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〈論文〉江戸時代中後期における煎茶趣味の展開と煎茶道の成立

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Academic year: 2021

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(1)商経学叢. 第59巻 第2号2012年12月. 江 戸 時代 中後 期 に お け る煎 茶 趣 味 の展 開 と 煎 茶 道 の成 立. 安 概要. 永. 拓. 世. 本 稿 は,18世 紀 中期 か ら19世 紀 に か けて 京 都 や 大 坂 で 流 行 した 煎 茶 趣 味 が,芸 道 と し. て の 煎 茶 道 へ と変 容 す る プ ロセ スの 解 明 を 目的 とす る。 と くに,大 坂 を 中 心 に 活 躍 した 煎 茶 道 の 家 元 ・田 中 花 月 庵 鶴 翁(1782∼1848)を 係 や,そ れ を 記 した 資 料 を 通 して,①. 題 材 と し,当 時 の 文人 た ち と花 月 庵 との 交 流 関. 日本 に 煎 茶 を 広 め た 売 茶 翁(1675∼1763)と. い う人 物. が 神 格 化 され,彼 に結 び つ く花 月 庵 が 権 威 付 け られ て 作 り上 げ られ て い く言 説 。② そ の 言 説 に寄 り添 うか た ちで 付 加 価 値 が つ け られ る煎 茶 道 具 。 ③ 新 興 の 芸 道 で あ る煎 茶 道 が,既 存 の 芸 道 で あ る茶 の 湯 か ら受 けた 影 響 。 とい う主 に 三 つ の 視 点 か ら考 察 を お こな い,家 元 が作 ら れ て い く過 程 に迫 る。. Abstract. The purpose of this paper is to solve the process in which the "Sencha Tea". hobby , that was in fashion by Kyoto and Osaka from the middle of the 18th century to the 19th century Kagetuan. , changes into the "Sencha Tea" ceremony . Here, I deal with Tanaka. Kakuo(1782-1848). who became the head family of the "Sencha Tea" ceremony. in Osaka.C)Baisao(1675-1763) the statement. was deified, the head family was connected to him, and. was made. ©The tools of "Sencha Tea" with which added value was given. based on that statement. C The "Sencha Tea" ceremony was affected from the "Cha -no-yu" tea ceremony . From these three viewpoints I approache the process in which the head family was made. —7 — EgMA'ffi El 201211/1. PAM-, 30 El. r1=1;POTOM,. -4-.0'&71;0);WW,.

(2) 第59巻. は. 第2号. じ. め. に. 本 稿 の 目的 は,江 戸 時 代 にお け る煎 茶 趣 味 が,単 な る余 技 で あ った 段 階 か ら,芸 道 と し て の 煎 茶道 へ と変 容 して い く過 程 を 解 明 す る こ とで,煎 茶 道 成 立 の 実 像 に迫 り,従 来 ほ と ん ど取 り上 げ られ る機 会 が な か った 煎 茶 道 を,江 戸 時 代 の 芸 道 の 中 に位 置 づ け る こ と に あ る。 そ の 際,茶. の 湯(1)との 相 関 関 係 の な か で,煎. 茶 趣 味 の 変 容 を と ら え る こ と で,既. 存 の. 芸道 に対 す る認 識 とい う観 点 か ら煎 茶 道 成 立 の 方 向 性 を 探 りた い。 な ぜ な ら,こ の こ とが 芸道 成 立 にお け る近世 的特 質 を 浮 か び上 が らせ る結 果 にな る と考 え るか らで あ る。 江 戸 時 代 に お け る 煎 茶 趣 味 は,享. 保20年(1735)に,売. 茶 翁(高. 遊 外,1675∼1763)が. 京 都 の 市 中 で煎 茶 を 渣 れ て売 り歩 く売 茶 活 動 を お こな った の を契機 と し,京 都 や 大 坂 で勃 興 し た(2)。そ の 後,大. 枝 流 芳(生. 没 年 未 詳),木. 村 兼 葭 堂(1736∼1802)な. どの 文 人 た ち を 中. 心 に,中 国 へ の憧 憬 を基 盤 に展 開 した 中 国趣 味 や文 人 意 識3)の流 行 を背 景 と しな が ら愛 好 さ れ る よ う に な り,さ 継 が れ,木. ら に,上. 米(1767∼1833),田. 田 秋 成(1734∼1809)や 能 村 竹 田(1777∼1835),頼. 村 瀬 拷 亭(1744∼1818)へ. と受 け. 山 陽(1781∼1832)な. ど の啓. 蒙 に よ り,広 汎 な 展 開 を み せ る。これ に呼 応 す る形 で,さ ま ざ まな 煎 茶 書 の 刊 行 が 相 次 ぎ, 江戸 時代 後 期 にか けて 煎 茶 趣 味 は広 く享 受 され て い く。 か か る動 き は,や が て 宗 匠 の 誕 生 を 促 し,芸. 道 と し て の 煎 茶 道 を 出 現 さ せ だ4)。. この よ うな 煎 茶 に関 す る具 体 的 か つ 包 括 的 な 研 究 は,あ ま り多 くはな い。 だ が,そ の 中 にあ って,熊 倉功 夫 氏 と楢 林 忠 男 氏 の 研 究 は,思 想 史 ・芸 能 史 的 観 点 か ら煎 茶 趣 味 を論 じ. (1)本 稿 で は,煎 茶 と区 別 す るた め,抹 茶 を 茶 第 で撹 拝 して 飲 む 芸 道 と して の 茶 道 を 「 茶 の湯 」 と 呼称 す る こ と とす る。 な お,こ の 茶 の 湯 は,史 料 中で は 「点 茶 」 と して 記 載 され る こ とが 多 く, 一 方 の煎 茶 は ,史 料 中 で は 「煎 茶」 「 煮 茶 」 「烹 茶 」 な どの 記 載 が あ る。 (2)「 煎 茶 」 が 売 茶 翁 以前 に 日本 で 全 く飲 ま れ な か った わ けで はな い 。 そ の こ とは,熊 倉 功 夫 『近 代 茶 道 史 の 研 究 」(日 本 放 送 出 版 協 会,1980年),大 槻 幹 郎 「黄 葉 山の 開 創 と煎 茶 」(板 橋 区立 郷 土 資料 館 編 「長 崎 唐 人 貿 易 と煎 茶 道 一 中国 風 煎 茶 の導 入 と そ の派 生 一」1996年)な どを 参 照 。だ が,本 稿 で は,明 末 清 初 の文 人 趣 味 を背 景 に,黄 壁 山万 福 寺 な ど を通 じ,抹 茶 に代 わ る新 しい茶 の飲 み方 と して の 「 煎 茶 」 が 文 人 た ち に紹 介 され,と りわ け売 茶 翁 以 後 の煎 茶 を嗜 み,愛 好 す る 現 象 を,「 煎 茶趣 味 」 と呼 称 す る。 ま た,題 目に 掲 げ た 江 戸 時 代 中 後 期 とい う時 期 を,本 稿 で は, 煎茶 趣 味 が 勃興 す るき っか け とな った 売 茶 翁 の 売 茶 活 動 が,享 保20年(1735)で あ る こ とか ら, 若 干 そ れ に 先 行 す る18世 紀 初 頭 以 降 か らの 時 期 と して 考 え る もの とす る。 (3)中 村 幸 彦 「 近 世文 人意 識 の 成 立 」(『中村 幸 彦 著 述 集11漢 参照 。. 学 者 記 事 』 中央 公 論 社,1982年)を. (4)後 掲 の 『浪 華 煎 茶 大 人 集 』(天 保6年(1835)7月 成立)の 中 に 田 中 花 月庵 を 指 して 「浪 花 の 宗 匠 た り」 とい う記 述 が あ る こ とか ら,「 宗 匠 」 とい う認 識 は,当 時 か ら存 在 した も の とみ られ る。 ゆ え に 「宗 匠茶 」 と い う呼 称 を用 い る方 が,実 状 に即 して い る と考 え られ るが,本 稿 で は茶 の 湯 との混 同 を 避 け る必 要性 か ら,宗 匠茶 と ほ ぼ 同義 に,家 元 が 出 現 し芸 道 と して 煎 茶 が 嗜 まれ る よ うに な った こ とを も って 「 煎 茶 道 」 と い う表 現 を用 い る も の とす る。 な お,前 掲 注(2)の 「煎 茶趣 味」 とい う表現 は,こ の 「煎 茶 道」 を も含 む,よ り広 義 の 煎 茶 愛 好 現 象 を 指 す 。 186(584).

(3) 江戸時代中後期 にお ける煎茶趣味の展開 と煎茶道の成立(安 永) た 先 駆 的 研 究 と して,ま た 現 在 の 水 準 を示 す 研 究 と して 重 要 な もの で あ る(5)。しか し,両 氏 の研 究 は,煎 茶 趣 味 の 展 開 を 単 な る茶 の 湯 批 判 の 表 面 化 と して 一 面 的 に解 釈 して い る。 た しか に,売 茶 翁 の 活 動 が 示 す よ うに,当 時 の 禅 宗 や,そ れ と結 びつ く茶 の 湯 へ の 批 判 は, 煎 茶趣 味 の思 想 的 基盤 と して 機 能 した。 だ が,実 際 に は,茶 の 湯 同様 に形 式 化 を 進 め た宗 匠 茶 と して の 煎 茶 道 が,江 戸 時 代 後 期 にか けて 受 容 され て い った 。 両 氏 の 研 究 で は この 矛 盾 が充 分 に説 明 され て い な い。 も しこれ を 説 明 しよ う とす るな ら,煎 茶 趣 味 はそ の 展 開 の 中 で何 らか の変 容 を 遂 げ た と考 え な けれ ば な らな いが,こ の 煎 茶 趣 味 が 煎 茶 道 へ と変 容 し て い く実 態 は,詳. らか に され ず に きた と いえ よ う。. 本 稿 は,そ の 煎 茶 趣 味 の 展 開 にお け る変 容 の 過 程 を,具 体 的 に解 明 しよ う とす る もの で あ る。 こ こで は,煎 茶 趣 味 の 変 容 の 契 機 とな った 要 因 を 指 摘 す る こ とで,変 容 の 具 体 像 を 示 した い。 そ の 際,手 が か り と して,煎 茶 道 で 最 も早 くに宗 匠 とな った,大 坂 の 田 中花 月 庵 鶴 翁(1782∼1848)を. 題 材 とす る(6)。 花 月 庵 は,兼 葭 堂 や 竹 田,山 陽 な ど との 交 遊 もあ. り,各 地 の 文人 た ち に大 きな影 響 力 を 持 って いた とみ られ る こ とか ら,江 戸 時 代 後 期 の 文 人 に と って の 煎 茶 に対 す る価 値 観 や意 識 の 解 明 に も,花 月 庵 を 考 察 対 象 とす る こ と は有 意 義 だ ろ う。 そ こで,本 稿 の 方 針 と して は,ま ず,花 月 庵 が 宗 匠 と して 認 知 され る際 に権 威 付 け とな った諸 要素 を 抽 出 す る。 次 に,そ の 要 素 を,花 月 庵 以 前 の 煎 茶 趣 味 の 段 階 に戻 っ て検 討 す る こ とで,煎 茶 趣 味 の 変 容 の 実 態 とそ の 要 因 を 明 らか に した い。 さ ら に これ を 敷 術 して,煎 茶 の 宗 匠 の 成 立 につ い て 考 察 を 進 め れ ば,家 元 な る もの が 成 立 して い く際 の, 一 つ の縮 図 を も示 せ る もの と考 え る。 既 成 の 芸 道 との 関 連 性 と い う視 点 か ら,茶 の 湯 と の 比較 を試 み る に,煎 茶 趣 味 は格 好 の 素 材 で あ る と いえ るだ ろ う。. 第1章. 第1節. 煎茶道の成立 と田中花月庵. 田 中 花 月 庵 の事 績. 花 月 庵 を考 察 の 対 象 とす る にあ た って,ま ず は,花 月 庵 の 事 績 を 確 認 して お き た い(7)。 花 月 庵 は,天 明2年(1782)に,大. 坂 島 之 内 小 西 町 の 酒 造 業 者 の 子 と して 産 まれ た。 幼. (5)前 掲 注(2)熊倉 書 「近 代 茶 道 史 の 研 究 』,楢 林 忠 男 『煎 茶 の 世 界 」(徳 間 書 店,1971年),小 楽 「NHKラ イ ブ ラ リー80煎 茶 へ の 招 待 』(日 本 放 送 出版 協 会,1998年)な ど を参 照 。. 川後. (6)田 中家 は,煎 茶 花 月 庵 流 の 家 元 と して,代 々花 月 庵 を 名乗 り,田 中 花 月 庵 鶴 翁 はそ の 初 代 に あ た る。 本 来 な ら,「 田 中 鶴 翁」 と表 記 す れ ば 後 代 との 混 同 は避 け られ るが,鶴 翁 の 号 を一 条 忠 香 よ り賜 るの が天 保9年(1838)で あ り,本 稿 で は時 期 的 に,主 にそ れ 以 前 の 煎 茶 趣 味 の 展 開 を考 察 す る。 ゆ え に,単 に 「田 中花 月 庵 」 あ る い は 「花 月 庵 」 と表 記 す る場 合,初 代 花 月 庵 鶴 翁 を 指 す もの とす る。 (7)花 月 庵 の事 績 に つ い て の研 究 は,田 中楓 谷 『花 月庵 鶴翁 小伝 』(私家 版,1927年),田 茶 花 月 奄 」(主 婦 の 友 社,1973年)が あ る。 187(585). 中 青 披 『煎.

(4) 第59巻. 名 は 亀 之 助 。16歳. 第2号. で 襲 名 し て 新 右 衛 門 と 称 す 。 名 は 賀 寿 。 菊 井 館,毛. 孔,三. 種亭な どと も. 号 し た 。 文 政 年 間(1818∼30)ご. ろ か ら 黄 葉 僧 の 聞 中 浄 復(1739∼1829)に. 煎 茶 を 修 あ,文. ろ 煎 茶 家 と して 独 立 した と 考 え ら れ て い る 。 そ の 後,天. 政7年(1824)ご. 保3年(1832)に. は 江 戸 へ 行 き,将. 瀬 川 に舟 を 浮 か べ て 茶 席 を 設 け,谷 胤(1776∼1843)を て 入 手 し,8月. 軍 で あ る 徳 川 家 斉(1773∼1841)へ 文 晃(1763∼1840),大. 招 い た と い う。 翌 天 保4年(1833)に. 師 事 して 禅 と. 献 茶 した ほ か,綾. 窪 詩 仏(1767∼1837),平. 中国 西 湖 の 水 を 長 崎 奉 行 を 介 し. 中 秋 に こ れ を 用 い て 観 月 の 茶 席 を 開 い た 。 ま た 天 保9年(1838)4月. 一 条 忠 香(1812∼63)に. 招かれて献茶 し. ,忠. 香 よ り 「鶴 翁 」 の 号 を 授 か り,同. 一 条 忠 香 に 招 か れ 「煎 茶 家 元 」 の 染 筆 「紫 の 巻 』 を 賜 る 徳 川 家,同. 年10月. に は 千 種 有 功(1796∼1854)の. 正 寺 で,同. 年8月. 中 秋 に 法 隆 寺 太 子 殿 で,天. り 仙 洞 御 所 で と献 茶 を 重 ね,煎. 田篤. 。 同 年 同 月 に,紀. 年9月. 再 び. 伊 徳 川 家 と尾 張. も と で 献 茶 。 天 保10年(1839)4月 保11年(1840)11月. には. に興. に は一 条 忠 香 の 招 き に よ. 茶 の 家 元 と し て 確 固 た る 地 位 を 築 い た が,嘉. 永 元 年(1848). 67歳 で 没 し て い る。. 第2節. 田 中 花月 庵 の知 名 度. 前 節 で,花 月庵 の事 績 を 述 べ た が,こ の 花 月 庵 は,煎 茶 家 と して 当 時 の 大 坂 で どれ く ら い知 られ て お り,ま た,当 時 の 煎 茶 趣 味 の 状 況 を,ど れ ほ ど反 映 して い るの で あ ろ うか 。 まず は そ の検 討 の た め,本 節 で は,当 時 大 坂 で 出 版 され,人. 々の 目 に比 較 的 多 く触 れ たで. あ ろ う史 料 を 中 心 に,花 月 庵 の 知 名 度 を 見 て み よ う。 管 見 の 限 り,刊 行 物 にお け る花 月 庵 の 初 出 は,文 政6年(1823)刊 で あ り,次 の よ う に あ る。 「花 月 庵. 行 の 『続 浪 華 郷 友 録 』. 号 菊 井 館,姓 田 中,住 清 水 町,宅 中 有 井,旧 名 云 浪 華. 清 水,自 後 呼 云 菊 清 水,今 醸 酒 以 此 為 井 号 菊 之 井,清 洌 且 甘,常 取 此 水 煮 茶,亦 異 他 水 」。 加 え て,同 年 刊行 の 「売 茶 翁 茶 器 図 』 に も,売 茶 翁 の 茶 具 の 所 蔵 先 と して 花 月 庵 が 挙 げ ら れ て い る。 また,翌 文 政7年(1824)刊 中毛孔. 行 の 「新 刻 浪 華 人 物 誌 』 の 「文 雅 」 の 項 に も 「田. 名 毛 孔,字 軽 汗,号 花 月 奄,清 水 町. 田 中新 右 衛 門 」 と あ る。 さ ら に,文 政11年. (1828)に 刊 行 さ れ た秋 里 擁 島(生 没 年 未 詳)の. 「築 山 庭 造 伝. 後 編 』 に は花 月 庵 の 詳 細 な. 記 載 が あ るの で,長 くな る が紹 介 しよ う。「花 月 奄 は東 横 堀 の西 岸 の高 楼 な り,淀 川 の 支 流 は居 な が ら結 ぶ,眺 望 の所 は高 津 の台 な り,生 玉 の 森 を か す み に浮 び南 に は瓦 屋 橋 を 帯 に, 庭 中 は又 西 湖 の柳,宮 城 野 の 萩,枝 を ま じへ,神 潜 石,灸 報 石 を 置 きて,煎 茶 の 玉 川 庭 の 全 な る庭 格 を備 へ,庵 内 に は陸 羽,盧 全 の 肖像 に売 茶 翁 の 石 像 を 安 置 し,毎 月 十 六 日 は売 茶 忌 を つ とめ,諸 方 の雅 人 自 ら集 り風 流 を 営 む に,主 人 ひね もす 茶 を 煎 じ給 ふ こ と月 並 に 188(586).

(5) 江 戸 時 代 中 後 期 にお け る煎 茶 趣 味 の 展 開 と煎 茶 道 の 成 立(安 永). 怠 る こ とな し,又 三 月 六 日陸 羽 忌 を 訪 ひ,と う ちは主 人 を は じめ,と. しの 新 製,口 を 切 つ て 翁 に これ を つ と め ざ る. しの 新 製 喫 す る こ とを い ま しむ,煎 茶 の 一 風 を 起 す の 一 人 也 」。. これ らの記 述 か ら,文 政 年 間(1818∼30)ご. ろ か ら,次 第 に花 月 庵 の知 名 度 が 高 ま り,. 「煎 茶 の一 風 を起 す の一 人 」 と して認 識 さ れ る よ うに な った こ とが うか が え よ う。 そ の上, 天 保 年 間(1830∼44)刊. 行 で 檜 垣 真 種(生 没 年 未 詳)が 著 した 『浪 華 風 流 繁 昌 記 』に は 「賀. 壽 田 中 氏,字 ハ 倹 徳,花 月 蕎 鶴 翁 ト号 ス,又 松 風 清 社,毛 孔,三 種 亭,其 行 等 ノ号 有,煎 茶 ヲ好 其 法 高遊 外翁 三 世 ノ伝 統 ヲ ツギ ー 家 ヲ開 ク,諸 国 二 門 人 多 シ」 と あ り,煎 茶 の 「一 家」 を 開 き諸 国 に門人 が い た こ とが わ か る。 また,天 保6年(1835)成. 立 の 「浪 華 煎 茶 大. 人集 』(8)に は 「浪 花 の 宗 匠 た り」 とあ り,花 月 庵 の 門 下 で あ る人 物 が4名 掲 載 され て い る。 天保8年(1837)版 に 「花 月 庵. 「続 浪 華 郷 友 録 』 に は 「煎 茶 」 の 項 が あ り24名 を 載 せ るが,そ の 筆 頭. 号 毛 孔,清 水 町. 田中 新 右 衛 門 」 と あ る。 さ ら に,嘉 永 元 年(1848)刊. 『浪 華 当時 人 名 録 』の 「茶 道」の項 に煎 茶 家 で は 唯一一「花 月 庵. 行の. 九 之 助 橋 南,名 賀 字,子 行,. 煎 茶之 中 祖」 と して載 って い る。 以 上 に登 場 す る花 月庵 の 記事 に よ り,文 政 年 間(1818∼30)ご 坂 で か な り著 名 な 存 在 とな り,天 保 年 間(1830∼44)ご. ろか ら花 月 庵 は当 時 の 大. ろ に は煎 茶 の 「宗 匠 」 と して 認 知. され,門 人 を 取 って い た こ とが 判 明 す る。 さ ら に,そ の 認 識 は,花 月 庵 の 没 年 の 嘉 永 元 年 (1848)ま で 続 いて い る こ とか ら,花 月 庵 は当 時 の 大 坂 で 煎 茶 家 と して 中心 的 な存 在 で あ っ た とい え よ う。 この花 月庵 の 知 名 度 の 高 さ は文 晃,詩 仏,篤 胤,竹. 田な どの 大 坂 以 外 の 文. 人 た ち と花 月 庵 との交 遊 か ら も裏 づ け られ る。. 第3節. 煎茶 道 成 立 の要 素. 前 節 で 見 た よ う に,花 月 庵 は,当 時 の 大 坂 で 煎 茶 の 「宗 匠 」 と して 認 め られ て い た。 で あ るな らば,花 月庵 に宗 匠 と して の 何 らか の 権 威 付 け とな る要 素 が あ った もの と想 像 され る。 そ こで,花 月庵 が 宗 匠 と して 認 識 され た 要 因,す な わ ち,花 月 庵 を 権 威 付 け た要 素 を 抽 出 し,そ れ に注 目す る こ とで,当 時 の 煎 茶 趣 味 に対 す る人 々の 意 識 を 垣 間 見 て み よ う。 た とえ ば,文 政6年(1823)か. ら文 政7年(1824)に. か けて,京 都 や 大 坂 に遊 学 して い. た 田能 村 竹 田 は,花 月庵 と交 遊 が あ り,そ の 著 作 や 日記 中 に花 月 庵 の こ とを 頻 繁 に記 して い る。 この 文 政7年(1824)は,花. 月 庵 自身 が 煎 茶 家 と して の 旗 揚 げを 宣 言 す る意 味 を 込. (8)大 阪府 立 中之 島 図書 館 所 蔵 。 折 本 一・ 帖 。大 里 浩 庵(生 没 年 未 詳)著,自 筆 本 。 天 保6年(1835) 7月 の 自蹟 あ り。 浪 華在 住 の 煎 茶 の 名 家22名 を 挙 げ,見 開 きの 右 面 に 肖像 画 を,左 面 に略 伝 を 記 す。 恩 賀 敬 子 ・平 野翠 ・多 治 比 郁 夫 「複 製 と翻 刻 人 物 誌 二 種 一浪 華 煎 茶 大 人 集 ・浪 花 三 十 六 佳 人 一」(『大 阪 府 立 中之 島図 書 館 紀 要 」19,大 阪 府 立 中之 島図 書 館,1983年)に 所収。本稿の第 1章 第3節 【 史 料1】 に 詳 し く挙 げ る。 189(587).

(6) 第59巻. 第2号. あ て 書 い た と さ れ る 『花 月 庵 鶴 翁 茶 売 詞 』(9)の成 立 した 年 で あ る。 す な わ ち,竹 田 の残 し た記 事 は,当 時 の 文 人 た ちの 間 で の 花 月 庵 に対 す る認 識 を 知 る うえ で も貴 重 な 史 料 と いえ る。 また,当 時 の 大 坂 の 煎 茶 家 を 取 り上 げた 史 料 に天 保6年(1835)7月. に成 っ た先 述 の. 『浪 華 煎 茶 大 人 集 』が あ る。 同書 は,浪 華 在 住 の 煎 茶 の 名 家22名 を列 挙 す るが,そ の 中心 的 存在 と して花 月庵 が挙 げ られ て い る。 そ こで,本 節 で は,竹 田 の著 作 や 日記 を は じめ,『 浪 華 煎 茶大 人 集 』 に登場 す る花 月 庵 の 記事 を 比 較 ・検 討 し,花 月 庵 が 煎 茶 の 宗 匠 と な り得 た 主 な 要素 を 抽 出 して み た い。 まず は,次 の 「浪 華 煎 茶 大 人 集 』 の 記 事 を 見 て み よ う。 こ の 記 述 は花 月庵 を権 威 付 けた 要 素 を 端 的 に示 して い る。. 【史 料1】 花 月 庵 翁,姓 は 田 中,茶 名 は 毛 孔 と呼 べ り。売 茶 翁 よ り煎 茶 の 豚 絡 を ひ きて 三 代 に至 れ り。 高翁 が手 馴 し茶 具 等 を つ た へ,そ の 外,隠 元 禅 師 明 朝 よ り持 来 り し煎 茶 の 古 器 を 蔵 せ り。 翁 が死 生 の 日十 六 日な れ ハ とて,連 月 既 望,煎 茶 を 施 せ り。 又 三 月 六 日陸 羽 忌 と称 して 新 茶 を手 製 し供 す る こ と,花 翁 よ り起 これ り。 浪 花 の 宗 匠 た り。 俗 称 新 右 衛 門 と云 て,九 之 助橋 浜手 に居 宅 あ り。. 花 月庵 を権 威 付 けた 要素 と して,ま ず 第 一 に挙 げ られ るの は,売 茶 翁 か らの 系 統 の 正 統 性 だ ろ う。 【史 料1】 の 「売 茶 翁 よ り煎 茶 の 月 永絡 を ひ きて 三 代 に至 れ り」の 部 分 が それ を物 語 る ほか,先 の 「花 月庵 鶴 翁 茶 売 詞 』 に も 「聞 師 は高 居 士 に随 ひ茶 道 を 授 り,又 僕 に伝 へ 給 ふ。是 に 於 て諮 然 と して 吾 高 翁 一 風 煎 茶 三 昧 の 旨を 得 る に似 た り」 とあ り,【史 料1】 と 同様,売. 茶翁 か ら聞 中 を通 して 花 月 庵 へ と い う売 茶 翁 か らの 系 統 を 継 いだ み ず か らの 正 統. 性 を花 月 庵 自身 が主 張 して い る。 か か る主 張 は,竹 田の 『屠 赤 項 々録 』 に見 え る 「花 月 庵 主 人 云 ふ。 当 時 高 游 外 翁 に随 侍 せ し人 の 世 に生 残 りた るハ 聞 中和 尚壱 人 な り。 和 尚京 北 一 乗寺 村 の桂 林 庵 に住 す 。 今 薙 己 丑 に年 九 十 一 歳 と そ」(lo)とい う記 述 や,前 述 の 「浪 華 風 流 繁 昌記 』 に載 る 「煎 茶 ヲ好 其 法 高 遊 外 翁 三 世 ノ伝 統 ヲ ツギ ー 家 ヲ開 ク」 と も重 な る。 以 上 の 史料 か ら,花 月庵 は 聞 中 を 通 じて 売 茶 翁 か らの 系 統 を 継 いだ 「三 世 」 で あ る と い う主 張 が,人. 々の 間 で 受 け容 れ られ,花 月 庵 の 宗 匠 と して の 地 位 を 権 威 付 け る要 素 と して 機 能 し. て い る こ とが うか が え よ う。 続 い て挙 げ られ る権 威 付 け とな る第 二 の 要 素 は,器 物 の 伝 来 で あ る。 そ れ は 【史 料1】 (9)前 掲 注(7)田 中楓 谷 書 に所 収 。 (10)『 〈 大 分 県 先 哲 叢 書 〉田能 村 竹 田資 料 集 著 述 篇』(大分 県 教育 委 員 会,1992年)に 史 料 中 の 「己丑 」 は 文政12年(1829)を 指す。 190(588). 所 収 。な お,.

(7) 江 戸 時 代 中 後 期 にお け る煎 茶 趣 味 の 展 開 と煎 茶 道 の 成 立(安 永) に 「高 翁 が 手 馴 し茶 具 を つ た へ,そ と あ る こ と か ら も 指 摘 で き る が,こ 月20日. の 外,隠. 元 禅 師 明 朝 よ り持 来 り し煎 茶 の 古 器 を 蔵 せ り」. こ で は,次. の 「田 能 村 竹 田 日 記 』 文 政6年(1823)3. の 記 事 を 挙 げ て み た い(11)。. 【史 料2】 売 茶翁 の弟 子 に三 人 の兄 弟 あ り。兄 を 古 道 とい ふ 。黄 奨 山の 蔵 主 とな る。次 を 無 参 と いふ 。 一 生 瓢 然無 住 に して 死 ス。 末 は女 子 に而 尼 とな る。 亦 観 ル 所 あ り。 観 掌 と いふ 。 茶 臼 山 の 側 小 祇 林 に住 す大 坂府 の 医 人 三 宅 文 昌ハ,こ の 三 人 の 肉姪 にて 今 年 七 十 四 五 歳 斗 な り。 文 昌 の近 隣 の 田 中屋 あ り。 茶 を 嗜 む。 予 此 人 と今 年 三 月 廿 日始 て 相 知 る。 其 花 月 亭 ニ テ茶 ヲ 喫 ス。 小 祇 林 に売 茶 翁 の 九 条 褐 色 の 布 袈 裟 ヲ蔵 ス。 其 外 掛 物 三 幅,硯 箱 壱 ツ,鉄 槌 壱 ツ を蔵 ス。 三 宅 文 昌 の宅 に翁 の 茶 ヲ売 ル 店 の 旗 ヲ蔵 ス。 清 風 の 二 字 を 書 す 。 亦 掛 物 六 七 幅 斗 あ り。 田 中屋 二翁 の掛 物三 幅,並 二 茶 壺 三,古 銅 風 炉 及 雑 具 六 七 種 ヲ蔵 す 。 多 ク小 祇 林 ヨ リ出 ツ。 只古 銅 風 炉 ハ古 道 蔵主 よ り伝 来 す とい ふ 。 田 中屋 二翁 の 遺像 あ り。 口 口 秋 平 な る者 ニ ツを 作 る其 一 な り。 秋 平 ハ 本 ハ ロ ロ 人 今 の 松 風 亭 の父 な り。 又 魯 寮 大 潮 の 作,翁 の 賛語 ヲ蔵 ス。 又 若 沖 画 翁 像 ア リ。 大 典 賛 ス。 田 中屋, 大 江 流芳 の画 山水 一 幅 ヲ蔵 ス。 流 芳 別 称 岩 田傲 芳 。 又 号 岩 四 川 。 流 芳 又 号 清 湾。 家 を網 島 二 トス。 此 処 の 水 清 潔 甘 烈 。 浪 華 第 一 とす 。 故 に清 湾 と号 ス。 以 上 三 月廿 日華 月 亭 席 上 ノ話 ヲ記 ス. この 【史 料2】. の 記述 は,当 時 の 煎 茶 の 器 物 へ の 関 心 の 高 ま りを 顕 著 に示 して い る。 と 同. 時 に,花 月 庵 が 彼 以前 に煎 茶 を 嗜 ん だ 人 々の 伝 来 品 や 器 物 を 多 く所 蔵 ・収 集 して い た事 実 を も明 らか にす る。 同様 の こ とは,「 築 山庭 造 伝. 後 編 』 に載 る,大 窪 詩 仏 が 花 月 庵 に贈 っ. た 「贈 花 月 庵 主 人」 とい う漢 詩 な どか ら も読 み 取 れ る。 これ らか ら,花 月 庵 所 蔵 の 器 物 が 当 時 の人 々の 関心 を 集 め,花 月 庵 が そ の 所 蔵 品 を 背 景 に,宗 匠 と して の地 位 を確 立 して い っ た こ とが うか が え よ う。 最 後 に,花 月庵 を権 威 付 けた 要 素 と して,第 三 に挙 げ られ るの が,法 式 ・点 前 ・茶 会 な どの整 備 で あ る。 そ れ を示 す 史 料 と して,花 月 庵 が 天 保9年(1838)に. 一 条 忠 香 か ら賜 っ. た 『紫 の 巻 』(12)の 巻 頭 部 分 を挙 げ よ う。 「今 難 波 の 花 月 庵 は,む か し遊 外 翁 の 伝 へ を得 て 茶 (11)前 掲 注(10)『 田能 村 竹 田資 料 集 著 述 篇 』 に所 収 。 (12)前 掲 注(7)田 中楓 谷 書 に所 収 。 大 阪 市 立 美 術 館 編 「特 別 展 文 人 の あ こ が れ,清 風 の こ ころ 煎 茶 ・美 とそ の か た ち 」(大 阪市 立 美 術 館,1997年)作 品 解 説43を 参 照 。 191(589).

(8) 第59巻. 第2号. ど うの 式 を うか つ。 清雅 に して 艶 な り。 天 下 の 妙 と いふ べ し。 ち ゃを 好 め る もの この 規 矩 に よ るへ し」。 こ の史 料 か らは,花 月 庵 が 「遊 外 翁 の伝 へ を得 」 た 「茶 ど うの式 」 を穿 ち, そ の 「規 矩」 を整 備 して い た こ とが わ か る。 また,花 月 庵 自身 が 『清 風 流 烹 茶 諸 式 詳 解 』 な る著 述 を残 して い る こ とか ら も,花 月 庵 に よ って 法 式 ・点 前 の 整 備 が な され て い た こ と が うか が え よ う。 とな れ ば,【 史 料1】. 中 の 「翁 が死 生 の 日十 六 日な れハ とて,連 月 既 望,. 煎 茶 を施 せ り。 又三 月六 日陸 羽 忌 と称 して 新 茶 を 手 製 し供 す る こ と,花 翁 よ り起 れ り。 浪 花 の宗 匠 た り」 とい う記事 も,法 式 ・点 前 ・茶 会 な どの 整 備 が,宗 匠 と して の 花 月 庵 の 一 つ の成 果 と して認 識 され て い た 証 しと して 読 め て くるの で はな か ろ うか 。 さて,花 月 庵 を権 威 付 け た要 素 と して 以 上 の三 点 を挙 げ た が,こ の 三 要 素 の 重 要 性 と妥 当 性 を,花 月 庵 以 外 の 煎 茶 家 の 視 点 か ら確 認 し,補 強 して お く必 要 も あ るだ ろ う。 こ こで は 『浪 華 煎 茶 大 人 集 』 と天 保8年(1837)版. の 「続 浪 華 郷 友 録 』 との 両 者 に登 場 し,当 時 の煎. 茶家 の 中 で 比較 的著 名 で あ った 野里 梅 園(1784∼?),殿 葭 堂 木 村 石 居(1776∼1838)(13)の3名. 村 茂 済(1795∼1870),二. 代 目兼. を 取 り上 げて 三 要 素 の検 証 を お こな って み た い。 ま. ず,野 里 梅 園 で あ るが,「 浪 華 煎茶 大 人 集 』 に は,「 高 翁 煎 茶 太 平 の味 を よ く知 て」 「性 来 骨 董 を 好 ミて堕 定 の一 家 を な す」 とあ る。 これ に よれ ば,売 茶 翁 との か か わ りは記 述 され, 売 茶翁 か らの 系統 と思 し き点 の 主 張 はみ られ る。だ が,道 具 の 鑑 識 眼 は持 って い る もの の, 売 茶翁 所 縁 の 茶 具 を所 持 して い た 旨 は記 載 され て いな い し,法 式 や 茶 会 につ いて も触 れ ら れ な い。 つ ま り,先 に挙 げ た 第 二,第 三 の 要 素 が 欠 落 して い る よ うな の だ 。 次 に殿 村 茂 済 は ど うだ ろ うか。 『浪 華 煎 茶 大 人 集 』 に 「高 翁 所 持 の 茶 瓶 を伝 て 烹 茶 を よ くす 」 と い う一 節 が あ り,こ れ は 売 茶 翁 伝来 の 茶 具 を 所 蔵 し,煎 茶 を 渣 れ る技 術 が 優 れ て い る こ と を示 して い る よ うだ が,明 確 な 売 茶 翁 か らの 系 統 の 正 統 性 や 点 前 の 整 備 につ いて は叙 述 され な い。 す な わ ち,第 一,第 三 の 要 素 が 不 足 して い るの で あ る。 最 後 に,木 村 石 居 の 場 合 を見 て み よ う。 同 じ く 「浪 華 煎 茶 大 人 集 』 に よ る と 「翁 の名 の為 に風 流 今 に盛 な り」 「高 翁 の遺 器 を 半 ば蔵 せ り」 と記載 され,煎 茶 趣 味 にお け る彼 の 存 在 の 重 要 性 とそ の 地 位 の 高 さ は述 べ ら れ るが,先 の三 要素 につ い て は,売 茶 翁 の 茶 具 を 所 蔵 す る第 二 の 要 素 の み で,他 の 二 要 素 に関 して は語 られ な い。 この よ う に,花 月庵 以 外 の 宗 匠 とな り得 な か った 人 々 に は,先 の 三 要 素 の い くつ か が 当 て は ま らな い。 も ち ろん,彼. ら に は煎 茶 以 外 にそ れ ぞ れ 本 業 が あ り,そ の 意 味 で 煎 茶 は文. 字 どお り趣 味 で あ った と もい え る。 す な わ ち,み ず か ら宗 匠 にな ろ う とす る意 志 や 積 極 性. (13)木 村 家 も田 中家 同様,代 々兼 葭 堂 を名 乗 る が,本 稿 で は,単 に 「木村 薫 葭 堂」 あ るい は 「薫 葭 堂」 と表 記 す る場 合,初 代 薫 葭 堂 木 村 孔 恭 を 指 す もの とす る。 192(590).

(9) 江戸時代中後期 にお ける煎茶趣味の展開 と煎茶道の成立(安 永) の 有無 の 問題 もあ るだ ろ う。 だ が,た. とえ ば 野 里 梅 園 な ど は門 人 も若 干 存 在 した よ うで,. 宗 匠 とな る意 志 が あ った もの と想 像 され る。 そ の よ うな 状 況 で,彼. らが 宗 匠 とな り得 ず,. 花 月 庵 が宗 匠 とな り得 た の は,先 の 三 点 が 宗 匠 とな るた あ の 重 要 な 要 素 だ った か らで は な か ろ うか。 以 上 の こ とか ら,花 月庵 の 宗 匠 と して の 拠 り所 や 意 義 は,先 の 三 点 に集 約 され る。 花 月 庵 が 当 時 の 煎 茶 趣 味 の状 況 を 大 き く反 映 す る こ と は,す で に見 た とお りで あ る。 な らば, この三 要素 が 煎 茶 趣 味 の 中 で い か に発 生 した か を 探 れ ば,煎 茶 趣 味 の 展 開 の 具 体 像 も見 え て くるだ ろ う。 次 章 で は本 節 で 抽 出 した 三 要 素 そ れ ぞ れ につ いて,花 月 庵 以 前 の 状 況 を 追 う こ とで そ れ を 明 らか に して み た い。. 第2章. 第1節. 花月庵以前 の煎茶趣 味の動 向. 売茶 翁 の神 格 化. 先 に第1章 で挙 げ た三 つ の 要 素 が,「 宗 匠 」 とな る た め の重 要 な要 素 で あ るな らば,そ れ が 煎 茶趣 味 の 中 で どの よ う に醸 成 され た か を 検 討 す る こ とで,煎 茶 趣 味 が 煎 茶 道 へ と変 容 した様 相 が見 え て くる と考 え られ る。 そ こで,本 章 で は,先 の 三 要 素 につ いて,そ れ ぞ れ 花 月庵 以 前 の状 況 を 見 る こ と に よ り,煎 茶 趣 味 の 変 容 の 実 態 とそ の 要 因 を 解 明 した い。 まず,本 節 で は,先. に第 一 の 要 素 と して 挙 げた,花 月 庵 が 売 茶 翁 の 系 統 を 主 張 す る意 味. を,煎 茶趣 味 の 展 開 の 中 で,売 茶 翁 が どの よ う に認 識 され た か を 探 る こ とで 検 証 しよ う。 売 茶翁 につ いて は,古. く福 山暁 奄 氏 の 詳 細 な 研 究 が あ る ほか(14),近年 は,煎 茶 を媒 介 と. す るネ ッ トワー クへ の 関 心 が 高 ま り,狩 野 博 幸 氏 や 水 田紀 久 氏 な ど に よ って も分 析 され て い る(15)。 そ の結 果,売 茶 翁 の事 績 研 究 や,売 茶 翁 を 中心 とす る交 遊 関 係 につ いて は,か な りの部 分 が 明 らか とな った が,こ. こで は,売 茶 翁 の 事 績 や 人 物 そ の もの で はな く,煎 茶 趣. 味 の 中 で 売 茶翁 が どの よ う に語 られ,認 識 され て い った の か を,あ. らた めて 見 直 す 必 要 が. あ るだ ろ う。 売 茶翁 が京 都 の 市 中 で 売 茶 活 動 を した こ とが,当 時 の 人 々 に大 きな 影 響 を 与 え た こ と は. (14)福 山朝 丸 『売茶 翁 年譜 」(其 中堂,1928年),福 な どを参 照。. 山 暁 奄 『売 茶 翁 」上 下2冊(其. 中 堂,1934年). (15)狩 野 博 幸 「十 八世 紀 と い う時代 」(京都 国 立 博物 館 編 『 十 八 世 紀 の 日本 美 術 」,京都 国立 博 物 館, 1990年),水 田 紀 久 「売 茶 翁 グル ー プー 秋 成 の茶 道 一 」(高 田衛 編 『論 集 近 世 文 学5共 同研 究 秋 成 とそ の 時 代 』 勉誠 社,1994年),早 川 聞 多 「売 茶 翁 とい ふ 事 件 一 『封 客 言 志 」 を め ぐつ て 一」 (千宗 室監 修,熊 倉 功 夫 ・田 中 秀 隆 編 『茶 道 学 大 系1茶 道 文 化 論 』 淡 交 社,1999年),古 野沙弥 香 「江 戸 文 人 の 視 覚 文 化 一 売 茶 翁 を 中 心 と して 一 」(『野 村 美 術 館 研 究 紀 要 」21,野 村 文 華 財 団, 2012年)な どを 参 照 。 193(591).

(10) 第59巻. 第2号. 間違 い な い。 何 よ り もそ れ は宝 暦13年(1763)の. 『売 茶 翁 偶 語 』 の 刊 行 に如 実 に あ らわ れ. て い る。 売 茶 翁 の も とに大 潮元 皓(1676∼1768),金 1800),大 典 顕 常(1719∼1801)な. 龍 道 人(1712∼82),伊. 藤 若 沖(1716∼. ど多 くの 人 々が 惹 き寄 せ られ,こ う した人 々 の熱 心 な企. 画 に よ り 『売 茶翁 偶語 』 が 刊 行 され た か らで あ る。 売 茶 翁 の 事 績 が 一 般 に世 に広 め られ る の は,お そ ら く 『売 茶 翁 偶 語 』 が刊 行 され た こ とに よ る と こ ろが大 き いだ ろ う。 同 書 に よ っ て,多. くの人 々が 売 茶 翁 を 認 識 し,同 時 に もて はや した こ と も確 か で あ る(16)。 だが,ど. う. や ら この 時 点 で,売 茶翁 は,煎 茶 趣 味 と密 接 に結 びつ いて 語 られ た わ けで はな い ら しい。 そ の こ とは,当 時 まで の煎 茶 趣 味 が,中 国趣 味 を母体 に,陸 羽(733?∼804)や. 盧 全(?∼. 835)と い った 中 国 唐 時 代 の 人 物 を 崇 拝 ・顕 彰 す る形 で展 開 し,売 茶 翁 が 煎 茶 書 の 中で ほ と ん ど紹 介 され な い点 か ら も うか が う こ とがで き るだ ろ う。 た とえ ば,わ が 国最 初 の ま とま っ た 煎 茶書 と され る大 枝 流 芳 の 著 した 宝 暦6年(1756)刊. 行 の 『青 湾 茶 話 』 で は,売 茶 翁 に. 関 す る記 述 は 「器 具 の 銘」 の項 目で 一一 点 記 載 が あ るの み で あ る。 また,兼 葭 堂 の 趣 味 や 交 遊 を 秋成 が 随 筆調 で綴 った 安 永3年(1774)成. 稿 の 「あ しか ひの こ と葉 』 で も,冒 頭 部 分. に兼 葭 堂 が 中 国 の 「竜 井 」 茶 を 人 に勧 め て いた こ とが 書 か れ て い るが,後 半 の 兼 葭 堂 の 交 遊 の 中 に も売 茶翁 につ い て は全 く触 れ られ な い。 さ ら に,先 の 『売 茶 翁 偶 語 』 中の 「売 茶 翁 伝 」 を記 した 大 典 の著 作 で 安 永3年(1774)刊. 行 の 『茶 経 詳 説 』 に も,売 茶 翁 に関 す る. 記 載 は一 切 な い。 そ の 点 で,売 茶 翁 と煎 茶 趣 味 を 密 接 に結 びつ けた の は,寛 政2年(1790)に 伴 菖 瞑(1733∼1806)の. 刊 行 され た. 『近 世 崎人 伝 』 で はな いだ ろ うか(17)。 『近 世 崎 人 伝 』 中の 売 茶 翁 の. 事 績 につ い て は,ほ ぼ 『売 茶 翁 偶語 』 の 「売 茶 翁 伝 」 を 受 けた もの で あ るが,売 茶 翁 の 項 の最 後 に 「兼 葭 堂 所 蔵 売 茶 翁 茶 具 図 八 品 」 と して 売 茶 翁 の 茶 具 を 挿 絵 と して 載 せ て い る点 は 注 目 に値 す る。 詳 し くは 次 節 で 述 べ るが,こ の 茶 具 を 通 して,次 第 に煎 茶 趣 味 の 中で の 売 茶翁 の価 値 が 引 き上 げ られ て い った と思 しい。 そ して,つ. い に は,茶 具 と い う媒 体 を越. え て,売 茶 翁 の存 在 自体 が,煎 茶 の 「中興 」と い う表 現 の も とで 語 られ て い くこ と とな る。 柳 下 亭 嵐 翠(1767∼?)が. 著 し,享 和 元 年(1801)に. 刊 行 され た 『煎 茶 早 指 南 』 か らの 次. の二 つ の 引用 は,そ の こ とを 顕 著 に物語 る。. (16)『 落 栗 物 語 』(著 者 未 詳,安 永 年 間(1772∼81)末 ごろ 成立),『 笈埃 随 筆 」(百 井 塘 雨(?∼ 1794)著,天 明 年 間(1781∼89)末 ご ろ成 立),『 異 本 翁 草 』(神 沢 杜 口(1710∼95)著,安 永年 間成 立)に 売 茶 翁 の 記事 が載 る こ とか ら。 (17)中. 野 三 敏 校 注 『近 世 崎人 伝 」(中 央 公論 社,2005年)に 194(592). 所収。.

(11) 江 戸 時 代 中 後 期 にお け る煎 茶 趣 味 の 展 開 と煎 茶 道 の 成 立(安 永). 【史 料3】 し か る に 劣 弟 嵐 翠,東. 遊 し て 国 に 帰 る の 日,一. 老 翁 の 肖 像 を 携 来,予. れ 故 の 売 茶 翁 高 遊 外 居 士 な り。 帰 路 駿 府 の 剛 堂 叔 師 を 訪 ふ に,偶 て 以 て 頭 陀 に し 来 る。居 士 ハ,本 朝 煎 茶 の 中 興 な り。兄 翁,茶 扶 起 の 志,切. な り と い ゑ と も,又. を も て あ そ び,居 て,楽. に あ た へ て 曰 く,こ. 然 と して 机 上 に あ り。 乞. 道 の 俗 流 に お ち た る を 傷 て,. 一 朝 に あ ら た む る こ と あ た う ま じ。 しか じ一 転 して 煎 茶. 士 の 清 風 に め で ん こ と,又. を あ ら た め ん と思 ふ 所 に,居. 可 な ら す 哉 。 予,も. 士 の 肖 像 を 見 て,忽. と よ り,其. 及 は ざ るを 知. 然 と して 得 る こ と あ る が こ と し。. 【史 料4】 点 茶 の 中興 ハ,利 休 居 士 な れ と も,此 煎 茶 にて ハ 売 茶 翁 高 遊 外 居 士 な り。 尤 礼 式 の あ き ら か な る こ とハ,千 氏 な れ と も,清 風 雅 趣 ハ,高 翁 又 格 別 の 人 な り。 実 に本 朝 の 茶 神 と称 す べ きハ,高 遊 外 居 士 な るへ し。. 同様 に,「中興 」と して 売 茶 翁 が 認 識 され る例 は,文 化4年(1807)ご. ろ成 立 した秋 成 の 『茶. 痕 酔言 』(18)の 「近 世 煎 茶 の流 行 す る は,高 遊 外 翁 に興 れ り」と い う記 述 か ら も読 み取 れ る。 また,先 の 『近世 崎 人 伝 』 の影 響 を 受 けて 文 化2年(1805)に (1761∼1816)の. 江 戸 で 刊 行 され た 山東 京 伝. 黄 表 紙 『復 離 煎 茶 濫 膓 』の 巻 末 部 分 も,か か る 中興 と して の売 茶 翁 認 識 の. 一 つ の流 れ と して理 解 す る こ とが で き るか も しれ な い。 売 茶 翁 へ の 認 識 は,こ の よ う に人 物 と して の売 茶 翁 か ら,煎 茶 趣 味 の 象 徴 や 中興 と して の 売 茶 翁 へ と変 化 して い く。 この 売 茶翁 認 識 の変 化 を,先 の 【史 料4】 の 「本 朝 の 茶 神 」 と い う叙 述 や,や や 時 代 は下 るが 深 田精 一(1802∼55)が. 嘉 永2年(1849)に. 著 した 『木 石 居 煎 茶 訣 』 の 「皇 国 煎 茶 の 行 な わ. る る煎 茶者 流 み な 売 茶翁 高 遊 外 を もて,陸 羽,盧 同 に比 し,煎 茶 の 鼻 祖 とす 。 宜 な り。 其 の精 行 倹 徳 高致 風 韻 の 余 りあ りて,よ. く茶 中の 真 味 を 得 しこ と,予 常 に翁 を 推 して 小 茶 神. とす」 とい う表現 か ら,本 稿 で は 「売 茶 翁 の 神 格 化 」 と して と らえ た い。 この売 茶翁 の神 格 化 は,煎 茶 趣 味 の 展 開 に伴 い,ま す ます 盛 ん にな り,み ず か らを何 ら か の形 で 売 茶翁 と結 び つ け る こ とが,煎 茶 趣 味 の 中で 一 つ の 権 威 付 け と して 作 用 す る よ う にな る。 そ して,事 実 か ど うか に関 係 な く,み ず か らを 売 茶 翁 の 系 統 の 中 に入 れ る こ と を. (18)上 田秋 成 『茶痕 酔 言 」西 荘 文 庫 本 〔 二 二 〕。 『上 田秋 成 全 集9随 筆 篇 」(中 央 公 論 社,1992年) に所 収。 同 書 に は秋 成 の 自筆 本 と西 荘 文 庫 旧 蔵 の 転 写 本 の二 種 が あ り,と も に天 理 図書 館 所 蔵 。 両者 の成 立 に つ い て は 同 全集 の 解 題 を 参 照 。本 稿 で は 同全 集 の記 載 に基 づ く項 目番号 を 〔 〕 内 に漢 数 字 で 記 す 。 な お,同 書 は未 刊 行 で は あ るが,当 初 は 刊 行 を 前 提 に成 立 した こ とを 示 す 記 事 が あ り,当 時 の 煎 茶 趣 味 の動 向 を 探 る うえ で,史 料 的 価 値 は高 い とみ られ る。 195(593).

(12) 第59巻. 第2号. 強 調 し て い く(19)。い わ ば 系 譜 化 で あ る。 こ の よ う な 系 譜 化 が,花 世 」 の 宗 匠 の 出 現 を 促 し た の で あ り,そ. れ ゆ え に,売. 月 庵 の よ う な売 茶 翁. 茶 翁 の 神 格 化 が,煎. 「三. 茶 趣 味 か ら煎 茶. 道 へ と い う方 向 性 を 導 き 出 した と も い え る だ ろ う 。. 第2節. 器 物 の伝 来 と煎茶 具 の 製 作. 本 節 で は,先. に第二 の 要 素 と して 挙 げ た 器 物 へ の 関 心 につ いて,煎 茶 趣 味 の 展 開 の 中で. の変 化 を考 察 した い。 煎 茶趣 味 は しば しば 指 摘 され る とお り,江 戸 時 代 中後 期 にお け る 中国 趣 味 を 背 景 に展 開 した側 面 が あ り,そ れ ゆ え に 「万 暦 ・嘉 靖 ・宣 徳 ・成 化 等 の 製 」 「唐 山製 」 「唐 製 」 と呼 ば れ る明末 清 初 の唐 物 の 収 集 が,器 物 へ の 関 心 の 中 心 で あ った ⑳。 だ が,前 述 の よ うに,『 近 世田 奇人伝 』 に よ り,売 茶翁 が 煎 茶 趣 味 の 文 脈 にお いて 語 られ,神 格 化 され て い くこ とで, 煎 茶趣 味 の 展 開 は,そ れ まで の 中 国 趣 味 か ら一 つ の 変 容 を み せ は じめ る。 こ う した変 容 に 際 して 重 要 な 役 割 を 果 た した の は,売 茶 翁 の 茶 具 で あ った とみ られ る。 そ こで,本 節 で は 兼 葭 堂 を 中心 に,彼 の交 遊 関 係 の 周 辺 で 伝 来 した 売 茶 翁 の 茶 具,お. よ び,そ れ に よ って 象. 徴 化 され た 煎 茶 具 を 原 形 に して 模 造 され,普 及 して い った,器 物 に対 す る人 々の 関 心 を 検 討 して み た い。 まず,薫 葭 堂 が 売 茶翁 の 茶 具 を 所 蔵 す る に至 る経 緯 を,薫 葭 堂 と売 茶 翁 の 交 遊 を 通 して 見 て み よ う。 薫 葭 堂 の 交 遊 につ いて は 『薫 葭 堂 日記 』(21)とい う史 料 が 残 って い るが,残 念 な が ら現 存 す る 「兼 葭 堂 日記 』 に は,売 茶 翁 との 直 接 的 な 交 遊 を 見 出す こ と はで きな い。 しか し,寛 政5年(1793)10月20日 貞煎茶出ス. 条 に 「夜. 布屋佐兵衛. 板屋庄平. 泉屋元五郎. 林良. 売 茶 翁 茶 具」 とい う記事 が あ り,こ れ に よ る と,兼 葭 堂 は客 に煎 茶 を 出す 時. に売 茶翁 の 茶具 を使 用 して い た こ とが うか が え る。 また,秋 成 の 『茶 痕 酔 言 』 に 「郷 友 薫 葭 は,風 流 の名 世 に 聞 え た る人 也 。弱 士 の時 都 に い き て,遊 外 翁 の 晩 に謁 して,器 を摸 し, 且 遺 物 を も乞 て 蔵 め,世. に街 売 す 」(22)と あ り,安 政6年(1859)に. 暁 鐘 成(1793∼1860). が薫 葭 堂 の遺 稿 を ま とめ た 『薫 葭 堂 雑 録 』 に も,「余平 生 茶 ヲ好 ム。 酒 ヲ用 イ ズ 。烹 茶 ハ 京 師 売 茶翁 親 友 タ リ。 故 二 其 烹 法 ヲ用 ユ。 老 翁 ガ 茶 具,余 ガ 家 ニ ア リ。 末 茶 モ 好 デ 喫 ス。 彼 茶 礼 ノ暇 ナ シ」 とあ る。 これ らの 記 述 か ら,薫 葭 堂 は売 茶 翁 と交 遊 が あ り,晩 年 に その 茶 (19)安 政4年(1857)刊 行 の 『煎 茶 綺 言 」 を著 した売 茶東 牛(1791∼1879)や,八 橋 売 茶(1752 ∼1828)の よ うな,売 茶 翁 と は無 関 係 な が ら,み ず か ら 「売 茶 」 を 名 乗 る人 々が 出 現 す るの もそ の一 例 で あ ろ う。 (20)大 枝 流 芳 『青 湾 茶 話 』 宝 暦6年(1756)刊 行,選 器 の項 を参 照。 (21)水 田紀 久 ・野 口隆 ・有 坂 道 子 編 『木 村 兼 葭 堂 全集 別巻 完 本 兼 葭 堂 日記 』(藝 華 書 院,2009 年)所 収 。 (22)前. 掲 注(18)『 茶 癩 酔 言 」 西 荘 文 庫 本 〔 二 四〕。 196(594).

(13) 江戸時代中後期 にお ける煎茶趣味の展開 と煎茶道の成立(安 永) 具 を譲 り受 けた の で あ ろ う こ とが 推 察 され る。 いず れ にせ よ,寛 政2年(1790)に. 『近 世. 碕 人伝 』 が刊 行 され た段 階 で,薫 葭 堂 が 売 茶 翁 よ り伝 来 した 茶 具 を 所 蔵 して いた こ と は明 らか で あ る。 しか し,寛 政2年(1790)以. 前 の 段 階 で,あ. ま り売 茶 翁 の 茶 具 に関 す る記 事. が確 認 で きな い こ とを考 え る と,「近 世 碕 人 伝 』に よ り,兼 葭 堂 が 売 茶 翁 の 茶 具 を所 蔵 して い る こ とが,一 般 に知 られ る よ う にな った 側 面 が 大 き いの か も しれ な い。 あ る い は,む. し. ろ 『近 世 碕人 伝 』 が契 機 とな って,兼 葭 堂 に所 蔵 され る売 茶 翁 の 茶 具 が 注 目を 集 め,話 題 にな った の で は な か ろ うか。 そ う した背 景 を受 けて,薫 葭 堂 自身 も寛 政5年(1793)の. 「薫. 葭 堂 日記 』 の 記事 の よ う に,茶 会 な どで 使 用 した と想 定 され よ う。 さ ら に留 意 す べ き点 は,「近 世 碕 人 伝 』以 後 刊 行 さ れ る煎 茶 書 に,必 ず と い って よ い ほ ど, 兼 葭 堂所 蔵 の 売 茶 翁 の 茶 具 が 登 場 す る よ う にな る こ とで あ る。 売 茶 翁 の 茶 具 の 価 値 の 高 ま り に伴 い,前 節 で述 べ た 売 茶 翁 の 神 格 化 が 進 み,ま た 同時 に,売 茶 翁 の 神 格 化 と結 びつ く 形 で,売 茶翁 の 茶 具 も珍 重 され る よ う にな った か らで あ る。 こ う した 事 情 の 反 映 で あ ろ う か,つ い には 売 茶翁 の 茶 具 だ けを 集 成 した 書 物 まで も刊 行 され る に至 る。 売 茶 翁 没 後60年 の文 政6年(1823)に,か. つ て 兼 葭 堂 が 描 いた 『売 茶 翁 茶 具 図 』 を,二 代 目兼 葭 堂 の 木 村. 石 居 が青 木 夙 夜(?∼1802)に. 改 写 させ,一 帖 の 図 譜 に して 刊 行 した 「売 茶 翁 茶 器 図 』 が. そ れ で あ る。 この 『売 茶 翁 茶 器 図 』 は,売 茶 翁 の 茶 具 三 十 余 を 載 せ,そ れ ぞ れ の 茶 具 の 由 緒 や伝 来,当. 時 の所 蔵 先 な どを 書 き込 ん だ もの で,そ の 所 蔵 先 の 一 つ と して,先 の 花 月 庵. の 名 も散 見 す るの で あ る。 一 方 で ,こ う した 売 茶 翁 の 茶 具 の 珍 重 を 背 景 に,煎 茶 具 の 基 本 形 が で き あが り,そ の 模 造 が お こな わ れ る よ う にな る こ と も重 要 だ 。 寛 政10年(1798)に 没 年 未 詳)の. 刊 行 され た 沢 田実 成(生. 「煎 茶 略説 』 に見 え る 「急 焼 も唐 製 を よ しとす 。 然 れ ど も其 中 に好 悪 あ り。. 中 に も最 上 の 品 ハ 高翁 所 持 の 急 焼 南 瓜 形 唐 物 な り。 清 水 六 兵 衛 摸 形 して 世 上 に売 茶 翁 形 と い ふ ハ これ な り」 とい う記 述 は,売 茶 翁 の茶 具 が煎 茶 具 の 「最 上 の 品」と して 象 徴 化 され, 模 造 され て い く実状 を 端 的 に示 して い る。 そ う した 傾 向 は,前 述 の 「煎 茶 早 指 南 』 の 「高 翁 好 み」 とい う表現 か ら も看 取 で き るだ ろ う。 さ らに,『 煎 茶 早 指 南 』で は煎 茶 具 の模 造 の み な らず,一 般 的 な販 売,流 通 が 次 第 にお こな わ れ る よ う にな る こ とを 示 唆 す る次 の よ う な記 述 が あ る。. 【史 料5】 高翁 の 時分,急 焼,こ. ん ろ,茶 わ ん 等 を,や. き出 す に其 名 を 得 た る もの ハ,建 仁 寺 町 三 文. 字 屋 七 兵 衛 と,清 水 の辺 に住 す 梅 林 金 三 な り。 今 其 形 を うつ して 焼 出す もの,清 水 の 六 兵 197(595).

(14) 第59巻. 衛,同. 嘉 助,左. 兵 衛 等,尤. 第2号. 上 作 な り。 六 兵 衛,嘉. 助,近. 頃 故 人 に な りて,今. 也 。 左 兵 衛 は,唐. 物 を う つ す に 妙 を 得 た る も の な り。 煎 茶 置 用 の 陶 器 を,専. も の ハ,旭. 風 店 な り。. 峯,松. 本 府 冨 士 見 原 の 素 焼 豊 八 か 弟 子,豊. 助,右. に ゆ ふ 所 の 人 々,陶. が,近. 炉,こ. ん 炉 等,別. 年 次 第 に 手 練 し て,今. 焼 の ミハ,形. も 品 も お と ら ず と い へ と も,土. 本 府 煎 茶 の 諸 具 を,あ 庄,今. ハ,風. き の ふ も の,お. ふ け れ と も,就. 中,本. ら に,ひ. さ ぐ. 器 類 を 何 に よ らす うつ せ し. に 京 師 に,も. に 是 非 あ る 故,お. の嘉助又妙作. とむ る に及 はす 。 只 急. よ は ぬ 所 も あ り。 町 十 丁 目 津 の 喜,同. 七 丁 目駒. 専 ら こ れ を 売 る。. この史 料 は,煎 茶 具 や 器物 へ の 関 心 の 高 ま りを 示 す と と も に,煎 茶 具 の 需 要 の 高 ま りを も 示 して い る。 つ ま り,高 価 な 「唐 物」 を 「うつ し」 模 造 す る こ とで,そ の 代 用 品 を 作 り, 流通 ・販 売 を 増 加 させ た 側 面 も見 て 取 れ るの で あ る。 以 上 見 て きた とお り,売 茶 翁 の 神 格 化 と と も に,売 茶 翁 の 茶 具 が 煎 茶 具 の 一 つ の 典 型 と して見 な され る よ う にな り,煎 茶 具 の 基 本 形 が 成 立 した 。 これ は,煎 茶 趣 味 の 展 開 に お い て,道 具立 て や しつ らえ の 整 備 が 進 む 契 機 とな った と想 像 され る。 要 す る に,こ の よ う な 器物 の伝 来 と,煎 茶具 の模 造 ・販 売 の 両 面 を 背 景 に,煎 茶 道 と い う方 向 性 は育 まれ たの で は な か ろ うか。 そ れ ゆ え に,第1章 物 の伝 来,お. で 見 た よ う に,花 月 庵 は,唐 物 や 売 茶 翁 に まつ わ る器. よ び,煎 茶 具 の模 造 ・流 通 の 両面 を背 景 に,煎 茶家 の 中心 的人 物 とな って い っ. た の で あ る(23)。. 第3節. 法式 ・点前 へ の 関 心. 本 節 で は,第1章. で 挙 げ た 第 三 の 要 素 につ いて 取 り上 げ,花 月 庵 以 前 の 煎 茶 趣 味 に お け. る,法 式 ・点前 へ の認 識 の 変 化 や 動 向 を 見 て み た い。 煎 茶 の法 式 に対 す る認 識 は,当 初,先 行 研 究 な どで 論 じられ る よ う に,煎 茶 に は茶 の 湯 の よ う に定 ま った 法 式 が無 い,と い う点 を 主 張 す る もの で あ った 。 茶 の 湯 が そ の 法 則 に拘 束 され て 身動 きが 取 れ な くな って い る こ とを 指 摘 し,そ れ に対 して,陸 羽 や 盧 全 な どの 例 を 引 きな が ら,煎 茶 は 法 式 が 自在 で あ る と い う点 を 主 張 す る もの も あ る。 この よ う に,煎 茶書 な どで は,し ば しば 茶 の 湯 との 比較 や 対 比 を 明 確 にす る形 で,煎 茶 の 法 式 ・点 前 の 妥 当性 を主 張 して い く。 そ れ ゆ え に,煎 茶 趣 味 は,茶 の 湯 批 判 や 否 定 的 な 茶 の 湯 観 の 象 徴 と. (23)花 月 庵 が初 代 清 水 六 兵 衛(1738∼99)や 木 米 へ道 具 を 注文 して い る例 や,「 浪 華 煎 茶 大人 集 』 掲 載 の花 月 庵 の 門 人 に,道 具 商 や 陶 工 が 高 弟 と して 挙 げ られ て い る例 な どか ら うか が え よ う。 198(596).

(15) 江 戸 時 代 中 後 期 にお け る煎 茶 趣 味 の 展 開 と煎 茶 道 の 成 立(安 永) し て 理 解 さ れ て き た(24)。だ が,次. の 史 料 を 見 て み よ う。. 【史 料6】 客 に対 す る饗 式。 茶 寮 の結 構。 点 茶 家 法 則 備 れ り。 古 老 の 人 に聴 くべ し。 但 守 株 刻 舟 の 弊 有 て 。 進 退 活 用 な らぬ 者 聞 ゆ。 是 に繋 る は拙 な り。 是 を 悪 む は野 也 。 克 々意 を 用 ふ べ し。 (中 略)況 や 今 世 の人 。玩 器 の真 贋 優 劣 の 間 に在 を何 と か云 ん。然 ば饗 式 は。点 茶 家 古 老 の 法 則 を意 底 に蓄 へ て。 且 自己 の 分 限 に応 じつ \遊 楽 す べ し。 只 礼 節 閾 べ か らず 。. こ れ は 最 も代 表 的 な 煎 茶 書 で,寛. 政6年(1794)に. 秋 成 の 『清 風 項 言 』(25)の一一 部 で あ る。 も ち ろ ん,同 部 分 が 無 くは な い 。 だ が,【 史 料6】 は,決. 刊 行 さ れ,そ. 書 に は茶 の 湯 を批 判 的 に と らえ て い る. 中 の 「点 茶 家 古 老 の 法 則 を 意 底 に 蓄 へ て 」 と い う 表 現. し て 否 定 的 な 茶 の 湯 観 で は な い だ ろ う 。 実 は,こ. 書 の 随 所 に 見 出 さ れ,さ. ら に は,か. の 後 何 度 も 版 を 重 ね た,. れ と 同 様 の 茶 の 湯 観 が,他. か る 茶 の 湯 観 か ら の 影 響 と して,茶. の煎茶. の湯の法式を煎茶. 趣 味 の 中 に 積 極 的 に 取 り入 れ よ う と す る 意 識 が 表 面 化 して く る の で あ る 。 そ の こ と を 如 実 に物 語 る 史 料 に,増. 山 雪 斎(1754∼1819)が. 著 し た 文 化 元 年(1804)刊. 行 の 「煎 茶 式 』(26). が あ る。 次 の 史 料 は そ の 冒 頭 部 分 で あ る 。. 【史 料7】 前 年 京坂 之 間。遊 外 売 茶 翁 ト称 ス ル 者 有 リ。余 偶 々翁 之 蔵 スル 所 ノ黄 銅 炉 ・急 火 焼 ヲ得 ル 。 愛 翫 最 モ甚 ダ シ。 近 日煎 茶 ヲ玩 スル者 多 シ ト錐 モ,然 ル ニ 其 ノ次 第 ・階 級 ハ 己 ガ意 二 任 セ 杜 撰 ヲ以 テ佳 シ ト為 シ,而 シテ 今 古 行 ナ ワル ル 所 ノ抹 茶 之 風 俗 ヲ擁 メ ン ト欲 ス。 余,意. フ. ニ今 古 ノ抹 茶者 流 之 風 流 ハ最 モ 賞 ス可 キ 也 。 翁 之 煎 茶 風 流 モ 亦 タ賞 ス可 キ 也 。 然 シ而,其 ノ次 第 階級 無 ク ンバ,則 チ唯 々一一 時 之 流 行 而 已ニ テ遂 二 廃 ス可 キ也 。量 二 惜 シマ ザ ラ ン乎 。 是 二於 テ彼 之 非 ヲ去 リ,此 之 是 ヲ取 リ,掛 酌 以 テ 次 第 ヲ立 テ,煎 茶 之 式 法 ヲ作 為 セ ン ト云 。. 【史 料7】. に よ る と,煎. 式 が 立 た ず,自. 茶 は 「次 第 階 級 」 が 無 く 「杜 撰 」 で あ る と して い る 。 こ の よ う に 法. 由 気 ま ま に して い て は 「一 時 之 流 行 」 に 終 わ っ て し ま う 。 そ こ で. 流 之 風 流 」 に 倣 っ て 煎 茶 の 「式 法 」 を 立 て よ う と い う の で あ る 。 こ れ は つ ま り,煎 前 に対 す る 関 心 が 次 第 に 高 ま り つ つ あ っ た こ と の 傍 証 と も な ろ う 。 以 上,花 (24)前 (25)前 (26)『. 掲 注(5)諸論 文 を参 照 。 掲 注(18)『 上 田秋 成 全 集9随 日本 庶 民 文 化 史 料 集 成10数. 筆 篇 』 に所 収 。 寄 』(三 一 書 房,1976年)に 199(597). 所収。. 「抹 茶 者 茶の点. 月庵以前の状.

(16) 第59巻. 第2号. 況 を見 て み る と,点 前 に関 して も次 第 に関 心 が 高 ま り,法 式 を 立 て よ う とす る兆 候 が 見 て 取 れ る。 た だ,こ. こで 留意 して お きた い の は,そ の 際,茶 の 湯 か らの 影 響 が 見 られ る こ と. で あ る。 さて,本 章 で は花 月 庵 以 前 の状 況 に遡 り,宗 匠 とな るた め に重 要 な 三 つ の 要 素 につ いて, 煎 茶趣 味 にお け る動 向 を 見 て きた が,そ れ に よ る と,煎 茶 道 と い う方 向 性 は,花 月 庵 に よ り突 然 あ らわ れ た 動 きで は な く,煎 茶 趣 味 が 広 汎 に展 開 し,広 く嗜 まれ る よ う にな る に従 い,徐. 々 に培 わ れ た もの で あ る こ とが 判 明 した 。 これ を 煎 茶 趣 味 の 変 容 と して と らえ る な. らば,そ の契 機 と して,第 一 に,売 茶 翁 の 神 格 化,第 二 に,売 茶 翁 の 茶 具 を 中心 とす る器 物 の価 値 の上 昇 と,煎 茶具 の 模 造 ・販 売,第 三 に,法 式 ・点 前 へ の 関 心 の 高 ま り,と い う 具 体 的 な 胎動 が あ った こ とが 指 摘 で き るわ けで あ る。 逆 に いえ ば,こ の よ うな 煎 茶 趣 味 に 対 す る意 識 の変 化,あ. るい は煎 茶 道 化 と い う希 求 の 高 ま りに乗 じて,第1章. で挙 げたよう. な三 つ の 要素 を主 な柱 と し,権 威 付 け とす る こ とで,花 月 庵 は煎 茶 の 宗 匠 とな り得 たの で あ る。 と こ ろで,こ. う した 煎 茶 道 化 の 動 き に際 して 注 目 され るの が,本 節 で 若 干 指 摘 した よ う. に,茶 の 湯 との 比較 にお い て 煎 茶 趣 味 が 叙 述 され る よ う にな る点 で あ る。 先 行 研 究 で は, 煎 茶趣 味 は 茶 の 湯 へ の 批 判 を そ の 大 きな 拠 り所 と して 展 開 した と され るが,実 際 に は 【史 料7】. の よ うな 茶 の 湯 か らの影 響 も,少 な か らず 煎 茶 趣 味 に見 て 取 れ る。 で あ るな らば,. 茶 の 湯 と煎 茶 を,従 来 の よ うな 単 純 に対 立 す る概 念 か らで はな く,新 た な 視 点 か ら考 察 す る必 要 もあ るだ ろ う。 そ こで,次 章 で は,茶 の 湯 と い う既 存 の 芸 道 との か か わ りと,そ の 認 識 とい う側 面 か ら煎 茶 趣 味 の 変 容 を と らえ て み た い。. 第3章. 茶 の湯 とのかかわ り. 第1節. 江 戸 時 代 中後 期 の茶 の 湯批 判. 従 来,煎. 茶 趣 味 は,茶 の 湯 の 遊 芸 化 へ の 批 判 を そ の 大 きな 基 盤 と して 展 開 した と いわ れ. る。 だ が,第2章. で 見 た よ う に,煎 茶 趣 味 は,そ の 展 開 にお いて 一 つ の 転 機 を 迎 え,そ れ. に よ り,徐 々 に煎 茶 道 とい う方 向 性 が あ らわ れ た の で あれ ば,先 の 理 解 に は一 つ の 矛 盾 が 生 じ る。 前 述 の 【史 料7】. の 記 述 に見 られ る よ うな,茶 の 湯 か らの 影 響 関 係 を 考 え る と,. 煎 茶趣 味 にお け る茶 の 湯 観 を 再 検討 す る必 要 も あ るだ ろ う。そ こで まず,熊 倉 功 夫 氏 の 『近 代 茶道 史 の研 究 』 を 参考 に,江 戸 時 代 中 後 期 にお け る茶 の 湯 批 判 の 動 向 を 見 て み よ う。 茶 の 湯 へ の 批 判 は,江 戸 時 代 中 後 期 に多 くの 儒 学 者 な ど に よ って な され た と こ ろで あ る 200(598).

(17) 江戸時代中後期 にお ける煎茶趣味の展開 と煎茶道の成立(安 永) が,太 宰 春 台(1680∼1747)の. 『独語 』 はそ の 最 も典 型 的 な もの で あ る。 そ の 批 判 の 骨 子. と して,熊 倉 氏 は以 下 の三 点 を挙 げ て い る。第 一 に,茶 器 や茶 の点 前 の不 衛 生 さ,第 二 に, 客亭 主 間 で世 辞 を 応酬 す る愚 劣 さ,第 三 に,粗 末 を 喜 ぶ 浅 はか さで あ る。 で は,太 宰 春 台 の主 張 す る茶 とは どの よ うな もの な の で あ ろ うか 。 そ れ は,熊 倉 氏 に よ る と,あ. くまで 飲. 料 と して の 茶 で あ って,芸 道 と して の 茶 道 を 否 定 す る もの で あ った 。 つ ま り,茶 の 湯 批 判 の 主 旨 は,そ (1786)に. の遊 芸 化 へ の 批 判 な の で あ る。 この よ うな 茶 の 湯 批 判 の高 揚 は,天. 刊 行 され た河 田直 道(生 没 年 未 詳)の. 明6年. 「茶 道 論 』 か ら も うか が う こ とが で き る。. この 『茶道 論 』 の 茶 の 湯 批 判 は,先 に挙 げた 三 点 の ほか に も,貴 賎 尊 卑 を わ き まえ ず 茶 室 に入 り込 む 身分 秩 序 の 混乱 や,茶 の 湯 の 宗 匠 の 不 徳 に まで 至 る痛 烈 な もの で あ る。 ま た, 熊倉 氏 に よ る と春 台 や 直 道 の よ うな 「外 部 か らの 批 判 」 の み な らず,こ れ と軌 を 一一にす る か の よ う に,藪 内 流五 世 の藪 内 竹 心(1678∼1745)な. ど に よ って,茶 道 界 内部 の 茶 人 そ の. もの か ら批判 の 動 き もあ らわ れ る よ うで あ る。 か か る茶 の 湯 批 判 の 動 向 の 中 で,煎 茶 趣 味 も,そ う した 茶 の 湯 批 判 の 一 つ の 胎 動 と して 位 置 づ け られ て い る。 熊 倉 氏 は,国 学 者 と煎 茶 と の関 連 性 に着 目 し,秋 成 の著 作 や⑳,前 田夏 蔭(1793∼1864)の. 「木 芽 説 』,岡 部 春 平(1794∼1856)の. 『茶 記 贅 言 』 を例 に挙 げ,. そ れ らが 中 国 の 唐 時 代 の 陸 羽 や 盧 全 を引 き合 い に して,宋 時 代 以 降 の抹 茶(28)を 否 定 し,抹 茶以 前 の唐 時 代 の 茶 に戻 ろ う とす る主 張 を 展 開 す る こ とか ら,抹 茶 す な わ ち茶 の 湯 へ の 批 判 と して,煎 茶 趣 味 を解 釈 した。 この ほか,た. とえ ば,売 茶 翁 の 売 茶 活 動 も,抹 茶 で は な. く煎 茶 を用 い て 堕 落 した 茶 の 湯 を 批 判 す る こ とで,茶 の 湯 と不 即 不 離 に あ る禅 宗 を批 判 し た もの と して 理 解 され て い る(29)。 つ ま り,売 茶 翁 が 煎 茶 を選 ん だ 要 因 と して も,茶 の湯 の 腐 敗 とそ の 批 判 の 高 揚 が 指 摘 で き るわ けで あ る。 同 様 に,多. くの 煎 茶 書 が 陸 羽 や 盧 全 を そ. の旗 印 に掲 げ た こ とを も って して も,煎 茶 趣 味 が 当初 「茶 道 の原 像 を模 索 」(30)する こ と に 端 を発 した の は 明 らか で あ る。 だ が,前 述 の よ う に,煎 茶 趣 味 は,そ の 展 開 にお いて 芸 道 と して の 煎 茶 道 を認 め る方 向 に傾 斜 して い った 。 そ れ な ら ば,煎 茶 趣 味 が 当 初 目指 して い た もの とは対 極 にあ った は ず の 茶 の 湯 を,煎 茶 を 享 受 し,嗜 ん だ 人 々 は,一 体 どの よ う に 認 識 して い た の だ ろ うか。 (27)熊 倉 氏 は 『清 風 項 言 」,『茶 痕 酔 言 』 を事 例 と して挙 げ て い る が,国 文 学 の 分 野 で も上 田 秋 成 の煎 茶観 に つ い て の 研 究 は盛 ん で あ る。 だ が,そ の 中 で も秋 成 の 煎 茶 に関 す る著 述 は茶 の 湯 批 判 と して理 解 され て い る。 秋成 と煎 茶 に 関 す る研 究 の 主 な もの に 中村 幸 彦 「近 世 作 家 研 究 」(三 一 書 房,1961年),坂 田 素 子 「上 田 秋成 と煎 茶 道」(「女 子 大 国 文 』31,京 都 女 子 大 学 国 文 学 会,1963 年),堺 光 一・「『茶 神 の 物 語 」考 一秋成 の創 作 態 度 一 」(『文 学 』47,岩 波 書店,1979年)な どが あ る。 (28)熊 (29)前 (30)前. 倉 氏 の記 述 に基 づ き,こ こで は 「 茶 の 湯」 とせ ず 「 抹 茶 」 と した。 掲 注(5)小川 書 『煎 茶 へ の招 待 」 「第 四章 煎 茶 道 の成 立 」,前 掲 注(15)早 川 論 文 な ど を参 照 。 掲 注(2)熊倉 書 『近 代 茶 道 史 の研 究 」62頁 。 201(599).

(18) 第59巻. 第2節. 第2号. 煎茶 趣 味 に お ける茶 の 湯観. 前 章 で も若 干 指摘 した よ う に,煎 茶 趣 味 にお いて,茶 の 湯 は一 概 に否 定 的 に と らえ られ て い た わ けで は な い。 熊倉 氏 が 茶 の 湯 批 判 の 顕 著 な 典 型 的 事 例 と して 挙 げて い る秋 成 の 著 作 を 見 て も,そ の こ とは い え る。 「茶 癩 酔 言 』の 大 枝 流 芳 を評 した部 分 に 「浪 花 の大 枝 流 芳 は,翁. に謁 して 煎 法 を つ た へ し人 也。 元 富 豪 の 出 身,点 法 香 技 に熟 せ しか は,器 物 の 高 質. を宗 とせ られ た れ と も,席 上 の 式,お の つ か ら静 にて 風 致 あ り」(31)とあ り,同 じ く薫 葭 堂 を評 して 「点 家 に交 は ら さ り しか は,席 上 の 茶 具 位 致 乱 れ て,清 韻 を失 ふ 」(32)とい う。 つ ま り,「 点 法 香 技 」(茶 の 湯 や 香 道)に 熟 達 して い る こ とが 「風 致 」 と され,「 点 家 」(茶 の 湯 を 嗜 む人 々)と 交 わ らな い の で,「 茶 具 の位 致 乱 れ て清 韻 を失 ふ 」 とい うので あ る。 こ の 主 張 は,茶 の湯 や香 道 と い う芸 道 を肯 定 的 に と らえ た表 現 に ほ か な らな い。先 の 【史 料6】 の 『清風 項 言 』 の み な らず,「 茶 痕 酔 言 』 で も秋 成 は,「 若 主 客 の 礼 譲 を 習 はん と思 は \, 前 に点 家 の法 を 掟 て,世. にあ まね し」(33)と 述 べ て い る。. な らば 秋成 は,茶 の湯 の い か な る面 を批 判 して い るの で あ ろ うか。た とえ ば,秋 成 は 『茶 痕 酔言 』 の 芸 道 に対 して述 べ た項 で 次 の よ うな 見 解 を 示 す 。. 【史 料8】 藝技 法 式 な き には あ らす。李 笠 翁 の 画 口 口,有 法 の 極 無 法 にか へ れ,と 云 う しは聞 つ へ し。 法 に入 て其 局 中 に生 涯 つ な か れ た らん は拙 な り。有 法 を の か れ て無 法 に帰 す る人 な らす は, 自己 の逸 楽 は 有 へ か らす。 然 と も,才 な き人 は無 法 にか へ りか た けれ は,其 藝 技 の 奴 と な りて,有 法 に終 るを とか む へ か らす(34)。. つ ま り,秋 成 の 批 判 は 芸 道 そ の もの に向 け られ るの で はな く,そ れ に拘 束 され て 身 動 きが 取 れ な くな る点 を 批 判 して い るの で あ る。 逆 に法 式 は あ る程 度 必 要 で あ る と して い る。 も ち ろん,茶 の 湯 を 批 判 して い る部 分 が 全 くな いわ けで はな い。 た とえ ば,秋 成 の 茶 の 湯観 を 端 的 に示 す 史料 に,花 月 庵 所 蔵 で 文 化4年(1807)成. 立 の 「茶 は煎 を 貴 とす 」 と い. う一 軸 が あ る(35)。 これ は 煎 茶 と点 茶(茶 の 湯)の 区 別 を 論 じた一 文 で あ る。 そ の 中 で,茶. (31)前 掲 注(18)『 茶 癩 酔 言 」 西 荘 文 庫 本 〔 二 三 〕。 (32)前 掲 注(18)『 茶 癩 酔 言 」 西 荘 文 庫 本 〔 二 四〕。 (33)前 掲 注(18)『 茶 痕 酔 言 」 西 荘 文 庫 本 〔 二 八 〕。 (34)前 掲 注(18)『 茶 癩 酔 言 」 西 荘 文 庫 本 〔 三 五 〕。 (35)前 掲 注(18)『 上 田秋 成 全 集9随 筆 篇 」 に所 収 。 な お,花 月 庵 は秋 成 の煎 茶 に 関す る歌 文 も積 極 的 に収 集 して お り,そ れ に つ い て は,同 全 集 の 解 題 を 参 照 。 202(600).

(19) 江戸時代中後期 にお ける煎茶趣味の展開 と煎茶道の成立(安 永) の 湯 の 味 覚 にお け る精 神 性 の 欠 如 を 説 き,高 価 な 道 具 を 買 い あ さ る茶 の 湯 の 風 潮 を戒 め, 茶 の 湯 の 批判 点 を い くつ か 挙 げ て い る。 だ が,こ. こで 注 目 した いの は文 末 部 分 で あ り,そ. こで は 「茶神 清故 に,濁 に触 れ て 損 害 速 か 也 。 点 家 此 意 を 得 て 玩 へ は,最 清 し。 東 披 云, 佳 茗似 佳 人 。 此句 の意 を 能 々腹 に味 ひて,煎 点 いつ れ に遊 ふ と も可 也 」 と しめ く くって い るの で あ る。 つ ま り,茶 の 湯 を 嗜 む こ とを 否 定 して は いな い。 む しろ,積 極 的 に奨 励 して い るわ けで あ る。 この こ とは,「 謄 大 小 心 録 』㈹ の 中で 秋 成 の 姉 の 師 で あ っ た 内本 喜 斎(生 没年 未詳)と. い う茶 人 を 誉 め て い る例 な どか ら も いえ よ う。. こ う して み る と,煎 茶 趣 味 にお け る茶 の 湯 観 は,あ な が ち否 定 的 な もの で はな く,前 述 の 【史料6】. の 記述 の よ う に 「点 茶 家 古 老 の 法 則 を 意 底 に蓄 へ て 」 と い う もの で あ っ た と. い え よ う。 か か る茶 の 湯 観 か ら,先 の 【史 料7】 の よ う に茶 の 湯 を 肯 定 的 に享 受 し,利 用 し よ う とす る動 き も生 じて くるの で あ る。 しか し,そ の よ うな 茶 の 湯 か らの 影 響 関 係 が み られ る一 方 で,煎 茶 書 の 中 で,茶 の 湯 との 比 較 ・対 比 にお いて 煎 茶 が 語 られ るの も,ま た 事 実 で あ る。 も し,そ れ が 単 な る茶 の 湯 批 判 で な い とす るな ら ば,こ の よ う に茶 の 湯 と対 比 的 に煎 茶趣 味 が 叙述 され る意 味 の 解 明 が 求 め られ るだ ろ う。. 第3節. 茶 の 湯 か らの移 行 者. 本 節 で は,煎 茶 書 が どの よ うな読 者 を そ の 対 象 者 と した の か と い う視 点 か ら,煎 茶 と茶 の 湯 との対 比 的 記述 の意 図 を 解 明 した い。まず は次 の二 つ の史 料 を挙 げ て み よ う。【史 料9】 は 『煎 茶早 指 南 』 の一 部 で,【 史 料10】 は 「茶 痕 酔 言 』 の 冒頭 で あ る。. 【史 料9】 兄 翁 茶 亭 の 趣 を 委 敷 図 す る こ と ハ 煎 茶 の 諸 道 具 あ り き た りた る を 用 ひ て,か の 器 な ら ね ば 用 に た \ぬ と ゆ ふ こ と な き を しめ し,せ す 。 尤 兄 翁 は じ め 点 茶 を 好 て,も. て あ そ び しが,其. な らず 清 盧 好. ん 茶 に 入 や す き こ と を,あ. き らか に. 時 の 道 具 を 其 儘 に 用 ゆ る も の お ふ し。. 図 を 見 て し る べ き な り。(中 略) 扱 今 の 世 に 点 茶 を,も て あ そ ふ 人 ハ,陸 羽 を 煎 茶 ば か り の 祖 と 心 得 て,取 大 な る あ や ま り 也 。茶 経 に 石 転 運 と て,茶 餅 茶 な ど \て,丸 見 え た れ ハ,点. (36)前. 臼 の 図 も あ れ は,散 茶 もせ ら れ た る な り。其 外,. め た る も あ り。 しか れ ハ,茶 茶 家 に も,茶. の こ と に お ゐ て ハ,何. 経 を しりて よ き こ と也 。. 掲 注(18)『 上 田秋 成 全 集9随. も ち い ぬ も あ り。. 筆 篇 』 に所 収 。 203(601). も か も,陸. 氏 中興 と.

(20) 第59巻. 第2号. 【史 料10】 前 の 清 風 項 言 に 云 あ や ま ち,且 云 ん 。 煎,点. 共 に,益. 云 漏 し,又. 後 来 に 見 聞 し説 話 を,此. 頃 の 朝 茶 の 酔 こ \ち に. 有 こ と は 目 を と \め よ 。 無 味 の 酔 泣 と 思 ふ は,一. 煎 の 津 と \も に棄. 去 へ し(37)。. これ らの 史料 か ら浮上 す るの は,煎 茶 を 啓 蒙 し,煎 茶 書 を 読 ませ る対 象 者 に 「点 茶 家 」 が含 まれ て い る とい う事 実 で あ る。 た とえ ば 『茶 痕 酔 言 』 中 に千 利 休(1522∼91)や 遠 州(1579∼1647),武. 野 紹 鴎(1502∼55)に. 小堀. つ い て の 記 述 が あ る こ とや,茶 の 湯 に関 す る. 叙 述 が諸 所 に見 られ る こ と も,そ の よ うな 読 者 と して の 茶 の 湯 愛 好 者 を,意 識 した もの に ほか な らな い だ ろ う。 この こ とを 考 慮 に入 れ る と,多. くの 煎 茶 書 で 見 られ る よ うな,茶. の. 湯 との 比較 を 用 い た 記述 も,茶 の 湯 の どの よ うな 側 面 を 享 受 し,ま た どの よ うな 面 が 弊 害 に当 た るの か を 明確 にす る効 果 を 生 ん で い る と いえ る。 そ う した 記 述 は,茶 の 湯 を前 提 と して認 識 して い る者 に対 して 有 効 な はず で あ ろ う。 つ ま り,煎 茶 書 を 読 む 前 提 と して,茶 の 湯 を あ る程 度理 解 し,あ るい は習 得 して いな くて はな らな い こ と とな る。 これ は,一 一 方 で,茶 の 湯 の広 汎 な 浸 透 を 示 唆 す る もの で もあ るが,ま た 一 方 で,煎 茶 を 勧 め る対 象 者 に, 茶 の 湯 を習 得 した 人 々が 存 在 す る こ とを 示 して い る と も いえ る。 要 す る に,煎 茶 書 に見 ら れ る煎 茶 と茶 の 湯 との 対 比 的 な 記 述 の 裏 に は,茶 の 湯 か ら煎 茶 へ の 移 行 者 の 存 在 が 隠 され て い るの で は な か ろ うか。 そ れ ゆ え に,茶 の 湯 へ の 批 判 を 明 確 な もの に し,煎 茶 の 正 当性 を 強調 す るわ けで あ る。 この よ うな 茶 の 湯 か ら煎 茶 へ の 移 行者 の 存 在 を 示 す 史 料 と して,【史 料3】 で も挙 げ た享 和 元 年(1801)刊. 行 の 「煎 茶早 指 南 』 の 叙 文 を 例 に取 ろ う。. 【史 料11】 茶 道 ハ,元. 来 我 宗 門 の 礼 数 よ り い で \,今. 物 す き に 慣 の 高 下 を 論 し,主 ミお ふ く し て,和. 専 ら 世 間 に お こ な わ る れ と も,お. ふ くハ 道 具 の. 客 と も に 進 退 の 遅 速 を 誹 り合 。 真 の 風 流 を,う. しの ふ こ と の. 敬 清 寂 の 四 意,一. ツ も 存 す る こ と な し。 予,年. ね 茶 室 に入 て 黙 然 端 坐,ひ. と り 茶 禅 一 味 の 必 要 を あ ま ん じ,更. を 改 め ん と す 。(中 略)(前. 掲 【史 料3】. 宴 に お ゐ て 志 を 変 し,点 に世 間 に 流 行 し て,風. (37)前. 茶 を 捨 て,煎. 流 の 人,煎. に 其 時 を 伝 て,風. のつ. をか へ 俗. が こ の 中 略 部 分 に 相 当 す る 。) 茶 に あ そ ふ こ と 今 已 に 十 有 余 年 な り。 此 ご ろ し き り. 茶 を も て は や し,高. 掲 注(18)『 茶 癩 酔 言 」 西 荘 文 庫 本. 来 点 茶 を こ の ミ,よ. 〔一 〕。 204(602). 翁 の 雅 趣 を 慕 ふ も の,水. の ひ き \に.

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