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〈研究論文〉フィヒテ哲学への序論および入門--その意味と課題

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Academic year: 2021

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(1)フィヒテ哲学への序論および入門. 1. フィヒテ哲学への序論および入門 ―その意味と課題―. 阿部. 典子. Fichtes Einleitung in die Wissenschaftslehre ―Bedeutung und Aufgabe der “Einleitung”―. Noriko ABE. 1.はじめに ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは 1762 年に生まれ、イェーナ大学、エル ランゲン大学、ケーニヒスベルク大学、続いてベルリン大学に勤めたが、1814 年に急逝し、ベルリン大学での講義は中断という形で終わることになった。講 義の多くはフィヒテ自身が自分の哲学に与えた「知識学」という名称を含むか、 あるいは、「知識学」の原理に基づいた内容であった。講義のほかにも出版物や 雑誌への投稿論文によってフィヒテは自分の哲学を公にしていった。 最初の出版物は 1792 年の『あらゆる啓示批判の試み』で、これによってフ ィヒテは当時の哲学界にデビューし、大きな成功を収めた。続いて数本の論文 を匿名で著した後に、フィヒテは哲学の根本原理に思い至り、その原理に基づ く哲学体系を「知識学」と名づけることになった。そしてフィヒテはその生涯 を「知識学」に捧げ、「知識学」を通じて社会に関わることになったのである。 フィヒテが最初に教鞭をとったのはイェーナ大学であるが、そこへの招聘状 をフィヒテが受け取ったのは 1794 年初頭であった。このときすでに「知識学」 の根本原理はフィヒテに明らかになっていたため、当時滞在していたチューリ 近畿大学工学部教育推進センター Center for the Advancement of Higher Education, Faculty of Engineering, Kinki University.

(2) 2. 阿部 典子. ッヒの著名人たちに「知識学」の講義を行ない、それを『知識学あるいは哲学 一般の概念について』として出版することができた。イェーナには同年 5 月 18 日に到着し、最初の公開講義『学者の使命』は 23 日に行なわれた。イェーナ の最大の講義室も狭すぎるほどの人気で、前庭にも聴衆が押し寄せるほどであ ったという。ついで「知識学」の講義が始められた。 このときのフィヒテにとっては「知識学」の準備は全く不十分としかいえな いものであった。それは「知識学」が哲学体系としてまだ未完成であるという のみならず、それを講義で伝えるための準備もできていなかったからである。 フィヒテは「知識学」の完成のためには職に就くことさえ先に延ばしたいとい う気持ちにさえなったのであるが、結局、「講義の間、聴講生のための原稿とし て、テキストを一枚づつ手渡していく」(1) という方法を考え出し、講義を始め たのである。このテキストをまとめたものが 1794 年の『全知識学の基礎』と なった。 1794 年の「知識学」の講義および『全知識学の基礎』の評判は一様ではなか った。熱狂的な信奉者も現れ、その中には共に哲学を語った後に敵対すること になるシェリング(1775-1854)や、ドイツロマン主義の文学者たちの姿があ った。その反面、啓蒙主義やカント哲学の立場からの批判は厳しいものがあっ た。もちろんフィヒテ自身も上述の理由による『全知識学の基礎』の叙述の不 備はよく理解していた。そもそも『基礎』はフィヒテが「聴講生のために書い た」(I-4,S.183)ものであり、講義であるために聴講生に対しては十分な理解 が得られるまで説明をすることができたとフィヒテは感じていたが、他方で、 著作の読者からは「冷笑と悪口、…嫌われていること、理解されていないこと」 (S.184)を聞くのみであったと感じざるをえなかった。それゆえ、叙述の不 備を改め、さらにフィヒテが見出した根本原理を人々の理解にもたらすために、 入門的な著作を著す必要性が生じたのである。以下ではその入門的講義におけ る意味と課題、そして「知識学」とは何かということをフィヒテの叙述にした がって確認してみたい。 2.『知識学への第一序論』 1797 年フィヒテは『知識学への第一序論』(2) を『哲学雑誌』に掲載した。 これは「知識学」の著作が理解されていないということに対して、フィヒテが その責任を負おうという意図をもって書かれたものであり、しかも「自分の認 識が確かなものなのか疑わしいものなのか…ということに対して感覚を持って いる人たち、学問と確信を重視し、それらを求める生き生きとした情熱に駆ら れている人たちのため」(S.185)だけに書かれたものである。つまり「哲学の.

(3) フィヒテ哲学への序論および入門. 3. 初心者」に対して書かれたのである。それゆえ、哲学とはどのようなものであ るか、哲学の問いに答えるためにはどうしたらよいかが詳しく示されている。 具体的には以下である。 哲学の初心者に対してなされる最初の課題は、「君自身に注意を向けなさい。 君の目を、君を取り囲む全てのものから転じて、君の内部に向けなさい」 (S.186)というものである。フィヒテにとって哲学とは「経験の根拠を示す」 ものである。経験の根拠となる可能性があるものはフィヒテによれば自我か自 我の外に存在すると思われる物かのどちらかである。自我を根拠として経験を 説明する哲学体系は「観念論」であり、物を根拠として経験を説明する哲学体 系は「独断論」と呼ばれる。これら二つの体系の相違は、自我の独立性をとる か、物の独立性をとるかということに帰着する。フィヒテは、どちらも相手を 直接に論破することはできないとしながら、観念論の立場の優位を説く。 いずれも相手を論駁できない理由は、もはや何ものからも導出することがで きない第一原理に関する争いだからである。それゆえ思弁的には両体系は「同 等の価値」(S.193)を持つかのようにさえ見えるのである。観念論は自由に働 く「知性」(S.188)を意識の中に示すことができ、これを第一の根拠となす。 知性の存在は独断論者といえども否定できない事実である。しかし独断論者は この事実を独断論者の主張する第一根拠としての物の所産とするのである。さ らに独断論者は意識の中に出現する全ては物の所産であると主張する。それゆ え、この二つの体系を折衷することは不可能であり、その結果、経験の根拠を 示すためには、両体系のいずれかを選ばなければならないことになるのである。 この二者択一を決定するものはフィヒテによれば「傾向性と関心」(S.194) である。独断論者の原理は「物への信仰」であり、「客観によって支えられてい るだけの自己への間接的信仰」である。しかし、「自分の独立性…を自覚した人」 は自己を支えるために物を必要としない。物はむしろ自己の独立性を奪い去る ものとして捉えられるのである。このような人の「自分自身への信仰は直接的」 である。このような論述の中で、フィヒテの有名な言葉が語られる。すなわち 「人がどのような哲学を選ぶかは、彼がどのような人間であるかにかかってい る」(S.195)のである。というのも、哲学は「それをもっている人間の魂によ って命を吹き込まれるからである。」このようにして『第一序論』では哲学の初 心者に対して、観念論としての「知識学」の立場が明示され、まず自分自身の 内面をしっかり見つめる必要があると説かれる。 さらに、晩年の「知識学」にまで通じる観点が見出される。それは「知性は、 知性であるかぎりにおいて、自己自身を見つめる」(S.196)という一文である。 もともとフィヒテ哲学研究においては、生涯にわたって何度も執筆された「知 識学」におけるフィヒテの立場は一貫していたのかあるいは変化していったの.

(4) 4. 阿部 典子. かという変説問題が取り上げられることが多いが、知性(あるいは自我、知) は自己自身を見る、という主張はその表現そのものが最初の「知識学」から晩 年の「知識学」にいたるまで一貫している。そしてこの「自己を見る」という 表現において言われている内容も初期の『第一序論』から晩年にいたるまで一 貫していると思われる。 それは、知性(あるいは自我、知)は自己自身に対してあり、この対自存在 というあり方において存在することと見ることとが直接的に一体化していると いう主張である。知性は活動であり、意識の中に現れる全ての表象はこの知性 の活動から説明される。そして、例えば世界についての表象は規定されたもの であるため、この知性の活動も規定されていなければならないと考える。知性 は本来自由な活動であるが、しかしその自由な活動において知性自身の働きは 必然的なものとして明らかになるのである。この必然的な活動すなわち知性の 法則をフィヒテは明らかにしようとするのである。これが「批判的あるいは超 越論的観念論」(S.200)の立場である。この点においてフィヒテはカント哲学 との同一性をみるのである。 『第一序論』で示されたように、自己の内面を見つめ、自己である自我の独 立性と根源性を確信することができるならば、その自我を根拠として経験界を 明らかにするという哲学の果たすべき課題に進むことができる。その課題の遂 行が『全知識学の基礎』となっていたのである。 3.『知識学への第二序論』 『第一序論』を出版した 1797 年、フィヒテは続いて『知識学への第二序論』 を同じく『哲学雑誌』に掲載する。『第一序論』が哲学の初心者に対して書かれ たものであるのに対して、『第二序論』は「すでに哲学体系を持つ読者のために」 (I-4,S.209)書かれた。「知識学の全構造と意味は、既存の哲学体系の構造と 意味とは全く異なっている」とのフィヒテの確信の表れである。フィヒテによ れば、既存の哲学体系は「何らかの概念から出発」し、したがって「死んだ概 念」を対象にする。それに対して「知識学」は「哲学者がただ見つめているし かないような、生きた活動的なもの」を対象とする。それは「自己自身から、 自己自身によって認識を産出するもの」である。この「生きたものを合目的的 に活動させ、この生きたものの活動を見つめ、この活動を理解し、ひとつもの として把握する」ことが哲学者の行なうべきことであるとフィヒテは考える。 そしてこのような「生きたもの」が自我であり、知性であり、あるいは知と呼 ばれる。 それゆえ読者に対してなされる第一の課題が「君自身を考え、君自身の概念.

(5) フィヒテ哲学への序論および入門. 5. を構成しなさい。そして君がこれをどのように行なうのかに注目しなさい」 (S.213)という要請になるのである。この課題を遂行すれば、知識学が対象 とする自我がどのように存在するのかという答えが生じる。すなわち、読者が そこに見出すのは「自己に還帰する働き」である。より正確には「自我は自己 自身に還帰する」ということが見出されるのである。フィヒテは生きた活動そ のものに働きかけるこのような活動においてのみ、そもそも自我が生じると捉 え、その理解のために課題の遂行を各人にまず要請したのである。 フィヒテは自我が成立するこの働きは、まず「直観」 (S.214)であると捉え た。この状態にとどまるならば、それは「意識ですらなく、自己意識では決し てなく」、ただそれらの可能性の状態が開かれたにすぎない。この働きが意識と して捉えられる、すなわち概念把握されるためには、 「非我が対立することによ って、この対立のなかで自我が限定されること」が必要であるとフィヒテはみ る。この自我と非我との限定関係において、哲学の課題である経験の体系の導 出が確認される。 フィヒテの要請にしたがって哲学者が自分自身を考え、その概念を構成する ならば、そこに自我が生じる。その時、当の哲学者自身はどのようであるだろ うか。自己自身に対して生じる自我は、哲学者自身の自我と異なることはない。 フィヒテの要請にしたがう以前に事実としてあった自我が、実は自己自身を構 成することによって生じた自我であるということが捉えられたにすぎないので ある。 フィヒテはここで、哲学者としての自我が自己の内面を見てそこに自我の成 立をみる、ということの客観性を次のように示している。私が私に対して存在 することは紛れもない事実である。そして私すなわち自我は自己内還帰の働き であり、自己内還帰の働きの概念は自我の概念である。それゆえ、自己内還帰 の働きは「本性上客観的」であるといわれる。そして、これは「意識の直接的 な事実」である。(3) そもそも自己内還帰の働きによって自我が成立し、したがって自我にとって は必然的であるこの働きにおいて、哲学者は自我をすなわち自己自身をみる。 哲学者は「自己の行為を直接的に直観」し、そこに自我の本質を見出す。「真の 本質を捉えるためには我々は直観に頼らざるをえない」とフィヒテは語る。そ して、自我が生じるこの直観が「知的直観」 (S.216-7)と名づけられる。これ は意識の事実であって、この事実を根底において体系的に経験界を明らかにす るのが「超越論的観念論」 (S.216)の立場であり、それを遂行したのが『全知 識学の基礎』にほかならない。 『全知識学の基礎』の叙述の不十分さはフィヒテ自身にも十分に理解されて.

(6) 6. 阿部 典子. いたが、『基礎』に対する批判はそれに留まらず、おそらくは「自我」を経験の 根拠とし、ひいては絶対化するという、フィヒテ哲学のもっとも基本的な姿勢 に関するものであった。それゆえフィヒテは、自我を根本とすることの正当性 を『序論』というタイトルで詳細に述べ、「君自身を見なさい」と、哲学の初心 者に対しても哲学者に対しても要請したのである。 4.『知識学入門講義(1813)』 フィヒテはエルランゲン大学とケーニヒスベルク大学での短期間の就任を経 た後、新たな教育施設を設立するためにベルリンに戻った。そして 1810 年に ベルリン大学が開設されると、フィヒテは総長及び哲学部長として重責を果た しながら、再び「知識学」の講義を始めたのである。そして、1811 年、1812 年、1813 年と「知識学」およびその原理に基づく講義を行なった後、1813 年 秋に再度『知識学入門講義』を開講していた。以下で、その意味と課題を確認 してみたい。 『入門講義』の冒頭には、「知識学」は「その出現以来 30 年間全然理解され ていないといってもいいくらいである」(II-17,S.233)とある。フィヒテが最 初に「知識学」を世に問うて以来、数多くの「知識学」を公にして、それでも なおフィヒテ自身がこのように語らなければならなかったのはなぜだったのだ ろうか。フィヒテには「知識学」の「根本原理を理解し、所有し、使いこなす 者は皆無」であるとしか思えなかったが、それでも人々は「知識学」を理解し、 あるいは超えたと思い込んでいるようにみえた。もし人々が誤解によってそう であるならば、フィヒテはそれを改めなければならないと感じたのである。そ れは「知識学」の誤解が悪影響を及ぼすのみではなく、「知識学」を正しく理解 し遂行するによって「人間の改造」 (S.235)が行なわれることをフィヒテは期 待したからである。 「知識学」が理解困難である理由をフィヒテは、「知識学」には「全く新しい 内的な感覚器官を前提する」ことに指摘する。フィヒテによれば、あるがまま の自然的人間においてはこの感覚は働いてはいない。しかしながらこれは特別 な 人 間 に 特 権 的 に 存 在 す る 感 覚 器 官 で は な く 、「 人 間 の 本 質 と 不 可 分 」 (S.235-6)であって、全ての人間に存在する。そしてフィヒテはこの感覚の 力こそが「人類を存在せしめる偉大なもの、優れたもの」 (S.236)であるとさ えいう。それゆえ「知識学」の第一の仕事はこの「感覚を人間のなかに呼び覚 ますこと」(S.235)となる。このことを別の表現でいえば、「知識学」は自然 的人間の普通の知覚にかかわるのではなく、むしろ「自然的人間の自己意識を 新たなより包括的な知覚に拡大」することにかかわる、ということである。そ.

(7) フィヒテ哲学への序論および入門. 7. れは「人間をその自然的で与えられた現存在を超えて、自由の存在へ、及び自 由の自覚に拡大すること」を意味する。したがって、新しい感覚とは「自然の 彼岸にある自由と生命」 (S.240)への感覚であり、フィヒテはこれが自然把握 の根拠と捉えていたのである。この感覚が呼び覚まされるならば、そのことに よって自然ひいては経験の捉え方が自然的人間とは異なってくるために、「人 間の改造」といわれるのである。 フィヒテによれば、自然的感覚における認識は「物は存在する、物はかくか くである、そしてそれでよい」というものである。この感覚の人たちは「物を 直接に知覚していると信じ」(S.243)ており、またそれ以外には信じることは できない。見たり、聞いたり、感じたりすることが物を直接に意識することで あると捉えているのである。フィヒテはこのようなあり方は「精神的盲目性」 (S.241)であるとさえいう。根拠への洞察に対して目を閉じているとみなさ れるからである。そしてこれは物に拘束され束縛されたあり方に他ならない。 しかし、人間の存在とは、そもそも「見る存在であり、意識した存在」(S.242) である。自然的感覚における「見る作用」(4) そのものはさらに見られなければ ならず、これが自然的感覚の束縛からの解放となり、また根拠を求める姿とな る。新しい感覚はこの「解放」( 5 ) から生じ、そして正しく「自覚」(S.243) と呼ばれる。 そこで明らかになるのは、次の新たな見方である。すなわち、自然的感覚に おける見る作用は外的対象に向けられている。その見る作用そのものを見る、 したがって見る作用が見る作用そのものに目を向けることになる。そこに見出 されるのは「直接的な自己自身の直観から推論された、ひとつの自己限定」と しての見る作用である。直接的なものは見る作用そのものであり、見る作用に 対応していた自然的感覚における外的感覚は、見る作用というひとつの働きに 対応しているかぎりでのものになる。それゆえ、自然的感覚において物として とらえられていたものは、実は見る作用によって媒介されたいわば間接的なも のとなる。それゆえ、我々に直接に明らかになる「見る作用」に対する感覚が 「新しい感覚」であり、フィヒテによればこれが「精神」(S.246)に対する感 覚である。それゆえ「知識学」にとって存在するものは精神であり、自然的感 覚における物は自体的な物としては否定されて、その「成立」において考察され ることになる。 次にフィヒテが明らかにするのは、この新しい感覚に対して開かれる新しい 世界である。新しい世界の構成である。フィヒテはその例として「三角形」 (S.256)を考察する場合を挙げる。例えば千個の三角形を観察し、その中に 二つの鈍角または直角を持つ三角形が存在しないことを偶然のこととみなすな らば、この考察はその場の観察に依存する見方となる。そしてこの見方からは.

(8) 8. 阿部 典子. 学としての数学は成立しない。このような見方で経験界をとらえるのが、自然 的感覚の見方である。 しかしながら、千個の三角形の中に二つの鈍角または直角を持つ三角形が存 在しないことは偶然ではなく、そもそも三角形はそのようにはありえないので ある。三角形を構成する際に、ある線分の両端から鈍角または直角となる線分 を引くならばその線分は交差することはなく、三角形とはならないからである。 これは「三角形そのものの存在によって、その本質と概念によって制限されて いる」 (S.257)ことである。我々が具体的な三角形を観察するときにはその特 定の三角形を構成しているのであるが、その構成は三角形一般の概念に制限さ れ、それゆえ同時に三角形そのものを把握しているのである。このように捉え るときに新たな感覚の世界が開かれる。これは従来の表現では「思惟作用」、「概 念作用」、「知」の構成である。三角形の場合に、具体的な三角形に接して、同 時に自由にその具体的三角形を越え、その可能性において考察するときに、具 体的な三角形は、三角形一般の模写となるのであり、この事態と同様のことが 「知」等々の作用においても形成されるのである。「知」においてもまた、「規 則にしたがって実行されたこの構成作用において、ただそうである、という洞 察をえる」(S.258)ことが期待されるのである。 それゆえフィヒテは「最もよい導きがある場合においてさえも、自己自身に 対する不断の注意が必要である」 (S.261)という。それは、同時に「自由な構 成の能力を規則にしたがって展開する術」であり、しかも「この構成を明証性 の場所に到達するまで遂行する」術である。その時に、その人には「知識学」 が理解されることになるとフィヒテは期待した。教師としての立場にあるフィ ヒテは、「知識学」を聞く聴講生の中にいるかもしれない「全力を研究に傾注す る気持ちもなければ真剣さもない者」 (S.264)に対して、そのような態度での 研究は「無益であるのみならず、有害にさえなりうる」と忠告を発し、「全身全 霊をもってこの教えに没頭するひとであるば、その人を改造していたであろう」 と述べるのである。 フィヒテが聴講生に要請する態度で講義に望むならば、その時に新しい感覚 が目覚め、今まで在ると捉えられていた存在の構成作用に目が向けられ、その 結果、存在は我々にとって直接である感覚に基づく判断であるということが分 かる。そして、その直観を自らのうちに持つことになるのである。この新しい 感覚における存在理解をフィヒテは「知」の観点から次のように示す。 新しい感覚においては、今までの自体的に存在すると信じられた存在は、感 覚による構成であるということが分かる。これは「存在」と「存在すると言う」 ということとの相違において考えられる。存在そのものには存在の言表は含ま れないため、存在にとって言表の働きやその結果の存在は、存在そのものの外.

(9) フィヒテ哲学への序論および入門. 9. になる。「外」と捉えれば、存在そのものは「内」となる。我々の見る作用、理 解する作用、そして、存在は、たとえばこの「外」と「内」のように、或るも のは必ずそれ以外のものを通じて捉えられる。すなわち「いずれも他者を通じ て(durch)のみ自己の規定と特性をもつ」(S.272)のである。フィヒテはこ の「通じて(durch)」という前置詞を大文字化して、名詞として使用する。そ して、この「通じて(durch)」が人間の見る作用の本質的あり方であり、した がって存在の本質的あり方であると特徴づけるのである。それゆえ、経験界は この「通じて(durch)」において成立している。フィヒテが経験界の根拠とし てあげる自我の働きが「通じて(durch)」であり、それゆえ、自我が見る経験 界が「通じて(durch)」によって明らかになり、さらには、経験界の個物も同 様に「通じて(durch)」の構造において理解されることになるのである。この 構造の詳細な解明により経験界を構成していくことが『知識学』においてなさ れている。 5.おわりに フィヒテは「知識学」を明らかにした後に、その序論や入門を書いている。 それは「知識学」に向かう姿勢を確認するためのものであり、より正確には、 各人が自分自身の内部に「知識学」を生じさせるための基本姿勢を示したもの であるといえる。フィヒテにとって哲学は、論理的に整合性を保ちながら経験 界を明らかにするものであるのみならず、それは経験界に生きる人間の生き方 に直結するものだからであった。人間にとって真である事柄とは、その人間の 生き方に直結するものであり、場合によっては生き方をかえていくものである。 真を求める限りは「知識学」に到達するはずだとの確信に立って、フィヒテは 入門あるいは序論において、ただ自分の内面をみつめるように、と呼びかけた のである。そこにいたる、あるいはそこから展開される理論はフィヒテの叙述 にしたがって理解可能ではあっても、それのみでは不十分である。その直観を 自己自身で持つことが重要であると説いた。そこから「知識学」による「全人 の改造」が可能となるのである。 注 (1)J.G.Fichte: Gesamtaufgabe der Bayerischen Akademie der Wissenschaften, hrsg. von R. Lauth und H. Jacob, Stuttgart-Bad Cannstatt. Ⅲ-2, S.71。以下、同署からの引用は本文中にそのページ数を記す。また、同ページ からの引用が続く場合には、ページ数の記載を省略した。 (2)ここで序論と訳されているのは Einleitung である。1797 年の著作にお.

(10) 10. 阿部 典子. いては『知識学への第一序論』と『知識学への第二序論』と訳され、Einleitung を序論と訳すのが定訳になっている。また、1813 年の著作においては『知識 学への入門講義』と訳され、Einleitung を入門と訳すのが定訳になっている。 (3)この論法には循環が認められるが、フィヒテは自我をめぐる循環を積極 的にとらえ、循環であるがゆえにその根源性を認める。 (4)見るというドイツ語の動詞 sehen を名詞化した表現である。「見照」と いう訳語があるが、本論では「見る作用」や「見る」と訳して用いている。 (5)『第一序論』及び『第二序論』におけるフィヒテの第一の要請は「君自身 を見なさい」というものであった。『入門講義』では直接にこれが要請されるこ とはない。そうではなく、自然的と称される物の見方に拘束され束縛されてい る状態からの「解放」でよいといわれる。この解放が、そもそも「見る存在」 である人間にとっては同時に「自覚」につながるのである。もちろん『入門講 義』においても、たとえば「自己自身に対する不断の注意が必要である」とい う表現は随所に見られる。.

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