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ナム・スオン『安南のフランス人』

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Academic year: 2021

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(1)

第二幕冒頭、クー・ランとキエウのやりとりにより、クー・ランが安南語(ヴ ィエトナム語)を忘れてしまったというのは単なる「ふり」にすぎなかったこと が明かされる。

クー・ラン――私だって何千何万という典籍を学んだ身だ。覚えているさ。全部 ひっくるめたって二百そこそこの単語しかない、この惨めったらしい安南語だ。

忘れろっていう方が無理なんだよ。

キエウ――それにしてもお人が悪い。ご主人様は、これまで何度となくこの私め に下手くそな通訳をさせておいて、それでご自分は黙って聞いてらしたという んですからねえ。ご主人様のお話しになることといったら、そりゃもう長った らしくて。蠅がブーンと飛んできて、うっかりそれに気を取られようものなら 万事休す。右も左もさっぱりわからなくなっているんですから。

続けてクー・ランは、両親が自分のことでいかなる策略をめぐらせているか、

キエウから聞き出そうとする。クウ翁、クウ媼の従者としても定収入に与りつつ あったキエウは、はじめ知らぬ存ぜぬを押し通そうとするが、クー・ランの脅し と平手打ちにより白状を余儀なくされる。これにより、クウ翁、クウ媼が、ク ー・ランを従姉妹のキム・ニンに引き合わせ、彼女の美貌に目を眩ませておき、

それを利用してクー・ランを懐柔しようとしていることが知らされる。クー・ラ ンは、自分が「原住民」の娘などに魅了されることは断じてあり得ないとして一 笑に付す(第一場)

ナム・スオン『安南のフランス人』

――抄訳と解説(下)――

菅 野 賢 治

(2)

そこへキム・ニンの父フアン老が登場し、クー・ランとキエウの安南語による 会話を立ち聞きする。それに気づいたクー・ランは、あわてて安南語が話せない ふりを装うが間に合わない。フアン老は、なぜそのような偽装が必要なのか理解 に苦しむが、ともかくフランスで学位を取得してきたばかりの学士様のお説を拝 聴しようと腰を下ろす。その前で、クー・ランは母国語嫌悪、愛国主義批判の言 辞を繰り広げるが、逆に言語の優劣に関する相対論をもって応酬され、癇癪を起 こしてフアン老を追い払ってしまう(第二場)

テニス服を着てラケットを抱えたキム・ニンが通りかかる。従兄弟との再会を 喜び、二言三言、フランス語で相手をしてみせるが、クー・ランがフランス語で しか話そうとしないのはやはり滑稽だといって笑う。一方、クー・ランは彼女の 美しさにたちどころに魅了されてしまい、求愛の言葉を繰り出し始める。ああ、

私の目がどうかしてしまったのか! これほどまでに愛らしく、美しく、フラン ス語を話し、テニスもする女性のうちに安南の原住民の姿を認めなくてはならな いなんて!」(第三場)即時結婚を迫るクー・ランの手をふりほどいてキム・ニ ンが退場した後、クー・ランは彼女との再会の場を用意するようキエウに命じる

(第四場)

クー・ランがキム・ニンのために花束を買いに行ったのを見届けて、キエウは 物陰からクウ翁、クウ媼を呼び出し、作戦どおりクー・ランがキム・ニンに首っ たけになったことを告げ、自分に任せておけばすべてを希望どおりに運んでみせ ると請け合う(第五場)

花束を手にして戻ってきたクー・ランに、クウ翁、クウ媼は食膳を差し出す。

クー・ランは膳を見て、吐き捨てるように言う。「もうちょっとで死んでしまう ところだった! あんな黴菌うようよの食事をどうやって食えというんだ? キ エウ、彼らに言っておけ。以後、私を食事に招きたいと思う時は、必ずフランス 料理にするようにとな。原住民臭のするものは一切御免だ、ということがまだわ からないのか!」クウ媼がかろうじて反撃し、安南に店を構えるフランス料理屋 でも安南人のコックを雇い、安南人が育てた牛と野菜を材料とし、安南の水を使 っているはずだと述べるが、クー・ランは、自分が定宿としている「金の山羊」

では水も含めて「文明世界から輸入された缶詰」しか料理に使ってはならぬと言

(3)

い渡してあると切り返す。「私は、本来、自分の血管に安南人の血が一滴たりと も流れて欲しくないと思っている人間だ。そのために、私は、この安南人の血の 維持に貢献し得るような安南の物質は一切体内に摂取しないことに決めたのだ。

(第六場)

ふたたびフアン老登場。クー・ランは、それがキム・ニンの父親であると知ら されても、依然、不遜な態度を改めない。あんたの『コン・ガイ』(娘)だけ置 いて、その辺をほっつき歩いてくるがよい。(第七場)それを諫めるキエウに対 して、「私の色好みの極意はな、父親の鼻面の真ん前で娘を奪い去るという一点 に尽きるんだよ。

普段着に着替えたキム・ニン登場。花束を捧げ、あいかわらずフランス語で求 愛を続けるクー・ランに、彼女は、二人が顔を合わせるための条件として、不遜 な態度を改めることと安南語で話すことの二点を求める。クー・ランは渋々それ を受け入れ、キエウに退出を命じる(第八場)。クー・ランは、キム・ニン相手 に安南語を用い、みずからの言語観(フランス語の優越、安南語の劣等)と文明 論(インドシナ半島「文明化」の必要)を展開する(第九場)

クー・ランが「金の山羊」で食事をしてくるといって一時退場。先刻から二人 の面会を遠くから眺めていたタム・トゥー(キム・ニンの恋人)が、クー・ラン、

キム・ニンのあいだに婚約が成立したのものと早とちりし、キム・ニンの心変わ りを皮肉混じりになじる。最終的に誤解は解け、二人の相思相愛が確認される

(第十場)

食事から戻ったクー・ランがタム・トゥーと鉢合わせする。キム・ニンを奪い 合う二人(第十一場)。幕間に決闘が行われる。

キエウが、クウ翁、クウ媼、フアン老を前にクー・ラン擁護の詭弁を繰り広げ、

キム・ニンとの縁談実現のためフアン老の機嫌を取ろうとするが、あえなく失敗 に終わる(第一場)

服を乱し、大粒の汗を流してクー・ラン登場。舞台袖にいるとされたフランス

(4)

官警に向かって、「ええ、ええ、そうなんです、警察署長殿。あんな汚らわしい 原住民は、棒打ちの刑でも喰らわせてやるべきなんです。奴はこの私を侮辱した。

この私を殴りつけた。〔・・・〕署長殿、どうか私の仇をとってください。奴を監獄 にぶち込んで、できれば島流しにしてやってください。ついでに、奴の親兄弟、

友人、同国人、皆まとめて処罰してくださってもいい。(第二場)ここにいたり、

クー・ランが安南一時帰国の真意を暴露する。「私がここに滞在して、ちょっと 彼らに愛想のいいふりをしているのは、今、ちょっと手元不如意だからなんだ。

その点さえ解決すれば、ふたたび『クロード・シャップ』号に乗船しておさらば さ。その時はじめて、『エル』(彼女)はわれわれと一緒にフランスに行くことが できる。(第三場)

クー・ラン、指で韻律を数えながら、キム・ニンにフランス行きを説き勧める 詩をひねり始める。

その可憐なる美をもて、

貴女はみずから安南人と思いきや?

否、否、貴女は仏国の女。この地にて 貴女は住むべき国を見誤れり。

みずからの姿を振り返りたまえ、原住の女よ、

いかに貴女が私と同等に映ることか。

家族、友、宗教、信仰を捨て、

欧州の女性になりたまえ。(第四場)

そこへ従者ボックが飲み物を盆に乗せて登場。クー・ラン、ビールをジョッキ に注ごうとして手を止める。お前、わからないのか? これは『原住民ビール』

じゃないか。」キエウからフランス語のABCを習い始めたというボックを相手 に、クー・ランがいくつか単語を教えようとするが、まったく埒があかない(第 五場)。もっとしっかりフランス語を叩き込んでやるようキエウに命じ、キエウ はボック相手にフランス語講座を再開するが、フランス語と安南語の類音異義、

異音類義によって支離滅裂となる。

(5)

キエウ――そんなら、昨日の分をおさらいしてみろ。聞いてやるから。

ボック――わかりやした。えーと、レオ・レオは「生徒」 キエウ――(合いの手を入れて)マン・ゼーは・・・・・・?

ボック――マン・ゼーは「食べる」ファン・ソッは「何か」・・・・・・。

キエウ――違う、クッ・ソッ**だ。

ボック――レオ・レオ・マン・ゼー・クッ・ソッは「生徒は何か食べますか」。

(第六場)

lèo lèo = l’élève(生徒)

**ボックが cú’t sô´t(quelque chose)を phân sô´t と言い間違えたのは、cú’t、phânがともに「糞」を 意味することによる。

キム・ニン登場。クー・ランは先の詩をしたためた手紙を彼女に渡そうとする が、彼女はこれを拒否。家の中に姿を消す(第七場)。クー・ランは、なおキ ム・ニンを諦めきれず、その熱情は狂気の域に達する。「きっと、天はわれわれ を破滅させるために『エル』をこの世に生み落としたんだ。いかにわれわれが文 明人で、いかに白い肌をしていようとも、『エル』に会ったとたんに野蛮人にな ってしまうんだ! おお、愛よ、おお、愛よ! 愛が私を破滅に追い込む!

(第八場)

クウ翁、クウ媼登場。クー・ランは突如として態度を改め、丁寧な安南語で両 親に対する。もしもキム・ニンと結婚できるのならば、ホテルを引き払って両親 のもとに住み、安南に永住して官吏登用の道を進む決心を固めたと告げる。クウ 翁、クウ媼は、「ご先祖様の功徳によって、土地の守り神様が事をうまく運んで くださったにちがいない」と大喜びし、さっそく結納の支度に取りかかる(第九 場)

ボックとキエウの対話。ボックは、クー・ランが突如として真人間になったか のように見えるが、やはり頭がおかしいことに変わりはないのではないかとの疑 念をうち明ける。

(6)

ボック――クー様ってのは、ちょっと頭が変でねえべか?

キエウ――なぜ?

ボック――今朝がた、クー様がハン・ダオ通りの真ん真ん中で、どっかの技師さ んと立ち話をなさっていたところをお見かけしたんだが、あっしが通り過ぎよ うとすると、ちょっと来い、といってお呼びになる。何だと思って行ってみる と、こんな風にしてちょっと歩いて見せろ、とおっしゃるんだな・・・・・・(キエ ウの前で行ったり来たりして見せる)。お二人の前で、たっぷり半時間もそれ をやらされたわ。お二人は口に手を当てて一緒にくすくす笑っておられる。回 りにたくさんの人が立って見てるもんだから、あっしは恥ずかしいのなんのっ て。しかも、家の女中どももみんなそこに来て見てるもんだから、余計だわな。

こんな風にして、町の人混みのど真ん中であっしにサーカスの道化みてえな真 似をさせるってのは、やっぱり頭がどっか変でねえべか?(第十場)

クー・ランとキム・ニンの婚儀が整いつつあるとの噂を耳にしたタム・トゥー が、キエウに事の真相を確かめる。キエウは、この婚儀が間違いなく成立すると の自信を見せる(第十一場)。次にタム・トゥーは直接キム・ニンに真意を確か め、婚礼の手続きがクウ翁、クウ媼によって一方的に進められていることを知る

(第十二場)

一方、クー・ランは、クウ媼から安南の伝統的な求婚の手続き「アン・ホイ」

について説明を受けている。

クウ媼――安心なさいってば! 「アン・ホイ」にはね、ただこちらの両親と、

媒酌人、二人ぐらいのお年寄り、それにお婿さんがいればそれで済むのよ。こ ちらから礼物をお嫁さんの家に運んでいけば、お嫁さんの家ではわたしたちを 出迎えて、礼物を受け取って神棚にお供えするの。神棚というのはご先祖様を 祀る場所のことで、「ヴァイ様」というのはつまりご先祖様のことなのよ。お 嫁さんのお父さん、あるいはその家の家長が神棚の前に進み出てね、こうやっ て立ったり座ったり、深々とお辞儀をしてお祈りするの。

クー・ラン――(真似をしてみるが儀礼らしくない)「お辞儀」ってのはこうや

(7)

るんでしょ、母さん? それなら知ってますよ。安南人ってのは、この「お辞 儀」をするために生まれてきた人々ですからね、そもそも。〔・・・〕それじゃ、

その日、僕はどこかに出かけて留守にしますよ。父さん、母さんは僕がドー・

ソン[海辺の花街]に行ったと話してください。お辞儀をしに出かけるぐらい だったらガールと寝てた方がよっぽどましだ。

クウ媼――でも、そのあとでどうせお辞儀しなくちゃならないのよ。妻を出迎え るという時には、夫が必ず迎えに出なくてはならないの。その時には、もう礼 拝も神棚もヴァイ様も関係ないけど、ただ、お嫁さんのお父様にはまたお辞儀 しなくちゃならないわ。〔・・・〕

クー・ラン――野蛮だ! 安南の風習ってのは野蛮の一言に尽きる! それじゃ あ、「エル」と結婚するのに義理のパパと前もって示し合わせておかねばなら ない、というわけですか!(第十三場)

キエウが「アン・ホイ」に欠かせない「びんろう」の実の房を携えて入場。そ の他の登場人物全員も次々と入場する(大円団の始まり)。無理矢理縁談を結ば されそうになったキム・ニンが、皆の前でみずからの結婚観、人生観を披露す る。

私、やはりクー様のフランス風だか中国風だかのご気性が不安で不安でたまり ませんの。お父様もこれまでフランス帰りの人々を何人もご覧になってきたの で、ご存知のことと思います。フランス帰りの方々でも、結婚なさらない方は そのままで構いません。でも、結婚なさった方々は、遠からず必ず奥さんを見 捨ててしまいます。奥さんを見捨てるばかりか、家にお金も入れなければ、子 供の面倒も見ようとしません。そういう生き方をしていたのでは、祖国に身を 埋め、社会のために己を犠牲にすることには絶対ならないのではないでしょう か。そういう人々は、ただ肉の喜びだけのために遊蕩に耽り、遊ぶことがすな わち人生であるかのようにお思いになっています。でも、お金を使い果たすか、

快楽を味わい尽くすかしてしまえば、あとはもう自殺するぐらいしか残された 道はないのです。今日、どこかで阿片漬けになって身を滅ぼす人がいるかと思

(8)

えば、明日は、別のどこかで刃物でみずから命を絶つ人がいる。それも、肉の 欲望を満たすことができなかった、あるいは逆に満たし過ぎてしまった結果で すわ。そういう人々に「あなた方は生きているあいだに一体何をなさったので すか?」と尋ねてみたとしましょう。その人々の霊魂が戻ってきて、こう答え ることでしょう。「生きていたあいだ、私はダンスの上達に努め、贅沢なサロ ンに人を集め、証書の紙切れをうまく利用して金庫一杯に金を貯めることだけ を考えていました。妻は何人も娶りましたが、その都度すぐに新しいのと取り 替えておりました」と。こうした方々の人生の目的がそうであるように、こち らの学士様も、私のことをまるで道端で偶然見つけた花か何かのようにお思い になっています。それでもお父様は、私を無理矢理この方と結婚させて、そう していつの日か私を不幸にしてやろうとお思いになりますの?

クー・ランは、「文明人」と「原住民」における「愛情」の観念の相違を盾に 取って反論を試みる。

どうやら、安南の人々は「愛情」の二文字をきわめて窮屈にとらえているよう ですな。よろしい、お嬢さんにお尋ねしよう。われわれ文明人は、結婚する時 点で、すでにお互いに相手が嫌になる時のことを見越しているものなんだ。大 概は、結婚後、二年もすれば赤ん坊が生まれ、それで一巻の終わり。それでも、

少なくとも結婚当時には愛し合っていたことにかわりはないんだ。

ここでフアン老が、実のところキム・ニンはタム・トゥーとの結婚を望んでい るのではなかったかと確かめる。クー・ランが割って入り、タム・トゥーならば フランス官警に頼んで牢獄にぶち込んでもらってある、と述べるが・・・・・・。

キム・ニン――どうしてわたしたちが牢屋なんかに行かねばならないんですの?

(呼ぶ)タム・トゥー、もう出ていらしていいのよ。

クー・ラン――忌々しい! この女までが私を侮辱しおって!

タム・トゥー――(入場)このように突然お邪魔したりして、クウ翁、クウ媼に は失礼をお詫びいたします。そして、キム・ニンの父上には真実を包み隠さず

(9)

申し上げたいのですが・・・・・・。

クー・ラン――(タム・トゥーの存在など気にもとめないふりをして)つまると ころ、この女も有象無象の口さがない安南女の一人にすぎなかったというわけ か! そんな女など、どうして愛することができよう? そして、かえすがえ すも心苦しいのは、この私とあろうものが、どこで魔が差してしまったものか、

ほんの一瞬たりとも安南人に逆戻りするなどという馬鹿な真似をしでかしたこ とだ! おい、キエウ!

キエウ――(先刻から今まで、主人の不甲斐なさを脇で見ながら一人ぶつぶつ何 事かつぶやいていた)お呼びですか、メッシュ?

クー・ラン――原住民の土地のこの気候風土が私の精神をかき乱してしまったの だと、やつらにそう伝えておけ! おい、ボーイ!

ボック――(頭だけのぞかせて)へえ。

クー・ラン――これからフランスへ発つ。私について来い。お前をヨーロッパ人 にしてやる! いいか、これはな、この学士たるラン様からの命令なのだ ぞ・・・・・・。(幕)

1920 30

ヴィエトナム伝統演劇のジャンルとして、古来、北部の民衆歌舞劇チェオ

(chèo)、中部・南部の宮廷劇トゥオン(tuô`ng)、ならびにトゥオンに改良を加え た歌舞劇カイ・ルオン(ca/i lu’o’ng)――文字通り「改良」――があり、それぞれ 今日まで受け継がれているが、歌曲、舞踊を中心とする演出や歴史的主題の制約 から解き放たれ、言語としても同時代の日常ヴィエトナム語を用いた口語劇キッ ク・ノイ(ki.ch nói)――ki.ch=劇、nói=話す――が成立したのは20世紀初頭、

フランス植民地体制が安定期を迎えた頃、フランス演劇の完全なる影響下のこと であった(おおよそ日本の新劇、中国の (hùajù)に相当すると見てよいだ ろう)(1)

1911年、ハノイ、サイゴンにそれぞれ市民劇場が開設されるが、当初はもっ ぱら本国フランスから巡業に訪れた劇団や現地フランス人のアマチュア劇団によ る公演の場にすぎなかった。9年後の1920425日、ハノイ市民劇場の演目

(10)

にはじめてヴィエトナム人俳優のみによるヴィエトナム語版のモリエール『病は 気から』が掲げられ、大成功を収める。かねてより『東洋(インドシナ)雑誌』

-Dông Du’o’ng Tâ. p Chí)――フランス語副題「文化大衆化の雑誌」(Revue de vulgarisation)、1913年創刊――誌上、グエン・ヴァン・ヴィン(1882-1936)ら によるモリエール、コルネイユ、マリヴォーのヴィエトナム語訳掲載が熱心に続 けられていた。「これを通じて、一部のヴィエトナム人作家は、この新しい演劇形 式が日常生活の諸問題を反映させるのにうってつけであることを実感した。(2)

同じく1920年、トー・ザン『誰が人を殺したか』(3)、ファム・ゴク・コイ

『選り取り見取りで馬鹿を見る』(4)といった教訓劇がヴィエトナム語原作の口語 劇に先鞭をつけ、翌2155日には、グエン・フウ・キム、ヴー・ディン・

ロン、グエン・ゴク・ソン、チャン・トゥアン・カイ、ホー・チョン・ヒエウと いった劇作家、演出家らによる「ホイ・ウアン・ホア(蘊華会)」が発足して、

演劇の刷新運動に乗り出す。なかでもヴー・ディン・ロンの『毒杯』(5)は、

19211022日、ハノイ市民劇場で上演されたヴィエトナム人劇作家による 初の脚本として記念碑的な作品となった。こうして1920年代、キック・ノイは ハノイを発信地として北部一帯に普及し、祭事や地区の集会などの余興として無 料で演じられるようになる(南部ではキック・ノイの普及が遅れ、むしろ主題に 同時代性を採り入れて発展を遂げつつあったカイ・ルオンが人気を博した)

キック・ノイ人気によってフランス演劇(フランス語原語にせよヴィエトナム 語翻訳版にせよ)の興行成績も同時に伸び、フランス文化の影響下にヴィエトナ ム演劇が因習を打破した近代的口語劇へ転身を遂げるのはきわめて好ましいこと と判断したフランス植民地行政当局は、1923年、ハノイ市庁直轄の「演劇問題 担当小委員会」を設置してキック・ノイの普及に梃子入れを始める。作品の質、

演出の技法、役者の技量も徐々に向上し、1927年頃には、もはや無料の慈善事 業としてではなく、フランスの演目と並んで有料で観客を動員することのできる 作品が次々と登場してくる(グエン・フウ・キム『友と妻』(1927)、ヴィ・フイ ェン・ダク『おしどり』(1927)など)。内容面でも、無気力と放蕩を脱して儒教 道徳への回帰を説く教訓劇から、伝統的道徳の限界を諭し、新しく導入された西 洋文化の正しい受容のあり方を模索する方向への徐々なる転換に注目される。

前掲『ヴィエトナム演劇』によると、1920年代、伝統演劇からキック・ノイ

(11)

への形式面、演出面での脱皮は、怖ず怖ずと、一進一退を繰り返しながら進行し たものらしい。一部には、キック・ノイを指向しながら、途中、こらえ切れぬよ うにしてチェオ流の古語韻文調の台詞回し、歌舞式の演出に回帰してしまうケー スも見られたという。その事情は、ナム・スオン自身が『安南のフランス人』に 寄せた序文からも推し量ることができる。

前作『愚か者』と同様、本作品においても、著者はもっぱら散文を用いた。

違いがあるとすれば、前作の主眼がモリエールを模倣することであったのに対 し、今回は、著者の側に「安南のフランス人」をわが国の社会に固有の人物と して描き出したいという意図があったという点であろう。

著者がもっぱら散文を用いているのを見て、なぜ、古文の「文体」に倣って、

「話に興を添える」ための歌曲を挿入しなかいのか、と尋ねる人々がいた。著 者が歌曲の挿入を躊躇ったのは、それによって劇の動きを損ねてしまうのでは ないかと懸念されたからである。よって、今回も、その意見には従わなかった。

昨今の劇を一望するに、とりわけなにがしかの価値を有すると思われる作品に おいては、登場人物が自然に話している途中で、突如、「いまや冬の夜・・・・・・

風が吹くよ」(6)などと声調を高揚させるようなことは決してない。というのも、

先人たちも、劇というものに欠かせない基底部が人物の「動き」に存するとい う点に注意を払うにいたったからである(そもそも劇の訳語「ドラマ」は「動 き」「活動」の意なのだから)

1930年、ヴィエトナム国民党によるイェンバイ蜂起、インドシナ共産党指導 のゲティン・ソヴィエト運動をきっかけに、フランス行政当局は文化政策の大幅 な見直しを迫られる。フランス語使用のエリート層優遇と反逆分子への有無を言 わせぬ弾圧という従来の「飴と鞭」政策では「原住民」青年層の不満を吸収しき れなかったとの反省から、「財貨若人」、「青少年は楽しく愉快に」をスローガン に掲げる思い切った風紀緩和策への転換が図られる。文化事業による青年層の

「ガス抜き」は、たとえばヴィエトナム語表記の定期刊行物の出版規制緩和(こ れが「新しい詩」「自力文団」といった文学運動の発展に大きく幸いした)から、

美術学校、音楽学校の新設、映画館、ダンスホールの開放、野外の定期市、晩餐

(12)

会、はたまた美女水着コンテストにまで及んだ(7)。まさに本国フランスの「ベ ル・エポック」と「狂った年代」が、インドシナ「原住民」青年層のために、一 どきに、人工的に整えられた格好である(他方、この頃、折からの世界恐慌の煽 りを受けて高等教育機関の設置や図書館の整備のための予算は大幅に削減されて おり(8)、また、国外に拠点を置いて徐々にインドシナ内部に浸透しつつあった社 会主義・共産主義思想には組織的かつ集中的な警戒の目が向けられることになっ たのだが)

従来、フランス文化の影響力、伝統演劇からの脱皮という観点からフランス行 政当局のお墨付きを得ていたキック・ノイにとって、この文化事業奨励の風潮は 二重の追い風となる。「新しい詩」運動の中心人物としても知られるテー・ルー

(1907-89)は、みずからの名を冠した「テー・ルー劇団」を立ち上げて優れた劇 作家、演出家、俳優を周囲に集め、36年には雑誌『ティン・ホア(精華)』を創 刊して、キック・ノイを、詩、小説に並ぶ近代文学ジャンルとして確立せしめる。

フランス本国の演劇への興味も、この頃、モリエール、ラシーヌの古典劇から、

ミュッセ、ジャン=ジャック・ベルナール、サシャ・ギトリーなど、ロマン派以 降の作品に重心を移している。1937-38年、フランス人演出家クロード・ブーラ ンが率いる「北圻劇団」が北部で人気を博した作品を演目に掲げて南部一帯を巡 業する一方、南部のカイ・ルオンが北部にも浸透し始め、ハノイの劇作家たちの 一部はキック・ノイにカイ・ルオンの要素(歴史的主題とヴィエトナム語韻文)

を融合させた新しいジャンルの開拓も試みている。

以上のような文学史、演劇史の情報を念頭において、ナム・スオン『安南のフ ランス人』にふたたび立ち帰ろう。

本稿(上)で述べたとおり、この作品が、1931年前後、実際に舞台にかけら れたことを示す情報は現在のところ得られていない。筆者の調査不足もさること ながら、31年当時、キック・ノイを専門に扱う文芸誌の類がいまだ存在せず、

また、公演の形態が慈善事業から正式な演目への移行期にあったため、実状がき わめて把握しにくいという事情もある。前掲『ヴィエトナム演劇』によると、

1920年代、ハノイ市民劇場の正面玄関には次のような張り紙が突如として掲げ られるのが常だったという。

(13)

被災者のための慈善公演 今夜

市民劇場において 演劇『主人と下僕』(9)

「被災者」とは、ハノイ付近で巨大デルタをなすホン河(紅河)の定期的な氾 濫によるものらしい。このように、脚本家や俳優の名、いわんや作品のあらすじ も示されないまま入場券が家から家へと売り歩かれ、通行人の手に握らされてい た。いくばくかの義捐金と引き換えに劇場に足を運んでいたのは、少数の演劇愛 好家のほか、「晩餐後の気晴らしを求める富裕商人、流行の服を見せびらかした い青年男女、一日の単調な仕事のうさを晴らしたい秘書や下級役人、好奇心旺盛 な中高生たち」など多種多様であったという。「キック・ノイは、当時、単なる 手頃な時間潰しととらえられていた。人々の目は、女優の演技力などより、むし ろその美貌、衣装、化粧の仕方に注がれていた。うけ狙いに走りがちな役者たち は、とにかく観客を笑わせること、あるいは化粧や衣装の効果によって度肝を抜 くことばかりを考えていた。(10)

このような状況下、ナム・スオンのキック・ノイ二作、『愚か者』と『安南の フランス人』にも確実に上演の機会があったのではないか(かりに慈善事業の一 環としてにすぎずとも)と筆者は考える。1930年前後の代表的劇作品として、

今日、ヴィエトナム文学史の概説書のなかで必ず題名を掲げられる『安南のフラ ンス人』は、当時、むしろ秀作の一つとして受容されていたのではないかと推測 されるのだ。

この点に関する結論は今後の資料調査(新聞紙上での上演予告、同時代人の回 想、ビラや入場券の発見など)に期すとして、劇作品としての内容に考察を進め たい。先述のとおり、1930年前後、生まれて間もないキック・ノイの一般的傾 向が、儒教道徳への回帰を説く教訓劇から西洋文化の正しい受容のあり方を模索 する方向への転換を遂げつつあったとするなら、『安南のフランス人』はそのい ずれの地点に位置づけられるものなのか。

現在、ナム・スオンの作風にまで踏み込んだ批評文として筆者が手にしている のは、唯一、前掲『ヴィエトナム文学』(ハノイ、2000年)第七章「新しい文学

(14)

が都市に生まれる」の「キック・ノイ」と題された節のみである。

強欲な卑しい手段で金持ちになろうとする人々、知識人の外見を装う人々、「縁 結びの神様」を生業として生計を立てようとする人々を批判するほかにも、〔ナ ム・スオンの〕劇作は、自由恋愛の勝利を賭した闘争の場ともなっている(11)

たしかに、洋行帰りの「箔」とフランス語の知識を、ふんだんに、滑稽なまで に鼻にかける「学士様」はいうまでもなく、息子がその「箔」をもって官界にの し上がり、一家の富と名声を確実なものにしてくれるとの目論見しか眼中にない 父親、はじめのうちこそ息子の尊大不遜に厳しい態度をもって応じながら、彼が 身を固める決意をあきらかにしたとたんキム・ニンの意向などそっちのけで縁談 を進めようとする母親、そして、両親からの謝礼を目当てに縁談を水面下で強引 にまとめようと奔走する付き人など、「批判」に値する登場人物の様相には事欠 かない。最終的にキム・ニンが謀略結婚を退け、タム・トゥーこそが意中の人で あったことを皆の前で宣言する(しかも父親フアン老の問いかけがその宣言の呼 び水となる)という筋書きは、なるほど「自由恋愛」の勝利の印と受け止められ ないこともあるまい。さらには、「家」主導の縁談という因習を退ける良家の子 女が、現代風の結婚生活の悲惨をも同時に眺め渡す現実主義的な良識を同時に発 揮しているところなど、もはや単なる儒家思想への回帰ではない、「西洋文化の 正しい受容のあり方を模索する方向」の一端を示すものととらえることもできる。

『安南のフランス人』をわが国の社会に固有の人物として描き出したい」という 著者ナム・スオンによる「序」の言葉から敷衍して、植民地インドシナに生きる エリート青年と、その周囲の状況(親子関係、恋愛・結婚観、出世栄達、金銭観、

愛国心、さらには人のもてなし方から箸の上げ下げにいたるまで)に露呈する 1930年頃のヴィエトナム社会の矛盾を、縮図として軽妙に描き切った秀作とい って間違いあるまい。

その上でなお、本稿の筆者の目には、作品の第一の主人公が実のところ「言語」

であり、その最大のプロットは(家庭でも自由恋愛でもなく)「被植民」という 歴史の現実そのものであるように思われる。

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古今東西の喜劇作品において、「通訳」なる職種が笑いの種にされている例を 筆者は他に知らない。モリエールの一連の「衒学者もの」のなかで、学者気取り、

あるいは似非学者が、出鱈目なラテン語で人々を幻惑し、観客席に哄笑、冷笑を 引き起こすという場面はいくつか思い起こされるが(モリエールに心酔していた ナム・スオンのことであるから、「通訳」兼「下僕」としてのキエウの役どころ を定める際、そうした場面を参考にしていることは疑えない)、その場限りの似 非翻訳者ではなく全編をつうじて「通訳」が滑稽な立ち振る舞いを見せるために は、本作品のような二語併用を前提としなければならず、その例はおのずと限ら れてくるはずだ(仏印時代の劇作品のなかに越・仏二重言語の作品が他にどれほ どあったのものか、実状はいまだ把握しきれていない)

実際、いまだキエウ自身が主人クー・ランは完全に安南語を忘れてしまったの だと信じ込んでいる第一幕の段階で、通訳としての彼の挙動はその都度「喜劇」

であることを免れない。

クウ翁――お前、一体何と言っているのだ? なぜ、わしにも分かるように、わ しらの言葉で直に話してくれんのじゃ?

キエウ――メッシュ、彼、言う、メッシュ、馬鹿、間抜け、あると。

クー・ラン――いい加減にしろ! 相手の唇の動きから言葉の中身を察するぐら いの知性は、私にだって備わっている! 真面目に、忠実に、一語一語、言葉 どおりに訳すのだ。さもなければ首だぞ!

キエウ――ウエイ、メッシュ。私、メッシュ、忠実、ツウヤクある。どうだ、御 老体、まだ何か言いたいことがあったら言ってみろ。(第一幕第三場)

仮想として、明治日本の新劇において、頭の天辺から爪先まで西洋式に固めた 洋行帰りの登場人物が、一応は流暢なフランス語ないし英語の台詞のみで一幕を 通し、その脇で、ちぐはぐなスーツ姿の付き人が、文法も発音もまったく無視し たフランス語ないし英語で翻訳をまくし立てる様を思い浮かべてみるとよい。こ

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こで、観客に「安南語を忘れた安南人など、まさか」と思わせておきながら、第 二幕の幕開けまでその虚構を維持し続ける、いわゆる「引っぱり」の効果は見事 に的中している。上の引用箇所のように、キエウのフランス語訳は時としてまっ たく相手方のヴィエトナム語に対応しておらず、また、クー・ランのフランス語 をすべて正確なヴィエトナム語に置き換えているわけでもないのだから、ヴィエ トナム人の観客がこれを舞台で見て笑うためには、片言の挨拶程度ではない、ほ ぼ完成に近いフランス語力が求められることとなる(書物として出版された作品 には、脚注のかたちでフランス語の台詞のヴィエトナム語訳が添えられている) 逆に、二語併用といっても、八割方はヴィエトナム語(しかも老人の言い回しは かなり古風な儒家調)で演じられ、それが逐一「通訳」キエウによってフランス 語に訳されるわけではないのだから、たまには「原住民」の新派の舞台にも接し ておこうと『安南のフランス人』というタイトルに誘われて桟敷に陣取った物見 高いフランス人の観客がいたとしても、ともに「笑う」ことはおそらくほとんど 不可能であったにちがいない(宗主国フランスの言語を混在させながら、宗主国 フランスの「原住民」には笑うことのできない笑いを醸すという点に、筆者は作 品の最大の「反仏性」の可能性を見て取るのだが、これについては後述する)

ヴィエトナム語を忘れたふりを演じる主人公とその他の登場人物のあいだで意 思疎通を潤滑にするわけでもなく、ヴィエトナム語を解さない観客のために作品 理解の手助けをしてくれるわけでもない、この「通訳」は一体何のために舞台に 立っているのか。主人が歴としたヴィエトナム語使用者であったことが明かされ る第二幕以降はおろか、いまだ虚構に取り込まれたままの第一幕においてさえ、

相手の唇の動きから言葉の中身を察するぐらいの知性は、私にだって備わって いる」という、いわば超=言語的読唇術の主たるクー・ランの脇で、キエウは一 体何のためにみずからの言語中枢を磨り減らしているのか。

私は、誠実、忠実を身上とする人間なのでございます。通訳をするにあたって、

私はまず、人をぺてんにかけたり、嘘を申し述べたりしない人間であろうと心 掛けます。私のご主人様があなた方お二人にあれほど食ってかかるのは、私の 方で、お二人がフランス語を解さないのをいいことに有ること無いことを訳し 伝えているからでは断じてないのでございます。それにまた、お二人がご主人

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様のことを理解できずにいらっしゃるのは、私の方で、ご主人様がわれわれの 言葉を話さないのをいいことに、ご主人様のおっしゃることに言葉を付け加え たり、逆にそこから言葉を差し引いたりしているからでは決してありませぬ。

これだけですでにおわかりのとおり、私はそれなりの価値をもった人間なので すから〔・・・〕(第一幕第五場)

仮初めにも通訳の立場に身をおいたことがある者ならば心当たりがあろう。通 訳にとって最大の気詰まりの種は、自分が橋渡しをすると称する二つの言語に自 分と同程度ないしそれ以上に通暁した人間の同席(キエウにとってはタム・トゥ ーや第二幕以降のクー・ラン)であり、また最大の疎外感は、共通言語をもたな いとされた二者のあいだに、みずから操る言語とは別の媒体(話題となっている ものの実物や写し、万国共通の算式、記号、はたまた身振り、顔色、声色など)

によって、ややもすれば苦心惨憺の言語的橋渡しによるよりも濃厚、深遠な理解 が成立してしまった様を目の当たりにすることである。通訳は、上の引用箇所の キエウのように、自分が操る二語のうち一語しか知らない一方の人々を前に、他 方の不在のもとでしか自分の「価値」を主張できず、また、両者間に不和、確執、

誤解が存する場合、それが断じて自分の操る言語の不備によるものではないとし て常に身の潔白を証立てながら言語の橋を行き来しなければならない。極言する なら、一方の言語を話して他方に背を向けざるを得ない通訳は、背中側にいる人 間から見て瞬間ごとの「ぺてん師」以外の何者でもない。このように、相互理解 不成立の場では原因が言語の橋守りにあるのではないかとして非力と不誠実を疑 われ、いったん共通理解が成立してしまえば人間相互の最終的な意思疎通に言葉 の橋など不要であったとして事後の祝宴から帰宅さえ命じられかねない通訳は、

まさにその場限りの飾り物、悲しき道化というべきである。

さらには、人間が一定の年齢に達した後に未習得の言語を学ぶという行為が、

母語を含めて習得済みの言語と、その未習の言語のあいだで新たに橋守りになろ うとすることであり(実際に通訳を志すか否かは別として)、すでに橋守りに成 り仰せた人間からの指南を受けることであるとすれば(実際に通訳業を営む人間 を教師に持つか否かに関係なく)、言語の習得とは、道化から道化術を習うにも 似た「喜劇の喜劇」にほかならない。

(18)

クー・ラン――(そして)、この・モノ・は? ケス?(何だ?)一個の・

「箱」デアルカ

キエウ――いいえ、ご主人様。それは茶箪笥でございます。

フアン老――いやはや、こいつは驚きましたわい! 学士様ともあろう方が、わ れわれの言葉を一から勉強なさっているのですか?

クー・ラン――セ・サ(そうです)。ジュ(私は)、わたしたち・の・言葉・学 ぶ・です。ジュ・失礼・いたす・です。ジュ・言語・十分ない。(それ)・

使って・話・できない・です。

フアン老――しかし、私はてっきり、氏が故郷故国への思い絶ちがたく、という 方だとばかり思っておりましたが。氏が祖国の言葉をお忘れになるとは、一体 誰が予期しておりましたでしょう?

クー・ラン――この爺もタム・トゥーのようにお説教を言いに来たのか、と尋ね てやれ。

キエウ――ご老人よ、そちらもタム・トゥー氏の例にならって、理屈を述べにわ ざわざいらっしゃったのですか?

フアン老――何の筋合いで、この私ごときが理屈を述べ立てねばならないのでし ょう? 氏は、驚くべき学識を積まれて帰っていらした方じゃ。誰が氏にあえ てものを教えようなどとするでありましょう。

キエウ――メッシュ! メッシュ、とっくに、彼、何、言っているか、わかって る。もう、私、訳す、必要、ない、ある。

クー・ラン――つべこべ言わずに訳すんだ!(第二幕第二場)

ここでクー・ランは、フアン老を前に、急遽、ヴィエトナム語未習者を装おう としながらも、本来、基本表現であるはずの「そして」「私は」「である」などを フランス語で言い、やや発展形態の「わたしたちの」「使って」「できない」など をヴィエトナム語で話してしまう。それどころか、フアン老のヴィエトナム語に よる問いかけに、うっかり« C’est ça »と応じてしまっているのだ。

ある言語を実際に使用できる人間がそれを使用できなくなろうと努めるとい う、この不自然きわまりない状況は、本当に使えないのでこれから使えるように

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なろうと、日々、外国語教室で行われている営みを密着反転させた陰画(ネガ)

である。上の箇所では、フランス語の単語をヴィエトナム語に、ヴィエトナム語 の単語をフランス語に反転させて、ようやくヴィエトナム語初習のフランス人を 演じたことになるのだ。堪らずキエウが発した台詞、「メッシュ、とっくに、わ かってる」は、道化のプロフェッショナルたる外国語教師の究極の叫びでもあろ う。道化としての通訳という役柄のみならず、陰画にしてはじめて浮かび上がる 言語習得という行為の喜劇性に着目した作者ナム・スオンの鋭敏なユーモア感覚 を、まずは高く評価しておきたい。

しかも、そこには宗主国の人間・言語=優越、「原住民」の言語=劣等という きわめて明快な二分法とともに、植民/被植民の構図が折り重ねられる。

ボック――なあなあ、キエウ殿よ。クー様は、なんで俺たちの言葉を話せるよう になっただ?

キエウ――俺が教えてやったからだよ!

ボック――なんで、そんなに速く覚えられるだか?

キエウ――われわれが皆、お前と同じようなうすのろだとでも思っているのか?

われわれはな、安南語の一万倍も難しい言葉を一万時間かけて勉強したんだ。

てことは、安南語を会得するには、たったの一時間で済むって勘定だ。それ以 上勉強するまでもなく、もう身についてしまっているんだよ。

ボック――おっしゃるとおりだわ。あっしときちゃあ、この言葉を勉強したこと なんか一度もねえだが、それでもいつの間にかすらすらと話せるようになって たものな。安南語がわかるなんてのは、まったくのお笑い種にすぎねえわけだ。

(第三幕第十場)

かりに物質的近代性にものをいわせて横暴な支配権力を振るう植民地帝国があ り、その靴底に喘ぐ被植民地があった場合、帝国主義に対する「アンチ」の姿勢 は、なにも帝国側に属する人間を張り子として舞台上に引き出し、攻撃を浴びせ ることばかりに存するのではないということを『安南のフランス人』は確実に教

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えてくれる。

たしかに、「フランス化した安南人」という一枚の緩衝材を挟んだ形ではある にせよ、クー・ランの暴君ぶりは、「人種差別主義」を地でいくフランス人入植 者の張り子として強烈なパロディーを構成している。

クー・ラン――何とも言えぬ腐臭が、その毛穴そのものから立ち上ってくる。そ の臭いに気づかずにいるためには、やつのように、また、やつと同類の連中の ように、つぶれた鼻をしていなくてはならんのだ。

キエウ――お前の毛根の穴はな、梟のような悪臭を放ってるんだ。お前とお前と 種族の連中のようにつぶれた鼻をしていない限り、その臭いに気づかずにはい られないんだよ。

ボック――(くんくんと匂いを嗅いでみて)大旦那様、とすれば、どうやらあっ しの鼻がいかれちまったようで。

クー・ラン――この左右切れ長の目、突き出した頬骨、漆塗りの歯、褶曲した口 元などを見せつけられて、いかに嫌悪を抑えきれよう。すべて、芸術の最低次 元の規則を滅茶苦茶に繰り広げたものばかりじゃないか?(第一幕第六場)

モリエールの『守銭奴』などに効果的に用いられる登場人物と観客を直接結ぶ

「アパルテ」の技法が、『安南のフランス人』をつうじてただ一箇所、クー・ラン が観客席に語りかけながらキエウを痛めつける場面に応用される。

クー・ラン――それから?

キエウ――本当に、以上でございます。

クー・ラン――この嘘つきめが!(ふたたびキエウの耳をつねろうとする)

キエウ――(両手で耳を覆い隠して)わかりました、わかりました、本当のと ころを申し上げます!

クー・ラン――(観客席に向かって語りかけるようにして)これぞまさしく、

本当の安南人の扱い方。痛めつけてやらねば、真実が表に出てこないんでしてな。

(第二幕第一場)

(21)

まさに当時のフランス官警が「原住民」に対して行う拷問に近い事情聴取の様 を彷彿とさせるものであり、当初、筆者をして「たとえキック・ノイ奨励の風潮 の最中とはいえ、このようなあからさまな入植者揶揄、体制批判の場面が、1931 年、植民地時代のハノイで堂々と舞台にかけられることなどはたして可能だった か」と疑わしめた一節でもある。この問いに対する最終的な答えは、前述のとお り、『安南のフランス人』上演の実態を裏付ける資料の発掘に期する以外にない わけであるが、仮に上演されたとして、それがフランス語使用のヴィエトナム人 観客層、さらには少数混在していたかもしれないフランス人観客層に惹き起こす 賛否両論の反応(快哉、爽快感、あるいは顰蹙、憤慨)のほどは容易に想像がつ く(現段階で、筆者は、本作品が慈善事業から正式公演への過渡的状況に紛れ、

反体制的風紀の取り締まりの目をかいくぐって実際に上演されることがあったの ではないか、同時に、事後に寄せられたにちがいない否定的な評価――ややもす れば事後検閲的な圧力――が、ナム・スオンが二作限りで劇作から手を引いた理 由でもあったのではないか、と推測している)

しかし、クー・ランを張り子として揶揄の的とされているのは、「人種」思想 に脳髄を冒され、思い上がって暴君と成り果てた「文明人」の姿ばかりでは必ず しもない。もしもそれだけであったなら、作品の「反仏性」も平板な「アンチ」

思想の第一段階を抜け出せず、「グロテスクなまでの戯画化」などという、やは り同様に平板な対抗言説とのあいだで、相殺、中和の末路も避け得なかっただろ う。だが、大円団に向けて筋書きが激しく動き始めた第三幕の後半、さりげなく、

事のついでのように「引っ掻き傷」を与えられているのは、いわば昆虫学者が昆 虫を、地政学者が版図を眺めるようにして一つの文化を眺めようとする人類学者、

民俗学者の目そのものである。

ボック――あのお方は、たしかに博学かもしんねえが、それでいてやっぱり無学 なところもあると思うだ。

キエウ――なぜだ?

ボック――あの方、あっしにこんなことをお尋ねになっただ。「安南の村は青々 と広がる田んぼの海に囲まれた島のよう」というが、これは一体どういう意味 だ?とね。あっしが長々と解説して差し上げて、あの方、ようやくおわかりに

(22)

なったようだったが、それでもやっぱり変だ、本当にそうかどうか見に行かね ば、とおっしゃるだ。そんなこと、見に行かなくても、馬鹿でも理解できるこ とでねえべか?(第三幕第十場)

クー・ラン――僕、博士の試験を受けようと思うんです。

クウ媼――それはそれは、お父様もきっと大喜びなさるわ。〔・・・〕

クー・ラン――〔・・・〕今さっき、素晴らしい主題に思い当たったんですよ。こ うなったら、なんとしても文学博士にならなければ!

クウ媼――そうね、そうなったらどんなにいいでしょうね!

クー・ラン――僕、この安南人のお辞儀を含めて、いわゆる本土の風俗すべてに ついて論文を書いてやろうと思うんです。あたかも黒の地に白の刺繍をほどこ すようにして、力強く、雄弁に書ききって見せますよ。読む者誰しもが、この 鴻厖〔ホン・バン、史書上のヴィエトナム建国者〕諸氏の末裔たちの悪習を 隅々まで知り尽くせるようにするためにね。心配ご無用ですよ、母さん! 母 さんのこともそこに描き出して差し上げましょう。隅々まで、微に入り細を穿 ち、ぼろぼろになってしまうまでにね。その母親然とした安南帽のかぶり方、

その母親然とした前掛けの着け方、そして何と言っても、あのいかにも母親然 とした「きんま」の噛み方だ!(ハンカチを取り出し、口を拭う)ああ、考え ただけで反吐が出る!(第三幕第十三場)

ここで「安南の村は青々と広がる田んぼの海に囲まれた島のよう」という一句 をクー・ランが理解できないのは、それまで水田を目にしたことがなかったから でも農村に興味がなかったからでもなく、単に、出典不明にして、慣用表現とい うほど形も定まっているわけではないが、田園の美しさを形容するものとしてヴ ィエトナム語を母語とする者なら必ずいずこかで耳にし、みずから口にしたこと もある陳腐な言い回し(チャン・ミン・ヴィエト先生のご教示による)を知らな かったからである。たとえ、フランス第三共和国式の「実物教育」(leçon de choses)よろしく、その足で水田地帯に出かけていったとしても、そこに青海原 を見るか否かはもっぱら日常的言語体験の問題なのだ。

さらに、そのクー・ランがパリへ戻り、『安南風俗史――鴻厖氏時代から今日

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まで、とりわけ家庭の母親の風習をめぐって』などと題された博士論文をソルボ ンヌ大学文学部に提出する様を仮想してみるとよい。久しくフランスの人類学者 たちが、『コーチシナの女性に関する個別研究――人体測定、生理学、社会的地 位』『安南女性の法的地位』『先祖礼拝の制度にみるトンキンの安南女性』『安 南人たちの染歯』といった研究成果を上梓し(12)、1930年頃からはヴィエトナム 人エリートたちによるフランス留学の成果とおぼしき、『安南の法体系における 父権』、『安南の家族法の基礎たる嫡男の孝心』、『安南の法体系における家庭の 母』、『安南人の骨系に関する研究』といった法学、医学の博士論文(13)が続々と 登場し始めたことを考え合わせれば、この仮想もあながち非現実とは思われない。

そして、植民地主義の磁場内で行われる学究活動の歪みは、植民地出身の研究者 が『フランスの女性に関する個別研究』としてパリの女性たちに人体測定器具を あてがったり、『フランス女性の法的地位』として19世紀フランスの女性史を振 り返ったりすることなどおそらく断じてあり得ないという点に尽きる。つまり、

植民地に発する学術のヴェクトルは、メトロポールを指して突き進み、そこで調 査研究の尺度と術語体系を与えられた後、支配の主体たるメトロポールの中枢に 探りを入れることは断じてせず、180度の方向転換を命じられて植民地に回帰し、

被支配側の「原住民性」に突き刺さるのだ。その際、世界中のほかの植民地で遂 行されている民俗研究の成果との比較から、白い歯をことさら色素で染め上げよ うとする風習は(かつて既婚女性が常用した「きんま」も噛むと歯が真紅に染ま る)、現地住民の未開性の証であるといった価値の尺度が同時に貸与されるよう なことがなかったかどうか。

上の引用部分、安南一時帰国を契機として、クー・ランが立ち至ったのもその 折り返し点にほかならない。あるものから遠ざかることをもってそのまま人生の 目的としてきた人間が、それを「微に入り細を穿ち、ぼろぼろになってしまう まで学術の対象にしようと決意したわけである。「考えただけで反吐が出」ない はずはないのだ。

日常的言語体験から切り離され、むしろ切り離された状態を優越性の保証とし ながら(その点では宗主国の学者も宗主国一辺倒の現地エリートもさほど変わる まい)、既成の尺度上で劣等、後進、未開の圏内に分類される事象について「反 吐」をこらえながら学術論文を書き繋ぐ。こうした植民地時代の新しい学識者の

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類型まで含めて、『安南のフランス人』における「反仏性」の射程はきわめて広 い。

ナム・スオンことグエン・カット・ガックは、1920年代、当時としては最高 水準のフランス式「原住民」向け中等教育課程を修了した後、フランス語に堪能 な建築技師としてフランス人の事業主とヴィエトナム人の現場監督や人足らの仲 介役をみずからつとめることもしばしばであっただろう。彼と同じようにフラン ス式の教育を受けたほかのヴィエトナム人たちが、助手、通訳としてフランス人 事業主の脇で甲斐甲斐しく立ち回る姿を目にしたり、フランス帰りの御曹司が、

時折、フランス語の単語を交えて宗主国仕込みの文明論を吹聴する姿に面映ゆい 思いをしたりすることもあったかもしれない。愛読するモリエールの作品の随所 に鏤められた言語による笑いの場面と並んで、みずからの「原住民」エリートと しての形成過程と言語体験が、飾り物、道化としての通訳、言語習得にまつわる 喜劇性といった着眼点に彼を導いたことは疑えない。

「安南のフランス人」を「わが国の社会に固有の人物」として描き出すに当た って、彼がグロテスクなまでに強調してみせたのは、まずもってとどめない母国 語蔑視と西洋語礼賛であった。

フアン老――なるほど。氏はわれらの言葉を知っているのだが、しかし、それが どうにも恥ずかしくてたまらん、というのですな。

クー・ラン――ウィ、ムッシュー。

キエウ――そのとおりでございます。

フアン老――わしなどからすれば、かなりおかしいことのように思われるのだが、

それは一体なぜなのかのう?

クー・ラン――(わざとフランス語風のアクセントで)なぜ・ならば・安南語・

非常に・悪い・言葉・だから。

フアン老――悪いとは、これまた、なぜ(làm sao)?

参照

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