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﹃なぜ社会は反対意見を必要とするのか﹂

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(1)

[紹介] キャス・R・サンスティン著, 『なぜ社会は 反対意見を必要とするのか』(一)

その他のタイトル [Book Review] Cass R. Sunstein, Why Societies Need Dissent, HUP, Cambridge, 2003

著者 孝忠 延夫, 小林 直三, 奈須 祐治, 大江 一平, 辻

雄一郎

雑誌名 關西大學法學論集

巻 54

号 6

ページ 1372‑1411

発行年 2005‑03‑10

URL http://hdl.handle.net/10112/12197

(2)

ャ キ ス

•R ・サンスティン著

﹃なぜ社会は反対意見を必要とするのか﹂

︹紹介︺

一.著者(キャス•R・サンスティン)紹介

二.﹃なぜ社会は反対意見を必要とするのか﹄

調

第一章他者の行動の模倣 第二章第三章第四章

法の遵守︵と非遵守︶

群れで行動すること

隣人たちは何を考えているのか︵以上本号︶

辻 大 奈 小 孝

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Q如甜生菜迎~}L-QQ刈終炉r"(>J >Jや竺'壬至母Qr{IIE, 1"') 

Reconceiving the Regulatory State (1990), The Partial Constitution (1993), Democracy and the Problem of Free Speech (1993),  Constitutional Law (co‑authored with Geoffrey Stone, Louis M. Seidman, and Mark Tushnet) (1995), Legal Reasoning and  Political Conflict (1996), Free Markets and Social Justice (1997), Administrative Law and Regulatory Policy (1998) (with Jus‑

tice Stephen Breyer and Professor Richard Stewart and Matthew Spitzer), One Case At A Time (1999), Behavioral Law and  サギK.0::: ・キ入KI卜~;

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...¥)'JO'l‑0Q会」(1) 11111(1 111111)

(4)

的共和主義の中間に位置するものと理解する︒

さて

キャス•R・サンスティンの市民的共和主義憲法理論

︵一

三七

四︶

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サンスティンは︑市民的共和主義の提唱者として一般的にもその名を知られているが︑その理論は︑アメリカに留まらず︑広く

日本などにおいても注目されてきた︒

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(邦訳題二自由市場と社会正義︶を初め︑著書が翻訳され︑

(1 ) 

憲法・政治学関係の論説の中で引用されるのみならず︑彼の論説のかなりのものが紹介されてきた︒

アメリカ憲法学において市民的共和主義憲法学の泰斗として揺るぎない地位を確立しているサンスティンの憲法学の特徴

(2 ) 

をここで簡単に紹介しておこう︒

サンスティンは︑現代政治における利益集団政治の弊害を問題視し︑それに対する処方箋の手がかりとして︑建国期の伝統的共

和主義的要素と党派に対するマディソンの考えに注目する︒

サンスティンによれば︑

アメリカ建国革命は︑個人の自由を重視するロックの政治思想を基盤とするだけでなく︑伝統的共和主 義思想をも基盤としていると述べる︒つまり︑そこには︑市民が私的利害を離れて立法過程での熟慮をおこない︑市民的美徳を活 性原理とする伝統的共和主義的要素が見られるとするのである︒またマディソンは︑党派の弊害を克服するシステムとして大共和

(3 ) 

国を構想し︑直接的自己統治を放棄する代償として︑熟慮と討議に基づく民主主義という共和主義的信条を温存させたとする︒サ ンスティンは︑かかるマディソン理解・解釈から生じる政治観を︑﹁マディソニアン共和主義﹂と呼び︑利益集団多元主義と伝統 サンスティンは︑彼が理解するところのマディソンの政治観および代表観を︑現実の憲法理論にとり入れる︒彼のこの理解︑手

法が学界でも注目を受け︑評価されてきたところである︒ここでは︑以下︑まず司法審査に関するサンスティンの理解を︑次に権

関 法 第 五 四 巻 六 号

(5)

②権力分立に関する機能主義

力分立に関する考えを︑そして最後に︑人権論の観点から彼の自由観について概観してみたい︒

ニ四五

サンスティンは︑司法審査基準について﹁動機﹂を重視することを提唱する︒彼は︑まず平等保護条項に関して合憲判決が下さ れるのは︑その分類又は差別が集合財の提供や公共的価値に結びついて解釈し得るときであると理解し︑そのことから︑個人的な 満足を求める傾向を有する﹁あからさまな選好﹂は︑平等保護条項が禁じようとしたものであり︑それに関連する立法目的を否定 する︒更にアメリカ合衆国憲法には︑他にもあからさまな選好を否定する条項が存在することを指摘する︒従ってサンスティンに よれば︑政府の行為が公共善を確実に促進しようとする努力とみなせるか否かが重視されることになる︒

そのため︑司法審査は︑単なるプロセス理論に留まらず︑立法者の動機を含めた実体的価値をも重視することになる︒具体的に は︑司法審査の場において︑立法目的とその達成手段との関連性を公共的価値の実現と結びつけて理解すること︑および規範的理 論を司法的に形成し︑公共的価値の範囲を明らかにすることが求められる︒

このようにサンスティンは司法審査基準の厳格化を求めるが︑他方︑裁判所の役割としては司法ミニマリズムを提唱している︒

憲法原理の内容に争いがある場合︑司法による直接的な原理的主張は︑重要な利益をしばしば危険にさらし︑司法の自律を危う<

するとサンスティンは考える︒従って彼は︑基本原理にコミットするものでさえ裁判がそうした可能性に直面することを躊躇うべ きであるとする︒つまり︑憲法理論の内容について十分に合意が形成されていない場合︑裁判所はその判断を避けるべきであり︑

(4 ) 

﹁不完全に理論化された合意

( i n c o m p l e t e l t y h e o r i z e d   ag re em en ts

)﹂で満足すべきだと考えるのである︒

マディソニアン共和主義の構想は︑﹁あからさまな選好﹂を排除し︑市民の熟慮を政治に反映させることを重視する︒そのため

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか」(-)

①審査基準の厳格化と司法ミニマリズム

(6)

(3) 

立法者が︑選挙民や他の政治権力から距離をおき︑立法について熟慮する余裕と機会をもつ憲法構造が重視される︒

サンスティンは︑権力分立を︑形式主義︑機能主義︑およびホームズ主義に分類し︑彼自身は機能主義を提唱する︒なお︑形式 主義とは︑各権力の範囲を画定し︑それを厳格に解する立場であり︑その対極にあるものとしてホームズ主義が挙げられている︒

形式主義についてサンスティンは︑起草者意思の特定化および解釈の困難性だけでなく︑ニューディール期以降の政府機能の変 化に伴い︑機械的適用だけでは不都合が生じることを指摘する︒ホームズ主義については︑権力分立の放棄に繋がるものであり憲 法上の抑制が利かなくなる点を指摘する︒サンスティンの提唱する機能主義とは︑当該行為が憲法の定める権力分立の中核を侵害 するか否かを審査するものであり︑司法審査が憲法の文言や制憲者意思に関連する場合でもそれらを決定的要因とはみないもので ある︒つまり︑形式主義とホームズ主義の中間に位置するものとされている︒

この機能主義は︑結果的に不確定性を許容してしまうことになるかもしれない︒しかし︑サンスティンによれば︑この欠点は︑

形式主義とホームズ主義の欠点を避け得るという観点からみれば︑長所でもあり得るとされる︒

形式主義は︑大統領の権限強化に繋がる傾向を持ち︑機能主義はその逆の傾向をもつ︒このことは︑サンスティンが執政府を党 派の弊害を受け易いものと理解し︑議会を重視することに関連していると思われる︒

自由主義的共和主義

サンスティンは︑

マディソニアン共和主義という表現の他に︑自由主義的共和主義という表現も用いている︒その意味が十分に 明らかにされているとはいえないが︑性差別主義︑人種差別主義︑

エリート主義︑軍国主義などの批判を受けた古典的共和主義観 と明確に区別して︑自由主義観をとり入れた新しい共和主義であることを強調した表現だと思われる︒ただ︑サンスティンのこの 自由王義観は︑多元主義的な自由主義観とは明らかに異なるものであることに留意しておきたい︒

多元主義との比較において︑サンスティンは自らの自由主義観について︑次の四つの相互依存的原理を明らかにしている︒

関 法 第 五 四 巻 六 号

(7)

は司法ミニマリズムが求められることになる︒

(4) 

第一に︑熟慮に対する信念である︒つまり︑権利や選好が︑政治的熟慮の対象であって︑外的要因ではないとする︒第二に︑政 治的平等の重視である︒従って︑政治過程における影響力の不平等の是正を要請する︒第三に︑

り政治や公共善に関するアプローチや概念上の相異は︑公の議論と対話によって仲裁可能であり︑かつそうすることが望ましいと

(5 ) 

する信念である︒そして第四に︑市民としての地位の重視である︒

これらのことからサンスティンは︑政治参加の基本的権利の保障︑差別に反対する強い規範性︵反差別原理に留まらず反カース ト原理を導いているなど︶︑私的財産と最低限の福祉に対する権利保障という形での安全の保障などが︑要請されるとしている︒

以上のことなどを要請する自由主義的共和主義は︑サンスティンによれば以下の特徴を持つ︒

ユニヴァーサリズムである︒つま 第一に︑自由とは︑各人が目的を遂行するだけでなく︑目的そのものを慎重に選択する自由をも含む︒第二に︑権利および具体

的な政治制度は︑政治的熟議を伴う健全な政治過程から生じるべきである︒第三に︑公的権力と同時に︑私的権力の濫用をも警戒 すべきである︒第四に︑私的領域は︑公的決定の積み重ねによって生成され︑それ故に政府の抑制を必要とする︒第五に︑集団間 の政治的影響力の不均衡の是正が要求される︒そして第六に︑自由と平等とを結合させようとする︒

上述の自由主義観に立つサンスティンの構想は︑社会に対する政府の積極的措置を要請することになる︒

括 サ ン ス テ ィ ン 理 論 の 全 体 像 と そ の 射 程 サンスティンの自由主義観を前提とした場合︑政府は社会に対して積極的措置を採ることが要請される︒また︑そうであるが故 に︑政府権力に対する抑制および政治的熟議並びにあからさまな選好の排除が重要とされる︒更に︑それらを担保する仕組みの一 つとして︑裁判所は︑立法の動機にまで及ぶ実体的価値を審査することになる︒但し︑裁判所の自律性からしてその役割について 簡潔ではあるが上述したように︑サンスティンの理論は︑多くの場合︑その部分だけ︑あるいは︱つの分野の主張が独立したも

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか』(一)

︵一

三七

七︶

(8)

︵体系性を意識して︶展開しているところに特徴がある︒それ故に難解ではあるが︑グ ランドセオリーの構築を意識した独自の憲法理論として注目される︒

入っている︒さらに︑

一定の西欧的な価値を前提としている

さて︑サンスティンの構想によると︑政府は︑憲法目的を具現化するために社会に深く関わりをもつことになる︒また公的権力 だけでなく私的権力の濫用をもその射程に入れ︑さらには反カースト原理など社会的構造的差別の是正の問題なども考察の視野に

サンスティンの理論は︑単なる憲法条文の解釈学に留まらず︑広く政治︵哲︶学や社会学などに及ぶため

︵さらに︑最近では熟慮と討議に基づく民主政治の実現のための実証的研究に関心を向けているので︶︑理解することは意外に困難 である︒ところで︑わが国憲法学にとって彼の理論の持つ意味を考える際には︑

慮した上で︑その主張の取捨選択をしなければならないが︑このことは︑前述の理論の一体性・体系性を考えると︑かなり困難な 作業といえる︒サンスティンの理論を今後有意義な形で紹介する際に留意しなければならないと思われる︒

(6 ) 

V

yh S o c i e t i e s   N ee d  D is e s nt   (なぜ社会は反対意見を必要とするのか︶﹄

アメリカとわが国との政治・社会状況の違いを考 介者たちにとってのみならず︑多くの研究者にとっても魅力的かつ挑戦的なもののように思われる︒前述したように︑熟慮に対す

る信念︑政治的熟慮と討議を伴う健全な政治過程を重視するサンスティンの立場からすれば︑その熟慮・討議を可能ならしめる条 件とそのプロセスを阻害する要因を明らかにすることが必要となる︒

私は︑次の三つの問題関心をもって本書を読んだ︒まず第一に︑熟慮・討議に参加する主体の問題である︒アメリカ合衆国を構

成する﹁

W e th e  P eo pl e  o f   U ni te d  S t a t e s ﹂の開かれた概念がアメリカ合衆国の強みでもあり︑弱みでもあることは︑別の機会に

(7 ) 

検討したことがあるが︑熟慮・討議に参加する﹁市民﹂とはどのような人々を意味するのであろうか︒サンスティンはその関係を

﹁お互いに理解しあうことのない他者との関係﹂ととらえていないことは明らかであるが︑

﹃なぜ社会は反対意見を必要とするのか﹄

のではなく︑それぞれを相互に関連づけて

というタイトルは︑紹

(9)

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか」(一)

第四章隣人たちは何を考えているのか 第三章 第二章

他者の行動の模倣

法の遵守︵と非遵守︶

群れで行動すること 第一章

本書は︑次のような構成をとっている︒

(11  本書は︑適切な異議申し立て ろうか︒それを成り立たしめる要件は何であろうか︒ だろうか

( s o c i a l   ca sc ad e)

(g ro up

と思われるので︑﹁差異﹂をどの程度重視するものなのだろうか︒アファーマティヴ・アクション施策を受ける人々は含まれるの

︵その実施によって﹁市民﹂が創出されるとするならば︑まず施策の対象となる人々は︑その時点では﹁市民﹂たりえな いということにならざるをえないのではないか︶︒

第二に、幅広い多様な見解・意見を自由に討議しうる場、そして「熟議能力の平等」は、どのようにして確保•実現されるのだ そして第三に︑熟議は理性的・合理的な合意による問題解決をめざすものとされ︑討議参加者が異見︑異議申し立てに対する

﹁寛容﹂の精神をもつべきことなどが当然のこととされてきたが︑熟議は﹁価値選択の過程﹂を含意し︑その結論において﹁異な

(8 ) 

る理由に基づく同意﹂を想定しているのであろうか︒

本書の構成

同調と反対意見

︵反対意見︶が熟慮・討議には必要不可欠であることを示すとともに︑それに大きな影響を与え︑

調

(c on fo rm it y)

( 9 )   p o l a r i z a t i o n )

を挙げ︑それらを具体例を通して明らかにする︒

(10)

本書の概要 本書の構成は︑前述の通りであるが︑その内容をここで簡単に紹介しておきたい︒

象をうまく説明するためには︑同調

( c o n

r m f o

i t y )

という顕著な人間性向を理解することが必要であり︑独立した専門的判断を行 なうことを期待されている集団︵例えば︑裁判官︶にもこの傾向はみられるとする︒これに対して︑異議を唱え︑反対意見を述べ ることは利己主義的とみなされるかもしれないが︑他者を益するものであり︑建設的な結果を生み出すためには不可欠のものであ る︑と考える︒﹁第一章

人々が同輩集団圧力

(p ee rp re ss ur e)

によって自らの知覚判断にもかかわらず専門家の判断や多数派に従う同調行動をとることが 明らかにされる︒ただし︑少数派も重要な影響力を持ち︑社会の明確な異端者とされていないかぎり︑積極的な役割を果たすこと も明らかにされる︒﹁第二章 第二に︑法の表現が効果的である場合︑そして第三にその表現機能が効果的でない場合を﹁同調﹂をキーワードに論じている︒法 遵守が既に法を遵守している人々への同調として生じ︑非遵守と不服従が広範に存在するとの認識が一層の非遵守を広げると述べ

(2) 

同調と反対意見﹂では︑本書の問題関心と全体の要旨が述べられる︒サンスティンは︑さまざまな政治・社会現

他者の行動の模倣﹂では︑心理学者︵シェリフ︑

法の遵守︵と非遵守︶﹂では︑まず第一に︑法令の制定が表現機能をもち︑法遵守を生みだすこと︑

第九章高等教育におけるアファーマティヴ・アクション 第八章裁判官も同調主義者なのか 第七章制憲者の偉大な貢献 第六章なぜ集団は極端な傾向に走るのか 第五章言論の自由

O )

アッシュ︑およびミルグラム︶

O

の実験結果が示され︑

(11)

群れで行動すること﹂では︑社会的影響がいかにして社会的カスケード

なぜ集団は極

る︒人々は︑ある特定の時点で自分たちの情報や意見に依拠するのではなく︑他者が提示するシグナルに基づいて判断するように

︵情報カスケード︶︒また︑カスケードと反対意見との関係については︑強制的権威を持つリーダーの存在︑多数決ルールな

隣人たちは何を考えているのか﹂では︑人々が正しいことに対してではなく︑他者に同調 することに対して報酬︵経済的なものばかりでないことはいうまでもないが︶を受けるとき︑ほとんどの人は同調すること︒友愛︑

連帯感などの絆で結ばれた集団では︑反対意見が表明されにくくなること︒カスケードそのものではなく︑人々の沈黙︑自己検閲

言論の自由﹂では︑表現の自由が無意味なカスケードに対する重要な保 障として機能するとし︑見解中立規制︑パブリック・フォーラム論などに論及したうえで︑自由な言論の将来性について示唆する︒

サンスティンによれば︑うまく機能する民主主義は︑たんなる言論の自由保障にとどまらない﹁言論の自由の文化﹂を持っており︑

それは精神の独立を促進し︑言葉と行為を通じて支配的な意見に挑もうとする意志を伝えるものである︒﹁第六章 端な傾向に走るのか﹂では︑集団が極端な行動をとりがちであるのは何故かを説明し︑正当化できない極性化を検討する︒内部か ら反対意見の出にくい集団は︑質が悪くなり︑情報を積極的に開示し︑反対意見を奨励し︑別の選択肢を生みだす制度を有する集 団は活性化する︒アメリカ憲法起草者たちは︑これらの点を明快に理解していた︑と述べる︒﹁第七章

アメリカ合衆国憲法起草者たちの構想の中に︑多様な見解を統治に反映させるシステムの基本的枠組みが示されているとの サンスティンの従来からの見解が示され︑熟慮・討議の積極的位置づけと憲法の共和主義的システム︑﹁民主政の設計﹂が具体的

に論じられる︒サンスティンによれば︑ 憲法起草者の偉大な貢献﹂

アメリカ憲法の定める二院制や連邦制といった権力分立の諸制度︑そして結社の自由やプ ライヴァシーといった諸権利の保障が︑反対意見を許容する社会を構築するさいに大きな役割を果たすとされる︒また︑彼によれ ば︑弱い立場にある集団の構成員が︑同調や独立を強いられたりせずに熟議を行ない得るようにすることも重要であるとされる︒

裁判官も同調主義者なのか﹂では︑裁判官も同調効果に従うのか︑カスケードが生じうるのか︑集団分極化の傾向をも

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか』(-)

が社会的損失であること︑などが論じられる︒﹁第五章 どについて論及されている︒﹁第四章 なる

(c as ca d e)

を生み出しうるのかが考察され

(12)

えるとき︑人種的多様性に加えて経済的︵背景の︶多様性の重要性を指摘する︒最後に﹁終章

︵孝忠延夫︶

つのか︑さらには︑反対意見の効果は何か︑が論じられる︒いずれの設問にも肯定的立場が示され︑裁判官も同調傾向を持ってい ることが具体的に示される︒また︑合議法廷では︑その裁判官構成によって増幅効果︑あるいは縮減効果が生じるという典味深い

高等教育におけるアファーマティヴ・アクション﹂では︑大学におけるアファーマティヴ・ア クション政策実施の憲法的正当性を問いかける︒サンスティンは︑バッキ事件最高裁判決におけるパウェル裁判官の意見を基本的 には承認し︑教育の場における﹁率直な意見交換﹂の保障とそれを実現するための人種的多様性確保の正当性︑そしてアファーマ ティヴ・アクションの合憲性審査基準︵厳格審査に服すべきか︶に論及する︒サンスティンは︑大学における人種的多様性が教育 活動を促進すると合理的に言い得るならばその政策は正当性をもつと主張し︑同調︑カスケード︑さらには集団分極化の問題を考 ティンは︑自らの主張とその結論を簡潔にまとめている︒すなわち︑社会における同調圧力の特徴を理解するためには︑同調︑カ

スケード︑そして集団分極化を一体としてとらえることが必要であり︑それらは︑第一に他者の行為や言明に含まれる情報によっ て生み出されること︑第二にそれらの行為や言明に課される社会的強制によって生み出されるとするのである︒サンスティンは︑

このことが裁判所にも妥当するとし︑裁判所が潜在的反対者を含むならばより良い裁判が行なわれると考える︒また︑大学で真の 学問・研究がなされるためには︑何らかの﹁政党軋礫﹂が必要であり︑同調と分極化の危険性を理解するならば︑なぜ高等教育に おける多様性確保・促進が重要なのかを説明しうるだろう︑と述べる︒

(1)

なお、今回の紹介者たちが以前に紹介した「カス

•R

・サンスティン『民主主義の設計ー憲法は何をなすのか(二

00

0

0

0

頁︵二

0

0

三年︶も参照されたい︒

( 2

) サンスティンの共和主義憲法理論については︑大沢秀介﹁共和主義憲法理論と表現の自由﹂芦部信喜古稀記念﹃現代立憲

事実も明らかにされる︒﹁第九章

なぜ反対意見なのか﹂でサンス

(13)

ロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーの人気が示した政治的保守主義は︑何ゆえ一九八

0

年代にあのように復活した

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか』(-)

序章 同調および反対意見

﹃なぜ社会は反対意見を必要とするのか﹄

︵ 抄

訳 ︶

主義の展開上﹄五八五頁︵有斐閣︑一九九三年︶など参照︒

( 3

) 紹介者たちは︑従来﹁熟慮民主主義﹂という訳語を用いてきた︒﹁熟慮﹂を基本としつつも︑﹁討議﹂の要素を訳語にも盛 り込むために︑本稿では﹁熟議﹂の訳語を用いる︒

(4)

平地秀哉「『理にかなった多元性」と司法審査ー~『原理』の決定における『多数決主義という難点」」早稲田法学第七八

巻四号一五三頁︵二

00 1

Ca ss

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Su ns te in

の司法ミニマリズムに関する一考察曰︑口︑ロー熟議民主政 における裁判所﹂早稲田大学大学院法研論集第一

0九号三一八頁

10

号四0四頁︑一︱一号五0

0

0四年︶な

ど ︒

( 5

) 柳瀬昇﹁熟慮と討議の民主主義理論│ー公法理論と政治理論との架橋に向けての試論的考察﹂慶応大学法学政治学論究第

五八号三六九頁︵二

0

0

( 6 )

d

i s s e

n t ﹂の訳語をタイトルとしては︑﹁反対意見﹂とした︒本文中には﹁異見﹂﹁異議﹂などの訳が適切と思われる箇所

も多く︑適宜使い分けている︒

( 7 )

孝忠延夫﹁国民代表議会におけるマイノリティ代表と﹃国民﹂統合﹂北大法学論集第五四巻三号九五頁︵二

0

0

また︑平地秀哉﹁熟議民主政と社会福祉﹂早稲田法学第七九巻四号一五三頁︵二

0

0

四年︶も参照されたい︒

( 8

) 田村哲樹﹁現代民主主義理論における分岐とその後(‑)ー︵三・完︶﹂名古屋大学法政論集一八五号一頁︵二

000

年 ︶

0

0一年︶︑同一八八号三七五頁︵二

0

0

( 9

) なお︑理性的な討議と決定を通じて客観的な正解へ近づくことの可能性について︑長谷部恭男﹁討議民主主義とその敵対 者たち﹂法学協会雑誌第一︱八巻︱二号八五頁︵二

0

0

(14)

連邦裁判所

初期に特有のものではない︒ビル・モイヤーズ

ホワイトハウス

能する会議とは︑

重役会

︵一

三八

︶四

一九

0

年代アメリカでアファーマティヴ・アクション政策が急速に広まり︑

そしてこの政策が一九九

0

年代以降攻撃されるようになっていったことをどう説明したらよいのだろうか?

本書で私は︑同調という顕著な人間性向を理解することなしにはこれらの問題に充分に答えることはできないことを論じてみた い︒人々は︑もちろん羊ではない︒我々の多くは︑しばしば独立性を示す︒しかし︑ほとんどの人間は︑多くの明白な反逆者をも 含め︑他者の見解や行動に強く影響される︒反対意見︵異なった見解︶によってチェックされないならば︑同調は︑気がかりで有 害な︑さらには時として驚くべき結果を生み出しうるのである︒幾つかの例を挙げてみよう︒

二︱世紀の初頭において︑多数のアメリカの会社は︑腐敗と混乱の錯綜によって生じた難局を経験した︒非常に有名な ものにはエンロンの失敗などがある︒評論家は︑この問題の救済策は厳格な規制にあるのではなく︑その会社が直面している問題 の積極的かつ真摯な論議を奨励し︑取締役への直接的異議申し立てを行なうワーキンググループにあると結論づけている︒よく機

一般的な伝統にチャレンジしつつ︑多様な見解を許容し︑粘り強い質問を可能とするものである︒

一九六一年四月一七日︑

0

人のキューバ難民を救助しようとした︒この侵攻は︑惨めな失敗に終わった︒有能で類まれな才能を持つケネディ大統領スタッ フの誰一人として侵攻に反対し︑対案を提示しなかった︒﹃論議の環境によって﹂引き起こされたこの自己沈黙は︑ケネディ政権

︱つは︑国家安全事項を扱う人々が非常に親密になっており︑同時に個人的にも互いに好意を持ち合っていたことである︒彼らは︑

国家事項をあたかも紳士クラブにいるかのように処理する傾向をもっており︑したがって重要な決定は︑しばしば︑次年度の会費 はいくらであるべきかを決定する小規模な理事会の暖かい友情の中でなされた﹂のである︒

連邦裁判所裁判官が︑三人合議法廷を構成するとき︑保守的なあるいはリベラルな同僚裁判官のいずれと合議する

がったことを︑どう説明したらよいのだろうか? のだろうか?世界中の多くの学生が︑

関 法 第 五 四 巻 六 号

アメリカ合衆国海軍︑同空軍︑および

CIA はキューバのピッグス湾に侵攻し一五〇 ( B i l

l   M oy er s) によれば︑﹁ケネディおよびジョンソン政権における深刻な問題の

一九

0年代に左傾化したのはなぜだろうか?アラブ世界内でイスラム原理主義が広

二五四

(15)

信念のまわりに集うことになる︒

①同調︑異なった意見︑そして情報 に

も生

じる

︒︶

す ︒

二五五

︵これらの現象は︑投資家のクラブや陪審の場合

ともに審理を行なうこととなった二人の裁判官が共和党系裁判官であるとき︑

共和党系裁判官は︑とりわけ保守的な固定観念に従って評決するにちがいない︒同じような傾向は︑民主党系裁判官にも見られ︑

他の二人の裁判官が民主党系裁判官であったときには︑より一層リベラルな固定観念に従って評決しがちである︒このように︑集 団の影響力は︑裁判官のイデオロギー傾向が同じ政党系裁判官との合議によって増幅するという︑イデオロギー的な増幅を生み出 このことと関連しているのであるが︑共和党系裁判官と民主党系裁判官の両者にとって︑対立する見解の開示はイデオロギー的

縮減・弱体効果

( i d e o l o g i c a l da mp en i n g) を創りだす︒多くの分野において︑二人の共和党系裁判官と合議することとなった民主 党系裁判官は︑あたかも典型的な共和党員のように評決するようになる││二人の民主党系裁判官と合議することとなった共和党 系裁判官が典型的な民主党員のように評決するようになるのと全く同じように︒

我々一人ひとりにとって︑同調は︑しばしば︱つの有意義な行動過程である︒つまり︑他人の行なうことをなすことは︑我々自 身の基準で最善を行なうということなのだ︒我々が同調する︱つの理由は︑しばしば自らの情報の多くを欠いているからであるし︑

他人の決定は我々が得ることのできる最善の情報を提供してくれるからである︒何をなすべきかに確信がもてないとき︑我々はよ く数の論理︑すなわち大衆心理に安易に従うことが多い︒この単純なことは︑どこに住むのか︑何を食べるのか︑誰に投票するの か︑ある法律に従うべきなのか︑移住すべきか︑あるいはどこへ移住するのか︑などなどに関する人々の決定を説明するのに役立 つ︒人々は︑彼らが知っている人々の見解に注意を払うので︑様々な集団は︑極端にしかも時として面白いほどに異なった行動と

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか』(-)

ことになるかによって影響を受けるのだろうか?

︵一

三八

五︶

(16)

させているのかどうか分からないことが多い︒

問題は︑広く普及した同調が国民一般の持つべき情報を奪うことである︒同調者は︑他者が便宜を受けている知見を開示される ことなく他者に従い︑沈黙している︒このことは︑ピッグス湾侵攻事件の抱えていた問題であるし︑投資クラブの会員に巨額の損

失をもたらすものでもある︒

H.C

・アンデルセンの寓話﹃王様の新しい服﹂は︑誰しも他の誰かに従うのだから︑人々は自分た ちの目がはっきりと認識していることを明らかにしないものだということの︱つの巧妙な例である︒不正義︑抑圧︑さらには大規 模な暴力が継続しうるのは︑そのほとんどの場合︑常識的な人々がその口を閉じたままでいるからである︒

しかしながら︑同調者たちは︑集団のために沈黙を保つことによって社会的な利益の保護者であるべきだとしばしば考えている︒

反対意見の持ち主たちは︑対照的に︑自分たち自身のプロジェクトの開始のためにする利己主義者とみなされがちである︒しかし︑

︱つの重要な意味において︑反対は真実により近い︒多くの場合︑反対意見の持ち主は︑他者を益するが︑同調者は自らを益する︒

人々が不正に対して警告を発したり︑集団で形成されつつある合意に反する諸事実を開示しようとするならば︑処罰されることに なるかもしれない︒おそらく︑彼らは仕事を失い︑村八分にあい︑少なくとも何ヶ月かは辛い目にあうだろう︒

私は︑反対意見が常に役立つと考えているのではない︒ガリレオ︑

マルチン・ルター︑トーマス・ジェファーソン︑ガンディー︑

そしてマルチン・ルーサー・キングJrなどは︑有名な反対者たちの名誉ある名簿に含まれよう︒しかし︑ヒトラー︑

レーニン

アメリカ奴隷制の擁護者たち︑そしてオサマ・ビンラーディンなどの多くの歴史上の怪物を含め︑不名誉な名簿に載る反対者たち もいる︒反対意見を︑多数の人々が抱いている見解の拒否を意味すると定義することにすると︑それは必ずしも常に誉め称えられ るものではありえない︒しかし︑多くの分野で︑我々は︑正しい解答へ収紋しようとしているのか︑集団の影響力が不一致を減少 機能的な社会の権利や制度は︑同調に伴う危険を減ずるように作られている︒言論の自由は︑最も明確な事例である︒このこと

は︑戦時にも平時にも妥当する︒第二次世界大戦中︑ルーサー・グーリックという一人の高官は︑民主主義国家における市民のよ り大きな能力に訴えて︑連合国の勝利とヒトラーおよび他の枢軸国の敗北に貢献した︒

︵一

八三

六︶

(17)

から生じていることを示すことである︒ きた︒もちろんここでは︑ 分たちの問題を解決する傾向があると主張して︑

二つの影響と三つの現象

二五七

ある意味では︑反対意見を強調することは︑今日の政治理論の傾向に反するかもしれない︒ここ数十年︑合意の必要性が強調さ れてきている︒顕著な例を挙げてみよう︒ジョン・ロールズは︑最も基本的な争点に不同意な市民間での﹃重なり合う合意﹂

の価

値を強調している︒非常に現実的なレヴェルで︑多くの人々は︑アメリカ人は合意的解決を探すというよりも法的争いを通して自

アメリカ文化における﹃対抗的法律至上主義﹂

(a dv er sa ri al le ga li sm )

を嘆いて

ロールズの考えに異議を唱えるつもりでも︑対抗的法律至上主義を支持するつもりでもない︒しかし︑

合意や同意を重視することはとてもないがしろにされてきた︒ただ私は︑同調と一致それ自体の危険性に全くといっていいほど注

一貫して︑個人の信念と行動に影響を与える二つの要因に焦点をあてている︒第一のものは︑他人の行為や言明によって 伝えられる情報に関係している︒ある主張を多くの人々が正しいと信じていると思われる場合には︑その主張が実際に正しいと信 ずる理由が存在する︒第二の影響力は︑他人のまっとうな意見を持ちたいという普遍的な人間性である︒多くの人々が何かを信じ ていると思われるとき︑それに反対したくない︑少なくとも公然とは反対したくないという気持ちがある︒人間行動の多くは︑同 情報提供および評判という影響を強調することによって︑私は︑三つの顕著な現象についての統一的な説明を提示しようと思う︒

この三つとは︑同調︑社会的カスケード︑そして集団分極化︑である︒実際︑私の中心的目的は︑これら三つの現象が上述の影響

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか」(-)

調の二つのタイプから生じる社会的影響の産物である︒

私は

(2) 

意が払われてこなかったと思う︒

︵一

三八

七︶

(18)

取り組んだ結果ではなく︑同調影響力の産物なのである︒ I それを多くの集団や組織は︑ほとんど持っていないのだが│̲'重要な中和剤でありうる︒

r i d e r )  

我々は︑社会的影響を残念に思ったり︑それらを悩んだりすべきではない︒社会的な結束は︑重要であり︑非同調や反対意見は 結束を傷つけることがある︒しかし︑社会的影響は︑多くの場合︑個人や組織を間違った方向に導くおそれがある︒反対意見は︑

我々が理解しているように︑同調者は︑自分の意見を何も付け加えないで他人の行動から利益を得る︑ただ乗りをする人

( f r e e

である︒控えめに言っても︑ただ乗りをする人になろうとする人であろう︒対照的に︑反対者は︑その社会が多くのもの を得る情報や考えを提供することによって︑他人にしばしば利益を与える︒周知のように︑反対者は処罰されることがありうるし︑

︵ファラグ・フォウダのように︶殺害すらされる︒成功しようとする集団や組織は︑反対者に報いる手法を見つける必要 集団が︑憎しみと暴力に支配されるようになるとき︑通常その理由は︑経済的損失でも原理的な疑念でもない︒

の集団で論議された情報的・評価的影響の産物を理由とするのである︒実際︑正当とされない過激主義は︑たいていは他の過激主 義者から得た僅かの部分的関連情報に接するという形での︑﹃不十分な認識﹂の結果である︒しかし︑非常に多くの人々が︑不十 分な認識論者であり︑同様のプロセスが︑劇的な形で起こることはあまりない︒議会︑官僚機構︑そして裁判所の中での多くの大 規模な変化は︑社会的影響を考えることによってうまく説明される︒議会は時として突然何らかの無視されていた問題│̲'例えば︑

危険なゴミ処理場︑家庭内虐待︑あるいは会社の不正行為ー│Lに関心を向ける︒この突然の関心は︑しばしば︑その問題に本当に もう︱つのポイントがある︒結果と状況はかなり違うが他のことは類似する集団が︑社会的影響によって極めて異なった信念と

行動に導かれることがある︒社会が変化し︑あるいはつねに大規模な変化を経験しているとき︑その理由はしばしば小さなそして

しばしば捉えどころのない要因にあるのである︒社会の中にいつでも存在する︑多くの明白な︑そして大きな相違は︑文化とは全

時として 変化︑衝撃︑そして法

一般的には︑そ

(19)

れる可能性が高い︒ な光が彼/彼女らの前に一定の距離を置いて照らされた︒その光は実際には静止していたが︑錯覚のため︑動いているように見えた︒数回の実験の各回において︑シェリフは人々に︑光が動いた距離を判断するように求めた︒個人別に調査されたとき︑被験者はお互いの意見に同意しなかった︒そしてその答えは実験ごとに甚だしく異なっていた︒しかし︑被験者が小集団で行動するように求められたとき︑個々人の判断が収束し︑正しい距離を決める集団的規範がすぐさま現れた︒

シェリフがさくらを加えたとき︑異なった事態が生じた︒概して他者によってなされたものよりはるかに遠いかはるかに近いさ くらの判断は︑集団内でそれに応じてより遠い︑あるいはより近い判断を生み出すことを助けた︒少なくとも事実について困難な 問題に関わる場合においては︑何らの強制的権限や特別な専門的知識を持たず︑単に他者の不確かさを前にして断固としてゆるぎ ないものであろうとする意思のみを持った個人によって判断が押し付けられうる︒

人々が全く手がかりを持たないような状況においては︑人々は特に自信のある︑断固とした姿勢の集団の成員によって揺さぶら

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか』(一)

心理学者M

(1) 

く関係がない︒すでに見てきたように︑物事は容易に他のものになりえたし︑適切な後押しで︑主要な相違が驚くほど短期間で消

散させられうるのである︒

困難な諸問題

第一章

他者の行動の模倣

(M uz af   e r h   S er if )

はいくつかの単純な実験を行なった︒被験者はとても暗い部屋に入れられ︑ごく小さ

︵孝忠延夫︶

(20)

(3)  S人々が正しい答えを知るだけの十分な理由を持っている場合はどうか︒

・ア

ッシ

ュ 者は︑実験に加わっている他の被験者のように見えるが実際にはアッシュのさくらであった︑七人から九人の集団の中に置かれた︒

ばかばかしいほど単純な作業は︑大きな白いカードに示されたある特定の線を︑長さの等しい三つの﹁比較用の線﹂の︱つに﹁合

わせる﹂ことであった︒二つの長さの合わない線は相当異なっていた︒

実験の最初の二周においては︑皆が正しい答えに同意している︒しかし︑三周めにおいて突然この調和が乱される︒集団のすべ ての他の成員は明らかに大きな誤りを犯し︑問題となっている線を著しく長い︑あるいは短い線に合わせたのであった︒これらの 状況において︑被験者は選択権を持っている︒つまり被験者は独立した判断を維持することもできるし︑全員一致の多数派の見解 意外なことに︑ほとんどの人々は一連の実験において少なくとも一度は集団に従ってしまうのである︒他者による判断を見るこ

となしに自ら判断するように求められたとき︑人々が誤る確率は一パーセント未満であった︒しかし︑集団の圧力が正しくない答

えを支持した回においては、人々が誤る確率は三六•八パーセントであった。

たいていの人々は︑少なくとも何度かは︑自らが直接的で明白な証拠を持っている︑

んで従うのである︒

理性と失敗

なぜ人々は時に自らの感覚という証拠を無視するのであろうか︒二つの最良の説明としては情報と同輩集団圧力

(p ee r pr es su re )

がある︒アッシュの被験者の中には︑全員一致の意見を持ったさくらは正しいに違いないと考える者があった︒反対に︑

集団の他の成員が誤っていると信じてはいたが︑公然と︑それらの成員が考えていることを誤りとみなそうとはしなかった者もい を受け入れることもできるのである︒

(2) 

容易な諸問題

一見容易な問題においてでさえ︑集団に進

( S

o l

o m

o n

  A

sc h)  

二六

O

の実験において︑被験

︵一

三九

0 )

(21)

効果は説明してくれるように思われる︒

④公職者の同調についての若干の言及 これらの説明の双方が証拠によって支持される︒アッシュ自身の研究において︑何人かの同調主義者

( c o n

f o r m

i s t s

) の意見が間違っていたに違いないと︑私的なインタビューの中で述べた︒そのことは︑同輩集団圧力よりも情報が彼/彼女等を動 かしていたものであることを暗示している︒︵他方︑︶実験者は一般に︑被験者が完全に内密に答えを提供するように求められたと き︑かなり誤りが減少したことを見出している︒被験者が︑同調や逸脱がたやすく他の人々に確認されることを知っているとき︑

被験者が同調する可能性はより高いのである︒このような結論は︑同輩集団圧力もまた重要であることを示している︒

たとえ個々の成員が知っていたり考えていたりするものを知ることが︑たいていの集団の利益に適っているとしても︑多くの 人々は集団に対して自らの情報を進んで開示しようとはしない︒

アッシュの基本的な方法から生まれたさらなる実験において︑道徳や政治についての多くの判断に関して︑甚大な同調効果が見 出されている︒そのような効果は市民的自由︑倫理︑そして犯罪と刑罰を含む諸問題に関して示されている︒そのような証拠は︑

論争的な問題についての見解を公に表明する際の強い同調作用を明らかにしている︒

立法者も裁判官も︑ほかの皆と同様に︑いくつかの場合に︑もし人々が彼/彼女らに対抗して団結すれば︑通常であれば明確で ある政策や法の評価を捨て去ることが予期されるはずである︒二人の民主党系の裁判官と合議を行なうとき︑共和党系の裁判官は しばしば民王党系の裁判官のように票を投じる傾向があり︑二人の共和党系の裁判官と合議を行なうとき︑民主党系の裁判官はし ばしば共和党系の裁判官のように票を投じる傾向があるという︑本来であれば驚くべき事実を︑アッシュの実験で見られたような

キャス•R

・サンスティン著『なぜ社会は反対意見を必要とするのか」(-)

l ) 0  

︵ ︱

‑ ︱

‑ 九

一 ︶

は︑自ら

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