三信遠の立合猿楽 : 懐山おくない「鞠のかがり」
を中心に(研究プロジェクト 「諏訪学」提唱のため の多角的研究)
著者 宮嶋 隆輔
雑誌名 東西南北
巻 2016
ページ 205‑185
発行年 2016‑03‑18
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00004000/
はじ めに
─四 つの 立合 猿楽 諏訪 湖か ら太 平洋 へと 注ぐ 天龍 川の 支流 域、 三河
・信 州・ 遠州
(以 下三 信遠 一) 帯の 山間 部に は、 数々 の民 間祭 祀( 神楽 や正 月祭 祀、 盆踊 りな ど) が伝 承さ れて いる
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。私 はそ のう ち、 おく ない
・ひ よん どり
・田 楽な どの 正月 祭祀 で演 じら れる
「翁
」が
、「 能楽 の翁
」の 源流 にあ たる こと を本 紀要 で論 じて きた
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とこ ろが 三信 遠に は「 翁」 以外 にも
、中 世芸 能を 考え るう えで 重要 な演 目が いく つも
、未 解読 のま ま眠 って いる
。そ のひ とつ が、 現地 でず ばり
「猿 楽
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」と 呼ば れる 演目 だ。 以下 にそ の四 例を 挙げ てお こう A 。 懐 山
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おく ない
「四 節の 四季
・松 竹・ まり のか がり
」( 静岡 県浜 松市 天竜 区) B 神沢
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おく ない
「申 がく
」( 静岡 県浜 松市 天竜 区) C 古戸
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田楽
「四 学・ 長生 殿」( 愛知 県北 設楽 郡東 栄町
〈廃 絶〉
) D 滝沢 八坂 神社 の田 遊び
「筏��� の猿 楽」
(静 岡県 藤枝 市滝 沢)
(1
)霜 月神 楽と して は奥 三河
・花 祭、 遠山
・霜 月祭
、 坂部
・冬 祭り など
。修 正会 系祭 礼と して は田 楽、 おく ない
、ひ よん どり など が各 地に 伝承 され る。 その ほか にも 大念 仏や 盆踊 りな ど盆 の行 事、 しし 射ち 神事 など の民 俗行 事が 豊富 に分 布
(2
)『 東西 南北 20 14
』
(和 光大 学総 合文 化研 究所 編) 所収
「翁 語り のド ラマ ツル ギー
─《 語り の翁
》か ら《 舞の 翁》 へ」 およ び
『東 西南 北2 01 5』
(同 編) 所収
「翁 の動 態学
─「 翁」 の芸 態の 像容 と変 遷」
。
研究 プロ ジェ クト
:「 諏訪 学」 提唱 のた めの 多角 的研 究
三 信 遠 の 立 合 猿 楽
懐山 おく ない
「鞠 のか がり
」を 中心 に 宮嶋
隆輔
成城 寺小 屋講 座
演目 にお いて
、神 沢と 滝沢 では はっ きり
「猿 楽」 と伝 えて いる
(古 戸の
「四 学
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も猿 楽の 転訛 かも 知 れな い)
。何 をも って
「猿 楽」 なの か、 たい へん 興味 がそ そら れる が、 現在 では 演じ てい ない 土地 も 多く
、そ う簡 単に 答え は得 られ ない
。か ろう じて 現在 まで 芸態 を残 して いる 滝沢 の「 筏の 猿楽
」を 確 認し てお こう
。 白の 浄衣 を着 て扇 を持 った 一人 が舞 庭の 右端 から 出て
、順 巡り に大 きく まわ って 東の 外側 の位 置 につ く。 また 一人 が出 て東 側の 内側 の位 置に つき
、二 人が 一節 ずつ 掛け 合い にう たい はじ める
。 つい で一 人が 西側 の外 側、 もう 一人 がう たい なが ら西 側の 内側 につ き、 東西 が方 型に 相対 して 詞 章を 一節 ずつ 掛け 合い にう たう
。
「宇 津の 山」 云々 から 楽が 入り
、四 人は 交互 に片 足を 前に 踏み 出 し、 上体 を前 後に 揺す りな がら うた う。 謡い は謡 曲調 とは 異な って いる が、 ここ では まだ 特有 の 名調 子で 謡う
。(
『中 世芸 能の 研究
』新 井恒 易( 一九 七〇 年、 新読 書社
)よ り) 一方
、明 治期 に廃 絶し た古 戸田 楽に つい ては
、早 川孝 太郎 が聞 き書 きを 残し てい る。
「第 一か ら第 四 まで の「 みょ うど
」が
、各 脇差 を舁 ぎ、 その 先に
「ゆ わぎ
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を引 っ掛 けて 舞庭 の四 方か ら順 次に 謡い なが ら出 て、 掛合 いの 歌が あっ た。 順序 は東 一、 南二
、西 三、 北四 であ る」 とい う。 いず れも 四人 の 役が 順に 舞庭 に出 でて 東西 南北 に立 ち、 中央 に向 かい 合っ て演 じら れた よう だ。 こう した 形態 を見 るに つけ
、畿 内で
「立 合
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」と 呼ば れた 芸能 によ く似 てい るこ とが 分か る。 立合 と は、 芸の 善し 悪し を競 う真 剣勝 負を いう が、 能大 成以 前の 文献 には 独立 した 芸能 の名 とし て登 場す る。 始��
めの 舞��
、春 忠舞� いて
、そ の姿��� にて
、立 合
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の猿 楽
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をす る。 立合
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四人
、内 春忠
、久 春、 春安
、春 民 この 四人 して
、竹��
の猿 楽
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をす る。(
『春 日若 宮臨 時祭 記』 貞和 五年
) 三信 遠と 同じ く、 四人 で演 じる しき たり だっ たよ うだ
。『 申楽 談義
』に はさ らに 詳細 な記 事が 見え る。 河原 の勧 進桟 敷崩 の時
、本 座の 一忠
、新 座の 花夜 叉、 かれ これ 四人 づつ
、八 人に て戀 の立 合を せ しに
、
「恨 は末 も通 らね ば」 とあ げて
、言 ひ納 むる 聲つ まり けれ ば、 一忠 咳を して
、扇 の要 取り 直
(3
)同 地域 で花 祭り 等の 神楽 に用 いら れる 衣装
。上 着。
し、 汗を のご ひけ るに
、花 夜叉
「末 も通 らね ば」 と、 ふと きり に云 ひ納 めて
、笑 はれ け り。
(『 申楽 談義
』、 貞和 五年 の記 事) 有名 な「 桟敷 くず れの 田楽
」で のエ ピソ ード で ある
。猿 楽の 名手 であ った 田楽 法師
・一 忠が
、花 夜 叉の 台詞 の途 中で
、わ ざと 咳を して 汗を 拭っ た。 する と調 子が 狂っ た花 夜叉 は続 く詞 を出 せず に見 物に 笑わ れた とい う。 この 記事 から は、 立合 が特 定の テー マ( ここ で は「 恋」
)で 即興 的に 歌を 繰り 出し てゆ く芸 能で あ り、 才覚 と機 転が 厳し く試 され る場 であ った こと が読 み取 れる
。先 の「 竹の 猿楽
」も
、「 竹」 を題 と する 同様 の芸 能と いえ よう
。の ちに 詳し く述 べて ゆく よう に、 この 即興 性や 文芸 性に おい ても
「立 合」 と三 信遠 の「 猿楽
」は よく 似て いる
。
「立 合」 に関 する 古い 資料 は上 記に 留ま るが
、も う一 点、 絵図 資料 を確 認し てお こう
。大 和四 座立 合の
「翁
」が 描か れた
『豊 国祭 図屏 風』 であ る
(図 参照
。) 四人 が四 方に 立っ て向 かい 合い
、ま る で前 掲の
「筏 の猿 楽」
(滝 沢) のよ うに
「片 足を 前 に踏 み出 し、 上体 を前 後に 揺す
」る 格好 をし てい る。 こう した 動き は今 日の
「能 の翁
」に はな いの で、 四人 で演 ずる
「立 合」 なら では のも のだ った かも 知れ ない
(な お能 楽に 伝承 され る「 弓矢 立合
」「 船 立合
」に もこ のよ うな 動き は見 られ ない
)。
『豊国祭図屏風』(一部模写)
とま れ、 四方 に立 つ四 人が
、順 繰り に即 興的 な歌 舞を 紡い でゆ く点 で、 中央 の「 立合 猿楽
」と 三信 遠の
「猿 楽」 はか なり 類似 する よう に思 われ る。 そこ で本 稿で は、 前掲 A~ Dの 四つ の「 猿楽
」を
〈立 合〉 と表 記す るこ とと し、 最も 長い 詞章 を持 つA 懐山 本を 中心 に、 その 内容 を吟 味し てい きた い
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。
Ⅰ 四節 の四 季─ 四季 の立 合 芸能 の口 開け ─ 当 意即 妙の 語り わざ 伝ゑ こそ
、し ま唐 土の 伝へ なり
。歌 は我 が朝 の作 りご と。 打つ も吹 くも 舞ひ 奏づ るも
、皆 もと 浄 土よ り相 はじ まり
、神 明は んぷ の御 ため なり
。 長き 夜は
、小 夜の 中山 東路
、車 の轅
、我 が君 の御 用。
(A 懐山 本) はじ めに
、こ れか ら唐 土か ら伝 わっ た芸 能を する と告 げ、 歌は 日本 固有 のも のと いう
。そ して 歌舞 音曲 は天 竺に 由来 し
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、神 仏の 力を 人々 にゆ きわ たら せる ため の尊 いも ので ある と宣 言す る。 そう して 三国 伝来 の芸 能へ の期 待が 高ま るな か、 すか さず
「長 き夜 は…
…」 の和 歌を うた う。
『古 今 和歌 集』 五九 四「 東路 のさ やの 中山 なか なか に何 しか 人を 思ひ そめ けむ
」な どを 下敷 きに
、長 き夜 を
「永 き世
」に
、車 の轅��� を「 来る 間」 の「 長き
」に 掛け て祝 言と して いる
。お 手製 の和 歌で
「我 が君 の 祭礼
(お くな い) のた めに 難所 を越 え、 はる ばる と参 勤し まし た」 と申 し上 げて いる わけ で、 格調 が 高く
、す こぶ る気 の利 いた 趣向 とい えよ う。 ただ しこ れに 続く のは
、 苔衣
、着 たる よず まは はん
、ひ るま きぬ
、き か山 の帯
、し たを 見よ
。( A懐 山本
) と難 解で
、う まく 意味 がつ かめ ない
。他 地区 と引 き比 べな がら 原義 を探 るし かな さそ うだ
。懐 山に 隣接 する 神沢 の「 申が く」 を見 てみ よう
。 歌は 三十 一字 の言 の葉 よ。 書く ばか り、 読む ばか り。 読ん だも 書い たも 同じ こと
。 それ より も天 竺に 池ひ とつ 候ひ しが
、そ の池 の名 をば また 君が 池と も名 付け たり
。富 士が 池と も
(4
)以 下詞 章の 引用 にあ たり
、A 懐山 本は 大石 伝次 家蔵
「御 祭礼 用書
」を
、 B・ C・ D本 は前 掲の 新井 恒 易『 中世 芸能 の研 究』 から 採る
。な お引 用に 際し て適 宜漢 字を 当て
、句 読点 を補 った
。懐 山本 の本 文に つい ては
『懐 山お くな い詞 章 集』
(懐 山お くな い保 存会 編、 二〇 一五 年) を参 照頂 きた い。
(5
)こ こで
「浄 土」 は天 竺を さす
。