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東北大学における心理学研究室誕生と草創期実験機器をめぐって

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(1)

器をめぐって

著者

畑山 俊輝

雑誌名

東北大学文学研究科研究年報

69

ページ

280-244

発行年

2020-03-07

URL

http://hdl.handle.net/10097/00127287

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東北大学における心理学研究室誕生と

草創期実験機器をめぐって

畑  山  俊  輝

目   次 はじめに : 東北帝国大学における法文学部設置までの経緯 ────(2) I 東北帝国大学実験心理学の成り立ちと特徴 ──────────(3)  1 心理学講座設置の経緯  2 実験心理学研究室設置と研究体制  3 東北帝国大学における実験室設置前後の状況  4 研究室初期の教授陣と実験への態度 II 草創期の「実験機器」などの導入と保管の現状 ────────(9)  1 機材調達のはじまり  2 草創期の機器購入状況  3 機器保管の現況   4 機器損失 ・ 損壊の危機的事態 III 草創期「実験機器」の歴史化 :  いつ古典的機器と呼ばれるようになったのか ─────────(18) IV 第二次世界大戦前後の機器利用実態について ────────(22)  1 実験実習の内容および使用機器類  2 研究活動の推移と実験機器 おわりに ──────────────────────────(33) 注,参考文献 ────────────────────────(35)

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はじめに : 東北帝国大学における法文学部設置までの経緯 本論では,科学的心理学としての実験心理学が本邦に導入され独自の発展を遂げて いった過程をとおして,草創期の実験機器が果たした役割や意義について考察を加えよ うとするものである。ここで依拠したのは,東北帝国大学の心理学研究室開設とその後 の展開である。この研究室開設に注目したのは,本邦では東京帝大と京都帝大に次いで 3番目で,我が国への心理学導入が定着しつつあることを示唆する時期であったからで あるが,また,筆者が戦後の比較的早い時期にこの研究室に在籍し,当時の研究室の経 緯を知りうる立場にある一人だったからでもある。 東北帝国大学はまずは理科大学として設立されている。そこではじめに東北帝国大学 設置に至る経緯についてみておきたい。このことについて,東北大学 50 年史(1960a) によればその経緯は大略次のようである。 大学のなかった仙台に帝国大学を設置する案は明治政府によって検討されていた。開 学前の明治 30 年代には,本邦のすぐれた研究業績が理科学に多かったことや,それま で理科大学(ここで大学といっているのは今日の学部のこと)を有する大学としては東 京帝国大学のみであり,京都帝国大学は工科主体で理科大としては十分な要件には欠け るといったことなども考慮された。こうして政府主導の帝国大学の構想によって理科大 学主体の東北帝大は創られたとされる。こうして明治 40 年 6 月に本邦第三の帝大とし て,札幌の農科大学(10 年後,北海道帝国大学成立の基盤となる) を含む「東北帝国大 学」が仙台に誕生した。農科大学が分離独立する大正 6 年 (1917)頃までには,東北大 学の理科学拡充計画が進められている。並行して医科大学に続いて工科大学設置が具体 化していった。このような理系の拡充とならんで法文科大学設置への動きも進んでいく。 総合大学化への動きである。その背景には,第一次大戦後日本の経済力の高まりや民主 主義思想的な傾向の強まりなどがあった。文科系という場合,富国のために必要とされ たのは,法科と政治・経済学であったが,それだけでなく,国の指導者には高い教養も 求められるようになっていた。それが他の文系の学問を含む文科大学を求める大きい動 機となっている。こうして法文学部が設置される (大正 11 年) に至る。開設の背景につ いて五十年史は,明治 45 年購入の文系図書「狩野文庫」七万冊の存在を指摘している。 これは驚くべきことで,文系大学開設前に理系図書数を上回っていたからである。 東北帝国大学に文系大学を創設するにあたり,文部省は大正 9 年(1920)に,東北出

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身の憲法学者で京都帝大教授だった佐藤丑次郎を内命し,東北帝大における業務に当た らせた。彼は創立委員会の委員長を務め,法文学部開設にあたって多くの業務をこなし, 開設時には学部長になる。佐藤 (1953)によれば,法文学部を立ち上げるのに幸い予算 面でも人材の面でも比較的恵まれたとされる。また,第一次世界大戦後の民主主義的な 傾向や社会主義的思想などが進んだことも文系学部立ち上げに有利に働いたと考えられ ている。開設されたのは 8 講座あり,憲法学 1,民法学 1,経済学 1,史学 2,哲学 1, 印度学 1,そして心理学 1 であった。このように心理学は創立時から組み入れられた。 組み入れられるにあたっては,先行していた東京帝国大学と京都帝国大学の文系のカ リキュラムが大きい役割を果たしていたと考えられるが,文系の中に心理学が組み入れ られるに至る経緯は五十年史では述べられていない。そこでこの点について若干の考察 を加えてみたい。 I 東北帝国大学実験心理学の成り立ちと特徴 1 心理学講座設置の経緯 心理学は,江戸から明治期にかけて日本の伝統的な学問と直接の関係があるわけでは なかった。導入するにしても,なぜわが国がドイツを中心とする実験心理学主体の科学 的心理学(今日では近代心理学といわれることが多い)に注目したのか,その背景には どのようなことが考えられるのであろうか。 わが国では明治 30 年代に最も早く心理学研究室が設置された東大の場合も,その設 置の積極的理由は明確ではない。菅野 (2007) によれば,明治政府は心理学に特に注目 していたわけではなかったようである。心理学の導入にあたっては各大学の判断に委ね ていたと思われる。その際,佐藤(2002)が注目するのは,当時のドイツで近代心理学 が勃興していたことや,幕末には西周らによって心理学関連情報が導入されていたこと である。 明治政府が心理学を大学や師範学校へ導入することを容認していた背景には,富国強 兵を志向する明治政府が,プロイセンの医学や軍事などの導入を積極的に図っていたこ とがあると考えられる。特に 19 世紀においてドイツの基礎医学がめざましい発展を遂 げ,その中から近代心理学が誕生していたこと,さらに,フランスに見切りをつけてプ ロイセンからの軍事思想を導入して,日清・日露の戦争に勝利したことなどが,明治か

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ら大正期にかけてわが国が大きくドイツに傾斜する契機になったといえよう。こうした 背景が,ドイツの近代心理学をわが国の教育界へ導入しやすくしたと考えられる。 ドイツが第一次大戦の敗戦国になった直後の 1920 年に,京都帝大から在外研究員と して旅立つに際して,千葉胤成はヴント亡き後のライプツィッヒへ赴くことをためらわ なかった (千葉,1972) 。彼は固有の存在としての人間を全体としてとらえる視点から, クリューガーの研究室を中心に 2 年有余の期間,研究や見聞に努めている。その心理学 の立場は,理論心理学や深層心理学といった,いわば基礎心理学に依拠している。この 在外研究員の期間中に,新設された東北帝大心理学講座の教授として内命を受けている。 その際,佐藤丑次郎が講座担当者として千葉を適任者と考えたのは,科学的心理学より は,日本文化・芸術,そして深層心理に強い関心があることに注目していたからである。 しかし,このことは第一次大戦後の国家・社会が心理学に期待し思い描いていたのとは いささか異なっていたようである。 どのような心理学が期待されていたのかを知る上で参考になるのは,この当時,東北 帝大理科大学講師だった哲学者の田辺元が,大正 8 年の年頭にあたり河北新報 (1933.1.2.)に寄稿した「欧州文明の将来と思想問題」の中での指摘である。「今後学問 上いっそう期待されるのが,自然科学だけでなく政治学・経済学などの社会科学である」 と述べた後,「心理学の如きも種々の心的作業の能率増進を計るために応用方面におい て飛躍をなすことと思われる」として,実用主義思想に合致する分野として心理学を位 置づけている。 千葉胤成が東北帝大の心理学講座担当教授に着任するにあたってこうした事情も当然 念頭に置いたと思われる。後に,応用方面の授業担当者に二高教授の栗林宇一を起用し ているのである。 2 実験心理学研究室設置と研究体制 千葉教授が着任し授業が開始された大正 12 年,最初の研究室は仮住まいであった。2 年ほど経った大正 14 年 12 月に,新研究室と実験室が設置された法文第一研究室への移 転が行われ,心理学の実験が可能になった。実験心理学研究室 (最初の研究室と新研究 室の建物については丸山 (1999) に詳細な記述がある) の誕生である。この研究室は仙 台空襲にも耐え,昭和 48 年 (1973) の文学部の川内移転まで使われた。その間,東北帝 国大学は新制の東北大学へと制度変革し,心理学講座を含む法文学部の改組も行われた。

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ここで,この改変に至る経緯について触れておきたい。 設立当初の講座は前述のように 8 講座であった。講座増設は法文第一研究室への移転 が始まる前までに引き続いて行われ,予定されていた 43 講座すべてが設置されている。 この学部の特色は,学生が法文系の諸科目を選択履修できることにあったが,卒業時の 学士号は法文学士ではなく,修得した単位が法・文・経いずれに重きが置かれているか によって,異なる学士号が与えられた。つまり,学生は卒業までの履修期間に自分の進 むべき道を定める方針がとられた。 最初の卒業生が誕生したのは,大正 15 年 3 月であった。卒業生は 76 名で,法学士 53名,経済学士 12 名,文学士 11 名 (女性 2 名を含む) と記載されている。心理学研究 室からは女性 1 名が卒業した。この修学方法はしかしながら,昭和 8 年 (1933) になる と履修規定の改正により見直しが行われ,法文学部が法・経・文の三学部に分かれる兆 しを示すこととなった。それは,学生の単位履修の仕方がまちまちになる傾向があった り,広く浅くなる傾向や,逆に極端に偏る傾向があったりしたことなどが指摘されたた めであった。実際,三学部は戦後独立することになる。その前の昭和 22 年 (1947) に東 北帝国大学は政令により名称を東北大学へと変更した。そして 2 年の移行期間の後,文 部省令によって法文学部は,昭和 24 年 4 月 1 日から三学部に分離独立し,さらに教育 学部が新設されて,文系は四学部となった。この間,心理学講座は 1 講座のままであっ たが,大正 13 年 4 月に京大から大脇義一が助教授として迎えられている。 こうして心理学講座は,第 II 次大戦の戦前と戦中の法文学部時代を経て,戦後は文 学部の 1 講座として新たな研究室を発展させていくことになる。千葉教授は昭和 15 年 (1940) に東北帝国大学を退官し,建国大学教授として満州へ渡った。その後研究室を 引き継いだのは教授となった大脇義一であり,助教授ポストには,昭和 25 年 (1950) に 北村晴朗が教養部からの配置換えで就任した。 大正期から第二次世界大戦終了直後までの間に,各地に心理学実験室や関連する学会 組織が誕生した。本邦の帝大心理学実験室を中心にこの間の事情を概観する。 3 東北帝国大学における実験室設置前後の状況 東北帝大の実験室開設は,法文学部第一研究室が完成した大正 14 (1925)年で,東大・ 京大からおよそ 20 年が経過してはいたものの,北大心理学講座が開設される 1947 年ま では,図 1 にみるように,北日本唯一の研究者養成機関であった。心理学研究室の規模

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は,千葉 (1972) によれば,鉄筋コンクリート三階建てビル (図 2) の三階全部約 200 坪 で,静室その他特殊の施工をしたものであった。研究室内の配置については丸山 (1999) に詳しい。加えて別棟に,工作室,写真室,動物室などが入る平屋一階の建物があった。 東北に続いて 1927 年には,九州帝国大学に心理学実験室が開設されている。 昭和に入ると,学会活動や専門誌の刊行が行われるようになった。日本心理学会 (JPA) が昭和元年 (1926) に,日本動物心理学会が昭和 8 年(1933)に設立され,これに併せ て専門誌も発刊されるようになった。引き続いて,地方でも同様の動きがみられる。東 北に関してみれば,東北心理学会 (TPA) は 1942 年に旧日本心理学会東北 ・ 北海道地区 部会として発足している。戦中の混乱期の後,1949 年に新発足することになった (国分, 図 1  本邦実験心理学草創期における東北帝大実験室の設置(数字は 1900 年から 1950 年までの年数を示す。JPA : 日本心理学会,TPA : 東北心理学会) 図 2  法文第一研究室。心理学研究室は 3 階に設置された(東北大学五十年史通史 (1960) より)

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2005)。専門誌に関して特筆されるのは,欧文報告誌の刊行である。

研究室の教育・研究活動が軌道に乗ってくるにつれて,千葉教授は欧文誌発刊を決意 している。その事情は次のようである(千葉,1972)。

「…研究室に出入りするものが,しだいに増加し,研究成果も続々と現れるようになっ たので,種々の困難があったが,これを世界の学界に問うため,意を決して欧文報告を 出すことにした」。これが昭和 8 年 (1933) 創刊の Tohoku Psychologica Folia であった。 わが国最初の欧文心理学誌の誕生である。この Folia の戦前において果たした役割には 大きいものがある。McVeigh (2017)はこの雑誌が,英語,ドイツ語,フランス語で論 文を掲載していたことから,海外の研究者は当時,日本で行われていた心理学研究の最 新情報を得ることができたと述べている。 4  研究室初期の教授陣と実験への態度 心理学研究室は,実験的研究をも重視する施設として設計されていた。1960 年代ま での初期の教授陣が東北大心理学における実験を,どのような研究態度でみていたのか, 研究内容などをもとに推察してみたい。 心理学は 1 講座として発足し,2 講座化される 1974 年まで 1 講座のまま推移した。 配置される教授は 1 名であった。ここで初期というのは,この 1 講座の時代と考えるこ とにしたい。そこで初代は千葉胤成教授(在任期間 : 1923-1940),次いで大脇義一教授 (在任期間 : 助教授時代を含み 1924-1960),そしてその後を継いだ北村晴朗教授(在任 期間 : 助教授時代を含み 1950-1972)の 3 名である。いずれも実験を重視されたが,そ れぞれがどんな観点をもっておられたのかを,誤解を恐れず略述してみたい。 初代千葉胤成教授は京大時代すでに実験的研究で実績を積んでいた。在外研究の後, 東北帝大では精神分析理論とは異なる独自の深層心理の問題を論究し,固有意識理論を 構築した。実験はそれを裏づけるために不可欠な研究法であった。しかし,還元論的分 析的立場ではない。千葉(1940)によれば,固有意識は意識と機能的に同一線上に本来 備わって人を特徴づけているとされ,知覚や記憶などの実験をとおして,その存在や連 関を解明することが示唆されている。 大脇教授は,意志,表象,直感像など内面の問題の解明に実験による実証を重視した。 そのため,心理学講座を実験講座化するよう努め,実際,1956 年にそれを実現した。 また,大脇教授は当時最先端の実験研究も試みている。心理学ではいち早く脳波研究に

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関心を示し,初めは医学部生理学の本川研究室において脳波による心理現象解明の可能 性を検討している (Onizawa & Ohwaki, 1955) 。この種の研究でも刺激と脳波像との対 応関係をみるというよりは,表象の現れ方をとおしてその根底にある深層の働きをみよ うとしている。 北村晴朗教授は,意識を主要テーマとして先代から引き継いでいる。自我の研究にそ れを見ることができるが,交通心理学や刺激削減などの実験的な研究でも知られている。 人間行動や心理の解明にあたって重視した観点は統御である。併せて統御の不全の姿を 解明することも重視した。北村(1968) は「人間の行動を明らかにするためには,それ に参与している個々の機能を分析的に取り出して研究する必要があるとともに,その間 の関係を明らかにし,とくにその諸機能がどのように統一的に参与しているかという統 御の姿を明らかにすることが必要になる」と述べている。その解明に実験的なアプロー チを重視したのである。ここにおいても,還元論的分析的立場ではなく,内的諸機能や 現象間の関連をとらえようとする立場をとっていたと考えられるのである。 千葉教授を引き継いだ,心理学研究室初期の大脇・北村両教授も意識の問題を重視し, 人間を全体としてとらえる態度に共通性を見いだせるように思われる。黒田(1996)の 講演記録から推察されるのは,千葉教授から北村教授に至る歴代教授は実験心理学者で はなく,人を固有の存在としてとらえ理解しようとする立場・パラダイムを重視したこ とである。そのような立場にもかかわらず,当時の科学的心理学が必要とした実験機器・ 器具を購入し教育に当たっていたことは注目に値する。ではどのように実験研究を位置 づけていたのであろうか。 実験で力点が置かれていたのは,問題とする現象を限定された刺激-反応間の関数関 係を求め,還元論的な分析を行うのではなく,現象相互間の関係をとらえることによっ て,現象自体の特性から発現の本質的条件を求めることである。言い換えれば,実験現 象学的アプローチが尊重されたといえるであろう。 次には,草創期の機材購入がどのようになされ,そして保管されたのかについてみて いくこととする。

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II 草創期の「実験機器」などの導入と保管の現状 1  機材調達のはじまり 在外研究員としてドイツ滞在中の千葉胤成は,東北帝国大学法文学部教授候補の命を 受けた後,図書・機器などの購入について東北帝国大学からの要請があったことを受け て,「実験機器」の購入にも努めた。在外研究中,千葉はドイツだけでなく,欧米各地 の多くの大学研究室を訪ね,実験機器について見聞を広めていることが,著作集第 4 巻 (千葉,1972)の随想の中から読み取ることができる。また,同書にはヴント文庫購入 について詳細な記述があるので,ヴント文庫については折に触れて紹介されている(例 えば,阿部,2019 ; 大橋,1996 ; 高橋,1983)が,実験機器についてはいくつか不明 な点があった。その一つが,どの時点で機器購入が行われたかということである。どの ような機器を購入すべきかについては,購入を要請された千葉の判断によるものであり, おそらく,本人の京大時代の経験と,ドイツへの在外研究時代の経験を踏まえたものに は相違ないであろう。ところで,丸山 (1999) によれば,これらの機器・器具の一部は ヴント文庫についてきたとの伝えがあり,学生達は「ヴントの器械」などと呼んでいた という。しかし,千葉胤成著作集第 4 巻の自伝的随想にはそのような記述はみられない。 器械・器具は帰国後に,ドイツ,フランス,アメリカなどへ発注したようである。さら に,丸山 (1999) が見いだした「昭和十年調 器械・器具カード控簿」(「控簿」と略記する) の購入年月日の記録から,ヴント文庫についてきた物品ではないことが明らかになった。 次に,この「控簿」をもとに草創期の実験機器についてみていくことにする。これら の機器は現在,古典的機器として特徴づけられており,その保存に強い関心が向けられ るようになっている。それを代表する組織が,日本心理学会内に設けられた「教育研究 委員会内の資料保存小委員会」である。そのメンバーである吉村浩一氏らが 2014 年度 末から 2015 年度にかけて,東北大学心理学研究室に残存する機器類の調査を行ってい る(Yoshimura & Gyoba, 2015 ; 吉村,2016) 。

本論が点検の対象とした東北大学心理学研究室の保管する草創期の実験機器は,吉村 氏の調査を踏まえたものである。これらの機器はしたがって,「1922 (大正 11) 年 8 月 に東北帝国大学法文学部に心理学講座が開設されて以来,第二次世界大戦後の新制大学 移行までのあいだに同心理学研究室が導入し使用していた機器類のうち,後継研究室で ある東北大学文学部心理学研究室に現存しているものをいう」とした吉村氏の指摘に順

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じるものである。 2  草創期の機器購入状況 丸山 (1999) の指摘に基づけば,実験実習などで使われた機器導入の時期や内容を知 る手がかりは,昭和 10 年 (1935) 調べの「控簿」が現在のところ唯一のものである。こ れは大正 12 年(1923)から昭和 13 年 (1938) まで購入分のリストである。これら実験 および実習用機器のうち,Zimmermann 社などをとおした海外からのものは,図 3 に示 すように,ほとんどすべてが大正 13 年と同 14 年の 2 年間で購入されている (佐藤, 2002) 。「控簿」を見いだした丸山は次のように述べている。 「(「控簿」は)昭和 10 年 (1935) 調べのもので,大正 12 年 (1923) 9 月 3 日購入のも の(音声反応鍵)から」昭和 13 年 (1938) 7 月 21 日(メトロノーム)までの 192 点に わたって克明に記されていた。……昭和 10 年まで以降の 10 点は,追記したものであろ う。ほとんどが大正時代に購入されたものである」 1926年以降,昭和に入ってからは購入機器の大半が日本製であり,また,研究室開 設当初の 3 年間に比べてその点数はかなり少ない。このような状況を踏まえて,控簿の 中から外国製の主要機器に注目し,現物と照合した結果から,丸山教授は,「ヴント文 庫についてきたとみられる器械類は見当たらないようである。すべてが購入物品とみて よいであろう」と指摘し,機材購入がヴント文庫購入とは別に行われたことを明らかに 図 3  東北帝大心理学研究室における備品の整備(控簿による : 1917-1938)(佐藤, 2002)

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している。 主要な高額の機材が講座開設直後の 2 年間に集中して購入されているのは,開設時の 特別予算によるものであろう。その後,購入物品が少なくなるのは,経常予算の制約の ためと思われるが,今回この経費については明らかにできなかった。 3  機器保管の現況 「控簿」記載の大正 12 年から同 15 年までの主な実験機材 74 点を選び,一部欠損が認 められる物品を含めてその保管状況を調べた。表 1 にその物品機材リストを示す。これ らは畑山ら (2003) が点検した機材であり,今回,その保管の概況をあらためて確認し ようとしたものである。先述したように吉村らにより,東北大学心理学研究室の草創期 機器の詳細な調査が行われている。この調査では,選定した 76 点の機器類について控 簿記載機器の名称の誤りや疑問点を指摘し,それぞれの機器に番号づけを行った。さら にその番号順に一点ごと写真撮影を行っている。今回の照合作業はこれを踏まえながら, 2018年 6 月と 7 月に控簿に基づいて機器購入年順に行った。吉村らの調査と異なるのは, そこには含まれなかった機器類も対象としたことと,写真撮影された機器の一部を点検 できなかったことである。図 4 は草創期機器の現在の保管棚の一部である。 リスト中に示す吉村の登録番号は,控簿の購入物品の機材分類をもとにしたものであ るので,表 1 に示す本報告の年次順配列とは異なる順番になっている。表中,登録番号 に枝番がついているのは,分類上同じ物品として 2 台が確認できた場合につけられてい る。TH00017-1は大正 12 年に購入されているが製造元は不明である。TH00017-2は大 正 14 年に購入されている。TH00049-2はリストに示していないが,昭和 8 年購入で控 簿には記載されている。また,TH00056-2は保管されているものの,控簿に記載がない。 そのため TH00056-1のみをリストに示した。 TH00051と TH00003 はいずれも,2 つの別製品として同一番号が 2 段に亘ってつけ られているが,別製品ではなく組み合わせて一つの製品になっていると判断されたもの である。 今回の照合作業で確認できた機器には○を付した。大正 12 年と同 13 年では 17 点の 機材中,機器の一部でも確認できたのは 9 点であった。大正 14 年では 49 点中 20 点が, 同 15 年では 8 点中 3 点が確認できた。確認されたのは 74 点中約 43% であり,約半数 が不明であった。また,吉村らが番号づけした機器は,今回照合を行った中に 43 点あり,

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表 1 草創期の主要実験機器と保管状況(昭和 10 年控簿より) (大正 12 年∼大正 15 年)

  登録番号 購入年 機材名称 製造元 保管状況 1 TH00005 T12 (1923) Kontrollhammer Zimmermann, Leipzig 〇 2 T12 (1923) Gedachtnisapparat nach Lipmann Max Marx & Berndt, Berlin × 3 TH00017-1 T12 (1923) ボイスキー  ? 〇

4 T13 (1924) 焼付器 小西 × 5 TH00008 T13 (1924) ストロボスコープ ? 〇 6 T13 (1924) 残像試験器 島津 × 7 T13 (1924) 色盲検査表(石原) ハンダヤ,東京 × 8 TH00033 T13 (1924) Perimeter nach MacDonald Harry-Lang

samt Stativ F. Fritsch 〇 9 T13 (1924) Zeiss - Stereoskop Carl Zeiss, Jena ×

10 T13 (1924) Delineascope Spencer Lens Co. N.Y. × 11 TH00014 T13 (1924) L abialpfeife mit verschiebbarem,

getailtem Stempelc 1-c2

Max Kohl × 12 TH00016 T13 (1924) Tatz von 10 Resonatoren nach

Helm-holtz Max Kohl 〇 13 TH00051 T13 (1924) Normalstimmgabel auf Resonanz Kasten Max Kohl 〇 14 TH00051 T13 (1924) Stimmgabeln auf Resonator Kasten fur

die Tonleiter Max Kohl 〇 15 TH00047-1 T13 (1924) Tonmesser nach Appunn, 65 Tone von

c1 bis c2 Max Kohl 〇 16 TH00047-2 T13 (1924) Intervallapparat Max Kohl 〇

17 T13 (1924) 台秤 ?, 納入先 : ?(仙台) × 18 T14 (1925) Aesthesiometer nach Griesbach Zimmermann, Leipzig × 19 TH00004 T14 (1925) Esthesiometer de Michotte Boulitte, Paris × 20 T14 (1925) Thermoesthsiometre de Toulouse Boulitte, Paris × 21 TH00070 T14 (1925) Druckwage nach Stratton Zimmermann, Leipzig 〇 22 TH00007 T14 (1925) Olfaktometer Zimmermann, Leipzig 〇 23 TH00024 T14 (1925) 温点検出器(4 個) 島津製作所 〇 24 TH00001 T14 (1925) Photometer nach Gehlhoff-Schering C.P. Goerz, Leipzig 〇

25 T14 (1925) 顕微鏡写影装置 島津製作所 × 26 TH00045 T14 (1925) Genauigkeitsprufer des Augenmasses

nach “Lehmann” Zimmermann, Leipzig 〇 27 TH00002 T14 (1925) 三連混色器 C 号 山越工作所 〇 28 TH00034 T14 (1925) 実体鏡(2 台) 島津製作所 〇 29 TH00006 T14 (1925) Reisetonometer nach Hornbostel Zimmermann, Leipzig × 30 T14 (1925) Metronom mit

Unterbrechungsvorrich-tung Zimmermann, Leipzig × 31 TH00022 T14 (1925) Taktiervarrichtung nach Wundt Zimmermann, Leipzig 〇 32 TH00059 T14 (1925) Galton - Pfeife Zimmermann, Leipzig ×

33 T14 (1925) Horscharfeprufer nach Zoth Zimmermann, Leipzig × 34 TH00062 T14 (1925) Kehltonschreiber nach Kruger Wirth Zimmermann, Leipzig × 35 TH00039 T14 (1925) Elektromagnetische Stummgable Zimmermann, Leipzig 〇 36 TH00017-2 T14 (1925) Schallschlussel nach Romer Zimmermann, Leipzig ○

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37 TH00015 T14 (1925) Chronoskop mit polaris. Magneten Zimmermann, Leipzig 〇 38 TH00049-1 T14 (1925) Chronographe de Jaquet Boulitte, Paris ×

39 TH00040 T14 (1925) Tertienzahler (1/100 Sekunden-

Mes-sung F. L. Lohner, Berlin 〇 40 TH00011 T14 (1925) 記時器 ?, 納入先 : 安藤(東京) 〇 41 TH00056-1 T14 (1925) Tachistoskop nach Netschajeff Zimmermann, Leipzig 〇

42 TH00010 T14 (1925) Apparat zur Exposition nach Hack

-lander Zimmermann, Leipzig 〇 43 TH00021-1 T14 (1925) Dynamometre de Verdin Boulitte, Paris ×

44 TH00021-2 T14 (1925) Dynamometre dynamograph Boulitte, Paris ×

45 TH00028 T14 (1925) Schriftdruckregistrierer nach Schlag Zimmermann, Leipzig × 46 T14 (1925) Ergograph Zimmermann, Leipzig × 47 T14 (1925) Pneumographe de Pompilian Boulitte, Paris × 48 T14 (1925) Federkymographion Zimmermann, Leipzig × 49 T14 (1925) Registrierapparat schnellem Gang Zimmermann, Leipzig × 50 T14 (1925) Markiermagneten Zimmermann, Leipzig × 51 T14 (1925) Mareyscher Tambour (2) Zimmermann, Leipzig × 52 T14 (1925) カイモグラフ煤煙装置 納入先 : 成瀬(仙台) × 53 T14 (1925) セラック塗布装置 納入先 : 成瀬(仙台) × 54 TH00063 T14 (1925) Kurven - Messtisch Zimmermann, Leipzig ×

55 TH00025 T14 (1925) 抵抗器 (複式) ?, 納入先 : 島津(京都) 〇 56 TH00041 T14 (1925) アンメータ 20 amp ?, 納入先 : 島津(京都) × 57 T14 (1925) Induktorium Zimmermann, Leipzig 〇 58 T14 (1925) Tischtransmission Zimmermann, Leipzig × 59 TH00042 T14 (1925) ボルトメータ 20V Zimmermann, Leipzig 〇 60 T14 (1925) 感応コイル (10cm) ?, 納入先 : 島津(京都) × 61 T14 (1925) シングルフラグキー(電池開閉器) ? × 62 T14 (1925) 電流方向転換器 ?, 納入先 : 島津(京都) × 63 TH00027 T14 (1925) 抵抗箱 (1110Ω) ?, 納入先 : 島津(京都) 〇 64 T14 (1925) 鉄枠フレームレオスタット ?, 納入先 : 島津(京都) × 65 TH00050 T14 (1925) 電磁鎚 ?, 納入先 : 安藤,東京 〇 66 T14 (1925) 図形裁断器 ?, 納入先 : 安藤,東京 〇 67 T15 (1926) Haaraesthesiometer Zimmermann, Leipzig × 68 TH00035 T15 (1926) 色覚検査器 島津製作所 〇 69 TH00003 T15 (1926) Universal-Kontaktapparat Zimmermann, Leipzig 〇

70 TH00003 T15 (1926) Registrien apparat (Motor)

(Schleifkon-takte) Zimmermann, Leipzig × 71 TH00041 T15 (1926) Plethysmograph Zimmermann, Leipzig 〇 72 T15 (1926) Registrierapparat schnellem Gang Zimmermann, Leipzig × 73 T15 (1926) Einrichtung fur Heringische Schleifen Zimmermann, Leipzig × 74 T15 (1926) Glasmassstab Zimmermann, Leipzig ×

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そのうち保管が確認できたのは 31 点(72%)であった。これらの中には,今後確認の 取れる物品も見つかる可能性はあるが,今回の照合作業から現有率は必ずしも高くはな く,時間経過にともない機器の保管維持の難しさが示唆される。これらの機器類は大正 末期から戦中戦後の混乱期や度重なる災害に遭遇しているので,その間に損壊や紛失は ある程度避けられなかったわけで研究室が保管に意を注いできた結果がこの現有率に反 映されているのであろう。そこで,このような保管の危機的事態の実際を振り返ってみ ることにする。 4 機器損失・損壊の危機的事態 機器の保管にとって問題の起きやすい事態は,機器使用中のトラブル発生にともなう ものよりは,研究室の移転を余儀なくされる場合や大地震などの震災に遭遇する場合で ある。過去を振り返ると,そのような事態は以下に示すように 6 回ほどあった。 (1)  第二次世界大戦末期の研究室蔵書などの疎開 心理学研究室が昭和 20 年(1945 年)に実験機器,蔵書などを宮城県川崎村へ疎開し たことは,東北大学五十年史部局史文学部 (1960b) の中で述べられている。しかし,い つ何をどれだけどのように運んだのか,その詳細は明らかではない。混沌とした状況の 中で,戦火を避けるために実験機器などを疎開させたのであるから,できるだけ多くを 図 4 古典的実験機器保管の一部を示す(2018 年 8 月現在)

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運ぶようにしたため,移動時にはトラブルがしばしば起きたのではないだろうか。この 心理学研究室の疎開は実際にはどのようであったであろうか。 東北大学で疎開が行われ始めるのは,1945 年の年明け早々からであったようである。 百年史 (2003) によれば法文学部での疎開については,研究室にある蔵書疎開の簡略な 記述がなされているのみで,詳細は不明とされている。「空襲により,卒業生の学業成 績簿その他の書類も(法文事務室が全滅したために)灰燼に帰した」との記述もあるの で会議録が失われてしまったためであろう。 疎開の実際を担った疎開委員の一人・桑原武夫 (1980) によると,法文学部の学部教 授会で疎開問題が検討されたらしいこと,桑原助教授が学部長の命を受けて疎開委員の 一人になった事などが述べられている。疎開の対象にしたのは法文学部各研究室にある 蔵書で,各教官によって貴重なもののみを梱包してもらうこととし,7 月 3 日早朝まで に学部正面入り口まで搬出しておくよう指示し,トラック 5 台でまず石越へ運搬したと ある。目的地は宮城・岩手・秋田三県の境にある栗駒山麓の文字村であった。そのため, 石越から先は(荷を積み替えて)細倉鉱山行きの栗原鉄道で岩ヶ崎へ行き,再び荷を荷 馬車に積み替えて文字村へ向かったとある。そして村長宅の大きな土蔵二つに荷物を収 納した。 ここで疑問が生じる。心理学研究室の疎開先は先述のように文字村ではない。考えら れるのは,心理学は他の研究室と異なって蔵書以外に実験機器も所有しているため,法 文学部の方針とは別におそらく大脇教授による判断で,川崎村へ研究室独自で疎開先を 決めたのではないかという事である。 仙台空襲は 7 月 10 日午前零時 50 分から約 2 時間に及んだ。東北大学ではとりわけ法 文学部の被害が大きく,すべての木造建築物を失った(五十年史,1960a)。法文第一研 究室と,その東隣の図書館はかろうじて戦災を免れている。なお,この第一研究室の建 物の近くにあった木造の工作室は消失した。 なお,疎開に関連して思い起こされるのは昭和 44 年 (1969),大学紛争のために 10 月末から 11 月末にかけて文学部棟の一部が学生によって封鎖され,機動隊による放水 が行われる事態も想定された出来事である。心理学研究室のある法文一号館にもそうし た事態が予想され,当時助手だった筆者は重要な蔵書や機器の一部を緊急避難させるこ とを院生達と検討した。最終的に北村教授の許可を得て疎開に踏みきった。機器はポリ グラフなどを日本光電が受け入れてくださり,蔵書は宮城学院女子大学保育科大山教授

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のご協力を得てその研究室に移動した。この時は,草創期の機器まで疎開させる余裕は なくなってしまったが,幸いな事に封鎖の事態に至らずに済んで大いに安堵した。 (2) 片平キャンパスから川内地区への移転 北村教授が退官される昭和 47 年 (1972) 頃には文学部のキャンパス移転が目前に迫っ ていた。安倍教授が主任となった翌昭和 48 年 9 月までの間に川内地区への移転が行わ れた。ここでは草創期機器の運搬はどのようであったろうか。その詳細は不明であるが, ともかくも片平の研究室に保管してあった機器のすべてが無事に運ばれた。しかし,微 調整を要するなど慎重な取り扱いが必要な機器は,このような状況下で部品の損失や破 損が生じたかもしれない。 (3) 宮城県沖地震による研究室被害 川内キャンパスへの移転の 5 年後,昭和 53 年 (1978) 6 月 12 日に宮城県沖地震が発 生した。都市機能がマヒし,人身への多くの被害も生じた。マグニチュード 7.4,仙台, 福島,水戸などで震度 5,被害の概要は,死者 28 人,負傷者 1,325 人(ブリタニカ ・ ジャ パン,2011)で,この被害は仙台市及びその周辺地域に集中していた。丸山 (1999) は 次のように述べている。 「…当時の研究室は川内の 9 階建ての 9 階にあったものだから,揺れがひときわ強く, 物品は壊滅状態になったのである。古典機器の収納棚の中も例外ではなかった。回収に あたって散逸した物品も少なくない。壊れて形をなさないものは廃棄せざるを得なかっ た…」 この地震により初期の実験機器や部品が相当程度損なわれた事が分かる。次いでこう した機器の保管上の問題が生じたのが,文学部内に社会学科が設置されて川内キャンパ ス内での研究室移転があった時である。 (4) 文系合同研究棟への川内キャンパス内移転 この移転は昭和 59 年 (1984) 7 月に行われたが,草創期機器を含めた物品の一部はそ のままもとの 9 階の実験室の一室に保管する事ができた。それらを移転させる事態が生 じたのは昭和 63 年 (1988) である。ここでも移動させる対象となったのは主要な草創期 機器のみで,その他は保管していた大きい陣列ケースを含めて廃棄されている。これに 関連して,丸山は学友消息(1988,43 号)の中で次のようなコメントを寄せている。 「…昭和 27 年頃の基礎実験で使用したヒップの時計やツァイトジンアパラート,リッ プマンのメモリードラム,象牙の触 2 点閾計,さらにマルテンス光度計などはそのまま

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使えます。……しかし,容積脈波計やストラットンの圧秤は地震による破損のままで, いずれ修復せねばなりません。すす紙に呼吸などを記録し,それを膠液で固定するカイ モグラフは,数個を残して処分しました。……音叉も残しましたが少々こわれたものも あります。……(機器購入が容易でなかった過去の時代と比べると)今は隔世の感を禁 じ得ません。コンピューターコントロールをフルに活かして,刺激パターンは CRT ディ スプレイ。ギロチン式の瞬間露出器などは数個残しましたが,全く使う者はおりません」 同じキャンパス内での移動でもこのような問題が生じる事は,過去の貴重な実験機器 であっても長期に亘っての保管がいかに困難であるかをよく示しているといえるであろ う。 (5) 東日本大震災による研究室の被害 平成 23 年 (2011) 3 月 11 日三陸沖で発生したマグニチュード 9.0,最大震度は宮城県 栗原市の震度 7(気象庁)。余震域は南北 500 km にわたった(ブリタニカ ・ ジャパン, 2011)。この地震によって再び研究室の蔵書や機器類に大きな被害がもたらされた。研 究室の記録によると被災の様子は次のようである。 「…大地震発生,心理学研究室被災。学生教員,川内萩ホール前へ一斉退避…書籍・ 資料,氾濫。電気・ガス停止。水道のみ無事。実験機器多数損傷…」 実験機器多数損傷と記されているところから草創期機器類の陳列棚も大きい損壊を 被ったと考えられる。この被害は,前記の宮城県沖地震被害と同等以上のものであり, 震災のたびに機器保管の難しさを実感させられるものである。 (6) 東日本大震災後の耐震改修工事にともなう移動  その後も機器などの移動を余儀なくされる事態が起きている。1984 年に建設され, 心理学研究室の設置された文経合同研究棟が震災で被害を受けたため,2013 年から 2014年にかけて大規模な改修工事が行われた。研究室は 2013 年の秋口に再び文学研究 科本棟へ戻ってその一部に仮住まいをすることになった。研究室の移動は草創期機器を 手始めに行われた(学友消息,2013,68 号)。特にその移動上の問題は述べられていな いことから,破損などの損失は最小限であったと思われる。幸いなことに今日では,そ の保管の意義が日本心理学会や現在の研究室において強調されてきた背景があり,この ことも損失を少なくすることに役立ったといえるであろう。 今回の草創期機器確認作業を基に表 1 に示したのが,以上のような機器保管上の危機 的事態を経て現在保管されている主要な機器類である。

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III 草創期「実験機器」の歴史化 : いつ古典的機器と呼ばれるようになったのか 研究室創設期に海外から輸入された主要な実験機器は,研究・教育用の心理学機器と して受容された。その後戦火を免れたこれらの機器は,戦後復興期に大いに活用されて いる。こうした機器開発・導入期ではそれらの機器は古典的ではあり得ない。つまり, 機器製作所の製品が販売される時や,研究室でそれらがよく利用されている段階では古 典的であることはない。研究者による活用が途絶え,それにともなって製造販売が次第 に行われなくなってしばらく経過した後に,すぐれた研究者達が過去の機器に強い関心 を示すことでそれらの機器の歴史化が始まるのであろう。なお,研究者自身が開発した 機器もその対象にはなり得るが,実験心理学では今のところその例はみられないようで ある。 初期の実験機器が研究と教育の両面で使われなくなっていく過程に何が起きていたの であろうか。こうした状況変化がどのようなものであったかを,筆者の関わった心理学 研究室での体験をもとに述べてみたい。その時間軸として取り上げるのは東北大学心理 学研究室が主催した日本心理学会大会の変遷である。 図 5 はその変遷を示している。古典的機器の展示は 55 回大会(1991 年)で行われて いる。さらにこの展示は,ヴントの肉声の録音をも含めて 5 回目となる直近の 82 回大 会(2018 年)で充実が図られた。ここで東北大学が主催した大会がどのようであった かを日本心理学会 75 年 (2002)史を参照しながら振り返ってみたい。 草創期の日本心理学会大会は,第 1 回大会が昭和 2 年に東京帝国大学で開催された。 その後,昭和 16 年の第 8 回までは隔年で開催されていた。その間,第 2 回大会は昭和 4年に京都帝国大学が,第 3 回大会は再び東京帝国大学が主催している。この後,両大 学に次いで心理学講座が開設された東北帝国大学が,昭和 8 年に第 4 回大会を開催した。 千葉胤成大会長の下,参加者約 120 名,そして 87 の発表 (講演) が行われている。これ が初回の東北大主催の大会であった。 次いで,戦後 2 回目となる第 12 回日本心理学会大会が,昭和 23 年に大脇義一大会長 の下で行われた。記録では参加者数は不明で,研究発表は 89 件とある。東北大学五十 年史によると,食糧事情悪化の折柄,仙台での開催は東京や関西方面の人々に喜ばれた とのこと。 3回目となる第 34 回大会は昭和 45 年で,北村晴朗教授が大会長を務めた。この時は

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学園紛争まっただ中で,東北大学では前年末,警察機動隊による大学建物の封鎖解除に 至るなど混乱した事態まで生じ,そのため大会は東北工業大学を会場に開催された。研 究室にとって幸いといえるのは,その混乱した昭和 44 年に丸山欣哉助教授が着任した ことである。加えて安倍淳吉助教授の 3 人体制で迎えた大会は,研究発表数 522 件,参 加者 976 名というそれまでで最大規模となった。 やがて再び約 20 年が経過したところで,4 回目の第 55 回大会が平成 3 年 (1991) 10 月末に,今度は丸山欣哉大会長の下で開催された。主会場はオープン間もない仙台国際 センター。この学会を報じた当時の河北新報によれば,「研究発表は医学や社会学,人 類学など隣接する学問領域との共同作業を通じたテーマが中心」で,それを裏づけるよ うに,発表数 886 件,参加者 2,067 名にまで規模が拡大した。そうした状況のなか,ヴ ント文庫の紹介や心理学の古典的機器の展示なども行われている。研究室初期の機械器 具がこの大会で古典的機器として紹介された。 そして 2018 年 9 月の第 82 回大会。会場は前回大会と同じ仙台国際センター。その規 模は,大会終了直後の 2018 年 10 月時点で,発表件数が 1,200 を,そして参加者が 3,100 名を超えるほどになった。そして,前回の展示をさらに発展的に継承する試みがなされ 図 5  東北大学主催の日本心理学会大会。発表件数を折れ線グラフで,参加者数をバー グラフで示す(2018 年 8 月現在)。82 回大会の参加者数は示していないが, 大会終了直後の時点で約 3,100 名とされている

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ていた。ヴントの肉声を聞けるようにし,さらに展示品の詳細な説明を加えた。先述し たように,草創期の実験機器を古典的機器として紹介したのが 1991 年の大会であった。 しかし,古典的といわれるようになったのは果たしていつ頃であり,それはまたどのよ うな状況変化と関連するといえるのであろうか。その手がかりとして,心理学研究室で の実験機器への取り組みに注目し,それを概観してみる。 表 2 に,初期の実験機器利用形態,装置制作環境,そして実験心理学のアプローチの 変遷を示した。変遷の期間を,帝国大学時代の「戦前・戦中」,次いで新制東北大学の 発足後の「戦後から 1970 年代中期」までの復興期,そして「1970 年代中期以降」に区 分して整理した。1970 年代中期を一つの区切りとしたのは,1970 年の第 34 回大会に みるように学会規模が増大してきたことや,実験装置制作に電子化の影響が広がるよう になったことに注目したからである。 草創期の実験機器は研究・教育の両面で標準的な装置として,「戦前・戦中」におい ては積極的に用いられている。注目される一つはこの時期,工作室が設置されている点 である。さらに昭和に入ると,実験のための工作を補佐する技工として,さらには授業 の手伝いとして工手が雇われている。戦後はこのような人材を雇うことはできなくなっ た。そこで研究者自身が装置を自作する傾向が高まり,工作スペースも拡大している(関 連する論考が丸山 (1970) にみられる)。このような中で開発されたのが,自動車ドライ バーの適性を評価するための検査機器の一つ,「速度見越し反応検査器」である (Maruyama & Kitamura, 1961)。また,自作に拍車をかけたのが安価に入手できる電子 パーツの出現である。1960 年代になるとトランジスタが出回るようになって,それを 活用した電子工作の手引きも実験心理学関連領域で出版されるようになった (例えば, 表 2 東北大学心理学研究室の実験機器利用形態の変遷 戦前 ・ 戦中 戦後から 1970 年代中期 1970年代中期以降 初期実験機 器利用形態 標準的利用 標準的利用頻度の低下 (古典的機器へ)利用終了 装置製作 環境 ・工作スペース設置 ・工作スペース拡大・電子パーツの進化 ・コンピュータチップの発展 ・自作の試み ・工作スペース縮小 ・ PC と実験や解析ソフトの進 展 ・自作から外注へ 実験心理学 実験現象学的接近      還元論への関心の高まり        脳神経科学 ・ 情報科学の展開

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Cornsweet, 1963 ; Zucker, 1969) 。また,当時の心理生理学領域のハンドブックは多く の頁を同様の電子パーツを利用した装置回路の説明に当てている (Venables & Martin, 1967) 。 初期の実験機器は戦後も用いられたが,研究のテーマが感覚・知覚だけでなく多様化 するにつれて,1960 年前後の時期からは研究面での草創期の機器利用は減り,基礎実 験のような教育面での利用に限られるようになっていった。その大きな要因が戦後のア メリカ心理学の影響にあったことは否めないにしても,機器製作環境の急激な変化もそ の一因であったといえるであろう。こうして 1970 年代中頃を境に,これら初期の機器 は使われることはなくなり,研究室の教授陣はその意義を黎明期の研究・教育を知るよ すがとしてのみとらえるようになったように思われる。 1970年代には電子パーツがさらに発展を遂げる。トランジスタが一般化して市場に 出回り始めて以降,こうした電子パーツの集積化が進み 1970 年代にはディジタル IC や オペアンブなどの部品が安価に入手できるようになった。これを受けて研究者独自に実 験装置を一層試作し易い状況が生まれた。その例を Dewhurst (1976) のハンドブックに みることができる。そこではオペアンプなどの集積回路を用いた実験室で有用な電子回 路が多数提示されている。このような装置制作環境の急激な変化により,実験制御の精 度を高める試みが行われた。例えば,筆者も当時のオペアンプ IC などを用いて,運動 行動での心拍を簡便にモニターするための装置を製作した(畑山,1975)。 1970年代後半には,マイクロコンピュータが普及しはじめ,染宮・三田(1978)の ような利用法解説書がその導入を促した。1980 年代に入ると,マイクロコンピュータ の延長線上に次々に新たなパーソナルコンピュータ(PC)が出現してきた。このよう な状況の中で,本邦の大学での心理学実験室における各種コンピュータ利用の実態調査 が行われている。吉村 (1981) は複数のコンピュータ併用者からの意見に基づいた結果 をも示している。それによると,「マイクロコンピュータの利点は,実験室で,安価に, 自由・容易に占有できることと,実験の制御に利用できること」であった。このことが その後の PC の受容につながる背景にあったことがうかがえて興味深い。実験の制御に 関しては 1990 年代に入ると,その利活用に関するハンドブック (例えば,Maarse, F.J., et.al., 1993) も出版されるに至った。 研究室で使い勝手の良い PC が登場するにつれて,次第に実験制御のための装置製作 からソフトウェアによる実験制御が行われるようになった。また,データ処理も PC の

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演算機能の向上にともなって大幅に改善されるようになると,大型計算機やミニコンへ の依存度は低下した。こうした実験室での研究環境の変化は 21 世紀に入るといっそう 顕著になり,工作スペースを縮小させていったと考えられる。 実験心理学の関連分野である脳神経科学や情報科学などではコンピュータによる生体 内の画像処理に基づく新たな心理生理的知見が蓄積されてきた。このような理論面での 展開もまた,実験室での装置製作に影響を及ぼしている。実験心理学の研究でも多種多 様な生体情報の処理を可能にするような機器が求められてくると,そこでは個人の製作 能力の範囲を超えることがしばしば生じる。製作は個人の作業から外注へと変化してき た。このような研究環境の変化から,実験心理学者のアプローチも実験現象学的接近か ら,次第に現象の本質解明のための還元論的な接近へと推移してきたといえよう。 以上,研究室での研究や教育の動向から草創期の実験機器が次第に使われなくなる状 況をみてきた。他方では,研究・教育の黎明期を知るための重要な資料としてそれらが 注目されるようになり,古典的機器として歴史化していく過程を振り返った。ここで, 古典的機器といわれるようになった機器についてその特徴をあえて整理してみると次の ようになるであろうか。 まず,草創期における研究・教育で根幹をなす装置として位置づけられていたこと, そしてそれは当時を代表するような機器メーカーの製品であったことである。また,わ が国においては,戦中・戦後の混乱期に活用された実績があった。その後,研究テーマ が多様化したこと,そして「草創期の機器」には破損や消失も生じたこと,さらには PCという万能器が登場したことなどから,それらを利用する道は閉ざされる事態に至っ た。しかし,その学史上の意義を評価する研究者の間で,古典的な機器として保存を積 極的に進めようとする動きがみられるようになった。 以上は,東北大学心理学研究室での草創期実験機器を巡る状況変化をみながら,それ らの機器利用がなされなくなっていく背景を概説しようと試みたものである。次には, 初期機器が実際にどう利用されていたのか,残された資料をもとに教育と研究の双方に ついてみていきたい。 IV 第二次世界大戦前後の機器利用実態について 機器利用の状況を知るための良い手がかりになるのは,実験実習の実施状況を参照す

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ることであろう。創設から大戦前の期間のカリキュラム(畑山・牧野,2003)には実習 の時間が設けられており,そこで基礎実験の授業が行われている。  1 実験実習の内容および使用機器類 --- 基礎実験のレポート関連資料から 当時の実習内容を知る手がかりは,実習報告書に見られるが,大半は散逸している。 残された報告書の資料から,心理学実習が千葉教授の講義開始の年である大正 12 年に は行われたと推察できることや,終戦直前でも実習が行われていたことがうかがえる。 戦前の実習のメニューがどのようであったかは,昭和 10 年調べ 「控簿」に以下のよう なメモが残っている。 ① 触覚 ・ 味覚および嗅覚 ② 視覚 ③ 聴覚 ④ 時間意識及測時 ⑤ 注意,憶,連合及思考 ⑥ 感情及その表出 ⑦ 意志及仕事 実習に使われる機器類が次に記載されている。 ⑧ 補助器械   1)記器類 : 波動記器,マルキール,マグネット,タンブール,煤煙装置   2)測定器  3)電気器 4)スタンド類 ⑨ 器具   1)製図印刷用具 : 製図用器械,定規,紙裁,寒天盤,黒板,羅紗,鋏等   2)金工及木工用具  3)日用品 最終項目は次のとおり。 ⑩ 検査器械及人類測定 以上から,実験題目は 7 または 8 種類が用意されたと推定され,これらの具体的内容 が実習報告書に書かれている。現在の心理学研究室に残されている大正 15 年から昭和 16年までの資料は,紛失や破損を免れたものではあるものの,きわめて断片的である ため,実習の実際を十分に把握することは困難であるが,これをもとにその期間の実験

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題目と使用器具を以下に挙げてみたい。 重量識別 (圧秤 Druckwage nach Stratton) 触空間閾 (皮膚感覚計測器 Aesthesiometer)

温点の分布 (円錐型温覚器 Temperatur-Kegel,寒暖計)

色彩好悪 (Gedächtnisapparat nach Lipmann)

抽象視作用 (Tachistoskope nach Netschajeff,刺激カード 5 枚) 時間計量 (ストップウォチ,計算帖) 記憶像(特に残像) (灰色地の衝立,5 cm2平方の色紙数枚,Chronoskop,コンパス大 小 2 個,色彩表,顎台,色紙を挟む棒) 判断の中心化傾向 再生型 Reproductionstypen (刺激カード,ストップウォチ) 技術的学習力検査(鏡書)(技術学習力検査器,学習力検査用紙,ストップウォチ, 鉛筆) 選択反応時間の測定 (Chronoskop などを組み合わせて行われたと思われる) 実験実習で実際にこれらがどう使われたかを知るために,残されている実習報告資料 を参照してみたい。資料には学生レポートの他,指導者が作成した走り書きやマニュア ルらしいものが認められる。以下は,○が学生レポート,□が指導マニュアルと思われ る資料であることを示す。なお,旧字体は新字体で入力した。手続きや結果については 細かい記述のある部分も見られるが,ここでは実習メニューを概観することを目的とし て実験題目,実験者,観察者,器械のみに留意した。 ○実験題目 : 触空間閾  実験者 : 千葉先生,観察者 : 加舎亨  日時 : 大正 15 年 5 月 19 日午後 3 時  器械 : Aesthesiometer ○実験題目 : 触空間閾  実験者 : 松久義平,観察者 : 佐藤玲  日時 : 15 年 6 月 2 日午後 3 時  器械 : Aesthesiometer

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□実験題目 : 選択反応時間ノ測定  (心構ヘノ反応時間ニ及ボス影響) ○観察題目 : 色彩好悪

 実験指導者 : 対馬貞夫,観察者 : 扇谷弘一  日時 : 6/5,天候及ビ気温 : 稍暑,場所 : 4  器械・用具 : Gedächtnisapparat nach Lipmann  実験手続 : 比較選出法  観察者生年月日 : 大正 9.8.17   □観察題目 : 抽象視作用 ○実験題目 : 技術的学習力検査(鏡書)  器械 : 技術学習力検査器,学習力検査用紙,ストップウォッチ,鉛筆 □実験題目 : 抽象作用 □重量識別  目的 : 本観察ニテハ手ノ甲ノ部分ニ於ケル皮膚ノ重量識別ノ能性観察スル  方法 : 当否法(恒常法)

 用具 : Stratton 氏ノ圧秤(Druckwage nach Stratton) □実験題目 : 再生型  実験者 : A,観察者 B  器械 : (方法)再生法 Reproduction method 用具 刺激カード若干枚,     ストップウォッチ   ○実験題目 : 再生型  実験者 : 朝下忠,観察者 : 金子一郎  日時 : 昭和 10 年 9 月 27 日午後 4 時-5時

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 用具 : 刺激カード,stop-watch ○実験題目 : 時間計量  実験者 : 田村照一郎,観察者 : 長谷川松治  日時 : 昭和 10 年 6 月 5 日午後 4 時-5時  器械 : stop-watch,計算帖,ソノ他 □記憶像  目的 : E. Jaensch ノ所謂記憶像ノ中デ特ニ残像及ビ表象像ニ就キテ個性的観察ヲ行 ワントス  実験用具 : 灰色地ノ衝立,5 cm 平方ノ色紙数枚,秒時計,コンパス大小二個,色 彩表,顎安定台,色紙ヲ挿ム棒 □観察題目 : 抽象視作用  器械・用具 : 瞬間露出器,刺激カード  実験手続 : Vp. ハ抽象シ得タル色彩形態ヲ筆答スル □実験題目 : 再生型  実験者 : A 観察者 : B  器械 : 用具,カード数枚,ストップウォッチ  実験方法 : 再生法 ○実験題目 : 暖点冷点の検出  実験者 : 黒田一郎,観察者 : 須藤吉之助  日時 : 昭和 10 年 6 月 25 日午後 4 時-5時

 器械 : Chiba’s Temperature Cone

 検出場所 : 左腕上膊ノ内側,手首ノ近ク □実験題目 : 温点ノ分布

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 其他 : 観察部位 : 左腕上膊ノ内側,手首ノ近ク     室内温度――――    湯ノ温度―――――― ○観察題目 : 温点分布  観察指導者 : 石塚一石,観察者 : 福田英男  日時 : 昭和 16 年 5 月 9 日午後 3 時-5時 曇 18℃  器械・用具 : 円錐形温覚器 寒暖計 碁盤目ノ印判 方眼紙 鉛筆 アルコール  湯水 脱脂綿   □実験題目 : 記憶像  器械 : 5 cm 平方ノ色紙,灰色ノ衝立,ストップウォッチ □判断の中心化傾向についての実験 □実験題目 : 抽象作用

 器械 : 瞬間露出器(Tachistoscop nach Netschajeff)     刺激カード五枚 ○実験題目 : 記憶像  実験者 : 猪岡近男,観察者 : 佐々木米次郎  日時 : 6.14.1935  器械 : 衝立,色紙,秒時計,色彩表,コンパス大小,顎安定台 ○観察題目 : 記憶像  観察指導者 : 對村恵祐,観察者 : 阿部千枝子  日時 : 15.9.20 午後 4-5.30  器械・用具 : 灰色ノ衝立, 衝立ヲ移動スル線路,5 cm 平方ノ赤色ノ色紙ヲワケタ カード,コンパス大小,顎安定器,秒時計,物尺  呈示時間 : 20 秒

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○観察題目 : 抽象作用  観察指導者 : 菊地信夫,観察者 : 薬師正男  日時 : 昭和 12 年 12 月 3 日  器械・用具 : 瞬間露出器,刺激カード(5 枚)  其他 : 露出時間約 3/5 秒   ○観察題目 : 再生型  観察指導者 : 菊地信夫,観察者 : 薬師正男  器械・用具 : 刺激カード,Stop-Watch これらの資料から,圧秤,皮膚感覚計測器などの主な機材が,前記の実験題目の下に 活用されていたことが分かる。その後,第二次世界大戦を経て実習がいつ再開されたか は明確ではないが,比較的早期に行われたようである。昭和 26 年の心理学基礎実験実 施表には 30 の項目の記載とともに,どれを実施するかを検討した形跡が認められる。 昭和 28 年になると実施表の実験題目がほぼ確定している様子がうかがえる。図 6 に示 すこの実施表には,以下のような 28 の実験題目メニューが左列に,第 1 行目には担当 者が記され,いつどの課題を誰が実施するかが分かるように記録されている。メニュー を見ると,従来の感覚 ・ 知覚中心の課題だけでなく学習関連の課題も加わるようになっ ている。これが現在の基礎実験実習の原型になったものと推定される。 1 温点 ・ 冷点の検出    2 圧覚識別    3 音強度識別 4 運動感覚の再生     5 重量知覚    6 触空間閾 7 残像          8 形態知覚    9 視野の測定 10 視野闘争       11 色彩感情   12 感情の生理的表出 13 固有速度の固執性   14 学習の転移  15 無意味綴り字の学習と再生 16 図形の大きさの再認  17 再生に及ぼす素地の影響  18 学習の型 19 自由連想と連想検査  20 簡単反応時間  21 共感覚  22 概念形成 23 重畳作業 ・ 意識分配作業と向性  24 構え(態度)と知覚  25 概念探索法 26 使い易さ性  27 知覚的捕捉の型によるパースナリティーの研究 28 投影法によるパースナリティーの研究

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次には,これらの機材が研究活動ではどう活用されたのかを,実験的研究に関連する 初期の Folia 論文をとおして検討することとしたい。その際はじめに,そのような Folia 論文で使用された言語について取り上げてみる。それは,初期の欧文誌 Folia が研究情 報をどこから受容し,どこへ向けて発信しようとしていたのかを知る大きい手がかりと 考えられるからである。 2 研究活動の推移と実験機器 第二次世界大戦前の Folia 論文の 6 割以上がドイツ語で書かれている。すなわち,第 二次世界大戦直前の 1938 年までの総論文数 46 本中,ドイツ語で書かれた論文は 76% に達している。また,戦中と大戦直後の 1949 年まででは,総論文数 42 本中,62% に 相当する論文がドイツ語で書かれている。このことは明治期以降我が国がプロイセン(ド イツ)の医学を導入したことや,千葉教授が第一次大戦直後のドイツ遊学を通じてヴン トの後継者,クリューゲルなどの碩学の学説を重視したことなどが影響したものと思わ れる。 図 6  戦後間もない頃の東北大学文学部心理学研究室の基礎実験メニュー(1953)。 このメニューは今日の原型ともなっている

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実験的研究の報告は,Folia 創刊号(1933)から 1944 年までの間で約 25 篇あり,そ の大半は知覚研究の範疇に入れることができるものである(図 7)。刺激提示関連装置 としては音響機器,タキストスコープ,時間制御機器など,記録器にはカイモグラムな どがよく使われていた。 実験的研究報告を第二次世界大戦前,大戦中,および終戦直後で比較したのが図 8 で ある。1933 年から 1938 年までの 5 年間でこの間 46 論文があり,そのうちの 40% 弱が 実験報告である。大戦中の期間の 1939 年から 1949 年までの 10 年間では 42 本あり,そ のうちの 20% 強が該当している。この期間に終戦直後の 4 年間が含まれているのは, 定期的な出版は行われなくなり,複数年にわたってまとめられたためである。終戦直後 の 1950 年から 1955 年までの 5 年間に 26 本の論文が掲載され,そのうち約 60% の報告 が実験によるものであった。 これによると,大戦時 (1949 年まで含む) は報告数が大戦前と比べて半減していると 共に実験報告も減少した。しかし,終戦直後には論文数は少ないものの,約 6 割の報告 が実験によるものであり,実験的研究は大戦前の経験をとおして定着する傾向がみられ る。このことは終戦直後に発足した東北心理学会の報告にも見られ,第 3 回大会では約 図 7 草創期の実験心理学関連 Folia 論文(1933-1949)

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3割が実験的研究であった。この大会抄録集が東北心理学研究 (1951, 1 号) で,これに よれば実験のテーマにはシロネズミを用いた学習実験のような,新たな取り組みが見ら れるようになっている。以下 1959 年の第 8 号までの東北心理学研究の実験報告を概観 すると,戦前の知覚研究を引き継いだテーマの図形残効や残像関連研究および仮現運動 研究に加えて,異なる感覚モダリティ間の影響関係を探る新たな知覚研究も見られるよ うになった。また,動物学習研究や,EEG, PGR, ECG を指標とする生理心理学的研究 の増大など,戦後間もない時期にもかかわらず研究テーマに広がりが見られるように なっている。この背景にはアメリカ心理学の影響,特に行動主義や実験心理学の大きい 影響のあることが示唆される。 このような心理学研究への新たな興味 ・ 関心の高まりから,心理学研究室では当時の 若手研究者 5 名(大脇園子,鬼沢 貞,小柳恭治,木原 孝,佐藤俊昭)の発案で, 1953年に同人誌 “実験心理学” が刊行されるに至った。発刊にあたり,時の主任教授 ・ 大脇義一は,若い学徒の意気に感激したと述べ刊行を祝した。しかし,戦後研究室の運 営が厳しい中での若手研究者による事業の展開は 1960 までで終了することになる。こ のことは誠に残念と言わざるをえないにしても,戦後の研究室における研究発展の大き 図 8 Folia 論文中における実験報告論文の比率

表 1 草創期の主要実験機器と保管状況(昭和 10 年控簿より)

参照

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