マッターホルン登頂記
明神 知
日程 概要 移動 宿泊 備考 7月27日 09:50発 大阪(関西) - フラン クフルト フランクフルト -チューリッヒ チューリッヒ Hilton [1] 7月27日(水) LH741 大阪(関西) - フランクフルト 09:50発15:00着 飛行時間:12:10 座席番号:6C,6A [2] 7月27日(水) LH1196 フランクフルト - チューリッヒ 16:40発17:30着 飛行時間:0:50 座席番号:3C,3A 7月28日 アルパインクラブ(日 程確定・支払い) クライン・マッターホ ルン高度順応 チューリッヒ空港 08:13 ツェルマット11:52(2 等CHF59.5、1等99) SIMI
鉄道要確認、Alpin Center Zermatt.
Opening hours: 09.00am – 12.00am / 3pm – 7pm
クラインマッターホルン(gracier paradise)7:00-16:20最終下降 16:30
7月29日 Riffelhorn SIMI
Riffelhorn in a group preis CHF 297.
ツェルマットからローテンボーデンまで28分7:10始発8:00から24 分おき
7月30日 Hörnlihut SIMI 30.7.2011 up to Hörnlihut
ツェルマット-フーリ-シュワルツゼー
7月31日 Matterhorn SIMI 31.7.2011 1 Guide fort he Matterhorn price CHF 1177他に宿泊費ガイドと自分でCHF155、シュワルツゼー往復CHF45
8月1日 予備 SIMI 8月2日 予備 Kulmhotel Gornergrat 8月3日 ツェルマット08:39 シャモニー12:59(2等 CHF11、1等?)
MERCURE CENTRE MONT BLANC VIEW 8月4日 MERCURE CENTRE MONT BLANC VIEW 8月5日 MERCURE CENTRE MONT BLANC VIEW 8月6日 シャモニー08:39 チューリッヒ12:59(2 等CHF11、1等?) チューリッヒ Hilton 8月7日 チューリッヒ - フラン クフルト フランクフルト - 大 阪(関西) [3] 8月7日(日) LH1185 チューリッヒ - フランクフルト 09:20発10:25着 飛行時間:1:05 座席番号:4C,4A [4] 8月7日(日) LH740 フランクフルト - 大阪(関西) 13:55発08:00着(翌日) 飛行時間:11:05 座席番号:4C,4A
当初の予定では31日登頂(3日へ)
当初の予定では31日登頂(3日へ)
ツエルマット
ロートホルン3103m,スネガ2300m,ゴルナーグラート3130m,モンテローザ4634m,リスカム4527m,カストル4226m,ポリュックス4091m, ブライトホルン4160m,クライネマッターホルン3883m,マッターホルン4478m
目次
1. 準備 1. 六甲体力、蓬莱峡アイゼン、クライミングジム、GW蝶ヶ岳、装備、用品 2. 訓練 1. Rifferhorn 2. ブライトホルン 3. 登頂記録 1. 予約(31日、2日、3日) 2. 前日(2日11:30決定、昼からヘルンリ小屋へ、準備) 3. 当日(2時過ぎ起床、3時トイレ、3:30朝食、出発順、4:30出発、懐電行動、夜明け、ガイドが迷う、ソルベイ下・ 7:10上、肩の上、頂上雪田、10:00頂上、下山、ザイルが取れず、雷雨、霙、15:25ヘルンリ小屋、17:00 シュバルツゼー、17:30ツエルマット、延泊) 4. 費用 1. ガイド料金(マッター1177SF、リッフェル297SF) 2. 小屋代金(ガイド75SF、私は80SF)、交通費 5. 装備 1. ピッケルは必要 2. 海外山岳保険必要(日山協のオプション、ヘリ) 6. 家族の状況、その他 1. ゴルナーグラードにて 2. 事後状況(首・上腕筋肉、指先の皮剥け、膝と腰痛、足裏痛) 3. ロートホルンからのパラグライダー 7. 日本人クライマー 1. ガイド組(東京・神奈川・名古屋は現地ガイド、私は他地域ガイド) 2. フリー登山:宇部山岳会、加古川 8. 現地事情 1. ガイド(現地ガイド、国際資格) 2. ヘルンリ小屋(7SFの飲料、トイレ、カゴ、ベッド、夕食、朝食) 3. アルパインセンター(訓練は必須ではない、何度もでかけて、キャンセルせず延期し続ける) 4. 登山者の分類(現地ガイド登山、その他のガイド登山、自由登山) 9. 反省点(装備:手袋・水筒・パッチ・アイゼン・ピッケル・ザック・行動食、保険、予約、日程、イタリア側視 察、交流、予習) 10. 参考書 1. マッターホルン写真集 2. イギリス人の本 3. WEBのブログ(登頂記録、ルート図・写真)ヘルンリ稜ルート(雪のない夏)
•http://www.proguiding.com/tripreport/view/the-matterhorn-via-the-standard-route-hornli-ridge↑5h30m ↓5h25m
4:30 出発 避難小屋
10:00頂上
7:10
15:25ヘンルンリ小屋
マッターホルン登頂記
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夏休み期間中の8月3日(水)午前10時に念願のマッターホルンに登頂しました。
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まだ暗い4時半にヘルンリ稜基部の小屋を10番手ぐらいに出発。
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第一関門(3時間ぐらいで登らないとガイドに下ろされる)のソルベイ避難小屋に2時間40
分で到着。
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遅く出たので時間待ちを考慮してくれたのでしょうか良いペースだと言われました。
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例年になく雪が多くてほとんどアイゼンつけてました。
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ここからの上部、肩に至る岩場の核心で腕力を使い果たして何度もトライ。3度目に核心
部を乗り越えました。
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肩から上部は雪田で易しいのですが高度で息が続かず、ピッケルも持ってないので文字
通りガイドに引っ張り上げてもらいました。
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この日登頂の7番手ぐらいとおもいます。
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午後から雷雨になると予想されたので頂上での余韻を愉しむ間もなく下山にかかりました。
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通常はソルベイ小屋で大休止するのですが雷雨やヒョウも降ってきて、急いでの下山。
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ヘルンリ小屋に15時20分に下り立ち、11時間の長いアタックの終了です。
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ところが、この日にシャモニーに移動する予定。
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シュバルツゼーのゴンドラ最終が17時だったので2時間はかかるところを雨のなか走って
下りてゴンドラ最終便に乗り込みカミサンの待つツェルマット駅に着いたのが17時40分。
すでに最終電車は出ておりました。
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計画が甘く3時間も駅で待たせてたのでオカンムリ。観光案内所に相談して延泊です。
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当初登頂日を31日として予約してたのですが、2日に延期されて、さらに3日となりダメも
とでキャンセル待ちしてたところ臨時のガイド(ザルツブルグの人)で対応してもらった際ど
いワンチャンス。
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雪が多かったのでガイドによる夏山登山はこの3日が最初の日で、この後はしばらく天候
が崩れてしまったので登る機会が少ない中での登頂。運がよかったと言えます。
アルプス登攀記
ウィンパー著
「SCRAMBLES AMONGST THE ALPS」
Edward Whymper
• 1865年7月14日午後1時40分、ウィンパーの一行7名(クロー、老ペーテルと息子、ダグラス卿、ハドゥ、 ハドソン)はマッターホルンの頂上に立った。ウィンパー8度目の挑戦であった。 • この挑戦の間にウィンパーは、モンブランやマッターホルン周辺の山を単独行やガイド登山を精力的に 行い、初登攀も行っている。挿絵画家としての観察眼と慎重さ、登山家としての不屈の精神、自然への敬 意を持ち、様々な登山道具を作り出す独創の人であった。 • マッターホルンは3方向からのアプローチが考えられた。ツムット氷河側(北壁)は手がかりなさそう、で東 壁は登攀不可能、イタリアのブルーイユ(チェルヴェニア)側の南西稜(フルッケン稜)は可能性がありそ うで、当初の挑戦はすべてイタリア側であった。ブルーイユの山案内人カレルだけがマッターホルンは登 頂可能と信じていた。実際に登った南西側が逆層で、雪のつき方からしても、その反対側の東壁が純層 で傾斜もそれほどなく登りやすいのではないかと推察して7回目に東壁に挑戦して可能性を感じた。カレ ルはイタリア側に固執してウィンパーとは別に南西稜からの初登頂目指して7月11日にブルーイユを出 発していた。 • ウィンパー達が登頂後にイタリア側頂上から眺めるとカレル一行が遥か下に見えた。カレル達は初登頂 に敗れたことを知り引き上げていった。頂上に1時間居て下山にかかった。最も安全な順序を考えて、ク ローとハドゥ、ハドソンとダグラス卿、老ペーテル、ウィンパーと小ペーテルの順で下山していった。途中、 ダグラス卿の依頼で老ペーテルとウィンパーとの間をロープで繋いだ。そしてクローがハドゥのためにス テップカットしているときにハドゥが滑り落ちてクローも突き落としてしまった。ロープで繋がったハドソン、 ダグラス卿も一緒に落ちて、老ペーテルとウィンパーは踏ん張った。しかしダグラス卿と老ペーテルとの 間の本来使うべきでなかった補助ロープがぷっつり切れたのである。この事故があってからは本来最初 からやるべきであったのであるが、二人づつロープで結び、岩に補助ロープで結びつけて下りていった。• 誰もが登頂不可能といっていたマッターホルンに登り、そして事故に遭った。「超人だ」「危険だ」「スポーツを苦し みにしている」という。だから正しく真相を伝える必要があるので次の文章を最後に書いている。 • 私達登山家は、目的を定め、慎重に行動することを大切にし、無謀の行動を卑しんで来た。一歩登るにも、ある 高さを登るにも、我慢と、苦しい努力が必要であり、努力することなしに、希望するだけででは、登れないことを 知っている。互いに助け合うことの有益なことも知っている。数多くの困難に出会わなければならないことも、ま た障害と戦い、あるいはそれを避けていかなければならないことも知っている。強固な意志をもっていれば、そこ に道が開けるものだということも知っている。そして私達は山から日常の生活に帰ってくる。そのとき私達は人生 の戦いを戦うのに、私達の行く手を阻む障害を乗り越えるのに、遥かに力を増していることを知るだろう。過去の 山での苦闘を思い起こし、山で勝ち得た勝利を回想することによって、私達は勇気付けられるのである。 • 私達は、登山という運動によって、肉体が生まれ変わったようになったことに誇りを感じる。山に登ったときに、目 の前に展開される素晴らしい風景に、日の出や、落日の壮観に、また山や、谷や、湖や、森林や、滝の美しさに、 胸をおどらす。しかし私達は、登山によって男らしさを育て上げ、困難との戦いを通して、人間性の高貴な資質 「勇気、忍耐、不屈不撓の精神」を作り上げることを、遥かに高く評価する。 • 登山をするものは、苦しまなければならない。しかし、その苦しみから、力が生まれてくる。全体の機能が目覚め て来るのである。そして、そのように生まれた力から、楽しみが湧き出てくるのだ。 • アルプスでの登山は私に、人生にとって最も大切なもの二つ「健康と友情」を与えてくれた。過ぎし日の登山の喜 びは、記憶の中から拭い去ることはできない。絵の様な情景が次々現れてくる。牧場の牛の鈴の音、ヨーデル、 教会の鐘が耳に響く。松の林の香り。次によみがえるのが、純真で、勇敢で、誠実であった人たちのこと。様々な 人のしてくれた親切な行為や、大胆な行動、見も知らない人から受けた行為、小さなことであっても、それこそが 愛情の基本である人間への善意の現れだったのだ。 • 最後の悲しい記憶も含めて、楽しさ、苦しみも含めて考えてみても山を勧める。ただし、勇気と力だけではいけな い。慎重さを欠いていたら、それは無に等しい。一瞬の不注意が、一生の幸福破滅に陥れるものである。一歩一 歩しっかり踏みしめ、常に最初から、終わりがどんなことになるかを、良く考えてほしい。