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天童睦子編 『育児言説の社会学 ― 家族・ジェンダー・再生産』 世界思想社、2016年、四六版、219頁、2,400円+税

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(1)73. 《書  評》. 天童睦子編. 『育児言説の社会学 ― 家族・ジェンダー・再生産』 (世界思想社、2016 年、四六版、219 頁、2,400 円+税). 堀 聡子 * 本書は、主に育児雑誌のなかで「育児」がどのように描かれているか、その描かれ方 がどう変化してきたかを詳細に検討することで、現代日本の家族、育児、教育の諸課題 を社会構造との関わりのなかで明らかにするものである。 著者らは 2004 年に、本書の姉妹書といえる『育児戦略の社会学―育児雑誌の変容と 再生産』を上梓しており、長年にわたり共同研究を積み重ねている。理論、方法論につ いて丁寧な議論を重ね、その枠組みを共有しながら実証研究がなされているため、とも すれば一体感を欠きがちな共著書でありながら、一貫性をもつ統合された研究書となっ ている。こうした研究姿勢は、共同研究を行う研究者が見習うべきものだろう。以下で は、まず各章の内容を概観する。 本書の分析枠組みの軸となっているのは「育児言説」と「育児戦略」という 2 つの概 念である。まず序章において、バーンスティンやフーコーの理論を援用しながら、本書 の鍵概念である「育児言説」が定式化される。 「育児言説」とは、第一義的には「育児 について書かれたこと/語られたこと」 (p.2)である。著者はバーンスティンに依拠しつ つ、 「言説が常に権力と不可分な関係にあり、言説の分析は常に権力関係の分析となる」 (p.4)と指摘する。つまり、育児雑誌などを「育児言説」として捉えることは、誌面上 では必ずしも明示的ではない、それゆえ意識されることの少ない、「育児はこうすべし」 「育児に携わるものはこうあるべし」といった言外のメッセージがコンテクストとして 強制力をもってすべり込んでいることに着目するということである。 この視点は、つづく第 1 章の冒頭で紹介される本書のもうひとつの鍵概念である「育 児戦略」と密接に関わっている。「育児戦略」とは、①親の出産・育児としつけの意識 や方略、②親自身にも明確に意識されない、社会に構造化された暗黙の戦略、③国家や 市場において展開される子どもの産育をめぐる政治的・経済的・文化的戦略、の 3 つを 含むものである(p.22)。「育児戦略」を、日常的な育児行為のレベルから、社会構造的 レベルまでを貫く分析枠組みとして構成することによって、「育児言説」に織り込まれ ている育児についてのある種の方向性が、育児の担い手、あるいは国家、行政、市場な どの社会の各セクターの行動や意識とどのように関連しているかを分析することが可能 *ほり さとこ  東京福祉大学短期大学部. 『家族研究年報』No. 42 2017.

(2) 74 になる。本書は、この 2 つの概念を分析の両輪とすることで、従来の家族研究、教育論 の方法論が捉えきれなかった、育児をとりまく社会的問題にアプローチすることを可能 にしている。第 1 章の後半では、1960 年代後半から 2010 年代までのおよそ半世紀にわ たる育児雑誌の変遷を概観し、そこで「育児言説」がどのように変化したかがおおまか に紹介される。そして 1990 年代以降の育児雑誌を、母親向けか父親も含む家族向けか というジェンダーの軸と、子ども中心か親のライフスタイル重視かという軸により 4 つ に類型化している。 「就労・ファッ 第 2 章では、その 4 つの類型(「実践知識志向型」「能力開発志向型」 ション志向型」 「脱市場化志向型」)ごとに詳細な分析がなされる。2000 年代以降の誌 面の変化として、「実践知識志向型」と「就労・ファッション志向型」の一部の雑誌に 「子どもの能力開発志向」の強化がみられることなどから、近年の育児雑誌の「教育化」 の傾向を読み取る。また、父親の育児参加関連記事の登場比率は低く、「ジェンダー化」 の傾向も揺るぎないことが論じられる。総じて、近年の母親向け育児雑誌は「ジェン ダー化」・ 「教育化」の様相を呈しているのであり、一部の中間層の母親たちの「成功計 画」志向の高まりが「教育化」された今日の育児雑誌市場を支えているとの分析がなさ れている。 第 3 章では、多様化の一環として 2000 年代以降に登場した父親向け育児雑誌を分析 し、「育児言説」のなかで、育児の主体としての父親が登場することを描く。代表的な 父親向け育児雑誌である『日経 Kids+』『プレジデント Family』『FQ JAPAN』の 3 誌が 分析対象であり、それぞれから取り出された、理想とされる父親像は、 「ハードな受験 志向」 「ソフトな受験志向」「親密な父性」というものだ。父親向け育児雑誌の刊行と流 通は、子育ての新たな担い手として父親に光を当てるという側面を持つ。しかし『日経 Kids+』 『プレジデント Family』の 2 誌は、実際の購読者の多くは母親であるという。 つまり、学校的価値志向の子育てのイニシアティブが母親によって掌握され、その責任 を母親が担っているとの分析がなされる。また、3 誌ともに読者層の階層は高めである ことから、こうした父親向け育児雑誌は、中間層の家族が、子育て・教育において父親 という資源を最大限に活かす戦略へと方向づけられることを意味する。一見するとジェ ンダー平等な子育てに向かう可能性をもつ父親向け育児雑誌の登場が、中間層の家族に おいて、父親役割の「再強化」をもたらすというパラドクスをはらんでいることが提示 されている。 第 4 章では、日本の育児政策・家族政策の動向と育児・教育言説の変容が分析され る。1990 年代は、少子化が社会問題化したと同時に、子どもの虐待問題の顕在化や少年 の逸脱・非行が注目され、その根源に「家庭のしつけや教育力の低下」があるという論 調が目立つようになった時期でもある。また、「父親の育児参加」言説が高まったのも この時期である。父親が育児に参加することは、一見するとリベラルであり、固定的な 性別分業を見直す方向性として評価してよい流れのように捉えられる。しかし、その社 会的背景には、グローバル競争が激化したことで、 「育児戦略」のなかで、幼いうちか ら子どもの「成功」を意識して教育に注力する戦略が前景化したことを指摘できるとい.

(3) 75 う。そこには新自由主義的な政策の思惑が見え隠れする。新自由主義的な方向に舵を きった政府、そうしたグローバル競争で生き残りを志向する家族が、その戦略のなかで 育児をどう位置づけざるをえないのかという意味で「育児戦略」が、育児メディアの 「育児言説」と呼応している様を指摘することができる。つまり、父親の育児参加が、 自由な選択肢のなかで主体的に選ばれたというよりも、そうした市場的な圧力から特定 の「育児戦略」に追い込まれているという側面も否定できない。こうした着眼点は、 「育児言説」「育児戦略」2 つの概念を両輪におくことではじめて明らかになる。 第 5 章では、バーンスティンの教育言説理論を応用し、子ども部屋をめぐる「育児言 説」をたどりながら、親から子への教育的まなざしの変化が論じられる。1900 年代から 1980 年代までは、子ども部屋の必要性を説く言説が支配的で、家族成員のプライバシー を確立するために個室を設けることが推奨された。しかし 1990 年代以降、個室文化が家 族のコミュニケーションを奪い、非行や少年犯罪、ひきこもりの温床になるという考え 方が登場し、それまでの「閉じられた住まい」称揚言説とは真逆の「開かれた住まい」 称揚言説が主流となっていく。この「開かれた住まい」においては、母親が常に子ども たちの様子を観察しうる存在として位置づけられ、母親役割の再強化を招く。空間的に は「開かれた」住まいにおいて、親から子への「閉じた」教育的まなざしが常態化する というパラドクスを著者は指摘している。 第 6 章では、1980 年代に登場した妊娠・出産期向け情報誌『Balloon』と、2000 年代 に注目されだした妊娠を望む女性向けの情報誌『赤ちゃんが欲しい』の特集記事、90 年 代創刊の『たまごクラブ』に登場する読者像を取り上げ、「再生産する身体」の政治性 が論じられる。著者らはまず、近年の妊娠の医療化、不妊の治療化を強調する言説の編 成過程に、 「女性の生殖機能」への医療的・政治的介入の正当化という「再生産」をめ ぐる政治的言説があることを指摘する。その趨勢は「妊娠を望む」女性向けの雑誌の登 場からも見て取れる。誌面では、妊娠期の女性は産む準備に専念し、若いうちに出産す べきという、社会に潜在する「望ましい妊娠」像が描かれていると主張する。そして、 生殖技術や出生前検査など妊娠・出産の医療化が進み、子どもを持つことをめぐる自己 決定が女性自身の自発的な「選択」になったかのように見える現代において、自らの 「選択」の結果としての「自己責任」という権力作用があることを鋭く指摘している。 第 7 章では、本書全体の総括的整理を行いながら、これからの育児と教育の課題とし て、ケアの保障、対抗ヘゲモニーのアプローチ、象徴的統制の理論が提示されている。 以上が各章の概要である。本書の魅力は、冒頭でも述べたように、「育児戦略」と「育 児言説」を分析の両輪としながら、「育児言説」に潜む権力のあり様を明らかにしたこ とである。2000 年代以降は、父親向けの育児雑誌が登場したことに加え、母親向け育 児雑誌も、ファッション情報誌の色合いが濃いもの、働く母親に特化したもの、環境に 敏感なものなど、内容の多様化、多元化がみられた。これは一見すると子育て期の親た ちの多様なニーズに応え、多様な価値を創出しているようにも見える。しかし、母親に 子育ての負担がかかるという構図は変化しておらず、むしろ、「新自由主義的社会状況」 のもとで、再生産戦略は「個人化」され、ますます子育て・教育にコミットせざるをえ.

(4) 76 ない閉塞状況へと母親は追い込まれていく。さらに、ペアレントクラシーへと移行しつ つある現代において、母親のみならず父親をもその競争に巻き込んでいくような「見え ない統制」が存在するのである。それはまた、子育て期家族の階層の維持・再生産につ ながる危うさをもはらんでいる。本書は主に育児雑誌の丹念な分析から、これらのこと を描き出した。 最後に、本書を読んで感じたことを述べておきたい。本書においては、育児雑誌に登 場する母親、父親の姿やその変化について詳細な分析がなされているが、家族の変化は あまり描かれていないように感じた。これは育児雑誌が近代家族モデルを前提としてい るからだと考えられる。著者らも指摘しているように、育児雑誌の登場は近代家族の誕 生とほぼ軌を一にしている(p.30)。高度経済成長期前後、都市化が進み、地域コミュニ ティが流動化するなかで、専業で子育てする核家族の母親を支える育児情報源として育 児雑誌は誕生した。近年では、育児雑誌は多様化し、父親向け、働く母親を想定したも のなどが出現しているものの、それらは近代家族の枠を出るものではない。実際には、 ひとり親家族、ステップファミリー、LGBT 家族など、家族のあり方は多様化している が、そうした多様な家族は想定されていないのではないか。育児雑誌においては、異性 愛の夫婦を核とする、いわゆる近代家族モデルが暗黙の前提となっている。 また近年の家族社会学では、子育ての責任を家族のみに帰する子育ての私事化が限界 を迎えていることから、子育ての社会化が議論され、子育て支援の必要性が指摘されて いる。子育てを家族のみならず、保育ママ、産前産後ヘルパー、ベビーシッター、子育 て支援施設のスタッフなど、多様な担い手によって遂行する必要性、可能性が議論され るとともに、実際の子育てにおいても多様な担い手による支え合いが行われている。し かし、本書を読む限り、育児雑誌に多様な担い手は登場しない。育児雑誌は、父親を取 り込むことで、家族内部で子育てを完結させようとする私事化の装置として機能してい ると推察できる。 こうしたことを考えると、育児雑誌以外での「育児言説」がどのように変化している のかにも興味を惹かれる。「育児戦略」と「育児言説」を分析の両輪とする本書の分析 枠組みは、多様な「育児言説」の分析を可能にしている。著者らによる新たな分析が待 たれる。.

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