JICAの東日本大震災復興支援 -- 現場での経験を通
じて (特集 東日本大震災と国際協力)
著者
坪池 明日香
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
192
ページ
4-7
発行年
2011-09
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004150
今回の震災に際し、世界各地か 育 成 に 貢 献 し て き た 結 果 で あ 筆者はJICA職員として二回 月 上 旬 に 福 島 県 二 本 松 市 の J ICA二本松、五月上旬に岩手県 遠野市の遠野まごころネット)の 震 災 対 応 に 取 り 組 む 機 会 を 得 た。 国内に拠点を持ち、国外に対して 国 際 協 力 を 行 っ て い る J I C A が、 海 外 で の こ れ ま で の 経 験 を、 どのように今回の被災地支援に対 して還元しようと試みているのか を紹介し、今後の展望について少 し触れていきたい。なお、本稿は 筆者の個人的な見解であり、組織 としての見解ではない点にご留意 いただきたい。 三月一一日一四時四六分に発生 し た 東 北 地 方 太 平 洋 沖 地 震 に 際 し、その当日の夜、JICAは帰 宅困難者のための休息スペース等 として、都内三カ所、および横浜 の計四箇所の施設を開放した。こ れ以降、公的機関としてのJIC Aとして、日本国内の支援を受け て国際協力が成り立っていること を実感しながら、各地での支援活 動が展開していった。震災直後か ら、地方自治体、中央省庁や公的 機関が初期段階からの支援を展開 してきたことを受け、独立行政法 人としてのJICAも公的機関と して震災でどのような対応・貢献 を し て き た の か、 と い う こ と が、 独立法人評価委員会会合や内閣府 「新しい公共 (震災支援制度等ワー キ ン グ・ グ ル ー プ )」 に お い て も 議論されてきている。これまで外 国で発生した災害に対する支援を してきたが、国内の災害において も状況は同一であり、これまでの 経験や知識を国内向けにも生かす べきだという議論や、開発途上国 での経験を活かし、住民と共に活 動し、現場調整能力に長けた青年 海外協力隊員、職員の活用が図ら れるのではないか、という議論を 受けてJICAの支援活動が展開 されていると言える。 JICAは二本松における避難 住民の受け入れに加え、被災者支 援のボランティア活動(職員に加 え、協力隊OBや退避中協力隊員 が宮城県、岩手県で活動を展開) 、 被災・避難者の施設受け入れ(J ICA二本松のほか、JICA東 京、JICA大阪にて適宜受け入 れ)や物資の提供、国際的な支援 への協力(国際災害評価調整チー ム( U N D A C )、 国 連 人 道 問 題 調整事務所(UNOCHA)の活 動支援等)を展開した。これに加 えて、JICA東北を国際協力N GOの活動拠点として会議室を提 供すると共に、ジャパンプラット フォーム(JPF)や国際協力N G O セ ン タ ー( J A N I C )、 せ んだい・みやぎNPOセンター等 のNGOに職員を派遣している。 また、これまで国際協力の経験 ( イ ン ド ネ シ ア の ア チ ェ 大 津 波 や スリランカの津波での復興支援経 験)を踏まえ、今後の教訓をとり まとめるべく東北大学(災害制御 研究センター)等を通じた津波防 災の専門家・研究者との協力を展 開している。
●
J
I
C
A
二
本
松
に
よ
る
避
難
住民受け入れ
三月一三日、JICAは福島県 からの要請に基づき、福島第一原 子力発電所の事故により避難指示JICA
の
東
日本大震災復興支援
現場で
の
経験を通じて
坪
池
明
日
香
が出されている地域に住む住民を 対象に、二本松市にある青年海外 協 力 隊 の 隊 員 等 を 訓 練 す る 施 設 ( J I C A 二 本 松 ) を 避 難 所 と し て提供することを決めた。三月一 四日午後から住民が到着し、受入 を開始した。最大時には四五三名 を受け入れ、福島県、二本松市と 協力しながら施設の運営を行って きた。JICA二本松は七月末を もって受け入れが終了した。 JICA二本松においては、避 難所として講堂および宿泊棟を開 放し、東京本部からの応援職員を 早急に派遣した。また、四月から は、治安状況等により赴任国から 退避を余儀なくされた青年海外協 力隊員をボランティアとして派遣 した。これまで、延べ四八名の職 員を支援要員として本部から派遣 する他、退避一時帰国中の青年海 外協力隊員、シニアボランティア を計二五名派遣した(七月四日現 在) 。
●住民の声を組織づくりに
三月一四日午後から開始された J I C A 二 本 松 で の 受 け 入 れ は、 本部からの応援部隊八名が二四時 間 体 制 で 支 援 し た。 主 な 内 容 は、 福島県と二本松市による「避難住 民の生活支援(避難した方々の受 け入れ手続きや安否確認、物資の 調達 ・ 運搬、 各種情報提供や相談) 」 の側面支援であった。その後、時 間の経過と共に、避難受入の緊急 対応から共同生活を営む上での課 題が表面化してきた。そのような なか、三月一八日には、住民を中 心に福島県、二本松市、JICA の四者合同で「みんなで快適に過 ごすためのルール作りの会議」を 開 催 し た。 こ の 参 加 型 ワ ー ク ショップにおいては、JICA職 員がファシリテーション(議事進 行) をお手伝いし、 避難住民の方々 から生活上のニーズや問題(消灯 時間、ゴミ出し、洗濯、子供のケ アなど)を話し合い、館内ルール づ く り に か か る 議 論 が な さ れ た。 同ワークショップには約一八〇名 が参加し、開発協力の現場でも活 用している参加型開発の手法を活 用し、男性女性双方の声を引き出 すよう工夫がなされた。最終的に は、住民による自治グループも組 織され、各棟からなる五グループ を形成し、各グループ代表者が選 出された。この自治グループによ り、毎日の支援物資の配給、朝晩 の食料の配給、新聞の回覧、各種 要望・情報の伝達および課題解決 について、住民グループを中心に 全 て が 協 議・ 決 定 さ れ て い っ た。 長 期 間 に 亘 る 避 難 生 活 の な か で、 この住民組織が果たした役割は非 常に大きいと言える。 JICA二本松での避難生活が 二週間経過したところで、新たな ニーズ(健康面、教育面等)が見 られてきたことから、新たに女性 を含むグループ代表者会議を複数 回開催した。これら会議を通じて 具体的な要望を確認し、女性や高 齢者、子供を対象とする各種活動 を開始した。具体的には、二本松 市 近 隣 の 青 年 海 外 協 力 隊 の O B・ OGの支援を得て、高齢者等を対 象とした健康体操教室(週一回) 、 小学生向けの算数・理科教室や工 作教室、 中高生向けの英語学習室、 高齢者向けのマッサージ等の活動 を行った。 これらの活動やグループ代表と の話し合いを通じて個別のニーズ をより詳細に把握し、生活ニーズ に 対 応 す る べ く、 四 月 七 日 よ り、 派遣国の政情不安等により退避中 の青年海外協力隊員(第一陣はエ ジプト、チュニジア、ニジェール から退避中の五名)がそれぞれの 専門技術(看護師、保育士、ソー シャルワーカー、作業療法士)を 活かして住民のニーズに応えるべ く、活動を展開していった。●途上国での経験から
得られたもの
青年海外協力隊員は、一義的に は開発途上国に派遣され、その地 域で必要とされている活動を展開JICAの東日本大震災復興支援─現場での経験を通じて
事 業 の 目 的 で あ る が、 て い る 期 間 を 通 じ て、 国 内 で 震 災 の ボ ラ ン 験 す る こ と と な っ た。 近 で 退 避 と な っ た 隊 、「相手のペース 、「必要 い る J I C A 二 本 松 「途中で休む椅子」 た 歩 き 始 め ら れ る、 と の 考 え に 至 っ た と の こ と で あ っ た。 ま た、 部屋から出るのが億劫な住民がそ れぞれの部屋でも簡単な体操が出 来るように、午後のラジオ体操の 放送を導入したのも隊員である。 優先順位、必要な手続き、緊急 性、公平性、効率性。理由はいく らでも挙げられるが、本当に必要 なところに必要なものを届けるこ との尊さと同時に難しさを、国内 での支援の現場でもあらゆる人々 が目にしていることと思う。そし て、その光景は援助の現場で我々 がいつも目にしていることでもあ ると言える。 宮 城 県 で も、 「 国 際 協 力 で 培 っ た 力 を 被 災 者 支 援 に 活 か し た い 」 と青年海外協力隊員が県内の避難 所での支援を三月に開始した。隊 員の活動をJICA東北(宮城県 仙台市)が地域に持つネットワー ク を 活 か し て バ ッ ク ア ッ プ し た ( 活 動 は 避 難 所 の 閉 鎖 と 共 に 四 月 中旬に終了) 。 活動の拠点は、宮城県石巻市と 塩釜市の間に位置する東松島市で ある。同市は地震による津波で最 も大きな被害を受けた地域のひと つで、東松島市立矢本第一中学校 は、震災直後から被災した人々を 受け入れた。現地の治安が悪化し た た め に 活 動 中 止 を 余 儀 な く さ れ、 退 避 帰 国 し た ば か り の ニ ジェール隊員の有志七名は三月二 五日に同避難所に到着した。朝七 時の部屋長会議に始まり、夜八時 ごろから始まる学校側との打合せ まで、避難所の受付、食事の配膳 補助、支援物資の整理、運動不足 解消のためのラジオ体操、子供た ち と の レ ク リ エ ー シ ョ ン 活 動 等、 それぞれの専門性を活かした活動 を 展 開 し た。 学 校 側 か ら は、 「 避 難 所 の 運 営 を 担 っ て く れ た こ と で、教員が本来の業務に戻ること ができた。また、積極的に入所者 とコミュニケーションをとり、被 災者の心に寄り添い活動してくれ たことで、入所者に勇気を与えて くれた」との言葉が送られた。 この活動の実現にはJICA東 北の存在がある。震災後、宮城県 の国際協力推進員が関係者の安否 確認を行っているなか、ニジェー ルの隊員OBから、勤務先の東松 島市立矢本第一中学校が避難所と なり、新学期を目前に学校の業務 が忙しくなっているため、避難所 の運営を手伝ってほしいとの声が よせられ、退避中の協力隊員の派 遣が実現した。そして、この宮城 県での隊員の活動がその後の岩手 県での活動にも発展していく。
●新たな支援の形態
東松島市での青年海外協力隊員 の活動は、その後岩手県遠野市で の活動に発展した。四月一〇日を も っ て 閉 鎖 さ れ た 避 難 所 を 後 に、 新たな活動の拠点として「遠野ま ごころネット」での活動が四月中 旬から始まった。 遠野まごころネットは東日本大 震災で被災した岩手県沿岸部を支 援しようと、三月二八日、遠野市 民の有志が中心となって立ち上げ ら れ た ボ ラ ン テ ィ ア 組 織 で あ る。 組織運営の基本的なルールや事務 局体制を整える間もなく支援活動 が開始されたため、少しでも早く 被災者を支援しようという熱意の 下、数人の事務局員が県内外から集まってくるが大勢のボランティ アを活動現場に派遣していた。J ICAは退避中の青年海外協力隊 員の活動参加にあわせ、四月中旬 から職員を数人ずつリレー形式で 出張させ、JICAの活動の管理 とまごころねっと事務局の体制強 化を支援してきた。まずは、ボラ ン テ ィ ア の 事 前 登 録 を 円 滑 に 行 い、活動参加人数の予測につなげ るため(ひいては活動に必要な車 両手配等に活用するため)業務手 順を整理し、登録情報を管理する データベースを、一般ボランティ アと共に作成した。 青年海外協力隊員による活動参 加と事務局支援のほか、拠点であ る遠野市と活動場所である岩手県 沿岸部の被災地を往復するための 移動手段として、JICAは、筑 波、横浜、中部の各国際センター で研修事業の際に使用している中 型バスを常時二台、無償で提供し ている。