武満徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷
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(2) . 2巻 第1号 北海道教育大学紀要 (教育科学編) 第5. 3年 9 月 平成 1. l l霊園doUDi i方of霧duca甑on (Educa錠on) uo lofHo Jounュa vers .52 ‐I , No. September , 2001. 武満. 徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷. 内. 田. 輝. 北海道教育大学札幌校管弦研究室. はじめに--弦楽奏者として接した武満徹. 「武満徹は異星人のよう だ」 という表現は, その音楽と容貌とを含め, これまでにさまざまな人が述べて ) 私 が初めて武満と出会っ たのは 19 1 きた{ 。 , 80年にTBSで放送された 「洞爺丸は何故沈んだか」 という ド キュメンタリ ー番組の音楽を録音する現場であった。 リハーサルが始まり実際に音を出してみる と, その音 楽は絶妙な管弦楽手法に裏づけられた清澄な響きに満ち, そのイマジネーショ ンの広がりは, まさに 「宇宙 2 }であっ た その 的」 とも言える奥深いものがあり, 単なるテレビ・ラ ジオの音楽とはとても思 えない佳 品( 。 後1984年 の 「東 京 の 夏」 音 楽 祭 にお い て, 武 満 の 中期 室 内 楽 の傑 作 と 言 わ れる 《 ウ ォ ー タ ー ウ ェ イ ズ 》Wa ‐ 1978年) を ヴ ァ イ オリ ン奏 者 と して演 奏 す る 機 会 を 得 た。 こ の 八 重 奏 曲 は, ヴ ァ イ オリ ンの パ ー t e rways ( トが一 人 だ っ た ため に, 武 満 と い っ そう 向 かい 合う こ と と な っ た。 こ のセ ッ シ ョ ンにお い て, 武 満 の豊 かな. イマジネーションを音にしていく中で, 私は演奏者として深い共感を覚えたにもかかわらず, 武満の感性に 近 づくことの難しさを思い知らされた。 そ の 後も私 はた びた びオー ケス トラ の一員 と して武 満 の 曲 を演 奏す る た びに, あ の セ ッ シ ョ ンの 際の 激 し いや り と り が思 いお こさ れ, 曲 の よ り 深 い解 釈 を迫 ら れる の で ある。. 武満の生前にその肉声を楽器の音とともに聞くことができた一人として, その時々の言葉と, 共同で作り 上げた音の記憶を手がかりに, 武満の弦楽作品を追究したい。 1. 武満徹の音楽における弦楽作品. 武満は19 30年に東京に生まれ, 18歳 ( 19 48年) で清瀬保二に師事する。 しかし技術的なことは教わること なく芸術論を交わすことが中心であっ たことから, 実際は独学といっていい。 彼の創作は1 950年に 「新作曲 { 3 )を 出 発点 に 亡く なる 年 の1996 家協 会」 に入 会 した 際発 表 した《 二つ の レン ト》Lentoin Due Mo▽ i I Dent i ,. 年に発表されたフルートのための独奏曲《エア》Ai rに至るまで, 極めて長期にわたっ て旺盛な活動が続け られた。 その47年間に作曲された作品では, 弦楽器がとりわけ重要な役割を担っ ている と 言えよう。 した がっ て弦楽作品の変化は, 武満の創作全体の変化と概ね一致するはずとの推論を立てた。 武満の作風の変遷 については広く論じられてきたが, 未だ定説とでも言うべき統一的見解を持つには至らない。 作品全体をい くつの時期に分けるのか, またそれをいつの時点で区切るのかということでさえ諸説がある。 また, そのよ うに区分することや, 「武満トーン」 などの安易な表現で, その複雑な創作過程を短絡的に括っ てしまうこ ) ここでは弦楽書法の変遷をたどり ( 4 とへの懐疑的な見解も見受けられる( )「習作/実験-模索期」 2 ) 。 ,1 ,( 149.
(3) . 内. 田. 輝. 「弦楽書法の完成-習熟期」 3 )「うたを求めて一円熟期」 に創作課程を区分した。 ,( ここで武満の弦楽作品の一覧を掲げておこう。([表1] ) 5 ) [表1]武満徹の全弦楽作品一覧( 年代 ◆二重奏 ◆協奏曲 ◆室内楽. ◆弦楽合奏 (十α). 「習作/実験-模索期」 19 1 ◆妖精の距離vn 5 , pf ◆ 弦 楽 の た め の レク イ エ ム s t r. l957 l958. ◆. l9 59. ◆シーンvc t r ÷÷÷÷◆ ,s. . 1960. ◆ ソ ン. カ リ グラ フイ エ . 亘 4 ・瓜, 2va , 2vc. ◆ ラ ン ドス ケ ー プ2vn, va , vc ◆. 同. ◆ ソ ン・ カ リ グラ フィ m 4m, 2va , 2vc ◆ コ ロ ナ ロs t r(不特定) ◆弦楽のためのアーク (弧)s t r(不特定). l962. 19 6 3 (◇ソナント). 19 65. 6 1 雷 化川撒 q. 1. ◆地平線のドーリア2 蜘 a v c之 州 十6孤,3ぬ ’2. l ◇ ヴ ァ レリ ア vn, vc cc ,e , org , 2pi , gt. 1969. ◇ ユ ー カ リ プス l n, ob, hp, s t r. l970. 「弦楽書法の完成-習熟期」. l978. ◇ 力 ト レー ン c l , orch , m, vc , Pf 1 l ◇力 ト レー ン亘 c , pf , m, vc l i b ◇ ウ ォ ー タ ー ウ ェイ ズ c , 2hp, 2v , m, vc , pf. 80 l9. ◆遠い呼び声の彼方へ! vn, orch. 1975 l977. ◆ ア ・ ウ ェ イ ・ ア ・ ロ ー ン2切口 , va , vc 1 ◆ ア . ウ ェ イ . ア . ロ ー ン1 ls t r. 同 l981. ◇ 海へ耳a t r , 負, hp, s. 同. ◆ラクリマ (映画 「予言」 の音楽の編曲)s t l9 83 r f 同 ◆十一月の霧と菊の彼方からvn p , ◆揺れる鏡の夜明け2 同 ◆ ・m l984 同-. ◆ オリ オ ン vc , pf 1 ◆ オリ オ ン 「. 「うたを求めて-円熟期」. と :… プ レア デス vc orch ,. l986 l987 1989. ◇ ア ン ト ウ ル = タ ン ob, 2vn, va , vc ◆ ノ ス タ ル ジ ア m, s t r ÷◆ ◆ ア ー ス トリ ン グ‐ ア ラ ウ ン ド・ オ ー タ ム va , orch. 2 l 99. ◇そして, それが風であることを知っ た乱 , va , hp. l993. ◆ ビ ト ゥ イ ー ン ・ タイ ズ m, vc , pf. l ◇秋のうた (チャイコフスキーの編曲) c 同 , 2m, va , vc f 9 4 ◆鳥が道に降りてきたva l9 p , l995 同. ◆3つの 映画音楽s t r ◆ス ペク トラ ル ・ カ ンテ イ ク ル w, gt , orch. t (略 語 一 覧÷・m : ヴ ァ イ オ リ ン, va: ヴィ オ ラ, vc: チ ェ ロ, cb: コ ン トラ バ ス, s r:弦 楽 合 奏, 負: フ l: ク ラ リ ル ー ト, af l: ア ル ト . フ ル ー ト, picc: ピ ッ コ ロ, ob: オ ー ボ エ, pf: ピ ア ノ, c ネ ッ ト, ha: ハ ー プ, el・org: 電 子 オ ル ガ ン, vib: ヴ ィ ブ ラ フ ォ ン, gt: ギ タ ー, orch: 管. 弦 楽). この表では領域分類順に見て, 独奏楽器としての弦楽表現について, より重要度の高いものを左に置い た。 したがって, この表の作品の配置は以後の本論中における扱いの重要度を示す指針となるように配慮し た。 また, ここで 「弦楽作品」 とは, 弦楽主体の二重奏曲, 弦楽主体の協奏曲, 弦楽器を含む室内楽曲およ び弦楽合奏曲, あるいは弦楽合奏曲十α を指す。 なお, 「弦楽器」 とは 「擦弦楽器」 を指し, ギター, ハー プなどの援弦楽器は, 武満の創作上, 重要な位置を占めるが, 本稿の考察では最小限に触れるに止めた。. 150.
(4) . 武満. 徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷. 1 ( ) 習作/実験-模索期 ) b ) 《弦楽のためのレクイ 19 51 ) 《 妖精 の 距離 》Di t こ の 時期 の代 表作 品 と して は, (a s amce deF ee ( ,( ) の作 品 は, 彼 ) が上 げら れる。 (a ka ( 1966 ), ( ) 《 ヒカ (悲 歌) 》Hi 1957 エム 》Reqmemfbrs桜mgs ( c. ) の作品では和音の上にヴァイオリンが官能的ながらも, 明朗 が21歳のとき, 初めて出版した曲である ( b な旋律を節度を保っ て奏でている。 意志的に切りつめられた構造を通 じて, 内面的な強度が示され, 「う た」 は底流となり, 時として表面に流れ出る。 ここにおいて, 早くも武満の個性をうかがうことができる。 ( ) の作品では, 切りつめられた構造がさらに際立ち一方ヴァイオリンが断片化されな がらもなお叙情的 c )( ) で示された武満の特性 を, さらに際立たせてい b な 「うた」 を奏でている。 つまり, この作品は, ( a る と いう 点 にお いて 重 要であ る。 1975 ) の 間 に境 界 線 を引 い in ( ) と《 力 ト レー ン》Quat ll ( 1970 次 に, 《 ユ ー カリ プス エ 》Eucm: ra s “o 6 ) 弦 楽 器 を 主 体 と した 作 品 は ほ と ん ど た事 由 を述べ たい。 この 5年 間 に は管 楽 器 の作 品 は書 か れている が{ ,. 書かれていない。 武満はこの間, さま ざまなジャ ンルの作品, つまり弦楽以外の協奏的作品, 邦楽器による 1972) に t 作 品 等 を 通 じて 「う た」 の 多 様 な 可 能 性 を 模 索 して い る。 例 え ば, 《 ディ ス タ ンス 》Di s amce ( 1971 ) で は, 楽 i お い て, 隼 と オ ー ボ エ の 響 き を 保 持 さ せ な が ら変 化 さ せ て いく 試 み, 《 ヴ ォ イ ス 》Vo ce (. 器 (フルート) と演奏者の発する 肉声とを区別 しない等の試行を重ねながら, 作曲のスタイルそのものを変 化させている。 一般的には楽器法の習熟等により 「抑制の美」 から 「官能の美」 へと, その表現の志向を変 え た 時期 と 捉 え ら れて いる。 なお, こ こ で言う 「抑制」 と は, 《 弦 楽 の ため の レクイ エム 》 に見 ら れたよう な, 一 音 の無 駄も 許 さ な い. ほどに 「切りつめられたきびしい構造」 のことである。 一方, 「官能」 とは武満自身 によれ ば 「おとによる ) つまり 「感性に直接うっ たえる選び抜かれた音」 のこ とであり 《妖精の距離》の独奏ヴァイオ 7 歓び」( , , リ ンの 旋 律 に, い わ ゆる 「う た」 と して 現 れ ている も のの こ と である。. 2 { } 弦楽書法の完成-習熟期 この時期を代表する作品としては, (d ) 《十一月の霧と菊の彼方から》Fr om. 云 the‐ ar beyond C無iysmi. ), (の 《 ) 《揺 れる 鏡 の 夜 明 け》RockiQg M日鱈or Daybre e山 ( 1983 1983 ), (e bg ( ・d Novemberf mm[ ns aI ) が上 げら れる。 (d) の作 品 は, 精 微 に書 き オリ オ ンと プレア デス (楚 と 昂) 》od iades ( 1984 on a1 ・dPre r 込ま れた, ヴ ァ イ オリ ンと ピ アノ の ため の 曲 であ り, 微 妙 に変 化 しつ づ ける ヴ ァ イ オリ ンの音 色 と提 示部 の ピ アノ の響 き の美 しさ と が相 乗 して 高 度 な 書 法 の完 成 を示 して いる。 ( ) の ヴ ァ イ オリ ンの 三 重奏 は, 無 e ,. り は三楽章 駄なものをいっさい切り捨てた単純な音の連続ではあるが, 簡明で豊かな旋律を奏でている。 ( か らなる チ ェ ロ協 奏 曲であ り, 第 一 楽 章 「オリ オ ン」 は, 同年 に作 曲さ れたチ ェ ロ と ピ アノ の二 重奏 曲か ら. の管弦楽編曲である。 この楽章では, 官能的な響きの管弦楽を背景にして, チェロはポルタメントや微分音 を駆使して透明な音を湛えている。 推移的性格の第二楽章 「 」 では, 管弦楽とチェロのダイアローグに amd 始ま り, 曲 が進 む につ れ てチ ェ ロ の 叙情 的なメ ロ ディ が展 開さ れる。 そ して 第三 楽章 「プレ ア デス」 に入る. と, 背景の管弦楽は再び第一楽章の性格に戻り, チェロの独奏は堰を切っ たように音による歓びを歌い上げ ていく。 ここで, 武満は 「うた」 を求め続けた課程において, 大きくその歩を進める。 この考えを 〔表1〕 2 )の境界を示す破線で表わした。 )と( 3 では( ( 3 ) うたを求めて一円熟期 こ の 時期 の代 表作 品 と して は, (g ) 《 オリ オ ンと プレ ア デス 》の 第三 楽 章, (h) 《ノ ス タ ル ジ ア 》Nos l ta - l ) が上 げら れる。 (g ) につ い ) 《ス ペク トラ ル.カ ンテ ィ ク ル 》Spec I Czmt i 1995 1987 ), ( i t ra c e( ghia ( 151.
(5) . 内. 田. 輝. ては前項において述べたが, この第三楽章は弦楽器, 特に擦弦楽器の書法が大きく転換し, 武満自身が, し きりと強調していた 「うた」 を主張する楽章であることを, 再度確認する意味で, あえて ( ) をこの期の g h ) の作品では, 独奏ヴァイオリンが, 短2度でたゆたいながら, 長3度, 短2度, 完全 頭初に上げた。 ( 4度の主題を奏し, 上行する箇所では, 弦楽合奏の沈骸な響きを後に残して, ひとり上昇するテクスチュア である。 特に後半のヴァイオリンの旋律は広い音域へと上昇して 「うた」 を奏でている。 ( ) の作品 は, i ヴァイオリンを独奏楽器に用いたオーケストラ作品としては二作目である。 オーケストラの深い響きに満ち た コラ ー ルの 間 を, ヴ ァ イ オリ ンと ギタ ー の独 奏 が交 互 にめ ぐり 豊 かな旋 律 を 奏 で ている。 こ こ にお い て ,. 武満は求めて止まなかった豊麗な 「うた」 の世界を展開している。 韮. 武満徹の創作時における演奏家との共同作業. 前章のように全体を備撤してみると, 武満の創作の中で弦楽器が一貫して重要な位置を占めてきたことが 分かる。 しかし 〔表1〕 で扱っていない作品を見ると, 他にも重要度の高い楽器を指摘することができる。 ピアノ, ギター フルートがそれであり これらは初期から晩年に至るあらゆる時期で 独奏曲 室内楽 , , , , 曲, 協奏曲など, さま ざまなかたちで取り扱われており, それは独奏曲や協奏曲の初演者を見ると分か ) 8 る{ 。. 武満には常に, コラボレイターともいうべき, 想定された演奏者が存在している。 しかもその相手は終生 一 貫 して と いう こ と で は なく, そ の 時々 にお い て 変 わ る。 こ こ で は ま ず 先 に触 れ た ピ アノ ギ タ ー フ , , , ルー トにつ い て論 述 する こ と で, 武 満 と そ の コ ラ ボ レイ ター と の 関係 を把 握 し, あ わせ て創 作 の 全 体像へ の. 言及を試みたい。 (A). ( 9 )同人の園田高弘他数人によって 後には高橋悠治 一柳慧などの作 ビアノー初期には 「実験工房」 , ,. 曲家 兼 ピ ア ニス トによ り 演 奏 さ れ た。 さ ら に ピ ー タ ー . ゼ ル キ ン, 高 橋 ア キ, 藤 井 一 興, ポー ル・ク ロス リ ー な どを上 げる こ と がで きる。 《 ピ アノ ・ ディ ス タ ンス 》Pi 1961 ) 以 降, 《ク ロ ッ シ ン グ t a ・ ce ( 1 ODi s a 口 1 》Cross ing ( 1970 ) ま で は 園 田, 高 橋 (悠) が 初 演 し て い る。 続 い て《力 ト レ ー ン》以 降, 晩 年 の 《 ピ ト ゥ イ ー ン . タ イ ズ 》Between Ti des ( 1993) に至る ま で は, ア ンサ ン ブル. タ ッ シの ピ ー タ ー . ゼ ルキ ン. が初 演 し, ま た, こ の 時期 に は高 橋 (ア), 藤 井, P・ク ロス リ ー が 時 折 初 演 を 手 が け て い る。 い ず れ の 演. 奏家も, その高度な演奏技術, 理解の深さにおいては出色のものがあり, 武満の音楽世界を確と支えてい る。 特に高橋 (ア) , 藤井, P・クロスリー は, 初演以外にも, 日本での録音などの活動を通じて, 武満と は親密な関係 にあり, その音の世界の構築に大きな役割を果している。 なお, 武満の ピアノ作品を網羅した CD は, 現在少なく とも8種類を数え, さらに世界中でその録音の挑戦が試みられていることからも, 上記 の作品は, もはや ピアノ曲の古典となっ たと言うことができよう。 (B). ギター÷伊部春美, 荘村清志をまず上げることができる。 さらに晩年における重要なコラボレイ. ター と して, 佐 藤紀 雄, ジ ョ ン・ ウ ィ リ ア ムス, ジ ュ リ ア ン・ ブリ ーム, マヌ エ ル・ バ ルエ コ等, い ず れも 第 一 人 者 の名 が 連 なる。 ギタ ー を 扱 っ た作 品 は 比 較 的 遅 く, 1961年 の《リ ン グ》Ring (フ ル ー ト, テ ル ツ ), さ ら に《 森 の 中 で 》ln the . ギタ ー, リ ュ ー ト) が最初 の 曲 となる。 次 に《 フ ォリ オス 》Fo質os ( 1974 ) があ る。 《リ ン グ》 に は図 形楽譜 が用 い ら れ, フ ルー ティ ス ト が指 輪 (Ring ) で 楽 器 を打 つ wood ( 1996. 部分などの実験的な試みが多用されており, ジョン・ケージの影響が顕著である。 また, あえて豊麗なオー ケス ト レー シ ョ ンを避 けた, 澄 明 で硬 質 な響 き は明 ら か に ピ エ ー ル・ ブー レー ズ の 影 響 を 受 け て い る。 P・ 152.
(6) . 武満. 徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷. この ブー レー ズ の《 主 の な い槌 》の エ コー を端 的 に表 現す る の には, ギター は 最 適 の 楽 器で あ っ た。 なお,. 時期 は主として伊部が演奏 し, その確かな表現力によって, 十分にコラ ボレイターとしての役割を果 してい る。. こ 《フォリ オス》は, 武満が独自の音響世界を構築しつつあった時期に書かれた初めての独奏曲であり, こではかつての硬質なイメージは後退し, 自然のイメ ージを素直に反映した簡明で素朴な表現へと変化して いる。 この時期の演奏者は荘村であり, その的確な技巧と深い音楽理解に立っ た卓越した演奏 は武満の音の イメージを完壁に表現し, もっとも信頼された重要なコラボレイターの一人であっ た。 そして荘村は, 武満 最 後 の年 の 作 品 とな っ た《 森 の 中で 》 を初 演 して いる。 こ のよう に ギタ ー 曲の 変遷 を追う と, こ の 楽 器 に親. しみつつ簡明な旋律を展開している中から, 作曲者の意思が鮮明に伝わってくる。 (C). フ ルー ト--主 な コラ ボ レイ タ ー と して, 野 口龍, ハイ ンツ ・ ホリ ガー 夫 妻, オ ー レル ・ ニ コ レ, 小. 泉 浩, ロ バー ト‐ エイ トケ ン, ポー ラ ・ ロ ビン ソ ンな どの名 手 が名 を連 ねて いる。 《 ユ ー カリ プス 》 は, ホ リ ガー 夫妻 とニ コ レの ため に作 曲さ れた。 以 来, 特 にニ コ レの存 在 は武 満 の意 識 する と ころ と なり, 《 エア 》 はニ コ レの70歳 の誕 生 日 を 祝 っ て作 曲さ れたも ので あ る。 《 ヴ ォ イ ス 》ま で は野 口龍 の演 奏 に よ る。 武満 に と っ て は, 常 に身近 にい て演 奏 法 につ い て細 や かな示 唆 を 受 ける こ と ができる 野 口や 小 泉 と い っ た日 本 人 こ 奏 者 の協力 は 不 可 欠な も の であ っ た。 ここ に も 作 曲家 と コ ラ ボ レイ ター と の協 力 関係 の 一 つ の典 型 を見 る と が できる。. また武満が, いかにフルートによって触発されていたかは, 単旋律楽器のために作曲した数少ない無伴奏 作 品 の 全 四 曲 ◎ のう ち, 三 曲 がフ ルー トで 占 め ら れて いる こ と が示 して いる。 す な わち 《 ヴ ォ イ ス 》, 《 巡 ), 《 エ ア 》 である。 合 奏 曲 の な か でも フ ルー トは, 特 に重 要 な 扱 い を 受 けて いる。 5 1989 り 》l t p Per 2mt ( 人 の 打 楽 器 奏 者 と 管 弦 楽 の た め の 《 フ ロ ム ・ ミ ー ・ フ ロ ー ズ ・ ホ ワ ッ ト・ユ ー ・ コ ー ル・ タ イ ム 》From. ) は, 打楽器協奏曲であるにもかかわらず, 前年に作られた無伴奏曲《 0 ime ( 199 menows whatyouca1t 巡り 》 の フ ルー ト独奏 のエ コ ー で 始ま っ て いる。 この こ と は, この 時期 の武 満 の作 品 が ド ビュ ッ シー の影 響 を強く 受 けて いる こ と を 示 してい る。 た とえ ば ドビ ュ ッ シー の《 フ ルー ト, ビオ ラ,ハ ー プの た め の ソ ナタ 》 は《 そ してそ れが風 である こ とを知 っ た》‘転戦 ) の編 成 に反 映さ れてい る。 ま た ドビ ュ ッ シー の《 パ ンの笛 》 に よ っ て フ 1992 lew ’ was wi then l k nd ( I. ルート独奏曲への意欲も高まっ たと思われる。 ここで, もう一人重要なコラボレイターである高橋美智子 との出会いに触れてお きたい。 高橋の演奏に よ っ て, 武 満 はマリ ン バ と いう 楽 器 に深 い 関 心 を持ち, マリ ンバ協 奏 曲《 ジテ ィ マ ルヤ 》 を作 曲 した。 その. 後もそれまでほとんど使わなかったマリンバを, 室内楽や管弦楽で多用するようになっ た。 まことに武満に とって, この優れた演奏者との出会いは, 自己の音楽の未知なる領域を開拓するという意味で, きわめて重 要 なも の であ っ た。. 次に, 弦楽奏者との共同作業とその書法の変遷について論じたい。 弦楽器の作品が武満の全作品にわたっ て, き わめ て 重 要 な位 置 を 占める という こ と はす で に述 べ て き た の であ る が, ここ で は ヴィ オ ラ と ヴ ァ イ オ リ ンと を 取り 上 げて みる。. まずヴィオラである が, 〔表1〕 において 「二重奏」 と 「協奏曲」 の項 を見ると, 「模索期」 から 「習熟 期」 に か けて, ヴィ オ ラ は 全 く 使 わ れて い な い にも か か わ ら ず, 「円 熟期」 に至 り, 《 ア ・ス トリ ン グ・ ア. ) 以降三曲もヴィ オラを含む作品が書かれている。 1989 t n( ラ ウ ン ド. オー タム 》A Sなmg ArotuId Au u瞳I この変化の主な原因 は, 今井信子という世界的なヴィ オラ奏者との出会いであっ た。 この 〔表1〕 の全ての ヴィ オラ 作 品 は 今井 によ っ て演 奏 さ れた。 こ の時期 は, 今井 が, ユ ーリ ・ バ シ ュ メ ッ トと並 んで 大 活躍 して 153.
(7) . 内. 田. 輝. いく頃と重なり, 世界中でヴィ オラ作品が大量に作られる傾向にあっ たが やはり武満にとっては 今井の , , 豊かな表現力 との出会いこそが ヴィ オラという 楽器に確かな手応えを感じ 自己の音楽世界を広げるき , っ , か け とな っ た。 さ らにもう ひとつ ア ンサ ン ブル・ タ ッ シ と の重 要な協 力 関係 があ る この ア ンサ ン ブル は ピ ー ター ・ , 。 , ゼ ル キ ン (ピ ア ノ) ピ ー タ ー .ス ト ル ツ マ ン (ク ラ リ ネ ッ ト) ア イ ダ. カ ヴ ァ フ ィ ア ン (ヴ イ オ リ ァ , , ン), フ レ ッ ド. シ ェ リ ー (チ ェ ロ) によ る 四 重 奏 団 で こ の 構 成 はメ シ ア ン の《 世 の 終 わ り の た め の 四 重 , 奏 曲》 を演奏 す る ため に結成 さ れたも の である そ して武 満 の《 力 トレー ン》 は ア ンサ ン ブル・ タ ッ シ の 。 , す べ て を独 奏 者 と想 定 した 協 奏 曲 で あ り 《 力 ト レー ン虹 》Quat 1( j q ヒ ]1 ) は《 力 ト レー ン》の 管 弦 1977 ra ,. 楽部分を削除したもの, あるいは主と して ピアノに置き換えた室内楽版である 武満にとっ て このような 。 ,. ス タ ン ダー ドで はな い が先 例 のあ る 編成 の選 択 は .そ の 先達 に対す る 敬 愛 の 証 と なる も の である そ れは , 。 , 初期 には ギター を 含 む編成 が P・ ブー レー ズ ヘ の傾 倒 を 示 し 《 そ して そ れが風 である こ と を 知 た》 で っ , , は ドビュ ッ シー へ の傾倒 が見 ら れる さ ら にこの傾倒 を示 す例 と して 《 ア・ ウ ェ イ ・ ア‐ ロー ン》A w 。 ay , L ( と ) ア ルバ ンベ ルク の《 叙情 組 曲》と の 類似 性 をも 加 える こ と ができよう a one 1981 。 ま た このタ ッ シは その 後 武 満 と 私 と の 出 会い の 曲であ っ た《 ウ ォ ータ ー ウ ェ イ ズ 》を も初演 し 実 に4 , ,. 人のうちチェロを除く3人は, それぞれが独奏曲 室内楽曲 協奏曲の初演を手がけている アイ ダ・カ , 。 , 1 1 )と の 共 同作 業 はき わめ て重 要 である 彼女 はこ の 「 ヴ ァ フィ ア ン{ 習 熟期」 にお ける 主 要作 品 をタ ッ シの - 。. 員として演奏するだけではなく,独奏者として初演している。また 《遠い呼び声の彼方へ! 》Farcallscom- ‐ , ロ i i pg 1980 ) と 《揺 れる 鏡 の 夜 明 け》も初演 して いる。 …虹! ( ,F さ て, ここ で弦 楽作 品 とコ ラ ボ レイ タ ー と の 関係 を さ ら に別 の角 度 か ら 探 っ て み た い 「模 索期」 で は , 。. まだ特定の演奏者は見当たらない。 弦楽器に対する武満の 「思い」 は 次第につよくなってはいくものの書 , 法的に見定まるまでには時間が必 要であっ た。 これはあくまでも 「弦楽器の書法」 についてのことであり , この 「思い」 が明確 に譜面上に現れ 完成するのは次のタッシのカヴァフィアンとの共同作業が始まる 「習 , 熟期」 においてである。 そして, それは《オリオンとプレアデス》の演者である 堤剛の演奏を通じて 「う た」 へと向かい, 「円熟期」 では今井信子との共同作業による三作品をはじめ 諸作品に結実している 。 , 皿 作風とその変遷. 1, 習作/実験-模索期 こ の 時期ス タイ ル は ドビュ ッ シー か らケ ー ジま での 様々 な語 法 を そ の 時々 に吸 収する 時期 である 実 , , 。. は, 本稿が模索期と定義する時期の終わりの頃には 既にスタイルとして定まっ たものが感じられるので , , その辺りからを習熟期とする考え方が一般的である。 しかし弦楽書法のみについて言う のなら まだ模索の , 途上にあると認めざるを得ない。 武満はメシアンの強い影響を受けて作曲家として出発した。 そしてその先駆者であるメシアンの作風もま た, ドビュッシーの延長上にあっ た。 メシアンの《前奏曲集》等の楽譜を片手に 試行錯誤を重ねるという , 困難な作曲の現場があっ た。 そういう中から 出版された最初の作品《妖精の距離》が書き上げられた こ , 。 れは習作であるが, その後に武満が好 んで用いる弦楽書法の萌芽をすで に見ることができる 例えば ク 。 , レ ッ シ ェ ン ドの 後 に到 達 す る 第22小 節 目 の頂 点 は あ え て フラ ジオ レ ッ トに して いる が [譜例 1] こ の よ , ,. うに旋律の頂点にフラジオレッ トを用いる手法は この後多用される。 , 演 奏 者 はこ の 手法 につ い て は じめ は 戸 惑 い を 感 じる も の である が 高 音 域 をノ ン・ ヴィ ブラー トで 押 さ , ,. えることで生じる 「厳しさ」「硬質な美しさ」 を理解するにしたがい それが武満の音楽の大きな特徴であ , .
(8) . 徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷. 武満. る 「抑制の美」 であることを認識するのである。. [譜例11 《妖精の距離》より. 〃. J=52ca) ( ‘.. . . (堤) ・ ・ ・ ・ ・ ・ . ・ . . . ≧・ に m 。. , ← .± △”” ′ ? g .. α だmpo ‐. . . ,8. . この作品で高い音をフラジオレッ トではなく実音で弾く箇所 が第61小節目にあるのだが, ここでも最高音 で のク ライ マ ッ ク ス 形式 を避 け, む しろ ディ ミヌ エ ン ドによ っ て到 達 してる の は, 抑制 の美-を端 的 に実現 し. ている例として注目すべきものがある。 そ の 後 は, ミ ュ ー ジ ッ ク ・ コ ンク レー トの創 作 に重 き を 置く 時期 を 経 て, 出 世作 とな っ た《 弦 楽 の ための. レクイエム》が書き上げられる。 前作が詩的で透明感を湛える弦楽器とすれば, ここでの弦楽器は, むせび 訴え, 祈るものとして扱われている。 病臥中夫人の協力で, どう にか書き上げられたこの作品は, 本人が後 に書法の拙さを述懐しているほ どなので, いかに名作の評判が高かろう とも, 弦楽書法上ではやはり模索の ( 1 2 } (意 識 に偏 在 する 音 の 渦) の 段 階にある こ と は否 め な い であ ろう。 しか しこ の 時, 武満 の いう 「音 の 河」. ) 1 3 ( 中に, 弦の質感を探り出しつつ見たものは, 再 び武満自身の言葉によれば 「沈黙と測りあえるほ ど」 の音 の生命力, そして存在感であっ た。 武満は苛酷な状況の中で, その一昔-音に, まさに祈りを託す思いでこ の レクイ エム を書 き上 げたの だ ろう。 した が っ て こ こ での拙 い 書 法 は, む しろ切 実 な真 情 の 表 出 と な っ て,. 聴く者の胸に迫ってくる。 しかしここで武満は, ウエーベルンに対して抑制のきかない奔放な感情の表出に疑義を持ちながらも, 影. ) 工 と皿 の み存 1 4 ) の シリ ー ズ を 構想 する{ 1960 l l e( i 。 響 を 受 けて《 ソ ン・ カリ グラ フィ 》Le Son Ca graphi. 在する こ の シリ ー ズ は, ウ エ ー ベ ル ン の無 調 時代 の 様 式 に よ り な が らも, 「カ リ グラ フィ ー」 と いう 独 自 の 理念 を打 ち 出 した。 弦 の質感 に毛 筆 のタ ッ チ を連想 させ る この 発想 は, ウ エ ー ベ ル ンに学 ん ださま ざま な音. 色の可能性を探りながら確かなかたちになっ ており, 《弦楽のためのレクイエム》と比べて書法は一段と精 }ア フォリ ズ ム 様 式 を模 したも の と はい え デ ッ サ ン 的性 格 が濃 1 5 微 である。 しか し三 善 晃 が指摘 する よう に( , 厚 である。 ) は, 時 間 1960 u ・dscape ( こ の 二 曲のミ ニ ア チ ュ ー ル の 間 に書 か れた 弦 楽 四 重奏 曲《 ラ ン ドス ケ ー プ》Lz. の単位 が緩やかで, 東洋的時間感覚を実現している点において独特なもの がある。 ノン・ヴィブラートに徹 した冷たい持続の中に, 時折, 突如 として打ち込まれるフォ ルテの響き は, 新鮮な効果 を上げている。 ま た, 旋法を思わせる 5 度 の響 き等 の 「ハ ー モ ニ ッ ク ・ ピ ッ チ」 の手 法も 含 む書 法 は《 地平 線の ドーリ ア》 に で再 現 さ れる。 こ れら は, 12音 技 法 時代 の作 風 を祐悌 とさ せ て いる。. 0年代 は, P‐ ブー レー ズ の 透 散した響きと, J‐ケージの思想との影響を受けた時期 となる6. 弦楽作品に. ) は, 1962 rmgs ( お い て は, 二つ の 図 形 楽譜 による 試 み がある。 《 弦 楽 の ため の コ ロ ナ亘》Coronaロ 金rst ) と とも に, デザイ ナ ー の杉 浦 康 平 と の共 作 に よる 美 しい 円形 の 図 形 1962 《 ピ ア ニス トの ため の コロ ナ 》 (. 楽譜で書かれている。 不特定の弦楽奏者を想定したこの作品は, 円周上の色彩の変化を追い, その微妙に変 化する様に合わせて, 一つの音の奏法を変えていくものである。 武満自身の言葉によれば 「一音を充実し 1 ) 6 」 とあるが, この 「一つの音に世界を聴く」 と た, 生命感に溢れたものとして把握するためのエチュー ド{ いう理念をもっ と端的に表現したこの作品には, 武満の弦楽器に対する明確な理念が書き込まれていると言 えよう。 155.
(9) . 内. 田. 輝. さ ら に, もう 一 つ の 図 形 楽 譜 作 品 で あ る 《 弦 楽 の た め の ア ー ク (弧)》Ar t ings ( 1963 ) は, ピ ア c 角rs 1 ノ とオー ケス トラ の ための 《 ア ー ク (弧) 第一 部 》Ar 1 976 ) の内部で弦楽奏者が演奏し クラス 度 tl ( c a. p. ,. タ ー を 形成 する ため の 楽譜 と しても用 い ら れている 。. また, この時期はさまざまな実験を試み その効果を確かめて行くのであるが ここで触れておきたいの , , は, この《アーク》で試行されているように 武満は管弦楽における弦楽合奏に対しても きわめて実験的 , , であっ たという事実である。 集合体としての弦楽セレクショ ンとしてではなく 演奏家一人一人の発音行為 , を重視して, 個々に音を発するための図形楽譜を取り入れたり 音を記譜する にしてもなるべく分割を多く , するように努めるなどの実験を行っ ている。 この試みは弦楽器により分割された響き特有の玄妙で繊細な音として奏でられ 武満独自の音の世界を表 , 出している。 この効果の後に官能的な管弦楽法の実現の要因となるものであるが この時点ではまだ実験的 , 段 階 に ある と 言 え よう。 さ ら に《 ア ー ク 》 の 一 部 を な す 《 テ ク ス チ ュ ア ズ 》Textures ( 1964) に は, そ の. 後の創作に一貫して指摘し得る武満の暗好を見出すことができる それは曲の最後にふと ひと節の 「う 。 , た」 が現れるというものである。 こ の こ とは 続 いて《 ソ ナ ン ト》 でも 行 わ れて いる こ の《 ソ ナ ン ト》 は後 に《 ヴァ レリ ア 》Va l i 1965 。 er a(. /69 ) と して改訂される ので, [表1] では後の方に記されている。 原形である《ソナント》は《テクス チ ュ ア ズ 》 に続く も ので あ り 実 際 に確 か な連 続 性 を持 っ て いる こ の 曲 で はま ず ヴ ァ イ オリ ン チ ェ ロ , 。 , , ギター が, P・ ●ブー レー ズ に類 似 した音 の世 界 を展 開する。 そこ に二 つ の ピ ッ コ ロ が 加 わ っ て音 像 を 際 立 た. せていくと, 突如として電子オルガンの和音で遮られる 電子オルガンのコラールはあくまでも電子の機械 。 音であり, 冷たい質感でしかない。 それに導かれながらチェロがそしてヴァイオリンがよう やく 「うた」 を 奏ではじめる。 この最後 に 「うた」 を復活させる役割を弦楽 器が担い また当時としては格別に調整的な , コー ドに終始することは, 最終的には 「うた」 にたどり着くとともに 武満のこの期以降の音の世界の特質 , を予感させるものがある。 それは後に海へ向かって流れ込む河のイメージと して はっきりと示されること , となる。 また武満は常に 「うた」 を吐露した後には やや反省の気持ちを込めて 「うた」 を後退させてい , る。. 次 の《 地 平 線 の ドーリ ア 》Do嘘 弧 Ho izon ( 1966 ) は, こ れま で の 実 験 の 集 大 成 と して 一 つ の 完 成 さ れ I. た世界を形成している。 ここには《ヴァ レリ ア》でのような 「うた」 は後退しているが 全体の音楽が旋法 , に基づいて決定され, 透明感に満ちた ドリア旋法の 「エコー」 が散見される そして曲の最後がそのエコー 。 の響きの中に消えていくという手法は 《ヴァ レリア》での試行の成果の一つであろう また舞台の前方に , 。 配置 さ れる 弦 楽 の8 人 が 「 ノ・一 モ ニ ッ ク . ピ ッ チ」 を 用 い 後方 に6 人 の ヴ ァ イ オリ ンと 3 人の コ ン トラ , ,. バスから成るエコーを置くという空間的配慮は 単に配置を工夫したものというだけではなく 次のことを , , 示唆したものである。 弦楽8人という前方の編成は 楽器こそ異なるもののそのまま《ソン‐カリグラフィ , 》を想起させるものであり, そして後方の9人の書法には中間部分を中心に そのまま《弦楽のためのアー , ク 》や 図形 楽譜 の作 品 にお い て 実験さ れたエ コー が見 ら れる この よう に 《 地 平 線 の ドーリ ア 》はさま ざ 。 ,. まな実験の成果の集積であるという意味で この 「模索期」 における合奏作品の頂点にある作品と言うこと , ができるのである。 一方, それはやはり 「試みの集積」 でもあり その集積がひとつのスタイルに結実する , ためには, もう少し時間が必要なのである。 同年に作曲された《ヒカ (悲歌)》は 後に《妖精の距離》がり ヴァイバルされるま での間は唯一の二重 , 奏曲であっ た。 また《妖精の距離》においては まだ模索中であっ たヴァイオリンの用法を確立 しつつあ , り, 自 在 な 筆 致 を 感 じさ せ る。 さ ら に ピ ア ノ の パ ー トが 《 遮 ら れ な い 休 息 》UPint t( 1959 )・ errupted Res の 第三 曲 に 由来する こ と は 良く 知 ら れ て いる。 メ シ ア ンの 影響 による 第 一 曲 ウエ ーベ ル ンの 影響 による 第 , 156.
(10) . 武満. 徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷. 二 曲, そ して こ の第 三 曲 が ベ ルク の 影響 を受 ける という 具 合 に - 曲 ごと に特 質 を異 にする の である が, 二 曲 一層 目 の世 界 をよ り 発展 させ たの が《 ピ アノ ・ ディ ス タ ンス 》 である とす れ ば, 三 曲目 の 世 界 を 介在 して, バン 充実 させ た方 向 に《 妖 精 の 距 離 》 を 変貌 さ せ た の が, この 《 ヒカ 》な の であ る。 ま たこ の 曲 は, テクノ 7 ) こ の 頃の 武 満 は ジ ャ ンル を越 え て 影響力 を持 っ て い た。 殊 に ジ ャ ズ 1 ド, ヒカ シ ュ ー の名 の由 来 と もさ れ( ,. 演奏者の崇拝の的ともなり, 同時に自らの語法もジャズに接近していく という興味深い傾向を示している。 ) と《 ユ ー カリ プス 1 》 が あ る が, 前 1959 [表1] にお い て, 他 に は チ ェ ロ協 奏 曲 の《 シー ン》Scene (. 者は過渡的な小品であり, 後者はその主体が三人の独奏者であり, 分割を多用する弦楽書法が踏襲されてい る。. こう して見てくると, この期における武満の多様な創作活動の特徴として次の二点を押えておきたい。 一 つは自らがかつてミニアチュールの中で丹念に探っ た音を, 語法の練達を経て独自の音として掌握しつつあ ること, さらに一つは管弦楽において次第に, 弦に 「うた」 を担当させる方向で書法を確立させていくこと であ る。. 2, 弦楽書法の完成-習熟期. 書法の充実を実感していたこの頃, メシアンに直接学ぶ機会があっ た武満は, その影響を少しも偉ること. なく 《力 ト レー ン江 》 を書 い た。 そ こ で は《 遮 ら れない 世 界 》の 第 一 曲 の 世界 に立 ち 戻り, そ れをより 豊 か. なものとする術を得たのである。 弦楽の書法にも《世の終わりのための四重奏曲》の影響が認められる。 記 号 [A] 部 分 以 降の フ ラ ジオ レ ッ ト に よ る ポ ル タメ ン トも そ の 一 つ で あ る が, こ の 官 能 的 と 言う べ き 響 き. 1 8 )の部分のユニゾンの線もメシ は, 後に武満の音響世界の構築に大きく貢献することになる。 さらに [C]( ア ンを思 わせる も の がある。. [譜例2ーA] ○・メシアン《世の終わりのための四重奏曲》より 20. Vn.. C1 a .. Vc .. P i ano. 157.
(11) . 内 田. 輝. [譜例2-B] 《力トレーンR》より 24. mザ. 1 」3ー メ… 当 ; # # . . . . . . . 〉. ;. -. - ;ー ジ. このよう に ユ ニ ゾン の旋 律 が持つ 官能 的 な響 き に目 を 開‐ 〈 の も, この 作 品 がき っ か け とな っ ている。 ま ,. [譜例3] 《世の終わりのため の四重奏曲》より . . 〉 . . 法, ひいては管弦楽法の洗練も見受けられ このような諸要素か , ら《力トレーン》をもって習熟期の幕開けとみなすことができよ つo. . . た, 最後の印象的な5度の堆積 [譜例3] は控え目ながら調性終 結への暗好を反映している。 さらにこの作品全体において弦楽書. . . 続く 管 弦 楽 作 品《 鳥 は星 形 の庭 に 降りる 》A F1 ock Descends int IGarden ( ) は, 後 に 「武 満 トー ン」 と 呼 ば 1977 oPentagona. れる管弦楽書法の成立を見る最初の作品であり また冒頭から提 , 示される明確な旋律が作品全体に波及することが意図された最初 の作品でもある。 次 に, タ ッ シ の た め に 書 か れ た 《ウ ォ ー タ ー ウ ェ イ ズ 》 は ,. 「水」 のイメージ, それも 「海へ流れ込む河」 という 構想を明確 に示した作品であり, 武満のオリジナリティ を一段と開花させる も の と な っ た。 この 曲 は オリ ヴィ エ ・メ シ ア ン の《 世 の終 わり , のた め の 四重 奏 曲 》の編 成 (ヴ ァ イ オリ ン ク ラリ ネ ッ ト チ ェ , , ロ, ピ アノ) に ハ ー プと ヴィ ブラ フォ ンを そ れ ぞ れ二つ ずつ 加 ,. えた八重奏曲である。 三和音の響きを多用し また伴奏オスティナートの手法を活用し さらには反復手法 , , を加えるなど, 多彩な技巧を展開して中期室内楽の傑作と言われている 反復手法自体は より以前にルト 。 , ス ワ フス キ 以 来 の手 法 を 取 り入 れて いる が こ こ で用 い ら れる 反復 手 法 はス テイ ー ブ . ライ ヒ等 のミ ニ マ ル , 158.
(12) . 武満 徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷. 音楽の影響を受けていると思わせるものがある。 だが武満の音楽における反復手法は自在で多重的な時間を 実 現 している。. このことは, 常に自然の観察者であろう とした武満の姿勢を反映したものである。 たとえば 「音のひとつ ひとつに生物の細胞のような美しい形態と秩序があり, 音は時間の眺望のなかで, たえまない変質をつづけ づくるという よりは, むしろ, 既に世界に偏在する歌や声 ている」 , 「私 は作曲という仕事を, 無から有を形 } 9 」 という自身の言葉を具現するものだからで にならない瞬きを聴き出す行為なのではないかと考えているQ ある。 八人のパターンの反復が, 徐々にAb (開離三和 音の第一転 回型) に収鰍する軌跡は, これまでにな い, 自然を完壁なまでに描き切った美しい音なのである。 そしてこの跳躍して上昇する 音型は, この期以後 の作品に, 「祈り」 を象徴するものとしてしばしば用いられるのである が, ここではま だそのような協和音 で曲を終える思い切りの良さは無く, また三和音を支えるバスもま だ見受けられない。 と ころ が 続く ヴ ァ イ オリ ン協 奏 曲《 遠 い 呼 び声 の 彼方へ ! 》において 「調性の海へ」 という言葉が武満 , 自 身 によ っ て 明言 さ れて おり, 実 際 にノ、音 の バス が響 き, や がてハ 長調 の 響 き に 収鰍 していく の である。 こ. れはこの後 しばしば用いられるバスの保属音が支配する響きの先駆的な例 と言えよう。 またこの曲では, 普 段 は用 い な い ティ ン パ ニー によ る ト レモ ロ の 支 え が例 外 的 に見 ら れる の は 興味 深い。 こ の作 品の もう 一つ の ) -F-A」 が 登 場 する の で es 特 徴 は, 「海」 の 主 題 と して, こ の 後 武 満 が し ば し ば用 いる モ ティ ー フ 「S (. あるが, ここではま だ, 旋律を展開する上での核となる音程として, あるいは旋律の設定時の基礎音程とし て 扱 わ れる に止 ま っ ている。 全 体 と して はベ ルク の ヴ ァ イ オリ ン協 奏 曲 との 関連 性 が指摘 さ れ, そ れ は ヴ ァ イ オリ ンの書 法 にお い ても 同様 である が, こ の 曲 で は ポルタメ ン トによ っ て 醸 し出さ れる 官 能 的な響 き や 情動 の 表 出 を, フ ラ ジオ レ ッ. トを用いることで抑制した旋律が顕著に現われている。 こう して明らかに 「調性の海」 に乗り出 したのであるから, スタイル上からはこの作品をもって分岐点 と 2 0 )のもう な ず ける が ヴ ァ イ オリ ン の書 法 と して はま だこ れま での 延長 上 にある。 する 人 が多 い( , 同 じく 「海」 のモ チー フ で作 曲さ れて いる 《 ア・ ウ ェ イ ・ ア・ ロ ー ン》もま た, ベ ルク の《 叙情 組曲 》 と. の類似をしばしば指摘されている。 ここでの 「海」 の主題は, 直接に提示さ れずむしろ潜在的に作品全体に ち り ばめ ら れる と い っ た用 い ら れ方 であ り, そ の手 法 もま た ベ ルク を連 想 さ せる 要因 とな っ て いる。 ま たこ. こでの特筆すべき書法は, 弦の合奏時におけるトリルによる装飾の効果である。 これは続く《ア・ウェイ・ 1》Towardthe seaロ ) で 確 かな 実感 と して把 握さ れ, 後 に《 海へ1 l( 1981 ア ‐ ロ ー ン ロ 》 A way a Lonel. ( 81 ) や管弦楽にも用いられることとなる。 この《海へ》は三曲から成る小品集であるが, 特に第三曲な 19 案を提示している。 こう した表現は映画音楽において多用して どは 「現代音楽」 と .は思えない簡明率直な楽 ) と いう 映 画 音 楽 か ら の 合 奏 編 曲 を行 っ て い る 1983 t I Pa ( い たの である が, こ の す ぐ後 に《 ラ ク リ マ 》l acr. ことからも, 映画で発揮した手法を普段の楽曲にフィ ー ドバックする傾向が顕著になっ ていく。 次の《十一月の霧と菊の彼方から》においては, まだ 「うた」 に流れる気持ち を抑制している。 ここでは 《妖精の距離》, 《ヒカ》に続く三曲目の二重奏曲として, 先の二曲における成果を踏まえて, より洗練さ れた表現に近づくべく意欲を見せている。 音色や強弱の指示, ヴィ ブラートの種類に至るまで精級に書き込 まれたスコアは, 透徹した詩情とその背後に流れる豊かな官能の美を併せ持つ, 前人未到の音楽表現を達成 している。 また [譜例4] で示したように, 上昇する跳躍音程, 即ち 「祈り」 への関心を観察することがで きる。 ここで表出されている 「祈り」 は弦楽奏者の 「手」 の感触として実感され奏者に至福の一瞬をもたら す。 それは山林に分け入り自然と感応した喜びにも似た 「祈り」 であり 「愛」 なのである。. 159.
(13) . 内. 田. 輝. [譜例4] 《+一月の霧と菊の彼方から》より P0co i ten. - r. 1 e m ) ′とげ P ; 義家 葦 裁 判遡鯵 -. -. -. -. -. -. -. -. -. -. ″. カヴァフィアン姉妹への贈り物として書かれた《揺れる鏡の夜明け》は 《海へ》で見せた簡明かつ素朴 , な傾向を強めているが, まだ 「うた」 へは向かわず全体として抑制された美を堅持し続けている 続く《オ 。 リオン》○r i 198 ) においてこの抑制の美は大きく変容する。 すでに述べたよう に まず作られたのは 4 on ( , この二重奏曲の第一楽章の版である。 ピアノ伴奏 とチェロという 取り合わせは ピアノの短音が抑制し , , チェロが持続する音を奏でても, それは内面の持続とはなり得ず むしろ外に溢れ出る持続となっている , 。 これほど持続的な弦の音を配置した例はこれまでに見られない。 この時武満の中で反舞されていたのは い , まだ 「うた」 への方向ではなく かつて《地平線の ドーリ ア》において持続させた弦の音ではなかっ ただろ , うか。 やがてそれが管楽器の伴奏を伴う《オリオンとプレアデス (建と昂) 》に至ると 「うた」 への志向 , を強めていく。 そして第二楽章 「 」 での管弦楽との交唱におけるチェロの変容を契機として 第三楽章 amd , 「プレアデス」 において 「うた」 は抑制を解かれる。 こ の 時期 の 特 徴 と して 書 法 の 上 で は 0・メ シア ン S・ ライ ヒ 等 の 影 響 を 強く 受 けつ つ も 武 満 は 自 然 , , ,. のイメージを音に移し得るという方向で きわめて多彩でかつ高度に洗練された書法を完成している そし , 。 てこの期の最後において, 伏流水のよう に潜んでいた 「うた」 は 突如として鮮烈な官能の美を湛えて流れ , 出る。. 3. うたを求めて一円熟期 前章で述べたように, ひとつの作品の中でそのスタイルを変化させるということが 武満の創作の際立っ , た 特 徴 で あ り そ れ は さ ま ざま な か た ち で 示 さ れ て い る 《 遮 ら れ な い 休 息 》や《 ジ ェ モ - 》α , emea t I x 。. ( ) は, 両作品ともに成立ま での時間が長かったために 作品内部でのスタイルの変容は著しいものが 19 8 6 , あり, 前者では 「愛」 へと向かい, 後者では響きも合奏の状態も 「調和」 を志向する 《ヴァ レリ ア》で論 。 じたように, ここにおいても最後に 「うた」 が現れてお′ り, これは《オリオンとプレアデス》同様のかたち と言ってよいであろう。 ともあれ武満が この第三楽章 「プレアデス」 をもって 「うた」 を宣言したことは , 動かし難い事実である。 さらにまた《海へ》や《揺れる鏡の夜明け》と同様のリ ズム の単純化も行われてい る。. 次 の《 ア ン ト ゥ ル =タ ン》En讃e-t 1986 ) にお い て は, 武 満 が管 楽 器 の 旋 律 を作 る 際 に し ば し ば emps ( 用 い て いる オ ルター ネイ ティ ブ. フィ ン ガリ ン グ (同 じ音程 の二 つ な い し三つ の音 色 の異 なる 運指 を交 互 に 用 いる用 法) が見 ら れる が こ れは フ ルー ト等 で用 い ら れる 手 法 で 《 ディ ス タ ンス 》や 《 鳥 は星 形の庭 に , ,. 降りる》以来武満が好んで用いる手法である。 これは弦楽器のフラジオレッ トと類似の効果を持ち やはり , 旋律を節度をもってうたう抑制の効果が認められる。 また 先の《ジェモー》の最終楽章においてもこの手 , 法が用いられ, その意味では姉妹作と言うことができよう。 《ノ ス タ ル ジ ア 》 は, 映画 監督 の ア ン ドレイ ・タ ルコ フス キー の追 憶 の ため に捧 げら れた 曲であ り こ の ,. 後の作品には, 副題に 「追憶に捧げる」 という意味の言葉を添えた作品が多くなる このことはもちろん 。 , 1 60.
(14) . 武満. 徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷. 身近な人が亡くなるという 現実もあろうが, 一方では, 自身の内面において 「祈り」 に対してより直接的に 接近し, それを深めていくという姿勢をも表わしている。 ま た こ の 表 題《ノ ス タ ル ジア 》の 意 味 は, タ ルコフス キー の 映画 に 由来する の であ る が, こ こか ら聴 か れ. るのはやはり自らの初期の作品に対する 「ノスタルジー」 であり, それはとりもなおさず 「自己の原初への 回帰」 という意味をも内包している。 例え ば弦楽 器群の冒頭 は《弦楽器のためのレクイエム》からきてお り, ヴ ァ イ オリ ンの 旋 律 にも《 妖 精 の 距 離 》や 《 弦 楽 器 の た め の レクイ エム 》へ の 回帰 が 認 め ら れる。 [譜 例 5] そ して こ の二 年 後 に《 二つ の レン ト》 を 四十 年 ぶり に《 リ タ ニ 》 と して復 活さ せ, 《 妖 精 の 距離 》 を こ こ でよう や く 出 版 した こ とも, そ の 裏 づ けの 一 つ とな る で あろう。. [譜例5] 《ノスタルジア》より. 伽 ザ. 〉. 〉P. そ してこ の 円熟期 にお い て, 優 れた コラ ボ レイ タ ー であ る 今井信 子 と出 会 っ て いる。 ヴィ オ ラ協 奏 曲《 ア ‐ス トリ ン グ・ ア ラ ウ ン ド・ オー タム 》 で今 井 の ヴィ オラ が透 明 な響 き を奏 で, そ の 余情 と と も に余 す と こ. ろなく表出されている。 「うた」 を存分に歌っ ても, それが過度な印象 を与えないという特質を持つこの楽 器 に対 す る 再 認 識 は, この 時期 の武 満 に と っ て は重 要 な こ と であ っ た。. 武満は《遠い呼び声の彼方へ》以来, 上昇をポジティ ブなもの, 下降をネガティ ブなものとしてとらえ, そ の ポ ジとネ ガとの 配列 によ っ て 旋律 の輪郭 をか たち づ く っ て き た。 しか しこ こ に来 て, その ほ と ん どの 旋. 律を上昇, それも跳躍を多く含む上昇によっ て形成することで, いつも明るい上空へ向かう祈り が込められ る 作 品 とな っ て いる。 《ノ ス タ ル ジ ア 》 で は, 「祈 り」 にま だネ ガ ティ ブなイ メ ー ジ が 重 ね ら れて い る の に. 対して, ここでの 「祈り」 は希望に満ちた 「うた」 となっ て現われている。 このように, この時期の武満には晴朗で楽天的な作風を観ることができる。 協和音を抵抗なく使うことや ドビ ュ ッ シ ー へ の 傾倒 な どがそ れ を示 して い る。 《 そ して, そ れ が 風 で あ る こ と を 知 っ た》 で, ド ビ ュ ッ シ ー の 編 成 を 模 倣 して いる こ と はす で に述 べ た が, 音 楽 そ の も の にも 街 い の 無 い ドビ ュ ッ シ ー へ の オ マ ー ) で 示 さ れ た 「シ グナ ル」 と も 言う べ き 短 音 型 の ジ ュ が感 じら れる。 ま た《リ ヴ ァ ラ ン》Ri 1984 ven「 un (. 散発による主題の展開や, 作品の構成にも簡明で楽天的な傾 向を見ることができる。 ピアノ・トリオ曲《 ビ ト ゥ イ ー ン.タイ ズ 》 で は, そ の 「シ グナル」 は 「う た」 になり, 語り か ける かの よう に素朴 にう たわ れて い る。. 習熟期に見られた装飾性はこの円熟期において削 ぎ落とされており, 必要最低限の音でゆるやかにうたう 音楽は武満の円熟を示すものである。 しかし我々演奏者は, 回帰していく表現にこそ音楽の未来を確と見据 えていた巨匠の素朴で柔軟な感性を深い共感をもっ て受け止めるのである。 それはうたうことの意味に真塾 に立ち向かいそれを深く追求することにより導かれたより高次な表現の世界であり, 他の追従を許さないも のがある。 実際に弦楽器の運弓のディティ ールにまで指示を与え, その 「うた」 の持つ意味を精撤に描き出 そうとする姿勢を持続し得たからこそ, この世界は実現したのである。 こう した姿勢は最後の弦楽器作品《 ス ペ ク トラ ル・カ ン ティ ク ル 》 にお い て も 貫 か れて いる。 ま た 「う た」 につ い て は, 武 満 の最 後 の言葉 と し て 次の よう なイ ンタ ビ ュ ー が残 さ れて いる。. 161.
(15) . 内. 田. 輝. こ の前, ル トス ワ フス キさ ん が亡く なる 前 ポー ラ ン ドであ っ た僕 の フ ェ ス ティ ヴ ァ ル を聴 き に , 来 てく ださ っ て, 「タ ケ ミ ツ, お 前 はメ ロ ディ の こ と を 考 え て いる ね。」 と 言う か ら 「は い 考 え , , ていま した。」 す る と, 「お れたち はずい ぶ ん長 いこ とメ ロ ディ の こ と を考 えな か っ た けれ ど一番 い. ま大事なのは, 歌のことも考える, 新 しい歌を歌う と いう ことだ。 」 と言っ た の が印象的で し 2 ) 1 た( 。. こ の ル トス ワ フ ス キ の 言 葉 を 受 け て そ の 死 に 際 し て 寄 せ た 答 え と も 言 う べ き 曲 が 《 径 》Pa ths , ,. ( 19 9 4 ) という トランペッ トの無伴奏曲である。 ここでは単旋律の 「うた」 に全てが託されている。 そして 遺作となったフルート独奏曲《エア》でもそう した姿勢が貫かれ, 最期まで 「うた」 と向き合っていたこと を示している。 また数多い映画音楽の中から三つの作品を弦楽合奏に編んだ《3つの映画音楽》四館eeF[ bm sc ) にお い て は, ジ ャ ズ 風 の 素 朴 なう た, 葬 送 のう た, ワ ル ツ の 三 曲 か ら なる 編 曲 にも 「う た」 1995 ore (. への率直な気持ちが込められている。 しかし, そういう中で武満は揺りもどされてもいた。 そして習熟期における自己の作品に再び光をあてて みようと試みている。 それは《鳥は星形の庭に降りる》の冒頭でオーボエの曲の検討から始められ, 《鳥が 道に降りてきた》A Birdcanne dovm the w 紬 (1994) に反 映さ れている。 こ こ で武 満 はオ ー ボエ の音色 の 変化を, ヴィ オラの弦により忠実に再現しよう と試みている。 このように弦楽器の持つ可能性を限りなく 開 拓しようとする意欲は驚くべきものがあり, われわれ演奏者のイマジネーショ ンを刺激して止まないのであ る。. おわりに. このよう に武満の作風の変遷をたどっ てくると, 彼が弦楽器に何を見ていたのか, そして何を託そうとし たのかが分かる。 本質的にうたう楽器, 表出的である弦楽器の, 無節操なエスプレツスィーヴォを拒絶する 傾向は当初から見受けられ, そしてそれは終生持続したのであった。 だが 「模索期」 においてそれらの拒絶 感がきわめて強かったのに対し, 「習熟期」 では過度になるのを周到に避けながらも, 豊かな音響イメージ を表現するために 「うた」 が用いられている。 そこでの技術は主にポルタメ ントとフラ ジオレッ トに代表さ れ, これら特有の 「官能的」 な響きは独奏においても, また合奏においても多用されている。 また 「模索 期」 における弦楽独奏の細かい分割を試みるという微妙なテクスチュアについての取り組みは, その効果が 思うようには表れないという経験から, 「習熟期」 には合奏の中にトリルを取り入れてくる。 そして 「円熟 期」 に入り 「うた」 への志向が強まると, 再度この旋律楽器の特性に注目して素朴な祈りの 「うた」 が表出 される。 これは回帰であると同時に, 新たな 「うた」 を発見する過程へ向けての第一歩でもあっ た。 この元来の旋律とは異なる, いわゆる 「うた」 を探らねばならない武満の要求は, やはり演奏するという 体感的レベルでとらえない限り, その理解は困難なものがある。 エ ピソー ドとして冒頭に紹介したように, 《ウォ」ターウェイ ズ》を演奏した際に, 武満との間で摩擦が生じたことは, 今にして思えば武満の 「う た」 に対する理解が未成熟であった結果であろう。 この稿を終えるにあたり, 武満の次のこと ばを引用した し)。. 私 の 中 では, こう した古 い も の と 新 しいも の は, つ ね に 同 じ比 重 で存 在 していま す。 しか しそ の. ことは, 両者の安定した均衡に積極的に身を委ねてしまうと謂うことではなく, 創作の各段階ごと に, 二つ の も の の 間 に激 しい フィ ー ドバ ッ ク を積 極 的 に発生 させる と いう こ と です。 さも なく ば, 162.
(16) . 武満 徹の弦楽作品を中心とした書法の変遷. そのことにさしたる意味はありません。 物を生み出す母胎は, 外在するものではなく, 内にあるの で すほめ。. 今後私が武満の作品を演奏する機会を得たなら ばこれら武満の生前のことば, そしてひとつひとつの音符 の意味を読み解く努力を重ね, この日本が生んだ希有なる巨匠の 「うた」 をうたう方法を探究してい きた い。 演 奏 家 で あ る 私 が, こ の 小 稿 の テ ー マ にあ え て武 満 を 取 り 上 げた 意 味 は, そ の こ と に 尽 き る よ う に思 つo. 注・引用文献. ( 1 ) 岩城宏之, 「作曲家武満徹と人間蕪敏郎」 , 等。 , れんが書房新社, 1999 ( 2 ) 映画音楽, テレビ‐ラジオの音楽, 劇音楽等は, 初期から晩年に至るまで多数手掛けており, 作品表の半分以上 を占めているこ とからも, 武満の創作を考える上で大変重要な役割を担っている といえる。 ‐i t amy nMem- ( 3 ) この作品は一時紛失していたが, 後に発見された草稿から起こして《リタニーマイケル・ヴァイナーの 追憶に》Li 19 ) として発表された。 IV 89 fMi e r( chae oけo : ” i 8 ( 4 ) 船山隆, 「武満徹 響きの海へ」 。 , 音楽之友社, 199 ( 5 ) この表のうち, ◆の付されているものは弦楽器 が主体となっ ている編成によるもの, ◇の付されている ものは, 弦楽器が編成の 一部を担っているもの, あるいは伴奏に用い られているものである。 また0と0が真横に結 ばれている場合は, 編成の領域のいず れにも属し得る と考えられるもの, 2行にわたっ て令と0 (及 び◇同士) が結ばれている場合は, それらが原曲と編曲の関係にあ ることを示している。 《ソナント》については, 後に《ヴァ レリア》として改訂 (編成の変更, 加筆訂正等) されたものなので, ここにあるように ( ) 内に表記 した。 なお, 紙幅の関係 から, 表題を和文表記のみに してある。 欧文については, 本文中で初出 のたびに, 和欧併記を行っている。 197 1 ) ) [打楽器独奏と弦楽器] ia (1971 i ( 6 ) 《 カ シ オ ペ ア 》Cass nt e r( ope , 《ジェモー》 , 《冬》Wi 197 3 ) l n( ) [オーボエ, トロンボーン独奏と管弦楽] (第1楽章のみ) U血 Gemea 197 1 1 x( ・ , 《秋》Aut 4 ) [マリンバ独奏と管弦楽] l 197 D i [琵琶, 尺八と管弦楽] a ya ( , 以上の5作品がある。 , 《ジティマルヤ》G中に 6。 ( ) 武満徹 「時間の園丁」 7 , 新潮社 199 等を参項にした。 8 ) 斎藤傷爾・武満員樹編, 「武満徹の世界」 ( , 集英社, 1997に所収の 「年譜・主要作品集」 (秋山邦晴・編集部編) ) 評論家‐詩人の瀧口修造を中心に, ジャ ンルを超えて若い芸術家が集まっ て1951年に結成された同人で, 作曲家には武満, 湯浅 ( 9 譲二, 鈴木博義 ら, 他にこの園田高弘や評論家の秋山邦晴等がいた。 199 4 ) のみとなる。 オーボエと隼の二重奏曲《ディスタンス》Di ths ( 回 フルートの3曲を除けば, トランペッ ト独奏の《径》Pa 197 2 ) は, 生を伴わないで演奏することも可能であるが, 今日, 殊に我が国では, そのように演奏されることはむ しろ稀で t a ロ 1 c e( ある。 元来想定されているかたちの演奏に比 し, 音が寂しいという単純な理由のみではなく, この題名の持つ意味 (2人は遠くに 配置される) を損ねるからである。 独奏も可能としたのは, ホリ ガーを想定したこの作品の再演奏機会に寄せる便宜を図っ てのこ とと考えるべきであろう。 世界的に知られたヴァイオリ ンおよ びヴィ オラ奏者であり, アンサンブル・タッ シの創立メ ンバーと して, 武満徹やジャ ズの. 回. i r撞コGo rgb os cha mnbe チックーコリアと共に多彩な音楽活動を行っている。一アイ ダ・カヴァフィアンのホームページ-h均P:″www ‐ ht 左dak 1 ゴ ロ ‐. 側. 2 199 ) 武満徹 「遠い呼び声の彼方へ」 新潮社 (. 回. 1971 ) 武満徹 「音, 沈黙と測りあえるほどに」 新潮社 (. 回 雑誌 「音楽芸術」 ( 1967年3月号) 「武満徹の世界」 での諸井誠との対談によれ ば, このシリー ズは20曲程の構想のうち5曲は完 1の楽譜は入手不可能な状況となっている。 成していたよう だが, 発表されたのは3曲のみで, 現在, 1. 『武満徹の音楽』 を聴いて」 に於ける指摘。 9 6 同 雑誌 「季刊襲術」( 1 7年春号)「 l Q◎ Ed i恒onssa tの出版楽譜における演奏上の指示。 abe r ) 19 81 回 雑誌 「音楽の手帳」 ( , 巻上公一, 「<ヒカ>を拝借」 内に言及されている。 labe tの出版楽譜による。 回 番号表記はEd i錠onssa r 163.
(17) . 内 田・ 回 ◎ 回. 輝. 両者共, 斎藤慣爾, 武満員樹編, 「武満徹の世界」 , 集英社, 1997 , に所収。 「 楢崎洋子, 武満徹と三善晃の作曲様式」 4 , 音楽之友社, 199 , に於ける時期区分等。. 斎藤↑ 填爾, 武満員樹編, 「武満の世界」 , 集英社, 1997 , の 「武満徹 ◎ 武滴徹, 「音楽の余白から」 80 1 ‐ P‐ 2 , 新潮社, 19. 最後のメ ッセージ」 より。. (本学教授 札幌校).
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