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「魔道」の成立 : 『扶桑略記』「大鬼道」考

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(1)

「魔道」の成立 : 『扶桑略記』「大鬼道」考

著者 久留島 元

雑誌名 文化學年報

号 63

ページ 361‑381

発行年 2014‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027778

(2)

「魔道」の成立 : 『扶桑略記』「大鬼道」考

著者 久留島,元

雑誌名 文化學年報

号 63

ページ 361‑381

発行年 2014‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027778

(3)

﹁ 魔

道 ﹂

の 成 立

﹃ 扶桑 略 記

﹄﹁ 大 鬼 道

﹂考

久 留 島

は じ め に 院政

期か ら鎌 倉期 にか けて

︑﹃ 続 本朝 往生 伝﹄ や﹃ 今昔 物語 集﹄

︑﹃ 沙 石集

﹄な どの 仏教 説話 集は 多く の﹁ 天狗 説話

﹂ を 語 っ た!

︒ 仏教 説 話 にお い て﹁ 天 狗﹂ は︿ 魔﹀ と 同一 視 さ れ︑

﹁天 魔

﹂﹁ 魔 縁﹂

﹁魔 王

﹂な ど 仏 法 を 障 碍 す る 魔 物 と し て 認 識 さ れ る︒ ま た

︑中 世 に は

﹁天 狗

﹂や

︿魔

﹀は 日 常 的 な 用 語 で も あ り

︑日 記 資 料 の な か に も 多 く 用 い ら れ た"

︒本 稿で は︑ 日本 にお ける

︿魔

﹀に つい て︑ その 受容 と理 解を 考え たい

︒ 一︑

問 題 の所 在 伊藤

聡氏 は︑

﹃ 神道 とは 何か

神 と仏 の日 本 史﹄ の なか で

︑古 代 末か ら 中 世 にか け て の︿ 魔﹀ に対 す る 関心 を 次 の よ うに まと めて いる

― 361 ―

(4)

︿ 魔﹀ とは

︑釈 迦が 菩提 樹下 で禅 定に 入っ たと き

︑そ の 成道 を 妨 げよ う と し た存 在 で ある

︒そ の 後 も仏 道 修 行 者 を障 碍す るも のと 考え られ て きた

︒ま た そ れか ら 転 じて

︑煩 悩 の 意 味と も 理 解さ れ た︒

︿ 魔﹀ の観 念 は

︑仏 法 と 共に 日本 にも 受容 され たが

︑特 に中 世に なる と︑ 二つ のイ メー ジで 展開 する

︒ひ とつ は︑ 欲界 の支 配者 第六 天 魔 王と して

︑国 土創 世神 観念 と結 びつ き︑ いわ ゆる 第六 天魔 王説 話が 生ま れる

︒そ して もう ひと つが

︿天 狗﹀ と の 習合 であ る︒

︿ 天狗

﹀と は古 代中 国で は︑ 天に あ っ ては 星

︑地 上 にあ っ て は 一個 の 獣 に変 ず る 妖怪 だ が

︑日 本 に 入る と仏 法の 魔の 観念 と結 びつ く︒ しか も︑ この 天狗

魔 は高 僧や 帝王

・貴 顕な どが 死後 転生 した 姿と 考え ら れ

︑そ れら の住 む魔 道な る世 界ま でも 創造 され た︒ これ らは

︑驕 慢の 罪に より 成仏

・往 生も 叶わ ず︑ さり とし て そ の積 み上 げた 福徳 ゆえ に地 獄道 にも 堕ち ない 存在 で︑ 仏法 を妨 げん と図 る悪 霊の 一種 であ る︒! 伊藤

氏は また

︑別 書で も中 世に おけ る︿ 魔﹀ へ の関 心 に 着目 し

︑﹁ 自 分た ち と 同 じく 行 者・ 学 生だ っ た 同朋 と し て の

︿魔

﹀﹂ と いう 性格 につ いて

︑︿ 魔﹀ や神 仏で すら も対 話︑ 交渉 可能 な対 象に 引き ずり 下ろ す﹁ 近世 的な 世俗 主義 へ の 助走

﹂と 位置 づけ てい る"

︒ 佐伯 真一 氏も

︑院 政期 から 鎌倉 初 期に か け ての 日 記︑ 記 録類 に お け る﹁ 天狗

﹂﹁ 天 魔﹂ の 用例 か ら︑ 興 味深 い 論 考 を 発表 して いる

#

︒ 仏教

の正 しい 道へ 向か おう とす る人 の心 をか き乱 し︑ 狂っ た行 動を とら せる

│そ れは

︑正 当な 仏典 の世 界で は

﹁魔

﹂﹁ 天魔

﹂の 所行 だっ たと 思わ れ るが

︑日 本 で は︑ 平安 後 期 頃に は 天 狗 がそ う し た領 域 に 進 出し

︑﹁ 魔

﹂の 一 種 とし て活 動し てい たよ うな ので ある

$

「魔道」の成立 ― 362 ―

(5)

さら に仏 道障 碍だ けで なく

﹁世 を乱 す﹂ 行 動一 般 も﹁ 天 魔の 所 為﹂ と され る よ う にな り

︑﹁ 天 狗と の 境 界は 一 層 不 分 明に なっ てい った

﹂こ とが

︑軍 記物 語に お いて 人 心 を惑 わ し 戦乱 を 起 こ させ る

﹁天 狗﹂

﹁ 天魔

﹂の 描 写 につ な が っ た とい う︒ 伊藤 氏︑ 佐伯 氏の 示す 展望 は首 肯で きる もの であ る︒ しか し︑ 次の よう な︿ 魔﹀ に対 する 認識 は﹁ 天狗

﹂と の習 合 と いう 側面 だけ で理 解で きる だろ うか

︒ 此由

ヲ新 院被

聞食

︑﹁ 口 惜事 ゴザ ンナ レ

︒⁝

⁝我 願 ハ五 部 大 乗経 ノ 大 善 根ヲ 三 悪 道ニ 抛 テ︑ 日 本国 ノ 大 悪 魔 ト成 ラム

﹂ト 誓ハ セ給 テ︑ 御舌 ノ崎 ヲ食 切セ 座テ

︑其 血ヲ 以テ

︑御 経ノ 奥ニ 御誓 状ヲ ゾア ソバ シタ ル︒

︵半 井本

﹃保 元物 語﹄ 下巻

! 同 廿一 日 の 午の 刻 に︑ 難 波三 郎 に 仰 て六 条 河 原に て 切 れ ける 時

︑悪 源 太

︑申 し け る は﹁

⁝⁝ 運 の き は め な れ ば

︑今 生に てこ そ合 戦に うち まけ て情 なき 目に もあ ひけ れ︒ 恥辱 をば かく とも

︑死 ては 大魔 縁と なる か︑ しか ら ず は雷 と成 ッて

︑清 盛を はじ め汝 に至 まで

︑一 々に 蹴殺 さん ずる ぞ﹂

⁝⁝

︵﹃ 平 治物 語﹄ 中巻

"

﹃ 保元 物語

﹄や

﹃平 治物 語﹄ にお いて

︑崇 徳 院 や悪 源 太 義平 は

︑自 ら

︿魔

﹀に な るこ と を 望ん で 死 を選 び

︑現 世 に 祟 り を なす

︒注 目 す べき は 人 の 死後 の 世 界と し て﹁ 魔 道﹂ が認 識 さ れ︑ 死 後︿ 魔﹀ とな っ て も 現 世 に 干 渉 可 能 で あ る

︑と する 通念 であ る︒ この よう な︿ 怨霊

﹀的 性格 は︑ 本来 仏道 に外 れ︑ 仏法 を障 碍す るべ き︿ 魔﹀ とは 異な った も の であ り︑

﹁ 天狗

﹂と の習 合だ けで 理解 でき るも ので はな い︒ 以 下で は

︑院 政 期に 成 立 した と さ れ る﹃ 扶桑 略 記﹄ に み え る﹁ 大 鬼 道﹂ と い う 記 述 に つ い て 考 察 す る

︒﹁ 魔

﹂﹁ 魔

― 363 ― 「魔道」の成立

(6)

﹂へ の考 察と して は迂 遠に 過ぎ ると も思 われ よう

︒し かし

︑院 政期 に成 立し たと され る歴 史書

﹃扶 桑略 記﹄ の記 述 か ら︑ 院政 期か ら鎌 倉期 にか けて 魔道 や冥 界に 対す る認 識が 明ら かに なる と考 え︑ 以下 に考 察し てい くこ とと する

︒ 二︑

﹃ 扶 桑略 記

﹄ の﹁ 大 鬼 道﹂

﹃ 扶桑 略記

﹄︵

﹃ 略記

﹄と 略称

︶皇 極天 皇四 年︵ 六四 五︶ 条に よれ ば︑ 中大 兄皇 子ら に攻 めら れた 蘇我 蝦夷 は自 死し

﹁大 鬼道

﹂に 堕し たと いう

︒ 蝦

夷臨

誅殺 自殺

︒︻ 年□ 十六

︼堕

大鬼 道

# しか

し死 んだ はず の蝦 夷は

︑重 祚し た斉 明天 皇の 御代 にお いて

︑た びた び怪 異現 象を 引き 起こ すこ とに なる

!

元 年五 月

︒空 中 有

龍者

︒貌 似

唐 人

︒ 着

青 油 笠

︒ 自

葛 城 嶺

︒ 馳而 隠

膽駒 山

︒ 及

午 時

︒ 従

住 吉 松 之上

︒西 向馳 去︒ 時人 言︒ 蘇我 豊浦 大臣 之霊 也︒

"

七 年辛 酉夏

︒群 臣卒 尓多 死︒ 時人 云︒ 豊浦 大臣 霊魂 之所

為也

!

︑斉 明天 皇即 位の 年︑ 空に 龍 に乗 っ た もの が 現 れた

︒そ の 顔 は﹁ 唐 人﹂ に似 て

﹁青 油 笠﹂ を着 て い た とい う

︒ そ の怪 人は

﹁葛 城嶺

﹂か ら﹁ 膽駒 山﹂ へ 馳せ 来 て︑ 午 時に 及 ん で﹁ 住吉 松 の 上﹂ か ら西 へ 向 かっ て 飛 び 去っ た

︒﹁ 時

「魔道」の成立 ― 364 ―

(7)

の 人﹂ は﹁ 蘇我 豊浦 大臣

﹂す なわ ち蝦 夷の 霊だ と語 った

︑と いう

!

は︑ 斉明 天皇 七年 の夏

︑群 臣が 多く 死に

︑や は り

﹁時 の人

﹂は

﹁豊 浦大 臣﹂ の霊 魂の 仕業 だと 噂し たの だと いう

︒ さら に﹃ 扶桑 略記

﹄は

︑斉 明天 皇の 晩年 にも 怪異 が頻 発し たと 語る

"

五 月︒ 天皇 遷│

居筑 紫朝 倉橘 廣庭 宮

︒此 時︒ 切│

除朝 倉社 木

︒由

之 神忿 壊

殿

︒亦 見

鬼火

︒于

時 大 舎 人并 諸近 侍病 死者 衆︒

#

七 月廿 四 日︒ 天皇 崩

︒山 陵 朝倉 山

︒︻ 八 月︒ 葬喪 之 夕

︒朝 倉 山上 有

鬼︒ 着

大 笠

視 喪 儀

︒ 人 皆見

之︒ 陵 高 三丈

︒方 五町

"

で は︑ 天皇 が筑 紫に 宮を 造る ため 朝倉 社の 木を 切り

︑神 が怒 って 宮殿 を破 壊し た︒ また 鬼火 が出 現し

︑大 舎人 や 近 侍た ちが 多く 病死 した とい う︒

#

で は︑ 天皇 の葬 送を 朝倉 山の 山上 から

﹁大 笠﹂ を着 た鬼 が見 てい た︑ とい う︒

﹃ 略記

"

#

記事 は 直 接﹁ 蝦夷

﹂﹁ 豊 浦 大臣

﹂と は 書 か れな い が︑

﹁ 鬼火

﹂﹁ 鬼

﹂の 文 字に

︑﹁ 大 鬼 道﹂ に堕 ち た 蝦 夷 の影 をみ るこ とは

︑牽 強付 会と はい えな いだ ろう

︒事 実そ うし た解 釈が あり 得た こと は﹃ 簾中 抄﹄ 上巻 に明 らか で あ る︒ 入鹿

か父 豊浦 大臣 身つ から 火に おち 入て しぬ 大鬼 とな れり

︵﹃ 簾中 抄﹄ 皇極 天皇

$

此御 時の すゑ に人 おほ くし にけ り豊 浦大 臣の れい のす ると そい ひけ る其 れい はり うに のり て空 をと ひあ りき け

― 365 ― 「魔道」の成立

(8)

り み かと のう せ給 ひて 御わ さの 夜も おほ かさ をき て見 あり きけ ると そ

︵﹃ 簾中 抄﹄ 斉明 天皇

﹃ 簾中 抄﹄ は藤 原資 隆の 編纂 とさ れ︑ 平安 末期 に は 成立 し

︑鎌 倉 初期 に 補 筆 され た と いう 類 書 であ る

︒さ ら に﹃ 簾 中 抄﹄ に拠 る﹃ 愚管 抄﹄ は次 のよ うに 語る

︒ 豊浦

大臣 ノ子 蘇我 入鹿 世ノ 政ヲ 執レ リ︒ 其振 舞宜 カラ ズ︒

⁝⁝ 父豊 浦ノ 大臣 家ニ 火ヲ サシ テ焼 死ヌ

︒マ タ日 本 国 ノ文 書此 家ニ テ皆 焼ヌ ト云 ヘリ

︒此 大臣 大鬼 トナ レリ

︵﹃ 愚 管抄

﹄巻 一 皇極 天皇

!

此御 時ノ 末ニ 人ヲ 多死 ケリ

︒豊 浦ノ 大臣 ノ霊 ノス ルト 云ヘ リ︒ 其霊 龍ニ 乗リ 空ヲ 飛ビ テ人 ニ見 ケリ

︒此 天皇 葬 ノ 夜ハ 大笠 ヲキ テ︑ 世間 ヲ見 アリ キケ リ︒

︵﹃ 愚 管抄

﹄巻 一 斉明 天皇

︶ この

﹁豊 浦大 臣ノ 霊﹂ は︑

﹃ 愚管 抄﹄ が注 目し た﹁ 冥界 か ら 立ち あ ら われ て 世 の 中や 歴 史 を動 か す もの

﹂と し て の

︿怨 霊﹀ であ ろう

"

︒他 方︑

﹃扶 桑略 記﹄ に依 拠す る﹃ 水鏡

﹄は

︑蝦 夷 の 死 を﹁ 大臣 お ほ きに い かり て︑ み づか ら い の ち を ほ ろぼ し て︑ 大 鬼道 に お ち て︑

# と記 述 す るが

︑斉 明 朝 の怪 異 に つ いて は 記 述せ ず

︑︿ 怨 霊﹀ とし て は 描 い て い な い︒ では

︑な ぜ﹃ 扶桑 略記

﹄に おい て﹁ 大鬼 道﹂ に 堕ち た 蝦 夷は

︑た び た び怪 異 の 原 因者 と し て記 述 さ れ たの か

︒﹁ 大 鬼 道﹂ とは 何を 指す ので あろ うか

「魔道」の成立 ― 366 ―

(9)

三︑

︿ 怨 霊﹀ の 叙 述

﹃ 日本 書紀

﹄巻 二四

︑皇 極天 皇四 年六 月己 酉十 三日 条に は︑ 蘇

我臣 蝦夷 等臨

誅︑ 悉焼

天 皇記

・国 記・ 珍宝

︒⁝

$

と あり

︑﹁ 大 鬼道

﹂云 々の 記 述は な い︒ し かし

﹃略 記

!

"

#

とほ ぼ 同 じ 記事 は

﹃日 本 書紀

﹄に も 記 述さ れ て い る

︒ まず

﹃日 本書 紀﹄ 巻二 六︑ 斉明 天皇 元年

︵六 五五

︶五 月庚 午朔 条を みて みよ う︒ 夏五

月庚 午朔

︒空 中有 乗龍 者︒ 貌 似唐 人

︒著 青 油笠

︒而 自 葛 城嶺 馳 隠 膽 駒山

︒及 至 午 時︒ 従於 住 吉 松 嶺之 上

︒ 西 向馳 去︒

!

記 事と 同内 容で あり

︑柳 町時 敏氏 は﹁ 葛城 嶺﹂ な ど蘇 我 氏 にゆ か り の深 い 地 名 が書 か れ るこ と か ら﹃ 日 本書 紀

﹄ の 龍に 乗る 異人 にも すで に蝦 夷怨 霊の 存在 が意 識さ れて いた と推 測す る%

︒ しか し大 和岩 雄氏 は︑ 龍に 乗る 術を お こな う 仙 人を

﹁駕 竜 仙 人﹂ とい う と こ ろか ら

︑﹁ 飛 竜に 乗 る 唐人 を

﹁駕 竜 仙

﹂と みて

︑こ の仙 人が 斉明 天 皇 の即 位 を 賀 した と い う意

﹂と 解 釈 する

&

︒ま た 山 田 純氏 は

﹁﹃ 日 本書 紀

﹄が 凶 兆 が

― 367 ― 「魔道」の成立

(10)

瑞 祥 か︑ ど ちら と も はっ き り し ない 立 場 に自 ら を 置い て い る﹂ と 述べ る#

︒﹃ 日 本書 紀

﹄の 記 述に よ る か ぎ り︑ 龍 に 乗 る 異 人の 正 体 は不 明 で あ る︒ 蝦夷 が

﹁大 鬼 道﹂ に堕 し た とい う 伝 承 や

﹁豊 浦 大 臣 之 霊 也﹂ と い う﹁ 時 人﹂ の 言 は

﹃扶 桑略 記﹄ によ って 加え られ たと 考え られ る︒ また

﹃書 紀﹄ 巻二 六斉 明天 皇七 年条 では

・五 月乙 未朔 癸卯

︒天 皇遷

居于 朝倉 橘広 庭宮

︒ 是時

!

除 朝倉 社木

︑ 而作

此宮

之 故︑ 神忿 壊

殿

︒亦 見

宮中 鬼 火

︒由

是 大舎 人及 諸近 侍病 死者 衆︒

・秋 七月 甲午 朔丁 巳︑ 天皇 崩

于 朝倉 宮

・八 月甲 子朔

︑皇 太子 奉

徒 天皇 喪

︑還 至

磐 瀬宮

︒ 是夕 於

朝 倉山 上

︑著

大 笠

︒ 臨

視喪 儀

︒ 衆皆 嗟怪

︒ の

よう に

!

"

の記 事と ほぼ 同内 容が 認め られ る︒ 斉明 天皇 によ る﹁ 朝倉 社の 木﹂ 伐採 によ って 神が 忿り

﹁殿

﹂が 破 壊 さ れ たと 伝 え てお り

︑直 後 に 宮中 に 出 現し た

﹁鬼 火﹂ は﹁ 朝 倉社

﹂の 神 に 関 わる 存 在 と 見 な せ る$

︒ 同 様 に

﹁鬼

﹂ も

﹁朝 倉山 上﹂ に出 現し たと ある こと から

︑﹁ 朝 倉社

﹂の 神に 関わ るの であ ろう

︒﹃ 略記

﹄で は山 陵を 朝倉 山に 設け た と する が︑ 正史 には 記述 が見 られ ない

︒ これ らを ふま えれ ば﹃ 日本 書紀

﹄に おい て蘇 我氏 の︿ 怨霊

﹀は 姿を 見せ ず︑ 意識 もさ れて いな い︒ 龍に 乗る 異人 や 朝 倉山 の鬼 は︑ 蘇我 氏怨 霊と はま った く無 関係 であ る︒ そも そも 日本 にお いて 敗者 の霊 をま つる 意識 がい つ頃 から あっ たの だろ うか

︒そ の発 生は 推測 の外 であ るが

︑少 な く とも 国史 にお いて

︿怨 霊﹀ の活 動が 明記 され たの は︑ 八世 紀半 ば︑ 早良 親王 霊か らだ と考 えら れる

︒大 江篤 氏は

「魔道」の成立 ― 368 ―

(11)

﹃ 続日 本紀

﹄天 平二 年︵ 七三

〇︶ 九月 庚辰

︵二 十九 日︶ 条に は﹁ 安芸 周防 国人 等妄 説

禍福

︒多 集

人衆

︒妖

祠 死魂

︒﹂ とあ り︑ この ころ

﹁死 魂﹂ をま つる 人々 があ った こと がし られ る︒

⁝⁝

﹃続 日本 紀﹄ 宝亀 十年

︵七 七 九

︶六 月辛 酉︵ 二十 三日

︶条 には

︑﹁ 周 防国 周防 郡人 外従 五位 上周 防凡 直葦 原之 賎男 公自 称

他戸 皇子

︒誑

惑 百 姓

︒配

伊 豆国

︒﹂ とあ り︑ 廃太 子後

︑幽 閉さ れな く なっ た 他 戸親 王 を 騙る 不 届 き な輩 が あ った こ と を 伝え る

︒ こ れら の事 例が 示す よう に︑ 八世 紀半 ば頃 の社 会で は︑ 地方 も含 め︑ 政争 の敗 者と して 非業 の死 を遂 げた 人物 に 関 する 言説 が︑ 人々 のう ちに 広く 浸透 して いた こと が理 解で きる ので ある

︒し かし

︑朝 廷は こう した 流言 飛語 に 関 して は一 貫し て﹁ 妖言

﹂の 扱い を崩 さず

︑弾 圧を 加え てい るの であ る!

︒ と

述 べ る︒ その う え で大 江 氏 は 延暦 十 一 年︵ 七 九 二︶ 六 月 に は 早 良 親 王 の

﹁霊

﹂の

﹁祟

﹂を 認 め

︑﹁ そ の 霊 に 謝 す

﹂ こ とで 神と 遇し てい るこ とに 注目 して いる

︒ 皇太

子久 病︑ 卜

之 崇道 天皇 為

祟︑ 遣

諸 陵頭 調使 王等

淡 路国

︑奉

其霊

︵ ︑

﹃ 日本 紀略

﹄延 暦十 一年 六月

"

ここ にい う﹁ 卜﹂ は神 祇官 によ る軒 廊御 卜で ある

︒早 良親 王︵ 崇道 天皇

︶の 霊は

︑は じめ 神祇 官に よっ て﹁ 神﹂ と 認 めら れ︑ その 後︑ 興福 寺の 善珠 によ る 慰霊 が 行 われ た

︵﹃ 扶 桑略 記

﹄延 暦 十 六年 正 月 十六 日 条 所引

﹁国 史

﹂善 珠 卒 伝

︶︒

﹃ 日本 紀略

﹄や

﹃扶 桑略 記﹄ 所引

﹁善 珠伝

﹂の 記述 は︑ 敗者 の霊 を︿ 怨霊

﹀と 認定 し︑ その 対処 方法 が確 立さ れ て いく 過程 を示 して いる

― 369 ― 「魔道」の成立

(12)

また

﹃続 日本 紀﹄ 天平 十八 年︵ 七四 六︶ 六月 条に 見え る玄

!

卒 伝に は︑ 己

亥︒ 僧玄

!

︒⁝ 世相 伝云

︒為

藤原 広嗣 霊

"

︑玄

!

の 死を 広嗣 霊の 仕業 とす る記 述が ある

︒中 西康 裕氏 によ れば

︑﹁

﹃ 続日 本紀

﹄に おけ る藤 原広 嗣の 乱の 記事 や そ れに 関連 する 記事 は︑

﹁ 広嗣 を正 当化 する 意図 を持 って 原資 料を 採 用 し て記 述 し てい る

﹂と い う#

︒﹁ 世 相

﹂の 伝 承 に 仮託 し怨 霊の 存在 を語 る叙 述は

﹃扶 桑略 記﹄ 斉明 元年 記事 とも 類似 して いる

﹃ 扶桑 略記

﹄で も︑ 玄

!

が広 嗣︵ 廣継

︶の 霊に よっ て命 を奪 われ たと する

︒ 玄

!

法 師為

太宰 少弐 藤原 廣継 之亡 霊

︑被

其命

︵﹃ 扶桑 略記

﹄天 平十 八年 六月 五日

︶ これ

らの 記事 に見 える よう に︑ ある 事件 を︿ 怨 霊﹀ の仕 業 と して 記 録 する 行 為 は︑ そ の事 件 を どの よ う に 語る か

︑ と いう 叙述 の問 題と して 捉え られ る︒ つま り︿ 怨霊

﹀に よっ て獲 得さ れた のは

︑歴 史を 仏神 では なく 死者 の霊 の影 響 下 に語 る︑ とい う歴 史叙 述の 方法 であ っ た︒

﹃愚 管 抄﹄ に 顕著 な

﹁怨 霊 史観

﹂に 通 じ る 叙述 法 が 徐々 に 確 立し て い た の であ り︑

﹃ 略記

﹄に おけ る蘇 我氏 の︿ 怨霊

﹀出 現は

︑﹃ 書紀

﹄と の明 確な 違い とい えよ う︒

「魔道」の成立 ― 370 ―

(13)

四︑

﹁ 鬼 道﹂ では

﹃扶 桑略 記﹄ にお いて

﹁鬼 道﹂ はど のよ うに 理解 され てい るの か︒ 比 嘉隆 界 ほ か﹁ 訓注

扶 桑 略 記︵ 7︶

﹂﹃ 文 芸 研 究﹄ 七五 で は︑

﹁大 鬼 道

﹂に

﹁餓 鬼 道 の こ と﹂ と 注 す る!

︒ ま た 金 子 大麓

︑松 本治 久ほ か校 注﹃ 水鏡 全評 釈﹄ にお いて も﹁ 鬼道 は仏 教語

︒餓 鬼・ 夜叉

・羅 刹な どの 鬼類 の世 界︒ 地獄 の 次 に

︑苦 痛 が多 く

︑飢 餓 に 苦 し む 餓 鬼 道 を い う

︒﹁ 大

﹂は あ ま ね く 広 い 道︒ こ こ は 無 限 大 と い う 程 の 意 味

︒﹂"

と し

﹁大 鬼道

﹂を 餓鬼 道の 別称 とし て理 解し てい る︒ これ らは ごく 一般 的な 解釈 であ ろう

︒漢 訳仏 典に おい ては

﹁鬼 道﹂ はお おむ ね餓 鬼道 をさ すと 理解 され

︑地 獄や 畜 生 道と 並べ てあ げら れて いる

︒ 舍利

弗︒ 若善 男子 善女 人︒ 聞此 諸仏 名受 持讀 誦不 生疑 者︒ 是人 八千 億劫 不入 地獄

︒不 入畜 生︒ 不入 鬼道

︒不 生 辺 地

︒不 生 貧窮 家

︒不 生 下賤 家

︒常 生 天 人豪 貴 之 処︒ 常得 歓 喜 適楽 無 礙

︒常 得 一 切 世 間 尊 重 供 養︒ 乃 至 得 大 涅 槃

︵﹃ 仏説 仏名 経﹄ 卷第 十二

# 或作

女身

︒與 人交 會︒ 如是 種種 莊嚴 誑人

︒行 於人 間︒ 在鬼 道中

︒乃 至惡 業︒ 不盡 不壞 不朽

︒故 不得 脱︒ 業盡 得 脱

︒從 此命 終︒ 隨業 流轉

︒受 生死 苦︒ 人身 難得

︵﹃ 正法 念処 経﹄ 卷第 十七

﹁餓 鬼品 之二

﹂︶$

― 371 ― 「魔道」の成立

(14)

若依 正法 念經 説︒ 若起 貪嫉 邪佞 諂曲 欺誑 於他

︒或 復慳 貪積 財不 施︒ 皆生 鬼道

︒從 鬼命 終︒ 多生 畜生 道中

︵﹃ 法苑 珠林

﹄業 因部 第五

!

﹃ 略記

﹄と 同時 期に 成立 した と思 われ る﹃ 今昔

﹄巻 九・ 第三 六話

﹁震 旦

!

&

願知 冥道 事語

﹂に は﹁ 六道 ノ内

︑亦

︑ 如 此キ 也︒ 天道 ヲ得 ル者 ハ︑ 万ガ 一人 モ无 シ︑

⁝⁝ 但シ

︑鬼 及ビ 畜生

︑尤 モ多 カリ

︑君 ガ懸 ノ内 ノ役 ヲ課 ス家 ノ如 キ 也

︒此 ノ鬼 道ノ 中ニ モ︑ 亦︑ 差別 有テ

︑﹂"

と いう 表現 があ る

︒す な わ ち﹃ 今昔

﹄も

﹁鬼 道

﹂を 畜 生道 に 並 ぶ六 道 の 一 つ とと らえ てい たと いえ る︒ 出典 とさ れる

﹃冥 報記

﹄で は当 該部 分は

﹁景 曰六 道之 内亦 如此

耳︒ 其得 天道

者 万无 一 人

︒⁝

⁝入 獄

者 亦 数 十︑ 如君 獄 囚︒ 唯 鬼及 畜 生 最 為多

也﹂# と あ り︑

﹁鬼 道

﹂と い う表 現 は 見 え な い が︑ 六 道 の 一 つ に﹁ 鬼﹂ を数 える

︒ ほか にも

﹃古 事談

﹄︵ 源 顕兼

︑一 二一 二 年 頃成 立

︶第 三 僧行

・七 八 話 は︑ 能 説の 名 手 であ っ た﹁ 安 芸僧 都 観 智﹂ が 死 後 に

﹁鬼 道

﹂に 生 ま れ

﹁忍 び 難 き の 苦

﹂を う け て い る と 夢 中 に 訴 え る$

︒﹃ 古 今 著 聞 集﹄

︵ 橘 成 季︑ 一 二 五 四 年 成 立

︶哀 傷 第 廿一

・四 五 九 話に も

︑藤 原 成 佐が 漢 才 に長 じ な がら 後 生 を 願わ な か った た め 死 後﹁ 鬼 道﹂ に い る と さ れ る%

成 ︒ 佐 の姿 は語 られ ない が︑ 観智 は﹁ 大 略裸 の 形 体﹂ とさ れ

︑人 が 死後 転 生 す る六 道 の ひと つ と し ての

﹁鬼 道

餓 鬼 道が 認識 され てい たと いえ る︒ 従 って

﹁鬼 道

﹂を 餓 鬼道 と 解 すれ ば

︑﹃ 略 記﹄ の 記述 も

︑蝦 夷 が驕 慢 の ため 悪 趣 に 堕 ちた と理 解で きる

︒ しか し︑ やや 疑問 が残 る︒ 仏教 説話 では 餓鬼

︑畜 生な ど悪 趣に つい ての 話題 は豊 富だ が︑ その 場合

︑死 者は あく ま で 悪趣 から の救 済を 願う のが 一般 的で ある

︒﹃ 扶 桑略 記﹄

﹁豊 浦大 臣之 霊﹂ は救 済を 願う どこ ろか

︑斉 明朝 へ不 吉な 影

「魔道」の成立 ― 372 ―

(15)

を おと す︿ 怨霊

﹀と して 機能 し︑ 餓鬼 道へ 転生 し苦 しん でい ると は考 えら れな い︒ なお

︑漢 籍に は別 の 用 例も あ る︒

﹃ 史記

﹄巻 十 二﹁ 封 禅 書﹂ に︑

﹁曰

﹁天 神 貴者 太 一︑ 太 一佐 曰 五 帝︒ 古者 天 子 以 春 秋祭 太一 東南 郊︑ 用太 牢︑ 七日

︑為 壇開 八通 之鬼 道︒ 於是 天子 令太 祝 立 其 祠長 安 東 南郊

︑常 奉 祠 如忌 方

! とあ る

︒ こ れは 人の 通る

﹁人 道﹂ に対 し︑ 祭壇 にお ける 鬼神 の通 る道 を﹁ 鬼道

﹂と して

︑祭 祀に おい て﹁ 鬼道

﹂を 開く こと を 述 べた もの であ る︒ ま た﹃ 後漢 書

﹄巻 百 五﹁ 劉焉 傳

﹂で は﹁ 沛 人張 魯 母

︑有 姿 色︒ 兼挟 鬼 道

︑往 来 焉 家

"

と あ り︑ 張 魯 の 母 は 容 色 が 変 わら ず︑ 鬼道 をよ くし て劉 焉の 家を 往 来し て い たと い う︒ こ こで は

﹁鬼 道

﹂は 方 術︑ 魔術 の 類 とし て 用 い られ る

︒ よ く知 られ るよ うに

﹃三 国志

﹄﹁ 魏 志・ 倭人 伝﹂ に卑 弥呼 が﹁ 名曰 卑弥 呼︒ 事鬼 道︑ 能惑 衆︒

# と評 され てい る︒ しか し︑ 日本 の用 例を 精査 する と︑ 漢籍 にお ける 用例 に帰 納し がた いも のが 散見 され る︒ たと えば

﹃菅 家文 草﹄ 十 二

﹁呪 願文

﹂の 用例 であ る︒ 仮

使時 政 違

令 起

罪 講

般 若

故 速 得

調和

仮 使鬼 道 吐

怒 悩

人 講

般 若

故 変

怒 為

喜 仮 使亡 霊 含

怨 成

祟 講

般 若

故 転

怨 為

︵﹃ 菅家 文草

﹄﹁ 臨時 仁王 会呪 願文

﹂︶$

れは 昌 泰 元年

︵八 九 八︶ 六 月二 十 六 日︑ 数 年来 流 行 した 疫 病 を 鎮め る た め臨 時 仁 王会 を 催 し た 際 の 願 文 と さ れ る

︒傍 線部 は﹁ たと え鬼 道の 怒り を吐 き人 を悩 ま すと も

︑般 若 を講 ず る 故に 怒 り を 変じ 喜 び とな せ

﹂と 訓 じ られ る

︒ こ の﹁ 鬼道

﹂は 般若 経に よっ て救 済さ れる が︑ 一方

﹁亡 霊﹂ とも 対置 され

﹁怒 りを 吐﹂ く主 体と も読 める

― 373 ― 「魔道」の成立

(16)

さら に︑

﹃ 真言 伝﹄ 所引

﹁清 行卿 記﹂ にも 注目 すべ き 表 現が あ る︒ 当 該話 は 染 殿 后に ま つ わる 説 話 であ る

︒染 殿 后 の 病を 癒や した 金峯 山の 聖人 が︑ 几帳 の影 から 垣間 見た 后に 愛執 をい だき

︑そ の願 いが 果た され ない こと を恨 んで

﹁ネ カハ クハ 我ハ ヤク 死テ 必ス 鬼道

ニ入 テ︑ 后在 世ノ 間配 匹ス ヘシ

!

誓 う︒ 聖 人は 断 食 して 餓 死 し︑

﹁ ハタ カ ニ シテ 頭 カ フロ ナ リ︒ タ ケ 八尺 計 リ︒ 身 ノ色 ツ シ ミ 黒 ヲ シ テ ウ ル シ ノ 如

﹂ き

﹁鬼

﹂の 姿と なっ て后 をほ しい まま にす る︒ この

﹁鬼 道﹂ は餓 鬼道 のこ とと もと れる が︑ 一方 で﹁ 鬼﹂ にな るこ と を さす と理 解さ れる

﹃ 真言 伝﹄ は正 中三 年︵ 一三 二五

︶︑ 真言 僧栄 海に よる 編纂 とさ れる が︑

﹁ 清行 卿記

﹂は 三善 清行

︵八 四七

〜九 一八

︶ の 著し た佚 書﹃ 善家 秘記

﹄と 同一 と思 われ る︒ 原文 を忠 実に 残し てい るか どう か検 討を 要す るが

︑﹃ 略 記﹄ に先 行し

︑ 一

〇世 紀に さか のぼ る可 能性 を持 つ表 現で ある

"

︒ なお 同じ く﹃ 善家 秘記

﹄︵ 清 行卿 記︶ に依 拠し たと おぼ しい

﹃今 昔物 語集

﹄巻 二十 第七 話で は︑

﹁我

︑忽 ニ死 テ鬼 ト 成 テ

︑此 后 世ニ 在 マ サム 時 ニ︑ 本 意 ノ如 ク

︑后 ニ 睦ビ ム ト﹂# と あ る︒ 先の 巻 九 第 三六 話 と 比 べ﹁ 鬼 ト 成 ル﹂ と 表 現 し てい るこ とは

︑﹁ 鬼 道﹂ 観に つい て考 える 上で 示唆 的で ある

︒ 特に

﹁清 行卿 記﹂ にお ける

﹁鬼 道﹂ は救 済を 前提 とせ ず︑ 苦界 と認 識さ れな い点 に特 徴が ある

︒む しろ 怨み や苦 し み を発 現す る︿ 怨霊

鬼 の在 所と して の側 面が 強 く︑ 六 道で あ る 餓鬼 道 と は 異な っ て いる

︒そ し て︑ こ の違 い こ そ

﹃扶 桑略 記﹄

﹁大 鬼道

﹂に 重な る︑ いわ ば六 道の 派生 とし ての

︿鬼 道﹀ 観で はな いだ ろう か︒

「魔道」の成立 ― 374 ―

(17)

五︑

﹁ 魔 道﹂ 前 史 そも

そも 日本 では

︑い わゆ る天

・人

・修 羅・ 地獄

・畜 生・ 餓鬼 の六 道の ほか に︑ 派生 とも いう べき 世界 を想 定す る こ とが あっ た︒ 次の よう な例 であ る︒ 桑名

郡多 度寺 鎮三 綱慎 牒上

︒神 宮寺 伽藍 縁起 并資 材帳

︒以 去天 平宝 字七 年歳 次癸 酉十 二月 庚戌 朔廿 日丙 辰︑ 神 社 是東 有井

︒於 道場 満願 善事 居住

︑敬 作阿 弥陀 丈六

︒于 時在 人託 神云

︑我 多度 神也

︒吾 経久 劫作 重罪 業︑ 受神 道 報

︒今 冀永 為離 神身

︑欲 帰依 三宝

︵ ︒

﹁ 伊勢 国多 度神 宮寺 伽藍 縁起 并資 材帳

﹂延 暦二 十年

︵八

〇一

︶十 一月 三日

! 六年 三月 乙未

︒若 狭国 比 古神

︒以 和 朝 臣宅 継 為 神主

︒宅 継 辞 云︒ 據 検古 記

︒養 老 年中

︒疫 癘 屡 発︒ 病 死者 衆

︒ 水 旱失 時︒ 年穀 不稔

︒宅 継曾 祖赤 麿︒ 帰心 仏道

︒練 身深 山︒ 大神 感之

︒化 人語 宣︑ 我稟 神身

︑苦 悩甚 深︑ 思帰 依 仏 法︑ 以免 神道

︒無 果斯 願致 災害 耳︒ 汝能 為吾 修行 者︒ 赤麿 即建 道場 造仏 像︒ 号神 願寺

︒為 大神 修行

︒⁝

︵﹃ 類聚 国史

﹄一 八〇 仏道 部諸 寺︑ 天長 六年

︵八 二九

︶三 月十 六日

"

神祇

・神 道の 研究 にお いて は周 知の 事例 であ るが

︑西 田長 男氏 は︑ 仏教

はそ の発 生の 母国 たる イン ドは もと より

︑中 国そ の他 の諸 国に おい て見 られ た先 蹤の まま に︑ 民俗 宗教 な

― 375 ― 「魔道」の成立

(18)

い しは 固有 宗教 とし ての 神道 を︑ 地獄

・餓 鬼・ 畜生

・修 羅・ 人間

・天 の六 道と 同義 であ ると して 取り 扱っ た︒ す な わち

︑神 はそ の重 き罪 業の 報い によ り︑ 神道 とい う迷 界に 沈淪 し︑ 苦悩 深甚 の神 身を 受け た有 類・ 実類

・衆 生 で ある

#

﹁神 道﹂ を六 道と 同義 に位 置づ け︑ 中井 真孝 氏も

︑ 私は

神道 の﹁ 道﹂ は仏 教用 語だ と思 う︒

﹁ 道﹂ は梵 語ガ ティ

gati

︶ で﹁ 趣﹂ とも 訳さ れる

︒⁝

⁝神 を迷 いの 世 界 に流 転す る悪 道︵ 悪趣

︶の 一つ にあ てて 理解 し│ しか し﹁ 天﹂ デー ヴァ

deva

︶に 摂せ ず︑ 新 しく

!

神 な る ガ テ ィ

"

を生 み出 した と考 えら れる

$

捉え てい る︒ こ うし た

﹁仏 家 が日 本 の 神を 輪 廻 の 苦に 悩 む もの と し︑ 仏 法 に帰 依 し て解 脱 を 得た い と い ふ希 望 を 有 つ て ゐ る も の

﹂と いう

﹁神 道﹂ 観に つい て︑ はや く津 田左 右 吉は

︑﹁ 高 僧 伝な ど に も記 し て あ るか ら

︑日 本 の仏 家 の かう い ふ 説 に は

︑一 つ は︑ それ か ら 示唆 せ ら れ たと こ ろ もあ ら う︒

﹂ と︑ 中国 仏 教 の 影響 下 で 作ら れ た こと を 示 唆 す る%

︒ 津 田 説 を 踏 まえ て 吉 田一 彦 氏 は﹃ 続 高僧 伝

﹄の 例 を示 し

︑﹁ 日 本古 代 の 神 仏習 合 に 見ら れ る 神身 離 脱 や 護 法 善 神 の 思 想

︑ ま た神 宮寺 建立 や神 前読 経の 際の 説明

・用 語は

︑中 国仏 教で 説か れて いた 習合 思想 をほ ぼそ のま ま受 容し たも の﹂ と 結 論づ けて いる

&

︒ しか し︑ これ らの 見解 には

︑中 国仏 教の 用語

︑さ らに いえ ば仏 教用 語と して の﹁ 六道

﹂と

﹁神 道﹂ との 差違 につ い

「魔道」の成立 ― 376 ―

(19)

︑充 分な 検討 がな い︒ 北条 勝貴 氏は

︑日 本に おけ る︿ 神身 離脱

﹀の 特徴 を次 のよ うに まと めて いる

︒ 基本

的に 自然 神で ある 列島 の神 は︑ 四季 の移 り変 わり とい った 内的 サイ クル では 死/ 再生 を繰 り返 すが

︑全 く 別 の存 在に 生ま れ変 わる 輪廻 転生 の対 象と はな らな い︒ また

︑中 国側 の言 説で は神 廟の 完全 な解 体が 意図 され る が

︵ゆ えに

︿神 身離 脱﹀ なの であ る︶

︑ 日本 側で は 習 合後 も 神 社が 維 持 さ れ続 け て おり

︵よ っ て︑ 厳 密に は 寺 川 眞 知夫 のよ うに

﹁神 身離 脱願 望﹂ 言説 と 呼ぶ べ き かも 知 れ ない

︶︑ 解 体 が 目的 と さ れた 形 跡 はな い

︒⁝

⁝前 述 の よ うに

︑列 島側 の︿ 神身 離脱

﹀言 説で は︑ 神の 苦悩

/救 済を 疫病 や災 害の 発生

/終 息に 仮託 して 表象 する もの が 多 い︒ かか る形 式は いう まで もな く︿ 祟り 神﹀ 言説 のそ れで あり

︑卜 占と 祟り を通 じて 探求 され るべ き新 たな 祭 祀 者・ 祭祀 の方 法が

︑僧 侶と 仏教 に転 化し てい るに 過ぎ ない

! すな

わち

︑神 道で の苦 しみ が﹁ 祟り

﹂と いう 形 で発 現 す る︒

﹁神

﹂は 読 経 や神 宮 寺 造 営を 通 じ て苦 し み から 逃 れ る が

︑神 道 か らの 解 脱 は記 述 さ れ ない

︒ま た 神 道以 前 の 宿業

︑罪 業 は 語 られ ず

︑﹁ 神﹂ か ら の 転 生 を 語 る こ と も な い

﹁神

﹂は

﹁神

﹂の まま であ るた めに

︑読 経も 祈祷 の一 種と しか 見な され なか った

︒ 六 道と は 言 えな い

︑い わ ば派 生 形 と して の

﹁神 道﹂ 観 は︑ 救済 を 前 提 とせ ず 現 世 に 干 渉 す る 力 を も つ﹁ 鬼 道﹂ や

︿魔 道﹀ の認 識に 重な る︒

﹁ 神﹂ の苦 し み を﹁ 祟り

﹂と 理 解 する 観 念 は﹁ 鬼 道﹂

︿魔 道

﹀に お ちた 死 者 の苦 し み を﹁ 祟 り

﹂と する 認識 に通 底し よう

︒ なお

︑近 年の 神祇 研究 では

︑八

・九 世紀 にお ける 画期 と︑ 一〇

・一 一世 紀に おけ る確 立期 を経 て神 祇体 系が 整備 さ れ る

︑と さ れる

"

︒ま た

︑﹁ 人 は死 後 神 に なる

﹂と い う 発想 が 一

〇世 紀 に お ける 北 野 天神

菅 原 道 真の 信 仰 と と も に

― 377 ― 「魔道」の成立

(20)

定 着 し︑ 二 十二 社 の ひと つ と し て国 家 に よる 奉 幣 をう け た た こと も 注 目さ れ る$

︒ 死 者の 霊 を

﹁神

﹂と す る認 識 は

︑ 死 者の 霊が

﹁鬼

﹂や

︿魔

﹀と なる

︑と いう 認識 に拡 充し

︑さ らに

﹁鬼 道﹂ や︿ 魔道

﹀が 意識 され てい った ので はな い か

お わ り に 以上

︑は なは だ遠 回り な道 をた どり なが ら︑ 院政 期に おけ る死 後の 世界 への 観念 をめ ぐっ て憶 測を 重ね てき た︒ 本稿 にお いて 確認 して おき たか った の は︑

!

冒 頭 で 崇徳 院 や 悪源 太 の 例 をあ げ た よう に 中 世 では

︿魔

﹀と

︿怨 霊

﹀ と が同 一視 され

︑︿ 魔 道﹀ とい う死 後世 界が 意識 され たこ と︑

"

中 世の

︿魔

﹀︿ 魔道

﹀認 識は 本来 の﹁ 魔﹂ とは 異な る 点 が認 めら れる こと

#

その 認識 が院 政期 にお ける 歴史 叙述 とと もに 成立 した こと

︑で ある

﹃ 扶桑 略記

﹄皇 極四 年記 事に みえ る﹁ 大鬼 道﹂ の語 は︑ 院政 期の 表現 であ るこ とが 重要 であ る︒

﹁大 鬼道

﹂に 墜ち た 蘇 我蝦 夷は 死霊 であ りな がら 現世 に干 渉し

︑朝 倉山 の﹁ 鬼﹂ とも 重ね られ る︒ この

﹁鬼

﹂は 必ず しも 救済 を求 める わ け では なく

︑﹁ 鬼 道﹂ は仏 教に おけ る苦 界と して の六 道と はず れを 生じ てい る︒ むし ろ﹃ 保元 物語

﹄﹃ 平家 物語

﹄な ど の 中世 軍記 の世 界で 意識 され る︿ 魔道

﹀に 近く

︑︿ 魔

﹀を も人 の延 長上 に位 置づ け︑

﹁対 話可 能な

﹂存 在と 見な す中 世 的 思考 につ なが って いく ので ある

※ 成稿 後︑ 工藤 浩﹁ 齋明 紀の 怪異 記事 につ いて

﹂﹃ 青 木周 平先 生追 悼 古代 文芸 論叢

﹄︵ おう ふう

︑二

〇〇 九年

︶を 拝 読 した

︒本 章三 節﹁

︿ 怨霊

﹀の 叙述

﹂の 内容 が 重 複し て い る︒ 工藤 氏 は

﹃日 本 書紀

﹄斉 明 朝 の怪 異 記 事は

﹁齋 明 天 皇

「魔道」の成立 ― 378 ―

(21)

の 治世 の不 穏な 空気 を伝 える 手段

﹂で あっ たと 結論 し︑ 怨霊 の概 念が 生じ たこ とで 記紀 段階 とは 異な る解 釈が 生ま れ た と述 べる

! 注 仏 教 説 話 に お け る

﹁ 天 狗 説 話

﹂ に つ い て は

︑ 森 正 人

﹁ 天 狗 と 仏 法

﹂﹃ 今 昔 物 語 集 の 生 成

﹄︵ 和 泉 書 院

︑ 一 九 八 六 年

︶︑ な ど を 参 照

"

小 峯 和 明

﹁﹃ 明 月 記

﹄ の 怪 異

・ 異 類

﹂﹃ 明 月 記 研 究 記 録 と 文 学

﹄ 二

︵ 一 九 九 七 年 一 一 月

︶ ま た 佐 伯 真 一

﹁ 後 白 河 院 と

﹁ 日 本 第 一 天 狗

﹂﹂

﹃ 明 月 記 研 究 記 録 と 文 学

﹄ 四

︵ 一 九 九 九 年 一 一 月

︶︑ 高 谷 千 佳

﹁ 古 記 録 と 怪 異

﹂﹃ 怪 異 学 入 門

﹄︵ 岩 田 書 院

︑ 二

〇 一 二 年

︶︒

# 伊 藤 聡

﹃ 神 道 と は 何 か 神 と 仏 の 日 本 史

﹄︵ 中 公 新 書

︑ 二

〇 一 三 年

︶︒

$ 伊 藤 聡

﹁ 臨 終 と 魔

﹂﹃ 東 ア ジ ア の 今 昔 物 語 集

﹄︵ 勉 誠 出 版

︑ 二

〇 一 二 年

︶︒

% 前 掲 注"

︑ 佐 伯 論 文

&

佐 伯 真 一

﹁ 憑 依 す る 悪 霊

│ 軍 記 物 語 の 天 狗 と 怨 霊 に 関 す る 試 論

﹂﹃ 青 山 語 文

﹄ 三 一

︵ 二

〇 一 年 三 月

︶︒ ' 栃 木 孝 惟 ほ か 校 注

﹃ 新 日 本 古 典 文 学 大 系 43 保 元 物 語

・ 平 治 物 語

・ 承 久 記

﹄︵ 岩 波 書 店

︑ 一 九 九 二 年

︶︒ ( 信 太 周

︑ 犬 井 善 寿 校 注

﹃ 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 41 保 元 物 語

・ 平 治 物 語

﹄︵ 小 学 館

︑ 二

〇 三 年

︶︒ ) 黒 板 勝 美 編

﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 12 扶 桑 略 記

・ 帝 王 編 年 記

﹄︵ 新 装 版

︑ 吉 川 弘 文 館

︑ 一 九 九 九 年

*

﹃ 古 辞 書 叢 刊 簾 中 抄

﹄︵ 古 辞 書 叢 刊 刊 行 会

︑ 一 九 七 八 年

︶︒ + 岡 見 正 雄

︑ 赤 松 俊 秀 校 注

﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 86 愚 管 抄

﹄︵ 岩 波 書 店

︑ 一 九 六 七 年

︶︒ , 大 隅 和 雄

﹃ 愚 管 抄 を 読 む 中 世 日 本 の 歴 史 観

﹄︵ 講 談 社 学 術 文 庫

︑ 一 九 九 九 年

︒ 平 凡 社 版 一 九 八 六 年

︶ - 金 子 大 麓

︑ 松 本 治 久 ほ か 校 注

﹃ 水 鏡 全 注 釈

﹄︵ 新 典 社

︑ 一 九 九 八 年

︶︒ . 黒 板 勝 美 編

﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 日 本 書 紀

﹄︵ 新 装 版

︑ 吉 川 弘 文 館

︑ 二

〇 年

︶︒ / 柳 町 時 敏

﹁ 斉 明 天 皇 に 祟 る

﹁ 鬼

﹂・

﹃ 書 紀

﹄ の 方 法 に つ い て の 覚 書

﹃ 扶 桑 略 記

﹄ 研 究 余 滴

﹂﹃ 文 芸 研 究

﹄ 七 七

︵ 明 治 大 学 文 学 部 紀 要

︑ 一 九 九 八 年

︶︒

― 379 ― 「魔道」の成立

(22)

! 大 和 岩 雄

﹃ 鬼 と 天 皇

﹄︵ 白 水 社

︑ 一 九 九 二 年

︶︒

"

山 田 純

﹁﹁ 皇 極 紀

﹂﹁ 斉 明 紀

﹂ に お け る 歴 史 叙 述 の 方 法

│ 災 異 瑞 祥 記 事 を 中 心 と し て

﹂﹃ 明 治 大 学 大 学 院 文 学 研 究 論 集

﹄ 一 八

︵ 二

〇 三 年 二 月

︶︒

# 関 口 裕 子

﹁ 古 代 人 民 の イ デ オ ロ ギ ー 闘 争 の 諸 段 階

﹂﹃ 歴 史 学 研 究 別 冊 特 集 歴 史 認 識 に お け る 人 民 党 闘 争 の 視 点

│1972

年 度 歴 史 学 研 究 会 大 会 報 告

﹄︵ 一 九 七 二 年 十 一 月

︶ は

︑ 史 書 に 見 え る 神 火 を 怨 霊 の 仕 業 と 理 解 し

︑ 民 衆 イ デ オ ロ ギ ー の 発 露 と 解 釈 す る

$ 大 江 篤

﹃ 日 本 古 代 の 神 と 霊

﹄︵ 臨 川 書 店

︑ 二

〇 七 年

︶︒

% 黒 板 勝 美 編

﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 10 日 本 紀 略

﹄︵ 新 装 版

︑ 吉 川 弘 文 館

︑ 二

〇 年

︶︒

&

黒 板 勝 美 編

﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 2 続 日 本 紀

﹄︵ 新 装 版

︑ 吉 川 弘 文 館

︑ 二

〇 年

︶︒ ' 中 西 康 裕

﹁ 藤 原 広 嗣 の 乱

﹂﹃ 続 日 本 紀 と 奈 良 朝 の 政 変

﹄︵ 吉 川 弘 文 館

︑ 二

〇 二 年

︶ 所 収

︒ (

﹁ 訓 注 扶 桑 略 記

︵ 7

︶﹂

﹃ 文 芸 研 究

﹄ 七 五

︵ 明 治 大 学 文 学 部 紀 要

︑ 一 九 九 六 年

︶︒ ) 前 掲

︑﹃ 水 鏡 全 評 釈

﹄︒

*

﹁ 仏 説 仏 名 経

﹂﹃ 大 正 新 修 大 蔵 経 一 四 経 集 部 一

﹄︵ 大 蔵 出 版

︑ 一 九 二 五 年

︒ 一 九 七 一 年 再 刊

︶︒ +

﹁ 正 法 念 処 経

﹂﹃ 大 正 新 修 大 蔵 経 一 七 経 集 部 四

﹄︵ 大 蔵 出 版

︑ 一 九 二 五 年

︒ 一 九 六 八 年 再 刊

︶︒ ,

﹁ 法 苑 珠 林

﹂﹃ 大 正 新 修 大 蔵 経 五 三 事 彙 部 上

﹄︵ 大 蔵 出 版

︑ 一 九 二 八 年

︑ 一 九 六 二 年 再 刊

︶︒ - 山 田 孝 雄 校 注

﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 23 今 昔 物 語 集 二

﹄︵ 岩 波 書 店

︑ 一 九 六

〇 年

︶︒ . 説 話 研 究 会

﹃ 冥 報 記 の 研 究

﹄︵ 勉 誠 社

︑ 一 九 九 九 年

︶︒ / 浅 見 和 彦

・ 伊 藤 玉 美 編

﹃ 新 注 古 事 談

﹄︵ 笠 間 書 院

︑ 二

〇 一

〇 年

︶︒ 0 西 尾 光 一

︑ 小 林 保 治 校 注

﹃ 新 潮 日 本 古 典 集 成 古 今 著 聞 集

﹄ 上 下

︵ 新 潮 社

︑ 一 九 八 三

〜 八 六 年

︶︒ 1 水 沢 利 忠

﹃ 新 釈 漢 文 大 系 史 記

﹄︵ 明 治 書 院

︑ 一 九 九

〇 年

︶︒ 2 吉 川 忠 夫 訓 注

﹃ 後 漢 書 第 八 冊

﹄︵ 岩 波 書 店

︑ 二

〇 四 年

︶︒ 3

﹃ 三 国 志 魏 志 倭 人 伝

﹄︵ 岩 波 書 店

︑ 一 九 五 一 年

︶︒ 4

﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 菅 家 文 草

・ 菅 家 後 集

﹄︵ 岩 波 書 店

︑ 一 九 六 六 年

︶︒ 5 説 話 研 究 会

﹃ 対 校 真 言 伝

﹄︵ 勉 誠 社

︑ 一 九 八 八 年

︶︒

「魔道」の成立 ― 380 ―

(23)

! 拙 稿

﹁ 説 話 集 と 怪 異

﹂﹃ 怪 異 学 入 門

﹄︵ 岩 田 書 院

︑ 二

〇 一 二 年

︶ 参 照

"

﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 25 今 昔 物 語 集 四

﹄︵ 岩 波 書 店

︑ 一 九 六 二 年

︶︒

# 竹 内 理 三 編

﹃ 平 安 遺 文

﹄︵ 東 京 堂 出 版

︑ 一 九 七 四 年

︶︒

$ 黒 板 勝 美 編

﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 類 聚 国 史

﹄︵ 新 装 版

︑ 吉 川 弘 文 館

︑ 一 九 九 九 年

︶︒

% 西 田 長 男

﹃ 日 本 神 道 史 研 究 第 一 巻 総 論 編

﹄︵ 講 談 社

︑ 一 九 七 八 年

︒ 初 出 一 九 七 三 年

︶︒

&

中 井 真 孝

﹁ 神 仏 習 合 思 想 の 形 成 と 発 展

﹂﹃ 日 本 学

﹄ 一

︵ 一 九 八 三 年 五 月

︶︒ ' 津 田 左 右 吉

﹃ 津 田 左 右 吉 全 集 第 九 巻 日 本 の 神 道

﹄︵ 岩 波 書 店

︑ 一 九 六 四 年

︶︒ ( 吉 田 一 彦

﹁ 多 度 神 宮 寺 と 神 仏 習 合

﹂ 梅 村 喬 編

﹃ 古 代 王 権 と 交 流 4 伊 勢 湾 と 古 代 の 東 海

﹄︵ 名 著 出 版

︑ 一 九 九 六 年

︶︒ ) 北 条 勝 貴

﹁ 古 代 日 本 の 神 仏 信 仰

﹂﹃ 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 研 究 報 告

﹄ 一 四 八

︵ 二

〇 八 年 一 二 月

︶︒

* 上 島 享

﹃ 日 本 中 世 社 会 の 形 成 と 王 権

﹄︵ 名 古 屋 大 学 出 版 会

︑ 二

〇 一

〇 年

︶︒ + 笠 井 昌 昭

﹁ 天 神 信 仰 の 本 質 と

﹁ 北 野 天 神 縁 起 絵 巻

﹂﹂

﹃ 古 代 日 本 の 精 神 風 土

﹄︵ ぺ り か ん 社

︑ 一 九 八 九 年

︶ な ど

︒ ま た 同 様 の 問 題 意 識 に つ い て 山 本 五 月

﹃ 天 神 の 物 語

・ 和 歌

・ 絵 画: 中 世 の 道 真 像

﹄︵ 勉 誠 出 版

︑ 二

〇 一 二 年

︶︑ 山 田 雄 司

﹁ 怨 霊 か ら 神 へ

﹂﹃ 日 本 歴 史

﹄ 七 四 六

︵ 二

〇 一

〇 年 七 月

︶ が あ る

― 381 ― 「魔道」の成立

参照

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