集団と個人の共進化
著者 横田 宏樹
雑誌名 静岡大学経済研究
巻 25
号 1
ページ 1‑20
出版者 静岡大学人文社会科学部
URL http://doi.org/10.14945/00027645
論 説
地場産業産地の制度的調整と社会的選好の形成:
集団と個人の共進化
横 田 宏 樹
第1節 問題の所在
1990年代以来,経済と社会のグローバル化が加速するにつれて日本経済は国際的な動きのなか にますます取り込まれ,研究者を含めたわれわれ日本人の関心は世界経済の動きのなかで日本は 経済や社会を如何に再構築していくかという問題に向かっていった。しかし,グローバリゼーショ ンの裏では,日本国内における都市と地方の格差が拡大の一途を辿り,抜本的な対策が取られな いまま地方から都市への人口(とくに若年者)移動が進み,政治と経済の機能はますます省庁,
大企業,教育・研究機関が集積した大都市圏へと集中していった。地方では経済活動の中心を担 う中小零細企業がバブル崩壊以降の長期的不況の中で厳しい経営状況に追い込まれ,産業の縮小,
人口の減少,高齢化の加速,生活インフラの都市との格差拡大などとあいまって,地方の社会経 済はこれからの自立的な持続性を保証できるかどうか重要な局面に直面している。しかしながら,
こうした多くの地方経済が抱える諸問題に対して,その状況や程度は同質的なものではなく,人 口規模・大都市圏との地理的距離・産業構造・社会的インフラ・教育環境などに応じてそれぞれ の地域において多様な様相を示している。つまり,都市と地方の格差だけでなく,地方において も地域間で格差が拡大している。こうした状況において,これまでのような国家レベルにおける 中央集権的で画一的な国家主導の地域政策はその効果において限界を見せ始め,各自治体単位で は行政や産業界そして市民から多種多様な活動が巻き起こっている。そして今日,こうした一連 の地域的取り組みが単なる時限的で表層的な活動に終わらずに,それらが地域に固有の諸問題を 掘り下げ,社会や経済に関する政策や仕組みを(再)設計しながら持続性のある深層的な取り組 みへとつなげていくために,その問題の根っこを探し解決策の糸口を見つける土台となるべき方 法論とそれを理論的に裏づける基礎的な研究が求められている。
本稿はこうした課題に対して,地域的空間において経済領域と社会領域が相互補完的に絡み合 う地場産業産地に焦点をしぼり,理論的および実証的に考察していく。日本の地場産業をめぐる 今日の状況について見ると,先述した地域社会や経済の危機とあいまって,その生産額(出荷額)
の継続的低下,規模の縮小,存在意義の低下,ブランド力不足など多くの課題に直面する。地域
において基幹産業として歴史的に重要な役割を果たしてきた地場産業であるが,日本全体やそれ ぞれの地域における産業構造の変化のなかで地場産業が占める各地域における製造品出荷額や粗 付加価値額の割合は小さく,地域経済における数字的な重要性や影響力は低下してきている。ま た,地場産業内部に目を向けると,例えば本稿で取り上げる家具産地では90年代以降の日本経済 の長期的不況や国際的競争の加速のなかで中規模企業の数が減少し,今日のメーカーの半数以上 が数人程度の小規模零細企業という形態をとるように事業規模がより分散化し,また戦後の復興 とともに産業・産地の土台を作ってきた世代からバブル期やその後の停滞期から業界に入ってき た世代へとその中心が移ってきたように,内部にも大きな転換が見られる。こうした歴史的プロ セスにおいて重要な転換点に直面する地場産業産地は,モノづくりやヒトづくりの思想・理念・
哲学,自然資源との向き合い方,ブランド力などを再考するために,今日,その社会経済的仕組 みを再設計する時期に差し掛かっている。
そこで,一つの論点として,本稿は地場産業産地に特有の構造的性格に注目する。例えば,産 地で生産される製品名に目を向けると,〇〇焼,〇〇織,〇〇家具というように〇〇には地域名 が入り,あたかも一つの集合体であるかのようであるが,個々の企業は異質的なアクター(主体)
としてそれぞれが自立した経営を行い,独自の製品を作っている。さらに,地場産業の周囲には それを直接的あるいは間接的に支援する行政,教育・研究機関,市民が取り巻いている。したがっ て,地場産業産地は次のようなアクター間の複雑な社会的関係の調整の上に成り立っていると考 えることができる。つまり,地場産業産地は,一方でそれぞれのアクター(とりわけ民間企業)
が基本的に主観的選好や利己的動機に導かれて自己の利益や目的を追求しようとする市場経済的 活動から成る。他方で,地場産業産地はまたそれらのアクターたちが経済的だけでなく社会的に も相互に関わり合いながら活動することで長期的に築きあげられた一つのまとまった集合的アク ターとしての人間集団でもある。
こうした地場産業産地に関する構造的性格に着目し,地場産業産地が今日抱える根源的な社会 経済的問題を理論的に把握するために,本稿はレギュラシオン理論(Boyer[2015]など)やモラ ル・エコノミー論(Bowles[2016]など)に依拠しながら,産地という空間で活動するアクターた ち(市民,事業主,企業,行政,研究・教育機関など)の社会的関係とそのなかでの行動や選好 の形成,そしてその社会的関係を組織するための制度設計に焦点をあて考察を進める。そこでは,
選好は所与ではなく状況依存的および内生的であり,意思決定を行う状況や長期的な学習過程の なかで形成され,とりわけその大部分は人間集団における社会的関係,つまり他の人々との相互 作用のなかで獲得されるものとしてみなされる。したがって,そこで暮らし活動する個人や企業 という一人一人のアクターに備わっている利己的選好(経済的インセンティブ)と社会的選好を 相互補完的に作用させ,自己利益だけでなく社会全体の利益を考慮に入れた意思決定や行動を評
価する意識を形成し育成する人間の社会的関係を築くための制度設計が重要だと考える。
本稿は以下のように進められる。第2節では,レギュラシオン理論とモラル・エコノミー論に 依拠しながら,本稿の地場産業産地分析に関する基礎的な分析枠組みを整理する。第3節では,
その枠組みにもとづいて地場産業産地の社会経済的仕組みの分析を本格的に始めるために,ケー ススタディとして日本有数の木製家具産地である旭川地域(旭川市とその近郊)を取り上げる。
とりわけ本稿は,家具産地・旭川の始原として基礎的仕組みが作られた時期に焦点をあて,産地 形成期における社会的関係の制度設計,そのなかでのアクターたちの選好形成,そして産地の社 会経済メカニズムについて考察する。第4節では結論に代えて,産地形成を支えた仕組みがその 後に直面した諸問題や今後の現状分析への方向性を示したい。
第2節 調整空間としての地場産業産地
地場産業産地は,限られた地理的範囲の領域において特定の業界で活動する企業(製造,卸問 屋,販売など),その業界と材料などの取引関係のある関連業者,さらにその地域における行政,
研究・教育機関,市民といった直接的および間接的に関わりをもつ多くのアクター(主体)が相 互に関係し合った社会的な構築物である。地場産業産地に関しては,これまで主に経済地理学や 産業集積論の分野において,地理的近接による取引を通じた利益の存在や費用の節約などの集積 利益としての外部経済や,取引されざる相互依存性としての人々の考え方や行為に影響を及ぼす 産業的な雰囲気という観点から地場産業産地の存在理由やメリットに関する研究が展開されてき た(立見[2019])。本稿は後者の視点を共有しながら,主観的選好にもとづいて自己利益的な目的 を追求すると想定されている個人的アクターたちが,なぜ,このような人間集団において混沌と した無秩序な競争的関係に陥らずに,「点」としてのアクターたちが相互に「線」で繋がり,さら に全体的に広がりのある「面」としての社会経済システムとしての産地を形成し,長期的に持続 するのか,レギュラシオン理論(Boyer[2015]など)やモラル・エコノミー論(Bowles[2016]な ど)に依拠しながら制度的調整という概念を中心に考察を進める。
⑴ 社会経済分析における調整問題と調整空間の多層性・重層性:地域的領域の位置づけ ホモ・エコノミクス(経済人)を前提とし,自己の利害のみを気にする自律的諸個人間の競争 が混沌に陥らない理由を新古典派経済学は一般均衡論に求めた。それに対して,レギュラシオン 理論は均衡に相当するものが現れることを保証せず,不整合こそが常態であり規則性や秩序ある 進化は例外であるゆえに,それぞれ自律あるいは独立した諸個人(単位)が共存し存続しながら,
全体としてシステムを形成し進化するためには,それを可能にする経済メカニズムが必要である
と説く(Boyer[2015])。そのメカニズムの分析の中心に,レギュラシオン理論は「調整様式」と いう概念をおいた。それは「諸アクターの『相剋」『闘争』と『統合』『統一』の両面を同時に視野 に入れた概念」(山田[1994], p. 69)であり,諸個人・諸団体の間で対立,闘争,矛盾,葛藤が満 ち溢れた社会経済において一定期間,安定した規則性をもった再生産が進むためには,個人・団 体の行動を特定の方向に誘導するような時代的・空間的に特定の型をもった社会的妥協あるいは ゲームのルールが構築される必要があり,もしその場合でなければ社会経済は不安定と危機に陥 るわけである(山田[1993][1994][2007])。このような社会経済の調整問題に関して,新古典派経 済学の市場による調整とケインズ経済学の国家による調整という従来の2項対立的構造の枠組み を越えて,レギュラシオン理論はその中間で形成される社会的な妥協に基礎をおく制度的調整の 役割を重視する。こうした問題意識にもとづいて,資本主義の黄金時代と言われる戦後30年間の 成長の後にやって来た経済的混乱を分析するなかで,レギュラシオン理論はそれまでの先進資本 主義経済を,「テーラー主義的労働の受容と生産性インデックス賃金の労使妥協」という調整様式 によって支えられた大量生産・大量消費の成長体制,つまり「フォーディズム」を定式化した。
しかしこうした現代資本主義の経済メカニズムにおける調整の分析は,主に国民的空間の領域 に主眼を置いて展開されてきた。Boyer (2015)は戦後における国際システムによる制約のゆるさ や国民国家と地域の階層性のなかで国民的規模における調整様式の確立を可能にしたフォーディ ズムにある程度特殊な時代的背景をあげる。では,そのなかで地域や産業というメゾ空間はとい うと,ナショナルな国民的空間の制度的制約の下にある,あるいはそれを投影した社会的,経済 的,政治的空間として階層的に位置付けられる。例えば産業部門の分析に対してBoyer (2015)は,
「同一の論理がすべての部門で同じようなやり方で投影されているのか,あるいは,各部門はフォー ディズムという産業的論理の要請に対して補完的なものとみなされるのか」(p. 178[翻訳])と言 うように,産業や地域という空間はフォード主義的な技術パラダイムや蓄積体制の分岐回路とし て解釈される(Benko and Lipietz[2002])。それはまるで,ある一国内において諸産業や諸地域は ある程度,同質的な社会経済システムを構築していることが想定されているかのようである。し かしながら,1970年代のフォーディズムの危機以降におけるアフター・フォーディズムの時代に なると,グローバリゼーションが進展し,国民的空間の制度的制約の力が弱まり,地域的分化の 傾向が同一の国民的空間の内部で観察されるにつれて,国民的調整様式の一貫性や存在が疑問に 付されるようになった(Boyer[2015])。
実際に,レギュラシオン理論の研究と直接的あるいは間接的に関連しながら,フォーディズム 時代の単一性・統合性に対する一国内における産業や地域の相対的自立性や多様な地域的,産業 的モデルの共存に問題意識を抱き,それぞれの空間における経済的および社会的調整に焦点をあ てた分析はこれまでにも議論されてきたが,近年,レギュラシオン理論やそれと問題意識が近い
経済学理論において本格的に展開されつつある(Saillard[2002]; Benko and Lipietz[2002]; Gilly and Pecqueur[2002]; Du Tertre[2002]; 立見[2019])。とりわけ理論的および実証的成果を示した研究と して,00年代初めに展開されたGERPISAの自動車産業分析にもとづいた一連の研究(Boyer and Freyssenet[2000]; Boyer[2004])は,国民的論理としてのマクロ的成長体制と整合的な複数の産業 モデルの存在を指摘する1。これまでフォーディズムの分析やアフターフォーディズムの分析で は資本主義経済における生産・消費体制や賃労働関係を特徴づける際に自動車産業やその企業が しばしば参照基準として分析された。そしてそこでは,ある一つの国民的社会経済システムで活 動する諸企業・産業は一つのモデルへと収斂するという国民的代表モデルが仮定され,産業的な 論理は国民的空間に制約づけられていた。しかしこうした単一性の論理に対して,GERPISAの研 究は,日本という成長体制におけるトヨタモデルとホンダモデルの持続的共存という事実を通し て,同一の国民的空間においても複数の異質的な産業システム(生産モデル)が設計・構築可能 であることを示した。
したがって本稿は,フォーディズム時代に成立した国民的妥協を中心にした調整空間の階層性 や規則性が国際化の強い影響力と国内における地域の自律化や多様化が進むなかで弱まっている 今日,これまで国民的論理の投影や空間的展開としてみなされてきたメゾ空間に位置づけられる 社会経済的領域,とりわけ地域的領域に焦点をあて,それを自立的な調整空間として分析する。
しかしながら,地域的領域が完全に自立的かといえばそうではなく,国民的空間の制度的制約の 弱まりはまた,グローバル(世界),ナショナル(国民国家),ローカル(地域),セクター(産業 部門)というそれぞれの調整空間の相対的自立性を促すことで,空間的領域の重層化という問題 を提起する(宇仁[2009]; Boyer, Uemura, Yamada and Song[2018])。したがって,このような調 整空間の多層化および重層化という問題意識を改めて強く意識した上で,本稿は地場産業産地の 分析を進める。地場産業産地は,今も以前も生産・販売・材料調達・雇用・競争といった経済活 動においてグローバルやナショナルな調整空間における制度的制約にもちろん影響を受けるが,
地域の社会経済に埋め込まれた産業として,地域という空間を主戦場にした経済的活動であり,
その成長や発展は基本的に地域的領域の内的なダイナミクスに起因するものである。次項では,
こうした観点から,地場産業産地の調整問題に関する本稿の分析的枠組みについて,より具体的 に考察する。
⑵ 地場産業産地における制度的調整と人間行動の形成:社会的選好から考える制度の設計 地場産業に定まった定義はなく,また研究者の分析焦点によっても様々である。しかし,地場
1 GERPISAとは,パリに本部を置く自動車産業研究者の国際的ネットワークのことである。
産業を扱う多くの論文で引用されている山崎(1977)によると,地場産業の一般的規定として① 伝統ある産業としての「歴史性」,②特定地域に同一業種の中小零細企業が集積しているという
「産地性」,③生産や販売の「社会的分業体制」,④独自の製品を生産する「製品の特産性」,⑤地 域内だけでなく全国や海外にまで販売網を広げる「市場の広域性」があげられる。また米田は先 行研究の定義を要約することで,「中小企業が『主体』となり,地域にある『地元資源』を活用し た伝統的な『歴史性』を形成し,『同種製品生産』をするための『社会的分業体制』によって『産 地性』を形成し,その製品を地域外の『広域市場』(国内・国外)に,販売することによって,地 域社会に寄与している産業」(米田[2005], p. 108)と特徴づける。
このような地場産業産地の一般的定義を参照しながら,調整問題という視点から地場産業産地 の構造的問題を捉えるとき,本稿は地場産業産地を次のように定義する。つまり,地場産業産地 とは地域的空間において多数の個別的アクター(企業,個人,行政,教育機関,市民団体など)
がそれぞれ独立的に存続しながらも結合して共存する集団,つまり集合的アクターとしてシステ ム化された社会的構築物である。そして,このように地場産業産地が体系的に形成され,動態的 なダイナミクスを保持するためには,それを可能にするメカニズム,つまり集団のなかで多種多 様なアクターの関係を社会的に調整する仕組みを設計することが重要である。一方で,それは個 人と個人の相互関係に関する調整である。例えば立見(2019)によれば,経済的利益を生み出す 取引を通じた相互依存性(外部性)と,道徳や倫理にもとづく人々の行為原理や認知的枠組みに 影響を与える取引されざる相互依存性(産業的雰囲気)が補完的に機能する仕組みを作ることが 求められる。他方で,それは個人(の行動)と集団(の行動)の相互作用に関する調整でもある。
個人のアイデンティティ,価値観,行動規範などは集団に影響を受けるし,集団の評判や信頼は そこで活動する個人の評判や信頼を補強する。したがって,このような集団と個人を共進化させ る制度設計もまた課題である。
上記のように,多様なアクターの集団である地場産業産地がシステムとして機能し進化するた めには個人と個人の関係そして集団と個人の関係を調整することが問題であり,本稿は個人(個々 のアクター)が自己利益の追求だけでなく,集団メンバーとして活動する他者を配慮し,そして 集団全体としての産地の利益や発展を考えて行動するような人間行動を促す制度の設計こそが重 要な役割を果たすと考える。このような問題意識から,完全に合理的で非道徳的な個人であるホ モ・エコノミクス(経済人)に対して,ルソーの「あるがままの人間」という立場にたち,行動 実験の結果にもとづきながら,人々は自己利益のみを求めて協力するのではなく,他者の幸福を 気にかけ,社会規範を遵守し,倫理的に振舞うことを欲求する「社会的選好」を備えているとい うボウルズらの主張に注目する(Bowles and Gintis[2011])。したがって,地場産業産地の形成や 持続的進化にとって,他者と共存共栄しながら産地全体や地域社会全体を発展させたいという社
会的選好が利己的な主観的選好に比して,それぞれのアクターの行動における十分に大きな要因 として存在し続けているかどうかが重要だと考える。ボウルズによると,特定の選好を人間が持 つようになる仕方はアクセント(方言)を持つようになる仕方と似ていると言う。それは,一方 で長期的な学習過程のなかで形成され(内生的形成),他方でどの選好が行動を動機づけるかは意 思決定の状況にも依存する(状況依存的形成)。そして本稿がとりわけ重視する点が,こうした特 定の選好を形成する過程の大部分が他の人々との相互作用,つまり社会的関係のなかで形成され るということである。したがって,地場産業産地の制度設計において,人々が行動の動機を長期 的に学習したり,時間的変化のなかで人々が入れ替わっても「新しい動機を学び,古い動機を捨 てることを学ぶように誘導する」(Bowles[2016]翻訳p. 168)ような人々の長期的な相互関係を社 会的に作ることを可能にする構造が大事なのであり,そしてその環境のなかで人々が社会的選好 を育成し促進するような道徳的あるいは社会的な理念や目的を備えた制度の設計が求められる。
しかし現実において,地場産業産地において活動するアクター,とりわけ自己利益を考慮しな ければならない企業のような民間アクターに対して,道徳的・社会的目的の観点からのみ設計さ れた制度は個人と個人,そして個人と集団の調整の媒介役としての役割を十分に期待することは できない。ボウルズが社会的選好とインセンティブは分離不可能であると言うように,社会的選 好を促進するモラル的要素と自己利益追求的行動に働きかける経済的インセンティブは代替的で はなく補完的である。そこで,ボウルズは社会的選好が物質的利己心に訴える政策やインセンティ ブによってクラウディングアウト(押し出し)もクラウディングインもされるゆえに,クラウディ ングインを引き出すようなインセンティブの設計を問題にする。それに対して本稿は,制度設計 における両側面の補完性を認識した上で,集合的アクターとしての地場産業産地にとって社会的 関係を強化し,各アクターの社会的選好を育成するような道徳的・倫理的メッセージを組み込ん だ制度の設計により強い問題関心を置く。そしてそれが,産地全体の観点から,経済的インセン ティブに転換される,あるいはそれを正当化するようなメカニズムを如何に作り出すことができ るか,ということを問題にする。
人間同士の利害や矛盾の相違を調整し,それらの選好や行動を特定の方向に誘導するような社 会的関係を管理する制度はさまざまである。標準的な経済学では最も効率的な制度形態として市 場を想定していたが,市場は一時的で匿名的な性格を有し,寛大さや他者への配慮を促進する制 度ではなく(Bowles[2016]),市場は社会的な絆を強めるものでもなければ弱めるものでもない
(Tirole[2016])。したがって,市場とは異なる,人間の社会的選好の形成や育成を促進するような 制度が設計されなければならない。市場や,市場の対極に置かれる国家(あるいは公権力)とい う二項対立的な分類以外にも,その制度を構成する原理として,例えばHollingsworth and Boyer
(1997)が示すように,垂直的に個々の利己的行動を調整する「私的ヒエラルキー的調整」,水平
的な関係者の間に共有された何らかの合意によって成立するガバナンス形態である「アソシエー ション的調整」,私的利害を集権的に管理するような組合的性格を有する「ネットワーク的調整」,
ある程度の範囲に渡って通用するゲームのルールに同意した信頼関係の上に結ばれた「コミュニ ティ的・市民社会的調整」というように多様な原理が存在する。
もちろん,これら以外の原理も存在するであろうが,地場産業産地にとって重要であることは,
限られた地理的範囲に個人や企業などのアクターが集積しているという地理的近接性を重要な環 境的優位性と認識し,匿名的ではなく顔が見える人格的な関係を築き,そしてその関係が一時的 ではなく長期に渡って継続されるような相互作用的な社会的関係を構築することである。そうし た意味で,地場産業産地の制度設計をする際に,アソシエーション的調整や市民社会的・コミュ ニティ的調整という社会的関係の構成原理は参照基準的な原理となるであろう。しかし重要なこ とは唯一無二の普遍的な社会的関係に関する制度や原理は存在せず,選好のあり方は経済構造(制 度的構造)とともに変化するように,地場産業産地を取り巻く時間的および空間的な状況の変化 において,制度は再設計されねばならない。
かくして本研究の分析的枠組みを要約すると,図1のように表すことができる。地場産業産地 にとって,拡大再生産や資本蓄積による産業領域と社会的環境の整備や政策的決定などの社会領 域が相互に絡み合い,多様な経済活動,市民社会の形成,自然資源の保全的利用・高付加価値化,
地域のブランド化,技術革新(イノベーション),人材育成,社会的平和というような社会経済全 体の持続的発展はこれまでも目指されてきたし,これからの目的でもある(Gilly and Pecqueur[2002];
Laurent, Du Tertre, Dieuaide and Petit[2008])。しかし,そのための基礎的土台として,モラルと インセンティブが補完的に作用する制度設計が求められ,個人でもあり集団の一員でもあるアク ターたちが社会的選考を育み,集合的アクターとして多様なアクターが結合し共存しうる調整さ れた社会的関係を創出し促進するような制度の存在が重要である。
次節では,これまでの理論的考察を踏まえて,地場産業産地の具体的事例を観察しながら,地 場産業産地における制度的調整とその設計,そしてアクターたちの選好の形成について検討する。
その一つの事例として本稿は,日本有数の木製家具産地である旭川地域を取り上げ,地域的領域 の調整問題が現状の課題だけではなく,そもそも産地の形成や時代的変容・進化を可能にする内 部メカニズムの重要な問題であることを再認識するために,旭川家具産地の始原である戦後から 60年代までの産地形成期を改めて分析する。
第3節 旭川地域における家具産地の形成と制度的調整の設計
本節では,地場産業産地のケーススタディとして「旭川家具産地」を取り上げ,前節で考察し た方法論的視点から,社会的構築物である産地が集合的アクターとして機能するための内生的メ カニズムを分析する。他の地場産業産地と同様に,旭川家具産地は成長と危機を繰り返しながら 段階的な変容を経て長期的に構築されたものである。そして,上記で考察した分析的枠組みが地 場産業産地の現状分析に限定されるものではなく,地場産業産地を通時的に分析するための基礎 的視角として提起するために,旭川家具産地の形成期を分析対象に据える。しかし,その前に家 具産地としての旭川地域の現況とその特徴について簡単に触れておきたい。
社会領域 産業領域
図1 地場産業産地の分析的枠組み
⑴ 家具産地としての旭川地域とその特徴
「旭川家具」という名称は,旭川家具工業協同組合によると一企業のブランドではなく旭川市と 東川町,東神楽町など近隣地域に存在するメーカーが製造する家具を総称するブランドとして説 明されている2。今日,家具産地・旭川において「家具・装備品製造業」に分類される事業所は,
平成26年経済センサス基礎調査によると旭川市・東川町・東神楽町で129社ある。その内,出向・
派遣従業者のみの1社を除いた128社における従業員規模の内訳は,100人以上が1社,50人以上
(〜100人未満)が1社,10〜49人規模が32社,5〜9人規模が30社,4人以下が64社であり,5 人以下で集計すると76社,全体の約6割の事業所がごく少人数で営まれる工房スタイルの零細企 業の形態である。家具製造業全体の推定総売上高(旭川市工芸センター「木製家具製造業実態調 査」調べ)推移を見ると,1991年度の440億円をピークに2009年度の118億円まで低下の一途を辿っ ていたが,2010年以降増加傾向にあり,2018年度実績では151億円である3。この過程のなかで,
旭川地域ではたんすなどの箱物,戸棚などの棚物,そしていす・机・テーブルなどの脚物へと主 力製品の転換が起こり,現在,家具産地・旭川は脚物産地としての家具産業の集積地としての特 徴を有している。
さて,このように旭川は家具製造に関わる企業が集積した地域であるが,そもそも旭川地域に おける家具産業は,Marshall (1890)の産業の地域化の要因にしたがって歴史的起源を振り返る と,何よりもまず旭川地域は大雪山連峰や十勝岳火山群に囲まれ,樹木が密生した森林資源に恵 まれた広大な原野であり,旭川家具の代表的な樹種であるミズナラをはじめとした広葉樹の集散 地として豊富な森林資源に恵まれていた。そして,1899年(明治32年)から建設が始まった大日 本帝国陸軍第7師団の移駐およびそれに伴う人口移入により洋家具需要が高まり,さらに駐屯地 の建設とその前年の1898年(明治31年)の官有鉄道上川線の開通による客車製造のために建築・
木工・洋家具職人が旭川に移り住むことになった。こうして豊富な森林資源・軍都としての発展・
職人の移住という家具産業が旭川地域で興る条件が揃っていた。そして,農業・商業依存から工 業化への地域経済の転換策のなかで,木工業は地域において重要産業として位置付けられていっ た。しかしながら,家具産業が旭川地域の基幹産業として本格的に発展し,家具産地として体系 的に形成されていくのは,後述するように戦後以降の話である。
今でこそ,旭川地域は世界的椅子コレクターの織田憲嗣(現・東海大学芸術工芸学部名誉教授・
2 旭川家具という言葉が意識的に使用されるようになったのは,1960年代からである。それまで北海道の中央業 者によって北海道家具と称されていた旭川の家具であったが,当時の協力会の会長であった北島吉光は1961年の 第7回総会において旭川の木工を旭川の産業として家具関連業者のために在るべきとし「旭川家具」と称してPR すべきという発言をしている(田島・宮の内[1970])。
3 旭川市工芸センターによると,2018年度調査(2017年度実績)から工芸品等製造業としていた13事業所を木製 家具製造業に移行したために,2016年度144億円と2017年度150億円は単純に比較できないと指摘している。
東川町芸術文化コーディネーター)の弁を借りれば,世界一の家具産業に関するインフラが整っ た地域的仕組みを持つ産地だと言われている(川嶋[2016])。実際,現場で働いているつくり手た ちのなかにはこのような産地としての環境的魅力に惹かれて道内外から家具づくりをするために 旭川地域に移り住むようになった者も多い。生活圏のすぐそばには森があり,素材である木をた だ材料としてのみ扱うのではなく,森の隣で家具をつくることで経済資源としてだけではなく,
自然資源,地域資源として森や木の保全的利用を進めようとする。また,日本の家具産地では唯 一の共同販売・展示スペースである旭川家具工業協同組合運営の「旭川デザインセンター」(旧旭 川家具センター)が旭川市内にあり,組合に属するうちの約30社のメーカーの製品が展示・販売 されており,また様々なワークショップ・セミナー・企画が一年中開催されている。そして,旭 川デザインセンターをメイン会場にして,毎年開催される新作展としての「旭川デザインウィー ク」や3年に1度開催される世界的な家具デザインコンペティションであるIFDA (International Furniture Design fare in Asahikawa)といった全国的・世界的イベントがある。その他にも,家具 づくりや木材利用の研究開発機関として北海道総合研究機構林産試験場や旭川市工芸センターが あり,木材の素材開発や利用技術の向上に業界とともに取り組んでいる。人材育成に関して言え ば,北海道立旭川高等技術専門学院は技能五輪家具部門の入賞者も含めて継続的に家具職人を地 元の家具業界に輩出し,旭川地域で活躍するデザイン人材には2014年に閉校になった北海道東海 大学芸術工学部旭川キャンパスの卒業生も多い。このような家具産業を取り巻く恵まれた環境の なかで,現在は約130社の家具づくりに関わる事業所が旭川地域で活動をし,日本有数の家具産地 として今日も全国や世界に家具づくりや家具デザインを旭川地域から発信し続けている。そして,
このような家具産地としての長期的な活動が認められるかたちで,2019年10月にユネスコ創造都 市ネットワークのデザイン分野において日本では名古屋市と神戸市(共に2008年)に次いで3番 目に認定され,加盟することになった。
規模は縮小しても旭川地域は家具産業の集積地域として,産地の外部環境と内部環境の変化に 対してその産地的優位性を活かしながら循環的で持続的な生産活動のための取り組みを続け,そ して旭川家具および家具産地としての価値を高めようと内外に発信し続けている。しかしこのよ うな産地全体としての理念,製品,技術力,研究開発,雰囲気,組織的活動など旭川家具産地に おける体系化された社会経済的仕組みは,時代時代に応じて段階的に設計および再設計を繰り返 して構築された歴史的産物であり,その基礎的土台には,家具産業やそれを取り巻く経済的,政 治的,社会的アクターたちが相互に繋がった社会的関係のなかで産地全体の発展や利益を考えて 行動する社会的選好を育み,出現させるような制度的調整の構造があったからである。そこで本 稿はこのような旭川地域における家具産地としての構造的原点を探るために,今日に続く旭川家 具産地の理念・思想・基礎的仕組みを作った時代である戦後から60年代までの時期に焦点を絞り,
その産地形成期の制度的調整のメカニズムを考察する。
⑵ 制度化された集団における調整と人間変革:木工集団としての産地形成
明治時代における軍都としての発展にその起源を持つ旭川家具産地であるが,本格的に産業お よび産地として形成され始めたのは戦後以降のことである。戦後直後の家具業界は零細規模で生 業的業態であり,工場は旭川地域の各所に無統制のまま散在され,生産者と卸問屋と小売業者と の間には対立的な構造が出来上がり,企業を寄せ集めただけのまとまりのない状態だったために,
労働環境も整備されず,低レベルの製造技術しか持たない生産者たちによって粗悪な家具の乱造・
乱売がはびこっていた(北島[1998])。したがって,そのような環境で作られた家具製品は,今日 のような世界的にも評価の高い品質とはかけ離れた「品質はよくないが,とにかく驚くほど安い 値段」(百瀬・北島[1969], p. 109)であり,悪かろう安かろうが旭川で製造される家具の標識と なっていた。しかし,1950年代に入ってくると旭川地域には既製品生産工場の数が増えるに伴い 生産量も増加し,それらの製品を活発に活動し始めてきた北海道全域における小売業者へと流通 させていくための仕組みが必要になり,生産や販売に関する体制強化が課題であった。
しかしながら,百瀬・北島[1969]は当時の家具業界の構造を次のように語っている。生産者は 職人的性格が強い経営者による前近代的性格をもった中小零細企業がほとんどであり,生産者間 においても政治力と資本力をもつ官公庁向けの注文家具工場と新興勢力としての既製品家具工場 の間で対立が起こり,さらに生産者,卸問屋,小売業者がそれぞれの利害的立場からセクト主義 的行動をとり,業界全体としての意見や方向の決定づけがない状態であった。したがって,産地 どころか産業としての形態すら見られず,それぞれが前近代的性格の経営のもとで利己的な経済 的動機にもとづいたものづくりに走り,旭川という地域や民族性に対する意識は共有されず,郷 土産業としての家具づくりの方向性や方法論に関する議論もなく,内部の崩壊の危機に加えて戦 後復興のなかで目まぐるしく変化する外部の経済環境圧力のなかで,この地域の家具づくり業界 が壊滅される恐れさえ危惧される状態であった。
こうしたまさに業界としての体もなしていない混沌とした危機的な状況において,1950年あた りから本格的な既製品家具産地としての産地形成に向けた組織的な動きが起こり始めた。それが,
郷土産業としての家具づくり,地域性を反映した民族家具論,そして産地形成という業界の思想・
理念の下で構想された「集団化」論であった。集団化論とはまさしく,旭川地域の木工全体を木 工集団と捉え,自己利益を中心にして行動する家具づくりに関わるアクターたちを共同体として 有機的に結びつけ共存共栄するための社会的関係を構築するための方法論であった。百瀬・北島
(1969)によると,その中心には「人間」があり,経済的にきわめて零細な経済アクターがそれぞ れ孤立し無秩序な状態にあるような難しい人間集団に対して,地域の木工全体を木工集団にする
ために,ある意味で経済効果よりも人間改革に視点をおき,どのように人間的に解決することが できるかがその最大の課題であった。かくして,集団の一員としての個人の自覚,個人と個人の 連帯意識にもとづく社会的関係,そして個人と集団の互恵関係を築くための具体的な制度設計へ の取り組みが始まった。
業界の集団化において主導的な役割を担ったのが産地問屋(株)北島商店の経営者であった北 島吉光であり,彼は業界を一つにまとめ全体として収益を高める集団にするための将来的方向性 を示す理論的リーダーという役割を担った。そして,業界の集団化に向けた生産者側との調整役 を担ったのが,当時上川木工有限会社の社長岡音清次郎であった。
この二人を中心に,「旭川地区木工振興協力会」(以下,「協力会」と略)が1954年に結成された。
協力会は,家具づくりの産業化と産地としての旭川の確立に向けた方向性や木工業全体の近代化 に取り組んでいくための組織であり,業界内における合意形成の場という役割を果たした。北島
(1998)によれば,協力会の結成は先述したような業界内における常態化された利害対立――注文 品メーカーと既製品メーカー,産業資本と商業資本,など――の調整を図り,家具産業全体の組 織的統合を図ったことに決定的な意義があった。協力会を中心にした業界発展に向けた組織的運 動は,産地形成に向けた生産・卸商・小売商の連帯を形成する諸制度の構築を推し進めていった。
まず,協力会は旭川地域の家具生産が量産化へと進み,全道域における流通機構が復活しつつあ る状況において生産と流通を有機的に結びつけた生産・卸・小売の連帯責任による一体的な流通 機構の確立を急いだ。そこでは,メーカーは生産に専念し,販売は問屋が担当するという分業体 制が体系化された(木村[2004])。そしてそれに伴い,各地の卸・小売業者を旭川に集めての展示 即売会である「木工祭」(1955年)を日本の家具産地で初めて実施した4。また,各企業内に関し ては,徒弟制度が色濃く残り,経営者と労働者の明確な区別が分かりにくい前近代的な経営形態 の状態にある木工業界に対して,機械化や量産化という生産体制の近代化に向けた労務管理の合 理化を進めた。その一環として,協力会は労働者の待遇改善を目指し「最低賃金制」の導入を協 力会加盟業者に促し,賃金体系や就業規則などの各企業の体質改善を進めることで業界における 企業格差をなくし,業界としての統一的な活動の発展を促そうとした5。
また協力会の存在は業界内だけでなく,業界を取り巻く社会的環境づくりにも影響を与え始め た。というのも,協力会の代表の発言が木工業界の総意として受け止められ,木工業界が地域の 政財界に対する一定の地位を得たことにより,政治的発言力を確保したからである(北島[1998];
木村[2004])。とりわけ,協力会は戦後直後の1948年に失業者対策として設立された「共同作業
4 木工祭では,販売はすべて卸商社が担当し,メーカーは商品説明だけにあたった(木村[2004])。
5 「最低賃金業者間協定」は1959年に施行されたが,当時協力会に加盟していた家具・建具製造業200事業所のう ちその協定に加わったのは57事業所であった。しかし,北島吉光は労務管理という新しい問題を経営者に与えた ことは成功であったと解釈して良いと評価している(百瀬・北島[1969])。
所」を「旭川市立木工芸指導所」へと再編する運動をおこした。その目的は,将来の旭川地域の 家具建具の生産体としての発展と,共同作業所の所長であり木工芸の研究者であった松倉定雄の 存在であった。1955年,木工業の指導研究機関としての新たな役割を付与した「旭川木工芸指導 所」が創設され,その初代所長・松倉定雄は家具におけるデザインの意義や生産技術の改善を指 導し,さらにその後の旭川家具産業の発展を担う中核的人材の育成にも取り組んだ(木村[1999])。
そして,協力会を中心にしたこのような集団化という方法論にもとづいた家具づくりや木工業 全体の発展のための一連の組織的活動は,当時旭川市が編成しつつあった「大旭川建設計画」と 歩を共にしながら「木工集団」地の建設へと繋がった6。それまで家具関連工場は地理的にも地 域にバラバラに点在し,そのために場所的にも資金的にも工場の拡張が難しく,工場の公害問題 や火災の危険性,資材置き場の確保の困難といった家具生産の近代化を阻害していた。そこでこ れらの諸問題を解決するために,木工集団の建設は協力会の活動の最重要課題に位置づけられ,
現在の旭川市豊岡地区に日本初の中小企業団地である「豊岡木工団地」が建設され,1959年から 工場移転が開始された。先述した旭川木工芸指導所も木工団地内に置かれ,集団化構想は理論的 にも地理的にも実現されることになった。
以上のような集団化を軸にした旭川地域における産地形成のメカニズムは,図2のように要約 することができる。戦後直後の状況において,家具・木工業界の思想・理念を実現するための方 法論として集団化理論が構想され,その方法論にもとづき意思疎通がとれた連帯意識を深めなが ら集団として業界が動くために,アクター間の社会的関係を調整するための制度設計が構想され た。協力会による業界内の合意形成がとられた組織的活動は,木工祭や木工団地という仕組みを 産み出し,業界アクターたちは生産や販売に関する協働的,分業的体制を築いた。また,こうし た業界の集団化による政治的発言力の獲得は,木工芸指導所の設立など業界の発展と持続性をサ ポートする社会的環境の整備にもつながった。こうした業界における集合的アクターとしての集 団化は,一方で各アクターたちに商圏の拡大,流通機構の確立,品質の向上,生産の拡大・近代 化といった経済的インセンティブを与え,業界全体として「第一期の黄金時代」(百瀬・北島[1969], p. 205)を経験することを可能にした。他方で,先述したように,この集団化のポイントは人間 であり,家具・木工業界の集団的性格や共同体としての連帯性を強め,そして地域全体の発展が 各個人にとっても利益になるという道徳的なメッセージを伝えようとした。そして,このような 制度的に調整されたアクター間の社会的関係のなかで,各アクターはそれぞれが集団の一員であ り,他者を配慮し,全体的利益のために行動しようとする意識や動機,つまり社会的選好を育む ような人間変革が目指された。百瀬・北島(1969)のなかで北島吉光が強調するように,ただ単
6 北島吉光は,場所を指すかのような「木工集団地」ではなく,哲学につながる「木工集団」という表現の仕方 にこだわった(百瀬・北島[1969])。
に集団地を作るのではなく,集団として機能することが重要であり,以上のような集団的システ ムが構築されたからこそ地域の木材資源,風土,そして民族性に根ざした生活文化としての家具 が創造される旭川独自の産地の形成が促進されたのである。
かくして,これまで旭川家具産地に関する先行研究のなかでは産地形成の主な要因として,業 界内の利害対立の緩和,産地問屋を中心とした業界の組織化,北島吉光のリーダーシップなどが 強調されてきたが,本稿はそのような制度的環境の下で集団が社会的に調整され,さらにそのな かで人々の相互関係を通じてアクターたちの行動の動機や選好という認知的側面が形成されると いう,制度と主体(アクター)の相互作用により重点をおいて分析した。
第4節 おわりに:地場産業産地の変容と現状分析に向けて
本稿は地場産業産地を社会的構築物として捉えることで,グローバルやナショナルな制度的構 造に階層的に制約されたものではなく,一つの自立したローカルな調整空間に構築される社会経 済システムとして認識した。そして,地場産業産地の形成および持続性の問題について,こうし
制度の設計
図2 旭川地域における家具産地形成期の制度的調整システム
たローカルな調整空間において,諸アクターの社会的関係の制度設計を中心に,それぞれが相互 的な関係のなかで如何に他者や全体を配慮した社会的選好を形成および学習できるかが重要であ ると議論してきた。こうした理論的考察をより具体的に展開するために,旭川地域の家具産地を 事例に,その産地形成を実現させたアクター間の社会的関係の制度的調整の仕組みを考察した。
そこでは,旭川地域における家具業界が戦後から60年代にかけて,集団化という方法論の下で,
協力会を中心にした制度的仕組みを構築することで人間集団が集合的アクターとして社会的に調 整され,個々のアクターには集団の一員としての行動の動機付けが形成された。そして本稿では 十分に論じることができなかったが,このような集合的アクターとしての業界の組織的活動は,
先述した共同作業所から木工芸指導所への転換を始め,63年から68年の間に合計6人が派遣され た旭川の木工青年の(西)ドイツ研修派遣制度など,旭川地域の基幹産業として家具産業部門が 資本蓄積を継続するための社会的環境づくりの整備促進にも影響を及ぼした7。しかしながら,こ うした旭川地域における家具産地形成を支えた制度的仕組みは60年代後半から70年代初めにかけ てこれまでと同じようには機能しなくなり,反対に産地内の新しい利害対立を生じさせる原因と なった。当時,旭川地域では集団化による生産の近代化や流通機構の確立のなかで職人的企業は 家具メーカーへと成長し,従業員を100人以上抱える大規模企業や30人から50人の中堅企業も現れ 始めた(木村[1999][2004])。もはや弱小零細企業ではなくなった生産者にとって販路開拓は必須 となり,本州メーカーとの競争や業界の発展のためにも,これまで産地問屋主導の流通機構の主 戦場であった消費経済の乏しい北海道から関東や関西市場への進出が急務となった(田島・宮の 内[1970])。そうした状況の変化において,市場ニーズの変化や新しいニーズの創出への対応力の 限界を示し始めていた産地問屋はメーカーに正確な情報を伝えないなど問屋とメーカーとの間の 信頼関係が崩れ始め,業界内において新たなコンフリクトを生み出した(粂野[2010])。その結 果,従来の制度的調整の仕組みの下で成立していたモラルや社会的選好と経済的インセンティブ の相互補完性は弱まり始め,これまでの分業体制や流通機構を超えて積極果敢に本州市場を開拓 する革新的な有力家具メーカーが現れた。その一方で,零細メーカーは従来通りに産地問屋に依 存し,中堅企業のなかでも地元問屋と友好的関係を維持しつつも本州商社や本州有力家具メーカー と提携して新しい流通ルートを開拓しようとする企業があるなど産業内の多様化あるいは異質化 が現れ始め,産地におけるアクター間の社会的関係を調整する制度設計の変容の時代に突入した が,その分析に関しては別稿に譲りたい。
7 その内の一人として長原實がいる。1963年3月から1966年10月までの3年間滞在し,ドイツ滞在中に何度もデ ンマークを初めとする北欧に足を運んでデザインを勉強した後,長原はデザイン性の追求と先端的技術を導入し た工場における家具づくりを目指し,1968年に「株式会社インテリアセンター」(現・カンディハウス)を設立し た。今日,カンディハウスは旭川地域における最大手となり,リーディングカンパニーとして旭川家具産業の中 核的存在を担っている。
そして本稿を締めるにあたって,このような地場産業産地における社会的諸関係の調整とその 制度設計という分析視点から現在の家具産地をはじめとした地場産業産地の現状分析に向けて言 及しておきたい。現在,家具産地をはじめ多くの地場産業産地が持続性への岐路としての転換期 に直面している。それは一方で,日本経済の停滞,地方経済の衰退,グローバル競争の激化,安 価な量産製品に対する競争力の低下など地場産業産地を取り巻く外的ショックに起因した危機と して,各産地における地域活性化活動を事例として取り上げた静態的あるいは短期的な分析が多 くみられる。他方で,本研究の目的は,現状を歴史的時間のなかに位置づけながら,ローカル空 間である産地内部における個人(企業),集団(業界,産地),制度がつながった社会的関係の調 整の仕組みを分析の中心に置き,集合体としての産地の社会経済システムやメカニズムをどのよ うに設計すべきかということを検討することである。とりわけ,近年,世代交代のなかで戦後以 降の産地形成や拡大の時代を知るものは少なくなり,そしてバブル崩壊以降の産地縮小期のなか で少人数型の工房系企業の割合が増加するというような地場産業産地の状況において,一つの傾 向として企業間における産地に対する帰属意識の差や,ものづくりや製品の独自性・差別化が観 察される。それは関(2002)が指摘するように,産地への全面的な依存による同質的な集団から の脱却による「多様性」として肯定的に解釈することもできる。しかしながら,急速に進むグロー バリゼーションのなかで市場競争がますます激しくなり,地場産業産地にも市場的脅威が迫り来 るリスクが増大する局面においては,諸アクターの社会的選好は弱体化し,利害対立のなかで利 己的選好が強化されることで,集合的アクターとしての社会的関係性が疎遠になるという恐れが ある(植村[2018])。したがって,産地内における多様性の追求・拡大や社会的関係の疎遠化は地 場産業産地の形成の本質的部分である人間集団としての意識や連帯性を希薄化させ,結果として,
根の部分で繋がりをもった上での多様性ではなく,産地として共有された思想や理念のない分断 化された異質的アクターの単なる寄せ集め集団へと変貌させてしまう可能性もある。
しかし,今日の資本主義は,「フォード主義的な大量生産・大量消費が行き詰まり,人々は画一 的,受動的な消費ではなく,自己の個性や差異性を能動的に表現し,人間同士のコミュニケーショ ンをもたらすような消費活動を追求する」(除本[2020], p. 2)時代へと変容し,生産と消費におい て非物質的な要素がよりいっそう重要な意味を持つようになってきている(山本編[2016])。この ような文脈において,地場産業産地はそれ自体が地域特殊的資源として,製品に付加される物質 的なモノとしての使用価値に加えて,消費者に差異や意味そして質的評価を与える付加価値を生 み出す重要な要素となりうる(除本[2020])。また,「人々は物を得ようとするだけではなく,何 者かになろうとしている」(Bowles[2016], 翻訳p. 186)ように,社会的メッセージ性のある産地製 品は消費者の購入に関する社会的選好を刺激しうる。
したがって,このようなグローバリゼーションとローカリゼーションが交錯する時代だからこ
そ,地場産業産地という存在は産地製品としての物質的価値だけでなく非物質的価値をも高めう るものであり,それゆえに地域・歴史・自然環境・ヒトを有機的に結合させた複合的なものづく りを支える多種多様なアクター間が相互作用した社会的関係を促進する制度設計が重要である。
似田貝(2014)から言葉を借りると,疎遠になってしまったシステムと生活世界,グローバル化 の政治経済社会と地域社会のモラル・エコノミーを再び結びつけた地域の社会経済的仕組みをデ ザインすることが改めて今日,問われている。
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