管理論としての経営経済学に関する考究(
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一一ウェルナー・キルシュの見解を中心に一一
全 体 目 次 I 序 II 管理論としての経営経済学の方法論的基礎渡 辺 敏 雄
III管理の学問としての組織的管理システム論(以上本号一59巻1号一掲載〕 IV組織変更をめぐる実証的研究 V 管理のための学問としての組織変更管理論 VI 管理論としての経営経済学の特質と問題点 羽I結 I 序 通常ドイツの経営学的研究は主として「経営経済学J,アメリカの経営学的研 究は主として「管理論」であると位置づけられている。しかしドイツ経営経済 学の歴史のなかにも管理論的研究は存在したし,また現在においても存在する。 経営経済学と管理論との関係について経営経済学を管理論(
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と して位置づけ,管理論としての経営経済学を展開する現代の経営経済学者に ウ ェ ル ナ ー ・ キ ノ レ シ ュ(
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がし、る。かれは,管理論としての経営 経済学の方法論的基礎を明らかにするとともに,管理論の内容的枠組を示し さらに組織変更管理論として自らの枠組を具体化しようとしている。このよう な積極的努力に基づく独特の構想によってかれは西ドイツ経営経済学界のなか で r管理論的な経営経済学」の代表者となるとともに,かれの構想は様々な反 (1) 例えばy
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はキノレシュを専ら行動科学的基礎に基づく応用管-70- 第59巻 第1号 70 響をよぶこととなった。 キルシュは,その著書『管理論としての経営経済学~(Die Betriebswirおじ加rjts -lehre als Fuhrungslehre-Erkenntnis
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erspektiven, Aussagensysterne, wissen -schaftlicher Sω
ndorl-, M川町f釘山臼u也悩1沼m出伽叫1 示し,また『組織的管理システム~ (Organisatorische Fuhrungssysterne-Bau-steine zu einern verhaltensωissenschaftlichen Bezugsrahrnen一, Munchen1
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先 ) に お い て 管 理 論 の 内 容 的 枠 組 を 提 示 し て い る 。 こ れ ら の 研 究 と 並 ん で か れ は 他 方 で 門 下 の 研 究 者 と 共 に 組 織 変 更 に 関 す る 実 証 的 研 究 を 押 し 進 め , 部 分 的にはその成果をも踏まえIr計画的組織変更の管理~ (DasM
αnagernent des geplanten Wandel von Organisationen, Stuttgart1
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で か れ の 管 理 論 を 組 織 変 更 の 管 理 論 と し て 具 体 化 し よ う と 努 力 し て い る 。 わ れ わ れ は 本 稿 で は キ ル シ ュ の 「 管 理 論 」 と し て 位 置 づ け ら れ た 経 営 経 済 学 を 内 容 的 に 跡 づ け , 特 徴 を 克 明 に 描 き 出 し , 若 干 の 問 題 点 を も あ わ せ て 析 出 す ることとする。 II 管 理 論 と し て の 経 営 経 済 学 の 方 法 論 的 基 礎 (1) 経 済 科 学 か ら 管 理 論 へ キ ル シ ュ は , 経 営 経 済 学 が 管 理 論(Fuhrungslehre,Managementlehre)の方 向 に 向 か っ て い る と 考 え , 管 理 論 と し て 経 営 経 済 学 を 定 式 化 す る 。 キ ノ レ シ ュ に よ れ ば , 経 営 経 済 学 は 徴 視 経 済 的 単 位 と し て あ ら わ れ て い る 経 営(Betrieb)と 理論としての経営経済学の推進者(Promotor)ならびに発企者(Initiator)であるとする。 (L J. Ziegler, Betriebswirtschajtslehre und wissenschajtliche Revolution, Stuttgart 1980, S. 7)またシャフィッツェノレ(W.Schaffitzel)はキノレシュを全く新しく構想された 管理志向の経営経済学の最も明確な代表者のひとりであるとする。(w.Schaffitzel, Das entscheidungstheoretische Rationalitatskonzett in der Betriebswirtschajtslehre -An-s ρruch und Wirkli,じhkeit,Munchen 1982, S. 237) (2) 本稿でこの書物を引用する場合それをFuhrungslehreと略記する。 ( 3 ) 本稿でこの書物を引用する場合それをFuhrung.ssystemeと略記する。 (4) この書物は,キノレシュ,エッサー(W.-MEsser),ガーベノレ(EGabele)の共著となって いるが,本稿でこの書物を引用する場合キノレシュ以外の著者名を特に記さずまた書名も 略記してW..Kirsch u. a, Das Managementとする。i
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71 管理論としての経営経済学に関する考究(1) -71-家計(Haushalt)の特殊経済的側面に考察を集中する経済科学(Wirtschafts -wissenschaft)の部分学科(Teildiszip1
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n)としてその科学的立場を見いだして きたのだが,約1
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年来この立場に関する規定はますます疑問視されつつあり, 英米の管理論への新志向をはっきり見てとることができる。キルシコは,この 方向に沿いながら,経営経済学を管理論として規定する。 かれは経営経済学が管理論の方向にあることを力説するが,その際ドイツ経 営経済学界でもその方向が見いだされることを示し自説の根拠づけを行う。か れが引き合いに出すのはヴィルト(.J羽Tild)とスチベルスキー (N..Szyperski) の学説であり,かれらの学説においては管理論として経営経済学が構想されて いるというのがキルシュの位置づけである。われわれは,キルシュの考える管 理論としての経営経済学の内容的特質の重要な諸側面をもちろん明確にしなけ ればならないが,かれがヴィルトやスチベルスキーを引き合いに出して経営経 済学に管理論の特質を見いだそうとする場合の「管理論」とは2
つの重要な特 質をもつことがここで既に指摘されなければならなし、。それらのうちの第1の 特質は様々な学科への開放性をもつことであって,より具体的にはこの開放性 は管理論の構想、の基礎となる科学は国民経済学では極めて不十分であって行動 科学的組織理論(verhaltenswissenschaftlicheOrganisationstheorie)であるこ とにあらわれる。「管理論」を固定する第2
の特質は,応用科学の展開を目標と するということである。すなわちかれの考える管理論としての経営経済学は端 的に次のように規定される。「経営経済学は行動科学的に基礎づけられた応用管 理論(verhaltenswissenschaftlichfundierte angewandte Fuhrungslehre)とな る。」われわれは夙に管理論としての経営経済学のこれらの 2つの特質に注意を 促しておきたい。これらの2つの特質のうち,様々な学科への開放性の方につ いてはわれわれは以下でかれの言うところを跡づけ,かれの言う応用科学の特 質についてはII(4)節で触れたい。 ( 5) V gl W. Kirsch, Fuhrungslehre, V orwort (6) Vgl W. Kirsch, a. a.0, SS..23-26 ( 7) W. Kirsch, a. a..0 , S. 36..-72- 第59巻 第l号 72 キ ノ レ シ ュ に よ れ ば , か つ て 経 営 経 済 学 が 徴 視 経 済 学 的 企 業 理 論(mikrooko・ nomische Unternehmungstheorie)と密接な関連をもっていたことは,経営経済 学にとって,一方で斯学の承認の過程を促進したという肯定的側面をもっ反面, 実 践 関 連 性(Praxisbezug)の 貧 弱 化 と い う 否 定 的 側 面 を も ち , か れ は む し ろ こ の 否 定 的 側 面 の 方 を 議 論 す る 。 キ ル シ ョ は こ の 否 定 的 側 面 の 原 因 を , 経 営 経 済 学 の 国 民 経 済 学 へ の 密 接 な 依 存 が も た ら し て い る 他 の 隣 接 諸 学 科 (Nachbar -disziplinen)への固定に見いだし,こうした画定への固執を行うことによって, 斯 学 は 経 営 の 管 理 と の 関 係 で 実 際 に 生 じ て い る 問 題 か ら 需 離 し , 斯 学 の 代 表 者 が 斯 学 を 応 用 科 学 で あ る と 信 じ る こ と に も か か わ ら ず , 何 ら 応 用 科 学 で は な い の で は なL、かとし、う疑問がますます提示されるに至っているとする。 こ の よ う に 考 え る キ ル シ ュ は , 行 動 科 学 的 組 織 理 論 を 徴 視 経 済 学 的 企 業 理 論 と の 対 比 で 次 の よ う に 論 じ る 。 徴 視 経 済 学 と 行 動 科 学 的 組 織 理 論 の 聞 に は 需 離 が あ り , 徴 視 経 済 学 の パ ラ ダ イ ム は そ の 給 付 能 力(Leistungsfahigkeit)の 最 終 的 限 度 に ま で き て し ま っ て い る と い う 兆 し は 増 え つ つ あ る 。 そ れ 故 rわ れ わ れ の 意 見 で は , 組 織 理 論 こ そ が , よ り 多 く の 成 果 を 約 束 す る パ ラ ダ イ ム を 展 開 す るより適切な基礎である。」このように組織理論特に行動科学的組織理論に大き (8) VgL
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Kirsch, a a.0, SS..10-12 ( 9) V gLw
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Kirsch, a a 0, S. 12 (10) W. Kirsch, a.a.0 , S..81 応用科学的な経営経済学を企画しながらも,キノレシュの見 解とは全く逆に,行動科学的組織理論を排斥し徴視経済学を採用し,それに基づいて応用 科学を営もうとする研究者に注(1)でもあげたツィークラーがし、る。行動科学的組織理 論の方が徽視経済学よりも現実的である故に前者を応用科学の基礎科学に据えようとす るキノレシュに対して, :'/ィークラーは,純粋科学の評価基準は真理性であって応用科学の 評価基準は効率であって両者の評価基準は異なる故に,応用科学の基礎科学の評価に純 粋科学の評価基準を持ち込むのは誤りであると批判する。しかし,キノレシュにせよツィー クラーにせよ,行動科学的組織理論と徴視経済学の真理性や効率が有意味に比較されう ると考えこのことを前提として議論しているという面では共通性をもっている。ところ がわれわれの見解では,行動科学的組織理論と微視経済学のそれぞれの問題領域は相互 に異なり,それらの学問の聞で真理性や効率の比較は有意味には行えないと考えられる。 本稿のこの箇所におけるキノレ、ンュの見解との関連で言えば,かれの見解は,第lに行動科 学的組織理論と徴視経済学との真理!性が有意味に比較されうると考えている点で,第2 に真理性で上回る理論がより高い効率を約束すると考えている点で 2つの疑問を抱か せる説を含んでいる。われわれの見解では,真理性や効率を比較しえない行動科学的組織73 管理論としての経営経済学に関する考究(1) 73-な望みをかけるキルシaは,行動科学的組織理論に楽観的とも思える期待をょ せ次のように説く。確かに徴視経済学から行動科学的組織理論へ至ることは特 に市場における経営経済の行動の分析に関して理論的空白(theoretischesVaku・ um)の状態をつくりだしてしまう。それ故,もし行動科学的組織理論に頼りつ ( つもこうした理論的空白の状態を避けようとするならば,組織理論比徴視経 済学の問題設定に対応する問題設定を取り上げなければならず,組織理論的に 修正された問題設定と暫定的回答が一層追求するに値する程実り多い展望だと いうことを提示しなければならない。「その際,組織理論は徴視経済学的企業理 論からできる限り多く学ぶことが可能でありまた学ばなければならない。」講離 があるとしながらも,徴視経済学から,市場における経営経済の行動について の問題設定と解答とを組織理論に修正しつつも取り入れ,組織理論の従来の認 識に接ぎ足して行こうとし,またこのことが可能だというのがキルシュの態度 だと考えられる。この態度はかれの言う次の言葉に最も良く表現されている。 「組織理論的考察様式が微視経済学的考察様式を完全にかつより良い成果を伴 いつつ統合し,結局代替することができるならば,それは理想(Ideal)であろ (13) う。」行動科学的組織理論に大きな期待をかけるキルシュは, さらに次のように 言う。「このような構想(管理論としての経営経済学の構想一渡辺〉は就中,重 要な実践を構成する経験対象,つまり経営経済の管理ないし管理システムに関 する経験科学的理論(erfahrungswissenschaftlicheTheorie)を必要とする。わ れわれの主張は,このような理論に対しては,管理を結局生産要素の結合に引 きもどす徴視経済学的企業理論よりも行動科学的組織理論の方がはるかに実り 多い構想を生み出す, というものである。」 理論と徴視経済学については,前者に基づく応用科学も後者に基づく応用科学も正当に その存在を主張しうるのである。なおクィ-!1ラーの見解の紹介と検討については本稿 筆者の次の論文を参照せよ。 渡辺敏雄〔稿),応用経済科学としての経営経済学の成立根拠ーLJ:;ィ-'7ラーの見 解を中心に一,香川大学経済学部研究年報25(1986年3月〉。 (11) VgL W Kirsch, a. a.0, S..81 (12) W. Kirsch, a a..0, S..81 (13) W Kirsch, a.. a.0, SS 81-82 (14) W Kirsch, a. a.0, S..82
-74 第59巻 第l号 74 キノレシコが経営経済学の隣接諸学科への開放を説く際念頭におく隣接諸学科 のなかでかれがとりわけ重視するのは,行動科学と組織理論である。それ故, われわれはまず行動科学について,続いて組織理論についてかれの言うところ を跡づけたし、ー キルシュは,次のように言う。「経営経済学の管理論への発展は行動科学的基 礎づけのかなりの強化と歩調を合わせている。」キルシュはここにいう行動科学 的基礎づけの「行動科学」を一般に規定して,生命体の行動(Verhalten von Lebenswesen)を扱うすべての学科としつつ,行動科学の問題設定を一般的に 規定するのは不可能だとして,むしろ行動科学に特徴的であるのは次のような 若干の科学理論的特徴つまり方法論的特徴であると説く。われわれは,この行 動科学の方法論的特徴は当然キルシュの管理論の方法論的特徴でもあるので, ここに内容との重要な関連をもっ特徴につき要約して注意をはらっておきた い。第1の特徴は,学際的志向(interdisziplinareAusrichtung)をもっという ことである。この志向はある問題に関連するすべての学科に関連をもとうとす る態度である。この志向にしたがうと,特定のひとつの学科に属さないような 理論が発生する。第2の特徴は,使用されるべき科学的方法に関しては自然科 学との間に原理上の差はないとすることである。ここに言う使用されるべき科 学的方法とは,われわれの解釈によれば,現象の説明や現象に対する介入の根 拠を提示する際に法則ないし仮説をたててそれないしそれらから導出された言 明に基づこうとするやり方のことであり, この立場に呼応するかたちでかれは 理論的枠組をつくりここに盛られた仮説を前提として自説を展開する。第
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の 特徴は,これも自然、科学的方法と一致しつつ,科学的認識の根源(Quel
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e)とし ては結局経験的分析のみが問題となることである。これは言明の経験的テスト (empirische Uberprufung)を重視することを意味し,行動科学的仮説の運命を 決定する最後の機関は,仮説に到達するときには発見的機能とし、う役割を果た (15) W Kirsch, a a. 0, S.. 36 (16) W Kirsch, a.. a..0, S.. 38 (17) VgL W Kirsch, a. a 0, SS..41-45.75 管理論としての経営経済学に関する考究(1) -75-す内省(Introspektion)ではなく,人間の観察可能な行動に関する問主観的にテ スト可能な観察言明である。第4の特徴は,方法論的個人主義(methodischer Individualismus)をとることであり,また時として還元主義(Reduktionismus) をとることである。方法論的個人主義とは,社会システムを分析する特定の方 途であって,集団主義(Holismus)とは対立的に,社会システムの要素の特性と は無関係に当の社会システムに与えられる特性としての「創発特性J(emergent property)は存在しないと考え,社会システムに関する言明を定式化するすべ ての概念は個人と個人間関係に関する言明を定式化する概念に還元することが できる,つまり,前者の概念が後者の概念によって定義されうる, と説く立場 である。また還元主義は,社会学的法則(soziologisheGesetzmasigkeit)(ある いは一般に言うと,社会システムに関する理論のなかにある法買わが人間行動 に関する法則へ引きもどされることを要求する。還元主義的立場までがとられ ると生命体の行動の何らかの側面を扱う行動科学は,その側面に関する仮説か ら社l会の行動や社会システムの行動を説明できるとし、う立場をとっていること となる。 以上で,キルシュの言う「行動科学」の特徴をわれわれは要約してきたので あるが,キルシュの管理論の「基礎づけ」は既述のように「行動科学的基礎づ け」のみではなく「組織理論的基礎づけ」をも含んでいる故に,次にわれわれ はこの基礎づけに関するキルシュの見解を見ておくこととしたい。かれは「行 動科学」の方については一種の方法論的特徴をあげてきたが[""組織理論」の方 については科学目的ととりわけ取り扱われる問題をあげる。 キルシュは,組織理論には様々な構想があることを認め,それらの構想を組 織 概 念(ρOr培明ga加n凶山Mi同s舘矧a抗凶t伽ii 組織概念には2つがあり,そのうち lつが[""企業は組織である」という言い方 にあらわれる制度的組織概念(institutionellerOrganisationsbegrifりであって その概念にしたがえば組織はシステム (System)ないし構成体(Gebilde)とし (18) VgL W Kirsch, a. a 0, S..52ff (19) V gLW. Kirsch, a.. a 0, SS.. 53-56u.SS 60-66
-76ー 第59巻 第1号 76 て考えられている。これに対して,組織をシステムの構造
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として把 握する用具的組織概念(in
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的があり,その概 念は「企業は組織をもっ」という言い方にあらわれている。これら2つの組織 概念のうち,かれのとる組織理論は制度的組織概念を採用する。次に,第2の 分類基準である服務規則にも 2つあり,現象の説明をめざすと解される記述的(
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な服務規則と,現象の評価を行う規範的(
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な服務規則が 存在する。ここに規範的とはし、え,この服務規則は,あるべき価値を超越的に 設定しそこから現象を評価す町るとし、う服務規則をさし示すわけで、はなく,キル シュの言う応用科学の展開に相当するものだとわれわれは考える。そしてかれ のとる組織理論はこれら2
つの服務規則のうち記述的な服務規則の方を採用す る。組織を構成部分の集合体としてのシステムとしでとらえ,かっそうしたシ ステムの動きを説明していこうとする組織理論こそ行動科学的組織理論なので あり,その場合もちろん「行動科学」的組織理論故に既述の「行動科学」の方 法論的特徴もそなわっているのは当然である。キルシュはさらに行動科学的組 織理論の取り扱う問題について規定して次のように言う。「この理論(行動科学 的組織理論一渡辺〉は,一極めて簡単に表現すると一社会システムの特殊な類 型としての組織の環境における行動と発展ならびにまたその組織の人々と下位 システムの行動と発展を扱う…t川。」以上より,行動科学的組織理論は r環境 における組織の行動と発展」ならびに「組織の人々と下位システムの行動と発 展」を説明的に扱うことをわれわれは知る。 ところが,かれは,行動科学的組織理論だけではなく,既述の組織理論の分 類基準を適用して言えば制度的組織概念を採用し服務規則の方は規範的つまり この場合応用科学的な方を採用する組織理論としての計画的組織変更の理論(
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77 管理論としての経営経済学に関する考究(1) -77ー 変更の理論にも開放的になったことによってかれの管理論につけ加えられたも のは応用科学の展開という目的をもっということのみならず,以下に述べられ るような取り扱われる問題の一層の限定である。 かれは,組織の計画的変更の議論に,応用経営経済学の中心的課題をみてい る。組織の計画的変更の議論における問題をかれは若干限定して,その議論は 組織の変更の意思決定過程(Entscheidungsprozes)ないし問題解決過程(Pro -blemlosungsprozes)を強調し,すなわち「過程」を強調し,貫徹(Durchsetzung) の問題ならびに変更につねにつきものの葛藤(Konftikt)や適応への反発(An -passungswiderstand)の処理の問題を取り上げようとすると説く。われわれの 解釈では,キルシュは計画的組織変更の理論からは,実体的認識を取り入れよ うとするのではなく,単に応用科学という目的と取り上げるべき問題を導入し たのであって,その問題を応用科学的に営む際の土台的認識についてはこれを あくまで行動科学的組織理論から取り入れようとするのである。このことから, かれは,行動科学的組織理論の取り扱う問題である「環境における組織の行動 と発展」と「組織の人々と下位システムの行動と発展」のうち後者に重点をお きつつ組織変更に対する構成員の反発の処理過程を理論的に根拠づけつつ応用 科学的に研究しようとすることがわかる。単に技術を提出するだけではなく理 論的な根拠づけをもとうとするのが,行動科学的組織理論を基礎として取り入 れる結果なのであると解されるが,後々跡づけられる組織変更管理論の内容を 先取りすればそのような反発の処理過程論こそかれの管理論の実質的内容をな すのであり,かれはこうした反発の処理過程論を「促進活動論」として展開す ることとなるのである。キルシュが取り入れる行動科学と組織理論に関する以 上の議論からわかることは,かれの管理論は学際的志向をもちつつ行動科学的 組織理論に基づ、きつつ,仮説をたてながら,組織変更にまつわる構成員の反発 の処理過程論を応用科学的に営んでいこうとしていることである。 (22) Vgl.W Kirsch, u a, Das Management, S 108 (23) V gL W. Kirsch, Fuhrungslehre, SS 86-87
-78- 第59巻 第l号 78 (2) 管理の学問と管理のための学問 われわれは次に管理論としての経営経済学の構成に目を向けたい。管理論と しての経営経済学という規定は純粋言語上は様々に解釈されえて,キルシュ はその規定を経営経済的組織の管理のための学問(Lehrefur die Fuhrung be -triebswirtschaft
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cher Organisationen)としてとらえ,このとらえ方の背後に は,経営経済学の産物が応用され肝に命じられることが経営経済の管理の改良 に貢献するという解釈があるとする。この解釈に管理論としての経営経済学が 大幅に実践的な志向をもつことが窺えるわけであるが,経営経済の管理の改良 というとき直ちに問題になるのは, どのような価値から見て管理の改良を語る のかということであり,キルシュもまたこの問題を意識し,管理論としての経 営経済学にとって労働志向的個別経済学(arbeitsorientierteEinzelwirtschafts -lehre)は対立的構想であるのかということからはじめてその問題の議論をす る。キルシコによれば i経営経済に対して,この(経営経済のー渡辺〉組織 の管理を労働者の利益に対してより『敏感』にしていく管理構想と体制設計を 展開していくために『労働志向的個別経済学」を営む者は,最初は二律背反の ように聞こえるかも知れないが,等しく管理論としての経営経済学を営む。」こ の引用文で言った内容を一層明確にするためにかれはさらに次のように続け る。管理論としての経営経済学が経営経済の管理の改良に貢献するべきである と公準化しても,経営経済学の産物の応用が事実上改良的効果をもつかどうか という聞いの判断のための基礎としてだれの価値が利用されるべきなのかとい うことに関する基礎意思決定は何ら行われていない。それ故,任意の価値体系 (i支配者」の価値体系と他の利害関係者の価値体系)が基礎をかたちづくれる のである。こうした管理論は例えば「資本志向的」であることもできるし「労 働志向的」であることもできる。こう考えるキルシュは次のように言う。「管理 論は様々な利害立場に対する開放性の故に強制的対立の可能性を解消している (24) 管理論としての経営経済学の構成に関するキルシュの見解については次を参照のこ と。 W Kirsch, a.. a 0, SS.26-31. (25) W Kirsch, a.. a 0, S.2879 管理論としての経営経済学に関する考究(1) ー か ー ので,管理論は例えば労働志向的個別経済学のような純粋な『反権力科学』 ( “Gegenmacht-Wissenschaft")を無用に思わせる。」キルシュはかれ自らの構 想する管理論としての経営経済学は企画上はどのような価値にも対応できると 考えていて,このことはかれの構想のひとつの大きな特徴をなすとともに批判 の対象ともなったのである。一見したところ資本志向的ないし使用者志向的な 科学のように見える管理論を,管理論の他に労働志向的個別経済学を必要とし ない程「労働志向的」に営むことが可能だというキノレシュの見解にわれわれも 大きな関心を寄せている。それ故,われわれは,かれの構想、において価値がど のように取り扱われているのか,とL、う問題の追求を本稿の任務のひとつとし Tこし、。 ところで,以上でわれわれはキルシュの構想ないし企画という言葉を明確に してこなかったのであるが,ここでかれの管理論としての経営経済学の構成が どのようになっているのかを明確にしてそれらの言葉の意味を確定しておきた い。このためには,管理論としての経営経済学の対象をめぐるかれの議論から 明確にする必要がある。かれは,かれ自らの構想の構成を明らかにする際,経 験対象(Erfahrungsobjekt),認識対象(Erkenntnisobjekt)に関連づけて次のよ うに考える。かれは,何らかの選択原理に基づいて構成される認識対象は対象 の一側面ないし一特殊側面のみを重要に見せて,他学科から借りてきた対象に 関する諸知識を先験的に関連無きものとして排除するという悪しき傾向をもっ とL、う認識に立脚し,認識対象志向(Erkenntnisobjektorientierung)にかえて 経験対象志向(Erfahrungsobjektorientierung)を提唱して次のように説く。経 営経済学の経験対象は r人が経営経済の管理を『改良』しようとすればそこに (26)
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Kirsch, a.. a 0, S 28 (27) キノレシュの管理論の構想における価値の問題を批判的に取り上げる研究者にフン「 (S Hundt)とシュトーノレ(E.Stoll)がし、る。 (28) VglW. Kirsch, a. a.0, SS..29-31 (29) キノレシュによれば,ラフェー(HRaffee)が既に経験対象志向をもっている。キノレシュ が参照を求めているラフェーの審物は次のものである。 H Raff吾e,Gru招dproblemeder Betriehswirtschajtslehre, Gδttingen 1974-80 第59巻 第l号 80 知識が存在すベきすベてのもぷ必1(ωa11伐es,wo油恥e臼r Wiおss臼en voωrha凶耐nde印n s叩011臼
wenn man die Fuhrung von Bet仕ri必ebswirtωschaft句en
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ve釘rbe邸ss詑ern"mδchte的)でで叫あ る。しかし,何らかの基準をもってこなければ「そこに知識が存在すべきすべ てのもの」の「そこ」が「どこ」であるのかが不明であり, ここにキノレシュが 経験対象志向を語り認識対象的考察を排除しようとはするもののやはり経験対 象から重要な諸部分を選抜する必要から免れえない事情がある。事実キルシュ も何ら観点なしに経営経済学を構成できるとは考えず,一種の観点に相当する ものとしての認識観点 (Erkenntnisperspektive)を自らの構想に導入する。そ してかれは認識観点が管理 (Fuhrung)であるとし,次のように解説を加える。 「認識観点『管理』は経営経済学の重要な実践 (relevantePraxis)を特質づけ, それによってひとつの特に強調された経験対象を特質づける。」かれのこの引用 文から,われわれは,認識観点が管理であるというかれの言い回しの意味は, 認識観点が管理とは何かをめぐるごく基本的な見方であるということになると 理解できるのである。ただしこの解釈はキルシュの管理論としての経営経済学 の全体を見て確定しうる解釈であり,かれの著書『管理論としての経営経済学』 の当該部分の記述には批判をまねく原因となった次のような混乱が見られる。 その混乱とは,一方で経験対象の平面と他方で思考の平面を区別しているよう で区別できていないということである。すなわち,一方で「管理」という経験 対象 (Erfahrungsobjekt“Fuhrung")とし、う表現をしている反面,他方で上述の ように管理という認識観点という表現をしている。同ーの用語「管理」を一方 で経験対象,他方で認識観点に用いるのであるが,このような事態にかれが行 きついてしまったことにはかれの言う経験対象志向が一役かっているのであ (30) VgL W. Kirsch, a a.0, S..29 (31) W. Kirsch, a a.. 0, S..31 (32) V gl W. Kirsch, a. a.0, S.. 30 (33) エノレシェン (RElschen)もキノレシュの見解においては経験対象である「管理」と認識観 点、である「管理」の論理の上からは疑わしい名称同一性 (auslogischer Sicht bedenkliche Gleichnamigkeit)がみられるとする。 (RElschen, Fuhrungslehre als betriebswirt.. schaftliche Fuhrungskonzeption?, in: W. F. Fischer -Winkelmann(Hrsg), Para -di抑 制J, echselin der. Betriebswirtschajiおlehre;!,Spardorf 1983, S..245)81 管理論としての経営経済学に関する考究(1) -81-る。つまり,経験対象の一側面だけに思考をしばられまいとする余り,認識観 点が経験対象のあらゆる側面を一挙に特徴づけることができると考えてしまっ たことによるのではなし、かと考えられる。「偏見なく分析されるべき r管理』と いう経験対象J(unvoreingenommen zu analysierende Erfahrungsobjekt “Fuhrung")としづ表現が,かれの見解においては経験対象を見る基本的な見方 はどのような偏見もなくあらゆる面に及ぶ見方となっているということを物 語っている。経験対象である管理と認識観点である管理とは同一用語を用いて はいるものの,前者の経験対象である管理について後者が管理の基本的な見方 を与えてそこから管理論としての経営経済学の研究が始まると考えるわれわれ の解釈の方が合理的であろうし,この解釈を前提してかれの一層の議論を位置 づけて何らさしっかえないと解されるのである。かれは,認識観点として基本 的な見方を用意しつつも,これが認識対象とは異なることを特に力説し rわれ われが管理を経営経済学の認識観点として特徴づける場合,このことは認識対 象とし、う古典的概念とは何ら関係はない」と言うのではあるけれども,基本的 な見方としての認識観点がかれの管理論としての経営経済学に対して現実の経 験対象のどの面に着目して,それにまつわる一層深い認識を得るべきなのかを 規定するという意味ではそれは機能上認識対象に等しいのではないかと考えら れる。ただし,認識観点とL、う言葉をかれが殊更選び,研究の出発点!で既に対 象を見る見方を狭くとってしまう弊に陥ることを回避しようとしていることは われわれにも理解できる。それ故,われわれは,かれの言う認識観点としての 管理の内容に関心を寄せざるをえないが,それを明らかにするのはかれの『組 織的管理システム』の内容を取り上げる時にし,管理論としての経営経済学の 構成に関してかれが言うところを一層跡づけておきたL。、 認識観点としての管理は,様々な他の学科からの認識を重要なものとして選 ぶと考え,キルシュはこの事情を警えて,認識観点を投光器(Scheinwerfer)に 見立て,この投光器が他の学科に向けられて重要な関連をもっ認識が照らし出 (34) W. Kirsch, a a 0, S 31 (35)W Kirsch,。川a0, S 31
-82ー 第59巻 第l号 82 されるのだとしている。すぐ後に触れられるように投光器としての認識観点は 管理に関する理論的枠組でありこれ自体行動科学的認識ないし行動科学的組織 理論的認識の取り入れによってできる産物なのである。そしてかれは,他のい くつかの学科の認識を利用するという面をとらえて,かれ自らの管理論が多数 学科的認識複数主義(mul tidiszi plinarer Erkenntnispl uralismus)をプログラ ムにしていると表現している。多数学科的認識複数主義の考え方において利用 される他の学科は理論的研究に属すると考えられる学科と技術論的研究に属す ると考えられる学科の両方に及んで、いるのである。認識観点は未だ大まかな枠 組的特質をもっ放に, ここからながめて他学科から重要な認識を借りてくる必 要があって,それらの認識によって内容が盛られた全体像こそかれの言うとこ ろの応用科学的な経営経済的組織の管理のための学問となるわけである。『管理 論としての経営経済学』出版の時期のかれの経営経済学説に対しては,-認識観 点に基づく経営経済的組織の管理のための学問」という規定ができるわけであ るが, この管理のための学問とし、う表現は特にその時期には十分意識的に使用 されていたわけではなく,後々はじめて意識的に使用されるにいたり,管理論 としての経営経済学に対する基本的考え方は変わらないものの構成についても その後一段と明確化されることとなった。後日のかれの論文ならびに著書にお いて確定的表現として「管理の学聞に基づく管理のための学問J(Lehre fur die
Fuhrung auf der Grundlage einer Lehre von der Fuhrung)が使用されること になった。この表現こそかれの管理論的な経営経済学説の構成の端的な規定と なっていると理解される。ここでかれの管理論としての経営経済学の構成の全 貌が明らかになった。管理を対象にする理論的枠組としての認識観点こそ「管 理(の学問」であり,これを基礎にして他の学科の理論的研究と技術論的研究で 肉付けをしていって完成するものこそ応用科学的な「管理のための学問」なの (36) V glW. Kirsch, a..a 0, S 285 (37) V gL
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Kirsch, a..a.0, S.283 (38) われわれの知る限り r管理の学問に基づく管理のための学問」という表現はキノレシュ の次に掲げる論文から使用され始めた。w
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Kirsch, Aspekte einer Lehre von der Fuhrung, in:ZfB., 51.Jg, 1981, S..656妊83 管理論としての経営経済学に関する考究(1) -83ー である。ここに i管理の学問の中心にあるのは,管理実践を対象にもっところ の理論的枠組(theoretischerBezugsrahmen)であり,J これ自体が行動科学的 諸構想の取り入れで展開されるものである。「……それ(理論的枠組一渡辺〉は, 『管理』とし、ぅ現象を議論する周知の行動科学的諸構想と歩調を合わせるべき である。」また i私によって確立された行動科学的基礎づけはまず管理の学問 に関連する」といわれるのである。行動科学的認識を取り入れた理論的枠組に さらに理論的研究と技術論的研究から認識を借りてつくられるのが管理のため の学問である。キルシュによる管理論としての経営経済学のこうした構成の理 解を前提すると,われわれにとっての関心は,管理のための学問の基礎となる 管理の学問の内容を明らかにすることに向かわざるをえない。だがわれわれは まず,管理の学問の内容そのものよりも,管理論としての経営経済学の方法論 的議論を先に跡づけておきたし、。こうした方法論的議論は,第1に理論的枠組 をめぐる方法論的議論であり,第2に技術論的言明の獲得方法と応用科学の意 味内容の規定をめぐる方法論的議論なのであり,第
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に目標ないし価値をめぐ る方法論的議論であり,この順序でわれわれは以下(3)節, (4)節, (5)節において これらに触れたい。 (3) 管理論における理論的枠組 キノレシュの管理論としての経営経済学は,管理の学問に基づく管理のための 学問であることをわれわれは前節で窺い知った。かれは,管理に関して理論的 研究を営み,それに基づきつつ管理のための学聞を展開しようと試みるのであ る。その際,企画上は管理の学聞が理論的研究であって,これに基づき管理の ための学聞が理論的研究と技術論的研究から認識を借りてつくられると解され るのであった。このうち管理の学聞が認識観点として管理のための学問に対し (39) W Kirsch, a a.0, S 662 (40) W Kirsch, Fuhrungssysteme, Vorwort (41) W Kirsch, Kritik und Replik: Die Betriebswirtschaftslehre als Lehre fur die Fuhrung auf der Grundlage einer Lehre von der Fuhrung, in: W.. Kirsch, Wissen -schaftliche Untemeh押1ungsfuhrungoder Freiheil vor der Wissenschcメt.?L Halbband,-84- 第59巻 第1号 84 て基礎的部分となるのであるが, かれは管理の学聞が基礎的部分であることの この説明をわれわれは跡づ この課題をわれわれは「理論(Theorie)と理論的枠組 (theo -retischer Bezugsrahmen)J についてかれが言うところを跡づけつつ果たすこ 意味をある理論観をもって説明していこうとする。 けるべきであるが, ととしたし、。 なぜなら, そこにかれの理論観があらわれ, 理論に関する方法論 があらわれているからである。 キノレシバ土,管理論としての経営経済学のひとつの課題として理論と理論的 枠組の展開をあげている。 ここに理論と理論的枠組と表現しているが, かれの 意図をくめば, かれはこれらの両方を展開するということを意味しようとした わけではなく, むしろ理論的枠組の展開を意図しているのである。かれは, 、ヵ れの理論観を次のように提示している。理論は認識過程を最初から最後まで支 配する。理論は,科学的認識の主たる情報の担い手である。かれはこのように 見て,理論ないし理論的枠組こそ,科学的営為にとって必要不可欠とみなし, 特に,技術論的言明の展開に対しては必要であるとみなしている。いずれにせ よ, かれは管理論としての経営経済学を理論的枠組に基づき展開しようとして いる。かれが理論ではなく理論的枠組の形成に向かうのは次の事情がある。理 論は一般的言明と特殊的言明の演鐸的に整理された集合でありまた公式化され た公理演縛的体系(formalisiertesaxiomatisch-deduktives System)とも言わ れ, その認知的内容に従うと,情報提供的で,法則言明によって支配され,原 理的に真たる能力がある現実的妥当要求を伴う仮説的性格をもっ言明体系と言 われる。こうして理論は, その中心に若干のごく基本的な法則言明をもち, そ こから演揮された仮説群を含む体系的に整理された集合だと解されうるが, キ ルシコはこの意味での理論を自然科学の影響の下に科学理論において特質づけ (42) (43) (44) 理論的枠組に関するキノレシュの見解については次を参照のこと。 W Kirsch, Fuhrungslehre, SS..98-130 V g W. .l Kirsch,αa.. 0, SS.99-100. 理論の特徴に関してはキノレシュはシュピナーの次の審物に依拠している。 H Spinner, Pluralismus als Erkenntnismodell, Frankfurt a M. 1974 V gl W. Kirsch, a a. 0, S 102
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85 管理論としての経営経済学に関する考究(1) -85-られた理論ないし成熟した科学(reifeWissenschaft)における理論と言う。自 然科学に範をとる成熟した科学に対して r経営経済学における理論形成は殆ど いわゆる理論的枠組の展開を超えていない。」そこでかれは,理論的枠組の形成 にまず努力を傾注しようとする。ここに理論的枠組とは,正確な理論の構成部 分になりうると仮定される一連の理論的概念(theoretischerBegri丘)を含み, また,しばしば単に傾向的関連のみを示唆するだけの若干の極めて一般的な法 則仮説(sehrallgemeine Hypothese),さらに傾向的関連すら示さず諸変数聞に 関係のあることのみを示す言明を含む認識の集まりである。こうした理論的枠 組は単に正確な理論の定式化の前段階(Vorstufe)であるとキノレシュは位置づ け,いずれ理論に発展解消されるように位置づけているものの,他方,多くの 理論的枠組は実際に公式化された理論の基盤になるほどに展開されてはいな い。そしてかれは続けて次のように言う。「行動科学的に重要な関連をもっ現実 の大多数の部分は今日では,正確な理論の展開と分析をなすためには決して成 熟していない。」この現状把握に基づくと r理論的枠組の展開と議論はここで は暫定的に理論的分析の唯一の可能性 (dieeinzige Moglichkeit der theore -tischen Analyse)である。」こうしてかれは,かれの管理論としての経営経済学 の理論的分析として理論的枠組を据えることとなる。 キノレシュによると,理論にはそのいわば中心部分に若干の法則言明があり, それらが当該の理論を当該の理論たらしめる特徴を与えるのだと解されるので あるが,当該の理論にその特徴を与える中心的部分は理論のみならず,理論的 枠組にもそれに相当する部分がある。理論にもありまた理論的枠組にも存在す る中心的部分をキルシュはコンテクスト (Kontext)と称し, コンテクストはそ れぞれの言明体系に統合(Synthese)つまり内的整序(innere Ordnung)と構造 (Struktur)を与えるとする。つまり,コンテクストとは,それなしには当該の理 (45) W. Kirsch, a.. a 0, S. 101 (46) W. Kirsch, a.. a 0, S. 117 (47)w
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Kirsch, a a 0, S..117. (48) VgL W. Kirsch, a. a..0, S.10386- 第59巻 第1号 86 論的枠組の特質を語ることのできない中心的部分であって,コンテグストに 従って理論的枠組の他の言明がつくられ盛り込まれていることとなる。このコ ンテクストとし、う概念をかれが重視することになるのはラカトス (LLakatos) の科学方法論にかれの考え方が強く影響されていることに原因がある。キル シュは次のように説く。理論には,確固たる中核 (harterKern)とし、う部分が あって,これが理論内の言明に統合と構造を与える。この確固たる中核は,クー ンの言う通常科学の営為のなかでは変えられず,科学革命(wissenschaftliche Revolution)によって別の確固たる中核によって取って替わられるのである。 ラカトスの言う確固たる中核は,単に理論にのみあるものではなく理論的枠組 にもあり, これこそキノレシュがコンテクストと呼ぼうとしている概念に他なら ないのである。ラカトスによると,理論は経験的言明との突き合わせで反証さ れたと言うべきものではなく,理論の批判には,別の理論もまた入ってくるべ きなのである。この考え方の背後には,経験との突き合わせで仮説が反証され たことから,その当該の仮説が導き出された確固たる中核へその反証が及ぶこ とを禁じるとL、う規則がある。つまり理論は確固たる中核とそれをとりまく保 護帯たる補助仮説群 (Hilfshypothese)から成り立っているのであって,個々の 反証行為は確固たる中核に向けられず,補助仮説の方に向けられる。そして, 全く別の,かつより説明能力のあるような確固たる中核を携えた理論が出てき てはじめて,前の確固たる中核をもっ理論は代替されていき認識進歩が達成さ れてし、く。このような理論交替の見方をキルシュは基礎にしようとしているの であって,かれは, コンテクストが外部からの反証から免れるべき中心的部分 であると考えている。理論的枠組としての管理の学聞はこうした確固としたコ ンテクストをもつのであって, この意味で管理のための学問の基礎になってい るということがキルシュの理論観から見た管理の学問の基礎たることの説明で (49) キノレシュが参照、を求めているラカトスの論文は次のものである。 1 .Lakatos, Falsification and the Methodology of Scientific Research Programmes,
in: L Lakatos and A Musgrave (ed), Criticism and the Growth 01 Knowledge,
London 1970
87 管理論としての経営経済学に関する考究(1) QU 7 あると解される。もちろんそれ程重要なコンデクストを描き出すことによって 当該の理論的枠組の特質を描くことができるのであって,われわれはかれの管 理の学問の何がコンテクストなのかを探ることを課題として意識しておきた い。その際,理論的枠組の場合コンテグストは,理論の場合のように明示的に 開陳されることなく置かれていると解されるので,コンテクストを描く場合, 理論的枠組の言明を全体にわたってつなぎ合わすことのできるようなかたちに 余すことなく基本的な仮説を探り出しておくことが必要とされるであろう。 かれの価値(Wert)に対する態度もこうした理論観と深く結びつきあってい るのである。つまり, コンテクストが経験との関係ではそこから切り離され, またさらにコンテクストは研究者の価値の表明であるというのがキノレシコの説 なのである。コンテクストは,意識的と無意識的とを問わず,研究者の価値の表 明であり,研究者の価値の表明としてのコンテグストは研究の対象を決定する のみならず Iそのときそのときの経験対象がどのように考察されるべきか」を 規定する。このことに関してかれはさらに次のように言う。「研究者の様々な価 値は, (基礎領域における評価の結果として〉研究対象ならびに言明受け入れの ための競技規則の様々な選択に導くのみではなく, この研究対象自身に関する 様々な言明体系に導くのである。」ここに基礎領域(Basisbereich)における価値 判断とは,問題の選択(Auswahlder Probleme),科学的研究方法の選択(Aus -wahl wissenschaftlicher Forschungsmethoden),競技規則(Spielregel)に関す る意思決定そのものであって,これはあらゆる研究活動にとって不可避の価値 判断である。それ故,われわれがキノレシュの論述における理論的研究における 価値の問題への取り組み方を整理するならば,次のようになるであろう。コン テクストは基礎領域における価値判断を含みこれを担L、つつ研究対象に対する 大まかな見方を展開していて,こうしたコンテクスト全体も研究者の価値の表 れである。コンテクストは,研究者があるべき価値を直裁的に表明したもので (51) W Kirsch, a..a..0, S..243 (52) W. Kirsch, a.a.0, SS 297-298
-88- 第59巻 第1号 88 はないものの,価値を体現しているのであって,かれは,特にコンテクストが この意味で価値を体現していることをとらえて言葉を選び「価値内蔵的J(wert -haltig)と表現することとなるのである。 われわれはここでさらに注意しなければならないことがある。上述の「価値 内蔵的」とし、う事態は未だ研究者の価値を直裁的に示すものではなかったが, 本稿IIIの部分で明確にするように,単に研究対象に関する大まかな見方という 以上にかれはかれ自らの価値を積極的に開陳しているのであって,かれの価値 はかれの言葉では理想郷(Utopia)の開陳というかたちをとるのである。そし て, こうした理想郷の内容もコンテクストとは別個のものとして把握するので はなくそのー構成部分として位置づけるのが妥当であろう。われわれは,管理 論としての経営経済学の基礎部分に相当し,理論的枠組を開陳していると考え られる管理の学聞を跡づける場合には, コンテクストならびにそこに含められ た理想郷の意味の内容の画定に十分意を注ぎたい。 (4) 管理論における技術論的言明の展開と応用科学の意味 われわれは既にキルシュによる管理論としての経営経済学が,管理の学問に 基づく管理のための学問であることを窺い知った。その場合,管理の学聞が理 論的研究であり,管理のための学聞がそれに基づきつつ行われる応用科学的研 究ないし技術論的研究なのであった。それ故,われわれは,技術論的研究に対 するキルシュの態度をここで跡づけかれの言う応用科学の意味をも明確にして おく必要がある。 キルシュによると管理論としての経営経済学の一つの課題に技術論的言明 (technologische Aussage)の展開がある。かれは技術論的研究をも管理論とし ての経営経済学の課題に含み,技術論的言明の展開にかかわる問題を論じるこ ととなる。こうした問題をかれが論じる出発点は,かれの次のような認識であ (53) V gL W. Kirsch, a a.0, S.298 (54) 技術論的研究ないし技術論的言明に関するキノレシュの見解については次を参照のこ と。
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Kirsch, a. a 0, SS..172-22289 管理論としての経営経済学に関する考究(1) QU QJ る。適切な技術論的言明の展開
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は, 「一つの独立の創造的営為」である, と。また,-技術論的言明体系の展開は, 独立の研究課題を示す,Jと。かれのこうした認識をもってすれば,もとより, 技術論的言明研究の現状に対しては次のような判断が行われている。「独立の 『技術論的研究の論理~“(L
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が事実上否 定されてし、る。J,-技術論的研究は,理論的研究のいわば添えものとみなされて (58) いる。J,-われわれの見解によると,科学理論自体においても相応の経営経済学 的議論においても,技術論的言明体系の展開を,理論的研究に対する古典的な 密接な関連から解放する独立の技術論的研究の論理の彫琢が欠落している。」以 上のことから,キルシュは技術論的言明の展開るるいは発見は独立の創造的営 為であるとしていることがわかり,かれは独立の技術論的研究の論理を「再構 成」しようとするのである。それ故,われわれの課題は,かれの考える技術論 的研究の論理を描き出すことである。 キルシュは,理論的研究と技術論的研究との関係についての次のような立場 を示して,それを否定することによってかれの考察を押し進めているのである。 この立場とは既述の箇所にもあらわれた,技術論的研究が理論的研究の添えも のでるると見なす立場である。かれによると, この立場は専ら理論的研究を営 む 純 粋 経 営 経 済 学(
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だとする。 見かけの問題の主張は,次のとおりである。「ある一つの純粋科学の経験的に 維 持 さ れ た そ れ ぞ れ の 因 果 的 法 則 言 明 は , 同 義 反 復 的 転 形(
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見 幻 Q U ﹀ ) ) ︺ ︺ ) F b n O 巧 t。 。
Q d ハ υ F b F D F b p b F U F O V ( ︹ ( ︹ ( (90ー 第59巻 第1号 90 Transformation)によって,技術論的言明に,したがってまた行為命令に再定 式化される。」こうした主張こそ,技術論的研究を理論的研究の添えものないし 「一種の「付録 ~J (eine Art “Appendix")だとするものに他ならない。そして こ の 主 張 は ま た 理 論 的 研 究 の 論 理 の 優 先(Prioritatder Logik der theore -tischen Forschung)の表現に他ならず,理論的研究の論理の優先を基礎に置く見 かけの問題の主張は,説明(Erklarung)と予測(Prognose)と技術論の三者が同 ーの論理的構造に基づきうる, というかたちで表現される。キルシュは, この (63) 同ーの論理構造を次のように説く。経験的に維持された法則仮説を知ってい る者は,観察可能な事象を説明しうる。法則仮説と,その条件部分 (Wenn-Kom-ponente)に対応する初期条件(Antezedenzbedingung)から,観察可能な事象を 記述した言明が導出されるかたちでこのような説明が行われる。次に,このか たちで説明をなしうる者は,将来におこる事象を予測しうる。この場合,法則 仮説と初期条件が既知のものであって,これら両者から論理的に演鐸されるか たちで将来の事象が予測されうるのである。最後に,予測することができる者 比技術論的雷明を展開できる。将来の望ましい事象と法則仮説から,前者を 実現しうる初期条件が導かれるかたちで技術論的言明が展開されるのである。 そうだとすると見かけの問題の主張には,成立要件として第
1
に法則仮説が既 存であること,第2
に技術論的言明は法則仮説の条件部分と帰結部分の順序を 入れ替えるだけで得られることが合意されている。このことをわれわれは夙に 注意しておくこととする。ここには,法則仮説を得てこれを経験的に維持する 試みをなし,維持された法則仮説から事象の説明の試みをなす研究がおよそ第 一義的に営まれればよい, とする立場があらわれるのであり,理論的研究の論 理の優先ということの意味もまたこの処置にあらわれているのである。要する に,理論的研究の論理の優先を説く見かけの問題の主張においては,技術論的 言明は,理論的研究のなかで獲得されている「既存の」法則仮説の意味内容を (61) W川町rsch,a a.0, S. 218 (62) W Kirsch, a a 0, S 178 (63) Vgl W Kirsch, .a a.0, SS 172-17491 管理論としての経営経済学に関する考究(1) -91 追加しない単なる転形で獲得される,と考えられているのである。 (64) キノレシュは,最近の科学理論的に根拠づけられた経営経済学的文献にあらわ れたいくつかの指摘を参照して議論するが,そのうちでも理論的研究の論理の 優先からの技術論的言明の発見関連の議離を示すのは次の議論である。 第
1
に,就中社会科学の領域においては,多くの現存する理論は,極めて一 般的な特質(sehrallgemeine N atur)をもっ。このことに関連してキルシュは次 のように言う。「それ故,これらの一般理論から具体的水準の理論的言明がまず 導出されなければならない。なぜ、なら,具体的水準の理論的言明のみが,具体 的でかつ直接に行動上重要な事態に関連しうるからである。Jrそれ故,既存理 論が技術論的転形に対して利用される前に,まずしばしば広範な理論的研究と 経験的研究を必要とするのである。」既存の理論は直接応用可能ではないので, 理論から技術論、への道のりは,極めて苦労の多い道のりなのである。われわれ は,キルシュのこの論述を,かれが「技術論的言明が既存の法則仮説の同義反 復的転形によっては獲得されない」という事態の第1
の意味をなす, と理解す る。 第2
に,ほどほどに彫啄された理論さえない領域に対して技術論的言明が形 成されるべき事態が考えうる。この場合には,オベレーションズ・リサーチの 意味での技術論的計算模型が技術論的研究者の助けとなり,欠落した理論的知 識が技術論者(Technologe)の日常の実践的経験に対応する仮定によってでき るだけよくうめられる。われわれはこの第2点の指摘を,キノレシュの言う r技 術論的言明が既存の法則仮説の同義反復的転形によっては獲得されない」とい う事態の第2の意味をなすと解する。なぜ、なら,当の第2点の指摘はそもそも (64) キノレシュがあげている経営経済学的文献とは次のものである。 W.. Stahlin, Theoretische und technologische Forschung in der Betriebswirtにhafts -lehre, Stuttgart 1973 G. Schanz, Einfuhrung in die Methodologie der Betriebswirtschaftsl,訪 問 Koln1975 (65) W Kirsch, a. a.0, SS..175-176 (66) W. Kirsch, a a.0, S 175 (67) W Kirsch, a.. a.0, S. 17592- 第59巻 第1号 92 既存の法則仮説がない事態を想定しているのであり,存在しない法則仮説に同 義反復的転形を施すことは不可能だからである。 われわれは,キルシコが最近の科学理論的に根拠づけられた経営経済学的文 献を参照しつつなした上述の議論から,かれの言う「独立の技術論的研究の論 理」の方向づけを知ることができたのである。われわれは上述で,見かけの問 題の主張の成立要件には 2つがあり,第
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こ法則仮説が既存であること,第 2 に技術論的言明は法則仮説の条件部分と帰結部分の順序を入れ替えるだけで得 られることがそれらの成立要件であることを知った。キルシュが「技術論的言 明が既存の法則仮説の同義反復的転形によっては得られなし、」とする意味はそ れらの成立要件のうち専ら法則仮説が既存であることにかかわり,さらにこの 成立要件の否定には2つがあるのである。その第 1の意味は,既存の法則仮説 が過度に一般的であってそこから技術論的言明に導くまでに長い道のりがあ る,という意味であり,第2
の意味は,ほどほどに彫琢された理論さえない領 域,つまり既存の法則仮説が全くない領域にて技術論的研究が営まれるべき事 態がある, という意味なのである。第lの意味と第2の意味を合わせて,既存 の法則仮説が存在しない場合とそうした法則仮説が存在しても一般的にすぎ技 術論的言明に転形するための法則仮説が既存であるとは言い難い場合には新た に技術論的言明の発見が行われなければならないという事態が生まれ,まさに キルシュはこの事態をもって理論的研究の論理の優先の否定と技術論的言明の 発見の理論的研究からの独立性としているのだ, とわれわれは解することがで きる。 既存の法則仮説の欠如あるいはそのような法則仮説が一般的にすぎるという 事態と関連して,かれは,技術論的言明の発見に対する理論的研究の役割につ いて次のように述べる。「理論的基礎研究は,そのような方法(Methode
,技術論 的言明のこと一渡辺)の展開に対しては単に発見的機能(
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を果たす。」キルシュはここで,技術論的言明の展開に関する「理論」の発 (68)w
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Kirsch, a a.0, S. 17893 管理論としての経営経済学に関する考究(1) -93-見的機能を語るが,かれ自身も言うとおり,経営経済学の当面めざすべきは「理 論的枠組」の獲得なのであるから r理論」の発見的機能は「理論的枠組」の発 見的機能をさし示すと考えて大過なし、。そもそも既知の理論的認識が欠如する のでまず理論的枠組を形成し,これが一般的に過ぎるのでこの発見的機能に頼 りつつ具体的仮説を展開し,技術論的言明を得ょうとするのがキルシュの態度 であると解されるのである。 ところで,今まで技術論的言明のなかの技術として展開されるものの範囲に ついては,われわれは十分注意を向けなかった。この箇所で技術の範囲につい て わ れ わ れ は 触 れ て お こ れ か れ は 方 法