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懺悔について

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大平洋戦争が破局に追いこめられた頃は、国家総動員令の下に、大学の学生は、病弱者を除いては殆んどが軍務に 応召され、又は勤労動員に召集されて大学を外にし、大学は教職員のみが留守を預ることになった。その頃、大谷大 学は∼大谷教学研究所という表札を別に掲げて、研究所が併設せられ、留守を預る教授たちが、随時、研究発表を行 なって、教学の維持進展に営んだのであった。 大谷教学研究所が併設せられた頃は、故大谷螢誠学長が就任せられていて、大谷学長のもとに、我友は終戦を迎え b、 た。そして敗戦直後、東久邇総理によって、.億総餓悔﹂ということが提唱せられた。ちょうどその頃であった。 大谷学長は、私に、峨悔ということの原語的説明、その文献学的解説を中心とした研究発表を、大谷教学研究所で行 うように命じられたので、とりあえず、そういう点をまとめて一場の講演を試みたのが本稿の草案である。 以後二十五年の歳月を経過している。当時のそういうかりそめな草案を、その儘、発表することは、まことに心な

'’

はしがき

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但、厨曾白砂Ⅱく罰色目十色という語は、辞典においてその用例を枚挙すると、8冒尉目罫gao国︾胃冨は①具ゞ の且日の︶呂臨閏等の用例が枚挙せられるので、﹁自ら耐忍し、何次に耐える、苦を甘受する﹂という意味と、﹁他に対 して自己の過罪を忍容せんことを請う﹂という意味とがあって、追悔、悔過の義は一般の用例に含まれていない。 そこで義浄は、餓悔なる術語の吟味を述令へて、有部毘那耶第十五の註に、﹁もし悔罪ならば阿鉢底提舎那ロ冨昏︲ 号3口脚というべし。号胃威は罪、号箇目は説、よって寧ろ、説罪という語を用う請へきであろう﹂という。尚、南 海寄帰内法伝第二には、この帥圃甚︲号笛ロ画を洞鉢底鉢剛底提舎那苔目は︲胃鼻巨①歯ロ脚という語に換えて、そのこ とを詳述する。因みに冒胃己の曾口割という時は、倶舎論第九にも﹁鉢刺底是種左義﹂などといって、罪を犯す毎に それを申し述慧へるという意味になり、波羅提木叉︵宮座は︲日○厨騨・別女解脱︶などいう場合と同様な意味が掬み取られ ることになる。もっとも胃四首︲は、﹁何女に関して、何女に対して﹂という意味もあり、義浄は寧ろ、その﹁lに対 しわざ い仕業であって、紐促たるものがあるが、本誌の編輯の方から度友懇請されたので、ごく一部に若干の補訂を施して、2 寄稿することとした。︵四四、四、二︶ ﹁餓悔﹂について、その原語に洲り、語源的解釈︵ぐ冒召目は.名義釈︶から、何か説述しようとするのであるが、 その語源的解釈については、望月佛教大辞典に一応の説明があるので、とにかく先ずそれを引用し、それに因んで 四分律含注戒本疏一之下に、﹁悔は此土の言にして、慨は是れ西方の略説なり梵本の音の如きは峨摩︵府曾目色︶な り﹂という。義浄の有部毘那耶第十五の註にも同様にいう。それ故に、慨︹摩︺悔とは梵漢合成の語であるというこ 卿か卑見を開陳する。 とになる

|繊悔の語の語源的解釈

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して﹂という用法に従って、解釈論を施している。 さて、義浄が南海寄帰内法伝にいうところによると、﹁梵に画冨匪I冒騨は︲烏曾ご脚という。画冨菖は罪過なり。 ︵それは四十亘冨早武でく副奈には︹地獄に︺堕在するという用例もある.動は﹁近く、当方に﹂という意味が あるからである︶宮島︲:留圖は他に対して説く。己れの罪を説いて清浄ならしめんことを希うなり。旧訳に倣悔 というのは、説罪に関するにあらず。何となれば隙摩篇騨目騨は西音にして、忍の義に当り、悔は乃ち東夏の字にし はるか たしか て追悔を目ざすとなす。悔と忍とは廻に相関せず︵直接の関聯がない︶。もし的に梵本に依らば、除罪の時は至心説罪 まれ

まれまれ

という、へし。厨曾目色を訳し追悔となす如きは、由来牢なるに似たり︵蕊の牢なるとは、数の上で牢なのでなくして、 意味の妥当性が充全でないとの意味であろう︶。I中略I他に就きて謝を致すには;厨騨目四といい、自己の罪を もと 陳する如きは、号笛ロ回という謡へきである。習俗久しくして成るゞへしと雌も、而も事は須らく本に依るべし﹂と。久 しき串習上、語の使用が必ずしも的確には行われていないのであろうけれども、併しやはり、根本的に語の意味とそ の用例とを限定すべきであろう、という。 すなわち、一般的に倣悔という訳語で示されているけれども、原語の上からは、厳密には廓騨日騨︵他に対して謝 罪する︶と号鼻武︲号困昌画︵自己に対して罪を改悔する︶との両語があって、その意味が妥当するように使用される べきであるというのである。 さて、いうまでもなく、唐朝になって、新訳家の大建物としての玄奨が新たに多くの経諭を将来し、唐朝文化の隆 盛に乗って、佛典翻訳の大成を期せんとするに当って、先立つ時代の翻訳語の批判を相当厳しく行なった。それに由 って訳語の厳密化と統一とを期せんとしたのであろう。旧訳に対する批判の跡は、玄奨の門下の慈恩大師の唯識述記

二そういうことの行われた歴史的意味

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を始め、その他の註疏に頻りに出ているところであって、慈恩大師の註疏というものはそういう点において原典学上4 高く評価されるべきものてある。義浄三蔵もまた、そういうことの行なわれた環域に活動した翻訳三蔵であり、殊に、 説一切有部の戒律の訳を遂げた義浄として、戒律の根幹に関する﹁俄悔﹂の語に関して、先にいう如き注意を与えた ということは、まことに意味のあることである。 所謂、後漢の時代に、印度西天の佛教が中華の天地に移入せられ、数百年を経過する間に、各種の思想形態の佛教 が展開せられるに当り∼そこにそれぞれの佛教了解の立場から、各種の思想形態の価値づけ体系づけが推究せられて、 所謂、教相判釈ということが行なわれたのであったが、そういうことが厳密に行なわれんとするについては、その思 想の盛られている言葉についても、それの根源的な意味の限定が要請せられたことであったのであろう。峨悔の原語 に対する義浄の批判もそういう歴史的な環境においての要請に由るものと認めてよい。そしてそういうことが論ぜら れるに至ったということは、まさに唐朝において醸成し出された高度な文化的な環境がもたらした所産と認められる 但、義浄が語源的に、かくの如く限定しようとしたのではあるが、併し、意味の上からいって、峨悔厨色目沙なる ﹁他に対して謝罪する﹂という心事︵日の貝己旦呉の︶には、同事に﹁自己に対して罪を改悔する﹂という意味もある 、 尋へきであるから、それが隙悔と訳されることにもなったのであり、かくして冒鼻昼①函目ゞ号笛目脚︵説罪︶をも餓悔 と訳される串習となっていたのである。例えば、全光明経の峨悔品は、梵本において号困ロロ︲君国く自国となってい るが、各訳家共に、義浄自らすら、隙悔品と訳している如きそれである。が同時に冒昌︲号雷冒国を岸の国辱に悔 過、即ち説罪と訳していることは勿論であって、望月佛教大辞典の上に既に注意せられる如くである。 のであろうc 但、義浄が語源的に、かくの如く限定しようとしたのではあるが、併し、意味の上からいって、 ﹁他に対して謝罪する﹂という心事︵日の貝己旦呉の︶には、同事に﹁自己に対して罪を改悔する﹂ 、 雫へきであるから、それが隙悔と訳されることにもなったのであり、かくして冒鼻昼①函目ゞ号笛口倒 と訳される串習となっていたのである。例えば、全光明経の峨悔品は、梵本において号困口早冨尉

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然るに、諭書︵閏切曾P︶において、餓悔ということが述べられているものは、従来、参見し慣れている諭書におい ては、殆どそれを見出しえないようであって、ただ七世紀に在世した中観派の寂天︵曾貝己のぐ沙︶の入菩提行諭節二章 の上に見出されたことであった。そこでは﹁罪の臓悔﹂という一章となっている。そして同時にまた同じく寂天の大 乗集菩薩学諭第八章に﹁罪障清浄品﹂という一章として与えられているのをも見る。その﹁罪障清浄口凹という時 の﹁清浄﹂とは、ここでは8。厨目色という語で、く割目︾皆︹一身鯉はⅡ8冨8日の巳の胃の意味が使役相となった 曾昌︺昌四蔵から来た名詞の﹁清浄にすること、ざH①日○く①号巨目国々すること﹂という意味である。すなわち髄悔滅 罪という思想の意味が、﹁罪障清浄品﹂という語の上によく表われている。 1 インド佛教の後代に、聖提婆に帰せられた﹁心障清浄論・拝冨︲曽胃鱒罵言︲ぐ詠呂冒匡とという諭書があるが、これな ども、同様な点を指示説述する論害である。この心障清浄論は措いて、いまは寂天の二論吾について述べることにす いての説述を見たいと思う ⑩︹﹀骨のロ庁睦﹄○口]pppP]︶、,オノか衿↑ さて、隙悔のことは、種次の経律の上に見られ、殊にそれが原始佛教友団の布薩会において、その起源をもつこと はいう迄もない。そういう経律及び中国の釈家の間において、餓悔に関する説述の多女あることは、それまた佛教辞 典の上にも示されていて、ここに事更めて述べる必要はないことと思う。但、佛教左団内において教主釈尊の根本精 神を随念する如理作意の記述、すなわち如是我聞の文学としての経典、殊に大乗経典は、思想家・論師の諭書︵閏切言空︾ 四日①具昌○目色ロロ己︶、すなわち学問的綱要害ゞにおいてその綱要が与えられている点からみて、諭書における峨悔にっ る ○ 註⑩心障清浄論については、山田龍城﹁中観思想の密教化l特に聖提婆の心障清浄論について﹂︵東北帝国大学文科会編輯﹁文5

三論部聖典における餓悔の説述

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さて$寂天の二諭耆についてであるが、その中、まずはじめに大乗集菩薩学論︵圏内笛︲笛冒pg葛四︶の第八章﹁罪 障清浄品﹂について述べる。ちなみに、この巴閉口︲、画昌邑COP園は、その漢訳である大乗集菩薩学論において法称 e宮月日画︲冒昌︶造とされているが、しかし内容的に普耳沙︲の酋日ロCO包冒や国&言8q画く胃胃騨などと密接に関連し ているよりして、寂天の著作であることが知られる。 さて、望騎画︲協日poO鱒圃には全部で二七偶の木偶があるが、その第一七偶と第一八、一九偶との三偶が、この館 八章﹁罪障清浄品﹂で説かれている。罪障清浄︵凰冨︲の○些冒口騨・罪障を清浄にすること︶品第八章の壁頭に説かれて いる第一七偶において、次の如く、 、、℃、、、、、砂、、 ﹁身体が清浄にせられたる魯己巨国︶ときは、その受用は適正なるもの含呉身沙・道に適いたるもの︶たるべし。 人為にとって、食物が塵芥の微塵もなきように能く整へられたるときの如く・﹂ と説かれ、引き続いて、如来秘密経︵目呉自彊冨唱ご凹切ロqい︶が引用されている。すなわち、 ﹁数百千の人の住する大都城の墓場に、菩薩が顕われて死を示現し、畜生の身を現ずる人友に、その屍を食せしめ、 彼等をして命終の後、善趣に生を得せしめ、遂に浬樂に入らしめんことを念ずる﹂ これが菩薩の宿願であって、菩薩は、長夜、その屍を食瓢へた人友が善趣に生れて、遂に浬築に入らんことを誓い、 それらの人女の善趣に生れ浬樂に入る因縁となった。それによって菩薩の宿願は成就し、いまやその宿願が十方に間 、、、、、、、、 、、℃、 こえることとなった。身体を清浄にするとは、結局そういうことを意味するものである。その身の清浄ということを、 より具体的にいうとどういうことになるか。それを次の第一八偶と第一九偶とに説いている。 化﹂第三巻鋪四号、昭和十一年︶参照。 四匹厨甲闇冒匡o8昌幽

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﹁穀物が雑草に覆われたるときには、病のために衰弱して成長せず。恰もその如く、佛の萠芽も煩悩に覆われたる ときには成長せず。︵第一八偶︶ 身の清浄とは何か。罪と煩悩とを清むることなり。それは等覚者の語の義に従うことによりあり。されどもし ︹そのことに︺勤勇なきときは、悪趣に趣く。︵第一九偶︶﹂ 、、、、 すなわち、先の第一七偶に説いた身の清浄とは、罪障と煩悩とを清むることであつ↑て、その清めが行われないとき には、佛の萠芽が成長することはない。然らばその罪と煩悩とを清めることは何であるか、というと、それは、等覚 者の語義、云女といって、第一八偶後半行に説明せられるのである。 その罪障と煩悩との清めとは何か。それを四法経の語で説明している。四法とは、 ② ①悔過行︵a︵旨租巨劉︲留日ロ38国︶︾砂①馬目の冒○四目﹄○時烏蔚印は︵旨旦⑳旨. ②対治行︵宮口武園原色︲叩四日目胃胃勢︶司一不善業を造った後にも、極度に善業を努める。 ③制止力︵胃四噂劉冒葺︲冒盲︶・禁戒を持することによって、殴犯することなき点まで到達する。 仙依止力︵鼠国息︲冨匿︶・佛法僧に帰依して菩提心を棄てない。 である。この四法によって、先に造られ、久しく積集した罪過を減するとなしている。﹁先に造られた﹂とは$﹁無 始時来造作された﹂の意味であることはいうまでもない。 以下、集菩薩学諭では、仰金光明経の倣悔を説く偶文を始めとし、更に約十条の経律文を引用して悔過行の意味 を説述する。②次に対治行については、甚深経典を読荊することが罪業を消滅するとなして金剛般若経︵第一六章︶を 引用する。それはわたしが時欠に引用する ③ 須菩提よ、善男子善女人この経を受持し読詞して、もし、人のために軽賤せられるときは、この人、先世の罪業にて まさに悪道に堕す守へかりしを$今世に人に軽賤せらるる故を以て、先世の罪業すなわち消滅せられ、まさに阿褥多

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である。次いで信解空性が罪業を清浄ならしむという如来蔵経、業障清浄経など、更に六経を引用しているが、何れ も罪業清浄に関するものである。いま関説する四法の中では、㈹悔過行、⑨対治行に関する説述が詳細であり、⑧制 止力、仙依止力に関するものは、前二者よりは余程略述せられている観がある。 集菩薩学諭は、いわゆる集︵$9口8段国︶であるから、そこには凡ゆる滅罪の形態を枚挙している。そして四法の 中でい、⑨に重点のおかれているところによって知られる如く、それは慨悔滅罪であって→罪業を改悔するそれが主 となっている。倣悔による滅罪は畢寛、先の﹁身の清浄﹂を目的とする。その身の清浄とは、如来秘密経文の如く、 菩薩の本願である。それ故に、菩薩の本願の成就は、餓悔滅罪を主とし、具には四法によって成就せられることをい わんとするのが、この圃冨小&丘沙口騨一章の意趣である。 因みに、前上の四法の中で最も主たる役目をなしている﹁悔過行﹂すなわち倣悔滅罪行の意味を有する語の原語は ぐ己口吻四目の騨日且鋤33であるが︲a合い眉倒は旦十く創羊霞冨十騨目いうの噂日go唱。己8口の曾匡3oロを有する語 であって、その語根のく凶副とは、8房8日。g具8日目守沙菅冒岸という意味である。それが。自切員ぐのには たらくへ月身昇﹂はざ留呂目自今という意味になる。それに急︲という接頭辞がついた畠︲含唖騨目も辞書の用例 では月色旨四・①ロ切目旨唾︵微すこと、悪罵すること︶の意味である。そういう①ご目巳○喝では、それ故に﹁悔過﹂ 帥 とはならない。併し接頭辞が付せられることによって、語根の意味が転変することは、倶舎諭巻九にいう﹁由先助力 界義転変﹂である.抑倉、ぐ]︲なる接頭辞は意味を限定し、意味を分別することもあるl例えばぐ﹄+日目︵疑・ 二心︶というが如くIが、離れるという意味もある。いまは﹁離れる﹂という意味の接頭辞妬﹁微す﹂という語 根の上に加わって、﹁微れを離れる﹂という意味になるのである。そこで、その時、語根の意味が転変して、﹁罪と 訣別する﹂という意味になり、﹁悔改﹂という意味になるのである。 羅三貌三菩提を得令へし

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⑧佛陀への帰依︵二六、四八’四九偶︶ ⑥罪の告白︵二七l︹四八、四九︺’六六偶︶ となるが、この。の部分について、少しく述べる。 大乗集菩薩学論のそれが、所謂﹁学処の聚集﹂であって、種だの罪業の消滅の州を枚挙説明した。所謂客観的智的 な説述であったのに対して、これは、その諭書の名題の示す如く、﹁菩提行に入る﹂のであって、実践的情意的であ り、正しくの罪の告白。餓悔の真情が誌されている。この入菩提行論の偶は非常に美しい文章であるといわれ、従っ 次に、寂天の﹁入菩提行論︵国且宮︲o胃冨︲秒ぐ騨薗目︶﹂の第二章﹁罪障隙悔品﹂︵冨冨︲:函口凹︶﹂、直訳的には﹁罪 の告白﹂について述令へる。この章は、全部で六六偶をもって成立している。大略して示すと、 ⑧佛の讃嘆、三宝への讃嘆、自己の供養、沐浴、法衣、荘厳、香、花、食事、灯明、宝蓋、宮殿などの供養︵−1 註仙堕爾開座旨p8男騨﹄①昌尉egg2国①且邑﹄国go苔。。煙匡]︵三冒○ゅ白︾陣開冨埼号○口侭、昂雪︲忌呂ゞ この出版梵本の序説︵冒茸○号oは○口題しロ目○時答君国且§3︶において、倣天には1、学集諭︵大乗集菩薩学論︶、2、経集 諭︵留可四︲困目p8畠騨︶、3、入菩提行諭臼且冨8qい︲ゆく脾33︶の三著があり、1と3との序偶に同じ句があるので、1と 3とは共通の著者であることが知られ、3の剣﹂急﹄]gの中に、1と2とのことが側説せられているので、またこの三著 が同一著者の述作であることが知られる旨、述ゞへられている。 ②言.国.ロ.園○ロぃ①の英訳一五九頁の訳語を便宜上その幟、依用する。 ③岩波文庫︵忠謡l紹忠︶﹁般若心経・金剛般若経﹂八六頁。 仙冠導倶舎論巻九、一七左、舟橋一哉教授の﹁倶舎論の原典解明、世間品﹂一九七頁以下参照。 二二 二二 偶 、 一 五国︵己三8コ“画く呉習画 く 9

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1 て一般向な翻訳も刊行せられたのである。そして、それにいう処をみると、罪の峨悔というけれども$それは、個女の 罪ということよりも、我友の存在そのものが罪であるという告白であり、従って、それを峨悔し、それの救済を求め るということは、結局、われわれの三有的な迷いの存在一UgくPの批判が述令へられているということである。 但、入菩提行論は、第九章において、般若の慧の徳を説いていて、第九章以前の各章は何れもその般若の慧への 胃①息国威○口︵整術・準仙︶であるP従って、先の第二章の凰冨︲号曾画凶も、般若の慧が増上するための田地を清 めるという役目をなすのである。入菩提行論の第九章は、是の如く般若の慧を説くのであるから、教学的な形態に関 わる限り、般若の慧が卒直に附顕せられていない諸教学の批判というものがそこに展開せられている。すなわち、般 若の慧を直裁的に開顕する役目を荷負されるものとしての中観派の寂天は、そこに声聞乗や大乗唯識説や、z薗菌︾ 蟹巨台冨等への教学批判を展開して、中観論としての形態を能く表わしている。 そういうようなわけで、第二章の﹁罪の告白・峨悔﹂というわれわれの三有的な存在︵冒騨ご画︶の批判は、第九章 における法・存在の一般的な形態としての弓冒ぐ沙﹂に対する諸見の批判において、その完成を遂げるという意味が そこに観取せられ得る。そこに、峨悔・罪の告白ということの教学的な形態の形成が成立し得るのである。先の大乗 集菩薩学論で言えば、四法の中の②対治行の中の﹁信解空性が罪業を清浄ならしむ﹂といった、信解空性が教学的に 論述せられるならば、この第九章の形態をとることになるのであろう。 大乗集菩薩学論の梵文校訂出版者が指示したように、寂天の述作として$大乗集菩薩学諭よりも入菩提行論の方が 後に述作せられたことが判るのであるから、先に述べた大乗集菩薩学諭における﹁罪障清浄﹂ということも、要する 処は、入菩提行論において、いまいう如き意味に結帰せしめて了解してもよいわけである。 すなわち、隙摩屏少目幽︵く副色目十四︶が、忍厨凹員只く界四日+gとなるところに、大乗佛教の勝義としての峨悔 の意味の完成がある。この忍とは固より、忍について、安受苦忍、耐怨害忍、諦察法忍という中の諦察法忍Ⅱ無生法

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忍︵斡国員冨甚︲目日日四︲厨圏巳の忍である。この肝四日四←肩自蔵という過程の厨秒目四は、先にいうが如く三有的 な存在含冒ぐ四︶の批判であるから、これは人無我であり、屏画昇昌は、匡国ぐ四Ⅱ号胃目幽の批判、即ち法無我であ って、これを人無我的なものより法無我への展開という形態に了解することもできる。望月佛教大辞典の示すところ によると、摩訶止観第二の上に、随事分別隙悔と観察実相峨侮との二つがある。即ち事倣と理俄とであって、前者は、 身に礼拝恭敬し、口に称唱讃諭し→意に聖容を存想して、三業に哀を求め三世の罪業を隙悔するというから、是は特 に、かの大乗集菩薩学論に種女列挙せられたような峨侮の形態であり、入菩提行論第二章のそれである。そして理戯 とは、本性空寂を了することであると述べている。そこでそれを事と理、などと分けてしまわずに、入菩提行論に見 られる如く、肩四日“から扇習氏へという過程の上で了解してもよいわけである。 聖提婆の四百論第八章によると、すべての行業は空の正修行なるものの基礎づけを待って‘それらの行業の意味が 成立せしめられる。反而からいえば;すべての行業は空の正修行の方便となる。といっているが、そういうことをい まも入菩提行論の第二章から第九章へ、即ち、肩四目四←屏凹員]の過程において見ることができるのである。大乗、 特に中観の諸教学は、そういうようにす雲へてを般若の智見という点において観察して行くのである。 註仙この書の為の参考文献については、サーラ叢書9﹁さとりへの道﹂金倉円照訳︵平楽寺書店、一九五八年︶参照 、、、、 さて、教相という形態で推究して行くと、そういうことになるのであるが、先の大乗集菩薩学論の身の清浄という ことを﹁身を捨てる菩薩の宿願の成就﹂という意味に表わして行こうとした寂天の意趣を契機として、この隙悔とい うことに関して、更にあらたな教学史的展開の面があることを掬み取ることができるようである。それは、いまは、 身の清浄という語によって表わされている﹁峨悔﹂ということが、菩薩の本願という点から見て、如何なる教学史的

六罪の繊悔と普賢l華厳経と無量寿経I

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な展開を遂げているかということである。 それの手掛りともなるべきものは、先の入菩提行論第二章の峨悔において、﹁罪の怖れにおののいて、多くの菩薩 に救助を求めること﹂が説かれた中のその最初に、普賢菩薩の名が出されているということである。実にインド佛教 思想史の上において、この普賢こそは、峨悔に関して重要な役目を有する菩薩として、思想史の上に応現するのであ る。そのことを詳細に論述した興味ある研究は、故本田義英博士の法華経論である。 この研究によると、華厳の一経は普贋の行願に終始しているが、普賢の思想の最も顕わに出ている入法界仙が、普 賢行願品と名づけられる四十華厳となるに及んで、入法界品にはない一章が加えられて、普賢の行願が最も具象化す るに至っている。その四十華厳における普賢の行願は十種に総括せられるが、その第四が業障繊悔である。その業障 峨悔は、八十華厳などにおいては空三昧、即ち理餓悔・無相繊悔であったものが、四十華厳のそこでは、佛菩薩の前 に清浄三業をもって誠心に隙悔し、悪業をまた造らずというような語で述べられて、峨悔が具象化し、普賢がその俄 悔の権化となっている。そこで、隙悔の権化としての普賢は、人間の業障を悉知しているわけであるから、人間の業 障救済の可能不可能は、一に普賢に依存することになる。こういう業障慨侮の権化としての普賢は、文化史上、四十 華厳に先立ってその経典が成立したと見られる三曼馳陀羅︵留日鱒匡冨︲9画日四︶菩薩経や法華経の普賢品︵普賢菩薩勧 発品︶、及び直接その普賢師を受けている普賢観経などの上に発展的に一連に見られる処である。その系統の最後に 現われたと見られる普賢観経においては、慨悔の内容が余程多様に出ている。そして峨悔の功徳としては、古い三曼 鼬陀羅菩薩経や四十華厳では極楽往生が出されてあり、法華経の普賢Mでは普贋の現其人前であり、普賢観経では普 賢の境地に至ることであると説かれている。かくの如く、倣悔滅罪がこれらの経典の中心思想であり、それが普賢の 行願によって誓われ、普賢がそれの支配者であり、権化であるということは、罪業の陣ある人間が普賢の行願によっ て倣悔せしめられ、それによって、業障から度脱せしめられるということで、繊悔を中心とした最も宗教的な形態が

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さてそういう文殊から普賢へという過程、慧から悲への過程こそ、実に大乗佛教が開顕せんとする本旨であって、 普賢の行願の成就は、それ故にその本旨の完成である。所謂の文殊の現われる境地とは、能所心行の寂減せる空真如 が了知せられる般若の開発せられた見道であるが、その般若空智が、般若空智の真義を成就するということは、般若 空智のままに凝滞せずして、般若空智が限り無き有執の世界を対象とし、有執の世界へはたらき出るということであ る。それは般若空智が有の世界を対象として般若空智自らを訓練し修習するということで、それによって、般若空智 は愈左増上し、有の世界は空ぜられ、有執の概濁は浄化せられる。有執の械濁が浄化せられるということは、有執の 凡夫が慈悲を蒙むるということで、般若空智が増上する程、有執の凡夫が慈悲に浴すること愈友深厚なるものがある。 かくの如くして般若空智が増上する程、それは有の世界に浸透するのであって、般若空智の増上する究極は有の世 、 界が全く般若空智化せられるということである。それは空無が有との一味に到達するということで、そこに智慧と慈 悲との円満があり、佛道の成就、成等正覚がある。それは無が有へ、そして有が無へ、の入出往還が無碍なる境地で ある。そこでは最も有的なものが、最も無的空的な展開を懐むのである。最も有的、最も凡夫的な形態としての、 所謂、称え易く保ち易い言葉としての名号の成就が、そのまま虚無之身、無極之体なる平等一加の証へと展開する 日○日の耳である。最も凡夫的な形態でありながら、その凡夫的な形態としての無始以来の有執を推破する処に、最 も慈悲的であり而も智慧的な悲智円満の正覚の成就がある。それは智慧の文殊が慈悲の普賢へと到り届いた境地であ って、すなわちそれが普賢の行願の成就である。 そういう意味によって、華厳経においてその根源の極められる餓悔の宗教としての普賢の行願の成就は、無量寿経 における法蔵菩薩の本願名号の成就という形態で顕わされ得るのである。華厳経と無量寿経とは、それぞれの形態に を取るのである。 そこに見られるということである。そしてそれが、.智慧の文殊から慈悲の普賢へという華厳経の入法界品におい、て源 1 つ 1 0

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尚、本田義英博士の法華経論によれば、餓悔に関しての普賢について、普賢がわれわれの業障を悉知し、業障を左右 やわ する上よりして、普賢の意を和らげれば、業障消滅し、逆えば業障現われるとする信念から、普賢が怖畏の念をもって 迎えられることが、歴史上に表われている。即ち慈悲の普贋が他方において、鳥目○昌○な普賢の態を取っているこ とである。学者はそういう号目○日cな普賢の起源を、シ目騨う色︲ぐの§の神話などに求めて解釈することになってい る。それはそれとして、慈悲の普賢がそういう怖畏的なものと見られるのは、普賢の慈悲ということは、同時に智慧 の究極であるからである。その智慧とは有執を推破する力であるから、有執の立場であるものとしては、その智慧と は限りなき怖畏のひらめきである。空ということが、有執にある者にとっては〃怖畏の深坑″として怖れられている と説かれるのと同じ意味のことである。有執にある者が、峨悔を致し空三昧に入るということは、有執を立場とする 限り、有の立場からつき離されるという怖畏そのものでなければならぬからである。それ故に、怖畏の念をもって迎 えられる烏冒c巳Cな普賢こそは、実は慈悲の普賢であって、それがシ昏閏く餌︲剣の§の月日○巳cな神に起源を発す るということは、佛性が歴史的世界へ応現する立場から見れば、そういう神話に準備せられて、悲智円満の普賢が歴 史的世界に応現してきたということである。号目○巳oな神次の歴史が、かくの如くして、佛教史中のものとなるの である。凡そインドにおける密教的go目①具は、かくの如き意味において、歴史的世界に現われてきたったものと

考えられる。︵昭和二十一年二月二十五日、大谷大学、大谷教学研究所にて︶

聿号﹄えず夕。 へ展開する意味が究明せられ、それが体系づけられることが、慨悔の問題についてのインド浄土教学のⅢ匙であると おいて、佛性が歴史的世界へ応現した相であるが、その華厳経における佛性の応現が、無量寿経における佛性の応現

七密教的普賢

参照

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