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「哲学による身体の定義」 2012年9月20日(木)

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--- 講義:ムニンドラ・パンダ師 翻訳:宮石 詠子 記録/草稿 佐藤 頼夢 --- 今日の主題は、微細な身体です。最初の頃、私達は3つの身体について議論したのを覚えていらっしゃるかと思 います。皆さんには、この3つの身体の名前を覚えて頂いていると期待しています。それは「粗大な身体」「微 細な身体」「原因の身体」です。 サンスクリット語では ストゥーラシャリーラ (sthūlaśarīra / स्थूलशरीर )=粗大な身体 スゥークシュマシャリーラ( sūkṣmaśarīra / सूक्ष्मशरीर )=微細な身体 カーラナシャリーラ (kāraṇaśarīra / कारणशरीर) =原因の身体 です。シャリーラ (śarīra / शरीर ) というのが身体という意味です。ゆっくり説明して行きますので、皆さんに覚 えて頂きたいと願っています。土曜日の授業では、ちょっと速く進んでしまいます。しかし、この勉強会では出 来るだけゆっくりと説明して行きます。どうか、全てを書き留めて行って下さい。そして、解らない事があった 時は、どうかご質問して下さい。この書くという事は、大きな瞑想となります。聞いても理解出来ない事を、書 き留める事で理解出来るようになります。その為、ここでは書く事が大変大切です。 3つの身体のことをサンスクリット語では 1:ストゥーラシャリーラ (sthūlaśarīra / स्थूलशरीर ) 2:スゥークシュマシャリーラ( sūkṣmaśarīra / सूक्ष्मशरीर ) 3:カーラナシャリーラ (kāraṇaśarīra / कारणशरीर) と言います。 ストゥーラ(sthūla/ स्थूल )というのは「粗大な」という意味です。私達が見る事が出来る物です。私達は「粗大な 身体」を見ることが出来ます。その身体に触ることも出来ます。そして、この身体には匂いもあります。私達は、 この「粗大な身体」を知る為に、“5つの感覚器官”全てを使うことが出来ます。その為、その身体を「粗大な 身体」と言います。 二番目はスゥークシュマシャリーラ( sūkṣmaśarīra / सूक्ष्मशरीर ) スゥークシュマ( sūkṣma/ सूक्ष्म )というのは「微細な」 という意味です。私達が触れることが出来ないモノです。においを嗅ぐことも出来ません。私達には、この「微 細な身体」を知る手立てがありません。その為、その身体は「微細な」或いはスゥークシュマ( sūkṣma/ सूक्ष्म )と

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呼ばれます。微細な身体のことをスゥークシュマシャリーラ( sūkṣmaśarīra / सूक्ष्मशरीर )と言います。 三番目は「原因の身体」です。この原因というのは、他の2つの身体の原因になるということです。

サンスクリット語で、この原因の身体のことをカーラナシャリーラ (kāraṇaśarīra / कारणशरीर)と言います。 シャリーラ (śarīra / शरीर ) )というのは身体のことです。しかし、身体とだけ言っても、それだけには意味があ りませんが、シャリーラ (śarīra / शरीर ) というのには意味があります。シャリーラ (śarīra / शरीर ) という言葉の 意味は、いつか終わりを迎えるモノという意味です。シリヤテ イティ シャリーラ(sriyate iti śarīra / स्रियते इस्रत शरीर ) と言いますが、何時の日か滅びる物という意味です。この「粗大な身体」は、何時か死ぬモノです。ここに居る 私達の誰も、100 年後にはこの世界には居ません。私達の「粗大な身体」は、何時か終わります。その為、身体 のことをシャリーラ (śarīra / शरीर )と言います。同じように「微細な身体」も何時か死ぬ物です。一体何時死ぬ のでしょうか?この『粗大な身体』というのは、数年後に死ぬ物でしょう。何故なら、私達の最長の寿命という のは120 年から 125 年と言われます。しかし「微細な身体」は、何時死ぬのでしょうか? 悟りを開いた時、微細な身体は死にます。原因の身体というのは悟りを開いた時点で無くなりますけれども、そ の時に微細な身体も終わります。つまり、原因の身体の死は悟りを開いた時です。そして、その悟りを開いた人 が死ぬ時、その人の微細な身体も死にます。しかし今日、私達は「微細な身体」スゥークシュマシャリーラ ( sūkṣmaśarīra / सूक्ष्मशरीर )について、勉強して行きます。一体、微細な身体とは何でしょうか? この「微細な身体」には、17 の構成要素があります。私がこうして何度も繰り返すのは、そうすることによっ て皆さんに覚えて頂く為です。まず、5つの知覚器官またそれは、5つの感覚器官とも呼ばれます。まず、この 5つの物があります。次に、5つの行為器官、そして5つのプラーナ(prāṇa / प्राण )生理機能です。 この5つのプラーナ(prāṇa / प्राण )とは5つの生理機能です。そして、思考器官と知性です。これ等 17 の構成要素 のことを私達は、微細な身体と呼んでいます。微細な身体について、ここまでは解りましたか?何かわからない 時には、どうか何時でも手を挙げて質問して下さい。ハイ、岩田さん。 >Q:5つの感覚器官と5つの生理機能の間のもう一つの器官って、何ですか?聴きそびれてしまいました。 >先生:ハイ、それは5つの行為器官です。行為器官というのは、その器官を通じて私達が行為をするモノです。 例えば、私達の手。私達は、肉体的行為をこの手を通じて行っています。 今、書いているのは誰ですか? 私達の手が書いています。 一体、誰がタイプを打ちますか? 私の手が打っています。 私達の手というのは、私達の行為器官です。では、皆さんはどの様に駅からこの場所までやって来ましたか? 私の足によって来ました。この足は、私のことを何処へでも運んでくれます。つまり、この私達の足は行為器官 です。

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では、私達の手や足が働くことが出来ない時、私達は一体どうやって仕事をするでしょう? 私達の手や足が機能しない時、私達の中で働き続けるのは一体誰でしょうか? それは、私達の発声器官です。 私達は、話す事で行為を行います。赤ちゃんが知っている行為とは、ただ泣くことです。赤ちゃんが泣くとお母 さんは、走ってきます。お母さんは、自分の赤ちゃんがお腹を空かせていることが判ります。しかし、その赤ち ゃんは何もしていないのに、そのお母さんはどうやって判ったのでしょうか? 赤ちゃんの泣き方によって、お母さんは理解します。赤ちゃんが知っているのは、泣くことだけです。 赤ちゃんは、泣くことで彼の欲望を表します。お母さんは、その赤ちゃんの発声器官によってその行為を理解し ます。私達は、殆どの仕事をこの発声器官によって為しています。その為、私達の一番目の行為器官は、この発 声器官となります。それは、手ではなく発声器官が私達の一番の行為器官となります。朝から夜まで、私達の中 で最も活動的なのは誰でしょうか?それは、私達の手でしょうか?足でしょうか?若しくは、私達の発声器官で しょうか? 一番、行為をしているのは私達の発声器官です。この点は理解出来ましたか? これらが、この3つの行為器官までは解りましたか? そして、4 番目は生殖器官です。そして、5 番目は排泄器官です。これらが、私達の5つの行為器官となります。 ここまでは理解頂けたでしょうか?私は、皆さんに私が話すことを100%理解して頂きたいと願っています。ど うか、此処から出て行く時に、99%しか解らなかったということは無いようにして下さい。私が今まで話したこ とは、皆さん、お解りになりましたか?では、更に先に進みます。では、この微細な身体はどのようにして作ら れているのでしょうか?では、この微細な身体は一体どんな物質で作られているのでしょうか?私達の身体は、 五大元素によって作られています。この点については、もうここでも勉強しました。

この五大元素のことをパンチャ・マハーブータ(pañca mahābhūta / पञ्च महाभूत )と言います。パンチャ(pañca)とは5 つの、マハーブータ( mahābhūta / महाभूत )とは、大きな元素という意味です。科学者に依れば、このような元素と いうのは沢山あります。科学者達は、毎日新しい元素を見つけています。しかしこれ等すべての元素は、この五 大元素の中に入ります。この時点では、皆さんは五大元素については覚えていると思いますが。まだ、覚えてい ない方がいらっしゃったら教えて下さい。では、5つの五大元素の内、幾つ覚えていますか? >A:水、火、空気、後は空間?あと一個が…。 >先生:私達の身体は、何から作られていますか?それは、土の要素です。私達の身体を見れば、この五大元素 が解るでしょう。下から見るとすれば、まず一番下の元素は「土」です。「土」の上を流れているのは「水」で す。「水」の上にあるのが「火」です。そしてその更に上にあるのが、空気=「風」です。そして、一番上は虚 空=「空間」です。このように五大元素を下から上へと数えることも出来ます。しかし、これは初期の頃の覚え 方です。しかし、皆さんには暫く経ったら下から上ではなく、上から下の順番で覚えて頂きたいと思います。い つも、上を見て下さい。私達が上を見上げた時、そこに見えるのは広大な空です。この宇宙の中で、空間という のは最も大きな元素です。ですから、第一の元素は「土」ではなく、最も大きな元素は「空間」であると言って 下さい。何故私達は、土が第一の元素ではなく空間が第一番目の元素であるというのでしょうか?

>先生:智美さん、Try?What’s do you say spaces number one element. >智美さん:空が広いから。

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です。ではその空間とは、どれほど大きいのでしょうか? その中に、他の4つの元素を収めることが出来るほど大きな物です。では、この空間は一体どれくらい大きな物 ですか?この空間の中に、全ての惑星、恒星が収まっています。その中に、全ての空気と火も入っています。 その空間の中に、全ての水も入っています。この宇宙の中では、どれほど大きな惑星や恒星であっても、ホンの 小さなマスタードシードのような物です。これがこの空間が持っている可能性です。 一番の元素は空間となります。 そして、二番目が空気=「風」になります。そして、この空気というのは空間の下にあります。そして火は、そ の空気の中にあります。火は、一体何処で生じるのでしょうか?空気があるところでだけ、火は生じます。この 空気の存在がないところには、火も存在出来ません。この点は解りますか? その為に、海の中では火は生じません。それがここでの重要な点です。 そして、土の中でも火は生じません。それがここでの論点となります。 では、水は一体どこに存在しますか?火があるところにだけ、水は存在出来ます。しかし私達は、こう聞いても 信じることが出来ません。水が存在する為に、火が必要であるという事を信じられますか? 一体、皆さんの中で何人の人がそれを信じる事が出来ますか?ここで私達が語っているのは、科学です。では、 この水というのは一体どのように構成されていますか? H2O という原子記号で表されます。2つの水素と1つの酸素で水が作られます。この世界の中には、沢山の水素 と酸素があります。何故彼らは、自分たちで一緒になって水にならないのでしょうか?しかし、この水を作る為 には火という媒介物が必要です。空の上で雷が鳴る時、その時初めて雨が降ります。空の上に、どれだけ雲が流 れていてもそれだけでは雨は降りません。雨が降る為には、そこには火の元素が必要です。それがここでの重要 なポイントです。この火の元素から水の元素が生まれます。この点についてのヴェーダの科学については、また いつかゆっくり説明しましょう。そして、5 番目の要素が土の要素です。1番目の要素は空間です。2 番目が空 気です。3 番目は火です。4 番目は水です。5 番目は土です。ここまでは五大元素について解りましたか? 私達の粗大な身体というのは、この五大元素によって作られています。この点については前回詳しく勉強しまし た。そしてこの微細な身体というのは、この五大元素が粗大化する時に作られます。ちょっとここで難しくなり ます。この点を理解するのは、ちょっと難しいことです。どうか、今は聞いたことをそのまま書き留めて置いて 下さい。そして、この五大元素の粗大化がどのように行われるかについて、またいつか詳しく説明します。 この五大元素というのはその性質上、粗大な物です。そして、この五大元素が粗大化する前に5つの微細要素が あります。その微細要素をタンマートラ( tanmātra / तन्मात्र ) と言います。この科学的な成り立ちについて今は気 にしないで、今述べている言葉だけを理解していて下さい。皆さんの準備が整った時に、この粗大化については 説明しますので、どうかその時まで待っていて下さい。 どうかここでは、タンマートラ( tanmātra / तन्मात्र )微細要素という名前だけを覚えて置いて下さい。 私達の微細な身体は、このタンマートラ( tanmātra / तन्मात्र )から作られています。ここまでは理解頂けましたか? では、次の段階に進みます。それぞれの人々の微細な身体は違っています。その人の強さというのは、その人の

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微細な身体の強さのことです。それは粗大な身体の強さでなく、微細な身体が強いか弱いかということです。こ の地球上には840万種類の種が存在します。そして、これらの840万種というのは、それらの微細な身体に 応じて違っています。 その為にこれは犬である、これは猫であると差別化することが出来ます。これは虎である。これはライオンであ ると分けることが出来ます。それぞれの種は、それぞれの微細な身体に応じて変わってきます。そしてまた、私 達人間も一人一人それぞれが独特であるのは、微細な身体が違っているからです。 私達のこの人間という粗大な身体を得ることが出来たのは、私達の過去の人生に於ける良い行いのお蔭です。 同じように私達がこの人間の身体という微細な身体を得られたのは、私達が過去に行ったプンニャ・カルマ (puṇyakarma / पुण्यकमम )による物です。 カルマ( karma / कमम )は2種類あります。 それはプンニャ・カルマ(puṇyakarma / पुण्यकमम ) と パーパ・カルマ(pāpakarma/ पापकमम )です。 それは、良い行為と悪い行為です。ある人は、頭が良いです。そして、ある人は全く理解出来ません。彼は、勉 強会に来ても直ぐに寝てしまいます。しかし、もう一人は全てを理解出来ます。しかし、皆がここに来るのは、 理解したいからです。一体誰がここに眠る為にやって来る人がいるでしょうか?先生が沢山話すから寝てしまし ました。誰がここに寝る為に来る人はいるでしょうか?誰もがここに来るのは、間違いなく何かを勉強したいか らです。しかし、その人は寝てしまいました。何故その人は寝てしまったのでしょうか?何故なら、その人は全 く理解出来なかったからです。何故彼は理解出来なかったのでしょうか?その人の内的器官が弱かった為です。 その人の頭脳が成熟していなかったからです。アインシュタインは、素晴らしい頭脳を持っていますが、この愚 かな人は全く何も解りません。何故神は、アインシュタインとその愚かな人という差別をしたのでしょうか? そこで、差別をしたのは神ではありません。アインシュタインは、過去の人生に於いて良い行いを行った為です。 その為に、他の人より、より高度な微細な身体を得ました。そして、もう一方の愚かな人はこの良い頭脳を得る ほどの良い行いを行いませんでした。ここまでは解りましたか?私達は、私達の行為に応じた微細な身体を得ま す。ある人は素晴らしい微細な身体を得、そしてある人はとても弱い微細な身体を得ます。 それは、全ての人が為したプンニャ・カルマ(puṇyakarma / पुण्यकमम )かパーパ・カルマ(pāpakarma/ पापकमम )による 物です。ここまでは皆さん理解頂けましたか?何か解らなかった時には、どうか黙っていないで、ご質問くださ い。 何度も言っていますが、インド哲学は宗教の授業ではありません。いつも「ハイそうです。」というべきではあ りません。ここでは、皆さんの同意よりも異議の方が、より受け入れられます。この点は理解頂けたでしょうか? どうか、理解出来なかった時、若しくは、それには同意出来ないという時には、どうか反対意見を述べて下さい。 しかし、宗教の授業に於いてはこのように反論することは出来ません。そうですね。と同意するしかありません。 しかし、哲学の授業に於いては、人々は全てに賛成しなくてならないという事ではありません。この哲学という のは、より崇高な学問です。科学でも到達出来ないところに、哲学は到達出来ます。では、皆さんが理解頂けた なら、次の段階に進みますが、何故私達は、微細な身体を得たのでしょう?私達がこの微細な身体を持つ必要性 とは何でしょうか?それは、私達が人生の喜びや苦しみを経験する為です。この人生を経験するのは粗大な身体 ではありません。微細な身体です。これがここでのとても大切な点です。 誰かがやって来て、あなたの背中を叩いたなら、痛いと思うでしょう。あなたの事を誰かが後ろから打ちました。 その時に痛いと振り返るでしょう。しかし、後ろを振り返ったあなたは、そこに親友を見ました。その時、あな

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たは何と言いますか?あなたは、その時急に幸せな気持ちになるでしょう。笑って、友達を抱きしめるでしょう。 ここで大切な点は、誰かに後ろから打たれた時には、痛みを感じます。しかし、あなたを叩いたのが友達だと気 付いたのなら、あなたは忽ち幸せな気持ちになります。一体どこに、その痛みは消えたのでしょう?岩田さん、 解りますか? >岩田さん:そういう気持ちになるであろうことは、そう思います。ですけれども、何故かは解りません。 >先生:誰かがあなたの事を打ったのなら、私達は間違いなく痛みを感じます。しかし、打ったのがあなたの親 友だと判った時に、痛みが消えました。あなたは急に笑って、そしてとても幸せな気持ちになります。 ということは、つまりこの痛みや喜びを感じるのは、私達の微細な身体であるということです。あなたの敵があ なたに触っただけで、あなたはとても痛みを感じます。しかし、あなたの友達があなたを打ったのであれば、あ なたはとても幸せな気持ちになります。ということは、私達の微細な身体が、喜びや苦しみを感じているという 事です。この世界に於ける全ての経験は、微細な身体によって感じられています。それを喜びと苦しみと決める のは、粗大な身体ではなく、微細な身体です。これがまず、第一点です。 >Q:何故、粗大な身体じゃなくて、微細な身体の方になるのですか? >先生:一つは肉体的な痛み、肉体的な喜びがあります。友達があなたを打った時、私達の身体は間違いなく痛 みを感じます。しかし、打ったのが友達であったと判った時、私達の心は、とてもうれしく感じます。その時に、 この肉体的な痛みは忽ち、消えてしまいます。何故なら、心の中の喜びの方が肉体的な痛みよりも大きくなるか らです。お医者さんがあなたに注射を打ちました。勿論、それは痛いです。しかし、心の中では喜んでいます。 お医者さんに感謝します。そして、お医者さんにお金も払います。何故なら心の中では喜んでいるからです。 この注射を打ってもらう事で、私の病気が治るからと考えるからです。私達は、肉体的な痛みを得ながらも、精 神的には幸せを得ています。それが微細な身体の幸福です。これで解りましたか? >Q:それでは先生、粗大な身体だけを感じる時というのは、どういう時なのですか? >先生:この肉体的な幸せというのは、微細な身体が無い時に起こります。私達が夜眠っている時、私達はとて も幸せです。一日の内で一番幸せな時間は何時でしょうか? 一日の内で最も長く続く幸せな時間は、何時でしょうか?それは、私達が眠っている時です。例えば、一日に一 億円をあげますが、寝てはいけませんと言ったら、どうでしょう?一日に一億円あげますが、決して寝てはいけ ません。一日、二日、三日目くらいまでは頑張るかも知れません。しかし、それ以降に至っては一億円なんか要 らないから、眠らせて欲しいというでしょう。私達は眠ることで、最高の快適さを得ます。その時には、微細な 身体がありません。この点については、また詳しく意識の3つの状態を勉強する時に、また勉強します。この意 識の3つの状態については、また後半の時期に勉強します。この意識の状態というのは、起きている覚醒状態、 夢を見ている状態、そして熟睡している状態の3つです。この24 時間の内に、私達はこの意識の3つの状態を 持っています。この意識の3つの状態については、またいつか詳しく勉強します。 私の中で、この微細な身体は何をしていますか?微細な身体と粗大な身体の関係とは何でしょうか? >先生:中垣さん、粗大な身体と微細な身体の関係とは何でしょう? >中垣さん:粗大な身体と微細な身体の関係は…。 >先生:any way? >中垣さん:粗大な身体が微細な身体を作ると、先ほど仰いましたよね?それとは、違うのですか? >先生:微細な身体が粗大な身体を作っているのではありません。微細な身体と粗大な身体を作っているのは、 原因の身体です。それが、ここでの重要な点です。ここで大切な点は、原因の身体が微細な身体と粗大な身体を

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作っているということです。その為、それは「原因の」と言います。それは、他の2つの身体の原因です。今の ここでの質問というのは、微細な身体と粗大な身体の関係とは何ですか?ということです。 >先生:上里さん、解りますか? >上里さん:ハイ、微細な身体が粗大な身体を動かしているのではないでしょうか? >先生:ここで、大変重要な点は微細な身体が粗大な身体を動かしているということです。これが、ここでの主 要な点です。 今、書いているのは誰ですか?私の手が書いていますよ。というでしょう。しかし、本当に書いているのは、あ なたの手でしょうか?一体、誰が書いているのでしょうか?この私の頭脳もまた、微細な身体に属しているモノ ですが、微細な身体が手に命じて書かせています。この手自体は、タマスの性質です。手は、それ自体では何も 書きたいと思いません。書くのは面倒臭いというでしょう。では、何故私達は書くのでしょうか?それは、私の 微細な身体に命じられたからです。それは微細な身体の命令による物です。私達は毎朝、目覚めます。私達の粗 大な身体が起きたいと思うでしょうか?もう一時間寝ていたいと思います。粗大な身体は、ベッドの中にいて幸 せだと言います。寒いから、布団の外には出て行きたくない。暑いから、外には行きたくない。このような事を 粗大な身体は言います。しかし、微細な身体は「いいえ、外ヘは行かなくてはならない」と言います。その為、 早朝、私達は微細な身体と粗大な身体の間で戦いが生じます。毎朝、このような戦いが生じます。 ラジャス( rajas / रजस ् )な人々、精力に溢れた人々は朝早く起きて仕事に出掛けます。 しかし、タマス( tamas / तमस ् )な人々は9時まで寝ています。外には行きたくないから。それがここでの違いで す。毎朝、粗大な身体と微細な身体との間で戦いが起こります。私達の粗大な身体を動かしているのは、微細な 身体です。ここまでは解りましたか? 誰がそちらを見ていますか? 私の目が見ています。 見ているのは目ではありません、微細な身体が目を通じて見ています。何故なら、私が見たいという物を見るか らです。 誰が聞いていますか? 耳が聞いているのではありません、微細な身体が耳を通じて聞いているのです。 今ここで、聖典の知識「サットサンガ(satsaṅga / सत्सङ्ग )」が行われていて、その音があります。 そしてまた、その後ろから音楽が聞こえて来ました。その時、皆さんの耳は音楽の方へと向かいます。何故なら、 微細な身体は、音楽を聴きたいと思うからです。粗大な身体を動かしているのは、微細な身体です。 この点は解りましたか? では、一体誰が粗大な身体を生かしているのでしょうか? 私は生きています。一体誰がこの粗大な身体を生かしているのでしょうか? それも、微細な身体です。この点は解りましたか? 一体いつ、人は死を宣告されるのでしょうか?医者は、もうその人は死にましたと宣言しました。医者は何時、

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その人が死んだと宣言するのでしょう? 粗大な身体と微細な身体が分かれた時です。微細な身体が粗大な身体から出て行く時です。それを死と呼びます。 この点は解りましたか? 微細な身体が粗大な身体から出て行く時、その人は死んだと宣言されます。目はそこにありますが、もう何も見 る事は出来ません。その眼は大きく見開かれていますけれども、もう何も見る事は出来ません。耳はあっても、 その人はもう何も聞くことは出来ません。鼻があっても何の匂いも嗅げません。心臓は持っていても、その心臓 はもう機能しません。血液も中には有りますが、もう循環することはありません。その身体の中には、食べ物も 入っていますが、もう消化されることもありません。何故なら、その粗大な身体から微細な身体が離れたからで す。それを死と呼びます。ここまでは理解頂けましたか?どうか解らない時は、恥ずかしいと思わないで何でも 質問して下さい。 >Q:その時、微細な身体というのは、よく魂というか、身体と別れて…魂=微細な身体ということなのですか? >先生:当座の間だけ、それを魂と呼んでも良いでしょう。しかし、魂とは何か?魂は何と共に行くか?こうし た事については、更に深く勉強して行きます。ヴェーダの科学というのは、とても深い物です。とても深くて、 想像することも出来ない程の物です。とても奥深い物なので、他の言語に翻訳することが困難な物です。勿論、 頑張って英語や他の言語に翻訳することを試みていますが、しかしそれでも言葉を換えるということは難しいこ とです。日本や中国の学者達は、このヴェーダの知識を頑張って、漢字に変えました。達磨がインドから中国に 渡って、このヴェーダの知識を広めようとした時、様々な日本人や中国人の学者達が様々あるヴェーダの知識を 翻訳しようと頑張りました。その為に漢字の象形文字は、表意文字へと変わりました。何故なら、その象形文字 の中に概念が入った為です。 ちょっと話が難しくなりましたけれども、それほどヴェーダの主題は難しいということです。日本語や中国語に は漢字があります。そもそも、この文字は象形文字、絵で表される文字でした。その漢字は元々、絵によって表 されていた物です。その象形文字というのは、その形や絵によってその文字が表されるからです。例えば、この 人という漢字ですけども、その時には人の絵で表します。川という文字は、川を絵に描いて形象した物です。こ のように日本と中国の漢字には象形文字がありました。 しかしアートマーという時、アートマーや魂の絵や形は有りません。魂の絵という物が存在しませんので、それ を表す漢字もありません。その為に象形文字では表せない物を表意文字として意味を表す漢字が作られました。 その絵の中に概念が盛り込まれた物が漢字です。このように中国と日本の歴史の中で、このように漢字の中には 発展が見られます。そしてまた、私自身この漢字については博識を持っておりません。ですから、皆さんに漢字 を通じてこれ等の概念を教える自信もありません。しかし数年後、頑張って皆さんに漢字で教えられるようにな りたいと思っています。そのお手伝いをして下さっているのが、柳沢さんです。 どうか、その時まではサンスクリット語で理解して行って下さい。 このように微細な身体のことをスークシュマ・シャリーラ( sūkṣmaśarīra / सूक्ष्मशरीर )と言います。 そして、この微細な身体というのは魂やアートマーとは別の物です。アートマー又は、魂については何時かもっ と詳しく勉強しますので、その時までお待ちください。 >Q:2つ質問があるのですけども、手が タマス(tamas / तमस ् )な性質であるということなのですが、それは粗

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大な身体自体がタマス(tamas / तमस ् )な性質であるからという事と、朝起きる時に微細な身体と粗大な身体の鬩ぎ 合いみたいなモノがあるということなのですけど、起きたくないというのは心の属性がタマス(tamas / तमस ् )に覆 われているから、そうなるのかな?と思ったのですけど、そうではないのですか? >先生:朝、この粗大な身体というのは外に出たがりません。私達の粗大な身体はタマス(tamas / तमस ् )な要素に よって作られています。3つの要素について勉強した時のことを覚えていますか?この世界にある全てのモノは、 3つの性質からなっています。 1 つはサットヴァ( sattva / सत्त्व ) 純粋な性質、2つ目はラジャス( rajas / रजस ् )激的な性質。 そして3つ目はタマス(tamas / तमस ् )鈍質または暗質です。どうかこれ等の3つの言葉はサンスクリット語で覚え て下さい。この3つについては、他の言語ではなくサンスクリット語で覚えて下さい。 サットヴァ( sattva / सत्त्व ) ラジャス ( rajas / रजस ् ) タマス (tamas / तमस ् ) というのは、世界の他のどの言語にも無い言葉です。ですから、どうかそのままサンスクリット語で覚えて下さ い。 タマス(tamas / तमस ् )というのは、何時も横になっていたいと思う性質です。全く起きたがらないモノです。何時 も常に寝そべっていたいモノです。それをタマス(tamas / तमस ् )と言います。石はとても重いです。何故なら石は、 全く起き上がりたくないからです。何故なら石は100%タマス(tamas / तमस ् )だからです。 私はその石を持ち上げたいと思います。それには、とても苦痛が伴います。100%タマス(tamas / तमस ् )な物を動 かすには、とても苦痛を伴います。タマス(tamas / तमस ् )とは「重たさ」です。タマス(tamas / तमस ् )というのは、 動かない物です。そしてそれは、この世界に於いて“どんな努力もしたがらない物”です。 その為にタマス(tamas / तमस ् )の性質を持っている人は、長い間寝ていたいと思っています。 これはとても重要な点です。 私は長い時間寝ていたい。私はタマス(tamas / तमस ् )な性質を沢山持っているから。

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そして、2番目はラジャス( rajas / रजस ् )です。 ラジャス( rajas / रजस ् )というのは、活動的であることです。活動的であるということは、何時も行為に勤しんで いたいということです。そして、ラジャス( rajas / रजस ् )な人々は寝たがりません。人生とは何かをする事である と言います。寝る為のモノではないと。そしてラジャス( rajas / रजस ् )な人々というのは、中々寝付くことが出来 ません。寝る為に、お酒を必要としたりします。そして寝る為に、睡眠薬を必要とします。お医者さんのところ へ行って、眠れないから睡眠薬を下さいと言います。彼らは何時もラジャス( rajas / रजस ् )な性質によって支配さ れています。そしてまた、サットヴァ( sattva / सत्त्व )な人々がいます。 サットヴァ( sattva / सत्त्व )というのは、非常に頭が良い人です。より考えたいという人です。 この世界についてもっと勉強したいという人です。そして彼らは、働きたくもないという人です。 しかし、彼らは何時も何かについて考え続けたい人です。常に頭脳を使いたいという人です。 これらのような人々をサットヴァ( sattva / सत्त्व )な人といいます。粗大な身体というのは物質から出来ています。 そしてこの物質というのはタマス(tamas / तमस ् )なモノです。その為に、粗大な身体は長い時間寝ていたいと思い ます。いつも食べたいと望んでいます。いつも飲みたいと思っています。常に食べて、飲んで、寝ていたいと思 います。ですから、これをタマス(tamas / तमस ् )な身体といいます。 ラーマーヤナという本の中で、クンバカルナという登場人物がいます。クンバカルナという人のところを読んで 頂ければ、タマス(tamas / तमस ् )な性質な人というのが、どんな人であるかということが解るでしょう。どうか、 ラーマーヤナの中で、クンバカルナのところを読んでみてください。何時も寝ていたい人です。そして、お腹が 空いた時だけ起き上がります。彼が目を覚ますのは、食べたり飲んだりする時だけです。彼に取って食べる事、 飲む事、眠る事以外の仕事はありません。それがクンバカルナという人です。そしてこのクンバカルナが寝てい る時に、彼のお兄さんであるラーヴァナがクンバカルナのことを起こそうとします。そして、彼を起こす為に一 体どれ程の努力をするのかというのは、読んでいてとても面白いモノです。大きな太鼓を耳の傍で、打ち鳴らし ます。それでも起きません。一生懸命色々な事を頑張りますが、クンバカルナは全く起き上がりません。とても 面白い登場人物ですので、どうかラーマーヤナのクンバカルナのところを読んでみてください。 >Q:粗大な身体が寝ていたいと思うのは、心の属性がタマス(tamas / तमस ् )に覆われているからかな?と思った のですが、今の説明で何となく解ったので大丈夫です。 >先生:今日の主題は「微細な身体」です。そしてこの微細な身体は粗大な身体を動かし続けています。 粗大な身体が生きていられるのは、微細な身体があるからです。5つのプラーナ(prāṇa / प्राण ) 生理機能がこの粗

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大な身体を生かしています。ここでは、3つの側面があります。1つはプラーナ(prāṇa / प्राण )生理機能、そして 1つは知覚器官、そしてもう1つは行為器官です。これ等の3つの器官が私達の粗大な身体の中で、3種類の機 能を果たします。生理機能のお陰で、私達の身体は生きています。私達の行為器官のお陰で、粗大な身体は常に 活動的です。そして、様々な知覚が生じるのは、私達の感覚器官によるものです。このように、私達の粗大な身 体の中では、この3種類の事が起こります。この3つの点は理解頂けたでしょうか?私達には、5つの感覚器官 或いは、知覚器官があります。私達の中で、この5つの感覚器官の仕事とは何でしょうか?それらは、私達に様々 な情報を持ってきます。この5つの感覚器官は、私達の頭脳に様々な種類の情報を運んで来るのに従事していま す。目は、私は今日、とても美しい物を見たと言います。そして耳は今日、新しい主題を聞いたよと言います。 そして鼻は、私は今日何か新しい別のモノを嗅ぎましたと。そして肌は、今日は暑かった。寒かった。とこのよ うな情報を伝えます。そして舌は今日、様々な新しい味覚を味わいましたといいます。感覚器官は、私達に様々 な新しい情報や知識をもたらします。そして、5つの行為器官は粗大な身体を忙しく活動させます。私達が目を 覚ますと、忙しく働きます。皆さんは今、起きていらっしゃいますか?皆さんは今、起きていますか?という質 問に対して、皆さんは「どのように起きているか」ということを述べますか?大熊さん、あなたは起きています か? >大熊さん:起きています。 >先生:では、私はどうやってあなたが起きていることを知る事が出来ますか? >大熊さん:今、耳で先生の話を聞いているし、目でこの景色を見ているし、それを感じているから。 >先生:私は、あなたの言葉を耳で聞いています。私は、ここにある全てを見ています。寝ていたならば、こう したことを経験出来ません。寝ていたら、私は何も聞くことが出来ません。私は、話しています。私は、書いて います。私の感覚器官は今、機能しています。ですから、私は起きています。ということは、私の微細な身体は 寝ていないで、活動的であるということです。この点は解りましたか? 私達が眠っている時、それは私達の感覚器官が眠っている時です。そして、私達は何時死ぬのでしょうか?一体、 私達は何時死を宣告されるのでしょう?私達の5つの生理機能がもう機能しなくなった時です。 私達の5つの知覚器官が働いていない時、私達は寝ています。そして、私達の生理機能が働かない時、私達は死 を宣告されます。ここまでは、解りましたか? この世界の中には、840万種類の生き物がいます。これら、それぞれの生き物が違っているのは、その微細な 身体が異なっているからです。 では、次の段階に進みますが、一体どのように私達の感覚器官は作られているのでしょうか? 一体どんな物質から、私達の感覚器官は作られているのでしょうか? では、耳から始めたいと思います。 一体、私達の耳は何から作られているのでしょう? これは、ヴェーダの偉大な科学ですので、どうか良く書き留めて下さい。後になって良く理解出来るようになる でしょう。時に、ここで話されていることが理解出来ないことがあるでしょう。何故なら、皆さんの理解力には まだ、限りがあるからです。どうか、それらの言葉を書き留めて、その言葉を瞑想して下さい。それでも解らな ければ、どうかご質問下さい。しかし、最初にしなくてはならないのは、その言葉を書き留めることです。 私達の耳は、空間の要素から出来ています。空間の事をサンスクリット語でアーカーシャ( ākāśa / आकाश )と言い

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ます。このアーカーシャ( ākāśa / आकाश ) 空間から私達の耳は出来ています。一体どんな科学の事を仰っている のでしょうか?そんなことは、私達は科学の本で一度も学んだことはありません。こんな科学のことは、私達は 一度も聞いたことはありません。では、このアーカーシャ( ākāśa / आकाश )空間とは何を表しているのでしょう か?この空間の中には「音」があります。空間が全くないところに、音は生まれません。音は、空間があって初 めて可能です。人々は時に、それは空気ではないか?と勘違いしますけれども、それは空気が音を伝達する物だ からです。この「音」は空間によって作られます。これは大変重要な点ですけれども、人々は良く誤解します。 この空気の役割というのは、「音」を伝達することです。しかし、「音」というのは、空間があって初めて可能と なるモノです。その為に、大きな鉄の球を叩いても音は出ません。その鉄の球の中には空間が無いからです。 しかし、大太鼓を叩いたならば、大きな音が出ます。太鼓が大きければ大きいほど、大きな音が出ます。何故な ら、その太鼓には大きな空間があるからです。 ですから、空間とは音を意味します。そして、私達のここ耳は、この音を聴くために作られたモノです。 そして私達の肌、私達の触覚というのは、空気から作られています。これがここでの大切な点です。 この空気の要素から、私達の肌は作られています。この風のことをサンスクリット語でヴァーユ( vāyu / वायु )と 言います。そして、そのヴァーユ( vāyu / वायु )から私達の肌は作られています。 3番目に、火から私達の目が作られています。私達の目は、この火の要素から作られています。 火の事をアグニ(agni / अस्रि )と言います。 どうか、この科学を理解しながら、サンスクリット語も学んで行ってください。 火の事をアグニ(agni / अस्रि )と言います。この火の神様の事を日本では火天といいます。そして、風の神を日本で は風天と呼んでいます。では、空間の神様、虚空の神様を何と言っているか、ご存知ですか? この空間の神様、虚空の神様を知ってらっしゃる方はいますか? >柳沢さん:梵天? >先生:あ~違いますね。美加さん、覚えていますか? >美加さん:・・・。 >先生:上里さん、覚えていますか? >上里さん:虚空蔵菩薩。 >先生:虚空蔵菩薩と言います。日本の多くのお寺で、この虚空蔵菩薩が奉ってありますけれども、サンスクリ ット語ではこれをアーカーシャ・ガルバ( ākāśagarbha / आकाशगभम )と言います。 これは、空間の神です。その空間から、私達の目が作られています。光がなければ、私達は何も見ることが出来ませ ん。私達の目は、光がある時だけ機能します。今、ここでは光がある為、私達は何でも出来ます。しかし、光がなく なったのならば私達の目は、もう働きません。そして、私達の「舌」は、水の要素から作られています。 水をジャラ(jala / जल )と言います。

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または、アーパ(āpa / आप )と言います。日本では、水の神を「水天」と言います。そして、この水の要素から私達の 「舌」は作られています。私達の身体の全ての部分で、舌だけがいつも濡れています。私達の身体の中で、たった一 つの部分「舌」だけが常に濡れています。それは、私達が生まれてから死ぬ時までです。舌が乾いたのなら、その人 は死んだと言われます。その死体を見て、その人の舌が乾いているならば、その人は死んでいると言われます。その 為に、舌が乾いて来ると私達は、喉の渇きを覚えます。喉が渇いたという時、それは私達の舌が乾いてきたという事 です。それがここでの大切な点です。そして、舌は水の要素で作られています。私達の鼻は、土の要素で作られてい ます。 サンスクリット語でプルッティヴィー( pṛthvī / पृथ्वी )と言います。この土の要素プルッティヴィー( pṛthvī / पृथ्वी )から私 達の鼻は作られています。では、匂いというのは何処にあるのでしょうか?土の要素があって、初めてそこには匂い があります。他の4つの元素の中には匂いはありません。土の要素の中にだけ匂いがあります。空間の中には匂いは ありません。空気の中にも匂いはありません。火の中にも匂いは有りません。そして、水の中にも匂いは有りません。 その水が臭うというのなら、その水は汚れた水であるということです。そして、その水が汚れているということは、 つまり土の要素がその水の中に入っていることを示します。そして、この更に詳しいことは次回の勉強会で勉強しま すので、今日皆さんが書き留めたことをどうか良く瞑想して、そして沢山の質問としてまた次回お会いしたいと思い ます。今日勉強したことで、何か質問はありませんか? >Q:えっと、さっきの音のところなのですけど、音は空間があって初めて可能だということですが、空気は音を伝 達するけれど、空間は…え~っと、ちょっと解らなくなってしまいました。空気があるから音が伝わるのでは…。 >先生:今、質問を頂きましたので、この点について今ここで詳しく説明させて頂きます。 空間があるところで音が生じます。先ほども言いましたが、第一の要素は空間です。そして、この空間から空気が生 まれます。ここでは、空間がお父さんで子供が空気です。そしてこの空気には、自分の持ち物として「感触」を持っ ています。そしてまた、空気はお父さんの財産、持ち物でもある「音」を持っています。そしてこの空気から火が生 まれます。火は、自分の持ち物として“色”と“形”を持っています。そしてまた火は、お父さんの持ち物である「感 触」も持っています。そしてまた、お祖父さんの持ち物でもある「音」も持っています。そしてその火から、水が生 まれます。そして水は、自らの持ち物である味覚を持っています。そしてその水は、曾御祖父さん、御祖父さん、御 父さんの持ち物を持っています。ということは、つまり水というのは「音」「感触」「色と形」「味」という4つの物を 持っているという事です。水が流れている時、音があります。水に触ることが出来ます。水を見る事も出来ます。そ して水を味わうことも出来ます。そして、その水から土が生まれます。 そして「土」独自の持ち物は匂いです。そしてこの「土」は、その他の要素が持っていた他の4つ全てを持っていま す。土は、匂いが嗅げます。味わうことも出来ます。見る事も出来ます。触ることも出来ます。そして、音もありま す。2つの土を合わせたのなら、音が出るでしょう。このように「土」には“5つの持ち物”があります。この点は 解りましたか?このように、それぞれの元素は「お父さん」「御祖父さん」「曾御祖父さん」「曾曾御祖父さん」の持ち 物を持っています。空気というのは空間が持っている持ち物まで持っています。この点について、解らないことは次 回の授業でも続けさせて頂きます。 今日は、ありがとうございました。

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