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中国都市部における「科学月子」の創造 : 家政婦月 嫂の産育実践を中心に

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

中国都市部における「科学月子」の創造 : 家政婦月 嫂の産育実践を中心に

翁, 文静

https://doi.org/10.15017/1654625

出版情報:Kyushu University, 2015, 博士(教育学), 課程博士 バージョン:

権利関係:Fulltext available.

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中国都市部における「科学月子」の創造

-家政婦月嫂の産育実践を中心に-

翁 文静

(3)

1

中国都市部における「科学月子」の創造

-家政婦月嫂の産育実践を中心に-

目次

序 章 5 第 1 節 問題の所在と研究の目的 5 第 2 節 分析枠組みと主要概念の整理 6 1)産後養生習慣の変容

2)産育実践という視点

3 )三段階の区分-産育実践の獲得、形成とその遂行

第 3 節 調査の概要 10 1)調査地の概要

①中国の概要

②上海の概要 2)調査の概要と方法 ①調査の概要 ②調査経緯

第 4 節 論文構成 22

第 1 章 月 子 習 俗 、 月 子 の 変 容 及 び 家 政 婦 月 嫂 に つ い て 28 第1節 月子習俗、その変容及び「科学 ke xue 月子」 28 1)月子習俗(「伝統 chuantong 月子」)

①月子とは

②月子の起源と機能 2)月子習俗の変容

3)「科学 ke xue 月子」-メディアと産育企業の分析から

①「科学月子」と育児書

②「科学月子」に言及する育児雑誌

③産育企業と「科学月子」

第 2 節 家政婦の定義、背景及びその問題 38 1)家政婦とは

2) 家政婦業発展の背景

①家政婦業の誕生・発展と経済・地域格差

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2

②家庭構造の変化(高齢化)による家政婦の需要

③共働き・多忙による家政婦業の需要 3) 家政婦(業)の社会問題

4)子育てに関わる家政婦の類型

①仕事内容からの分類

②雇用時間からの分類

第 3 節 家政婦月嫂の発展、役割及びその問題 47 1)月嫂の成立と発展の要因

① 育支援のネットワークの変化

②雇用創出政策の一環としての月嫂

③病院の仲介

2)月嫂による月子ケア及びその役割 3)月嫂をめぐる問題

①制度化・資格化が十分ではないこと

②労働法に適応されないこと

③管轄が明確ではないこと

小結 52

第 2 章 月 嫂 の 成 立 ・ 発 展 を 中 心 に ― 上 海 市 に お け る 月 子 の 商 業 化 と 資 格 化 55 第 1 節 月嫂(業)の成立と発展- 月嫂派遣会社 J 社を中心に 55 1)月嫂の誕生・成立期( 90 年代末から 1997 年前後)

2)月嫂の発展期(1997 年~2001 年)

3)成熟準備期(2001 年以降)

第 2 節 月嫂の養成と派遣-月嫂派遣会社 X 社を中心に 59 第 3 節 月嫂の雇用プロセス 62 1)就労要因

2)月嫂になる方法

3)月嫂の雇用方法・手続き・費用

小結 68

3 章 H ト レ ー ニ ン グ セ ン タ ー に お け る 産 育 知 識・技 術 の 獲 得 ― 医 療 、発 達 を 中 心 に 72 第 1 節 H トレーニングセンター及び月嫂養成訓練の内容 72 1)H トレーニングセンターの概要

2)月嫂養成訓練の内容

(5)

3 第 2 節 西医と発達を中心とする月嫂養成訓練 78 第 3 節 伝統、中医に基づく特別訓練 80 小 結 82

第 4 章 産 育 実 践 の 形 成 - H K 病 院 研 修 を 中 心 に - 84 第 1 節 HK 病院研および研修の概要 84 第 2 節 HK 病院研修における産育実践の形成 85 1)新たな医療知識・技術の習得

2)日常的世話における学校知と現場知の「すりあわせ」

3)育児習俗をめぐる葛藤への対処

第 3 節 産育実践の形成における差異化 90 小結 92

第 5 章 月 嫂 産 育 実 践 の 遂 行 と そ の 交 渉 - 衣 食 住 、医 療 を 中 心 に 94 第 1 節 3 種類の勤務先における月嫂の産育実践 94 1)HK 病院における月嫂の産育実践

2)月子センターにおける月嫂の産育実践 3)家庭における月嫂の産育実践

第 2 節 月嫂の行う産育実践―衣食住、医療を中心に 99 第 3 節 産育実践における交渉 101 1)交渉の類型

①積極受容派

②選択的受容派

③抵抗型 2)月嫂の戦略

① 主導権の発揮

② 言葉による専門性の誇示

③ わざの提示・教示

小結 108

終 章 「 科 学 月 子 」 の 創 造 と 月 嫂 の 役 割 を め ぐ る 考 察 111 第 1 節 「科学月子」の創造 111 1)月子の資格化

2)月子の医療化と商業化

3)科学月子における伝統の再創出

(6)

4 第 2 節 「科学月子」の創造における月嫂の役割 118 1)医療化、商業化の促進

2)「伝統」の継承と変容

3)異なる育児観を持つ世代間の仲介者

第 3 節 意義と課題 123

あとがき 127 参考文献 128

(7)

5

序 章

第 1 節 問 題 の 所 在 と 研 究 の 目 的

近年、文化人類学、民俗学、福祉学、医学などの視点に立った産育研究が盛んに行 われている¹。これらの産育研究では、妊娠・出産のみならず、各国の伝統的な産後の 養生習慣についても言及されている。その背景として現代社会が出産前後の女性の心 身や子育てをめぐる様々な困難や問題に直面するなかで、あらためてかつての産後養 生習俗の意義や役割を見直そうとする学術的、社会的な関心の高まりがあると思われ る。またこれらの伝統習俗の多くは現代社会の医療化の脈絡のなかで新たな装いを伴 って受け継がれており産育をめぐる習俗や文化研究においても興味深いテーマを提供 している。本研究では中国上海市における伝統の産後養生習俗である月子(yue zi)

を取り上げ中国の都市的文脈における伝統習俗の継承と新たな展開及びそれ担う家政 婦月嫂たちの実践を描くことを通して、中国都市部の新しい産育文化(「科学月子 ke xue yue zi」)の形成過程とそこでの家政婦月嫂の役割を明らかにすることを目的とす る。

月子とは、産後一ヵ月の間、歯磨き、沐浴、読書、皮膚の露出、水道水の使用、外 出などの禁忌、及び一日 5 回の食事と大量のスープの摂取、(授乳、食事以外の)ベッ ドでの安静などの規範のことである。一昔前の中国では、産婦と新生児が家の中で、

実の母もしくは姑の世話を受け、このような禁忌や規範を守りながら、一ヶ月を過ご していた。最近では、親族の代わりに、月子の専門家「月嫂(yue sao)」が登場し、産 婦と新生児に「科学的な(中国語では「科学 ke xue」)」サービスを提供するようにな りつつある。そして月嫂は、月子期間中に、産婦・新生児の世話の手伝いをする女性 のことである(月は月子、嫂は中国語でおばさんを意味している)。さらに、「月子セ ンター」と呼ばれる療養施設まで作られ、医師・看護師、栄養士、月嫂たちに囲まれ、

月子を積極的に享受する産婦も増えてきている²。

中国都市部におけるこのような現代的な月子習俗やその変化については、近年中国 国内でも少しずつ研究がなされるようになっている。例えば、2001 年、社会科学文献 出版社の『保健蓝皮书(Blue book of health care)』掲載の「优艾贝(中国)公司研 究报告 report on UIB(China) Limited Compang」の中、国家産業政策が母子保健事業 に注目し、母子保健関連事業への投資が増え、月嫂や月子センターも発展しつつある ことが指摘されている。また、张は月嫂の出現、普及の一つ要因は病院における医療 関係者の欠如であると指摘している(张 2007)。こうした研究は主に女性の再就職と 結びつけるか、母子保健事業の一環として、月嫂、月子センターを論じるものである。

しかし、これらの研究は、マクロな外部的視点からの検討が主であり、月嫂の行う具

(8)

6 体的な産育実践について言及したものではない。

一方で、月子習俗の変容の中、月嫂たちの産育実践に触れる研究もある。例えば、

姚(2007)は中国の月子の起源・機能を考察し、月子に纏わる最新事情(月嫂、月子 センターの提供するサービスなど)を紹介した(詳細は第 1 章を参照)。しかし、この よう研究では、家族の代わりに、産後ケアの担い手としての月嫂の果たす役割の重要 性について言及しているが、彼女たちの行う「科学的な」月子(中国語では「科学月 子」)とは何か、また、月子習俗の変容における彼女たちの果たす役割とは何かなどに ついて触れていない。

そこで、本研究の目的は中国上海市における月子習俗の新たな展開とそこでの月嫂 たちの実践の具体相を質的に検討することを通して、中国都市部の新しい産育文化(科 学月子)の形成過程とその形成に果たす産育専門家政婦月嫂の役割について明らかに することである。具体的には月嫂の資格化、制度化が最も進んでいる上海市における 家庭や病院施設を中心に、月嫂の産育知識・技術の獲得、形成およびその遂行、また 月嫂を受け入れる産婦や家族との相互交渉を観察、検討することによって、中国都市 部における新しい産育文化(科学月子)の形成過程の一端を解明し、そこでの月嫂た ちの果たす役割を明らかにしてゆきたい。

第 2 節 分 析 枠 組 み と 主 要 概 念 の 整 理

本研究では、月嫂の産育実践を彼女たちの生活の文脈に即して、新しい産育文化(科 学月子)の創造過程およびそこでの月嫂の役割を考察するにあたり、「産後養生習慣の 変容」と「産育実践」という二つの視点を設定する。

1 ) 産 後 養 生 習 慣 の 変 容

産後の養生習慣の変容、再構築に視点を当てた研究として、例えば姚、松岡による 産後養生に関する研究調査が挙げられる。姚は中国の月子を定義した上で、月嫂の出 現の背景,資格を考察し、彼女らの提供する産育サービスの内容を紹介した。姚によ ると、月子は、出産後ほぼ一ヶ月の間、産婦が起居飲食において守らなければならな い一連の規範と禁忌のことである。近年は、都市部では核家族化が進み、母子のケア をする人の確保はますます困難になるため、出稼ぎ女性や仕事を解雇された女性に一 定の知識を教え、主産前後の女性の家庭に住み込み,妊産婦のケアにあたる「月嫂」

が出現している。月嫂の資格ついて、姚は「最初は出稼ぎ女性やリストラされた女性 を吸収するためだったが、最近では,その需要の高まりと相まって、サービス内容の 充実と規範化をはかり、月嫂の資格化も進められている」と述べている(姚 2009)。

また、松岡は韓国における産後調理院(産後の女性の体の養生を目的に作られ、専 門スタッフがいて二週間から四週間母子の面倒を見てくれる施設である)に焦点を合 わせて、伝統的な民俗習慣が、近代化、市場化とない交ぜになっている様々な現象を

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7 探った。松岡が産後調理院を生み出す背景を①実家の母親の意識が変化し、家庭内で の産後調理を支えられなくなっている、②産後の養生を重視する伝統があり、その習 慣が現在も生きている、③現在の出産が、女性の身体に大きな負担を与えるものにな っている、④助産師や看護師が専門性を発揮する場が欲している、⑤豊かな都市中間 層が出現していると指摘している。また、松岡が看護師、母子病院、漢方医、助産師 などの経営する産後調理院のサービス、及びスタッフたちの母子ケアの仕方について 紹介し、韓国の産後調理の考え方は、東洋医学の伝統と韓国文化が合わさっているこ とであると述べている(松岡 2009)。

本研究はこれらの先行研究で言及している産育の商業化、医療化、外部化(中国の 月嫂、韓国の看護師、助産師に委託すること)、資格化などの社会的・文化的動向の総 体を「産後養生習慣の変容(科学月子の創造)」と捉える。

具体的に、産育の商業化は汐見(1999)のいう「商業的支援」に習い、月嫂を養成、

派遣企業、そして、紙オムツ産業や粉ミルク産業など産育商品を提供する企業、さら に、育児雑誌の発行などを含むことにする³。また、月子の医療化は佐藤(2000)の医 療化概念を参考しつつ、再定義する。医療化という概念は、佐藤によると、通常、従 来は医療的領域外にあった様々な現象が医療的現象として再定義される傾向を意味し ている。たとえば、子どもの落ち着きのなさや成績不振といった現象は、それを問題 とする場合であっても、従来はしつけや教育的問題として捉えられていたわけだが、

これらをその子どもの器質的な疾患―前者は多動症、後者は学習障害として捉えなお し、医療的実践によって改善しようという動きがある。これらに代表されるように、

諸社会現象に対して医療的対処(医学/近代西洋医学的知識による解釈とそれに基づい た医療的実践による改善、それらの制度化)、を促す歴史的傾向が医療化と呼ばれてい る(佐藤哲彦 2010)。しかし、佐藤純一の指摘するように、医療を「その社会の一定 程度の人に支持された、形式化された〈病・治療・健康〉などをめぐる社会的文化的 行為」と定義すると、どの時代・社会にも医療は存在し、また一つの社会の中にも、

様々な医療が複数存在することになる。佐藤純一は「このような視点から、われわれ の社会を含めて、どの社会でも、複数の医療が同時に存在し、それらが相互に競合。

補完・排斥の関係を保ちながら併存しているとし、その併存状態が全体として一つの

〈上位のレベル〉医療とみなされる状態を構成している」と考えられ、その上位の全 体的医療を〈多元性医療システム〉と呼んでいる」(佐藤純一 2010)。以上の示唆を 得て、本研究の指している月子の医療化は、従来は医療的領域外にあった月子習慣が 医療的現象(西医 xi yiと呼ばれる西洋医学と中医zhong yiと呼ばれる伝統医学の両 方を含む)として再定義される傾向を意味している。最後の月子における資格化は本 研究では月嫂という職業の成立とその発展・普及に伴う資格の変化(主に 90 年代初め の会社資格と 2000 年以降の国家資格を含む)を意味している。

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8 また、本研究はこのようなマクロな視点を持ち月子の変容、再創造の一端を探ると 同時に、ミクロなレベルから女性たちの行う具体的な「実践」について考察を行う。

2 ) 産 育 実 践 と い う 視 点

日本語の実践という語には一般に個人による自覚的で明確な意図をもった行為とし てのニュアンスが伴っているが、人類学を含む近代の社会科学では、社会的に構成さ れ、習慣的に行われている行為や活動を「実践」(practice)と呼び、重要な研究対象 として注目してきた。社会人類学の田辺はコミュニティという場において、行為者が 言葉、モノ、道具、社会関係などの複雑な関係のなかで実践を行い、それを組織化し ていく過程を、ブルデューのハビトゥス論やレイヴとウェンガーの学習共同体論を批 判的に継承しつつ、「実践コミュニティ」という視角から捉えている⁴。さらに、田辺 は実践が変動する過程、すなわち実践をめぐる新たな社会性と生き方が不断に生成し ていくことに注目することが必要であり、人びとの集まりのなかに新しい社会性と生 き方を見出そうとする場合、実践コミュニティの分析視点は重要性をますと主張した

(田辺 2003 p102)。

「実践コミュニティ」の典型は、多くの職人仕事や専門職の技能や知識の伝達が行 われる徒弟制の中に見出すことができる。しかし、「実践コミュニティは徒弟制ばかり ではなく、私たちが日常生活を営み、仕事をしている社会空間のいたるところに偏在 している。たとえば、アメリカの巨大保険会社や日本の中小アパレル企業の中にもそ れを可視的に捉える格好の場としての実践コミュニティが見出される」(田辺 2003 pp124-127)。

また、レイヴとウェンガーの議論の背後にある実践コミュニティ(徒弟制モデル)

VS 学校教育という二項対立的な定式化への批判もある。たとえば、當真(2002)は実 践コミュニティを学校も含めた様々な現実生活において、知識や技能の獲得・形成・

創造、協働して実践に関わっている人びと相互の関係、そこで使われる(あるいは創 り出される)様々な人工物と行為との関係、さらに個人史的問題が相互に密接に絡み 合 い つ つ 展 開 す る 過 程 に 注 目 す る こ と を 促 す 概 念 と し て 用 い て い る ( 當 真 2002 p 124)。

以上のことから、「実践コミュニティ」は学校教育、徒弟制、それから仕事などの 場を広範に含む概念であることが分かる。本研究では月嫂の実践の場を、月嫂になる プロセスにまで辿り、学校に近い存在であるトレーニングセンター、徒弟制的な場で ある病院研修、そして、彼女たちの職場など含むものにする。また、月嫂という行為 者が言語、知識、技術、人びとの相互行為の複雑の関係の中で出産・育児知識・技術 を身に着け、遂行していく過程を産育実践として捉える。その際に、月嫂の産育実践 が変動するものであり、月嫂の間では共通する知識、技術を持ちながら、各人のスタ

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9 イルも編み出していることにも留意する。

坂元・アナトラは中国新疆ウイグルの伝統的なビュシュック(揺藍)に注目し、新 疆ウイグル社会で維持される伝統的な産育実践の現状を確認するとともに、急激な変 化のなかにある少数民族文化の変容やエスニシティの動態に関する手がかりに用いた。

坂元はモースの技法概念を産育儀礼の領域にも拡張して適応し、「こうした広い視野の なかにビュシュックを置くことで、ビュシュックに備わった道具的側面と意味的側面 を同時に論ずることが可能となり、結果的に単なる産育の民族慣行の記述をこえたエ スニシティ論や文化動態論などより広範な議論へ接続する可能性もひらける」(坂元・

アナトラ 2008 p59)と述べている。本研究でも、長期かつ広範にわたる中国(漢民 族)の産育習俗である蝋燭包⁵、股割れズボン⁶などを取りあげ、それらをめぐる月嫂 らの行う実践を見ていく。これらの産育習俗を含む月嫂の行う具体的な実践を検討す ることにより、伝統的産育習俗の変化、現状を確認するとともに、月嫂による新たな 産育の実践の把握もできると考えられる。伝統的及び現代的な産育実践を総合的に見 ることを通して、月嫂の独自な月子実践を捉えたい。

3 ) 三 段 階 の 区 分 - 産 育 実 践 の 獲 得 、 形 成 と そ の 遂 行

本研究では、「産後養生習慣の変容」と「産育実践」という二つの視点を交差させ、

中国都市部における新しい月子の形成過程とその形成に果たす産育専門家政婦(月嫂)

の役割について明らかにする。そのため、まず、月子習俗の商業化、育児専門家政婦 の資格化をキーワードにし、上海における月嫂(業)の成立・発展を考察する。また、

月子の医療化傾向に関しては、本研究の第 3 章から第 5 章にかけて詳細に分析を行う。

表 1 は月嫂の「産育実践」を(1)産育知識及び技術の獲得(2)その形成段階、及 び(3)遂行段階という三つの段階においてとらえている(序表-1)。

(1)は月嫂養成の段階であり、一人の女性がトレーニングセンターという実践コ ミュニティを経て産育育知識・技術の獲得していく段階である。(2)は第 4 章で詳し く述べる HK 産婦人科病院(以下 HK 病院と称する)における月嫂の研修段階である。

第 1 段階では人形などを使用していた多くの月嫂がこの段階において、初めて本物の 乳幼児(わが子を除く他人の子どもを指す)に触れることになる。そして、(3)は(2)

で身に付けた産育知識・技術を実際の現場で遂行する段階へと移る段階である。この 段階の産育実践は HK 病院、月子センター及び雇用者宅という三つの異なる勤務先にお いて行われている。

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10 序表-1 月嫂の産育実践の三段階

第 1 段階(第 3 章) 第 2 段階(第 4 章) 第 3 段階(第 5 章)

産育実践の三段階 産育知識及び技術 の獲得段階

産育実践の形成段 階

衣食住を中心とす る産育知識の遂行 段階

実践コミュニティ トレーニングセン ター

研修を実施する HK 病院

月嫂の勤務先

第 3 節 調 査 の 概 要 1 ) 調 査 地 の 概 要

①中国の概要

中国人民共和国(People's Republic of China 以下中国と称する)は全人口の 90%

以上を占める漢民族と残り 10%以下を占める55 の少数民族からなる多民族国家であ り、社会主義体制をとっている。1978 年から改革開放政策が実施され、経済体制は計 画経済から社会主義市場経済へと移行した。

以下では、家政婦を理解する前提として必要な基本的な制度や政策の中から、行政 制度、一人っ子政策、戸籍制度、女性の労働に女性の労働に関する法律、規則の 4 点 を確認しておく。

図序‐1 中国全図

(出所)植田・古澤[2002]

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11 l 行政制度

中国の行政区画は、まず大きく特別行政区と普通行政区に分けられる。普通行政区 のもっとも基本的形態は省・自治区・直轄市‐県・自治県・県級市・市轄区‐郷・民 族郷・鎮の 3 段階で、直轄市は省と同等なレベルの権限を持つ。現在、直轄市は北京・

上海・天津・重慶の 4 直轄市で、直轄市‐直轄区・県などで構成されている(植田・

古澤 2002 Ⅶ)。

上海市の行政組織としては、市政府のもとに区政府があり、さらにその下位に末端 政治組織としての街道弁事処がある。またそれとは別に住民自治組織としての居民委 員会がある。居民委員会は自治組織ではあるが、「城市居民委員会組織法」(1989 年)

により規定され、街道弁事処の指導を受ける(宮坂・落合 2008 p11)。

l 一人っ子政策

「一人っ子政策」(中国語では独生子女政策)は 1979 年から国策として開始され た。若林によると、「一人っ子政策」の具体的内容は、これ以上子供を生まないと宣 言した夫婦は、「一人っ子証」が配布されこれを受領し、一方、計画出産に従わない ものは、月 10%の賃金カットをされ、多子女費とか超過子女撫育費という罰金の徴収 が行われたという(若林 1992 p34)。

1980 年に改正された新たな「中国人民共和国婚姻法」12 条には男女双方が共同で 計画生育を実行することが定められ、「晩婚、晩育、少生、優生」が計画生育の中核に 置かれた。また 1982 年に制定された「中華人民共和国憲法」においても計画出産の義 務が明記された。晩婚とは「新婚姻法」の法定結婚年齢(男性 22 歳、女性 20 歳)よ り 3 歳以上遅らせて結婚すること、晩育とは女性が 24 歳以降に出産すること、稀生は 出産間隔を 3~4 年以上あけることである。(宮坂・落合 2008 p93)。

全体的にみると、中国の計画出産政策は成功を収めたが、情勢の変化に伴い、計画 出産政策によるマイナスの影響も次第に表面化してきている。例えば、人口の平均年 齢の上昇、労働力不足、男性過多、一組の夫婦が養う高齢者の増加などがあげられる。

これらの影響が懸念されて、中国政府はこれまで段階的に政策を緩和して、去年から は、夫婦のうちどちらかが一人っ子であれば 2 人の子どもの出産を認めた。しかし、

政策が緩和されても、都市部を中心として子育ての経済的な負担が重いことなどから、

2人目の子どもを望まない夫婦も多く、専門家の間でも「早急に政策を見直すべきだ」

という意見が出たため、中国共産党が今月 26 日から 29 日まで開いた「5 中全会」で、

30 年以上行われてきた「一人っ子政策」の廃止を決定した。

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12 l 戸籍制度

1950 年代中期から、中国は一貫して比較的厳格な戸籍制度を取ってきた。この制度 によれば、個人は一旦ある土地に戸籍登録してしまうと、他の地域に住むことが極め て困難である。戸籍を「農村戸籍」と「非農村(都市)戸籍」に分けて、農村戸籍の 者が都市に移動する際に都市労働部門の採用証明、学校への入学証明、あるいは都市 戸籍登記機関の移入許可証明書を提出することを求められている(「中華人民共和国戸 口(戸籍)登記条例」 1958)。

しかし、1980 年代後半から、農村労働力の都市への移動が条件付きで緩和され、一 部の都市において戸籍制度が見直され始めた。そのため、農村部から大量の出稼ぎ者 が都市部へ流出した。

また、「農村戸籍か都市戸籍かにより、享受できる社会保障が異なるという問題も 抱えている。年金保険制度による恩恵を受けられるのは都市戸籍を持つ労働者のみで あり、農村戸籍を持つ者には福利厚生制度はなく、農村年金が一部で開始されたもの のいまだに多くを家族扶養に依存している」(宮坂・落合 2008 p92)。

l 女性の労働に関する法律、規則

宮坂は中国の女性労働者に対する出産・育児支援制度について、以下のようにまと めた。

まず、1919 年の五四運動以降に「女性開放」の理念は革命運動の一環として打ち出 されてきた。1949 年の新中国の成立以降もこの理念は継続され、社会主義建設のため に女性の就業が促進された。

また、中国における女性の就業を促進する一連の法律、規則を見てみると、憲法に おいて既に、同一労働同一賃金を定められ、女性就業の権利を根本的に保障している。

「中華人民共和国における労働保険条例」や女性権益保障法などでも、女性が男性と 平等の就業権利を有することが明確に示されている。

さらに、中国では出産休暇は女性のみを対象としている。産休の期間は、1955 年「女 性労働者の産休に関する通知」では 56 日とされたが、1988 年「女性労働者の労働保 護規定」では 90 日間に延長された。そのうち産前休暇を 15 日間とすること、難産の 場合は 15 日間の延長が認められること等が定められた(宮坂 2008 p101-102)。

② 上海の概要

本研究は、研究の調査対象地として、中国の経済の中枢である上海市を選んでいる。

上海は中国の直轄市の一つであり、中国最大の商業、金融中心地でもある。2013 年上 海市統計年鑑によると、上海市の総面積は 6,340.5km²、人口は 2415.15 万人に達し ており、行政上、浦东新区、徐汇、长宁、普陀、闸北、虹口、杨浦、黄浦、静安、宝

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13 山、闵行、嘉定、金山、松江、青浦、奉贤の 16 の区と崇明の一つの県からなっている

(図序-3、4)。本研究では、劉・岡本(2008)の分類を参考し、これら 17 の行政単位 を①中心城核心城(黄浦、黄浦に合併された卢湾と静安)、②中心城辺縁区(虹口、徐 汇、长宁、普陀、闸北、杨浦)、③近郊区(浦东新区、宝山、闵行、嘉定)および④遠 郊区(その他)という四つの地区に区分した。本稿の調査地主に②中心城辺縁区であ る。

図序-3 上海市全図

(出所)植田・古澤[2002]

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図序-4 上海市中心部

(出所)図序-3 と同じ

注 2000 年に黄浦区と南市区が合併し黄浦区となった。

ここ 10 年の上海市統計年鑑を参照すると、第一次産業と第二次産業における就業 者数は年を経るごとに減少していることがわかる。これらの産業に対して、第三次産 業における就業者数は緩やかに増加し、2013 年までに全体の 6 割近くを占めるように なっている。この傾向は、移動労働者の就業領域にも共通している。2012 年の全国暫 住人口(流動人口)統計のデータによれば、上海市の戸籍を持たない「流動人口」の うち、保母・サービスにおける女性が 2 万人にも上る。

本研究が主に扱うのは、上海における月子期間中の母子の世話を専門する家政婦

(月嫂)の存在である。こうした女性たちは「阿姨 ayi」と呼ばれ続けている。中国 語の「阿姨」とは母親の妹(叔母)もしくは叔母に近い年齢の女性をさしている。

月嫂は 80 年代末から 90 年代初めにかけて中国の各都市で出現し、親戚もしくは近 隣の女性が世話を必要とする産婦宅で手伝いをしたことが月嫂の始まりと言われてい る。90 年代半ば以降になると、こうした女性を養成・派遣する会社が作られ、月嫂と いう新しい職業を生み出した。2000 年以降に、国レベル及び上海市レベルにおける家 事労働者の制度化・資格化に従い、月嫂が家政服務員(家政サービス員)の一員と位 置付けられた。2014 年 4 月 16 日付けの「解放日報」によると、2014 年に上海市にお ける月嫂の数が 3 万人に上り、同年同市の出生するすべての新生児にサービスを提供 することが可能となっている。

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15

2 ) 調 査 の 概 要 と 方 法

①調査の概要

本研究で用いるデータは、主に 2013 年 3 月から、2015 年のまでの間に、現地調査 でのフィールドワークを断続的に実施した。うち 2013 年 8 月からの 2014 年 3 月には 月嫂養成訓練を受けた機会を利用し、参与観察と聞取りを中心とした質的調査に取り 込んだ。各調査の概要は以下の通りである。

<参与観察>

(1)月嫂トレーニングセンター(以下 H トレーニングセンターと称する)において、

155 時間の月嫂養成訓練、計 4 日間の特別訓練(催乳師、月子料理栄養士)、及び 3 日 間の産婦人科病院(HK 病院)の研修に参加し、参与観察や聞取り調査を実施した。

(2)月嫂たちの勤務先である HK 病院、月子センター、及び雇用者宅で行われている 産育実践や産育に関わる人びとの間のやり取りを観察した。

(3)月嫂派遣会社 2 社において、月嫂を目指す出稼ぎ女性たち、休日に会社の寮に寝 泊る月嫂などの女性たちの生活様子を観察した。

(4)上海市婦女連合協会・家政協会の主催するシンポジウムに聴衆として参加し、月 嫂を含む家事労働者業界の制度化はどのように進めているのか、彼女たちの社会的位 置がどのように捉えられているのかを把握した。

<インタビュー>

(1)月嫂トレーニングセンター、月嫂派遣会社 2 社の経営者やスタッフを対象に、イ ンタビューを実施した。うち、上海市最も有名な H トレーニングセンターにおいては、

講師、人事たちを中心にインタビューを行った。月嫂派遣会社 2 社の経営者は H トレ ーニングセンターの卒業生であった。本研究の中では、A 社と H 社で示される。

(2)月嫂あるいは月嫂経験者 14 名を対象に、それぞれ数時間、場合によっては数日 間をかけて、半構造インタビューやインタビューを行い、さらにネット上(ソーシャ ルネットワークサビース)での聞取り調査を実施し、インフォーマントの属性をまと めたものである(序表-2)。14 名のインフォーマントのうち、5 名が H トレーニング センターで月嫂養成訓練をうける際に、3 名は HK 病院で研修する際に知り合った女性 であり、2 名は筆者、筆者の親戚が雇用した女性であり、残りの 4 名は間接的に紹介 を受けた。月子という極めてプライベートな期間(場)において働く女性のなかには、

外界と連絡が取れない人も多く、いわゆるスノーボール形式による調査を遂行するこ とが容易ではなかった。

(18)

16

序表-2 月嫂あるいは月嫂経験者の属性

対象者 年齢 戸籍 居住状況 勤め先 勤務年数 A さん 40 代半ば 外地 会社の寮 各家庭(2 年前から小規模月

嫂派遣会社 A 社を経営)

12 年

B さん 50 代前半 上海市 市内自宅 HK 病院 9 年 C さん 50 代前半 上海市 市内自宅 HK 病院 8 年 D さん 40 代半ば 上海市 市内自宅 HK 病院(離職) 1 年 E さん 20 代後半 外地 会社の寮 月子センター 1 年 F さん 40 代後半 外地 会社の寮 各家庭(1 年前から小規模月

嫂派遣会社 H 社を経営)

5 年

G さん 50 代前半 上海市 市内自宅 各家庭 13 年 H さん 50 代半ば 上海市 市内自宅 各家庭(退職) 7 年 6 ヶ月 I さん 30 代前半 外地 友人宅 月子センター 1 年 J さん 40 半ば 外地 市 内 自 宅

(賃貸)

各家庭 7 年

K さん 40 半ば 外地 市内自宅 病院研修・勤務、H トレーニ ングセンター勤務後退職

13 年

L さん 30 代半ば 外地 雇用者宅 各家庭(育児嫂として) 2 年半 M さん 40 代後半 外地 雇用者宅、

会社の寮

各家庭(家事と介護が中心) 2 年半

N さん 40 代後半 外地 雇用者宅 各家庭(月嫂と育児嫂) 7 年

以下では、上記の 14 名の月嫂のプロフィールを簡単に紹介しておきたい。

四川省出身、40 代の半ばの A さんは 1997 年に、知り合いの紹介で上海市に出稼ぎ に来た。家政婦(主に家事と子育ての仕事)として働いているうちに、月嫂という高 収入の仕事を知り、2003 年に X 社の開催する月嫂養成訓練を受け、翌年月嫂資格を取 得した。X 社の連携病院で研修している間に、雇用者に気に入られ、雇用者の宅に連 れ出され、雇用者宅勤務月嫂として働き始めた。休みの日になると、A さんは登録し た月嫂派遣会社の寮に宿泊したが、住む環境や、人間関係などの理由で、仲良しの月 嫂たち十数人とともに、マンションの一室を借り、共同居住することになった。2010

(19)

17 年に、A さんが新生児スイミング教室を開いたが、家賃の急増により、やむ得なく閉 店することになった。2013 年に、A さんが自ら月嫂派遣会社 A 社を設立し、曾ての雇 用者の口コミや、インターネットの登録(月嫂を含む家政婦と雇用者両方を登録する もの)などにより、徐々に仕事を得るようになっている。

上海戸籍を持つ 50 代前半の B さんは 2004 年に、勤めていた会社にリストラされ、

息子の教育費、子ども好きなどの理由で、自宅の近くにある HK 病院で無資格の月嫂と して働いた。しかし、その後病院側に月嫂の資格がないと、雇用できないと言われ、

2010 年、B さんは J 社の月嫂養成訓練を受け、国家資格と取得した。9 年間の勤務経 験があるため、ベテラン月嫂として、新米月嫂の研修を担当していた。2014 年、体調 などの関係で、病棟での月嫂をやめたが、HK 病院の敷地内の産育商品の売店でバイト をし続けている。

上海戸籍を持つ 50 代前半の C さんは 2003 年に、自宅の近くにある HK 病院で清掃 スタッフとしてアルバイトをしていた。同病院に働いた月嫂たちをみると、興味を持 ち、自分も資格を取り、比較的に高収入の月嫂として働き始めた。C さんは J 社に登 録し、一ヶ月ほど雇用者宅で働いたが、24 時間しっかり休めない住み込み働きの大変 さと感じ、HK 病院で働くことになった。現在も 12 時間勤務交代で HK 病院で働き続け ながら、新米月嫂の研修を担当している。

上海戸籍を持つ 40 代半ばの D さんは 2014 年、B さんの紹介で、HK 病院で働いてい た。月嫂になる前、D さんはリストラされた専業主婦であった。特にすることもなく、

毎日麻雀をし、時間を潰していた。病院勤務の B さんと仲が良いため、HK 病院の月嫂 に勧められた。当時はちょうど出産ラッシュであるため、D さんは資格を取ることな く、B さんの持っている月嫂養成の教科書を参考した程度、B さんの働きぶりを見よう 見まねで、仕事を覚え、1 年間ほど HK 病院に勤めた。後 B さんが体調などの理由での 転勤したため、D さんも月嫂をやめ、病院から離れた。現在 D さんは一般オフィスで 清掃関係のアルバイトをしている。彼女によれば、清掃のアルバイトは月嫂と比べる と、比較的低収入であるが、責任感もそれほどなく、前より楽になっているという。

安徽省出身の E さんが一人息子を持つ 20 代後半の女性である。2013 年 8 月、筆者 とともに、H トレーニングセンターで月嫂養成訓練を受け、同年国家資格を得た。E さんは息子 3 歳になるまで、故郷で子育てをしていた。息子が幼稚園に入ると、E さ んは息子を故郷の姑と夫に残し、上海にいる母親の援助を受けながら生活をしていた。

E さんによると、月嫂になる一番の理由は月嫂である母親の影響である。トレーニン

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18 グを卒業した 2013 年 9 月から、E さんは経験を積むため、育児嫂(子育ての家政婦)

として数ヶ所の家庭で働いた。2015 年に、E さんは上海市の最も有名な月子センター の一つで働いている。週 6 日間 24 時間の勤務体制であるため、月謝は 10000 元を超え ている。日曜日という休みの日になると、E さんは登録している月嫂派遣会社の寮に 住んだり、友達の宅に泊まったりしている。

四川出身、陝西省で暮らしていた40 代後半の F さんが若い時に、鉄道関係の仕事を していた。45 歳退職後に、「はだしの医者(農村衛生員の俗称で、村から選抜され短 期の訓練で養成された医療従事者として、地域の医療に従事していた人々)」として勤 めたり、子育ての家政婦になったりしていた。家庭、経済などの理由で、2007 年に友 人の紹介で、上海に出稼ぎに来て、主に子育ての仕事をしていた。2010 年に、月嫂の ことを知り、X 社の開催する月嫂養成訓練を受け、月嫂資格を得た。月嫂資格以外、F さんは X 社の催乳師、育嬰師の資格も取っていた。また、F さんがトレーニングを受 けているうちに、知り合いの紹介で、A さんと知り合った。安価な寮を提供してくれ る A さんの派遣会社に登録し、2 年ほど働いたのち、F さんは 2015 年に独立し、自ら 家政婦派遣会社を設立し、経営をしている。

筆者は 2007 年自らの出産時に、上海戸籍を持つ 50 代前半の G さん(当時は 43 ア 歳)を雇った。工場にリストラされた G さんが息子の教育費などのため、2002 年 X 社 の月嫂養成訓練に参加し、会社レベルの資格を取得したのち、各家庭で勤務するよう になった。住み込み勤務が多いが、雇用者と相談した上、昼間 8 時間勤務形態も取っ ている。G さんは仲の良い雇主(新生児)に手作りの靴下を編んでプレゼントしたこ ともある。

上海戸籍を持つ 50 代半ばの H さんは、主人の病気、娘の学費に加えて自分のリス トラのため、2001 年に居住した区の婦女連合会を通して、X 社の月嫂養成訓練を受け、

会社の資格を取得した。7 年 6 ヶ月ほど月嫂や育児嫂として働いた(彼女は雇用者と 良好な関係を築き、月嫂の延長線として、2 年間ほどの育児嫂に勤めたこともある。

また、地元の新聞紙に取り上げたこともある。)H さんが 2008 年に、娘の就職に伴い、

退職し、現在麻雀、旅行を楽しむ毎日を過ごしている。

30 代前半の江蘇省出身の I さんが E さんの同僚である。I さんは故郷で 8 年間マッ サージの仕事をしていた。高給料のため、2014 年に上海に来た。某月嫂養成会社で半 月の月嫂養成訓練、一ヶ月の育児嫂養成訓練に参加したのち、国家資格を取得した。I さんは経験を積むため、雇用者宅で 8 ヶ月ほど育児嫂として働いた。2015 年、I さん

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19 は E さんと同じ月子センターに勤める。しかし、I さんは「本物の月嫂」(産婦と新生 児の世話のみではなく、料理なども含む全般の世話のできる月嫂)」を目指して、再び 雇用者宅で働きたいと願っている。

40 半ばの江蘇省出身の J さんは 2008 年に、H トレーニングセンターで月嫂養成訓 練を受け、国家資格を得た。J 社に登録し、雇用者宅に派遣してもらい、月嫂として 働き続けている。家族 3 人ともに上海にいるため、賃貸のマンションの一室を借り、

休日に賃貸のマンションに戻り、家族と一緒に過ごしている。2015 年に J さんが筆者 の従兄弟に雇われ、その際 J さんに筆者と知り合った(J さんが筆者の来訪を知り、

新生児、沐浴と新生児マッサージ術を見せた)。

地元の男性と結婚した安徽省出身の 40 半ばの K さんは 1997 年に H トレーニングセ ンターで月嫂養成訓練を受けた後、長期間の病院研修と勤務を続いた。2011 年から 2013 年にかけて、H トレーニングセンターに勤め、後輩の月嫂たちの面倒を見ていた。

その後、給料や、人間関係などの理由で、月嫂養成会社 AD 社に転職した。

安徽省出身の 30 代半ばの L さんは 2013 年、筆者とともに、H トレーニングセンタ ーで月嫂養成訓練を受けた。L さんが二人の娘の教育費のため、上海に出稼ぎに来た。

高収入の月嫂になりたいが、小学校卒のため、月嫂の試験に二度も落ちたのち、2015 年にようやく合格した。経験を積むため、比較的に安い育児嫂として働き続けている が、「口下手で不器用」と評価され、未だに月嫂になれない。L さんが育児嫂の安い給 料(月嫂給料の 3 分の 2 ほど)に不満を持ち、複数の派遣会社に登録し、その中から、

最も条件の良い仕事を選び続けている。休みの日、お正月などの休日になると、L さ んは必ず娘たちに会いに帰省しているという。

四川出身の M さんは地元で主婦の生活を送っていた。上海市にいる知り合いの紹介 で、2013 年に上海に出稼ぎに来た。家事、子育ての家政婦として働きながら、H トレ ーニングセンターの月嫂養成訓練を受けていた。欠席も多く、学歴も低いため、訓練 内容について行かず、月嫂の試験と資格を諦めた。M さんは A さんの会社で登録し、

家事(部屋の掃除)、介護などの仕事を掛け持ち、働き続けている。家政婦になる理由 を尋ねたら、子育ても終え、することもなく、自分の小遣いを稼ぐためであると答え た。

安徽省出身の 40 代後半の N さんは息子(18 歳)を持つシングルマザーである。老 後のため、貯金したいという理由に加えて子ども好きであるため、月嫂という仕事を

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20 選んでいる。N さんは息子を故郷にいる母に託し、2008 年に上海のある小さい月嫂養 成派遣会社で会社レベルの月嫂資格を取り、上海、南京、広州などの都市を転々とし ながら、月嫂、育児嫂をやり続けている。2013 年に、国家レベルの月嫂資格を取り直 し、複数の月嫂派遣会社で登録し、上海、南京などの都市に派遣されている。2015 年 9 月 3 日から一か月半ほど、日本(東京)に派遣されたが、家事、育児、一家 8 人(大 人 4 に、子ども 4 人)の世話をすべて任され、一月 1 万元(20 万円ほど)を貰えたが、

仕事の大変さに我慢できず、現在帰国している。

②調査経緯

以上、調査の概要をまとめたが、そもそもなぜ、月子習俗の変容、月嫂の産育実践 というテーマが私の関心を引き付けたのか、そして、このテーマを研究するための方 法(フィールドへの参入過程)、また、産育実践という枠組みを打ち立てるに至った経 緯を記しておきたい。

筆者は 2013 年から中国都市部上海市における月子の変容およびその月子に関わる 専門家政婦月嫂について研究・調査を始めた。はじめて月嫂に出会ったのは、2007 年 の自らの出産時であった。当時、育児ネットワーク、育児支援に関心を抱いていた筆 者は、月嫂を中国都市部における産育支援の重要な一員と位置付け卒業論文にまとめ た。修士課程に入り、同じテーマについて研究を続けていたが、月嫂たちに接触して いるうちに次第に彼女たちの行う「科学(kexue)」的な産育実践に関心を持つように なった。

産育の専門職でありながら職業家政婦としても認識されている月嫂に対して、筆者 はさまざまな疑問を持つようになった。例えば、どんな女性が、なぜ月嫂になるのか、

それはどのようにしてなれるのか。彼女たちはどこでどのような知識・技術を身に付 け、実践していくのか。また、月嫂たちの果たす役割は出産・育児の担い手だけなの か。言い換えれば、月嫂の出現・普及に関する社会文化的背景に関するもの、月嫂の 行う産育実践および「科学」月子の形成の中で彼女たちの役割に関する問題関心であ る。

一つ目の問題意識、つまり、月嫂の出現・普及に関する社会文化的背景については、

中国国内の学術論文、育児雑誌、テレビなどのメディアによって断片的に言及される ようになっている(第 1 章)。これらの調査データは十分に信憑性が高く体系性がある とはいえないためこれを補足するために、筆者は上海における様々な月嫂関連施設を 訪ね、職員などにインタビューを行い、施設のチラシ、ホームページなどの情報を活 用するなどしてきた(第 2 章)。結果として、月嫂の出現や普及の社会文化的背景につ いての説明に関してはある程度可能になってきた。

一方、二つ目の問い、つまり月嫂の行う産育実践(科学月子)と彼女たちの社会的

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21 位置づけに関しては、現場に入らなければ有力な情報が手に入らない現状があった。

先述した通りに、月嫂に関心を持つ前まで、筆者は中国都市部における産育のネット ワーク・支援について研究を行っていた。その際に運よく上海市のある大学の教授の 紹介で病院や早期教育センターなどの産育施設に入りフィールドワークを行うことが できた。いわば「トップダウン」、「ツテをたどる」、「コネクションを使う」という形 での調査が可能であった。しかし、月嫂研究に切り替えた場合、このような方法は全 く使えなくなった。それは月嫂を管轄する政府機関が教育局ではないため産育のネッ トワーク・支援研究のときのコネクションが使えなかったのである。筆者は月嫂に関 する詳しい情報を収集するため、月嫂のトレーニングセンターや月嫂が働いている病 院に電話したり、直接訪ねたりしたが、一律に「詳しく知りたいなら、授業料を払い、

生徒として月嫂養成訓練を受けてください」、「月嫂の資格がないと、現場に入れない」

(場合によっては、筆者が企業スパイと疑われ、「教えるわけがない」と言われたこと もあった)という回答が返ってきた。そこで、筆者は否応なく半強制的に女性たちと 同じ月嫂養成訓練を受け、国家資格を受けるというフィールドへの参入方法を選択す ることになった。

月嫂の行う産育実践と彼女たちの位置づけを明らかにするため、2013 年 8 月から筆 者は月嫂の資格取得をスタートした。なぜなら、「そうしないと、月嫂に関する詳しい 情報が得られない」という理由に加えて、自らの出産時に身近に接した月嫂たちの高 度な知識や巧みな技術の獲得、形成に対して純粋な興味もあったからである。

まず、筆者は上海のある月嫂養成トレーニングセンター(以下 H トレーニングセン ターと称する)において、155 時間の養成訓練に参加した。講師らが午前中に教科書 に基づいて、理論的な知識を説明し、午後には 40 名程の生徒たちを 4、5 人ずつグル ープに分け、オムツ替え、産婦体操指導など様々な産育に関する技術を練習させた。

この養成訓練を終えた生徒たちは 2 ヵ月ごとに行われる月嫂の資格試験を受ける。月 嫂の試験は養成訓練同様に理論的な知識と技術の両方を含み、両方の試験に合格すれ ば、後日上海市人力資源・社会保障局の配布する証明書を渡される(第 3 章)。筆者の 同期の殆どは 2013 年 10 月の試験に臨んだが、筆者は日本と中国を往来するなど様々 な事情により同期の月嫂たちより半年遅れて試験に臨み、無事資格を獲得した。

筆者は月嫂養成訓練と並行して、H トレーニングセンターで行われる二つの特別訓 練-「催乳師」及び「月子料理栄養士」(催乳師は日本の助産師のように母乳マッサー ジを施術する専門家であり、月子料理栄養士は月子中に産婦のために特別な月子栄養 料理を作る専門家である)にも参加した。二つの訓練とも二日間かけて行われ、それ ぞれ理論と技術の試験があった。筆者はこの試験にも合格することができ H トレーニ ングセンターと月子料理会社の発行する合格証明書を手にした(第 3 章)。

上記の月嫂養成訓練、特別訓練以外に、H トレーニングセンターは、実務経験の少

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22 ない女性たちのために、有料ではあるが同区にある産科病院での三日間の研修も提供 している。筆者は 2013 年 9 月にこの研修に参加した。筆者の受けた研修では、一日目 は指定されたベテラン月嫂に付き、病院の様子やベテラン月嫂の仕事ぶりをただ見る だけであった。二日目から、簡単な仕事、例えば、新生児のおむつ替え、産婦の体の 清拭などを任され、最後の日に、調乳、メートルによる授乳や新生児沐浴後の着替え などの仕事も体験できた(第 4 章)。

また、筆者が H トレーニングセンターの知り合いや、病院研修の際に出会った師匠

(病院現場ではベテラン月嫂と新米月嫂の関係は「師徒 shi tu(師匠と徒弟)」と認 識されている)の紹介で、他の月嫂、雇用者と知りあい、フィールドワーカーである 筆者の人間関係を広げ、調査を深めることもできた。例えば、H トレーニングセンタ ーで筆者のノートを借りた H さんは、重要なインフォーマントであると同時に、筆者 に知り合いの現役の月嫂たちを紹介してくれる大切な仲介者でもあった。その後、「H さんの友人」となった筆者は大した苦労もなく、現役の月嫂たちにインタビューを行 い、月嫂派遣会社の経営者にも受け入れてもらうことができた(H さんとの間に友好 的な人間関係と信頼関係、すなわちラポールを築いたことがその後の調査に役に立つ が、2 年ほど付き合っているうちに、筆者に「貴方は友達だから、今日仕事の話は一 切せず、楽しく飲もう」と言われた際に、すこし複雑な気持ちになった)。また、HK 病院の筆者の師匠である B さんに誘われ、普段なかなか入れない雇用者宅に行き、貴 重なデータを取ることができた。

さらには筆者自身の知識・技能の深化にもつながる。つまり月嫂の養成訓練への参 加と資格の取得前(出産時)には、身なりや年齢などで月嫂の優劣を判断していたが、

今になれば、新生児・乳幼児の抱き方や、ミルクを与える際の座り方を見るだけで、

熟練者であるかどうかを判断できるようになった。こうして一人の女性がどのように、

月嫂養成訓練を受け、研修を通して産育の知識と技術を形成し、最後に勤務先におい てこれらを遂行していく経緯を詳細に追うことができた。

第 4 節 論 文 構 成

次章以降、本研究は五つの章と終章から構成される。

第1章では、月子習俗の変容及び月嫂に関する研究を検討する。まず、第1節では、

中国の伝統習俗としての月子の起源、その機能、月子を纏わる様々規範・禁忌につい て概観した上、月嫂、月子センターを含む月子習俗の変容についてもまとめる。続い て、近年提唱され続けている「科学的な」月子とはどのようなものなのかをメディア や産育企業の分析視点から明らかにする。第2節では、中国における家政婦(業)全般 の背景、その類型、及び家政婦をめぐる様々な問題を概観する。第3節では、「科学的 な」月子成立の一環としての月嫂の形成要因、位置づけ、及び彼女たちの果たす役割

(25)

23 などについて概観する。

第 2 章では、月嫂業の成立と発展を月子習俗の商業化の一つの表れと見做し、それ に伴う月嫂の資格化を取りあげる。第 1 節では、H トレーニングセンター、月嫂派遣 会社 J 社、HK 病院のスタッフへのインタビュー及び企業のホームページやパンフレッ トなどを中心に、上海市における月嫂業界の成立・発展のプロセスを「誕生・成立期」、

「発展期」および「成熟準備期」という三つの時期に分け考察を行う。第 2 節では、

2011 年まで活躍してきた X 社も取りあげ、月子の医療化の一側面を描いてみる。また 第 3 節ではどのような女性が、なぜ、どのように月嫂になるのか、どのように雇用さ れるのかを筆者の参与観察のデータに基づき、明らかにする。

第 3 章から 5 章までは、先述したように、月嫂の産育実践を、(1)産育知識及び技 術の獲得(2)その形成段階、及び(3)産育知識・技術の遂行段階という三つの段階 においてとらえ、考察を行う。これらの章を貫くキーワードは月子習俗における医療 化である。

第 3 章では、月嫂資格を取るための必須段階である H トレーニングセンターを月嫂 たちの経験する最初の実践コミュニティと見做し、そこでの女性たちの産育知識・技 術の獲得のプロセスに焦点をあてる。この章では、学校的形態をとる H トレーニング センターおよび月嫂養成訓練(主に教科書)の内容をふまえた上、月嫂養成訓練およ び特別訓練(催乳師訓練と月子料理栄養士訓練)の実際の様子を紹介しながら、これ らの訓練の特徴である月子の医療化を浮かび上がらせる。

第 4 章では、H トレーニングセンターでの月嫂養成訓練を終了した女性(新米月嫂 と呼ぶ)が HK 病院という現場における産育実践を形成していく様子を描く。この章で は、まず、HK 病院という月嫂たちの経験する二つ目の実践コミュニティにおいては、

新米月嫂たちがベテラン月嫂、医療関係者に囲まれ、これまで習得した産育知識・技 術をさらに医療化させて行く様子を明らかにする。しかし、その過程は HK 病院におけ る産育実践は医療行為だけでなく、産婦、新生児の日常的な世話や、場合によって、

伝統習俗をめぐる知識・技術も含む複雑で動態的なものである。そこで、第 4 章では、

新米月嫂たちはこのような幅広い産育実践を本物の新生児と産婦の状況に合わせて、

不断に変化、形成し続けていることを読み解く。この際に、新米月嫂の個々人の身体 レベルにおける差異化についても考察を行う。

第 5 章では、一人前の月嫂が HK 病院、月子センター及び雇用者宅という異なる勤務 先でそれぞれどのような実践を遂行しているのかを明らかにするとともに、彼女たち の行う具体的な産育実践を衣食住及び医療という視点から捉え、また、月嫂たちの実 践に対して、雇用者の受け入れ、言い換えれば、月嫂の産育実践の受容もしくは抵抗 についても考察を行う。

終章は以上の 5 つの章における分析のまとめを行う。月嫂の産育実践の獲得、形成

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24 及びその遂行というプロセスを振り返りながら、彼女たちの創造した「科学月子」を 明らかにするとともに、彼女たちの果たす役割について論じる。最後に本研究の展望 と課題について触れる。

(27)

25 注

1、2014 年に出版された主な産育関連研究を見てみても、小浜・松岡の『アジアの出 産と家族計画―「産む・産まない・産めない」身体をめぐる政治 』(勤勉出版)、松岡 の『妊娠と出産の人類学―リプロダクションを問い直す』(世界思想社)、安井の『出 産の民俗学・文化人類学』、福島・みついの『産後ケア――なぜ必要か 何ができるか』

(岩波書店)などが挙げられる。

2、「月嫂」とは、月子期間中に産婦および新生児の世話をする専門の家政婦のことで あり、正式的な名称は「母嬰護理員」である。「月嫂」は掃除、洗濯など、家事全般を 代行するだけではなく、母体回復に効果のある薬膳料理も作る。加えて、乳房按摩や 哺乳指導、さらに新生児の世話と、さまざまな仕事をこなす。中国都市部における月 嫂の利用率、利用する階層について、周、张、苏他の先行研究があげられる。周が上 海市L区の月嫂会社に焦点をあわせ、月嫂を雇用する階層が殆ど経済的に余裕のある

「一人っ子」の親であること、1999、2000 年に、出産する産婦の内、40%の人が月嫂 を必要とし、12.5%の産婦が月嫂を雇わなければならない状況にあると指摘している

(周 2002)。北京大学人民病院の张が同市における月嫂の雇用者の殆どが若いホワイ ト カ ラ ー で あ る と 指 摘 し て い る (张 2007)。ま た、苏他 が 広 州 市 の 月 嫂 の 需 要 率 が 62.81%に上ること、雇用者の特徴が、80,90 年代生まれた一人っ子である若い世代 で、収入は 7000 元以上の共働きの家族であることを指摘している(苏他 2013)。さら に、新華社の新聞記事「奢侈月子会所迎接龙年婴儿潮」によると、同市の家庭服務業 界協会が上海市の中心街における月嫂雇用率を 85~90%、月子センターの利用率が 5

~10%と予測している。筆者も上海市内最大の月嫂派遣会社のスタッフにインタビュ ー調査を行い、当派遣会社との連携病院(HK 病院)における月嫂の利用率が 70%に上る ことが明らかになった。

3、汐見は育児支援を三つに類別し、それぞれ、①国や自治体が自らの責任で、主とし て税金を使って行う社会的な支援、②民間で自主的に育児を支援しようとする動き、

③乳幼児のためのおけいこごと教室や育児雑誌の発行など、民間業者による営業的商 業ベースの支援があると指摘した。また、汐見は「ベビーシッター派遣業や新しくで きている駅型保育所の大部分もこの類型に入る。これらは育児支援を看板にした営利 行為であり、必ずしも親の育児を支援することを第一目標にしたものではないので、

支援とは言えない、という意見もあろうかと思う。しかし、この分野を広くとると、

例えば紙オムツ産業や粉ミルク産業、子ども服産業なども含まれ、それらの提供する 商品を購入することなしには実際の育児は不可能であることを考えると、そしてまた それらの商品は、親の育児意識から評価され選択されるということを考えると、これ

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26 らの業者の提供するサービスと商品も広義の育児支援に含めたほうが実際的であろう。

そこでこうした民間業者による育児支援を総称して商業的支援といっておく」と述べ ている。

4、田辺はハビトゥスの問題として、以下の 2 点であることを指摘している。①「ブ ルデューは人類学者が描こうとする文化を解体し、個人の実践を発生させる母胎とし てハビトゥス概念を練りあげてきた。しかし、いずれにしてもハビトゥスは文化的構 築である。人びとのすべての実践は、文化という客観的な構造のなかに埋め込まれて いるという人類学の因習的な主張からほとんど逃れていない」(田辺 2003 p98)。②

「ハビトゥス概念は『身体化』以外の心の哲学の主要な問題点である思考がいかに実 践を生み出すかという問題にはほとんど踏み込んでいない」(田辺 2003 p100)。

また、田辺が実践コミュニティの概念は、個人の実践を学習過程としてとらえると いう視点をもつことで、個人の実践がコミュニティ内部でいかに変化していくかとい う過程に注目することになると述べたうえ、この概念に含まれる二つの問題も指摘し ている。一つ目は「実践コミュニティの概念によって強調されたのは、コミュニティ への個人が参加し、その参加が深化するなかで個人のアイデンティティが形成される という視点であり、つまり知識や技能を習得する過程とアイデンティティが形成され る過程は同一である。そして、実践コミュニティ論に欠落しているもう一つの問題は、

コミュニティ内外における権力関係への視点である(田辺 2008 p294)。

5、蝋燭包とは新生児を小さな掛け布団にくるみ、手足を動かないように紐で布団をき つくしばる風習である。これが新生児のがに股と風邪を防ぐのに役立つと思われてい る。

6、股割れズボンは中国語で開档裤(kaidangku)と言い、「档 dang」は股間の意味を し、「裤 ku」はズボンの漢字である。開档裤を直訳すれば、「股のあいたズボン」であ る。李(2010)によれば、古代の股割れズボンが腰回り、股回り及び筒という三部分 に分けることができる。しかし、戦国時代における股割れズボンが膝下までの筒しか なかった。その後の秦漢の時代になると、股割れズボンの長さが次第に太ももまで増 加したが、股回りと腰回りはまだなかった。しかし、西漢になると、股回りまで長さ が伸ばした股割れズボンが現れた。しかし、その後の時代は戦乱が続き、漢民族の人 びとが戦いと通して、遊牧民族の股の縫合された普通のズボンを穿くようになってき た。さらに、その後の椅子の登場による生活様式の変化や、国内・国外の影響など様々 な原因で、股割れズボンは次第に大人の世界から姿を消し、清代(1636 年~1912 年)

になると、子どもの専用ズボンとなっていた。

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27 また、中国の伝統的な股割れズボンに深く関連する技法-やり手水(中国語では把 ba 尿と書く)がある。やり手水とはある決まった動作(両足を広げる)もしくは音声(排 尿なら xixi、排便なら en en)を通して、新生児、乳幼児に反射的に排尿・排便させ る行為であり、その行為に乳幼児のサインを察すること及び乳幼児の排泄の習慣・間 隔を把握することを伴う。つまり、やり手水が単なる排泄させる行為だけではなく、

その前の段階における乳幼児のサインを察すること及び乳幼児の排泄の習慣・間隔を 把握するという行為をも含む。

参照

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