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Field+ 2012 01 no.7貴州省の山歌
ここは中国貴州省、貴陽市の郊外。
この省は西に隣接する雲南省に次い でさまざまな少数民族が暮らす土地 として知られている。貴州省は山に 囲まれた中国でもっとも貧しい省の ひとつであるが、その省都であるこ こ貴陽市は省の中心だけあって近年 発展著しい。街はどんどん姿を変え ており、道はどこもかしこも人々の エネルギーであふれている。その牽 引役は中国の主要民族である漢族で あるが、もちろん少数民族の人たち もこうした変化の影響を受け、また 積極的に参入している。
私の前で電話を受けていた張さん
(仮名)は、私がここで歌掛けの調査 をしていた時に知り合ったアマチュ アの歌い手で、貴州省に暮らす少数 民族のひとつであるプイ族の初老の 女性だ。彼女は夫とともに畑を耕し て生計を立てている。苦しい生活の なか、ここ数年彼女は歌を歌うのを 楽しみとしている。彼女が電話口で 言っていた「歌」とは「山さん歌か」と呼 ばれる歌掛けのことで、祝い事には つきものである。祝い事に呼ばれる と、彼女は近所に住む親族の歌仲間 李さん(仮名)と一緒に出かけてい くのだ。
「山歌」は中国語で一般に「民謡」
といった程度の意味合いで使われる 言葉だが、ここではおもにプイ族が 歌う歌のことを言う(もっとも、漢
族やほかの少数民族にも山歌を歌う 人はいる)。なかでも目立つのが歌掛 け、つまり歌の掛け合いである。こ この歌掛けは一定の短い旋律に歌詞 を即興でのせて、歌で言葉を交わし てゆく。山歌を楽しむポイントは歌 詞の表現にあるので、聞き取れない とつまらない。だが歌詞が聞き取れ るようになると、そこが若い男女の 熱い恋の駆け引きや、主人と客の礼 を尽くしたやりとりなどが繰りひろ げられる舞台であるということがわ かる。かつてこうした歌掛けは男女 の恋愛から結婚にいたる過程など、
生活のさまざまな場面で歌われてい たという。
だがこの歌掛けは1980年代後半 から、出稼ぎや進学、就職のために 若者が地元を離れるようになったこ とや、さまざまな理由で昔ほど儀礼 をやらなくなったことなどの社会的 環境の変化のためにあまり歌われな くなってしまった。とりわけ貴陽市 のような経済発展の著しい都市部で は、少数民族も文化的に漢族に同化 していく傾向が強く、山歌のような 伝統文化はすたれる一方だった。と ころがここ数年、そうした状況が変 わりつつある。
変わる山歌
貴州省では中央政府と歩調を合わ せるように、1990年代後半から無 形文化財の保護に乗り出すとともに、
少数民族文化についても積極的に後 押しするようになった。そうした背 景のなか、2000年代に入ってから、
プイ族の経済発展と文化振興および 学術調査のための組織である「プイ 学会」が各地区政府と協力して積極 的に山歌を歌う場を設けるように なった。その代表的なものは「歌会」
と呼ばれるステージであり、春節(中 国の旧正月)などのお祭り期間にさ まざまな村や地区で開かれる。ここ で公私さまざまな団体が歌や踊りを 披露するが、そうしたなかにはもち ろん山歌も含まれる。もっとも歌会 では出演時間が決まっているため、
掛け合いもごく短く10分弱である。
また、こうした少数民族文化を称 揚する雰囲気に後押しされて、私的 な祝い事、例えば結婚式や「満月酒」
(赤子の生誕30日目を祝うお祝い)、
「オー? うんうん、行くよ!」
電話を切った彼女に私は聞いた。
「なにがあるの?」
祝い事に呼ばれたことをひとしきり話し、私を誘ったあと、
彼女は目をきらきらさせて言った。
「歌うのって楽しいじゃない!」
フ ィ ー ル ド ノ ー ト
歌でことばを交わす
貴州省プイ族の歌掛け「山歌」の現在
梶丸 岳
かじまる がく / 日本学術振興会特別研究員(国立民族学博物館)、AA 研ジュニア・フェロー貴陽市郊外の風景。
ある歌い手が手書きした 歌詞ノート。思いついたり 聞いていて気に入った歌 を大量に書き留めてある。
貴陽市近郊で開かれた歌会。
舞台上ではプイ族の民族衣 装を着た男女が掛け合いを 披露している。
中 国
香港 重慶
北京
上海 ソウル
貴州省 揚子江 黄河
ハノイ 西安
貴陽
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Field+ 2012 01 no.7 新築祝いなどでも再び頻繁に歌掛けが行われるようになった。そこでは もっと長く、数時間にわたって歌が 交わされることもよくある。
こうした山歌の場でおもな歌い手 となるのは30代以上の中年男女であ る。たとえそこで男女の恋が歌われ ても、かつてのように真剣な恋愛に 発展することはない(もし発展した ら不倫さわぎになって大変である)。
現在の山歌はむしろ遊びとして、娯 楽として歌われるようになっている。
そうしたなか、新たに歌を学ぶ人 たちのためにプイ学会が歌集を発行 したり、歌い手がこまめにノートに 歌詞を書き付けていたりする状況も、
かつては見られなかった現象である。
この変化は、この地域で山歌がほと んどの場合プイ語(プイ族固有の言 語)ではなく中国語で歌われるよう になったこと、そして識字率が向上 していることを意味している(ちな みにプイ語には基本的に文字がな い)。貴州省の辺境では今でもプイ 語が普通に話されていて山歌もプイ 語で歌われているが、ここ貴陽市で はかなり高齢の人でないとプイ語を 自由に使いこなせず、プイ語で山歌 を歌えるのはほぼ70歳以上の人だけ である。よって、今復興している山 歌はほぼ完全に中国語で歌われるも のとなっている。
このように、現在の山歌は80年代 以前の状況から大きく様変わりして
いる。そうして、人々の間でまだ生 き続けている。例えば、張さんと、
電話の向こうにいた彼女の歌友だち 王さん(仮名)の間にも。
ある日の山歌
張さんに電話があった次の週、春 節から18日目の日の朝に私は張さ ん、李さんと待ち合わせて、電話を してきた王さんの娘夫婦が主催する
「満月酒」へと出かけていった。バス に40分ほど乗って、祝い事が行われ ている家に着いたのは12時頃。すで に家の前では「欄ラン路ルー歌コー」が歌われて いた。これは客を迎えるにあたって 主人側の人々が飾りを付けた棒を 持ってとおせんぼし、客と掛け合い をして客が十分に歌えたら通すとい う遊びである。ただ来た時間が遅 かったため終わりかけで、私たちは これに参加せずにそそくさと昼食を いただいた。
3時のおやつの時間になると、主 人側がテーブルとイスを用意して、
来客をもてなす歌の場をセッティン グした。そこに20人ほどの人々が車 座となって山歌が始まった。「今日私 たちは山歌を歌ってお祝いします」
「今日は心から喜んで歌を歌います」
など、それぞれが招かれた喜びや主 人へのお祝いを歌っていく。だがこ の輪からも張さんと李さんはさっさ と抜けてしまう。本当の楽しみはこ の後にあったのだ。この歌掛けの場 にいた中年の男性たちと、この輪か ら離れるために別室へ移動して歌掛 けを始めた。今度は恋の歌掛け「情 歌」だ。どちらも腕のある歌い手、
最初は男女それぞれの組がお互いあ いさつを交わす程度だったが、時間 が経っていくにつれて熱が入り、「あ なたとは別れがたい」など、既婚者 としてはなかなかきわどい歌を歌っ て大いに盛り上がった。そうしてい つしか日が暮れた。
歌声は続く
結局この日、私を含めた3人は家
に帰れなかった。熱心に歌いすぎて 時間が遅くなってしまったのだ。し かも掛け合い相手の男性陣は、夜ま で掛け合いを続けるために張さんた ちを帰れなくしようと、最終バスの 時刻をごまかしていた。このことが 発覚すると李さんは「ひどい!」と ぷりぷり怒りながら歌を切り上げて 近くに住む親戚の家に泊まりに行っ てしまった。張さんは「しょうがな いねえ」という感じでそのまま王さ んとこの家で談笑していた。私はと いうと、たまたま持っていた張さん の孫の満月酒のお祝いを収めたビデ オをこの家の人たちに見せていた。
ここでも人々は歌っていた。それを 見る人々の目はにこにこしていた。
そこには歌の時間が流れていた。
次の日、3人は朝早くバスに乗っ てそれぞれの家に帰った。この日か らもう1年半経つが、今でも張さん と李さんはどこかで歌っているのだ ろう。たまに、歌いすぎて帰りのバ スを逃すへまをしながら。
欄路歌。手前が主人側で盛装している。赤い帯がぶら下がった竹の 棒が道をとおせんぼしている。その下にあるやかんの中身はここの 名物うるち米で作ったお酒で、これとたばこでお客を迎える。客は 天秤棒でお祝いの品を持ってきて、この棒の前に置いて山歌を歌う。
大量の食事を用意する主人側の人々。 情歌を掛け合う張さんと李さん(右側のふたり)、および主人 側の男性陣。
昼食後の集まり。テーブルを囲んで歌を掛け合う。大半が中年以上 の女性である。ちなみにテーブル手前のお盆に乗っているのは飴と ヒマワリの種。貴州省では食事の前やお客さんが来たときに出すと りあえずの軽食として、生や煎ったヒマワリの種をよく食べる。