九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント : 総説
(一)楊樹達篇
稲森, 雅子
九州大学大学院人文科学研究院 : 助教
https://doi.org/10.15017/4363581
出版情報:中国文学論集. 49, pp.117-132, 2020-12-25. 九州大学中国文学会 バージョン:
権利関係:
目加田誠博士(一九〇四~九四︑以下敬称略(は︑一九三三(昭和八(年十月から一九三五年三月の約一年半︑北京に留学した︒その間︑一九三四年十月より数个月にわたって現地の大学の講義等を傍聴したが︑その講義プリント約二七〇枚が︑先年「大野城心のふるさと館」目加田誠旧蔵資料の中から見つかった(文末「︻付録︼講義プリント全書影」参照(︒このようにまとまった形で民国期の講義プリントが保管されている事例は極めて珍しい︒このたび同館のご厚意により︑講義プリントの閲覧・撮影が許された︒本章以降数篇の文章は︑その報告である︒
総 説
はじめにプリント群の構成を紹介しよう(配列は随意︒(
((︑(
((︑(
((︑( タテ約二九×ヨコ約三一センチメートルで︑題目により多少の差異がある︒ ((は版心題による(︒大きさは︑
(
( ((楊樹達「積微居未定稿」十四枚
( ((陸宗達「音韻学」(中国大学講義(五十二枚(付自筆メモ用箋三枚(
( ((黄節「顧亭林詩」(北京大学出版組印(三十枚
((﹇馬廉﹈「中国小説史問題(「大目乾連冥間救母変文並図一巻」(」(北京大学出版組印(十九枚
稲 森 雅 子 ― 総説(一 ( 楊樹達篇 目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント 総説 (一) 楊樹達篇
目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント 総説(一(楊樹達篇
(
( ((孫人和「詞学通論」二巻(中国大学講義(︑八十八枚(うち十一枚は重複﹇六十五~七十五丁﹈(
( ((孫人和「詞選」(中国大学講義(︑十八枚
((孫人和「駢文選」(中国大学講義(四十六枚
資料(
みられる︒資料( ((は︑日本人留学生の有志とともに︑楊樹達(一八八五~一九五六(から特別講義を受けた時の資料と
((~(
((は大学名が印刷されており︑講義の際に配布されたプリントであろう︒(
き︑巻頭または右欄外にそれぞれ講師名があり(( ((を除 に講義題を記す︒( ((の講師を馬廉と特定した根拠は後述する(︑巻頭または版心
((の自筆メモの用箋のほか︑(
((・(
((・( 舎︑一九七九年(の中に次のように回想されている︒ (1( 目加田誠は︑どのような様子で講義を傍聴していたのか︒その随筆「北京の大学」(『随想秋から冬へ』︑龍溪書 プリント書誌情報一覧」参照(︒ 形のまま長期間保管されていたため︑一部に虫損がある(書誌情報は︻別表一︼「目加田誠旧蔵一九三四年大学講義 ((には余白や裏面に書き込みがある︒なお︑原
北京に来て半年の間はひたすら語学を勉強し︑そのあとで北京大学と中国大学に聴講生となった (2(︒︙︙当時北京大学には黄節先生がいて︑顧炎武の詩を講義していた︒この人は辛亥革命のころ活躍した学者の一人ということだった︒胡適の講義は人気が高く︑超満員でとても聴講が出来なかった︒中国大学には文字学の呉承仕︑詞(填詞(の孫人和などいう先生が居た︒しかし多くは江蘇省出身の先生で︑孫人和は揚州塩城の人︑その言葉がまるで分からない︒当時北京の大学では︑各時間の授業には︑あらかじめ講義内容を印刷して配り︑これを「講 チアンイ義」といっていたが︑それと黒板に書かれる字を見ながら︑ほぼ教授の話を理解することができた︒隣席の中国人の学生が︑私のひじをつついて「今どこだ」ときくから「ここだ」と教えると「うん︑そうか」といって「講義」をたどっていた︒同じ中国人でも北の学生に南の言葉はまるで分からなかったのである︒中にはきれいな北京語で講義する若い先生も居たが︑そういう人の講義はまことにつまらない︒ 中国文学論集 第四十九号
(((
氏は北京到着後一年間はまず中国語の勉強に取り組み︑十分に語学力をつけたうえで︑大学の講義に臨んだ︒しかし︑当時の文化人たちの多くには方言がまだ色濃く残っており︑孫人和のように︑中国人同士ですら聴き取ることが難しい場合も珍しくなかった︒そのため︑講義の前にプリント=「講義」が配布されていた︒すなわち︑このプリントは︑講義を理解するうえでなくてはならない存在だったのである (3(︒さらに︑この回想より︑聴講先は北京大学と中国大学で︑北京大学では黄節(一八七三~一九三五(︑中国大学では呉承仕(一八八四~一九三九(及び孫人和(一八九四~一九六六(の講義を傍聴したことがわかる︒北京大学(通称「北大」(は︑一八九八(光緒二十八(年に京師大学堂の名で開設された初の国立総合大学である︒当時︑文学系の校舎(紅楼(は故宮の東北にあった︒現在もその建物は北京新文化運動紀念館として残されている︒中国大学は︑一九一二年に孫文ら国民党の有力者が設立した大学で︑西城区の西単商場付近にあった(一九四九年廃校(︒次に︑目加田誠の『北平日記』(九州大学中国文学会翻字︑中国書店︑二〇一九年(より大学講義の傍聴に関する記述を拾ってみよう(一九三四~三五年(︒傍線は稲森が付したものである︒
十月 五日 午前六時半︑起床︒七時半︑家を出でゝ(小川君と共に(中国大学に聴講にゆく︒八時より十時迄︑孫人和氏「詞学及詞選」︒孫氏(塩城人(の言葉は元より難解の定評あり︒而もかほど迄とは思はざりしが︑講義をきゝて(プリントなし(熟知の人名︑書名︑其他のことは殆どきゝとれず︑誠に悲観せり︒十時より十二時︑陸宗達「音韻原理及其沿革」︒この人の言葉は又孫氏と反対に殆ど一語を残さず了解し得たり︒されど講義の内容︑興味なし︒午食は街に出でゝ簡単にすます︒一時より三時︑呉承仕氏「説文」︒之は言葉の程度は前両者の中間位にて︑わかる処もありわからぬ処もあり︒されど話の内容はほゞ察しえて却って興味あり︒実に支那語のむつかしき事を嘆ず︒十月十一日 午前中︑北大にゆき馬廉氏「小説史問題」の講義をきく︒十一時~十二時︒十月十二日 八時より十時まで︑中国大学孫人和氏の講義︒十一時~十二時︑北京大学にて馬廉氏の 目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント 総説(一(楊樹達篇
講義︒一時~三時︑又中国大学にて呉承仕氏の講義︒十月十五日 午前中︑詞に関する孫人和の去年のプリントに見ゆる参考書につき調べ︑且つ大曲︑法曲に関して悟るところあり︒十月十八日 北大にゆきしも馬廉氏休み︒濱君と共に帰る︒十月十九日 朝より中国大学にゆく︒孫氏の言葉依然として難解なるもけふはプリントありし故︑少しはわかる︒一度帰りて『樊山集外』中の人物を調べる︒午後︑再び電車にて中国大学にゆき︑呉承仕の『説文』︒十月二十五日 午前中︑馬廉氏の講義︒十月二十六日 朝︑中国大学孫氏︑十一時より北大にて馬廉氏︒午後又中国大学呉承仕氏︒十月二十六日 夜︑北大旁聴について骨折りをたのみし周君を招き︑小川︑濱君達とロシヤアパートにて食事︒十月三十一日 午後︑黄節の魏武帝詩の講義をきく︒言葉少しも解らず︒十一月 一日 午前︑馬廉氏の講義︒十一月 二日 朝︑孫氏の講義に行けず︒馬廉氏の講義に出る︒午後︑中国大学にゆきしも︑呉承仕休み︒十一月四日(日( 午前中︑楊樹達氏の宅にて『説文』の話をきく(瀧沢︑竹田等の諸君と毎日曜聴講の約束(︒十一月 八日 午前中︑北大に馬廉氏の講義︑実にくだらぬ︒十一月 九日 中国大学︒十一月十一日(日( 午前中︑楊氏の『説文』に関する講義︒今回より三条胡同同学会に席を借りて話をきく︒十一月十五日 十一時より北大にて馬廉氏の講義︒いよいよ馬鹿らしきものなり︒十一月十六日 七時に起き︑中国大学に孫氏の講義︒今日は韋荘の詞︑仲々面白かりき︒小川君を伴ひ 中国文学論集 第四十九号
((0
て一度家に返り︑再び西四牌楼の店にて中食︒又中国大学に呉承仕の『説文』を聞く︒十一月十八日(日( 午前中︑同学会にて楊氏『説文』︒十一月二十三日 午前七時半起床︒中国大学孫氏の講義︒十一月二十五日(日( けふは楊氏所用にて説文休み︒十二月 二日(日( 午前中︑同学会にて楊氏の『説文』をきき︑帰途︑中根による︒十二月 六日 三時すぎ北京大学にゆく︒十二月 七日 朝︑中国大学孫人和氏︒午後︑呉承仕氏︒十二月 九日(日( 十時より同学会にて楊氏の講義︒十二月十四日 朝︑少しく寝すぎ孫氏の講義に間に合はず︒部屋にて読書︒午後︑中国大学呉氏の講義︒十二月十六日(日( 目覚むる事をそく楊氏の講義に行かず︑宅にて論文をかく︒十二月二十一日 朝︑少し頭いたく︑中国大学を休む︒午后︑呉承仕の講義に出る︒十二月二十三日(日( 朝の中︑同学会に楊氏説文講義︒十二月二十八日 風邪尚快からず︒中国大学にもゆかず引込む︒十二月三十日 楊氏最後の講義︑午後二時より︒了りて記念撮影︒其後︑一同にて雪の長安街を歩き︑新陸春に到りここにて宴会︒一月十一日 中国大学にプリントをたのみにゆく︒一月二十三日 午前中︑中国大学にゆき︑残りのプリントをとる︒
日記と講義プリントとを照合すると︑合致するのは︑(
((︑(
((︑(
((︑(
((︑(
((で︑(
と( ((黄節「顧亭林詩」
トは︑残念ながら残されていない︒また︑十月十一日の記述より( (4( ((孫人和「駢文選」を傍聴した記録は見えない︒逆に︑呉承仕「『説文』」と黄節「魏武帝詩」の講義プリン
ところで︑このような民国期(一九二五~三五年頃(の大学講義プリントは︑現在︑日本国内にどのくらい残さ ((の講師が馬廉であったことが確認できる︒ 目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント 総説(一(楊樹達篇
れているのだろうか︒中国文学関連の講義プリントについて調査を行った︒ただし︑学内を除きデータベース検索及び目録による調査に限定したため︑講義録をもとにした刊行物との判別が不十分な面がある (5(︒調査の結果︑神戸市立中央図書館の吉川文庫や京都産業大学附属図書館の小川環樹文庫などにも保管されていることが判明した(「︻別表三︼日本国内における民国期の大学講義プリント所蔵一覧(中国文学関連(」参照(︒このうち東京大学東方文化研究所の倉石文庫(倉石武四郎旧蔵(︑九州大学附属図書館の濱文庫(濱一衛旧蔵(には︑数種類ずつ保存されている︒過日︑濱文庫の資料について閲覧調査したので︑概要を報告する︒濱文庫所蔵の講義プリントは『北京大学戯劇学及文学関係教材』一帙十一冊の一部である(書誌情報は︻別表二︼「濱文庫『北京大学戯劇学及文学関係教材』書誌情報一覧」参照(︒このうち︑目加田誠とともに傍聴したと思われるのは︑黄節『魏武帝詩注』二巻︑『大目乾連冥間救母変文(中国小説史問題・目連変(』一巻の二種で︑のちに袋綴じ加工が施されている(表紙は藍色(︒『魏武帝詩注』の構成及び所収作品は以下のとおり︒
「魏武帝詩注」二十三丁 気出唱︑度関山︑蒿里行︑対酒︑陌上桑︑短歌行︑苦寒行︑秋胡行︑善哉行︑歩出夏門行︑却東西門行「魏文帝詩注」十四丁(未完( 短歌行︑秋胡行︑善哉行︑丹霞蔽日行︑煌煌京洛行︑釣竿行(十五(︑折楊柳行︑猛虎行︑燕歌行
「魏武帝詩注」の本文中︑傍聴した際の鉛筆書き込みが数箇所にある︒また︑製本の際に切り落とした上端の残片一枚が挟み込まれていた︒照合すると︑「魏武帝詩注」九丁の上端部分であることがわかった(写真①参照(︒『大目乾連冥間救母変文(中国小説史問題・目連変(』は︑目加田誠所蔵(十
【写真①】
「魏武帝詩注」残片と9丁上端部の書き込み
中国文学論集 第四十九号
(((
九丁(に加えて︑「警世通言(崔衙内白鷂招妖(」九丁(二十~二十八丁(がある︒「警世通言」も大半はその原文のみであるが︑最後の約一丁分に書誌学的考証が記されている︒このほか︑『北京大学戯劇学及文学関係教材』のうち︑北京大学の講義プリントと思われるものは︑「文字学参考書選要」・「通俗小説概論(孫楷第(」・「民間文藝講話」・「唐五代詩選」(以上合冊︒本冊のみ表紙は鶯色(︑『宋詞』一冊で︑一部に書込みがある︒これらも︑管見の限り国内には他に所蔵されていない︒以上︑目加田誠旧蔵の大学講義プリント群を概観した︒民国期に中国の大学で︑どのような講義が行われていたのかを窺い知るうえで︑貴重な資料と言えるだろう︒目加田誠は︑一九三五年三月六日︑北京を発ち︑小川らとともに江南を旅して帰国した︒氏が北京を去る直前︑講師の二人が相次いで亡くなった(黄節=一月二十四日︑馬廉=二月十九日(︒目加田︑小川︑濱の三博士は︑この二人の講義を聴いた最後の日本人留学生となったのである︒以下︑個々の資料について︑講師ごとに紹介する︒
︵一︶ 楊樹達篇︵﹁積微居未定稿﹂︶
楊樹達(一八八五~一九五六(は︑字は遇夫︑湖南省長沙の人︑プリント標題の「積微居」は室名である︒一九〇五(光緒三十一︑明治三十八(年より日本に官費留学した︒辛亥革命のため︑第三高等学校を中途退学して帰国した︒その後は故郷で教鞭をとりながら︑葉徳輝(一八六四~一九二七(に師事し︑『説文解字』(以下『説文』と略称(や書誌学を修めた(塩谷温︑松崎鶴雄と同門(︒一九二〇年に北京に移り︑北京師範大学教授となり︑清華大学や中国大学の教授も兼ねた︒盧溝橋事件(一九三七年(以降︑晩年まで湖南大学の教授をつとめた︒著書に『高等国文法』︑『積微居小学金石論叢』などがある︒一九八〇年代に年上海古籍出版社より『楊樹達文集』が出版され︑近年修訂増補版が刊行された︒講義プリントは︑漢字一字ずつの考証十六篇全十四枚である(︻表︼「積微居未定稿篇目一覧」参照(︒うち十二篇
目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント 総説(一(楊樹達篇
は『清華学報』第九巻第四号(一九三四年十月(「語源学論文十二篇」(八九七~九一一頁(に掲載された︒残り四篇も一年以内の執筆である︒これらは︑その後『積微居小学金石論叢』五巻(商務印書館︑一九三七年︒増訂本=科学出版社︑一九五五年(に収録された︒プリントとこれらとを対比すると︑推敲の痕跡が窺える︒「釈始」篇は「云」の有無程度の差であるが︑「釈嫁」「釈謹」篇は『清華学報』の段階で一段落増え︑「詩毛伝贈訓増申義」篇は『増訂積微居小学金石論叢』で大幅な加筆がある︒「未定稿」と題した所以もここにあるだろう︒『北平日記』によれば︑講義の期間は︑一九三四年十一月四日から十二月三十日まで︑日曜日ごとに八回開かれた(目加田誠は一回欠席(︒会場は初回のみ楊宅︑二回目以降は同学会(東単三条胡同の日本人居留民会公会堂(で︑十四名が受講した (6(︒最終日の記念写真が今も目加田家に保存されている(『北平日記』二一六頁所収(︒この講義は︑日本人留学生の企画で︑目加田誠がその主たる発案者であったと推測される︒氏は︑呉承仕の講義で初めて本格的に『説文』に触れて関心を強め (7(︑「別に仲間をつくって楊樹達氏を招き『説文』の講義を開いたが︑これは先生の御都合で長くは続かなかった (8(」と回想している︒また︑楊樹達の日記「積微翁回憶録」一九三四年十月三十日にも「日本人武田熙︑瀧澤俊亮来︑請於星期日講授『説文』︑允之 (9(」とある︒ところで︑楊樹達が説文研究を始めたきっかけは︑日
【表】積微居未定稿篇目一覧
篇 名 執 筆 記載状況 備 考
民国年月日 回憶録 清華学報 金石論叢 『金石論叢』篇目
釈始 ((/((/(( ○
―
○孟子臺無餽説 ((/((/( ○
―
○ 孟子臺無餽解大瑟謂之灑説 ((/((/( ○
―
○ 爾雅大瑟謂之灑説詩毛伝贈訓増申義 ((/(/(0
― ―
○ 釈贈釈旐 ((/(/(( ○ ○ ○
釈嫁 ((/(/(( ○ ○ ○
釈放 ((/(/(( ○ ○ ○
鷚天龠釈名 ((/(/((
―
○ ○ 爾雅鷚天龠釈名釈晩 ((/(/(( ○ ○ ○
釈経 ((/(/( ○ ○ ○
釈旃 ((/(/( ○ ○ ○
釈暍 ((/(/(( ○ ○ ○
釈滓 ((/(/(( ○ ○ ○
釈𥴫 ((/(/(( ○ ○ ○
釈晋 ((/(/(( ○ ○ ○
釈謹 ((/(/( ○ ○ ○
「回憶録」=「積微翁回憶録」
「清華学報」=『清華学報』
「金石論叢」=『積微居小学金石論叢』
中国文学論集 第四十九号
(((
本留学にあった︒『積微居小学述林』(中国科学院出版︑一九五四年 ((1
((自序に「我研究文字学的方法︑是受了欧州文字語源学Etymology 的影響的︒少年時代留学日本︑学外国文字︑知道他們有所謂語源学︒偶然翻検他們的大字典︑毎一個字︑語源都説明得明明白白︑心窃羨之︒因此我後来治文字学︑尽量地尋找語源(私の文字学研究方法は︑欧州の文字語源学=エティモロジーの影響を受けている︒若いころ日本に留学し︑外国の文字を学び︑彼らには語源学というものがあることを知った︒そこで大きな字典を開いてみると︑どの字にもみな語源がはっきりと説明されており︑羨ましく思った︒それで文字学を研究し︑語源の探究に努めた(」と記す︒講義の直前︑同年七月十四日に「校説文 (((
(」と題する七言絶句を創作している︒
晩涼天気雨如糸 把巻沈吟有所思 晩涼の天気 雨は糸の如し︑巻を把りて有所思を沈吟す︒ 十五篇書在天壌 幾人読破有真知 十五篇の書 天壌に在り︑幾人か読破して真知する有らん︒
しとど雨降る夜︑灯のもと書斎で『説文』十五篇をひらき︑研究に没頭する喜びが見て取れる︒講義プリントを見ると︑「釈暍」(七月十二日(︑「釈滓」(同十三日(︑「釈𥴫」(同十四日(と立て続けに書き上げていたことがわかる︒
注(1( 『目加田誠著作集』第八巻(龍渓書舎︑一九八六年(所収︒二五三~二五五頁︒(2( 北京大学での受講は︑濱一衛(一九〇九~八四(と周作人(一八八五~一九六七(・周豊一(一九一二~九七(父子の尽力により実現したものであった︒経緯は︑中里見敬「濱一衛の北平留学
―
外務省文化事業部第三種補給生としての留学の実態」(『言語文化論究』第三十五巻︑九州大学大学院言語文化研究院︑二〇一五年︑二七~四一頁(に詳しい︒あらましを記せば︑一九三四年九月︑目加田と小川環樹(一九一〇~九三(は︑東方文化事業総委員会総務委員署理の橋川時雄(一八九四~一九八二(を介して申込んだ︒中国大学は承認したが︑北京大学は認めなかった︒最 目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント 総説(一(楊樹達篇終的に周作人が働きかけ︑ようやく許可された︒濱と周豊一が友人であったことが幸いした︒(3( 銭玄同は例外的で「講義の内容がよくわかるほど言語が明晰なのです︒そのかわりこの先生︹=銭玄同︺はプリントをいっさい出さない」主義だったという(吉川幸次郎「留学時代
―
聴講生として北京大学へ」︑『遊華記録』︑筑摩書房︑一九七九年︑七二頁(︒小川環樹にも同様の回想談がある︒(4( 九州大学附属図書館濱文庫(濱一衛コレクション(に︑黄節「魏武帝詩」と題する資料がある︒(5( 小川環樹は唐蘭「古文字学導論」について「プリントはもらったんだけど︑唐蘭の講義は聴かなかった︒それは後で北京大学(講義股という事務室(へ行ってそのプリントを全部手に入れたんです」と述懐した(「留学の追憶」︑『飆風』第十八号︑一九八五年二月(︒(6( 「積微翁回憶録」一九三四年十二月三十日(九二頁(に「授日本人『説文』︑今訖業︒受業者共十四人︑合撮一紀念影︑並宴余以誌謝」とある︒(7( 『北平日記』一九三四年十一月二日に「近日『説文』に関して頓に眼開きたる心地して嬉し」とある︒小川は「(目加田が(『説文』の講義は初めて聞いたと言っておられました」(前掲注(( (9(『楊樹達文集』之十七(上海古籍出版社︑一九八六年(︑四頁︒ (8(「論文集のあとに」『目加田誠著作集』第四巻(龍渓書舎︑一九八五年(︑五一五頁︒ (((と回想している︒
( (0 (『積微居小学金石論叢』(商務印書館︑一九三七年(以降に書かれた『説文解字』ほか文字学に関する小論文集︒
(( (「積微居詩鈔」(『楊樹達文集』之十七︑上海古籍出版社︑一九八六年(︑四頁︒
本資料を所蔵する大野城心のふるさと館及び目加田家に篤く御礼申し上げます︒ 中国文学論集 第四十九号
(((
【別表一】目加田誠旧蔵1934年大学講義プリント書誌情報一覧
№講義名(大学名・枚数)講師名巻頭題版心題 外寸(cm)内匡郭(cm)界線 半丁文字数備考タテヨコタテヨコ行字/行
( 積微居未定稿(日本人勉強会・((枚) 楊樹達なし積微居未定稿((.((0.(((.((0.(無界((((
( 音韻学(中国大学・((枚) 陸宗達下篇 古音之属音韻学((.0((.0((.(((.(無界(((( 自筆メモ用箋3枚を付す
( 顧亭林詩(北京大学・(0枚) 黄節顧亭林詩顧亭林詩((.0(0.(((.(((.(有界(0((
( 中国小説史問題(北京大学・((枚) 馬廉 大目乾連冥間救母変文並図一巻 中国小説史問題((.0(0.(((.(((.(無界(((0 講師名は『北平日記』に拠る
( 詞学通論(中国大学・((枚) 孫人和詞学通論詞学通論((.(((.(((.(((.(無界(((( 重複((枚(((-((丁)
( 詞選(中国大学・((枚) 孫人和詞選詞選((.(((.(((.(((.(無界((((
( 駢文選(中国大学・((枚) 孫人和なし駢文選((.(((.(((.(((.(無界((((
※すべて四周双辺小黒口単魚尾、注文小字双行。油印本。
目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント 総説(一(楊樹達篇
【別表二】濱文庫『北京大学戯劇学及文学関係教材』書誌情報一覧
№書名(丁数)編著者巻頭題版心題 外寸(cm)内匡郭(cm)界線 半丁文字数備 考タテヨコタテヨコ行字/行(中国戯劇研究1巻(((丁)許之衡編中国戯劇研究中国戯劇研究((.(((.0((.(((.(無界(((0(声律学1巻(((丁)許之衡編声律学声律学((.(((.0((.(((.(無界(((0(戯曲史1巻(((丁)許之衡編戯曲史戯曲史((.(((.0((.(((.(無界(((0(曲史1巻(((丁)許之衡編曲史曲史((.(((.0((.(((.(無界(((0(曲選及作法1巻(((丁)許之衡述曲選及作法曲選及作法((.(((.(((.(((.(無界(((0
(,( 古文字学導論2巻(上:((丁[うち目録2丁]、下:(([目録2丁、自叙9丁]) 唐蘭撰古文字学導論古文字学導論((.(((.0((.((.(有界(0(0 第2冊「自叙」末に「二十四年七月十二日午夜写竟/秀水唐蘭」とあり。( 魏武帝詩注2巻(武帝:((丁、文帝:((丁) 黄節注魏武帝詩注魏武帝詩注((.(((.(((.(((.(有界(0((
( 大目乾連冥間救母変文(中国小説史問題・目連変)1巻(((丁) [馬廉] 大目乾連冥間救母変文並図一巻 中国小説史問題((.(((.(((.(((.(無界(((0
(0 文字学参考書選要1巻(4丁) 未詳 文字学参考書選要 文字学参考書目
((.0((.( ((.(((.(無界(((( 北京大学図書館に沈兼士『文字学参考書』(出版地、出版年未詳)あり(9葉)。通俗小説概論1巻(((丁)孫楷第撰通俗小説概論小説((.(((.(無界(((0 民間文藝講話1巻附録1巻(本篇((丁、附録5丁)未詳民間文藝講話民間文藝講話((.(((.(無界(((0 書込み多数、上方書込みは裁断による欠損あり。北京大学図書館に魏建功『民間文藝講話 講稿((((-((年』(出版地、出版年未詳)あり(((、(頁)。
唐五代詩選(唐宋詞)1巻(5丁、宋詞((丁)未詳唐五代詩選 唐宋詞(宋詞第((-((丁:片玉詞鈔、((-((:白石詞鈔) ((.(((.(無界(((0 宋詞:第((-((、((-((丁
((宋詞1巻(((丁)未詳なし 宋詞(第(-(0丁:珠玉詞鈔、((-((:張子野詞鈔、((-((:小山詞鈔、((-((:東坡詞鈔、((-((:淮海詞鈔、(0-((:東山詞鈔、((:片玉詞鈔) ((.(((.(((.(((.(無界(((0書込み多数
※ №は九州大学附属図書館の蔵書記号による(『文学参考書選要』、『通俗小説概論』、『民間文藝講話』、『唐五代詩選』は合冊)。※出版社:北京大学出版組。※すべて四周双辺小黒口単魚尾、注文小字双行。 ※『古文字学導論』は影印本、それ以外はすべて油印本。※№(-(の書皮は同一。※帙題『北平大学戯劇学教材』 中国文学論集 第四十九号
(((
【別表三】日本国内における民国期の大学講義プリント所蔵一覧(中国文学関連)
機関名 大野城心のふるさと館(目加田誠旧蔵( 九州大学附属図書館(濱文庫( 東京大学東洋文化研究所(倉石文庫( 東京大学 京都大学人文科学研究所 京都大学 京都産業大学図書館(小川環樹文庫( 神戸市立中央図書館(吉川文庫( 立命館大学図書館 仏教大学図書館 東北大学図書館 高知大学図書館(小島文庫( 東京外国語大学図書館(諸岡文庫( 備 考
著者名 題名 大学
黄節
顧亭林詩 北京 ○ ○ ○
魏武帝詩注 北京 ○ ○ ○ 濱文庫本二巻、他は一巻
謝康楽詩注*
北京 ○ ほかに出版者不明5組あり
(((((年刊。東京大学東洋 文化研究所、京都大学・同 人文科学研究所、立命館大 学、お茶の水女子大学)
清華 ○ ○
馬廉 中国小説史問題北京 ○ ○ 巻頭題「大目乾連冥間救
母変文並図一巻」
陸宗達 音韻学 中国 ○
孫人和
詞学通論 中国 ○ 詞選 中国 ○ 宋詞選・ 宋
詞続選 中国 ○ 『宋詞続選』は『詞史』と合冊
詞概 北京 ○ 講義題目「詞史」、付
「版本源流」
駢文選 中国 ○
三国志集証 中国 ○
音韻学 華北 ○ 上編
声韻学 華北 ○
読書膾録 華北 ○ ○ ○ 東洋文化研究所:複製本
楊樹達積微居未定稿 ― ○ ○ 倉石文庫:民国二十四年序
読漢書札記 中国 ○ ○ 倉石文庫本の書名は仮題
唐蘭 古文字学導
論二巻* [北京] ○ 上巻のみ ② ○ ○
ほかに名古屋大学など5 機関(上下巻)、大阪大学 など5機関(上巻のみ)所 蔵あり
余嘉錫 古籍校読法* 中国 ○ ほかに北京大学出版部刊
四巻あり(関西大学図書 館長澤文庫蔵)
朱自清 中国歌謡 清華 ○
孫楷第 通俗小説概論 北京 ○
許之衡
中国戯劇研究* 北京 ○ 声律学* 北京 ○
戯曲史 北京 ○
曲史* 北京 ○
曲選及作法* 北京 ○
[未詳]
宋詞 北京 ○
唐五代詩選
(唐宋詞) 北京 ○ 文字学参考
書選要 北京 ○
民間文藝講話 北京 ○ 陳柱 十万巻楼説
詩文叢 曁南 ○
(注1)「大学講義」をキーワードとして検索し、中国文学に関係が深いと思われる題目に限定して作成した。
(注2)後に、大学出版部より出版された可能性があるものは、題名後ろに「*」を付した。
(注3)「②」は、当該機関に2組蔵することを示す。
【主要参考資料】 (()WEBサイト CiNii Books(https://ci.nii.ac.jp/books/?l=ja)
全国漢籍データベース(http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki) 各大学図書館WEBサイト
(()書籍 『吉川文庫漢籍目録』(神戸市立中央図書館、((((―((年)
『京都産業大学図書館所蔵小川環樹文庫漢籍目録』(京都産業大学図書館、(00(年)
橋川時雄『中国文化界人物総鑑』(名著普及会、((((年)
目加田誠旧蔵一九三四年大学講義プリント 総説(一(楊樹達篇
【付録】講義プリント全書影
(1)楊樹達「積微居未定稿」
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中国文学論集 第四十九号
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中国文学論集 第四十九号
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