的なものではなく、多分に政治的なものであったと考えられる。
その後、中国を取り巻く国際的、国内的な環境は大きく変化し、現在に 至っている。現在の中国にとっても、タンザニアやザンビアを含むアフリ カは、依然、重要な地域であり、政治的にも重要であるが、その経済的重 要性がより強く意識されるようになっている。経済成長を続けてきた中国 にとり、アフリカの資源は重要である。また、多くの人口を抱え、これか らも人口増加が見込まれるアフリカは、中国製品の巨大な市場としても大 変重要である。そして中国によるアフリカへの経済援助も、60年代のよ うな借款や供与といったものから、現地への投資へと変化している。多く の中国企業は現地に進出し、中国も利益が得られる方式へ変化してきてい る。さらに最近では、経済的成功を夢見る多くの中国人の移民先として、
アフリカを重要視する見解も出てきている(68)。
以上のように、その要因は変化したが、中国にとりアフリカは現在でも 重要な地域であり、多くの問題を抱え続けているタンザン鉄道に対し中国 は支援を続けている。その理由は、タンザン鉄道は中国の対アフリカ経済 援助における象徴的な存在であり、現在の中国外交においても強調されて いるように、中国とアフリカ諸国の友好関係を示すものであり、中国はタ ンザン鉄道を破綻させるわけにはいかないからである。
一方、経済進出を進める現在の中国とアフリカ諸国間で摩擦も生じてい る。例えばタンザン鉄道を有するザンビアでは、ザンビアへ進出した中国
(68)ハワード・W・フレンチ(2016年3月10日)『中国第二の大陸 アフリカ 100万の移民が築 く新たな帝国』栗原泉訳、白水社
企業と現地住民の間で紛争も発生しており(69)、2006年の大統領選挙では当 選はしなかったものの、野党候補が中国企業の追放を訴えている。しかし 中国が実施している経済援助は、ザンビアと中国の関係が決定的に悪化す ることを抑制する一因と考えられる。その経済援助を象徴するものがタン ザン鉄道に対する継続した援助である。このような状況は他の多くのアフ リカ諸国にも存在すると思われる。
中国は2014年にアンゴラでベンゲラ鉄道の復旧工事を完成させてい る(70)。これは中国が海外で手掛けた鉄道としてはタンザン鉄道に次ぐ長さ である。ベンゲラ鉄道は大西洋に面したロビト港から東に向け延びており、
隣国コンゴ民主共和国の鉄道と接続される。そしてタンザン鉄道とも接続 される計画がある。これはタンザン鉄道のライバルとなる輸送手段を提供 するものである。ザンビアやコンゴの主要輸出産品である銅を考えれば、
多くを消費する先進国が存在するヨーロッパやアメリカ大陸へ輸送するた めには、大西洋へつながるベンゲラ鉄道のほうが有利だと想像できる。よっ て、インド洋につながるタンザン鉄道にとり不利になる。それにも関わら ず中国はベンゲラ鉄道の復旧を支援し、同時にタンザン鉄道も支援し続け、
中国が鉄道の経営を行う可能性も報じられている。
ベンゲラ鉄道がタンザン鉄道と接続されれば南部アフリカを横断する鉄 道に中国が多くの影響力を及ぼすことになる。ベンゲラ鉄道だけでなく、
タンザニアのCentral Lineの改修(71)にも中国企業が参加することや、ケニ ヤのナイロビとモンバサを結ぶ鉄道を中国が建設したことなど(72)、現在で もアフリカでいくつかの鉄道建設に中国は関与している。アフリカの鉄道
(69)平野克己(2013年5月)「対アフリカ戦略『中国版マーシャルプラン』を分析する」『外交』
(特集 日本戦略外交の死角アフリカ)Vol. 19、外務省、pp. 34‒36、など。
(70) 「中国鉄建、アンゴラの鉄道を完工」『日本経済新聞』Web刊、(2014年8月14日)。http://
www.nikkei.com/article/DGXLASDX1400A_U4A810C1FFE000/(2016年8月16日アクセス)
(71)The Citizen (2017) Chinese envoy: How to hit 7pc (Feb 17). Webページhttp://www.thecitizen.
co.tz/News/Chinese-envoy--How-to-hit-7pc/1840340-3816724-j2icjh/index.html(2017年3月13日 アクセス)など。
Central Lineはダル・エス・サラームからタンガニーカ湖畔のキゴマやビクトリア湖畔の
ムワンザなどへ通じる鉄道で、軌道幅1mから標準軌へ変更される。
(72) 「『中国造』蒙内鉄路開始聯調聯試 肯尼亜版『京滬鉄路』6月試運行」2017年3月8日。
中国アフリカ協力フォーラムのWebページhttp://www.focac.org/chn/zxxx/t1444044.htm(2017 年3月13日アクセス)
網に中国が影響力を及ぼし、アフリカにおける中国の経済的・政治的存在 感を高めるという政策の可能性も想像できる。そうだとすると、対アフリ カ経済援助の象徴的な存在というだけでなく、鉄道網によるアフリカへの 影響力行使という文脈においても、タンザン鉄道の破綻は避けなければな らず、中国は支援し続けることになる。
参考文献
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Summary
Tan-Zam railway construction afterwards:
Focused on Chinese involvement
Kyoji MURAKAMI
The Tan-Zam railway is a 1,860km long railway linking the port of Dar es Salaam in Tanzania with the town of Kapiri Mposi in Zambia. The railway construction was started in 1970 with Chinese aid and completed in 1976. China provided 1,094 million RMB and 50 thousand labors for this project, and these are huge amount for China in that moment. That moment it was necessary for China to get political support in the world politics, so China provided such a huge amount of aid to African countries.
In 1976, China handed over the railway to Tanzania and Zambia officially. After then soon railway faced on many problem, such as poor efficiency of locomotive, railroad destruction by natural disaster and Rhodesia army, competition with road transportation and decrease of freight. For deal with these problem China continuously provided aid.
Beginning of 80’s, China started to point out the management as an important problem for the Tan-zam railway, and China participated in railway management.
As a result, affairs of railway was improved temporarily. When the 90’s began, however, railway faced on management problem and freight reduction again.
In the 2000’s, it was started to study privatizing the Tan-zam railway, China also have studied privatization. And in 2016, Tanzanian newspaper reported that, China herself is going to take over the Tan-zam railway. However, its bud business situation makes China to hesitate take over the railway. So in the 2017, China still not take over the railway.
However, China still provide aid for the Tan-zam railway, because it is symbol of Chinese aid for African countries and it is important for Chinese foreign affairs.
In this moment, except the Tan-zam railway, China is still providing railway construction aid in Africa. There is possibility that, China hope to enhance the presence in Africa by railway. If so, also in this context, the Tan-zam railway become important and China need to provide aid to the Tan-zam railway continuously.