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英語スピーチ・コミュニケーションの展開(その1)

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英語スピーチ・コミュニケーションの展開(その1)

一英語発音基礎訓練のためのシラバス編成の試み(2)一ぼ

長 澤 邦 紘*

(1985年9月28日受理)

Developing Teaching Strategies for

Speech Communication Activities in the Classroom(Part 1):

Designing a Syllabus for Phonetic Teaching in the Teacher Training Course(2)

Kunihiro NAGAsAwA

(Received September 28,1985)

前稿(長澤:1986)においては英語発音基礎訓練のためのシラバスのうち,目的と教授細目を扱っ た。本稿では方法論と評価にっいて述べる。Candlin(1984), Bell(1981), Yalden(1983)にも みられるように,最近のシラバス研究はシラバスという概念の中に方法論と評価の問題も入れ,目的,

細目,方法,評価の関係をダイナミックなものとしてとらえようとしている。本シラバスにおいてもこ の四者の関係は分かちがたく結びついている。本シラバスの目的(ならびに目標)はより高位の英語科 教員養成のためのカリキュラムとでもいうべきものから先験的におりてきたものではない。英語科教 員免許状取得のための公的あるいは法的な規準の中には英語教員の音声的技能に関するものは何一 っない。従って,本シラバスは,すでに実際おこなわれている授業のシラバスの再述ではあるが,そこ には英語科教員養成課程あるいは現職英語教員再訓練のためのプログラムとしての提案を含んでい るのである。シラバスというものをこのように公的,社会的な性格をもっものと規定するならば,そ れはあらゆる方面からのあらゆる種類の批評・評価に対して門戸をあけておかなければならない。

そして,なんらかの評価が下されるたびに,当シラバスの目的,細目,方法論が再検討され,これ らのうちの一点の変更といえどもシラバスの他の構成要素に波及せずにはおかないのである。

本シラバスがその骨子を南大阪地区発音研究会(現在は「発音研究会」と名称変更)の英語音声 訓練シラバスに負っていることは前稿の「序論」でも述べた通りである。この研究会が採用してい る訓練方法と評価の方法については長澤(1980)で触れるところがあった。本稿では,本授業にか かわる方法論と評価の問題のうち上記論文で触れなかった点について解説することにする。

*茨城大学教育学部英文科Department of English, Faculty of Education, Ibaraki University

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82      茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)

3 方  法  論

1 集団訓練・グループ訓練・個別指導

授業は,普通,音のつくり方についての私の説明,発音の実演から始まり,次いでコーラスによる練 習を数回おこない,そのあと受講者一人一人に発音させ,私がそれぞれにコメントを与えてゆくとい う形をとる。数回発音させてみてその場で矯正が困難な場合は,発音の問題点とその矯正法を説明 して自宅学習を課す。受講生は自分の発音とそれに対する教師のコメントをすべてテープレコーダ 一に録音しているので,自宅学習をする場合でも,自分の問題のある発音そのもの,どこに問題点が あるかの指摘,その矯正法,あるべき発音(教師による「模範発音)というデータをもっていることに

なる。

この授業の受講者は,通例,15人から30人ぐらいの間である。受講者の机は教室内に「コ」の字型か

「ロ」の字型に配置される。机をこのような形に配置するのは受講者がなるべくお互いの顔を見ること ができるようにするためである。このようにすれば,受講者は自分以外の受講者がどのような発音を

し,それに対してどのようなコメントを受けているか,そして誤った発音がどのように矯正されてゆ くか,その過程を見ることができるわけである。音声訓練では,特に初期の段階ほど,口形がどうなっ

■   o   o   ■   ・

ているかなど,見て覚える要素が少なくないのである。このように集団訓練の中で受講者が他の受講 者を観察する意味は2つある。ひとつは,他の受講者が教師から受けているコメントを自分の発音矯 正に役立てるのである。これはある同じ特定の発音に関してあてはまる場合もあれば,類似のあるい はかなり違った音の発音の場合でもなんらかのヒントになる場合もある。もうひとつの意味は,将来 自分が発音を指導する立場になった時役立てるために,日本人学習者が一般的にもっている問題点,

困難点そしてその矯正法を熟知しておくということである。

このように,この授業の形態は個別指導を軸とした集団訓練といってよいであろう。しかし,これ と違う意味での個別指導,つまり本来の意味での個別指導も時折併用されることがある。それは特に 受講者の数が多い時に採用される方法で,授業時間外の指導である。学生は,前述したように,問題点 を自宅学習に持ち越すことが多いが,その練習の成果をテープに吹き込んで私に提出する。私はそれ に対するコメントをやはりテープに吹き込んで返却するのである。問題が複雑でテープでの伝達が 困難な場合は,学生を呼び出して直接指導することもある。受講者の数が多い場合は,授業時間内に 対処しきれる問題は限られてくるので,このテープを仲介にしたレッスンが必要になってくる。この 方法はこのように多くの受講生に対応するための方便として生まれたものであるが,ある種の学生 にとってはきわめて効果的な指導法であることがわかってきた。それは,教室で教師や他の受講生を前 に発音することに大きな緊張を伴なうような学生で,そのような学生は自宅での練習の成果が半分 も出ないのである。しかし,テープ吹き込みでは練習通りの成果が出るので,この種の学生には,受講 生の多寡とは関係なく,このテープ提出による方法を併用している。

一斉授業と個別指導の中間形態として,グループによる練習を一年の授業の後半にとり入れること がある。発音技術のレベルが同じ程度の者同志,あるいは同種の問題点をかかえた者同志をグループ 化する。そして,それぞれのグループに合ったレベルの,または合った内容の課題を与える。たとえ ば,イントネーションに変な癖のあるグループには英語ニュースの朗読を課すという具合にである。1)

そして,授業中に一定の時間を与えて練習させる。一っの教室の中でいくつかのグループの声が入り

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まじるので,小さな声で発音していたのでは聞きとれないから,自然に声が大きくなるという副次的 効果もある。しかし,より重大な効果は次のようなものである。

ω クラス全体の前で発音するときよりもリラックスするので,よりよい結果が得られる。

② 同じコメントでも,私から言われるよりも仲間から言われる方が効果的で,より真剣に矯正に取 り組む。

〔3}他の受講者の発音に対してコメントをしなければならないので,他人の発音を注意してきくよう になる。

(4}グループ化したことにより,一人一人の練習量がふえる。

普通はグループ訓練の成果を一斉授業の中で披露する場が与えられる。すると,先刻のグループ訓練 の成果がそのまま出ているとか,一斉授業になった途端,またもとの悪い発音に戻ってしまったとい うコメントがグループ内から出される。このようにして,受講者は自分の進歩や依然として残ってい る問題点を明確に知ることができるのである。

2 肉体訓練としての発音練習と心理的要因

この授業の主な目的は発音技術の習得であるので,そこには一定の肉体的訓練を伴なわなければ 成果は期待できない。横隔膜呼吸一つとってみても,それは横隔膜という随意筋の鍛練であるし,また 実際の発音にあたっては,唇,舌,顎をそれぞれの目的に合わせて,一定の形で動かさなければならな い。特に,ここでの受講者のように青年期初期にはいっている者は,唇,舌,顎などの動きが日本語の 発音のためにかなり固まってしまっているので,それらを英語の発音のために合わせるには相当の 時間を必要とする。それはあたかも新しいスポーツの技術を習得するために,これまでおこなってい た筋肉運動とは別種の動きを要求されるのに似ている。英語発音の学習者は全く新しい肉体運動と して英語の発音法を身につけなければならない。この意味で,英語の発音技術の習得は肉体訓練とし ての側面が強いのである。

しかし,その反面,英語発音の習得には学習者の精神的・心理的側面もかなりの影響を及ぼす。ま ず,人前で極度に緊張するタイプの人間はこの種の訓練で成果をあげにくい場合が多い。人間誰しも 人前で慣れぬ外国語の発音をするというような状況では多ノ♪の緊張を伴なうのが普通であるがここで 取りあげる人々は,自分が今なにをやっているかも,コメンターである私がなにを言っているかもほ とんど理解できないほど緊張するのである。こちらの言うことには余り耳を貸さないで,ただひたす ら,愚かれたように,自分のまちがった発音をくりかえすということが多い。

もう一っのタイプは,自分の音声上の欠点を直視できないというような人々である。前述したよう に,発音訓練というものは自分の発音と規準になる発音の違いを聞き分け,その違いを練習によって 埋めてゆくという作業なのであるが,この種の人々は自分の発音上の問題点を冷静に考えることがで きないのである。自分で自分の発音が悪いと思っている場合とか,自分の声が嫌いだとか,自分は「英 語ができない」ということすら自分の発音をききたくない理由になるのである。

第3の心理的要因は,第2の要因の逆で,自分の発音はよいと思いこんでいる場合である。まず,そ の発音がまちがっているということを納得させるのに時間がかかる。次に,そのまちがった発音を矯

●   ●   ●   ●

正するための練習に向かわせるのに手間どる。(心理的に納得していないことが多いからである。)

以上のほかに,舌が長い,逆に短い,歯ならびが悪いなどどいう「肉体的欠陥」を気にする余り,口

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84       茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)

を大きく開いて声をのびのびと出すという発音・発声にとっての必要最低のことがおこなわれにくい ことがよくある。

以上の問題は,英語の発音練習がただ単に肉体訓練であるということにとどまらず,青年期初期の 学習者の心理的葛藤をも考慮に入れて指導されるべき必要性を示唆している。Acton(1984:74f)は 成人学習者の「化石化した発音」( fossilized pronunciation )・を矯正するのに学習者の心理的側面を

も重視した指導法を報告している。われわれは,上記個別指導の説明のところでテープ提出による指 導法など学習者の心理・性格を考慮に入れた方法を多少示唆しておいた。しかし,このほかにも,学 習者の多様な心理・性格に発する問題点に対応する指導法を開発してゆく必要性を感じる。この間 題への対応として今手がけているのは「英語音声カルテ」の作成である。これは受講生一人一人のこ れまでの英語勉強歴とでもいうべきものを把握することを目的として,いくっかの項目に答えさせ るものである。つまり「カルテ」とはいっても,授業担当者の「医師1が書くものではなく,受講生であ る慮者」が書くものである。中学校・高等学校時代に英語の発音は好き/得意であったか,嫌い/不 得意であったか,これまで授業以外でどのような英語の勉強をしてきたかなど,10数項目にわたっ て書かせる。そして,授業の音声訓練の中で「気になる」学生や進歩のおそい学生がある場合,このカ ルテをもとに個別的な面談を試み,その学生の問題がどこにあるのかさぐり出すのである。一種のカ ウンセリング方式である。しかし,将来の教師である学生はどのみち大勢の人間の前で英語の発音を するという緊張を克服しなければならないわけだから,教室内で解決すべき問題はやはり残る。これ は英語発音の練習に限らないことであるが,教室では,とりあえず,失敗しても恥ずかしくない雰囲 気,皆が初心にかえって学習する雰囲気というものをつくり出すよう授業者は配慮しなければなら ないと考える。

3 増幅法      

この授業における音声訓練はいくつかの点で増幅的な方法を用いている。一つは口形の増幅法で ある。母音の発音でも子音の発音でも,一つ一つの音を発音するのに要求されるスタンダードな口形と いうものはある。口形の増幅法は,これらの口形をその音本来の音価がゆがまない程度のぎりぎりの ところまで極端につくるのである。たとえはンw/のための小さな円唇は極端にすぼめさせる(「っま ようじ1本分の広さ」)とか,/i:/の発音では口を極端に横に引かせるというぐあいである。口形の 増幅法のねらいは2っある。ひとっは,日本語の発音のために口の動きが小さく,狭くかたまってしま

っている受講者の口の動きを解きほぐすことであり,もう一つは,前述したように(第2節「教授細 目」の3「英語子音の発音」),一っの音に明確な一っの口形を与えることによってその正しい音価を 保持しようという考えである。単音や単語レベルでの口形の増幅法も,文や文章の段階で多少とも 素早い音の連結を要求されると,その極端な口の動かし方も自然と「角」がとれ,より正常な口形 に近づくものである。

もう一つの増幅法は発音・発声の時の声量に関するものである。これにっいては第1節「授業の目 的と目標」でも触れたし,長澤(1980:46f)に詳しいのでここでは詳述しない。この訓練の目的が「教 壇で通用する教師の英語音声」の獲得であってみれば,練習の段階では,目標とする音量の2倍,3倍 の音量を要求するというのが「音量の増幅法」の意味である。これを実行するためにはなまなかな呼 吸量では駄目なので,横隔膜呼吸による多量の息の供給をおこなうわけである。音量の増幅法との関

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連でいえば,教室はできるだけ広い方がよい。教室が狭いと,受講生は近くにいる者に充分聞こえて いると判断して,自分の発音・発声の音量を無意識のうちに(小さく)調節してしまうからである。

4 呼 吸 法

より正しい英語音の発音・発声のために横隔膜呼吸が必要であることは第2節「教授細目」の1「日 英語発声法の比較」及び2「横隔膜呼吸法」で述べるところがあった。ここでは,一般の英語音声学書 において呼吸法への言及がいかに希薄であるかというζと,従って,英語音声訓練にたずさわる者は 自前の方法でそれを補っていかなければならないということを強調しておきたい。

たとえばGimson(1980:10)では,呼吸法に関する主要な点は{1}英語の発音・発声にあたっては 肺からの呼気を必要とすること,(21英語独得の強勢とリズムは肺を作用させる筋肉の動きと密接に 関係している,という2点が指摘されているにすぎない。しかも,これらの点は英語発音の練習には いる前の「前書き」的な意味で書かれているだけで,実際の発音練習との関係で具体的に言及される ことはない。Roach(1983:8>における呼吸法への言及は更に簡単なもので,「横隔膜筋を働かせて 呼気をつくり出す」という意味のことが述べられているにすぎない。このような音声学書の記述の仕 方にはある共通の前提があるように思われる。すなわち,〔1}人間ならば,種族・民族の差異を越えて,

●   ●   o

(発音・発声時は)多少とも同じような呼吸法をしている。②英語を普通に話すのに,とりたてて呼 吸法の練習は不要である。われわれが考えている英語教員のための音声訓練の立場からいうと,上の

2っの前提は大幅に修正されなければならない。田について言えば,日本人成人女子は胸式呼吸であ

●   ●       ●   ●

り,日本人成人男子は浅い横隔膜呼吸であり,英語母国語話者のように深い横隔膜呼吸ではない。

②について言えば,われわれの考えている英語発音の目標は,「普通の」(つまり日常会話用の)英語音 声ではなく,教室で通用する明瞭な英語音声である。このような性質の発音・発声の技術は,英語を 語学として身にっけてゆくという学習過程よりも,「舞台用の」発音・発声を身につけてゆく過程に より近いものと思われる。そこで,改めて,正しい呼吸法にのっとった発音・発声が要求されること になる。

鳥居・兼子(1969:36ff)は日英語発音・発声における呼吸法の違いにかなりくわしく触れている が,それでもやはり概説的な書き方で,発音練習のための具体的な方法論の中に組み込まれてはいな い。この点,中津(1975)はその単純な書き方の中にも,英語の個別的な音づくりと呼吸法の関係を よくとらえたものとなっている。

英語教員の養成にあたって,英語の発音・発声を呼吸法と結びつけて教えるというのはあまり一般 に広まった方法ではないように思われる。しかし,これまで述べたところから,教師が授業で用いる 英語音声の習得のためにはしかるべき呼吸法の支えが必要であることはもはや明らかであろうと思 われる。

5 用具・服装

この授業での受講生の必携品はテープレコーダーと手鏡と「コメント。ノート」である。テープレコ 一ダーは,授業で自分が発音した音声とそれに対して与えられた教師のコメント等を録音するために 使う。本節の1「集団訓練・グループ訓練・個別指導」でも述べたように,受講者の間違った発音を授 業時間内だけで矯正できることはむしろ少なく,問題点は自宅練習に持ち越されることが多い。その

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86      茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)

時のために,「問題の発音」も含め,教師のコメント等を録音しておくことは不可欠になってくる。事 が音声に関することなので,問題点をノートに書きとめるだけでは不充分である。特に受講者が自分 の発音を録音しておき,それをあとで聞きかえすことの意味は大きい。まず第一に,多くの学生は,英 語を学習し始めてこの方自分の発音を聞いたことがないので,自分の発音がどのようなものか客観 的に考えてみたことがないのである。そして,問題なのは,多くの場合,学生は自分の発音を実際より もよいと思っていることである。録音した自分の発音をきいての感想の第一声は,異口同音に「こん なにひどいものだったのか」ということである。この衝撃は多くの学生を真剣に発音練習に取り組ま せる大きな動機づけになるようである。第二に,自分の発音のほかに教師のコメントも同時に録音し ていれば,自宅練習の際非常に便利である。教師のコメントの中には問題点の指摘だけでなく,矯正 法と目標とすべき発音も含まれているので,練習の目標がはっきりしている。手元に自分の発音の録 音という「証.拠1がなければ,授業中に教師から出された(コメントという形での)評価の妥当性さえ もあやしくなってくるかもしれない。しかし,テープに録音された自分の発音をきけば,それがおか しいことはすぐ納得できる。そして,この「納得」ということは,大学生のようなおとなが「肉体訓練」

を続ける上で重要な動機づけの要因なのである。(上記の「納得」と関連して若干付言しておきたい。

テープの自分の発音をきけば,そのまちがいをすぐ納得できる,と書いたが,受講生の「正しい発音」,

「まちがった発音」に対する識別力は発音能力よりもはるかに早い時期につくものである。それは,

極言すれば,授業のほとんどの時間が受講生の発音とそれに対する私の(コメントという形での)判 断・裁断・評価にさかれるということに帰因していると思われる。っまり,受講生は絶えず,あの発 音は正しい,まちがっている,70パーセント程度正しい,というような評価をその発音とともにきか されているわけである。このようにして,ある発音がよいか,まちがっているかを識別する「耳」

はかなり早く  訓練開始1〜2か月後ぐらいには一できあがりつつあるように思われる。)

手鏡は授業中に自分の前の机の上に置き,発音の際の自分の口形や舌を見るのに使う。上の録音の 場合と同じで,受講生は,これまで,英語発音の時の自分の口の形がどうなっているかなどというこ とは考えてみたこともないというのが大部分である。そして受講者の多くが一様に発見することは,

自分の口がいかに自分の意志通りに動かないかということである。極端な例を示せば(これは決して まれな例ではないが),/s/を発音するのに,舌先が両歯の問にはさまってしまって,まるで/θ/の 発音のようになる学生がいる。この場合など,鏡の中の自分の口を見れば,自分の間違った発音の原因 はたちどころに見てとれるのである。また,自分で自分の/r/の音価がどこかおかしいと思ってい る学生は,たとえば,発音の時の顎全体の構えが「オ」の構えになっていることに気づくかもしれない。

(/r/では,どちらかといえば,顎の構えは「イ」か「エ」の時の構えになっていなければならない。)

このようにして,受講生は,自分の誤った発音の多くが誤ってつくった口形と密接に関係があるこ と,目に見える口形を矯正すれば発音も矯正されることが多いことに気づいてゆく。発音訓練に鏡 を使うことの最大の意味は,口形と発音の関係に気づかせることなのである。そしてまた,鏡を使 って発音練習をしている時程,英語の発音練習が肉体訓練であることを思い知らされる時はない。

手鏡の中に写る自分の思いのままにならぬ口を時間をかけて,どうにか,一定の形で動かさなけれ ば,自分にも満足のできる発音ができないのは明らかなのである。このように,鏡は学習者に対し て言いのがれのできない「証拠」を提出し,彼らにごまかしのない対策を講じさせる力となるので

ある。

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「コメント・ノート」とは,受講生が,授業中自分の発音に関して教師から受けたコメントの主要 なものを書きとめておくノートのことである。このノートには,教師のコメントのほかに,発音につ いての問題をいっ指摘されたか,それを矯正するのにどれぐらい時間がかかったか,その問題がいっ 克服されたかということも記録する。授業者である私は時折これを点検して,受講生一人一人の技術 の進歩の度合を把握したり,必要なアドヴァイスを与えたりするための手がかりとするのである。

その意味で,このノートは重要な「学習の記録」としての意味をもちうるものであり,発音習得につい ての評価の際有力な資料になる。

授業における受講生の服装は,なるべくリラックスできるものが奨励される。あまりよそ行きの 服装だと,声までがよそ行きの,とりすました声になる危険性がある。女子学生にはスラックスやジー ンズなどの「ズボン類」がすすめられる。これは椅子にかけた時,膝を少し開いてすわるためである。

膝から股関節にかけての緊張はのびやかな発声には禁物だからである。授業者の服装もまたクラス全       聰

体の雰囲気に合ったリラックスしたものでなければならない。

4 評   価

このシラバスに盛り込まれた教授細目の習得に関する評価はいくつかの相においてお こなわれる。

第一の評価の相は毎授業時間,受講者のつくり出す音声に対する私の「コメント」という形であらわ れる。「語末の子音がきこえない」,「ストレスのかけ方が足りない」,「母音がのびない」,「その発音で よい」等の私のコメントはすなわちこれ評価である。これらの主要なものはコメント・ノートに書き ためられ,受講生の進歩のあとを歴然と示すことになるのである。このノートが時折提出を求められ,

評価のための資料の一部になるということは上述した通りである。

評価の第二の相は,年間の折り返し地点でおこなわれる前期試験の中にあらわれる。この試験は前 期終了時に到達した教授細目に関するテキスト文を音読させることによっておこなう。そして,こ の時点で受講者各自がもっている最大の問題点を2,3指摘する。これは授業の一部としてクラス全 体の前でおこなう。この時にはまた,点検したコメント・ノートへの感想も含め,克服された問題点の 評価,他から抜きんでてすぐれている点の評価,残された問題点の解決法・練習方法などにっいて言 及がおこなわれる。

評価の第三の相は,学年末試験という形をとっておこなわれる一年間の訓練の総合的評価の中に あらわれる。この試験は英語のすべての子音と母音がチェックできるように選ばれた単語と,オーラ ル・インタープリテーション用の教材の一部を音読させることによりおこなう。評価の観点は次の通

りである。

田 単音(子音,母音)レベルでの発音は正確か。

② 語のアクセントは正しく音節アクセントになっているか。

{3}文のアクセント・リズム・イントネーションは正しいか。

(4)オーラル・インタープリテーションの素材は妥当な音声による解釈が与えられているか。

(5)音声は明瞭か。

(6)音声はききやすいか。2)

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88      茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)

これらの評価は,私の頭の中にある理想的な音声(1年間の訓練の到達目標としての音声)に照らし ておこなわれるいわば絶対的な評価である。評価は公表される。っまり,上記の6つのポイントについ て受講生一人一人の到達度合をクラス全体の前で発表するのである。(いわゆる教務的な意味での rA」, rB」, rC」または「優」,「良」,「可」などの「評価」を公表するわけではない。)これは1年 間の訓練に対する総括的コメントで,通常,試験の翌週に1校時(90分)をさいておこなう。将来 の練習のための助言的なことも含めておこなう。

年間の総合的評価のもう一つの面は,1年の訓練の到達点を受講開始時の音声と比較することであ る。受講開始時の発音は,四月の第1回目の授業の時録音したあるテキスト文の音読を参照する。(全 員にある段落を音読させたものを録音して保管しておく。)この評価は,あくまで,開始時の発音の水 準と比較した場合の「伸び率」を問題にする。訓練開始時に比べて,どれだけの問題点が克服されてき たかを評価するのである。上記の絶対的な評価に比べ,相対的な評価である。

教務的な意味の「評価」は上記の絶対的な評価に従っておこなう。現在のところ,相対的な評価をこ れに組み入れる方法を思いついていないからである。相対的な評価は,総括的コメントをおこなう際 に,口頭でその内容を伝える。相対的評価の良いもの(つまり進歩の度合の大きかった受講生)は口を 極めてほめる。絶対的評価は良いが,相対的評価のよくない者には時として警告が発せられることが

ある。

さて,「評価」の問題は授業担当者による受講生の評価だけで終るわけではない。評価は,受講者に よる授業あるいは授業者の評価,そして,授業者自身による授業の評価の問題をも含む。そして,これ らは全体として,シラバスそのものの評価につながり,シラバスの目的,教授細目,方法論,評価の方 法への再考をうながす動因となるのである。

受講者による授業の評価は,年1回か2回書かせる「授業の感想」の中でおこなわれる。記名にする か無記名にするかは受講生の自由にまかせ,次の諸点についての感想を求める。

(1)授業の目的。目標に合わせ,教材は適切か。

② 授業の進め方,訓練方法は適切か。

{3)授業の目的・目標3)そのものは妥当か。

(4)英語の発音練習で「特にとりあげてほしかったこと」はなにか。

㈲ 授業に対する全体的コメント・その他なんでも。

受講生は,授業中は夢中で発音に取り組んでいるように見えても,意外に冷静に,そして時には辛辣 に授業を見ており,割合正直に感想を書く。

結    語

英語教員養成課程におけるあるべき英語発音基礎訓練のシラバスのうち,前稿(長澤:1986)では

「目的」と「教授細目」を,本稿では「方法論」と「評価」を扱った。このシラバスは,実際には,筆者が この10年ほどの間茨城大学教養部・教育学部でおこなってきた授業「英語音声教育論」のシラバスの 再述である。教授細目は週90分,年間30週の授業のためのものであるが,年度によっては全細目を 扱えない場合もある。

(9)

序論(前稿)でも述べたように,この発音訓練はそれ自体で完結しているものではなく,あくまで

「基礎訓練」である。教員養成課程における発音訓練としては,この上にあと1年ぐらいのより上級 の訓練が必要である。その訓練プログラムについては次稿で述べることになる。

授業担当者である筆者にとって,この授業に関して解決されていない大きな問題は,受講者を何年 次生にするかということである。現在(原則として)そうしているように,大学一年生を対象に訓練 をおこなうのがよいのか,それとも四年生あたりを対象にしたらよいのか,という点である。一年生 を対象にする場合の利点は,大学四年課程の最初の年に英語発音の基礎を身にっけ,あとの3年間で その基礎の上により高度の発音技術を身につけてゆくことができるという点である。また,大学一年 生では英語発音上の悪い癖がまだそれ程ひどくはついていないこと,英語音声に対する偏った考え

(「発音なんてくだらない」等)もあまり強くはないことなども利点としてあげられる。欠点は,上級 生に比べた場合,学習の動機づけが弱いことである。将来,英語教師として教壇に立った場合に我が 身を置き比べてみて,その時のために発音技術の習得に遭進するというのは,大学一年生には余り望 めないことかもしれない。これに対して,たとえば四年生を対象にこの授業をおこなう場合は,動機 づけという点では申し分がない。すべての学生は三年生の時に教育実習を経験ずみで,その中の多く の者は自分の発音の未熟さを痛感して大学に戻ってきているからである。問題は,訓練を始めるのに は少しおそすぎるということである。ここ当分の間は,英語を主専攻とする学生(英文科生)は一年 生受講とし,英語を副専攻とする学生(他学科生)は四年生受講とすることにし,それぞれの場合に おける訓練の効果を比較したり,また受講年次にっいての学生の希望・意見なども聴取したりして考 えてゆきたい。

現行の教員免許法では,英会話・英作文(4単位)は必修になっているが,「英語発音」の技能に関 する規定はどこにもない。英語学の領域で音声学が必修になっているわけでもない。英語発音の技能 は英語教師の「英語力」の要件の中では余りに当然すぎるので誰も改めて問題にしないのであろう

●   ●   ●

か。しかし,学生の英語発音の技術が教員養成課程の4年間で自然に身にっくと考えるのは楽観的す ぎる。発音技術の習得には自然に耳で覚える部分があることは否定できないが,発音の仕方がわから なければ発音できない部分が多く残ることも事実である。本シラバスは「いかにして英語の音をつく るか」という問題に答えようとした一つの試みである。その英語の音声が実際どのようにコミュニケ 一ションの場で用いられるかは次稿以下のテーマである。

       注

P)前稿第2節「教授細目一その編成と指導のねらい」の12「英語ニュースの読み方」で述べたように,ニュー スの朗読では,イントネーションの上下幅をできるだけ抑えて,いわゆる「棒読み調」に徹しなければなら ないからである。

2)これらの6つの項目のそれぞれの意味するところは,前稿の第1節「授業の目的と目標」参照。

3)同上参照。

(10)

gO       茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)

参 考 文 献

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Candlin, Christopher N.1984. Syllabus Design as a Critical Process, ELT Doωmθπ s 118:

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長澤邦紘.1980.「現職英語教員のたあの音声訓練  南大阪地区発音研究会の場合」r茨城大学教育学部紀要

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.1986. 「英語スピーチ・コミュニケーションの展開(その1) 英語発音基礎訓練のためのシラ バス編成の試み(1)」『茨城大学教育学部紀要(教育科学)』第35号(本号).

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参照

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