未熟な男とその妻 : Hawthorneの描く男女関係
著者 大場 厚志
雑誌名 主流
号 58
ページ 67‑80
発行年 1997‑03‑10
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015130
未熟な男とその妻
一 一Hawthomeの描く男女関係一一
大 場 厚 志
官appa
∞
ini's Daughter" (1844)においてGiovanniGuascontiとBeatrice Rappacciniは結局結ばれずに終わるが,この恋人たちの関係には,物語の 内容や質の差を越えて, N athaniel Hawthorneの描く夫婦に共通する男女 関係の特徴が認められるように思われる。Bea出ceは,精神と肉体,無垢と経験,善と悪というような,人間の中の 相反するものの混在を示しているが,それに開眼していない Giov沼田iは彼 女に懐疑を抱き続ける.その懐疑ゆえに彼は彼女を失い,愛を得ることも成 長することもできずに終わる.彼女に解毒剤を飲ませるのは,
I
毒」という 理解不能な部分を取り除き,彼女を理解可能な状態にして受け入れることを 意味するので,懐疑から逃れる行為と言えよう.そしてこれは愛の欠如に通 じる.彼女は本質的には偽りかもしれない外的な感覚よりも,彼女の言葉 (=心)を信じるように言うが,花束で彼女の毒性の有無をテストしようと することに見られるように,懐疑にとらわれた彼は彼女の心に信を置けず,視覚で確認せずにはいられない.つまり彼は女性を真に愛することができな い.また,彼には自己信頼や信念の欠如および依存の心理も窺われる.彼女 のじっと見つめる眼差しから themystery which he deemed the riddle of his own existence"lをつかみ取るという彼の考えは依存の心理を示唆してい
るし,一時的に彼女を信じる方に傾くのも,自分の信念ゆえではなし the necessaryあT四 ofher high attributes"σ ,C120)ゆえであった.これは彼が精 神的に自立できないことを意味している 2
Beatri田は, Hawthorne文学のコンテクストにおいて ,The Scarlet Letter
(1850)のHesterPち羽ne,The Blithedale Romαnce (1852)のZenobia. The Mαrble Faun (1860)のMiriamと同様, ダーク・レイデイ (theD町kLady) の一人であり,彼女の肉体的な「毒」はダーク・レイデイ的特質としての
「経験 (experience
) J
の字むもろもろのものを暗示している ところがその ような「毒」にもかかわらず,精神的には純真・無垢で、ある.r
毒」がGiovanniの懐疑を強くするものの,彼女が彼を悩ませるような何らかの積 極的で意図的な行為をするわけではない.懐疑に苦しむ彼の側により大きな 問題があるという点では,行為の結果が行為者自身に跳ね返るという Hawthorne的アイロニーが彼にも当てはまる.その意味で彼女は「男を映 す鏡
J 4
にすぎず,物語の語り手によって批判されてはいない.批判される のは Giovanniの方である.しかし彼女の存在そのものが悲劇的結末にかか わることに違いはない.すなわち,たとえ Giovanniの側に非があるにして も,彼女はダーク・レイデイ的特質によって,彼を魅了し惑わし,苦悩を 与え,彼の未熟さを顕在化し,際立たせ,悲劇的結末を導く契機となってい るのである.Giovanniに見られる男の未熟さと Beatriceが精神的に及ぼすダーク・レ イディ的影響の示す男女関係の特徴,換言すれば,女性が男の中に潜在する ネガテイヴなものを刺激して破滅へと導くパターン,あるいは,男が女性の 暗部を理解できずに自ら未熟さを露呈し,それが悲劇的あるいは皮肉な結末 を招くというパターンは, Hawthorneの描く夫婦の関係にも何らかの形で 共通して認められるように思われる.以下,本稿では,夫婦が中心人物とし て登場する物語一 RogerMalvin's Burial" (1832),Young Goodman Brown"(1835),Wakefield" (1835),勺'heB批h‑m町k"(1843トにおいて,そ のような男女関係を検証し,それが Hawthorne文学において持つ意味につ いて考察する.
Hawthorneの最も初期の短編の一つである官ogerMalvin' s Burial"にお
いては.GiovanniとBeatriceに見られたような男女関係は.Reuben BourneとDorcasとの聞にはまだ明確な形で見受けられるとは言い難いか
もしれない.しかし Dorcasは, Reubenの人生の陰欝さの大きな原因の一 つになったという意味では,男に対して Beatriceと類似した影響を与えて いるのではないか.
瀕死の状態で、開拓地へ運び込まれたReubenが回復すると,彼女は父親の 安否を尋ねる.そして彼女が,その質問に罪意識を刺激されたReubenの自 己弁護を途中で遮って,守王ediedl"と叫んだことが,彼から考える時間を奪 い,真実の告白を不可能と感じさせることになる.さらにその後の You dug a grave for my poor father泊thewilderness, Reuben?"という言葉は真 実の隠蔽を決定的にする. Reubenは Therestands a noble tombstone above his head" (以上, X,348)と言うが,これは TheScarlet Letterにおける Dimmesdaleの偽善的なもalf‑truth,,5を想起させるe 結果はDimmesdaleの 場合と同様,惨めで屈辱的な拷問となる.そして彼の S田Togatefather"で あるRogerMalvinを埋葬するという誓いの不履行ゆえの強迫観念と,真実 の隠蔽から生じる罪意識が,彼を陰欝にし, thesubst組 問ofhisadult life,,6
を損なっていく.
その一因である彼女の言葉は「娘として当然の(血ial)J感情から発せられ たものなので,必ずしも非難の対象とはならない. (この場面で 自ial"とい う語は二度用いられている.一度目は Dorcasが父親の安否を尋ねる際に,
二度目は埋葬について尋ねる際に,それぞぞ、れ
いう形で.)貨悶li泌al"という語は,彼女の言葉の正当性をより強固にし,読者 の 彼 女 に 対 す る 何 ら か の 疑 問 の 発 生 を 遮 っ て い る ( そ れ に よ っ て Hawthorne はいつものように主人公を苦境へと追い込んで行く).しかし,
埋葬に関する問いかけが,彼女自身の心の平穏のためにもなされたのだとす れば,事'情は変わってくる.彼女がもalf開truth"が苧む暖味さを追及しない のは,埋葬を済ませたという肯定的な返事を期待していたからではないか.
百orcas,perceiving仕lewildness of his latter words, inquired no fur也.erat the time; but her heart found ease...."ぽ,348)とあるように,彼女にとって
は,父親の死の詳細を知ることよりも, Reubenの もalf‑truth"に等しい暖 昧な言葉を, Malvinの埋葬を済ませたという意味の肯定的な返事と解して,
心の平穏を得ることが重要だ、ったのである.結局,彼女は自分の精神的安寧 と引き換えに,後に夫となる男を苦悩と陰欝さに満ちた人生に追い込んでし まうことになるのだ。とはいっても,彼女が精神的安寧を得るためだけに父 親の埋葬について肯定的な返事を期待したと主張しているのではない.肉親 の情と埋葬の重要さを考え併せれは彼女の期待は首肯できる.ここで主張 したいのは,官lial"な問いかけは彼女自身の精神的な自己防衛の手段でもあ るということ,そして結果としてReubenを不幸にする契機になるというこ となのである。
結末部分で Reubenは最愛の息子 Cyrusを殺してしまうが,皮肉にもそ の一因は Dorcasにある.彼が猟に出かける直前に,その日のH付, 18年前 の父親の死,一人荒野で死ぬ恐怖などを彼女治宝語ったことが,彼の息子殺し の大きな誘因のーっとなる.この場合も Dorcasに罪があるとは言い難い.
しかし,作中二度にわたって彼女は彼を過ちへと導いてしまっている一一結 末での彼の祈りという一見肯定的な叙述はともかく,息子殺しは過ちだろう 一一事実は,男の苦悩や陰欝さと女性との因果関係を示している.
Rβubenは陰欝な人聞に変化するのみだ、ったが,マoungGoo也nanBrown"
の同名の主人公は,それだけでなく Giovanniのような懐疑を抱くようにも なる.Goo也nanBrownの未熟さは,人間における善と悪の二面性を認める ことができず,それゆえ経験が成熟に結び、つかなかったことにある.森での 一夜の後,彼は人間の見えない部分へ懐疑の視線を向けるが,これには彼が Giovanniと同様に自立していないことが関連している. She'sa blessed angel on earth; and after出 sone night, fn cling to her skirts and follow her ωheaven."民 75)という言葉や,彼女が夜の森での悪の誘惑に抗う''last
resourse"7でもあったことに,彼の自己信頼の欠如と依存の心理は明らかで ある.
"Faith's ambi♂rity is the ambiguity of womanhood…Faith, like Beatrice Rappaccini, is both pure姐 dpoisonous....必という指摘があるが, Fai出 は Beatriceと類似したこのような性質によって未熟なGoodmanBrownに影響 を及ぼし,彼の人生の陰欝さに深くかかわることになる. Goodman Brown は彼女を「この世の恵みを受けた天使
J
,すなわち清純・無垢であると信じ ていた.ところが彼女は天使と魔女一一無垢/経験,自然(nature)/技巧 (arl)一ーの両面を持ち,使い分けていることが,物語には示唆されている。彼女の天使の側面に依存していて,夜の森の危機的状況ではそれが悪の誘惑 に抗う最後の手段であった彼には,彼女の魔女的側面を垣間見たために,彼 女がダーク e レイデイ的影響を及ぼすことになる.森の一夜以後,懐疑にと らわれ世界観が逆転した彼には,彼女の天使の側面も魔女的技巧による演技 にすぎなかったとしか見えない.森から戻る彼に彼女が柱来で示したキスせ んばかりの大袈裟な愛情表現の身振りは,もはや彼のそのような見方を助長 するものでしかなくなる.そのとき彼の目は演技と見倣すものの背後に向け られ, Go吋manBrown look吋sternlyand sadly血toher 色 町andpassed on without a greeting." (X, 89)という結果となる.その後も家族がお祈りを 始めると,陰気に妻を見つめて顔を背けてしまったりする.彼が妻に向ける 視線は, Giovanniが Beatriceに向ける懐疑に満ちた視椋と同質のものだろ う.彼は「信ずべきことと信ずべきでないこととの聞に弁別がつかjず,
「遂に精神的成熟を達しえなかった男
J 9
のまま生涯を終える。彼の側に非が あるものの,結果としてFaithが彼に対して精神的に及ぼすことになるダー ク・レイデイ的な影響も見逃してはならない.Wakefield"の場合はどうか.主人公Wakefieldの失綜は,妻に夫の存在 意義を身をもって認識させ,日に見える形で自己の存在理由を確認したい,
という願望からだろう.視覚に固執するのは Giovanniと同様である。
72 未熟な男とその妻
Wakefieldの妻は一見平凡に見える夫の中に潜む利己主義や虚栄心や策略好 みを察しているが, ;exemplarywife" (IX, 134)一一少なくとも夫はそう見倣 しているーーなので,秘密めかした夫の旅の目的や期間を尋ねたい気持ちを 抑えて彼を送り出す.これは男の気まぐれ,優越感,自惚れなどへの迎合と 言えよう.妻の恭順は迎合にすぎないということを理解できず,自分は生来 従順である妻を理解し保護し支配していると錯覚する夫は,自分の不在が妻 に与える衝撃を予期していて,それを視覚で確認しようとした.ところが,
…he is rendered obstinate by a sulkiness... brought on... by the inadequate sensation which he conceives to have been produced in the bosom of l¥仕s. Wakefield. He will not go back until she be面ghtenedhalfωdeath." (IX, 136)とあるように,妻の反応は予期に反していた.自分の不在が妻の胸に
「不十分な感情 (inadequatesensation)Jしか生じさせえなかった,すなわち 妻の動揺や不安や恐怖が予期したほどではなかった,と彼が感じていること には注目すべきだろう 10ここで彼は自分の知る妻と現実の妻との相違に,
妻の中の不可解なものに,直面している.
r
不機嫌」になったのは,それを 正しく認識していないためだ.彼には支配していると思っていた妻が理解で きなくなっていく.自己の存在理由を目で確認して満足するどころか,妻の 理解不能な部分ゆえに,意識下に潜在していたとおほしい懐疑一一別れ際の 彼の妻への quietand crafty smile" (IX, 133)が示す優越感は懐疑がまだ彼 の意識にないことを示唆するーーを顕在化してしまうのである.これは,夫に一方的影響を及ぼされるだけに見える妻も,逆に影響を及ぼ し返していることを示している.その影響は, Wakefieldが失綜して10年後 に二人が人込みで出会う場面で一層顕著になる.肉体的にも精神的にも衰え の目立つ夫と,肉体も精神も健康で寡婦の悲しみすらも心の糧になっている 妻とが,極めて対照的なのである.11 Wakefieldの衰弱は, MyKinsman, Major Molineux" (1832)のRobinと同様にもう戻れない家,気まぐれや虚栄 心のために自ら捨てた形になったがゆえにRobin以上に戻れるはずのない
家を,自分のものと呼び続けている(医, 139)ことにも暗示されているよう に,自立していなし、からである.彼は妻の自分への依存を疑わなかったーーだ から自分の不在が妻を死ぬほど恐怖させるはずだと考えた が,皮肉にも 彼の妻への依存が露呈されたのだ.夫は自立できないまま衰弱し,妻は自立
して強くなっていくのである.
影響を及ぼす側であるはずの Wakefieldが実は影響を及ぼされるという この逆転は,どこから生じているのか.それは妻が自立できるのはなぜかと 問うことでもある.彼女の自立は,一つには懐疑を抱かず現実を受け入れた からだが,彼女の健康や,寡婦の悲しみすらも心の糧にすることに窺われる ような精神的強靭さにも依存する.そしてそれは Wakefieldの懐疑と無関 係ではない.彼が家に戻る直前は,冷雨の中で彼が妻のいる部屋を見上げる 場面である.
…Wakefield discerns, through the parlor緬windows,…the red glow, and the glimmer and fitful flash, of a comforlable fire. On the ceiling, appears a grotesque shadow of good Mrs. Wakefield.四ecap, the nose and chin, and the broad waist, form an admirable caricature, which dances, moreover, with the up‑flickering and down sinking blaze, almost too me出lyfor the shade of an elderly widow. (民 139)
明るく暖かい「内」と冷たい「外」との対比が Wakefieldの帰還を首肯す ることへと導く.
r
外」の夫からすれば,r
内」はたとえそこに妻一人しかい なくても「家庭 (home)Jなのである.注目すべきは,その「家庭」の維持 に窺われる彼女の強靭さが男には意外で得体の知れないものと映ることだ。彼女の「グロテスクな影」の陽気なダンスという一種不気味なイメージは,
妻に潜むそのような不可解な強靭さ,換言すれば,生命力あるいは性的エネ ルギーを表しているのではないか.Wakefieldが予期したほど彼女が夫の失
院に精神的打撃を受けなかったことも,彼女の肉体的・精神的健康も,自立 した姿も,このような生命力・活力に言及したものだろう.彼女には受動性 の背後に意外な能動性が潜在していたのだ.彼女のそのような生命力・活力 には,質と程度の差を越えて, Giovanniが Beatriceに感じる性の魔力 (r毒J)や, Dorcasの精神的自己防衛を促した自己保存本能のようなものや,
Goodman Brownが垣間見たFaithの暗部などとの類似を認めることができ ょう.Wakefieldが懐疑から解放されえなかったのは,一つには妻に潜在す るそのような性質に原因がある.もちろん妻に責任はないのかもしれない.
彼女は一方的にひどい仕打ちを受けるだけである.Beatriceと同様に,
r
男 を映す鏡jの働きをしたにすぎない.ただ,彼女の肉体的・精神的健康,生 命力あるいは性的エネルギー,そしてそういうものゆえの自立が,Wakefieldのような内向的,消極的で,どこか精神的に病的な者には,不健 全さ,未熟さというネガテイヴなものを引き出す契機にもなる,とは言いう
るだろう.
句'heBirth‑mark"においても, Aylmerが妻Georgianaの躍に向ける視 線には, GiovanniやGoodmanBrownやWakefieldのものと同質の懐疑が 認められるように思われる. thefatal flaw of humanity"低 38)であり''the symbol of imperfection" (X, 39)と感じられる誌を取り除いて妻を完全な存 在にしたいという Aylmerの願望は,癒が彼の知性・理性の領域外にあるも のだということを示す.すなわち癒は,彼にとって妻の中の理解不可能な部 分なのである.Beatriceの「毒
J
,Faithの暗部, Wakefieldの妻の生命力な どに相当するものが, Georgianaの場合には癒という形に可視化していると 考えていい.ということは彼が妻の誌に向けるおぞましげな視線は,得体の 知れぬものが妻に潜在するのではないかという彼の懐疑を暗示することにな る.したがって誌の除去は,科学の力によって彼女を彼の理性・知性の領域 内に取り込む行為であり, GiovanniがBeatriceに解毒剤を飲ませるのと同 質のものである.GiovanniやGoodmanBrownやWake五eldの場合と同じように, Georgianaの癒に可視化された彼の理性で捉えられないものが彼の 未熟さを刺激するのであり,その意味では,男に不可解な部分を含む彼女の 存在そのものが,未熟な男にはダーク・レイデイ的影響を及ぼすと言える。
それに加えて,彼女には夫の運命にかかわる他の側面も見受けられる.癒 の除去への同意は,彼女が従順で貞淑で、家庭的な妻であること,しかもこの 場合には命もかかっている一一癒と肉体・生命との深い連関には彼女も気づ いているーーので,夫に全的信頼を寄せる気高く立派な妻であることを示し ている.しかし見方を変えれば,夫への全的信頼・恭順は精神的負担を伴わ ない選択とも言えよう.ここでGeorgianaは, Dorcasと同様に,自分の精 神的苦痛を除去するのと引き換えに, Aylmer一人に重荷を背負わせてしま ったのである.もちろん,不完全さを免れないはずの人聞を科学@人知で完 全にしうるという信念を抱き,彼女の美質よりもただ一つの欠点の方に拘泥 する彼の側に非があることは,言うまでもない.しかし,彼女の側に全く問 題がなかったと果たして言いうるだろうか.
r
家庭」の象徴である炉辺にい るときでさえ夫は妻の癒を見て嫌悪し,妻は夫の視線に身震いする.この状 況は「家庭」の欠如を示唆している.r
見るJ/ r
見られる」という関係自 体が両者間の「距離」を示すものでもある.したがって,誌の問題は「家庭」の問題でもあるのだ.誌の除去が科学にかかわるだけに, Aylmerにしか解 決できないと見倣されがちだが,
r
家庭」というレヴェルにおいては,やは り夫と妻の双方に責任を帰すべきだろう. Donot repent也atwith so high and pure a feeling, you have rejected the best the earth could offer."民 55) という Aylmerへの言葉に見られる彼女の現実性や, ''the白 羽nessof which she possessed no stinted endowment",
Cx
51)も考え併せれば,反自然・反 現実のイメージを伴う癒の除去への同意は精神的負担の少ない選択としか言 いようがない.それは「家庭」をつくる努力の放棄であり,自己主張の放棄 であり, Wakefieldの妻に見られたような男の専横への迎合である.そして 彼女は自己否定へと向かう.誌を Aylmer以上に嫌悪するようになっていくのはその証左となろう.そこには現実の自分以上に美しくなりたいという願 望も垣間見える.精神的苦痛の除去と一層の美の獲得が,自己否定と夫への 迎合の見返りだ、ったと言えるが,それが皮肉で悲劇的な結末をもたらすこと になるのである.
このように見てくると, Hawthomeはおそらく一般に考えられている以上 に「男女関係
J
を描いていて,そこには外見と実体というこの作家なじみの テーマが,彼の描く妻たちにも現れているということが分かる.そして実体 の側に属するものによって,彼女たちは男の未熟さを顕在化させ,結果とし て悲劇的結末を招く誘因のーっとなる.未熟な男が女性を真に愛せないこと や依存の心理にその主たる原因があるのだが,彼女たちのダーク・レイデイ 的影響は無視できない@異教徒的誘惑者のイメージおよび役割を持つダー ク・レイデイたちの肉体性・官能性には, Hawthomeにしてはそれ相応の 描写がなされており,彼女たちは何らかの意味で男を誘惑し苦悩に陥れる.男の側にも問題はあるが,その原因としてはやはり彼女たちのダ}ク・レイ デイ的な特質が顕著である.それに対して彼の描く妻たちに関しては,
Faithの両義J性への示唆を別として,そのような特質は触れられていない.
それどころか,彼女たちの描写自体が極めて少なく,読者の関心を引くこと もあまり多くはない.にもかかわらず,彼女たちが結果としてダーク・レイ ディとほぼ同質の影響を及ぼすことは,やはり注目に値する.
どうやら Hawthomeにとって女性は,フェア・レイデイ(theFair LadyP という一種の救済装置を持ち込まない限り,男から精神的安寧を奪うもので あるらしい.敢えて言えば,女性のダーク・レイデイ的景鐸事の方が自然なの であって,フェア・レイデイによる救済の方が不自然なのである.たとえば,
The House of the Seven GablesやTheMαrbleFIαunにおける Phoebeと 日ldaによる救済には,それぞれHolgraveとKenyonの変容が前提となっ ているが,彼らの変容の唐突さには不自然さが感じられよう 13やはり男は
未熟で、あり女性はその未熟さを引き出す存在というのが, Hawthorneにお いてはむしろ自然な男女関係であるようだ.Wakefieldの妻を形容する exemplary"というのは,
I
家の中の天使」であることを男の側から期待・強要された当時の妻の在り方の定型を意味するものだ、ったのだろうが,その ような奏にさえ,未熟な男とのかかわりにおいて,ダーク。レイデイ的な要 素を見いだしうるところが,いかにも Hawthorne的であるように思われ る.
この Hawthorne的男女関係は,男女の相互理解の問題につながっていく だろう.Aylmerの癒の除去や Wakefieldの失践に見られるように,男の妻 に対する行為は常に一方的である.そこに相互的関係と呼べるほどのものは 認められない.少なくともそれは男の意識にはない.妻に対して Aylmerや Wakefieldほど直接的な行為をするわけではない GoodmanBrownや Reubenの場合も,妻との意志陳通の欠如が,前者の懐疑と後者の苦悩の一 方性,閉鎖性を示している.要するに,彼らには妻との関係において根本的 な相互理解の態度がないのである.妻たちは彼らの専横に受動的であるにす ぎない.興味深いことに,彼女たちのダーク・レイデイ的作用は,彼らの一 方的行為が皮肉にも自分たちに跳ね返り双方向の行為に変ずること,つまり 男女の相互関係を招来することを意味する.夫の意志に関係なく,いやむし ろ彼の意志に反して,妻が夫を相互関係に引きずり込むのであり,これは妻 の一人の人間としての存在に我々の関心を引くものである.結果として男が 振り回され,そこに未熟さが露呈することになり,悲劇的あるいは皮肉な結 末を招くのは,妻を対等と認めない夫の倣慢さへの報い,あるいは女性の服 従を前提とする男性中'L.、社会の査みと解することも可能だろう.少なくとも,
家庭という領域における女性の男性への従順・迎合のみをもって,女性を支 配。理解していると考えることの問題性は提示されている.Hawthorneの 描いた夫たちの運命は,その誤解の危険性を示していると言えよう.
とはいえ,ことを男女の相互理解の問題だけに一般化することはできない。
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G
∞
dmanB問 問1やAylmerやWake五eldらがあるがままの妻を理解できな いこと, Reubenも含めて彼らが妻との相互関係において振り回されるばか りであること,相互理解への開眼の暗示もないまま物語が終わることは,男 女の性差の問題が容易に解決できないことを示唆している.結局のところ,彼らの運命が我々に最も訴えかけることは,男女の相互理解の必要性以上に,
男にとっての女性の不可解さなのである.これは Hawthorne自身の女性観 の一つの反映ではないだろうか.これまで扱ってきた短編は TheBirth胴 mark"以外は作家の独身時代の作なので,これらのみを手掛かりに作家の 女性観について述べるのは,無理があるように思えるかもしれない.しかし 興味深いことに,結婚後には Beatriceを始めとしてダーク・レイデイたち を描いている 14そして結婚前には従順で、控え目で官能性一一あるいは官能 的な描写ーーに乏しい妻たちを描き 15結婚後には肉体的・官能的で「家庭
J
と相容れないダーク・レイディたちを描いていることは,一見したところ結 婚による彼の女性観の変化を示しているように見えるが,これまで見てきた ような妻たちのダーク・レイデイ的な側面から判断すれば,おそらくそうで はない.夫の専横な意志のままに扱われる妻たちの中に潜む,男の理解を越 えたもの,男に制御できないもの,男を過ちに導くものなどは,後にダ}
ク・レイデイのイメージに李まれる特質の中により明確な形を与えられるよ うになったのだと考えられる.その意味においては, Hawthorneの女性観 にあまり大きな変化はなかったと言えよう.初期の短編から晩年の長編に至 るまで,男性にとっての女'性の理解不能な部分が繰り返し描かれるというこ とは,おそらく彼にとって女性が,作家としての生涯を通じて,真の理解の 及ばない存在だったこと,少なくとも彼はそう感じていたこと,を示唆して いる.ここで扱った男たちのみならず,他の短編や長編に登場する男たちも 含めて 16未熟な男たちには,作家自身のそのような意識が多分に反映して
いると考えられる.
注
*本稿は, 日本ナサニエル・ホーソーン協会第13回全国大会 (1994年5月20日, 熊 本学園大学)において口頭発表したものに加筆修正を施したものである.
1 Na吐1紅 白IHaw也orne,官appaccini'sDaughter," Mosses 斤'OmαnOldMαnse,The Centenαry Edition of the Works of Niαthaniel H
,
αwthorne, Vol. X, ed. Roy Harvey Pear∞et al. (Columbus: Ohio S匂.teUniv. Press, 1974), p. 110.以後, Hawthorne からの引用はすべてこの版を使用し,本文中に巻数とページ数で出所を示す.2 官appa∞,ini'sDaughter"における Giov加miの懐疑および自己信頼・信念の欠如 については,以下の論文で以前指摘した.大場厚志「庭と毒と傍観者ーホーソーン の「ラパチーニの娘JJ,荻野昌利編『読みのパノラマ 英米文学論集j (こぴあん 書房, 1994), p.2
∞ .
3 もちろんこの短編は多種多様な解釈がなされているので,
r
毒」に関しでも他に 様々な解釈があることは言うまでもない.4 Judith Fetterley, ''Women Beware Science: 'The Birth‑m訂kナCriticalEssα:ys on Hαωthorne's Short Stories, ed. Albert J. von Frank (Boston: G. K. Hall, 1991),
p.169.
5 Roy R. Male, Rαwthorne's 7干噌icViおめn(Austin: U:凶v.of Texas prωs,1957), p. 94.
6 Gloria C. Erlich, Flαmily Themes and Rαwthorne's Fiction: The Tenacious Web (New Brunswick, N. J.: Rutgers U凶v.Press, 1984), pp. 115, 113.
7 Terence Martin, NathαnielRαwthorne (Boston: Twa:戸le,1983), p. 85. 8 Male, p.77.
9 三宅卓雄,
r
どう読むかアメリカ文学 ホーソーンからピンチョンまでーJ(あぽ ろん社, 1987), p. 123.この引用の直前の部分も以下に引用しておきたい.r
森へ行 く以前の彼の子供っぽい信じ易さと森から帰ってからの不信とは全く逆のようであ りながら,実は同じ未熟さということの表裏Jである.10 inadequate sensation"については他の解釈も可能かもしれないが,本文中の引 用の最後で,彼女が死ぬほど恐がるまで婦らないぞ,と Wakefieldが思っているこ とから,彼女の不安や恐怖の小ささを指していると解したい.なお, 予期に反する 妻の反応についてErlichは, Herrevenge is in her placidity, which ∞mmunicates the man's insignificanω"と指摘する.Erlich, p. 82.
11 彼女は portlywoman"であるのみならず身長も高いらいハ.群衆に押されて彼 女の胸がWakefieldの肩に当たった(IX,137)ことがそれを示唆している.大柄であ ることも肉体的(および精神的)に健康な婦人のイメージを補強する.
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12 The House of the Seven Gables (1851)のPhoebe,The Blithed
α
le Romanceの Priscilla, The Mαrble F'<αunの Hilda. Hawthomeにおいては, 概して「無垢 (加nωenω)Jの苧むもろもろのものがフェア・レイデイ的特質と見倣されている.13 TheHo悶eoft恥,&venGablesにおいて, HolgraveはPhω:beとの結婚により「家 庭(home)Jを与えられ,放浪生活から救われるが,彼の唐突な変容に依存するこの 長編の結末ほど,不自然だというそしりを受けたものはない.TheMαrble F'<αunの 結末では, I幸運な堕落 (fortunatefall)Jへの態度を唐突に翻したことによって,
Kenyonは 回ldaに受け入れられ, I故郷 (home)Jへ連れ戻してもらえるが,これ は彼の感情教育と呼べるものを途切れさせることになる.一種の視点的人物である 彼の視点から物語を眺めてきた読者には,不自然と感じられるところである.
HolgraveとKenyonの変容は, I放浪Jから「定着jへの,反逆者から円満な社会 人への変容であり,彼らを「成熟」へと方向づけるものである.つまり彼らの変容 の唐突きは,彼らの「成熟」の不自然さを示唆していることになる.
14この指摘および結婚後のダーク・レイデイ創造の意味については,島田太郎,
「ホーソーン演習‑‑TheScarlet Letterを中心に一一J
r
英語青年.1,c x x x ,
No. 2 (1984),81および No.4 (1984), 182参照.15 Georgiana は, 1842年の結婚後にHawthomeが描いた女性に属するが, 彼女の 癒に見られる女性の暗部の可視化は, ダーク・レイデイ的特質の肉体的な可視化へ とつながるように思われる.その意味では, "The Birth‑mark"の翌年に発表の Rappaccini's Daughter"において,肉体的に「毒」を持つBeatriceというダー ク・レイデイが登場するのは興味深い.
16たとえば,処女作品nshα四 (1828)のFanshawe,岬1'heArtist of the Beaut出f (1844)のOwenWarland, The Scarlet LetterのDimmesdale,The Blithed,αle Romαnceの 阻lesCoverdaleらのように, 女性と結ぼれることのない者たちが想起
きれよう .TheMαrble F'<αunのKenyonは結末でフェア・レイディと結ぼれるが,
DimmesdaleやCoverdaleと同様,ある意味でダーク・レイデイに翻弄される.