日 程
第1回(4月27日)
乾 彰夫「現代の産業社会と競争一競争構造の一元性と多元性」(教育科学研究会r現代社会と教育』
編集委員会編『現代社会と教育』第1巻、大月書店、1993、所収)の検討
第2回(5月11日)
佐藤広美「総力戦体制と教育科学一戦前教育科学研究会・序説一」
(東京都立大学人文学部『人文学報』第259号所収)の検討
第3回(5月25日)
小沢有作『物知り教育から解放教育へ』(明石書店、1994)の検討
第4回〜第6回 修士論文執筆者の構想検討会
第7回(10月12日)
黒崎勲『現代日本の教育と能力主義』(岩波書店、1995)の検討
第8回(10月26日)
越野章史「コンドルセの人権宣言草案における公教育規定の位置」
(日本教育学会『教育学研究』第63巻第1号所収)の検討
第9回(11月9日)
茂木俊彦、清水貞夫編『障害児教育改革の展望』(全障研出版部、1995)の検討
第10回(11月30日)
荒井文昭「分権化のなかの学校選択と学校参加一ニュージーランドにおける教育改革の動向一」
(東京都立大学人文学部『人文学報』第259号所収)の検討
第11回(12月14日)
大串隆吉「東ドイツの右翼急進主義と青年教育一何が問題だったのか一」
(東京都立大学人文学部『人文学報』第259号所収)の検討
第1回
記 録
乾彰夫(教員)「現代の産業社会と競争一競争 構造の一元性と多元性」の検討。報告者は木戸 口正宏(M院生)と深見匡(D院生)、司会者は 芳澤拓也(M院生)。
初めに報告者二人が論文の要約を行ったの ち、乾の論文に関する疑問点を提示した。これ に対して乾が答えるという形で議論が進めら れ、その後、他の参加者からも疑問点や論点が 提示された。木戸口は以下の三点を質問した。
(1)本論文では、日本の学校教育における競争 の一元性に対照させる形でドイツ、イギリスの 競争の多元性が指摘され、この相違は「労働技 能の社会的形成・組織化・階層化原理の違い」
に由来するとされているが、ドイツ、イギリス の競争の多元的構造は、日本の学校教育におけ る「職業教育」と「普通教育・共通教養」の関 わりについての問題とどう関連づけることがで きるのか。職業教育における「専門性・熟練性」
の獲得と同時に、生産管理の担い手、自立的な 市民の一員としての「共通教養」の獲得も不可 欠ではないのか。(2)日本の競争過剰をコント ロールするための可能的モデルとして、ドイ ツ・イギリス社会が持つ競争の多元性が取り上 げられていたわけだが、筆者のこうした観点か ら見ると、現在の日本の中等教育における変化 とそれに関する議論、例えば、「普通科解体」、
総合学科の設立、専門科の設置などはどのよう な積極的意味を持つのか。また、専門科の設置 については、昨今の不況時の企業が労力、資力 を割くことのできない労働者教育、企業内教育 の代替物ではないのかという声もあるが積極的 にとらえてよいのかどうか。(3)それに関わっ て、日本におけるこういった変化の動きを、産 業構造の再編、労働市場の需要の変化に伴う一 元的競争から多元的競争への変化の兆しと見る ならば、この移行は 必然的なもの として理 解してよいのか。
以上三点の質問に対し、筆者である乾は次の ように答えた。まず(1)については、本論文の
議論は木戸口の指摘するような日本の問題に論 及するものではないので、西ヨーロッパの議論 に即して答えると、「職業教育」と「普通教育・
共通教養」の関連を問う議論は例えばイギリス では80年代後半から、「職業教育」のリニュー アルの問題として提起されてきている。この背 景には、一つには構造以前の問題として、製造 業中心の旧来のアプレンティスシップ制度が崩 壊し、若年労働力を雇用できる余裕がなくなっ たということがあげられる。もう一っ、構造上 の問題としては、イギリスのアプレンティス シップ制度自体がドイツと比較するとかなり ルースだということ一例えば、終了試験がなく、
獲得した技能が客観化されないなど一がある。
ここから、「職業教育」の再編成が主張され、職 業教育を削減し、普通教育を中心とすべきだと の声や、職業教育の枠組内で普通教育を範容す べきだとの声が起こってきているという現状が ある。次に(2)については、木戸口が指摘する ような、職業教育が企業内の労働者教育を肩代 わりすることになりかねないという批判は教職 員組合を中心に数多くあるのは事実である。し かしながら、西ヨーロッパを基準とした先進資 本主義諸国の中等教育システムから見ると、日 本の中等教育は、公的制度内に職業教育が極め て少ないということがむしろ注意されるべき点 となる。特に日本の労働者教育では、企業内教 育を労務管理に組み込むというのが大きな特徴 であるのだから、職業教育を公的制度内で行な うことはそれを公的にコントロールするという 積極的意味を持つと受け取ってよいのではない か。また、日本の専修学校やその他の職業教育 が、西ヨーロッパ的に、即ち、中位水準職種(ス キルド・マニュアル)または下位水準職種に対 応する形で動いていると言えるかどうかについ て見通しを与えることは難しい。特にこれから の専修学校の動きに注意を払う必要があろう。
最後に(3)については、一定程度は経済的根拠 を持っ変化、移行であるといってよいだろう。
しかし、こうした根拠を持った現実の動きの中 で、どう競争コントロールを実現していくかが 最も重要な問題である。
また、深見は次の二点を質問した。(1)乾は 本論文で「新卒採用慣行と学校斡旋制度とに よって学校と企業とがわずかの隙間なく直結し ている」ことに具体的に見られる日本の「学校 内の競争と社会の全体構造、とりわけ労働市場 や企業の雇用・労働力支配をめぐる構造との間 の接続関係の転換を視野におさめたパースペク ティブ」の必要性を説いている。しかし、他方 で、日本で急速に広がる専修学校進学の流れの 中に見られる「中位水準」キャリア・コース発 生の可能性に言及する際には、このようなキャ リア・コース発生の可能性は、雇用、労働市場、
即ち社会構造の側がこうしたキャリア・コース を構成するかにかかっているとも指摘する。す ると、先の部分は 社会構造の転換 というよ り 接続関係の転換 を説いていると理解でき るのであるが、それはそのことのみではどのよ うな意義があると乾は考えているのだろうか。
(2)ドイツやイギリス社会において、競争の多 元的構造を現出している要因である労働技能に 応じた資格制度や、それを背景に持っ企業横断 的な労働組合の形成という事実は、当社会の
階級社会的性格 の残存という点に一定の影 響を受けているといってよいのか。
以上二点の質問に対し、乾は次のように答え た。まず(1)について、本論文で扱っているの は75年までであるので、その限りでは深見の疑 問はもっともであるが、75年以降から今日に至 る変化に注目すると、とりわけ専修学校をどう 考えるかという意味でやはり 接続関係 とい う問題は存在すると言える。例えば、専修学校 生は新卒採用者としては大卒に準ずる位置づけ がなされる一方、専修学校の入試システムでは 無試験先着同然の入学生であるという事実があ る。従って、 接続関係 を問題にする場合に は、全体構造との関連だけでなく、その時間的・
時代的変容をとらえる視点が重要であると言え よう。次に(2)にっいては、歴史的形成として はほぼ深見の指摘の通りだと言える。アプレン ティスシップ制度そのものについて言えば、こ れはおそらくギルド制にまで遡る連続性を有す る制度であり、この点で、日本のように前近代
と近代との間に断絶があるとされる社会とは異 なる歴史的形成を経てきたということができ る。最後に日本における今後の見通しについて 一言するならば、西ヨーロッパに見られる製造 業の労組やギルド的団体には直接結びつくこと はないにしても、職種別の利害関係や機能形成 といった客観的課題として、社会的に労働技能 に応じた資格制度や企業横断的な労組の形成が 求められるという状況は予想される。また、大 企業正規雇用、年功序列型、男性労働者の割合 が減少している今日、これまでとは異なる社会 的階級構造構成の出現が福祉国家的、社会的シ ステムの必要という問題状況を発生させること も考えられるであろう。従って、こうした要因 を背景として、資格制度のバリエーションが生 じ、それに基づく新たな競争構造、即ち、多元 的競争構造が現出することは有り得るのではな いか。もちろん、企業社会と学校との間の関係 として指摘されてきたメリトクラティックな原 理の普遍性を全面的に否定はしないが、社会と 学校との関係は両者のバリエーションによって コントロールし得るものではないのかという問 題提起をすることが本論文の目的だったのであ る。言い換えれば、それとも日本にあっては、
必然的に一元的能力主義に行き詰まってしまう ことにもまた普遍性を見いださねばならないの かという問いかけを本論文は行っているのであ
る。
この他にも、教員や院生から質問や論点が提 出された。例えば、佐藤広美(教員)からは、労 働運動論、社会運動論や文化論との関係を問う 視角が提起され、また、井上(M院生)からは、
事実としての多元化のみならず、理念としての 多元化についても論じるべき一なぜ多元化に価 値があるのかを論じるべき一といった意見も出
された。
(文責 古屋恵太)
第2回
佐藤広美「総力戦体制と教育科学一戦前教育 科学研究会・序説」(東京都立大学人文学部紀要
『人文学報』第259号,1995.3所収)の検討。コ
メンテーターは宋i眠煉(D院生)、津久井純
(M院生)、司会は深見匡(D院生)。
「植民地住民の生活に共感を向けることの出来な い『科学性』、ここに教育科学の大きな限界が あったのであり、この『共感』の彼方にこそ総力 戦体制の『革新性』を痛打する『民族主義』が見 えていたのではないだろうか」
議論はまず、佐藤論文のこの最後の言明をめ ぐって展開された。
「植民地住民の生活に共感を向けることの出 来ない『科学性』」とは、本論文が、戦前の「教 育科学研究会」(教科研)に代表される、当時の 教育科学理論の内在的「限界」を告発している ことを端的に示している。つまり、その理論と 教育改革案が根拠とした「科学性」は、「植民地 住民の生活」に「共感」を向けることができな いものであったことにより、例えば「内地」の 生活綴方教師らが実践のなかで対峙していた子 どもたち、そして彼らを取り巻く生活環境の現 実を見据えたものであったのかも疑わざるをえ
ないのである。
さらに、「このr共感』の彼方にこそ総力戦体 制の『革新性』を痛打する『民族主義』が見え ていたのではないだろうか」とは、その「限界」
は、教育科学が「合理性」「科学性」追究路線に おいて、「総力戦体制」の似而非「革新性」に捕 縛される(=国策協力)という事態として現れ、
そしてそれ故に、植民地における現実、従って その「民族主義」に無自覚であるほかなかった
ことをも告発しているのである※。
従って、「哲学的」「観念的」教育学から脱皮 し、「科学的」「実証的」教育学の確立を自認し たはずの教科研が、植民地をふくむ〈日本帝国〉
における教育の現実をいかに認識・分析し、克 服しようとしたのかが、改めて問われることに なる。つまり従来の、教科研の日本ファシズム に対する「抵抗」と「協力」、その「遺産」の確 認と歴史的断絶を前提とした「戦争責任」の追 及、という単純な二元論的評価に収れんさせる ことなく、教科研に参加した学者たちの理論を 内在的に検討し、その総力戦体制一国策協力へ の「内的な要因」「複雑な過程」「必然的あゆみ」
を暴くこと、それが佐藤が自らに課した課題で ある。従って、当然この問いかけは、「戦後」教 育学がそれをいかに総括し克服したのか、ある いは果して克服しているのか、という課題意識 をも要求するのである。
コメンテーターの宋が、当時の教育科学理論 における内在的検討が、かつて本格的に取り組 まれえなかった理由を問うた際、佐藤は、いわ ば「世代」的問題一上の世代に対する「遠慮」一 といった消極的理由とともに、戦後の教育科学 研究における、いわば「構造」的問題を次のよ
うに説明した。
〈例えば図式的に言うと、国字=日本語の仮名・
漢字を「合理的」にすべきだという「合理主義者」
と、それに反対する「日本精神主義者」の対立が
あった。戦後には後者の主張がつぶされた。「日 本精神主義者」に対する断罪はしやすく、多くなされてきたが、「合理主義者」の主張は戦後改革 にいかされてきたため、かえってその国策協力の
側面が問題視されてこなかった、という構造があったと思います。「合理主義者」達ももちろん、
植民地に対する国語の強制一母語の剥奪という形 で戦争協力をしていた。ところが、戦後改革にそ の「合理性」が引き継がれたことで、彼らの「戦 争責任」の問題がなかなか論じられなかった。こ れは「戦後改革」の評価にも関わる問題です〉
つまり、問われているのは、日本における
「教育科学」の歴史性への認識の欠落という事 態であり、従ってそれは「戦後」教育学が常に 反復し続けなければならない今日的問題なので ある。その歴史性を問うということは、今日の 教育科学理論が前提とする思考・認識方法・歴 史認識の地平を浮かび上がらせることを意味し よう。佐藤論文はその意味で、現代にまで貫通 するその「地平」を、戦前の教育科学運動に見 定めたのだといえる。従って佐藤は、現在の日 本における教育科学理論の思考方法、そしてそ れに基づく社会・教育システムに対して極めて 懐疑的である。それは、その「原型」が1930−
40年代に胚胎された考えられるということと、
そのことに対してこれまでの「教育科学」が無 自覚でありえた一健忘症では決してない一とい
う二重の意味において。
たとえば、乾(教員)からの、「(佐藤は)国家 論や社会政策論などのレベルでの、戦前・戦中・
戦後を連続的につなぐ議論と、どのような形で 絡ませようとしているのか」という質問に対し て、佐藤は、そうした議論は80年代以降の渡辺 治、雨宮昭一、山之内篤などの諸氏による歴史 的研究に代表されるとし、その上で次のように
発言した。
〈しかし、そうした研究に物足りないのは、「戦争
責任」というモメントがない、そういう視点から の考えがないことと、もう一点は、企業社会の 「原型」が40年代に胚胎されたということはわ かったけれども、これだけ企業社会や会社主義に 痛めつけられている我々が、「ポスト企業社会」といった新しいシステムをどう構築するかという ことまで考えようとする発想がまだないというこ とです※※。つまり、なぜ戦争に絡め取られていっ
たか、なぜ戦争という問題について脆弱な「合理 性」であったのかという点は、あまり論じられな い。…企業社会を乗り越えていくような「人間的 なるもの」を中核に据えた「合理性」批判というものを90年代の我々はやらなくてはいけないし、
では、40年代にそういう意味での「合理性」「革 新性」批判があったのか否か、という気持ちで 書いているんです。そうしたものが、佐々木昴や 矢内原忠雄に少しあったんじゃないかと、そうい
う流れで見ています〉
こうした観点にたつ佐藤は、すでに「戦争責 任と教育科学一宗像誠也はなぜ『自己批判』を 行ったのか」(山住正己編『文化と教育をつな ぐ』国土社,1994,7)をものしている。そしてま た、冒頭にあるように佐藤は、「教育科学」の過 去と現在とを同様に捉えて離さない「近代性」
「合理性」「革新性」に亀裂を見いだすための視 角の一つとして、いわば方法的に、戦略として
眠族主義」に意義を見いだしているといえる。
どのような可能性を「民族主義」に見ているの かは必ずしも明らかにされていないが、佐藤は 別に、「植民地教育政策と教育科学」という論文 もすでに用意している(東京都立大学人文学部
『人文学報』No.250)。
そのなかで佐藤は、植民地での「日本語教育」
政策に関する教科研の所論に対して、矢内原忠 雄による、次のような主張を「植民地人民の言 語あるいは文化的伝統の尊重を説き、日本の同 化主義政策を厳しく批判」していると評価して
いる。
「言語は思想の表現並びに伝達の手段であって、
言語が思想を生むのではない。思想の同化は社会
生活の共同と文化流通の自由とによって生ずるの であって、言語の共通はただその一手段たるに過
ぎない。」「極端なる同化的教育政策に基き原住者の言語を
圧迫するが如きは、社会生活上の共同及び文化流 通の最大妨害であって、原住者の反感反抗を刺激し、精神的感情的融和を妨ぐる物である。国語教
育によって原住者を本国人化しようといふ政策はこの思想と言語との関係を顛倒し、且つ表面的の
同化を強制することによって心理的同化を妨害す る非科学的政策と言ふ。」(「軍事的と同化的・日仏植民地政策比較の一論」『国家学会雑誌』1937)
しかし、ここで注意すべきは、矢内原が「思 想の同化」「心理的同化」を妨げる政策として
「国語教育」(正確には「日本語教育」)を批判し ている点である。その意味で「国語教育」は「科 学的政策」ではないとされている。それならば、
一体矢内原がどのような「思想」を掲げていた かが問われるべきだが、それ以前に、「言語は思 想の表現並びに伝達の手段であって、言語が思 想を生むのではない」という認識に基づく「国 語教育」政策批判は果して妥当なのだろうか。
というのも、こうした言語観は、当時の国語学 者たちのものと同型であったはずだからである
※※※。
「原住者」にとっては、自らの「言語」は「思 想」「心理」そのもののはずである。その意味で は、「言語」こそが「思想」を生むといえる。
従って、「国語教育」が「表面的の同化」を強制 するものであるという批判は当を欠いている。
そればかりか、「国語教育」政策は「思想の同 化」「心理的同化」をもたらすものであったはず だ。この点において、〈日本帝国〉の「国語教育」
政策はまさに他民族一文化抹殺政策であったの
であり、従って、その危機意識=「民族主義」
が、極めてロマンティックな「精神的感情的融 和」という物言いを欺隔とし拒絶させたのでは なかったか。つまり、佐藤の評価とは反対に、
ここでの矢内原の主張には言語一文化体系の異 質性・他者性という認識が欠けている。それを 前提とせずに「思想の同化」を説くことは、容 易に「原住者」の母語・文化を一方言・野蛮と する社会進化論的論理を引き寄せ、さらには
「大東亜共栄圏」構想に荷担するものになりか ねないのではないか。そしてそうであるからこ そ、佐藤が紹介しているように、雑誌『教育』の 編輯後記(1939.4)は、矢内原の考察から「今 日の興亜建設に処する含蓄深き示唆が汲みとれ る」と評したのではなかったか。
とはいえ、佐藤も述べたように、最近の歴史 研究では、「植民地」を含めた日本の「総力戦体 制」研究が、経済学・政治学・社会学・人類学・
民俗学・文学・国語学・心理学・科学・宗教学 など様々な学問領域との関連で進められてい る。もちろん教育一学一史も例外ではありえな い。それは、「戦後五十年」の記念事業といった 消極的理由ではなく、先にふれたように、五十 年を経てなお、改めて「植民地」「総力戦体制」
研究が要請されざるをえない現実をふまえたも のであり、また各学問領域の歴史性の忘却を問 題視する立場からなされているといえる。
教育一学一史の現在をみれば、「植民地教育 史」の領域では様々な個別研究の成果が世に問 われているとはいえ、いまだ「植民地教育史」
自体の「近代日本教育史」上の位置づけが不十 分といわざるをえない。小沢有作が主張するよ うに、それは、現在の「日本」領土を前提とす る「日本」教育史に自縛された認識によるもの であろう。そこでは、「日本」という空間の歴史 性がすでに忘却されているのである(こうした 観点からすれば当然、北海道一アイヌ、沖縄一 琉球の「植民地」的視点からの検討が要請され る)。従って誤解を恐れずにいえば、「植民地教 育史」研究という行為それ自体が、現在の思考・
歴史認識の自明性を告発するものといえる。そ れはなによりも、「日本」「日本人」の自己同一
性とともに、それと異質なる「他者」との関係 性をも歴史的に問う作業であるからだ。
従って、こうした現在の歴史一認識状況の批 判的検討という意味においても、「植民地教育」
を含めた「総力戦体制と教育科学」という佐藤 の主題は有効であろう。討論のなかでも佐藤 は、「植民地教育」研究の重要性を強調し、自身 のさらなる課題とすることを明言している。
今後の氏の研究に期待する所以である。
※「〈告発〉とは、秘匿された意図の告発的な開示で あり、隠蔽されようとする責任の告発的な追究で ある。〈秘匿・隠蔽〉が〈告発〉を招いているの である」(子安宣邦「〈隠蔽〉と〈告発〉との間一
戦争の記憶と戦後意識」『現代思想』青土社,1995.1所収)
※※この点に関して、雨宮昭一氏は「戦時統制論」(岩
波講座『日本通史第19巻近代4』1995年)において、80年代後半からの「総力戦体制」研究の 動向をふまえて次のように述べている。
「しかし、現在はその意味づけが変化してきてい る。すなわち、冷戦体制の終了、五五年体制の崩 壊、企業中心社会の克服、などがすでに始まって いるとすれば、そのあとの諸システムを展望せざ るをえない段階に現在はあり、そこでのオータナ ティブとの関連で、総力戦体制による諸領域の不 可逆の質的変化をふまえて、その射程も諸領域も 改めて位置づけなおすこと、改めて評価しなおす ことが必要と思われる。同時に戦後についても、
工業社会のイメ・一一・・ジにとらわれて、従来『過剰』
『停滞』『伝統的』と評価されてきた現象の再吟味 が必要である」
※※※植民地の「日本語教育」問題をめぐる「国語学 者」たちの言説については、川村湊氏の「『日本
語』の時代一福田恒存の日本語・時枝誠記の国語」、また加川恭子氏の「近代国語学批判の批判」
は日本の「近代国語学」の歴史的問題性を指摘し
たものとして興味深い(いずれも『批評空間』No.11,福竹書店,1993.10所収)。
(文責 小口幸洋)
第7回
黒崎勲(教員)の『現代日本の教育と能力主 義』の検討。報告は、桐島(D院生)と王(M
院生)であった。
はじめに王の報告であるが、評者からは、課 題文献についての全体的な感想が主として述べ
られ、その中でいくつかの論点が出された。評 者は報告のなかで、社会の近代化の歴史の一般 的な過程において、教育が国家の経済的発展の 目的に従属させらてきたことを指摘し、今後 の教育は個人の価値を重視する必要があるこ と、しかしその際、教育の平等化という近代的 理念が「結果の同等」という「教育の画一化」を 招かぬよう考慮する必要があり、その点で、教 育の受ける側の多様性に基づく教育の多様化を 説いたとされる黒崎の議論に賛意を表明する、
とした。なお、評者が別に提起した論点は、桐 嶋報告と重なる点があったため、次の桐嶋の報 告の質疑応答に引き継がれることになった。
桐島報告では、次の諸点が疑問として出され た。①ロールズの社会制度原理による具体的制 度像について、②ロールズによる能力主義批判 とヴォルペの主張との内的関係(連関)につい て、③学校選択の提起に関わって、「教育を決定 する主体」(選択主体)という観点からのアプ ローチの有無④能力主義の問題とは相対的に 区別される、公立学校の「管理主義」の問題に ついて、⑤「多元的能力主義」と学校選択制度 の親和性について、また学校選択を競争抑制的 にするメカニズムについて、これらの諸点につ いて、本書では必ずしも明確でないとした。
これらに対し、黒崎はそれぞれ次のように応 答した。①現段階では、具体的な制度構想を考 えるというよりむしろ、たとえば現存する社会 福祉政策がいかなる理由で正当化され、また拡 大が可能となるか、その理論的根拠を最も強力 に与える議論は何かという観点からロールズの 理論の意義は評価されると考えている。③と
④、学校選択についての別書(『学校選択と学校 参加』)で、「選択主体」の問題や、選択システ ムを成立させるメカニズムについて詳述してい る。そこでは「官僚制批判」がテーマとして中 心的に設定されているが、本書では能力主義批 判の方向からのアプローチに力点をおいた。② と⑤、これについては、本書の第二章と第三章
との関係にかかわることであるが、第二章まで は能力主義を越える社会理念を持つ社会モデル を考察することに主眼を置き、そこで「多元的 能力主義」モデルよりもロールズのそれが有効 であることを主張した。だが第三章において は、そうした社会モデルのあり方とは相対的に 独立して、社会と教育との新しい関係の結びか たを考えようとした。そうした課題設定に違い があるのは、教育への「社会的要請」を無視し えないという立場に立つとき、教育にとって価 値的な「社会的要請」を形成する社会モデルを 先に設定しようとする手法への批判意識があ
り、教育が能力主義的な社会と関係を持ち、そ れに対抗していくとき、教育制度がいかなる理 念を掲げて新しい関係を作り上げていくことが 可能かを具体的に提起するという目的があった からである。しかし、そうした意図が本書の構 成にあったとしても、その点について必ずしも 十分な論述になってはいなかったという批判 は、それとして受け止める、とした。
乾(教員)からは上述の応答に関わって次の ような質問が出された。①乱暴なシェーマ化を すると、第一章では社会と教育を切り離す形で 教育を守ろうとした従来の「能力主義批判」を 批判したが、第三章では、教育制度原理の提唱 をする際には同じように社会と切り離れる印象 を受けたが、その点でロールズはどのように生 きてくるのか。②日本の高校教育に関する限 り、60年代以降、学校選択原理は普遍化したと 質問者(乾)は考えるが、黒崎の提起する選択 制度の実相は、こうした現実とどの程度異なる ものになると考えるか、である。
黒崎はこれらに対して、「教育理念による多 様化」は社会と教育が切り離されるのではな
く、「規制された市場原理」によって媒介されて おり、従来とは異なるつながり方をすることに なる。この「市場原理」は、現存の資本主義社 会の説明理論(イデオロギー)とは違って、
ロールズが社会の実相を批判するためのカテゴ リーとして使用するもので、その抽象化された モデルが、現状批判の道具として有効であると 考えている。学校選択の実相に関しては、現状
のものと、本書で論じた選択制度では、異なる ものになると主張したい、と回答した。
また小沢(教員)からは感想をかねて次のよ うな質問が出された。①社会的不平等に取り組 むにあたって、ロールズの議論は、差別される 側の運動論としてよりも、 才能のある、持てる 側 からの理論という印象を受けるが、その点、
日本の現実との兼ね合いを考えると議論の有効 性に疑問がある。またアメリカにおいても、差 別される側にロールズの議論が受け入れられて いるといえるのか。②日本における差別の問題 を考える際、国家の枠を無視することが出来な いと思うが、それは市場の枠でカバーできるの か、であった。 黒崎は、①71年の『正義論』
以降、ロールズの理論は社会福祉政策をめぐる 議論に影響を与えてきたと思うが、その過程で 理論の厳密な検討も行なわれてきている。しか し、小沢が指摘するように、議論の現段階は、
ロールズの理論の価値的な部分がより発展して きている状況とはいえず、ロールズ自身、自己 の理論に対し保守的になりつっあるともいえ る。また日本の現状との関わりについては、竹 内章郎らのように能力主義批判の文脈でロール ズを参照する動きがあるので、そうした議論の 場に参加しながら、これまでの日本の不平等問 題の研究との接点を見いだしていきたいと考え ている。②国家の問題については、国家よりも 市場の方がより大きな場だと認識しており、市 場の中の部分社会として国家を位置付けるのが 本来の国家論だと考えている、とした。なお、
この応答に関わって、乾から、黒崎が能力主義 の再定義をしたことについて、社会の階層化メ カニズムの成立を「社会的国家的制度として一 元的に整備され…」としている点は、社会(市 場)と国家の役割についての上記のような黒崎 の認識とは異なる印象を持つ、との質問があっ た。これについては、「一元的」という表現は、
「独占的」とも言い換えられるものであり、念頭 にあるのは、初期資本主義段階と国家独占資本 主義段階との対比であった。国家と社会の機能 が相互浸透的であるという国家論を前提とし て、両者を並記した。こうした再定義には、近
代社会を成り立たせる仕組みのかで、何が批判 検証される必要があるのかを、その対象を限定 的に捉えていくことの重要性を意識したもの
だ、と応えた。
このほかにも、いくつかの感想や疑問がださ れたが、主な内容は以上であった。
(文責 深見匡)
第9回
茂木俊彦・清水貞夫編著r障害児教育改革の 展望』(全障研出版部、1995)の検討。
「第一章 ノーマライゼーションと障害者の人 権」(茂木)、「第三章 障害児義務教育制度の直 面する問題」(清水)、「終章 今後の検討を要す る制度改革の課題」(茂木、清水)を検討の対象 とした。報告は久保田由香(D院生)、張亜東
(M院生)、司会は越野章史(D院生)。
この日は中国教育学会訪日団の方々を交えた ゼミとなった。
久保田、張の報告を受けた後にまず茂木は、
本書における障害児教育改革の課題の設定と方 法が執筆者5人の中で必ずしも一致していない ことを指摘した。そして特に第1章は、教育の 問題について書いているわけではなく、ノーマ ライゼーションの国際的動向や、日本における 実現可能性やその下地について述べているのだ が、しかし当然教育についても適応可能である
と考えていると述べた。
まず久保田から出された「障害をもつアメリ カ人法」(pp.39−41)についての質問に答えが なされた。それが障害者の雇用・通信・交通な どの分野における差別を廃止しようとする中 で、「結果の平等」ではなく、あくまで「機会の 平等」を保障しようとするものであることは、
ノーマライゼーションの原理と矛盾しないのか という質問に対し茂木は、アメリカにおいては ノーマライゼーションを推進するグループから の批判はなく、彼らはむしろ積極的に賛成して いると述べた。批判があるとすればむしろ経営 者団体からのもので、失業率10%以上の国で、
機会やサービスを提供する財源を確保すること こそが難しいというものである。このことにつ
いて茂木は、この法律が有資格障害者など、
abihtyのある者については不当に差別を受ける ことを禁止しているが、重度障害者などの就労 差別については言及していない点を危惧してい
ると述べた。
次に茂木は、障害者の「自己決定権」(pp,44−
46)に関して、重度・中度の知的または精神障 害をもつ者が、実際に就学相談などの場で権利 を行使することがどのくらい可能なのか、ま た、どのような教育的配慮がなされているの か、という久保田からの質問の対して以下のよ うに答えた。選択と自己決定の権利、セルフ・
アドボカシーと、それに伴って本人に降り懸か るリスクとのバランスをどのように考えるか が、理論上、実践上の問題となっている。選択
と決定の機会を保障し、リスクについての情報 提供をあらかじめするということで、経験の場 を増やし自己決定能力を育てるとは言っても、
実際に最重度障害児や知能が1歳程度にしか満 たない者が自己決定権を行使するのは難しく、
そこでは権利擁護者の判断が問われることとな り、パターナリズムと関連した問題となってく る。例えば、就学相談という場面を考えても、
6歳前後の子どもに教育機関や内容などを決定 させるということは考えにくく、子どもの自己 決定を親が代行するということになるだろう。
子どもの権利条約にも、子どもの意見表明権が 提示されながら、ジュネーブ宣言以来の「子ど もは保護されるべき」という精神が継承されて いるので、特に、知的障害児の場合は慎重な理 論構成が必要であると述べた。
次ぎに、「精神薄弱」養護学校と「肢体不自 由」養護学校が合併され、「精肢併置」養護学校 が誕生する論拠となっている、重度・重複障害 児に見られるニーズの共通性(p.134)とは何 か、という久保田の質問に答えた。これまでの 精肢併置養護学校は、大阪府のように予算を削 減できるという全く財政的な問題からすすめら れてきたものであったり、京都府立のある養護 学校のように、精肢併置といいながら、実際に は肢体不自由の子どもの数が極端に少なかった りと、実際には総合性とは名ばかりものであっ
たという。今日の精肢併置養護学校は、知的障 害の重度化、知的障害を合併する重複障害児の 増加という傾向に伴う、知的能力の面における ニーズの共通性という点から誕生していると述
べた。
次に、茂木の紹介するニューヨーク市での
「分散型」の障害児学校と、山口の考える学校の 分散化構想(p.137)との違いについて説明を求 める久保田からの質問に答えた。単純化するこ
とを断って茂木は、アメリカではサL−…一ビスは人
につき、日本ではサービスは場につく、と説明 した。アメリカでは、障害をもつ子どもが普通 学級に入り、そこで理学療法が必要である場合には、そのクラスに理学療法士が派遣・配置さ れ、教育サービスとしてそれを受けることがで きるが、日本では、理学療法を行っている養護 学校・「場」に入学しないと受けれないという違 いがあるという。さらに、茂木自身は、「サービ スが人につく」というシステムに完全に移行す るということには躊躇しており、例えば医療行 為を必要とする子どもに対して、通常学級の中 で生命を保障し、適切な教育が果たしうるかと いうことは現実的には考えられないと述べてい
る。
次ぎに、養護学校を普通学校に併設する養護 学校の分校化や、障害児学級・普通学級を併置、
もしくはすべての子供を普通学級へ、というよ うな今後の展望が考えられる中で、茂木が本書 の中で現時点での判断を留保している理由を問 う張の質問に、茂木は以下のように答えた。実 際的には、普通学校よりも養護学校の方が施設 や教職員の配置などについては設置基準が良い ということがあげられる。つまり普通学校の中 で障害児の利用しやすい施設を設けることが、
現在財政的に可能であるかが問われなければな らない、と述べた。また、小・中学校は市町村 教委の管轄であり、養護学校は県教委の管轄で あるため、両者間が調整をつける上での支障も あるだろうと考えている。
次ぎに黒崎から以下のような意見が述べられ た。p.160で子どもの権利条約の意見表明権を 引いて清水が、「短絡的に」子どもの就学指導へ
の参加を主張する人に対し注意を促すのに、
「児童生徒が被教育者という身分にあることを ふまえる必要があ」るとするのは、権利条約自 体を否定することになるのではないか、また、
これまでの茂木の説明も、障害児教育という場 面で考えられてはいるが、論理自体は子どもと いうものの特殊性であって障害児教育の理論に はならず、障害者のパターナリズムという固有 の問題については言及していないのではないか と指摘した。これに対し茂木は、障害児につい て、「障害」をもっ「子ども」という二重のパ ターナリズムの問題の難しさを述べ、現在の課 題であると述べている。さらに、黒崎は、自己 決定に対して侵害するものは、親権だけでな く、教師や心理学者などの専門家の判断が一番 問題になってくる、と付け足している。
また茂木は、自己決定権の問題には消費者運 動が背景にあるので、実際に市場経済の中での 福祉の商品化などに伴い、財源の有無によって 選択そのものが制約されてしまう危険性がある ので、公的な選択の幅を公的な保障のもとで用 意するという歯止めが必要であると述べてい
る。
最後に、障害者の地域計画をすすめていくう えで、障害児の父母だけでなく通常学級に通う
子どもの父母も地域住民として共同を求められ るだろうが、そういった運動において現在の課 題や障害になっているものは何かという木戸口 の質問に対して茂木は以下のように答えた。
ウォルフェンスバーガーは、同じ仲間同士で集 うこと自体がノーマライゼーションを疎外する とまで言っているが、茂木自身は、ある程度個 人の要求が一致した上での運動は積極的な意味 があると考えている。また、教育の分野でいえ ば、ユネスコなどが提唱するインクルージョ ン、インクルッシブ・エデュケーションは、基 本的には普通学級改革であり、普通学級を改革 しながらそこで障害児もすべてを含んだ学校教 育を、といった定義をしている。本書も、障害 児教育について書かれているとはいえ、どちら かといえば普通学級の教師に読んで欲しいと 思って書いたのであり、運動をすすめていく上 では、当事者だけでなく、普段関係のないとこ ろにいる人達に問題を広く知ってもらうことが 大事であると考えている旨を述べた。
(文責 渡辺明子)