説苑
世界人口の趨勢と出生率及び再生産率
南
亮ゐ
三
鄭
本稿は主としてカア︒ソンダースの近業﹃世界人ロー過去の増大と現在の趨勢﹄及びクッチンスキーの﹃人
口増大の測定﹄その他に擦つて人口統計上の基本事實を學びながら︑過去及び現在における世界人ロの趨勢を
探り傳へんとする一つの畳書き的論述である︒從つて專門の人口研究家はこれを無観せられてもい玉であらう⑩
一︑世界人口の壇大と現勢,
さて世界の多くの部分については・今日でさへ資料が不完全であつて充分信頼するに足らぬ事情は前に指摘し
ラた通りであ勧︒從つて研究の方法は現代から遡つて︑世界全罷として到蓮し得る限りの過去に及ぶのがよい︒も
世界入口の趨勢と田生牽及び再生産率(南)入九
1)拙 稿 ・入 間 完 全 化 論 孚 と世 界 入 口(本 誌 前 號 所 載)45‑‑46頁 謬 照 。
/
九〇
ずると先づ吾々の出嚢鮎として必要なるものは今日の世界大口であるが︑これにば三種の情報源泉があるρ一
は國際統計研究所の︑︑﹀需お銑号冨Uか日轟冨℃試︒畠窃望くo携男遷¢含蜜o議o︑.・二は國際聯盟の..︒︒9昏膏巴
磯o舞畠oo犀︑.三は國際農業研究所の︑︑ぎ9旨讐一〇欝一磯︒碧畠oo犀鑑︾炉9吋肖︒島霞匹︒︒鍵島ω昏¢︑.で︑何れも世界人口
の激字を掲げてゐる︒
世 界 入 口(193(庫)2)
る︒全艦として比較的遠い過去に遡り得るヨーμッパ人ロについてさへ必要な正確度で激字が得られるのは漸
つと一七七〇年であつて︑クッチンスキー氏はこの年のヨーロッパ人ロを一億五千二百五十萬と推計した︒そ
れ以前の時期については︑例へばリッキオリ(一囚一〇〇剛O一凶)が一六六一年に︑グレゴリイ・キング(O器σq︒昌丙ぎ①Q)
が一六九六年に︑それぞれヨーロッパ人ロについて推算したところの︑そして爾者とも同じ一億といふ粗略な 一九三〇年の総数は次の通りであつた︒
この三つの数字の弓ち最高激と最低数との聞にはすでに四千萬の開きがある︒これな
三つの平均敏に物しては僅かに二〇%弱の輕さに過ぎないのではあるが︑世界人ロに關
する吾々の知識のなほ甚だしく不完全であることを想はしむるに充分である︒それ故に
クッチンスキー氏は︑世界の現在人口は十八億八千萬と二十二億六千萬との間にあると
のいふ以上のことを云はんとするのは不可能であるとさへ読くのである︒況んや過去にお
ける人ロは現在の人ロよりも知られてをること遙かに少いのであるから︑世界人ロの歴
史を構城せんとすゐ何れの試みも非常に推測的な方法に擦らねばならぬことは明かであ
駒一'や
2)Carr‑Saunders,VlアorldPopUlationiOxfbrdIg36, .P.17.
3)Kuczynski,PopulationMovements,OxfordIg36,P.6.
る数字や︑叉降つてば一七五〇年にズユレスミルビ(0り麟切Φ昌9一一〇ず)の推算したる一億三千萬といふ如き数字の類ひ
しか存レないのであつて︑近代の諸學者‑言ぎ¢切匹8ぎ︑︒︒牙象鋒σq矯い︒旨︒葺臥ρ≦・凶浮︒×等々ーーの研究は
多かれ少かれ︑これらの推算を基礎とするものである︒.・.
遽き過去については
勘をる典捲吉修補
甑ざれ來つた世界人口の軍(歴史を示すものとして
計推)は一六五〇ー一九二九正年修螂年聞にわたるウイル・コ
︒の炉ツクス整の撃が最
人16)堺(も震的で葱︒しか
しこの激字にもなほ多
くの修訂を加へる饒地
が淺されてをるのであ
って︑上に掲げるもの
世界入口の趨勢と出生傘及び再生産傘(南)・九一
洲 別
ヨ 劇 ロ ツ パ 北 ナ メ リ カ 中 ・南 ア メ リ カ オ セ ア ニ ア
ア フ リ カ
ア ジ ア
世 界 総 計
1650
100 1 12 2 100
330i
545
17501800
140187
1・35・7
11』18.9
22
95go 479602
'
728
l
Ig220・7
0・10・7
1・52・I
o・30・2
13・Ig・9
65β66.4
1QO.OIOO.0
1850
266 26 33 2
95
749
ゆ ト堺
1goo
401 81 63 6 120 937
1,608
1 1933
51g I37
125
】[O
I45 1,121
2,057'
1 25・2
6ア
6.I
o.5
7・0
54‑5
100.O
同 上 百 分 比
讐
ヨ 学 ロ ツ バ 北 ア メ リ カ 中 ・南 ア メ リ カ オ セ ア ニ ア
ア フ リ カ
ア ジ ア
18.3 0.2 2.2 0.4 18.3 60.6
100.0
22・7
2・3
2β
0.2
8.正
63gl
I
IOO.0
24・9
5・1
3・9 04
74
5&3
100.0
4)EncyclopaediaoftheSocialSciencesの̀̀population,,の 項(Vol.XII,lg34, p.241)に に こ れ を 掲 げ て ゐ ろo'
九ニ
ケのはカア・ソンダース氏の修正補綴に成る蚤のである︒
これによつて見ると世界人口は全艦として過去二百八十盤年聞に三・八倍の大増加を途げた︒この増加割合
はしかし︑アジアよりもヨーロッパが遙かに高く︑前者の三︒四倍に封して後者は五・二倍といふ老大なる増
加を示してゐる︒しかもこの彪大迅遽なるヨーロッパ人ロの増大には移民藪が考慮に入れられてゐないのであ
るから︑これら二洲以外の世界の淺飴部分における比較的近年の迅遽なる人ロ増加には陸績たるヨーロッパ人
の氾濫が主因を成してゐた事情を併せ考へて︑過去三世紀間におけるヨーロッパ人ロの五倍以上といふ大増加
も右の移民を邊り出したる後の淺饒であつたことに想到するならば︑何人も過去における白色人ロの繁殖の如
何に強大であつたかに驚かざるを得まい︒これこそは人類史上における室前の爆襲的膨脹である︒
ところでいま︑か曳る膨脹が如何にして可能であウたかを問ふならば︑その答へは︑すでに前の機會に指摘
した通の︑出生率が上昇したか死亡率が低下したか或ぴはその双方が起つたか︑のいつれかに求めなければな
らないが︑利用し得らる玉誰左は一檬に後の二つではないことを示してゐる◎出生率は上昇どころか激しい下
降を現はしたのであつて︑過去における世界人ロの増大には出生傘はむ七ろ浩極的・反作用的因子として働い
たのであつた︒この反作用を克服してなほかつ諺大なる人間堆積を剰し齎らすの強力なる主積秤となつたもの
のは︑第一の︑死亡率の着實なる低下であつた︒私はすでにこの鮎を前の機會に詳しく取扱ひ︑そして少くとも
資料の比較的長期にわたつて利用し得らる玉ヨーロッパ世界に主として観察の眼を向ける限少︑死亡率の趨勢
5)Carr‑Saunders,「WorldPopulation,P・42.
6)前 掲 拙 稿47頁 以 下 謬 照o
は過去における人口蓮動の秘密を解く鍵であり︑これに反して現在及び將來における人ロ運動を決するかに見
えるものはーーこれ叉ヨーロッパ世界に着眼する限りー出生率の趨勢にほかならぬことを論結した︒といふ
のは人ロ一千について表示せらる玉普通の死亡率(1ー粗死亡牽)はいかやうに低下するにしても︑理論的には
到底ゼロにはなり得ないのであつて︑しかもヨーロッパ世界の今日まで成し途げ來つた死亡牽の低下はすでに
その下限近くに接近してゐるのではないかと思はれるからである︒
それ故に世界人ロ史の現代的部分を主題とし將來への蓋然的趨勢を探らうとする者は︑より多くの重黙を出
生率に置くことが必要である︒吾々も亦この意味から本稿の申心課題を出生率に採ることにする︒
=︑出生拳の分析(一般産見・奪と特別産見率)
出生率は普通︑或る年度に生じたる出生激をその國の絡人口に割當て玉︑その結果を人ロ一千について表現
ぬヘヤへすることにょつて得られる︒今日ではこれを粗出生牽(OH巳⑦切ぎげ‑男緯o)と稻し︑一國人口の産見力を測定す
る最も一般的な併し最も粗略なる方法と考へられてゐる︒クッチンスキー氏の研究によれ幽︑人口統計の開組
ジョン・グローント(一六六二年)はまだこの方法には到達してゐなかつた︒サア・ウィリアム・ペティ(一
六八二年)が最初の人である︒但しペティでさへ︑まだ総人ロ一千についての率を算出したのではなく︑佳民
六〇〇につき出生数二五といふ風に表現した︒人ロ一千についての最初の表現はグレゴリイ・キング(一六九
世界入口の趨勢と出生牽及び再生産率(南)九三
1)Kuczynski,TheMeasurementofPopulationGrowth,LondonIg35,P.Iooff.
九四
六年)によつて與へられた︒かくてキングは當時︑都市については三五・二︑村落については三四・三の出生
率を掲げたのである︒
この意味の出生率が國により叉時代によつて如何に鍵化したかの考察は後に譲るとして︑こ玉で先づ考ふぺ
きことは出生率攣動の幅(同碧σq︒)は理論的に何程であるかである︒この幅は︑同一方法によつて表現せらる亀
粗死亡率と同様に︑上限と下限とによつて劃せられる︒けれどもその上限は死亡率における程明確ではない︒
人口一千についての死亡率の上限は理論的には一︑○○○である︒無論か箋る率は實際には起り得まいが︑過
去の記録は大飢謹や大疫病の年には或る地方でこれに近い死亡率を生ぜしめたことを想像せしめる︒然るに出
生率の上限は能ふ限り大なる姫孕能力(津︒§甑9によつて決定されるのであつて︑理論的には一切の女性が能
ふ限り多激の子を孕む場合に達せられると云ふの他ないのであるが︑か玉る場合に出生歎が何程に上るべきか
の推測については今迄にいろいろの試みがなされた︒一六八二年のペティの試みはその最初のものである︒ペ
ティは先づ佳民一︑○○○人のうち三〇〇人が一五‑四五歳の婦人であり︑か蕊る婦人が各々二年に一度子を
産むものと假定した︒するとこれは佳民一︑○○○につき一五〇の出生となるが︑實際上は婦人の側における
﹁疾患や流産や生れつきの不妊﹂等を考慮に入れねばならないとして︑ペティは最大可能的な出生率を一二五
に減じた︒しかしこの測定は姓孕年齢の婦人の割合が攣化しないといふ假定の下でのみ可能なのであつて︑實
際上はか玉る假定は成立せす︑子供の出産が多くなればなる程全人口申に占むる姫孕年齢の婦人の割合は減ぜ
ざるを得ないから可能的出生牽は一二五よのも遙かに少いであらう︒過去の記録の示す限のでは出生率が六五
を超えた國は嘗てあるまいと思はれる︒
他方︑出生率の下限は︑理論的にはゼロであり得る︒死亡率の下限は︑入間が人間である限り︑換言すれば
人聞が不死不滅のものとならない限りはゼロとはなり得ないが︑出生率の場合ではこれが可能である︒謂ゆる
産見制限が徹底的にそして百パーセント有効に實行せらる﹂ならば︑出生率はゼロとなるの他あるまい︒けれ
ども實際上はこの牽が一〇以下に落ちた場合ー例へば一九一六年のフランスーは極めて稀であつて︑過去
の記録の示す限りでは實際上の下限は大饅一〇壷を以て止まつてをり︑その上限は五五を遙かに超えたことは
殆んど無いやうである︒次節において掲ぐる西激及び北欧諸國の出生率の推移表では一八七一ー一八七五年聞
の五ケ年亭均のヨーロッパ・ロシアの出生率五一・二は最高の数字であるが︑アメリカ合衆國においては一八
〇〇年に五五・○といふ記録を作つてゐる︒今日ではボルト・リコの四五・三及びパレスタインの四五.二を
最高とし︑他方ではオーストリアの一.三・二及びスウェーデンの=二・八をもつて最低とし︑世界各國はこの
四五Z=二との間で種々異なつた率を示してゐる︒次に掲ぐるものは國際聯盟の公表する所に基づき︑最近の
の各國出生率を高さの順に一表に纏めたものである︒
世界入口の趨勢と出生率及び再生産率(南)九五
2)Cf.StatisticalYear‑BookoftheLeagueofNations,Ig35!36,P.46.