三重 大 学 教 育 学 部 研 究 紀 要 第5 9 巻 人 文 科 学 (2 0 0 8) 6 7 ‑ 9 1 頁
英 語 俳 句 試 論 (Ⅰ) : 日本 語 俳 句 の受容と展 開
宮 地 信 弘
A n Es s a ァo n E n g lish H ai ku (Ⅰ):
T he A c c e pta n c e ofJapa n e s e H ai ku a n d N e w D e v elop m e nts
N obu h iro M I Y ACH I
序
日本で生 ま れた俳 句は も は や 日本だ けの独 占物では ない。 いま や俳 句は世 界中に広ま っ てお り、 英 語は も ち ろ んの こと、 フ ラン ス語、 ス ペイ ン語、 ドイツ語、 イ タ リア語、 オランダ語、 ギ リシ ア語、 ア ラ ビ ア
語、 中 国語な ど、 それぞれの国や文化 圏で自 国の言 語を 用いて俳 句が作ら れている。 紹 介を兼ねて、 ま ず 英 語 俳 句を中心にいくつか例を挙げ る ( 言わ ず も が なの こと だ が、 和訳 は あ く までも原 句を味わ う た めの
参 考に過ぎ ない。 「翻 訳 者は反 逆 者」 ("tr adut to r e, tr adito r e ") という イ タ リアの古い諺にも言う よ うに、 外 国語を 日本 語に移せば、 多くのものが失わ れ、 同 時に余 計な ものが加わ る。
一 語の選 択 如 何で句の表 情 が大き く変わ る俳 句のよ う な制 約の厳しい文 学 形 式にあっ ては な お さ らの ことであ る)。
tr ap ped
in the r e v olving do o r a utu m n le a v e s
(Pete r Br ad y: U nited State s)
3 a . m .
the a l rPO rt C O n V eyO r tu r n l ng
o n e b at te r ed gr e e n v alis e
(M a ria n n e B luge r ‥C a nada)
ch ild's v oic e ‑ the old dog
s et tle slo w e r in its b o x
(C yril C h ild s : N e w Z e ala nd)
s c e nt ofhya cinth 丘11s the e m pty r o o m ‑
m othe r
'
s b irth day
(D od e r o vi C y Zo r a n : Y ogo sla via)
1 6 7 ‑
回転ドア に
閉じ込め ら れて
秋の木の葉たち
午 前3 時
空港の 回 るコ ンベ ア 一
線の手 提げ か ばん潰れて 一 つ
子ど もの声 一 老いた犬は
箱の中でさ らに体を低く す る
ヒヤシン ス の匂いが 何も ない部屋に満ち る ‑ 母の誕 生 日
a le af
patch ing a hole
in m y sho e
(Fu nda えeljko, C r o atia)
chicke n po x ‑
the e m br a c e of m y da ughte r e v e n W a r m e r
(D i mita r A n akie v : Slo v e nia)
lo ng afte r da rk
the fish ing bo at r etu r n s cJa r ryl ng m o o nli g ht
(H . F. N oye s : G r e e c e)
一 枚の
木の葉が繕う 靴の穴
水 病 癖一 娘を抱く
よ り あ た た かく
夜 遅く 釣 船が も どる 月 光を 引 きつ れて
M ein G artche n v e rka uft ‑
Vie a nde r s k lingt a ur ein m al de r V 6gel Ge s a ng!
(sabin e S o m m e rk a m p: G e r m a ny)
H a v u elto d el c a n s a n cio
M ie ntr a s la ola
Se aleja d e spa cio・
(A n a R o s a N 血ae z : M e xic o)
D e s c o r n eille s c r aille nt
da m s u n o r m e d e s sich6 de nteille d ujo u r
(AIpho n s e P ich i: Ca n ada)
Statio n b uilding
sho rte r tha n the tr ain
‑ winte rb eg in s
(Ando T o miz o :Japa n)
庭を売り ‑ 何と違う響き か 烏の歌
疲れて帰る 波が ゆっ く り 引い ていく
乾いた檎の木に 鳴 くカラス
光の レ ー ス
駅 舎
汽 車よ り も短く 一 冬が始ま る
用いている言 語は異な る が、 いず れ も俳 句 的な瞬 間を巧みにと ら え、 俳 句の味わい をそれ な りに伝え ている。 日本 的な 「 わ び」 や 「 さ び」 の美 学に通じ る句も あ れ ば、 ユ ー モ ラス な句も あ る。 実 質 的に世 界共 通 語であ る英 語が俳 句 的 世 界の表現 を可 能にしたと き、 俳 句は極 東の 島 国日本か ら世 界の hai ku へ 変 貌し た と言え る だ ろ う。 ア メリ カ俳 句 協 会 ( HSA) の機 関誌 を編 集して いたJi m K a cia n は俳 句の普 遍 性を水の元素にた と えて、 次の よ うに言う。
ー6 8 ‑
英 語 俳 句 試 論 (Ⅰ) : 日本 語 俳 句の受 容と展 開
H ai ku is ele m e ntal,li ke w ate r. T ho u gh it ha sc o m e to u sfr o m Japa n,itis n o m o r eJapa n e s e tha n w ate r・
N o risit English, o r Slo v e nia n o r Ba ntu ・ L i ke w ate r, ltis u niv e r s al,in sta ntly r e c ogniz ed fらr w hatitis a nyw he r e. L ik e w ate r, 1t a ris e s fr o m a de ep p la c e w h ich u nde rlie s all o u r c o m m o n gr o u nds, u n aw a r e of the te m po r a ry bo u nda rie s that m e n m ay p la c e o n the s u rfa c e abo v e it・ It m ay e m e rgein a gr e at m a ny pla c e s a nd in dif fe r e nt fo rm s・
1)
俳 句は、 水と同 様、 元 素 的なものだ。 そ れ は 日本か ら わ れ わ れの元に届いた が、 水が そ うであ る よ うにもは や 日 本語のもの では ない. ま た英 語のもの でもスロ ヴュ ニ ア語のもの でも、 パ ン ツ 一 語のもの でも ない。 水と同じ く、
俳 句は普 遍 的なもの で、 どこ であっ てもた ち どころに俳 句だ と認 識さ れ る。 水と同じく、 俳 句は我々 の共 通の大 地の基 盤を な す深い場 所か ら、 人 間がそ の上の表 面に置 く一 時 的な境 界な ど知らぬげに立 ち現れ る。 それ は実に
多 くの場 所で、 違 った形 式を と って出現してくるのだ。
こ の小 論では、 英語 俳 句につ いて、 その発 展の歴史、 形 式 的特 徴、 そ して英 語 俳 句の 実験を概 観し、
詩と俳 句の相 違 ( 次 号 掲 載 予 定) に つ いて考えてみ たい。 な お、 こ こで言う 「英 語 俳 句」 と は 必 ず し も 英 米 中心の英 語文 化 圏 内で書か れ た俳 句ということ を意 味し ない。 文化圏を ま た が っ て、 文 字 通り 「英 語で書か れ た俳句」 を さ す。
1 . 英語俳 句 発展の歴史 : 概 観
英語によ る俳 句の発 展の詳 細な歴 史につ いては、 参考と して次 号の論 文 末に 「海 外へ の俳 句の広が り: 関 係年 表」 を付け る予定なので、 詳 細はそち ら を参 照さ れ たい。 こ こではその発展の歴史を大ま かに辿っ
て お く。
(1) 1 9 世 紀 末: 俳 句との出会い
日本の俳 句が外 国に、 特に西 洋 世 界に知ら れ る よ うにな っ たの は19 世 紀の終わ り頃、 日本が明治 維 新を迎えてか らの ことで あ る。 日本が世 界史の中に大き く組み込ま れて いく近 代化 の過程で、 俳 句も西 洋 近 代 世 界に発 見さ れていく。 当 時、 日本にや っ てき た西 洋の外 交 官や明 治 政 府のお か か え教 師た ち は、
それ までの長い鎖 国で漠と し た神 秘の霧に閉ざ さ れて いた 日本文化に興 味を持ち、 それ を母 国に精 力 的
に紹 介して いく。 そ の中で 日本の代 表 的 詩歌で あ る和歌や俳 句も言 及さ れ、 そ の存 在が知ら れ る よ うに な る。 し か し な が ら、 最 初は西 洋の伝 統 的な詩の概 念で見て いた た め (そ の背 後に西 洋 中心 主義 的な視 線が潜ん でいたこと ば言う までも ない) 、 あ ま りにも短い俳 句を 一 つ の詩の ジャ ンル であ る と 認 め るこ
と ば困 難だ っ た。 叙 事 詩や拝 情 詩の長い伝 統を持つ西 洋か ら す れ ば、 俳 句のよ う な短い作 品を詩の中の どこに位 置づ け た ら よいか当 惑し た だ ろ うこと ば容 易に想像でき る。 一 般に西 洋において は、 詩は 一 つ
のま と ま った詩 想を表現 す るの にあ る程 度の長さ が 必要と さ れ る。 短い詩は子 供 向けの ナ ー サリ ー ライ
ム やエ ドワ ー ド・リアが得 意と し た リメリ ック (5 行戯 詩)2) のよ う な戯れ 唄 と し か み な さ れ ない。 187 3 年に来日し、 東 京 帝 国 大 学で言 語 学を講じ たB a sil H . C ha m be rlain は、 俳 句を紹介する際、 おそ らく俳 句を区 分け す る適 切な ジャ ンルが見 出せ な か っ たの であ ろ う、 『ガ リバ ー 旅 行記 』 に出てく る小 人 国
ウ ルトラ りり ビュ‑ シ アン
(リ リパ ット国) になぞ らえて 「超小人 国 的な 一 種の詩」 こ与) であると し、 西 洋に苦か ら あっ て、 形 式 的な 面か ら 見て俳 句に最も近い epi gr a m ( 寸 句 ・ 寸 鉄 詩)i ) という訳 語を あて て いる が、 それ も無理 から ぬ
こ とであ っ た。
俳 句の詩 的価 値を 正 当に評 価し、 俳 句を詩と して認めたの は1 890 年 (明治23 年) に来日し、 6 年 後
‑ 6 9 ‑
に日本に帰化 した Lafc ad io H e a r n ( 日本では 小泉八雲と して有 名) が最 初で あ っ た。 彼は、 俳 句は
「選び抜い たわ ず か な言 葉でイメ ー ジやム ー ド を喚 起し、 また、 感 情や感 動を 生 き返らせよ う と す る」 5) と言い、 俳 句の特 質であ る 凝縮 性や暗 示 性を見 抜き、 俳 句の詩 的 価 値を積 極 的に評 価し た。 文学 的感 性
に恵ま れてい た‑ ‑ ンは、 日本の怪 談 奇 話だ けでな く、 和 歌や俳 句にも興 味を持ち、 その エ ッセイ や物 語の中にし ば し ばそれ ら を織り込ん でいる。 たと え ば、 名エ ッセイ 「蛍」 (『骨 董』、 19 0 2) では蛍を詠 ん だ俳 句を40 句 近く紹 介してい る。 そ の中には芭 蕉の 「 昼見れ ば首 筋 赤き蛍か な」 も含ま れて いる。
ま た蝶を扱っ たエ ッセイ 「虫の研 究」 (『怪 談』、 19 04) では、 蕪 村の 「釣鐘にと ま りてね む る胡 蝶か な」
や 一 茶の 「蝶とぶや 此世のう ら み な き や うに」 を は じ め と して 2 2 句が盛り込ま れて いる。 その後、 チェ
ン バ レンも‑ ‑ ン の見 方に影 響を受けて、 軌 道 修正 し、 俳 句の価 値を再認識す る よ うにな り、 『芭 蕉と 日本の詩 的 寸 句』(B a sho a nd iheJaPa n e s e Po etic al Epigr am , 19 0 2) を著す が、 俳 句の評 価は、 芭 蕉の作 品 を除き、 必ず し も高く ない。 同様の姿 勢は、 チ ェ ン バ レンが参 照し たW . G . A sto n にも見ら れ、 アス ト
ンは その 『日本 文 学 史=H A H isto ry Of JaPa n e s e L ite r atu r e, 18 9 9) の中で 「松尾芭 蕉と彼の門 下の名 声が な け れ ば、 こ の ( 俳 句という) 創 作に注意を払う必 要はほと ん ど ない の だ が」 6' と言う。
英 国の学 者 ・ 外 交 官は 日本の俳 句に対して概して否 定 的 ・ 消極 的だ っ たの に対して、 フ ラン ス人は肯 定 的であっ た。 1 90 3 年9 月に来日 し、 翌年5 月まで滞 在し たP a uトLo uis C o ucho u d (フ ラン ス人 哲学 者 ・ 精 神 医 学者 ・ 詩人) は 日本 滞 在 中にチ ェ ン バ レンや‑ ‑ ン の著 作を読んで俳 句に興 味を持ち、 俳 句は西
洋の エ ピ グラム では な く、 「 三つ の短 い句か ら成り 立 っ た 日本の詩であ る」 と し、 その特 徴を次のよ う に指摘している。
三つの筆さ ばきか ら な る単 純な絵、 カ ッ ト、 素 描、 時には筆を おいた だ けのもの、
一 つの印 象なの であ る。 そこ
か ら は抽 象 的な部 分は除去さ れて いる。 統 辞 法は極 度に省 略がきい て いる。 要は 三つの簡 潔な タ ッ チによ って、
一 つの風 景、 小 情 景をつくること なのだ。 詩 的な努 力は すべて、 喚 起 力 豊か な 三つの感 覚を選ぶことに注が れ、
それ らの感 覚がもろ も ろの連 想を促す。 7 )
ク ー シ ュ ー は、 俳 句の特 質をほ ぼ言い尽く している 上 記の引 用部 分を含むそ の エ ッセイ 「 日本の叙情 的
エ ピ グラム」 の 中で、 芭 蕉や蕪 村な ど 日本の俳 句を1 58 句 紹 介し た後で ( 蕪 村の句が約 半 数を占め る)、
彼の友 人Julie n V o c a n c e が第 一 次 世 界 大 戦に参 戦し た際に作っ た仏 語 俳 句を紹 介している。
D a m s u n tr o u du s ol, 1a n u lt,
En fa c e d'u n e a rm ie im m e n s e,
D e u x ho m e s.
地 面に掘っ た穴のな かで、 夜、 巨 大な軍 勢に対 峠し た、
男二人。8'
ま た ク ー シュ
ー 自 身、 帰 国後フ ラン ス語で句 作し、 1905 年Au Fil d・ e L 'e a u (『水の流れのま まに』) と
いう ‑ イ カ イ集 ( フ ラン ス では ‑ イ カ イ という語が 用い ら れ る) を発 表す る(3 0 部、 自 費 出 版) 。 これ が外 国語によ る句集の噂矢と さ れ る。 そ の中の 一 句を あ げ る。
D a m s u n m o nde d e rav e,
S u r u n bate a u de pa s s age, R e n c o ntr e d 'u n in sta nt.
夢の世で、 渡しの船の上、
つ かの 間の出 会い。9)
こ の句は、 高浜 虚 子がフ ラン スを訪れて牡 丹屋 とい う 日本 料理店でフラン ス の俳 句 詩 人た ち と会 合を もっ
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