産業民主主義と経営参加
その他のタイトル Industrial Democracy and Workers Participation in Management.
著者 岡田 至雄
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 18
号 1
ページ 65‑84
発行年 1986‑11‑04
URL http://hdl.handle.net/10112/00022714
産業民主主義と経営参加
岡 田 至 雄
Industrial Democracy and Workers Participation in Management.
Yoshio Okada
Abstract
This article is an attempt to gain some perspective into the practical style of industrial democracy. A brief review of the major points argued is as follows.
First, there is necessity to discriminate from the practical model of indust‑
rial democracy to the political forms of democracy because basic values of en‑
terprise are composed of productivity, efficiency and effectivity. Second, it would be a risky proposal that collect bargaing system should be used as a sub‑
stitute for workers participation style. The idea of workers participation never becomes familiar with trade unionism. Third, there is various alternatives for democratizing decision making machinery of industrial organization. I explain with two typical illustrations, which are English style as a sample of verti‑
cal structure and Yugoslav style as that of horizontal structure. Finally, it is manifested that some optimum model settles somewhere between vertical and horizontal type, as a result all of practical designs for workers participa‑
tion can not help following the contingency model. There exists no only one best model.
Key words: industrial democracy, workers participation(participative management), trade union, joint consultation, selfmanagement system(Yugoslav style), workers'council, works council, contingency model, vertical structure, horizontal structure
抄 録
産業組織の意思決定機構を民主化するための実践的方法は多彩である。この方法のベ ースになる民主主義的形式のあり方,とりわけ産業民主主義の性格,経営参加の位置づ け,労働組合のかかわり方などをめぐって議論が尽きない。イデオロギー的環境をはじ め,政治的・社会的・文化的・経済的などの環境の相違が,これらの議論にからみ,最 適モデルの提起を困難にしている。これらの背景と動向をにらみながら,産業民主主義 の実践課題を吟味し,産業民主主義と経営参加と労働組合の三者の関係を現実的対応と いう側面から整理し,これらを踏まえて,イギリスとユーゴスラビアの経営参加のスタ イルを実証的に検討することによって,産業民主主義と経営参加の問題に遡及した試論 である。
キーワード:産業民主主義,経営参加,労働組合,労使合同協議会,自主管理制
(ユーゴ・スタイル),労働者評議会,労使協議会,環境随伴モデル,
垂直的構造,水平的構造
関西大学「社会学部紀要』第18巻第1号
1 • 産業民主主義の実践的課題
組織による強圧的統制から解放されることを望み,組織による他律的支配を嫌悪する存在とし て人間像を理念化するとき,組織の統制機構や支配意思の形成にあたって,すべての組織成員が 能動的に参与する機会を与えられるべきだという主張が必然化する。他律的支配に対する反抗が,
「なにびとも支配者になりうる」という原則的平等の論理に反転し,組織の秩序形成に民主主義 の原理を導入させることに帰着する。しかし,個人の根源的な自由を保証するために政治レベル で熟成してきた政治的民主主義のいろいろなシステムを,そのまま産業民主主義の実践的スタイ ルとして模写するわけにはいかない。国家機構と産業組織との社会集団的異質性が,導入すべき 民主主義的方式に投影せざるを得ないからである。
産業組織は,能率とコストの原理にもとづいて商品やサービスを産出し,収益性を重視する集 団であり,その組織運営は生産性を軸にして展開される。また,上からの組織化を原則にしてい るために,組織とその成員との関係は,実質的には職務を媒体にしつつ経済的合理性をベースに 成立する契約関係をその特徴としている。このことは,産業組織の成員が産業組織というコミュ ニティの市民ではないことを示唆している。そのために,政治民主主義の実践的スタイルの導入 は,形式論理上は可能であるが,実際には組織に混乱と損失を招く危険性が大きい。議会主義モ デルや多数決原理を企業に採用することは冒険であり,リスクを伴うはずである。産業組織が導 入する民主的システムは,その目的と構成メンバーと活動内容によって構想されるべきものであ り,政治領域のスタイルとは異質でなければならない。民主主義的システムは,組織の秩序形成 と人間の自由との妥協の仕方およびその方向性を現実的に提示したものであるから,組織運営の 人間化にとって必要不可欠である?しかし,問題は産業組織において何をどのような民主主義的 方法で運営するかにある。
民主主義の理念を決定する根本的要因は自由価値であって平等価値ではないといわれる。後者 はあくまでも第2次的な意味においてのみ役割を演じるというわけである。すべての人は,でき るだけ平等に自由でなければならないから,すべての人は組織意思の形成に参与しなければなら ない。そして,原則的に,すべて同じ程度に参与しなければならない。民主主義のための戦いは 歴史的には政治的自由のための戦いであった。形式的平等主義は,本来,民主主義の概念とはな んらかかわりをもたない。民主主義とは,社会秩序を産み出す一つの形式ないしは特定の方法を 表現する概念であって,社会秩序の内容をも含めたものではない。もし内容をも含めるとすれば それは用語の濫用といわざるを得ない。(l) この民主主義の理念は,産業民主主義の発想の原点で もある。労働者の質が低劣で,職業的キャリアも浅く,契約上の立場も弱い状況では,所有権,
職業的達識,経済的展望などすべての点で卓越している企業家が,自分達の望み通りに組織を統
(1) H. Kelsen, Vom Wesen und Wert des Demokratie, 1929, 西島芳二訳, 121‑122頁
制する権利を占有し,この権利が労働者から全面的に支持さているものと自認していたのが, 19 世紀の組織秩序の特徴であった。この秩序の変革を目指して,すなわち,企業家の専制的抑圧か
らの自由を求めて, 1910年代より活性化するサンジカニズム,ギルド社会主義,職場委員運動な どの産業民主主義の戦いが胎動し,いわゆる組織運営に対して労働者が発言権を獲得するための 民主化運動がフォーマルに口火を切った。それ以後,諸種の抵抗と反抗を繰り返しながら,労働 者は組織の特定の意思決定についての発言権,協議権,交渉権,決定権を制度的にかちとり,ぃ わば経営サイドの一方的な自由の行使に歯止めをかけ,極端な場合にはそれを制圧することによ って,労働者サイドの自由のテリトリーを拡大していった。
産業民主主義が普及するプロセスは,組織運営をめぐる成員間の多元的な自由の激突をより人 間的に解消・調整する道程であり,とりわけ旧秩序のもとで強固に定着していた経営側の支配権 や決定権に対するレジスタンスの軌跡であった。この場合,産業民主主義の実践的スタイルは,
必ずしも議会主義モデルを中軸に据えた政治的民主主義と同質のものを意味するわけではない。
労働者の自由価値に対する熱望が,強制に対する反発が,副産物として組織運営の民主化に連動 し,民主的コントロールに向けての起爆剤となるわけであるが,その際,確かに産業組織をとり 巻く全体社会のイデオロギー的環境で進行していた政治的民主主義が強大なインパクトとして介 在したことは否めない。しかし,自由を得るための運動は,組織運営全般にわたって労働者の発 言権や交渉力を拡張し,産業組織における基本的な秩序体系の変革(すなわち理念型としての労 働者工場の樹立)に向けて着手されたわけではない。労働者による死守すべき自由とは,実践原 理からみれば,私的利害・組織的利害・社会的利害に直結する意思決定に対して発言権,交渉権,
決定権を得たいという願望と表裏をなし,それらの決定に対して経営サイドが独断的に権力を行 使することから自由になりたいという意味においてである。この自由を得る方法は,理念的には 民主主義的スタイルと波長を共にするが,必ずしも労働者支配制や議会主義モデルである必要は ない。
産業民主主義のスタイルは,経営サイドが独占してきた決定権の中から,労働者の利害に直接 かかわっている決定領域について,労働者がその決定権を経営側とともに分有する点に投錨点が あり,そのスタイルの形式やこのスタイルで処理する活動内容は状況随伴的に決められ,多元的 変化に富む。したがって,場合によっては,西ドイツのVorstandとAufsichtsrateをベースにした 複葉式経営方法やユーゴスラビアのWorkers'Councilsのように,民主主義的スタイルの選択肢 の一つとして議会主義モデルを採択することも当然ありうるし,また他方では従業員に対して発 言権,協議権は認めても決定権は一切与えないといったスタイルもある。民主主義的スタイルと 呼ぶ場合,その幅は,フォーマルに制度化されたものからインフォーマルな慣行として定着して いるものまで,また経営サイドの決定権が大幅に認められているシステムから労働者サイドの決 定権が優先するモデルまで,多彩かつ広い。しかし,一般には,経営サイドの全ゆる決定権を労 働者が奪取し,労働者支配の組織運営をすることが,産業民主主義の主要目的とされているわけ
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ではない。
ウェッブ夫妻は,産業民主主義とは経営者の権力が労働者にとって重要な問題に対して団体交 渉権をもつ組合の力によって拘束されるような社会秩序を指す(2)とみなし,クレグは産業民主主 義を経済的観点というよりもむしろ政治的観点から吟味し,その本質的特徴を経営者に対する労 働者の独立性,なかんづく経営者に敵対する労働者組織の存在に見立てた。(3)両者の論点に共通 している点は,組合が経営側と対等の立場に立って団体交渉を通じて組織運営に当ることを民主 主義の本質とみなすことにある。その点,ボットモアが「現代民主主義は行政に大衆が参加する
ことと定義される」(4)と民主主義的政治思想の主軸に参加を据える場合,あるいはプラムバーグが 民主的システムの本質的基盤として参加社会 (participatorysociety)の創造を唱導する(5)場合に 比べて,意味合いが異なっている。労働組合や団体交渉を大楢とする発想には,伝統的な旧秩序 を前提にした労使関係が想定され,その背景に前産業社会にみられた暗黒の労働者状況に対する 反発がうかがわれ,同時に労使双方の利害が衝突し,相互に敵対する中で経営側に対して労働者 が団結して敵対・対抗しないかぎり民主主義は存在し得ないというイデオロギー上の命題が潜ん でいる。特にクレグは労働者側の反対する権利,拒否する権利を民主的システムの唯一最善の立 脚点にしているわけであるが,この思潮には企業の全体性・統合性に対して責任を回避するとい う決定的な弱点が内在している。これに対して,経営参加という概念を民主的スタイルの実践原 理として持ち込む立場は,労使関係を単純に利害の衝突する関係として押さえるのではなく,互 恵主義を前提にし,職能的分業によって必然化する地位関係とみなし,産業社会に定着してきた 労使協調路線に対する現実的対応を目指している。両者の視座の相違は,産業組織を闘牛場とみ なすか,あるいは牧場とみなすかに帰因できるだろう。労使関係は今や労使双方が力の均衡 (power balance)を保ちつつ,有機的システムとして,また調和のとれた統合体として機能すべ きものであって,それを本質的に敵対関係とみなす根拠は薄らいでいる。
産業民主主義の問題に積極的に取り組んできたイギリスの場合でも,労使関係の民主化をめぐ るスタイルについては,労働組合の位置づけをめぐって論争が尽きない。たとえば,労働党は,
産業民主主義が全体社会の経済体制の中で果している労働組合の役割を職場にまで拡幅・浸透す ることによってのみ実現できるという論旨から,産業組織のあらゆる意思決定が経営陣と労働組 合との共同決定システム {jointcontrol system)によってなされるべきだと結論づける。したが って,企業の意思決定機関に従業員を参加させる,いわゆる従業員の経営参加というシステムに 対しては,労使の団体交渉方式の深化・発展こそ産業民主主義の根幹であるという立場から,非 常に危険な提案であると警告する。(6)これに対比されるのが自由党の発想である。産業民主主義
(2) S. and B. Webb, Industrial Democracy, 1920,
(3) H. A. Clegg A New Approach to Industrial Democracy, 1960, (4) T. B. Bottomore, Elite and Society, 1964, P.115
(5) P. Blumberg, Industrial Democracy, 1968, (6) Labor Party , Industrial Democracy, 1967,
は,いわゆる労働組合中心のセクト的スタイルをベースにして構想される筋合いのものではなく て,従業員参加を基調にすべきであるというのが自由党の主張である。職場レベル,工場レベル,
会社レベルといった経済単位(生産単位)ごとに従業員参加形式を導入し,全社的には工場協議 会 (workscouncil)と部門会議 (departmentalmeetings)を両輪にして意思決定の民主化を推 進すべきことを提案している。労働党との決定的な相違は,産業民主主義システムと労働組合と を切り離し,このシステムと労働組合とは原則的に無縁である(7)とする点に見出せる。すなわち,
労使関係をパートナー関係とみる自由党と敵対関係とみなす労働党との視軸の相異が産業民主主 義の実践的スタイルヘの対応を決定づけている。労働党の着想には,労働組合のみが労働者の代 表組織であり,労働者は労働組合を通じてのみその意思を表明できるという,いわば代表制の虚 構 (Fiktionder Reprasentation) <9>に対する立場上の執着が強く,低迷する労働組合の逼迫した 焦燥感が浸潤している。
2. 経営参加と労働組合
企業家支配が定着していた前産業社会では,強大な企業家権力に対抗しうる組織的抵抗力の存 在が民主主義を保障する重要な条件であった。クレグが労働組合を野党に見立てて,その重要性 を強調したことには一理ある。しかし,労使関係が当時とはまったく変質した脱工業化社会では クレグの主張は形骸化し,もはや通用しない。そのために,産業民主主義の新しい実践的形式と して経営参加あるいは従業員参加というシステムが浮上してきたわけである。
参加とは,組織目標の遂行・達成にあたって異なる立場に立つ人々あるいは集団が,当事者間 の利害にかかわる意思決定に対して相互に影響を及ぼしあうプロセスを指し,具体的には,従業 員が組織の意思決定に参加し一定の役割を演じるシステムに他ならない。野党による政権奪取の 論理を参加システムに介在させることはできない。経営参加は意思決定権を経営者から従業員に 置換するための戦略ではなく,両者に共有させるシステムであり,階級斗争的視点とは無縁であ る。すべての従業員が自己の利害に重大な影響を及ぽす意思決定に対して主体的・自律的・積極 的に参加できるような機会を制度化する必要がある,という簡明な民主主義的提言に対する現実 的対応が,経営参加という方式に他ならない。経営参加の根本原理は,個人の意思の尊重にある が,組織規模が大きくなると,それを間接的に実現する代表制民主主義方式が唯一の実践的形態 になる。したがって,根本原理を厳守するのであれば,意思決定に直接全員参加方式が適用され るべきであるが,実質的にはこれは不可能に近く,代表制参加にならざるを得ない。
経営参加システムに労働者が関与する際,その労働者の参加方式をめぐって,労働組合サイド のインパクトを極大にし,労働組合の役割を最大限に発揮できるようにすべきだという論調がか
(7) Liberal Party , Partners at work, 1968,
(8) H. Kelsen, 前掲書, 57頁,
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なり根強く展開されてきた。ドノバンレポート(9)はその典例である。この報告書は,労働党色が強
<滲み出たものではあるが,労働組合を通じての団体交渉こそ労働者に関係のある意思決定問題 に発言権を与える最適手段であり,この権利こそ労働者全員の特権である(10)という大前提に立っ て,従業員の経営参加や代表制参加 (theparticipation by workers and their representatives in management)は重要な方式ではあるが,団体交渉システムの副次システムに過ぎないこと(11)を 示唆した。すなわち,イギリス労働組合会議 (T.U. C)の団体交渉の改革案で示された経営参加 促進のための三つの提案に準じて,団体交渉の一部として参加を位置づけたわけである。その提 案とは, (1)プラントレベルの意思決定の正規の機関 (normalbodies)に従業員の代表たとえば職 場委員を参加させること, (2)企業内の経済的単位レベルや地域的レベルの意思決定は労働組合代 表の参加によってなされるべきこと, (3)全社的なトップレベルの意思決定機関,すなわち取締役 会に労働組合代表が参加できるよう立法措置を講じること(12)というもので, T.U.C.はイギリス 産業連盟(C.B.I)がこの提案の主旨と精神を汲みとって,強力なリーダーシップをとることを期 待した。このT.U.C.の意向をそのまま受けて,ドノバンレポートは,これらの包括的な団体交渉 の改革案に盛られた提案を受け入れることが,経営参加の最善策なのであって,これらを無視し た経営参加システムは有害かつ危険きわまりないことである(13)と指摘し,組合重視の論調に終始
している。
しかし,組合の組織力が低迷し,脆弱化する中で労働者の組合離れは著しく,加えて労働組合 の下からの組織化という原則が大幅に崩れた状況において,組合がT.U.Cの提案したような機能 を演じうるだけの代表制や力量をもつと想定することは幻想に過ぎない。経営サイドの人事管理 が多面的な人間的配慮に基づいて展開され,労働条件の飛躍的改善が推進されるプロセスで,ィ ギリスにおいてさえ,組合支部会議での組合員の出席率は平均
5%
に過ぎず(14)組合への積極的イ ンポルブメントも非常に稀である(15)という現象が露呈し,今や,労働組合の形骸化は昂進し,労 働者の代表機関としての性格は希薄になっている。その意味では,組織的危機感に詞まれている。このような客観状勢の中で,労働組合を経営参加とは無縁の,単なる団体交渉機関として特定化 することに対して,労働組合が苛立ちと焦燥感をあらわにすることも頷づける。労働党や労働組 合指導層が経営参加システムに神経質になることも当然であろう。しかし,かれらが経営参加方 式を経営者の権力に対する批判的システムとして位置づけ,それに食指を動かすことは筋違いで
(9) Royal Commission on Trade Unions and Employers Association, (chairman Lord Donovan) 1965 1968,
(10) ibid., paragraph 212. (11) ibid., paragraph 997. (12) ibid., paragraph 998. (13) ibid., paragraph 999.
(14) B. C. Roberts, Trade Union Government and Administration in Great Britain, 1956, P.95. (15) J. H. Goldthorpe, eta), The Affuluent Worker, 1968, P.99.
ある。経営組織と労働組合とは,その目的も組織化原理も本質的に異質であるから,経営上の意 思決定システムとしての経営参加に労働組合が融合することは矛盾の混在を招くはずである。ま
して,経営参加システムに積極的に関与しないことで,組合の権威が失墜し,組合の存在価値が 下落するという発想にいたっては論外である。もともと,経営参加がヨーロッパで積極的に唱導 された経緯は,労働組合主議や団体交渉が従業員の総意を的確に反映していないという事情に由 来している。(16)換言すれば,経営側との接渉において,従業員の世論とは無関係に組合主義的な 戦略と主張に終始し,内部構造的には組合官僚主議を尖鋭化させていく中で,労働者の代表機関 としての性格が問い直されたわけである。無論,経営参加の母体となる従業員組織と団体交渉の ための労働組合組織とを混同して等質化すること自体に無理がある。経営参加の理念は,本質的 に労働組合のイデオロギーとは馴染まない。経営参加は,労働者による経営支配や労働者階級に よる企業支配を基本的なベースとして提唱されたわけではない。その前提は,労使の協調的な意 思決定権の分有の仕方をめぐる形式の民主化にあり,対抗関係とは無縁である。したがって,労 働者の利益代表としての役割遂行を本旨とする労働組合が,経営陣の一翼としての機能を要求す る経営参加に積極的に関与することは,一種の合成の誤謬となる。
ダーレンドルフは,すべての組織が意思決定の権限を有するものとそれに服するものとの二極 分化を不可避とし,支配ー服従関係を必然化する(17)が,これらの双方が相互に対抗する利害関係 に立つことを黙認した上で戦略的に派生する組織形態が産業民主主義的な構造的仕組 (struc‑ tural arrangement)に他ならない(18)と述べ,服従者が支配者に対して交渉カ・対抗力を具備した 利害集団 (interestgroup)を育成することが産業民主主義の最適戦略であると強調し,この集団
(形式的には労働組合を指す)は服従者の利益を守るために存立するのであっ・て経営参加や経営 の意思決定に参加することのためにあるのではないと断定する。そして,経営に参加する労働者 は,支配者の権力に対抗する利害集団の代表ではなくて,現存の支配秩序を固持せんとする支配 者の疑似集団の一員に組み込まれることになる(19)と,経営参加システムに安易に組合が迎合する
ことの危険性を見極めている。高度工業化社会段階における労使関係や経営組織の権限関係を単 純に悉無律的権限関係とみなす分析視点には問題が残るが,経営参加の理念と労働組合主義との 間には本質的に克服しがたい確執のあることを的確に正視している。資本主義体制の下では真の 意味の従業員の経営参加はあり得ないというのが,伝統的な労働組合の主細であるから,本来,
経営参加に対しては断固として拒否権を発するのが労働組合のイデオロギー上の基本姿勢に他な らない。従業員の経営参加に対する理論的批判の先鋒であるクレグは,民主主義の本質的特質を 参加よりも対抗(opposition)に求め,産業民主主義の鍵が経営に対抗する強力で独立的な対抗機
(16) R. 0. Clarke, eta!., Workers Participation in Managemeut in Britain, 1972, P.62. (17) R. Darendorf, Class and Class Conflict in Industrial Society, 1959, P.249. (18) ibid., P.257.
(19) ibid., P.265.
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関(すなわち組合)の存在にあるとし,参加よりも団体交渉に力点を置いた。すなわち,労働組 合の存在価値は,労働者の利益を代表し,経営から独立して経営に対して抵抗力を強化すること にあり,経営参加システムに労働組合が共鳴して同調することは,意思決定に際して役割葛藤を 招いたり,経営指向的態度を培養する危険性があり,反って労使の民主的関係を損ない,産業民 主主義にとってろむしろマイナスになる(20)というわけである。クレグの場合には,組合の独立性 あるいは対抗集団の存在を民主主義の第一原則とみなし,この原則とのかかわりで経営参加と組 合主義とを峻別し,経営参加を産業民主主義とは無関係なものとして断罪した。民主主義の意味 論的問題,対抗主義の問題については疑義もあるが,経営参加と組合との関係についての提言は,
ダーレンドルフと同様に,有効かつ妥当である。
脱工業化社会における労使関係や権限の体系は,ダーレンドルフのいう二分法的分化というよ りも,プールの指摘する非対象的 (asymmetric)分化(21)という性格を帯び,対抗というよりも協 調・協力関係を汎化している。また,労働組合も状況随伴的な現実的対応に力点を置き,脱イデ オロギー化に向けたドリフトを余儀なくされている。このような実態のもとで,組合が参加シス テムヘの対策を真剣に考慮せざるを得ない状況におかれていることも事実である。しかし,理念 的にも,実践的にも,経営参加システムと労働組合との間には接点はない。むしろ,併存し,合 体しないことが,両者の本旨を一貫して守り抜く条件でもあろう。ただし,既製概念としての労 働組合とは全く異質の労働者組織を経営参加システムの円滑な運営を目指して編成し,それを労 働組合と命名するような事態にでもなれば,合成の過誤も永解することになる。また,両者が合 体した場合には,必然的に現在の労働組合の理念や体質は変質し,今までとは全く異質の労働組 合が出現することになる。つまり,経営上の意思決定に労働者が経営側との共同決定という形で 参加するわけであるから,経営側に対決する組合ではなくて,非戦闘的・経営指向的な組合にな り,旧来の組合の活動内容・組織目標は大幅に変革される。その典例をユーゴスラビアの労働組 合に垣間みることができる。
ユーゴスラビアでは, Workers'Councilを中軸に据えた従業員参加体制を導入したことによっ て,組合の主機能は,本来二次的な機能とみられるものに収欽し,会社機関化が促進している。
すなわち,労働組合の主機能はまず従業員の教育訓練とモラール向上のための施策を講じること,
次いで従業員に対する財政的・物質的援助,観劇・映画などのレジャー企画,儀礼的イベント企 画(党創立記念祭,新年パーティ,討論会, Workers'Council選挙などの運営),住宅斡旋など,
人事部福利厚生課の下部機関的な活動に従事することになり,組合本来の団体交渉による戦う勇 姿は面影を潜め,伝統的な機能であった労働条件の改善については交渉権をもたず,精々,勧告 や提案を会社に提出するに留まる。(22)そこでは,経営側に敢然と立ち向う労働組合の附入る余地
(20) H. A. Clegg, op. cit. , P.23.
(21) M. Poole, Workers Participation in Industry, 1975, P.34.
(22) J. Kolaja, Workers Councils‑Yngoslav Experience, 1965, PP.29‑34
はなく,むしろ組合は会社に完全に依存し,会社に管理される。(23)その意味では,労働組合はす でに経営と対峙する従業員の代表的機関としての機能を消失し,画期的な色替えをすることにな る。そして,真の労働者の組織とは,まさに経営組織そのものとなる。すなわち,民主主義とは 共同社会意思がそれに服従する人によって創造されるような社会形態であるから,それを忠実に 制度化したユーゴスラビアの経営スタイルにおいては,支配の主体と客体は一体となる。このよ うな状況下にあっては,労働組合は伝統的概念としてのリファレントを失い,階級的発想にもと づく労働組合は解体する。組織の状況随伴性の原理が見事に適用される好例である。
従業員の経営参加システムは,労使が共通の目標に向って協力関係を維持しつつ,単に技術的・
専門職業的知見の差異を調整・統一するとともに,立場の相異も調整と妥協を通じて克服できる という仮説を前提にした構想である。これに対し,労働組合は,階級的対立•利益斗争を前提に したものであり,理念的には経営側との妥協を否定する立場に立つわけであるから,経営参加の 理念とは明らかに衝突し,絶対に双方は相容れない論理的基盤に立っている。したがって,論理 的には,労働組合が経営参加システムに積極的に関与することは,労働組合の自己解体を意味す る。
3 • 資本主義型産業社会の経営参加スタイルーイギリスを事例にして一
企業の労使関係の展開にとって重要な役割を演じるドリフトとして,(1)産業における労働者の 問題を組織成員あるいは個人の問題としてとらえる傾向が強まったこと(人間的要因や人間関係 を重視する傾向)(2)企業の人間関係の基本的改革を促進するために労使関係の基本構造を改良す る傾向が生じたこと(生産手段の公有化・国有化,経営参加,共同経営などを奨励する傾向) (3) 企業の基本構造の変革というよりも経営側の権限を規制する動きが活性化したこと,などを指摘 できる。(24)このようなドリフトが参加的経営 (participativemanagement)の概念をクローズア ップさせ,多様な参加スタイルを出現させることに連がった。これらの動向の中で,当面ここで 問題になるのが第2'第3のドリフトである。ただし,この点については,社会主義型産業社会 か,資本主義型産業社会かによってそのスタイルにかなりの相異がある。また社会主義型産業社 会を例にとっても,諸種の企画の準備・執行段階で一般労働者の参与を保証する共同決定機構を 設立し,人事問題についての共同決定権は労働組合会議に与えているが,経営管理権は企業の最 高責任者が単独で掌握しているUSSR,労働者の自主管理システムを採り入れ,議会主義スタ イルを登用して経営に間接的に参加する権利が保障されているユーゴスラビア,工場の労働組合 委員会,共産党の執行委員会,労働者協議会のメンバーで構成される労働者経営協議会が企業の 一般方針を決定し,全般的な管理・監督をするポーランド,企業長・組織幹部・技術部門責任者・
(23) ibid., P.34.
(24) J. De. Givry, "Developments in Labor‑Management Relations in the Undertaking", Intemation‑ al Labor Review, 1969, PP.12.
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専門家などに労働組合議長と,労働者集会で選出された労働者代表 (2 5名)を加えて構成す る経営会議を定文化して共同決定方式を導入したルーマニアといった具合に,(25)その対応は多 様である。
一方,資本主義型産業社会においては,労働者の経営参加は主として労働組合を通じて労働条 件や作業条件についての意思決定領域に浸透しているが,生産計画,財政的・経済的方針,組織,
運営など,より広汎な領域の意思決定に対して従業員参加が妥当なのかどうかについては,各国 の政治的背景,労働組合事情,労使関係状況などの相違により,その判定をめぐってギャップが みられる。その根本的原因は,資本主義社会の参加システムが基本的にピラミッド型の経営管理 論すなわち垂直モデルの原則を温存しつつ,意思決定の民主化を推進していこうとするために,
垂直モデルの水平化崩しに当ってバラエティが出て,最適構造が定まりにくいことにある。しか し,参加に対する基本姿勢あるいは論調には不一致があるものの,参加の効果については(1)職場 レベルの従業員参加は一定の成果を挙げ,(2)代表制参加を通じての政策決定への参加も決して失 敗ではなく, (3)経営参加に対する労働者の態度は非常に積極的である,といったかたちでプラス の評価がなされている。(26) このような評価を反映するかのように,多くの先進国で,会社の意思 決定プロセスに労働者や労働者の代表を参加させるシステムを法制化する動きが一般化した。た とえばEEC委員会第5分科会は, EECのメンバー国ですでに採用されている経営参加の慣行 を容認する必要上,経営・統括機能と管理•監督機能とを分離し,共同決定システム (codetermina
tionsystem)の確立を体系的に進める提案を採択した。その結果,現在,共同決定機構としての 労使協議会が法的に強制されていないのはイギリスとアイルランドのみで,他のEEC加盟国で はこのような代表制参加はすでに制度化されている。また,西ドイツ,オーストリア,フランス,
スペイン,オランダ,ノルウェーなどでは,労働者重役制 (workers'directorsystem)も義務 づけられている。(27) このようなフォーマルな代表制参加機構がヨーロッパでは慣行として,また は労使間の団体協約や法・条令によって広く普及している。
EEC圏で順調に普及・浸透していった共同決定機構も,イギリスにおいてはどちらかといえ ば例外的に低調で,むしろ長期低落傾向を示している。形式的には,第一次世界大戦中にホイツ トレー勧告 (WhitleyCommittee Recommendation)を契機に労使共同協議制 (jointconsulta‑ tion) が企業に採用され始めるが•その延びは停滞気味であまり人気も出なかった。しかし,第二 次世界大戦以後,労働空間の人間化,疎外やアパシーの克服といった問題との絡みで再評価され,
企業の裁量によって制度化され,順調に普及し, 1950年頃には7割強の普及率を占めていた共同 協議制も, 1968年には約3割強と半減し,減少傾向を示すにいたった。(28) また共同協議制で処理
(25) ibid., PP.67. (26) M. Poole. op. cit., P.5. (27) ibid.,. P.6.
(28) R. 0. Clarke etal, op. cit. , P.72.
する内容についても,他の国に比べて.ィギリスでは,交渉の内容や範囲.この機構の権限や義 務などの面で狭く限定され, トーンダウンが著しく,生産中心主義に偏っている。その原因は,
労使双方が.すなわち
C .B . I
と,T.U.C
の両者がこの制度の導入にはあまり積極的ではなく,特 にこの制度を法制化することには批判的である(29)という点に求められる。たとえば, C.B.Iは,労 働者重役制やトップレベルの意思決定に労働者やその代表を参加させるシステムについて,全く ナンセンスで(30), ビジネスにとってマイナスである(31)と公言し,T.U.C
の方でも,もしこのよう なシステムに参加して充分能力の発揮できるような労働者がいるとすれば.かれは労働者という 地位ではなくて,非常勤の重役になるべきだ(32)と厳しい見方をする。ただし,職場レベルでの仕 事に直結した意思決定に何からの形で労働者が参加する機会を制度化しなければならないという ピアソン(ロールスロイス社のD.Pearson社長)の見解は正論として大方の賛同を得ている。つ まり,イギリスでは,企業の基本的な政策や方針を決定するレベルではなくて,従来,伝統的に 中堅管理者や第一線監督者に特権として与えられていたhow‑to的な.またknow‑how的な意思決 定領域を従業員に開放し,職場レベルの執行決定を共同決定機構(jointdetermination machiner‑ y)で処理するのが望ましいという判断がなされ.大局的にはこの方向で従業員の経営参加の問題 は処理されている。無論,このような大勢の中で,産業民主主義の伝統国らし<. 企業が独自の 判断でユニークで斬新的な従業員参加システムを導入していることも看過してはならない。従業 員参加のもっとも一般的なスタイルは労使合同協議制 (jointconsultation, or joint consultative committee, or works councilなど)であるが,この仕組みの模範として評価されている実例としてGlacierModelとG K N方式を挙げることができる。
Glacierモデルというのは,GlacierMetal社がTavistock研究所の助言と指導を得て実用化した もので.工場全体のレベルと同時に各ヒエラルキーのレベル毎に協議会形式の従業員参加システ ムを設置し.この機構が会社全体の意思決定システムを構成するようなスタイルである。まず.
工場全体のレベルでは労使協議会 (workscouncil)を設置し.ここで会社の方針が検討され.決 定される。この協議会の構成は図1で示される(33)ように,すべての職階の代表者が含まれるよう
に考案され,ここでの決定はいかなる内容のものも満場一致 (unanimous)を原則としている。
Glacierの重要な特徴は,法的には従業員の代表機関がすべての規則を決定することを許されてい ないにもかかわらず,経営者の恩寵によって規則を制定するプロセスにも従業員の参加を認めた 点にあるといわれている。ただし,労使協議会は条件付き政策決定 (conditionalpolicy)をする のであって,最終的な政策決定 (definitivepolicy)は取締役会 (boardof directors)によって
(29) ibid., P.188.
(30) J. Davies (C. B. I会長)が, Time遥£(1968.6.29)で発言.
(31) R. Geddes卿(ダンロップ社長)が, Time遥E(1969.11.19)で発言
(32) L. Cannon (電気・水道工事労働組合委員会)の談話.
(33) C. Balfour, (ed.) Participation in Industry, 1973, P.146.
関西大学『社会学部紀要』第18巻第1号
行われる点,ならびに労使協議会は常に経営側のイニシアチブで運営される点に留意する必要が ある。そして,労使協議会と取締役会との間に意見の不一致が生じた場合には,両者のメンバー である社長が,労使協議会で態度を保留するという形で,不測の事態を回避する措置がとられ る。(34) この労使協議会の問題点は,ごく一般的に懸念されることではあるが,委員会や協議会に 選出されたメンバーが労働組合の代表や役員である場合,それらが団体交渉の場になりかねない という点にある。つまり,二重役割からくる役割葛藤が表面化したり,本旨から言えば,組合代 表という立場から離れて,従業員代表として発言すべきなのであるが,往々にして組合代表とい
う肩書きが優先し,厄介な事態を喚起する(35)というわけである。
図1 グレイシャー・モデル (33)
言門フ(45)
二等級スタッフ(80)
三等級スタッフ (285)
時間給熟練エ (840)
職階構成(人数)
このGlacierモデルと対照的なのが, GKN方式または工場交渉モデル(PlantBargain Model) と呼ばれるシステムである。 GK N ‑Shotten社のHalesowen鋳物工場は1969年のストライキが きっかけになって,労働者憲章 (Thecharter for the work people)を制定し,この工場のロー
(34) ibid., PP.146148.
(35) ibid., P.149.