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11月定期公演Bプログラム(11月25日[水]、26日[木] サントリーホールに)に出演を 予定しておりましたピアニストのメナヘム・プレスラー氏は、健康上の理由で来日が 不可能となりました。このためソリスト・曲目を下記のとおり変更させていただきます。  指 揮:ネヴィル・マリナー  ピアノ:ゲアハルト・オピッツ  モーツァルト/ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491  ブラームス/交響曲 第4番 ホ短調 作品98 交響曲に変更はございません。 何とぞご了承くださいますようお願い申し上げます。

公益財団法人 NHK交響楽団

Notice of change of soloist & program

Program B (November 25 & 26)

Menahem Pressler, pianist, who was scheduled to perform as soloist for November Subscription Concerts of Program B on Wednesday 25 & Thursday 26 November at Suntory Hall, has had to cancel his engagement due to health reasons. He will be replaced by Gerhard Oppitz, who will play Mozart Piano Concerto No.24 c minor K.491

The whole program and artists will be: Conductor Neville Marriner Piano Gerhard Oppitz Program:

Mozart Piano Concerto No.24 c minor K.491 Brahms Symphony No. 4 e minor Op.98 Thank you for your understanding.

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 ゲアハルト・オピッツはドイツ・ピアノの 正統派を代表する演奏家として国際的にその 名を知られている。音楽解釈におけるこの楽 派の流れは、オピッツ自身の師であるウィル ヘルム・ケンプに繋つながり、そしてその源流は、 リストやベートーヴェンにまで直接遡さかのぼる。  1953年、バイエルン州に生まれ、5歳のと きにピアノを始めたオピッツは、シュトゥッ トガルト国立音楽大学の教授パウル・バック に見出され、彼の元で研けん鑽さんを積む。その後、 ウィルヘルム・ケンプに師事し、おもにベー トーヴェンのソナタと協奏曲について学んだ。  1977年、第2回アルトゥール・ルビンシュ タイン国際コンクールで優勝、一躍世界的に脚光を浴び、翌年には、最初のレコード をリリースした。  これまでに、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー 管弦楽団をはじめ、バイエルン放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽 団等のオーケストラ、カルロ・マリア・ジュリーニ、リッカルド・ムーティ、ロリン・ マゼール、ズービン・メータ、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ネヴィル・マリナー、 ヘルベルト・ブロムシュテット等の指揮者と共演している。  バッハからブーレーズまで幅広いレパートリーを持つが、特にシューベルト、ベー トーヴェン、モーツァルト、バッハ、グリーグ、ブラームスのピアノ作品全曲を重要 なレパートリーとしている。録音も多く、これまでに発売されたCDは40枚を超えて いる。  日本では 1994 年、NHK テレビで放送されたベートーヴェン ・ ソナタ集の演奏およ びレッスンが爆発的人気を呼んだ。親日家でもあり、日本で最も人気のあるピアニス トのひとりである。 ©Concerto Winderstein  モーツァルトは 1786 年 4 月 7 日、ブル ク劇場(ウィーンにあった 2 つの宮廷劇 場の1つ)で演奏会を開いた。一般に《ピ アノ協奏曲 第 24 番》の初演はこの機会 とされているが、曲の完成は 2 週間前に さかのぼるから、それでは少し遅かろう。 《第20番》や《第21番》を初演の前日に 書き上げた作曲家である。劇場での演奏 会に先立って、貴族の邸等における予約 演奏会で《第 24 番》が披露された可能 性も、充分に考えられる。  とはいえ、百数十人の予約者を募って 開かれる予約演奏会と比べると、劇場は 10倍近い聴衆の収容が可能であった。4 月7日の演奏会が、多くのウィーンの人々 にとって、はじめて《第 24 番》を聴く 機会になったのは、おそらく間違いない。 劇場の聴衆は、かつて接したことのない 独創的なピアノ協奏曲に、強い印象を与 えられたことであろう。  編曲ものも含めると、全部で 30 を数 えるモーツァルトのピアノ協奏曲のう ち、短調作品は、これと《第20番 ニ短調》 の2曲しかない。しかも、この《第24番》 の場合、冒頭、弦とファゴットがユニゾ ンで奏でるのは、半音階を多用し、調性 も安定しない特異な旋律である。また、 当時の協奏曲としては特大のオーケスト ラ編成が用いられており、オーボエもク ラリネットも取り揃えた管楽器群は、多 彩なアンサンブルを形成し、独奏ピアノ と豊かな対話を交わしていく。  モーツァルトが新たな可能性を開拓し てきたジャンル、ピアノ協奏曲における 1つの到達点が、この《第24番》なので ある。これが産み出されたのは、まさに 「ウィーン時代」(1781 〜 91)の真ん中 の年。天才音楽家は1か月後の5月1日、 同じブルク劇場で《フィガロの結婚》を 初演し、今度はオペラの世界に豊かな実 りをもたらしていくのであった。 第 1 楽章 アレグロ ハ短調 3/4拍子。 第 2 楽章 ラルゲット 変ホ長調 2/2拍子。 第 3 楽章 アレグレット ハ短調 2/2拍子。 [松田 聡] 作曲年代:1786年3月24日完成(ただし、 独奏ピアノ・パートには未完成部分もある) 初演:厳密には不明(本文を参照のこと) 楽器編成:フルート1、オーボエ2、クラ リネット2、ファゴット2、ホルン2、トラ ンペット2、ティンパニ1、弦楽、ピアノ・ ソロ

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 ゲアハルト・オピッツはドイツ・ピアノの 正統派を代表する演奏家として国際的にその 名を知られている。音楽解釈におけるこの楽 派の流れは、オピッツ自身の師であるウィル ヘルム・ケンプに繋つながり、そしてその源流は、 リストやベートーヴェンにまで直接遡さかのぼる。  1953年、バイエルン州に生まれ、5歳のと きにピアノを始めたオピッツは、シュトゥッ トガルト国立音楽大学の教授パウル・バック に見出され、彼の元で研けん鑽さんを積む。その後、 ウィルヘルム・ケンプに師事し、おもにベー トーヴェンのソナタと協奏曲について学んだ。  1977年、第2回アルトゥール・ルビンシュ タイン国際コンクールで優勝、一躍世界的に脚光を浴び、翌年には、最初のレコード をリリースした。  これまでに、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー 管弦楽団をはじめ、バイエルン放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽 団等のオーケストラ、カルロ・マリア・ジュリーニ、リッカルド・ムーティ、ロリン・ マゼール、ズービン・メータ、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ネヴィル・マリナー、 ヘルベルト・ブロムシュテット等の指揮者と共演している。  バッハからブーレーズまで幅広いレパートリーを持つが、特にシューベルト、ベー トーヴェン、モーツァルト、バッハ、グリーグ、ブラームスのピアノ作品全曲を重要 なレパートリーとしている。録音も多く、これまでに発売されたCDは40枚を超えて いる。  日本では 1994 年、NHK テレビで放送されたベートーヴェン ・ ソナタ集の演奏およ びレッスンが爆発的人気を呼んだ。親日家でもあり、日本で最も人気のあるピアニス トのひとりである。 ©Concerto Winderstein  モーツァルトは 1786 年 4 月 7 日、ブル ク劇場(ウィーンにあった 2 つの宮廷劇 場の1つ)で演奏会を開いた。一般に《ピ アノ協奏曲 第 24 番》の初演はこの機会 とされているが、曲の完成は 2 週間前に さかのぼるから、それでは少し遅かろう。 《第20番》や《第21番》を初演の前日に 書き上げた作曲家である。劇場での演奏 会に先立って、貴族の邸等における予約 演奏会で《第 24 番》が披露された可能 性も、充分に考えられる。  とはいえ、百数十人の予約者を募って 開かれる予約演奏会と比べると、劇場は 10倍近い聴衆の収容が可能であった。4 月7日の演奏会が、多くのウィーンの人々 にとって、はじめて《第 24 番》を聴く 機会になったのは、おそらく間違いない。 劇場の聴衆は、かつて接したことのない 独創的なピアノ協奏曲に、強い印象を与 えられたことであろう。  編曲ものも含めると、全部で 30 を数 えるモーツァルトのピアノ協奏曲のう ち、短調作品は、これと《第20番 ニ短調》 の2曲しかない。しかも、この《第24番》 の場合、冒頭、弦とファゴットがユニゾ ンで奏でるのは、半音階を多用し、調性 も安定しない特異な旋律である。また、 当時の協奏曲としては特大のオーケスト ラ編成が用いられており、オーボエもク ラリネットも取り揃えた管楽器群は、多 彩なアンサンブルを形成し、独奏ピアノ と豊かな対話を交わしていく。  モーツァルトが新たな可能性を開拓し てきたジャンル、ピアノ協奏曲における 1つの到達点が、この《第24番》なので ある。これが産み出されたのは、まさに 「ウィーン時代」(1781 〜 91)の真ん中 の年。天才音楽家は1か月後の5月1日、 同じブルク劇場で《フィガロの結婚》を 初演し、今度はオペラの世界に豊かな実 りをもたらしていくのであった。 第 1 楽章 アレグロ ハ短調 3/4拍子。 第 2 楽章 ラルゲット 変ホ長調 2/2拍子。 第 3 楽章 アレグレット ハ短調 2/2拍子。 [松田 聡] 作曲年代:1786年3月24日完成(ただし、 独奏ピアノ・パートには未完成部分もある) 初演:厳密には不明(本文を参照のこと) 楽器編成:フルート1、オーボエ2、クラ リネット2、ファゴット2、ホルン2、トラ ンペット2、ティンパニ1、弦楽、ピアノ・ ソロ

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3 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO

Diego Matheuz

 国際指揮者コンクールやオーディションなど を通じ、基礎的能力と将来性を認められれ ば、檜舞台でのチャンスは与えられる。指揮 の先生あるいは諸先輩、場合によっては音 楽マネジメント会社の推薦を得て指揮台に 立つことも不可能ではない。  しかし、厳しいことを言うようだが、与えら れたチャンスを生かすも殺すも本人次第で ある。音楽性、人間力の醸成を含めて指揮 者への道は甘くない。  9月の定期公演Cプログラムに登場し満場 を沸かせた広上淳一は、1984年にアムステ ルダムのコンセルトヘボウで開催された第1 回キリル・コンドラシン国際青年指揮者コン クールに優勝し、華も実もあるキャリアを創っ た。サクセス・ストーリーの持ち主に見えるが、 それは違うとマエストロは断言する。優勝の 特典で欧米のオーケストラに客演した際、リ ハーサルの初日や本番前に担当者が口にす る言葉は、ほぼ毎回決まっていたという。「こ れはあなたに与えられた、たった一度のチャ ンスです。幸運を祈る。帰ってきなさい」。  そう、オーケストラと聴き手から信頼を得、 「また来てほしい」と思われてこそ、愛される 指揮者への道が拓けるのだ。  2013年3月、コダーイ《ガランタ舞曲》とチャ イコフスキー《交響曲第4番》を指揮し、NH K交響楽団と出逢った若手ディエゴ・マテウス (1984年生まれ)は、さてどのような評価を受

帰っ

Diego Matheuz

ディエゴ・マテウス

今月のマエストロ

©Marco Caselli Nirmal

PROGRAM A

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Diego Matheuz

Diego Matheuz

エル・システマに始まる 若き駿才の足跡 けたか。2015年11月の定期公演Aプログラ ムへの出演決定──これが答えである。  今年31歳のディエゴ・マテウスは、南米ベ ネズエラで40年続いている国家的な音楽教 育機関、エル・システマの卒業生である。そ の黎明期には日本のヴァイオリニストが協力 し、その後、指揮者エドゥアルド・マータ(故人) も積極的に指導したエル・システマから羽 ばたいたマエストロと言えば、現代指揮界の トップランナーのひとりで、ロサンゼルス・フィ ルハーモニックの音楽監督を務めているグス ターボ・ドゥダメル(1981年生まれ)の知名度が 抜きん出て高い。しかしマテウスも、ここへき て先輩のドゥダメルと並び称される活動を繰 り広げるようになった。  優れたヴァイオリニスト、コンサートマスター として有機的なアンサンブルに貢献するなど、 早くから演奏の最前線を経験したマテウス は、突如現れた新人のアーティストではない。  指揮者としては2008年春、プエルトリコの カザルス音楽祭でベネズエラのシモン・ボリ バル・ユース・オーケストラ(現在のシモン・ボリバ ル交響楽団)を率い、脚光を浴びた。そんなマ テウスに、ひとりの偉大な音楽家が手を差し 伸べる。ボローニャとルツェルンで創造の喜 びを分かち合っていた名匠クラウディオ・アバ ド(1933∼2014)だった。アバドはマテウスの 求心的な音楽観に惚れ込み、ボローニャに 創設した若者主体のモーツァルト管弦楽団 の指揮を少しずつ任せるようになる。  マテウスは2009年9月、ルツェルン音楽祭 でアントニオ・パッパーノのピンチヒッターとし てローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦 楽団の指揮台に立ち、大好きなチャイコフス キー《交響曲第5番》に腕を揮った。そして、 そのままミラノ、トリノ公演も任される。そこで はローマの名門オーケストラの勝負曲である 《「ウィリアム・テル」序曲》を披露。イタリア音 楽にも誠実に寄り添った。  シンフォニーばかりでなく、オペラにも早く から愛を表明してきた。2010年秋、26歳の ときにヴェネチア・フェニーチェ歌劇場で《リゴ レット》を指揮し、その後も《椿姫》《ボエーム》 《カルメン》《セビリアの理髪師》といった伝 統的な人気演目を臆せずに披露。劇場人と しての地道な努力と、ベネズエラでの多様な アンサンブル経験の蓄積が生きた名作オペ ラ路線だった。  名実ともにフェニーチェ歌劇場の首席指揮 者として認められたマテウスは、イタリア放送協 会(RAI)によってイタリア全土に生放送される 恒例のニューイヤー・コンサートにも登場。モー ツァルトにヴェルディ、プッチーニ、ヴェリズモ・オ ペラの調べ、それに勝負曲チャイコフスキーの 《交響曲第5番》を嬉々として指揮したのだっ た。チャイコフスキーといえば、ベネチアでの交 響曲全曲演奏も偉業と讃えられた。  2011年夏、サイトウ・キネン・フェスティバ

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5 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO

ル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)にデ ビューした際もチャイコフスキーの《幻想序曲 「ロメオとジュリエット」》と《交響曲第4番》 だった。3年後の同フェスティバルでもプロ コフィエフの《バレエ組曲「ロメオとジュリエッ ト」》を取り上げている。運命的な愛、もしく は妖しくも烈しいロシアン・ロマンと相思相愛 のディエゴ・マテウスが、ここにいる。  近況がすべてを示している。客演する先々 で「またぜひご一緒しましょう」と誘われ、近年 は「次はいつ来られますか、何を演奏しましょ うか」と声をかけられるようになったという。  ヨーロッパではフランス放送フィルハーモ ニー管弦楽団とロンドンのフィルハーモニア 管弦楽団への客演が話題となった。オースト ラリアではメルボルン交響楽団との絆が深ま り、2013年から3シーズンの契約で首席客 演指揮者に迎えられた。そしてもちろん母国 の首都カラカスに戻れば、シモン・ボリバル 交響楽団が待っている。彼らとはイタリア各 地に赴き、ベートーヴェンの《交響曲第9番》 も奏でた。シモン・ボリバル響の弟分として 2007年に創設されたテレサ・カレーニョ・ユー ス・オーケストラ・オブ・ベネズエラとのザルツブ ルク音楽祭出演もファンを喜ばせた。伸びゆ くマテウスは、世界の音楽都市で自らの芸術 的地平を拓きつつ、後輩たちを高みに導くこ とも忘れていないのだ。「人物」である。  俊英ディエゴ・マテウス。最愛のレパート リーを携え、N響定期公演にデビュー。期待 しないでどうする。 [おくだよしみち/音楽評論家] 世界の音楽都市で 芸術的地平を拓きつづける  政府支援のもと、青少年に無償で楽器と音楽指導を提供する南米ベネズエラの音楽教育システム「エ ル・システマ(El Sistema)」から羽ばたいた俊英が、N響定期に晴れのデビューを飾る。1984年生まれ。ヴァ イオリンを学んだ後、エル・システマの基幹団体であるシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ(現シモン・ボリバ ル交響楽団)に所属。2008年3月、プエルトリコでのカザルス音楽祭で同オーケストラを指揮し、国際的な 脚光を浴びた。同年秋には、アバドがボローニャに創設したモーツァルト管弦楽団にデビュー、翌2009年に は首席客演指揮者に任命される。パッパーノのピンチヒッターとしてローマ聖チェチーリア国立アカデミー管 弦楽団のツアーを任されるなど、イタリアを拠点に欧州での活動が本格化した。2011年にはヴェネチア・フェ ニーチェ歌劇場の首席指揮者に就任、サイトウ・キネン・オーケストラからも招かれた。2013年3月、初めてN 響を指揮。同年夏からメルボルン交響楽団の首席客演指揮者としての活動も始まっている。ドゥダメルと並 び称されるベネズエラの若きマエストロ、さあ出番である。[奥田佳道] プロフィール

Diego Matheuz

Diego Matheuz

Diego Matheuz

PROGRAM A

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Neville Marriner

 映画『アマデウス』が日本公開されてから、 今年で30年が経つ。モーツァルトやサリエリ ら、実在の作曲家たちを描いた映画で、これ ほど長く語りつがれる傑作はない。米国公 開から30周年を迎えた昨年には、監督のミ ロス・フォアマン、原作者であり脚本家のピー ター・シェーファーら、関係者が一堂に会した 記念イべントが開かれたという。  監督や脚本家に負けず劣らず、この映画 に欠かせない役割を果たしたのが、音楽 監督のネヴィル・マリナーだった。マリナーと アカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セン ト・マーティン・イン・ザ・フィールズ)によるサウンドト ラックは、アメリカをはじめ各国で、マドンナ やマイケル・ジャクソンといったポップスターら と並んでヒットチャートを賑わせた。これはア ルバムが単なる寄せ集めの音源ではなく、マ リナーとアカデミー室内管弦楽団による一貫 性のある演奏を収めた本格的な録音だった からこそ可能になったにちがいない。  『アマデウス』が公開される前から、音楽 ファンにとってはすでにマリナーとアカデミー 室内管弦楽団は豊富なレパートリーと広範 なディスコグラフィを持った名コンビだった が、この映画を機にマリナーは誰よりも幅広 い聴衆を獲得した指揮者となった。  そして、あれから30年を経た今、91歳と なったマリナーは依然として指揮台に立ち続 けている。その矍鑠とした指揮ぶりを目にする

Neville Marriner

ネヴィル・マリナー

長大

可能

り豊

音楽

今月のマエストロ

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7 PROGRAM B NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO

Neville Marriner

と、「老巨匠」と形容するのがためらわれるほ ど。これほどの長いキャリアを持ち、膨大なレ コーディングを残し、多くの人々に音楽を届け ることができた現役指揮者はほかにいない。  マリナーの指揮ぶりには無理がない。どこま でも自然体で、オーケストラからよどみのない 音楽を引き出す。まるで、マエストロは生まれな がらの指揮者ではないかと感じてしまう。  実際、マリナーの長いキャリアをたどって みると、指揮者になるべくしてなった人だとい う思いを新たにする。指揮者になる道筋は 人それぞれだろう。歌劇場でじっくりとキャリ アを積んだ「叩き上げ」の職人指揮者もいれ ば、コンクールの優勝などをきっかけに若くし て脚光を浴びて著名楽団を任されるスター 指揮者もいる。しかし、マリナーはそのどちら でもない。フィルハーモニア管弦楽団を経て、 ロンドン交響楽団の第2ヴァイオリン首席奏 者を務めていたマリナーは、オーケストラだけ での活動に飽き足らず、仲間たちと室内楽の アンサンブルを組んだ。最初はわずか数名 のアンサンブルだったが、やがて人数が増 えてきて、誰かが指揮をしなければならなく なった。そこでマリナーがヴァイオリンの弓を 手にアンサンブルをリードしていたところ、こ れを目にした往年の名指揮者ピエール・モン トゥーが本格的に指揮の勉強をしてみてはど うかと声をかけた。  これをきっかけに、マリナーは指揮者への 道を歩むことになる。当初弦楽器のみだっ たアンサンブルは管楽器を加えて、アカデ ミー室内管弦楽団へと成長した。いわばマ リナーは指揮者になるべくしてなったのであ り、その最初の第一歩から自身のオーケスト ラを手にしていたことになる。ひとりの音楽 家が世界的指揮者へと至るまでの道程とし ても、リーダーとアンサンブルの幸福な関係と いう点でも、稀有な例といってよい。  そして、そこに見られるある種の円満さが、 マリナーの音楽にも滲み出ているといってい いのではないだろうか。奇をてらう解釈を作 品に押しつけることが決してなく、オーケスト ラの持ち味を巧みに引き出しながら、作品そ のものに焦点を当てる。もともとアカデミー室 内管弦楽団とも洗練された流麗な音楽を聴 かせてくれていたが、近年のN響との共演 においてはいちだんと角の取れた温かみの ある音楽を紡ぎだしているように思える。  今回、マリナーが指揮をするモーツァルト とブラームスは、そんなマエストロの滋味豊

ネヴィル・マリナー

自身のオーケストラと共に 指揮者への道を歩む ブラームスとマリナーをつなぐ、一本の線

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かな音楽を味わうには最適の作曲家といえ るだろう。モーツァルトの《ピアノ協奏曲第17 番》で独奏を務めるのはメナヘム・プレスラー。 こちらも90歳代の大ベテランである。マリ ナーとは今回が初共演となる。プレスラーは 半世紀以上にわたってボザール・トリオの一 員として活動したのちにソロ活動を行ってい るため、「90歳代での初共演」が実現した。  マリナーにとってモーツァルトといえば自家 薬籠中のレパートリーである。しかし協奏曲 において「自分の務めはソリストのアイディア を中心にオケをまとめていくこと」だと語る。 室内楽奏者として未踏の高みに達したプレ スラーと、小さなアンサンブルから出発した マリナー。両者の音楽的な親和性は高いは ず。実り豊かな音楽による対話が繰り広げら れることだろう。  ブラームスの《交響曲第4番》は、マリナー にとって大切なレパートリーに違いない。マ リナーはN響と早くも1979年に初共演して いるが、再度の共演が実現したのはようや く2007年になってから。その際、マリナーは バッハやヴィヴァルディ、モーツァルトといった 作品と並んで、このブラームスの《交響曲第 4番》を取りあげている。マリナーは作品につ いて「ブラームスのすばらしさのすべてがつ まった楽曲」と語っている。  ちなみにマリナーの語るところによれば、 指揮の師ピエール・モントゥーは、かつてブ ラームスその人と室内楽を演奏していたとい う。思わず両者の生没年を確かめてしまう が、ブラームスが没した1897年の時点で、モ ントゥーは22歳。まだ指揮者としてデビュー する前、ヴィオラ奏者時代のことだろう。  ブラームスからモントゥーへ、モントゥーか らマリナーへ。偉大な大作曲家と地続きの 関係がここにある。 [いいおよういち/音楽ジャーナリスト]  1924年、イングランドのリンカーン生まれ。ロンドン王立音楽大学とパリ音楽院でヴァイオリンを学ぶ。 1952年にフィルハーモニア管弦楽団に入団、1956年から1968年まで、ロンドン交響楽団の第2ヴァイオリ ン首席奏者を務めた。  1958年、アカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)を創設。当初、コンサー トマスター兼指揮者として活動を始めたが、その後、指揮に専念して、国際的に高い人気を獲得した。同楽 団とは膨大な数のレコーディングを残している。映画『アマデウス』のサウンドトラックでは3部門のグラミー賞 を獲得した。  1969年にロサンゼルス室内管弦楽団の音楽監督に就任し、客演を含めた指揮活動を一段と本格化させ た。1979∼1986年にミネソタ管弦楽団音楽監督、1983∼1989年にシュトゥットガルト放送交響楽団首 席指揮者を務める。以来、世界各地の著名オーケストラに客演している。  N響との初共演は1979年。2007年に再度の共演を果たして以来、たびたび客演して円熟味あふれる指 揮ぶりを披露している。[飯尾洋一] プロフィール

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9 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PROGRAM C

Vladimir Fedoseyev

 2015年4月17、18日、NHK交響楽団の 定期公演に巨匠フェドセーエフが現れた。 指揮台に上がったその姿に、フェドセーエフ を愛する人たちは胸に熱い思いを感じざる を得なかった。じつはフェドセーエフはこの 来日直前に体調不良で音楽活動を中断さ せていたのだ。2015年2月5日の夜、フェド セーエフは急に具合が悪くなり、救急車でモ スクワ市第一病院(モスクワを代表する大病院)に 搬送され入院。それから2週間ほど経ってか ら危機的状況は脱したとの報道はあったも のの、音楽活動からは遠ざかったままだった。  フェドセーエフが指揮台に復帰したのは、 その緊急搬送の2か月後、来日公演を目前 にした4月8日のことだった。彼はモスクワで 手兵チャイコフスキー交響楽団との演奏会 に現れた。以前と比べると少し痩せた印象 だったが、病み上がりを感じさせないしっか りとした指揮姿で公演を大成功に導いた。  4月のNHK交響楽団との共演ののち、 フェドセーエフは以前と変わらない精力的 な活動に戻った。ことに2015年5月は、チャ イコフスキー(グレゴリウス歴で1840年5月7日生ま れ)の生誕175周年であり、また独ソ戦の終 結(1945年5月8/9日)の70周年でもあったの で、関連する行事にフェドセーエフは多数招 かれた。この月だけで各地で計12回もの演 奏会を指揮、その中にはベルリン、台北、そし て日本の4都市への楽旅も含まれる。さらに

Vladimir Fedoseyev

ウラディーミル・フェドセーエフ

今月のマエストロ

©Oleg Nac hinkin

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6月23日には演奏会形式でチャイコフスキー 《スペードの女王》を指揮している。  こうしてフェドセーエフは病から完全に復 活を果たした。1974年から芸術監督、首 席指揮者を務めるチャイコフスキー交響楽団 (かつてはモスクワ放送交響楽団と称した)との関 係も、そろそろ50周年という途方もない数字 が夢ではなくなってきている。実現するとき にはフェドセーエフは90歳を過ぎることにな るが、ファンはそのときが来るのを信じて待っ ている。  多くの人たちにとって、フェドセーエフは 『剛』ないしは『硬』の音楽をする人というイ メージがあるだろう。ロシア音楽ではしばし ば大迫力の音楽が聴きどころになり、そのた めロシアの指揮者たちはオーケストラから剛 毅な響きを引き出す術に長けている。フェド セーエフも輝かしく鳴り響く金管、地鳴りの ように唸る低弦、高らかに轟く打楽器などで 聴衆を熱狂させてきた。壮年期までのフェド セーエフは、このロシア的な迫力が最大の 特徴だったろう。  しかしフェドセーエフの演奏は、そうした 迫力と同じくらい、高度に洗練された表現も 卓越している。透明感に溢あふれた美音、潤い と温かみのある情感、知的な構成力、などな ど。ことに透けるように薄いにもかかわらず 温かみに満ちた弱音の美しさは、フェドセー エフの洗練された美感を象徴するものであ る。さらに壮年期を過ぎると、オーケストラを たっぷり歌わせることが多くなる。楽譜に誠 実に取り組んで、こうしたさまざまな要素を丹 念に拾い上げてていねいに扱い、ひとつひと つが際立つように表現を徹底させていくとい うのが、フェドセーエフの芸術姿勢であり、そ れゆえ彼の音楽は振幅のとても大きなもの になる。その一方で、こだわりが強いがゆえ に、フェドセーエフ自身は誠実でハッタリのな い芸術家なのにもかかわらず、音楽がどこか 一筋縄でいかない印象もあった。  だが近年のフェドセーエフの音楽には目 立った変化が見られる。音楽は雄大さと深 みを増し、力みがすっかり抜けて自由になっ た。その結果、音楽から高度な調和が感じ られるようになったのだ。この傾向は復帰後 に一層顕著になったように思われる。たとえ ば2015年4月のNHK交響楽団とのリムス キー・コルサコフ《シェエラザード》、この描写 性の強い音楽はしばしば単純明快に演奏 されてしまうが、フェドセーエフの手にかかる と複雑で豊かな味わいに満ちた音楽になる。 「豪快で繊細」のように言葉にすると相反し てしまう表現が、フェドセーエフの手にかか ると矛盾も無理もなく音楽として成り立ってし

Vladimir Fedoseyev

「豪快」と「繊細」が共存する 円熟期のフェドセーエフ

(12)

11 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO

まうのは、80代をむかえ、大病を乗り越えた フェドセーエフが、今、素晴らしく達観してい る証拠だろう。  2015年11月の定期公演では、協奏曲の ショパンを別にすれば、グラズノフ、ハチャトゥ リヤン、チャイコフスキーと、ロシアないしはソ 連の作曲家でまとまっている。今年、生誕1 50年を迎えたグラズノフの《バレエ音楽「四 季」》からの〈秋〉は、ロシアの貴族的ロマン ティシズムに満ち満ちた作品で、フェドセーエ フの「洗練」の部分が遺憾なく発揮されるこ とだろう。〈剣の舞〉で有名なハチャトゥリヤ ンの《ガイーヌ》は、強烈な民族色に彩られた 作品だ。フェドセーエフは若い頃にハチャトゥ リヤンと交流があり、自作を指揮する姿を目 の当たりにしており、ハチャトゥリヤンの音楽 にはことのほか思い入れがあるという。事実、 〈レズギンカ舞曲〉はフェドセーエフのアン コールでの定番曲である。チャイコフスキーの 《序曲「1812年」》。この音による壮大な歴 史絵画は、演奏効果がとても高い曲である 一方で、一歩間違うとたちまち奥深さのない 浅薄な演奏になってしまう難曲でもある。フェ ドセーエフは以前からこの曲を得意としてい るが、今のフェドセーエフならば、きっと、こ の作品から奥深い魅力を引き出してくれるだ ろう。 [よしだこうじ/音楽評論家] ソ連∼ロシアの剛毅な作品を 表情豊かに描く  ロシアを代表する偉大な指揮者。ソ連時代のレニングラード(現ロシア、サンクトペテルブルク)の生まれ。 モスクワのグネーシン音楽アカデミーおよびチャイコフスキー音楽院(モスクワ音楽院)を修了。1971年、レニ ングラード・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して本格的な指揮活動を開始。1974年、モスクワ放送交響楽 団(現チャイコフスキー交響楽団)の芸術監督、首席指揮者に就任、以来実に40年以上にわたって極めて 充実した関係が続いている。1997年から2004年までウィーン交響楽団の首席指揮者。もちろん世界各都 市の著名なオーケストラに客演している。また劇場での指揮も頻繁に行っており、オペラではチューリヒ歌劇 場、バレエではミラノのスカラ座にしばしば客演している。オーケストラを大きく掌握してその自発性を促し、一 体となって音楽に打ち込むフェドセーエフの音楽には圧倒的な感動が宿っている。NHK交響楽団とは2013 年5月に初共演、さらに2015年には4月に続き11月と、2シーズン連続で指揮台に立つ。[吉田光司] プロフィール

Vladimir Fedoseyev

PROGRAM C

(13)

指揮]ディエゴ・マテウス

ソプラノ]ケイト・ロイヤル

ゲスト・コンサートマスター]ベルンハルト・ハルトーク

[conductor]

Diego Matheuz

[soprano]

Kate Royal

[guest concertmasterBernhard Hartog

マーラー

交響曲

5

嬰ハ短調

アダージェット(

11

Gustav Mahler (1860-1911)

Symphony No.5 c-sharp minor

– Adagietto

チャイコフスキー

交響曲

5

ホ短調

作品

64

50

Ⅰアンダンテ― アレグロ・コン・アニマ Ⅱアンダンテ・カンタービレ、コン・アルクーナ・ リチェンツァ Ⅲワルツ:アレグロ・モデラート Ⅳ終曲:アンダンテ・マエストーソ ─アレグロ・ヴィヴァーチェ

Peter Ilich Tchaikovsky

(1840-1893)

Symphony No.5 e minor op.64

Ⅰ Andante – Allegro con anima Ⅱ Andante cantabile, con alcuna licenza Ⅲ Valse: Allegro moderato

Ⅳ Finale: Andante maestoso – Allegro vivace

マーラー

リュッケルトによる

5

つの歌(

19

Ⅰほのかなかおりを Ⅱ美しさを愛するのか Ⅲわたしの歌をのぞき見しないで! Ⅳ真夜中に Ⅴわたしはこの世に忘れられ

Gustav Mahler

5 Lieder nach Texten

von Friedrich Rückert

Ⅰ Ich atmet’einen linden Duft  Ⅱ Liebst du um Schönheit Ⅲ Blicke mir nicht in die Lieder!  Ⅳ Um Mitternacht

Ⅴ Ich bin der Welt abhanden gekommen

PROGRAM

A

第1820回

NHKホール

11/14

6:00pm

11/15

3:00pm

NHK Hall

Concert No.1820

November

14

(

Sat

)

6:00pm

15

(

Sun

)

3:00pm ・・・・ intermission ・・・・ ・・・・ 休憩 ・・・・ ◆ベルンハルト・ハルトーク:ドイツ、ビーレフェルト生まれ。ハノーファー音楽大学を卒業後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に 第1ヴァイオリン奏者として入団。その後2014年までベルリン・ドイツ交響楽団の第1コンサートマスター、1987年から2014年まで バイロイト祝祭管弦楽団のコンサートマスターを務めた。N響には2014年10月に引き続き、3度目の客演。

(14)

13 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PROGRAM A  イギリスで最も注目されている若手ソプラノの一人。ロンドン生まれ。 ギルドホール音楽演劇学校やナショナル・オペラ・スタジオで学ぶ。2004 年にキャスリーン・フェリアー賞を受賞。これまでに、グラインドボーン音楽 祭で、《ばらの騎士》元帥夫人、《魔笛》パミーナ、《カルメン》ミカエラ、 《ドン・ジョヴァンニ》ドンナ・エルヴィーラなどを歌う。コヴェントガーデン王 立歌劇場ではアデス《テンペスト》のミランダを演じる。サイモン・ラトルが 彼女の歌声を高く評価し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会で、《魔笛》、シューマ ン《楽園とペリ》、フォーレ《レクイエム》、マーラー《交響曲第2番「復活」》などの独唱者に起用(《復 活》はCD録音もある)。3枚のソロ・アルバムをリリースしている。 [山田治生/音楽評論家]

Program A

|SOLOIST

ケイト・ロイヤル(ソプラノ)

© S us sie A hl bu rg

(15)

 マーラー(1860∼1911)はウィーン宮廷歌劇場音楽監督の地位にあった

1901

年夏、ヴェ ルター湖畔マイヤーニヒの作曲小屋で《亡き子をしのぶ歌》の第

1

3

4

曲、《リュッケルトによ る

5

つの歌》のうちの

4

曲、民謡テキスト集『子供の不思議な角笛』に基づく歌曲群の最後の

1

曲となった《少年鼓手》、そして《交響曲第

5

番》の第

1

楽章から第

3

楽章を作曲した。この 創作力あふれる夏を一緒に過ごしたバウアー・レヒナーに、新しい交響曲は

4

楽章の予定だ と語っていたマーラーだが、翌

1902

年の秋、それは全

5

楽章の作品として完成した。  交響曲は、第

3

楽章のスケルツォを中心に、第

1

2

楽章と第

4

5

楽章のそれぞれを 音楽的なまとまりと捉えた

3

部構成である。当初の計画をこのように変更した背景には、

1901

11

7

日に出 い、たった

1

か月余りで婚約に至ったアルマの存在があると言わ れる。マーラーを高く評価していた指揮者のメンゲルベルクは、自分のスコアに次のよう に書き込んでいる。「この〈アダージェット〉は、マーラーからアルマに宛てた愛の宣言だっ たのだ!彼は手紙の代わりに彼女に〈アダージェット〉の手書きの楽譜を贈った。彼女は その意味を理解して『どうぞいらして!!!』と書き送った。

2

人はそう私に話してくれた」。こ の通りなら、〈アダージェット〉はアルマと知り合った

11

月頃に書かれたことになる。最終的 に〈アダージェット〉は第

4

楽章として配置された。  〈アダージェット〉は

3

つの部分からなり、ハープと弦楽

5

部のみで演奏される。叙情性を 湛えた官能表現の極みともいうべきその音楽には、同時期に作曲された《リュッケルトに よる

5

つの歌》の要素が姿を見せる。また細かく揺れ動く中間部の旋律には、ワーグナー の《楽劇「トリスタンとイゾルデ」》で題名役の

2

人が視線を交わし、心を通わせる瞬間に 現れる「まなざしの動機」との類似性が指摘される。 [山本まり子]

Program A

マーラー

交響曲

5

嬰ハ短調

アダージェット

作曲年代 《交響曲第5番》としては1901年夏に着手。1902年秋完成。1905年の出版後も改訂を重ねる 初演 《交響曲第5番》全曲の初演は1904年10月18日、ケルン。ギュルツェニヒ管弦楽団の演奏、作曲者 自身の指揮で 楽器編成 ハープ1、弦楽

(16)

15 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PROGRAM A  歌曲集《亡き子をしのぶ歌》と同じフリードリヒ・リュッケルト(1788∼1866)の詩による歌 曲だが、こちらはそれぞれ別の機会に単独で作られたもので、連作歌曲集ではなく、実際 に演奏される曲順も、演奏者の好みによって様々である。  〈ほのかなかおりを〉詩は語呂合わせの技巧的な遊びだけが生命の、凡作と批判され てきたが、ちょっと時代に先んじたマラルメ風のマニエリズムがあって、必ずしも凡庸な詩 とは思わない。逆に誰もが一致して認めるのは、作曲者グスタフ・マーラー(1860∼1911) がこの詩からマニエリズムをさらに増幅させるような、繊細きわまりない工芸品を作り出し たことだ。  〈美しさを愛するのか〉新妻アルマにプレゼントされた作品。彼女に、作曲することだけ はやめてくれと訴えた

1901

12

19

日の長文の手紙には「もし君が醜かったらと考えて ごらん」というかなり失礼な一節、すなわち、取り巻きたちが君をちやほやするのは、君が 美人だからに過ぎないという一節が含まれていた。それを思い出せば、アルマはこの曲が 自分に捧げられた理由を直ちに了解したであろう。上記のような特殊事情のせいで、この 曲のみ作曲者自身による管弦楽伴奏稿が存在せず、本日演奏されるのはマックス・プット マンの管弦楽編曲による版である。  〈わたしの歌をのぞき見しないで!〉元の詩の素朴なコンテクストでは、恋人に捧げる 詩を書いている若者が、詩の完成前にそれを彼女に見られるのを嫌がっているようだが、 マーラーは未完成作を見られることに対して創作者一般が抱く嫌悪の表現というように、 詩をより広く解釈している。無窮動風のいたずらっぽい、少し不安げな動きは、歌を作るこ とが蜜蜂が巣を作る様にたとえられているせいだが、出来上がったら詩=蜜の「味をみて ごらん」という性的な含意を秘めた最終行の俗っぽい言葉で、一挙に元の民謡調の世界 に引き戻されてしまう。  〈真夜中に〉各節がすべて「真夜中に」ではじまり、かつ終わるように作られた、故意 に単調さを狙った詩。詩では最終節での突然の信仰への帰依に説得力が欠けている が、作曲者はそうした詩の問題をわざとそのまま放置して作曲したように思われる。つまり、 「機械じかけの神」という言葉通りの神様の使い方にアイロニーを浴びせるための作曲と

Program A

マーラー

リュッケルトによる

5

つの歌

(17)

いうのが、大方のマーラー研究者の見方。弦楽器が全く用いられず、管楽器と最後にアル ペッジョを添えるピアノ、ハープだけの伴奏で、曲尾には《交響曲第

5

番》さながらの古風な コラールが奏でられるという特殊な楽器編成も、この解釈を裏付けているようだ。  〈わたしはこの世に忘れられ〉詩そのものはひねりがなく、あまりにも状況をストレートに 説明しすぎているが、音楽が詩の喚起力の乏しさをうまく補完して、歌曲としては名作の 誉れ高い作品になった。《交響曲第

5

番》のアダージェット楽章に通ずるような、俗世を離 れたユートピアを描く音楽の典型である。曲頭、イングリッシュ・ホルンが吹く深々とした五 音音階風の旋律が様々に変形されて戻ってくるが、歌声部の要所要所を管楽器がエコー のように繰り返したり、逆に歌の旋律を先取りして示したりするのが、曲に立体的な奥行き を与えている。 [村井翔] 作曲年代 1901∼1902年 初演 1905年1月29日、ウィーン。作曲者指揮、宮廷歌劇場管弦楽団員、アントン・モーザー(バリトン)、 フリードリヒ・ヴァイデマン(バリトン)。〈美しさを愛するのか〉のみは1907年2月8日 楽器編成 フルート2、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホル4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ1、ハープ1、チェレスタ1、ピアノ1、弦楽、 ソプラノ・ソロ

(18)

17 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PROGRAM A

Ich atmet’ einen linden Duft! Im Zimmer stand

ein Zweig der Linde, ein Angebinde von lieber Hand.

Wie lieblich war der Lindenduft!

Wie lieblich ist der Lindenduft, das Lindenreis

brachst du gelinde! Ich atme leis im Duft der Linde der Liebe linden Duft.

Liebst du um Schönheit, o nicht mich liebe! Liebe die Sonne,

sie trägt ein gold’nes Haar!

わたしはほのかな香りをかいだ! 部屋には 菩提樹の小枝。 それは、愛しい人の手によって 贈られた物。 その香りの何とかぐわしかったことか! 菩提樹の香りの何とかぐわしいことか! その小枝は あなたが優しく折ったものだ! 菩提樹の香りに包まれて わたしはそっとかいでみる、 愛のほのかな香りを。 美しさゆえに愛するなら、 わたしを愛さないで! 太陽を愛せばいいのよ、 金色の髪なのだから!

マーラー リュッケルトによる5つの歌 歌詞対訳

Mahler 5 Lieder nach Texten von Friedrich Rückert

訳◎山本まり子|

Translation: Mariko Yamamoto

1.

ほのかなかおりを

1. Ich atmet’ einen linden Duft

2.

美しさを愛するのか

(19)

Liebst du um Jugend, o nicht mich liebe! Liebe den Frühling, der jung ist jedes Jahr!

Liebst du um Schätze, o nicht mich liebe! Liebe die Meerfrau, sie hat viel Perlen klar!

Liebst du um Liebe, o ja mich liebe! Liebe mich immer, dich lieb’ ich immerdar!

Blicke mir nicht in die Lieder! Meine Augen schlag’ ich nieder, wie ertappt auf böser Tat! Selber darf ich nicht getrauen ihrem Wachsen zuzuschauen! Blicke mir nicht in die Lieder! Deine Neugier ist Verrat!

Bienen, wenn sie Zellen bauen, lassen auch nicht zu sich schauen, schauen selbst auch nicht zu! Wenn die reichen Honigwaben sie zu Tag gefördert haben, dann vor Allen nasche du!

若さゆえに愛するなら、 わたしを愛さないで! 春を愛せばいいのよ、 毎年若々しいままなのだから! 財宝ゆえに愛するなら、 わたしを愛さないで! 人魚を愛せばいいのよ、 綺麗な真珠をたくさん持っているのだから! 愛ゆえに愛するなら、 どうかわたしを愛してほしい! わたしをいつまでも愛して下さい、 わたしも永久にあなたを愛します! わたしの歌をのぞき見しないで! 悪さをして捕まりでもしたように、 目を伏せてしまうでしょう! わたしは自分でも見たりしないのだから、 歌が育ちゆく経過を! わたしの歌をのぞき見しないで! あなたが見たがるなんて裏切りです! 蜜蜂たちは巣を作るとき、 誰にも見せたりしないし、 自らも見たりしないのです! 蜜でいっぱいになった巣が ようやく出来上がって姿を見せたら、 何はさておき、味をみてください!

3.

わたしの歌をのぞき見しないで!

3. Blicke mir nicht

in die Lieder!

(20)

19 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PROGRAM A

Um Mitternacht hab’ ich gewacht

und aufgeblickt zum Himmel! Kein Stern vom Sterngewimmel hat mir gelacht

um Mitternacht!

Um Mitternacht hab’ ich gedacht

hinaus in dunkle Schranke! Um Mitternacht!

Es hat kein Lichtgedanke mir Trost gebracht um Mitternacht!

Um Mitternacht nahm ich in Acht

die Schläge meines Herzens! Ein einz’ ger Puls des Schmerzens war angefacht

um Mitternacht.

Um Mitternacht kämpft’ ich die Schlacht, o Menschheit, deiner Leiden. Nicht konnt’ ich sie entscheiden mit meiner Macht

um Mitternacht.

Um Mitternacht hab’ ich die Macht in deine Hand gegeben!

Herr! Herr über Tod und Leben: Du hältst die Wacht! um Mitternacht! 真夜中に わたしは目を覚まし、 天空を仰ぎ見た! 群れなす星のどれひとつとして 私に笑いかけてはくれなかった、 真夜中に! 真夜中に 私は想いに耽り、 それは暗闇の果てにまで及んだ! 真夜中に! 私を慰めてくれるような 明るい思いつきは何ひとつなかった、 真夜中に! 真夜中に 私が注意を払ったのは 心臓の鼓動! たったひとつ、苦悩の脈動だけが あおり立てられていた、 真夜中に。 真夜中に 私は闘いを挑んだ、 おお人類よ、おまえの苦悩のために。 私は闘いを終わらせることができなかった、 自らの力では、 真夜中に。 真夜中に 私は自分の力を あなたの手に委ねた。 主よ、この世の死と生を あなたは夜通し見守っておられる、 真夜中に!

4.

真夜中に

4. Um Mitternacht

(21)

Ich bin der Welt abhanden gekommen, mit der ich sonst viele Zeit verdorben; sie hat so lange nichts

von mir vernommen,

sie mag wohl glauben, ich sei gestorben!

Es ist mir auch gar nichts daran gelegen, ob sie mich für gestorben hält.

Ich kann auch gar nichts sagen dagegen, denn wirklich bin ich gestorben der Welt.

Ich bin gestorben dem Weltgetümmel und ruh’ in einem stillen Gebiet! Ich leb’ allein in meinem Himmel, in meinem Lieben, in meinem Lied.

わたしはこの世から姿を消してしまった、 これまでいたずらに時を費やしてきたこの世  から。 わたしのことなど久しく話にのぼらない、 きっと死んでしまったと思われているのだろう。 死んだと思われていたとしても、 わたしにとってはどうでもいいことだ。 それを打ち消しても始まらない、 わたしはこの世で、  まさに死んでしまったのだから。 巷の喧騒にあって、わたしは息絶え、 安らぎの中で憩っている! わたしは独り天上に生きている、 わが愛の営みの中に、わが歌の中に。 ドイツ語のテクストは国際グスタフ・マーラー協会による 全集版楽譜(C.F.Kahnt, 1984年)に基づく

5.

わたしはこの世に忘れられ

5. Ich bin der

(22)

21 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PROGRAM A  ピョートル・チャイコフスキー(1840∼1893)の《交響曲第

5

番》(1888年)は、彼の

6

つの 交響曲のなかでもとりわけ色彩的な旋律に満ちている。曲が書かれたのは、作曲家の生 涯で最も順風満帆な時期のこと。

1880

年代、チャイコフスキーは多産な国民的作曲家と して押しも押されもせぬ存在になっていた。外国でも、

1878

年から毎年行っていた演奏 活動によって、ロシア人作曲家としても最も人気のある作曲家になっていた。だが演奏活 動に忙殺されすぎていると考えたチャイコフスキーは、

1885

年、外国への演奏旅行を一 時中止する。

1888

4

月には静かなフロロスコエ村に引っ越し、作曲に集中する環境を 整えた。《交響曲第

5

番》はここで書かれている。  ところでロシアにおいてロシア人のいわゆる西洋音楽の音楽家が台頭してきたのは

1770

年代のことである。はじめは教会や宮廷、貴族に雇われた専属音楽家であった。 やがて自立した音楽活動を生業とする職業音楽家が誕生するのだが、この間に約

100

年 の時を経ている。チャイコフスキーはその最初期のひとりにあたる。演奏活動や出版の報 酬に加えて、

1878

1890

年の間はフォン・メック夫人から毎月

500

ルーブルという破格の 支援を受けていた。かくして

1880

年代後半、チャイコフスキーは自他共に認める不動の職 業音楽家として、音楽活動に勤しめる環境にあったのである。  さて《交響曲第

5

番》で試みられた新機軸のひとつに、モットー主題が挙げられる。ロマ ン派の音楽においてモットーとは全体を統合したり特定の意味を担わせたフレーズや動 機であったが、チャイコフスキーはこれをより長い旋律に拡大し、全楽章の要所要所に回 帰させた。これは、

1867

年にモスクワで出会ったベルリオーズの《幻想交響曲》(1830年) の「固定楽想」に感化されたもの。だが《幻想交響曲》が物語に即した標題音楽で、モッ トー主題が作曲家の恋慕する女性を表す「固定楽想」であったのに対し、チャイコフスキー の《交響曲第

5

番》にこうした特定の意味対象は定められていない。  モットー主題を楽章間で循環させることは《交響曲第

4

番》(1877年)の第

1

4

楽章で試 みていた。やがて壮大な「標題交響曲」《マンフレッド》(1885年)で悲劇的な主人公マンフ レッドを表す「固定楽想」として全楽章で用いた後、標題のない交響曲でモットー主題を 全楽章に展開させたのがこの《第

5

番》であった。珠玉の旋律、楽想がめくるめく展開をす

Program A

チャイコフスキー

交響曲

5

ホ短調

作品

64

(23)

るなか、モットー主題が作品全体を統合し、さらに動機労作や調性の仕掛けによって、圧 倒的なダイナミズムが終楽章で響きわたる。  なおこの作品には、

1887

8

月∼

1888

4

月に書かれたと考えられるごく短い構想メ モがある。そこでは第

1

楽章序奏に寄せて「運命への服従」などと書かれている。第

2

楽 章の構想として

2

声の音楽スケッチ(2小節)も書かれ、その譜例を上下にはさむ形で「一 筋の光」「下からの返答:いや、希望はない」とあるが、実際に完成された第

2

楽章とは異 なる。いずれにせよ、作品は非常に均整のとれた形式で書かれており、

1888

6

月に作 曲家がコンスタンチン公爵へ宛てた手紙に「この交響曲に標題はありません」とあるのも 頷けるように、作品に明確な標題性を読みとることは難しい。  第1楽章アンダンテ、

4/4

拍子─アレグロ・コン・アニマ、

6/8

拍子、ホ短調、ソナタ形式。 序奏でモットー主題が提示される。副主題提示部では第

2

主題のほか

2

つの魅惑的な主 題がニ長調で現れ、主調とこれらとの調性関係が、第

1

楽章(ホ短調)─第

2

楽章(ニ長調) の展開を導きつつ、さらに第

4

楽章の内容も暗示している。  第2楽章アンダンテ・カンタービレ、コン・アルクーナ・リチェンツァ、

12/8

拍子、ニ長調、

3

部 形式。導入部はモットー主題の一音型からくるものだが、《幻想序曲「ロメオとジュリエット」》 の冒頭と酷似している。これらのコラール的な和声進行は作曲家が好んだ祈りの響きである。  第3楽章ワルツ:アレグロ・モデラート、

3/4

拍子、イ長調、

3

部形式。チャイコフスキーは 交響曲では終楽章の前の楽章にスケルツォを置くことを常としていた。そのためスケルツォ ではなくワルツとしたこの第

3

楽章は、非常に特異な存在である。スケルツォの性格は中間 部に込められている。ワルツ冒頭、低声部の伴奏に

1

拍目の響きがないために感じる一瞬 の空虚感は、スケルツォの諧謔性へのかすかなオマージュ。モットー主題はコーダでクラリ ネットとファゴットによって奏される。  第4楽章終曲:アンダンテ・マエストーソ、

4/4

拍子─アレグロ・ヴィヴァーチェ、

2/2

拍子、 ホ長調、ソナタ形式。第

1

楽章冒頭の哀愁に満ちたモットー主題が、第

4

楽章冒頭、祝祭 的な雰囲気に包まれて登場する。第

1

楽章にはじまるホ短調とニ長調の拮抗を経て、最 終的にホ長調へと昇華する作品全体の志向性が、壮大な響きによって示される。 [中田朱美] 作曲年代 1888年5月∼8月26日(ロシアの旧暦では14日) 初演 1888年11月17日(ロシアの旧暦では5日)、作曲者自身の指揮、サンクトペテルブルク・フィルハーモ ニー協会演奏会 楽器編成 フルート3(ピッコロ1)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、 テューバ1、ティンパニ1、弦楽

(24)

23 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PROGRAM B

指揮]ネヴィル・マリナー

ピアノ]メナヘム・プレスラー

コンサートマスター]篠崎史紀

[conductor]

Neville Marriner

[piano]

Menahem Pressler

[concertmasterFuminori Shinozaki

モーツァルト

ピアノ協奏曲

17

ト長調

K.453

31

Ⅰアレグロ Ⅱ アンダンテ Ⅲ アレグレット― プレスト

Wolfgang Amadeus Mozart

(1756-1791)

Piano Concerto No.17

G major K.453

Ⅰ Allegro Ⅱ Andante Ⅲ Allegretto − Presto

PROGRAM

B

第1822回

サントリーホール

11/25

7:00pm

11/26

7:00pm

November

25

(

Wed

)

7:00pm

26

(

Thu

)

7:00pm

ブラームス

交響曲

4

ホ短調

作品

98

40

Ⅰアレグロ・ノン・トロッポ Ⅱ アンダンテ・モデラート Ⅲ アレグロ・ジョコーソ Ⅳアレグロ・エネルジコ・エ・パッショナート

Johannes Brahms (1833-1897)

Symphony No.4 e minor op.98

Ⅰ Allegro non troppo Ⅱ Andante moderato Ⅲ Allegro giocoso

Ⅳ Allegro energico e passionato

・・・・ intermission ・・・・

・・・・ 休憩 ・・・・

Suntory Hall

(25)

 ボザール・トリオの創立ピアニストとして、1955年以来半世紀以上にわた り、世代を超えて室内楽に多大な貢献を続けたメナヘム・プレスラー。驚嘆 すべきことに、2008年に同トリオの活動を止めてから、プレスラーは室内楽 に加え、ソロ・ピアニストとしての華々しい活動を展開している。近年はロイ ヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、パリ管弦楽団などに客演、2014年には ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のジルヴェスターコンサートに91歳で 登場し、モーツァルトを聴かせた。いよいよとなるN響との初共演にも、マリナーの指揮でモーツァルトの 《協奏曲第17番》が選ばれている。1923年、ドイツのマクデブルクに生まれ、1939年に移住したイ スラエルで音楽教育を受けた。第二次世界大戦後、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とのデ ビュー以来、アメリカを拠点に活動してきた。 [青澤隆明/音楽評論家]

Program B

|SOLOIST

メナヘム・プレスラー(ピアノ)

© A lai n B ark er

(26)

25 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PROGRAM B  

1784

年の

1

年間に、モーツァルト(1756∼1791)は《第

14

番》から《第

19

番》までの

6

曲 ものピアノ協奏曲を生み出した。ウィーンでの順調な演奏活動を反映してのことである。特 に、

3

4

月に作曲した《第

15

番変ロ長調》、《第

16

番ニ長調》、およびこの《第

17

番ト長 調》の

3

曲については、当時としては大編成のオーケストラを用い、とりわけ管楽器を積極 的に活用した新しいタイプのピアノ協奏曲であることに強い自負心を抱いており、故郷ザ ルツブルクの父や姉に、

3

曲のうちどれが一番気に入るか、再三、手紙で尋ねたのだった。  ピアノの技巧的な活躍が目覚ましい《第

15

番》、シンフォニックな響きの《第

16

番》に続 いて、この《第

17

番》では、モーツァルトは形式や和声により一層の工夫を施し、実に表情 豊かな作品に仕上げている。彼のピアノ協奏曲は現在、より規模の大きい《第

20

番》以降 の作品の方がよく知られているが、独特の軽やかさや叙情性、ユーモアを美質とするこの 曲には、それらとはまた一味異なる魅力が備わっているのである。  第1楽章アレグロ、ト長調、

4/4

拍子。細やかな楽器法が印象深い楽章で、突然の転 調や緊張感のある不協和音など、大胆さもあわせ持っている。  第2楽章アンダンテ、ハ長調、

3/4

拍子。瞑想的な雰囲気を湛える緩徐楽章。長調と短 調の交差する様が美しい。  第3楽章アレグレット、ト長調、

2/2

拍子─フィナーレ、プレスト。モーツァルトのペットのム クドリが歌ったとされる主題による変奏曲。確かに、フルート等の管楽器の響きは小鳥の さえずりを髣髴させる。一方、「フィナーレ」と記されたプレストの終結部分は、まさしく、《フィ ガロの結婚》(1786年)などの喜劇オペラのフィナーレを思わせる音楽となり、幕切れの大 騒ぎを描くかのように楽章を閉じている。 [松田聡]

Program B

モーツァルト

ピアノ協奏曲

17

ト長調

K.453

作曲年代 1784年4月12日完成 初演 一般に、1784年6月13日にウィーンにおいて、弟子のバルバラ・プロイヤーの独奏で、とされるが、それ 以前の可能性もある 楽器編成 フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦楽、ピアノ・ソロ

(27)

 ウィーンからグラーツに向かって南下する鉄道で

80km

ほど行くと、グログニッツという 山間の駅がある、そこからミュルツツーシュラークまでの

40km

が、ユネスコ世界遺産の「セ ンメリング鉄道」である。これは

1854

年に完成した世界初の山岳鉄道で、このあたりはい わばオーストリアの軽井沢ともいうべき代表的な避暑地でもある。  ブラームス(1833∼1897)の最後の交響曲となった《第

4

番 ホ短調》は、

1884

年と

1885

年のふた夏に、このミュルツツーシュラークで作曲されている。きわめて緻密に書か れたこの交響曲を、彼は最初の夏にはじめの

2

楽章、そして次の夏に残りの

2

楽章を作曲 しているが、まず終楽章を作曲したのちに第

3

楽章を完成させている。  このきわめて内面的で個性的な交響曲の作曲について、ブラームスは親しい友人たち にさえも秘密にし続けていた。このころ彼の名声は頂点に達し、

1883

年に初演された《交 響曲第

3

番》も大成功を収めたが、それを妬む反対派、特に若い批評家のフーゴー・ウォ ルフなどには口汚くののしられ、平静は保ちつつも過度の防衛本能が働いていたことは あきらかである。

1885

8

29

日、彼はついに親しい女友達のエリーザベト・フォン・ヘル ツォーゲンベルク夫人に手紙を書き、感想を求めている。「残念ながら、一般にわたしの 作品は、わたし自身よりも心地よいのです。その印象を変えることは難しいでしょう。しかし この地方では、桜の実は甘くなく食べることができません。もしこれが美味しくなかったら、 味わわれなくてけっこうです。なんとしてでも、まずい《第

4

番》を書きたいとは思っていませ ん」。この時彼は、第

1

楽章と第

2

楽章の冒頭を送ったようなのだが、いかにも自信の無さ そうな書きぶりである。  この交響曲の特異性について十分自覚していたブラームスは、初演に関しても慎重を 期し、ハンス・フォン・ビューローに頼んで、彼が指揮者を務めていたマイニンゲンの宮廷管 弦楽団と十分な練習を重ねた上、

1885

10

25

日、彼自身の指揮で初演にこぎ着けた。 マイニンゲンは、バッハの故郷アイゼナハの南

50km

に位置する中部ドイツの小都市で、ブ ラームスは音楽好きの君主の一家と親しくしていたのである。  《交響曲第

4

番》のはじめの

3

楽章はすべてソナタ形式で書かれている。第1楽章はホ 短調、

2/2

拍子。ため息にも似た

2

音動機からなる第

1

主題ではじまる。このようにきわめ

Program B

ブラームス

交響曲

4

ホ短調

作品

98

参照

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