第繍はしがき 第ご家の概念 一家の譜義 二家の本義 第三家の喪徴 ﹂氏 二族
穂
三家 紋馳 第四家の存績 一系譜の保護 ご祭麗の奉仕 第五崇瓢と家 一祭麗の起源 二家名の尊重 第六む す び
第顯 は し が き
明治維新農繁︑西洋文化の輸入によって︑あらゆる事物に非常な憂革を來たし︑目浅ましい獲展をなしたこ
とは驚異に値する︑鞭近に至り︑思想︑政治︑経濟の各生活の形式が一大躍進を途げた爲に︑更に就會事象に
柔して︑根本的の動掘を持ち來たしつ玉あることは︑否むことの出來ない事實である︑余がこ玉に取扱はんと
する﹁家﹂なる観念についても亦この例に漏れない︒
我が貸家就會を紐織する特色ある﹁家﹂に封ずる槻念の清長は︑將來の嘉言の凡ての生活に至大の影響を持
・つものであるから︑就禽講者︑経濟墨者︑倫理墨者︑法律學者等によって︑既に研究論議せられて居る︒而し
て一部の墨者を除いては︑多く︑家は文明への過渡期に存した家族制度の淺津に外ならぬもので︑漸次進歩し
て行く導管の磯蝦上︑早晩壊滅の蓮を還れぬものである︑と見るのが一般である︒河田嗣郎博士も亦家族制度
崩壊の盛運として︑其原因を家族制度の三大基礎たる婚姻關係︑親子關係︑家族の経濟的基礎に求めて論究せ
られて居る︑勿論國民の自畳︑人格尊重に俘ひ︑個室主義が勃興して︑家と家族との聞に有する紐帯を虐める
こともあらう︒.叉グ獄ツセーの説くが如く︑経濟上の形態は直に家族制度の形態に反映することも否まれぬ︒ゴ
然しながら︑各民族には夫々特有の歴史があり︑多年漏養し獲達して來た風俗習慣があるので︑さう簡箪に崩
壊し去る諜のものではない︒この黙では編田博士の奮著﹁臼本経濟史論﹂にも︑﹁深く社民生活を研究し︑思を
家に醒する硝考察 五九九
げ
宍○○
潜めて是が實惰を繹ぬるものは︑日本國民が経過せる外形上の攣動は固より頗を大なるものありと難も︑之に
厩する各個人は極めて徐々たる翌翌を維過し行くものなるを梅見すべし︑⁝⁝⁝若し縛れ組先崇鐸の念に至り
ては︑維新の啓蒙時代に於て亦動揺を挿せりと難も︑今日術ほ常識を逸せざる日本人の倫理的基礎を.成し︑一
方に於ては逝き古へより痺はり來れる日本特有の家族的精瀞によりて代表せられ︑他方に於ては叉耳鳴的輩位
として家族の存績を援助すしと導べてある︒穗積陳重博士の﹁組先祭祀と日本法律﹂の緒論に﹁歌雑業國では
組先祭祀の習俗は嘗て存在したが早く混滅して仕舞つたのに︑特り我日本にては殆ど一切の文明的施設が確立
したにも拘はらす︑祭祀の俗は今倫ほ倣然として存し︑親署の法律︑習慣の上に偉大なる勢力を及ぼしつ瓦あ
る︑蓋し此習俗は遠く荘遡たる太古よりあり︑建國以降支那文明︑印度交明︑西洋交明の三箇の外國的元素を
輸入し︑我國の法律︑風俗︑習慣に絶大なる影響を及ぼしたが︑廣く且つ深く根ざしを固めた此國民的信念に
博しては︑終に之を防毒することが馬鞭なかった﹂との意味を詳述されて居る︒今是等の諸説に封ずる當否は
暫らく措き︑現在存する﹁家﹂に濁する槻念並にこれに属する制度に關する一面の考察を常識的に述べて見た
いと思ふ︒
第二 家 の 概 念
繍 家 の 語 義
む む ﹁束雅﹂によると﹁家即いへは紅海等の字並に囲む事また同じ︑﹁萬葉集抄にイとは論語の詞也へといふが家に
ノベノヵミ ヘ ナホト てあるなりし︑といひけり︑さらば大戸之邊榊など云ひしその邊といふ詞は家の義にて︑後に戸の字護みてへと
いひしは即事也︑又イへともイハともイホともいふ皆同じ︑叉イ累痩とも云ひし也といふ也﹂とあり︑叉和訓
イへ むむ イへ 葉には﹁イへは五家の義なるべし︑孝徳記に五家相保といへる是なり︑光仁記童諜に﹁國ぞ昌ふる五家らぞさ へ かふる﹂と見えたりしとある︒何れにしても︑家は戸だといふに過ぎない︒なる事事は家を戸と言って居った
カマド へ ので︑今臼竈をヘツヒ或はヘツツヒと呼ぶが︑これは戸の火一家の炊煙を現したものであらう︒申越部曲の戸
激を記すに︑大漁令には浦戸とし︑延喜式には何燗として︑戸の代りに燗の宇を用ひて居る︒然し何故に入の
ム む む 住宅を戸と構したかは矢張明かでない︒松岡翻黒氏の日本古語大僻典には﹁イへのイは接頭語︑へは容器で︑
つまの家は入周を容れる器といふ意味で︑居宅をイへといふやうになったものと思はれる﹂と面白く読いてあ
るが︑果して如何のものであらう︒金澤博士は共著﹁言語の研究と古代の丈化﹂に︑家屋の構造上から短身を
試みてある︒インドゲルマン民族の古代の潜居は穴居叉は牛穴居の歌聖であった︑サンスクリットO跨簿︵家︶
とアヴエス露語○︒器簿︵穴︶とが同一の語源から出てみるのは這般の治息を漏してみるものである︒また一方
では草葺の小屋が嚢達して居ったので︑揖シや語で壁を○嵐似費といひ大工を髭◎9涛μといふのは共に男騨低
即﹁編む﹂といふ語と關係がある︒我が國の古代では≦臼本書記巻第一に︵心墨記︶﹁檜可以爲瑞之材﹂といひ︑・ ◎OQ◎○○○○◎︒○︒○◎蕊○%︒ 閣 同書雀第三︵紳武記︶に﹁故古語稔之日影畝傍之橿原也太立宮柱於白鷺根峻縛搏風於高天之原而始駅天下之天 レ一一 一譜 矧嵩 剛 家に愛する耐考察 六〇一
六〇二
皇﹂と見えて居るから︑木慧建築のあったことは明であるが︑叉同書同じ巻に︑﹁而申洲地無復風塵誠宜恢廓皇 二 一 下 昌 む む む む 都規墓大鵬而今運属此屯蒙民心朴素集胃薬佳習俗惟常﹂とあるのを見ると︑我が上代にも穴居の俗のあったこ 圃 ゆ 上 瓢 一 とが知られる︒︵飯田武郷氏は書記通繹に皇國上古の入民に凡二種ありて一は神代の始より駆落に自ら生れ着け
るもの︑一は天より降れる榊の子孫の蕃息れるものなり︑是人等の佳虞は多くは家屋に佳したるものなるべれ
ど︑共他に土蜘蛛︑蝦夷の類ありて其等は家作の法も知らす︑た穿雨露を凌がむ爲に山腹を顧て穴居し︑ある
は樹上に集を架して住しものならむとおぼえたり︑こ﹂に直謝穴居と云へるは其等を大凡に云へるなるべしと
読明してあるが︑これは天孫民族を始めから︑開明の域に逡したものと見たる偏見ではあるまいかと︶それは
アメノイハヤダ アメノイハクヘフ アメノノコハヤロ ィハか イハト イコハリマ ド 古事記︑日本書記及び萬葉集等を見ると︑天石屋戸︑天之石位︑天石窟︑磐戸︑石戸︑石室戸などの語が諸塵
イロハスねメノカミ アメノイハトワクノ ゥ ヅムロ ォホムロ ミムはぴノ に記され︑榊の名にも石集比賢紳︑天石門別紳等があり︑無戸室︑大室︑御窟殿等は何れも穴居若しくは牛穴 イハムラ 居の遺風と見ることは出來まいか◎萬葉集に石村といふ地名がある︑これは石屋の多かったから呼ばれたので
あらう︒叉棺梛の構造は︑家屋と關係するところが多いのであるから︑古代に石棺石榔のあったのも︑岩窟に
佳早した一事となるであらうと︑種々の軍扇を引用されて居る︑東雅に見える通り︑家はイハともイホともイ
イ ハ イハムロ バロともいふは皆岩窟又は岩室から出たものと考へられる︑朝鮮で街衡の名に洞︵国︒種︶を用ひ︑小房を穴︒丸きσq
︵房洞︶といふのは古代に洞窟に佳んで居ったからであらう︑これ等から推考して佳宅たる家は岩窟から來た
名を襲用したものではないかと思ふ︒
漢宇の家は﹁論文﹂た﹁尽︷獺斑条︑周伯濃日︑雲居之二日家︑故久海駅家︑後入借爲室家之家猫沼本牛屋 レ レ レ レ ニ 一 三 後入露玉牢獄之掌﹂とあって︑もと豪小屋を家としたのだが︑後世蒋じて人の居宅に用ふるやうになったとい 瓢 回 ふ解羅であるが︑ ﹁六書冒しに﹁叢雲人丁合也︑尽霜︑三人聚肖下︑庸之義也︑脅古族字︑指講爲豪﹂と耀い レ レ レ 圃 レ 瓢 て︑︸象はもと族の義である舌の宇が攣化したものであると論いて居る︑この碁器の方が慮當な考である︑即ち
一族が一宇の下に居る會意の構成法は實に面白い︒
英語のぎ蕊⑳は︑古代は露︒・中世は簿器といったが︑剛同簿︵小屋︶と語源を同うじて︑ぽ儀p財8乱など關係
があって︑漁れる︑蓄藏︑の如き意味を特つたものであらう︑これは全く建築物を指した竜のである︑ゲ◎ヨ︒は
古くは冨欝中頃ぴ8箆といって︑入の集團の場所であるく難儀①を呼んだものであるが︑現時では神聖なる家
庭の意義に局限せられて居る︑スキート氏も恐らくサンスクリットの野瀬鑓麟︵安全︶騨鑓︵佳む︶等と同系の
ものであらうといふ︒貯鼠ぐはラテン語の貯鼠密︵一家の族員即ち家族たる親子奴僕等をも併草し︑後には家
産をも包含する﹀から來たものである︒
以上︑語源によって見れば︑何れも往居の場所とか︑建築物等を指して居る︑然し語源は重語の獲生誕時の
極めて原始的な時代の幼稚な概念を髪髭せしめる許ので︑言語の性質上︑時代を追うて攣化する概念の内包をゴ
鑑確に捉へることは出來ぬ︑殊に﹁家﹂の如き抽象観念を持つものにあっては︑時代時代の文化によって洗練
せられて居るから︑︑現在持って居る﹁家﹂の精確なる襯念を語源研究によって知ることは二更不可能であると
家に醐するM考察 山ハ〇一昌
㍉