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産業情報論集 Vol.10(No.1)September 2013 PP.73-85
Journal of Industry and Information Science
八重山地方の古謡の継承についての一考察
Consideration of the succession for old folk songs of Yaeyama area
又 吉 光 邦
Mitsukuni MATAYOSHI
【要旨】
本論文は、沖縄の伝統文化として残る古謡、特に八重山地方の古典民謡を含む古謡の正し い継承のための施策を早急に取り組まなければならない事態であることの調査報告をする。
具体的には、琉球古典音楽の伊差川世瑞(野村流) 、金武良仁(安冨祖流) 、そして現代の野 村流の教本を比較検討から継承の難しさを具体的に示し、さらに第二次世界大戦以前に SP レ コードに吹き込まれた八重山古典民謡の“とぅばらーま”を例に、現在の歌われている古謡 の歌い方の相違を論述する。最後に、八重山地方の古謡の継承についての一考察を述べる。
【Abstract】
This paper is a research paper of measures and policies for correct succession of Okinawa old folk songs including classic folk songs of Yaeyama district.
Comparative studies with a passage Nomura school textbook are given in this paper, that is ISAGAWA Seizui, KIN Ryoujin, they are very famous person in the Ryukyu classic music world, and a singer of modern Nomura school are compared. And difficulty of the succession of old song and classical music with Sanshin, which called “Uta-Sanshin”
in Okinawa area, are shown.
In addition to that, this paper has arguments about the differences of how to sing
“Twobara-ma”, which is the best-loved classic folk song of Yaeyama, using a recorded song by famous singers in standard play record (78 rpm disc) in 1926 and current songs in 2014 “Twobara-ma” contest. As a result, the consideration of the difficulty of the succession for the old folk songs of Yaeyama district is described.
【目次】
1.はじめに 2.研究の起点 3.採録とデジタル化
4.琉球古典音楽と八重山古典民謡におけ る三線
5.琉球古典音楽継承の難しさ~暁(あか ちぃち)節~
5. 1 歌三線
5. 2 歌三線の演奏時間
5. 3 ビブラートと節(ふし)
5. 4 歌い方
5. 5 古典音楽の継承について 6.八重山古典民謡継承の難しさ 7.八重山古典民謡の継承について 8.まとめと課題
謝辞
参考文献
1.はじめに
沖縄県は、 1879 年の琉球処分以前まで、
琉球王国として東南アジアの端に存在し、一 国を築き、気候風土共に違う日本と異質の文 化を形成してきた。現在では、その異なる琉 球王国時代の文化を一つの観光資源として いる。言い換えれば、その文化の違いが、今 に生きる人々の生活の糧を与え、経済的な貢 献を与えているといえよう。
1879 年の琉球処分以降の約 130 年前から 日本教育が施行されてきたため、かつては 王国であった沖縄県では、琉球芸能を嗜ん だ人々や、琉球芸能関係者以外の実に多く の沖縄の人々の日常生活から、琉球王国時 代の文化の香りが消失しつつある。特に“島 言葉(しまくとぅば )”と古老が語る琉球 方言と称される言語は、70 代前半~ 60 代の 方々あたりから、満足に喋ることができな くなっている現状にある。これは方言札(図 1参照)と呼ばれるものが学校教育現場で 用いられ、方言の駆逐が強力に推し進めら れた結果でもある。また、 本土化が進む中で、
親たちが自らの子供達に標準語を習得する ことを望んだ結果とも言える。方言札は、
明治 40 年(1907)ころから昭和 35 年(1950)
頃まで用いられた。
昨今、方言が見直されており、そのため 方言を取り戻すための施策がいくつかある ものの、方言の多様性とも言える地域ごと の違いなどがあり、効果的に方言(地域毎 のしまくとぅば)を取り戻すことの困難さ が指摘されている。
言語は変化するものであることは、若者 言葉や流行言葉などを通して日々感じるこ とでもあるが、できるだけ元の状態に落ち 着かせることが、文化資産として、あるい は文化資源として有用であることに変わり はない。しかしながら、ここ沖縄地方では、
各地の方言の違いとともに、それぞれの地 域において方言を満足に喋れる年配の方々 が少なくなっている現状があり、早急に地 域の草の根運動や行政による継承のための さらなる施策がなされなければいけない状 況となっている。
本研究では、琉球古典音楽と琉球方言の 古謡、また八重山地方の古謡に焦点を当て、
その継承の問題点のいつくかを明らかにす ることを目的としている。
2.研究の起点
本研究の起点は、石垣市立八重山博物館収 蔵の沖縄の古謡などを録音した蓄音機で再 生するタイプの SP レコード ( 78 rpm disc ) のデジタル音源化作業にある。もう少し詳し く述べれば、このデジタル化作業を遂行する 過程で、琉球古典音楽や古謡の歌い方の変化 に遭遇したことが、研究の起点である。
その歌い方の変化の原因には、音楽教育 そのものの変化だけではなく、教育から来 る無意識の変化もあると推察される ( 第 6 節- ( 1 ) , ( 2 ) 参照 )。これらの変化の結果は、
古謡や民謡を聞き比べと理解できるが、そ れらを紙面上で表現するのは難しい。本論 文では、文章と図示でその相違の一部を記 述できればと考えている。
1.はじめに
沖縄県は、1879年の琉球処分以前まで、
琉球王国として東南アジアの端に存在し、
一国を築いていた。そのため気候風土共 に違う日本と異質の文化を形成してきた。
現在では、その異なる琉球王国時代の文 化を一つの観光資源としている。言い換 えれば、その文化の違いが、今に生きる 人々の生活の糧を与え、経済的な貢献を 与えているといえよう。
1879年の琉球処分以降の約130年前か ら日本教育が施行されてきたため、かつ ては王国であった沖縄県では、琉球芸能 を嗜んだ人々や、琉球芸能関係者以外の 実に多くの沖縄の人々の日常生活から、
琉球王国時代の文化の香りが消失しつつ ある。特に”島言葉(しまくとぅば)”と 古老が語る琉球方言と称される言語は、
70代前半~60代の方々あたりから、満足 に喋ることができなくなっている現状に ある。これは方言札(図1参照)と呼ば れるものが学校教育現場で用いられ、方 言の駆逐化が強力に推し進められた結果 でもある。これは、本土化か進む中で、
親たちが自らの子供達に標準語を習得す ることを望んだ結果とも言える。方言札 は、明治40年(1907)ころから昭和35年
(1950)頃まで用いられた。
図1 竹富小学校で使用されていた方言 札(喜宝院収蔵)
昨今、方言が見直されており、そのた め方言を取り戻すための施策がいくつか あるものの、方言の多様性とも言える地 域ごとの違いなどがあり、効果的に方言
(地域のしまくとぅば)を取り戻すこと の困難さが指摘されている。
言語は変化するものであることは、若 者言葉や流行言葉などを通して日々感じ ることでもあるが、できるだけ元の状態 に落ち着かせることが、文化資産として、
あるいは文化資源として有用であること に変わりはない。しかしながら、ここ沖 縄地方では、各地の方言の違いとともに、
それぞれの地域において方言を満足に喋 れる年配の方々が少なくなっている現状 があり、早急に地域の草の根運動や行政 による継承のためのさらなる施策がなさ れなければいけない状況である。
本研究では、琉球古典音楽と琉球方言 の古謡、主に八重山地方の古謡に焦点を 当て、その継承の問題点のいつくかを明 らかにすることを目的としている。
2.研究の起点
本研究の起点は、石垣市立八重山博物 館収蔵の沖縄の古謡などを録音した蓄音 機で再生するタイプのSPレコード (78 rpm disc)のデジタル音源化作業にある。
もう少し詳しく述べれば、このデジタル 化作業を遂行する過程で、琉球古典音楽 や古謡の歌い方の変化に出会ったことが、
研究の起点である。
その歌い方の変化の原因には、音楽教 育そのものの変化だけではなく、教育か ら来る無意識の変化もあると推察される (第6節-(1),(2)参照)。これらの変化の 結果は、古謡や民謡を聞き比べと理解で きるが、それらを紙面上で表現するのは 難しい。本論文では、文章と図示でその 相違の一部を記述できればと考えている。
3.採録とデジタル化
再現性を保証するため、ここではSPレ 図1 竹富小学校で使用されていた
方言札(喜宝院収蔵)
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3.採録とデジタル化
再現性を保証するため、ここでは SP レ コード ( 78 rpm disc ) から音声を取り出し、
デジタル化するために用いた機器について 次に示す。
(1)LT-2XRC Laser turntable System (株式会社エルプ) (文献[ 9 ]) (2)マルチオーディオプレイヤー
MA17CD ( 株式会社マツムラ ) (1)は、レーザーターンテーブルと呼 ばれ、物理的な「針」を使わずにレコード の溝をレーザー光線の反射で読み取って、
音を再現するレコードプレーヤである。た だ、レーザータンーンテーブルはレコード の湾曲に弱く、湾曲したレコードからの採 録は、 (2)の従来の物理針によるレコー ドプレーヤを用いた。SP レコードから音 声データの採録後は、パソコンへ取り込ん でノイズの低減化(文献[ 1 ]を参照)を行っ た。また、本論文において比較に必要ない くつかの古謡は、文献 [8] から取得した。
4.琉球古典音楽と八重山古典民謡に おける三線
本研究で検討する古謡は、琉球古典音楽 と八重山古典民謡である。琉球古典音楽と は、琉球王国時代に宮廷音楽として演奏さ れていた音楽の総称で、主に王国時代の士 族の間で奨励された。現在、広く一般的に は、野村流や安冨祖流を中心に継承されて いる三線
1での弾き語りが知られている。
三線を用いた弾き語りは、沖縄で一般的に
“歌三線”と愛称され、その人口は多い。
ここで、宮廷音楽以外の三線での弾き語 りのことを民謡、あるいは沖縄民謡と言っ て区別する場合が多い。民謡は、現在でも 盛んに新作が作られ歌われているが、琉球
古典音楽の楽曲に 変化はない。
一方、八重山古 典民謡あるいは八 重山地方の古謡と は、沖縄本島の南 西に位置する石垣 島を中心にした八 重山群島にある民 謡で、日常生活の 場において、本来 は三線を用いずに 無伴奏で歌われる
スタイルのものを指し、ユンタ、ジラバ、
アヨー、ユングトゥなどのことを言う。八 重山地方では、それらアカペラで歌われる 古謡と区別して、三線を用いるものを節歌 といい区別している。
八重山地方の節歌は、八重山群島が首里 王府に統治されていた頃に三線が持ち込ま れ、古来伝承されていた民謡を三線の伴奏 で歌うようになったものとされている。明 治十七年に喜舎場英整によって「八重山歌 工工四」( 1884 年編)が採譜・編纂された が、近世になって幸地亀千代
2や大濱安伴
3によって声楽譜付きの工工四が作られ、現 在それらが広く普及している
4。
ここで工工四とは三線の楽譜(図2参照) で、声楽譜付きの工工四とは、歌三線での 歌の音程や歌い方なども記された工工四 (図5参照)を指す。
1沖縄では三線、三味線などの名前があった。現在では 三線 ( サンシン ) に統一されている。
コード(78 rpm disc)から音声を取り出し、
デジタル化するために用いた機器につい て次に示す。
(1)LT-2XRC Laser turntable System (株式会社エルプ)(文献[9]) (2)マルチオーディオプレイヤー MA17CD (株式会社マツムラ) (1)は、レーザーターンテーブルと 呼ばれ、物理的な「針」を使わずにレコ ードの溝をレーダー光線の反射で読み取 って、音を再現するレコードプレーヤで ある。ただ、レーザータンーンテーブル はレコードの湾曲に弱く、湾曲したレコ ードからの採録は、(2)の従来の物理 針によるレコードプレーヤを用いた。SP レコードから音声データの採録後は、パ ソコンへ取り込んでノイズの低減化(文 献[1]を参照)を行った。また、比較に必 要ないくつかの古謡は、文献[8]から取得 した。
4.琉球古典音楽と八重山古典民謡にお ける三線
本研究で検討する古謡は、琉球古典音 楽と八重山古典民謡である。琉球古典音 楽とは、琉球王国時代に宮廷音楽として 演奏されていた音楽の総称で、主に王国 時代の士族の間で奨励された。現在、広 く一般的には、野村流や安冨祖流を中心 に継承されている三線1での弾き語りを 指している。三線を用いた弾き語りは、
沖縄で一般的に”歌三線”と愛称され、
その人口は多い。
ここで、宮廷音楽以外の三線での弾き 語りのことを民謡、あるいは沖縄民謡と 言って区別する場合が多い。民謡は、現 在でも盛んに新作が作られ歌われている が、琉球古典音楽の楽曲に変化はない。
一方、八重山古典民謡あるいは八重山 地方の古謡とは、沖縄本島の南西に位置 する石垣島を中心にした八重山群島にあ
1 沖縄では三線、三味線などの名前があった。
現在では三線(サンシン)に統一されている。
る民謡で、日常生 活の場において、
本来は三線を用 いずに無伴奏で 歌われるスタイ ルのものを指し、
ユンタ、ジラバ、
アヨー、ユングト ゥなどのことを 言う。八重山地方 では、それらアカ ペラで歌われる 古謡と区別して、
三線を用いるも のを節歌といい 区別している。
八重山地方の節歌は、八重山群島が首 里王府に統治されていた頃に三線が持ち 込まれ、古来伝承されていた民謡を三線 の伴奏で歌うようになったものとされて いる。明治十七年に喜舎場英整によって
「八重山歌工工四」(1884年編)が採譜・
編纂されたが、近世になって幸地亀千代2 や大濱安伴3によって声楽譜付き工工四 が作られ、現在広く普及している4。 ここで工工四とは三線の楽譜(図2参 照)で、声楽譜付き工工四とは、歌三線で の歌の音程や歌い方なども記された工工 四(図5参照)を指す。
5.琉球古典音楽継承の難しさ-暁(あ かちぃち)節-
2 幸地亀千代(こうち・かめちよ):1896年、
現在の嘉手納町水釜に士族の長男として生ま れる。瑞慶覧朝蒲、高安朝常、金武良仁、伊 差川世瑞、宮城嗣長ら、大家に師事。1963年 11月に野村流の第6代会長に就任し、普及・発 展に尽力した。
3 大濱安伴(おおはま・あんぱん):1912年、石 垣島生まれ。1966年、既存の八重山の工工四 を改良し、『八重山歌工工四』を作る。
4 工工四や声楽譜の採譜の正確さについて、八 重山では今なお論議がある。このことも古謡 の継承の難しさの一面を伝えている。
図2 工工四
(文献X) 図2 工工四
(文献 11)
2 幸地亀千代(こうち・かめちよ):1896年、現在の嘉
手納町水釜に士族の長男として生まれる。瑞慶覧朝蒲、
高安朝常、金武良仁、伊差川世瑞、宮城嗣長ら、大家 に師事。1963年11月に野村流の第6代会長に就任し、
普及・発展に尽力した。
3 大濱安伴 ( おおはま・あんぱん ):1912年、石垣島生
まれ。1966年、既存の八重山の工工四を改良し、『八 重山歌工工四』を作る。
4 工工四や声楽譜の採譜の正確さについて、八重山では
今なお論議がある。このことも古謡の継承の難しさの 一面を伝えている。
5.琉球古典音楽継承の難しさ~暁(あ かちぃち)節~
5.1 歌三線
琉球古典音楽の中でも、特に広く人々に 親しまれているのが三線であろう。この三 線という楽器は、 “歌”を伴った弾き語り の“歌三線”として多くの方々に愛好され ている。 “歌三線”には、 大きく「民謡」と「古 典」がある。 「民謡」は、今なお新しい曲 が作られ続けており、民衆の歌のような側 面がある。一方、 「古典」は既に確立した 楽曲であり、変化することはない。
本論文では、時代と共に民衆の嗜好によ り変化する「民謡」ではなく、変化を受け 入れないとされる「古典」の“歌三線”の
中から現在二大流派をなしている野村流と 安冨祖流の継承について、できるだけ客観 的なデータを用いて比較しながら、継承の 問題点を述べたい。
特に野村流の継承の難しさについて細述 することになるが、安冨祖流の継承の難し さについて本論文で述べないのは、安冨祖 流が基本的に師弟関係における口承伝承に よるものであるためで、今後、客観的に捉 える切り口で論じられたらと考えている。
今回、採用する古典音楽は「暁節(あか ちぃちぶし) 」である。暁節を選択した理 由は、野村流の中興の祖として名高い伊差 川世瑞と安冨祖流を完成させ古典音楽の金 字塔を立てたと名高い金武良仁の両氏が、
5.1 歌三線
琉球古典音楽の中でも、特に広く民衆 に親しまれているのが三線であろう。そ の三線という楽器は、”歌”を伴った弾 き語りの”歌三線”として広く沖縄県民 以外の多くの方々に愛好されている。”
歌三線”には、大きく「民謡」と「古典」
がある。「民謡」は、今なお新しい曲が 作られ続けており、民衆の歌のような側 面がある。一方、「古典」は既に確立し た楽曲であり、変化することはない。
本論文では、時代と共に民衆の嗜好に より変化する「民謡」ではなく、変化を 受け入れないとされる「古典」の”歌三 線”のなかから現在二大流派をなしてい る野村流と安冨祖流の継承について、で
きるだけ客観的なデータを用いて比較し ながら、継承の問題点を述べたい。
特に野村流の継承の難しさについて細 述することになるが、安冨祖琉の継承の 難しさについて本論文で述べないのは、
安冨祖流が基本的に師弟関係における口 承伝承によるものであるためで、今後、
客観的に捉える切り口で論じられたらと 考えている。
今回、採用する古典音楽は「暁節(あ かちぃちぶし)」である。暁節を選択し た理由は、野村流の中興の祖として名高 い伊差川世瑞と安冨祖流を完成させ古典 音楽の金字塔を立てたと名高い金武良仁 の両氏が、1934-1935年にコロンビアレコ ードにそれぞれ暁節を吹き込んでおり、
図4 暁(あかちぃち)節の一節 図3 暁(あかちぃち)節の一節
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1934 ~ 1935 年にコロンビアレコードにそ れぞれ暁節を吹き込んでおり、比較検討に 最適と判断できるからである。また、現代 の野村流保存協会の教本的なCDセット
5(以後、現代野村教本と 略記)にも収録されてお り、野村流の歌い方の変 遷 / 違 い を 確 認 す る こ ともできる。
図 3 に 示 す の は、 琉 球古典音楽の中の暁節の 一部の音声のグラフであ る。 上 か ら、 金 武 良 仁、
伊差川世瑞、現代野村教 本の順となっている。そ
れぞれ、暁節の同じ箇所を示している。
図3において、音が強く出ている箇所は、
三線が弾かれた所を示しており、歌声とは 異なって立ち上がりの強い波形となる(以 後、三線箇所と略記。図4参照) 。
図3を見ると、三者とも三線箇所は、ほ ぼ同じ比率のタイミングであることが分か る。 “比率”と前置きしたのは、金武良仁 とその他の二つで演奏時間が異なるためで ある。金武良仁の演奏時間を 1.23 倍すると 野村流の両者とほぼ同じ演奏時間になる。
タイミングをもう少し詳しく見ると、演 奏箇所の前半は、金武良仁と伊差川世瑞が ほぼ同じタイミング比で、後半は金武良仁 と現代野村教本が同じタイミング比である。
5.2 三線の演奏時間
図5に、野村流 ( 野村流音楽協会 ) の聲 樂譜附工工四 ( 平成 21 年発行)を示す(図 5の音楽記号については、野村流音楽協会 聲樂譜附工工四を参照されたい) 。また、
表1には、その箇所の 演奏時間を示す。
表1より明らかなこ とは、演奏時間におい て、金武良仁 ( 安冨祖 琉 ) は、他の二つに比 べて若干早く、野村流 の伊差川世瑞と現代野 村教本は、同じ演奏時 間であることが分かる。
野村流は、70年の 歳月を経ても演奏時間 に差のないことに、著 者は驚きを覚える。時 代を経ても演奏時間が 同じであることは、声 楽譜の付いた楽譜が、
三線を引くタイミング と歌声の同期をうまく
表現し、後世へ正確に伝承させていること の証明となろう。聲樂譜附工工四を産み出 した、世礼国男と伊差川世瑞に尊敬の念を 禁じ得ない。
表1 演奏時間
時間 ( 秒 ) 金武良仁 19.5 伊差川世瑞 23.4 現代野村教本 23.4
5.3 ビブラートと節(ふし)
図3に示された音声グラフを見ると、印 象として、金武良仁と現代野村教本が非常 に似通ったグラフになっていることが分か る。実際に両音源を聞いてみると、はっき り分かる抑揚の回数が両者とも多い。ここ で言う抑揚とは、ビブラートと節を指して いる。本論文におけるビブラートは、正弦 波のようになだらかな両側振幅のある発声 法であり、節はパルス波のように短時間に
比較検討に最適と判断できるからである。また、現代の野村流の教本的なCDセッ ト5(以後、現代野村教本と略記)にも収 録されており、野村流
の歌い方の変遷を確認 する上でも貴重な曲と 考えられるからである。
図4に示すのは、琉 球古典音楽の中の暁節 の一部の音声のグラフ である。上から、金武 良仁、伊差川世瑞、現 代野村教本の順となっ ている。それぞれ、暁 節の同じ箇所を示して いる。
図4において、音が強く出ている箇所 は、三線が弾かれた所を示しており、歌 声とは異なって立ち上がりの強い波形と なる(図6参照)。以後、簡単に三線が引 かれた箇所を三線箇所と記す。
図4を見ると、三者とも三線箇所は、
ほぼ同じ比率のタイミングであることが 分かる。比率のと前置きしたのは、金武 良仁とその他の二つで演奏時間が異なる ためである。金武良仁の演奏時間を1.23 倍すると野村流の両
者とほぼ同じ演奏時 間になる。
タイミングをもう 少し詳しく見ると、
演奏箇所の前半は、
金武良仁と伊差川世 瑞がほぼ同じタイミ ング比で、後半は金 武良仁と現代野村教 本が同じタイミング 比である。
5.2 三線の演奏
5 本CDセットについては、参考文献として記す べきであるが、諸般を考慮の上、本論文では 省略する。ご理解賜りたい。
時間
図5に、野村流(野村流音楽協会)の声 楽譜付き工工四(平成21年発行)を示す
(図5の音楽記号については、野村流音 楽協会の声楽譜付き工工四を参照された い)。また、表1には、その箇所の演奏 時間を示す。
表1より明らかなことは、演奏時間に おいて、金武良仁(安冨祖琉)は、他の二 つに比べて若干早く、野村流の伊差川世 瑞と現代野村教本は、同じ演奏時間であ ることが分かる。
野村流は、70年の歳月を経ても演奏 時間に差のないことに、著者は驚きを覚 える。時代を経ても演奏時間が同じであ ることは、声楽譜が付いた楽譜が、三線 を引くタイミングと歌声の同期をうまく 表現し、後世へ正確に伝承させているこ との証明となろう。声楽譜付き工工四を 産み出した、世礼国男と伊差川世瑞に尊 敬の念を禁じ得ない。
表1 演奏時間 時間(秒) 金武良仁 19.5 伊差川世瑞 23.4 現代野村教本 23.4 5.3 ビブラートと節
図4に示された音声グラフを見ると、
印象として、金武良仁と現代野村教本が 非常に似通ったグラフになっていること が分かる。実際に両音源を聞いてみると、
抑揚の回数が両者とも多い。ここで言う 抑揚とは、ビブラートと節を指している。
金武良仁も現代野村教本も三線が弾か れる箇所の合間、つまり歌のみが流れて いる領域は、穏やかに一定の音量で歌わ れていることが音声グラフから分かる6
6 但し、金武良仁の歌は、中央付近で大きな抑 揚がある。しかしそれを除くと、伊差川世瑞 のように24秒強の間に強弱の入った歌とは なっていない。実に滑らかな歌い方である。
図6 三線音
図5 暁節一部 図4 三線音
5 本CDセットについては、参考文献として記すべきで あるが、諸般を考慮の上、本論文では省略する。ご理 解賜りたい。
比較検討に最適と判断できるからである。
また、現代の野村流の教本的なCDセッ ト5(以後、現代野村教本と略記)にも収 録されており、野村流
の歌い方の変遷を確認 する上でも貴重な曲と 考えられるからである。
図4に示すのは、琉 球古典音楽の中の暁節 の一部の音声のグラフ である。上から、金武 良仁、伊差川世瑞、現 代野村教本の順となっ ている。それぞれ、暁 節の同じ箇所を示して いる。
図4において、音が強く出ている箇所 は、三線が弾かれた所を示しており、歌 声とは異なって立ち上がりの強い波形と なる(図6参照)。以後、簡単に三線が引 かれた箇所を三線箇所と記す。
図4を見ると、三者とも三線箇所は、
ほぼ同じ比率のタイミングであることが 分かる。比率のと前置きしたのは、金武 良仁とその他の二つで演奏時間が異なる ためである。金武良仁の演奏時間を1.23 倍すると野村流の両
者とほぼ同じ演奏時 間になる。
タイミングをもう 少し詳しく見ると、
演奏箇所の前半は、
金武良仁と伊差川世 瑞がほぼ同じタイミ ング比で、後半は金 武良仁と現代野村教 本が同じタイミング 比である。
5.2 三線の演奏
5 本CDセットについては、参考文献として記す べきであるが、諸般を考慮の上、本論文では 省略する。ご理解賜りたい。
時間
図5に、野村流(野村流音楽協会)の声 楽譜付き工工四(平成21年発行)を示す
(図5の音楽記号については、野村流音 楽協会の声楽譜付き工工四を参照された い)。また、表1には、その箇所の演奏 時間を示す。
表1より明らかなことは、演奏時間に おいて、金武良仁(安冨祖琉)は、他の二 つに比べて若干早く、野村流の伊差川世 瑞と現代野村教本は、同じ演奏時間であ ることが分かる。
野村流は、70年の歳月を経ても演奏 時間に差のないことに、著者は驚きを覚 える。時代を経ても演奏時間が同じであ ることは、声楽譜が付いた楽譜が、三線 を引くタイミングと歌声の同期をうまく 表現し、後世へ正確に伝承させているこ との証明となろう。声楽譜付き工工四を 産み出した、世礼国男と伊差川世瑞に尊 敬の念を禁じ得ない。
表1 演奏時間 時間(秒) 金武良仁 19.5 伊差川世瑞 23.4 現代野村教本 23.4 5.3 ビブラートと節
図4に示された音声グラフを見ると、
印象として、金武良仁と現代野村教本が 非常に似通ったグラフになっていること が分かる。実際に両音源を聞いてみると、
抑揚の回数が両者とも多い。ここで言う 抑揚とは、ビブラートと節を指している。
金武良仁も現代野村教本も三線が弾か れる箇所の合間、つまり歌のみが流れて いる領域は、穏やかに一定の音量で歌わ れていることが音声グラフから分かる6
6 但し、金武良仁の歌は、中央付近で大きな抑 揚がある。しかしそれを除くと、伊差川世瑞 のように24秒強の間に強弱の入った歌とは なっていない。実に滑らかな歌い方である。
図6 三線音
図5 暁節一部 図5 暁節一部
急峻で、かつほぼ片側振幅の発声法をいう
(図6参照) 。
金武良仁も現代野村教本も三線が弾かれ る箇所の合間、つまり歌のみが流れている 領域は、穏やかに一定の音量で歌われてい ることが音声グラフから分かる
6が、その 箇所を実際に聞いてみると抑揚の仕方に違 いがある。つまり、ビブラートと節の出現 頻度 ( 表2参照)が異なる。三者の歌い方 をイメージ図にすると図6のようになる。
結論から言えば、金武良仁の歌ではビブ ラートが多用され、現代野村教本では節が 多用されている。現代野村教本における節 が金武良仁のビブラートの代わりを務めて いるのなら、両者の歌い方は、似たモノに なるかもしれない。
金武良仁の歌い方の特徴であるビブラー トは非常にはっきりしており、節とビブ ラートの区別がほとんどできないほどであ る ( 強さも長さもほぼ同じ )。節がはっき り聞き取れるのは、図4の音声グラフにお いて後半の3箇所ぐらいであり、そこには ビブラートが存在していない。伊差川世瑞 の歌では、金武良仁のようなはっきりとし たビブラートではないものの、節と節の間 に小さなビブラートの存在を聞き取ること ができる。一方、本論文の著者には、現代 野村教本からビブラートは聞き取れない。
ビブラートは、上下になだらかに揺らぐよ うな感じの歌い方であるが、金武良仁の歌 では、これが顕著に表れる。その一方、現 代野村教本の歌では、ビブラートの代わり に節が多く使われている感じを受ける。
表2は、抜き出した暁節の一節に使われ た金武良仁、伊差川世瑞、現代野村教本の ビブラートと節のそれぞれの出現数を記し
ている。表2を見ると、金武良仁のビブラー ト、現代野村教本の節の出現頻度の多さに気 づく。伊差川世瑞の節は少ないものの、非常 に細かいビブラートが節と節の間に多い。
6 但し、金武良仁の歌は、中央付近で大きな抑揚がある。
それを除くと、伊差川世瑞のように24秒強の間に強 弱の入った歌とはなっていない。実に滑らかな歌い方 である。
表2 ビブラートと節の頻度
ビブラート 明確な節
金武良仁 30 4
伊差川世瑞 * 7
現代野村教本 0 23
* 明確に聞き取ることはできない。
全体として、±2程度の誤差範囲。
聲樂譜附工工四の原音を歌った伊差川世 瑞による暁節では、ビブラートと節は、他 の両者とずいぶん異なる(ただし、 ビブラー トの箇所の声量は小さく聞き取りにくい) 。
いる領域は、穏やかに一定の音量で歌われていることが音声グラフから分かる1 が、その箇所を実際に聞いてみると抑揚 の仕方に違いがある。つまり、ビブラー トと節の出現頻度(表2参照)が異なる。
三者の歌い方をイメージ図にすると図6 のようになる。
結論から言えば、金武良仁の歌ではビ ブラートが多用され、現代野村教本では 節が多用されている。現代野村教本にお ける節が金武良仁のビブラートの代わり を務めているのなら、両者の歌い方は、
似たモノになるかもしれない。
金武良仁の歌い方の特徴であるビブラ ートは非常にはっきりしており、節とビ ブラートの区別がほとんどできないほど である(強さも長さもほぼ同じ)。節がは っきり聞き取れるのは、図4の音声グラ フにおいて後半の3箇所ぐらいであり、
そこにはビブラートが存在していない。
伊差川世瑞の歌では、金武良仁のような はっきりとしたビブラートではないもの の、節と節の間に小さなビブラートの存 在を聞き取ることができる。一方、本論 文の著者には、現代野村教本からビブラ ートは聞き取れない。ビブラートは、上 下になだらかに揺らぐような感じの歌い 方であるが、金武良仁の歌では、これが 顕著に表れる。一方、現代野村教本の歌 では、ビブラートの代わりに節が多く使 われている感じを受ける。
表1は、抜き出した暁節の一節に使わ れた金武良仁、伊差川世瑞、現代野村教 本のビブラートと節のそれぞれの出現数 を記している。表1を見ると、金武良仁 のビブラート、現代野村教本の節の出現 頻度の多さに気づく。伊差川世瑞の節は 少ないものの、非常に細かいビブラート が節と節の間に多い。
1 但し、金武良仁の歌は、中央付近で大きな抑 揚がある。しかしそれを除くと、伊差川世瑞 のように24秒強の間に強弱の入った歌とは なっていない。実に滑らかな歌い方である。
図6 ビブラートと節 表2 ビブラートと節の頻度
ビブラート 明確な節
金武良仁 30 4
伊差川世瑞 * 7
現代野村教本 0 23
* 明確に聞き取ることはできない。
全体として、±2程度の誤差範囲。
図6 ビブラートと節
-79-
半の一部の同じ謡の箇所を切り抜き、横 に拡大(約2.6~2.8倍)したものだが、そ れぞれの歌い手の歌い方の違いを見て取
ると明らかなように声の発声の強弱に特 徴があるのである。少しずつ強くしてい き、その後、少しずつ弱くしていく歌い 方、あるいはその逆の歌い方で歌われて いる。そしてそれらの一連の歌の強弱の 流れを邪魔しないように節が挿入され、
その節と節の間はビブラートのある場合 が多い。金武良仁の歌い方は、大きな波 の合間のビブラートが、心地よい揺りか ごのようである。現代野村教本の歌い方 は、節が多いこととその強さに起因する のかどうか判然としないが、本著者には、
演歌風の歌い方のように聞こえる。
5.4 歌い方
図4の音声グラフの中程を見ると金武 良仁と伊差川世瑞が似通っていることが わかる。金武良仁の音源を聞いてみると、
この中程あたりが、切り取り部における 歌の山場である。伊差川世瑞は、音声グ ラフの前・中・後でそれぞれ強めの声量 の箇所があるのがわかる。たとえて言え ば、前・中・後のそれぞれに波のある歌 い方をしている。これらは次第上(上体又 は頭を次第に上方に継続的に持ち上げ る)、次第下(上体を次第に下方に継続的 に沈める)という歌い方のテクニックで あり、声楽譜付き工工四に記号で記され ている。その一方で、現代野村教本は、
ほぼ一定(採録時に調整されている可能 性もある)といえよう。
歌い方についてビブラートと節などを 考慮に入れると、次のことが言えると思 われる。
1.金武良仁の歌い方は、歌全体に大 きな波があり、その波の表面に大 きめのビブラートが加わっている。
節とビブラートの区別が付けにく く、ビブラートの波に節があるよ うな非常になめらかな歌い方。
2.伊差川世瑞の歌い方は、歌全体を 中程度の波で構成し、波の表面を 乱さないような節を入れ、その節 節
細かいビブラート 三線
ビブラート 節
三線 節 三線
音声グラフを見てもその趣きにおいて異な りが判別できると思う。
次の図7-9は、図 4 の音声グラフの前 半の一部の同じ謡の箇所を切り抜き、横に 拡大 ( 約 2.6 ~ 2.8 倍 ) したものだが、そ
図7 金武良仁
半の一部の同じ謡の箇所を切り抜き、横 に拡大(約2.6~2.8倍)したものだが、そ れぞれの歌い手の歌い方の違いを見て取
ると明らかなように声の発声の強弱に特 徴があるのである。少しずつ強くしてい き、その後、少しずつ弱くしていく歌い 方、あるいはその逆の歌い方で歌われて いる。そしてそれらの一連の歌の強弱の 流れを邪魔しないように節が挿入され、
その節と節の間はビブラートのある場合 が多い。金武良仁の歌い方は、大きな波 の合間のビブラートが、心地よい揺りか ごのようである。現代野村教本の歌い方 は、節が多いこととその強さに起因する のかどうか判然としないが、本著者には、
演歌風の歌い方のように聞こえる。
5.4 歌い方
図4の音声グラフの中程を見ると金武 良仁と伊差川世瑞が似通っていることが わかる。金武良仁の音源を聞いてみると、
この中程あたりが、切り取り部における 歌の山場である。伊差川世瑞は、音声グ ラフの前・中・後でそれぞれ強めの声量 の箇所があるのがわかる。たとえて言え ば、前・中・後のそれぞれに波のある歌 い方をしている。これらは次第上(上体又 は頭を次第に上方に継続的に持ち上げ る)、次第下(上体を次第に下方に継続的 に沈める)という歌い方のテクニックで あり、声楽譜付き工工四に記号で記され ている。その一方で、現代野村教本は、
ほぼ一定(採録時に調整されている可能 性もある)といえよう。
歌い方についてビブラートと節などを 考慮に入れると、次のことが言えると思 われる。
1.金武良仁の歌い方は、歌全体に大 きな波があり、その波の表面に大 きめのビブラートが加わっている。
節とビブラートの区別が付けにく く、ビブラートの波に節があるよ うな非常になめらかな歌い方。
2.伊差川世瑞の歌い方は、歌全体を 中程度の波で構成し、波の表面を 乱さないような節を入れ、その節 節
細かいビブラート 三線
ビブラート 節
三線 節 三線
図8 伊差川世瑞
半の一部の同じ謡の箇所を切り抜き、横 に拡大(約2.6~2.8倍)したものだが、そ れぞれの歌い手の歌い方の違いを見て取
ると明らかなように声の発声の強弱に特 徴があるのである。少しずつ強くしてい き、その後、少しずつ弱くしていく歌い 方、あるいはその逆の歌い方で歌われて いる。そしてそれらの一連の歌の強弱の 流れを邪魔しないように節が挿入され、
その節と節の間はビブラートのある場合 が多い。金武良仁の歌い方は、大きな波 の合間のビブラートが、心地よい揺りか ごのようである。現代野村教本の歌い方 は、節が多いこととその強さに起因する のかどうか判然としないが、本著者には、
演歌風の歌い方のように聞こえる。
5.4 歌い方
図4の音声グラフの中程を見ると金武 良仁と伊差川世瑞が似通っていることが わかる。金武良仁の音源を聞いてみると、
この中程あたりが、切り取り部における 歌の山場である。伊差川世瑞は、音声グ ラフの前・中・後でそれぞれ強めの声量 の箇所があるのがわかる。たとえて言え ば、前・中・後のそれぞれに波のある歌 い方をしている。これらは次第上(上体又 は頭を次第に上方に継続的に持ち上げ る)、次第下(上体を次第に下方に継続的 に沈める)という歌い方のテクニックで あり、声楽譜付き工工四に記号で記され ている。その一方で、現代野村教本は、
ほぼ一定(採録時に調整されている可能 性もある)といえよう。
歌い方についてビブラートと節などを 考慮に入れると、次のことが言えると思 われる。
1.金武良仁の歌い方は、歌全体に大 きな波があり、その波の表面に大 きめのビブラートが加わっている。
節とビブラートの区別が付けにく く、ビブラートの波に節があるよ うな非常になめらかな歌い方。
2.伊差川世瑞の歌い方は、歌全体を 中程度の波で構成し、波の表面を 乱さないような節を入れ、その節 節
細かいビブラート 三線
ビブラート 節
三線 節 三線
図9 現代野村教本
れぞれの歌い手の歌い方の違いを見て取る ことができよう。
伊差川世瑞の暁節は、音声グラフを見る と明らかなように声の発声の強弱に特徴が あるのである。少しずつ強くしていき、そ の後、少しずつ弱くしていく歌い方、ある いはその逆の歌い方で歌われている。そし てそれらの一連の歌の強弱の流れを邪魔し ないように節が挿入され、その節と節の間 はビブラートのある場合が多い。金武良仁 の歌い方は、大きな波の合間のビブラート が、心地よい揺りかごのようである。現代 野村教本の歌い方は、節が多いこととその 強さに起因するのかどうか判然としない が、本著者には、演歌の歌い方のようにも 感じられる。
5.4 歌い方
図3の音声グラフの中程を見ると金武良 仁と伊差川世瑞が似通っていることがわか る。金武良仁の音源を聞いてみると、この 中程あたりが、歌の山場である(図7-9 は、その切り取り部)。伊差川世瑞は、音 声グラフの前・中・後でそれぞれ強めの声 量の箇所があるのがわかる。たとえて言え ば、前・中・後のそれぞれに波のある歌い 方をしている。これらは次第上(上体又は頭 を次第に上方に継続的に持ち上げる)、次 第下(上体を次第に下方に継続的に沈める) という歌い方のテクニックであり、聲樂譜 附工工四に記号で記されている。その一方 で、現代野村教本は、それと異なる(ただ し、採録時に機械によって自動的に調整さ れている可能性もある)といえよう。
歌い方についてビブラートと節などを考 慮に入れると、次のことが言えると思われ る。
1.金武良仁の歌い方は、歌全体に大き
な波があり、その波の表面に大きめ
のビブラートが加わっている。節と ビブラートの区別が付けにくく、ビ ブラートの波に節があるような非常 になめらかな歌い方。
2.伊差川世瑞の歌い方は、歌全体を中程 度の波で構成し、波の表面を乱さない ような節を入れ、その節と節の間に小 さなビブラートのある歌い方
7。 3.現代野村教本の歌い方は、一定のリ
ズムと声量を基本として、節を用い るが、ビブラートをほとんど用いな い歌い方。
5.5 古典音楽の継承について
5.1 ~ 5.4 節までで、3者の琉球古典音 楽について図を用いながら細述してきた。
その結果、本論文の著者にとっても以外に 思えるのは、野村流音楽協会の聲樂譜附工 工四を見ながら3者の歌三線を聞いてみる と、ビブラートを除けば、実は金武良仁の 歌い方は野村流の聲樂譜附工工四に近い、
むしろほぼ同じであると感じられる点であ る。発声の強さは控えられているものの次 第上、次第下なども、本論文で使用した暁 節の参照部分について限って言えば、聲樂 譜附工工四の符号と一致する。それは、図 4の音声グラフと図3の声楽譜付工工四を 見比べてもある程度判別が付く。その一方 で、現代野村教本の歌い方は、節の多用さ を聴く者に与えてしまう。
これらのことは、古典音楽の継承におけ る問題を投げかけている。紙媒体に記述さ れた歌三線、すなわち聲樂譜附工工四は、
伊差川世瑞、金武良仁の歌を聴きながら 追っていけば、その通りであると認知でき
る。その一方で、著者の経験を通して言え ば、聲樂譜附工工四だけを頼りに歌三線を 実施しようとすると、伊差川世瑞や金武良 仁の歌三線と違うモノになってしまう。楽 器は譜面通りに弾けても、歌声は師となる 方の歌声を頼りにして、それに忠実である ように心がけなければ、現代に生きる我々 の音楽環境の影響と思われるような歌い方 が、随所に出てくるのではないだろうか。
例 え ば、 現 代 野 村 教 本 の 節 の 多 用 は、
ビブラートの代わりであるとすれば受け 入れられないこともないが、節の強さに ついては演歌風であると感じさせるもの であり、伊差川世瑞と金武良仁の歌三線 を聴いた後では、少なからず抵抗を本著 者は覚えた。
今後、古典音楽としての歌三線を継承し ようと思うのであれば、戦前に記録された レコードの音声を頼りに声楽譜付きの工工 四を用いて鋭意研鑽した後に、大家である 両者の音声記録の残っていない曲目の継承 に励む方が、理にかなっていると言えるの ではないだろうか。
6.八重山古典民謡継承の難しさ
八重山古典民謡の発声には 『中舌音 ( ちゅ うぜつおん、なかじたおん )』と呼ばれる 独特のものがある。その表記法は、 (い段 中心の中舌音)と(う段中心の中舌音)の 二 通 り( 例: ぢ ぅ = づ ぃ) が あ り、 「 イ 」 の口の動きをしながら「ウ」と発音すると されている。
このような八重山地方の独特の発音は、
日常生活において八重山方言で会話なされ る方々には容易であり、また八重山地方は 地域の伝統文化、伝統芸能が非常に盛んな ところでもあるので、八重山古典民謡の継 承に特に問題がないように見受けられる。
しかしながら、次の五つの危惧される点
7 伊差川世瑞は1934( 昭和9) 年にコロンビアレコード で吹き込みを行っているが、その3年後1937年に他 界している。一節によれば、体調が芳しくなく、その ため高弟の又吉榮義を同伴したとも言われている。レ コードに吹き込まれた伊差川の声は、時折苦しそうで もあり、頻繁に息継ぎをしているのが聞き取れる。
-81-
を指摘できる。
(1)八重山地方は沖縄本島よりも早くに 方言札が導入され、標準語による 教育が強力になされた
8。
(2)画一的な教育、ならびに西洋化を 推 し 進 め る 学 校 教 育 の 影 響 が 、 音楽教育(西洋音楽教育)にもあ り、その影響が見られる。
(3)八重山地方の芸能が盛んであるが 故 に 、 舞 台 で の 発 表 会 な ど が 多 く、日常生活の場で歌われた古謡 の歌い方ではなくなってきた。
(4)八重山群島以外から八重山群島へ の移住者が増えており、その方々 によって歌われる八重山古典民謡 は、移住者の出身地の発音の影響 を受けている。
(5)八重山古典民謡の節歌を工工四に 採譜することで、八重山古典民謡 の多様性が失われている。
(6)現代の音楽に関係する生活環境そ のものの影響がある。
(1)、(3)、(5)は、従来から言われ続 けていたことである。(2)、(4)、(6) は、著者自身の経験から来る独自の推察で ある。以下に、(1)~(6)について、著者 が見聞きし、実際に経験した例を交えなが ら解説を与えていき、継承の難しさを示す こととする。
(1)の具体的な例として石垣島の私設 博物館である南嶋民俗資料館の崎原毅館長 の御自身の経験を紹介したい。崎原館長の 話では、石垣島の中心地から離れた所の農 村から来る子供達が、方言札を付ける ( 罰 せられる ) ことが多かったと述べ、その理
8 2008年には、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が
奄美語・国頭語・沖縄語・宮古語・八重山語・与那国 語のそれぞれを消滅の危機に瀕する言語に指定してい る。
由として「地方の農村の日常会話は、方言 であるのが当たり前だから」と語られた。
また、沖縄地域全般に言えることだが 60 代より若い世代では、古謡や芸能はできて も、方言で日常会話ができないと耳にする ことも多い。日常の会話から方言を強制的 に排除された子供達の喋る言葉では、親が 歌う古謡の発音を満足にできなくなると考 えるのは当然であろう。恥ずかしながら、
著者もその実例の一人である。
(2)については、標準語という言語教 育を含め、現在の学校教育現場において も継続中である。そしてそれは、地域の 伝統芸能関連の授業の少ないことに証左 されよう
9。
この実例は、石垣島で有名な歌い手の仲 本政子と大濱津呂&崎山用能らによって標 準語で歌われた全国普及版の「安里屋ゆん た」( 作曲:喜舎場永珣、作詞:星克 ) と 日本本土の歌い手と思われる櫻井健二と芝 恵美子の「あさどーやゆんた」の違いに如 実に示される。前者は、標準語であるもの の出身地である八重山民謡独特の歌い方を 残しているが、後者の歌はまるで西洋音楽 を土台とした童謡(例えば、 「赤とんぼ」 ) のように聞こえる。八重山古典民謡になじ みのない人からすれば、櫻井らの方が正し い歌い方で歌っているように聞こえてくる だろう。言い換えれば、仲本政子らが、正 しくない歌い方をしているように聞こえる のである。これは、西洋音楽の教育からも たらされる誤った学習反応であり、一つ誤 れば、西洋至上と考えるような概念にもな りうる。実際、沖縄本島出身の著者には、
櫻井らの歌い方が、心地よく聞こえてくる
9 現在「しまくとぅば ( 琉球諸語 )」を復活させる取り
組みがなされている。2005年に議員立法で、毎年9月 13日をしまくとうばの日とする条例が制定された。
のは事実である。
(3)については、山里節子
10さんが「畑 仕事中に歌う民謡と今の民謡の歌い方は違 う」と語気を強めて語っておられたのが 印象的である。背筋を伸ばして多くの聴衆 を前にして舞台に立って堂々歌う現在の歌 い方は、舞台歌い、あるいは聴かせるため の歌いとなっているのであろう。言い換え れば、舞台上での歌は、心情の発露や特定 の相手に伝えるためのかつての歌ではなく なっており、大衆に顔を向けた、技巧的で 上品な歌となっていると言える。
舞台上における歌い方は、教育現場に導 入されている西洋声楽の影響として捉える こともできるので、その場合は、(2)に帰 着すると考えてもよい。
いずれにしても、舞台での歌は、人の自 然な感情の発露から発声される歌声とは異 なることは否めない
11。
沖縄では何かの出来事があるとその喜怒 哀楽を即興で琉歌に託し、歌うのが常で あった。著者も幼い頃に聞いた覚えがある。
これらもまた、舞台での歌と異なるものと 言えよう。
(4)については、著者が見聞きし、八 重山古典民謡を習って感じたことである。
八重山地方生まれ、育った方々と同様に発 音するのは、やはり難しいものがある。つ まり、八重山地方以外の人間が「八重山古
典民謡を継承した。あるいは継承したい」
と言う場合には、十分な注意が必要であ る。石垣島内においても、地域により発音 や古謡における節回しも異なるので、さら に細分化して注意を促すべきであろう。
具体的に石垣市への転入者数について述 べると、石垣市への転入者数は 2004 ~ 2005 年で合計3423人であるが、住民票を移動
(届け出)せずに移住している者を含める と、その数は5000人に達するであろうと推 定(文献[ 5 ])されているので、一年間に約 2500 人の転入者となる。これら転入者が全 て定住し、八重山古典民謡を習うのでは ないが、例えば転入者の一割の年250名が 定住し、さらにその 1 割の 25 名が八重山古 典民謡を習うとすれば、 20 年で 500 名とな る。これはもう無視できない数字と言える と著者は考える。
現在、八重山民謡保存会が各地にある が、それとは別に“八重山民謡継承協会”
を作り、発音や発声法などを正しく継承し た人への認定証の授与を促すことも大切な ことと思われる。そうでなければ、イント ネーションや発音の微妙に異なる八重山古 謡が数多く出現し、論争の種になるものと 思われる。時代を経れば次の(5)の話にも 符合するので、早めの対応が必要だと考え る。
(5)については、著者が八重山地方で良 く耳にする言葉である。八重山地方の民謡 は、村々や離島間で若干異なるものが多 い。そのため、ある地域で節歌を工工四に 採譜し、印刷・製本されて、それが普及す ることで、他の地域の歌い方が失われる、
あるいは、他の地域の歌い方や個人の歌い 方に対して、間違っている等の発言がなさ れることになる。
著者が出くわした実例を挙げると、小浜
10石垣島在住。文化人。大田静男氏とともに八重山地 方の古謡の正しい継承について積極的に取り組む。
「とぅばらーまの世界」(大田静男著、2013)に両者 の掛け合い歌がCDに収録されており、八重山古謡で あるとぅばらーまの様々な姿を堪能できる。
11平成25年9月17日に石垣島新栄公園で恒例の“とぅ ばらーま”大会があった。著者はその日初めて大会 を現場で見たが、それは舞台上で司会に促されて、
聴衆に歌う“とぅばらーま”であった。もしかした らそれを良しとしない向きなのかもしれない「野 とぅばらーま」(仮題)の第1回大会が、平成25年11 月15日に石垣島の舟蔵の里の中庭で行われた(文献 [10])。
-83-
島で三線の名手と誉れ高いAさんは、小浜 島の民謡や、節歌を紙媒体の工工四にする ことを躊躇どころか採譜を危惧しておられ た。さらに、著者が聞いた所では、あると き八重山の古典民謡を歌う人に対して「あ なたのは間違っている」と平然と言った方 がおり、周りの人が「この歌は、Bさんが 歌う以前からあった、Bさんの採譜が間 違っている」と窘められたそうである ( 聞 くところによると、かなり頻繁にこのよう なケースは起こっているようである )。B さんは、八重山古典民謡の採譜とその書籍 化によって普及させた著名な方である。
八重山古典民謡の豊かな多様性を採譜す る際の難しさとともに、書面上での文字と いうコード化などによる画一的な八重山古 典民謡の発生は、八重山地方の古典民謡の 継承に大きな問題を投げかけている
12。も ともと実演により目と耳で継承されてきた ものは、紙媒体の工工四には忠実に再現で きないものなのである。人の五感を紙上に 表現できるはずもない。工工四という楽譜 の中へ文字コード等で変換記述されたこと で、人の実演による豊かな表現の伝達情報 が失われてしまっていることを工工四を利 用する全ての人が理解しなければならない。
(6)については、八重山地方の代表的な 古謡の“とぅばらーま”を例に取りたい。
“とぅばらーま”は、八重山地方ばかり でなく、沖縄を超えて日本にまで愛好者が いるほどの八重山地方の古謡である。ま た、とぅばらーま大会(昭和1947年から旧 暦の8月13日の夜)が毎年行われている。
12 八重山古典民謡に限らず、琉球古典音楽の野村流では、
伊差川世瑞の指導で1935年に聲樂譜附工工四ができ た。また、野村流の別の協会による声楽譜の付いた 工工四が出た。以後、聲樂譜附工工四通りの演唱法 が規範となり、大合奏しても乱れることはない。簡 潔に言えば、野村流で、声楽譜に合わない演唱法は あまり良しとされない。
その古謡の継承において、多くの問題点 が指摘されているが、本論文では、現在の 歌い手と、過去の歌い手の違いに焦点を当 てて、古謡継承の問題点を掘り下げてみた い。
現在の歌い手と過去に記録された“とぅ ばらーま”には、その歌い方にはっきりし た違いがある。現在の歌い手によるその違 いの大きな点は、伸ばして歌う部分に多用 される節と歌声の抑揚であろう。
“とぅばらーま”の中で、現存する再生 可能な記録の中で一番古いと思われるもの は、1926 年の喜舎場孫知・仲本マサ子 ( 二 人とも名歌手として八重山で誉れ高い ) の 日東蓄音機株式会社で吹き込まれた「とば るま節」がある。この「とばるま節」と、
1970 ~ 80年代に吹き込まれた大工哲弘 ( 世 界 30 カ国でとぅばらーまを広める ) のと ばらーまは、同じようにのびのびと発声さ れている。しかしながら、現在の歌い手の
“とぅばらーま”の歌い方は、はっきりし た節
13と、 感情を抑揚で表した歌い方になっ ている。
古い歌い方は、技巧的でない分、聞いて いると素朴な感じを受けるが、現在の歌い 手の歌う“とぅばらーま”は、節と抑揚の 多用が目立ち、八重山出身でない私には、
まるで言語の異なる演歌のように聞こえ る。さらに付け加えれば、現在の歌い手は、
歌を伝えたい先が “聴衆”であって“相手 ( 特定の人 ) ” ではなくなっている印象を強 く受ける。
7.八重山古典民謡の継承について
古典民謡を古い歌い方で歌うことは、ま さに地域の大先輩や、祖先の息づかいを継 承することに繋がるといえるのではないだ
13 技巧的な節回しは、SPレコードの伊差川世瑞にはあ
まり聞かれないが、現在の野村流では見受けられる。
ろうか(文献[7]を参照されたい)。幸いに も SP レコードやカセットテープに八重山出 身の方による歌が数多く残っている。それ らを積極的に活用して、祖先の歌い方を継 承し続ける努力、施策が必要であろう。例 えば、学校教育における伝統芸能や文化の 継承の時間を授業に組み入れることは、早 急になされなければならないのではないだ ろうか。
しかしながら、継承を前面に強く出しす ぎる余り、 SP レコードやカセットテープ に残された歌い方を絶対視して、それ以外 を認めない向きが出てくることは、避けな ければならないと著者は考えている。言わ んとするのは、継承と独自の歌い方は別に 考えるべきだということである。そうでな ければ、八重山に暮らす人々の歌の多様性 が失われてしまう。
また、五線譜や工工四に採譜された場合、
それらのみを用いる練習に偏重することも 戒めなければならない。歌声を聞き、紙面 に表された記号が何を伝えようとしている かを学習することは勧められても、記号だ けの世界に陥ってはいけない。
西洋風の声楽などを取り入れることは、
現代社会に生きている上で、教育上も環境 上もやむを得ないことなのかもしれない。
しかしながらそれだからこそ、昔の歌い方 も是非とも注意深く継承し、無くさないよ うに努力を払わなければ、大切な文化を失 うことになる。このことは、地域の独自の 歌を持つ全ての世界に当てはまることだと 考える。
8.まとめと課題
本論文では、琉球古典音楽ならびに八重 山地方の古謡の継承について、危惧される 状態になっていることを戦前の SP レコー ドの音源と現代の歌い手の音源を比較しな
がら述べた。また、声楽譜の付いた工工四 を絶対視する姿勢や、学校の音楽教育の西 洋化による誤った概念が先行する懸念も示 した。古い歌三線の歌い方、八重山地方の 歌い方そのものが、地方独特の文化遺産で あり、存続させなければならない大切な財 産であることを決して忘れてはならない。
沖縄古典音楽をはじめ、八重山地方を含め、
多くの地域の古い歌い方の将来への存続の ための行政をはじめ民間の活力ある施策が 望まれる。
今後、再現可能な手法を用いて、さらに 琉球の古謡の継承について研究を進めたい と考えている。
謝辞
本論文では、戦前の貴重な SP レコード の音源を用いた。その音源の提供元で平成 24 年度の石垣市立八重山博物館の宮良信世 館長、島袋綾野学芸係長、下野栄高さん。
平成 25 年度の宮良芳和館長、八重山古典 民謡について数々の御教授を頂いた大田静 男さんと山里節子さん。南嶋民俗資料館長 の崎原毅さん、方言札の撮影を許可して頂 いた上勢頭芳徳(喜宝院館長)の全ての方々 に、ここに感謝の意を表します。
本論文は、科学研究費助成事業の基盤研 究A ( 24242036 )「琉球言語資料のデジタル 化とその活用方法の研究」( 研究代表者 狩俣恵一。本研究に係る研究分担者 又吉 光邦 ) において、助成を受けている。
参考文献