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人間労働の対象化規定と分割規定--「配分」問題の一視角---香川大学学術情報リポジトリ

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人間労働の対象化規定と分割規定

−「配分」問題の−・視角−1)

木 村 正 身 Ⅰ課題の展望と限定。ⅠⅠ.使用価値と価値との対応関係一商品論に沿 うて。ⅠⅠⅠ.第1論点。価値規定の本義は人間労働の対象化規定たる点匿 ある。ⅠⅤい第2論点。人間労働の対象化規定は,人間労働分割の実現形 式となるが,分割規定そのものでほない。分割の本質的2契機。Ⅴ・・第 3論点。人間労働の分割のありかたほ.条件におうして異なる。資本制下 での分割規定の非自立性。ⅤⅠ・・結語。 Ⅰ 『資本論』冒頭章での商品論の詳細な文脈は,周知のように資本制的富の分 析,もしくは資本の一・般分析の伏線として,おのずからすでにその垂心を,使 用価値という契機にもとづく「富の質料的内容」の側面ではなく,価値という 契概にもとづく「富の社会的形態」の側面に置いており,これは,資本制社会 が「価値法則」の規制する社会として理解されるかぎり,当然のことである。 「経済学は,価値法則がどのように自己を貫徹するかを解きあかすという点 1)本稿は.,筆者の2つの論稿‥川「価値法則と配分法則一近代家族経済の意味検討を かねて−」,『香川大学経済論混』,筍31巻第1号,1960年5月。(ロ= ̄経済理論学会の ための一報告原稿−“価値法則と配分法則”−」,同誌,第33巻第5号,61年1月, からライトモチ−フをうけつぐものであるが,その両稿が種々の不十分な論点をふくむ ことについての反省をふくめながら,問題を−㌧そう根本的に掘りさげるつもりで,書か れた。たびたびの懇切な私信によって不備や疑点をご教示いただいた諸氏,わけても大 熊信行,長谷部文雄,伊藤岩,三宅義夫の各氏に感謝したい。ただそれにもかかわら ず,ご教示のうち本稿で生かしえなかった点も多いとおもう。なお三澤名は,「配分」 distribution,Verteilung という語は主体的契機をほっきり予燈した特殊な場合,「分

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香川大学経済学部 研究年報1 ′− 76− ヱ96J に,まさに依存しています」2)と,マルクスほクー・グルマンに宛てて−述べてい る。つまり,『資本論』ほ端的に.いって,価値法則の弁証法的展開の跡づけの 理論体系に他ならないのであり,資本制経済の本質分析が資本の一・般分析に.依 存し,資本の・・−−■般分析が価値法則の展開に依存することほ,いうまでもない。 資本制生産では,使用価値的契機は,物理的・技術的意味においても主体的意 昧に.おいても,あくまで価値生産紅たいして−ほ従属的・実現喋介的・非自立的 な契機たるにすぎない。それにしても,他面でほマルクスほ,資本制生産の枠 の周辺事情にふれるときほもちろん,この枠のなかでも,使用価値の契機があ たえる一−・定の独自な作用について,慎重な灰示をあたえているように.おもわれ る。 ここで筆者が資本制生慮の砕の周辺等倍というのは,たとえば第1巻第i章 第4節で言及されているようないくつかの場合のことであるが,そういう場合 でほ,市民的人間であると否とを問わない生活個体二個人の即日的な経済行為 −・般においても,また共同体的生産の任意の歴史的形態のもとでも,経済主体 たる生酒個体の行為をめぐる使用価値の契機の優越ということ自体に.かんして は,まず・一応問題がないだろう。ところで資本制生産そのもののなかでほ,も

●● とより根本問題は価値の生産とその背後の人間関係(生産関係)であって,使用

価値の生産(物理的因呆関係)ではないとはいえ,使用イ掛値および具体的有用労

働の意味が,けっしてなくなるわけでほない。使用価値という契徴がもつ意義 は,主体的・物理的両側面をふくめて,それでほどこにあるかといえぼ,それ はさしあたり,一・般に価値法則の実現の契機という点にあるということは, 容易にみとめられることだろうとおもわれる。すなわちそれはタ(1)商品範疇の

からだ 成立にあたって,使用価値が価値の担い手たる体であるとか,(2)使用価値の質

●●●●● 的・鼠的区分におうずる具体的有用諸労働の社会的区分=社会的分業が交換の 割」division,Teilungというときはそうでない場合,と使いわけたカが理論的だと平 素考えており,上掲両稿でもそのふくみをもたせたが,マルクスをほじめ,一般紅無差 別紅用いられているので,無用の誤解を避けるため,本稿でほあえて両語の区別紅たち いらぬことをこした一・㍍.おことわりしたレ、。 2)K.Marxu・FlEngels,BYiefe読ber>Das K4ilall<,besorg.v、M‖LE.−L小・ⅠりDietz Ausg.,1954,S。185

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人間労働の対象化規定と分割規定 − 77− 前提であるといった,出発点的意味だけでなく,また,(3)周知のように屑生産 過程の観察のさいのいわゆる“二屈視点”のうちの“質科視点”において,使 用価値の価値実現契機としての意味がみられるばかりでなく,(4ト般的に・いっ て,価値法則の展開の論理としての『資本論』の弁証法的全体構成をつらぬく 必然的媒介契機として,使用価値の関連が,いわば影のように,価値の関連に 伴っているのだと,いってよいとおもわれる(たとえば労働力の独自な使用価 値から,資本そのものの独自な使用価値表象にいたるまで)。価値が終始,宙 に.浮いているものではなくて,使用価値たる商品体において具体的に担われる ように,価値法則もまたその実現・一・般を使用価値関連によって保証されること に.よって,その実在性をしめすのである。 しかしながら,1歩をすすめて,筆者が問いたいのは,使用イ面値関連ほ,資 本制生産のなかで,このような価値法則の実現契機という作用をもつ.以外に, なおなんらか別個の独白な規定的意味を潜在的に.もつものとして存在しえない ものかどうか,という点である。もちろん,かりになんらかそのような使用価 値関連の規定的意味が跡づけられるとしても,それほ結局においてはおそら く,価値法則にたいして従属的な,非自立的なものにすぎないであろう。しか し,たとえ非自立的ではあっても,その独自な規定性を認定しうるならば,そ れはそうでない場合と,種々のちがった帰結をはらむはずであろう。 だが,このような角度から問題を提申することは,′従来の『資本論』解釈学 の本筋からいえば山\見突飛な,あるいは不生産的な,いやむしろ有害な企てと さえ,おもわれるかもしれない。暦本制生産の分析のためにほ,価値法則の理 解と跡づけこそがアルパにしてオメガなのであり,必要にして十分であり,お よそ資本制のもとで使用価値的関連の意味を独立させて云々すること自体が, 『資本論』の俗流経済学的歪曲に通ずるものでは.ないか,という疑問は,十分 それ自体としては根拠がある。しかしそれにもかかわらず,こういった断定に は問題の余地があるようにおもわれる。 筆者はいま,マルクスの文脈を手がかりとして,あえて上述の問題をとりあ げようとするのだが,そのねらいほ.,さしあたり筆者なりに,1っは資本制経 済政策の具体的領域の吟味の拠点を探るということであり,1っほ資本制生 産および社会主義的生産の体制比較論的基盤を求めることにある,といつてお

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ヱ96ヱ 香川大学経済学部 研究年報 1 一 指 − く。いうまでもなく資本制生産の独白な歴史的本質は,それ自身の内的構造に 即して−,つまり価値のタームで,求められなぐてはならない。しかしながら, 資本的生産といえども,社会的生産の1形態であり,それはそれに・先立つ,お よび後に来るべき,共同体的(もしくは疑似共同体的)生産の諸形態と,明噺 ・判明な比較を可能にする態のものでなくてほならないはずであろう。これら 杜会的生産の諸形態のそれぞれの本質が独白だからといって,もしそれらが相 互の比較を絶するといったものだとすれば,それは歴史相対主義的把握だとは いいえても,真にただしい弁証法的理解とはいえないだろうとおもわれる。資 本制生産のあまりに懸絶的な理解ほ、資本制の歴史的地位をかえって曖昧なら しめるかもしれない。もちろん比較といっても,それほ機械的・静態類型学的 並置ということではありえない。したがってまた,比較の地盤を求めるといっ ても,それはなんらかの超歴史的な“経済本質”の哲学ということでは,あり えない。本来の問題ほあくまで,各体制の内在的論理構造に即してのみ追求さ れなければならないわけである。このことを,とくにことわっておきたい。 さて,この課題を追求するためには,(1)いわゆる「価値法則」およぴ「価値 規定」という概念の意味をはっきり把え,そのおよぶ範囲を厳密に論定するこ と,(2)みぎとの関連で使用価値契機がもたらすなんらかの,たとえ非自立的だ としても独自な,規定性が商品生産のもとではたしてみとめられるかどうか, みとめられるとすれはその意味の検討と把握,以上の作業が必要であろう。こ の(2)の点でほ,あらかじめいえば,いわゆる「配分」ないし「分割」の問題が からんでくるほずである。(3)すすんでほ,資本制生産以外の種々の社会的生産 牒式について,おそらくそこでは資本制生産とは逆に.,使用価値契機が優位に・ 立つことが予想される反面,「価値規定」の方は存在しうるかどうか,存在す るとすれば,その意味はどうか,が問題となるにちがいない。 ところでこのように提言することは,ふたたび根本的反問を呼ぶかもしれな い。すなわち,(1)筆者が使用価値契機の関連からいわゆる「配分」の問題に・接近 しようとして,なにかそれを「価値規定」と別個の次元で取り扱おうとかんが えるのなら,それは誤謬であり,そもそも『資本論.』の誤読であり,この問題 はきわめて簡単・自明である。問題ほ「価値法則」と「配分法則」以上におよ ぶ必要がなく,しかもこの両者は2に.して1であり,切りはなして別個にかん

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人間労働の対象化規定と分割規定 ・−ク9−・ がえようとすること自体が,おかしい。(2)さらにまた,資本制下では,「配分」 なるものの自立的意味を問うことほ決定的に無意味,いな,超歴史的経済本質 論への回帰意図もしくは傾斜をもつ点で有害でもある。・−−−ここでの反問はお そらくこの2形態に.要約できよう。$)しかし,このような反問は,それぞれただ しいか。本稿は,これらの反問の若干回答を準備する意味をふくめながら,上 記の課題に.向おうとするものであるが,もとより端緒的試みに.すぎない。しか し,反問への全般的回答の視野のために,とりいそぎつぎのことをいい添えて おかなくて−はならない。 およそ「分割」とか「配分」の意味と実態に本格的に言及しようとすれば, 当然ながらマルクス自身の用語法に即しつつ,資本制生産の諸過程の諸局面に 具体的軋たち入ったかたちでの検討が,本来ぜひとも必要な牲ずである。第1 に.,直接的生産過程における剰余価値法則の成立と貫徹に.ともない定立される 賃金の範疇,また,総過程のうを紅剰余価値の分裂諸形態として定立される利 潤・利子・地代の諸範疇−これらの所得諸範疇の形成は,国民所得を資本制 社会に独自な無政府的態様で「分割」したことになるわけであって,このこと が社会的分業を資本制に.特有な形態で規定するであろう。したがって,総じて

所得の分配ほ,人間の労働の社会的配分の1局面に他ならないであろう。4)ここ

ではあきらかに価値法則が,ないし価値的契機が,所得諸範疇の分割を規制 し,ひいては人間労働の分割を規制している。上記の反問の意義ほ,以下の行 諭でふれる点のほか,たとえばこのような局面についてはまさに有効に看取さ れるのであって,社会的労働の資本制的な配分がなに.よりもまずこのような階 級的構造を大前提としていることを抜きに.しては理解されえない点が,留意さ 3)このような反問の2っの型は,筆者が経済理論学会(筍2回大会,1960年5月22日, 於,立教大学)でおこなった問題提起報告のさい,種々のかたちで接したものである。 4)英語djstributionでもドイツ語VeIteilungでも,またロVヤ語 pac叩eZteJIetⅢe でも,「分配」も「配分」も原語が同一・であることは注意の必要がある。もっとも,英 語では,変化があることは周知のとおり。両概念の区別を確立されたのは大熊信行氏で あった(参照,同氏,『経済本質論一配分と均衡∬』,第2版,同文館,1938年, とくに147−50ぺ・−ジ)。しかし,さらに大きくみれば,分配の問題は階級的な人間労働 配分の問題の1局面なのであることを,氏ほ気づかれているであろうか。

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ー1拍一− 香川大学経済学部 研究年報 1 J96ヱ れなぐてはならない。生きた男働と対象化された労働との分割比は,次記の技 術的条件をぺつとすれば,資本の利害に依存するが,しかもこの分割比が社会 的分業のありかたを,特殊な儲様において規制していることほ,あきらかであ る。社会主義社会での社会的分業と対比されるこのような“古い分業”の意昧 の解明をふくめて,以上の点のくわしい吟味が要請されているといえよう。 第2に.,資本制生産の過程では,質料的・技術的因果関係5)が,いわゆる2部 門分割をほじめ,種々の産業・職業の区分やこまかい生産工程の分割を,また 他方でほ生産の諸「要素」の組みあわせ,つまり生きた労働と種々の対象化さ ′れた労働との分割(上記の階級的・イ乱侶的条件をべつとして)を,物理的必然と して,規制するであろうし,これにおうじて具体的有用労働の質的・崖的区分 をもたらすであろうが,しかもその全体一有用諸労働の「生産力」の体系・−・ ほ,一方でほ大衆的消費にとって必要な諸消費財の貿と鼠によって対抗的に規 制されているし,同時に.他方では,かかる分割は資本の利益に反する部面につ いては採用されず,資本の利益に合致する箪囲に.おいて,ないしは価値実現上 の条件をこわさないかぎりにおいて,採用されるであろう。したがってこの局 面でほ,使用価値的契機は技術的契機と消費主体の「欲望」の側からの契機と に分裂しており,結局技術的分割契機と使用価値ニ「欲望」的分割契機とが, 価値法則の側からの体制的分割契機といわぼ8っ巴に重なりあって(この点, 後述),いわゆる「資力配分」を規制して−いるといえるであろう。ここでほ分割 規定は,多義的だし,その局面は別途詳細な吟味が必要とおもわれる。なお,こ の点に関連して注意してよいことは,かのソ運邦における「最適計画の理論」 5)技術的契機にもとづく社会的労働の分割ないし配分と欲望的契機にもとづくそれと の区別認識ほ,現代ソビ土卜経済学でもほっきりしていないようだが,マルクスもこの 点ほ腰†珠のようにおもわれる。これがアダム・スミ.スの分業論に遡ること,スミスの分 業論における「労働分割」divisionoflabouIがじつほ生産力視点からの技術的な労働 分割と社会的労働の自然的配分との2義をふくむことを指摘したのも,大熊信行氏であ る。ただし,後者を氏は主体的契機にもとづく配分としてではなく,これをただちに配 分の自然均衡的結果として理解されている。しかし,もしこの点をも一つと論理的に押し つめられるなら,均衡原理の背後にある配分規定の2契機こそが,な紅よりもまず厳密 に別出・規定されなければならないのではないか。均衡論は現象分析として,交換価値 から出発すべきものであろう。この点 後述。参照,同氏り上掲沓,109−174ぺ一一汐。

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人間労働の対象化規定と分割規定 −∂ユ ー とか,近代経済学者のいうリニア・プログラミングとかほ,価値的契機および 使用価イ直ニニ「欲望」的契機の両面からくる諸条件を所与とした場合の,技術的 最適条件もしくはその価値のター・ムへの転換物を求めるものにすぎず,けっし てかならずしもいわゆる「資力配分」の包托的観察ではないらしいということ である。6)

第8に.,資本制生産のなかで競争が価値法則とならんで資本の無政府的「配

分」に.あずかるという局面の意味もまた,重要であり,マルクスも示唆するよ うに,7)競争は,すくなくとも価値法則とはちがった根拠から,資本ないし資 金の社会的配分を規定するわけであろうが,この局面や,また利子生み資本と 機能資本との社会的分割の局面など,一L般に完成された物神的主体としての社 会的総資本がみずからを分割する態様に.かんし,資本そのものの使用価値表象 をめぐって,高次の意味での使用価値的契機の規定作用を論定することがかん がえられるが,この点の吟味も,なおその他の諸点とともに,ぺつの機にゆず らなぐてはならない。 本稿でほ,これらの資本制生産の諸過程内部での高次の「配分」問題の分岐 状況への視野を念頭におきつつも,論点をむしろ根本出発点に限定し,商品論 の局面およびそれの理解濫必要な最少限での広義の経済の基本諸局面に/注意を しぼって,まず『資本論』の商品論の要旨を確認してから, つぎの諸基本論 点,すなわち,第1論点:「価値規定」・一・般の本義は,結局人間労働の対象化 規定−\般に他ならないが,そのあらわれかたは弁証法的に多義的であり,とく 6)「最適計画の理論」の発展と現段階に.ついては,つぎのすぐれた邦文紹介をみよ。有 木宗一郎,「討画理論と価値理論」,『経済評論』,1960年11月号,および同氏,「ソビエ =汁画理論の一側面」,軒下関南経論集』,61年3月号。 7)「競争が社会類本をあい異なる捷産部面間に配分して,各部面における生感価格が, 中位的構成の部面に.おける生産価格にならって形成されるようになる。」(βα・S Kabital,M,−E.・L−Ⅰ”Ausg‖,BdいⅠⅠⅠ,S.198.長谷部訳,背水文雄版,弟9分冊,260ぺ −ジ。)「近代社会ほ,労働の配分についてほ,自由競争以外になんの規制も権威も,も たない。」(DasElendderP翫losゆhie,Kap2,§2・・訳文は筆者。山村訳がVerteilung を「分配」とし〔岩波文雄,150ぺ・−i>l〕,大熊氏の引用文がdiemoderneGesellschaft を「近世社会」としている〔上掲督,158ぺ一汐〕のは,いずれも小さくない不注意で ある。)

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香川大学経済学部 研究年報 1 J96ヱ −β2− に商品の価値規定では,かかる人間労働がとくに交換を媒介として商品価値に 独自に対象化されること。第2論点:人間労働の対象化規定ほ,人間労働の分 割(配分)の客体化形式となるが,分割(配分)規定そのものではなく,後者は固 有の本質的2契機,すなわち主体的および技術的契機に.よって定立するもので あること。第8論点:人間労働の分割(配分)のありかたは,本質的2契機のあ らわれかたに.より,またとくに資本制生産では価値法則の自立的展開にもとづ く諸条件により,多義的であり,とくに資本制生産のもとでほ.,原則として非 自立的となること。一一以上の8論点をあきらかにすることに,作業を限定し たいとおもう。 ⅠⅠ 正確を期するため,われわれはあらかじめ『資本論』の第i巻第1華南晶論 の要旨を反省し,とくに使用価値と価値との対応脈絡を確認することから,は じめたい。8) 周知のようにマルクスほ,そこで商革の二者斗争的な性格(使用価値および 交換価値)を,商品で表示する労働の二重性格(具体的有用労働と抽象的人間労 働)との不可分な関連において,分析している。すなわち,マルクスによれば, 商品ほまず,一−▲面では有用労働としてほ,その商品体によって実存するところ の使用価値もしくは財であり,この使用価値は「富の社会的形態がどうあろう ともその富の質料的内容をなす」ものとして,質的規定(種々の有用な属性の 定立)と量的規定(諸有用物とその鼻とその尺度の,定立)とを,もつのだが,こ のような使用価値は,1の特殊な欲望をみたすものとして存在し,「それをつく ●●●●●●●●●● りだすために.ほ,ある−▲定種類の生産的活動が必要である。との活動は,それ の目的・作業様式・対象・手段および結果によって規定されている。」マルク スによれば,このような質的に異なる使用価値の定在を媒介する活動,もしく は労働が,「有用労働」である。こうして,種々の人間欲望・種々の使用価値 8)本節での以下の引用はすぺて,Das L(bPital,Bd・Ⅰ,M。−E小一L−Il・Ausg=,SS39−85, 青木文樺版,第1分冊,113−182ぺ一一汐 ,による。

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人間労働の対象化規定と分割規定 −∂3− に対応する種々の有用労働の質的区別と自然的配置は,おのずから社会的分業 をもたらす。「どの商品の使用価値のうちに.も,ある一兎の合目的的・生産的 活動,もしくは有用労働がふくまれて−いる。諸使用佃イ直ほ,質的に.異る有用諸 労動がそれのうちにふくまれているのでなければ,商品として対応しあうこと ができない。」 つまり,「上衣や亜麻布のような,天然には現存しない質料的富のあらゆる 要素の走在」は,つねに.このような有用労働,つまり,「特殊的な自然質料を 人間の特殊的な欲望に適合させるところの,ある特殊的な,合目的的・生産的 な,活動」によって媒介されざるをえない。「だから労働は,」とマルクスはい

う,「諸使用価値の産みの母として−は,有用労働としてほ,人間の,どんな社

会形態とも係わりのない1生存条件であり,人間と自然との問の質料変換,つ まり人間の生活を媒介するための永久的な自然的必然である。」 ところが他面でほ,商品は歴史的な「富の社会的形態」の原子的存在として は,その使用価値を媒体として,可能な多様の諸交換価値の質料的担い手とな

っている。しかもマルクスによれぼ,その諸交換価値そのものは,交換関係に

おける諸使用価値ないし諸属性の必然的な捨象をつうじ,おのずから「1つの 同等なもの」を表現するほずであり,諸交換価値は,その1つ1つとほ区別さ れるところの,ある共通者,ある第三者,ある内実の「必然的な」表現様式・ 現象形態でなければならず,この,商品の交換関係あるいほ交換価値において

表示するところの共通者が,商品の価値である。

このような商品の価値がなんらかの必然的実体であるなら,それはもはや商 品のあらゆる有用な諸属性やそれぞれ特殊な有用諸労働から導くことはでき ず,ただ人間労働力の支出一・般の凝結物,つまり抽象的人間労働の対象化物と してのみ,質的に−ただし,「貿のどんづまり」ohneWeitereQualitatとし

●● て−規定されるはかほない。こうして,「ある使用価値または財がある価値

をもつのは,それのうちに抽象的人間労働が対象化またほ物質化されているか

らに他ならない。」同時に.,価値の鼠的規定ほ,このような抽象的人間労働の 平均的・社会的に必要な時間的継続の度量(社会的必要労働時間)によって, あたえられることに.なる。もっとも,商品のこのような「価値対象性.」は,そ れが「純粋に社会的なもの」(人間労働という同⊥・の社会的単位の表現)である

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香川大学経済学部 研究年報1 ∫96」 一助仁一 かぎり,1商品でほ自立するわけに.はいかず,ただ商品と商品との社会的関係 (じつぼ,人間と人間との社会関係)においてのみ,現象しうることほもろちん であって,ここから価値形態が必然的に展開することになり,そこに.はじめ て,まず商品そのものの物神的自立化,ついで貨幣の,ひいてほ資本の物神的 自立過程が,踵を接して跡づけられることとなる。そしてまた,価値は,終始

不断に使用価値二質料をとおして実現する−・方,その表現様式たる交換比率,

すなわら交換価値とな.)て現象し,価格へと接近しなければならないわけであ

る。9) ⅠⅠⅠ ≪第1論点。一価値規定の本義は,人間労働の対象化規定たる点にある。≫ 以上で辿った商品論の要点に沿うて,筆名が問題としたい第1の基本論点の 足がかりは,とくに後半の文脈部分紅ついて,「抽象的人間労働」や「商品の 価値対象性_Jの独自さが,どこからくるかということ,ひいてほ,一−・体「価値 規定」とほなにか,ということである。なぜなら,この重要な「価値規定」と いう語ほ,商品の,したがって「価値」の,登場しない場面に.も登場するよう に.おもわれ,マルクスのこの語についての合意はかならずしも一義的ではない ようにみえるからである。もちろん直接の問題は,「富の社会的形態」の構成

原子としての商品の性格,つまり,交換を媒介とする商品価値の質的・鼠的・

社会的な規定性の独自さにある。そこでまず,「抽象的人間労働」とは,本来 自然的・生理的事実に.他ならぬところの,人間労働力一・般の支出ということ自 9)「交換価値」なるものほ,交換にさいしての価億の表現様式もしくほ現象形態であり, その意味で使用価値と価値の統叫・物たる性貿をもつところの交換比率である。交換比率 ということほ,社会的分業を契機とし,交換を媒介として,社会的労働が自動的に.分割

もしくほ配分された状態の,第1の現象形態に他ならないであろう。したがって,配分

の現象形態の問題として,交換価値の吟味は始原的に不可欠であろう。ただ本稿は,む

しろ人間労働の分割もしくは配分の根本規定自体の吟味に課題を限定しなければなら ず,配分の項象形態論は.,配分均衡の問題もふくめ,ぺつの機会にゆずりたいとおもう。

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人間労働の対象化規定と分割規定 ー ∂5− 体かといえば,そうでほないであろ・う。なぜなら,交換を媒介としてほじめ て,人間労働力の支出は「抽象的人間労働」となるからである。また,「抽象 的人間労働」の「対象化」・「物質化」ということは,本来それ自身は自然的事 実にイ也ならぬところの人間労働力の支出が,直接に・物理的に,商品に「対象 化」・「物質化」されるということかといえは,そうでほないであろう。交換 が,決定的な媒介項である。 この点ほ,マルクスが「商品の物神的性格」として指示した論点に即して理 解できるとおもわれる。「人々が彼等の労働諸生産物を諸価値として相互に連 関させるのは,これらの物象が彼等にとって同等な種類の・人間的な・労働の ●●●●●●●● 単なる物象的外被として意義をもつからでほない。その逆である。かれらほ, かれらの相異なる種類の諸生産物を交換において諸価値として相互に等置する ことにより,かれらのあい異なる諸労働を人間労働として相互に等置する。か

れらはそれを意識してはいないが,しかしかれらはかく行うのである。」】0)っま

り,この場合の人間労働の「対象化」・「物肇化」の意味は,交換を媒介として はじめて抽象的人間労働となるところの労働力支出が,(1)商品体が担うところ の価値へ,(2)その価値の大いさへ,とそれぞれ質的および嵐的に対象化され, (3)また最後に,総労働にたいする生産者たち,つまり労働支出者たち自身の社 会的関係が,価値を担う労働生産物相互の「社会的」関係へと,対象化され る,ということを,さしているわけである。「商品の価値対象性」というのは, このような状況をさすものとおもわれる。この点は,後段(iii)で吟味するが, あらかじめこの脈絡を念頭におきながら,以下「価値規定」といわれているも のの意味を,視野を拡げたかたちで検討したい。まず順序として,価値規定の 「内容」といわれているものの志味を,かんがえておきたい。 (i)価値規定の「内容」 ここで想起されるのは,マルクスが上述にわれわれの引用したクーーゲルマン への手紙(1868年7月11日付うで,俗語としての「交換価値」の意味を「価値」 にひきなおしながら,それが「労働の比例的配分が1つの社会的状況〔商品生産 10)仇持月初坤初∴別Ⅰ,S・・79青木版,男1分冊,1L75ぺ−ジ0

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香川大学経済学部 研究年報1 −∂6− ヱ96J フォルム 一木村〕紅おいて自己を貫徹するところの形式」11)だと説明していることであ

る。これを逆紅とれほ,「価値」の内容は,「労働の比例的配分」だといえそ

うである。しかし,これほ.じつはそれに先だつ文脈w諸欲望に対応した社会 的労働の配分の説明■−との対応で,特殊な意味をあわせて導入しているわけ であって,本来,価値ほ.欲望・使用価値といった主体的諸関連を,すべて排除 した概念なのだから,このマルクスの表現ほ.,じつはまったく異質な2っの規 定の相互関連(ないし部分的患宜関係)を述べたものなのであって(この点,後 述),価値の論理的内容そのものは,かならずしも労働配分である必要がない。 では,価値の論理的内容とは.,な紅か。マルクスは,これを人間労働力の支出 ●●●● そのものとして,明示している。「商品の価値は人間労働それ自体を,人間労 働〔力:ト・般の支出を,表示する。」ユ2)「諸価侶の実体をなす労働は.,同等な人間 労働であり,おなじ人間労働力の支出である。」1$)

しかしながら留意すべきことは,このような価値の内容,したがってまたそ

れからでてくる価値規定(それがなんであれ)の内容ほ,普遍的なものであ.って, かかる内容が価値規定そのものを独自ならしめるのではないことほ,かかる内 容が商品価値∵を独自な・らしめないのと同様であろ・う。すなわら,まず,どんな 人間労働も,しばらくその有用な具体的諸形態を捨象すれば,すべて「人間有 機体の諸機能」として,「人間労働力ーー般の支出」として,「人間の脳髄・筋 肉・神経・手などの生産的支出」14)に他ならないということは,普遍的かつ客体 的な兵理である。さらにまた,人間が生活手段の投得のために,その生活手段 が商品になっていようと否とを問わず,かかるものとしての労働(労働力の支 出)の時間的継続,すなわち人間労働の鼠に1娼ノL、をもつことも,おなじく普遍 的(千超商品的)事実であるだろう。また,人間が複数の存在として,社会的生 産に参加し,たがいに労働の分割をおこなうということ(社会的分業)も,けっ して商品だけのための独白な条件ではなく,交換がおこなわれようと否とを問 わず,人間労働が社会的であるかぎりほ,社会的分業ほ商品やその価値規定に.

11)Marx uL Engels,Briefeiiber参Das Kapiial<,Dietz,S。185.

12)伽J凡妙∠JαJ,Bd“I,S」49小 斉木版,第1分冊,127ページ。 13)S43∴落水版,同分1肘,120ぺ−汐。

(13)

人間労働の対象化規定と分割規定 −∂7−

先だって存在しているわけである。「商品の神秘的性格は,価値諸規定の

内容から生ずるのでもない。け■たし,第1に,有用諸労働または生産的諸活動 がいかにあい異なっていようとも,それらほ人間的有機体の諸機能であるとい うこと,および、かかる機能はいずれも,その内容や形式がどうあろうとも,

本質的に.ほ人間の脳髄・神経・筋肉・感官などの支出であるということは,

●●●● 1の生理学的真理である。第2に.,価値の大いさの規定の基礎をなすもの,す なわち,右の支出の時間的継続,または労働の鼠についてい.えは,この鼠は, 感覚的にも労働の質から区別されうるものである。どんな状態のもとでも,人 間は,・一発展諸段階の相違するのに.つれておなじ度合いにではなかったが,

岬一生席亭段の生産に要費する労働時間に.関心をもたねばならなかった。最後

に,人々がなんらかの様式で相互のために労働しあうや否や,かれらの労働も また,1の社会的形態を受けとるのである。」15) このように,「価値規定」が商品に独白な神秘的な性格をあたえるのほ,人

間労働力の支出やその時間的継続や,その社会的形態といった,魂ずからの内

容においででは,ない。この文脈にかんするかぎり,「価値規定」なるものは,

その内容において普遍的なものである。価値規定ほその内容において,人間労

働一・般が生活手段生産のため紅必須であるかぎり,かかる人間労働の客体的側 面紅かんする普遍的・生理学的な必然性に他ならないわけで,こういった内容 は,商品範疇の媒介をけっして必要とすることなし紅,質的・巌的・社会的な 規定性をふくむことができるわけである。 しかし,内容は内容たるだけでは,現実性を獲得することができない。それ は.しかし,人間・自然間の物質的代謝を完遂するための対象をぜひとも狸得し て自己を実現しなければならない。対象として労働生産物があたえられるとす れば,いまや対象化の規定が必然的となる。 (ii)価値規定の広義の理解について だがわれわれほ,以上の価値規定の「内容」の意昧と,その対象化の必然性 とを確認したうえで,ただちに商品にかんする価値規定の意味を問うまえに, 15)S.77。同分一肌171ぺノージ。

(14)

香川大学経済学部 研究年報1 − ざざ −− J96J つぎの場合を検討したい。交換がなく,したがって商品範囁が存在しない場合, 社会的生産における「抽象的人間労働」(以下,略して「人間労働」と呼ぶ)1¢) の対象化ということが,ありうるだろうか。その場合に.は,具体的有用労働に 担われての人間労働力の支出ほ.あり,また,これに呼応して物理的に労働生産 物が産出されるとしても,交換の場合に成立するような意味での抽象的人間労 働という範鴫ほ成立しないから,価値範疇もないはずであり,交換ないし価値 を媒介とする意味での抽象的人間労働の対象化というものは,ありえないだろ うと推定される。 しかし他面でほ,その場合に.も具体的有用労働は実存し,かつそれに担われ ての人間労働力の支出ほ,質的にも品的に.も,また社会的にも(総労働と.して), 成立し,またそれと比例的に(もしくほ順相関的に)労働生産物が現実に.産出さ れるのだから,いまや内容は対象を獲得して実現可能となる。人間労働の対象 化ほ,ここに現実化する。仮定した事情のもとでは,人間労働力の支出そのも のが,直接に,もしくは直接に社会的に,つまり抽象的人間労働という範疇の 媒介を経ないで,すぐさま労働生産物に客体的に「対象化」されるのだと,い ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

● えよう。これほ.,ノいわばきわめて簡単な意味での人間労働の対象化規定に他な

るまい。「対象化」というのは.,生産的労働が,それに.おうずるだけの労働生 産物を生み,したがってそれにみずからをあらわし,物質化させている,とい うことである。(なお,この頃合,じつほ同時に,具体的有用諸労働の質的・ 還的・社会的区分が伴っており,この区分とかかる具体的有用諸労働の「生産 力」17)とにおうじて,かかる人間労働の対象化は,同時に人間労働の配分もしく は分割が客体化する形式でもあるのだが,しかしこの局面ほ当面の論点と峻別 16)「抽象的・人間的男働(abstrakt−menSChlicheArbeit),抽象的労働(abstrakte Arbeit)というわけは,…労働の,規定された・有用な・具体的な・性格が捨象され るからであり,人間的ぷ働(menschlicheArbeit)というわけは,労働はここでは,人 間的男働カー般の支出としてのみ引算にはいるからである。」(『資本論』,初版の付録。 背木版,罪1分冊,118ページから司引。)語呂の関係で,本稿では「人間的労働」のか わりに「人間労働_!としてみた。 17)「生産力」がも/)ばら具体的有岡労働乾かんする物理・質料的概念であることについ ては,βαゞぬ♪ifαJ,Bd・・Ⅰ,S・・51苗木版,第1分=侶130−31ぺ」−汐。

(15)

人間労働の対象化規定と分割規定 −β9 − すべく,その局面についてほ後段で吟味する。) ■●●●●● ところで,このようなものとしての人間労働の直接的対象化規定は,たんな る形式論理上の抽象でほなく,−L般に共同体的生産の種々の形態が前提される 場合に,歴史的にも論理的にも、検証されるであろうとおもわれる。 またこのことほ.,1歩をすすめて,かりに社会的生産を前提とせずとも,す なわち生産的労働をおこなう生活個体の即自的労働力にかんしても,一般に提 言しうるような,自然法則的(ということは,生理学的ないし物質代謝的)必然 でもあるはずである。18)だから,交換を経由して迂回的に.であろうと,あるいほ 生活個体について即自的にであろうと,あるいは.共同体的に直接的にであろう とを問わず,−一般に.そこに.共通な1つの規定隆一いわば,山・種の自然法則と しての人間労働の対象化規定一・般が,もっとも抽象的な意味で;みとめられる こと軋なる。異種の労働生産物を比較するための次元が,これによってあたえ られ,労働時間がその比較を遠的に可能にする。 もっともマルクスほ,このような自然法則的意味および共同体的生産下での 歴史法則的意味での人間労働の対象化一般については.,大抵むしろ直接にその 作用面を人間労働の「配分」の規定の問題と−・緒にして述べるにとどまり,そ ういう場合に人間労働の対象化の事実と,その作用面と,配分の契機という3 者の関係についてあらためて説明をくわえるといったことはしていないようだ し,経済学批判の見地からすれほそれほ当然のことでもあるが,しかしかれ は,若干の慎重な指示を怠ってはいないとおもわれる。 たとえばマルクスほ,ロビンソン・クル−ソーが,じつほやがて母国帰還を 予想する18齢己型イギリス市民の典型に他ならぬことを洞察しながらも,しば らく俗流経済宇の好みに.したがい,さしあたり「商品生産」でほない「他の生 産諸形態」の筆頭としてロビンソン経済を論じ,19)「ロビンソンとその手製の富 たる諸物との間の一い切の関連」のうちに・,「価値の一切の本質的な諸規定」が 18)「経済」またほ「 ̄社会」のなかでの「自然」をどう解するかが,問題である。経済の なかにある生理学的・質料変換的事実の自然法則性をみとめることほ,それをどうただ しく社会科学的方法によって受けとめるかということとは,ま1つたくべつである。 19)前掲拙稿何でのマルクスのロビンソン経消分析の検討濫つき,「社会」についての過 剰解釈があった点を,反省したいとおもう。

(16)

香川大学経済学部 研究年報1 J夕6ヱ ・−9∂一 ふくまれていることを,みとめているが,20)有用労働の関連が「価値」と無関係 なかぎりは,自然法則的必然としての,人間労働の対象化の「諸規定」が言及 されているものと解して−よいであろう。すくなくとも,賀的・屋的の両規定が 指示されていることは明瞭である。「一切の」というときに」は,論理上,質的 ・量的の2規定のみでなく社会的規定もふくめられなくてはならないが,俗流 的仮設(瓢立入=ロビンソン)を超えて,ロビンソン経済のなかにじつほ18世紀 イギリス市民社会の諸条件が潜入していることを,マルクスはこの一一言によっ て洞察的に表現したものと,筆者ほ解したい。 また,『資本論』罪3巻第49章の末尾で,マルクスが,レ.ユトルセ批判に.関連 して,「資本制生産様式の止揚後」に.おけるr ̄価値規定」の重要性の存続につい て語った命題21)も,やはり主体的労働配分への作用の問題紅からませているた めに大いに.曖昧ではあるのだが,ともかく共同体的生産の最高の歴史的形態の もとでの,社会的労働の直接的な対象化の必然性を「価値規定」という語で表 現、したものと,筆者はかんがえる。 そこでわれわれほ第1に,マルクスの用語法ではかならずしも明文上ははっ きりしない点があるに.せよ,かれの押しすすめる論理の帰結として,「価値規 定」−L般なるものがじつは人間労働の対象化規定一般として即自的に慮立され ているものと推論しうると同時に,第2に,つぎの弁証法的な多義性について の識別−すなわち,(A)価値現定がどんな形態であるにせよ,その普遍的

内容一・般(人間労働力の支出−・般)の定立。(B)そのような内容が物質的代

謝を完遂すべく実現するため紅必然的なものとしての3重の対象化,すなわち (1)もっとも抽象的もしくぼ始原的な即生活個体的な自然法別としての,すなわ 20)ββ・ゞだ(ゆ去≠βJ,Bd.Ⅰ,Sい82..背水文膵版,第1分冊,178−9ぺ−・汐。 21)「資本制生産様式の止揚後も,社会的生産が維持されておれほ,価値規定(Wertbe− Stimmung)は,つぎの意味,すなわち,労働鳩間の規制,およびあい異なる諸生産群 のあいだでの社会的労働の配分しVerteilung),最後にはこれら一こかんする簿記が,従来 よりも重要となるという意味で,依然として重きをなす。」BdⅠⅠⅠ,Sり907.青木版,第 13分冊,1200ぺ−ジ。いってみれば,マルクスのこの指示と,他方たとえばエンゲルス の『反デェ.−・リング論』での「例の有名なぃ価値”のおせわを受けないでも」という指 示との関係が,問題なのである。参照,マル=エソ選集,罪14巻,515ぺ−ジ。

(17)

人間労働の対象化規定と分割規定 ・一別仁一 ち人間労働力支出の対象化規定一般としての,「価値規定」。(2)共同体生産下で の,人間労働の直接的に.社会的な対象化規定としての,1種の歴史的「価値規 定」。(3)狭義の,すなわち商品に固有な意味での,つまり間接的・迂回的にの み社会的な,対象化規定としての,1種の歴史的「価値規定」。一以上の識別 をおこなうことがぜひ必要とおもわれる。さしあたりわれわれに・と?て重要な のは,(B)の(3)の商品の「価値規定」を他の局面での価値規定から弁別する ことであるが,この狭義の,商品に.固有な意味での「価値規定」に.おいて,人 間労働の対象化規定ほ,特殊に,つまり物神的に,厳密な形態を受けるものと かんがえられるのである。そこで以下,とくに商品の価値規定の特質について 考察しよう。 (iii)商品価値規定の意儀一交換を媒介とする商品価値への人間労働の対 象化 商品に固有な意味での「価値規定」とは.,いうまでもなく,マルクスが「価 値としての諸使用対象の規定」22)とか,またとくに屈的に.は,「1商品の価値が それの生産中に支出された労働の分鼠に.よって規定されている」23)とか,「商品 の生産に/おいて支出された労働の分量による価値の規定」,24)「労働時間に.よる 価値の規定」25)といった表現で,指示しているものである。また,とくにこの鼠 的側面を,資本制生産の発展した諸局面のもとでの経済的諸星の決定の理論の 次元において1個の必然性として指示する場合,これをマルクスは「価値法則」 と呼んでいるのでほないかと解されるのである。だが「価値法則」は.,もち ろんその成立根拠からいつて,商品価値の質的・社会的両規定を内臓している 22)BdⅠ,S…80‘第1分冊,175ぺ−ジ 。なお,つぎの周知の命題の用語法に注志した ●●●■●■●●●●■●●●●●●●

い。「1…偶然的でつねに動揺している私的諸労働の諸生産物の諸々の交換関係におい

ては,それらの生産のため社会的に必要な男働時間が,たとえば家が頭上にくずれ落ち る場合の重力の法則のように,規制的な自然法則として暴力的に自己を買徹する」 (Bd.Ⅰ,SS.80−81」背木版,第1分冊176ぺ」一汐)。 23)Bd.Ⅰ,S‘43第1分冊,119ぺ−汐。 24)Bd.Ⅰ,S・51(n.16)・欝1分柑,132ページ。 25)Bdl.ⅠⅠⅠ,S.235.第9分冊,308ぺ−ジ。

(18)

香川大学経済学部 研究年報1 J.96ヱ ー92−− わけなのであり,文脈によっては質的・社会的規定をもふくめた商品価値規定 そのものとしてかんがえるべき場合が多いであろう。しかしいずれにしても, ここでの「価値規定」なり「価値法則」は,交換を契機とする,商品に個有な 意味でのそれであって,前述したような普遍的内容とか,自然法則的および直 接社会的な対象化とかを,さすのでほない。はじめから社会的に同等な人間労 働があつてそれがすぐ直接に労働生産物に対象化され,かくして労働生産物が ほじめから人間労働の「物象的外被」だ,というのでは,けっしてない。逆に, 交換によってはじめて−,錯綜した価値形態の表現手続きを経ながら,人間労働 の対象化が定立されるのであり,また,価値形態の開展とともに,この対象化 もけっして静止しないで,自立的展開をとげるわけである。そしてまたこのゆ えに.こそ,貨幣・資本の登場が導かれ,「資本制生産の基礎上ではじめて自由 に発展する価値法則」26)とその「貫徹」が,みられるのである。 そこで,このような商品に固有な意味での「価値規定」の本義とそのありか たも,いまやすでに見当づけられるのであるが,この点をマルクスほ,「商品 の物神的性格」分析と不可分なかたちで,交換による人間労働の特殊な対象化 ●●●● の規定として解示しているようにおもわれる。「労働生産物が商品形態をとる や否や生ずる労働生産物の謎的性格は,どこから生ずるか。あきらかに,この 形態そのものからである。人間の諸労働の同等性は,労働諮生産物の同等な価 値対象性という物象的形態を受けとり,人間労働力の支出の,その時閏的継続 による慶長は,労働諸生産物の価値の大いさという形態を受けとり,最後に, 生産者たちの諸労働のかの社会的諸規定がそこで実証されるかれらの諸関係 ほ,労働諸生産物の社.会的関係という形態を受けとる。」27) つまり,第1に,このような対象化過程の全体は,けっして,商品白身にふ くまれる人間労働がこの商品に直接・無媒介に対象化するということでは,な い。この対象化は,交換を絶対的条件として−,もしくは唯一の契機として,迂 回的に,はじめて成就する。商品の謎的性格もまた,まさにそこに由来する。 第2に,その対象化過程は,質的・完的・社会的の3垂側面をもつ。すなわち, 26)BdいⅠ,S561・第3分m‡,840ぺ一汐。 27)Bd..Ⅰ,S.77、欝1分恥172ぺ−ジ。

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人間労働の対象化規定と分野■規定 こ−93− 「価侶としての諸使用対象の規定」の構造ほ,交換を契機としての,、(1)商品体が 担うところの価値への人間労働の質的対象イヒ。(2価値の大いさへの人間労動力 支出の時間=崖的対象化。(3)最後に,価値を担う労働諸生産牧間の恕会的関係 への, 生産者たちの「総労働にたいする租会的関係」の対象化(つまり,「商品 を生産する労働の独自な社会的性格」の追加紅よる「2蚤な社会的性格」28)の成 立)。という,3毒の対象化構造のことに他ならない。これを総托すれば結局, 人間的脈絡と物的脈絡との「交替」,29)っまり物神化規定そのものということに なる。ただ即日的に.いえば,商品の価値規定は,このような のものをさすのにたいし,商品の「物神性」は,むしろこの対象化過程の,社 会的強制へまでの自立的発展性をさすものだといえよう。 かくて「価値規定」なるものほ,その狭義に.おいては,とくに「価値として の諸使用対象の規定」として,商品に関連してのみ理解される。このとき,も はやたんに眉然的・生理学的内容(人間労働力の支出)の対象化の必然性・−・般と

いうことを超えて,それ自身,言語と同様,人間の実践的な「社会的生産物」

として,商品価値の質的・還的・社会的な自立性(物神性)を裏づけるための, 交換を媒介とした人間労働の実践的対象化の規定という意味を,担うことに.な ●■●●●●●●● る。だから,ごく簡単にし、えば,狭義の「価値規定」ほ,商品への人間労働の 対象化規定に他ならない。厳密には,さきに・推論した価値規定の他の種々の意 味から区別して,これを「商品価値規定」と呼ぶのが,明確だろう。 (iv)イ剛直規定の弁証法的意味構造 こうして,大きくいえば「価値(諸う規定」なるものは,マルクス紅おいては 多義的な,弁証法的な意味をもつ。第1の始原的意味でほ,それは,即生活個 体的な人間労働力支出−・般が生活手段の生産のためにあるかぎり,自然=人間 の物質代謝の必然から来るところのかかる人間男働力支出という内容を実現さ せる自然法則として,この普遍的・生理学的内容の,盲.受社会的もしくほ社会的 な,対象化規定一般に他ならない。かりに社会的条件を受けとる場合でも,こ 28)Bdr,S・79.第1分冊,174ペ−ジ。 29)Bd…Ⅰ,S78第1分冊,172ぺ一汐

(20)

J96ヱ 香川大学経済学部 研究年報1 −94− こではたんに.それだけのものとして,それは人間労働の社会的生産物への対象 化一L般の物理的・質料変換的自然法則面であって,歴史を超えた規定であり, それだけに.きわめて抽象的なものにすぎない。ここでほもちろん,商品範疇の 媒介は問題に.ならない。第2の意味,すなわち種々の形態の共同体的生産とい う特殊歴史的社会条件のもとでは,価値規定ほ人間労働の直接に社会的な対象 化規定としてのみ,意味をもつ。それほ,この社会のもとでの人間労働の直接 に社会的な性格と,生産関係のさらに種々なありかたとをほなれてほ,存立し えない。しかし第3の意味でほ,すなわち商品生産という特殊歴史的社会条件 のもとでほ,価値規定とは,人間労働の普遍的・生理学的内容が特殊社会的に 商品=「価値としての諸使用対象」に物象化され,これによって人間労働自身 が特殊社会的意味を帯びるということの必然性をさす。これは,商品範疇およ び交換なくしては成立しえない規定である。そしてひとりこの第∂の意味にお いてのみ,人間労働の物象化・対象化が自立的発展をとげ,それが「価値法則」 に他ならないということは,すでにみたとおりである。 以上のように,価値規定ほ,その抽象的・自然法則的出発点において−,また 社会史の弁証法的展開のうえでは逐次種々の特殊歴史的事情に応じて種々の特 殊な意味をもつものとしてのみ存在するという点で,総じて弁証法的に・多義的 なものだということができるであろう。しかしそれにもかかわらず,その意味 関連の総体は論理的には明瞭であって,けっして曖昧なものでほないことが, 看取されるであろう。だがまた,価値規定の以上の意味構造は,その作用面と 区別される必要があり,この作用面があらためて検討されなぐてはならない。 ところですでに見当づけられるのだが,価値規定の作用の領域ほ,使用価値的 関連を中心としたいわゆる「配分」ないし「分割」の世界のように・おもわれ る。そこで以下,その局面へ視点を移し,第2の基本論点にすすみたい。 ⅠⅤ ≪第2論点。・−¶一人間労働の対象化規定は,その作用面紅おいて,人間労働 配分の客体的形式となり,かつ,労働時間を規制し,その配分に参与するが, 配分規定そのものではない。−−−一人間労働の分割(配分)の本質的2契機。≫

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人間労働の対象化規定と分割規定 −95− われわれが第1論点において「佃イ適規定」の弁証法的な,その意味で多義的 な構造を検討したときに,あわせて気づかれ、たことほ,価イ直規定が純粋に.客体

的な規定として,根本に.おいては内容=人間労働の対象化規定であると同時

に,派生的にほ,人間労働そ・のものの分割ないし配分をも,内容としうるとい うことであった。でほ,人間労働の分割とか配分という事態そのものは.,・一一般 ●●●●● 的に.いって,・一体なに/を意味するか。また,さしあたり人間労働の純粋に客体

的な対象化ということがどんな意味で人間労働の配分に.交渉しうるのか。

生活個体たる人間の私的労働は,即自的には,なに.よりもまず種々の具体的 有用労働の集魂である。なぜ種々の具体的有用労働が必要とされるかは,一方 では人間個体の主体的な必要ないし欲望の関連によって,他方では物理的・生 産技術的な関連によって,規定されるであろう。その条件下で,具体的有用労 働の質的・量的区分が成立するであろう。しかし,人間が社会的存在として, 私的労働の総体を社会的労働たらしめ,なんらかの様式で相互のために.労働し ●●●●● あうや否や,すなわち社会的分業が成立するや否や,具体的有用労働は質的・ 最的区分のみならず,社会的分業に.もとづく社会的区分をも,もつに.いたるで あろう。これほ,商品が登場しようと否とを問わず,「労働の社会的分割」と して,成立することである(「商品生産ほ社会的分業の実存条件ではない」30〉)。 種々の具体的有用労働としての人間労働のこのような質的・量的・社会的区分 が,もっぱら使用価値および有用労働の関連から生じ,けっして価値関連とは 関係がないことは,あきらかである。そしてまた,とくに諸使用価値たる労働 諸生産物のそれぞれと,それを生みだす個々の具体的有用労働との,鼠的関連 が,かかる有用労働の「生産力」に.よって規定されることも,マルクスの指示 するとおりである。「生産力なるものは,もちろんつねに,有用な具体的労働 の生産力であって,事実上でほただ,あたえられた時間内に.おける合目的的・

生産的活動の作用度のみを規定するのである。生産力の変動は,価値で表

示される労働とは絶対的にまったく無関係である。」31) ところで他面では,人間労働は,即生活個体的に.も,社会的にも,人間労働 30)刀αゞ属七郎fαJ,Ed.Ⅰ,S.46レ頚木版,第1分冊,124ぺ−汐。 31)BdいⅠ,Sい51り青木版,第1分冊,130−131ぺ−ジ。いうまでもないが,具体的有用 労働の「生産力」の概念と,‘‘労働の生産性”の概念とは区別する必要がある。

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香川大学経済学部 研究年報1 ーー96・一 ユタ6ヱ 力の支出一・般であり,かかるものとしでその総還を即生酒個体的にも社会的に も生理的に規制されており,価値規建十・般にもとづいて−,使用価値(具体的有 用労働の生産物)に対象化する。そうすると,あらかじめあたえられたところ の(1)種々の有用労働の質的・鼠的・社会的区分と,(2)そのそれぞれの有用労働 の「生産力」とにもとづいて,必要な労働生産物の総蛍に向って放たれる人間 労働力支出の総鼠は,対象化の瞬間に,自動的にみずからを分割する,もしく ほ周己分することになる。われわれはここに,純粋に/客体的な意味での人間労働 の「配分」の事態をみいだす。 こうしてわれわれほ,それ自身ほ本来人間労働の対象化現定以外のなに.もの ●●●●●●● でもないほずの価値規定が,・−・定の条件に.支えられて,いまや人間労働の配分

に・参与しうる事情に直面することになる。これは,価値規定の作用の局面とし

て理解されるであろう。この作用局面は,(1)作用の具体的意味と,(2)作用の具 体的2側面について,展望されえよう。 (1)価値規定ほ,人間労働の客体的対象化規定なのであ.って,それ自身とし てほ(即自的には),人間労働を分割する契機を,すこしもふくんでいない。か かる分割の諸契機ほ,外からあたえられ,それにもとづいてほじめて人間労働 が分割される。他方,このような分割の外的諸契機確,所与の「生産力」をも ったところの種々の有用労働の区分の体系ということに表現されるだろうが, この区分物の1つ1つは,そのままでほけっしてまだ人間労働力の支出の分割 分でほ.ない。分割の契機自身ほ,分割の客体を,つまり人間労働力の支出とい う価値規定内容を,全然提供することができない。かかる内容は,価値規定そ かものがほじめてもちうるのである。つまり,分割の客体的素材を,価値規定 だけが,はじめてあたえるのだ。かくして価値規定(人間労働力の対象化規定) は,この関連では,人間労働の分割が客体化し,客観的鼠としての処理をゆる すための形式,簡単にいえば労働配分の客体化の形式たる概能をはたす,とい うことに・なる。だから,とくに商品価値規定もしくほ価値法則ほ.,交換を媒介 とする独自な対象化手続きによって,商品生産のもとでの配分の客体化形式と いう役目をもつことになる。 (2)だが,価値規定は,その作用の具体的側面では,労働配分の客体化形式 たることをつうじて,すすんで配分問題の局面に.2つの効果をもつとおもわれ

(23)

人間労働の対象化規定と分割規定 ー97− る。第1に.,対象化規定ほ,すでに所与の生活時間の山部分たる主体的労働時 間(この点,後述)にもとづき決められた−‖定の人間労働力の支出の総量を, 労働時間を尺度として,つまり結果としては客体的労働時間をば,始原的に規 制しているほずであるが,いま,分割の固有の諸契機に.もとずいて対象化物の 区分があたえられるときは,自動的に,各区分ごとの人間労働の対象化崖,つ まり区分された各労働時間をも,規制するであろう。こうして価値規定は一・般 に,労働時間を規制するという作用をもつq第2に・,かかる労働時間の規制を つうじて,人間労働の諸対象化物の区分そのものをほねかえ.って−均衡させ,こ の意味で,まさに配分そのものに参与しうるという作用をもつ。 さて,価値規定の作用についての以上の展望ほ.,もちろんごく一\般的な事項 たるにとどまるのであり,これらの具体的細部局面が,既述した価値規定の種 々のありかたにおうじて,それぞれ特殊な様相を呈するであろうことは,マル クスも「商品の物神的性格」の節で示唆したとおりである。われわれはここで はそれらの細部にたち入る余裕がないが,先に言及したマルクスのシュトルヒ 批判の文意も,価値規定の作用についての以上の視角から理解できるのではな いかと,おもわれる。ただとくに商品の価値規定,つまり価値法則が,資本制 生産の ̄F■での「配分」−一し、まやここでは人間労働の配分ほ労働力および生産 手段の多岐な配分としてあらわれるはずである一に参加する状況について, マニ ユ.ファクチユア的分業における経営原理との対比において資本制下の社会 的分業における配分の概況を戟述したマルクスの文茸がとりわけ示唆的なの で,ここに掲げて−おきたい。− 「マニュファクチ,エアにおいては比例数またほ比率性の鉄則が−L定の諸労働 者群を一・定の諸機能のもとに包摂するのであるが,商品生産者たちおよびかれ らの生産手段の種々なる社会的諸労働部門間への配分においてほ,偶然と洛意 とがいろいろと作用する。なるはど,種々の生産部面はたえず均衡を保とうと している,−すなわち一・方では,各商品生産者はある使用価値を生産してあ る特殊的な社会的欲望を充足させねはならないが,これらの欲望の範囲は鼠的 に相違するのであって,内的紐得が種々の欲望鼠を自然発生的体系に連結させ ることによって。他方では,商品の価値法則が,社会はその自由にしうる全労 働時間のどれだけを各特殊的商品種類の生産に支出しうるかということを規定

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香川大学経済学部 研究年報 1 J96ヱ ・−9β− することによって。だが,均衡を保とうとする種々なる生産部面のこの絶えざ る傾向は,この均衡の絶えざる止揚に.対する反動としてのみ作用するd」32) 以上のように.,価値規定が人間労働の配分に参加するということの意味は, ●●●● 結局それが人間労働の配分の客体化の形式として−,いわば後天的に役だつとい うことに他ならないわけであり,労働時間の規制や配分の均衡的調整という作 用も,配分そのものの客体化形式という役目に帰着するものといってよい。と ころで,配分と,その客体化形式とは,べつのものであるはずである。なぜな ら,後者の意味は,前者とはまったく無関係にこれまでわれわれが辿ったので あったから。したがって,“価値法則ほ配分法則の現象形態である”とか,“価 値法則は配分法則の内容である”とか,逆に“配分法則は価値法則のナニかで ある”とか,等々,すべてこういったかたらの観察の仕方は,「法則」という 用語にからむ問題をしばらくべつとしても,本来性質のまったく異なった2っ の規定の作用連関をもって−,その規定のどちらかを説明しようとするものであ り,けっしてなんらの根本的説明にもならないことが注意される。83)あるものA とその客体化形式Bとほ,ぺつのものである。すでにBの意味が,Aとはまっ たく絶縁されたかぎりに.おいてあたえられたのであるから,すすんでAの固有 ●●●● の意味が問われなぐてはならない。すなわち,いまや人間労働の配分規定− マルクスほ,すくなくとも個人および共同体的生産の場合について,配分に.か んする「法則」の存在を指示している84)岬の意味が,価値規定以外の脈絡か ら,導出されなければならないであろう。 だが,この答えほ,じつはすでに半ばあきらかである。すなわち,価値規定が 人間労働の配分に参加してかかる配分を客体化させる形式となるには,2つの 条件があることを,われわれはみた。この2条件そのもののうちに,配分の固 有の契機がふくまれているのでなくてはならない。すなわちわれわれは,この 32)苫dlⅠ,Sい373背木版,第3分冊,590ぺ−汐。ただし,技術的契機がここでなぜ論 及されていないのかは,問題である。

33)大熊理論の立論構造ほ,現在でもなお,このような難点をもつように.おもわれる。

参照,同氏,『経済本質論=計画経済学の基礎』,東洋経済新報杜,1957年。

34)Grundrisse derKriiik deY・PolitiSChen t)konomie,DietzAusgり1953,S”89,高木

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