第1章 南アフリカにおける「新しい労働運動」の
変遷――南アフリカ労働組合会議(COSATU)に注目
して――
著者
佐藤 千鶴子
権利
Copyrights 独立行政法人日本貿易振興機構アジア
経済研究所 2021
雑誌名
新興国の「新しい労働運動」――南アフリカ、ブラ
ジル、インド、中国――
ページ
29-68
発行年
2021
章番号
第1章
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00052102
はじめに
19 0年代~ 1980年代の南アフリカでは, 労働者をはじめ, や
などの ごとに組 された労働組合や 断的に 成された一 労働組
合が,職場での労働条件の改善のみならず,アパルト イト体 を打 するため の政 においても な役割を担った( e ste 1988 Sei man 1994 Moo ie 2010 e on 201 )。このような労働組合の活動は, 国におけるそれ
までの労働運動とは 本的に異なるものであり,その で「新しい労働運動」
であった。これらの労働組合は,1985年に労働組合 合,南アフリカ労働組合 会議( on ess o So t ican a e Unions OS U)を 成した。 ,
OS Uは 国における労働組合運動の中心に し けている( 2019
Baskin 1991)。
この の南アフリカにおける労働運動を,研究者は社会運動ユニオニズム
(Social Movement Unionism)と ,その中心的な として2つの点を指
した。第1は,労働組合の活動内 が,労働者の 利 を り,賃金上 を
るための経営者との に まらず,権 主義体 などの 性を たない国家
に する をも んでいたことである。第2は,労働組合が の社会・ 運
動組 と協力して,この政 に取り組んだことである( e ste 1988
Sei man 1994 Sci es 2014)。本章では, OS U及 OS U 労働組 合を事例に,19 0年代~ 1980年代に じた当 の「新しい」労働運動がどの
「新しい労働運動」の
ような を っていたのか,そして1990年代の 主化後にどのような を げたのかについて考 する。 1994年の 主化は,南アフリカの労働運動が社会運動ユニオニズムと れ ることになった前提条件を大きく えた。多 を める の政 を してきたアパルト イト国家が し, 通 挙に いて代表者を 出す る 主国家が したからである。それと に,労働運動と国家の関係性も 化した。 OS Uは,1990年代初 の 主主義体 の政 的 行 に, アパルト イト運動の中心組 であったアフリカ 会議( ican ational on ess )及 南 ア フ リ カ 共 (So t ican omm nist Pa t S P)と に 関係を んだ(Baskin 1991 429 43 )。 主化と共に が政権 となったことで, OS Uは国家に する労働組合 合で はなく,政権 と 関係を つ労働組合 合として政 成に関 すること になったのである( e ste an le 2000 8 10)。 南アフリカが 主化と共に国際社会に したことはまた,国内の労働 場に な 化をもたらした( on ol t an e ste 2005 e on 2005 Pilla 2008)。19 0年代~ 1980年代の労働運動は, や 場,スーパーマー ット などの職場での 労働者の労働組合 の組 化を中心に を げてきた。と ころが,国際社会 の を通じて ロー ル経済に組み まれたことで, の 国々 , の再編 のなかで に労働者の非 化が進 と共に, 料・ など, によっては な 入 との国際 に てずに多く の が われ,関 労働組合は組合員 を らした( an e est i en 2005)。 方で,アパルト イト 代には政 からの により困難であった公 的 ク ーの労働者の で組 化が進 など, 主化を通じて労働組合活動の場 が がった もあった(Mac n 2014 42)。 上のように,南アフリカの労働運動を取り巻く は, 主化を 機に大き く 化した。本章では,上記で述べた政 と経済両 での 化に して労働組合 や労働組合 合がどのように 応・ 化してきたのかを考 することで, 主化 後の南アフリカにおける労働運動の実 を明らかにすることを目的としている。 その際に本章は, OS Uと 労働組合を考 の中心に く。その 由は第 1に,最 的に OS Uを 成した労働組合が,19 0年代~ 1980年代の社会
運動ユニオニズムと れた 代の南アフリカの労働運動において中心的な役割 を果たしていたからである。第2に,2018年第3 点における労働組合 入労働者40 (Statistics So t ica 2018 9)の40 にあたる1 0 が OS U 労働組合に所 するという事実が すように( OS U 2018 19),今日においても OS Uは 国最大の労働組合 合であり けているか らである。 ,本章は のように 成される。第1 では,社会運動ユニオニズムの2 つの を しつつ,19 0年代~ 1980年代の南アフリカにおける労働運動 の と 開の 史を に り る。第2 では, OS Uが 主化と共に 政権 と 関係を んだことが,労 関係を る政 や OS U及 労働組合にどのような を及 したのか,また新しい政 に して労働組 合や労働運動がどのように 応したのかについて する。第3 では労働 場 の再編に着目し,有 や 労働者のような非 労働者の に して OS Uや 労働組合がどのように 応してきたのか, の労働組合に代 わる労働運動主体の出現が見られるのか,見られるとするなら それはどのよう な をとるのか,という いについて 体例を きながら考 する。「おわりに」 では 主化後の OS Uと 労働組合,そして労働運動の実 に関する本章 の 論をまとめる。
1
労働運動の一 としての社会運動ユニオニズムという名 には,いくつかの 念上の が 在するものの,大きく2つの が まれている。第1が19 0 年代~ 1980年代にブラジル,南アフリカ,フィリピン, 国など当 の第三 で こった,権 主義体 に する 的な労働組合運動である。第2が, に先進諸国において労働運動を再活性化するために,それまで労働運動の中 からは されてきた非 労働者や 労働者の権利を擁護し,社会的 義を 実現するために再編された労働運動である(Sci es 2014)。 19 0年代~ 1980年代の南アフリカの労働運動は,(1)権 主義体 などの性を たない国家に する と(2) の社会・ 運動組 と協働して
の政 という を っており,このような を つ当 の労働運動を,
研究者たちは社会運動ユニオニズムと んだ( e ste 1988 Sei man 1994 Moo ie 2010)。本 では,この2つの に 目して,南アフリカにおける労働 運動の を に り る。 別体 が かれていた20 の多くの において,南アフリカの労 働運動は に分断されており,19 0年代 まで の8割を めるアフリ カ 1)労働者は労働組合に に 入する権利を たなかった。「 調 」 ( n st ial onciliation ct 1955)により,アフリカ 労働者は政 に 可 能な労働組合 の 入が められていなかったため,アフリカ の で労働組合 を 成しても, な 権を ることができなかったからである。このような 状況にもかかわらず,19 3年初 ,当 の ール ダー ンとその 地域 のレン 場や 場,地方自 体などで働くアフリカ を中心とする 労働者の で,賃上げを めるストライ が いで した。一 のストラ イ は 国の労働運動の新たな 開けとなり,今日まで く労働組合と労働組合 運動の となった。 南アフリカ史において「ダー ン・ストライ 」( e ste an le 2000 1
1)アパルト イト 代の南アフリカでは,「 」(Po lation e ist ation ct 1950)により,
国 が4つの「 」( , アフリカ ,カラード ,インド/アジア )に分け られ, に権利の内 が異なっていた。1991年に は され,現在では によりすべて の とに 本的 権が されている。だが, の経済 が残 し, との での も には しないため, は分析 として いられ けている。 主化後の政 の文書で は, の代わりに 集 ( o lation o )という語が いられている。なお, アパルト イト運動 にはアフリカ ,カラード,インド を合わせて と自 する とが多く 在した。 今でも がこの で いられることもあるが,アフリカ を する場合も多々あり,文脈や 者により 断する必 がある。本章では,アフリカ と表記する場合には 主化後の 集 分 に
おいてアフリカ / ( ican Black)ないし アフリカ (Black ican)として表記さ
れる主に ント 語を す南アフリカ を指すこととし, と表記した場合にはアフリカ に え
て,カラードとインド を ことにする。その 由は,第1 で考 する19 0年代~ 1980年代の
アパルト イト運動 には がこの で されることが多かったのに え, 主化後の
の経済力 化( lack economic em o e ment BEE)政 においても にカラードとインド
B l n 2010 22 B o n 2010)として知られるこの一 のストライ の前後 から,ダー ンのみならず,最大の ジ ス ー を えるウィット ウ ー ースランド地域や ープ ウンにおいて,アフリカ 労働者を組 する 取組みが活 化し, 別労働組合や一 労働組合が て けに 成された (Baskin 1991 1 19)。労働組合が当初 めたのは,労働組合として な 権限を ることであり,それは19 9年5月,労働 に関する調査を目的に政 が したウィ ーン委員会( ie a n ommission)の 書で提言された。 委員会は,アフリカ 労働者に して労働組合を 成して政 に する権利 を め,労 関係を する公 な ス ム させるべきである,と 論 けた。 委員会の提言は, 成から日が く,組 的には な状 にあるアフ リカ 労働組合を ス ム内に取り んで, することを主 としていた。し かしながら,その 図とは に,アフリカ 労働者の での労働組合 成と が合 化されたことで,労働者の組 化と組 化が進められ,ストライ の も していった(Baskin 1991 2 31)。 に開かれた労働組合の 合体が 成されたのは,19 9年4月,ウィ ーン委員会の提言が出される 前のことだった。2 の組合員を える12労働
組合が南アフリカ労働組合 合(Fe e ation o So t ican a e Unions
FOS U)を 成したのである。委員会の提言が出た後,FOS Uは職場の労
働者代表として経営者と にあたる ップ・ス ードの 成や 場・職 場 での労働組合の 可に力を ,賃金の上 や労働 の改善のため に活動した。その一方で,当 すでに の ( ウン ップ)に おいて,19 年 月の ウ ト をきっかけとする 政 議デ が 大し つつあったにもかかわらず,FOS Uは政 に する大 集会やデ 行進 などの政 的活動にかかわることには であった。FOS Uのこの には, 1950年代の に開かれた労働組合 合2)の経 が となっていた。当 2)1955年に の労働組合が する労働組合 合として 成された南アフリカ労働組合会議(So t
ican on ess o a e Unions S U)。19 0年3月に きた ープ ル 事件の後,
を の政 組 が非合 化されると, は を し, 事 門ウム ント・
ウ ・ ズウ (Umk onto e Si e 「 の 」の ,通 M )を した。S Uリーダー
の多くがM に したが,M は 後に政 の にあい,多くの活動家が された。S U
の労働組合 合は, アパルト イト運動の中心 体であった会議 3)と一体 となって 別体 の を める政 に 進した。その 果,リーダー の多くが されたり, を なくされたりして,労働組合 合は最 的に 体した(Baskin 1991 15 25 2 31 e ste 1988 1 9)。 それに して,FOS U 成から 年 後の1985年11月,労働運動のさらな る 一を目的に,FOS U 労働組合を 33労働組合,4 の組合員に より 成された新労働組合 合 OS Uは,労 関係のみならず,政 的活動 にも 的に関 することになった。この方 は OS U 大会後の198 年 2月に開 された中 執行委員会の初 会合で されたものだったが,政 の関 を っては 労働組合 で 見が分かれていた。当 は2つの 場が 在した。第1が「 ピ リスト」と れる 場で,南アフリカ社会の最大の を による と え, はそれに べれ 性は いと考えてい た。この 場をとる とは, 労働者は政 的 権を たない された 多 の一 であり,それ え労働者の は国 のための と つく必 があると主 した。 方で第2の「 ーカリスト」( o ke ist)の 場では, 別やアパルト イトは 取を すための に ず, こそ が最も であった。それ え職場での労働者の組 化を 化し,それをもとに 経営者に して 力な 権を行 して,賃金を 労働条件の改善を ち取る ことこそが労働組合の役割である,と主 した。この 場によれ , の と 協力関係を ことは,労働者 の目的 に を及 すものですらあった
(Baskin 1991 91 9 B l n 2010 22 25 Moo ie 2010 1 2 Pilla 2008 54 Sc oe e 2009)。
「 ピ リスト」 「 ーカリスト」の は, か かというイデオロ
ー的な であると に,労働組合組 や労働組合活動のあり方を るもの
でもあった。 OS Uの 史を記したBaskin(1991 101 104)は,1980年代
後 の OS U 労働組合の での政 の関 を る 場の いを3つの
ループとして 明している。第1が 一 主 (Unite Democ atic F ont
3) ,南アフリカ・インド 会議,南アフリカ・カラード 機 , 主主義者会議という4つの
政 組 の であり,1955年に 別のない南アフリカの を いた「自由 章」を
UDF) 労働組合(「UDF 」)であり,その多くは ウン ップの活動家によ
り 労働者を に 成された一 労働組合や ニ ィ労働組合だった。
UDFは, OS Uに先 つ1983年に国内の 00を える 組 により 成
された当 最大の アパルト イト運動組 である。第2は「中 」(cent e)
労働組合であり, FOS U 労働組合や OS U 労働組合の中で最
大の組合員を える 国 労働者組合( ational Union o Mine o ke s
UM)がこの ループに した。中 は政 的にはUDF に 近 を っていたが,労働者の代表 主 を 視し,UDF 労働組合の活動家主体の労 働組合組 や労働組合活動のあり方を 視した。第3は「労働者 」 (in e en ent o ke )労働組合であり,労働者の代表 主 を 視する点で中 と共通していたが,政 的には UDFから をとった。 ーカリス トの 場をとる労働者 労働組合にとっては,国 のための政 よ りも, 場や ニ ィにおいて労働者 の組 を 成することが だっ た。 これら3つの ループが,イ ーにより協調したり したりして, OS Uの方 が められていった。すなわち,政 的な ではUDF 労働 組合と中 労働組合が組み,組 的な では中 労働組合と労働者 労働組合が組んで OS U内で多 の見 を 成することになった。その 果, OS Uは労 関係を る に 化せず,多 な の とと して, アパルト イト体 打 のための政 において な役割を果たすことにな ったのである(Baskin 1991 104)。 OS U 労働組合の いの場が職場に限 されなかったのは,当 の南 アフリカの政 状況によるところが大きかった( e ste 1988 B l n 2010 Moo ie 2010 2019)。1980年代には,公営 の賃 料の 上げや に よる , 政 活動家と見なされた との などに 議するデ 行進 や集会が,UDF の 組 により国内各地の ウン ップで に行われた。 これらの は, ウン ップ でもある労働者一 一 の 活に く関わる だった(Baskin 1991 c a 2 e ste 1988)。1980年代 になると,政 が非常事 言を したため,多くの とが を けずに , される事 となった(トンプ ン 1995 405 41 )。198 年 月に 国に非常
事 言が されてから 1年後の198 年 月までに, なくとも 0 の労働 組合運動家( nionist)が 状 にあった。このなかには1989年 まで されなかった者もいた。 の を めたり, による ラス ントに する 議行動として,労働組合がストライ を ・実施することもあった (Baskin 1991 c a 5)。 19 0年代~ 1980年代の南アフリカの労働運動を研究者が社会運動ユニオニ ズムと んだのは,第一義的には, OS U及 労働組合の いの場が職 場に限 されず,アパルト イト体 を打 するための政 において な 役割を果たしたことにある。研究者がこの の労働運動を社会運動ユニオニズ ムと んだもう1つの な 由は,アパルト イト国家に する政 にお いて,労働運動と社会・ 運動組 との に共 関係が見られ,それが 果を っていたことにある4)。代表的な の1つが, 当 の や労働条 件を る労働組合の において, 手である 企 の に する 運動や 店での 運動を とに して めたことだった。 その先 けとなったのは,19 9年に ープ ウンで, 料・ 労働者組合
(Foo an annin o ke s Union F U)5)が, された労働者の 職と
労働組合の を めて,ファッ ィ・アンド・ ニ(Fatti s an Moni s)社 の 運動を 者や 店主に して かけたことである。 社はパス や パンなどの を する会社だった。当初は労働組合の を断 とし て つけていた経営者だったが, カ月もの にわたるストライ と ン ーンを通じて,最 的に をのま るを なかった( a son 2010 e ste 1988 181 Baskin 1991 25)。この に経営 に大きな打 を えたの は, ウン ップの 店主がファッ ィ・アンド・ ニ社からの パンの 4)本章で取り上げた2つの (1)権 主義体 などの 性を たない国家に する ,(2) 社会・ 運動組 と協働しての政 に えて,研究者の中には,南アフリカの労働運動を社 会運動ユニオニズムと見なす上で,労働組合の組 運営において労働者の代表性が担 されているこ とを 視する者もいる(Pilla 2015 201 )。
入 を めたことだったと,当 F U書記 だった ロンは している ( e on 201 121 14 158 1 5)。
方で,労働組合の が 組 との のために行動を こすこともあった。
例え , OS U 成から ること1年前の1984年11月,プレトリア・ウィッ
トウ ー ースランド・フ レニー ン (P eto ia it ate s an e eeni in P )地域(現在の ウ ン に 当する地域)において, の や ウン ップ の家賃 い運動を するため,労働組合と 組 の協働により (sta a a )が企 ・実行された。 かけに応えておよそ80 の労働 者が自主的に職場を した(Baskin 1991 c a 5)。Sc oe e(2009 23)は, この が,労働者が職場の のみならず,政 的 にも関 すること を表明した な 点だったとしている。 は, OS Uが 成された後も,労働組合による 議行動の な として 度かにわたり いられた。 OS U 成後の198 年5月1日には, ーデーを 日とするよう政 に するための が行われた(Baskin 1991 122 12 )。1988年 月には,労働者のストライ 権を しく 限するた めに前年に 表された「労働関係 改 」( a o elations men ment Bill)に するため,3日 にわたる が実施された。初日には250 ~ 300 が OS Uの かけに応えて職場を んだとされる。2日目 は, に した労働者は する,とする経営者や政 からの ッ ージが ラジオや レ で盛んに されたため 者 は した。それでも,3日 の の実施は,南アフリカ史上初の出 事であった(Baskin 1991 283 28 )。 南アフリカの政 は,1990年2月,前年に したデクラーク大 領が,国 会での施政方 において やS Pを 政 組 の合 化,非常事 言の一 , ル ン・マンデラの を 表したことで,アパルト イト 体 の 向けて を った。1994年4月の第1 挙が実施され るまでの政 的 行 の に, OS Uは最初に ,そしてS Pと会合を ,最 的に3組 で 的な を ことが合 された。 関係が れた としてBaskin(1991 429 43 )は,経 かな労働組合運動家を える OS Uが, 先や から した やS Pのリーダーにとって,
国内で再 組 を り上げていくために な の 出 体と見なされた ことを挙げている。 OS Uが 主化と共に政権 となった と を んだことは,南アフリカの労働運動にどのような を及 したのか。 で する。
2
主化のための政 的 行 に, OS Uは, アパルト イト運動の中心 組 で 主化後に政権 となった ,そしてS Pと 関係を んだ。 こ れ は 三 者 (t i a tite alliance)と れ る。 こ の 関 係 に よ り, OS Uは 挙の際には を公に し,S Pも として 者を擁 せず, により国会議員や の ストを 分されている。このような OS Uの 場について,もはや社会運動ユニオニズムではなく,「 的ユ ニオニズム」と する論者がいる。 的ユニオニズムにおいて,労働組合は 国家及 経営者の 方と な関係を ち,両者との において な役割を 果たすものとされる(Sci es 2014 Bassett 201 81 82)。 方で, OS U は 主化と共に社会運動ユニオニズムから「政 的ユニオニズム」 化したと みる論者もいる。政 的ユニオニズムでは,労働組合は「政 と 接に 携し, 政 に してし し 的な 場に かれる」とされる(Be i en o t 201 219)。 OS Uが んだ 関係は果たして 等なものだったのか。 関係 を んだことで OS Uや 労働組合は を し, を ったのか。 主化 後の1995年,労働 や 政 を議論するための公の機関として,国 経 済 開 労 働 議 会( ational Economic Develo ment an a o o ncil ED )が された。 ED は,政 的 行 の1992年に政 , 労働者,経営者それ れの代表者の で社会経済政 の内 について議論するた めに された 国経済フ ーラム( ational Economic Fo m EF))の後
にあたる。 OS Uが 主化後も EFのような の場を すべきであると
ED は,政 ,労働者,経営者,そして 社会組 の代表が一堂に会し, 経済社会政 や労 関係に関わる に関して労 の代表が合 点を見つけるた めの場であり,南アフリカ版 ー ラ ィズムの機関と見なされている。 ED で政・労・ ・ の見 のすり合わせが行われた上で,これらの は国会で 議にかけられる。 主化 後の には, ED を通じて「労働 関係 」( a o elations ct)を中心とする な労働 場政 の 本的な見 しが行われ,労働者の権利を 化するための労働 が された( e ste an le 2000 9 Bassett 201 8)。これは三者 がもたらした な成 果である。 1995年の「労働関係 」( a o elations ct o o 1995)は,労働組 合による労働者の組 化と の権利を手 く する内 となっている (Ba c iesi an B am le 2003 2 B l n 2010 1 4 1 5)。 により,主 な 門においては,職場や ごとに,賃金その の 条件について労 の代表が にあたる 体 ス ムを 入することや,労 関係の 議を するための公的委員会として「あっせん・調 ・ 委員会」( ommission o onciliation Me iation an it ation M )を することなどが めら
れた。 当 などが行われた場合,労働者は, されている や職 によ
り, 議会( a ainin co ncil)が 在する場合には 議会に, 在
しない場合には M に経営者を えることができる。労働関係 に関 した
事 を扱う 別の 機関として,労働 所( a o o t)や労働控
所( a o eal o t)を することも められた。さらに,「 本条 件 」(Basic on itions o Em lo ment ct o 5 o 199 )を通じて,家事労
働者や 場労働者のような 体 ス ムが 在しない ク ーにおいては労 働大 が最 賃金を することが められた。 上のように労働者の権利を るための の において, 主化後, OS Uは ED を通じて ) EFはデクラーク政権の で されたが,その にも OS Uの があった。1991年に政 が (val e a e ta )の新 入を 表したことに し, OS Uは ラル・ ストライ を組 して の を表明した。350 の労働者が した ラル・ストライ は 入を ことはできなかったが, EFが されたことで, OS Uは社会経済政 に関し て公 に 見を述べることができるようになった(Bassett 201 )。
な 力を行 してきた。
その一方で OS Uは,マクロ経済政 の 本方 の に関しては, 主
化後, 力を った。南アフリカにおいて, 主化後の国家による経済再編政
と し て 最 初 に 打 ち 出 さ れ た の は,「 興 開 」( econst ction an Develo ment P o amme DP)であった。 DPは, 々は 主化 挙前に
の 挙公 として 表された文書であったが, 挙で が 利した後に
国家の政 として された。 DPは,経済開 と再分 のために政 が大きな
役割を果たすことを っており, DP の際に中心的 念を提供したのが
OS Uだった( e ste an le 2000 2)。それに して,199 年に政
が新たなマクロ経済政 として 表した「成 ・ ・再分 マクロ経済 」
( o t Em lo ment an e ist i tion Mac oeconomic St ate 通 E )
は, DPとは異なり, さな政 と 政によって 政の 化を図ることを 最 先としていた。本 なら , E のようなマクロ経済政 は ED の場 で議論されるべきものであったが,政 は E の「 組みは しない」とし, ED での議論を じた(Bassett 201 84 85)。それ え E の際に, OS Uは政 的なインプットをする場を えられなかった。 E が 表された後, OS Uや の研究者は,新自由主義( オ・リ ラル)政 の であるとして E を しく した(Ma ais 2011 Bassett 201 84)。だが, E が げた 政 化 が されることは なかった。B l n an s oae i(2013 24 25)は, E の実施により, 三者 を 成する3主体 の関係性が 等ではないこと, OS Uは三者 の中で「 的な 場」にあることが明らかになったと主 している。 三者 の はまた, OS Uや 労働組合にとって, の 出と 労働組合 主主義の後 という をもたらした。三者 の により,労 働組合運動家には社会的 の上 を可能にする新しい リア・パスが まれ, 実際に OS Uや 労働組合のリーダーは政 , ,国会議員,企 の経 営者など,さま まな新しい ストに「 出」していった(B l n 2010 118)。その 果,労働組合リーダーが, 的な出 や のために,政 の
政 に して 的な をとることができなくなったり(B l n an s oae i 2013 12),労働組合リーダーと一 組合員の の社会的 が 大し たりしたことが指 されている(Sat a an So t all 2015)。 e ste an
le(2000 15)によれ , OS U執行 と OS U出 国会議員の に は 的な協力関係が 在してはいないため, OS U出 議員が労働者の代 表として行動するとは限らない。 しろ,「経営や政 に して権力の地 に いた 組合員は, 度に 労働組合となりがちであると主 する労働組合リー ダーもいる」と,自 が 労働組合運動家で研究者を経てフ ート ア大 となったB l n (2010 115 11 )は述べている。 労働組合の執行 と現場の労働者との で が まれ, OS U 労働 組合が労働者の での を させた最も 的な事件が,2012年に マリカ にあるプラ で こったストライ である。このストライ は, OS U 労働組合の UMに した 労働者が主体となって組 した ものだった。だが, 会社 は UM の労働者代表と することを した。 方で,ストライ をする労働者は UMが 労働者ではなく 会社 の利 を 視するようになったと じ, UMに する を っていた。最 的に の 入により,ストライ は 力的に収 させられた。 の によ る 者は34 に上った。 の 入を っては,当 , の 事を めて いた リル・ラマ ー (現南アフリカ大 領)が,ストライ 者に して 断 とした をとるよう める電子 ールを 大 や 大 に して っていたことが明らかにされ, を た。ラマ ー は 主化後に経済 に して大 となった であるが,1980年代には 労働者を組 化し, UMの初代書記 を めていた。マリカ 事件を通じて UMは多くの組合員 を い,プラ では, OS U 労働組合ではない 労働者 組
合( ssociation o Mine o ke s an onst ction Union M U)が組合員 を させた( 2013 Sin ell 2019)。
との 関係は, 主化から20年近くが経 し, 自体が して
労働組合 合の 成という, OS Uの「 機」と表記される事 をもたらし た(Sat a an So t all 2015)。 内 の権力 が公になったのは,200 年 の第52 大会だった。この 大会において, は 出におけるそ れまでの 行を て,現職 だった ・ム 大 領と,ム により 2005年に 大 領職を されたものの の ストは していたジ イ ブ・ズマの で が われることになった( 野 2009)。このとき OS UやS P,そして多くの 組 は じてズマを した。ム は E を し, の 見を して経済 りの「 者」になったと 考えられたため,労働組合 合や 組 の を っていた。 に当 の
OS U書記 だったズウ リンジマ・ ( elin ima avi)は,ズマの
心な 者の一 だった( e ti 2008)。 での 利により,ズマ は2009年の 挙を経て大 領に した。 ところが,ズマ大 領の において な 進力であった 書記 は, 2012年 からズマ政権 での 職の について公に を にするようにな った。 じ ,マリカ 事件後に組合員を らした UMに代わり, OS U 内で最多の組合員を える労働組合となりつつあった 国金 労働者組合 ( ational Union o Metal o ke s o So t ica UMS )執行 もまた,ズ
マ政権を公に し めた。ズマ政権 での大 領を 政 家や の 職や 企 による「国家 」(state ca t e)の実 について調査するための 委員会)が された今日の 点から り ってみれ , や UMS の が的を たものであったことは できない。しかしながら,2012年当 にお いて, や と 関係を OS U執行 にとって,書記 という 職にあり,一 組合員からも く されていた が公 とズマ大 領を することは できなかった。 果, OS U執行 や の政 家と ) 国家機関を 公的 ク ーにおける国家 , 職, 行 の を調査するための 調査委 員会(通 「ゾンド委員会」)。201 年10月に当 のト リ・マドン ラ( li Ma onsela)護 が 表した 書において,ズマ大 領を 政 家や がインド 新興 の プ 家と な関係を ち,大 や国有企 の ・ に プ 家の 向が されることで,公共事 の調 に際して プ 家関 企 に が図られていたとの を したことがきっかけとなり, 2018年1月に された。 年8月から 聞会が開かれている( tt stateca t e o a , 2019年4月15日アク ス 野2018)。
との関係が 化していき,その一方で と UMS の協力関係が に ま っていった(Sat a an So t all 2015 12 14)。
OS Uと UMS の は,2013年12月に開かれた UMS の 国
大会において一 先 化した。この大会では,ズマに して大 領職を に
すること, OS Uに して三者 から すること, 2014年の
挙では を組 として しないこと,などが 議された。 UMS はまた,
との 関係を再考するため, OS U執行 に して 別大会の開
を したが,執行 は を つけた。 , と UMS による
OS U改 は し,2014年11月, OS U中 執行委員会は UMS
の を した。名目上の 由は,一 に一労働組合という OS U
の原則を無視して, UMS が の労働者のリクルートを行ったからである
とされたが( OS U 2015 40), UMS 執行 による度 なる が
の 由であることは,多くの とにとって明らかだった。その後2015年4
月 に は が OS Uか ら さ れ た(Sat a an So t all 2015 14 19 Pilla 2015a 125 128)。 UMS は当初,この について う を見せたが,
最 的には OS U内の主 権 いに れた UMS と により新労働組合
合が され, UMS に 調して 料関 労働者組合(Foo an llie o ke s Union F U)が OS Uを した。
UMS 主 の新しい労働組合 合は,201 年4月,南アフリカ労働組合 合体(So t ican Fe e ation o a e Unions S F U)として 成された。
S F U初代書記 には が した。S F U 大会には 9 を える 組 合 員 を え る24労 働 組 合 が し た が, こ の こ と はS F Uが 当 , OS Uに いで2 目に多くの労働者を代表する労働組合 合として し たことを する。ただし,S F Uには多 な ク ーの労働組合が した ものの,その多くは組合員 1 の さな労働組合であり,なかには労働 省に の労働組合も多 , まれていた。マリカ 事件を通じてプラ で組合員 を やした M UはS F Uには わらなかった。201 年の 点において10 を える組合員 を擁していたのは, OS U 労働 組合の UMS(34 )とF U(12 4500 )のみであった(S F U 201 )。 S F Uは事実上, OS Uから分 して 成された労働組合 合なのである。
S F Uの 成は, OS U 労働組合を中心に 開されてきた南アフリ カの労働組合運動を再編しつつある。「はじめに」で述べたように, OS U 労働組合は2018年 点において1 0 の組合員を擁しており,S F U 労働組合の 0 (201 年)の2 上で,最大の労働組合 合であることに わりはない。一 的な知名度や ディアでの 出度についても, OS Uは の労働組合 合とは べものにならない 大きい。それでも,S F Uの 成 が OS Uに 機 を えたのは事実であろう。 OS Uを の労働 組合 合は,S F Uの ED の を しようと みてきた。
ED には, から OS U,南アフリカ労働組合 (Fe e ation
o Unions o So t ica FEDUS ), 国労働組合 議会( ational o ncil o a e Unions U)8)の3つの労働組合 合が労働者代表として し, この はこれまで 化がなかった。新たな労働組合 合が ED に す るためのルールは, から している3つの労働組合 合の協議により められることになっていたところ,S F U 成 前の201 年初 , 成後2年 は新しい労働組合 合は ED の を申 できない,とする新ルール が 入された。その 果,201 年のS F Uによる 申 は められなかった。 S F Uは 2年を える2019年4月 , ED の が可能となった ものの( an ens 2018),2020年9月 点においても は められて いない(S F U 2019 Smit 2019 cc am 2020)。 本 では, との 関係が OS Uにどのような を及 してきた のかについて, 主化 後の労働 の ,労働組合の 確 の ,そし て労働者の 一を う労働組合 合の「分 」という3点を中心に述べてきた。 最後に, 主化後の OS U 成員の 化について, 労働組合の組合員 の と 成をもとに する。 1985年に4 の労働者を代表する33労働組合の 合体として 成された 8) FEDUS と Uについては (2019) 。なお, U 労働組合の 組合員 は 1994年の 主化 点では33 であったが,2011年には14 まで したとの研究がある (Mac n 2014 45)。
OS Uの 組合員 は,年により , している年があるものの,2012 年に219 でピークを えるまでは 本的に 向にあった。その後, 2012年8月のマリカ 事件で UMが組合員を らし,2014年 に UMS が されたため,2015年には 組合員 が192 まで した。 はこれ に まらず,2018年には1 0 となった9)( OS U 2012 2015 2018 19)( )。 462 712 924 1, 212 1, 252 1, 791 1, 869 1, 768 1, 841 1, 974 2, 191 1, 923 1, 731 1, 711 1, 605 0 500 1, 000 1, 500 2, 000 2, 500 1985 1987 1989 1991 1994 1997 2000 2003 2006 2009 2012 2015 2016 2017 2018 COSATU 労働組合の 組合 の 198 2018年 ( 1 000 ) (出所) 1985~1989年はBaskin (1991 55 213 34 ),1991~2012年は OS U (2012 ),2015~2018年は OS U (2018 19)より筆者 成。 2012年までの組合員 の は,すべての で に こったわけではなく, 一 の ク ーに限られたものであり, OS U 労働組合の組合員の 成 は 主化前後から2010年 までの に なくとも2点において大きく わっ た。第1に, 企 の労働者に べて,公的 ク ーで働く労働者の める割 合が した。1991年には OS U 労働組合の組合員の90 上が 企 の労働者であった。それに して2012年には公的 ク ーの組合員 が 39 まで した( OS U 2015 )。2015年の第12 OS U 国大会に 提出された「組 書」は のように述べている。 9) 2015 ~ 2018年にかけての 組合員 の 由は,F Uの と,南アフリカ 関 労働者
組合(So t ican ans o t an llie o ke s Union S U)がリーダー の権力
ク ーの労働組合組 は1995 ~ 2005年まで32 4 と一 であっ たのに し,公的 ク ーでは50 から 8 4 と した。 的に,こ れ , ク ーの組 は しく した( OS U 2015 4)。 OS Uの 書は ク ーの組 について を述べてはいな いが,研究者の では2005年に30 1 であった ク ーの労働組合組 は,2010年には2 3 ,201 年には18 2 まで したとされる(B o at an Stan i n )。 果, に したように, OS U 労働組合の中でも, , , ・ ・ 門,地方自 体, 及 所のような,公共 ー ス 門で働く労働者が 入する労働組合の組合員 が した。例え ,公 の や 機関で働く非専門職の労働者が主な組合員である 国 関 COSATU 労働組合の組合 の 1991 2018年 ( ) 1991 1994 199 2000 2003 200 2009 2012 2015 2018 主に ク ー の労働者 入組合 UM 2 0 000 311 000 311 000 290 000 2 9 000 2 2 000 2 2 000 310 382 250 25 184 50 UMS 2 3 000 1 0 000 220 000 200 000 1 3 000 21 000 23 909 291 025 F U 129 000 121 000 140 000 119 000 119 000 115 000 118 9 4 12 930 12 995 S U 9 000 102 000 102 000 102 000 102 000 108 000 115 488 120 352 120 352 120 352 S U 18 000 150 000 150 000 120 000 105 000 110 000 85 000 85 025 85 204 91 003 主に公的 ク ー の労働者 入組合 E U 18 000 4 000 1 3 000 235 000 235 000 204 000 230 445 2 0 38 2 31 2 5 083 S D U 59 000 14 000 219 000 215 000 224 000 23 843 251 2 248 9 9 251 202 S M U 0 000 100 000 11 000 120 000 120 000 118 000 135 90 153 48 150 923 148 215 POP U 45 000 1 000 000 9 000 125 32 149 339 15 505 159 9 0 DE OS 3 000 0 000 1 000 4 000 8 450 4 883 80 4 80 4 公 両方 の労働者 組合 S U 0 000 4 000 91 000 103 000 4 000 133 000 140 392 159 2 218 014 101 458 (出所) OS U (2012 2018 19)より筆者 成。 ( ) (1)本文や で言及していない労働組合の 名 は の通り。 ・ 所 権労
働組合(Police an P isons ivil i ts Union POP U),南アフリカ 主 護組合
(Democ atic sin O anisation o So t ica DE OS )。
(2)南アフリカの労働組合は ク ーと公的 ク ーの労働者を別々に組 している
のではなく, UMや UMS には電力公社 ス ムの 料 門や機 門で働く労働者
労働者組合( ational E cation ealt an llie o ke s Union E U)
は,1994年には組合員 が 4000 に なかったが,2018年には2
5000 を えており4 3 に えている。公 の 員による南アフリカ 主
員組合(So t ican Democ atic eac e s Union S D U)も,1994年の 5 9000 か ら2018年 に は25 1200 で4 25 の で あ る( OS U 2012 2018 19)。 方で, 企 の労働者が主に 入する労働組合についてみると,2012年 まで 動などを して年により が見られる労働組合( の UM,金 の UMS ),一 の組合員 を している労働組合( のF U など), 主化後, しく組合員 を らした労働組合, に組合員 を した 労働組合,に分けられる。つまり, 主化後の OS U 労働組合の組合員 の 成を考える上で第2の な点は, ク ー内 においても, によ り組合員 の が異なることである。 に組合員 を大 に らしたのが,南
アフリカ 料 労働者組合(So t e n ican lot in an e tile o ke s Union S U)であり,1991年の18 000 から2009年には8 5000
と に した。 も組合員 は大きく していない。 方で,レス
トランやスーパーマー ットで働く労働者を主な組合員とする南アフリカ ー リン 関 労働者組合(So t ican omme cial ate in an llie
o ke s Union S U)は,1991年の9 000 から2012年には12 と組合員 が している( OS U 2012 2018 19)。おそらくこのことは, 主化後の南アフリカ経済において, 料・ などの で が進 一方で, やレストランなどの ー ス で働く との が えているこ とを したものである。 さらに, OS U 労働組合を 労働組合に 入している労働者と労働 組合 入の労働者を べると,2012年 点で労働組合 入者の95 , OS U 労働組合 入者の92 が 限に めのない 労働者である のに し,労働組合 入者の中で 労働者の割合は50 にす ないと のデー がある( OS U 2012 12)。それ え OS Uを っては,労働者 の中でも 的条件に まれた一 の「 権的な労働者」(la o a istoc ac )を 代表しているに ないとの が 在する(Pilla 2008 54)。ただし,
OS U 労働組合の中でも,S U(有 労働者1 , 労働者 4 )やS U( 1 , 4 )など 企 の労働者を とする労働組
合においては非 労働者の割合が めである。公的 ク ーと ク ー両
方の労働者を組合員として え, も とする南アフリカ 関 労働者
組合(So t ican ans o t an llie o ke s Union S U)は組合
員の12 が 労働者,11 が有 労働者であり, OS U 労働組 合の中では 労働者の める割合が最も い( OS U 2012 12)。 料・ , , は, OS U 労働組合の組合員の中で賃金が 最も い労働者であり( OS U 2012 11),公共 ー スで働く労働者と べ て の でも 性が い。 では, 主化後の労働 場の 化, 体的には有 労働者や 労働 者といった非 労働者が したことに して OS U 労働組合がどの ような 応をはかってきたのか,さらには労働運動にどのような 化が見られる のかについて考 する。
3
多くの先行研究が, 主化と共に南アフリカ経済が 場に に した ことで ロー ルな経済的再編の を 接的に けるようになり,さま まな において労働 場の 化が進んだことを指 している( on ol t an e ste 2005 2009 e on 2005 Pilla 2008 Be i en o t 2008 o nell 2009 enn 2009 Di Paola an Pons i non 2013 Ste a t Be i en o t an Bisc o 2019)。例え on ol t an e ste(2005 5)は, 主化後 の南アフリカの労働者を, 中 的なフ ーマル 門の 労働者, 有 ないし 者(la o oke )を通じて される非 労働者, インフ ーマル 門で を てたり, 状 にある労働者,の3 ループに分 して いる。そして,第1 ループが 的 した 関係のもとで賃金や 利 , 労働組合 入の権利を している一方で,第2 ループの の 度は く,非常に「 確実な」( eca io s)状 にあること,第1の 労働者が する 一方で,第2と第3の ループに する労働者が してきたことを論じている。 しかしながら, の非 化の実 を労働 で 的に確 することは ではない。南アフリカ は2000年から ンプルをもとに労働力調査 ( a o Fo ce S ve )を実施しており, 調査は2008年から ごとに行 われ, 者 の や公 は 調査をもとに 表される。 調査では, と家事 ー ス ( ivate o se ol s)10)を く ごとの 者 に関し て,フ ーマル・ ク ーとインフ ーマル・ ク ーに大別した が 表さ れる。ここでインフ ーマル・ ク ーの 者は,「5 の企 で働く, /賃金から所 が かれていない 員」及 「所 ないし の をしていない個 店主,自営 者(o n acco nt o ke s),家 を無 で手 っている者」の2つの からなると 義される(Statistics So t ica 2019a 1 )。つまり, の 企 で を てている自営 者や 企 の 員 は されているが,フ ーマル・ ク ーの企 で 確実な 条件のもとで働く労働者 は労働 からは確 できない(Pilla 2008 49)。 ただし,労働 からわかる労働 場の もいくつかある。第1に,2019 年第3 ( ~ 9月) 点11)において,公 は29 1 ,調査日より前の 4 に 職活動をしなかった 者を 大 は38 5 であり,そもそ も 労可能な状 にありながら, 労していない が 当 いる。第2に, と家事 ー ス を く ( , ,ユー ィリ ィ 電 ・ ス・ , , , ,金 , ニ ィ・社会 ー ス) 体でみると, 者 1 3 の 8 5 がフ ーマル・ ク ーでの となっている。ただし, と ではこの割合は共に 3 9 で,インフ ーマル・ ク ーの割合が 10)多くが家事労働者であり, に などが まれる。 11)労働 については,2020年2月の 点で最新であった2019年第3 を した。表1 2 において労働力調査が に実施される 前の からの をまとめており,第 3 の デー が の上で最 であることから,入 原 成 にこの 分について最新の労働力調査に アップデートすることはあえてしなかった。
的に い12)。第3に, ごとの はないが, 員13 3 のうち書 を有する者が80 に する一方で, 限に めのない者は 1 3 , 出年金 入者は48 3 , 入者は29 8 に ない(Statistics So t ica 2019a 19 3 5 3 5 9)。 上をまとめると, 者 体の 3分の 1がインフ ーマル・ ク ーで を て, 員の 上は 出年金に 入しておらず, 入者となるとさらに ないという,限 的な 利 しか たない労働者が多くいることが明らかになる( )。
また,一 に非 (non stan a em lo ment)といっても,そこには いくつかの イプがある。 e on(2005 305)は,フル イムからパート イ ムや有 の 行(cas alisation), 化(e te nalisation),インフ ー マル化(in o malisation)が「三 一体」となって進行しているとした上で,最 も大きな は 化であると述べている。 化にはアウト ー ン や け( ブ・ ントラク ィン )が まれ,南アフリカの場合,一 に 者や 者を通じた労働者 を指す。 e on(2005 305)が 化を最大の と見なす 由は,それが「フル イム」で,「経営者の 内( emises)を職場」 とし,「 ないし の めがない」という 的な 関係(stan a 12) と のフ ーマル・ ク ーで働く労働者の割合は2000年代前 に に く, につ いては2000~2004年, では2000~2002年に 割 であった(Statistics So t ica 2009 1 )。 南アフリカの労働 に るい つかの の 年 労働力 (1 000 ) 者 (1 000 内フ ー マル・ ク ー 者の 割合( ) 公 ( ) 大( ) 員 (1 000 出年金 入者割 合( ) 有 の権利が ある者 ( ) 入者 ( ) ( )入者 書 有( )有( ) ( ) ( )組合 入 2000 1 0 8 12 33 5 1 23 3 2004 15 924 12 2 5 0 8 23 0 2009 18 30 13 830 0 8 24 5 33 8 11 833 4 1 0 58 0 30 5 8 1 11 3 4 5 29 8 2014 20 2 8 15 11 1 25 4 35 8 12 992 48 9 4 9 0 8 31 8 81 1 15 5 2 9 29 2019 23 109 1 3 5 8 5 29 1 38 5 13 39 48 3 0 0 4 29 8 80 0 13 2 1 3 29 (出所) 2000年と2004年は9月でStatistics So t ica (2009)の改 ,2009年,2014年, 2019年は第3 でStatistics So t ica (2019 )より筆者 成。 ( ) フ ーマル・ ク ーの 者 からは と家事 ー ス を く。 労働組合 入 は2009年ではなく2010年の 。
em lo ment elations i )( e on 2005 29 )を に「 めるのみならず」, 者という第三者が に入ることにより,労 関係を 本的に えるものだと 考えるからである。 の を とする個別研究は,非 がさま まな で して いることを している。例え , にわたり だった では,労働 者のおよそ3 に1 が 者を通じた 労働者となっている(Be i en o t 2008 183)。 主化後,中国 の い 料と が国内 場に大 に出 るよ うになったことで 力を った 料・ では,多くの 労働者が家内 ( ome o kin )や けのような で働くようになった。その 果, これらの とは や 出年金のような 利 を った( an e est i en 2005)。 ではパート イムや有 の労働者が 員 の なくとも20 , では 0 ~ 80 に るとの もある(Pilla 2008 50 51)。非 の は 企 に まらない。地方自 体の提供する公 共 ー スであるごみ収集 ( an ieke k an onnie 2009)や の 員(Dickinson 201 a 201 )のような公的 ク ーにおいても, け 者 や 者を通じた の 化が進んでいる。 主化 後の199 年 点で, OS Uは 場労働者や家事労働者などの労働 組合組 が く 性の い労働者や,パート イムや有 の状 にある労
働者の組 化を進める必 性を していた(Se tem e ommission 199 nciman 2019 14 )。実際, 労働組合の中には,有 や けなど 確 実な 状 にある労働者の組 化に力を いだところもある。例え ,1991 ~ 2012年の20年 に最も多くの組合員を った 料・ のS Uは,家 内 を行う 労働者を組 するための ン ーンを実施したり,レ トやス ジランドのような南 アフリカ諸国 と労働組合の活動 を 大したりしてきた (B l n 2010 94)。パート イムや有 の労働者の める割合が い においても,組合員 のために職場での代表権を う 性に した S Uが,これらの労働者に労働組合 入を し,2003年には大手スーパ
ーマー ット・ ーンの ップライト各店において非 労働者を中心とする ストライ を実施した(B l n 2010 93 94 on ol t an e ste 2009 9 enn 2009 104 105)。 このように, 主化後,非 労働者やインフ ーマル・ ク ーの労働者を 組 するための取組みが の OS U 労働組合により行われたにもかか わらず, 的に言ってその成果は しくなかった。第2 2 4で したように, 2012年 点で OS U 労働組合 入者の92 が 限に めのない 労働者であり,有 の組合員は8 に ない( OS U 2012 12)。 や労働組合ごとに 有の があると されるが,ここでは南アフリカ地方
自 体労働者組合(So t ican M nici al o ke s Union S M U)の例を
手 かりに, の OS U 労働組合にも一 化できる として,2点が
指 できる。
第1が原則に関する である。労働組合関係者の ーク ップで自 の経
を語った an ieke k an onnie(2009 34 3 )は,S M Uが労働組合
として自 体が提供する公共 ー スの 営化に している一方で, 者 に われている労働者の組 化に取り組め 営化を することにつながるた め,これらの労働者を組合員としてリクルートすることは困難であると述べてい る。この は, OS U 労働組合が 者から される労働者の 入を めるべきか かという とつながる。 OS Uは200 年に 者 ン ーンを開 し( nciman 2019 14 ), 者は で する のではなく, 的に すべきであるとの 場を取るようになった( OS U 2012 1 2)。 者から される労働者の 入を めることは, 者 の 在を することになるため, OS Uの原則に っ向から すること になる。S Uの場合,この は,例え 家内 を行っている とを 組 すべきか,それとも家内 そのものの のために活動すべきかというジ レンマとなっている( e on 2005 310)。 第2が非 労働者を組 化する際の実 上の であり,これは多方 にわ たる。まず, 者や 者の所在地やこれらの 者に われている労働者 の職場を労働組合が することが困難である場合がある。 の場合は, 労働組合に 入したとたんに労働者の が してしまうこともある。
S M Uの場合,地方自 体から事 を け っている 者を するのに必 な地 の情 を たなかったり, け 者が事 を行っている場合もあった りするため,個々の自 体に関して けや けの 体 を することは 可能であるという( an ieke k an onnie 2009 3 38)。 企 においても, 例え ある 場において,さま まな や , 包や点 , , 施 , , など ごとに担当する 者や 者が異なるなど, の分 化と労働力の断 化が しく進んでいるため,異なる 者に されている労働者を組 化するのは ではない13)(En le t 201 c a 4)。 この は, OS Uが一 労働組合ではなく, 別労働組合による労働 組合運動を したことにも関わっている。 果的に OS U 労働組合は, 職場にいるすべての労働者を1つの労働組合に組 するのではなく, じ職場で の労働組合が の組合員を え,活動する状況になっている(O 2009 1 0 1 2)。 に 者や 者を通じた 労働者の場合,改 労働関係 (2014年)が2015年に施行されるまでは, 先である自 体や企 ではなく, の 者や 者が 主とされていたため( e on 2005 301), 労働組合は 労働者の労働条件について, 先の自 体や企 と する権 限を たなかった(O 2009 1 0 1 2)。改 労働関係 (2014年)が施行され て初めて, 労働者の は3カ月を えてはならないこと,3カ月を えた場合には 先企 の 員と見なされなけれ ならないことが められた (En le t 201 c a 5)。さらに,改 労働関係 (2014年)が 入された当初 は の が となっていた最初の3カ月 についても, 労働者の 主は 先企 であるとの が,2018年に 所により された
(Ma lakoana 2018 e F ame 2018)。
にも非 労働者を組 化する際の実 上の として,S M Uは の諸点を挙げている。第1に,非 労働者が職を うことを れて労働組合 入を する場合がある。第2に, 労働者が非 労働者に して 在的な 手と見なし,職を うことに する れから非 労働者の労働組合 入 13)2019年8月2 日にジ ー ストンにて実施した筆者によるM s aan Sc oe e( O o o inato ) のイン ー。
について快く思わない場合がある。第3に,自 体の公共事 を け う 企 がいわ るBEE企 14)で, の政 家と 力なつながりを つために, BEE企 と労働者の 条件について するのが難しい場合がある( an ieke k an onnie 2009 38)。 上のように, OS U 労働組合は非 労働者を組 化する上でさま まな困難に しており,非 労働者の労働組合 入は限 的である。 え て, から労働組合組 の い家事労働者や 場労働者に関しても, OS U 労働組合による組 化 力は実を んでいない( 2013a B l n 2010 10 )。 果的に, 主化後の労働 によって 護される労働 者の割合が してしまったことを する (Be i en o t an s oae i 201 8)や, OS Uに して労働者代表としての 性を 視する研究 も出ている( nciman 2019)。 その一方で, OS U 労働組合による非 労働者の組 化の は, 非 労働者による労働 議の 在を するものではなかった。最後に の 労働組合によらない労働者の労働運動の実 について する。 南アフリカ労働省15) 行の 議行 書 によれ , に す通り, 国におけるストライ の 件 は,年により 動があるものの 2009年 までは 向にあった。しかし2010年からその は し,2018年には 20年 で最多の1 5件に した。ただし,各ストライ の さはまちまちであ ることから,ストライ の をはかる上では, 件 よりもストライ によ り われた労働日 の方が である(B o at an Stan i n )。そこでスト 14) 主化後, の経済 を し, の企 家や経営者を 成するために,南アフリカ政 は公共事 の入 の際に, 所有企 や 経営企 を する政 を している。南アフリ カ版のアファーマ ィブ・アク ンとも言えるこの政 は, の経済力 化( lack economic
em o e ment BEE)政 と れ,一 的には であるBEE,BEE政 ,BEE企 などの
が 通している。
15)2019年5月の 挙後,労働 省(De a tment o a o an Em lo ment)と名 が さ
ライ の 度を す労働者1000 当たりの労働 日 について見ると,公的 ク ーの労働者が賃金上 を めて ストライ を行った200 年と2010年, そしてプラ の労働者が のストライ を行った2014年がストライ が非常に しかった年であることがわかる。 方で,この3年を くと,2010 年 ,ストライ の 件 が えているのとは 的に,労働 日 は いレ ルにとどまっており, のストライ が行われなくなっていることも 近年の 向として指 できる。 さらに,近年のストライ の としてもう1点指 できるのは, に す通り, 的手 きを まないストライ 1 )が年により 割近くを めるように なっているということである。労働関係 で められているのは, M ない し 議会で賃金 が した後に,労働組合がストライ 権を て,経営 者に して48 後にストライ を実施することを 知した上で行われるスト ライ である。 的手 きに則ったストライ に した労働者に しては,ス トライ の 中, 料の いは されるが は られる。つまり,スト ライ に したという事実により労働者が されることはない。それに し 0 200 400 600 800 1, 000 1, 200 1, 400 1, 600 1, 800 0 20 40 60 80 100 120 140 160 180 1000 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 ライ の 生件 と労働 の変遷 1999 2018年 (出所)DO (va io s ea s)より筆者 成。 1 )労働関係 上の 名 は「 護されていない」( n otecte )ストライ 。
て,労働関係 に められた手 きを まずに実施されるストライ の主体は労 働組合に限らず,労働者による自 的な委員会などにより実施される場合もある。 近年の 的手 きを まないストライ の は,労働組合に 入の労働者な いし労働組合の で実 される労働 議の を すものである。 の労働組合や 体 の 組みの で労働者がストライ に み った事 例は,行政 ( s ane) における200 年と2008年のストライ 1 ) など,2000年代後 にすでに していた( ees 2009)。しかしながら,労働 組合に組 されていない労働者による 議行 が一 に く 知されるようにな ったのは,2012年8月のマリカ のストライ だった。第2 2 2で述べた ように,マリカ では, OS U 労働組合の UMに した労働者 が労働者委員会を 成して, 的手 きを まないストライ を実施した(
2013 ane 201 Sin ell 2019)。その後,2012年 ~ 2013年初 にかけ
ての には, ープ の多 の 地 において 場労働者によるストライ が こったが,ここでも の労働組合の関 はきわめて限 的だった( 2013a)。 1 )このストライ は, 者から されている労働者が, に して 接 の と 労働条件の改善を めて こしたものだった。 54% 48% 52% 45% 41% 52% 41% 45% 52% 48% 55% 59% 48% 59% 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 きに る ライ と き ま い ライ の 合 2012 2018年 (出所)DO (va io s ea s)より筆者 成。
2013年 も,労働組合に組 されない労働者による労働条件の改善を め る行動は いている。例え Dickinson(201 a 201 )は,ジ ス ー の で働く 労働者が, による 接 と労働条件の改善をいか にして ち取ったかについて に分析している。当初, 労働者は OS U 労働組合の ニ ー ン労働者組合( omm nications o ke s Union U)に を めたが, 分な は られなかった。 労働者はまた,2005年 から労働者委員会を ち上げ,さま まな労働組合 や政 組 ,労働省などに して ・ 情を行ったが,目 しい成果は られ なかった。その後, 的な手 に見 りをつけ, 的手 きを まないストラ イ の実施,ストライ に しない 員に する がらせを通じた , そして との のために の自 に し けるといった実力行 に 出た。 は 在だったが,後日, との 接会 が実現し,最 的に201 年に による 接 に された18)。 ジ ス ー の南 に する ウ ン ディ ン(Se i en )に ある イ ン社の ール 場で働く 労働者の事例では, 労働者ア
ド イス・オフィス( as al o ke s vice O ice O)という Oが な 役 割 を 果 た し て い る(En le t 201 e ste an En le t 2019)。 Oは 地 の クルレニ ジ ー ストン( e miston)に2011年に され,労働者に して 上の権利の 知を図り,権利が された際に 活動を行う 体である。代表の ルーダー( Sc oe e )氏は19 0年代~ 1980年代には労働組合の運動家であった。 によれ ,3カ月を えて さ れている 労働者や 労働者は, 先企 において 接 され 労働 者の 分を ることができると めた改 労働関係 (2014年)が2015年に施 行され,この「新しい権利」について 知するための ン ーン( O 18)なお,この事例では 労働者を 接 しても にとっての ストが じであることが述べ られている。 は 者に して 労働者1 当たり月 4000ランドを い,そのうち の2000ランドが 労働者に 料として われていた。 接 後は,4000ランドが労働 者に 料として われることになった。この金 は, 前から 接 されている の 労働者の 料よりも く,労働条件が に一 したわけではなかったが, 労働者にとって 大きな 利であったことに わりはない(Dickinson 201 a)。
2015)を開 したことが, Oを る非 労働者の につながった19)。 Oは,2015年4月 に ム ニ 労 働 者 フ ー ラ ム(Sim n e o ke s Fo m, , ムニ )20)という,非 労働者が主体となって 条件や職場 の労働 について し合うための新組 の 成にあたり, の役割を果たし た。 ムニ は 日に Oの集会所を利 して 会合を開 してお り,2019年8月 点では 50社で働く300 の労働者が会合に していた。 ムニ の 会合では, 体会合において各企 の労働者からの情 が共有さ れた後,職場ごとの ループに分かれて職場 有の や 応 についての し 合いが行われる21)。 じ 的 で働きながらも, や 者, フ ト などにより労働者が 分化されているため,たとえ労働条件に を えて いたとしても,労働者が して組 化を進めるのは困難である。そのような状 況において, ムニ の 会合は異なる 者に されている 労働者 が一堂に会して し合いを つための な場を提供している。 イ ン社の ール 場で働く 労働者は, Oや ムニ の労働者リーダーの助 言を けつつ,201 年に 接 の を めて, M において イ ン社との に着手したのだった(En le t 201 )。 M の労 では の知 が必 であり,個々の労働者や労働者リー ダーにとって,大企 の経営者やその 護 と 等に り合うことは ではな い。それ え経営者との においては,労働組合や ムニ , Oのよう な 組 の が必 である。 イ ン社には, のF Uに 入 している労働者がいるが,F Uは 接 の を目指す 労働者の運 動は せず, しろ 的な 度をとった(En le t 201 c a s 5 an )。 方で,2019年8月の筆者の現地調査 点において, ムニ は労働省に労働 組合 をしていないため, M や 議会で労働者代表として にあ たる を たなかった。非 労働者の労働 に取り組 ムニ は, Oという労働 Oの を けて活動しており, の労働組合とは異 19)2019年8月2 日にジ ー ストンにて実施した筆者によるM s aan Sc oe e( O o o inato ) のイン ー。 20) ムニ は現地語の1つであるズールー語で「 たちは1つ」( e a e one)の 。 21)筆者は2019年8月31日に行われた ムニ の 会合を させてもらった。
なる労働運動主体である。しかし,現在の 体 の 組みで労働者を代表する ためには, のところ,労働組合組 となら るを ないと言えるのかもしれ ない22)。
おわりに
本章ではまず,19 0年代~ 1980年代に南アフリカで じた「新しい労働運動」 について,それがな 社会運動ユニオニズムとして研究者により 明されてきた のかを, OS U及 労働組合の当 の活動の を り ることから明 らかにした。その上で,当 の「新しい」労働運動であった OS U及 労働組合の活動が, 主化後,どのような 開を げてきたのかについて論じた。 その際に本章では,政権 との という政 的 化,そして ロー ル化による労働 場の再編という経済的 化の2つの 化に着目し,これら2つ の 的 化が OS U及 労働組合に えた と 化に する労働組 合の 応を考 した。本章の 論として, 主化後の南アフリカにおける労働運 動の について の4点が指 できる。 第1に, 主化と共に OS Uが政権 と 関係を んだことは, OS U及 労働組合を中心とする南アフリカの労働組合運動の に 両方の を及 した。 の では,経済社会政 に関する政・労・ ・ の 社会的 を公 化した ED の ,そして ED における政 や経 営者代表との を通じて,労働者と労働組合の権利を るための労働 の改 と という大きな成果があった。だがその一方で,三者 における OS U, ,S Pの関係性は,必ずしも 等なものではないことがすで に199 年の 点で, E という新自由主義的なマクロ経済政 の におい 22) ムニ の 会合においては,労働組合 の 件である労働組合 の 収が にわたり議 に上っており, ムニ が近いうちに労働組合 の手 きを開 する可能性は 分にある。だが, ムニ の 成を した Oは,金 が ことで組 の運営が する可能性を 念し,労 働組合 の 収については な を ってきた。2019年8月2 日にジ ー ストンにて実施して明らかになっていた。しかも三者 の は,労働組合運動家に して国 会議員や などといった社会的上 のための リア・パスを み, OS Uからの 出をもたらすことになった。そして最 的に2014年, 主化から20年 りを経て,政権 との 関係の 非を り, OS Uは最大の 労働組合 UMS を い,事実上,「分 」するに った。 第2に, 主化と共に国際社会に して ロー ルな経済 の 合が進み, の非 化が進 した 果, OS Uの代表性と 性には がつく 事 が じている。 OS U 労働組合の 成員についてみると,1990年 代初 から公的 ク ーの 労働者の組 化が進んだ一方で, ク ーで は 料・ を中心に の と非 化が進み,組合員 を大 に ら した労働組合もあった。 OS Uは199 年から労働組合に 入していない非 労働者や 場労働者, 労働者などの 性の い労働者を組 化する必 性を し, 労働組合の中にはこれらの労働者を組 化する取組みを開 したところもあった。だが, じて成果は しいものだった。現在, OS U 労働組合の組合員の90 上が 限に めのない 労働者となって いる。その一方で, 限に めのない 員は 体の 割に ず, 出年 金や などの 利 を している 員の割合はさらに ない。 しかしながら第3に,非 労働者の と の労働組合による非 労働 者の組 化の は,これらの労働者の での労働条件の改善を める運動の 在を してはいない。本章では, , ,自 体, などさま まな において, の労働組合に らずに,労働者自 が労働者委員会などを 成してストライ を実施したり,労働 Oのような新しい組 の を けて 経営者に して労働条件の改善を めて に んでいる事例が多 みられるこ とを明らかにした。これらの事例の多くに共通するのは, の労働組合に す る が自分 自 で組 化を進める際の 機となっていることである。しかも の労働組合は,組合員である 労働者と非 労働者の の利 の に まれて,非 労働者の を に することもある。その一方で, の労 働組合に らない非 労働者の労働運動の が,フル イムの 接 の であるという事実,そして の地 を した後に労働組合に 入す る労働者がいるという事実は,労働組合運動そのものが されているわけでは