炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連 鎖 : その普遍性と持続性
著者 和田 英太郎, 野口 真希, 石井 励一郎
雑誌名 經濟學論叢
巻 65
号 3
ページ 495‑517
発行年 2014‑03‑20
権利 同志社大學經濟學會
URL http://doi.org/10.14988/00027414
炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連鎖(和田英太郎・野口真希・石井励一郎)
炭素・窒素安定同位体比から見える 自然界の食物連鎖
―その普遍性と持続性―
和 田 英太郎 野 口 真 希 石 井 励一郎
1 はじめに―生態系の持続性の評価と切り口
室田武先生と初めてお会いしたのは平成9年であった.この年から平成13 年度までに実施された日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業「アジア地 域の環境保全:地球環境情報収集の方法の確立―総合調査マニュアルの作 成に向けて―」が開始された時であった.内藤正明先生(京都大学・大学院 工学研究科・教授)は工学の立場から流域モデルの構築,福井勝義先生(京都大 学・総合人間学部・教授)は人文社会の立場から人間社会システムの解析,室田 武先生(同志社大学・経済学部・教授)は経済学の立場から自然と社会システム の融合,中西正己先生(総合地球環境学研究所・教授)は陸水学の立場から流域 生物生産の解析と,異分野の諸先生が加わり,私 和田がプロジェクトリーダー を仰せつかった。当時要求が高まった文理融合の試みを初めてプロジェクト としてテストする,ある意味でトップダウン・プロジェクトであった.研究 目的は,(1)新しい視座(文理融合)を志向した『エコフロンティア』の創刊 によるパラダイムの創発,(2)文理融合のケース・スタディとして琵琶湖流 入小河川,鴨川と天野川の調査,(3)GIS(Geographical Information System)の完備,
流域統合モデルの確立,対象河川流域アトラスの出版,(4)流域診断法の開発,
(495) 309
要因連関図式,指標システム,環境容量などを含む流域管理のための総合調 査マニュアルの作製であった.16年前の出来事である.この未来開拓プロジェ クトで培った流域スケールでの物質循環と環境問題の視点は,並行して取り 組んだ「陸域生態系の地球環境変化に対する応答」(IGBP-MESSC,1997―2001)
において,モンゴル草原からバイカル湖を結ぶ広大なセレンゲ川流域にも応 用することができた.この巨大な,しかし人間活動の影響がまだ大きくない 流域は、本稿で述べる安定同位体の環境指標化とその地図化を進める上で恰 好の場であった.
さて,最近「持続可能な開発(発展)」や「生物多様性」と呼ばれる言葉を よく耳にする.2010年に名古屋において生物多様性に関する国際会議COP10 が開催された以後,生物多様性とは何か,なぜ重要なのかといった論議もま すます盛んになってきている.「持続可能な開発」は「生物多様性を守りなが ら持続的に開発を進める」ということになるが,しかしながら持続性と同様,
生物多様性も沢山の要素を含む複雑語のため,簡単に定義することは難しい.
例えば,何故,ヒトは持続性や多様性を守る必要があるのか? という問いか けに対し,自然の重要性を関連させた明快な答えが与えにくい.われわれヒ トはとりあえず五感で環境を観察できるが,感覚が把握できるのは,自分史 を中心とした過去と近い未来の時間を含む近視眼的な四次元までである.そ れ以上の次元の世界を直感的に認識することは難しい.一方,持続性とか多 様性は,生態系の遷移を視野に入れたタイムスケールの長い物語を包括した 概念である.従って,その重要性を分かりやすく言えないことが,「何を守れ ばよいのか」という問いに曖昧な回答しか出来ない原因となっている.
筆者らは,個々の要素を切り口として,「持続性」と「多様性」を多面体の 断面として診てゆくことが重要で,この見方なら先の問いに対して回答が出 来ると考えている.そのためには複雑な生態系の一面を視るための鋭利な切 り口が必要となる.例えば「持続性は直線で表せるか?」と言ったことへの 試みはひとつの解を与えてくれると考えている.現在,生物群集を解析する
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有力な化学的方法としてDNA解析法と安定同位体(Stable Isotope)精密測定法
(SI法)が挙げられる.前者は遺伝情報の知見を与え,SI法は同位体比の変動 の解析から系内の炭素・窒素の動きや食物連鎖に関する知識を与える(和田・
神松,2012).
時間軸に沿った持続性の意味は,ヒトの価値観によって大きく変わる.環 境が示す各種の周期性の時間幅が異なる事象に対してヒトの価値判断が組み 込まれ,対応が変わるのが普通である.例えば,我々は少なくとも曾孫の時 代までを視野に入れて考えるようになると,自然とヒトの相互作用の見方が 大きく変わる.これは環境適応が生き残りの戦略であった地球上の動物の宿 命かもしれないが,多くの場合,これまでのヒトの社会の意思決定は,今が よければという近視眼的であったように思える.このため,ヒトの社会は結 果として後世のヒトから見て信じられない選択をしたことが多い.例えば,
イースター島の森林完全伐採による社会の滅亡(Diamond, 2005, pp.123―190),20
〜21世紀における石油資源の使い方,原子力発電などは大きな負の遺産を後 世に残した選択であったと評価されることになるであろう.始末の悪いこと に現在の我々は,イースター島の人々の愚挙はすぐ理解できるが,現在我々 が進めている愚挙は理性的判断の結果であり,愚挙とは思っていないことが 多いのである.
2 生元素の同位体
2. 1 安定同位体とは生物体を構成する主な生元素は水素(H),炭素(C),窒素(N),酸素(O), 硫黄(S)などである.これらの元素には安定同位体が存在する.化学式が同 じで同位体の異なる分子を広義に同位体分子と本稿では呼ぶこととする.例 えば12CO2と13CO2がその例となる.重さのみが異なる2つの同位体分子は,
生物の中での反応において何か違いがあるのであろうか.ここで常温に近い 系を考えてみる.空気中の大気成分は,この温度に対応するエネルギーをもっ
(497) 311
ていて,空気中を毎秒数100 mのスピードで飛んでいる.与えられるエネル ギー(E)は温度(T)に比例するのでE = kTと表される.Eが一定の場合,
質量数の小さい(軽い)分子ほど,そのスピードは速くなる.すなわち,軽い ボールほど速く投げられる.従って,12CO2は13CO2よりも速く気孔を通じて 植物の中に入ってゆき(第 1 図),酵素反応ではさらに速くなる.すなわち,
この酵素は軽い二酸化炭素と結びつき易いことが知られている(和田・半場,
1994).
また,お琴の弦を思い浮かべてほしい.同じ強さではじくと細い弦は切れ やすい.少々乱暴なアナロジーではあるが,このことは重い分子間よりも軽 い分子間は切れやすく,反応が速くなることを意味している.事実,多くの 酵素反応では重い同位体分子よりも軽い同位体分子の反応速度定数が1.01〜 1.03倍となっている.この軽い同位体分子の方が,反応速度が速いことを「同 位体効果」と呼ぶ.同位体効果は化学・生化学反応,蒸発などの相変化,拡 散などのプロセスで起こる.
このように,自然生態系において同位体比の変動を詳細に比べることは,
色々な物質や生物を重い同位体で標識して,その動きを解析することになり,
生元素の循環や生態系の構造に関する色々な知見が得られる.
第 1 図 軽い分子は重い分子より速く飛び,速く反応する 図1
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2. 2 炭素・窒素同位体比の表し方
同位体比の精密測定は,試料ガスと標準ガスを交互に質量分析計に導入し,
比の偏差を測定する方法が一般的であった.このため特定の標準試料からの
差を1,000分偏差(δ‰値:デルタパーミルと呼ぶ)で表す方法が使われている.
試料の炭素,窒素の安定同位体比は以下のように表される:
δ13C, δ15N(‰) = (R試料/ R標準−1)×1,000.
ここでRは13C/12C,15N/14Nである.標準試料としては,Cに対して矢石(PDB:
CaCO3の化石で海水中のHCO3とほぼ同じ値を示す),Nに対して大気中のN2を 用いる.δ値がプラスであることは標準試料より重い同位体の含量が高く,
マイナスは低いことを意味する.測定は,試料をCO2,N2などの気体に誘導 したのち同位体比精密測定用の質量分析計を使うのが普通であり,上記の標 準試料と比較測定することによって±0.1‰の精度で δ 値が得られる.
炭素安定同位体比について,海水中のHCO3 は0.0‰,大気中の炭酸ガス は−7‰,これを利用する樹木は−25‰くらいの値となる.一方,窒素安定同 位体比では,一般的な生物界のδ15 N値はプラスとなる.これは,流入の主 要経路となる窒素固定系(N2→NH4+)の環境下では,N2(0.0‰)とあまり変 わらない−2‰の窒素が入ってくるが,脱窒(NO3 →N2)環境下では15Nの含 量が大幅に少なくなったN2が生成するためである.また,アンモニアやNOX を含む雨水中のδ15 N値は平均−5‰と低くなっている.このため陸上生態系 では特に森林においてδ15 Nが低く,脱窒が起る地下水や湖,海洋においては δ15 N値が高くなる(和田,2008a).
2. 3 シンボルマーク
主要生元素は生体の主な構成元素であるため,生体内のD(2H),13C,15N,
17O,18Oなどの量は無視できないものとなっている.第 2 図を見ていただき たい.この図は安定同位体研究分野のシンボルマークともなっているが,体
重50 kgの人は,これら重い同位体を約225 gもっている.13Cを例にとると,
(499) 313
その存在比は12Cの1%程度であり,我々は通常1日に3 g程度の13Cを食べ ていることになる.体の中のこれら重い同位体の存在比は,普段ヒトが何を 食べているかによって決まってくる.このため,生元素の同位体比を厳密に 見ると個人個人の食生活を反映して異なっている.
私たちの体の安定同位体比は,髪の毛の同位体を分析することによって比 較的簡単に求めることができる.第 3 図 aは世界各地でのヒトの毛髪の炭素・
窒素同位体比を測定した結果であるが,明確な地域的な特性を示す.δ13Cの 方向(横軸)に見ると,ブラジルとアメリカが特に高い δ13C値を示している.
これはδ13Cが高いC4植物,特に新大陸原産で,アメリカで広く栽培されて いるトウモロコシへの依存性に対応している.一方,δ15Nの方向(縦軸)に 見ると,インドのベジタリアンが低く,先進国が高い傾向が目立つ.これは,
それぞれ食料の栄養段階が低い「菜食」の地域と,栄養段階が高い「肉食寄り」
の食文化を反映していると読み取れる(第 3 図 b). 第 2 図 アイソトープパーソン
50kgの人は重い同位体を225g持っている.You are what you eat!
図2
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さまざまな国の人々の毛髪の 炭素、窒素安定同位体比
炭素安定同位体比 窒
素 安 定 同 位 体 比
��人
図3a
第 3 図 a さまざまな国の人々の毛髪の炭素,窒素安定同位体比
各国の人々の毛髪の安定同位体比(南川,1987;和田,2002)に,2008年のモンゴル人の髪の毛のデー タ(陀安ら私信)を加筆.石井・和田(2013)より改変.
��の毛髪
人間の毛髪と各種食物資源の炭素、
窒素安定同位体比の関係
炭素安定同位体比 窒
素 安 定 同 位 体 比
図3b
第 3 図 b 人間の毛髪と各種食物資源の炭素,窒素安定同位体比の関係 現代の日本人の毛髪と,食料となる物の炭素窒素同位体比.魚類を食べると窒素同位対比が上昇す ること,トウモロコシなどC4植物を食べると炭素同位対比が上昇することがわかる.
(501) 315
2. 4 同位体比の特徴
同位体比の測定精度は0.01%,すなわち104と高感度である.この104の 感度を持った生態学は,生態系と環境変化の解析に強力な手法を提供する.
ここで生体が持っている三つの情報について考えてみる.その第1はDNAに よって親から子に伝えられる遺伝情報である.第2は記憶の情報である.ヒ トは誕生後,個々異なる体験をし,それが脳の中に記憶として残されている.
現在のところ,記憶のメカニズムは解明されていないが,ヒトの脳内に神経 細胞のオン−オフの可塑性として残されている.第3はDNA→RNA→タン パク質の反応が主となる,生合成系における食料からタンパク質への同位体 の流れである.生物体はその恒常性を維持するために,絶えず外界から栄養 物を摂取し,タンパク質の合成・代謝・排泄を行っている.餌として取り込 まれる食物は,その生育環境によって異なった同位体比を持っている.この ため,生体物質は分子から臓器,そして個体全体のレベルで固有の安定同位 体比をもっている.この比の変動を指紋になぞらえて,「安定同位体のフィン ガープリント」と呼ぶことにする.この安定同位体のフィンガープリントを 解読することによって,その物質の起源や生成経路,食物連鎖の中での位置 付けが分かる(第 4 図).
2. 5 炭素 ・ 窒素自然存在比の経験則
以下に生物界の炭素・窒素同位体比の分布に関する経験則の主なものをま とめた(和田,2008b).
経験則1:
植物の同位体比は地球上の各種生態系の物質循環と環境条件を反映した値 を示すようになる(第 5 図 a,和田・神松,2012).高等植物はC3植物とC4植 物とに大きく分けられる.植物のδ15Nは生育に利用する窒素の起源に支配 され,大気からの降下物<N2固定<土壌中の順に δ15Nが高くなる.水質汚
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濁などの人間活動によって撹乱が起こると一般に δ15Nは高くなる.
経験則2:
食物連鎖の経験則.最近の成果から食物連鎖の経験則は以下のようにまとめ ることが出来る.食物連鎖内における動物の窒素・炭素同位体比の関係につい て,最近,次式のような直線関係が見出された(Aita et al., 2011; Wada et al., 2013). δ15N = 1.53 [± 0.25] δ13C + 40.9 [±5.6] + 定数(p < 0.05) (式1)
この直線は,植物を食べる動物,さらにそれを食べる動物という摂餌過程 における15Nと13Cの濃縮される比率が,動物の種類に関わらず皆同じだとい うことを意味している.
3 世界の植物を炭素・窒素同位体比で透視する
3. 1 陸上生態系大気の二酸化炭素と海水中の炭酸の間の同位体交換平衡と,生物が関与す 図4
図4
図4
第 4 図 SIフィンガープリントは動物の三つの基本情報の一つ
同位体比の特質:分子振動の差で世界を透視すると,全ての分子はフィンガープリントを持つ.
例1はシグマ社製のリンゴ酸の分子内炭素同位体比変化を示した(Bromley et al., 1982). 例2は放射性炭素,13C,重水素の量が異なるメタンの発生源を示してある.
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る不可逆的な酵素反応における速度論的同位体効果の結果,地球上の植物は 地域の環境に応じた固有の炭素・窒素同位体比を持つようになる.第5図a で横軸に示した炭素同位体比は,高等植物に関してはC3植物とC4植物に大 きく分けられる.光合成を行うC3植物とC4植物の炭酸固定系は,二酸化炭 素と最初に反応する酵素が異なっている.通常の樹木はルビスコ系(Rubisco:
C3植物)と呼ばれ,その平均のδ13Cは−25‰である.イネ科の一部の植 物(トウモロコシ,アワ,ヒエなどはペップ(PEP)系:C4植物)に属し,PEP
carboxylaseの同位体分別が小さいためC4植物は平均値−11‰と有意に高くな
る.これが,第3図で示したトウモロコシ食文化圏(南北アメリカ)のヒトの
アマゾンの開発������
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5
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N2固定
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生活廃水
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太線灰色はブラジルと琵琶湖の人間活動の影響 による変化を示している。
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第 5 図 植物のδ15N−δ13Cマップ 植物の同位体比は環境に応じて地域性を示す.
太線灰色はブラジル湖沼と琵琶湖の人間活動を意味する.(Wada et al., 2012より修正)
炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連鎖(和田英太郎・野口真希・石井励一郎)
δ13Cが高くなることの理由である.
後述するように,大気中に比べ水の中では二酸化炭素の拡散速度が小さく なる.このため,陸上の樹木(−25‰)と沿岸の植物プランクトン(〜−20‰)
では炭素同位体比に違いがあるため,炭素同位体比の差から区別することが出 来る.森の中では,光の強い樹冠の葉は林床の葉に比べてδ13Cの値が高くなる.
また草原などで一般に見られることであるが,乾燥化に伴って蒸散を抑える ために気孔が閉じると、葉のδ13C値は高くなる.したがって草原・丘陵では,
高地や斜面の葉のδ13C値は土壌水分の豊富な低地より有意に高くなる.
陸上生態系における植物の窒素同位体比は,窒素の供給経路に強く依存す る.大まかには以下のようにまとめられる(第5図).森林の高等植物の窒素 源は通常降水(平均−5‰)か生物学的窒素固定系(−2‰)であり,木の葉は マイナスを示す.森林や耕地の土壌中では,分解と有機物―土壌間との相互 作用により6±5‰の範囲で変動する.δ15Nの増加は主として土壌水分が高 い箇所での脱窒によって起こるため,一般的には河川上流の山岳地帯から平 野部・下流域にかけて高くなってゆく.平野部における生活廃水は平均6‰で,
河川中のδ15N値を6‰まで高める.これに対して,放牧牛や家畜などが密に 飼育されている場所や海鳥の巣では,尿素や尿酸の分解によって生成したア ンモニアの揮散が進行するため,土壌窒素は特異的に高い δ15Nを示す.第5 図の太線で囲ったブラジルの各種湖沼や琵琶湖の藻類は,都市排水によって
15N含量が高い窒素が負荷されることや,開発による無酸素層の発達によって 脱窒が動き,残った硝酸塩のδ15Nが高くなるためにマップ上で大きく変化 する.このことから炭素・窒素同位体比の変動は水質汚濁の感度の高い指標 となる事が分かる.
3. 2 水界生態系の微小藻類
海の植物プランクトンの同位体マップ(Wada et al., 2012)から,植物プラン クトンは生育に利用する窒素源に応じて(1)高緯度域タイプ:NO3型,(2)
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低緯度貧栄養域NH4型,(3)N2固定型の海域,(4)藻場,の4つに分けられ る(第 6 図).北から南に向かって表面水温(SST)が高くなり生育がよくなる ため,そのδ13C値は高くなる.藻場はC4植物で δ13Cは高い値となる.一方,
植物プランクトンのδ15Nは,δ15N(NO3)値とその濃度によって決まる.西 部北太平洋を例にとると、高緯度の硝酸塩濃度が10μMを超える場合,表層 の植物プランクトンは0〜約3‰程度となり,貧栄養海域では6‰,N2固定
の場合−2‰となる.
4 食物連鎖のモニタリング―安定同位体で見るその普編性
生物の炭素・窒素の生元素の安定同位体比の変動は,生体内でのすべての第 6 図
海洋の植物のC/N同位体比は高緯度域,低緯度海域,窒素固定の海域,藻場の4つに区分される.
(Wada et al., 2012より修正)
図6 77
暖かくきれいな海
高緯度の硝酸 の多い海
窒素固定の 藍藻の海
テキサスの藻場 藍藻の赤潮帯
図6
炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連鎖(和田英太郎・野口真希・石井励一郎)
化学・生化学的プロセスにおける,同位体の重さの違いによる反応速度差(同 位体効果)を反映している.環境の不均一性が高く,これらのプロセスが幾重 にも絡み合った自然生態系では,1つのサンプルの同位体比から,一度にそ れら全てのプロセスについての情報を得ることはできない.しかし,反応を 律速するプロセスごとに,その特性を上手くあぶり出すことができる飼育実 験や,特定の代謝過程の同位体分別係数を比較分析することで,これまでの 生物の直接観察ではわからなかった生物と環境の関係を知ることができる.
例えば同位体比が均一な一定の餌で動物を飼育し,動物の毛や筋肉,その餌 の間の炭素・窒素同位体比の差異を測り,食物連鎖の解析を行えば採餌過程 の同位体効果を推定できる.また例えば,赤潮藻類が急激に生育すると,そ のδ13Cは高くなること,生態系内に嫌気層ができると,脱窒により残った窒 素のδ15Nも高くなることなどを水質指標として使えるようになる.ここか らは,現在,生態学の分野で用いられている,窒素・炭素安定同位体比分析 による食物連鎖の解析例を紹介し,その有用性について述べる.
さまざまな生態系について,その代表的な生物の炭素と窒素の安定同位体 比を2次元プロット(δ13C−δ15Nマップ)すると,動物の摂餌(食う/食われる の関係)の情報だけでなく,各生態系の食物連鎖全体の構造について多くの情 報を得ることができる.最新の研究事例では第2章第5節の経験則2でも述 べたように,海洋,湖,草原の食物連鎖の主立った生物の同位体比は,いず れもδ13C−δ15Nマップ上で概ね直線上にプロットできること,またその傾き は生態系の種類によらず,互いに似かよっていることがわかってきた(第 7 図,
第 8 図).このことは,植物プランクトンや草本植物というような一次生産者
の同位体比が大きく異なっていても,それぞれの上に連なる植食者,肉食者 の同位体の上昇の比率∆δ15N /∆δ13Cは,栄養段階間でも,また生態系間に おいても大きな差異がないということを示している.ここで∆δ15N /∆δ13C は「摂餌課程における窒素・炭素同位体比の増加」を意味する値である.δ
13C−δ15Nマップ上における海洋の多くの生態系でも,食物連鎖にそってδ15N
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図6
第 7 図 食物連鎖と摂餌過程における炭素・窒素同位体比の関係
図
第 8 図7
バイカル湖,モンゴル草原,琵琶湖における炭素・窒素同位体比と食物連鎖 の直線性(Wada et al., 2013,第1図を修正)摂餌過程における窒素・炭素同位体分別に関して 各食物網を通して∆δ15N /∆δ13Cが一定の共通式で表せる ∆δ15N(‰)/∆δ13C(‰)=1.53±0.25(p<0.05)
炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連鎖(和田英太郎・野口真希・石井励一郎)
とδ13Cが有意の直線関係を示すことが多い.Aita et al.,(2011)では,西部北 太平洋域を中心とした海洋中の食物連鎖に関するデータを用いて統計的な解 析を行ったところ、生態系間に有意な差がない、つまり1つの一般式で表せ ることを提示した(式1).このことについて,バイカル湖,琵琶湖,モンゴ ル草原などの陸上生態系の食物連鎖について更に解析を行ったところ同様の 勾配を持つ直線式が得られた(第8図).
5 普遍性―直線が得られるメカニズム
例えばヒトは,基礎代謝や運動のためのエネルギーと,体を作るアミノ酸 を獲得するために必要となる分のおよそ3〜5分の1を他の生物体である食 物から得(再利用:Reuse),残りは自身の体のタンパク質の分解から生成され るアミノ酸をリサイクル(Recycle)していることが知られている.自然界の 食物連鎖では純同化量は概ね10%と見做しうるので,食べた食料の9割はエ ネルギー源として使われていることになる.エネルギーの獲得経路として,糖,
アミノ酸の炭素,脂質を燃やして二酸化炭素と水にする異化プロセスが中心 となる.要約すると,この素過程は以下のように表すことができる,
C6H12O6+6O2 → 6CO2+6H2O.
この一連の代謝系の中において,炭素・窒素同位体効果はどのプロセスで 起こるのであろうか.一般には,質量の小さい結合が開裂するときに起こる.
炭水化物,脂質,アミノ酸の炭素骨格の燃焼では,脱炭酸(二酸化炭素;
CO2の生成)が主たる炭素同位体効果が起こるサイトとなる(第 9 図).すなわち,
餌よりも若干δ13C値の低い二酸化炭素が体から出てゆく.食料の中のタンパ ク質はアミノ酸態で吸収され,動物のエネルギー源として使われる.このた め細胞質中の餌由来の非必須アミノ酸は窒素が除かれ(脱アミノという),δ15N の低いアンモニアや尿素が体外に捨てられ,残ったアミノ酸は高い δ15N値を 示すようになる.体内に残った重い窒素・炭素は,各種アミノ酸をつなぐタ ンパク質合成の際のペプチド結合(-CONH-)に入る.結果として自然界の食
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物連鎖を構成する動物に,これらプロセスのδ15N,δ13Cの濃縮が共通のた め上記直線関係が見られることになる.このことの背後には,動物のエネル ギー獲得系やタンパク合成系の仕組みが同一であり,最大の代謝効率を追求 するため,これらシステムの動態までもほぼ似かよっていることを示唆する.
以下にはモンゴル草原の食物連鎖を例として,その環境や食物連鎖の持続性 について纏めることにしたい.
6 モンゴル草原の栄養塩循環の特徴
モンゴルは日本の約4倍の面積の国土に,約260万人(2007年)が暮らし ている.気候変動では,モンゴルは近年の昇温と少雨の傾向が著しい地域の 1つである.これまでのモンゴルの遊牧の特徴は,土地の私有制がなく,広 い草原の中での家畜の自由な行動であったといえる.モンゴル草原での窒素
第 9 図 動物細胞と15N(○)と
図8
13C(△)が濃縮されるサイト炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連鎖(和田英太郎・野口真希・石井励一郎)
(N)やリン(P)などの保持の主なプロセスは以下のようになる(和田,2003).
(1)家畜による低地から高地へのN,Pの輸送
小高い丘陵に囲まれた一辺数十kmの凹地では,低い所に池ができている か井戸がある.降水や大気降下物,あるいはマメ科牧草の窒素固定により系 内にN, Pが流入している.凹地の真ん中の池に溜まったNやPは家畜が池や 井戸周辺の牧草を食べ,高い場所で糞をすることによって低地から高地丘陵 にリサイクルされることになる.このような草原では池水の地下への浸透と 大気からの窒素やリンの供給がバランスしていると見なせることになる.カ ラコルムの西にあるハンガイのような山岳地帯の草原でも,河畔の牧草が水 を飲みにきた家畜によって摂取され,丘の上への糞尿の散布によってリサイ クルされるシステムとなっている.
(2)河川の氾濫
氾濫原は河川に沿って段丘状に広がっている湿地帯である.モンゴルの山 には樹木が少ないため,雨が降ると氾濫原では洪水になりやすく,各段丘状 の氾濫原の中の河川堆積物は洪水によって氾濫原全体に分散され,場合によっ ては丘まで運ばれる.このような場所には小石がたくさん分布している.こ の氾濫のため,有機物は下流に直ちに流出しにくいことになる.また丘陵に 降った降水は溝に沿って流れ,途中から川は消失して地下にしみ込んでいる 場所がたくさん見られる.このような構造も,雨によって供給されたN,P が河川によって直ぐ下流に運ばれることを防いでいると思われる.このよう な窒素・リンのリサイクルシステム,保持システムがモンゴル遊牧の持続的 維持に重要な貢献をしている.牧草の多様性の維持に関して,藤田昇氏(京都 大学・生態学研究センター・准教授)は,食の好みの異なる多様な家畜の飼育お よび家畜による捕食圧が重要な因子であると述べている(Fujita et al., 2009).
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(3)遊牧社会における水循環と自然の水循環の関係
現在ウランバートルをはじめとするトゥール河,オルホン河下流域の2,3 の都市では,河川敷に井戸を掘り上水として使い,下水処理を行った後で下 流に放流している.このような都市域では下流への窒素やリンの負荷は極め て大きく,最近の例であるが,ウランバートルを流れるトゥール河の水量が 減り,下流域で下水処理水(かなり不完全な処理)の割合が大きくなったため,
減水時に家畜が河川水を飲まなくなり,大問題となっていたことがある.し かし多くの地方の村落は河から1 kmほど離れており,村の中に井戸を掘り,
排泄物も土中にうめるシステムとなっており,河には洗濯あるいは家畜の水 飲み場があるのみで,人間社会システムと自然の流域水システムとは分断し ている.もちろん草原に点在するゲルの生活は川から隔離されている.この 隔離が下流域への窒素やリンの流出を防いでいると思われる.
7 モンゴル草原の食物連鎖―持続性は直線で表せるか
食物連鎖にまつわるδ15Nとδ13Cの直線関係は,安定同位体比が生態系の 持続性について情報を与え得ることを示唆している.モンゴル遊牧草原を例 に見てみよう.第 10 図はKohzu et al.,(2009)のデータから求めた δ13C−δ15Nマップであり,ここからδ15N(‰) = 1.42δ13C + 38.7(r2 = 0.58)という 回帰式が得られる.この傾きは海の食物連鎖から得られた傾き1.53(式1)と 大きく異ならない.筆者らの考えでは、この回帰式で得られた直線は、はる かチンギス・ハーンの時代以前から1,000年を越す時間を通して変化してい なかったと思われる。極めて大胆に言えば、この直線はモンゴル草原の生き 物たちの持続的な生活を示していると言えよう.
ここで、生体内の代謝マップについて「3R(Reuse, Recycle, Reduce)」に注目 して見ると,生体内アミノ酸代謝では餌のアミノ酸を再利用(Reuse)し,体 のタンパク質の分解によるアミノ酸や窒素が不足するような場合でも,尿中 の窒素を再生利用(Recycle)できるように代謝系が作られている.したがっ
炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連鎖(和田英太郎・野口真希・石井励一郎)
て生態系の食物連鎖の中の動物が似た15Nと13Cの濃縮率を示すことは,連鎖 の中の動物同士の代謝の流れが似たようになっており,代謝そのものや連鎖 の中の個々の生物量が贅肉のないスリムな状態(Reduce)になっていることを 表していると考えられる.われわれが,持続的な世界について「3R」と言っ
ているReduce,Reuse,Recycleを,連鎖全体と代謝系のレベルにおいても取
り込んだ形で自然界の食物連鎖は構築されていると思われる.すなわち安定 同位体比から見た食物連鎖は,各栄養段階の生物量の持続性を代謝のレベル まで同調させて成立しているのではないかということを強く示唆する.ここ に今回のタイトルとして取り上げた「同位体効果の普遍性」,言い換えれば「代 謝動態の普遍性」と「3Rを保守する連鎖の持続性」が見えてくる.
ここで述べた「Reduce」というある種の環境適用によって,食物連鎖上の 各種動物は同じような炭素・窒素濃縮率を示し,結果として,δ13C−δ15N 上で連鎖が直線を示すと思われる.すなわち自然界の食物連鎖は,地産地消 と最低必要量の食料事情が同位体マップの上で直線を生み出すことの要因に なっていると考えられる.この点は今後我々の中で慎重に考察し,詰めてゆ きたいと考えている.
図9
第 10 図 炭素・窒素安定同位体比でみるモンゴル草原の持続的食物連鎖の直線
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現在のモンゴルでは,いまだ安定同位体から診た水系と遊牧草原の食物網 の構造は健全で,この状態が1,000年以上にわたって保持されてきたと判断 される.しかし近年始まった市場経済の導入とゴールドラッシュは,この構 造を大きく変えそうになっている.特にヒトの同位体比が変化し始めている.
このことは近年の乾燥化や過放牧,都市における市場経済の振興などが,先 に述べた食物連鎖の3Rを壊し始めていることを示しているのではないだろう か.同位体比モニタリングは検出感度が0.01%であることと,日本人の毛髪 の同位体の変化の速度から考えると,系全体の同位体の直線の変化は10年以 内に検出されると思われる.この安定低同位体比のモニタリングから同位体 を用いた指標や記述モデル・予測モデルをつくり,PDCA(Plan-Do-Check-Action)
サイクルに組み込むことによってモンゴルの食の自立性,持続性を守ること が自然界の摂理を守るために重要となる.SI法から見たモンゴル遊牧の持続 性は,第10図の食物連鎖の直線性を守ることと結論される.
8 お わ り に
筆者の一人和田はJAMSTEC上席研究員を2年間,中央水産研究所特別フェ ローを約2年間,都合4年間これまでの食物連鎖の研究を纏める機会を得て いる.特に海洋の食物連鎖について,その概要を窒素・炭素同位体比の切り 口で明らかにし,物理化学の観測を中心とした海洋観測に,稚魚を含む同位 体低次生態系モデルを連環させたモニタリングシステムの確立に貢献したい と念じている.本稿に述べた同位体食物連鎖に見出された持続的直線性や,
ここでは詳しい説明を割愛した代謝レベルでの理解は,この4年間に分かり 始めた事柄である.これらの理解の先に,上に述べた自然界の食物連鎖と3R
(Reuse, Recycle, Reduce)との関係が見えてきた.自然界の食物連鎖の高位にい る動物は,この3Rの制約の下でギリギリの生活をしていることが想像される.
自然の食物連鎖であれヒトの社会であれ,トップはつらいものだなというの が直観的な感想である.
炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連鎖(和田英太郎・野口真希・石井励一郎)
室田武先生は我々の同位体の研究に興味をもたれ,絶えず激励していただ いた.また,サケの国際会議におけるSI研究の動向などは室田先生を通じて 知ることができた.厚くお礼申し上げたい.先生には今後も,この記念号を 足場に更なるご活躍を期待している.
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(わだ えいたろう・京都大学名誉教授)
(のぐち まき・独立行政法人海洋研究開発機構 地球環境変動領域 技術主任)
(いしい れいいちろう・独立行政法人海洋研究開発機構 地球環境変動領域 研究員)
炭素・窒素安定同位体比から見える自然界の食物連鎖(和田英太郎・野口真希・石井励一郎)
The Doshisha University Economic Review, Vol. 65 No. 3 Abstract
Eitaro WADA, Maki Noguchi AITA and Reiichiro ISHII, C/N Isotope Fingerprints along Food Chains: Their General Nature and Sustainability
The trophic fractionation of carbon and nitrogen isotopes (Δδ13C, Δδ15N) has been examined for food chains in marine and terrestrial environments. The following two features were elucidated: 1. for each ecosystem, the ratios of trophic fractionation of Δδ15N / Δδ13C throughout the food chain could be obtained as the slope of the linear regression line on the δ15N–δ13C plot, and 2. analysis of covariance revealed that the slopes on δ15N–δ13C were not significantly different among these various ecosystems, as shown in the following equation:
δ15N = 1.61 δ13C + [ecosystem specific constant].
This paper discusses those factors that possibly govern the linear relationship between δ15N and δ13C along a food chain; it also examines the possibility of a new scope for stable isotope food chain analyses, while placing emphasis on the general nature of trophic fractionation and the sustainability of a food chain.
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