朴槿恵政権の対外経済政策 (特集 韓国新政権の課
題と展望 -- 「国民の幸福」は実現できるのか)
著者
奥田 聡
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
213
ページ
19-22
発行年
2013-06
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003691
二〇一三年二月に誕生した朴槿 恵政権は、北朝鮮が相次いで繰り 出す瀬戸際戦術への対応に追われ ている。北朝鮮の瀬戸際戦術は韓 国だけでなく、日本やアメリカに も向けられている。このため、内 外の朴新政権への関心はともする と南北関係をどうするかに傾きが ちである。 緊迫する南北関係の陰で、韓国 はリーマンショック以来の不振に 陥っている。円安の影響も今後本 格化するとみられ、次第に政権の 経済運営の方向に関心が払われる ようになった。 朴槿恵政権の経済政策の方向は どのようなものか? 貿易依存度 が上昇を続け、近年では一〇〇% 超えが常態となった韓国の現状に かんがみ、ここでは韓国の対外経 済政策の推移を踏まえたうえで新 政権における対外経済政策の方向 を考察してみようと思う。
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FTA重視の世界的潮流と
韓国
WTO交渉における南北対立の 激化と交渉内容の複雑化で、世界 大での自由化努力が成果を挙げら れず、欧米を中心に自前の自由貿 易ネットワークの構築を目指す動 きが一九九〇年代から顕在化して いた。欧米は、NAFTAやEU の発足といった、域内での自由化 促進努力だけでなく、域外との自 由化もFTA締結によって推進す る姿勢を二〇〇〇年代に入ってか ら鮮明にしてきた。アジアでも、 FTA活用が活発化した。貿易依 存度が極めて高いシンガポールが 二一世紀の到来とともにいち早く FTAの活用によって自前の自由 貿易ネットワーク構築に乗り出し たのをはじめ、ASEANおよび その会員国が域外とのFTA締結 を積極化させた。そうしたなか、 韓国も二一世紀に入るとともに対 外経済政策の基調をそれまでのW TO重視からFTA重視へ切り替 えた。 韓国では金大中政権下の一九九 八年に日韓EPAに関する民間研 究が始まったことでFTAが対外 経済政策のメニューに取り込まれ たが、その推進速度は遅いことが 問題視されるようになった。二〇 〇三年に韓国はFTAロードマッ プを発表、FTA案件の複数同時 推進によって締結を一気に加速さ せる方針を打ち上げた。これによ り韓国は自国の輸出増大、海外に 進出した韓国企業の投資権益の保 護 に 乗 り 出 す こ と に な っ た。 ま た、FTA締結の拡大によって北 東 ア ジ ア に お け る「 F T A ハ ブ 国」となり、対韓投資の拡大、ひ いては世界経済におけるプレゼン ス増大を図ることとなった。 韓国がFTAの推進を開始して 以来一五年が経過しようとしてい る。進歩系の金大中政権に始まる FTA重視の流れは、同じく進歩 系の 盧 ノ ・ ム ヒ ョ ン 武鉉 政権にも引き継がれ、 また、二〇〇八年に登場した保守 系 の 李 イ ・ ミョンバク 明 博 政 権 も こ れ を 継 承 し た。その間、韓米、韓EU、韓A SEANなどFTAがすでに発効 し、韓中FTAについては政府間 交 渉 が 前 進 を み せ て い る な ど、 赫 かっかく 々 たる成果を上げている(表 1 参 照 )。 F T A 案 件 を 推 進 し よ う 表 1 韓国の FTA 推進現況 発効 チリ、シンガポール、EFTA、ASEAN、インド、EU、 ペルー、アメリカ 署名 トルコ、コロンビア 交渉中 カナダ、インドネシア、中国、ベトナム、日中韓、RCEP 交渉再開待ち 日本、メキシコ、GCC(ペルシア湾岸協力会議)、 オーストラリア、ニュージーランド 交渉準備・共同研究 MERCOSUR、イスラエル、中米諸国、マレーシア(出所)韓国 FTA 国内支援委員会 FTA 総合支援ポータルサイト(http://www.ftahub.go.kr) を参考に筆者作成。
特
集
韓
国
新
政
権
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課
題
と
展
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― 「 国 民 の 幸 福 」 は 実 現 で き る の か ―
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策
にも国内からの反発でまともに身 動きが取れない日本の状況が韓国 の積極的なFTA推進姿勢と対比 さ れ、 「 周 回 遅 れ 」 と 評 さ れ る ま でになっている。
●ウォン安を続けられた幸運
輸出に大きな影響を与える変数 としては為替レートがある。これ までに、アジア通貨危機やリーマ ンショックなど、国際経済的要因 からのウォン安要因や 延 ヨンピョンド 坪島 砲撃 などの朝鮮半島情勢緊張など地政 学 的 要 因 に よ る ウ ォ ン 安 要 因 が 折々に存在した。ウォン安は国内 物価上昇をもたらし、国民生活の 悪化という政治的負担をもたらし かねなかった。また、短期の対外 債務の多い韓国では極度のウォン 安はキャピタルフライトを招きか ねないというリスクがあった。し かし、世界的なデフレ傾向が国内 物価圧力を緩和したことや、二〇 〇 八 年 の リ ー マ ン シ ョ ッ ク 後 の ウォン暴落局面ではアメリカおよ び日中との通貨スワップ締結によ る 通 貨 投 機 抑 制 策 が 功 を 奏 し、 ウォン安が韓国経済に目立った副 作用をもたらしたということはな かった。むしろ、輸出への悪影響 を懸念して歴代政権はウォン安を なかば放置したとされる。ウォン 安 に よ っ て 生 ま れ た 価 格 競 争 力 は、韓国製品が低価格を武器に攻 勢をかけている先進国市場で特に 威力を発揮した。 一九六〇〜八〇年代にかけて政 権を担当した 朴 パク ・ チョンヒ 正煕 政権は輸出主 導的経済発展を定着させたが、輸 出なくして成長なしという昔なが らの構造は今も韓国経済に息づい ている。図 1には輸出依存度(輸 出÷GDP)の伸びとともに所得 を伸ばしてきた韓国経済の歩みが 描かれている。二一世紀に入って も貿易依存度と所得の連動関係は 生きている。内需の停滞が覆うべ くもない状況となり、毎年の貿易 黒 字 が 経 済 成 長 を 支 え て い る。 リーマンショック以後の貿易黒字 幅(通関基準)は三〇〇〜四〇〇 億ドルに達し、GDP対比では二 〜四%に相当する。二〇一二年に 関しては貿易黒字額がGDPの増 分を上回ったほどである。このよ うに、輸出の伸びを確保すること は韓国にとって今も昔も死活問題 であり、その意味でFTAも為替 レートも韓国にとっては常に切実 な 政 策 課 題 で あ り 続 け た の で あ る 。●
大統領選以前における
朴槿恵の対外経済政策
歴代政権は輸出の経済成長への 貢献を認めており、その政治的信 条にかかわらず対外経済政策に対 して肯定的に対処してきたといえ る。それでは、このたび大統領と なった朴槿恵氏の対外経済政策へ の態度はどうであろうか? 過去 の言動をみると、FTAにともな う国内被害への補償を重視する姿 勢を堅持してきたことがわかる。 韓国がいわば「FTA国家」と なることを決定づけた韓米FTA の政府間交渉が大詰めを迎えた二 〇〇七年二月一二日、ハーバード 大学での講演で彼女は、同FTA に 関 し て「 ( 韓 米 ) 両 国 の ど ち ら か一方で取り返しのつかない損害 を被る国民がいてはならない。ア メリカが考える産業的な側面だけ をもって韓国農業、とくにコメ市 場の開放を要求するならば、韓国 民の同意を得るのが相当難しくな らざるを得ない」という慎重な見 方を明らかにしている(朝鮮日報 二〇〇七年三月一三日付) 。 ただ、FTAを通じた市場開放 に後ろ向きかというとそうでもな い。韓米FTA妥結直後の四月二 日には次のように発言している。 「国益という次元において、 (韓米 FTAを推進した盧)大統領の決 断を高く評価する。政府は今後、 農業や畜産業などマイナスの影響 が予想される分野に対して関心を 傾 け 対 策 に 力 を 入 れ て い く べ き だ。政界も一致団結してこれに賛 同 し て い か ね ば な ら な い 」。 つ ま り、農業など対外開放に耐えがた い弱い分野に対しては慎重なアプ ローチが必要だが、FTA自体に は賛成との立場である(朝鮮日報 二〇〇七年四月三日付) 。 その後、二〇〇八年に発足した 李明博政権下で次期大統領候補と 2011 1998 1996 1987 1979 1973 1965 1953 1人当たり所得(ドル、名目、対数)1,000 10,000 100,000 100 10 輸出比率 ︵ % ︶ 60 50 40 30 20 10 0 図 1 1 人当たり所得と輸出比率の推移 (注)輸出比率は SNA 基準で、総輸出÷所得。1970 年までとそれ以降の系列は所得の基準が異 なる。所得は、1970 年までは GNP、それ以後は GNI を使用。 (出所)韓国銀行経済統計システム(http://ecos.bok.or.kr)所載データより筆者作成。して頭角を現すなかで、朴槿恵氏 は韓米FTAに対しより肯定的な 態度を示すようになる。大統領選 の一〇カ月前の二〇一二年二月一 三日、彼女は「韓米FTA破棄」 を 宣 言 し た 野 党 を 批 判 し て、 「 選 挙で勝てばFTAを破棄するとい う人たちに国を任せることはでき ない」と述べた。政権担当時に韓 米FTAを推進しながら、野党と して大統領選に臨む段になってそ れを破棄するとした野党の主張の 無責任さを批判しての発言であっ たが、同FTAの価値を認める発 言でもあったことは明白である。
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選挙期間中
の
F
T
A
関連公約
二〇一二年四月の総選挙におい て 与 党 の 勝 利 を 導 い た 朴 槿 恵 氏 は、与党セヌリ党候補としてその 後の大統領選においてほぼ一貫し て優位を維持した。 大統領選では、韓米FTAが与 野党の争点のひとつとなった。一 二月四日に行われたテレビ討論会 では、与野党間のFTAについて の視角差がくっきりと表れた。 野党民主党の文在仁候補は、韓 米FTAがISD(投資者・国家 間訴訟制度)などの「毒素条項」 を含み、国益上問題があるとして 同FTA再交渉を主張した。 一方朴槿恵候補は、韓米FTA は現状維持とし、ISDはむしろ 在米韓国系企業の支援・保護に資 する、と切り返した。 朴槿恵候補の韓米以外のFTA に関する考え方を、公約集や公開 の場での発言などから拾ってみる と、韓中FTAについては農水産 業に被害がないよう最大限配慮し ながら慎重に推進することが一二 月一〇日発表の公約集に掲げられ ている。日韓EPAについては、 一一月八日の外信記者クラブでの 発言で「新たな成長エンジンが必 要な時期だ。FTAは両国の経済 関係を一段階高める契機になる」 と述べ、肯定的な見方を示した。 これら個別のFTAのほか、前述 の公約集では、農水産業への被害 を 懸 念 し、 国 内 対 策 の 充 実 を う たっている。 選挙戦の間の朴槿恵候補のFT Aに関する姿勢は、慎重でありな がらも推進しようとの姿勢といっ てよかろう。ただし、FTAにと もなう市場開放生じた被害に対し ては補償をしていく姿勢を強く打 ち出している。これは、以前から の彼女のFTAに対する姿勢を引 き継いだものであり、ブレが少な いのが特徴的である。●
大統領当選後の
対外経済政策方針
二〇一二年一二月一九日の大統 領選で朴槿恵氏は大統領に当選し た。就任までの間に打ち出された 対外経済部門に関する政策として まず挙げられるのは、外交通商部 の通商機能分離である。それまで FTAの対外交渉は外交通商部の 通商交渉本部が担当し、国内対策 を企画財政部が担当してきたが、 新政権発足後はFTAに関するプ ロセスの大半を産業通商資源部に 移管することにした。これは、国 内産業を管轄する産業通商資源部 がFTA全般を担当するのが良い という判断によるもので、FTA に関して国内産業への被害対策を 重視する朴槿恵氏の意向を反映し ている。外交部から対外交渉機能 まで奪ってしまうことについて外 交部サイドから交渉力の弱化を指 摘する強い反対意見が出たが、新 大統領の意向には抗えなかった。 具体的なFTA推進方向につい ては、新政権発足直前の二月二一 日に発表された国政ロードマップ にまとめられた。ここで示された 内容はそのまま新政権の施策の指 針となる重要なものである。FT Aに関しては国内対策が重視され ている一方で、成長動力としての 積極的な位置づけもなされている ことが注目される。ロードマップ を構成する一四〇の国政課題のう ち、 「 農 漁 家 所 得 増 大 」 の 一 環 と し て F T A 国 内 対 策 の 充 実 を 掲 げ、さらに「FTAネットワーク などの経済協力の力量強化」を目 指している。 FTAネットワーク構築は東ア ジア域内および新興市場国との間 で 推 進 し、 と く に、 「 東 ア ジ ア 域 内統合を主導し」という文言から は域内におけるFTAハブとなる ことによる投資呼び込みなどの意 図がうかがわれる。具体的推進案 件としては、韓中および日中韓F TAの推進が明記された。 韓国に とって中国が最大の貿易相手国で あることや、朴槿恵政権が対中外 交を重視していることからすれば 自然な流れであるといえよう。 同 時に、これらFTAにともなう農 水産業と中小企業などの敏感分野 の保護についても改めて言及して いる。また、注目されるのはRC EP(東アジア地域包括的経済連 携=ASEAN+ 6)への主導的 参加やTPP参加検討など、多国朴槿恵政権の対外経済政策
間FTAへの関与に言及されてい ることである。これまで韓国は二 国間協定に比べて自国の事情を反 映しにくく、ほかの締約国に埋没 しがちでFTAハブとしての利益 を受けにくい多国間FTAにはそ れほど熱心でなかったが、議論か ら取り残されるリスクを勘案して 積 極 姿 勢 に 転 じ た も の と 思 わ れ る 。 一方、為替政策については、資 本流出入の激変を緩和することに よって為替レートの乱高下を防止 することが目指された。そのため に、金融機関の先物為替ポジショ ン比率の規制や外国為替健全性負 担金などの枠組みを維持すること が明記された。