技術経営マネジメント
Management Of Technology
マネジメント・リサーチ・インスティチュート
近
藤
康
男
まえがき 技術経営MOTManagement Of Technology は、経産省のお声がかりで2002年度より 急速に普及しだした分野、領域である。 その主な理由は2点あり、一つはMOTが米国の競争力を復活させた強力なエンジンの一 つであると言う日本側の認識による。米国におけるMOTコースは1980年代の初頭に、 東海岸側ではMIT、西海岸側ではシリコンバレーのスタンフォード大学から始められ、 今では多くのスクールで開講されるに至っている。 もう一つは日本においてMBA(経営学修士)が流行り出したのであるが、元々日本は理 工系が多くMOTが理工系版MBAに相当すると言うことから、大学が取り入れたことに よる。 大学院によるコースの内容はMBA+“技術と戦略並びにマネジメント(管理、経営)”と いうところであるが、割りと多彩である。これは技術を主体にしてきた日本において“技 術経営とは何か“について幾つかの、またはそれぞれの考え方があるからであろう。 とは言えR&Dのマネジメント(研究開発管理)に重点が行くのは、“技術ただ乗り論”以 降、世界に冠するほどの多大な研究開発投資がなされてきたにも係わらず、その効果が十 分ではないことによる。 一方2003年までMITのMOTディレクターだったウェーバー教授によると、米国に おけるMOTの主要テーマは10年ごとに変化してきており、60年代がR&Dマネジメ ント、70年代がTLO(技術移転組織)、80年代がイノベーション、90年代が技術戦 略、そして2000年代はコーポレート・ベンチャーリングであるとのことである(20 03年談、後述)。 著者自身が考えるのは、日本は現在産業の大きな転換点にあり、このため技術と経営の両 面において革新が必要であること、またこのことは製造業だけに止まらず広く3次産業に も当てはまるであろう、と言うことである。 例えば通信サービス事業会社は3次産業であるが、大いなる技術なくしては運営がおぼつ かないのは明らかであろう。 また技術には、科学技術に加え技能技術と言う面がある。サービス業にとり必須のものの 一つであると思われる。 本書では技術経営MOTを「技術と経営」として広く捉えようと試みた。 これは産業の転換、革新に役立つであろうと思うだけではなく、例は製造業ではあるがホ ンダの「本田と藤沢」氏各位、ソニーの「井深と盛田」氏各位など、技術と経営に優れた 経営者の伝統、お手本があるからである。 読者各位が少しでも本書に共感され、さらにはより高いレベルに向かわれることに役立て れば望外の幸せである(2005年、夏と秋の間に)。
技術経営マネジメント
1 技術経営と事業 ・・・・・・・・・・・ 4 1.1 技術経営と事業 1.2 事業と製品開発・商品開発 1.2.1 工業製品の開発 1.2.2 サービスの開発 1.3 事例1:旅客機の市場 1.4 事例2:宅急便事業の開拓 [コラム:小倉昌男経営学 経営リーダー10の条件] 2 研究開発・企画開発とイノベーション ・・・・・・・・・・・・ 14 2.1 研究開発・企画開発の創出 2.1.1 創出の二変数 2.1.2 コーポレート・ベンチャーリング 2.2 イノベーションの定義 2.3 イノベーション2つのジレンマ [コラム::縮小する日本の産業・経済?] 3 生産マネジメント ・・・・・・・・・・・・ 21 3.1 プロダクションマネジメント 3.2 サービスのQCD 4 バリューチェーンマネジメント ・・・・・・・・・・・・ 24 4.1 バリューチェーンとマネジメント 4.2 事例:ハイアール 5 プロジェクトマネジメント ・・・・・・・・・・・・ 28 5.1 プロジェクトとマネジメント 5.2 事例:3M 6 戦略マネジメント ・・・・・・・・・・・・ 31 6.1 市場戦略 6.1.1 マーケティング 6.1.2 ドメインの確立 6.2 戦略マネジメント ・・・・・・・・・・・・ 357 組織マネジメント ・・・・・・・・・・・・ 38 7.1 組織論の構成 7.2 リーダーシップ関連 7.3 戦略と組織のマネジメント [コラム:ミンツバーグの「戦略サファリ」] 8 財務マネジメント ・・・・・・・・・・・・ 45 8.1 財務マネジメント概要 8.2 ファイナンス ・・・・・・・・・・・・ 50 8.2.1 コーポレートファイナンス 8.2.2 プロジェクトファイナンス 8.3 アカウンティング ・・・・・・・・・・・・ 58 8.4 リスクマネジメント 9 知財マネジメント ・・・・・・・・・・・・ 62 10 情報マネジメント ・・・・・・・・・・・・ 65 10.1 情報とそのマネジメント 10.2 情報通信技術のマネジメント 1章関連補足: IMD競争力白書のアンケート調査指標(定性的項目)・・69 8章関連補足: 代表的リアルオプション事例 ・・・・・・・・・・・72 参考文献 著者プロフィール
1 技術経営と事業 1.1 技術経営と事業 (1)サービス業IBMの産学連携提案 経営方法論「バランス・スコアカード」の提唱者として名高いキャプランとノート ンによる企業の類型と、その代表的企業例は次の通りである。 類型 企業例 Customer Solutions ; IBM、ゴールドマンサックス、リツカールトンホテル、
Low Total Cost ; マクドナルド、ウォルマート、サウスウエスト航空、 デル
Product Leadership ; デズニー、3M、ソニー、インテル
System Lock-in ; VISA 、YELLOW PAGES、マイクロソフト、 E−Bay System Lock-in とは、プラットフォームビジネス、大きな顧客ベースの提供などを 主とする企業群を意味する。 顧客の問題解決を主旨とするソリューションビジネス、Customer Solutions の代表 企業の1つであるIBM社は、サービス業収入が既に過半を占めるサービス業者で ある。今日、IT(情報技術)は経営に必須のツールであり、ITコンサルティン グは高いニーズのあるビジネスとなっており、IBMのビジネスの得意分野になり つつある。 今、IBMは米国の有力大学、MITやスタンフォード大学、ノースウエスタン大 学、UCLAなどに対し「サービスサイエンス」学科設立の産学連携を提案してい る、と報じられている(日経BP社産学連携事務局、2004年12月)。 ノースウエスタン大学ケロッグスクールのラドナー教授によると、1950年代に IBMが提案したコンピュータサイエンス学科は、当時既に電子工学科があるとし て無視されたが、今日コンピュータサイエンス学科は多くの大学にあり、これと同 様に「サービスサイエンス学科」の重要性があると言う。 カリフォルニア州にあるIBMアルデマンセンターは既にサービスサイエンスの研 究に着手しており、‘04年11月にワークショップを開催している。 サービスの科学、そして技術の時代が来るのであろうか。 注)サービスとは サービスを広義に捉え①無形の商品とする考え方や、あるいは②所有権の移転を 伴わない無形の財とする考え方がある。ここで言う財とは、手にいれるために何 らかの対価を必要とするものを言う(無形の財として特許を考えた場合、所有権 の移転が伴うため、これをサービスとは言わない)。
ここではサービスとは後者の意味②として扱い、サービスの提供者による顧客の 欲求を充足するための生産と消費が一体化した活動(行為)を言う、とする。 (2)技術経営MOTの発祥と日米の相違 技術経営MOTの発祥はMITやスタンフォード大学とされている。 1981年、MITのスローンスクールにMOTプログラム(Management Of Technology Program)が創設された。MBAの基礎科目のほか工学部のコースを含 む広範なコースから選択された科目からなるものである。 米国の場合、管理職の延長に経営職があるのではなく、経営者はMBAホルダーで ある場合が多く、謂わば「経営大学卒業の職能としての経営業」が存在する(将軍 職に向けたウエストポイントにおける士官学校の場合と同じである。日本の場合、 技術者でも管理職を経て経営者になることは通常である)。 同じ頃、シリコンバレーにあるスタンフォード大学ビジネススクールに“テクノロ ジー・マネジメント”とする講座が設けられた。ここではその目的を「技術投資の 費用対効果を最大化すること」とされた。MIT、スタンフォード大学を皮切りに、 以降MOTコースは全米に展開されることとなる。 製品や商品の事業化にあたり、そのプロセスを、「発明や企画」→「製品開発または 商品開発」→「量産または生産」と分けた場合、米国は下流の量産や生産では劣る が、上流の2つのプロセスでは勝る。このため米国企業は日本の品質技術や生産技 術を取り入れ、研究開発・企画開発、量産・生産の両面において競争力を向上させ てきた。日本の場合、高品質化やコストダウン、量産技術・生産技術には強いもの の、研究開発・企画開発は必ずしも強いものではなかった。さらに「技術ただ乗り 論」もあり多額の研究開発投資を行うに至るが、必ずしも競争力の強化には繋がら ずMOTへの注目が集まり、経済産業省が科学技術創造立国の復権と起業家の創出 を目指した「知的財産戦略大綱」にもとづき、2002年度よりMOTが導入され ることとなった(三菱総研メルマガ経営戦略プレミアム29号、2003年4月)。 イノベーションやベンチャーの創出・活性化が期待されるところにある。 注)IMDの競争力白書について 白書のランクがよく引き合いに出されることがあるが、注意点がある。 白書には定量的な項目と定性的な項目とがある。 定量的項目とは例えば「R&D総額」や「海外特許件数」などであり、定性的 項目とは例えば「起業家精神」や「競争原理への価値観」などのアンケート項 目である(後述、1章関連補足参照)。 定性的なアンケート項目はランク付け出来ないものであるが、IMDのものは ランクづけされている。このためIMDのデータを定量的であり合理的である ものと捉えて議論すると、あらぬ方向に行きかねないことに注意が必要である。
(3)技術経営と事業 技術には2通りの意味があると考える。 1つは科学技術という意味の技術、いま1つは技能技術と言う意味の技術。 科学が自然を対象とする学問・学術、技術が加工して活用する手段とする(狭義の) 科学技術の意味。そして熟練、習熟した巧みさとしての技能技術。 事業にはこれらはともに必要とするものである(例えば技能工は今日、貴重な財産 となりつつある)。 技術経営とは、「技術を事業の中核とする企業・組織が、次世代の事業を継続的に創 出するイノベーションのマネジメントである」とするものが、経産省を主体として 主流の捉え方である。 2003年、経団連会館で行われたMOT国際会議において、MIT2003年迄 MOTディレクターを務めてきたウエーバー教授によればMOTの焦点はこの50 年間、10年ごとに変わってきたとしている。1960年代がR&Dマネジメント、 70年代が技術移転、80年代がイノベーション、90年代が技術戦略、そして2 000年代はコーポレート・ベンチャーリングであるとしている。 注)コーポレート・ベンチャーリング 企業がスピンオフを奨励し、またベンチャー企業との提携を行う、あるいは ベンチャー企業を買収するなどを行うことにより、起業家精神を醸成し官僚 的になりがちな古い企業体質を変革する試み、仕組みを言う(別途後述)。 現在、技術経営が研究開発投資効果の最大化という面にフォーカスが多々なされる が、従来得意とされた生産技術、さらには保守技術もわすれてはならない重要な対 象である。そして製造業をメインとする2次産業にフォーカスするだけではなく、 IBMのサービスサイエンスを引き合いに出すまでもなく、3次産業も対象と考え る。例えばNTTは通信サービスの提供業者であるが、その技術は高度である。 技術経営を製造業のマネジメントの一つ(技術を経営に役立たせること、役立つよ う仕向けてゆくこと)とする考え方もあろうが、範囲を広く捉えておくことは重要 だと考える。技術と経営は常に必要とされる場合が極めて多いのである。 例えば運輸業。1964年運行開始の東海道新幹線であるが、既存技術の組み合わ せにより世界銀行から融資を受け生み出された新技術、新事業であり、世界の鉄道 業の革新に多いに影響を与えた日本の発明であり、新たなる創業(ニュービジネス) であった。今日1日280本の高密ダイヤにあるが、これを支える日中の運行技術、 夜間の保守技術ぬきには語れない事業である[1]。 日々求められる新製品・新商品の創出、ひいてはイノベーション、ニュービジネス の弛まない創出を生むための「技術と経営」につき、以下論じることを試みる。 製造業ではあるが、ホンダの「技術の本田、経営の藤沢」氏、ソニーの「技術の井 深、経営の盛田」氏らこそ、日本の「元祖技術経営」の好例の一つではなかろうか。
1.2 事業と製品開発・商品開発 1.2.1 工業製品の開発 (1)製品、商品、成果物 製品、商品と言う場合、この意味については各論があろう。 品物は有形な場合、無形な場合があり(例えば映画館のチケットや商品券)、ここ では「商品」を広義に捉え、「製品」は商品に含まれるものと考えることとする。 商品 無形なもの;商品 有形なもの;商品または製品 消費者向けの消費財、企業向けの生産財も、ここではこの称し方とする。 尚、主として生産財のうち、1品限りのものや限られた受注生産のものがあり、 これらを「成果物」と称することとし、建造物、製造物からなるものとする。 成果物 建造物;高層ビル、船舶、プラント、建設物・建築物など 製造物;航空機、コンピュータソフトウエアなど (2)工業製品の開発 ここで言う工業製品とは、2次産業である製造業、メーカーが作る品物、製品の ことであり、例えばデジカメのような消費財を言う。 このような製品が消費者の手に渡るまでには一般的に、研究→開発→生産→販 売・サービス、のプロセスを経る(もちろん生産財も同じプロセスである)。 研究には科学に近い「基礎研究」や、実用化に向けた研究「応用研究」があり、 次いで製品とすべく開発が行われる。その後、生産、販売へと続く。 デジカメ第1号となったカシオのデジタルカメラQV−10の場合1994年当 時、液晶テレビを目指した研究が行われるなか、「携帯性のよい、その場で確認で きる液晶画面付、そしてパソコンやテレビに写真が転送できるデジタルカメラ」 として開発された。 実用化上(実現化上)の最大の難関は「画質」であったが、商品や不動産の写真 をテレビやパソコンに写しプレゼンが出来る、と言う「画像付ボイスメモ」の企 画が割り切りを生み、そして低価格性との相乗効果により爆発的ヒット商品とし て花開いたのであった[1]。 3次産業を含む一般的な商品の場合のプロセスは、企画→開発→生産→販売・サ ービスとなる。 例えば、音楽DVDや前列3人乗り乗用車などである。
1.2.2 サービスの開発 (1)サービスの開発 3次産業は広義に言えばサービス産業であるが、具体的には3次産業とは卸小売 など流通、運輸・通信、金融・不動産、医療・福祉、教育、飲食・宿泊、サービ ス業、電気ガスなどのインフラ系などを言う。GDP国内総生産531 兆円の 59.3% を占める(2002年)。 サービス業とは、洗濯・理髪・理容・浴場業、旅行や家事サービスなど生活関連 や娯楽業、広告業、コンサルタントや法律また会計他の士業など専門サービス業、 派遣業などがあり、個人向けサービスと事業者向サービスとに大別される。国内 総生産の13.4%を占める。 サービスの開発とは例えば、「整髪のみ、15分、千円」とか、旅行業者の「ワク ワクする格安のミステリーツアー」の開発などを言う。ここでは米国の運輸業で ある航空会社で、自らをサービス業とする事例を紹介する。 (2)サウスウエスト航空のサービスとこれを支える技術 ①サウスウエスト航空 サウスウエスト航空は1967年設立、1971年初フライトの短距離・格安 エアラインである。当時「短距離はコスト高となり儲からない」とされていた。 が1973年以降、イラク戦争や9.11 を含む31年連続黒字の超優良企業であ ると同時に、「アメリカで最も尊敬される企業」としてウォルマートと人気を分 ける存在である[2、JaMLLC大柴代表2001“サウスウェスト航空の成 功の秘訣”、西川渉2004“エアライン低運賃の嵐”現代の航空、ほか]。 売上げでは上位ではないが、株価時価総額では航空大手3社の総額を上回る。 米国運輸省からも「苦情の少ない航空会社」、「手荷物の取り扱いが正確な航空 会社」、「定時運行率の高い航空会社」と言う評価にある。 全米26州59都市を400機の航空機で結ぶ。その格安さはロスとラスベガ ス間往復割引運賃で比べると大手が約95$、サウスウエストは60$。当初 から通常料金の1/3∼1/2と言う格安さにより話題となり、全国の町や企業か ら誘致キャンペーンが起こったほどである。るサウスウエスト航空が参入する と、その路線の価格が下がることからアメリカ運輸省はこれを「サウスウエス ト効果」と名づけている。 ただし機内食なし、座席指定なし(早い順)、チケットレス(直販)の、ないな いづくしである。 ②サウスウエスト航空のサービス ほとんどの路線が平均55分の短距離、かつ直行便(2地点往復便)、そして空 港が市街地に近い多頻度運行(1日10往復)。つまり「セルフサービスの、し
かし使い勝手のよい、ちょいとした高速の長距離バス」のようなものである。 しかしパイロットや乗務員、そして従業員の顧客サービスは群を抜く。ユーモ アに富み、ウィットに富み、そして機転に富む。短い間ではあるが機長やスチ ュワーデスは顧客を厭きさせない。顧客にとって善いと考えることは自発的に 行うばかりではなく、困っている顧客には機転よく便宜さえ図る(例えば、は るばる来たものの最終便に乗り遅れたご老人に明日一の旅券を用意すると共に ホテルに案内をする、など)。 そして最も高いサービスが「正確なダイヤ」である。 これらが顧客の高いロイヤリティーを生む。 ③サウスウエスト航空のサービスを実現する技術と経営 サウスウエスト航空では社内の連携を良くするため、他の持ち場を体験する仕 組みがある。現場1日体験計画である。例えば本社スタッフが客室乗務員を体 験したり、パイロットがエプロンを体験したりする。あるパイロットがエプロ ンを体験することにより地上支援の大変さが判ったりするのである。 さて、正確なダイヤは機種の統一(全機ボーイング737型のみ)、パイロット とエプロンの素早い連携、そして市街地に近い地方空港の利用がある。 機種の統一は乗員訓練、整備、部品調達などの効率化だけではなく、給油・整 備プロセスの時間短縮にある。段取り、専用工具、そして熟練とチームワーク によりで従来の45分から15分に短縮。飛行機の到着と共にパイロットとエ プロンの連携は同時に行われ、荷物の積み下ろし、機内掃除、給油・整備はパ イロットも自ら行うことによりゲート到着から20分で出発するという速さで ある。そして混雑する空港を避け市街地に近い混雑の少ない空港を利用した。 ダイヤの正確性確保と共に施設利用料の安さのためである。 この一連の取り組みがダイヤの正確さ、そして1日10往復を可能とした(他 社は1日8.7 時間が航空機の稼動時間であるが、サウスウエストは 11.5 時間稼 動させる)。 これが低価格と共に地元の顧客の支持を得、鉄道やバス・レンタカーからの乗 り換え、地域密着市場の開拓に結びついた。 サウスウエスト航空では仕事は「掛け持ち」、「助け合い」が当たり前であり、 時間が空いているときには幹部職員やCEOケレハーでさえ現場に出て手伝う のだと言う。これが賃金では平均より5%高いにもかかわらず、70∼50% も低いコストを実現している理由である。 機長や乗務員は、顧客が何人乗れば利益が得られるか(つまり損益分岐点)を 知っており通常のサービスをやめた分、ニコニコして客を迎えユーモアサービ スのおもてなしに励むのである。 ここにビジネスモデルとこれを支える技術、技量、そして経営がある。
1.3 事例1:旅客機の市場 (1)ジェット旅客機 戦後の大量航空輸送の時代を向かえ、B17やB29爆撃機で有名なボーイング社 は参入を狙っていたが、輸送機DC3∼7シリーズで有名なダグラスや、1943 年初飛行の大型旅客機コンステレーション(ロッキード社)には、叶わなかった。 B29は与圧室のある高々度爆撃機であったが初飛行は1942年である。欧州戦 線で主力であったB17は、P51ムスタングが配備されるまで援護なしでの爆撃 に向け、多数の窓と銃により武装された極寒の、高くても6000Mまでの飛行で あった。若い乗員は、25回の爆撃出撃義務後帰国を許されたが、その中間回数で 撃墜されたのがほとんどの過酷な任務であった。 ボーイングがジェット旅客機に参入する契機となったのはB47戦略爆撃機をベー スとした4発のジェット輸送機の開発であり、1954年初飛行の空中給油機KC ―135ストラトタンカーであった。後、電子偵察機含め800機が生産された。 これが後のB707となる。 1955年、遂にパンアメリカンから発注が来た。就航はコメットの1958年1 0月4日に遅れる、10月26日であった。ジェット旅客時代の始まりであると共 にボーイングの時代がやって来た。 (2)航空機の開発 航空機の開発には多大の費用がかかり、数千億ドルも掛かると言う。これまで採算 がとれたのはB707、B727、B737、B747しかないとも言われる。 約10年程度でモデルチェンジがなされ、航空会社からの発注をもとにした受注生 産方式を採る。損益分岐点は1000機とも言われるが必ずしも明確ではない。現 在NO1のエアバスは赤字である(助成金が50∼100%とのこと)。もっともボ ーイングが首位の座を明け渡した理由は、経営の多角化であり、新機種投入リスク の回避であり、油断(成功のジレンマ)である。今や「国際分業」の名の元に、ア センブリー屋とも言われる。 モックアップ化を省いた3D―CADの利用やコンカレント開発で革新したB77 7の場合、開発に6000億ドル、5年を要した。尚、B777はジャンボ747 の後継大型機である。日本など参加各国のアイデアが採用され、例えば頭上の荷台 の開き蓋に鏡が取り付けられることにより奥まで見え、忘れ物が皆無になったなど の工夫がされている。ボーイングが復活しつつあるのは、思いきった外注化、カイ ゼンなどの品質管理・向上(1980年代、日本から学ぶ)等によるコストダウン によるものである。 ジャンボB747の場合の開発は以下のように行われた。
1963:空軍 CX 計画の要求仕様発表。各社基礎設計を開始。 1964.5:競争設計コンペ開始。 (このころ、パンナムは次世代大型旅客機開発をボーイングにオファー) 1965.9.30:CX にはロッキード C-5 案が採用、ボーイングは敗退。 1966.7.28:ボーイング、B747 開発を正式決定。 1968.9.30:B747 初号機ロールアウト(完成) 1969.2.9:初号機初飛行 1969.12.30:B747-100 型に型式証明付与 1970.1.22:パンナム、NY∼ロンドン線に B747 を就航開始 開発を型式証明取得までと考えれば、6年となる。それまでに各種試験に耐えられる ものに開発が遂行される(例えば、しなる翼の疲労試験、−50度での作動試験、エ ンジンへの生きた鳥の時速250KMでの投射試験など)。この他、量産時のコスト 削減やメンテナンスを考慮した開発などが実行されてゆく。 最終的に開発実機によるテスト飛行が行われるが、ボーイング社の場合、開発機のテ ストパイロットと、量産機のテストパイロットと、各々編成されている[1 並びにB 747 CX計画 他]。 (3)型式証明と製造(量産) 型式証明とは、航空機の強度、性能、構造について、安全性が技術基準に適合するこ とが認められることを言う。この後、商用機が製造(量産)されることになる。 製造、アセンブリーとは、部品メーカーから集めた部品を組み立て、繋ぎ合わせ、固 定することを言う。総部品点数は数百万とも言われる。 アセンブリーとは言えジャンボで10ヶ月掛かる(しかも3シフト制で)。 組み立てられた量産機は3∼4回の試験飛行が行われる。この試験のなかには洗面 所の左側の蛇口から熱い湯が出るか否かなどをも含む。 その後航空会社のパイロットがやって来て、(シアトルから)持って行く(引渡し)。 (4)整備 耐用年数は平均で15年程度と言われている。日本の航空輸送会社の場合は20年。 4∼5年毎の大規模整備は80人の整備士が3交代で行う。内装、外装(ペンキを剥 がした上)一式を検査、整備・改修を行う。最後に防錆処理、再塗装が行われ終了す る。2ヶ月位掛かるものもあると言う。整備士は機種毎にライセンスが必要である(パ イロットも同じ)。 その後中古市場に回されるが、日本で使用された航空機は整備が良かったので、人気 が高いとのこと。その後も整備されつつ飛行は継続される。
1.4 事例2:宅急便事業の開拓 (1)宅急便ビジネスの立ち上げ ①役員全員が反対 傾いた大和運輸を父親から引き継いだ新社長の小倉は、永年研究をしていた“宅配”、 当時郵便局のみが扱い他の誰も手を出そうとしない“宅配”に取り組む決意を固めた。 大和運輸がドタンバに来ていたのである。 果たせるかな、役員会では全員が反対。当時の常識では“宅配”は成り立たないと見 られていた。 この事態に、社内から思わぬ協力者が出た。組合である。 会社の窮状を知る組合は、リストラをしなかった新社長に賭けたのである。 小倉の計画が進み出す[3]。 ②ワーキンググループ立ち上げに至る さっそく小倉は、一人の常務と共に若手十余人からなるワーキンググループを立ち上 げ計画の具体化に入った。 米屋などの取次店、集荷配送拠点・センター・ベースと呼ぶ県別基地からなるネット ワーク、翌日配送、商品名“宅急便”などである。 小倉は、集配送車1台当りの取り扱い商品数(密度)に注目していた。集配送車1台 のコストは決まっており、取り扱い個数が損益分岐点を決めるからである。 ③サービスが先、利益は後 昭和51(‘76)年1月営業開始。 第一優先を利益ではなく“翌日配送”に置いた。サービスが密度を定めると考えたか らである。1日1便の集配送を2便制とするなどし果たせるかな、ヤマト運輸は昭和 55(‘80)年度、損益分岐点を越えるに至る。 (2)35社の参入とダントツ戦略 ①セールスドライバー 分業を主としていた運輸業のドライバーにとり宅配は、少なからず文化的ショックを 与えられた。客から“ありがとう”と言われたからである。以後、ドライバーは最前 線の全てを進んで行う者へと変っていった。全員経営の旗手、セールスドライバーで ある。 さて、宅配がビジネスになると知るや否や35社が参入に及んだ。 サービスの差別化を、より図るに至る。 ②ダントツ戦略クール宅急便プロジェクト クール宅急便プロジェクトは昭和60(‘85)年にスタートした。62(’87)年 8月テスト販売を経て、63(‘88)年7月から本格開始された。
9年3期に亘るダントツ戦略の2期目のサービスである。 この間、路線認可を巡る運輸省との激しい確執があった。 ③当初計画全国ネットの完成(ダントツ戦略の完成)と社会インフラ化 運輸省許認可の壁を越え全国ネットワークを形成したのは平成元(‘89)年であり、 面積の99.5%、人口の99.9%である。ダントツ戦略3期目の3年目である。 宅急便を研究しニーズは全国津々浦々にあるとしていた頃から十余年後の事であった。 その後平成7(‘95)年小倉は退任したが、くろねこヤマトの宅急便は事実上、社会 インフラとして認知され今日なお、ブックサービスなどの新分野を切り開いている。 営業開始から4∼5年で損益分岐点に達する、宅配はサービスである、ニーズは全国 に存在する、と言う先見性を小倉は当初から持っていたのである。 [1章コラム:小倉昌男経営学 経営リーダー10の条件] 2005年7月1日永眠された小倉昌男氏(1924年生まれ、享年80歳)の ご冥福をお祈りすると共に、常に肝に銘ずべき引用、経営リ−ダー10の条件を 記す[3]。 ①論理的思考 ②時代の風を読む ③戦略的思考 ④攻めの経営 ⑤行政に頼らぬ自立の精神 ⑥政治家に頼るな、自助努力あるのみ ⑦マスコミとの良い関係 ⑧明るい性格 ⑨身銭を切ること ⑩高い倫理観 ⑤、⑥は郵政省とのことがメインであるが、一早い“民活”と言える。 最後の⑩は真に肝に命ずべきものと思え、引用転載するものである。 「 人間に人格があるように、会社にも「社格」がある。 人格者に人徳があるように、会社にも「社徳」が必要である。 企業の目的は「利益」であるとする考え方があるが、そうは思わない。 企業の目的は「永続」であり、社会的存在であると考える。 端的に言えば、地域社会に対し有用な財やサービスを提供し、併せて 住民を多数雇用して生活基盤を支えることが、存在意義なのである。 」 経営者には短期的視点も必要であるが、同時に長期的視点、視野も必要とされる ことが述べられている。
2 研究開発・企画開発とイノベーション 2.1 研究開発・企画開発の創出 2.1.1 創出の二変数 (1)X軸、Y軸 研究開発や企画開発を成功の果実(事業的成功)に結びつけるまでには、幾つか の試練を乗り越えることが必須である。 更にこのような成功のためのネタ、種を植え付け続けることも必要なことである。 この二つを変数として捉え、各々XとY、X軸、Y軸として見ることとする。 研究や企画のネタ(Y) ネタN ・ ・ ネタB ネタA 時間(X) (2)時間変数(x軸) 一般に製品や商品を事業化する場合、「研究→開発→生産→販売」と進められる。 この4つのフェーズの4つ目の販売までが、全て所定通り実を結べば成功である。 つまりこれを4連戦と見れば4連勝が成功であり、これ以外が失敗と言える。 フェーズの間、連戦の間にハードルが用意され乗り越えることが次のフェーズ、 連戦に進められることになるが、これらハードルを各々「魔の川、死の谷、ダー ウインの海」などと称し、稚魚が大海で無事成魚になるまでの生涯に喩え各々の フェーズでの戒めを指摘する場合がある(この場合、基礎研究、応用研究、製品・ 商品化とその販売、と言うフェーズで称することがある)。 成功のためには途中の勝負が白星になるまで戦い続け、そして4勝を得ることが 必須であるが時間との勝負もあり、これ(時間)を含むと5連戦になる。 失敗は投資コストの損失が残るだけである。 上記の「研究→∼→販売」とプッシュに進める方法を「リニアモデル」と称し、 これに対しニーズ観点から、または市場観点(販売観点)からシーズを追求する プル型により成功を求める方法論を「クラインモデル(市場発見型)」と称す(ス
タンフォード大学クライン教授の提唱)。この他、顧客とのコラボレーションによ る方法(市場創造型モデル、あるいは顧客との協働マーケティングなどと言われ る)、一速くプロトタイプを提供したりテストマーケティングを行う市場実見型な どがある[4]。 以下、米国の場合のベンチャービジネス立ち上げ方を示す。 米国の伝統的優良会社は東海岸側にある。例えばベル研やIBMであり、大学で 言えばMITやハーバードである。 西岸側ではスタンフォード大学があるシリコンバレー発の名だたるベンチャー企 業は数多い。1968年インテル社、1977年アップル社、1984年シスコ システムズ、1994年ネットスケープ社などである。バイオ関係ではジェネン テック社が1976年に設立されており、現在ではIT企業よりバイオ企業の方 が多い。 1980年代に確立された米国におけるベンチャービジネスの立ち上げは、アー リー、開発、販売拡大、イクジット(公開)の4つのステージからなる[1]。最初 のアーリーステージでは自己資金、またはエンジェル資金による創業であり、博 士号をもつエンジニアや大学教授あるいは研究所の研究員などが起業を行うこと が多い。開発ステージではプロトタイプが完成し、いよいよ事業化の段階となる。 ベンチャーキャピタルからの投資が起こり、そしてマネジメントチームが形成さ れる。技術系の創業者の場合、この段階でCEOを実績のある専門経営人に交代 することが多々ある。企業価値の向上、株価を高めることがメインになってくる。 販売拡大のステージは製品の普及時期であり、マーケティング戦略がポイントと なる。ベンチャーキャピタルはマーケティング要員や販路の開拓の支援など広範 な事業支援を行う。イクジットの段階では製造、マーケティング部門の強化、整 備が行われ、このためベンチャーキャピタルからの増資が行われる。この段階で はリスクもかなり軽減されており、ベンチャーキャピタルは機関投資家からのミ ディアム・リスク、ミディアム・リターン資金をいかに獲得するかが関心事であ る。CEO側の関心事は最適なイクジットであり、上場だけではなく大企業への 売却や合併なども視野にいれる。ベンチャービジネスの立ち上げ、イノベーショ ンの実現は概ねこのように行われる。 (3)研究・企画のネタ、特にイノベーション生成変数(Y軸) 研究・企画のネタの継続的生成ももう一つの重要事項である。 日本企業の場合、従来の延長線での新技術・新製品の生成(連続的イノベーショ ン、後述)には優れると言う特長をもつと言われる。知識経営(ナレッジマネジ メントKM)によるとも言われる。 KMでは知識は形式知と言われる言葉や数字などで伝達・共有できる知識と、暗
黙知と言われるノウハウなどの伝達や共有が困難な知識とがある。暗黙知は個人 とチームとの間のインタラクションにより形式知化され、共有された知が新たな る知識を生むと共に個人の知識と結びつき(再度の暗黙知化)、これが次の更なる 新たなる知識を生むことになるのだと言う[5]。 共同化Socialization(暗黙知の共有) 表出化Externalization(暗黙値の形式知化) 連結化Combination(形式知の連結による新たなる知の形成) 内面化Internalization(暗黙知化) 共同化とはホンダで“タマ出し会”と呼ばれるブレーンストーミングなどである。 表出化とはメタファやアナロジーによる暗黙知の形式知化であるが、ホンダシテ ィの開発ではメタファとして“クルマ進化論”と“マン・マキシマム、マシン・ ミニマム”、アナロジーとして“トールボーイ”を用いた。そして形式知化された 複数の知が連結化されシティの企画に至る。内面化とはシティの開発を通じた三 現主義(現場に行く、現物・現状を知る、現実的である)による新たなる暗黙知 の形成である。この4ステージをSECI(セキ)モデルと称す。 これらの実行において必要なことは、ミドル・アップダウンマネジメントとハイ パーテキスト型組織であることである。 トプ・ダウンだけでは知識創造はトップのみで行われることになるが、ミドルが 介在することによりビジョンと現場を融合する知識経営となる。ハイパーテキス ト型組織とは、連結化と内面化を得意とする機能別ないし職能別組織と、共同化 と表出化に効果が出るタスクフォースまたはプロジェクトとのマトリクス組織を 言う。 次に非連続的な、つまり従来にない画期的なイノベーションを起こすにはどうす べきであろうか。長期的な基礎研究の扱いである。大学や国立研究所などとの連 携であるTLOや技術戦略が重要になってくる。 米国におけるTLO(Technology Licensing Offic e)技術移転組織は1970年スタンフォード大学から始まった。その後MIT 他で次々と広まり1980年のバイドール法を経て、大学発のベンチャーとして 活性化されてきた。日本も試みつつある。 技術戦略は、キーテクノロジーをどこに置くべきであるかとか、製品技術のポー トフォリオを如何に構成するべきかなど、製品技術のライフサイクルを考慮した 多角化とそのシナジー効果発揮の考え方、戦略が内容である。
2.1.2 コーポレート・ベンチャーリング 米国3M社は社内ベンチャーリングで名高い企業である。社内ベンチャーはこの他、 “IBMのPC開発プロジェクト”やロッキード社の“スカンクワークス”、またト ヨタの“若者向け新車開発プロジェクト”など、日米ともに広範に見られる「非連 続的成長、またはジャンプ」を求める場合の方法論として多々用いられていること が認められる。 コーポレート・ベンチャーリングは2000年代の企業革新の方法論であり、新た な概念である。2003年MITのウエーバー教授により日本に紹介されたもので ある(2003年MOT国際会議、於経団連会館)。 コーポレート・ベンチャーリングとは、社内ベンチャーだけではなくスピンオフや、 社外のベンチャーとのアライアンスやMBO、MBIなどを含むM&Aなどを言い、 官僚的になりがちな古い企業体質の活性化を図ることを狙いとするものである(大 阪市立大学大学院前田研究室)。 注)MBO(Management By Out);事業部門や子会社が経営 権を買い取り独立するもの。MBI(Management By In)はその反対を言う。 3Mの場合、とある1万人のIT部門をイメーション社として1996年スピンオ フさせた。両社にとりハッピーだからである。シリコンバレー型のハイリスク・ハ イリターンを狙うイメーション社にとってはスピード経営が可能となり、2∼5年 での新製品開発を行う3Mにとっては従来からの株価、収益率を維持するものであ り自らの長所を継続するものであった。同様な例としてシーメンス社の半導体部門 の独立がある(1999年)。 これらの例はスピンオフの例であり、また自らのコアを守るものであるが、従来か らのしがらみをそぎ落とし自らのコアを明確にしていった例としてキャノンがある (メンテナンスフリーのコピー機やインクジェット方式のプリンターなど独創性の 高い製品群で高名である)。 米国東海岸の伝統のある企業や、また日本の創業百年を経た企業などの場合、シュ ンペーターが言う「大企業発イノベーション(後述)」が起こしやすいものと思われ る。特にベンチャーを起こしにくい環境にある日本の場合、これら企業がコーポレ ート・ベンチャーリングを積極的に活用し、3Mの事例などを参考としベンチャー の火種を自ら、または外部の火種を支援してゆくことなどにより大きく育て、そし て次なる成長をもたらす新しいビジネスモデルに転換してゆくことが望まれるもの と思われる。
2.2 イノベーションの定義 イノベーションを「技術革新」とする例が多いがイノベーションの分類、定義につ いては幾つかがある[1]。 ①シーズ型、ニーズ型 シーズからのイノベーションの例として「レーザー光」がある。20世紀の大発見 の一つであるが当初は何に有効なのか定かではなかった。光ファーバー発明の前の ことであった。 ニーズ型とは「必要は発明の母」の発明・発見を言い、電話交換スイッチの限界を 予見したベル研の「トランジスタ」の発明や、特許申請に当たり設計図を転記する のに辟易とした弁理士カールソンによる「コピー機特許」などがその事例の一つで ある。 ②非連続型、連続型 非連続型とは従来にない画期的発明・発見を言う。 連続型とは従来の延長線での小刻みな改善を言い、多くはこの分類に入るものが多 数である。連続型を漸進型とも称す。例えばLSIの4倍、または2倍の大規模化・ 微細化などである。横軸に時間をとり縦軸に技術進歩をとる場合「S字カーブ」を 描くことが多く、サチると非連続型の出番となるが、これを「ドミナントデザイン (支配的デザイン)」と言ったりする破壊的発明である。次に述べるシュンペーター は、このような画期的イノベーションについて定義したものである。 ③シュンペーターの定義 イノベーションの大家として名高い経済学者シュンペーターによる5つの定義が高 名である。 ⅰ)新市場の開拓、ⅱ)新製品または新品質の開拓、ⅲ)原料ないし半製品の新し い供給源の獲得、ⅳ)未知の生産方法の開発、Ⅴ)新しい組織の実現、の5つであ る。 コンピューターの発明はⅰ)の事例である。航空機の発明もⅰ)であるが、レシプ ロエンジンに代わるジェットエンジンの発明はⅱ)の事例であり従来に対し「創造 的破壊」などと言われる。 カーボン素材などの新素材の発明・発見はⅲ)の事例であろう。 カイゼンやJITで高名となり今でも多くの企業からモデルとされるトヨタ生産方 式TPSはⅳ)の事例と言えよう。 半導体のファブレス化(設計と生産の分離)やPC供給のオープンな分業体制はⅤ) の事例と言えよう。 但し、イノベーションは次節に述べるようなジレンマをもたらすことに留意が必要 である。
2.3 イノベーション2つのジレンマ シュンペーターいわく、①イノベーションの担い手としての企業家は成功すれば経 営者となり、企業家ではあり続けられない、と言う(地位を確立した経営者は既得 権を離さず、リスクをおかしたり挑戦したりする意欲を喪失する)。 また、②大企業であればリスクを伴う研究開発を自らまかなうことができる。過去 の蓄積や既存の資産を活用することもできる。独占的な企業であればなおさら資金 的な余裕はあるし、より大きな利益を獲得できるチャンスが大きいのでイノベーシ ョンへの投資の誘因も大きい、とも言う。 ①については喩えれば「成功のジレンマ」とでも言おうか「成功の後の保守化」は、 日本企業でも広範に見られることであり、この解決策はたとえば財団を作るなりし 成功者を資金と地位と名誉ある理事長としてお送りすることなどが考えられる。 事例として「日本半導体産業の成功と敗退」を下図(出典:データクエスト)に示 すが、1988年の絶兆期を迎えた後、1992年の逆転期、1995年の分水嶺 時期を過ぎても何も手を打たなかったことがよく判るデータである(ご存知のごと く半導体産業の再編は2000年頃から始められたが手遅れは明らかである)。 ②については例えばシリコンバレーが築かれる前は、ベル研にてショックレーなど が1947年トランジスタを発明していたし、またインテルやマイクロソフトが大 企業になる契機になったのはIBMのアップル追撃用PCの開発であった。 10 20 30 40 50 60 % ‘80 ‘85 ‘90 ‘95 ‘00 ‘02 米国50.6% 日本26.4% windows95 プラザ合意 欧州 アジア他
半導体:シェア推移
IBMは当初PCを馬鹿にしていた。当時“メインフレームコンピューター”はI BMの成熟事業であるのに対し“PC”はオモチャのようなものであり、後の基幹 コンピュータになるとは思えないものであった。風雲児アップルの成功により気付 いたものであるが一時の成功の後、インテルとマイクロソフトの次代に主役を譲る ことになった。このような“新興勢力”に“既成の一大勢力”が敗退してゆくこと を「イノベーションのジレンマ」と言う[6]。 イノベーションのジレンマは、イノベーションの都度見られる現象であり、例えば 電信から電話への交代、レシプロ旅客機からジェット旅客機への交代など広範に及 ぶ。イノベーションを当初“馬鹿にする、無視する”からであるが、“気付かない” 場合も多々あるようにも思われる。例えば技術導入を国是としてきた日本の場合の “八木アンテナ”や“光ファイバー”などである(9章で詳述)。 [コラム:縮小する日本の産業・経済?]
縮小する日本の産業・経済?
東証1部上場1294社(除く金融)の「失われた十年」
兆円 250 300 350 400 ‘90 ‘91 ‘92 ‘93 ‘94 ‘95 ‘96 ‘97 ‘98 ‘99 ‘00 ‘01 ‘02売上
損益分岐点売上 (粗)利益:固定費を削減し 損益分岐点を確保 (2004年も同一傾向) (従来企業の多くはライフサイクルの衰退フェーズにあり、ビジネスモデルの変革が必要で ある。) 出典:ドイツ証券3 生産マネジメント 3.1 プロダクションマネジメント (1)大量生産マネジメント 大量生産方式は、T型フォードの生産以来、スケールメリット(規模の経済)を追 求し、また製品を大衆に広く普及する、標準化・単純化・専門化を基礎とする生産 方式として定着してきた。 日本においても1960年代の主要生産方式であり、1970年代に入ると多品種 大量生産となり1つのラインで多品種の製品を生産するFMS(フレキシブル・マ ンイファクチャリング・システム)が導入された。 1980年代になると顧客ニーズの一層の多様化に伴い、「作ったものを売る」こと から「売れるものを作る」新たなる生産方式が求められるに至った。 (2)多品種少量生産マネジメント ①トヨタ生産方式(リ−ン生産方式) リ−ン(贅肉のない引き締まった身体)生産とも呼ばれるトヨタ生産方式(TP S(Toyota Production System)は、消費者を最終工 程と考え、後工程からの要求に応じ生産する(JIT)、徹底したムダの排除を追 求し、生産性の継続的向上を図るものである。「カイゼン」と海外に紹介された内 容は、「改善」と言うより「5回の何故に答える、理想に向けた永続的な挑戦」で ありトヨタイズムとも言われる経営風土に根ざすものである。「整流化」と称され る工程の整然とした流れはリードタイムの短縮を追及するものであり、ⅰ)量が 減った時も生産性を向上する、ⅱ)変化にすばやく対応する、ことを可能とする 多能工の協業、チームワークによる知恵と工夫の追及による。トヨタの独自性で あり、競争力の源泉である(佐武弘章論文「トヨタ生産方式と日本的生産システ ム」2000年5月、他)。 ②セル方式(キャノンの場合) セル方式とは主に電機業界に見られる、全ての生産工程を一人で持つ、多工程持 ち自己完結型ラインを言う。 キャノンの場合、御手洗社長が他社工場見学の後、導入を決めた。ベルトコンベ ア方式ではスピード向上に限界があるがセル方式の場合、人にもよるが3倍の生 産性向上も可能と言う。全体で18KMあったベルトコンベアを廃止しセル方式 とした結果、在庫日数が20日から4∼5日に減ったと言う。 従来は完成品を倉庫に搬出していたが、コンテナを工場に置き詰め、これを直接 港に直行させることにより、34あった倉庫を14まで減らすことが出来た。 これらの結果、工場の運転資金が従来の1/3まで削減出来たと言う(一橋ビジネ スレビュー2002年夏号、御手洗社長インタビューより)。
(3)受注生産マネジメント(デル) 1990年代初頭、直販専業のデルは1996年インターネットの専用サイトを開 設。BTO(Build To Order)と言う注文生産方式を本格化させた。マニアや企業を 主要顧客とする顧客の要望に最大限応える製品を受注し(持ち帰り客を対象とはし ない)、そののち生産を行うため生産リードタイムの短縮上、一定の部品・中間製品 の在庫を持つことにはなるが(ほとんどが部品メーカーの在庫である)完成、即出 荷のため製品在庫を原則持たない(完成品が工場から航空輸送により配送センター に送られ、そして顧客の元へ届く間の在庫は発生)。2005年で在庫日数4日とも 言われる世界最短である。 “バーチャル・インテグレーション”と呼ぶ、サプライヤとのSCMや、部品調達 以外のアウトソーシング(組み立てやテクニカルサポートなど)も積極的に進める。 また顧客の購入状況の管理を行い、調達から運用までのフェーズで顧客サービスを 行う。 CRMとSCMの連携などデルのビジネスモデルは現代ビジネス好事例の代表的な 一つである(1999年「デルの革命」日本経済新聞社、他)。 (4)その他(最近のトレンド) キャノンはカメラやプリンターなどの低価格製品の生産を国内の無人化工場生産に 転換するとしている(2004年11月22日、中国からの生産移転、日経新聞朝 刊)。工場全体の1/4を2007年度までに行うとしている。 また液晶のシャープも知財戦略や三重県の“クリスタルバレー構想”などの理由に より、工場を海外移転せず三重に建設とした(亀山工場)。 これまでの海外移転・生産を常としてきた動きとは異なる最近の動きである。 3.2 サービスのQCD 無形の商品としてのサービス、例えば上述したサウスウェスト航空の乗務員による機 内サービスなどは、その(サービスの)生産と消費が同時である、その(サービスの) 質は行う人により決まる、などの特長をもつ(詳しくは6章6.1 マーケティングの項 参照)。 一般にサービスを行う人間には次のような資質と訓練が必要とされる。 ①実務の技能: 実務の知識とこれを実践できる技能 ②対人関係の技能 人間対人間の間で行われるサービスの人間関係について、これを円滑に
処理できる技能 ③組織員としての自覚と誇り 組織と組織員である自覚と誇りは顧客から信頼される基盤である “紳士淑女をおもてなしする、私たちもまた紳士淑女である”をモットーに、単にホテル従 業員ではなく、紳士淑女としての話し方、動作、そして考え方で宿泊客に対するリッツカ ールトンホテルのスタフはこの場合の好事例である。 宿泊費だけで4∼5万円もするこのホテルには、富裕な高級な顧客や一流ビジネスマ ンのリピーターが多いとのことである。 ホテルのスタフは皆、クレド(信条)と言うカードを携帯している。クレドは、どう いうホテルであれば顧客が常に泊まりたいと思うか、他の人々にも推奨してもらえ るか、と言う視点から策定された“顧客への心得3ヶ条”である。アイコンタクト を伴うご挨拶、(予想される)個々の顧客の要望への万全な対応、感じよいお見送りな どはクレドのほか“ザ・リッツ・カールトン・ベーシック”の20項目に実務の基本 として明記されているものに基づくサービスである。 そしてホテルとして(企業組織として)“7年ビジョン”から“基盤”に至る7つのス テートメントが、クレドの共有以前に全従業員に提示されているのである(以上、上 記①、②、③の見本のようなものである)。 かくして“顧客満足の追求”、“顧客不満足の撲滅”が図られるのである(ザ・リッツ・ カールトン大阪ホームページ他)。 (“予想される個々の顧客の要望”については曰くがある。 当初、ザ・リッツ・カールトン・ボストンは本質的には上流階級のプライベートクラ ブであった。ホテルに来る顧客が社会的に名の通った者かどうかを調べる。時にはそ の確認が度を越え顧客が送ってきた予約の手紙の紙の質を調べ、その紙がホテル側の 考えるクオリティに達していない場合は宿泊を断ることもあったとのことである。 このような歴史のもと二度の“マルコム・ボルドリッジ賞”の受賞と今日のザ・リッ ツ・カールトン・ホテルがあるのである。)
4 バリューチェーンマネジメント 4.1 バリューチェーンとマネジメント バリューチェーンとは、企業の主要なプロセスが付加価値、利益をもたらす連鎖、連 携を言う(ポーター「競争優位の戦略」)。 連鎖するプロセスは内外にわたるためこれを活動と称しているが、主要活動とこれを 支援する活動からなる(下図)。 バリューチェーン(価値連鎖)分析とは企業の諸活動において、どの部分で顧客価値 を高めているか、どの部分が競合上秀でているかを、分析するものである。 企業の弱い部分や外部との関係の弱い部分については、これを強化改善し利益に結び つけるものであるが、実施に当たってはアライアンスやM&A、またアウトソーシン グなどを用いる。 最も重要なマネジメントは、各々の活動もさることながら、活動間の連鎖、連携、そ して好ましい循環を形成することであろう。 次節では、市場と研究・開発・生産・販売との連鎖、なかんずく給与さえ市場と連動 させることにより成長してきた中国の家電メーカーを事例として示す。 4.2 事例;ハイアール 4.2.1 会社プロフィール 社名:海爾集団公司(ハイアール) 設立:1984年
購買
物流
製造
出荷
物流
販売・マーケ
ティング
サービス
マ
ー
ジ
ン
全般管理(インフラ)
人事・労務管理技術開発
調達活動
支
援
活
動
主活動
社長:張瑞敏 従業員数:3万人 売上・利益:2001年度9000億円(輸出500億円)、経常600億円 事業内容:家庭電化製品の製造、販売 中国市場シェア;洗濯機30.5% 冷蔵庫 31.2% エアコン 25.8% 概要:張CEOの徹底した顧客志向で急成長を遂げる。 芋洗い洗濯機はこの一事例である。 1984年、ドイツのリーベヘル社と冷蔵庫を主とする技術提携を行う。93 年軌道に乗り、社名を現在のものに変更。 1993年、三菱重工と資本提携、エアコンの製造・販売を行う。総合家電へ の契機となる。 1994年、日本GKインダストリアルデザインと資本提携。工業デザインの ノウハウを導入。 2002年、三洋電機と包括提携。
2001年8月6日付け米誌「FORBES GLOBAL」のTop ten mark ets of large kitchen applications においてハイアールは世界6位に選出(日本
9位が松下、10位がシャープ)。国際的プレゼンスを高めている。 4.2.2 業務内容 (1)特長 ①経営システム ハイアールを語る時GE張りの「定期定量淘汰制度」などの経営システム(信賞必 罰システム)を避けて語れない[7]。 定期的に一定の社員(約10%)を淘汰すると言うものであり幹部も例外ではない。 2001年、事業部長のうち3名が免職、6名が降格、4名が在職のままだが期限 付き改善を命じられた。中・上級幹部の約20%である。 意識改革と実行が常に求められ、評価される。評価は公平を期すため複数角度、複 数指標などから行われ、また公開される。 尚、業績上位10%の社員は厚遇される。 最近は「全員SBU」として、一人々々が独立した事業単位とみなされ「内部市場」 から報酬を受け独立採算を行うことが徹底されている。 ②人材育成 ハイアールは「淘汰」ばかりを行うだけではなく、中長期的な視点から人材教育、 人材育成、人材への投資を行っている。ハイアール大学における各種研修もその 一つであるが、事業部長以上の幹部は毎週土曜日の午前、大学で研修を受けること が義務付けられている。ケース・スタデイや課題・宿題が常に出される。
このような業績査定や研修訓練に耐えられるのは若手幹部であり、社員の平均年齢 は32歳といわれるが幹部社員の平均年齢は28歳だといわれている。 張CEOも卒先して研修を受け自己啓発に励んでいる。張氏自身1995年、46 歳にしてMBAを取得、また企業や企業家、経営思想家に精通しており多くの大学 から客員教授の要請が来ていると言う状況である。 (2)技術開発 ①技術開発体制 1995年、ハイアールはGEなど先進企業の製品開発組織を手本にして、中央研 究院/14の製品開発研究所/生産執行センター(工場)から成る三層製品開発システ ムを構築した(吉原秀樹、欧陽桃花2004年“製品管理の至上主義管理―ハイア ールの事例”神戸大学)。 中央研究院には、デジタル技術、電子技術、新材料技術、生物化学技術、環境保護 技術、省エネ技術、通信技術、ソフト技術、低騒音化技術、製品健康技術、技術戦 略研究所など12の基礎研究所と1つの実験センターが設置されている。 実験センターは品質認証と検定実験を行うセンターであり、家電製品の品質・機能・ 性能を検定・実験(テスト)する中国最大の組織でもあり、12種類の家電製品検 定実験室、18種類の部品検定実験室からなる。また中国初の国際認証部として北 米、欧州など18種類の国際並びに国内の認証に関する業務を展開している。 ハイアールには7つの製品本部と一つの直轄事業部がある。 製品本部とは、冷蔵庫/家庭用エアコン/業務用エアコン/洗濯機/情報/通信の6製品本 部と技術設備本部である。直轄事業部は小型家電、医薬品、旅行業などを行う。 これら7本部・事業部がそれぞれ独立採算の、冷蔵庫/エアコン/カラーテレビ/ 通信 機器/電子機器/パソコン/小型家電/医薬品など14の製品開発研究所を有す。 製品開発研究所では、顧客ニーズにもとづき市場を細分化し、製品を開発する。 ②製品開発投資 研究開発費の売上比率は1996年までは約3%であった。その後増加をたどり2 003年6%、2006年には8%にする計画である。 開発リードタイムを短縮し、さらに製品デザインの向上を目指し技術センターを設 立した。開発リードタイム短縮のための投資として最新鋭の金型工場を建設し、金 型の自社製造を行い新製品の概念設計から金型の試作までを短縮した。 さらに製品デザイン力を高めるため日本GKと合弁会社を設立した。 従来の欧州型冷蔵庫は台所に置く機械のイメージであるが、これを日本型のような 美しいデザインにするのである。かくしてハイアールのデザインは世界水準に到達 した。 ハイアールの製品開発、研究開発にたずさわる技術者は3000人であるが(全従
業員の10%)、ハイアールの研究開発に貢献している外部技術者は約2000人に のぼると言われ、合計すると5000人に達することとなる。 ③賞罰システム「マーケットチェーン」システムによる開発 ハイアールの製品開発を社内から見た場合、企業内請負システムと見ることが出来 る(内部模擬市場化、と称す)。製品事業本部の商品支持部の公示する製品開発の要 求に対し「可能性分析報告」をもって応募し、審査を通った者がプロジェクト・マ ネージャーに任命される(プロジェクトチームはMMC(Mini-mini Company)と 呼ばれる)。 審査は本部長、商品支持部長、商品開発部長、該当製品の開発室長などから構成さ れ、競合他社製品との差別性、新奇性、デザイン、価格などがポイントである。 チーム員も公募により選ばれる。技術者とチームの支持者と呼ばれる非技術者(デ ザイナー、部品調達者、製造エンジニア、セールスマンなど)から構成される。 製品開発は他企業の製品を手本として(例えば日本企業製品)、部品構成にもとづい て設計が進められる。寄せ集め設計である。 技術者の給料は、製品の市場業績と連動して決まる市場給料、賞金と罰金からなる SSTと呼ばれる給料、年齢・勤続年数・肩書による福祉給料の3つからなる。 SST給料とは部門の最優秀者2∼4名が受け取る賞金であり、同数の者が払う罰 金である。尚1人の技術者は3∼4の開発チームに所属するのが常である。 かくして技術が金(利益)に連鎖するのである。 (3)生産 各工場に設置された生産執行センターは、生産現場での技術改良や工程改善を行う。 また原材料の節約とコストダウンを通じ、製品のコストダウンを追求する。 なお製品のための部品のほとんどは外部から調達される。寄せ集め設計であり、組 み立て製品(モデュラー型製品)の製造・生産である。 (4)市場販売 中国の家電業界は政府により外国メーカーからいろいろな面で保護されてきた。 販売網やサービス拠点の整備については外国資本には制限がなされてきた。 何百もある家電企業の1つにすぎなかったハイアールは、他社に先駆けて独自の販 売拠点を全国に構築し、顧客ニーズに十分に対応できる体制を築いた。 直轄販売会社42社、販売取扱店9000拠点、サービス拠点11900拠点であ る。 90年代後半、家電製品のそれまでの供給不足から過剰に転換したとき、顧客ニー ズやその規模を的確に把握することが必須になったとき、ハイアールは圧倒的地位 を築いたのであった。
5 プロジェクトマネジメント 5.1 プロジェクトとマネジメント (1)プロジェクト プロジェクトとは、従来にない成果の創出を目指し、組織を横断するチームなどに より一定期間活動するものを言う。この組織編成をタスクフォースとかクロスファ ンクションチームなどとも称す。 当初のプロジェクトは、主に新しいハードウェアの創出を目的としたが、今日では ソフトウェアの開発や経営課題の解決など広範に用いられるに至っている。 関連をもつ複数のプロジェクトを“プログラム”と言う上位概念により全体整合、 全体最適を図るケースも見られるようになってきている(日本のP2M(プログラ ム&プロジェクトマネジメント)、PMCC編[8])。 いずれにしても唯一の成果、不連続的な成果を生むことが目的であり、企業におけ る日々の生産を担う「プロセス」が、対極の概念である。 (2)プロジェクトマネジメント プロジェクトのマネジメントは、その扱う対象から主にシステム論などの工学的方 法が用いられることが多いが、プロジェクトの事業性やリーダーシップ、またチー ムビルディング(組織編成)などの観点から経営論も応用される。 代表的なプロジェクトマネジメントの一つである米国PM協会のPMBOKガイド ブック(ピンボック・ガイドブックと称す)のマネジメントプロセスを以下に示す。 PMBOKはプロダクトの開発などを想定したものである。 立ち上げ 計画 遂行 コントロール 終結 日本発信の新しいマネジメント体系P2M[8]では、新製品開発や新事業開拓をも想 定し、企画/開発/運営に対応する上流/中流/下流の全工程をモデル化している(各々 スキーム/システム/サービスモデルと称す。 スキームモデル(企画) システムモデル(開発) サービスモデル(運営)