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− 使 用 価 値 論 に 関 説 す る

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(1)

保管費用と運輸費用に関する一考察︵二︶

− 使 用 価 値 論 に 関 説 す る

茂 木 六 郎

肖     ︵ 承       前 ︶

よしんば﹁流通過程によって隠蔽﹂されているにせよ︑﹁生産過程に起因する﹂両費用が社会的に空費であるの

は︑両費用の充用によって生産されるものが使用価値ではなくて有用的効果であるからという説明は充分納得のでき

るものであろうか︒この点をまず有用的効果についての考察から始めよう︒

ヽ ヽ

︑ ヽ

﹁上衣は一の特殊的な欲望を充たす一使用価値である︒それを作り出すためには︑ある一定の種類の生産的活動が必

要である︒この活動は︑それの目的︑作業様式︑対象︑手段および結果によって規定されている︒それの有用性が︑

かように︑それの生産物の使用価値において・あるいはそれの生産物が一の使用価値であるという点において・表示

ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ

される労働を1吾々は簡単に有用的労働と名づける︒この種点のもとでは︑労働はつねに︑それの有用的効果に関連

して考察される︒﹂Ⅲ

この個所は有用的効果に関してだけでなく︑むしろ使用価値の考察に関してこそきわめて重視すべき個所である

が︑さし当っては有用的効果に即して考察すれば︑まず有用的効果が︑有用労働に﹁関連﹂して考察されていること

に注目したい︒ということは有用的効果と有用労働とを同一視する・ことはできないということである︒即ち両者の問

保管費田と運輸費用に関する一考察︵二︶       一三三

(2)

経 営 と 経 済

一 三

四 には質的差別があればこそ両者を﹁関連﹂させることが一定の意義をもっているということにほかならない︒

ところが﹁有用的効果を使用価値の一変化﹂凶と見倣す安部隆一氏は︑この表現を問題とする限り両者を同一視し ているということはできないが︑他の禁書においては両者を同一視しているのではないかと判断される危険を冒して

いる︒安部氏はいう︒

﹁有用労働は生産物たる使用価値から︑すなわち対象化され終った静止の形態から︑考察されているのであるが︑

お不静止の流動する過程としても叙述されている︒

Z

ロ 仲

NO

足 ︒

肘 件

( ロ

ω σ

同 ロ

o

足 ︒

︒ 同

)

さて﹃この観点のもとでは労働はつねに︑

に関連して考察される︒﹄・:﹁資本論﹄初版はなおこれにつ令ついて﹁この有用的効果

それの有用的効果

をもたらすということが︑

労働の目的とするところである︒﹂といっている︒これが﹃生産物の側では静止的属性﹄

として現象する︒

ZE

N

PEZ

E N

ロ の

EW

巳 伸

一 の

o t s E

Z

m g

問︒甘え芯ロが︑流動状態にある有用的労働︑いま労働

過程に如何に連関しているかに︑注目すべきである︒:・﹂問

末尾に近く

ZE

N

P E j

即ち有用的効果を︑有用労働に﹁連関﹂させることを要請しているからには︑

ぎりでは︑安部氏が有用的効果と有用労働を同一視しているとは見えないが︑右の引用文の前半と関連させて安部氏

の真意を汲みとろうとすれば︑ ﹁不静止の流動する過程﹂

1

有用的効果と受けとれないこともない︒ざればこそ︑石 井彰次郎氏はそのように受取っておられるのである

o

仙安部氏が有用的効果を

﹁使用価値の一変化﹂

とされながらそ

の変佑の内容について明確に示されない限り︑石井氏の判断もゆえなきことと責めることはできない︒

有用労働と有用的効呆を同一視することができないのはすでにのべたとおりである︒

いずれにせ上︑

ところで有用的効果について︑深く︑ しかも︑広い討究の上で︑

ほかでもない石井氏であると筆者は考える︒石井氏はいう

恐らくは定説ともいうべき見解をうちたてられた

の は

(3)

﹁勿論有用的効果は効用に解消せられうるものでなく︑物のもつ効用の発揮l物の消費過程を通じて達成せられる入

閣の一定の具体的欲望を充すという効果を有用的効果とするのが︑われわれの立場である︒従って有用的効果は結果

‑消費に関連するもので︑効用はそれ以前の段階にて用いられうる︒:・﹂同

また有用的効果の達成については

﹁有用的効果とは︑或る物の消費が人出の何等かの一定の欲望を充す場合に︑達成されたと解すべきではなかろう

か︒従って︑有用的効果は︑具体的労働が対象化された場合にも︑対象化されない場合にも生み出されるので︑労働

力・労働手段という物の払誌によるi労働過程l一定の使用価値の生産は︑同時に有用的効果の達成でもある︒﹂附

と要約されている︒石井氏の有用的効果の概念規定は︑その達成という結果については間然するところがないが︑

その形成過程における労働の目的という点に対する配慮がやL不足しているのではないかと考えられ・る︒この労働の

目的に関しては小稿の行論上筆者がなぜ重視するかは順次あきらかにするとして︑差し当り石井氏が有用労働と有用

的効果とを同一視する点について触れておかなければならない︒詰

ωの引用文に先立つ個所で︑安部氏の見解を前述

(

ω参照)の如く判断した上で石井氏は︑

﹁われわれは︑具体的労働(ここでは有用労働と解して差支えないと考える

1

1筆者﹀が対象化されず流動状態に

ある場合は︑有用的効果というよりも寧ろサ

1

ヴィス・労務の生産とすべきではなかろうか﹂的

といわれまず有用労働とサ

1

ヴィスとを同列におく︒他方︑石井氏は︑自立的産業部門としての運輸業において生

産される有用的効果についてマルクスがのべている個所ωに触れていう

li

1

ヴィス・労務という詰は見当らないが﹁有用的効果﹄は﹃サ

l

ヴィス・労務﹄と同一と解しうるで

あろう︒即ちサ

1

ヴィス・労務という代りに有用的効果という語を使用しているのであろう﹂附

保官費用と運輸貨用に関する一考宗(二)

(4)

経 営 と 経 済

一 一

二 六

と 即ち石井氏によれば

有用的効果のうち﹁具体的労働が対必赤化されない場合﹂とは︑

有用労働の流動的状態

il

有用労働そのものである

l

ーを指してかくいっていることになる︒安部氏の場合には︑結果として当然そうなる 筈ではあったが︑明示されなかった(示唆に止るとでもいうべきか﹀見地が︑石井氏にあっては明示されているので ある︒即ちサ1ヴィス概念を媒介環

ι

することによって︑有用労働

l

サ1ザィス

1

有用的効果という一連の等式を成 立さぜているのである︒この媒介環たるサ1ヴィスがその任を果すか否かによってこの等式成立の妥否が証明される のであるから︑さらに横道にそれるようであるがサ1ヴィスについて最ゆ限考察を加えなければならない︒

石井氏の場合のようにサ

l

ヴィスを︑対象佑しないなんらかの労働というように把えている論者は案外に多い︒こ

す る

限 り

︑ の種の理論は︑労働が対象化しないという点にのみサ

1 ヴィスの特質をみとめるもののようである︒だが筆者の理解

サ1ヴィス概念はつぎの定言をはなれでは成りたたない︒

1

!

ち またある人は︑労働カを生産的に労働させることなしに 購買することもありうる︒ーーたとえば︑純粋に個人的な目的︑すなわちサ

l ヴィス等々のために一叫

﹁:::労働力は︑価値を創造する能力として購買される︒

つまりサ

1

ヴィスとは労働力が﹁純枠に個人的な目的﹂に使用されるために購買されたときの労働の特殊な性格を 表示する概念である︒なおここで二一目すれば︑労働が購買されるかのような右の筆者の言い廻しは誤解を招くかも知

れない︒もちろん正しくは労働カの購買であろう︒

しかし﹁労働力も︑それが労働過程で実証される場合にのみ︑そ の価値創造力を実証する︒だがこのときは労働力が即自的・潜勢的に能力として価値を創造する活動であり︑

かかる

ものとして過程から初めて生じるのではなく︑寧ろ過程にとって前提されていることを排除しない﹂同からには︑労 働力の購入を労働の購入といいかえても﹁労働力の一時的処令権﹂問の購入ととることも可能であり︑

その限りこの

表現も難ずるには当らないであろう︒

しかもこのとき労働力の使用目的がすでに指示されている

!l

純粋に個人的自

(5)

ll

のであるからには︑即ち活動としての労働の内容規定にまで立ち入っているからには︑むしろ購買されるも

のが労働であるということは︑右の論理を承認する以上当然みとめられてよい︒そこで労働が一定の性格において購

買されるとき︑その労働がサ

1

ヴィスたりうるか否かは︑た父にその労働が﹁純粋に個人的目的﹂のために使用され

るという条件があるか否かにかtAっている︒この不可欠の条件を無視するところにサ

1

ヴィス概念の混乱の原因があ

るように考えられる︒制雨後の行論中に再引用の煩をさける意味からも︑右の筆者のサ

1

ヴィスの概念規定を剰余価値

学説史中よりの引用で確認しておこう︒

﹁貨幣が直接に労働と交換されてもその労働が資本を生産せず︑したがって生産的労働でない場合においては︑労

働はサ

1

ヴィスとして買われるのであって︑それは一般にほかのあらゆる商品と同じようにその労働が提供する特殊

的使用価値の一表現以外のなにものでもない︒ただしそれは︑この労働がサ

1

ヴィスを物としてではなく活働として

提供するというかぎりでは労働の特殊的使用価値の特殊的表現である︒:::したがってこのサ

l

ヴィスの購買には︑

労働と資本との特殊関係はまったくふくまれていないから︑すなわちそれは完全にぬぐいさられているかまったく現

存していないかであるから:::﹂ω

この一文でとくに注意を払うべきは︑末尾の一節である︒即ち︑

﹁ サ

1

ヴィスの購買には労働と資本との特殊関係

﹂が含まれていないということの説明として︑この関係が﹁ぬぐい去られている﹂か︑はじめから﹁まったく現存し

ていないか﹂の二つの場合を指している点である︒﹁まったく現存していない﹂場合についてはもはや論ずるまでも

tAずり合うつもりは毛頭ないが︑ しかし﹁ぬぐい去られている﹂場合とは︑そもいかなる事態をさしているのであろうか︒言葉の解釈にのみか

﹁ぬぐい去る﹂には︑なんらかの意味において資本と労働との関係が既に存してい

; ︑

中 ' 旬 ︑ ν

る場合にのみいいうる表現である︒考えうることは︑

l

ヴィスがすでに資本の下に包摂されている場合である︒即

保管費用と淫輸賀用に関する一考察(二)

一 三

(6)

経 営 と 経 済

一 三

l

ヴィスとして実現すべき労働(力)が︑資本によってひとたびは購入され︑それ自身に対する支払を受けるだ

けでなく︑資本のために利潤を生む場合

ll

例えば歌手が興業資本家に雇れ︑賃金としての出演料を受取りかつ資本

家に利潤を脅すような場合ーーーに︑この労働と資本との関係が﹁ぬぐい去られる﹂ということが生ずるのであろう︒

ひとたび資本によって購入された労働力が︑

いわば労働過程ともいうべき状態で﹁再転帯﹂されるに当っ

て︑その能力の発現としての労働において︑それが純枠に個人的目的にのみ使用される

1

1

即ちその労働は資本を生

産しないーーならば︑この労働力(労働として発現﹀の購買には︑はじめの購入における性本と労働との関係は﹁ぬ

ぐい去られ﹂ているということができよう︒これ以外に右の﹁ぬぐい去られる﹂という意味の内容を考えることがで

きるであろうか︒

以上︑有用労働

11

1

l流動的状態とて同じことであるがーーが︑そのまでつねにサヴィスたりうるかといえば︑L

そうではなく︑不可欠の条件としてその購買が﹁純枠に個人的目的﹂である場合に限ることは︑この有用労働が資本の

下にすでに包摂されるようになっていたとしても事態の本質に変りはない︑というのが筆者の見解である

o

ここでさき

の石井氏の等式(有用労働1

1

l

有用的効果)に立ち戻ろう石井氏のサ1

o

1有用的効果は︑自立的産業

資本としての運輸業の生産にかんして言われたことを考慮して︑また小稿の目的が流通費用中の両費用を問題として

いる点をも考隠して産業資本としての運輸業におけるサ

I

ヴィスと有用的効果に辿りつくように考察をす

‑ L

しばしば︑かつまた︑論議の際につねに中心におかれる﹁剰余価値学説史﹂中の左の個所を筆者も問題としたい︒

﹁拍出産業ハ鉱業︑漁業をさす︺︑農業︑工業のほかにさらに物質的生産の第四の領域が存在する︒:::人間や商

品を運送する運輸産業がこれである︒生産的労働者すなわち賃分働者の資本家にたいする関係は︑このばあいでも︑

物質的生産のそのほかの領域のばあいとまったく同じである︒さらにこのばあいには︑労働対朱について一つの実体

(7)

的変化がもたらされる︒

li

空間的変化︑場所の変化である︒人間の運輪にかんしては︑このことは︑その人たちに

企業家によって提供される一つのサ

1

ヴィスとしてのみあらわれる︒しかし︑このサ

1

ヴィスの賠買者と販売者ハ乗

客と運輸企業家︺との関係は︑糸の販売者と購買者の関係と同じように︑生産的労働と資本の関係とはなんの関係も

ない︒これにたいして︑商品にかんする︹運輸U過程を考察すると︑このばあいにはもちろん︑労働過程において労

働対象すなわち商品について一つの変化がおこる︒労働対象の場所上の定在がかえられ︑それとともに︑使用価値の

場所上の定在がかえられることによって︑この使用価値に一つの変化がおこる︒その交換価値は︑その使用価値のこ

の変化が労働を必要とする程度に応じて増大する︒この労働の額は一部には不変資本の磨滅によって︑したがってこ

の使用価値に入り込む対鋭化された労働の額によって決定され︑また一部にはほかのすべての商品の価値増殖過程の

ばあいと同じように︑生きている労働の額によって決定される︒商品がその予定の場所に到着するやいなや︑その使

たんにその交換価値の上昇︑すなわち商品の価値の騰貴のなかにあ

使用価値についてはなんの痕跡ものこしていないけれど 用価値についておこったこの変化はきえ去って︑

らわれるだけである︒いまこの場合には︑

も︑しかもそれはこの物質的生産物の交換価値に実現されるのである︒こうして︑この労働が商品に休化されるとい

うことは︑物質的生産のそのほかの領域についてと同じように︑この産業についてもあてはまる︒ただしハこの産業

では︺この労働は︑商品の使用価値には目に見える痕跡をなにものこしていないのである︒﹂悶

﹁人間の運輸にかんしては:::﹂以下と﹁これにたいして商品にかんすこの長文の引用で筆者が問題とするのは︑

る運輸過程を考察すると:::﹂以下の比較である︒第一にここで対立的に11l

:

ll

論ぜられて

いる﹁人同﹂と﹁商品﹂の区別の内容であり︑第二にこれから当然ひき出されるのではあるが︑

1

ヴィスが﹁人間

﹂の輸送にか︑んしてのみ論ぜられている点である︒

︿)

一 三

(8)

経 営 と 経 済

一 四

O

﹁商品﹂と対立的に区別された﹁人間﹂の意味はどうとるべきであろうか︒これは︑逆の側から考えれ

ば︑人聞を商品としてとらえうるのは如何なる場合であるか

X

あきらかにされるなら︑﹁商品﹂でない﹁人間﹂の意

義もそこから窺知できるであろう︒

商品の価値の祖い手たる使用価値に対して価値の実存の条件を説明して﹁啓一本論﹂ではつぎのようにのべている︒

﹁価値は価値章標におけるそれのただ象徴的な表示を度外視すれば一つの使用価値・一つの物・のうちにのみ実存

(人間そのものは︑労働力の単なる定在として考察すれば一つの自然的対象であり︑一つの物ーーたとえ生き

た・自己意識ある・物だとしてもーーであって︑労働そのものは︑かの力の物的な発現である︒):::﹂間

﹁生きた・自己意識ある﹂人間を︑商品たらしめるには︑人聞を全人格の側面においてではなく︑﹁労働力の単なる定

﹁資本﹂の論理においては︑経済的形態規定としての人間は︑資本の人格

あるいはこの場合の取扱いのみが可能である︒さきに引用(註側参照﹀した﹁価値を創造する能力﹂た 在﹂としてとらえてこそ可能なのである︒

る資格において賠買される労働力とは︑

L

る﹁商品﹂としての意義をもっ人間である︒この意味での人間︑即ち﹁

労働力の定在﹂としての商品・物に還元されている人間を排除した﹁人間﹂がここでの﹁人間﹂にほかならない︒従

って︑運輸の対象となるこの﹁人間﹂は︑すでに価値でもなければ使用価値でもないのであるから︑運輸によって使

用価値や価値の上に変化を生ずる余地は︑はじめからない︒これは糸の購入者の場合︑糸の購入(或はその使用﹀に

個人的目的﹂のために労働(労働力)を購買することがサ

1

ヴィスなのであるから︑特殊的に︑この場合の運輸につ

その人自身の上に使用価値や価値上の変化が賀らされないのと全く同じである︒

いていえば︑ここでいう﹁人間﹂が運輸企業家の提供する運輸労働を購入するということであり︑これが運輸サ

1

ィスということではなかろうか︒

(9)

﹁商品﹂の運輸についてサ

l

ヴィスなる語が用いられてないという点である︒﹁商品﹂の場合には︑運

輸の対象としての﹁商品﹂は﹁場所上の定在がかえられること﹂による使用価値における変化と︑この使用価値の変

化に費される労働に応じての価値量の増大という価値の変化が惹き起されることが説かれている︒これは︑

全く考察の対象とならなかった点である︒これがまたなぜ﹁商品﹂のさいにはサ

l

ヴィスなる語

の運輸については︑

が用いられなかったかの理由でもあったのではなかろうか︒筆者がのベてきたこれまでの論理では︑﹁商品﹂の運輸

の労働(力﹀は︑ひとたび運輸企業家に購入されさらに運輸の対象となっているその﹁商品﹂の所有者に

その厳密な意味については後述する﹀されるに当っては﹁価値を創造する

能力として﹂の資格においての労働力の賠買であり︑この点から﹁純枠に個人的な目的﹂に使用されるのではないと (ここではかりにこうよんでおくが︑

いうことが︑サ

1

ヴィスなる語の使用されない理由であろうといいうるのみである︒だから︑この﹁商品﹂の運輸は︑

﹁純枠に個人的目的﹂によって輸送されているのではない︒なぜなら︑﹁人間﹂の運輸の場合のごとく﹁純粋に個人

的目的﹂であるならば︑輸送対象たる商品の使用価値及び価値における変化は問題となり得なかった筈なのであるか

﹁商品﹂の運輸の場合は︑生産過程の一部分として︑即ち輸送対象たる商品の生産過程の一部介として

の運輸労働の意義をもつのではなかろうか︒むしろ︑運輸労働(力﹀として当初にこの労働(力﹀を購買した運輸企

業白紙の資本にひとたびは従属したその労働(力)は﹁商品﹂の運輸のさいには︑商品の所有者

1

1生産資本として

(殻密な意味は後述﹀され︑そのかぎりで資本と労働との関係のうちにある

ll

﹁人間﹂の運輸の場合にはこの関係が﹁ぬぐい去られ﹂ているのであるが

i!

ということができるのではなかろう

生産過程の一部分であるとか︑生産資本として機能している資本に包摂されるとかと 機能している資本

ll

の手に﹁再転宿﹂

か︒ことで﹁商品﹂の運輸が︑

保管費用と運輸費用に関する一考察(二)

(10)

経 営 と 経 済

いう筆者の見地はゆきすぎていないかという疑念がわこう︒だがもしこの輸送労働(カ)を購買し自己の商品を輸送

するその商品の所有者が︑純粋の流通過程で機能する資本(その人格化﹀であるならば︑純粋の流通のために購買さ

れた労働(力﹀は︑価値の形態変換のみに役立つ労働であるから︑すくなくとも運輸の過程で使用価値に変化を与え

たり︑その同じ労働が価値を追加することなどはありえない筈である︒とすればこの場合の運輸の対象たる﹁商品﹂

(当然労働力の定在として商品化している人聞を含む)は︑流通過程で自立化した資本

!l

商業資本等

ll

に包摂さ

よしんば流通過程にあろうとも︑それは流通過程によって隠蔽された生産過程にある産業資れている商品ではなく︑

本に包摂されているとみるの外はあるまい︒そしてまたか

tA

る生産過程の実体をなしているのが運輸企業の運輸過程

なのではないか︒この資格において運輸企業は︑自立的産業資本の特殊な一部門たりうるというべきであるというの

が筆者の見方である︒

さて︑有用的効果に問題を戻すならば︑右のごとく筆者が理解している産業資本の自立的一部門たる運輸業の生産

する有用的効果と使用価値との関係に考察を進めよう︒

ω

資 本

論 一

l

一 八 六 頁

ω

安部隆一﹁流通費用の経済学的研究﹂四

O

間安部隆一﹁価値論研究﹂二九九頁

ω

石井彰次郎﹁サ 1 グィスと生産及び国民所得﹂

ω (

和歌山大学﹁経済理論﹂三四号三四頁)石井氏はつぎのようにのべてい

﹁安部教授は︑:::有用的労働が涜動状態にある場合が有周的効呆で︑﹃

Z E

N O

同 F

E U

Z E

N Z

O E

W O

F ‑

・ ‑

: が

流 動

状 態

に あ

る有用的労働﹄││それが対象化せる場合が使用価値であると︒﹂

制 石 井

右同

四 一

一 良

(11)

制 石 井

右同 三五頁

川 石 井

右同 三五頁

ω

茂木

前 稿 同 の 註 附 の 引 用 文

︒ 川 石 井

前右同

三 九 頁

・ 註 闘 の 凶 側 資 本 論

Ol

O

ω

資本論 一

Ol

八九及び九

O

問剰余価値学説史

長洲二一訳国民文民版第一分冊 二

O

八 頁

(以下特別に訳文又は訳語上問題とするのでなければ︑学一説民

l

O

八頁の如く略す)

(13) 

﹁生産的労働﹂の概念規定をめぐってのさいきんの論議のうち一︑二の例をあげれば︑

うに規定している︒ 遊部久嵐氏はサ l ダイスをつぎのよ

﹁生産的労働は物望的生産にか

L

わるものであって︑非物質的生産にはか

L

わらない︒ここで物質的生産というのは労働の

結果が労例生産物をもたらすような生産である︒:::これに対して非物質的生産においては労働の結果が労働生産物をもた

らさない︒換言すれば労働それ自体が使用価値である︒いわば生産と消費との聞に物が介在せず︑生産即消費である︒非物

質的生産における労働力の機能が不生産的労働である︒私見によれば﹃サ 1

ダ イ

ス ﹄

( ω 2 z o o

U

2

芯 ロ

・ ︹

F

丘ロロ巴)とは

E

このような不生産的労働にほかならない︒﹂(﹁生産的労働とサーがィス﹂三田学界雑誌五

O

巻十二号二及び三頁)だが︑﹁

剰余価値学説史﹂(長洲誠一

l

二 四

O 及び二四一一具)︑あるいは﹁直接的生産過程の話結果﹂(邦訳マ・ェ選集九巻四五 O

頁)では︑マルグスは﹁仕立職人を家によび︑彼のサ 1 ダイス(仕立労働)にたいして支払いをして︑この布地をズボンに

仕立て上げる︒・:﹂場合をあげている︒このサ 1

J スは疑いもなく物質的生産であり︑仕立労働の結呆はズボンという労

間生産物を皆らしている︒ にも拘らず遊部氏によれば︑この﹁仕立労働﹂はサ1ダイスたり何時ないこととなろう︒ また河合

一郎氏はいう

保管費用と運輸費用に関する一考察(二)

一 四

(12)

経 営 と 経 済

一 四

﹁ ・ : サ

1

グィス労働と物質的生産の労働の決定的相異がまずでてくる︒ サーグィス労働は 自然 H 物とは無関係に︑直接

に人が人に対して行う労働であって・:﹂(﹁サ 1 グィス労聞の性格について﹂ マルグス経済学体系 上巻二六三頁)と

ω

学説史 この場合でも遊部氏と同じ批判が妥当しうるであろう︒

l

二四三及び二四四頁︒学説史のこの個所は︑

だがこの引用個所に先立つ部分では︑個人的目的のための労働(力)の賠貝・使用の場合はす ﹁直接的生産過程の諸結果﹂(前出邦訳同一個所)ではほとんど

(邦訳では傍点によってこれを現す﹀﹁資本家のためにするサ 1

ダ イ

ス ﹂

という表現及びこの労働を現す場合にはサ 1 ダイスという語を使用していてもイタリッグで書いてはいない︒ 同一の文章で書かれている︒

︑ . ︑ .

︑ . ︑ .

︑ .

ベ て

l

グィスとイタリツグでマパグスは書き︑

こ れ

は ︑

個 人

的目的に使用される労働(力)の購買と︑資本を生産するための労働(カ)の賠員とを朗白に︑

とみてよいであろう︒ 意識的に区別している一証拠

間 学 説 史

l

二五四及び二五六頁

間資本論

一 一

i

一 一

八 頁

(

殊的投下部面を﹂なし︑

前 節 の 末 尾 で の ベ た ご と く

︑ こ こ で は ま ず

﹁ 一 方 で は 一 の 自 立 的 生 産 部 門 を な し

︑ 従 っ て ま た

︑ 生 産 資 本 の 一 の 特 それが流通過程の内部での且つ流通過程のため以一生産過程の継続とし

﹁他方ではそれは︑

て現れる﹂

ω

ところの運輸業において生み出される有用的効果をとりあげる︒

程 の 内 部 で の 且 つ 流 通 過 程 の た め の 一 生 産 過 程 の 継 続

﹂ た る 限 り で の 保 管 業 で の 有 用 的 効 果 も 同 質 の も の と 見 倣 す の

(右の運輸業におけると同じく﹁流通過

でここでは取上げない)運輸業において産み出される有用的効果は︑

﹁運輸過程と不可分離に結合されており﹂

﹁ そ

の有用的効果は︑

生産過程中でのみ消費され﹂

﹁この過程とは異なる使用物ーーーその生産後に初めて取引財として機

(13)

能し︑商品として流通するもの

l!

としては実存しない﹂凶のである︒だからといって︑有用的効果が運輸という生産

過程そのものであるということはできない︒ことわるまでもなく︑それは労働の結果である︒であればこそ使用価値

については今措くとしても︑この有用的効果は価値の担い手たることができるのであって︑もしそうでなければ︑

﹁有用的効果の交換価値は︑あらゆる他の商品の交換価値と同じように︑その有用的効果ハの生産︺において消費

された生産諸要素ハ労働力お・

4

び諸生産手段﹀の価値に加えるに︑運輸業において成就させられた労働者たちの剰余

労働が創造した剰余価値を以つでしたものによって規定されている﹂のであって﹁その有用的効果の価値は追加価値

としてその商品そのものの上に委譲される﹂附などということはできない︒にも拘らず筆者は前節において再一二﹁運

輸労働(力﹀の再転売﹂という表現を用いた︒何故であるか

Y

しかし︑これにはくわしい説明が必要であることをことわっておいた︒だが︑そもそも﹁労働﹂は果して買売され

うるであろうか︒﹁資本論﹂中﹁労賃﹂についてのベた個所の冒頭においてマルクスは︑周知のごとく資本制生産の

基礎上においては労働が売買されえないことをのべている︒その説明を三つの要点に分けてみると︑同労働が売買 されるとすれば︑一般商品とひとしく労働は価値をもたねばならないが︑価値は対象化された労働であり︑その量

﹁十二時間労働日の価値は何によって規定されているだろうか︑十は社会的必要時間によって計量される︒そこで

二時間という一労働日に含まれている十二労働時間によって

il

これは一の馬鹿馬鹿しい同義反復である﹂凶川︑労

働が販完されるとすれば︑それは販売以前に実存していなければならぬが︑労働の実存は労働力が生産手段と合体の

上ではじめて可能である︒労働が売られるという場合があるとすれば︑労働の売り手が生産手段を所有しているので

それでは﹁彼は︑商品を販売するのであって労働を販有するのではないであろう﹂叫制労働の販

売が可能であると仮定すれば︑それは生きた労働と︑貨幣に対象化された労働との交換を意味する︒もしこの交換が なければならない︒

保管費用と運輸資用に関する一考察つ一)

一 四

(14)

経 営 と 経 済

一 四

等価の交換であるなら

ll

価値法則に立脚する限りこれはさけられない

1

1労働の買手は︑何等の剰余価値を千に入

れることはできない︒即ち﹁資木制生産の基礎は消滅するであろう﹂附

以上労働が資本制生産の基礎上で販指されえない三つの右の理由のうち︑まず向がここで問題になるであろう︒

運輸のために使用される労働力は︑商品としてまず運輸企業家の手によって購買される︒そこで彼の所有する生産手

段と合体され運輸労働として実現化しうる状態に入る︒

うことができる︒

﹁労働﹂は販売されうる﹁実存﹂の条件を得るとい

﹁商品の使用は商品の購買者に属する︑

み︑彼によって販宿された使用価値を渡すのである︒彼が資本家の作業場に遣入った隠聞から︑彼の労働力の使用価

かくして労働力の使用たる労働が︑資木家に属したのである︒﹂川 そして労働力の所有者は︑

彼が自分の労働を渡すことによっての

主 主 や 為

信 ︐

右の意味でこそ運輸企業家は︑販帯以前に﹁労働﹂を所有しているということができるのであるまいか︒

に︑このような状況の下では︑一定の条件が充されるil

資本制生産の基礎上という枠をとりはずす!ーならば︑労

働が販売されるということが可能であろう︒即ち︑前節でのやへたごとくサ

1

ヴィスの販売者と購買者との間には︑資

本と労働との関係が﹁ぬぐい去られ﹂ていたのであったからこそ︑ザ

1

ヴィスを﹁労働の特殊的使用価値の特殊的表

現﹂(同註ω参照)であるとマルクスがのべているのは充分の理由があるといいうる︒

だが︑資本制生産の基礎上という条件の下では︑ たしか

﹁生産資本の一の特殊投下部面﹂としての運輸業が問題となる限

り︑労働が販持され得ないというマルクスの三つの説明すべてについて問題を考察しなければならない︒このときに

ωは依然として有効である︒即ち︑運輸業が運輸サ

1

ヴィス(及び純粋流通のみに起因する商品輸送)を行うのでなくして︑流通の内部での生産過程として商品の輸送

(15)

を行うかぎり︑運輸企業家の販売するものは︑運輸労働の結果であるのか︑または運輸労働として活動すべき労働力

であるかいずれかでなければなるまい︒しかるに運輸労働として実現されるべき労働力は︑運輸企業家に買われ︑

運輸資本の可変資本たる資格においてはじめて運輸労働として機能するのであるから︑運輸の対朱たる商品の所有者

が購買しうるものは︑この労働の結果であるほかはないのである︒従って富永祐治氏が︑

﹁わたしたちが日一属労働者を雇入れ﹁︑品物を運送させる場合︑この一雇用によってわたしたちは彼の労働を買ってい

るのではない︒労働の一契機たる労働力を買って労働させているのである︒しかしわたしたちがその品物を運送業者

に托する場合は︑その運送労働を買っているのである︒だからむしろ端的に︑交通労働または(時として用いられて

いる)交通労務を買うといった方が適切かもしれない﹂附

これは運輸サ

1

ヴィスに関する限りでのみ妥当するといえよう︒だが﹁わたしたち﹂なる者が﹁生産 資本の一の特殊投下部面﹂であるときには︑運送業者から労務といおうと用役とよぼうと労働を買うということは無

内容であるというべきではなかろうか︒右と同じ程度にではあるが︑前節で筆者が用いた﹁運輸労働(力﹀の再転宿

﹂という表現は︑﹁労働力が生産手段と合体しうる瞬同:・労働力の使用たる労働が資本家に属﹂す場合にそれが再販

有される以外︑無条件的にとるならばまさしくそのうちに誤りを含んでいるというべきである︒

労務あるいは用役其他如何なる名称をつけようとも︑労働を意味するものではな

く︑位置変更という労働の結果であるほかはない︒石井氏の有用的効果概念では︑具体的(有用﹀労働が﹁対数化さ

れた場合にも対象化されない場合にも﹂生み出されるのであったのだから︑問題は︑ここでの有用的効果が対衆化し かくてここでいう有用的効果は︑

あるいはその対象化とは一休どんな内容をさしているかということになろう︒すでに屡説してきたご

とくサ

l

ヴィスたるかぎり運輸労働は︑その生産過程に直接に消費の過程がつどきしかもその消費は生産的消費では

保管費用と運輸費用に関する一考察つ一)

一 四

(16)

話 相 口 と 経 済

なく純枠の個人的目的のために消費されるのであり︑これに反し流通の内部での生産過程中の商品輸送の場合には︑

前者と同じく生産過程に直接に消費がつい

λ

くにも拘らず︑それが純粋に個人的目的でなく﹁安本の生産﹂を目的とし

ている消究であり︑生産的消費であることが両者の差であった︒有用的効果の対象化にかんする限りこの両者の差は

決定的であると筆者は考える︒個人的消費と生産的消費にかんしてマルクスはいう︒

それらを食いつくすのであり︑従っ

て消費過程である︒この生産的消費が個人的消費と相具するところは︑後者は諸生産物を生きた伺人の生活手段とし ﹁労働はそれの質料的諸要素

l

l

それの対象およびそれの手段ーーを消費し︑

て消粍し︑前者はそれらを労働

l

l

生きた個人の︑自らを実証しつある労働力

L

i l i ‑

の生活手段として消粍する

という点である︒だから個人的消費の生産物は消費者そのものであり︑生産的消費の成果は︑消費者とは異った一生

産物である︒﹂附

この最後の一句にとくに注目をはらって当面問題となっている︑運輸に適用するならば︑運輸という生産過程で生産

された有用的効果が生産的消費されている限り││運輸が流通の内部での生産である場合

il

場所変更というその有

用的効果は︑﹁消費者とは異った一生産物である﹂ということができる︒もしこれを運輸サ

1

ヴィスとおきかえてみ

るならば︑事態はより明確になろう︒即ち運輸サ

l

ヴィスによって消費される場所変更という内容の有用的効果は︑

個人的消費の対象であるが故に︑その結果は﹁消費者とは異った一生産物﹂ではなくして純粋に個人的目的にもとず

いて消費するという側面からのみ規定された個人

λ

即ち個人的消費そのもの︑であるという点において前者とあきら

かに区別されうる︒ではこの﹁消費者とは異なった﹂ところの一生産物たる有用的効果は︑対象化しているというこ

とができるであろうか︒石井氏の場合には︑運輸における有用的効果は︑有用労働が対象化しない例としてあげられ

ている︒その根拠として︑有用労働の対象化の理解を左の定言においていることは容易に察知することができる︒

(17)

﹁労働過程においては︑人間の活動が労働手段によって︑そもそもから企図された労働対象の或る変化を生ぜしめ

る︒過程は生産物において消失する︒この過程の生産物は一の使用価値であり︑形態変化によって人間の欲望に適合

させられた一の自然質料である︒労働はそれの対'裁と結合した︒労働は対山相赤化されており︑そして対象は加工されて

いる︒﹂叫

右でいう労働の対象化は︑自然質料の形態変化が素材上の形態変化に即して有用労働が対朱化されている場合であ

って︑しかもこれが基本的・一股的な形態化であり︑かくして使用価値生産の一般的・抽象的理解である︒とくに考

慮せねばならないことは︑この個所は︑この定言以前に労働過程の諸契機(生ける労働・労働対象・労働手段)につ

いて詳細に形態・機能を論じたあとでの総括的部分である︒即ち︑素材上の形態変化が﹁そもそもから企図されてい

る﹂場合の労働の対象化に関する規定であることを無視できないであろう︒だが︑いま︑小稿のこの部分で問題とし

ているのは︑位置変更のみが﹁そもそもから企図﹂されている特殊な場合であって︑素材上の形態変化という使用価

値生産の一般性についてではないということに出意する必要がある︒即ち右の素材上の形態変化を一蒲す場合の労働の

対象化を以て︑位置変更のみが企図されている当面の労働の対象化を裁断するわけにはゆかないということである︒

一一一一口ことわっておくが︑労働対象の位置変更がはじめから﹁労働対象の或る変化﹂ではないというならば︑筆者の提

起している問題は全く見当ちがいであるほかはないが︑そのときには運輸業を﹁第四の物質的生産部門﹂とするマル

とすれば﹁労働対朱の或る変化レが︑自然質料を人間の特殊的な欲クス自身の定言も同時に無意義となるであろう︒

望に迎合させるための形態変化を賀すかぎり(それが直接にか間接にかは重大ではない)それは物質的生産たらざる

かくてこの﹁労働対象の或る変化を生ぜしめる﹂諸状態の一つに位置変更を数え上げてならないとの理由は見当

保管費用と運輸費用に関する一考察(二)

一 四

(18)

経 営 と 経 済

一 五

O

らない

o

しかもこの位置変更という労働対象における変化は︑この労働の当初からの目的によって規定されているので

ある︒あたかも素材上の形態変化が﹁そもそもから企図﹂された通りに実現しうるのと同じ程度にである︒或はこう

もさ一口うことができよう︒同じ物質的生産における労働が全体││使用対象の完成までに通過すべき諸労働の総和とい

う意味であるが!ーとしては︑自然質料を人間の特殊的な欲望に適合させうるために形態変化を行わねばならぬにし

ても︑その全体を構成する各部分労働においては︑そのことごとくが直ちに素材上の形態変化を直接に苅ちすとはか

ぎらない︒例えば﹁石炭が蒸気機関により︑油が車輪により︑乾草が説馬によって消費される﹂ωときに必要とされ

る人間の諸労働は︑生産物の実体となる素材上の変化を直接に費すとはいいがたいが︑いずれも生産物形成の全体労

人間の欲望に適合した物の属性たる使用価値の生産に役立っていることは疑う余地がな

い︒この点は︑この部分労働のうちに運輸労働がーーー生産過程中における一工程から他工程への不可避の位置変更と

ll

介在することは通常であるといえるし︑そのかぎりこの運輸労働が﹁労働対象の或る変化を生ぜしめる﹂役

割の一端を祖っていることも全く同様である︒これらの諸部分労働の果す役割は︑全休としては生産の﹁そもそもか 働の全系列においてみれば︑

ら企図された﹂目的に従属しつ

L

も各部分労働はそれぞれ﹁それの目的︑作業様式︑対象︑手段および結果﹂

﹀によって規定されている︒即ち当初の目的が︑これら労働の結果としての有用的効果の性質を規定しているのであ

って︑労働の対象化をたんに素材上の形態変化にのみしばりつけて理解する必要はないと筆者は考えるのである︒換

/ー¥

言すれば︑素材上の形態変化という結果を鷲す労働の対象化を行うか︑あるいは素材的形態変化としての使用伺値生

産のための総労働の一部分をなす位置変更という労働の対象化を行うかは︑有用労働の当初の目的によって規定を受

この目的の実現たる有用的効果の達成によって表現されるのである︒

ところが石井氏のごとく運輸において生み出される有用的効果を有用労働が対象化しない場合と見ることは︑有用

(19)

労働の対象化を直接に素材に即してのみ考えるところに基因するのではないであろうか︒そして筆者の考えるところ

では︑この見地は使用価値を︑素材的にのみとらえて︑人間の特殊の欲望を充たすところの物の属性であることの理

解の不充分さに基因するのではないかとも考えられる︒生産資本・における運輸労働又は運輸生戸においては︑使用価

値が生産されないとはマルクスは言っていない︒むしろ素材的に見た物量としては生産されないとの表現は各所でと

︿

L

で使用価値であるという前提に立つならば

1l

lこの点は安部隆一氏

や宮川実氏の使用価値概念のうちにみられるがーーかくいうこともできよう︒だが筆者は素材的実存がそのまゾで使

用価値であるとは見ないのであるがこの点は次節での問題である︒いまは︑﹁生産資本の一特殊投下部面﹂としての

運輸における労働によって生み出される有用的効果︑すなわち右の限りでの場所変更は運輸労働という有用労働の対

象化と考えることができるというに止めよう︒

ω

資本論 資本論

(4)  (3) 

資本論 資本論

(7)  (6)  (5) 

Aヂγ

h

j

r

資本論 資本論

(8) 

富永祐治

(9) 

資本論

n H U  

ti

資本論

保管費用と運輸針用に関する一考察つ一)

l

七五瓦 五

l

二八八頁

lO

六頁

lO

六 頁

l

四 四

l

一 一 瓦

l

四回二瓦

l

四四三頁

l

八 三

l

四頁

( 未

完 ﹀

一 一

l

O

頁 ﹁交通用役について﹂(大阪市大﹁経済学雑誌﹂第三十七巻四号六頁

U

(20)

経 営 と 経 済

一 五

. E

S F

但 資本論

一 一 七六頁

l

国立的産業部門としての逮捕莱を︑産菜貨本の循環においてとりあげて︑マルグスは﹁生産地程の生産物が折たな対象生産

物でなく・:﹂(資本論五

lO

四頁傍点は引用者)といって決して使用価値ではなくとはいっていない︒また忍愉地程で生み

出される有用的効果について︑﹁それはこの過屈とは異なる使用物

li

その生産後に初めて取引材として機能し︑商品として

涜通するものーーとしては実存しない﹂(資本論五

lO

六頁)といい︑また流通費用をのべた場合の桂輸賛でも﹁生産物の

分量は︑その運輸によっては増加しない﹂(資本論五

l

二八四頁)とのべていることを指摘しておきたい︒これらはすべて使

用価値の理解如何にかかわる問題である︒

参照

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